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『徒然日誌』 2007年7月から12月

2007年12月31日Monday くもり
大晦日。 休みに入って日記の更新も止まっていたけど、最後なんで。
ゆとりを持って最後の一日を過ごそうなんて、結構前から抜かりなくやっているつもりなんだけど、どうもそういう風にはならないのである。なんだか慌ただしく晦日の日中。天候が芳しくない。昨日の雨と風と最後に霙には参った。ま、付けたシメが風に飛んでしまうことはなかったのは幸い。
働いて飲んで寝てなんて生活が28日から続いていると、今日あたりになると疲れが大分溜まってきていて、護摩を焚く時間まで持つだろうかなんて、51歳の歳の若くないことを自覚させられる。頭も刈ったので、少しさっぱりして、午後は早めに仕事を終えようと思う。書き物もまだ少しあるし、今夜の護摩の後のお話も何か考えなければならない。
Wさんにいただいた柚子で、今夜は風呂と柚子を入れた焼酎を飲もう。警察官の従兄にも少し持っていってもらった。今夜の勤務はないのだそうだ。「もう2年で定年だ」と話していった。
祖父が大正13年の正月に書いた三社天神の札を、僕も今年書いてみた。来年も僧になるための勉強を続けます。先ず今夜、誰もが幸せになって世界に平和が訪れるような護摩を焚きます。

2007年12月29日Saturday 晴れ
車が少ない。 おそらく今年最後の夜のウォーキング。夕べから朝にかけての雨は結構降ったみたい。今夜は星もきれい。オリオン座も見えたし、雲もあっていい空。歩き始めて静かなのに気付いた。車がほとんど走っていない。国道52号がこんなに静かなのには少々驚き。車の騒々しさとライトが少ない分だけ、空の暗さと星の瞬きを今年最後の贈り物のようにいただいて得した気がした。10月のある晩からはじめて2ヵ月半ほど。体重はほとんど変わらないが、ありがたいことに腹回りが少し楽になってきた。いつも穿いているズボンの裾が長くなったように感じ始めたのだが、これってその現われだったんですね。太り始めて、白衣の裾が短くなったと思ったら、腹回りが大きくなったことで、衣の裾が上に上がっちまったことがあって、今回はその逆になったので、これはこれはありがたいことでした。
休みに入って、また書くことめんどくさくなってきたので、後は大晦日にちょっと書くくらいになるでしょうか。

2007年12月26日Wednesday 晴れ
Led Zeppelin & Neil Young。 Led Zeppelinが12月10日に一夜だけの再結成ライブをした。EzTorrentにもたくさんのこの夜のLiveがアップされた。今夜やっと聴くことができたんだけど、うーん、なんて言うかな、そんなにも感激しなかった。懐かしさも感じられなくて、やっぱ僕の中じゃ、ZEPはこんなもんだったのだ。お騒がせ芸能人の沢尻エリカが、彼氏と一緒に仲良くZEPのコンサートに出かけて、お手てつないでお帰りなんて報道してたけど、まっ、それはそれでいいでしょう。
僕にはやっぱりNeil Youngのほうが今は大事。新しいアルバム「Chrome Dreams II」の発売に合わせたツアーが行われているが、このLiveも大人気で、たくさんアップされているが、これがまたいい。Acoustic Compilationなんてのを編集してアップしてくれる優しいどこかの外国の方も居られて、世界の平和を希求する思いのようなものが僕のこの寒い冬の部屋にも届けられる。

2007年12月25日Tuesday くもり
連休明け。 残り一週間だ。3連休が終わって、僕の仕事は今日を入れて後3日。27日の夕方宿直で、28日の明けは休ませてもらうことにした。
娘が冬休みで帰宅。息子はどうすることやら。22日は不動寺のおばあさんの3回忌に行き、翌23日は増穂の明王寺の「冬至祭」へ。前日の夕からの雨をご住職の標さんも大変に心配していたが、なんと10時過ぎくらいに雨が上がり陽が射し始めたではないか。凄い!天気回復に向けて、明王寺のお不動様と、大聖寺のお不動様がタッグを組んだ。僕も修験の衣体を持って、今年納めの山伏。相変わらず法螺貝は上達しない。こんな未熟者の加持でも、手を合わせて受けてくださる方が大勢いてくれる。お酒をいただいて、取り留めのない寺の今後のことなど話していると、時間の過ぎていくのがもったいなく感じてしまう。暖かな明王寺のご家族皆さんに送られてタクシーで帰宅。昨日の休日は、午後から御札書き。溜まっていたものになかなか手をつけることができなかったが、夕方まで集中して一気に書き上げた。マイルスなんか聴きながらね。御札を書いている最中に電話あって、「御札をお願いした者です。時々お参りさせてもらっていて、心洗われるような気がします」と。こちらこそそんな言葉を貰うと、ありがたく、この寺に在ることを嬉しく思う。残り一週間、一年をきれいに整理して、新しい年にまた思いを託したいと思う。偽りのない年にするってことだ。

2007年12月20日Thursday 晴れ
団体参拝あり。 午後2時ごろ「旅で仏教文化を知る会」の一行18名来山。今日は午後休みを取った。今年は「風林火山」ブームも手伝い、いくつか団参があった。これが今年の最後の大きな参拝者となるんだろう。例によってお寺の説明と、この会へだけは会の目的の一つでもあるらしいので、少しの時間説教もさせていただいた。僕にとっても一年の締めくくりのいい日となった。お布施もあげていただき、ご朱印も10名の希望があり、貧収入のお寺には、ありがたい年の瀬のいただき物となった。
帰ってから、5時頃まで、門松らしきものをちょっと工夫してこしらえてみたり、年末の仕事をさせてもらって充実充実。
日曜日の明王寺のお祭りの天候がちょっと心配。雨にならなければいいが。本堂前の境内で、檀家やご家族総出で、冬至のカボチャのほうとうを振舞ってくれるのだ。僕も納めの修験の日なので、何とか予報が外れてくれるといいと願っている。クリスマス・イブは別に雨でもいいでしょう。雨から雪にでも変われば、なお更いいんではないか?

2007年12月18日Tuesday 晴れ
ひどく一日眠たかったのだ。 布団の中に入っても、なかなか寝付けない。何が一番かというと、やはり冷えていることのようだ。眠気は十分にあるんだけれど、足が冷たかったりして、覚醒してしまう。玄関を出て、車庫に向かいながら本堂の扉が開いていないことに気付いた。うん?と思ったが、今朝は寒かったので、観音扉を開けずに勤行に入ったので、終わってそのまま退堂したのでこうなっているのだと思った。で、お堂に入って扉の前に行くと、なんと、かんぬきは外していつものところに立てかけてあるのだった。ということは、読経の後、扉を開けるつもりでかんぬきを外したが、うっかりそのまま、かんぬきだけ立てかけて出てしまったのだ。なんと!今朝も冷え込んでいたので、頭の回路がまだ温まっていなかったのだ。蝋燭をつけて線香を立てれば、経は自然と口をついて出てくるのだが、ターバンでカイロを頭に貼り付けておいたほうがよさそうだ。これは僕にしかわからないことで、誰に知られたわけでもないが、なんか少し今朝は固まっていたかな。それで出勤してからもひどく眠たかった。
夜支所と一緒に忘年会。10時過ぎに帰宅。でもいいこともあった。下部温泉に入った。途中抜けて30分ほど風呂に入った。普段は身体を洗う固形石鹸で頭も洗うところ、今夜は備え付けのボディーソープとシャンプーのどちらも液体洗剤で洗えたのだ。年の改まりを控えて、今夜の忘年会は風呂にこそ価値があった。とてもよかった。で、今またとても眠くて仕方がないので、寝ます。

2007年12月14日Friday 晴れ
柚子。
もいでもらえぬ柚子はさびしい。忘れられたかのような柚子の木が、むさ苦しく背だけが伸びて、山の傾斜畑に立っている。誰も採りに来ないのだろうか。冬日に柚子の黄がいっそう映える。これは、大炊平のあちこちの柚子のこと。師匠のブログを読んで、昼休みを大炊平の山側から、そして川伝いに歩いて清沢へ橋を渡った。河原に何台も軽トラが止まっていたのを見ると、おそらく鉄砲隊が山に入っているのだろう。今年は獣が里に下りてこないので、狩猟の成果が上がらないようだ。お陰でわが寺の回りも今年は、掘り返されたりしていないので、きれいになっている。このまま今年の冬は終わって欲しいな。
同僚のお父さんの訃報が入り、午前中、ご挨拶に行ってきた。山間集落である。道路に大根の食べ残しが2箇所落ちていた。猿だな。ここには猿が出てるんだな。と思うがよいか、我が家のほうにもそろそろ下りてくる時期になってきたのかと、用心すべきか。S君と二人で、ちょっと遠いが、坂道を歩き始めた。杉木立の日陰は、道路も湿ったままで風も冷たい。でも、坂を1キロほど上がっていくと暑くなってきた。
Y君の家は旧い。彼は今町営住宅に、奥さん子どもと住んでいるが、やがてはここに帰ってくるのだろうか。挨拶をして、僕らをお父さんの横たわる座敷に案内してくれて話した彼は、すでに覚悟ができていたようで、慌てている様子もなく、反ってこの旧い家の新しい主となる風格さえ漂っていたように感じた。もう10年位前になるだろうか、二人宿直だったある晩かな。飲みながら話を聞いたことがある。彼の家では、大晦日の晩に、奥座敷の床の間なのか、神棚の飾り付けをするのだが、これは男の役目で、飾り付けをしている間、家の女性はこの部屋に入れないのだと言った。祖父から親父に受け継いだことを、俺も親父から教わるのだと、誇らしそうに語ってくれた。このことはよーく覚えている。今日お父さんが眠っていた部屋がその部屋だったのだろうか。家を後にして、S君とまた今度は坂を下って、旧曙小の校庭で別れた。途中ここにも、実りたわわな柚子の木が数本あった。木に生ったままあの香りを発してくれたら、こんな風に、派手だけどさびしい様子にはならないだろうにと思った。

2007年12月13日Thursday くもり
吉凶。 来年の暦を読んだりしている。どうもこの暦という奴、吉凶で言えば凶に重点が置かれているように感ずる。この方角は悪い、工事をすると災いがあるとか。この方角はいいんですよという書き方はない。悪いことを知らせておいて、それを避けて生活しなさいという方針になっている。いいことより、悪いことを避けて生きたいというのが本音かもしれないね。いいことは、普通でさえありゃ、特別に望まなくてもいいものね。
今年の一字は、“偽”と発表されたが、そうね、今年は途切れることなく皆謝って頭下げてたもんね。白を切っても、結局最後にゃ謝ってるね。船場吉兆による賞味期限改ざんの不祥事もあった。吉兆は、めでたいことの前触れだけど、不吉な前兆の凶兆になって、謝ったね。でもあの創業者の娘さんとやらは、心底謝ってはいないようなオーバーアクションだったな。偽ることが日常茶飯事になってしまったら、誰も信用できなくなって、国は滅びるかもしれない。この辺りで、しっかりと踏ん張って元通りにしないと。
今日ケータイを忘れた。こんなときに限ってケータイにかかってくる。夕飯後にかかってきた電話に出たら、消防の部長のSさんからだった。新しい消防車が1月に入るので、入魂のお祓いをして欲しいとのこと。朝・昼と、2度電話しましたと彼の弁。謝って済むほどの近しい人なのでよかったが、鳴らないケータイでもやはり携帯しないといけませんな。

2007年12月12日Wednesday くもり
どん曇りだ。 今朝も重たい空である。ひょっとしたら、今日も雨になるかも。夜は御札作りになるか。
病気平癒の護摩を頼まれた。大晦日用に作っておいた護摩壇を、週末にもう一度焚くことになった。掃除するのは少しめんどくさいけれど、護摩を焚かせてもらえる機会が与えられたことをありがたく思う。それ以上に、願主の重い思いを軽くさせてあげたり、お不動様のお力によってその災いを取り除いてあげたいと思う。
年賀状も作らなければならない。ワンパターンの賀状なので、レイアウトしてしまえばそれで済むのではあるが、賀状を出すほとんどの人と会う機会はない。この一枚だけのつながりで、縁を繋いでいる人もある。子供たちの名を賀状に並べることもそろそろ終わりにする時期に来ているのかもしれない。
(22:08) 今夜も帰りつくころから降り始めたので、夕食後のウォークはなし。昼休みに歩いたのでまあいいか。となるとやる事はひとつで、御札書き。テレビじゃ夕べも今夜も、年末の歌番組なんかやっていた。どの歌も素通りしていく。旅番組の音声を聞いていたほうがよっぽど想像が湧く。墨をすって、一枚一枚丁寧に尺五寸札は木札書きからはじめなければならない。父の残した御札の字のほうが、枯れていていいなと毎年感じるが、今夜もやっぱりおんなじことを思った。焦ることはないか、彼の亡くなる年までまだ16年位ある。

2007年12月11日Tuesday くもり
久しぶりの雨。 天気予報が当る気配がないと思っていたら、お昼頃から降り始めた。弁当を食べて外に出たら、降り始めた雨はいつになく冷たい。坊主頭にも辛そうな雨なのでさっさと歩くのを諦めて事務所に戻った。ROH YU-PHI
ピアノのカセットテープを少し聴いて暇つぶし。昨日今日と集中して予算立て。午前中でひと段落着いた感があり、終業まで、栄典事務のことでお願いする明日の校長会への資料作り。
今夜は歩けないので、焼酎湯割り2杯飲んで、その後、護符や御札作り。夜なべも少ししなければならないか。暮れになってきたんだなぁ。

2007年12月10日Monday 晴れ
落ち葉を掻き集める。 ここに通い始めて3年目になるが、落ち葉を掻き集める光景を見ることが多い。今日も国道300号沿いの側溝の落ち葉を大きな袋に詰めている女性の姿を見た。側溝は綺麗になるし、いただく側は畑などの肥料になるわけだ。一色のつづら折りの坂道なんかは落ち葉の宝庫である。一度は、軽のワンボックスカーの運転席の裏に板で仕切りをして、後ろにダイレクトに落ち葉を放り込んでいるのなんかも見た。
実はうちの女房も落ち葉を大きなビニール袋に集めている。早川の久田子(くたし)の親戚から落ち葉を貰いにくるのだ。せっせと集めては、袋が溜まると集荷にそこの嫁さんが来る。久田子からは、キノコや山菜なんかをいただく。循環型社会が出来上がっている。自然との関わりや、お付き合いの中からも。さくさくと踏む落ち葉は、気持ちがいい。熊手で掻き集めたり、竹箒で掃いたり、身体も温まれば、腹も減る。酒も旨く飲める。桜の落ち葉はいい香りを放って燃える。落ち葉を恨むこともあれば、落ち葉に心和むときもある。生活なんてこんなものだよな。

2007年12月9日Sunday 晴れ
煤払い。 午前中本堂の掃除をしてから午後煤払い。気になっていることは済ませてしまわないとずっと気になる。やったという行為が大事なんだ。八幡神社の前と集会場では、恒例になってきた門松作りの集まり。僕はどうも作ることが苦手なので、寺のものも紙の門松や、百均で買ったものなどで済ませている。客殿・本堂・庫裏・鐘楼・山門・土蔵など、寺をぐるりと煤払いして回る。「お寺も広いから大変だぁ。」と、門松作りの衆。終えて落ち葉掃き。もう少しで葉は落ちきる。掃いても掃いても片付かない。5時前にヒデちゃん来て、暮れの付け届け置いてってくれる。「よくやるなぁ、ぼちぼち終わって、熱いやつやってちょうだい。」と。僕もそろそろ終おうと思っていたところ。お勤めを済ませて焼酎湯割。風林火山も来週が最終回だとは。一年は早いなぁ。

2007年12月7日Friday 晴れ
あたいあんたのあそこが好きだから。 電車通勤をしているが、中学生・高校生の態度や話し方がなっとらんとお叱りの電話がかかってきたのだ。特に女子学生がひどいと言う。言葉遣いが悪い。話している会話が何を言っているのか意味不明。学校では日本語教育をどのように施しているのだ!こんな子どもたちが、将来のニッポンを担っていくのか。背負っていけるのか?不安になってくる。
何故だ?何故この若者たちが将来のこの国をダメにすると決め付ける?あんたがあの世に行ってからのことなんか、気にしても詮無いことではないか?
彼女たちが電車の中でうるさくしていたら注意すればいい。これは乗車マナーの違反である。でも、何を話しているか意味不明ってのは、大きなお世話だろう。彼女たちの会話を異国の言葉のように聞いたか?大勢の学生たちに占拠された車内は、逆にあなた自身を異邦人のような錯覚にさせてしまったか。言葉は時代で変わるものだと、金田一春彦も言ってたぜ。酒席のエロ話の輪に加わりたくなかったら、自然と外れるでしょう?ケータイ持ってる?僕はKタイメールを去年から始めたけど、今もってデコメールとか、絵文字なんかを使ったメールはできないし、打ちたいとも思わない、それからそんなメールを貰っても、あなたのおっしゃるように「意味不明」で悩んでしまうこともある。でもね、これってスゲージャン!!彼らは学校で習う国語のほかに、彼らだけにしか解らない秘密の言語を持っているなんて、なんて素敵な事だってオモワネェ√。
感字だったり観字の感覚なのかなぁ。中国のナシ族には“トンパ文字”が伝わるし、象形文字の文化に先祖帰りするのだと思ってもいいんじゃねーのか?こんなことでビビッてちゃ、あなたのことの方が心配になる。9条を護ろうとしてるのか?(これこそ、急な展開に意味不明ですが)、これきしのことで憂いてはいけません。ひょっとしたら、彼らの方がずっとこの国の将来を考えているかもしれませんよ。僕はこんなことを想像してしまいました。
「あたいあんたのあそこが好きだから、戦争行かないでね」。こんな気持ちが、この国の曲がろうとしている道を、ちゃんと正してくれるかもしれません。不動明王の慈しみと剣と索羂を持つ心なのかもしれない。憲法9条を護ろう。そんな思いで、眺めるってのもおとなっちゅうもんでしょ。不一

2007年12月6日Thursday 晴れ
白菜の漬物。 誰かが持ってきておすそ分けしてくれたのだろう白菜の漬物が一皿。昼休みの時間3人になってしまったので、最初は「食べきれないね、困ったなぁ」なんていいながら弁当食べ始めたら、この白菜が旨くて、結局3人で一皿食べつくした。旨かった。夕べも女房と、「白菜旨いな」とか言いながら、ぽりぽりとしゃきしゃきと歯ごたえと冷たさの旨さを味わったけど、今日は今日でこれまた旨かった。お腹一杯になって、線路越えの山登りでカロリー消費の昼休み。さくさくと道の落ち葉踏んで、ひたすら坂道を上る。前人未到のではないが、僕の初めての場所まで。舗装が途切れて、この辺りが昼休みの限界の場所。まっ、こんなこと書いても、おそらく誰にもわかりませんが。
汗をかいて、頭と顔を洗って、気持ちよく午後の仕事に。新年度予算も少しずつ先が見えてきて、なんとなく順調。明日は金曜日だ。
あの方は、先週の飲み会を風邪で欠席したそうで、これは前代未聞の出来事だぞと、静かなる噂にもなったりもしたのかな?でも、すぐに復活してしまったそうで、きっと明日の晩は、仕切りなおしの敵討ちってな宴でも開かれるのだろうか?僕は炬燵で、しみじみと熱燗でもやりたい。

2007年12月5日Wednesday 晴れ
Led Zeppelinの「聖なる館」は、1973年の5作目。 夕べの「ニュース23」の特集で蓮池薫さんのインタビューを見た。彼の通った移転する前の中央大学のあった町を歩きながら、CDショップでは、Led Zeppelinの「聖なる館」なんかを懐かしそうに手にとっていた。彼は僕より二つぐらい下のようだ。1978年の7月31日に拉致された。帰国することなど考えないことにしていたと語った。恋人とともに連れて行かれた北朝鮮で、幸いにも二人の子を授かり、子どものためにだけ生きようと思ったのだという。
命の保障はあったかもしれないが、体中を縛られていたことは確かだろう。子どもたちとさえ、わずか6歳くらいまでしか一緒に生活できなかったのだと聞く。かつて地球の楽園だと宣伝して大量の帰国者を受けいれ、一握りの支配層だけが快楽を貪るために、搾取し続けてきたのだ(続けている)。
24年ぶりに帰国して、5年間を生活したこの国を、どのように思っているのか知らないが、必ずしも安住できる場所ではないことを僕は思う。生き難さと生き易さはいつも同居している。どちらかでは到底判断できない。これが不二を思うことに繋がるのか。この国の歩まんとする道のゴールを僕は見たくもない。ゴールなどせずに消滅のときまで曖昧に迷っていればいいと思っている。

2007年12月4日Tuesday 晴れ
値上げ。 宇佐美のガソリンも152円に値上がりした。どこまで上がり続けるのか。先日テレビを見ていたら、花の栽培農家を映していた。灯油が30円台だったのが、3倍近く跳ね上がり大変だという。暖房用燃料だけではなく、石油製品の高騰は、花の種を植えつけるポットや鉢などや、温室のビニールシートなんかにも影響しているのだそうである。それでも「花の値段に価格転化はできない」と、辛そうに話していた。年末に向けてシクラメンやシンビジウムの出荷を控えたりしているのだろうけど、値段がいつもに比べて高ければ、こういう観賞用の花なんかは買い控えしてしまうだろうし、僕なんかは、特別に花を観賞する気持ちは持ち合わせていない。花を買ったり、贈答用として使うのは、経済的なゆとりが無ければ、先ずはじめに切られてしまうような支出項目じゃないだろうか。
我が家でも、かつては灯油でお風呂を沸かしていたが、今は電気を使っている。こんなご時勢じゃ、電気のほうが安価である。夜の散歩をしてきて、湯船に身体を伸ばすとき、去年の冬のように暖冬であればいいなと思う。小さなことの積み重ねが大きく膨らんで、悲しみの連鎖を生んだりする。いま、毎日80人以上が自殺をしてるんだこの国では。
新年の護摩の祈願札承っております。どうぞよろしく。上の申し込みから。

2007年11月30日Friday くもり
言うことを聞いてくれよ。 爪を切ることにも苦労するようになって来た。ちっとも焦点が合わなくて、こんなもんでいいかみたいな、そんな感じで切ったりしている。老眼になってくるなんてことはどんなことなのか全くもってわかっていなかった。あーこれが老眼になるということかと自覚したのは、ここ1.2年のことだし、10月の初めに眼鏡を作り変えて、ここからなにやらとても過ごしにくくなった。今はだいぶ慣れてはきたんだけれど、言うことをきかない“目”って感じ。自分の体のパーツでありながら、僕の言うことをちっとも聞き入れてくれないのです。これは「徴兵制はあってしかるべきだ」なんて、宮崎のハゲ知事の言葉より、案外ずしりときたりしてるんですよ。

2007年11月29日Thursday くもり
雨になるかもしれないので。 落ち葉が雨に濡れて重たくなってしまうのが嫌なので、墓地への坂道と溝を掃除して、落ち葉焚き。曇り空の朝は冷え込みもなく寒くはない。20分ほどで少し汗ばんだ。大ケヤキにはまだ葉が少しあり、落ちてしまうことを逡巡しているように嫌々をして枝を揺すっている。
色んな事件が解決しては、またすぐにどこかで起こっている。今年も去年と変わらずの年だったな。
ドリコム・ブログが不具合です。

2007年11月28日Wednesday くもり
今日もちょっとやばかったんだ。 出勤したらOさんから「教育長が、『M木先生が亡くなったらしい』って、言ってました」と。まさか!一週間また来たかと思っちまった。そういえば、ホンの少し前に、来年の高齢叙勲の年齢者を拾い出していたら、M木先生のことも話題になったんだ。で、急いで旧町の栄転関係の書類をいくつか開いてみたけどさっぱり出てこない。でも、一週間以内に書類上げなきゃいけないので、とりあえず窓口に添付書類の公用申請だけ出して、その後、再び調べてみたら、平成9年の秋の叙勲を受けているので、今回は叙位だけになるので、また調査。結局午後になって県に「こういう事実があって、申請を上げるんだけど、どうも町で上申した形跡が見当たらない」と、恐る恐る申し上げてみた。電話なので相手の表情は分からないが、どうもいぶかしげにこちらの話を聞いているようだったが、「一旦切らせてもらって、調べて返事します」と相成った。30分ほどして回答があり、この先生、実は柔道会では名を成した先生で、「県のスポーツ健康課で、叙勲の上申を上げていた」とのこと。これで来月の3日までに出してくださいという書類作りは僕の手を完全に離れてくれた。夕方、件のスポ健課の職員から電話があり、公用申請の書類と遺族への意思確認をしてくれと頼まれたので、「どちらも大丈夫です」と応えたら、えらくありがたい言葉をいただいてしまった。これがやばいなぁと思った事の顛末。
今朝の新聞で、12月1日にBSデジタル放送が新たに2局開局するという記事を読んだ。BS11とBS12を使っての放送となる。帰ってきて見たら、試験電波発信中なる表示が出ていた。これは予備放送のようなものはなく、12月1日にならないと始めてくれないらしい。まあ、また選択肢が増えるってのは、それなりにに得した気分になるものだ。
EGBERTO GISMONTIのギターとピアノのソロLive。このブラジリアン、凄い才能のある人です。ヤン・ガルバレクと共演しているときのピアノがまた強烈に印象に残っているんだよね。うん、いい!

2007年11月27日Tuesday くもり
籾、黍いただく。 護摩の加持物用に、秋山さんから籾と黍をいただいた。それからもうひとつは、辛味用として唐辛子を挽いてもらった「一味」。今夜はちょうどうどんだったので、この新しい一味の赤がなんとも鮮やかで、辛味も効いてあったまった。葱もうまい時期だ。籾と黍は、ネズミにひかれてしまっては元も子もないので、夕食後本堂に行って、穀物を収める木箱に空壜に入れてしまってきた。こんな風に、自分で用意できないものがあって、それを助けてくれる人が友人でいてくれて感謝。
一味でHot Hotした身体の芯から熱が沸いてきて、今夜は歩き始めてすぐに汗ばんできた。韓国の人たちはよく唐辛子を摂取するので、新陳代謝してスタイルのよい美人が多いっていうよな。
今日は一日机での仕事に集中できたので、気になっていた仕事がひとつ片付いた。明日はまた、午後から適正配置の会議で外に行ったり内に入ったりだな。予算も立てなきゃならないし、寺の新年の護摩札の案内もそろそろ通知しなけりゃな。金曜は宿直で、土曜の宿直開けは、9時から原の秋葉山で、10時半からW屋の一周忌だ。そうして12月ってことだ。

2007年11月26日Monday 晴れ
柚子湯。 課長に貰った柚子を風呂に浮かべた。柚子湯。いい香りであったまった。今夜の月は雲に隠された。寒さはいつもより感じなかったが、暗い夜道で、年の瀬を感じるような夜だった。どちらもうちの檀家なのだが、そしてどちらも大工さん。先週、Kさんのところで、クリスマス飾りが点灯した。夕べ、M君とこのも点灯。今夜はその華やかな飾りを見上げて歩いた。毎年灯りが少しずつ増えていく傾向にあるようだ。西嶋の一角にももうすぐ点灯だそうである。
連休中は、23日が玄聖さんの披露宴に出席。24日が前述のM君のお父さんの七回忌の法事。どちらも昼から酒で、帰って夜も晩酌。23日は誕生日ということもあって、調子に乗りすぎて度を越した。24日の深夜2時半頃にどうにも我慢ならなくなって布団から出てトイレに向かったが、扉の手前で我慢しきれずに吐いてしまった。思い出してみてもおそらく10年ぶりくらいだ、酒で戻したのは。それから15分くらい口からの戻しが5度ほど続き、胃が空になった頃に今度は、下腹部から大波が押し寄せてきて、便座に5分ほど、ほとんど水状態の下痢。体から水分がほぼ出きってしまった状態で、やっと楽になって、再び水を摂取して布団に。翌日はまた法事の後、しっかりと午後3時頃までいただいてしまったのだ。
昨日の日曜は、娘の寮への帰りにあわせて女房も日帰りで上京したので、僕は朝から落ち葉吐き(ではなかった落ち葉掃き)等。落ち葉を焚いて、煙をボーっと眺めて暫し振り返って反省。文化財担当主催の「河内路を歩こう」なる講座の一行が10名ほどお昼前に来寺。担当のS君がほとんど解説してくれたので、僕はほんのちょっと。午後からも護摩木を割ったり。頭を刈って連休を〆。とこんなところ。阿保なオヤジである。

2007年11月23日Friday 晴れ
51歳になった。 50の歳を一年間過ごしてきたけど、特に何も代わることはなく、考え方もボケることなく、転向することなく、僕は誰でもない僕の生き方で過ごせたと思う。で、残りの50代もそのように生きたいと思うだけだ。
寒さには弱くなったかな。夕べは娘が帰省した。アルバイトをしてから帰ってきたので、帰ってきたのは、夜の8時近くになった。夜のフォークを、昨日は帰宅早々にしたのだった。どうもこの女房は、ウォーキング・ジャンキーの傾向。今日は11時からの披露宴というチト早めな宴に出席。瀧本院のご子息玄聖さんの結婚披露宴。誕生日と重なり、僕にとっても思い出となるはず。乾杯の発声を頼まれている。乾杯の酒がシャンパンから日本酒に変更になったので、それなら適任者は大聖寺のお兄さんしかいないですという、喜んでいいのかどうか複雑ないきさつ。
理趣経のお勤めを済ませ、朝食をとってPC。何を聞こうかと迷ったけど、やっぱり、ジェリー・ガルシアになった。

2007年11月22日Thursday 晴れ
給食にまで影響か。 原油高で給食を2日休食するなんて記事も目に入った。予算で賄えなくなるという事態だ。おそらく給食費の滞納なんかも微妙には影響しているのだろう。原油が上がるのはこの国だけの問題ではないけれど、滞納ってのはこれ、頭の痛い問題なんだよね。ちゃんとした給食を児童生徒に供給するためにも、給食費が徴収できなくなってくると、予算を立てた計画の中で、給食調理を賄うことができなくなる。これは大問題。この大問題が大々的に指摘されるとなると、「困るんですよ」程度では済まされなくなる。
この数日の冷え込みは異常。北陸東北では大雪になっている。冬の始まりとはいっても、まだ11月のうちだぜ。僕の誕生日はまだ明日だ。ここにも冬が早く来て、年内に雪の降ることもあるかもしれないなぁ。今日もまた県庁まで足を運ばなければならない。なんというか、小忙しくて、落ち着くことができなくて今週の仕事は終わってしまうんだなぁ。

2007年11月20日Tuesday 晴れ
今日は一日座り詰めで。 早めに出勤して、教育委員会の構成替えのインフォメーションを流して、近隣町や県教委などにも通知を発送。それから死亡叙勲の書類作りと平行して、該当者に軍歴がありそうなので、県の国保援護課にとりあえず電話で照会など。功績調書の作成で午後3時過ぎまで。くたびれたがまあ何とか仕上がり。県の担当課へメールで調書に不備はないか見てもらうために送って、明日の返事待ち。昨日歩けなかったので、今日の昼休みは気分転換に線路向こうの小高い墓地までの道を歩く。気持ちのよい風があった。
今夜は半月からちょっとお腹の出た月夜。これがまた明るくて、足元までしっかりと照らしてくれた。星も夜の飛行機も空の雲もくっきりと見えた。大気が清浄な印である。
瀧本院の玄聖さんの披露宴の乾杯のときの一言を考えなくては。短い奴でぐっと来る奴、なんてそんなに上手くはいかねぇか。あがり性なんだ、見かけによらず。酔っ払っていることが一番楽だ。

2007年11月19日Monday 晴れ
頭が寒いぞー!。 あーこんなに寒くなってきたのだ。土曜日の「ちりとてちん」を三度涙しながら見て、今朝のもまた引きずっていいなぁ。
昨日は護摩木づくりなどなど。
(21:34) 教育委員の歓送会があり、9時過ぎに帰宅。飲まないで飲み会の席を過ごすというのはなかなかにシンドイものがあるけど、飲まずに帰ってきてしまえば、やったなぁという達成感すら感じて、自分を褒めてやる。退任されたT先生は、曹洞宗の僧侶でもあったし、出会いのあったことに感謝している。新任のY先生は、高校時代の恩師でもある。教育委員という任も、学校再編など目の前の課題がありなかなか大変な職だなぁと感じる。旧下部の教育長をした方が亡くなり、特別叙勲の仕事が入ったので、今日は朝から忙しなかった。書類作りで多分明日も忙しい。早く寝よ。

2007年11月16日Friday くもり
金曜日だからねぇ、飲みたいねぇ。.....飲んだよ。 11時に下部教育会という、退職された下部地区の小中学校の先生方の集まりが11人来寺。中富地区を眺めて歩いたらしい。曙の林道からの紅葉とか。今日はどんよりとして、寒風もあって、葉も舞い落ちていて寒い日となった。パンツ一丁で「そんなのかんけーねー!」なんてはとても言ってられない。寒いものは寒い。パンツ一丁でこの時期人前に現れるのは常識を逸脱している。町に一つしかない真言宗の寺なので、そこんとこをよく知ってもらおうと、「風林火山」とも関係付けながら、今日は結構気合を入れてお話をさせてもらった。ちょっと皆さん寒そうな人もいましたが。石段のところで記念写真を撮ってお帰り。彼らはこれで終わって、和紙の里で昼食で解散のよう。結局12時を回ってしまって、資料館の戸締りを済ませて、ご飯食べて午後は通常業務。月曜日の教育委員会の準備やら、新年度予算のことを頭の中に思い描いてみたり(これって今日の半日で始めてみてもしょうもないと思ったんで)。
下部支所の午後はさぶくて、ひょっとしたら風花でも舞ってきそうな感じだったし、僕はもう酒を飲みたくて仕方が無かった。これをアル中というかなんて、それこそ俺にはカンケーネーだ!。5時30分にタイムカードを打刻して、6時前には家に着いて、6時5分にはもう日本酒を飲んでいた。熱燗にするほどの量が残っていなかったので、コップに残りを注いで飲んで、その後は芋焼酎。雨もそこそこに舞ってきて、夜のフォーキング・ジャンキーに陥りつつある女房も今夜の歩きは止めになった。もう、いささか喋りたくない感じ。

2007年11月15日Thursday 晴れ
30年という歳月とは。 今日から狩猟が解禁だそうで、朝一色の集落を過ぎるとき、揃いのオレンジ色のベストを着た人たちが固まっていた。今年はお陰様で今のところ、境内地への猪の掘り起しなどの被害はない。去年なんか、荒らされた場所を歩くと、獣臭がしてきたものな。このままの歳であってほしいと思う。これが本来の姿だし、お互いが距離をもって共存できることが本当は一番いいのだ。去年は、熊が出たことも何度かあったし、昼の散歩も山に行くのはなんだか怖かったが、今日はいつもの墓地への坂道を気分よく上がっていけたし、恐怖心もなかった。
午後、下部支所は、消防署による防災訓練があった。デイサービスのお年寄りや僕たちも避難。互助会で買ってもらったヘルメットを被って。ちょっとお粗末だったのは、旧支所の消火栓からホースを繋いで放水するのが、なかなか水が上がってこなくて、やっと来たかと思ったら筒先から遠慮気味にチョロッと出ただけで弾くというところまでには遠く及ばず、こりゃダメだわと、改めて貯水槽からポンプアップした水で放水したのだった。消火栓からの水に圧力がかからないんじゃ、いざって時にはどうなるんだろう。
横田めぐみさんが拉致されて30年が経った。お父さんの滋さんは、最近なんだか元気がないような感じだ。彼自身がもうおそらく諦め始めていることなんだろうと思うが、横田さん夫婦の思いは、僕には分かりますなんて軽々しく言葉で吐けないような気がするのだ。45歳だった滋さんは75歳になり、めぐみさんが生きていれば43歳になる。僕がそのとき21歳だった。こんな不条理な事件が起こっているなんて夢にも思わなかった。そして、30年間そのことを訴え闘ってきた人たちがいたなんてこともつい最近まで知らなかったのだ。善悪不二、生死一如の仏教をして、これを超えることができるか否かを判断することはできないというのが僕の正直な気持ちではある。

2007年11月14日Wednesday 晴れ
小朝と泰葉の離婚から考える。 今朝か、2人の金屏風を背にした離婚記者会見を見たのは。まあこういうこともあるのかなどと思ったり、弟いっ平の三平襲名が発表されたばかりなのに、ちょっと傷が付くなとか。で、夜を歩いて帰ってきて、風呂に浸かりながら思った。夕べ、護持会の通知を作ったり、今度の土日で、正月の門札なんかも作ろうと話していたのは、切羽詰ったところで、忙しく追いまくられるような生活はしたくないし、寺に住んではいても、できるだけのんびりとしていたいってのが僕の生き方だから、あとで楽なように早めに動き始めようとしているからだ。子供の頃から、寺の年末は嫌だった。大晦日の遅くまで、父も母も祖父も、掃除や年末年始の準備に追われ、僕も妹も遊んでなどいられなかった。寺の年末だけは、他所の家と比較するとどうも分が悪かった。今の時代になって、寺の生活も昔とは随分と様変わりしてきたし、檀家と寺の関係も簡略化されてはきた。寺を空けて年末年始を海外で過ごすなんてことはできないにしても、いい加減なところで手を打って、できるだけ穏やかに大晦日なんかも過ごしたいと思う。
落語家のおかみさんは大変でしたとは、泰葉さんの弁だった。本当の理由があるのかもしれないが、それは別にどうでもいい。確かに芸能界でも、仕来りを重んじる落語界や歌舞伎の世界なんかの女性の役割は厳しそうである。そう考えれば、田舎の寺暮らしなんてものは、比較にはならないくらい自由なものだなと思った。それでも簡単な改革でも、少しずつしていかないと自分で首を絞めてしまうことになりかねない。疎かにできない部分はあるが、きっちりと底辺を押さえておけばゆとりは見つけられる。音楽を聴くことも、ボーっとしている事だって、酒を飲むことも、悩みもたくさんあって、それも全部含めての坊主というものを、僕は僕の坊主の部分だと思っている。

2007年11月13日Tuesday 晴れ
お悔やみ欄に46人。 新聞休刊の昨日だったので、今朝のサンニチはのお悔やみ欄は、1ページの半分以上を占めて、46人もの死亡が伝えられていた。昨日の朝から急に冷え込みが強くなり、人間のいのちの営みにも、微妙に影響をもたらすんだろう。
台所には今朝も暖房を入れた。昨日は僕も車に暖房を入れた。頭には毛糸の帽子を被った。冷えた分だけ今朝は新鮮な青い空と、ケヤキの葉を揺らすいくらかの風。これで木枯らしが一陣吹けば、ケヤキの葉もほとんど落ちてしまうだろう。本格的に落ち葉を掃くときになる。
(21:45) 夜業というほどでもないが、護持会と寺からの年回忌の案内などの通知を封筒詰め。「ズバリ言うわよ!」の細木数子の説教など聴きながら。今夜の空もきれいでした。鎌のような月が見えた。

2007年11月12日Monday 晴れ
自己評価。 職場では昨年から自己評価制度というものが取り入れられている。半年ごとに自分自身に対して自己評価をし、「自己評定調書」なるものを課長に提出するのである。評定要素(例:理解力、責任感、勤勉性など)を5段階評定するのである。“特に優れている自慢できる”なんて5の評価は到底できないし、さほどこのこと自体に関心があるわけでもないので、自ずと「こんなものでいいだろう」くらいにつけて提出した。関心がないというより、どちらかというと嫌悪感のほうが強い。こういう制度の中に身を置くということがたまらなく嫌である。他人が僕を評価するのであればご自由に。それのほうがどんなにか楽なものか。Wikipediaで調べたら、「日本においては謙遜を重んじる慣習から、低めの自己評価をすることが美徳」、「欧米では、高めの自己評価を適切とする傾向」とあった。どうも僕も典型的な流れの中にあるようだ。いわゆるリーダーになるには、およそ不向きな人間である。
夜空をいくつもの飛行機が飛び交っている。今夜の空は澄み渡っている空で星もよく見えた。「旅に出るなら〜、夜の飛行機〜♪」と、下田さんのうたを頭の中で歌いつつ歩いた。

2007年11月10日Saturday くもり
風船のお礼届く。 先月、京都の亀岡市から飛んできた風船を拾って、運動会で風船を飛ばした太田保育園にハガキをだした。「拾ったらお手紙下さい」とのことだったので。昨日その保育園から、お礼状が届いた。園児の手紙と太田保育園の25周年記念誌も添えられて。なんと、170名もの園児が居るのだそうである。身延町では、町立の保育所も合併させなきゃなんて話になっているものな。
年長組の園児が書いてくれた手紙なんですけど、そうか字が書けたり書けなかったり、見て覚えて感覚で書いたような字だったり、「おぼおさんおてがみありがとう」なんてのは読めたけど、判読不能なんてものもありました。一昨日・昨日と、来年度の就学児童の健診の手伝いをしたけど、みんな小さくて可愛いよね。こういう人たちのことを無垢というんだろうなぁ。こういう子供たちに、生きていることは素晴らしいぞっていうような世界を残してあげなくちゃな。
老いぼれの使命はそんなところに残っているんだな。
何日かかったか忘れちゃったけど、ボブ・ディランの「ROLLIMG THUNDER REVUE」の映像を、やっとDLできて、おー若いディラン。そして白塗りのディラン。
それから今、今年中にはいけるかなんて気の遠くなるような、のんびりとしたDLを始めた。GRATEFUL DEADの1981年10月31日のLive映像。4枚組で14.75GB。これはもうのんびりとのんびりとです。

2007年11月9日Friday 晴れ
今夜は飲んで歩くのも休み。 女房は歩いてくると出ていった。残された旦那は、徳利に残った酒を飲み干してぼんやりとテレビを見ていたのだが、風呂に入って出てきて、もう少し飲もうと画策しているところである。

2007年11月8日Thursday 晴れ
清原さん。 「清原40%減提示も球団の誠意に感謝」なんてタイトル読むと、?と記事までザァーッと目を通してみたくなる。野球協約の減額制限の40%ダウンで、推定年俸2億円の彼への提示は1億2千万ということらしい。オリックスは清原の商品価値をまだ見込めると踏んでいるのだろう。そのオリックスに捨てられた男のドラマがあった。今年プロ野球の頂点に立った中日の中村紀洋だ。育成選手として中日に拾われ、落合監督の下で年俸600万、背番号99でシーズンを終え、日本シリーズでMVPをとった男。一寸先の保証もないプロの世界は厳しいかもしれない。常にその渦の中にいて、自分をアピールできるだけの技を持ち続けること。清原の過去の栄光を鑑みれば、今の清原は正視するに忍びない。100打席で1度のホームランが出れば、それで彼はユニホームを着続ける価値があるのか?たった一曲のヒット曲を人生の宝物として、神から与えられた宝物として背負いながら、どさ回りする歌い手もいるだろうが、清原はこれじゃぁ寂しいだろう。夢を与えた人間は、幕引きまでその夢の範疇に置かなければいけない。引き際も大事だと思う。引き際こそが大事なんだろう。2億円が1億2千万に減らされることを、どれだけの国民がそれを好意的に読むことができるだろう。今後、彼がインタビューに答える場面は、落ちぶれていくことの哀れ、過去の栄光にすがり続けることの醜さ、断ち切りがたい人間の欲望の悲しさだけを、我々に伝えることにだけなりそうな気がする。仮にユニフォームを脱ぐときがきても、格闘技界へ転身なんて、決して言ってほしくないよな。

2007年11月7日Wednesday 晴れ
年回忌。 来年の支度を少し。護持会の後期の積立の通知に、新年護摩札の案内と年回忌の案内を入れるため、過去帖などを繰って拾い出す。テレビでは、民主党の小沢さんの失笑劇の続きをやっていた。DOCOMOかしこも勝手にしやがれ!
回忌の案内を出しても、回帰の古いものには反応のない檀家が多い。せめて塔婆の1本も上げてくれるといいと思うのだが。ご先祖様への礼のため、それからお寺のためにも。春と秋の彼岸にも塔婆供養の案内をするが、はがき代を回収してトントンといったところが内実なのである。寺稼業を商売屋と考えるとすれば、僕には商才はない。商売は稀にみる下手くそといったところだろう。そのくせ、気持ちの底では何とか寺で生活をしたいとか、更に欲張って潤いたいなどと思ったりするのだから、何をかいわんやではある。
現実は深刻だと思いながらも、深刻な現実を見たくはない。金が天下を回っているなら、いつかは僕のところにも回ってくるかも知れないとそれを俄かに期待してはいる。六根清浄六根清浄。

2007年11月6日Tuesday くもり
Knockin' on Heaven's Door。 ロジャー・マッギン (Roger McGuinn)の歌う「天国の扉」も静かに淡々と流れていい。Dylanのオリジナルより好きなのは、ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia)のもの。70年代後半から80年代初めに、彼のバンドのLiveでは、この「天国の扉」と「ザ・ハーダー・ゼイ・カム」が必ず演奏されていた。
雨の上がったひんやりとする秋の道を歩いていると、ランダム演奏のiPodからRoger McGuinnの「Knockin' on Heaven's Door」が流れてきたのだ。感情を極力抑え、あっさりとフォーク・ロック調に歌う、演奏も声もクレナイの風景に似合っていた。
なんて、生き辛い世の中になっちまったのか。この先まだまだ、生きていくことに辛い世の中になっていくのか。平穏で、平和で、少しの金があって、少しの幸せを欲して、争うことなく、互いが必要以上に干渉しあうことなく生きたいと願うだけのことに、なぜもこんなにためらいを感じなければならない。微々たる幸せを欲することになぜこんなに罪を感じて、鬱々とした生き方を強いられるか。
5日歩けなかった。結婚をする前に石畳の隙間でひねった右足の内くるぶしが、夜歩き始めて少ししたら炎症になった。痛みと違和感を感じていたが、痛いとこをかばいながら歩くと他に痛みがくるので、休んでいた。今日昼間歩いたら、意外と感じがよかったので、今夜は歩いた。無理をせずに決して走ることをせずに。女房は僕が歩かない日も、自分で短いルートをこしらえて2周したりしたようである。野良犬がどこからともなく現れて、付かず離れずガードをしてくれたらしい。その犬には僕も先週夕方遭っていたが、今夜は不思議と犬は現れなかった。

2007年11月5日Monday 晴れ
地蔵堂。 毎日の通勤でとても気になっていた場所があった。映画「阿弥陀堂だより」に出てくるようなお堂らしきものが、小高い杉林の中に見えていた。通るたびに、いつかは降りて行ってやろうと思っていたが、今日の昼休みに行ってきた。Aさんの家で祀ってあるお地蔵様のお堂だった。だから、Aさんの屋敷内から山道を上がっていくことになった。ちょうどお昼を食べていらしたので、お断りしてからお堂に上がった。格子戸を空けると正面奥に、お地蔵様を祀ってあった。中は畳敷きで、納めた厨子以外には何もなく、ちょっと拍子抜けがしたが、建っている場所には趣があった。
県道をはさんだ向かいには、一色地区の愛鷹神社があり、ここもついでに眺めてきた。もう一年以上も、気にしていた場所だったので、これで納得。写真は、上のphoto「下部支所の秋」にアップしてあるので、興味を持った方はどうぞ。
今夜聴くは、韓国のBlues Singer&Guitarist、Mok Kyung Kim(キム・モッキョン)。Bluesはもう国境を取っ払ってしまったな。これでいいんだ。

2007年11月4日Sunday 晴れ
宿直室も衣替え。 宿直にもコタツが立った。Tシャツに作務衣では、少し寒い。なにも事が起きなければ、宿直はのんびりだ。本を読んだり、音楽を聴いたり、何紙もの新聞を隅々まで目を通したり。自民・公明党との連立を持ちかけたのは、会談の中での小沢さんだったということがわかったが、今朝も何紙にも目を通したが、自民、民主とも地方意見は大方はNOである。同じ穴の狢ではあっても、意地を張るプライドがそれを許さないのが義の世界とでもいうのか。民主党幹部会でもこれをきっぱりと否定されてしまったのだから、小沢さんの値も少し下がった。舞台裏の事情がわかると、一気にこれで解散総選挙に持ち込むか“民主党”の図が、これでは少々趣が変わるってもんだ。
今朝の新聞には、教育委員会の生涯学習課長のお父さんの死亡が「おくやみ」欄に載っていた。今夜の通夜で済ませることにしよう。外はいい天気だ。昨日の朝とは違って午前中から暖かくなりそう。
GRATEFUL DEADの演奏は、時に長尺で退屈なんていわれることもあるけど、夕べと今朝も聞いているんだけど、とても実験的なことをやっていたり、僕にはどれも新鮮に聞こえるな。彼らの持ち続けたもの(持ち続けているもの)、GARCIAのやってきて残していった精神のようなものが、僕の胸を打ち、それを僕も自分の生き様の一つにしているからなんだな。
(17:10) 護摩を焚いた。特別なことがなければ今年はあと、12月初めと大晦日に護摩を焚く。炊き終えて頭を刈る。午後護摩壇の掃除とあわせて本堂の掃除も。本堂はやり始めるとなかなかチョチョイとは終わらない。今日もたっぷり2時間半。女房は境内の落ち葉掃き(焚き)。のぼる煙を見るのはこの季節の楽しみの一つ。本堂を終えて、庫裏の裏の池の周りの草を刈る。燃料が少し余分だったので、畑のコスモスを刈ったり、あちこち。2台の草刈り機のエンジンがストップして、これで本当に今年の使い納め。今年も過酷な働きご苦労様でした。来年も相変わらず元気で働いてください。小屋にしまい、フェイス・ガードも石鹸つけてたわしでゴシゴシ。キム・ヒョンシク聴きながら、小休止。6時になったら通夜に出かけよう。

2007年11月2日Friday くもり
木練柿は甘い甘い京都御所柿。 「訓(さと)しの柿」の件で、甲陽軍鑑を紐解いたらば、確かに記述されているページがあったのだ。(ないわけはないのだが)。こんな風に、
「一或夜信玄公宣ふは、澁柿をきりて、木練(柿の一種にして澁なきもの、五所柿の類)をつぐは、小身成者の、ことわざなり、中身よりうへの侍、殊に國持人は、猶以て澁柿にて、其用所達すること多し、但徳多しと申て、つぎてある木練を、きるにはあらず、一切の仕置、かくの分なるべきかと、のたまふなり、」
木練(きねり)を調べたら、渋柿なのに熟柿になる前に十分に甘くなる柿で、五所柿とも「御所柿」とも呼び名があり、京都御所にちなんだものらしい。甘い甘い熟柿は、砂糖などのない時代の貴重な栄養源であったり、漢方薬であったりしたようだ。なんだか勉強になりますね。
夕べの書き込みのなんともお粗末で恥ずかしいこと。でも本音が出てますね。これを消そうとは思いません。たら福の酒に酔ってでなければ、言えません書けません。彼女は相当迷惑そうでしたし、僕の痛いところもブスリと突きました。

2007年11月1日Thursday くもり
何が思い出になるか。 朝決めた。運転免許の更新に行こうかと。今日は父親が亡くなって10年目の日。僕はもうじき51。もうじき41になる僕が送った父は、10年経ってもあの壮絶な顔色のままであるが、僕はそれなりに衰えを自覚する歳になった。5年後の僕があるかどうか分からないが、僕は免許証の写真を見るとき何かを感じるだろう。そんな思いで運転免許証の更新をしてきた。

2007年10月31日Wednesday 晴れ
関心がない。 正直なところ関心がない。機構改革を行うということ。職員を削減する指標を立てるということ。このままでいくと、やがて我が町役場も倒産するということ。申し訳ないがあまり興味がない。昔からモラトリアム人間であったが、どうもその域は50を過ぎても出ないんである。与えられた仕事を懸命にこなすようにしますので、思し召しで構いません。私と家族が寺をも持ちながら、生きていけるだけの思し召しをどうか。
寺の預金を下ろすのに、証明するもの「法人登記簿謄本」を持ってこいと言われた。郵便局も民営化して随分と高飛車になったではないかと憤ってもみたが、とりあえず1000円をはたいて法務局で謄本を取ったのだ。何年かぶりで取ってみたら、A4サイズに印字されて1枚物で出てきたのにはちょっとびっくり。50万円以上の出し入れには云々というので、「毎回それに千円を使わなきゃならんのか」と問うと、「今回これをいただけば、次回以降は下ろす本人の確認で運転免許証の提示をいただければ」という。「あなたがここから居なくなったら、謄本を取らなきゃならんのか」「そうかもしれないですね」みたいなやり取りが続いて、あー僕も親方日の丸の構成員だったなと、これ以上のやり取りは止めにしようとなった。でも、もう役場は親方日の丸ではないんだよな。庁舎の屋上から日の丸下ろしてもいいんじゃないか?
なんだか、小さなことひとつが、大きなゲートをくぐって、まるで天皇の御名御璽でもなければ、扱ってもらえないような世の中になって、生き辛いったらありゃしない。

2007年10月30日Tuesday 晴れ夜雨
ポツポツと雨粒を受けて。 夕食後に例によって歩き始めたら、途中からポツポツときた。歩き始めたら、ゴールの家に戻るまでほとんど会話しないで早足で歩くので、雨粒の落ちはそんなに気にならなかった。少しくらい降り始めても平気な気持ち。汗をかくので、雨もまた気持ちがいい。
ガソリンが11月からどうも上がりそうなので、明日入れたらどうかとか。僕は仕事帰りに今日入れてきた。天井知らずの値上がりの様相を呈してきた。値上がりが始まったとき、一体リッターいくらだったのか、それすら忘れてしまった。110円台だったか、120円台だったか?戦争のために使う燃料には大反対。歩きで済ませられれば歩きで通したいけど、そうもいかない。坂本龍一や有名人のように、簡単にハイブリッド車に乗り換えるゆとりは到底ございません。できるだけ電力や燃料の節約には努めます。
さっささっさと歩いていると、某さん宅の角を曲がるとき、いつも畑の犬小屋前で2匹の犬が吠えるんだけど、今夜は一回も吠えなかった。回数にしたがって、吠える数が減ってきたけど、今夜はとうとう向こうもこっちを無視する、ゴロンふて腐れ石破やぶにらみモードになった。ハハッ、やっと静かになったかと、女房とその角を大手を振って曲がってやった。風呂に入って外を見たら、いい雨になっている。

2007年10月29日Monday 晴れ
うんざりだったな。 だいたいは予想はついていたけど、あそこまで嬉々として亀田家長男を吊るし上げるとは。モラルのない奴ってのは、あの報道する側であり、その先頭に立つ阿保共が俗に言うリポーターという奴らだ。最低だ。いくら飯の種とはいっても限度がある。あれでは皆が亀をかばってあげたくなってしまう。浦島太郎になっちまう。見ている(聞いている)側が限界になってしまうくらいだった。情けない。これじゃ公開処刑じゃねぇか。って、もういい加減亀の話題もうんざり。またまた出たよ賞味期限改ざん。「船場吉兆」という有名店らしいが、こんなことから想像すると、中小の会社なんかでは、日常的にこういうことやってるんじゃないかと思えてくる。無駄を出さずに効率よく回転させていくには、やめられないんじゃないのか。はたまたこの国の食品基準が厳しすぎるのか。時間切れを食える食えないを問わずに、惜しげもなく捨ててしまう国だ。亀田にも、食品会社にも、謝るくらいならはじめからやるなってことだろう。

2007年10月27日Saturday
こんな雨でもやるのだな。 そう考えると、なんとしてでも甲府に勝たせてやりたく思えてくる。応援する者も大変だ。普通ならこんな降りの日じゃ、止めとくかってことになるだろうが、この危機的状況じゃそんな弱気になっていられないもんなぁ。こんな僕なんかが一番いい加減なんだけど、応援してまっせ。熱燗でもやりながら、データ放送をチェックしながらね。
こんな雨が、ホームに微笑を与えてくれるかもしれない。くれるといいけど。
一日暗い日で、もう布団にくるまってじっと時間の過ぎるのを待っているような日。これからニール・ヤング聴きます。夕べは若大将。内藤君と久しぶりに熱燗を一杯いっぱい飲みました。マスターに送ってもらって、古関経由で家に。傘はしっかり持って帰ってきたんだよね、もうひとつの物が、ちょっとわからねぇんだなぁ。

2007年10月26日Friday
玉葱。 カーステレオがいつも鳴っているんだけど、カーブなんかに差し掛かるとガサガサと音がするので気になっていた。ショッピングバッグのなかに、無造作にCDRをたくさん放り込んであるので、それが動いて擦過音が聞こえているのかと思っていたが、今朝職場の駐車場で、助手席側のドアを空けて座席の下を確認してみたら、なんと玉葱とダイドーのコーヒー缶が転がっていた。玉葱の皮は少し剥がれていた。思い出した、思い出した。女房の姉さんの家に行ったときに、玉葱をたくさんいただいてきた。きっとそれが袋からこぼれたんだろう。コーヒー缶はその時一緒に貰ったものだったかもしれない。一件落着。今年の玉葱は豊作だったらしく、夏の頃も近所からもいただいたが、みな玉が大きかった。今年もたくさんの野菜を、檀家やご近所の方々に施していただきました。どうしても採れる物の時期が一緒なんで、食べるこちらがあっぷあっぷしてしまうこともありますが、できるだけ消費するように努めたいと思っています。来年もよろしく。
金曜の今日を、秋の遠足に当てていた学校からは、「延期します」との連絡。別の小学校では、今日スケート教室というところも。全国学力テストの結果が公表され、都道府県教委の一喜一憂している様が浮かぶが、のんびりしなさいとか、締めてかからなければいけないとか、あっちに押し付けこっちに押し付け、机上でサイコロ振っているように、子どもたちをもてあそんでいるように感じる。今回のこれが果たしてなんだ、と僕は思うのだ。50を過ぎて、今回の学力テストの問題にチャレンジしたら、「まあまあだな」と思う結果が出た。これでも十分なんだ。

2007年10月25日Thursday 晴れ
知る者は食わず、食うものは知らず。 山道を下りながら杉並木のカーブに差し掛かったところで、ガサッと音がしたので見ると、走ってヒューッと緑色の鮮やかなキジが飛んだ。坂を上がるときにも親子のキジを見た。こちらはササッと藪の中へ逃げ込んだ。キジは旨いという話を聞いたことがある。ところで比内鶏偽装。こんな話がぶくぶくぶくと湧いてきますなぁ。死のうと山をさまよったあげく、生還して報道陣に謝ることになった社長さん。比内地鶏を初めから商品に使っていなかったとは驚きの域を超えて、口があいた。ミートホープの社長も何故か昨日逮捕。「モラル捨てた『最後の職人』」なんて、逮捕の花道を飾ってあげるような見出しで報道してくれちゃってさ。真面目にこつこつと、嘘をつかずに、自分に正直であれってことなんだろうね。これが小さくてもいい花を咲かせる。人に愛される花は、野の花のようにつましくていい。足るを知る。
亀田家もこれとおんなじ。照度の強すぎた分だけ、足元は闇であった。それから共栄ジムの金平という会長。下瞼にクマつくって「我こそ被害者」然として喋っているが、お前もTBSと同罪だろうが。判決!道(タオ)に外れた人たちは、キョンシーのように腕を前に伸べて飛び続けていなさい。

2007年10月24日Wednesday 晴れ
GRATEFUL DEADを無性に。 デッドの病にかかっているかのように、一ヶ月に一度くらいは無性にデッドを聴きたくなる。今夜もそうだ。韓国のキム・ヒョンシクのアルバムを二度聴いているうちに、ガルシアの顔がちらちらと浮かんできて、今はデッドになった。果てのないデッドのLiveに浸っていると、いつだったかどこかでやった覚えのあるLSDの不思議な感じが蘇えってくる。僕はグラスもやるわけではないし、トリップするものが欲しい性質ではない。煙草もやめたし、吸いたいものはない。デッドを聞けば十分にトリップした心地に浸れるような、適当ないい加減な脳と体の構造だ。決してテクニックのあるギタリストではないと思うが、ガルシアのギターは、心を惹きつけて離さない。ガルシアのギターは、心と脳を解放してくれる。平和や愛を求める心を、自然に流れる涙のように引き出してくれる。包容力に溢れたギターだ。
何でデッドを若い頃は余り聴かなかったんだろう。40代になってから、デッドを好んで聴くようになり、Live音源をネットからDLできるようになってから、僕の部屋や庫裏の寺務する部屋にまで、GRATEFUL DEADは溢れている。積まれている。流れている。零れている。JERRY GARCIAの復活はもう望めないが、僕は僕の生ある限り、デッドの音楽を楽しむことはできるだろう。デッドの音楽は囚われた部屋で聴くものではない。デッドを聴ける環境がある限り、僕たちは望みある世界に生きている証と実感していいだろう。

2007年10月23日Tuesday 晴れ
礼儀ある人は美しい。 昨日の午後は本庁で会議があったので、昼食後に弁当箱を置きに家に寄った。本堂前の石段で昼食をとる何人かがあった。風も穏やかで、暖かい昼には外のお昼も気持ちのよいものであろう。寺には、夏場なんかも木陰を求めて昼食兼お昼寝に立ち寄る、電気工事関係の人たちとか結構いるのだ。寺の境内で昼食をとったり休憩をすることをとがめるつもりはないし、寺を憩いの場所として使ってもらうことは、寺の役割の一つであるとは考えている。ただ、少し困ることがある。駐車場に車を停めてくれる方たちには何も申し上げることはないが、寺の上まで車を乗り付けるグループもいる。昨日はその例だった。境内の隅に停めるのならともかく、昨日は本堂正面の石畳に沿って、2台のワゴン車を停めてあったので、、「申し訳ないが隅に停めなおすか、駐車場に停めてくれ」と申し上げた。それから「本堂の正面は寺にとって神聖な場所であり、その場所に躊躇いもなく車を停めるのは、少々礼に反するのではないか」と諫言させていただいた。
今日このことを書いたのは、いつも拝見させていただくブログに、甲府の県民プラザで行われている「風林火山博」に据えられている武田信玄公像の惨めな姿のことが書かれていたからである。寺と博覧会では趣きが異なるかもしれないが、マナーとか敬意を払うとかいうことにおいては同じことだと思う。
以前も書いたが、参詣者のなかにも、クルマを本堂前まで乗り付ける方もいる。こういう参詣者には「何をか言わんや」である。言葉は悪いが、「なーにが百八霊場巡りだ」「不動信仰だ」と思ってしまう。こういう者らに限って、許しも請わずに内陣まで入り込んでちゃっかり座っていたりする。これは完全に非礼なことである。外陣と内陣を隔てる格子戸があるが、普段は鍵はかけていないので、引けば中に入れるのであるが、やはりここから中に入るときは、住職の許可を得てからか、こちらが「お入りください」と招き入れた場合である。格子戸は結界の印でもある。先代が居たときに法具の五鈷杵を持ち去られたこともあった。
話は反れるが、少し前「ゲゲゲの鬼太郎」の像が調布市の商店街から盗まれる事件があった。水木しげるさんはインタビューで「盗んだ人に天罰が及ばぬとよいがなぁ」というようなことを言っていたように覚えている。五鈷杵を持っていった人に対して、僕と父も同じような気持ちだった。礼を軽んずると、思わぬ時と所でその反動に泣きを見ることになる。信玄公の扇を持ち帰って許されるものか、冷静に判断してみることだ。いけないことだと思ったら、やらないことだ。こんなことは子どもでもわかる。子どものほうがよく分かる。寺の本堂前までクルマを乗り付けることに万分の一でも躊躇いを感じたら、それを止めることだ。控え目で慎ましくを心がけておくことこそ肝心なのではないかと考える。礼儀ある人は美しい。少し大層に書きすぎたか、反省。

2007年10月22日Monday 晴れ
ヴァンフォーレ甲府に奇跡の風を起こせよ、山本勘助。 「格の違いで甲府5失点完敗」「甲府惨敗で自動降格圏内へ」などという見出しが目に付いた。まったく尻に火がついた感があるなぁ。大宮戦は絶対に落とせないぞ。甲府は落ちたら、上がれないかもしれない。財力も乏しい。せっかく「風林火山」ブームの一年だったのに、降格だなんてシャレにならない。軍師:山本勘助を現代に蘇えらせて、策を施してもらおうじゃねぇか。采配を振るってもらおうじゃねぇか。まだ間に合うぞ。
またも出たのが「比内地鶏偽装」。こんなの調べはじめたらとどまるところナシだよ。多分どこだって、程度の差はあってもやってんじゃねぇのかな。昨日ちょっと見たテレビで、上海蟹も、中国人は絶対食べないってのも面白かったな。こちらは偽装じゃなくて、環境汚染。汚染された海からの収穫は、残念ながら恵みではないのだね。上海蟹を食す機会は僕には縁ナシだけど。

2007年10月21日Sunday 晴れ
今日はなんといい秋晴れの空と気候だったことか。 9時過ぎに家を出て塩山の瀧本院へ。山梨の宗務所会議。前回10年前に、ご住職のお父さんの葬儀に父と伺って以来だったが、ナビがあるのでちょちょいのちょいと着くことができた。一面が葡萄の丘の中に瀧本院。ここは彼岸花でも有名。残念ながら彼岸花はすでにオシマイ。
集会は例の如く、山梨に割り当てられた宗費の各寺院への振り分け。何度も同じ事を繰り返してきているのだが、今日は、一度均等割りで宗費を各寺院へ課して欲しいということで話が落ち着いてしまった。なんか余り肯けるような気持ちにもならなかったが、そうおっしゃるなら一度そうして御覧なさいってとこ。うちは宗費が下がる。
お昼ご飯をいただいて急ぎ帰ってきた。八日市場のふれあい運動会があった。すでに運動会は終わるところで、その後の懇親会が1時間ほど広場であった。3組の組長なので女房にお願いしてあったが、僕も飲み会には参加。暑いくらいの日差しがあり、皆「今日はいい日だ」と。焼酎の水割りとビールをいただいて、しばし歓談。のどかのどかで、眠くなる。昨日の網戸で乾かなかった残りをお蔵に仕舞って日曜日はオシマイ。
10月も過ぎていくんだなと思ったけど、来週もう一回日曜があるんだ。護摩木でも割るか。

2007年10月19日Friday くもり
真実の心を育てる。 管内の教頭先生の月一回の定例の集まりがあった。冒頭で、代表の先生が加古川市で起きた小学2年生の女児刺殺事件に触れた。現場の先生方は、このような悲しい事件が発生すると、我が事のように身につまされているのだ。まったく一体どうなってしまっているのか。校舎の内外を隔離しても、通学途上、家庭、遊び場などなど、ここは安全という場所は存在しないのか。手の施しようのない重たい現実。子共たちも外に向かう気持ちが内に籠もりはじめる。外に出ることが危険→家に籠もる→友人と交わら(れ)ない→みな暗くなる。子供同士が暗い付き合いをする。大人を信じない。現実世界を信じることができない。こんな風に思いを巡らせて見ると、一方では、ものすごく時代が進歩して「“超”なんとかじゃん」と思うのに、足元はなんとも頼りなく、両手ですくわれたら、前後左右に如何様にも倒れてしまう。
人が人を信じられないってのは、すべてのことの否定に繋がり、崩壊に繋がる。現実があって、島国があって、地球があっても、何もないことと一緒である。
こんなことを書いても、なにも解決の糸口にもならないのかもしれないけれど、信じるところからの始まりが、いつの間にか「信じられないから、信じることなんてできないからこうするんだ」ってところが起点になってきている。教師の果たす役割は、とても重要。教師として承知している真実を、子供たちの無垢な心に、種をまいて、しっかりと育てていって欲しい。それから、親である僕も、僧侶の端くれである僕も、後ろからそれを支援する気持ちで水撒きを続けなければならない。

2007年10月18日Thursday 晴れ
関心事。 ネット広告で、「年収並みの月収」ってのがあった。それ以上は入らなかったけど、これって凄いことですよね。僕の年収の12倍が年収になってしまうってことだから凄すぎ。金儲けというか、金があればいいなぁとはよく思うもの。いま、こんな時代だと、こんな儲け話に飛びつくカエルも多いんだろうな。
夕べ、とある場所で飲みながら話した。高校1年生の男子を持つ友人。その高1の息子が毎朝家を出るまでが大変なそうである。髪形を決めるのに、起床して家を出るまでの時間をほぼこれに使い切るのだと。母親は、彼が鏡に向かっている2階の洗面所まで朝食を運んで置いておくのだそうだ。整髪料は、幾つも洗面所の棚に並んでいるらしい。鏡を覗き込みながら、時々朝食を口に運ぶ姿が想像できた。決めるのに時間がかかってしまった日には、電車に乗り遅れそうな時間になってしまうと、学校まで送っていくことになるとのことだった。
気になることは、世代世代で違うもの。高1は、格好良く生きるのが最大の関心事。サルやイノシシのことに関心事を奪われるなんて、だっせぇーことこの上ない。35年前の僕だって、こんなオヤジは「ダッセェ!」と思ったはずだ。

2007年10月17日Wednesday 晴れ
関係者みんなで反省だ。 あの試合が勝っていたら、まったくこんなことにはならなかっただろうし、またもうひとつ上に、亀田家は据え置かれたことだろう。負けても、ファイトマネーは億という数字が敗者に入り、勝者には一千万だという。
チャンプが右まぶた上を切ったとき、TBSのアナウンサーは、これで試合が止まったらチャンピオンの負けですとか、大毅の勝ちになりますと、何度も口走った。これに違和感を覚えた視聴者は僕だけではなかったろう。TBSが亀田に焦点を当ててこの試合を商品にしていることがよくわかった。翌朝の朝ズバ!のみのもんたの口のすべりはいつもの滑らかさに明らかに欠けた。彼に責任はないのかもしれないけど。
それで今度は亀田家への処分だ。亀田教の教祖の指導を妄信して、幼心に鍵をかけて、甘えることなく、この宗教を信ずれば明日が開けるとか何とか。この異様な一家にマスコミが飛びついて、知らぬ間に彼らの頭の一葉を蝕んでいったのだ。その結果がこうだ。ストレートに悪者を責めるだけがこの世の愚かな習わしなのか。背景を読み取ろうともしないで。面で叩かれて損をするのは、宗教法人にもなりえない亀田教だったのだ。
(18:55) 仕事から帰ってきて夜のニュースで、亀田親子と金平会長の謝罪会見を少し見たが、大毅は早々に抱えあげられて退席をしてしまう。これも彼ら独特のパフォーマンスなんだろうか?父親も上手く喋ることができない。おそらくこの父も子も、あんまり喋りは得意じゃないんだ。理路整然と話すなんてことはできなくて、行き詰れば「なんだてめぇこの野郎!」ぐらいになっちまうんだ。僕もそんなだったよ。だから、外と交わるのは難しいんだ。慎重にいかなきゃね。テレビに顔は出るってのは、芸能人と同じだから、人気商売なんだね。売れるも早けりゃ、捨てられる、飽きられるのも早いのがきっとこの世界の掟なんだ。心して渡れよ。

2007年10月16日Tuesday 晴れ
韓国にもすぐに通じてしまうんだ。 八幡神社の秋のお祭りの花作りの手伝いに。子供も男の子ばかりで、男の役割になった感じ。できるだけ手伝ってやろうと思う。
韓国に3日ほど出かけている友人がいて、終了後飲み始めてから、Y君が電話した。「呼んでる、呼んでるよ」で切ったら、向こうからかかってきた。韓国とケータイが繋がり、時差のないやり取りがあった。実際「何時か」と問うても時差はなかった。
※かなりお楽しみのようで、ご機嫌な様子が感じ取れたらしい。
こんなことをしたことがなかったので、あらためて「ふーーん」と、なんだかこういう事態に感心してしまった。近いんだなぁ、韓国は。って、どこの外国も今は近く感じる時代なんだろうな。時差のある生き方をしているのは僕なのだ。

2007年10月15日Monday 晴れ
そうか(創価)、宮本輝は学会員だったのか。 うーん、なんとも複雑な気分ではあるが、先ず、彼の小説は僕を大変に引き込み、魅力的ではあったし、満足させる作家ではあるし、これからも彼の小説には触れたいと思っていたのだ。でも、これが学会員である彼のなす業であるとしたら。あまり大声では言えないのだが、日蓮宗自体が僕の感性にそわない。他を排除する、批判する、否定的であるようなところに、僕の好き嫌いはストレートに反応してしまう。いまは日蓮宗の総本山の身延町の町民となっているのだが。まあ、例えば寺に生まれるにしても、「何宗のお寺にしてください」なんて希望を述べさせていただく訳ではないので、たまたまというやつである。日蓮宗の寺に生まれたら、僕はそれを肯定して育ったことだとは思うが。日蓮の教義に詳しくはない。ただ、この宗派から派生した様々な解釈やカルト的な教団の活動は、どうしても“?”と思わざるを得ない。真言宗だって、真如苑のような異端教団も存在するが、どうもね。僕の考えが、あまりコチコチカチカチに凝り固まった考えが嫌いなんで、たかが一坊主の責任のない発言なんですがね。
とあるブログで、「創価学会青年部講演会で、集まった若者を前に、宮本輝は年収を自慢。一億円を突破した」「きみたちも毎日、お題目をあげて、折伏(勧誘)したら、こうなれるでえ」などの書き込みを読むと、宮本輝の見方は、もうお目目パッチリと変化の兆しプンプンになっちまってます。

2007年10月14日Sunday くもり
京都から風船が飛んできた。 地区の山道つくりと河川公園の草刈りがあった。河川公園の土手はまさにセイタカアワダチソウの密生地と化していた。凄いものである。山は山で、これで大丈夫かというくらいに荒れ果て、いのちの営みを感じない。「これが現実だ」と、古老が口惜しそうに吐き捨てた。部屋の前の道に赤い物が落ちているので拾ってみたら、風船の割れた残骸で、紙切れが付けてあった。「今日は楽しい運動会をありがとう!この風船を拾って下さった方お頼りを下さい。10月13日 京都府亀岡市... 太田保育園」と書いてあった。13日って事は昨日じゃん。と女房と話し、京都からはるばる飛んできたのかぁ。琵琶湖を越えて飛んできたんだな。何か返事を書いてやりたい気持ちにはなったが、今日はちょっと書く気持ちにはならないので後日改めて。でも何かほっとした気分になるな。
女房が境内を掃いていて、落ち葉を焚くけむりとその匂い。もうまたすぐに、落葉の季節が始まる。落ち葉焚きは大変だけど、気分転換にはもってこいなのだ。煙が空に昇ってくのをボーっと眺めているだけで落ち着くしなぁ。サツマイモやジャガイモの焼き芋もできるしなぁ。
網戸も洗わなくちゃな。
ご朱印1件。自動車のお祓い1件。

2007年10月13日Saturday 晴れ
草刈りもこれで今年はオシマイです。 同志会の後方支援をすために、お祭りの花を付ける竹のひご作り。始めるとより細く、細くって気持ちになってくる。竹を2本切って、竹を割って、中山ラビとレナード・コーエン聞きながら作業。鉈をうまく使いながら、少し汗もかいたりして2時間半ほど。
その後墓地の竹林周辺の草刈り。お昼前まで、それからお昼休みして2時半頃から残りを刈って今年の寺の草刈りは終了。そうね、本堂の周りなんかで、少し刈りたいところもあるかもしれないけれど、概ね打ち止め。
暑くもなく、ちょうどいい塩梅の秋の日。お昼休みのときにはいい風が吹いた。スパゲッティが美味かったよ。
晩酌をして、盧裕喜のピアノを聞いている。生れてしまって嫌だったなんて事を思わないような、苦しまないような、恥ずかしく思わないような時代を引き寄せたいと思う秋の夜です。

2007年10月12日Friday 晴れ
金木犀香る。 支所の周辺を歩くと最近は、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。金木犀だ。
彼岸花が土に消えていき、ススキ・コスモス・センニチコウ、それからセイタカアワダチソウが休耕田などにおびただしくその姿を見せ始めた。今朝墓地へ行ってみたが、もう一回草刈りをすればもういいだろうということになりそう。ツワブキの花ももうすぐ開きそうだ。
今日の昼は暑かった。常葉川にもう鮎釣りの姿はないけれど、通勤しながら富士川にまだ腰までつかる釣り人の姿を見る。彼らは、シーズン何回くらい川に出かけるのだろうか。釣りをする趣味はないが、この鮎釣りの光景はいつの夏も僕を楽しませてくれる。長い竿と、富士川だと胸辺りまで川に入る姿は、まるで自分のことのように涼しくて、ひんやりとした気持ちになる。来年の夏また、常葉川の釣り人を見ることができますかね。

2007年10月11日Thursday 晴れ
「負けたら切腹」。 「負けたら切腹」と啖呵をきったなら、ようし、亀田大毅に腹切らせてやろうじゃないかと、本気で思わなくとも、チャンピオンの内藤の勝利を応援したい気分にはなってくる。大毅君は“浪速乃弁慶”という触れ込みのようだが、あの大きな玉で作った数珠を首にかけている姿は、僕の祖父からの教えでは御法度。数珠を首かけることを祖父は厳しく禁じたというか、恥ずかしいことの範疇であったように思い返す。修験者や僧侶でも首にかけている姿を見るが、僕はこれだけは自身に禁じている。だから、それだけでも大毅君は僕にとっては、認められない人。
それから、あの親子は品がなく、場面場面で礼を欠いている。いくら闘志を燃やし、己を鼓舞し、倒すことを目的としても、もう少し、相手や見ている者に気を使って欲しいと思うのは僕だけではないだろう。
で、試合の結果はどうだったかというと、内藤の圧勝。判定の勝利だったけれども、内容も圧倒的に内藤。最終回には、倒せないことに焦った大樹が、内藤を抱えて持ち上げたりして、結局3ポイントもレフェリーから減点を食らうという恥ずかしいもの。ほうほうの体でリングを降りて引き上げる亀田親子軍団。この後、彼らからどんな愚痴や罵声が聞こえることか。
負け知らずの天狗の親子に、溜飲を下げた視聴者が圧倒的ではなかったか。僕もそのひとりではある。これをいい経験として謙虚になれば、亀田親子のボクシングは愛される方に変化するかもしれない。
ボクシングを見る前に、晩酌だった。息子から大学院試験に受かったとの連絡が夕方入ったとのこと。まあひと安心。ホントにこれがよかったのか、最善なのか、僕はこれを判断することは控えるが、親であるということはなかなかに微妙なものであります。

2007年10月10日Wednesday 晴れ
大聖寺不動明王の江戸出開帳。 これといった話題もないので、出開帳のことを書いておくことにする。大聖寺のお不動 様の江戸出開帳は最初が元禄9年(1696)である。これは、成田不動が深川の永代寺八幡宮 境内を開帳場所にした最初の江戸出開帳(元禄16年/1703)より7年歴史がふるい。
大聖寺不動尊の江戸出開帳
第1回 元禄九年(1696)
  夏、王子の金輪寺。期間不明。6月28日に、五代将軍綱吉の生母・桂昌院が弟の、本庄因幡守宗資(むねすけ)の宮津藩下屋敷で拝礼し、黄金百両と幡二旒を寄進。※宮津藩下屋敷は、後に安田財閥の祖、安田善次郎の所有した「旧安田庭園」の場所。
第2回 宝永8年(1711)
  夏、両国の回向院。期間不明。
第3回 安永7年(1778)
  大塚の護国寺。4月1日から6月21日。2年前に消失した伽藍再建のため。「開帳一件記録」「大名御参詣覚え」有り。
第4回 天保12年(1841)
  天保11年春から計画、出府して宿寺を深川の永代寺に決めたところまで記した住職の日記があるが、実現したかどうかは不明。
これが、出開帳の歴史なのであるが、天保12年の4度目は、計画倒れに終っているようである。最近、「江戸のお寺浮世草子」という書きもので、出開帳について詳しく書いてあるのでとても参考になっている。
大聖寺の4度目の計画で宿寺に予定をした永代寺を、成田不動で宿寺にした記録が残っているようである。宿寺となる寺はお堂を貸してはくれなかったので、本尊を安置して開帳する小屋を作る必要があったようである。「小規模の開帳でも、設営費が150両、土地のレンタル料が20両ですから、資金力のないお寺が江戸で開帳すると言うのは、夢のまた夢でした。江戸で開帳ができるのは、限られたお寺だけだったのです。」とも書いてあった。大聖寺の4度目はこんなことも理由になったのかもしれない。3度目の記録によると、15人位で出かけている。思うように浄財が集まらず、開帳期間を20日くらい延長させてもらったとも。とても消失した本堂の再建できるような資金の調達には到らなかったようである。それでも、出開帳ができたのは、「限られたお寺だけだった」という記述のように、今この寺を預かる者として、往時の住職や信者の皆さんの姿、お不動様の輝きなどが偲ばれ、僕の思いの中に時々浮かび上がってくる。

2007年10月9日Tuesday
昨日の夕には、5時半を暗いなぁと眺めて、つくづく仕事に行くことがイヤになったり。 3連休ってのは魅力だね。日曜の夜は喜田に御呼ばれで、若い友人たちと焼酎三昧。おでんの大根がよく浸みてて旨かった。
昨日は雨だったので、だらだらと蓑虫のように毛布に包まって本を読んだり、テレビを見たり。ミャンマーで凶弾に倒れた永井さんの葬儀の映像であったり。言うこときかなきゃ暴力で制裁してしまう。こんなことが、延々と果てのない時代を歩いているのだ。「風林火山」を見ていても、結局はこんな阿呆なことを、どこかに人物を評価する種を探しながら肯いてしまっているのだ。
ガソリンも宇佐美で140円になっているのだからな。あんたも辛い、こちらも厳しいの図だ。
金正日も相当なしらばっくれだからね。「拉致日本人はこれ以上いない」って、彼らしい発言だと思うし、こんなことをいちいちニュースにするなんて馬鹿げている。無視することのほうがよっぽど制裁になる。

2007年10月7日Sunday 晴れ
300号線で鹿が倒れていると。(宿直のこと) 忘れないうちに書いておこう。BSで「フォークの達人」、今夜は斉藤哲夫を見ていた。12時が回って少したった頃、電話だ。「なんだこんな時間に、クソッ」だった。佳境にきていたのに、ボリュームを絞り受話器を取る。「N部Kサツ署ですが、云々...」。事の次第は次のとおり。
国道300号線釜額入口バス停そばで、鹿が道路の真ん中で倒れている。まだ生きている。死んではいない。パトカーが現場に向かっている。役場で鹿を至急片付けにきてほしい。国道の真ん中で、交通に支障をきたしている。時間も時間だし、「どうしても行かなければいけないのか」と問うと、「そうだ」と応え。切ってから、産業課の有害鳥獣駆除担当の家に電話。あきらかに迷惑な話だといった受け答え。まあ、俺でもそうだろうな。Kサツからの伝言を伝える。Kサツ相当なもの,、どんだけぇ〜!。電話がすぐ入って「連絡は取れたか?」。「伝えた」と返事。少し間があってまた電話。「担当はもう現場に向かったか、それをすぐに確認して電話をよこせ」。担当に電話をする
と、「課長と二人で今出かける。国道じゃ、先ず建設省だろうが」と憤っている。それをそのまままたKサツに伝言。サツじゃ、「死んでないってことなんで、役場に電話したんです」と。こっちもそれ以上はやり取りする知識もないんで、「生きてる、死んでるはどうして?」と聞くと、「匿名の電話で通報があった」とのことであった。
すみません。夜も遅くに、こんな事件の宿直は、なんか後を引くよな。もう午前1時を回った。寝よっ!!
と、これは役場で書いて家にメールしておいたもの。今朝になって、日直さんとの交代は、なんと処理に出向いていただいた課長さんだった。到着したらすでに死んでいたということ。サツも、道端に寄せておくくらいできそうなもんだと、なすり合い大好きな公務員てか。俺もそうなんだけど、なんかこの辺もことって、線引きして在る域のことは、絶対に跨いで動くってことないのね。世界が狭いって言うのか、馬鹿まじめって言うのか。「私のそこくは世界です」とは到底言えんわ。

2007年10月6日Saturday 晴れ
メガネとラーメンである。 午前中、キウイの棚を撤去。摘果も手入れもしないまま10年も生りたい放題であった。僕の管轄ではなく母の。で、重さに耐え切れず棚の支えが折れたんである。今日の休みは朝からやるつもりでいたので、11時までかかって撤去。キウイもここ残りはあったが伐ってしまった。窓の前の畑がそれでも少しせいせいした感じ。
着替えて女房と甲府へ。メガネを受け取り、彼女の望みの上田屋でラーメン。ほー、土曜もこんなに混んでいるんだってくらいに込んでいた。僕はいつもと同じようにラーメンとネギもつのセット。女房はラーメン。旨かった。食べ終わってもうひとつのメガネのレンズを入れ替えてもらうために、リバーサイドのオギノ内のセイビドーへ。レンズのみで34,000円もする。感謝祭とかで、景品のくじコーナーがあって、11回ガラガラを回して、たった一つが当りで、富士屋ホテルのランチ券ペア。女房は喜んで逆立ち。娘と冬休みに行くそうである。
帰って少し働いてこれから宿直。

2007年10月5日Friday 晴れ
事務室のこと。 保健センターの2階の、料理実習室とカーテンレールで仕切られた本来は「栄養指導室」という狭い部屋に課長以下6人が押し込まれている。脇机を置くゆとりも無く、キチキチに詰めて事務机のみ配置してある。冷房はあるが、点けなければ自然と温まる。どうも下から熱が上がってくるように思るのである。10月に入り、エアコンを点けずに換気扇を回して、窓を開けて網戸から入る外気を幾分季節の風として快く感じてはいる。冬には想像するに寒い部屋だと思う。暖房を入れなければ過ごせないだろう。秋晴れのさわやかなFriday。事務を執る部屋から眺める景色がこんなものである。5月にここに来る前の事務所は、外が眺められる窓がなかったので、晴れているのか、曇りなのか、外の陽気すらわからなかったが、ここは眺望のできる窓がある分、「雨が降ってきたね」とか「今日は予報に反して、天気よくなったじゃん」なんて会話も出る。午後2時を過ぎると、隣の部屋に「学童保育」の子どもたちがやってくる。好奇心旺盛な女の子は、何度も「コピーさせてくださーい」なんて出入りしたりもする。愛すべき同居人たちは、皆仕事熱心である。僕にはあまりかかってこないが、僕以外には、日に何十回となく学校から電話がかかってくる。心憎いほどさわやかに受け答えし、フットワーク軽く現場(学校)に飛び出して行ったりもする。5時半までの仕事では、これから段々日暮れが早まるので、なんだか心細く嫌だなぁと、伝票に間違えないように僕ははんこを押している。「あっ?5時半になったよ」と、親分の声だ。始まりも終わりもここにはチャイムがないのである。

2007年10月4日Thursday 晴れ
大相撲のこと。 序の口、時太山(ときたいざん)が亡くなった件だけれど、どうもまどろっこしくて腑に落ちない。情報をさらっと右から左へ眺めてるが、核心に触れないというのか、国技相撲への権力の介入を阻む何かが動いているというのか、普通だったら、親方や先輩力士の行為は、完全に稽古の範囲を勇み足しているわけだから、相撲協会解雇とかよりも、不審死にもっと突っ込んでいって調べなきゃならんと思うんだけど、新聞ぱらっと見る限り、ニュースさらっと聞く限り、「殺しちゃったんだろ?」ってのが率直な感想ですよ。「リンチ殺人だろう!」って、声荒げられても言い返せないんじゃないかとは、田舎坊主の勝手な想像なんだけど。しっかりと真相を究明して、その結果が「プロ力士の稽古中の事故によるもの」という結論で幕が引かれるなら、それはそれで認めればよいのでしょうが、いまひとつしっくりときませんな。
新弟子検査に誰もいないってことも、最近はあるようだし、まわし一本のみを身につけるという姿も、最近の若者には敬遠されているとも聞く。でも、力士の姿をあれ以外に僕は想像できないんだけれど、カラーのサポーターを認めたり、はたまたタトゥーや金髪大銀杏なんてものありだったりすれば、いくらか見直されるってなもんでもないか。

2007年10月3日Wednesday くもり
学校の適正配置。 午後から3回目のその審議会。身延学区を町有バスで巡り、その後文化会館で会議となった。9小学校あるのだが、一番大きな学校が百人をどうにか超えている。来年の予定では、百人を全部が下回る。中でも著しく児童数の少ないT小学校がある。情報では、保護者の意見としては隣りのM小に通わせたほうがいいのではないかという意見が多数のようである。しかし、そのT小の地域全体の意見としては、学校閉校には消極的というより反対の意見があるようだ。これはどこのケースも同じようではある。
町が合併をして3年。まだまだ相当な時間がかかるのではないだろうか。町民一人ひとりが身延町の町の人と自覚するには。10年、20年、30年。旧い人間たちがそれを審議している。腹の中で綱を手繰ったり、緩めてみたり。互いの手の内をマジシャンのように。愛が欲しいのは次の世代の人間であり、そのために我々が道をつけてあげなければいけない。憲法第9条を護るのと同じように。まず、旧町の境界を真っ白な腺にしてしまうこと。境などどこにもないと思うこと。頭の柔らかい、純粋で純潔な者たちがこの町の将来を担う者であることを自覚すること。頭の柔らかい彼らが、交わって交わって、旧い町同士の混血児を生み出し、新しい町を創っていく。世界もそういうことだと僕は思う。

2007年10月2日Tuesday くもり
どんどん上昇。 どんどん防虫。こんなコマーシャルが秋風と共に薄く遠のいていく。「なのにあなたは京都へ行くの」じゃなかった、なのに値上げが止まらない止められない。自民党にも民主党にも、瑞穂ちゃんの社民党ならなおさらだ。よこしまな愛なら地球なんて救えない。24時間走り続けても、欽ちゃんは欽ちゃんを飛び出して大日如来になんてなれやしないんです。
どんどん膨脹。最近の国会には、おしくら饅頭の渦が巻いているだけで、救命丸にもなにもなりやしない。こんな膨脹だけが際限なく繰り返されている。コントロールできそうな奴らはそっぽを向いている。これは僧の世界にも通じていたりする。値上げがどんどん上昇。
袋麺・カップ麺 10〜15円値上げ。カレールー・レトルトカレー 10%値上げ。即席袋めん・カップめん 10〜20円値上げ。ゆうちょ 送金・決済手数料 10〜230円値上げ。
空が落ちてくると友部が歌い、ニッポンは昔処女だった、戦争に負けて日の丸になったとは三上寛。天上人となった高田渡は、さしずめこんな風にあの世から歌を落としてくるだろうか。♪あの世にゃ値上げはない。♪酒にも値上げはない、などと。お粗末。

2007年10月1日Monday くもり
神無月。 10月神無月の始まりです。10月は収穫の月で、神様に感謝する月で、神社のお祭りもあるのに、神様のお留守の月ってのはどうもね。旧暦とのずれなんだろうけど。カレンダーをながめてみるとなんだか変な感じだね。
箱根で震度5強の地震。郵政民営化スタート。NHK「ちりとてちん」始まる。公共料金の値上げ。ガソリンも落ち着かない。給料は上がらず何もいえない秋が深くなる。
週末の雨で、今日の10月1日は衣替えを実感させる朝の寒さだ。運動会はきっと今日もできないかもしれないけれど、残暑残暑と騒々しかったが、きっちりと帳尻合わせてきたな神無月。

2007年9月30日Sunday
めがね屋に行った。
昨日が雨、そして今朝も雨。地区と小学校との合同運動会は中止になった。僕のような子供を小学校から送り出してしまった親は、地区の運動会であってももうほとんど行くことがない。だから雨が降っても別にいいんだけれど、思い返してみれば自分のことだった時代、子供たちのそのとき、その最中にある者たちはこの大切な1日をどんなに大切に思い、練習をし、てるてる坊主を吊るし、晴れてくれることを切望していたことか。
昨日の朝も(土曜だったけれど)、小学生は学校に整列しながら通っていた。今朝のお勤めは、小雨に濡れた石畳を歩いて本堂に渡り、少々寂しい気持ちであった。
女房は娘の友人のT夫妻と一緒に上京。僕は甲府のめがね屋に行った。今のめがねを買った店とは違うネットで見つけたお店。欲しいめがねがありそうな気がした。(が、選択肢は少なかった)。個人経営のめがね屋さんだったし、開店から時間が経っていなかったこともあり、他にお客さんは居なかった。ご主人に丁寧にじっくりとゆっくりと時間をかけて検眼をしてもらった。「老眼になってきてるんです」とも話した。ジョン・レノンのような丸いめがねが欲しかった。似合うかどうかは別として、丸めがねを買いたかった。でも、正直その数は少なかった。でも一つを選んだのだが。老眼はもう決して元に戻ることはないということを、やさしく伝えてくれるご主人(HPでみたら、ここのご主人はクリスチャンなのだ)。肌がだんだんと艶を失っていき、眼が悪くなり、性根も悪くなる。なんだか、自分に言い聞かせるような時間。こんなことを、身をもって味わっていくのが年を取るということ。車を走らせ家に帰る道が雨に濡れていっそう寂しいもんだ。
午後は、友人にあげたいDVDの整理。ケースも買ってきたので、これで何回かは送れる。ヴァンフォーレの試合のことは、親爺さまからのお言葉もあったので、昨日と今朝いつものように必勝を祈願してあった。昨日、下位の大宮が横浜Mに勝っていて、今朝のサンニチの順位表は、無条件落ちの17位。午後3時からの対川崎戦の結果は1:1の引き分け。確認したら、取り合えず16位には順位が戻っていたが、15位の広島とは勝ち点で4点の開きがある。何とも厳しい試練の秋が深くなる。
というくらいで今夜は失礼を。

2007年9月28日Friday 晴れ
運転免許の更新の前に眼鏡屋に行くとするか。
まだもうしばらくはあるが、誕生日で更新になる。めがねがねぇというか、視力がねぇというのだろう。いっつも更新のときにやばいんだ。「ハイ」と差し棒するCマークにいい加減な受け応えをしていると、「仕方ないねぇ、こっち来て」なんて、別室で少し前から覗かせてもらって、「おまけだよ、(^0_0^)の度を変えてよね」なんてね。
余り見えすぎないくらいがちょうどいいんだけど、視力検査には不向きなんだな。ここんところが世の中の生きづらいところだ。
出不精のこと考えている。桜座に行かなければならんと考えるほど、それが億劫である。その演奏を目の当たりにしたいと思うが、掘っていくと、「別にどうでもいいや」っていう井戸に突き当たる。こうなると、物事自体がすべてこういう感じになってくるような気もする。答えにならない答えを自問自答している。
あんまり欲していないってところが本音かな。危機的メールは今夜も何発も届いてますが。

2007年9月26日Wednesday 晴れ
恍惚の人。
恍惚の人になりつつあるのか、なってしまったのか、なった振りを演じているのか。何れにしてもなんとも迷惑なことである。「あっ?そう...」とは、便利な言語パーツではある。「どんだけぇー」のプライドの塊を永久胎児のように抱えている。産み落としたくはないのだ。産み落として、己の信ずる運が逃げるのを恐れているのだ。「電話の使い方など知らなかった、電話など元々ここになかった」と言い、墓場の骨壷の中にまで持っていくラッキーコールには、涙を流して歓喜しているのだ。
「韓国製生ゴミギョーザ事件」というのを発見。中国のダンボール肉まんと対抗したような見出し。まあギョーザの具を想像すれば、生ゴミの千切りも似たようなものかって気はするけどね。口に入って、腹一杯になって、ウンコで出ちまえばそれで了解って気にもなるけどね。みなどこでも、程度の差こそあれ、似たようなことやっているんだ。わからなきゃいいじゃんみたいな。結局これは、正義の問題だからね。(
すんません、2004年に発覚した事件でした。)でもでも、正義の問題はなかなか底が深くて片付きませんなぁ。
支所を出ると半袖の腕にひんやり。K美ちゃんが「冷たいよ」と言ったか?ホントに今日の夕は冷たい夕暮れ。日暮が早くなる。5時半までの仕事はこれから年内中が何だか辛くなりそう。
帰ってきて、迷うことなくこの秋初めての熱燗とする。彼岸明け。風邪を引いていたと電話をくれたSさんが、寿司をつけて届けてくれた。「オレンジの月が上がった」と、炊事する窓辺の女房。僕もそっと台所を抜けて、部屋の窓から東の空眺める。オレンジ色の丸い月が稜線の上にあった。十五夜を一夜すぎて、十六夜の月。十六夜の熱燗。巻寿司もメッチャ
マイウ〜〜〜(^ム^)。
A山さんは、午後休みということだったが、稲刈りだったのか、それとももう脱穀作業だったのか。家にも女房の友達のDさんから、新米が届けられた。大切な命の米を、お裾分けしてくれる気持ちが有りがたい。友達の家が寺であれば、新米を届けることで布施につながることも、Dさんの気持ちの隅にはあるのだろう。つやつやとした秋の最高の収穫を、先師・仏様共々いただく。

2007年9月25日Tuesday 晴れ
檀家さんのことなど。
檀家のSさんから夕べ電話が入った。「いろいろすまなかった、風邪を引いて5日も寝てしまった」とまだ疲れが取れていないような重々しい声だった。実は心配していた。彼岸の法要にも足を向けてくれないのはおかしいなと。彼岸の墓地も、いつもなら前もって掃除に来て墓地をきれいにして、それから墓参に来るという人だったので、墓地が盆のままで、花瓶には枯れた花が入りっぱなしだったので、これは何かあったのかなと勘ぐっていたのだ。でも、本人からの電話で風邪だとわかり、事情もわかったので一安心。
檀家のK君が今週末に結婚をする。彼岸にお母さんと、配偶者となる方と3人で寺に寄ってくれた。地区には独身の仲間が何人か居る。正直彼についても、もうダメかなと思い始めていた。お母さんが一番喜んでいる。
それから坊さん仲間にも、お目出度がある。11月に結婚式とのこと。ご住職であるお父さんから、昨日電話をいただいた。仕事で県外にもう何年か住んでいたが、この機会に山梨に帰ってこれることにもなったそうで、ご住職も二重の喜びである。醍醐の僧侶は数も少ないので、みな兄弟のごとくである。
夜、ハイビジョン放送で「詩人・金時鐘(キム・シジョン)の60年」を見る。たんまりと腹にドスンと溜まるものをいただく。終えて、番組中流れていた「愛しのクレメンタイン」のピアノが原田依幸のものであった。まだ桜座に行くことを迷っているが、これが聴けるのであればというような気持ちにもなってきた。恐らくこれを読んでも誰も分からないことだとは思うが。金時鐘氏のことも、今夜は更に掘り進んで知ることができた。金太郎飴と違う飴玉を貰ったような夜。

2007年9月24日Monday くもり
前代未聞の病院からのお詫び会見だってさ。
これに合わせてテレビをつける。5時過ぎに現れ、20分余りの記者会見。特別な内容もなく、体調の悪かったことを弁明。記者団からもこれといった質問もなく、なんだか「もう忘れられてしまった過去の人」「飽きられて捨てられてしまった人」「信用するに値しない人」のような感じ。国民にお詫びしたいなんて、個人的には謝っていただくお付き合いもないんであるが、なんだか、秋の夕暮れのようにさびしく、彼のイメージするところの美しい国に抱かれて眠りについてしまうような、寂しく侘しい記者会見。
判官贔屓の国民だから、福田が優勢と聞けば「麻生!麻生!」コールだ。どちらをコールしても、それほど大差なく、どちらを引いても金太郎飴なのです。安倍も福田も麻生も自民も民主も、僕の中じゃ皆金太郎飴だ。
BSジャパンの「パッチギ!」見逃しのないようにしなくちゃ。こっちの方がよっぽど大事よ。明日は十五夜。韓国じゃ旧暦の8月15日が「秋夕(チュソク)」という大事な行事になるのだと、お寺にきた檀家さん。先祖を大事にする気持ちは、国境を越えているね。平和を思う気持ちだって同じだね。安心して眠れる夜が欲しいってこともおんなじだね。

2007年9月23日Sunday 晴れ
彼岸中日。
今朝も朝から暑くなりそうな予感。昨日のことを。
お不動様の信者の方から頼まれていた、病気平癒のための護摩を焚く。お札と護り札も作る。夏の衣ももう間もなく衣替えになるが、汗びっしょりで、絞れるほどになった。熱い。暑い。息子の進学のための祈願、カンボジアへ出かけた看護師さんの無事の祈願、それからサンフレッチェ戦に臨むヴァンフォーレの戦勝祈願もする。夜からの試合はホームゲームなのでなんとしても勝たせたい。夕方、門内のY電気さん来て、客殿の明かりのこと頼む。不動明王を拝したいというので案内。今朝護摩を焚いて、「実はヴァンフォーレのことも、祈ってるんですよ」と話すと、娘さんがサッカー好きで、「もう今夜の試合に出かけているはずだ」とも。夜、気になってデータ放送をまめにチェックして、2:1で勝った結果を確認。よかった。
護摩を焚き終えて、襦袢や白衣や衣、袈裟を風通しのよい場所に掛けたのだが、乾くまでに到らずに、檀家と老人クラブの皆さん集まって11時から客殿で彼岸の法要。20人も集まっていただき、いつになく賑やか。檀家だけで、この位の数が欲しいものではあるが、まあ無理も言えん。お茶を飲んでもらって解散。老人クラブはそれぞれ、区内の墓地の参ずる。それから、公会堂でのお昼に招待されてご馳走になる。法話をして美味しい冷たいお酒をいただいて、また汗をかいている。フラッシュを浴びているような午後の外に、庫裏で音楽聴きながら昼寝。
今朝の新聞で、ヴァンフォーレ16位に順位をひとつ上げている。でももうひとつ上に行かなくちゃね。

2007年9月21日Friday 晴れ
彼岸の赤飯。
今日の弁当は赤飯を持ってきた。彼岸に檀家のSさんとこで昨夕届けてくれた。おはぎの代わりですね。今朝も食べたし、お昼にも。でも弁当の中の赤飯は、押し込められて少し硬かったので、箸でちぎるのに苦労した。腹持ちがよすぎて、仕事が終る頃まで腹が苦労だった。
若い頃は、あまり赤飯など好まなかった。今思い返してみると、赤飯には「ごま塩」をふりかけるのが決まりで、僕はこの塩味が余り好きではなかったのだ。で、いつからか赤飯にごま塩をかけないで味わうようになり、僕は赤飯が好物になった。本当はもうひとつだけ注文をつけさせていただければ、「小豆」などの豆の入らない赤飯であればベストなんである。紅いご飯だけの赤飯が食べたいね。
そうそう、夕べテレビで「インスタントラーメンを食べさせるラーメン屋さん」を紹介してたのだが、数十種類のインスタントラーメンをお店に置いてあって、それを提供するのである。で、主人の顔が映ってよく見たら、合併前の上九一色村役場に勤めていたDさんだった。甲府市と富士河口湖町に分村合併する前に早期退職したということだった。インスタントラーメンを食べさせるお店ねぇ。二度行くかなぁってのが、僕と女房の共通した思いだった。
ネットで、こんな店があるのかと検索していたら、こんなコメントも。「福岡市内にありました。200円〜300円位だったと思います。普通にインスタントラーメンに少し味を足して食べさせてくれます。しかしすぐに潰れました。」だって。微妙...(^_^;)

2007年9月20日Thursday 晴れ
彼岸の入り。
今日も暑かった。朝忙しく彼岸の入りで、先師の墓所などを頼まれた塔婆などもって参る。毎朝彼岸花の赤が増えてくる。長い夏休みを家で過ごした娘が今夕学寮に戻るというので、出勤前に互いにさよならをする。少しアルバイトをして過ごすのだと。学校の始まりは10月1日からなのだ。
毎日飽きることがない、さまざまな世の中の動きで。飽きないというよりも、くたびれてしまうようなニュースのほうが圧倒的に多い。土俵に半身上がってしまった女性。取り組みの最中の乱入はいただけない。福岡県鞍手町で、酒気帯び運転で逮捕された小学校の教頭。飲酒運転の常習であった僕ですら、もう今は慎んでいるのに、あとをたたないなんともなお粗末。
だが僕の日常なんてものは、あくびが出るくらい淡々としたものだ。
恥ずかしいので、内容はここに書く気にはならないが、朝から気になることがあって、それを解決してしまおうと午後休んだが、見事に跳ね除けられて、汗かいただけでどん底に戻された。そうか、それでも今日は少しインパクトのあった日だったのか。
なんだか収拾のつかない文章である。僕の徒然は、時間のあるときに少し書いたりする。自宅であったり職場であったり。朝であったり、昼休みであったり、夜であったりする。それを繋いでまとめたりするのだが、今夜はひとり少なくなってちょっと寂しいので、まとまらなくってもいい。

2007年9月19日Wednesday 晴れ
なんか久しぶり。
別に太蔵君に興味を持っているわけじゃないけど、なんか久しぶり。なんだ?そうか?まだやってたのか?ってな感じね。自身のブログで(注:リンクなんかしたくないので)「最後の最後まで、じっくりと両候補者の政策主張に耳を傾け、いくら歳が若いからといっても国民を代表する政治家の一人として、投票のその瞬間まで自らの政治信条に照らし、私は一票を投じたいと思います。」なんて殊勝なこと言っちゃって。
残暑が狂わせているのか?秋田県。「秋田県は18日、天皇、皇后両陛下の訪問に関する知事名の案内状で、誤った表記のまま送付したとして、男性職員を訓告処分とした。「悪天候などの理由により」と表記すべき個所が誤って、「悪天皇…」と記されていた。」とは。
もう一丁、自民党山崎拓。「10月に(北朝鮮は)核実験をやった。あれは、私はあの、やらせてよかった」「核兵器を持っているのか持っていないのか、いろいろと憶測が乱れ飛ぶ限りでございましたが、それがはっきりした。そういう意味で良かった」とは、またネタになる。
『飲酒運転きょうから厳罰化』って、思い起こせば一年前。私は教育委員会にいる間は決して忘れません。今日の日を忘れません。心して晩酌しました。いただきものの「黄桜山廃仕込」。どなたにいただいたのか、覚えていません(申し訳ない)が、凄く旨いです。この酒。

2007年9月18日Tuesday 晴れ
鶏頭の十四五本もありぬべし。
いま鶏頭が盛りだ。この毛糸で編んだようななんともいえぬ装いの紅い花を、僕はイメージとして、暗く暗く抱いてきてしまった。正岡子規が長患いの床の中で詠んだこの歌を学校の授業で聞いてから、「正岡子規・病床・陰鬱・」などで出来上がっちまっている。四角い額縁のような景色を眺めるだけの己が日常で、「鶏頭の十四五本もありぬべし」と、「あー、また鶏頭の季節になったか、14.5本はあるのだろう」とは、なんとも想像するだけで暗鬱な気持ちになる。これがわずか36歳で去った男の、亡くなる2年前の作というから読む側もどん詰まりに陥る。率直な印象は、もう先の短い命を自覚している男の、嘆息を聞くような歌である。
僕の生活する所では、鶏頭の咲いている場所は墓地の一角になる。先のイメージと重なって、「墓地にある花」という印象がある。茎が太くて、がっしりと踏ん張っているので、その花言葉「色あせぬ恋」「おしゃれ」なんかは、あまりしっくりとこない。正岡子規も布団かぶって、「ムッ」とするのではないだろうか。でも、秋の青空にはその深紅は、ピッタリはまる。
今日も甲府では35度を越えた暑さで、同僚は「来年はもっと暑い夏らしいでよ」なんて。一体どうなっちまうんだ。暑さ寒さも彼岸までって、せめて暑さもほどほどの彼岸であって欲しいな。

2007年9月15日Saturday くもり晴れ
結局一日どこにも出られずに。
彼岸を前にして墓地の草刈をしなければいけなかった。朝小雨の中を刈り始めて昼前には暑くなって、お昼休みの後2時半から最後の仕上げと掃除。なんとかきれいになった。別にどこかに出かけたい訳でもないが、なんだか今夜は無性に、この草刈りが「どんだけー」と思えちまってるだ。
彼岸の塔婆も6本書く。明日の午前中には、群馬のKさんご夫妻来山。さっきは、甲府のSさんから護摩祈願の依頼あり。アクアブルー3本で、どんど疲れ酔い状態だ。ホント「どんだけー」って言い得て妙。

2007年9月14日Friday 晴れ
「どんど晴れ」もあと13回だ。
見始めると止められなくなってくるんだな。明日の土曜と、来週再来週で終わり。終局に来て加賀美屋の存続に暗雲立ち込めているのだ。伸一ぼっちゃまのビジネス・パートナーなる秋山さんに、旨く騙されてしまった。でも、秋山さんを演じる石原良純さんは、なんといっても現実には都知事のご子息ですからね。悪者のままじゃ終れません。夏美ちゃんに見つめられたら、悪者も改心します。夏美ちゃんは「座敷童」だからね。
天候が定まらないようだけれど、シルバーのお二人今朝来てくれて3日目。今日でオシマイ。後を頼むこと、礼を言って出勤。うーん、帰ってきたら、草刈りまでしてくれてあって大感激。涙、なみだです。
沢田研二をクルマで。「時の過ぎゆくままに」。記憶が確かなら、この歌が出てくる思い出がある。阿佐ヶ谷のN藤くんの三畳間に行った時。アパートのどこかの部屋から、この唄を歌っているのが聞こえてきた。「♪からだの傷なら治せるけれど、心の痛手は癒せはしない♬」なんて、ギター爪弾きながら哀愁漂う声だったな。ただそれだけのことなんだけど、何故かこの歌聴くと思い出す。先日テレビで見た元一風堂の土屋昌巳氏も、ジュリーがアイドルだったんだって。「楽屋訪ねたら、本物のおしん(田中裕子)が、お茶入れてくれたんだよー」なんて。僕もジュリー好きだなぁ。ヒット曲はだいたい歌えてしまうな。レコードも何枚も持っているしな。クルマの中は、気兼ねなく声張り上げられるから、しばらくはジュリーかなぁ。天下御免のカラオケ・ルームだもんなぁ。
すんげぇ!!!!「Joe Zawinul Syndicate The 75th Birthday Show Estival Jazz Piazza Della Riforma Lugano, Switzerland July 7, 2007」をDLして、今夜はこれからお楽しみだ。

2007年9月13日Thursday 晴れ
「どんど晴れ」を最後まで見られなかったじゃねぇか。
あなたのお粗末なていたらくのおかげで、朝のお楽しみの「どんど晴れ」が15分遅れだったので、途中で止めなけりゃいけなかったんだよ、ったくもう。
「新たな総理の下で、テロとの戦いを継続していく」なんて、およそこの国の何人がそんなことを火急の課題として考えているのでしょう?頭ひねってしまうわ。安倍ちゃん、ホントこれっておかしいよ。
昨日のウォーキングで撮った空は、まさに秋を思わせる空でした。朝の大降りの雨が上がり、深い青の空が天上に広がり、雲の描く機微をおもんぱかって眺めていました。人生には、上り坂・下り坂と“まさか”があるということをどこかで拾いましたが、午後の仕事が始まった直後に、「安倍さん辞めるんですねぇ」とは同僚のKちゃんの情報で、これが刹那に湧いた“まさか”なのでした。僕は、僕のスズメバチに刺された9.11を思い出しながら、「明日スズメバチの巣を取ろう」と9月11日夜考えたのでした。あなたの巡らす国家や地球的規模の思いとは、比較にならないちっちゃな僕の決意ですけどね。でも、あなたもニューヨークの9.11に思いを馳せながら、傍らにアッキーとHäagen-Dazsがあって、飲めないあなたは、アイスクリームすくいながら、「アッキー、もう僕疲れちゃったよ」なんて、甘えた愚痴こぼしたんでしょうね。民主党の小沢さんも呆れてました。自民党のピンクスーツの井脇ノブ子さんは、腰が抜けてへたりこんじまいました。あなたを擁護する弁も聞こえてきて、「なんだ、朝青龍と一緒かよ!」って正直思っちゃいましたよ。まっ、このくらいで止めましょう。実はそんなに関心はありません。
ジョー・ザビヌルが亡くなった新聞の小さな記事のほうが、どちらかというと僕の関心を引きました。だいぶ後になってから、僕はマイルス(Electricなやつね)や、ウェザー・リポートや、最近のザウィヌル・シンジケートなんかも聞いていた。時代は30年以上も遡るけれど、けっして褪せない音がある。「ジョー・ザビヌルは1932年7月7日に地上に生まれ、2007年9月11日に永遠のものに生まれ変わった」とは、息子エリク・ザビヌルの弁。

2007年9月12日Wednesday 晴れ
安倍晋三が辞すとした夜に、こんなことは取るに足らないことであるかもしれないが。
昨日は、アメリカ同時多発テロ事件から6年が経ったが、もうひとつ気付いてしまったのだ。実は2004.9.11に、僕はスズメバチに刺された。そして一晩だけだが、飯富病院に入院した。僕の忘れられない「9.11」があった。土曜日の夕方に事件が起きて日曜に午前中に退院した。町が合併する前日であった。喜田の姉さんは、僕が入院しているとも知らず、早朝にケータイに電話をしてきた。(明日の朝からの合併した町のための準備をしなければならないということで)。
昨日は、テロによる犠牲者の鎮魂のために、宿直から帰って本堂のお勤めを少し長くして太鼓をしばらく打った。忘れないように6年間打ち続けてきた。
仕事を終えて夕方家に戻ったら女房が、「蜂が巣を作っているようだ」と、土蔵の軒先を指した。外に出て薄暗い土蔵の壁を見上げると、土蔵から出ているトタンの軒下に、もう既に20センチ×20センチほどのスズメバチの巣ができあがっていた。まだまだこれから大きくなる。これは早いとこ取ってしまわなければ、危なくてかなわないと感じた。それで今朝出勤して、通称「ハチガード」を借りた。町が合併する前の何年か保健衛生の仕事をしていたときに、スズメバチの巣の駆除に何度も出向いたことがあった。だが、これを借りて駆除することに、僕自身は慣れてはいたが、僕の“9.11”は尻込みをさせたし、女房も消極的であった。実は、9.11に刺されたときに、アナフィラキシーショックにより、医師より「次回刺されたときには」、『命を賭す覚悟であれ』と言い渡されていたのだ。意識が遠のいていき、血圧が極度に下がり、呼吸が苦しくなった状況を今でもすぐに思い出せる。女房が必死で僕を呼んだことなども。笑い話のようになるが、その状況は僕ら夫婦と、医師と看護師しか知らない。全身が斑模様の蛇男のようになった。自分の体の恐ろしい変化に、笑えない恐ろしさを思い知らされたものだ。苦しい一夜が去ったら、これまた恐ろしいくらいヘーチャラで、夕方には草刈りもしてビールも飲んだのだった。女房は呆れて、心の内にある既婚届けを出す気にもなれなかったと。
今夜は無事に駆除。何年かぶりで着たので、思惑通りにはいかなかった。先ず、汗でメガネがずり下がってしまって、ヘルメットの内側の出来事を修正することができなかったので、自分のしていることをはっきりと確認することができなかった。巣を丸ごと取ってということもできなくて、軒下から削ぎ落としてしまったので、余計蜂が暴れた。動揺はなく、これを着ていることの安全性は十分に分かっていたので、スプレーを吹いて追い払いながら、ゴミ袋に巣を収納してオシマイ。
デジカメにおさめようと思って意気込んだけれども、なかなかうまくはいかないもの。終わってから娘にその姿を撮ってもらった。蜂の子を食す気分にはなれずこれでリポートは本当にオシマイ。

2007年9月11日Tuesday 晴れ
採用試験の結果、どんなんでしょう。
「今日、役場職員採用試験の第1次の発表の日なんですが、何時頃わかりますか?」と、ちょうど7時を回った頃に電話がかかってきた。ロビーで新聞を読んでいたのだが、この情報は宿直にはあらかじめ知らされていなくて、「8時半にもう一度総務課へ問合せ願いたい」と返事できないこと謝って伝えた。
役場も、去年と今年で3名しか採用していない。来年度についてもおそらく“若干名”とは、この位なものだろう。幾分景気も上向きになり、就職も状況が改善されてきているというような声も聞くが、底辺公務員の世界は今がどん底冷えである。町村合併による職員の削減が急務であり、採用は手控える傾向にある。今朝の電話の彼も、役場に採用になれば、こんな親孝行なことはないと考えているのかもしれない。矢も盾もたまらずに、朝7時の電話になったのであろう。
かく言う僕も御多分に洩れず、大学4年生の子を持つ親なのではある。だが、息子は就職を見送りたいという。分不相応にも思えるが、もう少し学生を続けたいというのだ。就職難の時代に、4年で学業を終えて就職する者と、2年位遅れて就職する者とでは、必ずしもそれが有利になるとは思わないし、どちらかといえば不利に働くことのほうが多くを占めるのではないか。息子も「それはわかっている」と言う。
今朝の彼にしてみても、我が息子にしてみても、それなりに真剣に考えていることはよく分かる。恥ずかしいが、僕がこの逃げられない事柄を、あまり真剣には考えなかった。その成れの果てがこの様(ざま)である。
もう既に今朝の彼には結果は伝わっているのだろうが、よい結果であったらよかったのにと思う。

2007年9月10日Monday
草を刈りながら漠として考えていた。
50になって、もうすぐその一年も過ぎようとしている。50代になっても特別に心境の変化はなかったし、生きている僕自身の生活も何も変わってはいない。40代、30代の頃とそう変わりはない。目の衰えが進むこと、メタボリックな腹になっていることなど、外見上や肉体的な年輪からくる衰えは否めようがない。ただ、思考や様々な思いには衰えも変化もないように感じている。
年齢や時間の区切りで生活を刻んでいないことではないかと思った。寺に居る生活には年齢は関係なく、主任や係長や課長のランクがないので、その時々に求められるような心や気持ちの変化は必要ない。寺に居て、僧侶として在る時間が淡々と流れているだけだ。大きな変化はなく、永遠運動でもしているように、経をあげ仏と対峙している。これに到達点はない。だから40代であろうが、50代になろうが、ことさらにそれを強く思い込む必要もなく、在るがままの自分でいられるのではないかと考えた。
雨になった月曜の朝。シルバー人材センターで、松と梅の剪定に来てくれることになっているが、恐らく今日は休みだろう。僕は思いのほかに草が伸びているこの夏に、昨日も早朝から爆音の中に居て、これは30代というわけにはいかなくて、かなり疲れが残ってまいっている。雨の冷たい朝が沁みるように気持ちよく感じる。

2007年9月7日Friday くもり
ここは何もなく通り過ぎる。
台風は何の爪あとも残さずにここを通り過ぎた。夏が来る前に一度台風が来たことがあったが、そのときも今回と同じだった。風も吹かず、大量の雨が降るでもなく、今ここに居て台風が来ているということを体験している状況と、テレビで刻々と切々と伝えられる状況とのギャップがそれほどに激しいのだ。まるでここだけが台風のときは洞穴に隠れてでもしまっているような感じ。
少しの雨が残ってはいるが、墓地も本堂や庫裏の周りもまったく問題なし。せっかく開いたリコリスが何輪かうな垂れてしまったことくらいがザンネン。池や沢から押し出されたザリガニや沢蟹が彷徨っているくらい。早く戻らねば、やがてやってくる暑い日差しが容赦なく身体を焼いてしまうぞ。物干し棹に残っている雨粒の輝き。盛りを過ぎた大ケヤキのミドリ葉のカサカサというそよぎ。天国への扉をノックする。♪KNOCK,KNOCK,KNOCKIN'ON HEAVEN'S DOOR♪。
蝉もまた鳴きはじめている朝。台風がひとつ過ぎて、秋がまた少し水かさを増したような気がする朝。

2007年9月5日Wednesday くもり
夜になって雨。
松本からの団体参拝があったので午後は休みを取ったのだが、そこまでしなくてもよかったような。でも、少しのんびりとしたかったというのがホンネ。夕方から雨。午後10時前。雨は足音を立てたり、静かになったり、落ち着かない。虫の鳴き声も聞こえている。JERRY GARCIA BANDを聴いている。
ソフトボールがあったのだが、雨で流れた。それで、夕飯時を「阿弥陀堂だより」見る。ちょうどよかった。何度見てもいい。テレビ画面が大きくなったので、今夜は以前より風景がきれいだった。阿弥陀堂のようなお堂ではないようだけれど、小屋を一色の集落の中に見つけている。少し道から離れているのだが、いつかちょっと行ってみたい気がしている。というか、必ず行くと決めているのだが、なかなかね。
もう1本今夜はこれから「かもめ食堂」を見る。お盆の頃の朝見たんだけど、終盤からだったので、今夜は眠気追い払って見なければ。小林聡美、片桐はいり、もたいまさこの三人が絶妙でした。
正月の3日に亡くなったWさんから電話があった。12月1日に一周忌をしたいと。もうそんなことを予定する時期になったのか。一年を暮らすということは、様々な習慣やしきたりを行いながら過ごすと、先を先を見て過ごすので、余計早足で過ぎていくように思える。今夜の雨は冷たさが心地よい。

2007年9月4日Tuesday 晴れ
玉置浩二new album「惑星」インタビューから。
昨日のサンニチに、玉置浩二のインタビュー記事が載っていた。新しいalbumのコンセプトなど語られていて、最後に以下のようなコメントがあった。
「戦争に反対の立場にあることを、歌に入れたかった」、「多くの人は『戦争はよくない』と思っていても、別に反対運動もせず、世論に流されてしまう。一人一人の個人が動かないと、世の中は変わらないと思う」と。
彼の歌を聴くことはほとんどないが、こういうコメントを出していることを評価したいと思う。彼のようなメジャーな音楽家が、新聞紙上や公のインタビューで発言することに大きな意味がある。また、彼の発言や生き方・思想に触発されるファンは国内で相当数に上がるだろう。これからの世の中の動きをじっくりと眺めていく大事な時に、玉置浩二の発言はとても重要である。
アーティストが積極的に、例えば反戦の発言をしていくことは、逆の言葉であったとしても、良くも悪くも牽引となる。玉置浩二のこの言葉への責任の永遠なることを願うと共に、彼のファンがこれに賛同することをも願いたいものである。

2007年9月3日Monday 晴れ
おそまつ君。
一週間で農水大臣の椅子からこけた遠藤武彦君。安倍君の問診に嘘をついたのがばれてしまったな。なんつっても初入閣だもんな、やっぱり自分が可愛いし、家族にも晴れ姿見せたいしな。何のために国会議員になったって、いつかは大臣になるためだもんな。少しは後ろめたい所があったって、問診には「白です」と答えるよな。安倍君の子飼いの番頭連の情報収集が甘かったな。
民主党だって、横峯パパなんかをどうして候補者に選定したのか、アホな国民ばかりじゃないから、反ってこれが識者の反発を買うってこともあるからな。今は正攻法が訴える時期ではないかなと思います。
夜の風が冷たくなってきて、夕べはさすがに網戸だけでは寒くて、窓を閉めて寝ました。
「シカよけ特効薬はライオンの糞」なんて記事を、職場では真剣に話したりしたんである。『日本の野生のシカが、見たこともないライオンの糞を避ける理由について、松原准教授は「恐らく、シカとライオンの先祖が出合っていて、シカは身を守るために避けようとするDNAが組み込まれているのではないか」と指摘する。』って、ほんとかなぁ?なんて思ったり、ライオンの糞で鹿除けになりゃ、こんなにいいことはないよな。でもその前に、できれば、サルとイノシシの特効薬が欲しいけどな。なんの糞がいいのでしょう。

2007年9月2日Sunday 晴れ
護符。
看護師の孫が医療支援のために、来週から一年間カンボジアへ行くので、お不動様に祈願をして、私にはどうしていいかわからないので、持っていられるお札を作ってほしいとの依頼を受けた。彼女の事を聞いて護符を作った。
地区の防災訓練が7時からあって、終わってから本堂で護摩を焚いて祈願をした。護符にもお不動様のお力をいただいた。今週いっぱい祈願をして、来週の土曜日におばあさんに渡そうと思う。一年もの長きを、カンボジアという見ず知らずの地に赴く孫娘を案じるおばあちゃんの気持ちは十分に伝わった。支援のグループに参加する気持ちの尊さもわかるし、不安に思う家族の気持ちもわかる。檀家ではないが、お不動様にすがるという気持ちを持つのは、この地区に住む者たちには、極々当たり前のことであったのだ。真言宗でも日蓮宗でもない、宗派を超えた不動信仰がある。そして、お不動様のあるこの地に在ることを誇らしく思ってくれている。ありがたいことである。こういう橋渡し役ができることを僕も誇らしく思う。

2007年8月31日Friday くもり
平穏な未来を残してあげたいと思うのだ。 夕べは娘の同級生が俄か喫茶「大聖寺」に集った。6人の女の子たちが、久しぶりに顔を合わせてにぎやかに楽しそうな声が聞こえた。高校を卒業し、専門学校や大学へ進学した者。また就職して既に社会人として働き始めている者も。小規模校で、同級生の数も極々少なかったので、互いを思いやる気持ちは深いのかもしれない。これから先は、少しずつそれぞれの進む方向が違ってくるかもしれないが、会えるうちはこうして機会のある毎に集まるといいと思う。
世界中を眺めれば、その国のおかれた状況は万別ではあるが、僕としては、子どもたちの未来に平穏な世の中を残してあげたいと思う。ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されて迎えた終戦から62年が過ぎ、人間の“いけない虫”がまたぞろ騒ぎ出してきたかのような。
十善戒の初めに「不殺生戒」が置かれている。釈尊の言葉を集めたダンマ・パタという原始仏教経典の中に、「一切の者は刀杖(武器)を恐れ、一切の者は死を恐る。己が身に思いくらべて、殺すなかれ、殺さしむなかれ」とある。仏教はここに始まりがある。
今この国が世界に示すことは、自衛隊を戦闘地に送り込むような支援ではなく、仏教徒として多くの先祖から伝えられた精神と、戦争放棄や戦力を持たないことをうたった憲法第9条を、改めて世界に示すべきである。この真実は、道を作ったり、水道を引いたりすることのように、形としてすぐに現れはしないが、一適の水が大河を成しうるように、やがてじわじわと世界の人々の心に染みてくること間違いなしと思うのだ。
今朝は少し雨があった。10時のお茶の時間に「今日は熱いのにしました」と、Kちゃんが淹れてくれたのはホット・コーヒー。雨が上がり、靄が山の稜線を流れていく景色と、この熱い飲み物が喉を落ちていくとき、確かな秋のはじまりを感じていた。これが平穏であるということだ。

2007年8月30日Thursday くもり
中部横断道の効果か。 松本の古寺巡礼グループが甲斐百八霊場巡りの10回目を、97番から103番まで回るということで、うちにも挨拶状が届いた。ご朱印の用紙も25枚同封されていた。今朝出勤前に書き始めたら途中で止められなくなって、出勤が慌ただしかった。それでも、涼しい風が入る部屋で、静かに書くということに没頭できる時間はありがたい。
同封されていた旅程表を見ると、最初の寺の慈観寺が8:55になっている。増穂まで高速道が延びたので、十分にこの効果が現れているようだ。長野から身延は近くなった気がする。「風林火山」ブームも温熱効果となっているのか。平日ではあるが、その時間寺に居られるようにしたいとは思うが。
参議院選挙が終って、新たな組閣なって、勝っても負けてもほっと一息なのか、連日国会議員のスキャンダル報道がにぎやかだ。せこくて嫌味な人種のるつぼのような国会は滑稽。御簾の内外は住む世界に大きな隔たりがある。
山口小夜子さんも亡くなりましたね。特段の関心があったわけではないけれど、ひとつだけ。1977年発売のスティーリー・ダンの「彩(エイジャ)aja」というアルバムのジャケットに彼女の幻想的な写真が使われて、かなり話題に上ったアルバムだった。当然レコードは持っている。音楽もとてもおしゃれでよかった。ジャケットに惹かれて買った人も多かったはず。もう一度聞いてみたいアルバムではあるな

2007年8月28日Tuesday 晴れ
鉄の塊を投げる。 まったくなぁ、それがなんだってんだ?って思わないでもないが、「世界陸上2007大阪」を見てるわけですよ。特に投擲競技ね。砲丸投げ。男子は7.260kgの鉄の球を投げる。ハンマー投げは同じ重さの玉にワイヤーがついているものを振り回して遠くへ飛ばす。まあ、単純な競技といえばそれまで。重量挙げだとか、この投擲なんかが、とても原点のようでいいな。夕べのハンマー投げ。室伏が出ていた。大男たちが最後に8人残って、力比べだ。80メートルを越えて、10センチや15センチに、一喜一憂する。お腹の出ている人のよさそうな選手が多い。鉄の塊を放り投げるのだから、どこでも練習ができるというわけにもいかないだろう。ランナーのように、どこでも走るって訳にもいかず、これは長距離ランナーの孤独なんてものじゃないかもな。どすんと大地をくぼませて、たたかい済んだそのあとに、「玉2個分俺が勝ったな、ラーメンおごれよ」、「明日は、俺がハーゲンダッツのコーン・ダブルいただくぜ」って、そんな会話が聞こえてきそうな映像だったな。そういえば、表彰式のシーンはまだ一度も見ていない。見ていないから、この大会が比較的新鮮に見えているのかも。でこぼこの台に上がって、メダルをかけてもらう場面には、あんまり興味が湧かない。大相撲だって、表彰式には興味が無い。朝青龍の睨みに、こちらも睨み返しているなんて事が楽しいんだ。モンゴルの草原で頭空っぽにして、そんでまた帰っておいで。金を稼ぐことはできてもねぇ、失うものも多いのよ、気がつかないうちに減ってしまってるもんだ。恐ろしい国だぜ。油断のならない国だぜ。目を良く開いて生きていくのが賢明だ。

2007年8月27日Monday 晴れ
八月最終週。 地区の小中学校は今日から2学期。中学生がバスに乗るために走っていく姿、小学生の列が通る。
昨日も酷暑日であったが、法事には大阪、山梨、栃木からと、遠路着ていただいた方も。土曜に下部温泉や甲府のホテルに泊まった方も居られたようであった。大阪に住んでいても、ここを先祖と、また自分たちの行く末の地として覚悟して、敬っていただいていることに感謝。坊主の僕などがここに入り込む余地のないことが分かった。たかだか、祖父と父と僕で百年足らず。檀家の皆さんには、それ以上に先祖から連綿と続いてきた家の歴史があったのだ。僕は今までこれを思うことがなかった。恥ずかしいと思う一方、彼らのためにも、寺を訪れることを楽しみにしていただけるような雰囲気づくりに努めなければならない。

2007年8月25日Saturday 晴れ
掃除掃除で一日。 明日法事がある。庫裏と客殿裏の掃除。今日も酷く暑かったが、日中だけ休んで午前と午後。雑木の枝おろしや植栽の刈り込み、草刈りなど。手がつけられないのか?否、手をつけたくないのだろう。そんな気持ちが見えないところは後回しになっていた。大阪高槻のSさんの法事はいい機会になった。これでよし。アクエリアス500ml3本飲み干す。飲んだあと水で薄めて冷やしたりもしたから、2リットルくらいは腹に収まったか。とにかく飲まなきゃ続けられない。
N君から近況報告と、ドラマー富樫さんを悼むmailが届いた。雑木を炊きながら、昇る煙で僕なりの送りをした。作業の間中、J.J.Spiritsをかけていた。不慮の事故による障害を克服しながらも、最後にはスティックを置かざるを得ないことになるとは、富樫氏自身も予想だにしていなかったのではないだろうか。富樫さんも8月の死者になってしまった。

2007年8月23日Thursday くもり
もう何度あなたに頭を割られたことか。 やっと今日は、30度を下回ったそうである。夜も涼しい。処暑。外には秋の虫が鳴き始めた。静かで、音楽も流れていない。
「さて、どちらへ行かう 風が吹く」(山頭火)なんて、悠長に迷っていられないような、脳天にくさびを打ち込まれる感じのその筋よりのお達しあり。ついては、本人に覚られないように事を運ぶべし。火曜日までにもってこい。出せませんなんて決して発せないのである。誤字脱字切痔疣痔の無いように、もういちど読み直して、パンツに出血していないか確認しなさいと。あたしゃ、人心を読めるような人間ではありません。もう何度も、突然背後から大鉈振るわれているので、幾分慣れっこになった気がしないでもないのですが、今日のこれは、忘れた頃にやってきたジェイソンの奇襲のようでした。がんばります。でも、いつか、なぜこのようなことになっているのか、この旧いシステムのこと、つまびらかにしておくんなまし。
なんて呑気なことを書いていたのだが、年に1・2度CDを買うことのあるBarBer Fujiからのメールに、詳細は分かりませんが、富樫雅彦さんが亡くなったそうですとあった。去年買った氏のトリオの「ライブ・アット・ケルン」は、2002年3月に富士市のケルンというお店でのLiveなのだが、この日共演したのが、山下洋輔(p)と水谷浩章(b)であった。山下さんのライナーに「この二枚組みCDは富樫雅彦がプレイヤーとして残した最後のライブの音だ。」とある。この直後から、富樫さんは車椅子でのプレイをすることができなくなり、主に作曲などをしていたらしいのだ。僕の手元には、このアルバムのほかに、J.J.SPIRITSが4枚ある。多くをじっくりと聞いてきたわけではないが、この国のジャズをリードしてきたのは確かである。きっと明日には、どこかで富樫さんの訃報の詳細を見ることができるだろう。ケルンでの最後の演奏を聞きながら、冥福を祈りたい。
(22:42) いろいろ検索かけて、「ウィキペディア」に行ったら、「2007年8月22日、心不全のため神奈川県内の自宅で死去。享年67歳。」と、過去帖にでも書き込まれたようにすでに載っていた。

2007年8月22日Wednesday 晴れ
NEIL YOUNGの新作が出る。 NEIL YOUNGがニュー・アルバム『CHROME DREAMS II』を10月にリリースという記事を発見。「1977年に制作したものの未発表に終わったアルバム『Chrome Dreams』の名を冠した本作は、クレイジー・ホースのラルフ・モリーナやベン・キースら、お馴染みのメンバーを伴って録音」とある。
ネットで検索していったNEIL YOUNG NEWSには、新譜は10月16日releaseで、10月13日から7週間のtourをすること、9月9日のFarm Aidと10月27〜28日のBridge School Benefit Concertに出演すること、それから2008年には、過去の音源による8枚のCDと3枚のDVD、それに160ページの本の入ったBOX SETを出すなんてことが書かれていた。(Yahoo!翻訳でなんとなく理解してしまうのよ)。うー(^_^)/~楽しみだなぁ。
もうひとつ、ほーっとうなっちまった記事。華厳宗別格本山:新薬師寺のごたごた。「賃金未払い巡り、副住職が父の貫主訴える」と。月給60万円の一年分の未払い720万円を要求したそうだ。年収がこれだけあればいいよなぁ。62歳と90歳の悶着。老いてもこんな風に、執着してしまうのかなぁ。本尊の薬師如来も知らん振りだ。

2007年8月21日Tuesday 晴れ
この夏は地デジにどっぷり。 盆中も大きな画面で、居ながらにしてNHKスペシャル「生中継 京都 五山送り火」も堪能。午後8時点火の東山如意ヶ嶽の大文字、それから10分後に、松ヶ崎西山、東山の「妙」「法」に点火。8時15分に西賀茂船山の舟形と大北山の左大文字に点火。8時20分に嵯峨鳥居本曼荼羅山の鳥居形。盆の送り火を、女房と居間の灯りを消して、僕はビール飲みながら、「この夏はテレビを買ってよかったなぁ」と話しながら楽しんだ。それから、愛知県豊川市・進雄(すさのお)神社例大祭での手筒花火祭り。これは、また大変に勇壮であった。夜空に花開く華やかさとは無縁だが、火を大切にしてきた思いの原点を見るようであった。それから、夢の美術館「うるわしのアジア 仏の美100選」(前後編)も見ごたえがあった。
昨日は最後の夏休みを取って、娘が処分をしたいものがあるというので、僕もこれから先、聴くことは無いだろうCDを選んだ。万代書店へ初めて持ち込んだ。ここは一回行ったことがあったが、中で迷子になりそうなくらい。衣類はもちろんだが、履き古した靴までも並んでいる。現代っ子たちの夏休みは、冷房の効いた何でもありのここで、マンガ読んだり、ゲームしたり、腹が減ればスナック菓子を買って食えばいい。こっちも眺め始めたら、なかなか帰れなくなっちまった。
午前と午後で、竹林の若竹の刈り払い。竹も、いのちを残すために、刈られれば刈られるだけ、時期を延ばしてまでも抵抗してくる。こんなに暑い盛りになってまで、竹を刈らなければ成長してしまいそうな状況に草刈機を振るったことはない。
終業後、支所と一緒の飲み会。生ビールと焼酎。最近はカラオケとはとんと縁がない。歌えないかもしれないと思いながら、今、聴きに行きたいとは思わない上田正樹「悲しい色やね」を頼んでしまう。今の僕は歌うことは経を唱えること以上に自信がなく恥ずかしい。

2007年8月17日Friday 晴れ
護持会。 午後2時からの護持会なので、地元の檀家の皆さん熱風の中をお寺に。寺の中も暑いことは暑い。暑すぎて、何故か皆さん早めにお出でになる。こっちは、白衣に紫の素絹まとって読経はじめたら、出るわ出るわの玉の汗(^_^;)。手の甲から、顔面から汗が噴出してくる。法要終えて、総会。いつものようにシャンシャンと終って直会。きりりと冷えたビールで喉潤して、あとは皆と焼酎。サル・イノシシ・シカ・クマの話を肴に飲む。15日に町内でクマに襲われた老人の話。命に別状は無かったようではあるが、出会い頭とはいえ、熊も暑さに相当頭の中がヒートアップしてたんだろうな。熱を飲んでいるような連日である。会が終ったあとに30分ほどの通り雨。盆のものすべて片付けて、寺はまたいつものように静になった。秋の彼岸までしばらくの沈黙。

2007年8月16日Thursday 晴れ
盆を送る。 また来年だ。猛暑が続く盆を送る。夕べの宿直は12時になる頃から、落雷と激しい雨に見舞われた。施錠をして電気の消えた庁舎の職員通用口を監視するモニターが、稲光で、何度も何度も閃光弾のように叩く雨の外を映した。数日前から読み始めていた宮本輝の小説を、途中で閉じることができなくなって、午前1時過ぎまでに読み終えた。どきどきと続いた胸の興奮が、小説の読了とあわせて静かに収まると、外の激しい雨もいつのまにか静かになっていた。
戦後62年が過ぎ、戦(いくさ)を好む虫たちがもぞもぞと動き始めている。何が良識であるのかは、個々がきちっと判断するべきであると思う。僕はその判断の正しからんことを神仏に祈りつづける。
午後からは護持会がある。3名が今年新たに過去帖へ加わった。永遠にそこから消えることはないのである。戦争で亡くなる者の死など、寺の住職として僕は書き記したいとは決して思わない。(朝記す)

2007年8月15日Wednesday 晴れ
昨日は150キロ走行。 土日とのんびりと盆前の準備をして、13日の午後から集落内の檀家の棚経。新盆が2軒。1軒はご主人が亡くなったので、残された奥さん独りになってしまった。盆休みで息子さんが帰ってきて、手が回らなくなった畑の延び放題の草を、炎天の元、13日の午後も刈っていた。こんな光景は多いのだ。寺の畑も然り。僕は畑に作付けしたいなんて気持ちにはまだとてもなれない。
連日の猛暑である。13日の午後も、歩いているのは坊主ぐらい。外に出る人なんかいない。昼寝の時間を邪魔するように、「ごめんなさいね、ごめんなさいね」と「そのままでいいですよ」と、棚経に歩いたのである。麦茶、ビールの接待で、いっとき喉は潤うが、外に出れば玉のような汗が吹きだしてくる。腹・背中・腕を汗が伝い、白衣は乾湿の繰り返し。寺の隣りの角屋のおじさんの新盆の経で最後を締める。終った後ゆっくりとビールをご馳走になる。檀家の人たちともゆっくりと話す機会なんてそんなにはないのだ。おじさんも縁取られた写真の人になってしまい、去年と今年の盆の違いはこんなところにあったのだと、勝手に納得してみたり。
昨日は7時40分発で、富士ヶ嶺から。本栖湖に出ると雲の間に富士山。気温は22度。おそらく日中でも、7度くらいは違うんじゃないだろうか。2件目に訊ねたMさんは、「盆中は家に居て、他所には行かないよ、ここに居たら動きたくなくなる」と。朝の風が吹き抜ける居間は、僕でさえ下界に戻りたくない気持ちになる。冷たさと心地よさを増してくれる風だ。精進湖から市川へ下り1軒。そこから甲府へ。或る檀家宅。きのうは車の移動だから、エアコンで汗なんてほとんどかかなかった。で、水分は下腹部に溜まって小便となる。トイレを借りた。なんと、ドアを開けたとたんに、便器の蓋が持ち上がるんである。TOTOもやってくれますなあ。ウォシュレットの便器は、外国でも大人気らしいな。そのうち、ズボンも自動で下げてくれるようになるかも。2時近くに家に戻り、お茶漬けをどんぶり1.5杯食べて、というか食欲の失せた腹に流し込んで、飯富・下山・後山へ。牛飼いのEさんは、この春に牛飼いをやめた。牛乳を出荷していたトラックやもちろん牛も手放して、奥さんと2人では十分な軽乗用車が庭に停めてあった。2軒3人が住む後山。ここも10年先は無いのかもしれない。Eさんとこでは、当たり前のようにゆっくりとビールをいただいて、話をしてくるのが常だったが、それもご時勢で封印。4時半頃にすべて終了で、盆の棚経終了。走行距離が150キロ。
シャワーを浴びて缶ビール飲みながらBucketheadのDVD観る。派手なステージではないが、なんかちょっと面白い。見ちまった。夜は村の盆のカラオケ大会。ここの所僕は、もう棚経疲れで、夜は元気が出ない。飲んでダウン。
それで今夜は勤めの後の宿直。明日、護持会の総会が終れば夏の仕事もオシマイ。

2007年8月10日Friday 晴れ
ガソリン。 値上げが続いている。残量が少ないランプがつき始めていたので、今朝6時過ぎにスタンドに行ってきた。さすがに早朝で僕のクルマしかなかった。1万円入金してちょうど50?入った。カードなので143円。2円安いのかもしれない。価格表示を見落としたのだ。多分2円安い。宇佐美は通常価格も他店よりは安いので、このスタンドの出店は随分と助かっている。夏場でエアコンも使うし、燃料の消費は進む。4100円の通勤旅費なんてとても間に合わない。盆の棚経で回れば、またガソリンを補給しなければならないだろう。でもなあ、これが200円になったところで、クルマ使わないってわけにもいかないしなぁ。
今日も暑いぞ。夕べは寝苦しすぎて、網戸の傍に身体を横たえたが、夜の静寂は無関心の無風状態。オマケに4時過ぎにはもう蝉がかなりはハイテンションで鳴き始めた。
午前中、身延学講座の来山がある。良い話ができればいいが。
(23:11)「みのぶ学講座」への参加者ご一行、9名来寺。生涯学習関係の事業なので、職免で寺にて待つが、結局11時を回ってからになる。隣りの民俗資料館がかなり盛り上がって時間超過したようである。寺の方は45分程度で終るが、もうお昼になってしまった。父の旧制中学の同級生のA先生も参加されていた。不動尊の江戸出開帳について、資料をもって説明する。大方好評のようでお帰りいただいた。今日はこの夏一番の暑さのように感じたが。午後から仕事に出かけるのが少し億劫であった。

2007年8月9日Thursday 晴れ
狂い咲き2007。岡林信康。 日比谷野音に岡林信康が35年ぶりに立つらしい。「狂い咲き2007」がタイトル。今このニュースを知って、行ってみたいとも思わないが、岡林のコンサートに行った思い出が一度ある。渋谷公会堂だったような気もするが定かではない。OSAMUチャンと、“ぴあ”かなんかで招待券を貰ったので二人で出かけた。この頃はもう岡林もだいぶ低迷していた時期で、会場には50人も入っていなかった。実は、僕もOSAMUチャンも、途中で聞くに堪えられずに出てきてしまったという、悲惨な思い出がある。
いま、また静かなフォークブームが到来しているが、岡林を再びという思いは僕の中には起きてこない。彼の初期の歌が、余りにもメッセージ性が強く、歌うに耐えられないのかもしれない。大学時代に少し被差別部落の研究会にも属したり、今もぶらくもんだいのほんを書店で見かけたりすると買うこともあるのだが、「手紙」を歌いたいとも聞いてみたいとも思わない。差別ということばは、部落問題以外にも、現代では少数派に対する偏見にも使われることが多い。今の僕は、これらのことは、僕の気持ちの中側で理解をすることを選ぶ。何故かと問われても答えられない。岡林は、これらの歌を71年の日比谷野音「狂い咲きコンサート」の時のように歌うのだろうか。岡林の歌は両極端で、彼が歌う以外に僕が口ずさめるようなものが見つからない。僕自身が余り攻撃的ではなくなった。積極的に政治に参加することにも興味がない。戦争にも原発にも反対ではあっても、運動の中に身を投じたいとは思わない。こんなことですかねえ。

2007年8月8日Wednesday 晴れ
立秋。 暦はもう秋を告げたが、いよいよ暑いといった数日だ。夏休み中に行っている町内教職員の地域研修。大聖寺へも予定に組み込まれていた。先ず下山の龍雲寺を拝観。ご住職の話しなれた法話をいただく。禅寺の趣きいっぱいにある。内も外も。元は真言宗の寺であったと聞く。華美な装飾を廃した堂内も僕は気に入った。人それぞれの好みもあるだろうが、僕はこのような雰囲気が好きだ。きらびやかではないが、落ち着いた中にもしっかりと仏法僧を尊ぶ者の荘厳の心が行き届いている。大聖寺もこうありたい。抱える檀家の数もうちとは比較にならないのであるが、へぇーと聞いたのが、「曹洞宗の寺の南の最後である」ということ。南部町(旧南部・旧富沢)にある禅寺は、すべて臨済宗なのだ。それで、日曜に寺に来たEさんから「南部の坊さんが中山の寺を兼務している」件。そうか、中山の寺も臨済宗だったな。
午後2時前に午後の部の研修会一行到着。はじめに歴史民俗資料館を見学してお寺へ。大河ドラマのこともあって、「信玄と大聖寺」を中心に話す。とてもそれだけでは1時間も持たないので、結局、江戸出開帳まで話はしたが。信玄の感状や短刀は、直接机に広げて皆に見てもらった。25名ほどの午後の参加があったが、熱心に聞いてくれてこちらも話しがいを感じて満足。帰りに女房が木陰に用意してくれてあった冷茶で皆さん喉を潤して次の目的地へ。「子供の受験合格をお願いしました」とある先生。「おー、大丈夫合格しますよ」と自信をもって答えると、安心したように肯かれた。これも僧侶の役割か。
皆帰ったあと、資料館を閉めて、本堂や茶の場所を片付け。仕事に戻る気はとうに消え失せ、2時間の時間休で本日はめでたく幕引き。
「暑いじゃんね。」が僕の口癖となり、アクアブルーを3本。

2007年8月6日Monday 晴れ
スポーツドリンクがよろしいでしょうか。 土曜も日曜も暑さは最高潮。その最高潮の絶頂の日を墓地の草や雑木の片付けに費やした。脱水症状を起さないように頻繁に水分補給をするが、水を飲んだだけでは体内の塩分濃度が薄くなるだけなので、倒れてしまうこともあるそうだ。スポーツドリンクを摂取するほうがいいようである。なるほど、ポカリなんかだと、500mlくらい一息で体の中に落ちてしまう。冷茶ではこうはいかない。体の不思議をテレビの教えと同じように身をもって味わった。疲れも極みに達していて、声も出ない、食欲も出ない、酒も余り飲みたくない。身体を冷水に浸して、体の火照りを冷まし、水を飲むだけ。
寺に残る資料を少し捜すべく長持を開けたのであるが、あった、あった。信玄の感状が出てきた。年度末に文化財担当から聞かれていたんだが、捜してみようという気分にもなれなかったのだ。世が「風林火山」ブームで、今週の8日と10日に町内の二つのグループの拝観案内を頼まれている。大聖寺と武田信玄に関するものと、大聖寺のお不動様の江戸出開帳に関するもの。江戸出開帳に関しては、父の資料やインターネットでの資料集めなどから、これはこれで十分に面白いもので興味が湧いてきた。
1696年の最初の江戸出開帳は、成田不動の江戸出開帳の歴史を7年もさかのぼるものである。出開帳を実現するためには、一年以上前から申請をしておかなければならず、それがすべてが認められるものでもない。名の知れたお不動様であればこそである。富士川を下り、箱根を越え、江戸に向かう不動行列を想像すれば、如何にこの不動明王の霊験があらたかであったのかということがわかるものである。
昨日来山した檀家さんは、この寺に仏像が少なくて余りにも殺風景で寂しいというようなことを話していかれたが、こういった感想を聞くのは、初めてのことであり、いままで僕自身は考えたことも無かった。寺に仏像が溢れることが寺の格を高くするのか。まさか!十人十色の考え方があるのだから、別段気にすることもないが、この不思議な意見は少し僕の頭を混乱させた。1000年の孤独のように座り続けている不動明王以外のことを思ったこともなかったのだ。
僧侶であることへの後悔などは微塵も無く、僧侶であることの今を僕は、よかったと思っている。でも、そのこととは別に、僧侶は寺にあって、長居をし過ぎてはいけないということも別な感情として抱き始めた。寺に長居をすれば、寺から離れられなくなる。僧が妻帯しなかったということは、こんなことも因の一つとしてあるのではないかと考えている。寺を継いでゆくことは、僕の家族に託されたことではないと思っても、確かに周りからは託されているのだ。今僕は、僕自身が僧侶であることは否定しないにしても、僕の家族に、寺の後を託すことは、それぞれの生きる選択に任せたいと思う。祖父・父そして僕と、100年をこの寺にあれば、1000年の歴史の寺に、次の寺を例えば誰かに託すことになろうと、僕や僕の家族が何を恥じ入ることがあろうかと思う。答えが出るわけでも、答えを今すぐ出したいわけでもない。ただ、慎重すぎるほどの僕の感情は、僕自身もこの寺にあって、とみに1000年の孤独を感じるほどに、重く、時に荒々しく波打つのである。こんな心の思いにも、スポーツドリンクが効くのだろうか。

2007年8月4日Friday くもり
やっといくつかのことが片付いた。 英語の指導助手の引取りから3日で、やっと少し事が落ち着いた。部屋の電話とインターネット環境は来週にずれ込むことになったが、ケータイが手に入って夕方届けた。使い方の英語版をDLしてこれも渡す。彼曰く「インターネットができないのは致命的です」と。分かったから来週には何とかね。帰ろうとすると、「おみやげだ」と言って、国から持ってきたのであろうCDRを6枚くれた。Bela Fleck、Benevent/Russo Duo、Jazz Mandolin Project、Galactic。これらのミュージシャンは僕も好んで聴いているものだ。JAZZやJam Bandが好きだといっていたので、言葉は余り通じないが、バンドやプレイヤーの名前なんかを言うと、共通していて「イェー!」なんて俄かに盛り上がるのだ。あとErnest Ranglin、Avishai Cohenは始めて聞く人だったが、いい感じだった。僕も彼に、この国のイカしたバンドをお知らせしなくちゃ。
後退する前のAdamは、ベースボールやバスケットやフットボールが大好きで、思うところの、典型的なアメリカ人て感じがしたけれど、今度のSethは、「小さいときにバッターボックスに入って、ピッチャーの球が足に当たって痛かったから野球は嫌いです」と、Adamとは正反対な正確なようだ。短い時間しか接していないが、ケータイを決めるときにも機種や料金設定なんかもとても細かく気にして慎重だったし、車の運転も、座席を後ろに下げるどころか、前に引き出して、しっかりとハンドルを握って、一つ一つ確かめるように動かすところなんか、彼の性格の表れのように感じた。面白いものだ。
ケーターを手渡して、その足で税務署に「租税条約に関する届け」を出しに行った。アメリカは2年間は税金が免除される。税務署の出口に設置されていた電動靴磨きで、疲れた靴を磨いてやった。

2007年8月2日Thursday 晴れ
非常に疲れてしまって。 英語の会話のできない僕と、29日に来日して、なおかつほとんど日本語を解さない者とが、約2時間半ほどをアパートと買い物で過ごしたのだ。身振りや辞書片手に伝え合うことに玄界灘で溺れそうなくらい。大波食らって、8時前に帰って、早々に飯食って風呂入って寝てしまった。予想以上に頭も疲れたのかもしれない。頭を使ったというよりか、使えそうな頭のどこかを探し回って、やっぱり何もなかった。頭の中を引っ掻き回し多分だけ頭が疲れてしまったというところか。
事務所の階段の途中でお初にお目にかかった、Wさんのお顔もすでに記憶の底にぼんやりとしているような状態である。でもまあ好青年で、学校長も英語教師も第1印象は良かったようで何より。セルバヘ食料の買出しに連れて行ったが、若者は牛乳、果物ジュース、ジャム、ピーナツバター、リンゴ、アメリカンチェリー、ちらし寿司、「シリアル」と言ってコーンフレイクなどを買った。なかでもリンゴは銘柄が“ふじ”だったが、アメリカにもあるらしくて、「ふじがベストだ」と言って満足そうであった。何はともあれ昨日はこれで解放となったのである。チャン!。

2007年8月1日Wednesday 晴れ
八月に入る。 今朝は陽射しがある。とうとう梅雨明けの声を聞くこともなく8月に入った。今日は暑くなりそうだ。
今日新しくアメリカから迎える英語指導助手のアパートの部屋の窓を開けてきた。畳の表替えをしたので、い草の匂いが篭る。僕には新しい畳の感じが心地よいが、異国の人にはどうなんだろうかと少々気になっている。助手たちが受け継いで乗ってきた車のエンジンも大丈夫。今日、明日と英語のできない僕が彼にかかわらなければならないだろうと思うと気が重い。学校は授業のことだけを考えればいいが、こちらはこの国や町のルールに従った生活をしてもらわないと苦情が出る。ゴミの出し方とか。
雨でないことが幸い。死者たちの8月。韓国の人質の早期解放を祈りたい。盆の月。よい8月であればよい。
お大師様と歩く。8月の月を歩く。ご一緒させていただく。

2007年7月30日Monday
林栄一/birds and bees。 林さんの「birds and bees」(鳥とミツバチ)というアルバムが久々にStudio Weeから出て、特典CDRとともに我が手にも届いた。今回のは、alto・soprano・baritone saxでの多重録音。それと、半分を外山明(ds)とduo。名曲「ナーダム」もあり。ナーダムの終演近くに、遠くから「アリラン」のフレーズが静かに聞こえてきて、ナーダムの曲と交差して終わる。今日は朝から一日中雨だった。朝から雷が鳴った。ALTの部屋のカーテンのクリーニングが仕上がり、夕方それを部屋に取り付けに行った。雨が上がってこのまま蒸し暑い夜になるのかと思っていたが、夕飯時になってまた激しい雨だった。丑の日のうなぎを、娘は「久しぶりで美味しい」と洩らした。娘も自身のアリラン峠を上りはじめているのだ。Studio Weeの作品はどれもがみな素晴らしい。

2007年7月29日Sunday 晴れ
盆前の草刈終わる。 恒例の檀家との草刈りを済ませた。7時半からだったが、6時半頃雨が降りはじめたので心配したが、蒸し暑い陽気の中で短時間に済ますことができた。チェーンソーの持ち込みもあって、墓地の山側をかなり刈り込んで、明るく風通しも良くなった。来年はこの隣りをしようと積極的な意見。
木を切って片付けたはいいが、これが墓地の沢沿いの空き地に山と積まれた。暇を見て枯れたところでこれは少しずつ僕が片付けなければ仕方がない。
雨は無く、夕方までもった。雷が遠くで鳴ったので、これから夕立があるかもしれない。投票所はまだ8時までたっぷりと時間がある。隣りのお宮の境内で、育成会のバーベキューが賑やかだ。雨が来なければいいが。
NHKBS-ハイビジョンで、長谷川きよしのliveの再放送があり、これ見たら、「DVDデッキも欲しいなぁ」と、欲は底をつかない。夕飯までの時間を浜田真理子。
で、すぐに雨が来たのだ。急襲する甲斐・武田軍のように。なぜにああまでも戦を好むもののふ達であったのだろう。

2007年7月26日Thursday 晴れ
地デジ。 身延山からの地デジの試験放送が始まったということを聞いていた。新し物好きなので、早速食いついてしまった。いくつかの要件がこうさせたのだが。僕の家は相変わらずアンテナからのテレビを見ていて、CATVには加入していなかった。UHFのアンテナから地デジが取れるということを聞いたので、最近会う機会の多かったYデンキさんにも話を聞いて、僕の家でも十分に電波を受信することができることがわかったので、女房に恐る恐る相談してみたら、意外やOKが出た。
今までより大きなテレビ。薄型。そして、アンテナの工事も要らなくて、地デジ生活が夕べからスタートした。そんなに多い時間テレビを見るわけではないが、居間にこの環境が整った。今までのNHKふたつ、民法ふたつ、NHK-BS、WOWOW(WOWOWは僕の部屋のみ)が地デジに変わり、プラスNHKハイビジョン、BS日テレ、BS朝日、BS-i、BSジャパン、BSフジ、それに静岡第1テレビも受信。それからCSのテレビショッピングみたいなのがふたつぐらい映る。こんなに増えて視聴料は今までと変わらないのであるから、少し早いが我が家で地デジをスタートしたことはラッキーなタイミングではなかったか。それで僕は夕べ、早速BSフジで、元一風堂の土屋昌巳が「すみれセプテンバーラブ」をLiveするのを堪能することができたんである。

2007年7月25日Wednesday 晴れ
梅雨明けならず。 梅雨前線が微妙に影響しているらしく、門外漢の僕の肌感覚とは違い、関東甲信は梅雨明けにはならない。昨日は8時まで期日前投票の事務に当たったので、外に出ることはなく、冷房の聴いた快適な部屋で、「相当熱いんでしょうね」などと思いながら、汗を拭きながら投票に来るお年寄りたちを眺めていた。58人が投票に来た。話好きの投票管理者の方がいて、11時間30分ほとんど語りとおした。豊富な知識もあるのだろうが、声のトーンも落ちず、語りとおした結果に最後は驚きと敬意をも表したくなるようではあった。僕には到底できない。僕は4冊の本を持参して一日過ごした。
今日も暑くなるようではあるが、パンツ一枚でパソコンに向かっている僕の身体に朝の風は冷たく心地よい。毎日は続けられないが、今朝は早く目が覚めて起きてしまったので、理趣経を一巻。
韓国人ボランティアのアフガニスタンでの拉致問題。ボランティア側にもいくつかの問題があったにせよ。処刑してしまうって結末はあってはならないことだと思う。ただ、こういう活動にもよほどの慎重さが要求されるということだけは覚悟しなければいけないとは思うが。

2007年7月23日Monday 晴れ
土日のことを。 休日はどうも書く気にならない。草刈りなんかして草臥れると、飲んでしまえば、もうパソコンと向き合うのは真っ平ごめんになってしまう。
土曜の昼は、女房と下山のうどん屋へ食いにいくかということになって出かけたのだが、実はもう店じまいであった。というか、もう営業していないようであった。多分。
勝手にこちらは、いつでもやっていると思い込んでいるから、こんなことになる。結局、「めん丸」で生ビールとつけ麺になった。このつけ麺がまた旨くない。温かいのにすればよかったなと二人で会話。こんなもんだ。夕方畑の草刈りに取り掛かる。
昨日は午前中、午後と畑の草を刈る。耕作をしていない畑は、ただ伸びる草を刈るのみである。途中で止められずに5時過ぎまでかかって刈り終える。相撲の千秋楽を見たいと思っていたが、もう既に終っていて、終れば結局、朝青龍の優勝で幕なのであった。
息子が珍しく帰宅。就職するつもりの無い彼は「就活」は無し。更に勉強を続けたいのだというが、それが可能になる結果はまだこれからのことなんである。私は、お不動様に祈ることぐらいしか応援できないんである。一日草を刈って、僕は首の後ろが日に焼けて、少しばかりヒリヒリ。
地デジを生活に取り入れる計画を練っている。
奇特なことがあるものだ。「玄関ポストに、現金1000万円入りの封筒」だって。貧しい寺に、黙ってこんなことをしていってくれる人が現れないだろうか。

2007年7月20日Friday 晴れ
富士川の風。 寝たのはもう午前2時を回っていた頃。音楽を聴いたりテレビ画面の映像をボーっと眺めていたりで。寝不足だったかもしれない、6時に目が覚めた。小便をして、庁舎の施錠を解いて、窓を
開け放つと、富士川の早朝のひんやりとした川風が入ってくる。これはいつも感じることだけどメッチャ心地よい。
夕べは、宿直室の下の川原で、夜釣りをする光が9時ごろまであった。久しぶりのいい天気だったので、姉さんのところにでも行って飲みたいと思いながら、「あっ、宿直か」なんて思っていたりしたのだ。思うことはおんなじで、昨日の夏の暑さは誰もが「今夜は冷たいのを飲もうかな」と思わせたようで、宿直に入って午後7時半頃にPCで、僕のところにアクセスしたら、「今夜飲みませんか」なんてね。ザンネン!!
選挙事務の総務課は夕べも遅くまで。選挙そのものに興味が湧かなくなったが、昨日、宿直に入るときに役場の駐車場で、檀家のNさんに会った。「今日は何ですか?」と訊くと、「期日前投票だ」と言う。おそらく彼は、自分の投票と一緒に、近所のお年寄りも乗せてきていたから、外で待っていたんだ。選挙は身近になるほどに熱くなる。選挙は、年金暮らしで暇をもてあましている人たちには、格好の道楽のような感じが今でもあるのかもしれない。でも、随分と様変わりしてきているとは思うが。

2007年7月19日Thursday くもり
やらせだなんて。 中国の段ボール肉まん騒動が、実はテレビ局のやらせだったとの一転の報道。正直「ほんとかなぁ」って思う人がほとんどじゃないだろうか。謝罪しただけでは事はすまないだろう。これを認めてしまった責任者は、彼の国の判断では即刻処刑ではないか。十分に相当する悪戯を越えた犯罪であって、自国を擁護する彼の国にあって、段ボールの混ざった肉まんなんてのは、国辱的行為の最たるものだ。即刻公開処刑である。こういう結果が予測されることを判断できない大人ではないだろう。お気楽な僕の国のお笑い番組ならまだしも、あの中国でこんなことをするなんて俄かには信じられないよな。結果を予測したら、恐ろしすぎて絶対できないことなんじゃないだろうか。
お昼の番組で、在日の中国の識者2人が、それぞれ相反する側から最近の食品問題等について意見を戦わせていたけど、「日本だって、メチルアルコールを混ぜた合成酒なんかを闇で売ったりした時代があったじゃないか、それとおんなじだよ」「進化する過程で仕方のないことだ」「人口が多いので、貧富の格差がとても激しく、貧困層が相当比を占めているのだ」とか。でもいまさらなぁ、半世紀も前のこの国のことと比較されてもなぁ。オリンピックや万博を来年以降に控えている国なんだからなぁって思ってしまうし、なお更それがあれば、世界に国の恥をわざわざひけらかすようなことをするかなぁ。
ここ数日晴れ間が見えず、涼しいというより、冷えているといったほうがいいような気候。今朝もそうである。からっと夏の青空が欲しいね。

2007年7月17日Tuesday
3日間のことを。 14日。6時6分に甲斐岩間からの電車で甲府。この朝も、身延線の運賃は受け取ってもらえず。甲府から八王子経由で町田へ。雨なので、歩きづらい。Kさんのアパートに伺い、皆さんのお元気そうな顔を見て安心。お母さんのアパートに子供たちが都合をつけて集まる。「風林火山」がらみから、信玄と大聖寺の話など少し話して次へ。女房は娘と会うために直接新宿まで。午後5時発の電車まで、僕はいつものように「新宿diskunion」へ。中古4枚仕入れる。井上ケン一/レイジー・ベイビー・ケニーは、20年来手に入れたくて入れられなかったというか、なぜか出会いやタイミングがなかった奴。雨に降られてびしょ濡れ状態で、仕方なく選択しちまった食堂で生ビール。それから本日お勧めの「うな丼定食」。これがまずくて、ひょっとして中国産だったかもなと、後悔。車の運転の心配がないので、帰りの「あずさ」でワンカップ2本。紀伊国屋で買った「道の手帖」の「中井英夫‐虚実の闇に生きた作家‐」読む。大学を卒業した年の夏だったか、1年後輩のK君が、僕の友人の紹介で、中井英夫の書生になった。1年か2年くらい続いたのであったか。思い出したら、1度彼に中井宅へ連れて行ってもらって、確か風呂に入ったような記憶がよみがえった。あいにくと中井氏本人は不在であったが。雨強くなる夜に帰宅。
15日。台風接近。5時過ぎに起きて、境内の見回り。側溝の詰まりなんかを見回るのだが、墓地の側溝は勢いが強いことが幸いしてか、非常に気持ちよく流れていた。庫裏の裏の側溝の落ち葉を除き、流れをよくする。グーッと、音を立てて溜まり水が飲み込まれていく。本堂周り、参道と見回り、雨合羽の下は汗びっしょり。「なんにもすることできねぇな」と、飯のあとにテレビ見ながらごろんとなる。昼過ぎに台風通過して雨が上がり、青空も見え始める。今日は一日のんびりしようぜという気持ちで僕は何もせず。
16日。8時半過ぎに総合文化会館へ。今日の講演会のための準備。ステージに掲げる横看板が大きくて長すぎて、看板に張り切れないということで行ったのだが、新しく印刷しようと思ったが、うまく作動してくれず、苦肉の策で、「講演会」の文字をカットして看板を掲げる。10時過ぎに帰宅して、竹林の竹の子刈りと参道の草刈り。台風一過でもからっといい天気にはならない。12時前に終えてシャワーを浴びてテレビをつけると、地震の報道。新潟・長野で大きな地震。テレビは終日地震報道。朝まで流れていた台風報道はまったく無くなってしまっている。動いているだけだ。動いているものに追いかけられている。
今朝。また雨だ。被災地にも雨。僕に力があればこの容赦のない自然の為す悪戯に、ストップをかけることができるのに。なすすべもなくうな垂れて、仏にすがるしかない。仏に祈りを乞うしかない。雨、あがれ。

2007年7月13日Friday
携帯。 娘から朝早くに電話があり、携帯電話が壊れてしまったので、明日我々が上京する際に新しいのを買ってくれと。盆の棚経で僕が上京するのに合わせて、二人で行くことになっている。電話を取ると、彼女はかなり逼迫した感じで、「お母さんと代わって!」とケータイ依存症が発症したような。
少し前から調子が悪かったようで、月末に帰省したときに、K美ちゃんに頼んで新しいのを買おうということのようだったが、事態が急変。無ければ無いなりになるんだろうが、今はそうもいかないようだ。僕も持ってはいるが、ほとんど使わないし、かかってもこないしかけもしない。つまり電話をかける用が無い訳で、僕を必要とする人もいない訳である。これは携帯が存在しない頃からの延長であり、殊更携帯を持ち始めて用事が増えるなんてことはない訳である。携帯電話って、必要に迫られてかけてるとか使ってるって訳じゃないように僕には思えて仕方がないんである。
でも、新しい機種ってのは、なんとなく手にとって見たいって気持ちにはなるよなぁ。「って、あんたケータイ必要ないでしょ」って、女房に言われるよな。

2007年7月12日Thursday
荒っぽいよなぁ。 出るわ出るわって感じだよな。肉まんに段ボールだ。使用済み段ボール紙を煮込んで詰めた肉まんが堂々と街頭屋台で売られていた。カセイソーダの溶液に浸して黒っぽく変色させて、煮込んで柔らかくして、段ボール紙と豚肉の比率は約6対4だって。
賄賂を受領した国家食品薬品監督管理局長は、スピード判決で死刑執行だ。この点は中国は早いな。抹消してしまえば一件落着みたいなところも感じるがね。
マナーでは、オリンピックを控えて、北京じゃ毎月11日を「整列の日」と定めて、整列乗車の普及に努めているんだとか。でも監視員がいなければ全然ダメらしい。
ディズニーのキャラクターの無断使用や、マンション開発がらみで、立ち退きを拒否している住民の家の周囲を掘って孤島にしてしまったり、荒っぽいね。
使用済みの楊枝を洗っただけで再商品化したり、レストランの紙ナプキンも、使用済みナプキンや病院から廃棄されたガーゼなんかも原料にして、また紙ナプキンを作っていたりするってんだから、こりゃ驚きの世界を通り越して、賞味期限切れや「ミートホープ」なんか、まだまだ可愛いなって気分になってくるから、あら不思議。

2007年7月10日Tuesday
曖昧な判断基準。 年金保険料の納付記録が不明のものに対する、年金支給の判断基準が出されたが、まあ余りにも曖昧で、「社会通念に照らして明らかに不合理ではなく、一応確からしい」ことを基本に記録漏れの訂正を行いとされ、「人柄や態度」という、到底「かんけぇねぇだろう」人物判断さえも判定材料になるのだと。いい加減なことをしているからこの付けが回ってきたので、不正なく処理をしていってもらいたいものだが、申立はかなり出てくるだろうな。「ダメ元でいっちょやってみるか」なんて、これで受給が認められれば、生涯お小遣い貰い続けるようなもんだからな。この年金記録の判定で、また疑惑が発覚したりしてな。話題にゃ、事欠かんわ。
今夜は、「第2回町立小中学校適正配置審議会」で夜の仕事。午後7時半から10時10分前に終了。机や椅子を片付けて10時に解散。余り書いてもいけないので、まあいろんな意見が出ます。スピードアップでお願いねという気持ち。じっくりやろうよという気持ち。いろんな気持ちが雨の夜の部屋をゆらゆらしました。

2007年7月9日Monday くもり
中国から入ってくる野菜・うなぎ・土鍋。 今、急高度成長期にある中国は、わが国が過去歩んだ過ちの道をそのまま同じように歩いている気がする。困ったことに、世界最先端の文明と、30年以上も前のような歩みが、背中合わせで走っている。環境や食の安全に敏感になっている時期で、僕の家でも、女房は「中国産は買い控える」という。学校給食の現場でも、安全が確認できるまでは、中国産食品の納入を止めるように業者に指示が出された。
国によって安全の基準の相違もあるようだが、概して中国自体が甘いのではないか。国土や人口の壮大さから、まとめきれないということもあるだろうが、これを良しとしてしまう国是だ。北京五輪を1年後に控えているのに、安心して中国のものを食べられないなんて状況じゃ、こりゃまずいよな。ここも、一握りの女王蜂と、数多の働き蜂によって形成されている構図。大気や河川が汚染されて、水俣病のような悲劇が起こらなければよいけど。

2007年7月8日Sunday 晴れ
醍醐夏の陣。 金曜の夜の恒例「醍醐夏の陣」も無事終了。もう何回目になるのだろう。今年は女房も連れて行った。ベルクラシック甲府のサマーバイキング。坊さんや公務員や葬儀屋さんなど入り乱れて集まる。生ビールもそうそうたくさん飲めるものではない。途中から芋焼酎。
標さんから写真を送っていただいた。ステージもあった。ベリーダンス。でも、30分くらい強烈な中近東の乾いたパーカッションと腰振りで、こちらの会話なんかは途切れてしまった。ステージは5分か10分だな、彼女たちには可哀想だけど。飲んで食べて、1年にいっぺん。七夕の再会のようなものか。醍醐派は飲み会でがんばるしかないもんなぁ。

2007年7月6日Friday 晴れ
快便、快食、快便。 気になることがあったので、いつもより早く起床。お勤めを済ませて、一輪車に空気を入れて、早朝から石なんかを持ち上げて積んで運んでと腰にくる作業。思い立ったときにやってしまわないと明日の天気も分からないし、とにかく僕は怠惰だ。時間はそんなにかからなかったし、汗をかくほどでもなかったが、勤行の後で声も出て頭も身体も起きていたし、体の内外動いたので、朝食の卓につくまでの我慢がならずに排便。快便。そして、国会が閉幕したニュースなどぼんやりと聞きながら快食。洗面後に再び排便となる。こういう朝は何より気持ちがいい。内閣の支持率は32%まで落ちたらしい。でも、選挙で自民党が大敗するとはどうしても思えない。投票に出向かない国民が増えるだけのような気がしている。
今夜は、「醍醐夏の陣」と銘打った納涼会。ベルクラシック甲府。丸坊主がたくさん集まって飲みます。

2007年7月5日Thursday 晴れ
「下田逸郎:ひとひら通信」に。 http://www.t-chest.jp/shimoda/hitohira/ (下田通信所)
下田さんのHP 「ひとひらconnection」の「ひとひら通信7月号」に、大聖寺での3月20日の「さしむかいライブ」の僕の感想を掲載していただきました。この徒然に書いたものをほとんどそのまま使ったものですが、もしよろしかったらどうぞ。
下田通信所を管理しているN谷さんからも、「
ひとひら通信のページをご覧下さい。いい文章といい写真です。参加して下さった方々にもみてもらって下さい。」と、コメントをいただきました。
稚拙な頭と生き方しかありませんので、さほど面白くはないかとも思いますが、こういうお付き合いを続けていたら、きっとまた客殿に歌いに来てくれますよきっと。お待ちください。採用写真はいいものです。

2007年7月4日Wednesday くもり
災いの元が口なのに。 辞職の会見の中で、まだ「あれは方言での表現であった」などと、自己防衛省に終始する態度は許せないし恥ずかしい。事もあろうに長崎選挙区を地盤として、おそらく被爆者やその家族縁者からも多くの支持を得ながら国会議員になった者が、この程度の発言だ。未練タラタラの会見で、また彼の口からは災いがよだれのように垂れてしまっているのだ。こういう輩を即刻首にもせず、擁護発言に終始して事を納めてしまおうというような態度で居る安倍のお坊ちゃまにも困ったものだ。彼にこの国を委ねるには無理があったのだろう。
ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下なんてのは無差別殺人の一番のいい例ではなかったのか。こんなことは地球崩壊のときまで許されようはずも、まして、「しょうがない」なんて得心できるはずは無い。
(19:30) 実は先々週だったか、元外国語指導助手の国税の還付金を送金するため銀行へ行った際、女性週刊誌を開いたら、上田正樹に関する記事があったんで、軽く目を通したんだが、SAX奏者の朝本千可と最近離婚したらしいんだが、その原因が創価学会という。「妻の折伏に失敗して離婚」とかね。今日所用で、総合文化会館へ行くことがあった。実は、ここで9月に上田正樹のコンサートがある。同僚に、銀行で読んだ週刊誌の話をした。別にこれが影響しているわけじゃないだろうが、チケットの売れ行きは芳しくないらしい。
そうだなぁ、僕も上田正樹は“サウス・トウ・サウス”以後のソロ活動には余り興味がない。いま、上田正樹を聞きたいと感じる人がいるかどうかの問題だな。俺はNo, thank you。
学会員の芸能人は相当数存在するらしいが、個人の名前に併記して創価学会の名が載ったりすると、余りいい感じはしないよなぁ。日蓮宗の総本山と学会は対極にあるって噂も聞いているしなぁ。

2007年7月2日Monday くもり
手のひらのiPodがくれた。 イヤホンを忘れて歩き始めてしまったので、仕方なく、雨の止んだ道を「法弓の願文」や「修祓の文」「観音経偈」などを諳んじながら歩いた。
iPodには、RUSHという30年選手のストレートなRockバンドが入っているんだけど、今日は鳥の声や早苗田に鳴く蛙の声などをも聞きながら歩いた。大学を出て、醍醐寺に行ったとき、僕は般若心経すらまったく知らなかった。読んだことなどなかったし、経本を手に取ったことさえなかったのだ。三度の食事時に般若心経を唱えるのであるが、覚えるまでに約一ヶ月ほどかかった。別に恥ずかしいとは思わなかったが、こんな俺が僧侶になるのかと、後悔したことは覚えている。僧侶になりたいと本当に思えるようになるまでには、更にそこから20年近くはかかったような気がする。先代が亡くなってからは、毎朝の勤行で、繰り返し唱えながら、ひとつずつ経も様々な願文や文などを暗記してきた。頭の中に引き出しが増えて、iPodほど優秀ではないにしても、まあまあな坊主の頭になりつつあるかもしれない。恥ずかしながら。

2007年7月1日Sunday 晴れ
蛇の抜け殻をいただくという気持ち。 毎月1日に月参りに来るご夫婦が居る。たまたま休みなので、ご夫婦と会うことになったが。本堂への渡り廊下に、何日か前に脱皮した蛇の抜け殻がそのままになっていた。奥さんはその抜け殻を見つけて、お不動様からいただいた贈り物だと、お札の袋に入れて持ち帰ったという。縁起がよく、会社の業務繁栄にも繋がると。本堂の渡り廊下で脱皮した蛇のの抜け殻は、これまた特別なものであったろう。熱心な信者にはこのような思いがけない喜びが贈られる。掃いて捨ててしまわなくてよかったと思った。早朝に護摩を焚いて、昼前から掃除を始めた、その時であれば抜け殻もゴミとして捨ててしまったであろうが、その前に拾われていった。
護摩を1時間焚いて、炉の灰が静かにおさまって冷えてから掃除をする。掃除の方がはるかに時間がかかる。昨日も2時間掃除に費やした。BGMは山崎ハコ。祈るということも結構大変なんですよ。護摩を焚いたら、必ず後をきれいに掃除して仏前の荘厳をしておかなければならない。
毎日新聞旅行のツアー客が15名ほど来山。お客さんが、無線のイヤホンで添乗者の解説を聞いているのだ。初めてで驚いた。「風林火山」のこれも影響なんですが、江戸への出開帳の話をすると、みな興味深そうに聞いてくれた。東京からのバスだったので、王子の金輪寺とか話しても、よくわかってくれて、お不動様も久しぶりに笑顔。