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『徒然日誌』 2013年1月から12月

2013年12月31日(火) 晴れ
風もなく穏やかな大つごもりだ。
静かに一年が暮れてゆく。新年を迎えるための準備はすべて終わった。もう休ませてもらって年越しの護摩に供えたい。秋山さん来て水道組合の決算報告をコピーしていく。小さな集落は新年の互礼会に重要案件を確認しあうのだ。午前中に鐘楼など外のシメ張り。風はない。きっと静かでよい晦日の夜になる。でもきっと冷え込むぞ。東京H家の葬儀の書き物なども済ませた。5日に上京するための電車の切符も買ってきた。南青山にある葬祭場を使うという連絡があり、最寄駅は「乃木坂」とのこと。ここ数日、乃木坂46の「君の名は希望」をよく見て、聴いていたので、なんか不思議な縁を感じた。帰ってきた息子とも夕べ話ができた。来年はいよいよ社会人だ。長い学生生活だったけど、本人が希望する道に進めることはよかった。たぶんそれが一番いいことだ。

2013年12月30日(月) 晴れ
うっかりして水道を凍らせてしまう。
毎日朝の冷え込みが厳しい。昨夜頭を刈ったのだが、バリカンを元に戻す時に庫裏の洗面所の寒さを実感すればよかった。今朝顔を洗いに行ったら水が出ない。凍結させてしまった。幸い昼近くには溶けて出てくれたので助かったが、今夜からボイラーを焚きっぱなしにして少し水も出しておくこととしよう。朝ウォーキング。これも顔にあたる空気は切れるように冷たい。お札を書き、本堂にお札や破魔矢やお酒などを運び。護摩壇の荘厳も正月用に準備する。もうほとんどやることはなくなった。穏やかな年の瀬と正月を迎えたい。

2013年12月29日(日) 晴れ
寒い。
もう午前中も遅くならなければ体を動かせない。寒い。本堂の掃除と大晦日の護摩の準備など済ませる。夕暮れまで何か忙しなく何かをしていた。最後は今年最後の獣除けの扉を閉めに行く。息子は明日帰ってくるということ。
檀家の方々も暮のあいさつに三々五々来てくれる。皆さん来年も元気でいてほしい。

2013年12月28日(土) 晴れ
風冷たい。
冷たい季節になってきたので少し心配をしていたのだが。今朝本堂から出てくるのをまって女房が玄関から「東京のHさんから電話があって…」とのこと。Hさんのお母さんが昨日亡くなったとの知らせだった。もう年内は葬儀ができないとのことで、1月5日6日で葬儀を営むことで葬儀社の方と予定を立てるということになった。去年も年末の29日に八王子で葬儀をした。寒い季節に命を終わりを迎える人が多い。多分喪主を務めるであろう長男は外国に赴任していて来年中に任期を終えて帰国することになっているが、連絡が取れて急きょ今日の便がとれたのでとりあえず帰国するということだ。納めの不動で今年最後の不動護摩。ちょうど内藤君の新車のお祓いもあったので、本堂に上ってもらって参座してもらった。一年を締めくくる護摩だからきっと彼も良かったろうと思う。お酒を一本お土産にしてもらった。

2013年12月27日(金) くもり
寒い。
年末年始に土日がちょうどよく絡む年の瀬で、娘も今日が仕事納め。忘年会の後、同僚のところへ泊めてもらうとのことだ。1月2日が日直とのことだが、まあそれは仕方がない。明日の納めの不動の護摩の準備をする。内藤君の新車の安全祈願もこの中でする予定。雨にはならなかったが、いっときパラパラとあり、一日とても寒かった。午前中映画など。午後お札を書く。夕方ウォーキング。明日の朝から二日間、獣除けの扉の開閉当番。

2013年12月26日(木) くもり
密葬儀に行く。
妹の嫁ぎ先のご住職の密葬に午後行く。朝から曇りで雨が心配されたが今日は何とか降らずに終えた。地元の日蓮宗の僧侶による式衆で葬儀。終えて出棺して火葬場へ。僕らは見送りして帰ってきた。2月の4日と5日に日を改めて通夜と告別式が営まれる。近くの臨済宗の僧侶の河内君もずっと外で葬儀を見守っていてくれた。僕の寺とは比べ物にならないくらいはるかに大きな寺なので、妹夫婦も密葬を終えても今後のスケジュールや住職交代の手続きなど忙しい事だろうと思う。僕が日蓮宗なら毎日でもお手伝いするところだが生憎そうではない。何も手の出せることがないのでこちらも見守りながら予定通りに片付いていくよう祈りだけだ。帰ってきてから本堂前の門松を仕上げ、庫裏の門松も気に入らなかったので例年のように作り変え、住いの玄関にも小さなのを飾った。これで門松は仕上がり。夕暮れまで池の端の落ち葉を掃いて焚いた。これで落ち葉掃きも店じまい。

2013年12月25日(水) 晴れ
来山者多数。
今朝も冷え込み厳しい。毎日外の水道はメーターボックスのところで止めている。外に置いてある盥はもう毎日朝氷が張っているがそれでも小さなメダカたちは環境に順応してきているのか生きている。部屋の中で26度の水温で飼っている方がここのところ死んでしまうのが多い。寒いときは寒いなりに生きているってのが自然なのだきっと。今日は一日外の落ち葉を掃いて焚く。来山者多し。先ず静岡長泉町の小林さん。今日はお孫さんが車に乗せてきてくれた。甲府から二人の佐田さん。山宮の柳澤さん。皆さん護持会の積み立てと暮のあいさつに来てくれた。田島から義兄夫婦軽トラで堆肥用の落ち葉を持ちに来る。風もなく穏やかな日が続いている。落ち葉焚きの煙もゆっくりとまっすぐに冬空に上って行く。ここから少しずつ夕の暮れるのが遅くなっていくのだ。

2013年12月24日(火) 晴れ
クリスマスイブ。
タイトルは書いたけど別に何もない。午後秋山家にシメを届けに行く。プリンターのインクが無くなったので甲府まで買いに行くというから、「Amazonで買えば明日か明後日には届くだろう」というと、「やったことがない」というので、Amazonに登録して注文もしてあげた。光だという割にはパソコンが最悪に遅くてイライラしてしまった。買い替えを進言すると「買う」ということになった。ある人を紹介することとした。帰ってきてから庫裏の玄関用の門松をこしらえた。まあまあいいんじゃないか。

2013年12月23日(月) 晴れ
冬至祭り
舂米の明王寺の冬至祭りに行く。本堂の北側の屋根には雪の名残があった。寒いけど好天気。ほうとうの接待に大勢の参拝者が舌鼓を打っていた。ここはダルマもよく売れる。お父さん(副住職)の導師で祭典の法要が始まり、途中から恒例の錫杖加持をする。今年は去年よりも大勢の方がありがたい護摩法要に参加してくれた。お酒もたくさんいただいてタクシーで帰ってきた。去年のこの日のことなども思い出した。ご住職は民間企業に勤めていて、なかなか厳しく、お祭りを終えて夕方から仕事に行くとのことだった。小さなお寺は皆こんな風にして頑張ってきているんだよな。檀家の多い大きなお寺で左団扇で生活している坊さんにはこういう暮らしは到底わからないだろうな。

2013年12月22日(日) 晴れ
住井すゑさん。
今朝もしっかりと寒い。日曜なのでふたりはいつもより遅い。勝手に朝食をとり、新しいテレビで先日WOWOWで録ったYZAWAのライブを見たり、本読んだり。住井すゑ「牛久沼のほとり」「いのちは育つ−抱樸舎から」読了。今年の収穫の第一はなんといっても住井すゑを読んだことだ。「橋のない川」はもちろんだが、そのあとに何冊か小説やエッセイも読んだが、この方の根底にしっかりとある、揺ぎのない「人はみな平等である」という思想には正直驚きであった。こんなにしっかりと自分を持っている人をほかにはあまり知らない。こういう人と同じような生き方はできないかもしれないが、近づくなり、僕もこれからの時間を生きる中で参考にはできると思う。年末になって、今朝も東京から檀家の家族が訪ねてくれた。相当早く出かけてきたのではないかと思う。1時間ぐらいかけて寒い中を墓碑を洗ったりしながら墓参していった。28日の護摩壇を作る。東海師一本持って来寺。

2013年12月21日(土) 晴れ
テレビ新調。
今日は「納の大師」。朝から法螺貝も吹いてみる。毎日朝の冷え込みが厳しい。水道の凍結にだけは注意しなければいけない。何年か前、大晦日に裏の水道を凍らせてしまったことがあった。午前中は体を動かすのが寒くて嫌だが、土曜で女房もいたので外に出て窓ガラスの拭き作業をした。はじめると途中ではやめられない。はかどって午前中で終了。またひと作業終わってホッとする。午後からは神棚の締めの張り替えなどを済ませる。まだ門松は早いように思えるので来週中に。スピーカーの音割れがして古くなったので思い切って居間のテレビを買い換えた。いまテレビは随分と価格が安くなってきた。玉屋さんにお願いして夕方納品に来てくれた。薄く、画面も枠いっぱいになり、50型にしたのだがそんなに圧倒されるような大きさは感じない。ここのも今度は無線LANでネット接続ができたのでYoutubeも楽しむことができる。ストーンズのライブなどとりあえず見てみた。

2013年12月20日(金) くもり晴れ
色々とある。
夕べ妹の嫁いだ寺の住職(義父)が亡くなった。夏頃から体調が思わしくなかったのだが、昨日の午後電話があって「今夜あたりが峠かもしれない」と医者に告げられたのだと連絡があった。最後は何も食べられなかった日が続いたようだ。午後女房と波木井のお姉さんと訪う。とても穏やかな眠り顔であった。日蓮宗の僧として長く住職にあり、保護司としての務めもしてきたようだ。年末年始を控え寺自体が忙しないこともあり、年内に密葬して来年2月のはじめに本葬儀を行う予定になった。今日は天候が回復する予報だったが、ここにも強い寒波の影響が出たのか午前中遅くになって雨に雪が混じるような天候になった。夕方になった青空がのぞいた。
もう一つ。「以下の内容で当選が決定しました。『ザ・ローリング・ストーンズ』2014年02月26日(水) 18:30開演 東京ドーム 席種/料金(税込):S席 - 18000円 枚数: 1枚」の連絡メールが夕べ届いた。3月6日の公演も予約しておいたのだがこちらは抽選に漏れた。でも初日の公演の方が当たってよかった。さっそく朝セブンイレブンに行って19275円(システム利用料・特別販売利用料含む)の支払いを済ませ、「チケット引換票」を受取ってきた。チケットとの引き換えは年明けの1月18日からということだ。近くのビジネスホテルも予約した。あとは万全の体調で行くこと。

2013年12月19日(木)
尋ね人。
まあ珍しいことに、今朝のローカル新聞に「尋ね人」の広告が掲載されていた。尋ね人の姉に当たる91歳の女性が、昭和47年から行方知らずとなっている弟の情報を得るために出したものだった。生存しているとしたら69歳になるという。「高齢の為、皆で逢って楽しい会話が出来ることを祈っています」と呼びかけてある。見つかって連絡が取れるといいなぁと思う。何年か前に私の檀家でも、長いこと連絡の取れなかった弟が亡くなったことで、「役所から連絡が有り骨を引き取ってきた」ということがあった。元気な姿で姉さんと再会できるといいけど。
富士ケ嶺の遠藤さんから電話があった。あっちは雪になったとのことだ。昨日留守にしていたのは、納の観音で東京に行っていたのだということだった。浅草寺あたりに詣でたのだろうか。元気でよく歩かれている。四国はもとより各地の霊場をいまも毎年歩いておられる。元気だ。昨日来てくれた仏光堂の若林さんも元気だ。檀家総代の佐田さんも元気に農業をしている。この人たちは父と同い年の人たちなのだが、まったtく衰えを感じさせないくらいに元気だ。この人たちにまだまだ寺のことを面倒見てもらわなければならない。昨日今日とこちらは雨で、冷え込みの厳しい日になった。

2013年12月17日(火) 晴れ
夕方から空が曇ってきたぞ。
明日明後日の県内の予報が雪になっているのでこんな風に鈍色の空模様になってきたのだと思うが。明日の身延の天気は午前中曇りで、午後弱い雨となっている。雪を心配することもなさそうだが。天候の崩れるのを感じたか、午後3時過ぎころから猿が集団で現れる。いよいよ食べるものが山にも少なくなってきたのかもしれない。憎々しいよりも今日の猿たちは何やら哀れに感じるだけであった。年末年始に供え灯油を配達してもらった。また少し値が上がっているというが仕方がない。ドラム缶に一つあれば何とか春まではいけるかもしれない。灯油を使うのは部屋用のストーブと庫裏の裏のボイラーだけなのでそんなにたくさんは使わない。今日も午前中は外で落ち葉掃きと落ち葉焚き。寺のぐるりの溝の落ち葉などを掃除した。

2013年12月16日(月) 晴れ
すす払いする。
風も穏やかだったので、10時過ぎから午前中すす払いをした。ここ数年すす払い用の竹の箒の作り方がうまくなったと自分では思っている。以前は作ってもしっかり留めてなくて笹が落ちてしまったり、やたらと頭が重すぎて竹竿を立てられなかったりしたこともあった。軒の高い所からはじめて住居や鐘楼は低いので、竿の竹を短く切るという知恵も自然とついた。一つ片付いて今年が終わっていくといった感じ。午後は落ち葉掃きと落ち葉焚き。隣から白菜とネギをいただく。

2013年12月15日(日) 晴れ
新車のお祓いあり。
檀家のSさんで自動車を買い替えたので安全祈願をしてくれとのこと。消費税の値上がりを控えて車を買い替える人が多いのかもしれない。貴永さんも自分へのご褒美に買い替えるといっていた。僕の車は来年1月に車検で丸8年乗っていることになる。仕事を辞めてからはほとんど車庫に置きっぱなしのような車ではあるが廃車にするわけにはいかない。税金の高い車だから不経済ではあるが、例えば軽自動車に乗り換えてもそれなりに金はかかるわけで、まあ車検を受けてもう少し乗ることになるだろう。タイヤも買い替える予定になっている。車自体には全く問題ないし、乗り心地も良くて好きな車なんではある。今朝は冷え込んで池も全面結氷したが、日中は風も穏やかでいい日和だった。

2013年12月14日(土) 晴れ
風強く寒い一日。
寒くて外に出る元気が出なかったので、頼まれた新年の護摩札を書いた。お昼過ぎまでに今のところの分をすべて書き終えることができた。といっても、この後頼まれるものは多分少ないと思うが。昼近くから強い風が吹き荒れて砂埃が立ち、落ち葉を派手に舞わせた。本堂を早めに閉めて、その後正月用の松を採りに出かけてきた。林道を走ると杉の落ち葉でいっぱいだったが、ちょうど適当な松を採ることができた。

2013年12月13日(金) 晴れ
寒い。
今朝は氷が張ったし午前中はとても冷たい風が吹いた。東に見える毛無山の稜線は明らかに吹雪いているように見えた。落ち葉掃き。読書。正月の準備。山門の蛍光灯や玄関の蛍光灯は昨日のうちにきれいに掃除をした。今日のお昼のニュースで、甲府の竹だ神社で煤払いをしている様子を見て、「そうだうちでもまだこれが残っているんだ」と気づく。まだだいぶ余裕はある。

2013年12月11日(水) 晴れ
外の掃除など。
落ち葉を3袋大きなビニール袋に詰める。駐車場前の側溝の泥上げをする。午前中いっぱいかかる。僕の働きを見ていたのだろうか、戻ったら庫裏の玄関前に畑から抜いてきて泥のついた大きな大根が3本置いてあった。檀家からの差し入れをありがたくいただく。大根の煮物も大根おろしも美味い季節だ。東野圭吾「探偵倶楽部」読了。増田れい子「母 住井すゑ」読み始める。とても優しいあたたかな文章である。年賀状を仕上げる。ローリング・ストーンズの公演チケットの先行予約(抽選)に申込みをした。当たらなかったら通常発売のに挑戦してみる。ストーンズももしかしたら最後のJAPANN公演となるかもしれないし、万難を排してなんとしても聴きに(観に)行きたいと思うのだ。

2013年12月10日(火) 晴れ
朝方強く雨降る。
5時過ぎから雨が降り始めて雨脚が強くなるのが本堂にいてもわかった。午前中には雨が上がって午後からは青空も見えてよい天気となったが、雷も鳴ったりしてこの時期にしちゃ珍しい強い雨が降った。乾燥を解消するにはよかったかもしれない。午後には少し強い風が吹き、モミジの葉やケヤキの残りを吹き散らした。県の林業公社がなくなるということで、寺と個人でいくらか分収林の契約がされているのだが、公社亡き後は県が事業を引き継ぐということで再度契約を改めることになり、担当者が見えて説明と書類を置いていった。年末だし煩わしいことは早めに片付けようと、午後役場と法務局へ行き僕の分と宗教法人の印鑑証明をとってきた。書類を仕上げ担当者に連絡すると30分後には書類を受け取りに来てくれた。彼もひとつずつ粛々と片づけていきたいのだろう。公務員にボーナスが支給されたが、娘の勤務する事業所でも冬のボーナス支給された。4月採用の彼女にとっては初めて満額支給のボーナスとなる。現金を手にすることこそなくなったが、月給以上のまとまった金額が入るということはやはりうれしいものではある。我が家では彼女が一番の稼ぎ頭。息子もどうにか来年の4月には職に就くことに決まったようではあるが、都会での暮らしは大変なんだろうなと思う。

2013年12月9日(月) 晴れ
母のところへ。
利用料の支払いと母の様子見に。健康そうだ。以前はとても厚着をしていたが今日はさっぱりと薄着だった。施設内は快適な温度設定になっているので厚着する必要はないのだが、以前は本人が納得できなかったのか、何枚も何枚も重ね着していてコロコロ状態だった。ひと月に一度ほどしか顔を見ないが、老いというより衰えと呼ぶような感じは十分にある。それでも体の方は快調のようだったので一安心。今年最後の面会。田島の義兄のところにもいって少し話をする。市川の丸井さんで新年の破魔矢を仕入れる。

2013年12月8日(日) 晴れ
上求寺へ。
おじの一周忌の法要で牧丘の上求寺へ。日曜の朝だがやはり1時間ちょっとかかる。1時間以上かかるところは県内ではとても遠い場所だ。法要後墓地へ。風も穏やかで周りの景色もよくとてもいい日和でとてもいい墓参。ブドウの終った畑に落ちている巨峰を拾って二粒食べてみた。とても冷たくて甘い。石和の「慶山」へ移動して御斎。献杯の発声をする。今日は飲んだ。昨年暮れに病院へ駆けつけたのはちょうど明王寺の祭典から帰ってきた後だったことを思い出した。ジョン・レノンの命日。少しだけCD聴く。

2013年12月7日(土) 晴れ
法事あり。
今朝は久しぶりに3時半起きでゆっくり読書。お勤めの本堂は今朝は寒かった。昨日頭を刈ったので余計に冷たく感じたのかもしれないが。毛が1ミリ2ミリ違うだけでも敏感に感じてしまうんだな。朝ウォーキング。寒い朝はiPodがうまく作動しないときがあるが今朝はなぜかよかった。10時半から松家の一周忌と13回忌の法事。施主は「親父の七回忌にはいなかったひ孫が5人も増えた」なんてことも話してくれた。墓参して僕は今日はここまで。午後のんびりと本を読んだり庫裏のトイレの掃除をしたり。温い水槽のメダカに餌をやったら喜んで食べる。ほんとに卵を産むかもしれないな。テレサ・テンをyoutubeで見る。iPodに取り込む。

2013年12月6日(金) 晴れ
内外の仕事を。
お札を全部仕上げ、久しぶりにチェンソーを使って一本残っていたカツノキを伐り護摩木に割る。今年の護摩木作りはこれで終いだ。それから9月だったかはがれて落ちてきたケヤキの分厚い皮をチェンソーで切って畑で燃した。落ち葉も一袋かき集める。車庫の掃除もする。年賀状は仕上がり。明日の法事の準備をする。東京の佐田さんから毎年恒例になってきているのだが、泡盛送られてくる。夕のお勤めの後頭を刈る。今日はよく働きました。

2013年12月5日(木) 晴れ
今日は仕事がはかどり。
年賀状を作ってしまい、2種類のお札も9割がた出来上がる。住井すゑ「夜あけ朝あけ」読了。気分転換に東野圭吾のミステリー読み始める。最近はなかなか早朝の起床ができなくなって5時起きだ。本堂に入ると冷たくて灯明を点火するライターが点かない。正座して護身法を唱えている間、右足の腿とふくらはぎの間にライターを挿しておいて温めるとちょうど開経偈を唱えるときに温まって着火できる。時間を有効に使うために冬はこんな風にしている。朝は勤行の間に三回は鼻をかむ。唱え始めてしばらくすると温まってくるのか鼻水が垂れてくるのでどうにも仕方がない。夕の勤行の終った後、法螺貝を吹いていると「こんちは」という声がして本堂の障子が開いた。観音扉はすでに閉めてあった。渡辺さんが柚子を届けてくれたのだった。周りを見ると柚子は今年は豊作のようなのだが我が家にはないので今年初めての柚子。渡辺さん曰く、「実はたくさんついたが、個々の出来は良くない」とのことだ。それでもありがたくいただいて今夜は柚子風呂にしようと思う。

2013年12月4日(水) 晴れ
年末年始の準備。
映画も見たが、お札やご幣作りなども一昨日あたりから始めた。のんびりしていると気が付かない間に師走がだいぶ進んでいたりするのことが度々。午前中東京の牛山さんの娘さんご夫婦が墓参と年末のあいさつに来てくれた。下部温泉駅からタクシーで来て、10時半にはまた迎えのタクシーが来て、お茶を一杯だけ飲んでいただいて慌ただしく帰っていかれた。墓地にいた時間は30分ほどで、それでも水をたくさん汲んでいって墓碑を洗ったりしていってくれた。年に2回ほどやってきてはお二人で掃除をしていく。お父さんはもうここへ参ることはできないかもしれないようだ。年賀状もこれで良しということにした。

2013年12月3日(火) 晴れ
畑。
落ち葉をたくさん入れた畑に管理機をかける。何を作らなくても気分転換になって気持ちがいい。冷えるが外に慣れると気持ちがいい。今年は年賀の欠礼状がいつもより多い。親戚の不幸もいくつかあったし、檀家で亡くなる人もいつもの年より多かった。暮の法事が多いというのもそれだからだ。大ケヤキの葉も8割がた落ちた。もうひと風吹けば裸になってしまう。溝の落ち葉かきも早くきりを付けたいところだ。

2013年12月1日(日) 晴れ
法事あり。
市川の遠藤家の一周忌の法事。当夜で法事して墓参して「鳥しん」で御斎。今朝も厳しい冷え込み。少し時間が早かったので農免道路の脇に車を停めて、ももクロ聴きながら周囲の山並みを眺めた。奥さんを亡くした遠藤さんは、やっぱりさびしいという。「写真に話しても会話にならんしなぁ」と。夫婦というのは長く一緒に過ごす間に人生の同志のような関係になるのかもしれないなぁなんて思った。店は法事の後の黒服の人たちが大勢いて大変に混んでいた。やっぱり寒いときに亡くなる人が多いので、こういう法事もみなそれと同じように時期が重なるのかもしれない。11月から週末は法事続きで、寺の法事は今週の土曜にあるのが今年最後で、日曜には上求寺のおじの一周忌がある。そうだ師走に入ったのだった。

2013年11月30日(土) 晴れ
秋葉社火伏。
毎年の原の秋葉社で火伏のお祀りをした。今朝も寒い。吉田秋生の「海街diary」の3〜5巻をAmazonで仕入れて夕べ布団の中でそして今朝それを少し読んだ。といっても漫画である。吉田さんのものはもうほとんど読んでいる。ただ最近は漫画を読む習慣がなくなったので、彼女の新しい作品が単行本になるのをネットで確かめてあればそれを買うということになっている。優しい気持ちになれる。優しい気持ちで朝のお勤めに入り、理趣経を読み始めたらふと涙が落ちて止まらなくなった。手のことを考えていた。手を合わせるとか手をかざすとかいうこととか手を握るとか。掌を合わせることを合掌といい(まさにその字のままだ)、真言宗の僧侶はこの合掌を通常の合掌ではなく、右の親指が手前になって十指を交互に組む「金剛合掌」をする。右手は仏であり、左手は衆生であると観念し、私はいつも佛とともにあり、金剛(ダイヤモンド)のように固く結ばれる。こういうことをなんとなく思っていたのだが、そういえば「親指はお父さん指だった、人差し指はお母さん指だった」ということがよみがえってきたときに、涙が滂沱と落ち始めた。なんということもなくただそれだけのことではあるが、「それが今の僕の生きる世界で、科学で学ぶことのできない場所にいる」ということの不思議というか幸せを、はたと感じてしまったということだ。住井すゑ「向い風」読了。文庫本巻末の解説者、灰谷健次郎の言葉もとてもよかった。明日の法事ではまた何か話せるかもしれない。

2013年11月29日(金) 晴れ
本堂掃除など。
護摩壇のと本堂の掃除。今年は納め不動の12月28日にも護摩を焚こうかと考えている。12月は大晦日に焚くので28日は見送っていたのだが、やはり納めには焚くべきか。午前中は寒くて本堂で掃除する元気がなく、昼ご飯を食べてから掃除をした。午前中はウォーキングと読書。注文していた来年の「気学運勢暦」届く。明王寺の冬至祭典の案内もいただく。このお祭りが一年の祭り出仕の納めになる。勤めをもっているご住職は年末のこのお祭りの準備が毎年大変なんだろうけど、カボチャのほうとうが供されるので、毎年境内は参拝者でにぎわう。だるまを扱っているのも最近では珍しい。楽しみだ。

2013年11月28日(木) 晴れ
護摩を焚く。
客殿から本堂にわたるときの明けない空がとても澄んでいてきれいに見える。星もあり月もある。月明かりは優しいし、星々の輝きをはっきりと目に受けることができる。今朝は夕べ雨が降ったので暖かだった。11月の護摩を午後焚いた。今日は近所の佐田さんが参座してくれた。法事の時に、「28日に護摩を焚くからよかったら来てください」といっておいたのだ。六郷の伊藤さんは午前中お参りに来てくれたようだ。午前中畑の生ごみのコンポストを二つ移動した。生ごみの中から生えてきたジャガイモの苗が二か所あったのでそれを掘ってみると立派なジャガイモが付いていて、10個以上収穫できた。洗っておいたら午後女房がさつまいもと一緒に焚火をして焼き芋にしてくれた。護摩が終わってからふたつほど塩コショウでいただいた。畑にいると「精米に行ってきたのだ」と、秋山さんが軽トラで現れてしばらく日に当たりながら話をした。新年のお札をいつもの年のように頼まれた。今年の暮れは退職なさったので、忘年会は少ないとのことだったが果たしてほんとにそうだろうか?Mike Bloomfield & Al Kooper聴く。
2013年11月27日(水) 晴れ
木枯らし吹き寒い。
今朝は冷え込んだ。晴れたけれど昼過ぎからは風も強くなり寒い一日になる。風が強く吹いて、日毎にケヤキから着ているものを剥いでいく。落ち葉で溝が埋まっていくので午後それを掃除がてらビニール袋に集めた。女房も時間があるとせっせと落ち葉を集めている。新潮45編集部編「凶悪-ある死刑囚の告発-」読了。特定秘密保護法案のことは気になるが、圧倒的な「数」という優位に立つ側の思うとおりになるのは間違いないのだろう。真剣に生きていくことの大事が求められるのかもしれない。護寺会通知を郵送と歩いて配達。

2013年11月26日(火) 晴れ
今日はいい天気。
朝は寒かったけど、9時頃からは陽射しも強くて歩いているとすぐに汗をかき、背中にあたる陽が何とも心地よかった。法事の塔婆を書き、檀家への暮れの通知と新年の祈願のお札の案内を封筒に入れて出せるまでにし、残り一か月にしなければならんことを頭に描いてみる。午後読書と檀家の年回表作成と年賀状の内容など考える。締め切ってあると暑いくらいに室温が上昇する台所で、リクライニングチェアで本を読んでいると気持ちよく眠りに引き込まれる。猪瀬東京都知事が面白い。

2013年11月25日(月) くもり
寒い寒い一日となる。
午後から予報通りに雨になった。丸一日が夕方のような紫色の暗さで、寒かったので炬燵に一日潜って取りだめたドラマや映画などを見て過ごした。10時過ぎに老人ホームに入所している若尾さんの甥のMさんが来寺。若尾さんの今後のことなどを相談したり確認しあったり。Mさんとは初対面だったが、彼も伯母さんとのことをしっかりと果すつもりであるということを伝えてくれたので心強く思えた。

2013年11月24日(日) 晴れ
まっさおなそらにおじのゆく。
4時半に起きて簡単にご飯を食べて、これまた簡単に客殿で朝のお勤めをし、着替えてまだ青い闇の中を出掛け6時過ぎの電車に乗る。甲府から「あずさ」。立川で降りて中央線乗換え、そこから新宿方面に二駅目の西国分寺下車。豊山派の東福寺の運営する「むさしの斎場」で葬儀。長いことあったことのなかった従兄たちにも会う。遠くの親せきと会うのはこういう悲しみの時の方が断然多い。10時から葬儀をして火葬をし再び斎場に戻って初七日忌と御斎。立川から3時過ぎの「あずさ」に乗って帰途に就き5時半前には帰る。6時からの「八重の桜」は予約しておいたが必要なし。都会の葬儀は最近じゃほぼ家族葬というか身内だけの式が多いようで、僧侶も一人。それでもこれがさびしいなんて言う風には感じなかったし、むしろ田舎の葬儀が重々しすぎるのではないかと思えたほどだ。御斎の膳もこっちのは鍋が出たり至れり尽くせりで、祝い事とまさに紙一重だ。僧侶が一人という風潮が流行るのはいただけないが、そのほかのところはもっと簡素化してもいいのじゃないか。その分、葬を何人か招いて故人を送るということを考えたらどうかと思う。とてもいい陽気で、おじを送るにはとても良い日であったと思う。

2013年11月23日(土) 晴れ
法事あり。
八王子佐田家の一周忌法要。高槻佐田家の50回忌法要。合同で行う。一周忌に合わせて墓碑も建立したのでその開眼と納骨も行う。天気は良かったが墓地はやっぱり日陰は寒い。施主は実家が神道だったので仏事のことをほとんどわからないということで、この一年の間幾度となく電話を貰い相談に乗ったりアドバイスもしてきた。まあ無事に一周忌を済ますことができてほっとしたことだろうと思う。
明日のおじの葬儀の準備などする。6時の電車なので早い。夏の棚経のこの電車は特に時間が早いとも感じないが、まだ暗さの残る時間で寒いのはちょっときついな。明日の朝はお勤めを休むか。57歳になった。なんでか自分でもわからんのだが、58歳になるとばかり思い込んでいたのでちょっと儲けもんのような気がしている。

2013年11月22日(金) 晴れ
のんびりと朝ぶろに入って帰ってくる。
夕べは甲府泊まり。駅前の居酒屋で醍醐の幹部会。メンバーは行藏院、玄法院父子、東海師そして僕。師走間近の甲府の夜は寒い。いまは金額が設定してあって、コースで、一定の時間内なら好きな酒を飲み放題というのがある。こういう居酒屋とはほぼ無縁なので、たまーに出かけていくとどこでも楽しい。気持ちよく飲んで気持ちよく話しもして宿で寝る。行藏院で柴燈護摩法要しようなんて話にもなったなぁ。皆さん師走を控えていシメやお札づくりに忙しいようだ。他に勤めをもっていると皆こうなのだ。休みの日をきちっと計画立ててこなしていかなければならない。僕もそろそろ少しずつはじめなければならない。
東野圭吾「幻夜」読了。800ページ近い大作で引き込ませるのだがちょっとさびしい終り方に残念。こういうのを消化不良と表現するのだろうか。

2013年11月20日(水) 晴れ
冷え込む。
今朝は一面の霜で、外の手洗い場の洗面器の水が凍っていて、やはり外にあるメダカの入っている盥にも薄氷が張っていた。一気に冷え込んできた。護摩木作り。読書。干し柿も少し作る。午後叔父から電話があり、赤井のおじさんが昼過ぎに亡くなったことを知らされる。葬儀は24日とのこと。夕方仕事を終えようとしているところへ東海師来る。明日の夜は甲府で懇談会。

2013年11月19日(火) 晴れ
一つずつこなしていく。
午前中境内から参道と除草剤を撒く。風はないだろうと踏んで始めたのだが、予想に反して冷たい風が強くはなかったけど吹きはじめたので、風上に立ちながら撒いた。暮に向けて内外のことを一つずつ片づけていく。落ち葉が落ち切ったところで町道脇の側溝の泥上げもしようと思う。読書。ウォーキング。午後落ち葉を畑に入れる。女房の落ち葉掃きも始まった。大きなビニール袋に入れておくと、彼女の従兄が年末にそれを持ちに来て畑のたい肥にする。その堆肥によってよい畑になり、来年収穫した野菜なんかがある日届けられたりするのである。循環する暮らしがここにもある。

2013年11月18日(月) 晴れ
今日も良い天気。
WOWOWドラマ「マグマ」を見る。WOWOWのドラマはどれも秀逸で見ごたえがある。再び見るかどうかはわからないが円盤にコピーして保存している。読書。ウォーキング。午後3時過ぎから1時間半ほど畑に除草の管理機をかける。空気が冷たくて機械を押し歩いているだけで気持ちがいい。YoutubeでDLしたPenguin Cafe Orchestra聴きながら。緑のカーテンの取り外したカーテンから植物の蔓をとるのになかなか枯れてくれないのであきらめた。倉庫にそのまま丸めてしまい、来年また使う時にはずそうと思う。キュウリやゴーヤの蔓が結構太くて、編みにしっかりと絡みついてしまっている。

2013年11月17日(日) 晴れ
法事あり。
遠藤家のお母さんの三回忌。お墓に簡単にお経あげてもらえればいいとのことだったが、甲府からお兄さんも来てくれたので、せっかくなので上がってもらって客殿で今日を上げ墓参した。今日は早めに暖かくなってくれてよかった。陽が射せば外でお茶を飲んでも暑く感じるくらい。
昨日今日で「反逆する華族」という平凡社新書読む。新聞に載っていたので買ったのだが、そんなに内容のあるものではなくこういう歴史があったのだというもの。久しぶりに東野圭吾の分厚い奴読み始めた。

2013年11月16日(土) 晴れ
1冊50円なのだが。
住井すえ「夜あけ朝あけ」(文庫本)をヤフオク!で落札したのだが、送料が80円で、手数料が100円弱かかるので230円ほどになった。Amazonならこの本、代金1円で送料手数料が250円で251円になる。オークションを待つよりこちらを利用した方が結局得策といえるのかもしれない。
午前中裏山を歩いて降りてきたら、猟犬を積んだ軽トラと出会った。今日から狩猟が解禁になったとのことで、撃たれたら困るので林の中を歩くのは控えなければならなくなった。法事のこと、護寺会通知のことなどする。東京より従姉墓参に来て、その後母の入所施設を女房と訪ねてくれた。どうも従姉のことはもう分らなかったようである。天気は良かったのだが、陽の射しはじめるのが遅くて、昼近くになってやっと暖かくなる。陽が射さなければほんとに寒い。頭を刈って冷たく感じる季節になった。

2013年11月15日(金)
「橋のない川」読み終わる。
夕べ布団の中で最期を読み終えた。1961年に第1部が刊行され第6部が1973年に刊行される。そして第7部が刊行されたのは第6部刊行から20年を経た1992年である。著者住井すえ(1902年1月7日 - 1997年6月16日)は第7部のあとがきに「七部に及んでも、問題の解決にはなお一歩も踏み込めては居ない焦燥感をどうすることも出来ません。ついては、又々、野望を起して『八部執筆』を覚悟しました。むろん、八部、九部、十部と延長したところで、問題が解決するわけでもなければ、作品が完成したと言えるわけのものでもありませんが、それでも取り組まずには居られない、これは人間の問題なのだと信じます。」という。1992年盛夏のあとがきの時の年齢はすでに90歳である。人が人として生まれて等しく生きることの重さを生涯考え続けた作家の思いをこの秋堪能できたことは大きな収穫だった。もう昔のことになるが、高校の頃だったか、大学の休みで帰省している夏のことだったかはっきりしないが、父がこの「橋のない川」を夏中読んでいたことを覚えている。高校教師は今の時代のように毎日休み中も学校に行くこともなく、比較的のんびりと休むことができていたのだと思う。僕も読みたいとは思っていたが何せ長編ではあったし、じっくりと本と向き合おうとする気持ちはなかった。「橋のない川」は完結していない作品である。第七部は大正天皇が死んで昭和の時代に入って間もなくのところで終わっている。現実の社会でもこの後、「狭山事件」「八鹿高校事件」などなど、様々な部落差別に源を発する事件が起きている。作者が90歳を超えてもなお書き続けねばならなかった思いはひしひしと伝わってくるのである。文庫七冊を送料込840円で買えたヤフオクの縁にも感謝しなければならんだろう。

2013年11月14日(木) 晴れ
塔婆書く。
23日のS家の一周忌の塔婆を午後書く。外は寒いけれど、晩秋の長い日差しが流れ込む部屋の中はポカポカと暖かい。1時間ほどかけて10本書く。裏山を歩いてから自転車でコメリに蛍光灯を買いに行く。急に寒くなってきてストーブやら灯油のポリ容器なんかが目立っていた。干し柿にする柿を竹ざおを使って?いでいる光景を懐かしく見た。年末年始の檀家への通知や、来年の回忌にあたる家への通知など印刷する。本も読む。

2013年11月13日(水) 晴れ
別に殺そうと思ったわけじゃなし。
恨みがあってテンノーを殺そうと思ったわけじゃないし、手紙を渡そうとしただけで、いくら右翼と雖もそのくらいの節操は当然あって然るべき。なのに夕方のテレビを見ていたら、山本太郎に、「近日中に刺殺団を派遣します」と書いてナイフが送られてきたのだという。ネットで調べたが送り主の「日本民族独立解放戦線」なる団体はそもそも存在していないようである。相当暇人な愉快犯ででもあろうか。秘密保護法とかも論議されているし、自由のものが言えたり活動ができたりすることが制限されるようになっては困るわけで、これは右も左な同じわけなのだからと思ったりする。朝めちゃくちゃ寒くなった。朝がだんだん辛くなる。勤めに出ぬ僕がこれを口に出すべきは慎まなきゃいかんのだが。

2013年11月12日(火) 晴れ
中学生の「町内めぐり」で二人が来寺。
久那土中の1年生の女性と二人が11時半近くに訪れる。ここに来る前に西嶋のお寺と神社を訪ねてきたという所であった。1時間近く時間がとってあるということでゆっくりと話をした。中学生ということなのであまり緊張せずにわかりやすく説明したつもりだが、果たして二人は勉強になったのであろうか。来年の不動尊祭典にはぜひ柴燈護摩を見に来るようにと話したので、家族で来てくれるといいなぁと思っている。この寺の開基が甲斐源氏の祖である新羅三郎義光であると説明すると、最後の質問で、「あなたは新羅三郎の子孫ですか」と尋ねられた。こういう質問は全く予測していないし、初めてのことである。祖父が縁あってこの寺に来て、たまたま三代続けてきただけで、新羅三郎とはおそらく縁はないと思うと応えておいた。本堂の中は外の風も入りとても冷たく寒かったが、ノートを取りながら話を聞いてくれたことがこちらとしても大変にうれしく感じた。久那土中の1年生は何人かと問うと、「6人です」とのこと。彼女たちは僕がまだ教育委員会にいたころ、久那土小の低学年だったということだ。午後少し山を歩いて、林の中にほおずきを見つけたので、移植ゴテをもって幾株か掘ってきた。こういうのが少し畑の隅などにあると小菊と同じように賑やかに華やかになるかもしれない。普段空き家になっている大きな屋敷の屋根に猿が居て、ゴム管で狙い撃ちする姿がある。今年は山の柿もほとんど残っているので、そんなに食べ物に不自由はしていないのかもしれない。より美味いものを求めて美食になってきているということもありうるか。

2013年11月10日(日) くもり
法事2件。
午前と午後に法事。昨年亡くなった隣のおばさんの一周忌と、若尾家の50回忌。4時前に起きて一周忌のお話などを考えていたのだが、なかなか思うようにうまく話せない。法事で何が一番緊張するかといえばこの法話というやつだ。いつまでたっても法話には慣れない。お話を書いてまとめても読み返すとちっとも面白くないのだ。今回も実は一昨日まとめてあったのだが面白くなくて、寝ながら頭の中を巡ったお話を今朝まで忘れないように反芻しながら起きる時間を待って、一気に思い出しながらまとめたのだが、半分も話せたかどうか。でもまあとにかく終了。墓参にちょうど雨が降ってきて参った。今朝は風が強くて、木枯らし一番なのかとも思えた。風がやんだら雨になった。昼食後2時から50回忌。施主が5歳の時に亡くなった父親の50回忌だ。一番下の妹は生後4ヶ月だったそうで、当然彼女に父親の思い出はなかった。それでも次男も東京から妻子を連れてきてくれ、もう最後になる法事をしっかりと行ってくれて僕も嬉しかった。
映画「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ を見た。「前頭側頭型認知症」の元大学教授を介護する家族を描いたもの。母親の認知症がまさにこの「全頭側頭型」で、興味深く見た。。監督は精神科医でもある和田秀樹さんという方だそうで、認知症の父親に橋爪功。その娘に秋吉久美子。秋吉久美子の演技なんて何十年ぶりに見ただろう。映画そのものも良かったが、これからの高齢者の生きる世界を誰もが避けて通れないので参考になる良い映画だったと思う。同居して介護するだけが正しい方法等は言えないだろうという医者の言葉も参考になった。

2013年11月8日(金) 晴れ
100年経っても変わってない。
山本太郎が「ヘーカ」に手紙を渡して今度は平謝りって背景に、右翼の襲撃が予測されてっていうんだからあきれてしまう。全国水平社が設立されたのが91年前で、この時も今読んでいる「橋のない川」のなかには、右翼の連中が口出しをしてなんて状況が出てくるが、全く変わっていないってのがよくわかるね。読書、散歩、護摩木作り、法事の準備などなど。海老原君顔見せに来る。

2013年11月7日(木) くもり
ストーブを出す。
朝からけっこう降りのいい雨で、いよいよ寒くなってきたなぁが実感。雨の日は震えてしまう。ホットカーペットに寝ながら読書。降ったり止んだりしながら夕方になって空が晴れてくる。雲のはやい流れと色づき始めたケヤキの大木を見ていた。ストーブを土蔵から出して灯油をついで準備した。客殿の法事も今日のような天気なら暖がほしくなる。サル達は昨日だけでどこかに行ってしまった。

2013年11月6日(水) 晴れ
めんどくさい生活。
天気が良かったので墓地上の中沢川公園周辺を歩き、伐るのに簡単そうな「ヌルデ」を一本伐って引きずって持ってきた。午後から百八支づくりと、ヌルデを乳木用にノコギリで切る。太いところは後日。だいぶ溜まったが、百八支分は早いとこ全部を片付けてしまわなくては。ナメコはもう1、2回分で終わりだろうか。猿が来て騒いでいるのを防ぐには、こっちが家の中にいては奴らの好き放題なので、護摩木作りでもしながら外に出ていれば近づいてこない。こういうことししたり、考えたりしている時、ふとこういう言葉が浮かんできた。「めんどくさい生活」。

2013年11月5日(火) 晴れ
橋のない川第五部読了。
荊冠旗なんて懐かしく思い出すような言葉も出てきはじめた。寒くなってきた。今朝は起きたけれどなんか寒くてズルをしてお勤めをせずにホットカーペットに寝ころんで映画を見て、朝食後、「ごちそうさん」を見てからお勤めをした。本を読んでから少し歩く。午後2時から定期受診。今回は採血がある。若い女医より生活指導される。帰ってきて買ってきた小菊を畑に植える。大輪の菊には興味がないが、この時期の小さな菊は色も豊富でいい。境内にはこの菊が幾株か残っていたので、これも掘って移植する。残り二冊。今月中にはきっと読み終える。どんな気持ちになっているだろう。
山本太郎の手紙が随分と騒がれているようだが、党派にも属さない新人議員であれば、「畏れ多くも」の「朕」さんに手紙を渡すことが国会議員の常識を逸脱するなどわからくても仕方がないんじゃないのか。現代っ子には古だぬきどもの常識なんぞ通じなくて当たり前だろう。「テンノー」が政治的に中立であっても、わかってほしいという気持ちをぶつけてみたくなってもそれは「いけないこと」ではないのだと思うけれど。

2013年11月4日(月) くもり
常識の背の高さはどれだけなんだろう。
楽天が優勝を決めて、これで発足当時はお荷物だったチームがやっと世間に認知されたようなものだけど、星野監督自らが話しているように、今年の優勝の立役者の田中が大リーグに行ってしまえばまた元の木阿弥に戻っちまう。なぜこうまでも大リーグへ行きたがるのか?アメリカでやっている野球が何故「世界一」になるって、上原投手のコメントもよくわからん。山本太郎が天皇に手紙を渡したのが何でこんなにも問題視されるのかも理解に苦しむ。まさか付け文でもあるまいに。いいじゃねぇか、彼が本当に「原発は危ないんだ」という彼の内なる思いをぶつけたくて、切々と前夜にでもしたためた「テンノーヘーカ」への直訴状が、渡して受け取ってもらえて読んでもらえたら、なにか事が起こるんじゃないかと期待するのは当たり前なことだし、誰だって好きな彼女に手紙を渡して愛を成就してきたのだし、略奪してきたのだ。なーにが、「テンノーヘーカ」に手紙を渡すなど前代未聞、もってのほかだとか、非国民だとか、国会議員にあるまじき行為だとか、厳重処罰に値するだとか。開かれた「コーシツ」が一般庶民を招いて「お茶しよう」ってことなら、双方の歩み寄りで気楽に言葉をかわすのも、手紙のやり取りも当然OKだと思うのは至極当たり前だと思うのだがどういうもんなのだろう。常識ってやつの背の高さが今もって僕にはわからん。

2013年11月3日(日) 晴れ
法事あり。
佐田家の13回忌。10時半から自宅でお経をあげて墓参。昨日植えたアジサイは見た目は大丈夫いけそうだ。明日雨になる予報だし定着すると思う。夏にあげたメダカが少なくなったということだったので、外に置いてある水槽から適当にすくって持って行ってもらった。いつもここでは法事の後の歓待が凄い。今日もビール日本酒それから手作り料理の数々でゆっくりとごちそうになった。娘はきょうが日曜の日直でやっと明日の振り替え休日が休み。何やら仕事も大変なようだけれど、7か月を過ぎて社会人というような感じにはなってきた。母の83歳の誕生日。祝うこともないし離れているので特別な思いもないが、体そのものは随分と健康だし、まだ当分元気でいるんじゃないかと思う。

2013年11月2日(土) 晴れ
紫陽花を植える。
昨日妹と身延のお姉さんが父の墓参りに来てくれて、お姉さんが紫陽花が増えたから貰ってくれとのことだったので、今朝9時に行ってきた。畑の土壌が肥沃なのかものすごく育ちがいい。うちで植えたのなんかなかなか大きくならない。紫陽花を14、5本掘り、その他にも花やミョウガも貰ってきた。紫陽花は墓地に主に植え、あとは畑などにそれぞれ苗をおろした。今の時期は雨が降ったりすればほどよく定着することと思う。
すべて植え終わってから護摩木作り。頭を刈り明日の法事のためにさっぱりとする。ちょうど秀ちゃんが来ていてお母さんの三回忌の塔婆を頼まれる。久しぶりにお茶を飲みながら世間話をする。今の仕事の現場が団地に隣接していて、土曜とか祭日に仕事をしていると、音がうるさいと苦情がくるのだそうで、「今日から3連休だ」とこれも現代事情で仕方がないことを話してくれた。

2013年11月1日(金) 晴れ
「病人の道」。永地和尚17回忌。
3時半起床。「橋のない川」第四部を読み終える。第五部を開く。朝の勤行。本堂のあと客殿に戻り、今朝は先師永知和尚の十七回忌の経をあげて供養する。あたたかくなってから墓参。早くも年賀の欠礼状届く。
父が生前書いて本堂の梁に貼って残した「病人の道」がだいぶ黄ばんできたので、これを機にはずしてコピーしたものをパウチして元の場所にピンでとめた。以下。

病人の道

○ 清らかな明るい心になること
○ 佛様はすぐれた医者と思え その教えは妙薬と思え

一、 病人は病気になった責任を自分に持つこと
二、 病気にとらわれるな
三、 自分を甘やかさない
四、 信仰をもつこと


平成9年11月1日の夜に息を引き取った先師永地和尚の「病人訓」と呼べるようなもの、「病人の道」。この書き物が貼ってあったのは、本堂の内陣の格子戸の上の梁で、これに気が付いたのは、亡くなってから半年くらい過ぎた時だったように覚えている。それまで全く気が付かなかったので今でも不思議。父は最後の半年はもうほとんど歩くこともままならなかったので、おそらく脚立でも持って行って貼ったのだろうと思いますが、病を得てからそう遠くないときに書いて貼ったのだろうと想像すると、病を得てから割と早くこれを書いて自分への戒めとしていたのではないかと思う。ちょうど肺の後ろ側に腫瘍があり、それもかなり大きくなっているとのことで、手術できないといわれたので、化学療法や投薬で延命に努めたが、自らに病をしっかりと認めて、残りの日々を悔いなく生きようと、自らへの励ましと戒めのようなことでこれを書いたのかもしれない。
落ち込んでばかりいても仕方がない、気持ちを切り替えて、寺の住職として、清らかな明るい心でいようと誓う。佛様を医者と信じてその教えを実践しながら日々を生きていけば必ず治ると思うと信ずる。そして四つのことを自らの心に刻む。@病気になったのは誰のせいでもない。自分自身に病気になった因と責任があるということを自覚して生きること。
A病気に心を奪われたり、惑わされることなく、日々をおろそかにせずに生活すること。B決してあきらめず、自分に負けないで病と向き合い、乗り越えていくこと。C真言僧として、住職として、しっかりと自らの祈りの道、信仰の道を歩み実践して全うすること。
病に侵され始めたのが平成7年秋だったので、命の終わりまでちょうど2年だったことになるが、その間、寺の古文書や文献などをまさに命を賭して整理し、私のために、寺の年間予定のことや細々としたことを、すべて記録して残してくれた。私は住職の時間は16年になる。父が祖父の後住職になって務めた期間をすでに超えている。檀家の皆さんから「方丈さん」と声をかけてもらえるのも、先師のお陰であると感謝しているし、ここにある限りは祖父、父の残してくれたものをここでしっかりと果たしていこうとは思っている。


2013年10月31日(木) 晴れ
10月晦日。
朝はだいぶ冷えて寒くなってきた。もう明日は11月だ。今朝の午前5時の空は東に三日月があって満天の星空。最近は朝のお勤めの最中に一度か二度鼻をかむことが多くなってきた。午前中柿をとったり、墓地へ佐田家の墓地の造成具合を見に行ったり、読書。午後は護摩木作りする。

2013年10月30日(水) 晴れ
午後から天気よくなる。
今日は天気が良くなり気温も上がるといっていたのに午前中は雨でも降って来そうな寒い時間が続いて、本を読んだり、頑張って体を持ち上げて本堂で昨日の続きの掃除をして護摩壇の荘厳をしたり。お昼前からやっと陽が射しはじめると次第に暖かくなる。お昼を食べて香盛りをしているとお参りの方3名あり。御朱印も書く。それから、久那土中の1年生が11月に入って二人、「町内めぐり」で寺を参りたいということで、副担任が見学依頼書を届けに来る。メダカも暖かくなると動きがよくなる。もう餌にもあまり関心がなくなる。1センチに満たないものもわずかにいるが冬を越えられるだろうか。日曜日に法事のS家で塔婆を持ちに来る。ここはいつも自宅で法事。まだ明日まで10月があり、なんかゆっくりだなぁという感じがしている。

2013年10月29日(火)
寒い。
安定してきたなんて書いたけど今日は朝から雨になり夕方になって止んだ。一日ひどく寒かった。シルバー人材センターへ支払いに行ったけど、まだ暖房の入らない事務所も寒く、事務員も震えていた。「橋のない川」第三部読了。雨の今日はすかさず四部を開き100ページ余り読む。消費税が上がることからはがき、封書とも2円値上がりするのだという。寺なのでダイレクトメールなどはよく届くが、日常の通信に手紙を出すという習慣はなくなっている。まあ寺として、行事の案内や檀家への通知などは出すのだが、私信を送るなんてことはめったにない。郵便なんかは比較的安いなぁとは思えているが、この端数というのが微妙ではある。ハガキが50円になる前は41円だったような気がするがこのときはどんなだったのだろうか。檀家の若尾さんから手紙が届く。ここの所何度かいただく。高齢となり、体の自由もままならぬことから、自分の思いや、しておかなければならないことなど、様々のことが始終頭のなかを巡っている様子がわかる。11月を間近にして、薄暗い季節になってくると心細いというようなことも手伝っているのかもしれない。

2013年10月28日(月) 晴れ
今日もいい天気。
天気予報を見るとしばらく天候が落ち着いて晴れの日が続くようだ。朝方は寒いが日中は暖かい。午前中は本を読んだり、映画を見たり、本堂の渡り廊下の屋根に上って、本堂の屋根の樋の詰まりを何とかしようとからかったりした。とても手の届き様な場所ではないし、梯子なんぞもかけられないので、ちょっと小細工をしてそれを持って樋の上から管の中に棒を突っ込むと詰まってはいない。屋根をおちる雨が樋がだいぶ古くなってきてしまったので、うまく樋がその雨を受けることができなくなっているので下の廊下が濡れてしまうようだ。もうこういう問題であれば僕なんぞに手が施せるわけがない。あきらめるしか仕方がない。午後2時から不動護摩一座修す。今日は同じような時間に、甲府の玄法院、行藏院でも護摩が焚かれていたはず。何となく仲間の連帯感というようなものを抱いて熱くなってしまった。季節も寒くなって夏の汗びっしょりの護摩ではなくなったのでありがたい。教昌寺の副住職からの本山への進達書類が届いたので、宗務所経由で本山に郵送する。

2013年10月27日(日) 晴れ
法事あり。
やっと青空が広がり久しぶりにいい天気になり気温も上がった。朝は寒かった。今年一番の冷え込みだとテレビで入っていた。なのでその分日中の暖かさが身に染みて心地よかった。相川家の17回忌の法事をする。お母さんと子ども3人が来てくれた。父より二日後に亡くなったので、忘れようにも忘れられない。明日の父の葬儀を控えて床に着いていたら12時過ぎたころだったか、外で話声がする。「起こしても大丈夫か」とか。こちらも寝ていられなくてこっちから声をかけた。相川さんの病状も悪いのを知っていたからだ。着替えて枕経を上げにいき再び眠った。父は67歳だったし、相川さんは65歳だった。いま思うとずいぶん早かったなぁという気持ちになる。今日は天気も良くなり、よい法事日和だった。元気でいる奥さんと父親思いの兄妹弟である。

2013年10月26日(土) 晴れ
台風ここでは何事もなく過ぎる。
被害のあった地域には申し訳ないが、ここは何事もなく台風は通り過ぎた。昨日の午後7時過ぎくらいからだいぶ雨脚が強くなり、今日の午前中いっぱい雨があった。出かけた時に富士川がだいぶ増水していたので雨量はかなりあったはずだ。娘も第4土曜は仕事が休みなので、僕だけ6時前に起きて本を読んで、6時半過ぎから客殿でお勤めをし、夕べの残りのカレーの鍋にご飯を入れてそれを食べる。今日9時から県の緑化センターで「緑の感謝祭」というイベントがあるのでいってみたいと思っていたが、8時半に電話するとやるというので出かけた。9時からの入場者先着100人に苗木プレゼントがあるというのも気になっていた。雨は少なくなってきていたが、会場に着くと風が吹き始めた。来場者も少なく準備をしている方たちも大変そうだったが、午前中で雨がやむだろうという予報がわかっていたのが支えになっていたのかもしれない。ミツバツツジの苗(1500円)を2本買ってきた。僕とすれ違いに、妻娘は出かけていた。芋焼酎を空のペットボトルに補給に行き、にごり酒の4号ビンも買う。午後映画など見て、雨が上がったのを確かめて外に出て、先着でもらったマンリョウ苗とミツバツツジを植える。ミツバツツジは一番好きな花で、これの沢山咲く境内にしたいと思うのだけど、このミツバツツジが挿し木などで増やすことができないので、結局こんなイベントで安く買ってくることくらいしかできない。今日の苗は大きかったので1500円は安かったと思う。
町議会選挙の最後の遊説が何台も声をからして通り過ぎる。皆必死だ。明日法事があるので、客殿の須弥壇に雑巾がけもする。これは恥ずかしいが一年ぶりくらいだった。

2013年10月25日(金)
一日雨がじとじと降っている。
台風27号の影響で雨が降り続いている。ここいら辺りはそんなに警戒するほどのことはないようだ。天気予報も明朝には雨も弱まると出ているし、お昼頃からは天候も回復し晴れマークとなっている。それでも台風を警戒してか、今日は選挙の遊説カーがよく走りすぎてゆく。もう残すところ明日のみで、今日の内に町中に訴えて回ろうとでもしているかのようだ。ただ悲しいかな、晴れてても雨でも、町道にまで出て耳を傾けるような姿はない。静かなものだ。この静かなのは選挙期間中だからではなく、ほぼ一年を通してこういう静かさだ。庫裏の暖房用に3畳用のホットカーペットを買った。価格コムで調べて安いのを買ったのだが北海道のお店だったのに、水曜に注文してもう今日の昼前には届いた。読書する。

2013年10月24日(木) くもり
雨は落ちず、一日草を刈る。
今朝は一時間遅く起きてしまい、30分ほどしか早暁の読書ができなかった。朝食後に最後まで読んでしまい「橋のない川」第二部読了。昼食後1時間ほど第三部を読み始める。9時から畑の草を刈りはじめ。11時の鐘を撞く時間だと思って時計を見たら11時10分過ぎだったので今日はあきらめた。そのまま正午のチャイムまで刈る。午後1時半から再び刈りはじめ、午後4時過ぎに終了。今年の草刈りはこれにてすべて終了。来年の春まで骨休みだ。外で草を刈っているので、今日は町議会の候補者の遊説カーを何度も見ることとなった。「地元の候補者共々よろしくお願いします」とは如何ぞ。
友川カズキを久しぶりに聴く。

2013年10月23日(水) くもり
緑のカーテンを終わりにする。
今年の夏はよく緑の葉が育った。女房が知識を得て日頃栄養や水を与えてよく管理したたまものだった。10月の末になっても、上段には今も朝顔が盛んに咲くので、このままだといつ終わりにできるかわからぬので、ちょうど台風云々という声を聞くので、彼女にも了解してもらって午前中に片づけた。先ずプランターから伸びている植物の茎を剪定ばさみで切った。梯子をかけてネットと竹竿を外し、畑に持っていき放置した。ネットから蔓を取っていくのが大変なんだけど、これは一週間くらい放っておいて枯れてからのんびりとやろうと思う。ゴーヤの橙に熟れた大きな実もあった。朝顔はまだ咲きそうでかわいそうだったが、種が落ちれば来年は畑にも自然に芽が出てくるだろう。台所の僕らの部屋の二か所に会ったカーテンを撤去すると、今日は曇っていたが部屋の中が明るくなった。また来年だ。午後護摩木を割る。雨がぱらぱらと落ちてきたが4時ころまでやる。頭を刈ってシャワーを浴びて夕のお勤めをし、「橋のない川」読み進める。第二部も明日には終わりそうだ。島崎藤村の「破戒」のことが出てくるが、なぜか中学高校と僕はこの破戒を何度も読んで、夏休みの読書感想文も何度も書いた。僕の住む地域には被差別部落はなかったけれども、大学へ入ってからも一時、部落問題を扱うサークルなどにも入っていたので、僕の根底にはこれらのことへの関心が今もって強く残っているのかもしれない。差別戒名のことなども問題となったこともある。僧侶が差別の片棒を担いでいたなどという阿呆な時代は、僧侶の身分も低かったのだきっと。あー、身分などというものはあるはずがないのだが。

2013年10月22日(火) くもり
夏の衣をしまう。
いよいよ寒くなりはじめたので、さすがにもう夏物を着ることもないだろうと、衣紋掛にかけてあった改良服と偏衫衣をしまい冬物と交換した。夏物を着はじめるのは今は6月ではなく5月から着ることが当たり前になったし、10月でも気温が上がればまだ夏物でいい気がする。もっとも、葬儀などの場合、セレモニーホールで務めるときは通年夏の衣でいいような気もする。冬は暖房が過剰に効いているので、重い冬の衣と例えば七条袈裟など着けていると汗びっしょりになる場合もある。寒暖の差が日常生活の中で感じられなくなるということは困ったものだと思う。
町の議会選挙が今日から始まった。いまは各候補者が選挙カーを連ねて遊説するのが当たり前になってきた。旧町なんかのときは、各候補者とも地元票を固めることに力を入れていたので、そんなに他地区の票は集めることに躍起にならなかったのかもしれない。選挙事務所で朝から酒をふるまっていさえすれば当選なんてことが公然とあったような時代だ。台風の影響で今日も天気はさえない。雨こそ降らなかったが薄曇りで憂鬱になるような天気だ。日曜の雨の日に樋の詰まりを見つけていたので、仕方なく屋根に上って落ち葉を取り除いた。朝から一日読書。

2013年10月19日(土) くもり 今朝3時過ぎに起きて1時間半あまり読んで、とにもかくにも「橋のない川」第一部を読了。一巻ではなくてこの分厚い一冊目は第一部ということだった。今日は2冊目にはまだ入れず、布団に入ってから読めたら少し読もうと思う。
夜中から少し雨があって朝方も残っていたが、降ったり止んだりで午前中には上がってしまった。北杜市の第11回台ヶ原宿市へ女房と出かけてきた。七賢の酒蔵のある宿通りに多くの骨董店や古着屋などが店を出している。教育委員会の時にお世話になった一宮先生に偶然お会いすることとなった。帰り増穂の「ノアの箱舟」でハンバーグランチ。おそらく10年ぶりくらいに入ったのではなかったか。帰ってきて少し外の仕事などする。午後4時を回った頃、不動寺の叔父夫婦が父の17回忌が近いということでお墓参りに来てくれる。

2013年10月18日(金) くもり
来山者あり。
頼まれていて何か話をしてくれないかということだったが、今日、「グループホームのぞみ」に入所している方たちが介護士含めて13人来山。一時間弱くらい本堂でお話しさせてもらった。通常の来山者と違い、ここに入所している方は認知症の診断受けているので、話がどの程度理解してもらえるかなどのわからない部分もあったが、そんなこと気にせずに話をさせてもらった。一通り寺や真言宗やお不動様について話し、最後に「何か聞きたいことがありますか」と声かけると、一人の方が「お経をあげてください」というので、わかりましたと、般若心経と諸真言を5分ほど唱えた。皆さん手を合わせてくれているようだった。おそらくみな仏教徒であり、話よりも、「ありがたいお経」を何より欲していたのかもしれないと後で思い返した。入所者の方が半分来たので、残りの方が月曜にもう一度来ることになっている。お経なら1時間でも読んでいられるし、話をするよりも一方通行でこちらも楽なのだが、そういうわけにもいかないかもしれない。でも楽しい勉強になった時間ではあった。
Kさんに参道の側溝の補修をお願いしてあったが今日来てくれた。台風の雨の名残が側溝をちょろちょろと流れている状況だったが仕事を進めてもらった。これでここ何年か一番気になっていた箇所の処置が済んでほっとした。法事の塔婆をかく。朝、佐田さんが今年の新米を届けてくれた。本堂に供えた。枝豆も隣りから届いた。昨日も茄子と枝豆を檀家からもらった。寺守りへの評価なのだろうと思いながらありがたくいただく。

2013年10月17日(木) 晴れくもり
葬儀に参列する。
11時からの遠藤さんの葬儀に行く。曙から間遠トンネルを抜けて式場の夜子沢のお寺に行く。勤めを辞めてから初めて通る道だった。寺での葬儀の方が広々として開放感があって、真上には青い秋の空が広がっていて、遠藤翁を送るには断然ふさわしいと感じた。香典場に川口さん、亀田さんの顔も見た。亡くなってしまうなんて残念でならないが仕方がない。もううちのお祭りには来てくれることもないが、天上から柴燈護摩の火を眺めてほしい。親族で参列していた川口の保さんに声をかけられ立ち止まって少しお話をした。
天気も良かったので思到って網戸を洗うことにし、庫裏の入り口に去年と同じにブルーシートを張って作業を開始した。昼食をはさんで3時ころまでには洗い終えた。その頃には空が曇りはじめたので、網戸を乾かすのに難があったが、土蔵にしまうものは仕舞い、客殿の廊下奥にしまうものは、明日もう一度陽に当ててから仕舞うことにして廊下に仮に置いた。「橋のない川」順調に400頁まで読み進んだ。ケアホームに入っている若尾さんからはがき二通届く。寒くなり始めたので、台所の居間にじゅうたんを敷く。

2013年10月16日(水) 晴れ
ここは何も被害なく台風去る。
今回の台風は雨は朝方までたくさんん降ったが風がほとんどなかったので助かった。5時頃には外も静かになり間もなく雨は止んでしまっていた。今朝は本堂へは行かずに客殿だけで勤行をした。4時に起きた時に「橋のない川」を読み始めようと思い立って、文庫の全七巻中一番厚い一巻目を開いた。250ページほど一日で読んだ。雨は止んだが8時前くらいからかなり強い風が午前中吹き荒れた。午後からは少し凪いできたが、夕方まで時々強い風が吹くことがあった。午後は陽射しも強くなった。

2013年10月15日(火)
台風26号接近中。
午後4時。まだそんなに強く雨は降ってはいないが、台風が来ているなぁという感じはする。朝9時頃から本格的に降り始めた。雨になるのならやってしまおうと、7時前から竹林の前の草を刈り、畑の長い草も刈る。八幡神社の横に積まれていた刈り草も燃してしまう。草刈り機を庫裏縁側から農機具小屋に片付けて、墓地へ行き溝の落ち葉を取り除いて雨に備える。彼岸に備えられた花が枯れ始めていたのでバケツへ集めて回り、桜の老木の落ち葉を熊手でかき集めて周辺の雑木と一緒に燃す。S家墓地の仕事に左石材店の職人さん二人繰るも午前中だけの仕事ではなかったか。10時半頃にすべてを終えて濡れた服を脱いで庫裏の風呂場に行き頭を刈って体を洗う。効率よく作業を終えた。娘は台風が今夜から明日午前中にかけて強いということで、大事をとって甲府の職場近くのビジネスホテルを夕べ予約した。お互いに心配がなくて済む。長い夜になりそうだ。

2013年10月14日(月) くもり
甲府へ。
枝豆をもって甲府の玄法院、行藏院を訪ねる。玄法院ご住職はうつせみの世でのお仕事のため不在。T志さんが出てきてくれて少し話す。昨日本山から帰ってきたとのこと。長い時間座ったので足が辛いとこぼす。このままもうしばらく頑張って来年は是非とも恵印勧請に入るよう励ましてきた。昨日今日と朝はだいぶ寒い。行藏院はあらかじめ電話をしておいたので待っていてくれた。1時間ほどお話をして帰ってくる。枝豆以上のお土産をいただいて帰ってくる。カメラをもっていって甲府の景色を撮ってこようと思っていたのだが、だいたい携帯すら持たずに出かけてしまうので、カメラは走り出してしばらくしてから忘れたことに気づき失態。仕方がない。明日からまた雨になりそうな予報である。

2013年10月13日(日) 晴れ
行楽シーズン。
朝から2家族の参拝があった。明日までの連休で山梨はブドウもいいし、富士も八ヶ岳方面もいいので出かける人が多いのだろう。こんな寺にも来てくれるのだからありがたい。そういえば昨日の夕方には珍しい人が来られた。丸山さんという高齢の方だ。80歳を少し超えている方だが日帰りで七面山に参ってきた帰りを寄ってくださった。この方毎月七面山に参っていたころからなぜが不動明王のある真言宗のこの寺にも必ずお参りしてくれていた。もう危ないからと一人では家族の許可がもらえず、数年ぶりにお孫さんと一緒に登ってきたとのことだった。
今朝来られたご夫婦は、S菱冷熱のK氏が祈願寺としていた時に、毎年ここへきていたという方が奥さんを伴って訪ねてくれたのだった。なつかしそうに、たくさんお守りなども求めていってくれた。もう一家族は静岡からの成田さん。今日は奥さんと子供さんお二人を連れてきてくれた。不動明王をゆっくりと拝し、お茶に誘うと庫裏で少しゆっくりとしていってくれた。「ほったらかしの湯」に行くつもりだと話してくれた。本当に一晩だけ聴いた2枚750円のブライアン・フェリーを貰っていってくれた。子供が小さいときに家族で出かけるってのがもう僕にはないが、こういう仲のいい家族が訪ねてくれるのを見るのも楽しくて幸せな気分になれる。

2013年10月12日(土) 晴れ
連日暑い。
5時半起床。一人でもなんとなく起きてしまった、というかやはり夜が遅くまで起きていられないのだ。八幡神社で草を刈る氏子総代の方たちの刈払機の音が聞こえてきたので、僕も思い立って庫裏の裏と客殿裏の庭の草刈りを午前中する。今日も暑い暑い日になる。竹林の前は後日にする。若尾さんの23回忌を奥さんから頼まれていたので客殿で経を上げ、墓参もする。奇しくも今朝の新聞に、故人の葬儀に弔辞を読んでくれた元郵便局長さんが亡くなったことをおくやみ欄で知ることとなった。
隣りの南部町じゃ全国一の暑さになったそうだ。きっとここだって30℃は越えていた。体がだんだん秋から冬向きになってきているので、30℃は尋常でない暑さに感じる。

2013年10月11日(金) くもり晴れ
ひとりだ。
妻娘は連休を利用して念願の倉敷へと朝出かけて行った。5時前に本堂へ渡るとき外は霧雨だった。昨日の同じ時間は天井に星が一杯で、僕はオリオン座くらいしかわからないのだが、そのオリオン座がはっきりと見えて、それから天の川というのかもしれないが、南西から北東にかけて太い筋状に流れているのが見えた。今朝は天の川があふれたのかもしれない。
ひとりになったのでのんびりとした。久々にブックオフへ出かけた。もちろんコンテナ2箱に古本を詰めていった。560円くらいにしかならなかったが、前回と今回で本棚がすっきりとした。6冊の文庫本を買い、なぜか秋の夜長にブライアン・フェリーだと思って、500円のと250円のを1枚ずつ買った。今夜だけのブライアン・フェリーでも構わない。今日も9時くらいから暑くなって、多分30度越えたと思う。出かけた帰りに、パセリとサンチュとサニーレタスの苗を買ってきて、3時頃から畑に管理機をかけて苗を植えた。汗をかくほどでもなかったが外に出て風も気持ちよくて、終えてシャワーを浴びて体を洗って、夕のお勤めを済ませて、これを書いてしまえばあとは飲みながらの楽しい夜だ。

2013年10月10日(木) 晴れ
今日も暑い。
こう暑くては温暖化が実感されるってもんだ。村薫「晴子情歌」下巻読了。本を返す。図書館の本は貸出期間があるので、どうもここの所読めたり読めなかったりで、週に一冊くらいしか読めなくて、それも貸出期間の後半にかなりプレッシャーがかかって読むというような状況なので、今ちょっとやりたいことややらなければならないことなどがあるので借りるのをやめようと思った。今月末から来月いっぱい週末には法事が続いている。そういうことの準備もしなければならない。午後から母親の入所施設に利用の支払いに行く。相変わらずである。体調は随分とよさそう。先月と変わりなし。女房が買って新しい下着と古いものを交換してくる。
2013年10月9日(水) くもり晴れ
風一日強く吹く。
今日は本堂の扉を締切にしておいた。訪ねてくれ人もない。朝から強風。雨交じりの風が吹いたが風で洗濯物は乾き、夕方には青空がのぞき天候も回復してきているようだ。終日読書。一週間で一冊読めればいいかな。新潮文庫の住井すゑ「橋のない川」全七巻を500円で落札したのが届く。先週明け方本を読んでいて次はこれだなとすぐにオークションサイト見ると出品されていた。僕以外に競る人もなく出品額のままで落札。少し読んだ記憶もあるがもうほとんど頭にない。今年中に読めるか。

2013年10月8日(火) 晴れ
寒露。
6時前の東の空に真っ赤な朝焼けを見ることができた。朝焼けは雨という伝えがあるが夕方になって雲が多く出てきたが雨にはなっていない。二十四節気の内の「寒露」。ウィキペディアには「露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ」とある。やはり地球の気象もだいぶ変化してきているのだろうから、頷けたり、うーんと傾げるようなものもある。今日も気温は上がっていたのだから。シルバーのKさんに頼んだ仕事すべて終わった。参道脇の水路の底のセメントが剥げてしまっているのもKさんに補修をお願いすることにした。
法事の塔婆をかく。午後3時から新車の交通安全のお祓い一件。ぽつぽつとでも僧侶としての仕事があるだけでもありがたい。お祓いに来てくれた富士ヶ嶺の遠藤さん。世界遺産登録で休日はものすごく道が混むのだという。観光客が増えてほくそ笑む人もいれば、静かな生活を保ちたいという人も一方に入る。酪農家にとってのいい環境が保たれ続けていてほしいと思う。

2013年10月7日(月) 晴れ
残念。
彼岸前から行方が分からなくなっていたEさんが残念だけれど亡くなって見つかった。どんな思いでその道を走っていたのかは知るすべもないが、まさか命を絶とうと思っていたということはないだろう。長く務めた職場の大先輩であったし、親戚がうちの檀家だということもあり、毎年不動尊祭典には家内安全のお札を申し込んでくれていた。今年のお祭りの当日も来てくれて、お昼には庫裏に上ってお酒も飲んでいってくれた。「住職は俺が酒を飲むのを知ってるから」と話していたし、あとから女房に訊いた話では、しばらく横になって寝ていたということだった。高齢ではあったがまだ自分で車も運転できたし、あちらへ行くにはまだ早すぎたのではないか。こういう人を好好爺と呼ぶのだろう。残念だ。

2013年10月6日(日) 晴れ
気温上がる。
今日はおそらく30℃に達したのではないか。あつーいと感じる一日になった。起きて少し本を読んで朝のお勤め。午前7時半から集落の山道つくりと中沢川公園の草刈りと有害獣除け防護柵の下草刈りと除草剤散布の作業。もうここ数年山道つくりといっても頂上にある区有林にまでは行かずに途中で帰ってくる。植林した林もあまり手入れがされていないので薄暗く、というわけで草もほとんど生えていない。それでも坂道を上っていけば息が切れて必然の汗をかく。集落と同世代と会うのはこういう時に限られる。他愛もない話にしばらく興じてまた道を下り、中沢川公園に草刈り機をもって集まり、ブンブンいわせながらあっという間に草を刈ってしまう。午前中で有害獣の柵の草まで作業を終えて解散。シルバーのKさん今日もペンキ塗りに来てくれる。トタン屋根の上今日はきっと熱かったに違いない。
午後1時半に大阪からお不動様を拝観に来る人が居たので待っていると、その前に都留のTさん夫妻が訪れる。「まあ久しぶりですね」とあいさつし本堂に上ってもらう。本尊の厨子をあけてある理由を話すと二人ともタイミング良かったと嬉しそうに、そして二人の願い事をゆっくりとお不動様に願っていた。大阪の方も見えてお話をし、御朱印も。甲斐百八霊場巡りをしているとのこと。甲府駅からレンタカーを借りて昨日今日と歩いているとのことであった。その後はのんびりと午後を過ごす。

2013年10月5日(土) くもり
土曜日のんびりとする。
娘も今日は休みだったので朝が比較的ゆっくり。朝方雨が少しあったので、ペンキ塗りも今日は休み。iPodを新しくしたので、一日それに音楽や動画を取り込んだり、本を読んだり。午後御朱印一人、お開帳希望二人あり。御朱印の方は伊豆から来たというう若者で、寺社仏閣巡りが休日の楽しみ方で、「こういう趣味はなかなか同世代には受け入れられません」と語っていったが、でも結構若い人も来るよな。自分の周りだけをながめると孤立しているように思えるのかもしれない。その彼は「醍醐の修験に興味がある」と話すので、本堂でしばらく話をした。修験籍を取るなら醍醐に縁を持ちなさいと話しておいた。もう一組は男女の二人で、不躾ですが写真を撮ってもいいかと訊くので「構わないよ」と応えると、あらゆる角度からじっくりと時間をかけて不動明王を写真に収めていった。でもちゃんと礼儀正しくしていったのだからそれはそれでいいと思っている。寺を訪ねてくれるということが僕たち寺の人間には一番うれしいことだ。

2013年10月4日(金) くもり
テレサ・テン。
屋根のペンキの塗り替えに来てくれているシルバーのKさんが昨日、「ジャズですか?やっぱり住職は違いますね、私なんかはもっぱら演歌で」と、わかったようでわからんことを話したので、彼が今日仕事を始め、僕も護摩木作りを始めるに、今朝はテレサ・テンを外に流した。仕事のノリもよかったのじゃないかと思っている。10時のお茶の時に、Kさんが「ケイ・ウンスクいいですね」というので、「テレサ・テンです」と訂正して、しばらくテレサのことについて二人で話した。30年ほど前に建てた車庫の屋根も塗り替えてもらうことにした。まあこれで塗り替えておけばもう死ぬまで塗り替えなくてもいいだろうと夕べ家内と話した。今朝も早起きで読書し、昼食後に読んで、やっと村薫「晴子情歌」上巻を読み終えた。先週の植木の手入れの費用の支払いにシルバー人材センターへ行き、図書館の返却ポストに読み終えたものを返してきた。午後も護摩木の続き。明日また天気が悪くなるかもしれないと、Kさん今日は農機具小屋の屋根まで仕上げていってくれた。信者さんからふたつの件で祈願を頼まれたので、お札を書いたり護符を作ったりする。

2013年10月3日(木) くもり
少し雨降って涼しい。
午後3時頃から1時間ちょっと雨が降って幾分涼しい。農作業小屋と玄関の屋根のペンキ塗りにシルバーで朝から来てくれる。夏は暑すぎて、屋根に上がっても火傷をしてしまうということで涼しくなったら行きますということだった。今日も午前中は昨日の続きかなと思うくらいによく晴れていた。なるほど、地下足袋でトタン屋根に上ったら火傷するだろうな。僕は護摩木作りを午前と午後する。9時ちょっと過ぎに先日困りごとの相談に見えた老婆がまた訪ねてきた。今日は一人で飯富から歩いてきたという。庫裏の椅子に掛けてお茶を飲みながら、「世間話に付き合うか」と作業中断とした。曙大豆の出来はどうだとか、猿が電気柵をしてあっても入り込んで実の膨らまない枝豆を食ってしまうとか、土日には息子が来るのでそのほかの日は一人で何とか頑張っていることや、孫の話なども聞く。話を聞いてやればきっと落ち着くような雰囲気だった。家まで送るというと、それには及ばん、飯富の親類にもちょっと寄っていくので歩いていくという。冷たい麦茶をぐっと飲み干して歩いて行った。石材店のM氏のお母さんの葬儀に11時の鐘を撞いて出かける。駐車場で早川の役場のUに会う。「ほんとに辞めたですね」といいうので、「そうだ」と応える。早川の役場もこれから新庁舎の建設とかなかなかに職員も大変だ。180センチを優に超えるUが軽自動車運転して仕事に戻るのを、窮屈だなぁと思いながら見送る。今日は3時半前に起きて100ページほど本読む。

2013年10月2日(水) 晴れ
暑くなる。
昨日と打って変わって秋晴れの良い天気。気温もぐっと上がり暑い一日となった。10時から佐田家の墓碑建立の仕事始めの祈願をする。11月の一周忌までには立派な墓地が完成する。映画と読書で午前中。午後からチェンソーを使ってみる。転がしてあった杉の丸太を護摩木ようにカットする。快適に作業できた。百八支を作るために今まではノコギリを使っていたがだんだんこの作業が億劫になってきて、護摩木をネットで見つけて百八支だけ買って使っているが、ちょっと細すぎてあまり納得がいかなかったので、これからはチェンソー使えば簡単にぶつ切りにできるので今までように自分でこしらえることができる。用材は裏山に行けば、獣除けの柵を張るときに切り倒したものが、今のところはいくらでも転がっている。やりたいことが出始めるとなかなか読書がはかどらなくて困る。

2013年10月1日(火)
10月は雨から始まる。
これも自然の成り行きだから仕方がない。朝から降り始めたので一日本を読んだり映画を見たり。檀家から法事についての問い合わせの電話がある。午後注文しておいたチェンソーが届き、庫裏の土間で組み立て、燃料を入れてエンジン始動させてみる。これで本堂の裏の雑木林の雑木を梳くことができたら、猿たちの潜む場所を少なくすることができる。

2013年9月30日(月) 晴れ
9月晦日。 暑かった夏も終わりに近づくな。あまちゃんが終わって今朝から「ごちそうさん」が始まったが、やはりいつものように始まりは「おもしろくねぇな」という感想。でも杏ちゃん好きなのでしばらく我慢して見続けてやろう。映画と読書、午後から墓地で少し作業。秋の蚊は刺されると特別にかゆい。明後日に八王子佐田家の墓碑建立祈願の予定はいる。午後曙の老婦人訪ねてきて、悩みごとの相談を受ける。「警察にも届けた方がいいですよ」ということも話す。役場でお世話になった方もお彼岸前から行方が分からなくなっている。生きていてほしいのだけれど日が経つにつれて不安が募るばかり。こちらは祈る事しかできない。

2013年9月29日(日) 晴れ
午後は暑いくらいで。 朝の冷え込みというのか、寒さはちょっと厳しくなったが、日中はその代りに暑いくらいに気温が上がる。そして陽射しの角度が地面を這うように長く長くさすので、ほんとに暖かい。山に落ちようとする陽の光が緑のカーテンにあたって、朝顔やゴーヤの揺れる葉の影をパソコンのキーボードにまで映してくれる。昨夜は護摩の助法をしてくれた東海さんとひと月ぶりに飲んだ。懐かしい昭和歌謡をYoutubeで流しながら麦焼酎を飲み。憲法九条などについても語り合ってしまったのだ。
9時過ぎから2時間半ほどかけて護摩の後を片付け、仏器を洗って、本堂の掃除をし、今日はおまけに次の護摩のための香盛りなどもすませた。今日は寺を訪う人もなく静かな一日だった。明日で9月も終わり。網戸を洗って片づけるのをいつにしようかなどと考える。

2013年9月28日(土) 晴れ
護摩を焚く。 午後2時から護摩を焚く。午前中にお参りに来ておられた伊藤さんに、「2時から護摩を焚くので時間があったら来てください」とお誘いしたら来てくれた。東海師も午前中で用事を済ませ先月と同じように助法をしてくれた。家内も息子のために願掛けをした。一人で焚くときと違ってこういう護摩もいい。祈りというものが直に伝わってくる。お不動様の慈悲の心に触れている気持になってくる。
午前中本を返しに行き高村薫の「晴子情歌」上下巻、「太陽を曳く馬」上巻を借りる。「晴子情歌」60ページほど読んだ。依田兄弟商会へ修理に出していた草刈り機を受け取りに行く。農機具屋さんは今の時期稲刈りや脱穀などで機械にトラブルがあるらしくとても忙しそう。原小学校と地区の運動会。もう何年も行っていない。寺のこと優先となっているので。

2013年9月27日(金) 晴れ
植樹。 11時の鐘を撞いてからコメリに行き、新しい刈払機用のエンジンオイルや強力両面テープなど買い、売れ残りの花桃と枝垂れ梅の苗が298円だったので買ってきた。午後から外に出て2本の苗を畑と資料館前に植えた。それから挿し木の花梅を2本プランターから抜いて墓地の参道と庭に下した。ニシキギの挿し木も3本畑に下した。今年はフジザクラの挿し木が1本しかつかなかったし、境内に下したフジザクラやツツジの挿し木苗が夏の暑さで何本も枯れてしまった。もう少し大きく育ててから下す方がいいのかもしれない。
村薫の冷血の上下巻今朝読み終える。はじめがいささか退屈だったがやっぱり引き込まれて喉を水が落ちるようにどんどん読めた。返しに行き他のを借りようと思ったら今日は月末の休館となっていた、明日午前中に行ってみよう。日中はよかったのだが、今朝は気温がグーンと下がって寒かった。

2013年9月26日(木) くもり
葬儀。 3時半起床、読書。8時半葬儀会場着。最後の別れして出棺、9時15分から火葬。11時に再び葬儀会場へ戻り午後1時から葬儀告別式。定刻に始めちょうど1時間で終える。その後初七日忌法要。ノンアルコールビールでのど潤して3時前に帰山。シルバーのお二人ちょうどお茶の時間。彼らも今日雨にならなくて予定通りに仕事終えてもらってお互いによかった。池の端の松の幹が虫に食われているのでコーキング剤などで処置しておいた方がいいといわれる。葬儀の方は喪主はじめご家族の皆さんにも丁重なお礼の言葉をいただいた。

2013年9月25日(水) くもり
通夜。 天気が下り坂でとても蒸し暑い日になった。雨を心配したが午後3時過ぎから少し降ったが大した雨にはならなかった。シルバーのお二人も今日の作業はしていただけた。午後4時から自宅で納棺。建設業を営んでおられるので、関係する業者からの生花がたくさん寄せられていた。6時から通夜。きっちりとお勤めして帰ってきた。喜多郎の新作届く。

2013年9月24日(火) 晴れ
シルバー人材センターはいる。 今年も庭木の手入れに来てくれた。今日は二人で丸一日かけて本堂前の松の手入れをしてくれた。長い脚立を立て、二人で黙々と、あるいは話をしながら松を梳いて摘み取ってくれる。甲府の遠藤さん夫妻墓参りに来山。この恒例のご夫婦毎年彼岸の後半に甲府からきっと安全運転第一で来てくれるのだ。檀家ではないのだが、ゆかりのご先祖様の墓地を大事にしてくれている。シルバーのお二人とお茶を飲んだ後すぐに、坂本さん会社の営業で今日はこっち回りとのことで寄ってくれる。ご一緒の同僚の方に本堂を案内してお開帳する。彼岸花の満開を喜んでくれる。二人が帰った半時間後に今度は東海さんが会社の同僚と今日はこの辺りを歩いてましてと訪ねてくる。28日の午後なら護摩に来れそうだというので、「じゃあ2時から」と決まる。ただ今彼には心配な案件があるので、もしかしたら無理ということになるかもしれない。葬儀のための諷誦文や次第づくりなどする。今日は本読めず。

2013年9月23日(月) 晴れ
葬儀頼まれる。 地元の葬儀社から電話があり、埼玉に真言宗の菩提寺のある方なのだが、山梨まで出向くことができないので、俗名のままで葬儀だけ真言のお寺に頼みたいとのことだった。真言の寺はうちだけなのでもう他を選択することなく電話がかかってきたということだ。引き受けて午後1時に枕経に行き葬儀等の日程を決める。25日の通夜26日の葬儀と決まった。檀家の少ない寺なので正直こういうお話は大変にありがたい。しっかりと務めたいと思う。彼岸の中日の今日は墓参で訪れる人も多かった。皆さん「彼岸花がきれいだね」といってくれる。ちょうどいい時期に満開に群れ咲いている。連休中は天気も良くそして気温も上がっていい週末だった。「あまちゃん」最終週となりなんだか少し終わるのがさびしく感じる。

2013年9月22日(日) 晴れ
ニュース。 新聞を開いても直接関係するような記事が目に飛び込んだりはしないが、今朝はだいぶショッキングな記事だった。高校時代の仲の良かった同級生がバイク事故で亡くなった記事だ。彼は隣町の役場にも勤めている現役の職員。9月の議会が終わって連休を利用してバイクで出かけたのだろう。事故現場は丹波山村のトンネル内だったとのこと。3年の時のクラスも一緒だったし残念でならない。一瞬で終わってしまう命のことを考えさせられた。今日は午後になって墓参の方ぼちぼちとある。どうしても直接車で行ける裏側から墓参する人が多いので、正面から墓に行く人の方が少ないのだ。読書したり映画を見たり。10時過ぎにやはり高校時代の同級生が突然訪ねてきた。バイク事故のSのことも二人で話したのだが、彼の用向きは別のことだった。お茶を飲みながら15分ほど話して帰っていった。夕方になって防災行政無線で、行方不明者を伝える放送が流れた。お祭りにも毎年来てくれてお札も頼まれる方なのでこちらの方も心配。高齢であり、もう数日経過しているようなので心配である。今日も暑い一日。

2013年9月21日(土) 晴れ
墓参あり。 土曜日ということで墓参する人ぼちぼちとある。東京からもふた家族。3連休で天気もよさそうなので道も混んでいるのだろう。この時期の連休中が雨になったら行楽地は大打撃だ。天候に一喜一憂するということがよくわかる。今年もまた彼岸花がとても鮮やかに朱も映えている。庫裏の畳に寝ころびながら声をかけてくる人もあるだろうからと、一日音楽を聞いたり本を読んで過ごし、墓参の方と話をしてお茶を飲んだり。
夜町議会議員選挙の件で区民集会が開かれるも参加者ほんのわずか。個人的にはこの選挙というもののとらえ方にずいぶんとギャップがあることを痛感した。久しぶりに晩酌をせず、帰ってきて発泡酒一本飲む。巨人の優勝は負けて明日に持ち越し。ヴァンフォーレ甲府、最後の最後に引き分けゴール入れて勝ち点1。村薫「冷血」の上巻やっと読み終える。

2013年9月20日(金) 晴れ
彼岸入り。 早起きして読書。お勤めを済ませて墓参する。ひんやりとした朝の墓地には誰もいなくて静か。今日は墓参者は少なかったが暑くて秋の好天気。JAZZを外に流しながら本堂で香盛りなど次の護摩の準備をする。手紙をいただいた若尾さんにハガキで返信する。彼岸塔婆何枚か頼まれる。夕方建築カメラマンが新車購入したイタリアのバイク「ドゥカティ・ディアベル」のお祓いをする。1200CCだし、普通車買うのと同じくらいするんだよね。でも欲しかった夢がかなうってのはいいものだ。落ち着いた大人が乗るだけの風格がある。終えてから久しぶりに夕食を一緒にする。

2013年9月19日(木) 晴れ
草刈ってしまう。 草刈機が何とか持ちこたえたので午前中で畑の草を両側とも買ってしまうことができた。11時半に戻ってメールを見ると、内藤君から「参考に」と、4サイクルエンジンの刈払機が混合にしなくてもよく音も静かだと教えられた。農機具屋で今まで買っているのだが、いまネットで見ると安く買えそうな気もするがもう少し検討してみよう。午後本読みながら昼寝をしていると近所の遠藤さん訪ねてくる。彼岸花を撮りながら寄ってみたとのことで、お茶を飲みながら少し話していく。ずいぶんと久しぶりに話をした。3月で完全に仕事を終えたとのことで、「台風の時には現場に行ったりとか大変だったよ」と言っていた。帰ってから、しばらくすると今度は市川の第九の遠藤さんが、先日の台風の時に雨漏りのした箇所を修繕しに来てくれた。ついでに庫裏の裏の風呂・トイレ・洗面所の建物の屋根を見てもらった。気になる箇所があったので見てもらうと、雨漏りがして腐り始めているなとのこと、その場で修理をお願いした。金がかかっても直しておかなければひどくなる一方だ。何とかなるだろう。5時半過ぎに電話があり、後山の遠藤さん彼岸の塔婆受け取りに来る。遠藤day。

2013年9月18日(水) 晴れ
畑の草を刈る。 思い立って10時半頃から畑の草を刈りはじめた。一機修理に出していて、手元にあるのは馬力がちょっと小さい。いつもは円盤をこれに装着して使っているのだが紐をこれに付け替えて使った。かなり酷使しているのでもう大分くたばってきていて、一度エンジンを止めるとエンジンが冷めるまで30分くらいはエンジンがかかってくれない。農機具屋さんに訊いたらもうそれは仕方ないねと言われた。最近のものは熱がこもらないような仕様になってきているらしい。ここらあたりが買い替えのような気がしている。明日草を刈ってみての状態で考えてみる。やはり草を刈りとさっぱりとする。

2013年9月17日(火) 晴れ
快晴の秋空。 台風が抜けていって今朝は寒くて起きてしまうくらいに冷え込んだ。日中は気温が上がり暑い日になった。秋の空に巻き雲があった。秋の陽射しは長く部屋の中に差し込んでくる。また読書の生活に戻った。

2013年9月16日(月)
台風接近中。 午前7時。ものすごい雨と風がもう2時間くらい続いている。お昼頃にかけてさらに強くなるとの予報だ。京都・滋賀・福井に大雨特別警報というのが発令された。数十年に一度しかない災害の危険があるという。ここも、部屋の窓から大ケヤキを見上げていると恐ろしくなってくる。テレビ画面には次々と警報や道路状況などを知らせるテロップが流れている。6時過ぎに女房に電話を入れると、「実は夕べ帰ってきたのだ」ということを伝えられた。よかった。新宿23時の最終の特急で帰ってきて、若草のお兄さんの家にいるということだった。台風が通り過ぎて落ち着いてから帰ってくるように伝える。とりあえずホッとした。
午後3時10分。正午前には雨風ともに収まり、今は青空と太陽を仰ぐことができる。何事もなかったように穏やかで静か。でも台風通過の最中はケヤキが倒れるのではないかと外を見ながらドキドキしていた。二人も帰ってきた。本堂、客殿、庫裏、住いの窓をすべて開け放って風を通している。

2013年9月15日(日) くもり
台風接近。 女房と娘は予定通りに東京へ一泊で出かける。台風を気にしているが出かけた。夕刻まで雨はやんでいて静かに過ぎたが暗くなってから降り始めてきた。静かに時間が過ぎていたので、友人が訪ねてきてくれて3人で飲んだ。発泡酒をたくさん空けてそのあと焼酎になり、気持ちのいい時間を過ごした。一人になってテレビを見たり雨と風を感じていると、かなり大きな台風が来ているようだということが分かった。電車も明日の運休が決まったことを伝えている。女房に電話をしてそのことを伝えたのだがどういう風になるのか。こっちは結構酔っぱらってしまっているのだ。

2013年9月14日(土) 晴れ
墓地の掃除完了。 7時から昨日の続きの墓地の草刈り。10時過ぎには参道の掃き掃除まで終えて掃除完了。草を刈っている間にもう早くも墓参の人があり、お昼近くにも甲府からの家族の墓参があった。皆さんそれぞれの都合で墓参に訪れる。それでいいのだと思う。忙しくて、都合が悪くて行けなかったというのではなく、今日なら行けるから行こうというのがご先祖様にはうれしい。暑かった夏の墓の下も、幾分涼しくなり始めていることだろう。昨日はまだ一輪も認められなかった彼岸花が今日開いた。一週間後の彼岸の入りのころにはちょうど満開の彼岸花が境内のあちらこちらに見られるはずだ。この光景が一年に一度しか見られないのが何ともさびしいのだが仕方がない。
草刈り機一台を修理に出す。うちの草刈り機はかなり酷使されているからな。もうちょっと今年働いてもらわねばならん。今日は読書OFF。蒸し暑い午後になる。明日明後日は雨になるようだ。一仕事終えたので雨でもなんでもきやがれ、雨の間は本でも読んでりゃいい。

2013年9月13日(金) 晴れ
墓地草刈り。 今日の作業を夕べ決めていたので、読みかけの本を読んでしまいたかったので、3時ちょっと前に起きて読む。図書館で面白いかなぁと思って借りた本。松田広子(南部八戸イタコ六世代)「最後のイタコ」。恐山に行ってイタコの口寄せとか生で聞いてみたいよなと思える本。朝食後7時前に墓地へ行きはじめる。午前中11時の鐘まで作業する。昼食後映画一本見る、「夜明けのガンマン」。午後2時半から4時まで作業する。今日も暑い一日。明日も雨の心配はなさそうなので涼しいうちに残りの草刈りと掃除をしてしまう予定。


2013年9月12日(木) 晴れ
年金額改定。 母の受給している年金の額改定のお知らせが届いた。母の場合は、父の遺族年金も受けているので、有利な方を選択することになっているので、自分の年金額は半額が支給停止になっているのだが、8月分の年金額から改定になり、今までもらっていた年金額から約30万円ほど少なくなる。これは自分だけの問題ではないのであきらめて納得するより仕方がないのだが、ずいぶんと減らされてしまうものだと改めてその数字を見入ってしまった。母自身はもうこんなことは全く分からないので特に知らせることもないわけだが、介護施設の利用料などでそのほとんどを使うことになってしまうことにはなる。年金が減った分介護にかかる負担も減るということにはならない。上意下達に「へいへい」とうなずいているだけのさびしい生き物だ。
藤野可織「爪と目」、平野啓一郎「Re:依田氏からの依頼」読む。図書館に返却。村薫を借りてくる。暑さが戻ってきた一日。

2013年9月11日(水) くもり
読書&映画。 綿矢りさ「大地のゲーム」。これも震災をテーマにした作品。映画「ブラック・レコード〜禁じられた記録〜」、「ディア・ブラザー」観る。どちらも見ごたえがあった。朝早く起きて映画を見ると、どうしても椅子に寄りかかっていて知らない間に寝てしまうことがあったので、映画は明るくなってから見るようにし始めた。本を読むのは暗いうちでもいいようだ。本は眠くなったら閉じればいいけれど、映画は眠ってしまっても画面は止まってくれないところが困ったところ。夕方涼しい。

2013年9月10日(火) くもり
読書。 3時半前に起床。門脇大祐「黙って喰え」読む。小説を書く人とその読者とこの相互関係はこの星がある限り続いていくのだなぁと。若い人のものを読むのはなかなかに疲れる。娘や息子の世代だ。お勤め、朝食の後、新聞。昨日が休刊日だったので記事はオリンピックの東京開催決定のことばかり。次に玄侑宗久「アメンボ」という小品を読む。被災地を逃れ娘と北海道に暮らす妻が盆で帰省し、仮設住宅で暮らす夫に会うも離婚するという話。浮かれた話のすぐ横にこういう現実は確かにあるに違いない。

夕のお勤めを終えてから彼岸の塔婆を数枚書く。筆走らせながらボブ・ディラン聴く。網戸から入ってくる冷たい風に気分が高揚した。一日読書。護摩木づくりもする。今日は涼しい一日で秋を実感した。

2013年9月9日(月) 晴れ
本仕入れる。 3時半起床読書。高尾長良「肉骨茶」(第44回新潮新人賞)読む。著者は京都大学医学部の19歳。午後から同じく受賞作品の門脇大祐「黙って喰え」読んでいる。本堂でのお勤めを終えて障子をあけると、客殿の屋根に子ザルが二匹上っていた。裏側の樋でも伝って上ったのだろうかと検証に行き、屋根に届きそうな雑木やモミジの枝が伸びてきているのに気づいたので作業することにした。猿が屋根に上がっているのを見るともう尋常な気持ちではいられなくなる。直接飛び移れたりはしないだろうけど、モミジと桜の枝を高枝バサミのノコギリ機能で何本か落とす。屋根に近い斜面に伸びている雑木も切ってしまう。庫裏玄関前のカンナもほぼ終わりになったので刈ってしまう。猿たちは朝早く出てきてもう9時頃には余所に行ってしまった。柿の小さな実を取りにあらわれていた。
午後女房と出かける。「川」で昼食。ここは流行っている。月曜に午後1時近くでもお客さん一杯だ。蕎麦とミニカツ丼のセットを食べる。写真で見てあれも食いたいと思って頼んだのだが、さすがに終盤はきつくなっていた。胃袋も老いが始まってきているようだ。彼女が買い物にいっている間にブックオフへ行く。朝コンテナふたつに文庫本を中心に数百冊つめた。一杯に詰めるととても持ち上げられないので、抱えられる程度に詰めて持って行ったのだが、店に行くと台車が入口に用意されていたので助かった。次回はもっと詰めていっても大丈夫だ。半分近くが買取できないといわれ処分を頼んだ。千円札1枚と2枚の百円玉を貰った。.
105円均一の文庫本13冊と、1冊だけ東野圭吾の350円の本を買ってきた。帰りに母の入所施設に利用料の支払いと面会。相変わらず。少し前のめりに歩くようになったような気がする。妹からの手紙が届く。

2013年9月8日(日) くもり
読書三昧。 3時過ぎ起きる。台所でテレビをつけると、2020年のオリンピック開催地を決めるIOCの投票を中継していた。NHK以外の民放もそれぞれに独自の生中継をしていた。ビックリ。こんなものを夜中に見ている人間がそんなにいるんだろうか。熱くなっているのは東京都とそれにかかわる周りの者たちだけなんだと思っていたのにそうでもないようだ。お祭りごとが好きな国民性とでもいうのか、近年サッカーブームみたいなのがあって、外でその興奮を共有しあうというようなのがにわかブームになっているようで滑稽。誰にも迷惑かからぬようにやっているのは結構だが滑稽。テレビを消して丸山照雄「日本人にとって宗教とは何か」読んでしまう。雨の朝になり、今日予定されていた獣除けの柵周辺の草刈りは今回も中止。お勤めをして勝手に朝食とする。雨の日が多くなってきた。これでまた草が伸びてくるだろう。彼岸前に墓地周辺は草を刈る必要がある。畑の草はどうしよう。今年の草刈り作業を終えるまでにはあと2回は刈らなければならんだろうか。オリンピックよりこっちの方が気になる。予定通りなのか東京が開催地に選ばれる。7年後にはもう60をとっくに越えている。7年後には福島原発の後遺症はどこまで処置できているだろう。被災者たちの生活はどのように改善されているだろう。新しいものから新しいものへと飛びつきたくなるから、過ぎたことはなるべく早く忘れてしまう必要がある。梯久美子「島尾ミホ伝『死の棘』の謎」第7回まで、新潮バックナンバーを読む。しばらくお休み。新潮掲載のいくつかの小説を読もうと思う。

2013年9月7日(土) くもり
読書。 3時半起き読書1時間。朝の勤行。終えて庫裏の玄関を外に出ると門の脇のケヤキの様子がいつもと違う。行ってみると、以前枝を落としたところが腐って、雨で樹肌に雨を吸い込んで重たくなったのだと思うが、どかっと剥がれて落ちているのだった。ちょっと困るなぁというような光景だった。朝食をとってから早々に片付けにとりかかった。昨日秘密の作業で重たいものを持ったので、今日は体を動かせたくないと考えていたが甘かった。老ケヤキの今後も大きな課題。一度は檀家の大反対にあっていて伐採を諦めた経緯がある。
図書館に行く。9時過ぎに家を出たのだが、着いてみると開館は9時半からだったので、しばらく車を走らせて待った。新潮のバックナンバーを借りてきた。「島尾ミホ伝 『死の棘』の謎」梯久美子の2回目以降の連載を読むため。一日読書で過ごす。曇り日で午後3時過ぎころから雨。丸山照雄の本と並行して連載4回目まで読む。
2013年9月6日(金) 晴れ
一日作業。 3時半起き。5時前まで読書。昨日の続きを読んでしまい、丸山照雄「日本人にとって宗教とは何か」という小難しいタイトルの本を読み始める。9時にシルバー人材センターの所長と待ち合わせて、頼まれていたS家の様子を見に行く。草刈りはすぐにでも必要。家の処置に関しては、もう中をどうこうするというような状態ではなく、リフォームなんてとても無理。大工さんも「手の施しようがない」と。草が生えてくることで管理が大変だということであれば、例えば建物も解体してしまって更地にした後で、コンクリートを打ったらどうかということをアドバイスされた。なるほど。用事を済ませて戻り、かねてからどうしてもやりたい秘密の作業を進めることにした。頭の中で考えていたよりもやりはじめたら案外順調に事が運び、午後も遅くならずに女房にも手伝ってもらって作業を終えることができた。今日は一日作業デーということにして、そのあと民俗資料館の掃除をした。内容の濃い一日で満足。

2013年9月5日(木) 晴れ
雨嵐って夜だったな。 昨日の夕方から降り出した雨がだんだん雷も呼んで強くなってとうとう朝まで降った。こんなに降ったのはいつ以来だったか思い出せない。底の見えていた池の水も排水口まで満水になった。20センチほどの鮒が一匹浮いている。樹下のアジサイの移植した苗も今日はしっかりと首を持ち上げた。萎れてしまっている苗も地下で生きていてくれと祈らずにはいられない。3時半に起きて読書の続きをして東野圭吾読了。この「手紙」はなかなか面白かった。そしていま、やはり借りてきた「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」という四女松本聡香の書いた本を読んでいる。稚拙でたいして面白くもないが、あの狂気の集団の中に生まれて育つという過程はこの子達にしか書けない。昼近くから晴れてきて蒸し暑くなった。雨の残る朝には猿が本堂の回廊にたむろしていて酷いありさま。

2013年9月4日(水)
一日雨降ったり止んだり。 変な天気だったが過ごしやすい。雨は秋の長雨のような感じの雨で、陽が射したりもしたが暑くはならなかった。今日は水浴びをしていない。ほぼ毎日何度も水浴びをしている。風呂を掃除しながら水シャワーを浴びる。頭を刈りながらシャワーを浴びる。庫裏にある僕だけが使っている小さな浴槽に水を張ってあり、その水は随分と冷たく感じられるので、3分も浸かっていると寒く感じる。この後に本を読み始めると結構読めるのだ。借りてきた東野圭吾「手紙」を読み始める。Medeski Martin & Wood聴く。このアメリカのJAM BAND結構聞かせてくれるんだよね。好き嫌いがあるかもしれないけど僕は好き。
朝が遅くなってきた。5時でも灯明だけでは経本が読みづらいので、電球を点けておくようになった。夕方もこれから日毎と暮れるのが早くなる。6時半に帰宅する娘も少しずつ帰りの道が暗くなってくるのだ。

2013年9月3日(火) 晴れ
定期受診。 暑い午後を出掛けて飯富病院で受診。次回は採血しましょうと。病院へ1100円。薬局が680円。ずいぶん久しぶりに図書館へ行く。ちょうど病院で待ちながら姜尚中「在日」を読み終えた。雑誌「新潮」2012年11月号と単行本3冊を借りた。帰ってきて早速新潮に新連載となった梯久美子「島尾ミホ伝 『死の棘』の謎」を読む。これは2回目以降のバックナンバーも借りてこなければならない。図書館から身延支所により公図を2枚取る。K美ちゃん元気に窓口業務していました。出かけるのが億劫なので、今日のようなときに抱き合わせでしたいことを済ませるのがいい。今日も暑い日。新早川橋の気温計は33度だった。この夏の暑さは「異常気象」のせいでしたって一言だけで片付けてしまうなんてのは無責任だよな。

2013年9月2日(月) 晴れ一時雨
雨降ったり照ってみたり。 午前中から雨がぱらつき、午後になってから1時間ほど雨がある。雨に濡れて熱が引いて風が心地よい。読書映画昼寝。檀家一軒に手紙書く。

2013年9月1日(日) 晴れ
防災の日。 区会議員は6時半集合で会場準備。区長の避難放送により7時に開始。ここは毎年7時からがもう十数年来定着していてこれはいい。暑くならないうちに訓練を終えられる。今朝は夕べ雨があったせいなのか、とても蒸し暑く感じた。毎年の恒例行事として終えたという感じ。終了後に、町議会選挙に出馬するという候補予定者が現れ、会場で身近な挨拶をしていくというサプライズもあり。個人的なコメントはなし。昨夜臨時の区会が開かれこの件についての報告が執行部からあるも、特にこうするという結論には至らず。いつまでこう、田舎の閉鎖的な慣習を継続していくつもりなのか。こういう部分にだけはどうしてもなじめないし、ついていくことができない。地元地元って、「あまちゃん」じゃないけど、いつまで地元って範疇の中で息をして居続けなければならないのか、こういう古い考えを一新する改革が絶対に必要なのだと思う。
今日も猛烈に暑くなる。冷房全開。読書昼寝映画。護摩木作りでまた大量に汗をかく。今日からもう9月。

2013年8月31日(土) 晴れ
昼は外でてんざる蕎麦。 今日も一日猛暑。午前中妹の嫁いだ内船寺を訪ねる。富士川の風が吹き上げるのか、静岡寄りだが八日市場よりは気温は低く感じた。92歳になる御老僧を見舞う。平和のための絵画展が今年も本堂で静かに開かれていた。帰りに「あずみの」でそばを食べてきた。よく蕎麦を食べている。今日も天ぷらと冷たい蕎麦がのど越しよく美味しかった。帰ってきて映画など見る。暑くて台所に冷房入れて他所の部屋には行けなくなって、テレビ見ながらうとうとしたり。少し風が出てきたので、ヌルデを護摩木の大きさに切りそろえる作業だけしてしまう。

2013年8月30日(金) 晴れ
今日は暑かった。 午後3時を過ぎて外から帰ってきた女房は台所の冷房を入れた。そのくらい今日は暑さが戻った。相当暑くなるとの予報だったので、早い時間に体を動かしてしまおうと、一日サボった護摩壇と本堂の掃除を済ませた。8月ももう明日が最後だ。汗をかいて作業して風呂掃除のついでに頭も刈る。姜尚中の「在日」読み始める。映画「星の旅人たち」がよかった。聖地巡礼の途中で死んでしまった息子の代わりに父親がその遺灰を抱いて代わりに歩くというスペインへの1000キロの巡礼の旅。保存版だな。宗教は違えども、僕もまた仲間と死ぬまで巡礼をして空と海のはざまを歩いているのだ。

2013年8月29日(木) 晴れ
一日休養と読書と螺緒づくり。 昨晩は古民家秋山邸で、東海師の新潟土産「越乃景虎」にとことん酔ってしまった。それでも師は今日の師匠の護摩法要に出かけて行ったのだからすごい。まさに護摩を渡り歩くといった寅さん風。法螺貝と修験用具一式風呂敷に包んでね。祖父も昔春先は祭りから祭りを法衣鞄下げては渡り歩いていたのだった。島田裕巳「日本の10大新宗教」読み終える。一昨日螺緒を自作してみた。コメリでロープを買ってきて、前々から自分で作ってみたかったので、朱の螺緒を見ながらはじめてみたら、なんと「あら簡単」だったので、昨日来た二人にそれを見せたら好評だったので、東海師にプレゼントした。本当は行藏院のご住職にあげてもよかったのだけど、師は何を勘違いしたのか1本だけを貰っていこうとするので、「それはだめです」と断ったのだが、螺緒は2本で1組が思出せなかったようで、今日またコメリに行ってロープを買ってきて2組こしらえた。自分用と行藏院ご住職用。

2013年8月28日(水) 晴れ
三度目の滝。 早川町の大塩の滝を甲府:行藏院ご住職と訪ねた。この夏三度目。今日も暑くなったので滝はとても気が澄んでいて、滝からの飛沫や風が気持ちよく感じられた。先ずお不動様の立つ岩の前で、お神酒を供え、シメを張り替え、ご法楽をする。それから二人で滝の中へ。初めての行藏院ご住職はご修行の後も感激冷めやらぬ感じで、長いこと法螺貝を吹いたり、「ここはいいなぁ」と連発。まだもう一回ぐらい年内には行きたいと思う。帰りに蕎麦。午後2時から不動尊縁日の護摩を修す。都合で午前中ご一緒できなかった東海師も来てくれて、3人で本堂で護摩の祈祷をする。1時間半ほどかかるもお二人とも付き合っていただいて僕は感激だ。護摩を焚き終えたところに下部温泉に来ているという若いご夫婦が見えたので、本堂に上っていただいてお不動様にもお会いしていただいた。ご主人は学生時代仏像の研究をしていたとのことでこれまた相当に感激して帰っていった。東海師がお二人に寺に仏像が来た由来など詳細に説明してくれて、こういう執事のような役目の人を雇うことなど夢なのだから、本当に夢の中にでもいるのじゃないかと、行藏院ご住職と顔を見合わせてこれまた大感激してしまったのである。佳い一日。

2013年8月27日(火) 晴れ
明太子。 お昼少し前に電話がかかってきた。博多の明太子の店だという。明太子を買ってくれということなのである。いかに自分の店の明太子が旨いかを説明する。こちらが口をはさむ間も与えてくれない素早さ。夏の終わりで今買っていただけると通常の半額とか言っていたような気がする。今年の夏明太子を中元でお二人からいただいていた。それぞれおいしくいただいた。食欲の減退する真夏には、お茶漬けに明太子とか、おにぎりに明太子とか、それなりにおいしくおただいたので、今別に新たに明太子を買ってまで食べなくてもいいと思っている。「実はお中元で二人からいただいたんですよ」というと、「そうでしょ、明太子のお中元いいでしょ、ちょうど今頃明太子が切れる頃でしょ、今お買い上げいただけると、云々」。長話になると負けるような気になってきて、また次回お願いしますと切ろうとすると、「やはりこういうことは、ご住職さんではなく奥さんの方がいいですか?奥さまは今お出かけですか?」「そうだ」「ではまた改めて夕方かけなおしましょうか?」「いや、その必要はない」と切らせてもらった。こういう電話での飛び込みのセールスが最近は増えてきた。「芋焼酎いかがですか」とか。それから塔婆。いつも買っている塔婆屋さんがあるのだけど、三か月に一度くらいかけてくる。で、私のところは檀家が少ないので、一度に50本も買うと、2年以上は足りているのだと毎回説明しても三か月後にはまたかけてくる。お彼岸がひと月後に控えているので、また何本か檀家から塔婆供養を頼まれるとありがたいなと思う。
夕方中沢の奥に入って、ヌルデ(かつのき)を一本伐ってきた。三日ぶりに暑かったので今日はビールが旨そうだ。

2013年8月25日(日)
雨になる。 朝から雨をいただけるなんていつ以来だろうと調べてみたら、8月6日朝雨が降ったと記している。その日は9時には雨が上がったとあるので、今日は6時前から降り始めて雨脚が強くなったり弱まったりしながら、今午後4時過ぎてまだ絹糸のような雨が落ちている。裏の小池も、亀の甲羅の如くひび割れたうえに、天からの清浄な滴をいただいて、美しく甲羅の底を水底に映してくれている。大きな方もいくらか解消した。でももう2.3回降ってくれなければとても回復できないだろう。涼しくて朝から読書三昧で過ごした。「蒼穹の昴」一気に読み終えることができた。浅田次郎の長編も壮大なスケールでこれまた再発見だった。いよいよ8月も最終週。小中学校は明日から始まるのかな。もう暑い日の連続は欲しくない。

2013年8月24日(土) くもり
一日曇り日となる。 昨夕降り始めた雨が、そうたいした降り方ではなかったが、何時間かあったので今朝はだいぶ涼しく感じられた。池の水はどうかというと、ほとんど影響がない。降雨量はほんとに微々たるものだったといえよう。それでも体は正直に冷たい朝を感じて、朝から寝転がって本を読むにも汗も出ずに快適だった。「蒼穹の昴」いよいよ最後の4冊目に入る。今夜も寝つきの悪い夜は回避できそうだ。

2013年8月23日(金) 晴れ
空は少し灰色に曇ってはきているが。 遠くから雷も聞こえてくるが、雨をここまで連れてきてくれるのかどうか。午前中裏山の道の草刈りをした。獣除けの柵の付近にも気を付けながら刈る。盆に墓地につけた笹を集めて燃やした。お盆前から全く雨が降らない。池の水は毎日減り続けている。役場から節水を呼び掛ける放送が流れ始めた。昼メシを食っていく時間をなくしちまって、正午前にK家の葬儀の香典場の手伝いに行く。会葬者はとにかく早く出かけてくる。今日も午後1時に葬儀が始まってからの会葬者はポチポチとしかなかった。香典場は式が始まる前にほとんど香典が集まるので、計算したりする時間的な余裕はある。まあこの点だけはありがたい。初七日の席に呼ばれて、お腹が空いていたのでがつがつと食ってしまった。中途半端な時間なので、満腹だけは避けておく。晩飯の晩酌が不味くなるからだ。雷の音が近づいてきている。果たして雨を招いてくれるのか。

2013年8月22日(木) 晴れ
暑さの中にもいろんな出来事があって。 3時半に起きて映画を見る。今朝はイチローの4000本安打をLiveで見たいと思っていたので、あまちゃん見てからそのまま台所で大リーグの始まるのを待つ。1回裏ワンアウトで2番イチロウ。見事なレフト前ヒットであっさり日米通算4000本安打の記録を作る。この人はやっぱり天才だな。それから試合が一時止まって両チームの選手が拍手で彼の偉業をたたえる。もちろんスタンドも。僕も拍手をする。こういう歴史的瞬間に立ち会えるのは気分のいいものだ。午前午後と読書したり。今日も一日猛暑。宇多田ヒカルの母藤圭子が飛び降り自殺したニュースがテレビに流れる。高校野球の決勝戦がある。3時半からお勤めをして、その後庫裏の便所を掃除して水風呂に入る。とにかく暑い。

2013年8月21日(水) 晴れ
夕になって少し空は雲に覆われて風をもたらしてくれる。 それにしたって今日だって35度はきっとあったと思う。読書と映画。それと久しぶりにレゲエ。ボブ・マーリーを今聞いている。ジャマイカも暑い国だったな。暑い国の人は早く涼しい木陰に逃げ込むために、ウサイン・ボルトのように速くなるのか。
区長よりお悔やみの連絡ある。明後日の葬儀には香典場の手伝いに出なければならない。かつて夏の葬儀は暑くて死者も生きてるものも大変だったが、今は葬祭場でやれば寒いくらいに冷房が効くのでありがたい。火葬場へと出棺するときにもうだいぶ臭いが漂ってきたりすることもあった。

2013年8月20日(火) 晴れ
ここまで毎日暑いと先々に不安さえ覚えてくるな。 池がまた更に渇水してきている。池の鯉が隅っこで口をパクパクさせていた。魚たちも身の危険を感じ始めてきているのだろうか。僕も、まさかこの池が干上がるとまでは思いたくはないが、でももしそうなったらこの異常に不安を感じずにはいられなくなると思う。猿が久々に境内に現れ、パチンコを林に向けて3発射ち込んだ。奴らも暑さは苦手なようで、早朝にやってきては静かに畑のものなどを盗っていく。なのでもう8時頃にはいなくなり静かさが戻る。盆の前に読み始めた「蒼穹の昴」の2冊目を読み終え3冊目に入った。中国ものでなかなかに読み進めない。登場人物(歴史上の)の名前の読みが、ページの初めには漢字にルビがふってあるのだが、次に出てきたのを読むときにはどうしても日常の音読みになってしまう。それから役職や敬称などが複雑で一向に慣れることができない。こういう所につっかえつっかえして思うように読み進めない。まあでも何とか頑張って読むさ。

2013年8月19日(月) 晴れ
滝巡りなど。 11時の鐘を撞いた後準備して出かけてきた。蕎麦屋で腹ごしらえして先ずは大滝のお不動様へ。3週間ぶり。前回よりやはり水量が少ない。ご法楽を上げてから滝に入る。滝行をしていると岩の間から4人家族が現れた。向こうも異様な光景を目の当たりにしてはじめ驚いていたようだが、滝に遊びに来たとみえて僕を無視して水遊びを始めた。こちらも然るべきことをしたのち水から上がり、体を拭いて着替え滝前で法螺貝を立てる。また28日に来ることをお不動様に報告して去る。隣に停めてあった車のナンバーは横浜だったので、きっと早川に家族で避暑に来ていて、宿で紹介されてきたのかもしれない。水温も早川の奥の割には冷たいと感じなかった。道路の工事中で停車したところに表示計があり32度だったので、やっぱそれなりに暑い。下り、大島から雨畑への道に入り、見神の滝にも入る。でもここは眺めるだけが良くて、滝壺は狭くて浅く、それに藻が湧いていて行には適さない。滝の隣りが「不動尊神社」でここにも参る。鳥居の脇に、以前望月さんから聞いていた日本山妙法寺の藤井日達上人の碑も確認できた。ここからさらに林道を奥に進み、かねてより一度訪ねておきたいと思った竜神のお水をいただきに行った。道路閉鎖の柵から500mほど歩くだろうか、写真で見ていた通りの竜神の口から清らかなお水が零れ落ちていた。法螺貝を立て、心経をあげ、頭襟に受けて喉を潤した。4時前に帰山。本堂でお勤めをしてこれを書いている。今日もまだまだ暑い。

2013年8月16日(金) 晴れ
護寺会。 午後2時から護寺会総会。盂蘭盆会の法要をしてから会議。8名が出席。まあこんなもの。特別に何もなく終えてあとは皆さんとおしゃべりしながら飲む。今年の夏は「暑い」が定番。焼酎の見ながら、この寺の行く末のことなど僕の中でも見えてこないことをいくらか愚痴っぽく話してしまったか。厳しい寺にあることは寺も檀家衆もわかっている。皆さん帰った後しばらく秀ちゃんと幾分涼しくなり始めた時間の外を眺めながら飲む。寺を訪れた人たちのために外でお茶が出せるようにしたらどうかなど、「茶房」構想まで出る。盆の疲れと酒を十分に吸い込んだ体が残暑で余計に重く感じた。
去年の盆以降檀家の葬儀や寺にゆかりのある人の葬儀など今日までに9件。ずいぶんと多い年ではあった。

2013年8月15日(木) 晴れ
棚経三日目。 今朝はゆっくり。9時に出て残りの5件を11時までに終える。暑さが体に沁みてこないうちに今年の盆の棚経を終える。お布施もいただき、缶ビール、日本酒、ジュース、お茶、桃、梨などなど手土産もたくさんいただきました。感謝感謝。今の時代はもうどこの家も冷房が心地よく効いていて、背中を流れ落ちる汗を感じながら経を上げることも少なくなった。水シャワーを浴びて、缶ビールを飲み、午後はうつらうつらしながら、録りだめた映画を見たり。明日ももう一日寺のこと。護寺会がある。

2013年8月14日(水) 晴れ
棚経二日目。 7時15分出発して一路富士ヶ嶺に向かう。本栖湖に続く道をあがる。窓を全開で朝の空気がひんやりと気持ちがいい。とにかく夜が暑くて眠れない。トンネルを出て正面にどーんと聳える富士が今朝はガスがかかっていて見えなかった。8時ちょっと前に遠藤家到着。ここでも富士見えず。結局富士は見られなかったが、遠藤家の入り口で富士に向かって法螺貝を吹く。遠藤家から望月家へと回り、精進湖線を下り市川の遠藤家へ。新盆。そこから甲府の遠藤家へ。本栖周辺は道路の気温表示が26から28度。それでもこの後気温は上がってくるのだから、この辺りも暑いことに違いはない。遠藤家の後佐田家、柳沢家、天野家、高松家と回り甲府近辺終了。家に戻りトイレにより顔を洗って再び出かける。飯富の佐野家、三ツ石の佐野家、梅平の佐野家と回り本日文終了。4時過ぎに帰宅。高校野球日川の試合が始まっていた。冷房の効いた台所でビール飲みながら観戦。夜地区の納涼会。焼きそばを買う。今日と明日の二日間、獣除けの柵の開閉当番。

2013年8月13日(火) 晴れ
盆。 盆の棚経1日目。暑い。とにかく暑い。お墓参りに来る方たちも幾分涼しく感じる早い時間に来る。盆の紙幡を付けて、女房と時間差で墓地を参る。昼は蕎麦。喉ごしよく流し込む。この時期はお茶漬けとか簡単に食べられるものがいい。午後1時から今年の棚経を始める。地区内は新盆が2軒。2軒目で麦茶を出されて一息でグラスを飲み干して外に出ると、自転車のハンドルを握るとすぐに汗が吹き出してきた。3軒目ではお経の最中に頭から顔からも汗が噴いてくる。とにかく今年は尋常な暑さではない。汗びっしょりになる。出される飲み物もグラス半分位にしておきながら歩く。ビールを断れないのも仕事のうち。冷房の効いた部屋で、だいたい皆さんのんびりとくつろいで高校野球など見ている。例年のように遠藤家で最後の締めの接待をゆっくりと受けて辞す。帰るともう午後5時を過ぎていた。第一日目終了。

2013年8月12日(月) 晴れ
高知では41度だって。 とにかく暑い。高知県四万十市で観測史上最高の42度を観測したという。甲府だって39度あるんだから、ここだって十分すぎるほどに暑い。知り合いの警察官と午前中にお会いしたが、制服の上に防弾チョッキのようなものを着けていて、相当に暑そうだったことは確か。午後2時に町内の小中学校の教員の皆さん25名ほど来寺。夏休み中の町内の視察研修。本尊を開帳し、寺の由緒と護摩についてなどお話しさせてもらった。やはり日蓮宗に慣れているせいなのか、「お題目のようなものはないか?」と訊かれたが、「ない」と応えるしかなかった。強いてあげるなら、「南無大師遍照金剛」かなと思われるが、「南無妙法蓮華経」とはちょっと違うような気もするし。校長先生になった高校時代の同級生も来てくれて久しぶりに少し話した。
3時過ぎから暑い外に出て、盆の紙幡を付ける野竹を刈り墓地に建てる。幡は明日の午前中だ。少し風が出てきて、どうだ今日は夕立来ないだろうか。

2013年8月11日(日) 晴れ
牧丘の上求寺へ行ってきた。 娘は今日が初めての日直当番で勤め。第4土曜だけが休みで、他の土曜は午前中勤務があるので、日直があるとまるっきり休みがなく2週間勤務ということになるわけだ。これはちときつい。こちらは毎日がサンデーなのだ。午前3時過ぎに起きて本を読む。ここひと月ほど早く起きて本を読んだり、録画した映画を見たりしている。8時半過ぎに家を出て牧丘の上求寺に行く。普段の日曜よりは車が混んでいる気がした。10時10分前に着くともう醍醐の他の寺の皆さんすでに来ておられた。前住職の新盆のために皆さん来てくれた。理趣経、諸真言を上げる。終えて雑談。「秋の陣」もやろうかとか。(飲み会のこと)。おばさんの手作りのこんにゃくをいただいたり。子猫が一匹、女二人の家に加わっていた。初めての人もいたので、歴代の墓地で五輪塔を見てもらったりする。もう僕の魂はここに帰ってくるのだという予約はしてあるつもり。今月28日はまた東海師が護摩に来てくれるという。行藏院ご住職も早川の滝に行きたいというので、28日10時に出かけることにした。教昌寺の住職の件はまだ書類が整わないらしい、急げ。午前中から列島一暑いような地域に乗り込んでしまい、11時に僕は辞す。午後、こちらも今日も猛暑。今(17時)、遠くから盛んに雷の音が響いてきていて、ちょっと雨も落ちているのだが、雨を連れてきそうにはないようだ。
メールを見ると、「突然の失礼」というのが届いていて、県内に住む方なのはわかるがお名前もない。もしかしたら、文中から推測するに、「山梨」とは「山梨市」のことかなぁと。今日はそっち方面に行ってきたのだった。おっと、結構大きな雷鳴が響いたぞ。

2013年8月10日(土) 晴れ
法事あり。 後山の遠藤さんのとこの七七日忌。昨日もここだって相当暑かっただろうし、なにせ、夜が今年初めてじゃないだろうか、暑すぎてなかなか眠れなかった。そして初めて台所兼居間に冷房を入れた。台所とほかの部屋の温度差が尋常ではないので、ひと時の涼しさが余計に辛くなってしまうのだ。後山はちょっとは温度差があるだろうと思って出かけたが、なんのなんの、法要後の墓参納骨では、皆たまのような汗を流していた。若大将でおとき。ビールの後冷たい日本酒をいただく。また盆には伺うのだが、もう永遠にお会いすることのできない遠藤翁を思うと、こういう寺の人であるということの寂しいというか、なんかねぇという気分になってくる。

2013年8月9日(金) 晴れ
マイマイガ。 今朝の新聞にこの「マイマイガ」の大量発生のことが載っていた。森林害虫のこのマイマイガ。今年僕も本堂の中や回廊に飛んでいたり、落ちて干からびているのを見つけていた。今朝の新聞を読み、ネットで調べてみていたものがまさしくマイマイガであったことを確認した。今だって夕のお勤めの後本堂の回廊で目にした。新聞にはモミジなんかも食害に遭うとあった。そういえば、先日の墓地の掃除のときに檀家の誰かが、池の端にあるモミジの古木を見て、「色が悪いな」とかいっていたが、これも食害に遭っていることが十分に考えられる。10年周期くらいで大量発生するらしいが、僕はこの蛾をこんなにほぼ毎日目にしたのは初めてのことだった。
今日も昨日に引き続き猛烈な暑さだった。女房でさえ、午後用事から帰ってくるとシャワーを浴びていたほどだ。明日は後山で法事がある。お盆中まで暑さは続くらしい。メダカの水も庫裏の三和土に置いてあるが、小さい容器はすぐ温んでくるので、気が付いた時には底にぐったりとなっているのを見つけたりするので、こまめに水替えをして水温が上がらないようにしている。だから生き物を飼うということは大変で、飼うことにも責任を持つということなんだろうな。ジェリー・ガルシアの命日。古いライブ音源を午前中外に流す。「蒼穹の昴」2冊目に入る。

2013年8月8日(木) 晴れ
誤報。 めったに高校野球など見ないのだが、日川(山梨)と箕島(和歌山)ということで、夕のお勤めを終えたあと中盤から見ていた。私立校が台頭する中で、どちらも県立高であるというのも興味をそそった。最中、突然画面に緊急地震速報が流れて、中継のアナウンサーも予測される大規模地震が発生することを伝える。奈良県を震源とするという具体的な場所まで知らされているのに、一向に甲子園も揺れてこないのである。高校野球はそのまま何事なく続けられていく。そのうちに、部屋に置いてある携帯電話がウィウィウィと鳴り出し、町の広報無線も鳴り始める。しかし、一向に揺れてこない。3アウトの後にニュースになったが、伝える側も何か変?な感じ。結局これ、夜になって気象庁の「誤報」の記者会見で終わる。お騒がせもいいとこだ。電車もとりあえず停まってしまうし、これが盆中であったら相当混乱するだろうし、でも、本当の地震が来たとしたら、その混乱はこんなものじゃない、きっと。誤報であってよかったわけだ。しっかりと暑さにボケている頭に、「その時」のあることがまた焼き付けられた。

2013年8月7日(水) 晴れ
立秋。 ♪暦の上ではDecember♪じゃなくて、暦の上ではもう立秋。今日から猛暑の夏が再開されたっていうのに、もう暦の上ではAutumnだっていうんだからいい加減なものだ。ものすごい暑さだった。朝早くから昨日の夕方はじめてしまった石段の苔落とし作業に入る。2時間もありゃ終るだろうと始めたのだが、甘かった。12時までかかってしまった。最後の掃除は午後に再開して結局一日がかりだったがきれいになった。午前中、資料館前の草刈りに知る場人材で来る。小林氏と川口氏。お二人もお昼ごろまでかかってまた午後の作業場所へと移動していった。盆前で、草刈りを依頼してくるのがひっきりなしなんだとか。僕も60過ぎたら、このチーム小林に入れてもらってもいいかなぁなんてふと思ったり。

2013年8月6日(火) 晴れ
のんびりと掃除など。 時間はたっぷりとあるので、一日をどうして過ごすかということになる。朝から雨になり予定していた作業はできないのかと思っていたが、9時過ぎには上がったので、蒸し暑くならないうちにと外に出て、駐車場前の側溝の泥上げをした。ラウンドアップの除草剤がしっかりと効いていて周辺もだいぶきれいになった。映画一本。午後から浅田次郎「蒼穹の昴」読み始める。4巻あるので盆前には当然終わらないだろう。早めに夕のお勤めをして外に出る。石段を掃除しようと竹ぼうきで掃きはじめたが、ふと思い立って手カンナをもってきて、石段の苔を削ぎ始めてみるとやめられなくなってきた。こんなことは今までやったことはないが、一度くらいきれいにしてみたくなった。1時間半ほどやって3分の1ほど削った。あとは明日の仕事。

2013年8月5日(月) 晴れ
読書。 東京に行った際に買った梁石日の「明日の風」読み終える。在日朝鮮人の人たちの生きざまには迫力がある。異国の地で差別と偏見の中で生活をしていくものにとっては当たり前のことなのかもしれないが、この凄みとでもいおうか、なんだ。
暑くて今日もまただらりと生きてしまった。韓国映画「ちりも積もればロマンス」見る。面白い。

2013年8月4日(日) 晴れ
来山者数人あり。 お盆が近くなって静岡と甲府、そして地元の檀家の方など見える。護寺会費と寺への布施を届けてくれる。静岡県から来てくれる小林さんは、電車で身延か下部まで来てそこからバスがあればバスに乗り、なければ歩いてくる。今日もちょうどお昼過ぎの一番暑いさなかに汗をふきふき寺に着き、外の水道でのどを潤すと、休む間もなく墓地の掃除へと歩いて行った。1時間ほどかけてゆっくりと墓地を掃除してお参りしてくる。帰りに庫裏で冷たいお茶を出して少しお話して、また忙しく歩いて帰っていった。立ち上がると、「氷を含んでいくか」と、飲み干したグラスの氷を口に含んで炎天の路を歩いて行った。甲府から遠藤さん来てくれる。今年は盆に家にいないので回らなくていいからと、布施と供物を持ってきてくれた。一宮さんと佐田さん連れ立ってきてくれる。おばさんの様子など伺う。この檀家の方たちのために、まじめに寺のことに務めなければいけない。参拝者も何人かある。のんびりと読書。

2013年8月2日(金) 晴れ
残り刈ってしまう。 これで大体盆前にする外のことは片付いた。「あまちゃん」見た後から11時半まで刈る。暑かったけど風があって気温も昨日ほどは上がっていず、作業的には気持ちよくはかどった。途中水分補給で、今日はポカリスエットを飲む。500mlを半分のみ。水を8文目まで足しておき、作業を終えてから少し薄めのポカリを腹に落とした。読書と映画。午後本堂で香盛りと供物の準備などする。

2013年8月1日(木) 晴れ
八朔。 今週は毎日4時前に起きて1時間ほど映画を見て5時前から朝の勤行をしている。今日はなかなか明るくならんなぁと本堂の時思ったら、6時前に客殿に戻るとき雨が降り始めてきたので、「これで今朝は暗かったのだな」と納得。新聞の天気予報をながめると一日雨になっていた。午前中降ったり止んだりしていたが回復してようだし午後から畑の草刈りを始めた。暑くならない日に一枚買ってしまおうと思って始めたのだが、思いを裏切って暑くなった。はじめてしまったので仕方なく参道片側だけ刈ってしまった。終わってアクエリアス500mlをほとんど一息で飲む。明日は朝方の涼しいうちにもう片側を刈ってしまおうと思う。映画と読書。映画を見ていると読書はなかなかはかどらない。でもまあこれはこれでいい。

2013年7月31日(水) 晴れ
7月晦日。 もうこれで今年も七か月が過ぎた。過ぎてしまえばもう後戻りはできないし、己の時間が刻一刻と少なくなっていることを確実に知ってしまうような気がする。さびしくも思うが仕方がない。早く大人になりたいと時間の経つことの遅さをもどかしく感じている者たちも一方には存在している。映画と読書。午後3時から墓地へ行き、先日の草刈りの後の雑木や草を焼却。盆を迎える準備が少しずつ毎年のように整っていく。

2013年7月30日(火) 晴れ
暑さ反撃。 昨日の雨の翌日は猛暑。セミの鳴き声も鞭で折檻されているような気分になる。空に伸びている百日紅だけは夏空と雲に挑むかのようだ。室内でできる盆の準備、塔婆など書く。とても外なんて歩けたもんじゃない。読書、映画、音楽。強い日差しに照りつけられて、緑のカーテンもぐったりとしている。

2013年7月29日(月) くもり
雨があっていい。 朝から雨になる。ここ数日雨がっていい。地も潤うが、風が吹いても埃が立たなくていい。開け放ちの本堂をもっている身には埃が吹きこまないのはありがたい。東海師と早くから飲んで切りよくお終いにして早く寝たので二日酔いもなく起きられた。缶ビールや日本酒も二人で一升以上飲んだ。護摩の後の片づけと掃除をしようと思っていたが雨なので、とりあえず仏器だけ洗い、雨が上がる予想の午後から掃除をしようと思う。飯富の古屋家の葬儀に行く。ロビーで横浜の敬さんに会う。「葬儀の後墓参に行くから」とのこと。予報通りに午後になって雨が上がり、本堂の掃除。きれいになりこれで盆が迎えられる。4時過ぎに敬さん来て墓参の後2時間ほど話していく。今夜もう一泊飯富に泊まるとのこと。今日は映画一本、本は読まず。

2013年7月28日(日) 晴れ
非常に濃密な一日でした。 大満足で疲れ切っている。4時前に置き映画を見てからお勤め。7時半から檀家の皆さんと墓地周辺の草刈り。思ったより早く終わったので東海師に電話入れると「甲府に入るがすぐにそっちに向かう」との返事をもらいこちらもすぐに準備に入った。お供えのカップ酒を買いに行き、シメを切り、ふんどし、タオル、結袈裟、頭襟金、錫杖、カメラなどリュックに詰め、法螺貝持つ。11時の鐘を撞いていると東海師到着。二人で早川の大塩の滝に向かう。法螺貝を吹き山道を15分ほどで着く。道はよく整備・補修されていて全く問題なしでありがたい。滝前の不動明王の前を荘厳しご法楽。一年ぶりだ。その後二人で滝に入る。大分土砂で埋まっているが滝壺も深くなく、滝行するにはちょうどいい。初めての大塩の滝に東海師は相当感激していたようで長く滝に入っておられた。帰りに盛り蕎麦を食べる。帰ってきて着替えて2時から本堂で護摩。今日は師に助法いただく。恵印の護摩を一座焚く。1時間ちょっと。よいお不動様の日となった。夕暮れ前から酒盛りを始める。ビールから日本酒。師を宿に送り届けて一日のおしまい。もう7月も終わり。

2013年7月27日(土) 晴れ
暑い。 娘が休みの土曜なので、僕だけが早く起きて先に飯も食ってしまう。お勤めを済ませ録りだめた映画を見たり、本を読んだりして過ごす。護摩の準備をする。樒をとって仏器を荘厳する。護摩の準備をして荘厳するときはいつも静謐なひとときだ。暑いときは玉のような汗が滴りながら。寒いときは手がかじかむのを我慢しながら。明日も天気はよさそうなので、予定通り檀家の人たちと盆の前の墓地の草刈りはできそうだ。集落の育成会は今夕恒例のバーベキューの納涼会のようだ。午後になって低学年が集会所のホールを走り回る奇声が聞こえている。夕暮れのジャズを聴きながら。

2013年7月26日(金) 晴れ
知覧。 鹿児島県産「水出し知覧茶」というティーバッグで暑い毎日の喉の渇きを癒している。飯尾憲士「開聞岳」を読み終えた。「天皇のためなんかに死ねるか」といって米国艦船に突っ込んでいった朝鮮出身の特攻隊員を戦後追跡した物語である。Wikipediaには「知覧の特攻基地から出撃した戦闘機は、まず開聞岳へと進路をとり、富士山にも似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ南方へと向かったという」とある。この夏映画がまたヒットしている宮崎駿氏が「憲法を変えるなどもってのほか」とした意見はたいそう貴重なものだと思う。影響力のある人たちの発言は、いいものも悪いものも責任重大だ。思っていた通り、社民党党首は今回は辞任してしまった。夏の入道雲に粉みじんに吸い取られてしまうのかもしれない。僕より一つ上のこの人、でもよくこんな党を長期にわたってけん引してきたね。

2013年7月25日(木) 晴れ
風が気持ちいい。 3時にお勤めを済ませ4時前から本堂裏と客殿裏の草刈りをする。草刈り機のエンジン音を聞いてのんびりと里を楽しんでいた猿たちが急いで山に逃げていく。静かな村なので、人間が静かにしていたら猿も静かで、お互いの存在に気が付かないことも多々ある。そういう場合は例えば畑の作物が盗られていたとしても「しょうがねぇな」ってなことになる。今日は暑くなったが夕方の風はとても気持ちがいい。汗をかいた野良着を外の水道でそのままじゃぶじゃぶと洗い、そのまま風呂で水シャワーを浴びる。28日に焚く護摩の準備をした。今回は東海師が助法に来てくれるという。
甲府の信者さんの娘さんの出産日であったが、お昼前にお母さんから電話があり、「無事元気な女の子が生まれました」と知らせていただいた。帝王切開だったので、あらかじめ今日の日のことは決まっていたので、朝のお勤めでもお不動様に安全であるよう祈願をしておいた。新潟の木村さんから中元のお礼の電話が入る。「山梨は雨はどうですか?新潟はここのところずっと雨なので、梅を干せないで困ります」と話してくれた。家に一人でいると外部と接することがないし、僕は携帯電話をほとんど使わないので、今日は少し楽しい気分になった。

2013年7月24日(水)
雨。 一日雨になった。こんなに長い時間降っているのはほんとに久しぶりのことだ。地熱もすっかり退いたので、蒸し暑さもなく過ごしやすい。本堂に置いてある鏡を磨いた。こんなことは初めてだったがいくらかきれいになった。午前午後と読書時々居眠り。Miles Davis、早川義夫、HONZIなど聴く。

2013年7月23日(火) 晴れ一時雨
雨がある。 待ち望んでいた雨が午後降った。30分ほどだったか。一時的に強くザーッと降ったので、木立の間にも雨の恩恵はあったようで、うな垂れていたアジサイの株たちも少し体を持ち上げてくれた。雨の後は蒸し暑くて体からは汗が噴き出た。
午前中客殿の仏具を修繕する。何年もなおそう直そうと思いながら手を付けなかったのだが、これでようやくほっとした。何かこんなことをしていると、いつか先にある幕引きの準備をしているような自分だけのさびしい気分になってきたりもする。

2013年7月22日Monday 晴れ
土用の丑の日。 さて我が家ではウナギになるのでありましょうか。今日も暑い。体を動かすのが億劫になってきているが、今日は午前中にアジサイの花を落としてしまい、墓地の参道のツツジの刈り込みも済ませた。これでひと段落。日曜の檀家の人たちとの墓地清掃が終わって、お盆の前にもう一度畑の草だけを刈ってきれいにしておきたいと思う。今日も午後風が強い。こんなに夏に風が吹いただろうか?よく思い出せない。
仏光堂若林さん、線香と位牌届けてくれる。真夏の暑さにも動じない元気な83歳でうらやましい。

2013年7月21日(日) 晴れ
参院選。 午後8時と同時に参院選の当確が次々とテレビ画面に報じられ、各党の議席数が示される。自民党の議席は数字盤が回転するように増えていく。開票が行われていなくてももう選挙結果がわかってしまう。出口調査や過去の選挙のデータなどで、ほとんど誤差は生じないのだからもうこれはこれでいいと思うしかない。予想通りの結果だ。社民党はいよいよ解党間近のようだ。福島瑞穂が党首を下りれば即終わりということになるんじゃないか。初当選の山本太郎、6年の任期中に「反原発」「脱原発」なんて言葉がこの国の中からいつの間にか消えてしまっているなんてことにならないだろうか。過去を捨て去ることや忘れてしまうことにはとことんどん欲な世であればなおさら。

2013年7月20日(土) 晴れ
夜、区会。 8時から区会。経過報告、納涼会、防災訓練、敬老事業、地区運動会のことなど。区の規約が現状のものに沿っていないことがわかり、次回までに変更規約の素案を作り検討することとした。よその町に住む人から区に土地を寄付したいとの申し出があったと報告されたが、区でそれを貰っても活用するに困るような土地ではいただけない。田舎に畑をもっていても耕作する人が居ず、結局土地を管理するために年に数回シルバー人材センターなどに頼んで草刈りをしてもらうことになる。この土地の寄付申し出なんかは、体よく自分の負担を減らしたいがための申し出のようなものである。区がその土地を譲り受ければ今度は区民に対して区はその土地を責任もって管理しなければならない。
今日も気温はそれほど上昇したわけではないが暑い。小学校は今日から夏休みに入る。一日強い風吹く。読書と昼寝。夏は息をしているのさえつらい、ような気がする。

2013年7月19日(金) 晴れ
暑い。 早い時間に残りの場所に除草剤を撒いてしまう。これで一つが終わり。残るのは、アジサイの花を切り落とす作業。まあ一日か二日かけてゆっくりやれば終えられるはず。読書と映画。昼飯の後はたっぷりと昼寝ができる。メダカの稚魚が大きいものは1センチ以上になった。プランターを利用した水槽が二つと、小さな透明なコンテナに一つ。ここに数えきれないほどの稚魚がいるので、今月いっぱいくらいで卵の採取はやめにしようと思う。どうせ寒い時期までに大きくなることは望めない。冬を越えられるだけの大きさにならないのなら、今のものを成長させてあげたい。それから、6匹別に買ってきた「白メダカ」は別の水槽で飼っていて、成魚は今4匹残っている。一度稚魚の成育に失敗してしまい、大きくなり始めたのが5匹いて、先週から孵化しはじめたものが今15匹ほどいるのでこれもできるだけ大きくさせて何とか冬越えをさせてみたい。小さな楽しみ。
今日も暑かった。夕方歩くと山道にはまだ鶯が鳴いていたりする。「土用」。ウナギは先日食べた。

2013年7月18日(木) 晴れ
今日は暑い。 朝方少し雨が降った。8時から午前中いっぱい除草剤を撒く。肩掛けのタンクが肩に食い込んで3回目にはかなり痛くなった。気温がぐんぐん上がってくるのがわかったが、きりが付くまでやめるわけにもいかない。残りは明日。午前中墓参りひとりあり。午後は読書。買ってきたCD聴きながら。牧丘から貴永さんとお母さん桃を持ってきてくれる。この桃は絶品。今朝のもぎたてという。おじさんが亡くなったこの夏も相変わらず届けてくれて。3時過ぎから暑かったけど竹林に行き、生えてきた若い竹を切りはらう。もうこれで出てこないだろう。

2013年7月17日(水) 晴れ
暑さいったん後退。 明け方に雨が少しあり冷たくて気持ちのいい朝。それでも風は一日ある。風がやんだら除草剤を撒こうと思っているのだが天気任せだ。役場から国保の保険料の納税通知が届く。退職後の去年は共済の健康保険を任意継続したのでそれなりに保険料を取られたが、今年は所得申告も少なかったので国保に加入し、国保の保険料も少ない?のだと思う。それでもこの町は高齢者ばかりなので保険料は他所の自治体と比べると高いのだ。
URCのレコードでずっと昔から欲しかったアルバムがあって、CDは未発売だったので手に入れられなかったのが、「スカイドッグ・ブルース・バンド」の1st.(彼らはこの1枚だけだったのだが)。Amazonのおすすめ情報で目にして即買いだ。1976年に出たアルバムで、やっと手に入れられた。あわせてスカイドッグがレコーディングに参加した友部正人の「1976」もCD持っていないので中古を買った。懐かしい。暑い夏の夕方に飲む酒に心地よいブルースが似合っている。

2013年7月16日(火) 晴れ
今日は一休み。 朝から風があり、そんなに暑い日にはならず。録っておいたドラマや映画を見る。読書も。メダカもじっくりと眺める。夕方近くに、パチンコ店のご主人墓地の掃除にやってきて、少し話していく。「お寺に来ると落ち着きますね」という。僕もまだ大したことはないが、この年若い檀家も、自分の家族ができ、父親の後を引き継いで事業をし、時には墓参をして掃除をしていき、「そういう歳になってきたのだ」ということなのだろう。父もずっと前に、「40過ぎるとな、自然と手を合わせたくなるようになってくるものだ」といった。そういうことをよく覚えていて、僕もパチンコ屋の主人もそれなりの年齢になってきたということだ。

2013年7月15日(月) 晴れ
東京棚経、2日目。 6時45分からの朝食バイキングに行くと、混んでいてなかなかプレートにおかずを取ることができない。仕方がないので、みそ汁とご飯に納豆のカップを3個貰って、あとサバの塩焼きで朝食とした。9時前にホテルを出て江東区の平山家に行く。奥さんと一年に一回だけ会って話をする。お元気そう。辞して地下鉄を乗り継ぎ池袋へ。ランチは回転寿司。でも値がとてもいい。ネタもいいのだろう。生ビール1杯飲む。12時半にときわ台の牛山家につき最後の盆の供養。この秋には牛山氏は90歳になるというがお元気。物忘れもあるというがまだまだ大丈夫だろう。新宿を3時の特急の指定席もとり、1時間半ほど時間があったので、新宿のディスクユニオンに行く。何年ぶりだったか。JAZZ館に寄り、CD6枚仕入れる。でも中古コーナーのやつね。電車は中央線でトラブルがあったとかで30分遅れで発車し、予定通りには家に帰れず、結局鰍沢口どまりの電車しかなくそこまで女房に迎えに来てもらう。一泊すると体力的にも楽だ。

2013年7月14日(日) 晴れ
東京棚経。 女房と娘も日帰りで東京へ行ってくるということで、娘の車に同乗して甲府駅から電車に乗る。いつもの年より1時間ほど遅い電車。今年から八王子で1件檀家の盆に行くことになった。9時45分頃に初めての佐田家に着く。仏壇の開眼をし、亡くなったご主人の新盆となる供養をする。終えて、一周忌の話などして辞す。町田駅で昼食を摂り藤の台団地の甲地里家へ。どこの家もみなさん部屋を涼しくして待っていてくれる。そこから今度は小田急に乗って成城学園で降り、多摩川べりの世田谷の佐田家へ。終えてそのまま佐田家の車で、今年の春開店した西馬込の「古美術佐田」の店舗に行く。骨董趣味が高じてとうとう店まで出してしまったのだ。夕方佐田家ご夫婦、息子さんに招かれて大森の小料理屋で食事。美味しい酒をたくさんいただき、今年はもう食べられないかもしれないと思っていた「うな重」の一番高いのを最後に頂く。うなぎも絶滅危惧種になるかもしれないというので、値段も高騰しているし、僕ら庶民は以前のように簡単には口にすることができなくなるかもしれない。夜は佐田家で用意してくれた大森駅近くの「アートホテルズ大森」に泊。疲れていたので、発泡酒1本飲んで読書しながら没。

2013年7月13日(土) くもり
今日は太陽現れず。 昨日までの厳しさと打って変わって曇り日。夕方になってじめじめとした暑さを感じてきたが、日中は涼しさを感じるくらい。こういう日もなくてはとても生きているのが疲れてしまう。東野圭吾一冊読み終える。明日明後日の上京用に新しいのを読み始めた。でも雨は勘弁してほしい。まあ大丈夫だろうけど。一泊しなけりゃならないので、必要最小のものだけで、肩掛け布バッグに何とか収まった。

2013年7月12日(金) 晴れ
毎日暑い。 今日は外に出たのは夕方の1時間だけ。涼しそうになった頃に野良着に着替えて客殿裏の庭の昨日の続き。熊手で刈った草や枝を集め、溝をきれいに掃除し、カラカラに乾いた草に火をつけるとすぐにいい煙を上げて綺麗に片付いた。枝切りの電気バリカンを昨日買ってきた替刃と取り替える。草刈機の丸刃も新しいのと交換。草刈機の刃は安いので、ひとシーズンに2枚は使う。1枚で済ませると後半切れがほんとに悪い。効率悪い作業になるより新しい刃にまめに交換したほうがお得だ。
仏光堂の若林さんに位牌と線香を頼む。この方は父と旧制中学の同級生で、83歳であるがものすごく元気。現役で働いている。昨日はゴルフに行ってきたそうで、冬は何度もスキーにも行く。車も自分で乗りこなす。商売もものすごく上手。こういう人はいくつまで元気で生きるのだろうと思うと、果てがないように思えてしまう。もう少し父に生きていて欲しかったなぁと、つまらんことを考えてしまう。

2013年7月11日(木) 晴れ
夕方はほんとに「こいちじかんほど」ってところだ。 この「こいちじかん」は、そのあとの飲み物を如何においしくいただくかの準備みたいなもので、5時を過ぎてもまだ十分に陽射しがあって、そんな中でそこそこ働いて汗をかいて、冷水のシャワーを浴びてついでに体も洗ってしまい、家族だけなので上半身は裸であり、こういう日々の記録のようなものを書きながら、頭はすでに冷蔵庫の中のものを考えていたりする。客殿裏の庭の刈り込みも終えた。午後母の入所施設に利用料の支払いと面会。特段変わりなし。こういう所の入っていれば夏も冬も快適に過ごせる。一か月に一度のことなのに、暑さに出かけるのが嫌になってしまうほど。除草剤買ってくる。参院選の遊説カーの声がとてもこれまた暑苦しい。

2013年7月10日(水) 晴れ
暑い、猛暑の夏だ。 一昨日、昨日と、山梨が全国で一番高い気温だったので、場所はちょっと違っていたってここだって38度は昨日もあったはずだ。今日も暑かったが気温は34度くらいだったようだ。今朝も「あまちゃん」も見ずに午前中いっぱい外作業に精を出した。初めに本堂周辺のツツジの刈り込みを済ませ、機械類を片付けて、YAZAWAを流しながら、刈り込んだ葉っぱを片付けて燃した。早めにお勤めを済ませ夕暮れ前1時間ほど外に出る。これで作業一区切り。残りは客殿裏の庭のツツジなどの刈り込みだ。一日休むか一気にいってしまうかは明日の気分任せだ。日に何度も水浴びをする。水分も大量に摂る。発泡酒も飲みたい。午後は昼寝を兼ねての読書。東野圭吾「宿命」。

2013年7月9日(火) 晴れ
暑い。 外はもう涼しくはならないようなので腹を決めて朝から池の周りのツツジの刈り込みなどをする。10時を回るともう暑くてたまらない。11時の鐘を撞いて一区切りついたので終わりにする。刈込だけは済ませた。午後2時から飯富病院。処方箋を貰い薬局へ寄って30分ほどで帰ってくる。東野圭吾の本残りを読んでしまう。銀色に輝く外にはとても出ることができない。4時前に本堂に入り夕のお勤めを済ませ、晩飯前の小一時間ほどこれから少し精を出してみようかと。

2013年7月8日(月) 晴れ
梅雨明けとともに一気に真夏に突入。 土曜の梅雨明けの翌日の昨日はまさに真夏。そして今日は国道を走っていると気温計は38度を表示していた。車の6か月点検に行ってきた。午前中原小の児童がザリガニ釣りにやってくる。1時間ほどみな満足そうに成果を上げて帰っていった。一気に真夏だ。外に出してあるメダカの鉢も水温が上がりすぎるので、庫裏の三和土に移動した。これではメダカも生きるのにたまらんだろう。
盆の棚経の通知を見て2件問い合わせがあった。これがいわゆる家族葬の残した後の反響というやつである。なぜ誰も知らせてくれなかったのだとか。そうである本当に家族以外どこにも知らせていないのだから知らなくて当たり前なんである。でもその事実を後刻にしろ知ってしまえはこれは黙って座っているわけにはいかんというのが、田舎の古い付き合いなのだ。義理を返さにゃならんというやつだ。家族葬をする側もこういうことをあらかじめ考慮して決断するということであろう。それにしても暑い。

2013年7月6日(土) くもり
蒸し暑い。 気温はぐんぐん上がるといっていたけど、確かに暑いが晴れてはいない天気。午前中畑を除草し、生ごみのコンポストを移動する。11時から車の安全祈願一件。20年ほど前にお寺に来たことがあるという夫婦だった。終えてからお開帳をしてあげると大変に喜んでくれた。
今日はこの後午後3時から、甲府:行藏院で山梨宗務所の会議と夕方から懇親会。

2013年7月5日(金) くもり
蒸し暑い一日。 雨が降ったり止んだり。風は結構強く吹く。午後2時半ころから外に出て、竹林のタケノコを刈る。墓地の草を刈る。湿度が高くて汗びっしょりになる。頭を刈る。明日予定のはいっている車のお祓いの準備する。メダカを眺める。

2013年7月4日(木) くもり
降りそうで雨降らずという日が幾日も続いている。 外でツツジの刈り込みをしなければならんのだが、雨が降って来そうなのでだらだらと尻込みしているがなかなか降らない。朝からじゃんじゃん降ってくれていれば諦めがつくが、どうも中途半端で怠惰な数日を過ごしている。「あまちゃん」だけが日々の楽しみ。護寺会と盆の棚経の通知を檀家に出して、集落は歩いて配ってきた。読書も読む本がなくなってしまい一休み状態。WOWOWで映画を見る。そうそう、今日から参院選が始まった。初日なのでこちらはまだ静かだ。それでも選挙前から各候補の政党などの遊説カーが連日来ていたので、選挙の気分には否応なくならされてしまう。ほとんど興味もないが、小さな政党が独自候補を立てて臨んでも、所詮は自民党が議席を獲得するというような縮図なんだろうか。ただ自民党の元県議の候補はこの地域ではほとんど知名度がない。民主党は独自候補を建てられなかったので結果どうなるのか。
今度の参院選はタレント候補が少ないようだが、本来これでいいんじゃないか。有権者ももうテレビで見ているタレントなんぞに票を入れるような次元の低いことやってても仕方ないだろう。

2013年7月2日(火) 晴れ
家族葬。 静かな葬儀だった。本当に外に向けて告知しないと人はほとんど訪れない。まあそれが当たり前なのかもしれないけれど。静かだったけれど、家族や個人のいとこ等が集まり、20数人だったがしっかりと送ってあげた葬儀になったと思う。時間に融通が利いたので、11時前には葬儀をはじめ正午前には初七日の法要と御斎の席もはじめられた。8月の盆の前に四十九日忌も済ませようということで決まり、寺まで送り届けていただいて終了。
葬祭場はどこも同じように独自の方法で特色を見せようとする。それがいささかオーバーで、「僧侶なんて太鼓持ちみたいなもんじゃねぇか」とこっちがうつむき加減になってしまいそうなところもある。

2013年7月1日(月) 晴れ
通夜。 E家の通夜。朝早くから諷誦文を書き、朝食前に塔婆・位牌を書く。浅田次郎の本を読んでから、リムスキー・コルサコフ 交響組曲《シェヘラザード》を何本かDLしてほとんど毎日聞いている。壮大なドラマが展開しているような大きな気持ちになれる。葬儀の書き物などの準備を済ませ、盆前の檀家への通知もついでに作ってしまう。女房と協力し封筒詰めも済ます。午後4時から納棺。6時からの通夜を15分繰り上げてする。弔問者もほぼないに等しかったようだ。明日の葬儀はどうだろうか?通夜の法要の終わりにいつものように戒名の話をして帰ってきた。7月に入った。今月は東京の檀家の棚経がある。今年は一泊


2013年6月30日(日) 晴れ
6月も終わり。 特になにもなく6月が終わるのだと、午後はのんびりとWOWOWで映画を見ていた。午後2時半ころ電話が入った。檀家のE家からで、ご主人が昼前に亡くなったとの知らせであった。すぐに支度をして枕経をあげに向かう。山道は石がゴロゴロと落ちていたり。こうして荒れていってしまうのだなぁと思う。葬儀の段取りを相談する。家族の希望で、死亡を外に公にはせず、ごくごく身内だけで葬儀をしたいとのこと。いわゆる「家族葬」という式だ。僧侶も僕ひとりで良い。それでも会場は葬祭場を借りている。今ひとつしっくりとこないというのは、なぜ真っ先に寺に知らせてこないのかということだ。相談していただけたら、寺を使ってもらえばおそらくかなりの経費を抑えられると思うのだ。話せばきっと、「そういうことは知らなかった」ぐらいに子供たちは言うのだろうけど。明らかに寺への布施額が気になって仕方がないという雰囲気はちょっと厳しい。帰ってきてすぐに戒名を付ける作業に入る。一応決まる。

2013年6月28日(金) 晴れ
歩いていたらプップーと内藤君の車がちょっと止まって通り過ぎた。 朝歩かなかったので3時半過ぎから少し歩いた。陽射しは今日もあまり強くなかったが、それでも歩き終わるとだいぶ汗をかく。プップーのクラクションはきっと午後4時から職場で会議があるためそこに向かっていたのであろう。28日だけど今日は護摩を焚かず、朝から昨日の刈り込みの後の葉や枝の片づけ。今日はこれで終了。やれば池の周りのツツジにも手が出たのだけど、やりはじめれば意外と早く片付いていくものなのでまた次だ。レナード・コーエンを聞きながら読書。畑の草が生い茂ってしまい、植えてあるオクラの成長が悪かったり、苗が消えてなくなってしまったりしたので、草を削り少しきれいにしてからコメリから追加のオクラの苗を買ってきて植えた。グリーンカーテンのポットにキュウリの苗も3本植える。どうなるでしょう。

2013年6月27日(木) くもり
時々雨が舞ったり。 午前中の早い時間に竹林に行き、外に生えてきた竹の子を刈りはらう。雨が降ってから順調に竹の子が顔を出し、女房に言わせると去年より出たかもと。一休みして午後からやっとやる気が出て、境内の生け垣やつつじの刈り込みなどを始めた。雨が少し落ちてきたりしたが大したことはなく、4時半まで作業に没頭する。明日はこの続き。喉がものすごく渇いている。

2013年6月26日(水)
梅雨らしい雨一日。 午前5時半ごろから降り始める。僕はお勤めを終えたその時間からそのまま本堂の掃除にかかる。掃除機をかけ、拭き掃除をし、護摩壇を新たに荘厳し、6時半ごろにようやく終わる。メダカたちは今日はどれもみな元気。どの鉢でも産卵があった。環境を変えてみるのもいいことかもしれない。雨が一日降り続き読書する。午後2時半にすこやかセンターに行き健康診断の結果もらい、メタボ対策などについて保健婦より指導される。ウォーキングを続けるべし。

2013年6月25日(火) 晴れ
病気平癒の護摩を焚く。 28日の護摩を少し早く焚くことにした。今日東京で手術を受ける方の手術の安全と病気平癒の祈願を頼まれていた。8時前から始めてちょうど9時半過ぎに終了。正午からは従兄の連れの父親の葬儀に行く。午後からはメダカの鉢などを掃除。大きな瓶のメダカが一か月ほど前から一匹また一匹と死ぬことが続き、今朝もまた2匹浮いていたのだ。メダカを別容器に移して中の水を全部取り替えて掃除をした。この瓶のメダカたちは全然産卵が認められなかったので、水が悪かったのか何か病気に感染していたのか。この瓶の中には別の鉢のメダカを移して様子を見ることにした。別の鉢や容器のものは順調に産卵しているし、孵化したメダカも数百匹になっている。一番大きなものは2センチくらいになったので成魚と同じ鉢に移したりした。この作業を終えて護摩壇の掃除を始めたのだが、葬儀帰りの従兄が寄ったり、久しぶりに東海師が訪ねてきたりしたので仏器だけ洗って掃除を明日にする。東海師と夕のお勤めをする。理趣経の読みにもだいぶ日常の勉強の成果が出ているように思えた。なにしろ理屈抜きに読むということで自分のものにしていくということだ、お経なんてものは。読まなければ覚えられない。読むことで経独自の読み癖も克服できていくということ。

2013年6月25日(火) くもり
シェエラザード。 浅田次郎「シェエラザード」読了。面白い。この人の小説は面白い。読んでいて泣ける。タイトルにもなった「シェエラザード」は、ロシアの作曲家ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフの交響組曲もあり、下巻を読みながらPCをアンプにつないで、YouTubeで検索し、いくつかあったものを大ボリュームで流した。
さて、やはり明日護摩を焚こう。

2013年6月22日(土) 晴れ
やっと青空。 何日かぶりで青空がのぞき太陽の陽射しを感じた。遅い起床。朝食、お勤めを済ませ外へ。資料館の生け垣の刈り込みをする。電気のバリカン今年も好調。ついでに資料館の前庭からぐるりと草も刈る。そのあと畑の方も。午前中はそれでおしまい。汗をかきシャワーを浴びて今日はこれにて作業終了。午後1時に約束の小田切さん来る。彼は一昨年の5月の連休中に一度訪ねてきた人で、甲府の環境センターに勤務している。10人の女性を連れてきた。訊くと、カルチャースーセンターの講座の仲間の方たちだそうで、今日は何をしに来たかというと、本堂を2時間ほどの瞑想の会場として貸してほしいとのことだった。とりあえず僕は用無しだったので、その間読書。浅田次郎の「シェラザード」を昨日から読み始めた。瞑想会が終わった後本堂で僕がお話をした。とてもゆっくりな方たちで、よくある「お開帳してください」が予定時間でいくつも移動している団体と違い、こちらも話しがいがあった。歴女ブームとは違うのかもしれないが、かなり熱心な皆さんで、庫裏から客殿までも案内して、法螺貝もついでに吹いて聞かせるということまでしてしまった。寺に人が来てくれるということはお不動様も喜んでくれるというものだ。

2013年6月21日(金)
長い雨だ。 今日も一日雨。おかげで今年は食べられないかと思っていた真竹の竹の子がここにきてたくさん生えてきて、いつもの年のように食事を楽しませてくれるし、知り合いにも分けてあげることができた。居間で使っていたノートPCが修理不能になって壊れたので新しいのを玉屋さんに頼んで入れてもらった。これもWindows8なので使い勝手が悪い。まあこのPCは、ほとんど女房がインターネットするのと、生協の注文するようなものなので特別なものは何もない。僕は居間でYouTube流しておいて本読めさえすればいい。
読書に飽きて、本堂に掃除機かけて護摩焚きの準備をした。28日にするか、病気平癒の祈願を依頼されているので、もう少し早くするか思案中。

2013年6月19日(水)
雨の一日読書など。 8時過ぎくらいからだろうか降り始めたのが。で結局今朝もウォーキングはできてしまったのだ。ということで、ほんとは雨が降っている朝を待っていたってことなのだが、そうそうこちらが思うようにはいかない。道の途中で、田んぼの水見をしていた町長と出会った。公務と自分の家のこと。この草鞋を履くということはなかなかに重そうだ。「欲しいときにはなかなか降ってくれんもんだ」とこぼした。また浅田次郎を読み始めた。雨で本を読んでいると早起きもあるのだろうが眠くなる。そういう時には目をつぶって眠ってしまう。寺だけの草鞋になっても、寺のことの用事はあまりないので、草鞋に足を通すことの方が少ない。
夕のお勤めを少し早く客殿でした。夕には観音経を読むことにしている。今年の初めに、本山から送っていただいた分厚い『真言宗醍醐派諸経要集』を、ただ置いておくだけの宝の持ち腐れとならぬように、客殿では使うようにしている。客殿のお勤めは基本朝本堂を終えてからの一日一回で、観音経の偈を読むので、長い前段は読まない。夕に本堂では観音経を全文読むが、経本が違う。今日は雨なので客殿で夕のお勤めをしたので、件の諸経要集の観音経を読んだのだ。それで一か所つかえてしまう所があった。ここは前にもちょっと違和感を感じたところだった。それで、終えてから他の経本と「?」と感じた箇所を並べて確認してみたら、4文字の言葉が違っていたのである。結局この諸経要集の誤植がわかった。一応本山にも電話をして「確認してほしい」と連絡を取った。折り返し「誤り」であることの連絡が入った。過日の宗務所長会の時に、この諸経要集の「小型版」を出すのでお求めいただきたい旨の話があったが、もう今から直すのはきっと難しいのだと思う。まあそれでもこうして見つければ、次回の「神変」に誤植の訂正が掲載されるだろう。こういうことはやはりしっかりと編集するものが校正するということだろう。僕が今日この誤植に気づいたってことは、ほとんど誰もこの経本を使っていないのだということの証明になるのではないか。お粗末。

2013年6月18日(火) 晴れくもり
今夜雨になるか? 860頁を3日かけて今日午後3時前に読了。めっちゃ面白かった。東野圭吾にしばらくはまりそうだ。今までこういう読み物を読んだことがなかったのでとても新鮮でドキドキし、もう朝3時過ぎに起きなければ一日が始まらなかった。文庫本のこんなに厚いのも初めてで、布団に仰向けになって読むのは腕が痛くなって途中で挫折した。腹ばいになって本を読んだことなど久しくなかったがこれの方が読めた。読み終えて外に出て梅の若い枝を剪定し、以前から暑苦しく思っていた花梨の木を切ってしまった。木の生長が早く、管理するのが面倒だった。今夜はこれから雨になるのだろうか。カエルが鳴いている。

2013年6月17日(月) 晴れ
一日読書。 東野圭吾の本を読み始めてからちょっとはまってしまった。東野の本は一気に読んでしまわないと次のことができなくなってしまう。昨日の午後から文庫本で860ページある「白夜行」を読み始めた。結局今日は一日読んだ。3時過ぎに起きて4時半前まで読み、午前中、午後も。寝る前にもまだ少し読み進めたい。ちょうど450頁まで進み半道中。こういう本を書く人の頭の中をのぞいてみたいような気持ちがわいてくる。朝ウォーキングの後、アジサイを眺めていて、本堂の左脇周辺に異臭を感じて探してみると、30センチくらいの小動物が死んでいた。表面が白っぽかったのでよく見ると蛆で覆い尽くされていた。朝食後スコップで穴を掘って死骸をすくい地中深く埋めた。たまにこんなことがある。庫裏や客殿の下から異臭が漂ってくることも何年かに一度くらいはある。ちょうど今朝漂っていた臭いと同じような臭い。二三週間するとさっぱりと異臭は消えてなくなる。たぶん今朝のような光景が縁の下に展開されているのだろうと思う。先日会った知人から、何日か前に県内の山中で滑落して山中に4日ほど救助を待っていて救助された人の腕の傷口にはもう蛆がわいていたらしいという話を聞いた。夕方涼しくなって30分ほど梅の枝が伸びてきているので剪定した。

2013年6月16日(日) 晴れ
夕方になって風でてきて涼しい。 午前中雨。昨日の夜からずっと降ったので、この雨はだいぶ植物には効き目があっただろう。早朝から猿が来ていて、風呂場の窓を開けて畑を見ると、猿たちが小走りで本堂の方に走っていく。サニーレタスの葉を音を立てながら食っていやがった。近所の家の犬の鳴き声が聞こえるが、家の中から吠えているだけなので全く効果なし。こっちも今日はこの間区から預かったゴム管を初めて使ってビー玉を逃げた猿に向けて3発放ってみた。当たりはしなかったが、今日のところはそれっきり離れていってくれた。朝早くから適当に食ってもういい加減引き上げてもいい満腹猿になっていたのだろう。

2013年6月15日(土) くもり
法事。 身延の武士兄ちゃんの一周忌の法事に行く。一年の経つのは早い。去年恵院の伝授指導の一回目に京都へ行く早暁に旅だったのだった。連絡を受けて病院に行く外は土砂降りだったように記憶している。ふた月余りもう何も話すこともなく、ただ心臓だけが動いているといった状態だった。11時から波木井山の本堂で法要。雨は降らずに蒸し暑い日になった。場所を下部ホテルに移して御斎。車の人が多かったので代表して飲む。内船寺のお上人も体調の方はいいようだ。近しい人から、そう遠くない日に葬式になるかもしれないと知らされる。

2013年6月14日(金) くもり晴れ
まあ午後から暑くなって。 今日は雨なんか降らなくて、午前中は曇っていたけど、午後には青空が見えて気温がぐんぐんと上がった。女房は思わず土蔵に走って重い戸をあけて扇風機を出してきた。僕は午前中竹林の若い竹を刈り払った。食べられそうな竹の子はほんのわずかしかなかった。蒸し暑くて汗びっしょりになった。そのあと畑で、ナスやキュウリやらの苗に支柱をさして縛った。小さなナスやキュウリやシシトウ、オクラも生りはじめ、ミニトマトも青い実が生りはじめた。昨日の朝は近くに猿が来ていたけれど今日は一日現れず。奴らもこの畑の生育を楽しみにしているのだ。昨日部屋でムカデを一匹捕えたが、今朝干してあったジョギングウェアのズボンを穿こうとしたら中からムカデが一匹落ちてきた。油断ならない。去年は野良に穿こうと昨日の続きの靴下に足を入れたらムカデに刺された。慎重に靴もしっかりとよく振って中を確認した。こういう蒸し暑くてじめじめした時期ムカデには要注意だ。午後楽しみにしていた新しい法螺貝が届いた。さっそく吹き初めをする。今のものより太い音が出る。胴回りが幾分大きい。

2013年6月13日(木) くもり
一日降ったり止んだり。 じとじとしている。蒸し暑い。スズメバチが動き出していて、いつの間にか室内を飛んでいたりする。昨日今日と一匹ずつ捕った。どんなところに巣作りを始めるのだろうか?去年も一度、役場から蜂の巣を取るための防護服を借りたことがあった。
午後母の入所施設に支払いと様子見。先月と変わりなし。でも昨日施設から、「最近食べこぼしがあるので、それ用のエプロンを購入してよいか」という電話があった。少しずつ衰えていくということだろう。天候が悪いので、大峯帰りの白衣や山袴などの洗濯ができない。今朝は久しぶりに歩いた。

2013年6月12日(水)
雨になる。 それでも大した雨にはならない。竹林に行ってみたが、食べられそうな太いのは全く現れていない。大峰から帰ってきた晩に、1本だけ見つけたといって女房が食べさせてくれたが、これだけで終わりになってしまうのだろうか?午前中雨の中を初老夫婦が参拝していった。姿を見ただけだったのだが、11時の鐘を撞いているときに、何かが本堂前に落ちていることに気づき拾ってみると帽子だった。あの夫婦のものだなとわかった。本堂の芳名簿を見ると幸いに記入してくれてあった。住所は山形市蔵王半郷となっていた。ずいぶんと遠いところからの方だ。少し待とうとも思ったが、住所の「蔵王」が、先日の峰入りの最終地金峯山寺蔵王堂の金剛蔵王大権現像と重なってきて、一筆したためて帽子を入れポストに出した。お昼を過ぎたころその夫婦が帽子を探しながら逆戻りして訪ねてきた。すでに送ってしまったと話すと恐縮して郵送料ですと千円置いて行ってくれた。蔵王に縁を感じたのだと話すと、向こうも訪ねてよかったと言ってくれた。山形は醍醐派の寺が東日本では一番多いところである。山形も修験道の聖地である、一度訪ねてみたと思った。

2013年6月11日(火) くもり
のんびりと。 帰ってきたらアジサイの花の色が濃さを増している。今年のアジサイはいい。雨が欲しかったのだけど、夕方から少し雨になってくれた。本山から送り返した荷物が届き、洗濯物。修験の用具など片づける。あとは林勘で買ってしまった法螺貝の到着が待ち遠しい。

2013年6月10日(月) 晴れ
帰山。 大峯の花供入峰を終えて夕方帰山。一滴の雨に遭うこともなく山を歩いた。醍醐寺から荷物を着払いで家に送り行藏院ご住職と西陣叶屋に泊まった。修行の汗を銭湯で流して、近くのたこ焼き屋でゆっくりと飲み、帰ってからまた二人で遅くまで飲みながら話した。今日は午前中に二条城を見学した。行程中に書いたものを以下に。
(6月6日)11時前に京都着。昼食を地下食堂街で。オムライス。ビールなし。山科から地下鉄と歩きで醍醐寺へ。午後2時から駈け入りの柴燈護摩。今年は随喜の参加者が去年より随分少ない。京都は曇りで蒸し暑い。修証殿に戻り入峯心得など拝聴して初日終了。
(6月7日)3時に起きる。幾分神経が高ぶっているので、睡眠が十分取れたとは思えない。4時半から朝飯。快便とは言いがたいがまあまあ。支度して三宝院玄関前で御法楽。バスで出発。大阪:報恩院着。込み合う中に坂本諦光師を見つけ、壬生師とご挨拶する。「洞川まで行くがそこまでで帰る」とのこと。徐々に体調が回復してきていると話してくれた。四天王寺で柴燈護摩。昨日に引き続き暑い。歩いて近鉄阿倍野橋から貸し切り電車。下市口からバスで洞川に向かう。隊列なして龍泉寺まで。地元の皆さんから「ようおまいり」の声に迎えられる。嬉しく有り難く、熱い気持ちが湧き上がってくる。龍泉寺で柴燈護摩。終えて道場出る時に再び坂本師にお会いでき、少しの言葉を交わして別れる。宿「さら徳」に修験衣体を解く。
(6月8日)深夜の朝飯を食べて2時から水行。膝下までの池の水で、入って来る人を待っ間に凍りつくような感覚に震える。でも底に尻据えて心経唱え始めれば寒さは忘れてしまう。3時龍泉寺発。真っ暗な道をヘッドライト頼りに歩き、女性たちと別れ清浄橋を渡って大峯の山道を登り始める。
山中はひんやりしているが、やがて白衣まで汗で濡れてくる。小笹の道場で峰中門跡園田師導師で柴燈護摩。辻堂でも一座。天気は快晴で、吉野の山々の見晴らしは絶景。おにぎりを食べて下山。最後に龍泉寺本堂へ参拝して日程終了。心地よい疲れ。酒飲む。
(6月9日)去年秋の台風12号の災害で、林道などが不通になっているため、今年は龍泉寺からの歩きの行程が随分と省略されてしまい、バスで黒滝村の鳳閣寺まで移動しそこから吉野の金峯山寺まで歩いた。鳳閣寺では柴燈護摩の後、寺を護る地域の皆さんから例年のように「ぜんざい」の接待を受ける。今回は200メートルほど上がったところにある、理源大師の廟塔でもご法楽をする。金峯山寺蔵王堂では、仲田門跡導師による最後のご法楽をあげ、その後、三体の金剛蔵王権現像をじっくりと拝する機会に恵まれた。いつもなら8日までなのだが、今年は9日が日曜なので、公開期間が一日延びてくれていた。近鉄吉野口駅からバスで醍醐寺に戻り、到着後そのまま列を組んで、最後の駈け出し護摩。これで無事終了。最終日の縦走がほとんどカットとなったことは残念だったが、来年の峰入りには法螺貝をもって参加する気持ちを新たにした。

2013年6月6日(木) くもり
出発前。 2時40分起床。1時間読書。4時50分からちょうど1時間朝の勤行。5時から40分ほど歩いたり走ったりする。朝食をとる。快便。音楽も聞く。外はまだ少し曇っている。昨日の晩飯時に30分くらい雨が落ちた。期待するほどのお湿りにはならなかったが、今朝はひんやりとして気持ちがいい。下部温泉駅から「ふじかわ号」で、行藏院ご住職と京都に向かう。帰山は10日の予定。

2013年6月5日(水) 晴れ
いよいよ明日。 今年の大峰行きもいよいよ明日になった。今朝は3時半に起き、お勤めをしてそのあと1時間ほど歩いた。明日もできればこんな感じで朝を使いたい。7時5分下部温泉駅から京都へ。今日も風が強い。幾分湿り気を感じるのだが。向こうの天気予報は昨日と同じ。雨は避けられるかもしれない。去年は、大峰山の帰りの下りで降られた。翌日の吉野蔵王堂までは断続的に降られ、合羽を着たり脱いだりで雨に濡れているのか、汗でびっしょりなのかの区別がつかなかった。好天気を期待したいところ。

2013年6月4日(火) 晴れ
荷物送る。 花供入峰の着替えなどの荷物をクロネコから本山に送る。その足で身延駅で電車の切符も購入。これで良し。天気予報を見ると、京都は今日から一週間は「曇時々晴」で降水量は各日とも30%だ。奈良の天川村も同じ予報になっている。降水量30%は雨を降らせないでおいてくれるのだろうか?期待したいところだ。
午前中畑の刈残しの草を刈る。昨日も今日も午後風が強く吹く。

2013年6月3日(月) 晴れ
葬儀。 天気は朝から上々。3時過ぎに起きて映画など見る。どうせ大峰に行くのだから3時過ぎくらい起きていれば夜早く寝る癖がつくかもしれない。8時前に葬祭場着。新聞の「おくやみ欄」に死亡記事が掲載されていたので、知った人なら来るだろうと思ったが始まる前には結構大勢の会葬者が並んでいた。11時から葬儀。終えて僕は昼食を控室でいただいて帰ってきた。近くに住む故人のお兄さんから、この葬儀についてのことをいくつか質問されたけれど、ありのままに答えるしかなかった。役目を終えて帰ってきたという感じ。夕方畑の草を刈る。残りは明日。

2013年6月2日(日) くもり
今夜通夜。 納棺済ませて一時帰宅。6時から通夜。人の亡くなるなんてことは実にあっけない。昨日話した人が、朝(あした)にはもう冷たくなって倒れて息絶えている。親しい同級生たちは、まるで騙されでもしたかのように呆然とし、まだこれをこの世のこととして納得できない。家族親族はもちろん然り。
故人はお寺と縁があるので葬儀を頼まれたが、戒名はいらないという。葬儀を頼まれたということであるので、そのようなかかわりで明日の告別式まで務める。それでも俗名の位牌を書いたり、諷誦文も簡単ではあるが書く。娘は東京の集会の動員で朝早くに出かける、帰りも多分遅いだろう。一日曇りで、雨が降りそうで降らない。冷静に考えたりするにはもってこいの日だった。

2013年5月31日(金) 晴れ
宗務所長会。 昨日の京都は曇りと静かな雨で日中も暗くてさぶかったけど、一転して今朝は快晴で気温もぐんと上がって夏のよう。叶屋を後にして醍醐寺に向かう。9時半に着。真言宗醍醐派の全国宗務所長会。管長猊下退席のあと会が始まる。恒例のうどんの昼食ののち午後の会があって午後2時半前に終了。3度目の出席なのでだいぶ慣れてきた。活発な意見が出たが僕は今年は何も問わずに終える。来年は閉会後の懇親会にも出てみようかなどと考えながら帰ってきた。京都駅はこの時期修学旅行生であふれかえっている。新幹線のホームもいっぱい。修学旅行用の臨時列車も何本も組み込まれている様子。昨日も去年と同じに、京都駅から叶屋まで歩いた。お堀端を歩いたらい、長い長いアーケードを歩いたり。林勘法衣店に寄り、法螺貝の状態を見てもらったのだが、「問題なし」だった。ということはやはり技術的なことなんだろう。一晩コインロッカーに預けた法螺貝をまたぶら下げて帰ってきた。6が6日にはまた花供入峰のために上洛する。

2013年5月29日(水) くもり時々雨
雨もたいして降らず。 もう今朝は雨が降っているのだとばかり思っていたので、「歩かなくていいモード」の思い体になっていた。正直なものである。だが雨は朝ちょっと降っただけ。あとは一日風の強い曇り日で、ときどき思い出したようにぽつぽつと急ぐ雨が落ちたりしただけ。一日読書。京都行きの準備。秋山さんとこにうどんの切りだめを返しに行く。夕暮れ前に歩いてからシャワー浴びながら頭を刈る。明日はのんびりと静岡まで各駅停車だ。

2013年5月28日(火) くもり
護摩焚く。 不動明王のご縁日。午前中に護摩を焚く。午後片付け。夕方から明日にかけて雨になるかもしれないという予報だったので、早め早めにことを進める。本堂の掃除と荘厳を終えてから身延駅に京都行きの切符を買いに行く。途中のCOMAの建物は撤去されきれいに整地されてあった。町で分譲住宅を建てるという計画のようだ。身延の駅前通りも閉店する店もあり、普段縁のない僕にはなおさらにさびしく感じる。帰ってきて歩く。雨が降り始める。涼しく感じる夕になる。

2013年5月27日(月) 晴れ
掃除片付け。 Liveの後の部屋の片づけや便所掃除などする。客殿に風を通し障子を入れる。また静かな寺に戻った。関西方面は梅雨入りしたようだ。例年より早いらしい。大峰行きも今年も雨に遭うのだろうか。明日焚く護摩の準備する。読書。ウォーキング。4時に起きて録っておいたNNNドキュメント「俺は百姓だ 農村フォークバンドの35年」見る。35年というのが僕にとってもあまり古い時代ではない。大学4年になっていたころのことなのだから。

2013年5月26日(日) 晴れ
区内環境整備。 8時から。ゴミ拾いから、側溝の泥上げ、中沢川河川公園の草刈り、有害獣除け柵周辺の除草作業。それから僕のところは特別に集落道の通学路へのカーブミラーの設置の基礎作業などする。昨日歩かなかったので、今朝はお勤めを済ませて歩く。先週あたりからサルの姿を見かけるようになり、道にも分が落ちているし、山の道を歩くと獣のにおいがする。僕にはもうはっきりと奴らのにおいがわかる。何年も猿のいる環境の中に暮らして、例えば雨上がりの初夏の早朝などには、モワーッと奴らのにおいが地上から上がって周辺に満ちているのがわかる。
午後4時に富士ヶ嶺の遠藤君来て息子さんの車の安全祈願する。父親の片腕となって酪農(肉牛)する決心をまぶしく感じた。

2013年5月25日(土) 晴れ
下田逸郎ライブ。 午後3時半に甲斐岩間駅に下田さん着。再会の握手をして迎える。リュックとギター。暑い日。少し話してから客殿で会場のレイアウトとリハーサル。寒くはないので、障子も取っ払って板の間も使うことにした。7時半からなのでまだ時間がある。下田さんは着替えて「やっぱり、焚き火しましょうか」と。風が強いが、安全な場所を確保して1時間ほど火を燃す。1年半ぶりに来てもらったが、新緑の季節は初めてだがこの季節と風景をとても喜んでくれた。三々五々お客さん集まり始める。皆で20数名来てくれたか。愛知、静岡、東京からも。下田さんのライブに接する機会が少ないのかもしれない。こんな辺鄙なところまで出かけてきてくれるのだから。ありがたい。催した僕もうれしい。地元の友達、僧侶の仲間も来てくれた。1時間ほどのライブ。去年亡くなった、盟友桑名正博氏の話も交えてくれ、「月のあかり」もリクエストに応えてくれた。終わってから懇親会。北海道ツアー帰りで、「酒が体に厳しい」といいながらも少し飲んでくれ、残ってくれた人たちともゆっくりと話をしてくれた。
翌朝ゆっくりと起床。午後1時半の電車だというので、ほったらかしでゆっくりしてくれと話す。こちらは片づけをしたり、体を休めたり。下田さんものんびりと寝転んだり、富士川の川原へ散歩にいったりして新緑の季節を楽しんでくれたようだ。「また2年後」を約束して駅に送り別れる。2年後には彼はもう70歳に近づき、僕も間もなく60歳になる。僕や僕の家族ばかりでなく、このライブに来てくれた人たちは十分に下田逸郎の歌の世界を楽しんでくれたはずだ。「よかった」といってもらえることが一番うれしい。大勢から酒や食べ物を差し入れしてもらった。そのことにも感謝。また「2年後」。

2013年5月23日(木) 晴れ
下田逸郎ライブ明日。 来てくれる予定だった人が来られなくなったり、今朝メールを開くと、県外の二人から行きますとうれしい予約が入っていたり。さてどのくらい来てくれることやら。でも来てくれた人はきっと楽しんでいただけるだろうと思っている。季節もいい。鳥もカエルもないている。
本堂裏の草を刈る。墓地への参道の溝を掃除する。カーブミラー設置予定場所の穴を掘る。天皇社付近の草を刈りにゆく。メダカの水替えをする。一日外の作業をして頭を刈って終わり。

2013年5月22日(水) 晴れ
大勢参拝者あり。 塩山の放光寺主催の「甲斐百八霊場巡り」の一行30名ほどが午後2時前に来山。ご住職と執事さんが引率してこられた。旧下部町の3か寺とそれからうちの後は旧身延町下山の上沢寺、南松院を廻る予定になっていた。暑い日で、季節はいいが気温が上がって歩くのも大変だったかもしれない。いつものように風が強かったので、「塩山の方もこんなに風が吹きますか?」と問うと、「こんなに吹く日はない」との応え。やはりここは富士川の影響があるのだろうか。午前中ウォーキングの後墓地周辺の刈残したところを買って墓地の草刈りは終了。下田さんから明後日の到着時間の連絡はいる。さてどのくらいの人が集まってくれることだろうか。

2013年5月21日(火) 晴れ
本堂掃除。 明日、甲斐百八霊場巡りの一行が午後来山するので、埃と若芽の舞い込んだ本堂を掃除して荘厳も新たにした。読書、ウォーキング。暑い日になる。午後境内の草刈り。暑いけれど強い風が吹くので気持ちがいい。ケヤキも若葉が大きくなり、風に音を立てるようになった。

2013年5月20日(月) くもり
雨上がり。 歩くのは止そうかなと思ったけれど、ここでくじけちゃいかんと幾分雨の残る朝を歩いた。林の中を歩くと一足踏み込んだだけで、シューズから浸み込んでずぶ濡れになった。読書。6月の土曜に友人10人とお不動様の前で「瞑想させてもらえないか」と問い合わせがある。「よろしいですよ」と返事する。いろいろな人たちがいる。参詣者の護摩木の願い事にも苦悩が書き込まれていた。メダカ孵る。

2013年5月19日(日) くもり
のんびりと休み。 従弟夫婦が初めて泊まっていった。仲のいい夫婦である。昨夜は若大将で日本酒のぬる燗を3人でゆっくりと飲んだ。こんなこともこれからの人生を考えれば、一年に一度くらいはあってもいいのかなと思う。今日は歩かず。

2013年5月18日(土) 晴れ
夕方の風は湿り気を帯びているような少し冷たさを感じる風。 昼は暑かった。連日の暑さで幾分参っている。今日は草刈もやめて休養した。朝夕のお勤めとウォーキングのみ。あとは映画、読書、音楽DL。行藏院ご住職に頼まれた渋い白人ブルースの先駆的グループの音を僕も今日はたっぷりと聴いた。明日は午後あたりから天候が崩れるようだ。30年以上前に聴いたTALKINGHEADSやTOM TOM CLUB、BRIAN ENOなんかも、ダンサブルな刺激的な音でまったく古さを感じさせない。古くないというよりも褪せないという方が正しい。懐かしいIt's A Beautiful Dayも手に入れた。池澤夏樹/スティル・ライフ読み始める。今夜はこれから従弟夫婦と会食。

2013年5月17日(金) 晴れ
住民健診。 今朝は健康診断があるので飲み食いができないので、歩いた後そのまま墓地へ行って続きの草刈りをした。昨夜の雨に濡れた草で、靴はびしょ濡れ。朝から陽射しが強くなった。8時半ごろに止めてシャワーを浴びて、健診に行く準備。自転車で行く。日時が指定されているので、見知った顔が多い。最後の胃がん検診が随分と待たされて時間がかかった。10時少し前に行って、結局帰ってきたのはちょうど12時。腹に詰め込んで、六郷の中銀で用を済ませ、田富のBOOK-OFFへ行く。浅田次郎を7冊、東野圭吾を5冊、「新訂おくのほそ道」(角川ソフィア文庫)を仕入れる。すべて105円。これでまた当分楽しめる。

2013年5月16日(木) 晴れ
今日も暑い。風邪は幾分弱まる。 朝夕のお勤めとウォーキング。今日も「あまちゃん」見てから昨日の続きで墓地の草刈り。10時半まで。午前の部はこれにて終了。歩くのも草を刈るのも汗びっしょりだ。それでも外は気持ちがいい。自然の中に紛れ込んで生かせてもらっているということかな。ここに居るのは誰にも遠慮が要らない。橋下のアホな発言もこういう日常にあったら発想さえ浮かんでは来ないだろうに。昼食後読書と昼寝。午後3時前から再び1時間ほど草刈り。3分の2を終えた。頭を刈る。メダカの産卵も活発になってきた。卵を別容器にせっせと移している。
(19:32)雷雨。激しい雨になった。でもこれもとても心地いい。

2013年5月15日(水) 晴れ
暑い。 今日も一日暑かった。まったく一日の報告のような毎日の「徒然」である。読んでおられる方はさほど面白くもないだろうとは思う。でもまあ自分のために書いているだけなので。朝夕のお勤めとウォーキング。獣除けの柵を張り巡らせたその脇を歩いている。山中を歩く大峰にはちょうどいい。午前中墓地の草刈り。上から始めてちょうど3分の1くらいを刈り終えた。無理をしない。今朝も3時に起きて寅さんを見たので、一日中草を刈るのはちと厳しい。11時の鐘を撞いてから正午まで、昨日刈った畑の草を燃した。風はあったのでよく燃えてくれた。畑もきれいになった。午後読書、昼寝。歩き終えた後30分ほど墓地周辺の草を刈る。だいぶ汗が流れたが、その分水分補給も尋常の量ではない。

2013年5月14日(火) 晴れ
定期受診。 午後3時から飯富病院を定期受診。2か月に一度薬を処方してもらいがてら受診している。新しい年度に入って初めてで、今日からは先生が変わった。若い女性医師になった。今日は問診と触診で次回の受信日を決めて終わり。午前中草刈りと畑の作業などする。午後1本寅さん見る。今日もぐっと暑くなる。もう夏の作務衣でいいかも。娘は今日指定の休み。母娘は昼食を外で摂ると出かける。朝夕のお勤めとウォーキング。

2013年5月13日(月) 晴れ
草を刈る。 参道の左側の畑の草を午前中かかって刈る。鹿に食われた桜の苗の生きているのをここに植えておいたのだが、うっかり切ってしまった。今日も暑かったので刈った草もよく乾く。この天気が続けば畑を焼いてしまえるかもしれない。午後女房と母の入所施設に利用料の支払いと様子見。服を春物から夏物へと女房が交換してくれた。相変わらず健康で元気。こっちの話が通じるのか通じないのかわからんが、一人で勝手に笑っている。照れ隠しなのかもしれないが、そこまでの感情があるのかどうか?20分ほどで別れた。帰りに増穂のコメリによってグリーンカーテン用の追加の苗と、オクラとピーマンの苗を買う。桜の苗があったら1本買おうかと思っていたのだが、枝垂れ2本と吉野の苗1本300円と値引きされていたので買った。それから花桃の苗も500円になっていたので1本買う。帰ってきてから涼しくなった風の過ぎる畑に植える。東野圭吾「分身」読了。WOWOWの連続ドラマを録っていたのだが、最終話でハードディスクが一杯になってしまって録れなかった。結末がわからなかったのでAmazonでこの原作の文庫を1円(送料250円)で買って読んだ。二日間でのめり込むように読み終えた。やはりドラマより本の方が断然面白い。

2013年5月12日(日) 晴れ
初夏のよう。 雨あがって気温も上がる。一日Tシャツと短いパンツで過ごす。午後5時を回って風も心地よい。朝と夕に小一時間ほどずつ歩いた。昨夕上求寺の貴永さんを5月10日付で住職に任命する旨の通知が届いた。本人にもよる連絡する。しかし、毎月29日に行っている親授式にあわせて本山へ登らなければ辞令は交付されないとのこと。なかなか厄介な時代になったものだ。このあたり、勤め人に対しては臨機に対応できないものだろうかと思う。まあそれでも、1月末におじさんが亡くなって、後継の手続きも案外早くにできたのではないか。しかし事例を貰わなければ、法人の登記に関する手続きが進められないので、早いうちに本山に行くしかないな。

2013年5月11日(土)
雨、お湿りの雨。 午後になって本格的な雨になってきた。明日まで続くかもしれない。久しぶりのいいお湿りだ。昨日畑に植えた苗も定着してくれることだろう。昨夜は喜田でゆっくりと飲んで語った。焼酎はやっぱり次の日がさっぱりとしている。大分飲んだがいつもより一時間遅れだったが朝のお勤めもできた。日本酒で昨夜のように飲むともうほとんど午前中は死んでしまう。今日は死ねない理由があった。10時から佐田家の屋敷神さんのお祭り。朝食後に30分ほど歩くいた。まだこの時間には雨はぽつぽつだった。毎年家の裏にある屋敷神さんの場所で経を上げるのだが、今日は雨が心配されたので居間に外に向けて祭壇が設けられていた。ほら貝、祝詞、読経と、修験、神道、仏教混交である。終えて一時間ほどお酒をいただきながら話もする。午後からは寅さん、読書。

2013年5月10日(金) 晴れくもり
今夜は雨になるかも。 午前中少し歩く。寅さん見る。秋山さん訪ねてくる。田植えがひと段落してほっとしているとのこと。今夜お呼ばれして飲むことになっている。午後女房と甲府へ出る。初めてイオンへ行く。僕はほとんど出かけないし、ショッピングセンターなど用事もないのでいかないのも当たり前。回転ずしを食う。昼時を少し過ぎていたので、レーンは動いているのだが寿司は回っていず、紙で書いたり口頭で注文して食べた。次にエルク。大峰山行のザックと、京都一泊の簡単なショルダーバックを買う。女房は今日誕生日の友人のためにケーキを買う。最後に種苗店により、緑のカーテン用にアサガオなどの苗と、畑のものの苗少し買う。雨が期待できるので、そのまま管理機を畑にかけて苗ものを植えてしまう。今日はまあまあ良く働いたといえよう。

2013年5月9日(木) 晴れ
ミュージック・マガジンを古紙で出す。 大学時代から10年ほど前まで毎月買っていた「ミュージック・マガジン」。はじめは「ニュー・ミュージック・マガジン」だったのだが。学生時代は主にレゲエやパンクの音楽情報をここから得ていた。勤めを始めてからもそれは続くが、次第にジャズや民族音楽などにも興味が出始めたりした。おそらく20年以上分あった。300冊くらいあっただろう。去年仕事を辞めて手を付けようと思っていたがそのままになっていた。今日古紙の回収があったので、昨日の午後棚から降ろして埃を払ってビニール紐で縛り今朝集荷所に出してきた。この雑誌は学生時代は店で買い、家に帰ってきてから5年くらいは年間購読予約をして送ってもらっていた。その後、職場に届けてくれる地元の書店に頼んでいた。ミュージック・マガジンと大法輪を購読していたが、大法輪も退職の前年に止めた。今本を買うことはほとんどない。特に雑誌は読まなくなった。AmazonやBOOK-OFFで文庫本を仕入れることはある。あまり流行に左右されなくなってきたのかもしれない。確かに聞いている音楽は昔からあまり変わらないし、いま、YouTubeで旧い時代のアルバムをDLできるようになったので、いつでも好きな時に聴きたい音楽を聴くことができる。本当に久しぶりに夕方集落を歩いてきた。行藏院のご住職は大峰山に行く前、足腰の鍛錬に励むと去年言っていた。僕も少しそれを見習って一か月後の準備を始めようと思う。

2013年5月8日(水) 晴れ
『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』。 WOWOWで、全作品一挙放送というのを5月の目玉でやっている。思い立って録画することにした。初めの3日間は録ってなかったが、今日までに6作品録り終えた。午前中、タイトルの作品を見た。これは第11作目になるらしい。1973年は僕が高校2年生の時のものだ。その時代に生きていると感じたことはなかったが、改めて映画でその時代の背景を眺めていると、この時代からはひどくほど遠い昔に感じてしまう。マドンナの浅丘ルリ子演じる「リリー」がものすごくきれい。まあそれはそれでいいのだが、面白いことがあった。冒頭に「とらや」の仏間での、寅さんの父親の27回忌の法事のシーンがある。御前様の笠智衆が般若心経を唱え始める。帝釈天題経寺の御前様であるのなら日蓮宗の僧侶である。日蓮宗では般若心経を唱えることはまずないはずである。僧侶個人が般若心経を読む(読める)ということはあるだろう、最もポピュラーなお経なのだから。でも、法事で般若心経は絶対にないはずである。妙法蓮華経方便品とかになるはずである。こういうのは仏教に関心がない方ならわからないシーンであろう。ならば何故の疑問から、笠智衆を調べてみたら、彼の生家は浄土真宗本願寺派の寺であった。がしかし、これまた浄土真宗も教義の違いにより般若心経は読まないのだ。もっとも、笠さん唱える般若心経はお世辞にもうまいとは言えない代物で、僧侶としての素養はいささか?だったようである。
今日は一日暖かだった。原小の2年生児童6名(全員)が社会科見学で来山し、30分ほど本堂でお話したり質問を受けたりした。その最中に、百八霊場巡りの方2名が下で般若心経を唱えていたので、「開帳」してあるからとお誘いして上に上がってもらった。この方たちはタイミング良いときに来た「小学生に感謝しなくちゃ」と喜んでいた。

2013年5月7日(火) 晴れ
若葉寒。 若葉寒という言葉は知らなかった。今の時期に寒さが戻ることを表すということだ。今日は朝から風が強く吹き荒れた。本堂にも若芽や小さな青虫なんかが風に飛ばされて吹き込むので早々に閉めさせてもらった。明日、社会科の授業で来ることになっている原小学校2年生のためにお寺のことをつづった資料を作った。担任からの電話では6名ということだ。これを作っておけば、何度来てももう悩むこともない。カラープリンターもあるので、いい資料が作れたと思う。原小も町の統廃合の対象になっていて、計画通りに進めば原小はなくなり、校名は変更になるかもしれないが、現在の下山小学校に通うことになる。原小に通った埼玉に住む遠藤さんは、年賀状に「いつまでも原小を残してその校歌を歌い継いでほしい」と何年か前に書いていたが、少子化の波には抗うことができない。変わっていくのも世の常なのだとしたら。
風が静かになると鶯の鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。今朝も4時半ごろから鶯が近くで鳴いて、その声をしばし布団で聞いて起きだした。鶯の艶のある声を聴いているとほんとに幸せな気分になれる。

2013年5月6日(月) 晴れ
ノンアルコールのビールは不味くて飲めない。 サッポロ プレミアムアルコールフリー 334ml瓶。昨日の法事でグラスに一杯いただいたが、結局半分飲んだだけでウーロン茶に変えてしまった。このアルコールフリーのビールというやつ。何年たってもアルコールの入ったビールの風味は出せない。出せないどころか不味くて飲めない。こんなものを商品として売っていることが許せないとまで思ってしまう。各社とも、ノンアルコールのビールは一つだけ出せばいいし、こんなノンアルコール商品合戦が、「一番搾り」「秋味」なんていった季節ものを出すなんてことは絶対にやめてもらいたい。所詮ビールのまがい物に過ぎないのだから。
NHKの「あまちゃん」が好評のようだ。毎日見ている。今朝も見ていて思ったことは、このドラマは登場人物が家やスナックや漁協の事務所に皆よく集まって酒を飲むシーンが多い。ビール・日本酒・焼酎。たぶん僕はこの団欒を見るのが好きなのだと思う。
午後から風強い。大型連休も今日で終わり。まあ端から俺には関係ないが。寅さん見る。

2013年5月5日(日) 晴れ
金剛寺法事。 甲府小野家(金剛寺)の法事に出かけてきた。今回は、明野にある金剛寺の墓地に赴いて法要をした。親族一同が県内外から参じて30名ほどになった。天気も良く、子供の日の空は青く高く、絶好の法事日和。墓前で懇ろに経を上げ、最後に法螺貝を吹いた。
甲府に戻り御斎の後、自宅の2階に祀られてある御宝前でも供養をさせていただいた。ご家族の皆さんにも大変に喜んでいただけた。連休は明日までなので朝の道は早かったので空いていたが、帰りはやはり渋滞するほどではなかったが上下ともたくさんの車の流れがあった。帰ってきたときに本堂に参拝する人があり、昨日も何組か参詣者があった。今日は午後少し風が強かった。

2013年5月3日(金) 晴れ
連休後半スタート。 高松家の一周忌の法事あり。10時半から。上下線とも国道が渋滞していて時間に間に合わなかった方もいたし、御斎の席に行くのに迎えのバスが回り道して来たり。5月3日は隣の早川町で山菜祭りが毎年開かれるので、天候さえよければものすごく混み合う。午前中混んで、それから帰途に就く車が午後3時過ぎから込み始める。どうもこの町の信号が割と近くにいくつもあってそこが渋滞の原因になっているようだ。八日市場を通る車で道を知っている人たちは、国道が渋滞するので、中の町道を走って抜ける人もいるし、もっと詳しい奴は僕の部屋の下を走る集落道を抜けていく。今日も何台もそんな車があった。法事終って明日は一日off。のんびりできそうだ。

2013年5月2日(木) 晴れ
法事のことなど。 昨日録っておいたWOWOWの連続ドラマを見ようとしたのだが、ハードディスクが一杯になってしまっていて、5話で完結する物語の4話の途中で途切れてしまっていた。大失敗であった。今夜の清志郎のビデオは十分な空き容量を確保して録ることにした。最近映画を録り貯めていて、見終わっても消さなかったのが原因だった。教訓。明日の法事は寺で。5日の法事は、甲府の金剛院のO氏のお母さんの23回忌。明野の墓地ですることになっている。その準備などした。午後からやはり強風。

5月。 今日から5月。お祭りの片づけも本堂を掃除したりしながらほぼ終わった。静かな寺になった。お札を送る人たちの分を明日発送。娘は今日初めてのメーデーに参加。労働者の仲間入りだ。ゴールデンウィーク後半の連休に二つ法事がある。なかなかのんびりとはできないのである。3日の法事の会場準備もする。風は今日も強かったが本当に緑がきれいな季節になった。


2013年4月30日(火) くもり
祭典終えて。 あっという間に終わってしまった。翌日の今日。天候は下って、雨が降ったり風も随分と強く吹いたり。息子にも手伝ってもらいながら片付けなどする。本堂の片づけは明日に。よいお祭りであった。テキヤも今年は出たので人出も良かったのではないか。行藏院ご住職の法弓も圧巻。東海さんともゆっくりと祭典後の酒を楽しめた。
息子とも酒が飲めたのでこれも思い出。午後遅くに戻っていった。娘は今日も出勤。さてこれからいささか暇な毎日が始まる。

2013年4月28日(日) 晴れ
祭り前日。 朝8時から檀家の人たちと祭典の準備。幟を立て、護摩壇を覆うヒノキを採ってきてもらい、護摩の道場の結界の竹も採ってきてもらい、受付のテントを立て、本堂の回廊を掃除てもらい、準備完了。11時半過ぎに僕は不動寺の葬儀の助法に行く。帰ってきてから本堂の中に座布団用意したり、マイク設備の準備したり。午後3時を回って風強くなる。明日の風だけが少し気になる。
今朝は3時に起きて5時まで映画見る。これで今夜早くぐっすり眠れる。

2013年4月27日(土) 晴れ
祈願の護摩を焚く。 いつも前日に祈願の護摩を焚くが、明日の午前中準備で、午後1時から不動寺の葬儀の助法に行かなければならないので、一日早いが午前中に護摩を焚いた。まとめて頼まれる損保会社の札も昨日FAXでいただき、今朝早くから札を書いて仕上げた。終えて午後から本堂の掃除と荘厳。たっぷりと5時までかかった。明日はもう堂内の掃除は頼まなくてもよい。天気は大丈夫だ。

2013年4月26日(金) 晴れ
買い出しに。 午後から女房と酒やお茶などの買い出しに。最近の祭典では、飲酒運転のことを考慮して酒は一切出さないというところもあるが、僕が酒を飲むので、うちでは酒は用意してある。檀家の手伝いの方たちにも酒だけは十分に出してあげて、一年に一度の寺のお祭りを手伝いながらも楽しんでいただきたいと思っている。助法に来てくれる僧侶や修験の方たちにもできるだけ相乗りで来ていただいて、飲める方は十分に召し上がっていっていただきたいと思っている。祭りで酒を飲まないなんてのは間違っている。そういうのはやっぱりさびしい。
いろんな方たちに祭典には協力をいただいている。読売新聞の事前取材あり。マスコミはあまり信じていないしあてにもしていない。報道なんてのはそこの主観だから。なので、僕は祭典についてもこちらから取材願いを依頼するなんてことはしたことがない。

2013年4月25日(木) 晴れ
命日。 公康君の一周忌の命日だ。まだこの時間には去年まだ君は確かに息をしていて、夕食後に突然息絶えたのだった。祭典のことで頭の中はいっぱいだったし、公康君のことはとにかく祭典が終わってからにしたいと思っていた。終わったら会いに行こうと思っていた。仮退院できたメールももらっていた。重篤であることは承知していたが、まさか突然逝ってしまうなど思いもしなかったのだ。去年もこの時期ボブ・ディランを聴いて過ごしていた。ディランやデッドを今日も準備しながら聞いた。午後には風が強くなった。雨が上がって、お祭りまでたぶん雨はないので、下準備をした護摩壇を覆っていた大きなブルーシートをたたむのに風が強くて難儀した。公康のことを考えてももう戻っては来ないのだが、毎年僕はこの寺でお祭りの準備をしながら、ボケてしまわないかぎりは思い出し続けるのだろう。まあそれでいいよな。

2013年4月24日(水)
雨。 一日強い風を伴う雨。祈願札を書いたり、その他もろもろ。週間天気予報は29日は晴れのち曇り、翌30日は曇りになった。ということは雨はとりあえず避けられそうか。28日の準備の日も天候は今のところよさそう。雨なのでお昼前から午後と映画を見る。

2013年4月23日(火) 晴れくもり
天気下り坂のようだ。 午前中は少し良かったが午後からは曇ってきた。明日は雨になるのかもしれない。週間天気予報は30日が曇りマークだ。一週間の間に予報に変化があることは十分に考えられる。昨日までにお祭りの助法に来ていただく寺院に何人か変更があった。玄法院ご住職と瀧本院の副住職がどうしても仕事の都合がつかずに欠席となり、急きょ昨日松鶴院のご住職にお願いをしたところ。快く受けてくださったので一安心。あまり大勢をお願いするゆとりはないのだが、それでも僕の思い描く列というものもあるので、なんとかその人数くらいは保ちたい。それぞれに仕事をもっておられるので致し方のないことだが、なんとか皆さんにそれぞれの受け持ちで頑張っていただきたいと思う。柴燈護摩法要の配役など決める。

2013年4月22日(月) 晴れ
護摩壇準備する。 いよいよ一週間後の祭典となった。週間天気予報を見ると水曜日木曜日が雨マークで、3連休の土日祭日は晴れ時々曇りになっている。この時期の一週間後は確定などできないのであるがまずは今のところ安心といった感じ。外の柴燈護摩の壇の下準備をした。あとはヒノキの葉を盛るだけである。今日は風も比較的穏やかで、午前中いっぱいと午後少し、BOB DYLAN聴きながら作業した。それからメダカの瓶と鉢と水槽の掃除も併せて済ませた。最初に採卵した卵も順調に孵化しているようだ。もう少し気温が上がってくれたらなぁ。

2013年4月21日(日) 晴れ
「八日市」の準備も始まる。 昨日からの雨が午前中続いた。それでも午後からは天候が回復する予報だったので「八日市」の準備も朝の放送で午後からということが伝えられていた。午前中角屋の法事。おじさんの七回忌。お祭り前でなんとなく慌ただしかったな。特に寺で葬儀をするということになったので。おかしなもんだ。寺を使ってほしいと思っていながら、自分に都合の悪いようなときには、「ホールでやったら?」なんて卑しい気持ちになったりするのだから。寒い日だったけど、もうストーブは片づけてしまったし。二畳の電気カーペットを2枚出して足だけ温くしてもらった。午後から地区の人たちは「八日市」の準備。テントやのぼり旗が立った。

2013年4月20日(土) くもり
雨になる。 今年の草刈りが今朝から始まった。境内やそれから墓地の参道、客殿裏の庭の草刈りなど午前中一杯する。今年も二台の草刈り機絶好調である。午後には予報どおりの雨が落ち始め、午後5時を過ぎた今、本降りの雨である。久しぶりの雨になった。草刈りながらだいぶ埃もたったので、よいお湿りになるはず。午後はのんびりとテレビ見ながら、腕に草刈り機の疲労を感じた。雨で部屋の中は少し寒い。今朝で出してあった最後のストーブの灯油を使い切り、全部土蔵にしまったので、暖をとるのはコタツかエアコンだ。まあもうストーブなしでも大丈夫だ。

2013年4月19日(金) 晴れくもり
お札書き二日目。 朝からお札書きの続き。BGMは、YouTubeでBrian Eno。ゆったりとした音楽をアルバム3枚分ほど聞く。11時の鐘を撞く前に、30分ほどかけてやり残した場所に除草剤散布する。天候が下り坂だ。日曜には雨になる予報が出ている。昼近くから風強くなる。本堂閉める。お札の方は大体目途がついた。祭典まであと10日。雨さえ降らなければ少々風が強かろうが問題なし。

2013年4月18日(木) 晴れ
祭典準備。 朝からお札書きを始めた。ぼちぼち取り掛からなければいけないような時期になってきた。相変わらず外は風が強かったが今日は気温がぐんと上がった。午後3時で台所兼居間は25度を超えていた。一日お札を書いているときに流していた録画しておいたミュージックビデオは、甲斐バンド、矢沢永吉、松任谷由実&プロコル・ハルム、カーティス・メイフィールド。最後のカーティスが乗れたな。確かにカーティスの音楽にはコンガが欠かせない重要な楽器だな。役場の大先輩の遠藤さん午後お札を申し込みに来てくれる。この人とも何度か酒を飲んだなぁ。ここ一、二年で急に年寄りっぽくなってきた。

2013年4月17日(水) 晴れくもり
相変わらず風つよく吹く。 毎日毎日本堂の屋根の四隅に吊ってある風鐸が鳴り騒いでいる。午前中いっぱい本堂の扉を開けていられない。今日も訪れた人があったけど、言い訳のように「風が強いので扉を閉めています」と話した。本堂の扉を閉めるのはやはり本意ではないがどうにもこの時期仕方がない。
WOWOWに加入しているのだが、あまり映画を見ることがなかった。見ることに集中するというのが性に合わなかったのかもしれない。音楽番組は結構録画していたが、音楽は見ないでも十分に楽しむことができる。それでも今年に入ってから映画やドラマを予約録画して午前中見るようになった。映画を見慣れてくると楽しいなと感じるようになった。韓国の映画はもちろん言葉がストレートには通じないが面白い。いくらか僕らと民族の性質が似ているようなところがあるのだろうか、内面の機微に触れることができるような気がしている。

2013年4月16日(火) 晴れ
昼過ぎより風強くなる。いつ頃まで続くやら。 だいぶ暖かくなってきて、夜には虫も出てきた。池にはオタマジャクシが泳ぎ始めた。昨日初めてメダカの産卵を認めた。採取して別容器に移した。2週間後くらいには孵化するだろう。今年は新緑の季節が早い。今朝朝食の後網戸を入れた。お祭りの前に網戸を入れたことは今までなかったが網戸がほしいと感じてきた。風呂に入った時、網戸があれば夜風を招き入れられる。住居、寺のぐるりと全部網戸を入れ終えてから、今度は除草剤の散布作業をした。風が穏やかなうちにと、参道から駐車場、本堂の周りに散布する。作業を終えてシャワーを浴びてうがいをして11時の鐘つきになる。少し本読んで昼食。午後行藏院ご住職ほら貝を肩から下げて来山。美味しい街中の食べ物をいただく。今年の祭典で初めて法弓の大事をお願いしたので、本番前に一度練習にと来てくれた。大峰行きのことも少し話す。こちらは貰い物の東北の長芋を土産に持って行ってもらった。行藏院ご住職と入れ違いに柳沢夫妻墓参に来山する。お茶を飲んで世間話をしてメダカを眺めていってもらう。午後からまた強風となる。甲府はこんなに吹いてないといわれた。いつまでこんなに荒れるんだろうか。

2013年4月15日(月) 晴れ
風もなく穏やかな一日となる。 こんなに静かな一日はいつ以来だったのか。新緑の木々の葉はそよそよと一日静かに気品よく揺れていた。WOWOWのドラマ「レディ・ジョーカー」の最終話を朝見て、9時を回ったところで郵便局に行き、石燈籠の代金を下して石材店へ行き支払いを済ませる。長芋を土産にもらった。中富の図書館へ借りていた本を返却に行くと、高野君から声かけられた。久しぶり。新しい課長さんは月曜の朝の課長会議だったんだ。午後柴燈護摩の壇の木を若尾屋の果樹畑から一輪車で4回運ぶ。秋に栗や柿の木を切ってあったので、「祭り用に少し貰ってもいいか」とご主人に話しておいた。上を覆うヒノキの下の壇木はこれで十分だろう。あとはヒノキの枝だ。
昨夕は東海さん来山。食事しながら初めてゆっくりと話す。明日行藏院ご住職来山。法弓の事前練習。

2013年4月14日(日) 晴れ
強風強風。 まあ毎日こんな風が吹き荒れて、29日にもこんなに吹かれたら困ってしまう。強風の中を笛吹市からお不動様を拝観したいと親子が午後来山。県内の学校で使っている美術のテキストにうちの不動明王が掲載されているらしい。仏像に興味があるらしく、休日を利用してはお父さんとあちこち回っているとのことだった。仏像の中でも特に不動明王にひかれるとのことで、ここの不動明王について少しお話をした。お父さんも関心があるようで、この5月の連休を利用して京都・奈良へ仏像見学に出かけると話してくれた。先日整理をしていたら不動明王のテレホンカードが何枚か出てきて、もう今テレホンカードなど使う人もいないし、「よろしかったらお持ちください」と一枚差し上げた。お父さんは「こどもクリニック」を開業していて、日曜も午前中診療していて、仕事を終えて子供さんと来てくれたのだった。ゆっくりとお不動様の前で二人で見ていかれた。なにぶん孤高の不動明王ですから。それでも春になって、今朝も早くに御朱印がほしいという方が来たり、巡礼の季節になったかなぁという感じ。金土それから今朝の2時間を要して佐藤亜有子「東京大學殺人事件」読了。面白かったけど、何か不可解で。430頁はボリュームがあった。
醍醐派の全国宗務所長会議の開催案内が来て、今年は5月31日と遅い開催だ。例年の如く「ドミトリー 西陣叶屋」を前日泊で予約する。ここに泊まって銭湯に行くのが楽しみ。今年はこの会議から帰って、一週間後には大峰花供入峰ということになるのだな。法事の塔婆書く。

2013年4月11日(木) 晴れ
いやぁ参った参った今日の葬儀には。 佐藤亜有子「首輪」読了。最後の1冊を読み始めた。退職時の上司の父親の葬儀に出かけた。10時からだったので9時半を回って出かけた。JAのセレモニーホールのあじさい南部。平日の10時からの告別式なので、おそらく昨日の通夜に出向く人がほとんどだろうとは思っていたが、退職して特段忙しいわけでもないので、時間通りの告別式に行こうと思った。朝から快晴で気温もすでに18度ほどあった。会場に着いてホールに入る。ここに来たのは初めてだったが、一般の受付に香典を差し出し、さて焼香に向かおうとしたのだが式場が見当たらない。戸惑っているところへホールの女性職員が寄ってきてささやいた。「喪主とお寺さんの希望で」とかなんとかで、10時に式が始まったばかりで終了する30分後くらいまで弔問は受けられないので待っていただけないかと。?てどういうことだ。彼女の言っていることもすぐには理解しがたかった。入口のロビーにはテレビモニターがあって、中で行われている葬儀が映し出されていた。三導師の後ろ姿があった。で、式場はどこかと思ったら、香典場の真後ろが式場で、入口を閉めてしまってあるのだった。これじゃわからんわけだ。新聞にも告別式が10時からとあったので来たのに、一般の弔問者の焼香は式が済むまで受けられないとはこれどういうこっちゃである。こんな葬式は初めてである。30分待てないという僕の個人的な理由もなかったのだが、式場に向かって軽く頭を下げて帰ってきた。でも、新聞にも葬儀は午前10時からとあるのに、その時間に行った人に「30分待て」はないだろうと思う。僕はこういう時間配分の葬儀は絶対にしない。
午後母の施設へ利用料の支払いと面会に行く。先月と全く変わりなく元気。暖かくなってきたので、体もまた動きやすくなっていいのではないだろうか。それでも何枚も何枚も重ね着しているのはこりゃもう仕方のないこと。


2013年4月10日(水) 晴れ
今日は少し肌寒い一日。 朝居間のパソコンでYouTubeでJames Taylor聴きながら本読んでたら突然音が途切れたのでパソコンを見ると、画面が幾何学模様になっていて、電源を入れなおしても立ち上がらくなってしまったので、玉屋さんに電話をして症状を話すと、裏の電池パックを外して30分ほどしてからもう一度電源を入れてみてと言われた。待つ間また本を読み、ボウフラを掬ってきてメダカに与え、小一時間経った後に指図どおりに電源を入れなおすと、あら不思議なんともなかったように立ち上がってデスクトップ画面になった。電話を入れ無事であったことを報告し、また一つ勉強になりましたと話して切った。些細なことだがこういうことが知識となる。昨日借りてきた佐藤亜有子「ボディ・レンタル」読了。2冊目に入らずに午後シメを切ったり、護摩道場の幣をこしらえたりする。眺めるとほんとに新緑の季節になってきた。若い緑が新鮮だ。

2013年4月9日(火) 晴れ
気温上がるも強風の一日。 まさに強風という言葉になる。まさに春の嵐に暴れまくられている列島で、ここも連日強い風に見舞われている。浅田次郎「日輪の遺産」読了。500ページの文庫を3日間で読み終えた。それだけ引き込まれたということ。浅田次郎恐るべし。長編もまた読ませる。約一年ぶりで図書館に行って収蔵されている佐藤亜有子の小説を3冊借りてきた。なに先日、アルコールと睡眠薬の多量摂取で亡くなったという東大出の作家のものをちょいと読んでみようと思い立ったまでのこと。帰りにコメリに寄って苗物を買ってきて午後植えた。ナス苗2本、ミニトマト苗4本、エンドウ豆2本。オクラの苗はまだ時期になっていないようだ。娘は今日石和で宿泊の研修。

2013年4月8日(月) 晴れ
灌仏会。 目に留まった記事があった。「重文、国宝に統一検討 ナショナル・トレジャー 訪日客呼び込み」と。「
政府が国の重要文化財を国宝に格上げし、観光資源として海外にPRする方向で検討を始めたことが7日、分かった。日本のアニメや伝統文化を海外に売り出す「クールジャパン」戦略の一環。文化財の呼称を「国宝」に統一し、観光庁が目指す年間1千万人の外国人訪日構想につなげる。
今月3日に開かれた政府の「クールジャパン推進会議」で、内閣府の政務三役が「文化財を観光資源としてもっと活用すべきだ」と国宝への呼称統一を提案。4月中に同会議がまとめる提言に盛り込まれる可能性が出てきた。
文化庁によると、国の重要文化財は1万2874件だが、そのうち国宝は10分の1以下の1085件(今月1日現在)。昭和25年に文化財保護法が施行され、それまで全て「国宝」と呼ばれた文化財のうち、ごく一部を国宝に指定し、残りを重要文化財とした。歴史的価値の高い建造物や工芸品は各地に点在しているが「重要文化財」は英訳で「インポータント・カルチュラル・プロパティ」となり、海外へのアピール力が弱く、観光資源としての活用も不十分だった。
これに対して国宝は法的には重要文化財の一種だが英訳は「ナショナル・トレジャー」で、諸外国でも一般的な表現。外国人にも分かりやすい呼称に改めることで、観光客を呼び込む起爆剤としたい考えだ。ただ、文化庁には「重要文化財を全て国宝に指定すれば、国宝としての希少価値が薄まる」との慎重論もある
」と。ご本尊不動明王は重文であるが、呼称が国宝に変わればやっぱそれなりの効果は期待できるのかもしれないな。
娘は休日。今日も風が強い。メダカにボウフラ与える。ハンターのメダカを見るのはスカッとする。灌仏会の今日、こんなことで狂喜するのは不謹慎であったか。

2013年4月7日(日) 晴れ
風、風、雨、晴れ。 なんという風に今日の天候を形容していいのかわからないのでこんな風になった。昨日も雨風が強かったが今日もまた一日雨が降り風が吹く。それでも空には太陽が顔を見せる。午前6時から朝の勤行。東海さん来る。理趣経を中心として二人で朝のお勤めする。1時間半ほど。途中で僕がところどころ指導しながらになる。真言僧としては、先ず第一に理趣経である。つべこべ言わずに理趣経である。理趣経を全巻読まずして何が真言僧であるか。三段以降は読めなくなってしまいましたなどはもうほんとに恥ずかしい。僕は僧から離れていた時もあったけど、理趣経だけは離さずに過ごして生きてきた。長いけど、僕が読む理趣経20分かからずに読む。日曜の朝の勤行を一緒にする人があったのは初めてで新鮮ではあった。東海さんに教えられるものはしっかりと教えて伝えていきたいと思う。
午後1時半から区会の新旧役員の引き継ぎ。僕はもう一年の任期。昨日も十分飲んだのに、今日もここで日本酒を飲むことになる。飲めば飲めてしまう。ここはここで楽しく話しいい酒が飲めた。午後5時になって、やっと風も落ち着いてきたよう。

2013年4月6日(土) くもり
一周忌。 昨年の4月に亡くなった友、公康君の一周忌。葬儀後の初七日の席、四十九日忌にも行けなかったので、今回は何としても行きたいと思っていた。10時から飯富の本成寺で法要。ここのご住職とは勤務していた教育委員会時代に2年ほどお付き合いがあった。見知った顔も何人かあったが、半分以上は知らない方たち。来るといっていた内藤君は来ていない。と思っていたら、11時からだと思い込んでしまっていたということで墓参するころになって現れる。下部温泉のホテルで御斎。公康をしのびつつ、内藤君と熱燗を飲む。終わってからも二人で駅前の藤川でウイスキーを飲む。強い雨が降り始めていたが帰りはタクシーで。

2013年4月5日(金) 晴れ
夕方風強くなる。 天気が下り坂だ。明日の午後から日曜にかけて雨になるようだ。明日の夜といえば、「信玄公祭り」の二十四将の騎馬行列があるのだが、案外夜雨が降るんだな。で翌日は晴れになるってパターン。今日は富士川の河原へ幣串用の野竹を採りに行ってきた。小学校は昨日が入学式で、今日は中学校の入学式だったようだ。野竹を採ってきて、用途別の寸法に合わせて切りそろえた。その後午前中と昼食後、柴燈護摩の導師の獅子座を自分なりに使いやすいように作ってみた。Tシャツ1枚でも十分な陽気。秋山さん長崎土産を届けてくれる。
大阪市役所の市職員の給与支給明細書の上の余白に「懲戒処分・・・他人ごとではありません!」とあり、ご丁寧にも明細書の下の余白を使って「【懲戒処分を受けると…】勤務時間中の喫煙やマイカー通勤などの行為により、毎月多くの職員が処分されています。もし停職1月の懲戒処分となれば、この給与明細分の給与が支給されません。また期末勤勉手当(いわゆるボーナス)や昇給、退職手当まで減額され、生涯賃金への影響は数百万円になる場合があります!」とまで書かれている。橋下市長が職員同士で監視しあうような状況を構築しつつあるってことか。こんな役所は僕だったらどうにも耐えられんな。

2013年4月4日(木) 晴れ
祭典の準備ぼちぼちと始める。 今日はあたたかい一日となったが午後から風が強かった。それでも昨日雨が降ったので、埃が舞い上がるようなことはなかったので本堂は開けておいた。読書。それから幣作り。五大明王。法弓の矢作り。松明の芯となる小木を油に漬けたり。松の根元を使ったりしていたが、油に浸したものを乾燥させて使えば火の付きもいいと読んだので一度試しにと作ってみた。てんぷらを揚げた残りの油を使用。そう、夕べはタラの芽の初物を食べた。原小学校は今日から新学期が始まったようだ。明日が入学式か。

2013年4月3日(水) 晴れ
午後から天候回復。 昨夜からの雨は午前中いっぱい続いた。甲子園では春の高校野球の決勝戦。天候は西から回復してきていたので、午後からは雨が上がり晴れ間も見えてきた。二日続きの雨で部屋干しの洗濯物を3時ころに外に出してやる。桜はもうだいぶ散ってしまった。午前中映画と読書。今朝本堂に行かなかったので、3時過ぎから1時間ほど本堂でお勤めする。風もなく気持ちのいい勤行。

2013年4月2日(火)
寒い。 午後になって本降りになる。朝から寒い一日。雨で花を散らせてしまう。ここ数日寒い日が続き、夜の花見客を見込んだところなぞは予想をずいぶんと下回って、もうこれで花見も終わりになるのかもしれない。こんなに寒い日は何もする気にならない。映画を見て本を読んでおしまい。
燈籠への浄財寄進者に礼状を送る。昨日建ててよかった。祭典の護摩札の申し込みもポチポチとあり。FAX付きコピー機が活躍してくれている。国民栄誉賞自体に関心はないが、なんで今更、長嶋茂雄と松井秀喜が抱き合わせで受賞するのかとても疑問だ。松井がプロ野球界に残した足跡などとてもこういう「国民云々」というような賞に値するとは到底考えられない。権力者が自分の権力を誇示するために与えるような程度の狭小な賞なのだろう。

2013年4月1日(月) 晴れ
燈籠建つ。 待ち望んでいた石灯籠が今日建った。ずいぶんと立派なものが今度はしっかりと対になって建った。180年持った前の燈籠のように、これもまた100年以上はここにあってほしいと思う。これからの100年がどうなっているのか全く想像すらできないが、不動明王と同じようにこの寺にあり続けてほしいものだ。
4月1日。娘は新たな職場で正職員としての第一日目。それから僕たち夫婦は今日から国保に加入。一年ぶり本庁に行き手続きをして保険証を貰ってきた。教育委員会で一緒に働いたKくんが町民課に異動になってきていた。懐かしく少し話した。小中学校の統廃合がいよいよ後半になってきて、平成28年から3年をかけて3小学校、1中学校になる計画のようだ。
仏子永明の寺での2年目。先ずは今月末の祭典のために頑張る。


2013年3月31日(日) くもり
甲府:玄法院祭典。 東海さん迎えに来てくれて9時に出かける。天候が悪い。5時半頃こちらではぽつぽつと来ていたのだ。何とか午前中だけでも降らないでほしいと願った。11時から祭典の柴燈護摩供。願文師務める。住職は職場の異動があり大分忙しそう。こうやって仕事を持ちながら宗教活動もしてきているのだ。雨は護摩の終盤落ち始めたが大したことはなく無事終了。往き帰りとも車の同乗させてもらったので遠慮なく酒をいただいた。
今日と明日、獣除けの柵の開閉当番。うっかり閉めるのを忘れてしまい、少し遅い時間に閉めに行く。

2013年3月30日(土) くもり
寒い。 一日陽が出ずに寒い。炬燵に入って朝から映画を見る。少し前から映画を録っておいては見るようになった。映画を見ていると音楽のようにながら読書などは当然できない。ここのところが長続きするかどうかの僕の性格の分かれ道になるかもしれない。お誘いがあったが残念ながら今夜区の総会があるので行けない。区会議員なので分かっていて欠席もできないってところだ。午後群馬のK岡夫妻墓参に見える。一年に一辺ある日やってくる。遠くに住むと故郷に眠る親に花を手向けなければ落ち着かない気分になるのだという。昨夜は遅くに東京の檀家の奥さんから電話があった。仏壇に納めたご主人の位牌が小さいので、夜な夜な主人が夢に出て体が伸ばせなくて窮屈で仕方がないと訴えるのだ言う。住宅事情で小さな仏壇を購入し、それに合わせたサイズの位牌を作ったのであろうが、もう少し大きいものに作り替えたいと思うがどうだろうかと相談してきた。気になるのならあなたが気が済むように作り変えたらいいでしょうと応えた。なかなかこういうことは気にし始めるとあらゆることに悩みが生じてくるようだ。当事者が納得して気が落ち着くようになるのが一番いいことなのだろう。
明日の天気が心配。玄法院大祭。降らなければ晴れなくたっていいのだ。なんとか午前中降らずにいてほしいものだ。

2013年3月29日(金) 晴れ
風に吹かれて。 ボブ・ディランの初期のものを少し買って聴いている。晶文社から出ていた「ボブ・ディラン全詩集」を落札してから、外盤の安いのを買った。いまさらディランでもないとも思うのだが、時間がたっぷりとあるので、さかのぼってみようと思っている。
本堂を掃除した。ものすごい埃だった。早くも桜の花びらも舞い込み始めている。掃除をすれば、気持ちとしては汚れないでほしいと思うものだ。それでも本堂を閉めておくわけにもいかない。昨夜今日退職する秋山さんと電話で話した。お招きいただいていたのだが、出席者が現職の人たちだけと聞いたので遠慮させてもらうことにした。もう僕はそちらの人間ではない。いつでもまたゆっくりと飲む機会はある。
ボブ・ディランの言葉がちっとも古くならないこの現実ってのはさてどうなんだろう。花びらを散らす風に吹かれても答えなんかは教えてくれない。

2013年3月28日(木) 晴れ
上天気。 弥生不動の護摩を焚く。正午少し前に本堂に入り、午後1時半まで護摩を焚いた。静かに本堂で一年を振り返りながら護摩を焚いた。他は本を読んだり、録った映画を見たり。女房は今日も風で臥せる。春の風が重いようだ。夕方のお勤めの後、護摩の釜をきれいにして仏器だけ洗う。礼盤に上がって本尊の厨子、前机など見ると、埃もすごいが幾分黄色がかっているように見えたのは黄砂なのか?明日掃除機をかけて丁寧に拭き掃除もする。今日は風もそんなに強くはなかった。

2013年3月27日(水) くもり
花冷え。 今日は一日陽が出ず。畑に昨日買ってきたレタスのポット苗を植える。さてどうなるのか。生ごみのコンポストが今朝も荒らされていたので対処する。女房は風邪のために昨日に引き続きパートを休んでいる。娘は今日から新たな職場の研修に入る。電車で通勤。昨日は職場の方からの花の寄せ植をいただいて帰ってきた。臨時職員とはいえ、きっとそれなりに働きもあったのだろうと親馬鹿に思っている。
11時の鐘を撞いてから、間もなく退職する元同僚の家に花とお酒を届けた。お母さんと久しぶりにコタツでお茶を飲み世間話などした。またゆっくり出かけてきますと、20分ほど居て帰ってきた。「夕べは市川の友達、おとといは増穂の友達....云々」と、仕事を辞めるということも最後まで夜が大変なのである。浅田次郎を再び読み始めると、引き込まれるんだなぁ。金子マリの旧いアルバムオークションで落札。

2013年3月26日(火) 晴れ
ダンナサン。 午前中畑に管理機をかけた。畑に何か作ろうという具体的なものはないのだが、気分転換に畑に出て機械を動かして時間を過ごすのもいいもんだ。目的がなかったわけじゃない。畑に植えてある、三つ葉ツツジなどの苗を、一度掘り上げて、そこを再び耕して、土をやわらかくしてからもう一度植えなおした。こうすると何となく成長を促せるような気がしたのだ。三つ葉ツツジ、レンゲツツジ、それから挿し木で育てたツツジ、アジサイなど。12時のチャイムが流れたのでやめようと片付けているとそこへ、軽トラの二人がそろそろと近づいてきて、「ダンナサン、イラナイカナモノアリマスカ?タダデヒキトリマス」と。こういう、無料で引き取るという業者には出さないでくださいという通達もありわかっていたが、納屋の中の古い釘だとか針金だとか、彼らが「コレモイイカ、コレモイイカ?」と訊かれるままに持っていってもらった。土蔵の中にあった昔のミシンや、古いパソコン、鉄鍋、鉄瓶、消壷などなど、こちらも積んでいってもらった。それから、陶芸の窯場の外に、プロパンガスの配管が放置されていて、これがけっこう鉄ものだったので、「これを外せるなら持っていっていい」というと、喜んで30分ほど二人でからかって持っていった。大分さっぱりとしてこちらとしてはありがたかったのだが。
午後、市川の丸井紙店へ注文したお札をもらいに行く。それから春鶯囀に寄り贈答用の酒を買う。花屋にも寄り贈答用の花も買う。明日大安なので届けるつもり。女房は風邪。僕のがうつったのかどうかは不明。
うちに帰ってからいくつか電話ある。先ず福島の三世塔婆から。ここから最近は塔婆を買っているが、まだ去年の暮れに買ったばかりである。例えば50本入りでも、僕の寺では2年くらいは十分にこれで足りる。なのにこの三世塔婆は、しょっちゅう電話をかけて注文ないかと訊くのである。下田逸郎の手作りポスターを印刷し、ラミネートしているところに電話。「住職さん焼酎お飲みになられますか?」「飲みますよ」「芋ですか?麦ですか?」「芋ですね」、「おいしい熊本(大分だったかな?)の赤芋の焼酎があるのですがいかがですか?」「私いつも焼酎は『島美人』と決めていますから結構です」とお断りした。島美人と決めているのは嘘である。涙ぐましい営業活動の電話を2本取った後にすぐまた電話が鳴る。「私、浜松から電話をしていますが、下田逸郎さんのライブはもういっぱいでしょうか?」「いえまだ、ほとんど宣伝していませんし、大丈夫です」と応えた。どうやら下田さんのHPを見たようである。やっぱHPってのは興味ある人は見るんだな。でも反響あってよかったよ。

2013年3月25日(月) 晴れ
薄日。 午前中には少し雨も舞う。祭典の準備の通知を地区内の檀家に配り終える。洗濯物を一度取り込んでまた外に乾してみたりする。桜も早いものはもう散り始めた。娘も今の職場での仕事は明日までとの事で、水曜からは新たな就職先の研修が始まるとのこと。ラストウィークか。こっちもラストウィークの始まりに、燃料を抜き取りストーブを3台片付けてお蔵にしまった。客殿に敷いてある絨毯も丸めて片付けた。読書する。WOWOWで映画見る。椎茸が大きくなって夕べは焼いて一味醤油でおいしくいただいた。

2013年3月24日(日)
今日は雨にならず。 天候は下り坂にならず一日晴れていた。朝起きてカーテンを開けて外を見たら、夜のうちに先日移動した生ごみのコンポストの周りが掘られて、中の生ゴミを漁られていた。表面を土で覆った生ごみの後も掘り返されていた。草削りをもって畑に行き、後をしっかりと元に戻した。どうもこの付近の空き家にこの悪さをする小動物が一家を形成しているらしいのだ。罠で捕まえた写真も見せてもらっていた。昨夜は一人だったので、遅くまでテレビを見ようと頑張ったが、どうしようもない睡魔に包まれてしまい、11時半頃までしか持たなかった。夜更かしのできない体になっちまったんだなぁ。今日も墓参者あり。午後から少し風強くなる。昼飯前に頭を刈る。日曜をのんびりとJAZZ聞きながら読書する。年度末もあと一週間。去年はもう退職が待ち遠しかったんだなぁ。

2013年3月23日(土) 晴れ
彼岸明け。 暖かい一日。風も午後少し強くなったがお堂を閉めるほどには吹かず。花見の人らちらほらと。彼岸の終る今日墓参に訪れた人たちも何人か。椎茸もだいぶ大きくなってきた。猿には絶対に用心だ。朝、東海さん寺にあいさつに寄る。本堂でときどきは経を上げていただくこともよかろう。僕が東海さんに伝えられるものがあれば伝えてもよいと思っている。これも仏子としての旅の途中の出来事だ。たまには一緒に歩くのもいい。豪一兄ちゃん墓参に立ち寄る。お茶飲みながら世間話する。

2013年3月22日(金) 晴れ
風昨日よりは少しだけ穏やか。 それでも午後には本堂を閉めた。午前中神奈川から3人連れ来山して御朱印を貰っていく。これから南部へ下るというのでどこかと尋ねたら、妹の嫁ぎ先の寺も入っていたので、「私の妹の嫁いだ寺だ」と教えた。南部はこちらよりも桜はずっと早い。もう満開を迎えているのであろう。寺にいれば寺のことがあり、向こうの寺はわが寺とは比べ物にならないくらいの檀家を抱える寺なので、年中忙しい。今年になってからまだ一度も家へは来ていない。祭典への案内状など詰める。檀家へも少し配る。喜多郎を聴く。

2013年3月21日(木) 晴れ
風強い。 畑の生ごみコンポスト二つの位置替えをする。獣が来て掘り返さなければいいのだが。玉屋さん来てくれて、パソコンとコピー機の接続これで全部完了となった。大分これで環境がよくなった。10時ころ東京から牛山さんの娘さん夫婦来寺。今朝東京から来てこれからまた戻るとのことだった。いつもは前日泊などしているらしいので、今回はだいぶ慌ただしいようだった。それでも二人で時間をかけて墓碑を洗いきれいにしていってくれたようだ。境内の桜がきれいだったのが、忙しい二人への土産になった。昼前から風が強くなり本堂閉める。3時前から本堂でお勤め済ます。締め切ってあればお堂は暗く静か。退職する秋山さんから久しぶりにメールくる。

2013年3月20日(水) 晴れ
法事あり。 雨宮家の七七日忌の法事。10時半から。今日の天気は△。午前中はまあまあだったけど、午後から強い風が吹き始める。当然本堂を閉める。法事に見えた方々、江戸彼岸桜の古木の写真を携帯に収めていた。富士桜にも一輪花がついた。円崎さんから3年前にいただいた花桃の木にも今年初めて花がついた。この花の赤は鮮やか。法事のお斎は庫裏でした。セレモニーで料理もすべて持ち込み。昼間からおいしい酒と料理をいただいた。雨宮家もこれで八日市場の家には住み手がいない。幾分さびしい気持ちにもなる。食事の片づけが終わって皆さんすべて帰ったと、午後3時過ぎに波木井へ墓参りに行く。波木井山の枝垂れも大分開いていた。今年の桜は例年以上に早い。多分このままいくと4月まで桜は持たないのではないか。墓参の後三吉屋へ寄る。武士兄ちゃんの一周忌は6月15日。特別なことがなければ大峰から帰ってきてからになる。風邪なのか、風邪による急性鼻炎なのか、昨日から鼻水出っ放し。

2013年3月19日(火) 晴れ
気温一気に上がる、まるで初夏。 毎日天候が目まぐるしく変わる。今朝も夕べから寝ていても体の節々が痛くてあまりよく眠れなかった。今日は初夏のような天気。昨日開きはじめた枝垂れ桜も、今日は一斉に花開いた。ハクモクレンの花も今朝は皆開いていた。池では毎日カエルが泣いている。山に入れば鶯が鳴き始めている。生き物の命が躍動する季節が始まっている。お祭りの準備の案内や、祭りの案内通知を作る。明日の法事の準備もする。午後は病院を定期受診する。次回は5月になるが、医師より「異動になったので次回からは別の先生になります」と告げられる。物干し竿をアルミのものに変える。初めて買った。この春大風で、竹竿が古くなって軽くなって吹き飛んでしまうことが度々あった。アルミポールに替えようと思った。消火器も3本買い替える。1本につき古いものを1本引き取ってくれると書いてあったので買い替えた。これで少し安心。

2013年3月18日(月) くもり
こんなに強風の吹き荒れる春も珍しい。 昨夜から風止まずに朝を迎える。とても本堂など開けられないので、今朝は客殿のみでお勤めする。雨交じりの朝は昼前には風だけとなるもものすごく吹き荒れる。午後4時前に再び雨交じりの風となり少し落ち着いてきた。こんな春もそうあるもんじゃない。ビニールなんかが風であちこちに舞ってきて踊りまわっている。午前中にカラーコピー機到着し、カラープリンター持って行ってもらう。今度はこれを借りるということにした。公的な事業所で使っていたものらしいが、比較的安価に借りることができた。まあそんなにコピー機を使う頻度も高くないのだが、やはりコピー機はあれば非常に便利。
風邪を引いたようで、昨日の朝から喉がいがらっぽくて体の節々が痛い。土曜の午前中墓地の掃除をしたときに汗をかいてそのまま濡れたシャツのままでいて、ちょっと寒いたと感じてはいたが、多分そこが悪かったのだろう。20日の法事はしっかりと務めなければならない。

2013年3月17日(日) 晴れ
彼岸の入り。 風は強かったけれどまずまずの彼岸の入りの天気。11時に西光寺へ行く予定だったので、それまでに寺の墓地や無縁仏のところなどまわって経を唱えて供養する。東京から古地里さんも早くに来てくれ、また迎えのタクシーに乗って駅まで戻っていった。燈籠建立に寄付まで置いていってくれた。西光寺で瀧本院玄聖さん、松鶴院さんと合流。今年はまた時間が少し早まったので、休憩せずに、檀家の人たちにも手伝っていただきながら道場の荘厳をした。昼食後には風が出てくる。午後2時から秋葉山のお堂の中でお加持。その後柴燈護摩法要。今年の風は例年と逆で、導師の僕の方に吹かず、お堂側に吹いた。お堂の前の幕と提灯を護摩の火が少し舐めたようだが大事には至らなかった。僕の方はいつも風が火の粉を吹きかけてくるので付けている衣はもう穴ぼこだらけなのだが今年は助かった。頭にも火傷をせずに済んだ。春の始まりのお祭り。よい護摩が焚けて、地域の皆さんも大勢護摩の火を渡ってくれた。

2013年3月16日(土) 晴れ
気温上がる。 今日は風も穏やかで初夏のような陽気となる。明日彼岸の入りなのだが、今日すでに何組か墓参りする人もあった。午前中墓地の参道の掃除などする。メダカも動きがとても活発になる。餌にも徐々に興味を示すようになる。明日西光寺の祭典なので、昼前に頭を刈る。午後から彼岸の準備をしたり、その後、下田逸郎LiveのHPをアップしたり。結構厄介なんである。前回のものをそのまま使うと、リンクが失敗したり。一つ一つ辻褄を合わせていくっていうのかな。
よい護摩が明日焚けますように。それから今日のように風が穏やかでありますように。

2013年3月15日(金) 晴れ
メダカショップに行く。 今朝庫裏の玄関に置いてあるメダカの瓶をきれいに洗った。水を抜いてメダカを別の小ぶりの瓶に移動させた。結局冬を越えて今日まで残ったのは9匹だった。それでもよくこの厳しい冬を越えたものだと生き残りたちを十分に称賛した。瓶は中の砂も一度出してきれいに洗った。新しい水を入れ、昼前に出かけた。午後1時の開店5分前に着く。一組の夫婦がいただけだった。店主は僕のことわかっていて、僕も彼に我が家のメダカの冬越えを話した。彼曰く、「よい水を作ることが一番」なのだそうだ。よい水を作るということがはっきりとは分からないのだが、「秘伝のタレみたいなものですか」と訊くと。即座に「同じです」と応えた。よい水は濁らずに良く澄みきり、栄養もあるというようなことを話してくれた。新しい水槽に水を入れるときには、「よい水」を少し入れてやるとのことだった。前から疑問に思っていたので尋ねると、店舗のビニールハウスは、販売用のメダカがあるだけで、採卵させて、交配させたり、孵化させるのは自宅でやっているとのことだった。自宅では一年中メダカの採卵と孵化がある環境にしているとのことだった。今年は冬越えができるメダカをたくさん作るために、できるだけ早く採卵して孵化させたいと考えている。
新車の交通安全祈願1件ある。年に何度もないのだが、こうしてお祓いもつなげていくことが大切なんだ。

2013年3月14日(木) くもり
一転して寒い。 昨夜の雨のあと今日は一日寒い。寒暖差が大きいほど体が疲れる。午後母に会いに行く。今日のもう少し早い時間に妹も面会に行ったとのことだった。当然本人が話してくれたわけではない。まあそれでも元気そうで、今のところ健康面では問題はなさそう。もう11か月がたち、大分施設での生活にも慣れてきたようで、僕らの面会にも少しずつ興味が薄れてきているようで、皆さんがレクリエーションをしている場所に自分から入っていった。こういう関係が僕にも母にもいいのだと思う。柴燈護摩次第仕上がる。日曜日の西光寺の時に使える。下田逸郎Liveのチラシも前のを参考に作り始めた。時間は早めに決めて下田さんのところへ知らせなければならない。HPに載せてくれるとのこと。

2013年3月13日(水) 晴れ
春の嵐吹き荒れる。 午前中からものすごい大風になり一日中吹き荒れる。当然の如く11時前に本堂の観音扉閉める。11時半を回ったところで、元同僚のお父さんの葬儀に出向く。駐車場から会場までのわずかな距離も風で吹き飛ばされそうなくらい。こんなに風が吹くのも珍しい。厳しい冬の名残がこの風にもあるのだろうか。一日中、柴燈護摩の次第を作り続けた。明日完成しそう。作りながら反復学習となる。東海師からケータイにメールが入っていた。内容は秘密。玄法院から春の大祭の案内状も届いた。それから下田さんからも、5月24日(金)にお寺で歌うことで決まりですとハガキが届いた。時間とか決めなければならん。夕方になって雨が少し舞ってきた。雨が降って椎茸が膨らむのを期待していたのだが、知らない間に今日猿が来て小さなのを全部食っていきやがった。予防策を考えなければ。

2013年3月12日(火) 晴れ
霞んでいる。 身延山方面の山を見ると霞んでいるのがわかる。この時期は中国からの黄砂ばかりではなく、煙霧という現象も起こるという。大風が吹いて砂や地上の塵を巻き上げる現象だそうだ。これによって風景が霞んでしまう。富士川を吹き上がってくる春の風が河原の砂を運んできたり、乾燥した畑などの土を運んで本堂の中に吹き込むから、畳がざらつくし、ひどいときには靴下が滑ったりする。今日は幾分風も穏やかではあった。メダカの瓶の水替えをしようかと思う。10匹は生き残っている。甲府のメダカ屋にも行ってみたい気分になっている。日曜に叔父の寺のお祭りに行ったときに、叔父のところは、石田の「石」に「、」が付いているとのことだった。父が死亡した時に相続関係でそろえた古い戸籍を見てみたら、やはり「、」が付いていた。僕のところは祖父が戸籍を作った時に「、」をとったのだと思う。石の字の「一」と「口」の間に「、」が付いている字である。そういえば父から「石」の字は何か物足りない感じがするので、「、」を付けたのだろうというようなことを聞いたような覚えがある。「土」に「、」があるのなんかと同じなのだと思うが、でも厄介な字だとは思うけどね。

2013年3月11日(月) 晴れ
震災犠牲者三回忌。 午後2時半から3時半まで本堂で震災犠牲者の冥福菩提を祈った。もう僕の生活する日常ではもうほとんど過去のことのように薄くなりつつある。地震と津波だけであったなら、そらく復興は猛スピードで進んでいたことだろうと思う。原発事故だ。それにしても原発事故のこともなぜこんなに薄れていってしまうのか不思議でならない。チェルノブイリのことをかつて聞いてきたが、その知識だけを基に考えると、福島はなぜこんなにあっさりともう大丈夫だみたいな報道というか、皆の考えになってくるのか。帰りたいという気持ちは痛いほどわかるが、そこに住むということの安全性というか、いや、住んで検証していってみなけりゃわからんということなんだろうか。案外住んでみても全く健康被害が出なかったりして。海の魚はほんとに大丈夫なのかといぶかりながらも、結局、産地も明らかにされないままに食っているんだもんな。いざとなりゃ大日本帝国人民打ち揃って、死出の旅ってことでもいいのか。

2013年3月10日(日) 晴れ
不動寺祭典。 叔父の寺不動寺の祭典。朝から風が強く、11時に家を出るときには雨も舞ったりした。古市場はまた風も強く吹く。午後の祭りの始まりに外に出るのだが、体がよろけそうになるくらいの風が吹いた。叔父の護摩とそれから毎年恒例の和讃。終わってゆっくりと飲む。身内ばかりの僧なので気も楽だ。祭典も26回を数えた。ほんとに暖かくなってきた。

2013年3月9日(土) 晴れ
法事あり。 高松家の七七日忌。一月末に亡くなった奥さんの満中陰忌。10時半から客殿で。朝から気温グーンと上がる。午前中は風も穏やか。花も一気に開花する。古紅梅も来週初めには開花するだろう。御斎の席へ移動するとき、鰍沢の国道で気温計は21度を表示していた。こうなればもう初夏を感じさせる。窓を開けて走れば花粉を吸いこみそうなので、ゆるめに冷房を入れた。
午後4時前に団体さんの参拝がある。今晩身延山の宿坊に泊まるという東京からの団体。あらかじめ旅行会社からの連絡をいただいていた。不動明王の開帳、説明などする。帰りがけの皆さんに折角だから、庫裏に飾ってあるお雛様も見ていただいた。皆さん写真撮影。娘の就職祝いに新しいパソコンを贈る。セブンではなくてエイト。これは携帯の端末みたいな画面。どこまで進化し続けるのかわからん。

2013年3月8日(金) 晴れ
風強い。 気温はぐんぐんと上がったけど、昼過ぎから風も一層強くなった。これじゃいろんなものが舞ってきて降ってくるだろう。本堂も砂埃や葉っぱが舞い込むので早い時間に閉めた。この時期は仕方がない。
光になってから早くなったのはよかったのだけど、頻繁に停止してしまう症状があり原因がわからなかったが、他の2台のパソコンでも同じ症状が出るので、パソコンが悪いというわけではないとはわかっていたが、今日T屋さん来てくれて、NTTのルータを初期化して改めて設定しなおしてくれたら症状が改善された。治りました。これで胸のつかえがスーッとした。女房はお雛様を飾った。

2013年3月7日(木) 晴れ
くしゃみ鼻水、その2。 今日も日中の気温は20度越え。暖かいのはこちらも望むところなのだが、今日は午後から如何にせん風が強すぎた。本堂は扉を閉めてしまうために4時前にお勤めをした。今日はそのときにいつもは感じないものを足の裏に感じた。スリッパを履いて、短い渡り廊下を通って本堂に入るのだが、すべるような感じがした。つまり、廊下の板に砂ぼこりとか、スギ花粉であるとか、そういうものが舞ってきて板の表面を覆っているのである。ニュースを見たら、明日あたりから黄砂が西日本に飛んでくる予報である。福岡では昨日のニュースで見たが、PM2.5(微小粒子状物質)が中国から飛んできていることを伝えていた。山梨のここにだって、足の速いやつは飛んできているのだ、きっと。今日も、ちょっと外に出ただけで、もう何回もくしゃみが出て鼻をかまなければならなかった。
土曜の法事の準備する。女房が掃除機をかけてくれて、客殿に椅子を並べたり。法要の次第も、出席予定者人数分両面印刷する。はぐれ猿か一匹終日近くに居る。春の椎茸が顔を出しはじめたので注意しなければ。

2013年3月6日(水) 晴れ
くしゃみ鼻水。 西光寺の祭典用に採ってきて切った五大尊の幣串が今日幣をつけようとしたら短かった。ちゃんとスケールを当てて切ったはずなのに短い。仕方なく富士川の河川敷にまた野竹を採りに行ってきた。今日はいい場所にあったので、この場所は次回にもつながる発見ではあった。帰ってきてから鼻水とくしゃみが連発連続で、2時間ほど鼻をかんだり、水道水を鼻から吸い込んでみたり、顔を洗ったりと、花粉だったのか、風の吹くススキの原を歩いて微妙に影響したのか?それでもその後はピタッと収まった。花粉症はあまりひどくはないが、全くないわけではなく、シーズン初めに今日のようなことがある。
下田逸郎さんから5月にライブをしませんかと便りが来た。金曜の夜であれば次の日が休みなのでいいと思う。さっそく返事を出した。スケジュールの調整がつき次第また連絡くれることと思う。庫裏の炬燵を片付けた。寒い時期でもほとんど炬燵を使うことはない。そんなに頻繁に来客があるわけではない。法事があれば、皆さん時間通りにやってくるので、炬燵よりもストーブを入れておけばそれで済んでしまう。夕方庫裏の裏を掃除する。体を動かして腹が減った。

2013年3月5日(火) 晴れ
春の日になる。 昨夜は初物のふきのとうを夕食に食べた。毎年の楽しみだ。今朝は朝から上天気で風も穏やかで温かくなった。冬越えをしたメダカは生き残ったものが10匹に満たない。それでも強い生命力だったといえよう。あたたくなって陽当たりが良ければ、少しずつ活発に泳ぐようになってきている。ちょっとずつ餌も与え始めた。冬越えできるしっかりとした体になるには、できるだけ早く産卵して孵化して大きくなることが、保温室のない我が家で命をつないでゆくための絶対条件となる。ちょうど今は庭には、ロウバイ、山茱萸などの黄の花が咲いている。梅も開き始め、紅梅は例年どおり今月中旬以降になるのだろう。今年は富士桜の挿し木苗にも3年目のものにはひょっとしたら花がつくかもしれないと期待している。暖かい日には気持がうきうきしてくる。WOWOWのドラマ「レディ・ジョーカー第1話」「蛇のひと」見る。

2013年3月4日(月) 晴れ
胃の内視鏡検査する。 積極的にこれを受けたいわけではないけれど、2か月に一度通っているので、「一年に一度くらいはやりましょう」と勧められると、嫌だとは言えないような状況になる。昨夜は酒を控え、午後7時半からの今年度最後の区会に出席し、絶食のまま検査を受けなければならないのでいつもより遅く6時前に起きてお勤めをして8時半に病院へ行く。9時から検査。学生というのか、研修医というのか1名来ていて、僕の胃の中にもぐりこんだカメラを、医師は研修医に使い方やテクニックを伝授しながら僕の胃の中をぐるぐるとかき回した。何度も苦しみ、涙を流し、げっぷをし、何とか無事に引き抜かれ、その後パソコンで胃の中の写真を見せられながら結果を聞いた。特に異常もなくまあいいだろうということである。まあこちらもこれに関してはほっとしたというところ。一日中喉から胃にかけて違和感が残っている。
阿部薫の「アカシアの雨がやむとき」聞く。泥だらけの車の座席のマットを洗う。夕方になってまた少し冷え始めた。

2013年3月3日(日) 晴れ
夕方から少し寒い。 外が曇ってきて遠くの山が曇り始めている。寒く感じる。今日は僕も日曜をした。朝から、金曜の深夜に録っておいたWOWOWの連続ドラマ「マークスの山」全5話を昼過ぎまで一気に見る。村薫原作のこのドラマ、見ごたえがあった。マークスを名乗る犯人を高良健吾という俳優が演じたがなかなかよかった。やはり放送時間が1時間×5話ということで、原作により近く作られていた。たっぷりと日曜を堪能した。
娘と女房は、娘が4月から甲府に勤めることになりそうなので、道順などの下調べを兼ねて出かけた。息子もそれに同乗してあわただしくまた元の場所に帰って行った。大学院の最後の過程は4年かかるところを3年で出るという快挙?を成してくれたのだが、まだ肝心の進路が決まらない。本人の思いもわからぬではないが、やはり現実をもしっかりと見てもらわなければ困る。本人もよくここのところはわかっているのだろうが。

2013年3月2日(土)
上求寺七七日忌。 1月に亡くなった前住職のおじの満中陰忌。早いものである。10時からだったので8時半ちょうどに出たが、1時間15分ほどかかり、もう少し余裕を持って出たらよかったと反省。牧丘あたりが僕のところからは遠いなぁと感じるところだ。不動寺の住職副住職とで法要する。終えて墓参して納骨。丘陵に見渡す限りのブドウ畑。果樹をしてみな立派な門構えだ。風の強く吹く墓地で読経。場所を石和の慶山に移して御斎。たくさん出していただき、飲めなかったので腹いっぱいみな平らげた。食うということもかなりな仕事です。法事終えて甲府駅で、1年以上帰らなかった息子を迎えて帰る。
風がここも強くて、今朝はもう本堂の扉は開けなくて正解。昨日の大風で墓参用の手桶が吹き飛ばされて、いくつか割れてしまったのでAmazonで数個注文する。こういう場合には非常に便利なのだが、いたずらに出費することだけは避けねばならない。桶の置いてあった外の棚に、桶が転げ落ちないように針金をぐるっと四方に巻く。これで予防効果が望めるだろう。

2013年3月1日(金) 晴れ
いよいよ3月。 風朝から強い。Windows7になって帰ってきて、いろいろなソフトをインストールしなおしたりと厄介な作業が続いている。このHPビルダーも、はじめに作った時のまんまだったので、「ビルダー6」だったのを最新の「ビルダー17」に更新した。
(16:06) 朝ちょっと書いて、設定をし直してHPがちゃんと更新できるかどうか確認した。うまくいったのでよかった。10年以上古いバージョンのままで、長くやっている割にはパソコンに関する知識が一向に深まらず、他人任せであったりしてきた。今回バージョンアップして、古いものが使えなくなるということが一番僕自身不安で怖かったのだが、何とか使えるようにできた。先の話をするのもなんだが、Windows7になっていりゃ、向こう10年くらいは徒然を書いて更新していけそうな気持にもなる。昨日玉屋さんに、福寿草と節分草が一緒に今なら見ることができると教えてもらったので、天気はあまり良くなかったが赤沢まで女房と行ってきた。地区の皆さんで静かにこの花を護っている。今日も、僕らが行った時、群生地が踏み荒らされないようにと、手入れをしている男性にもお会いし、いくつかの場所も案内してもらった。暖かくなったらもう一度行ってみたい。家に帰ってきたら雨が降り始めた。

2013年2月28日Thursday 晴れ
上求寺へ。 7時半に出て牧丘の上求寺へ行く。大瀧のお不動様で貴永、永啓と護摩法要する。元日以来来ていなかったお堂だと貴永さん。今日は暖かな日となり、電気も暖も何もない不便な山中のお堂であるが、去年に引き続き3人で護摩が焚けたことをありがたく思った。残念ながら僕らの護摩を、家に居て見守ってくれていたおじは亡くなってしまったけれど、魂は今日もお堂に来ていたのだと思う。下から参道を歩いて報用に参加してくれた方1名あり。終えて家に戻り、おばさんの炊き込みご飯2杯いただく。その後、祖父が本堂の内陣の格天井に書いたという梵字を見に行く。曹洞宗の洞雲寺。本堂を建てた時に、当時の住職が祖父に梵字を書いてほしいと頼んだということであった。相当年月が経っていると思うが、内陣は一番奥で外の光も直接は射さないので、昨日書いたかのように鮮やかに梵字がくっきりと天井にあった。よい一日。

2013年2月27日Wednesday 晴れ
護摩を焚く。 朝雨が残っていたが、明るくなる頃には上がる。少し雪にもなっていたようで白くなったところも見えた。町営バスは林道が雪道となって危険なため、折り返し運転をするという広報無線が聞こえた。牧丘の方はどうだろうかと貴永さんにメールすると折り返し電話が入り、「明日はできそうだ」とのこと。寒いので幾分気持ちが後ろ向きだったのを見透かされたようなお言葉。準備してあったので、わが寺の護摩は午前中に焚いて祈願した。午後は護摩壇の掃除、本堂の掃除。ついでに片付けたいと思っていた本堂に置いてあったいくつかのものを庫裏の2階天井裏に運び上げる。ここに運んでしまうともう陽の目を見ることはないかもしれない。午後はあたたかくなって本堂もきれいにして、荘厳も済ませて気持ちがよい。明日で2月も終わり。久しぶりに行蔵院のご住職から電話があり、男同士のとりとめもない長電話をする。音楽のこと、法螺貝のことなどなど。なんと珍しく、京都の叶屋からもメールが入る。

2013年2月26日Tuesday 晴れ
一冊読み終える。 1月から読んでいた、浅田次郎「壬生義士伝」 上下巻をようやく読み終えた。面白かったけど、やっぱり時代物は苦手かもしれない。本を読むのも暖かい時期がいい。冬の読書は暖がないと読んでいられないので、読書の最中ストーブを点けておいたり、ホットカーペットを点けておくことにいささか後ろめたさを感じる。働かずに本を読んで過ごすということだから。読み終えた後、ちょっと早いが、陽が射し始めてあたたかくなってきた台所で彼岸の塔婆、法事の塔婆などを書いた。YouTubeに、70年代頃の日本のジャズアルバムがたくさん、Full Albumアップされていて、Amazonなんか見ても中古でけっこう高値がついているものなんかはとても貴重な音源だ。修理に出したPCが帰ってきたら、DLして保存しておこうと思う。夕方、望月石材石灯籠の件で打ち合わせに来る。

2013年2月25日Monday 晴れ
寒い、風が冷たい。 5メートルを超える積雪のあるところもあるというこの季節だ。ここも例年にない寒さだ。午後少し早いが、西光寺の祭典に持っていく御幣の幣串にする野竹を富士川の川原へ取りに行ってきた。いつものようにその場所へと土手を降りようとしたのだが、野竹の一叢がない。重機でも入れてきれいに片付けてしまったようだ。河川の管理者か。もう10年近くこの場所に野竹のいいのがあることがわかってから、取りに来ていたのに。残念至極。仕方なく小学校の下の方まで富士川べりを歩いて野竹を取った。ここにはあまり太いのが生えていないのと、テトラポットの隙間に生えているので、とても取りづらかった。元の場所にまた野竹が生えてくることを期待するしかない。

2013年2月24日Sunday 晴れ
だいぶ陽が伸びてきた。 午後5時を回っても十分に外は明るい。小淵沢の「更紗」に行く。小さなベルを買う。この鈴の音がとても好きだ。ついでにアウトレットにも行く。寒い季節で客は少なかったが、道路の雪は凍結しているし、風は激しく冷たいのが吹き荒れていた。輸入雑貨屋で「仏陀」の小さな像を買った。とても安い。小淵沢から牧丘の上求寺へ行く。貴永さんはどうやら風邪のようだ。おばさんはまあ元気そうだった。ギョウザを作ってくれてあって、大量にもらって帰ってきた。末の28日の件は、天候次第となりそう。来週の日曜はおじさんの七七日忌。

2013年2月23日Saturday 晴れ
よい天気。 休みの日は起きるのがいつもより遅い。家内も娘もゆっくり起きるからだ。休みの日は朝の忙しさがない。というか、僕にはいつもないのだが、二人は休日くらいゆっくりと朝の寝床をむさぼっていたいのだろう。勝手に朝食を済ませ、お勤めをし、法事の塔婆を書き、紙位牌も頼まれた分を印刷する。今日も日中はいい天気になる。女房は組内の七七日忌の法事に出かける。蝋梅がだいぶ開いてきた。鼻を近づけて甘いにおいをかぐ。外の便所の掃除をする。挿し木したアジサイや富士桜の苗も順調に育っている。富士桜が実際に花をつけるのはいつごろになるのだろうか。待ち遠しい気持ちになる。YouTubeで岡林信康聴く。

2013年2月22日Friday 晴れ
今日も一日良い天気。 それにしても朝の冷え込みは厳しい。今朝も外水道は凍り、池には氷が張った。いったん寒さが緩んだと思ったらまたここに来て寒さが緒を締め直している感じ。夕べ茨城に越した檀家の奥さんから電話がかかってきた。亡くなったご主人の妹さんが17日に亡くなったということで、戒名を付けてほしいとの頼みだった。長く病院生活を続けられてきた方であったので、特別な葬儀も営まずに、知り合いのお寺さんに経を上げてもらい納骨をするということだ。今朝戒名が決まり先方に電話で連絡を取った。向こうのFAXが調子が悪いとのことで、郵便でも戒名などについてのことを送った。電話をくれた奥さんももう86とのことである。もう山梨も随分と遠くなったのではないだろうか。午後竹林の整理の続きする。パソコンの調子が悪いため、T屋さんに修理をお願いすることとした。午前中身延支所へ行き、母の所得税の申告と、息子のアルバイト代の確定申告を済ます。945円ほど戻ってくる。これで我が家の申告はすべて終了。

2013年2月21日Thursday 晴れ
竹林を整理する。 ゆっくりとでいいから荒れてしまった竹林を整理していきたい。今日は一日竹を片づけて燃した。雨が続いたので、地面は十分に水を持っているので火が広がることがない。一日やって、「どこをどうきれいにした?」ってなもんだけど、少しずつということだ。石燈籠の基礎仕事が始まった。この分で行けば3月の始めには建つのじゃないか。字彫りは作業場で行われているようだ。竹林に行っている間に宅配が来たとのことで、夕方になって郵便受けに入っている連絡メモを見た。電話するともう明日の配達になるのだという。頼んでいた和室用のテーブルとイスのうち、テーブルは明日になり、椅子だけが別の宅配会社から届いた。1脚傷があり、写真を撮って会社にメールで送り検討してもらい、「交換します」との返事をもらいその一つを送り返した。明け方はとても冷え込み、外の水道も池も凍ったけど、日中はとてもいい天気になった。外に一日居て今日も気持ちが良かった。

2013年2月20日Wednesday 晴れ
今日はいい天気になった。 甲府の金剛寺の親子が寺に来ることになっていた。先代の墓参りもしたいということだったので、朝から墓地の掃除をした。ただしくは墓地ではなくて墓地への参道を掃除した。杉の枝が大量に落ちていて、雨上がりで朝は風もなかったので、2時間ほど熊手でかき集めて3か所で燃した。久しぶりの作業というか、朝から寒くて縮こまっている日がつづいたので、汗ばむほどに体もポカポカとしてきて気持ちが良かった。寺の墓地も、猿が来て悪さをしていくので、古い石塔は、猿に倒されて起してもまた倒されてしまう。今朝もいくつも倒れていた。意識して倒しているのではないだろうけど、接着していないので、飛び乗ったら自然と倒れてしまうということなのだろう。
で、金剛寺では親子がそれぞれの配偶者も伴い4人で来てくれた。おばあちゃんの法事を5月5日明野の金剛寺の墓地でするということなので、そのことと、それから今後のことを親子から話していただいた。今までどおりにいくということだった。こちらは何も言うことはない。宗務所に特段の迷惑も掛からないので、今のままを続けるのならそれでいいということだ。午後1時に仏光堂さんくる。頼んでおいた半装束念珠5連。先日法事の後にお話をしていたら、紐が切れた感じがあったので確かめると、確かに切れて珠がコボレハジメテイタ。あまりこういうのを直接見られるのも嫌なものだから、掌で包んでおいたのだが、数珠の紐はあるとき、切れる。予告なしに切れる。なので困ってしまう。紐は弱くなってきたり、紐がのある個所がコブのようになってるのを見つける時もあり、こういうのを見つけたらもうその数珠は使えない。数珠は切れても紐を替えればいいのだが、その修理が高くついてしまう。だから、本水晶とかではなく、極々安いものを今回は奮発して5連(いつつ)買ってストックしておくことにした。切れたら使い捨てということを考えておいた方が安上がりなのだ。ただ、安い数珠でも簡単に捨ててしまうのにはいささか後ろめたさを感じるので、「ありがとうございました」と感謝して処分するようには心がけてはいるが。母の介護保険の更新があったので、新しい保険証を施設に届けた。天気が良ければ外に出たくなるような春を思わせる日だった。

2013年2月19日Tuesday
It is very cold。 雪こそ降らなかったが朝から雨で、昨日と全く同じ天気と気温。三寒四温もここにきて後退後退だ。冷えて鼻水が出るので、箱から四六時中ティッシュを抜き取っては鼻をかんでいる。鼻水は相当に清いものだと僕は勝手に思っている。なので、無造作に抜き取るティッシュを一度だけで捨ててしまうのはもったいないと思うのだが、家人は皆これに否定的であり、不衛生この上ないと切り捨てる。昔の和紙は強くて、洗って何度も使ってもなかなか破れなかったという。冷えて流れる鼻水なら、こんな強い和紙があれば何度も使えるのにと思う。台所のテレビでもインターネット接続してYouTubeが見られるようになった。光BOXというのを落札して、これが届いたので繋げてみた。テレビの型が少し古いので、テレビ本体でYouTubeを視聴できる設定ができなかったからだ。午後これに時間を費やしたが、何とかみられるのだが、検索に文字入力するのとかが、ひどくめんどくさくて、これはあまり現実向きではないようにも思える。

2013年2月18日Monday
寒い寒い、冬に逆戻りだ。 7時くらいから雪が落ち始め、よく冷えているので、あっという間にあたりが白くなり始める。積もったらかなわんと思っていたが、午前中が終わる前に雨になる。外も内も真冬だ。11時の鐘を撞きに出るのも億劫になってしまったぐらいだ。夕のお勤めも、ダウンジャケットを着たまま済ませてきた。一日ジャズを聴いたり、YouTubeで検索したり。あのラヴィ・シャンカールの娘で、ノラ・ジョーンズという歌姫のことは知っていたが、Anoushka Shankarという、ノラとは腹違いの娘がいたことを今日知った。なかなかの美人で、父親と同じシタール奏者である。この映像がとても美しい。そして、父親の見せる表情にそっくりなんである。

2013年2月17日Sunday 晴れ
氷り張る。 今朝はまたぐんと冷えて寒かった。池に氷が張った。当然外の水道は出なかった。日中は陽が出たが部屋にいればいいのだが、外はとにかく冷えていた。世間は日曜なので、こちらものんびりと一日を過ごした。久しぶりにピアノのアルバムを何枚か聴いた。板橋文夫、益田幹夫、本田竹広、山下洋輔。気持ちよくなって眠くなった。眠くならないために、金曜、土曜の「徒然」を書いてアップ。ちょうど昨日こんな時間に京都から帰ってきたのだな、17:22。

2013年2月16日Saturday 晴れ
朝から雪。 午前6時から一座目。5時前に起きると、「雪が舞っている」との声。寒いわけだ。ズボン下を穿く。傘をさすほどではないが、三宝院から金堂までを歩く間も雪が舞う。冷え切っている堂内に入り、胎蔵界の法要が始まる。前に座る院生の耳の後ろが、赤黒く霜焼けになっている。酷そうな子のは、まるで凍傷にでも罹ったかのようだ。厳寒の行の名残りなのだ。胸が熱くなる。朝食をとり10時の次の座まで自由。断続的に雪が舞い風も吹く。当初は午後3時の座まで出る予定でいたが、暗い道を帰るのは予想と、10時からの座を終えたら帰ることに決める。果たして10時前、三宝院玄関前に整列する時刻には、傘をささなければしのげないような雪になる。それでも、見上げれば青空が天に覗き、陽も射しているのだから不思議。まあこのような体験をするのも常のことではないので、本山の特別な霊気のようなものだろうとありがたくいただく。昼前に本山を後にする。びわ湖畔で昼食。比叡山は雪雲に覆われていた。午後5時半前に八日市場には到着。祈りの場に参加することを今後ともできるだけ続けていきたいと思う。

2013年2月15日Friday 晴れ
本山登山。 甲府組が6時半出発で、7時半ちょうどに八日市場で僕を拾ってくれる。順調にいって午後1時前には本山に着く。東名道路は物流の道路で、大型トラックの合間を乗用車が走るという姿。それから車間距離がとても短くて、混雑しているということもあるのだろうが、まさかここでと思われるような車間で、鼻先で車線変更してくる。こういう東名道路の走り様に慣れていないと、素人の僕にはとても合わせていけないような気がした。事務所で受付をして修証殿二階に荷を降ろす。既に5人ほど来ている。午後3時から「仁王会前行(にんのうえぜんぎょう)」の開白、これから21日午前10時の結願まで21座行われる。開白から結願まで全座に出仕するという老僧もおられた。開白法要では、門跡導師の後ろで、五つの壇で護摩が焚かれた。本山僧侶と伝法学院生、全国から参集の本派僧侶、修験が式衆となる。開白は金剛界、翌日の2座目は胎蔵界と。交互に法要が行われる。法要の時間は一時間ほど。初日はこの一座でおしまい。山梨からは、行蔵院ご住職、玄法院ご住職と子息の太志さんと僕が参加。

2013年2月14日Thursday 晴れ
燈籠が中国よりできあがってきた。 発注してあった石燈籠が、春節で休暇に入っている中国からこちらに無事届いた。望月石材から連絡があり写真を見せてもらった。もうほぼ出来上がりのような形で送られてきた。あとは、施主の名前を入れたりという細かな作業と、実際に建てるということになる。大気汚染はあまり石には影響ないはずだ。今日古い石塔の土台もきれいに片づけて整地して、基礎を作る型枠を両側に置いて位置なども決めた。立派な燈籠が建つことになる。僕がここの住職であった証しを200年先に残せることになる。
本山行きの準備をする。午後頭を刈る。4時を過ぎて外はまた冷たい風が少し吹いてきた。

2013年2月13日Wednesday 晴れ
気温上る。 朝には雨が上がりすこーしだけ雪が降った名残があったが、昼前にはもうなくなっていた。気温は昨日よりもずっと上がった。午前中読書。年が明けてからあまり読書ははかばかしくない。まあそれでも少しずつ読んでいる。寺に二人連れがやってきて、何かと聞くと、古いもので要らないものがあったら譲ってくれないかという。手紙でもよいというのだ。鑑定団なんか見ていると、古い家を壊したりすると、手紙の中からもとんでもない歴史的に重要な人物の手紙が見つかったりしているのは知っている。でもまあうちにはそんなものはないと思う。「なんでもいい」というところが嫌らしくて、「譲ってもいいようなものは何もないです」と素気無く言葉を返してお帰りいただいた。こういう輩が、人の少なくなった集落なんかを回っては、家や蔵を荒らしていったりするのかどうかわからないが、でもちょっと怪しい雰囲気だったな。こんなのが現れたりするとうっかり寺も空けられんと、気持ちが引き締まったりする。

2013年2月12日Tuesday 晴れ
一日寒い。 春が行きつ戻りつする。予報が今夜から明日に掛けて雨から雪だというようなことで、今日は一日体の芯まで冷える寒い日になる。外も風が冷たい。雪にならないように願いたいものだ。午後母の入所施設へ利用料の支払いに行く。面会に行ったのだが、ちょうど入浴の日で入浴中だった。待ってまで会わずともよいと、施設の職員に近況など訪ねて帰ってきた。
受験合格を祈願していた檀家の中学生が、早々と県立高校に合格して皆でお礼参りに来てくれた。僕がちょうど留守をしていた時だったのだが、夕べ父親と会う機会があり「おめでとう」と、お祝いの言葉もかけておいた。さあこれから本格的な受験シーズンなので、お不動様のご利益は強いのであるから、神仏にすがる思いの方々にはぜひ合格祈願をしていただきたいものだと思う。

2013年2月11日Monday 晴れ
CD整理する。 世間は祝日で休み。副区長の選挙が午前中にある。CDラックを買って組み立ててはあったが、なかなかCDを整理するゆとりがなかったが、やっと今日取り組めた。ジャンル別にきちっと収めたいがまだ漠然としているのでもうちょっと時間がかかりそう。絶対に聞かないCDもありそうなので、こちらの整理もしておきたい。ただ同然で持っていかれるのなら図書館にでもあげたらとも思うが、去年整理したのが100枚以上だったので、今回はそんなにたくさんはなさそうだ。YouTubeから動画や音もDLできるようになったので、これからはさらに購買意欲は減退していくのかもしれない。

2013年2月10日Sunday 晴れ
市川で法事。 市川大門の遠藤家の七七日忌の法事。10時半から。お母さんの法事に4人の子供とその孫、ひ孫たちがにぎやかに集まっていた。故人の妹さん夫婦が来ていたが、他の親戚は招いていない。いろいろな法事の形があっていのだと思う。おばあちゃん。ひいおばあちゃんのために、小さい子供たちが集まってにぎやかにしゃべったりゲームをしていたり。遠く八ヶ岳を望む、平塩の丘の町営墓地に骨を収める。増穂の「いち柳」でお斎。飲めないのでウーロン茶。しっかりと出されたものを平らげて帰ってきた。

2013年2月9日Saturday 晴れ
法事あり。 今朝も冷え込みが強かった。でももう外の水道が凍結してしまうことはないかもしれない。娘は大学の同級生と久しぶりに会うために朝早く状況。北海道からもやってくるのだそうだ。こういう機会がきっと息抜きになるのではないか。やっと本採用の就職も決まり、今が一番いい時期なのかもしれない。
八王子佐田家の七七日忌の法事が11時から。奥さんの実家の小浜からも兄さん夫婦がお越し下さった。大阪からは故人のお兄さんも。夕べ皆さん下部ホテルに泊まったとのこと。下部ホテルは法事で使ったり、宴会で使ったりして風呂にも入ったことはあるが泊まったことはない。今日も御斎の膳は「若大将」に頼んだ。ここの膳は大変に皆さんに好評だ。田舎のことゆえ、食事の用意を依頼されても近くにそのような業者も店もないので、うちでは「若大将」にお願いできて大いに助かっている。墓碑の建立がまだなので、石材屋さんにも法事の後来てもらう。一周忌の時までに墓地を完成させて納骨する予定になる。上求寺のおじの位牌も立派なものが出来上がってきた。明日もまた法事。
税務署から「国税還付」の通知が届いた。1月中に早く確定申告をしておいたので還付も早い。見事申告通りに僕の方は30万円を超える還付となった。ヒントをくれたKazumiちゃんに感謝だ。

2013年2月8日Friday 晴れ
風強く吹く。 午後本堂を閉めた。強い風が昨日あたりから吹き荒れている。今日は一段と強かった。蝋梅が二つほど開いた。その甘く強いにおいを愉しんだ。陽射しがあるので、芽吹きは進みそうだ。3月9日の夕方不動明王の拝観に来るという旅行会社から電話ある。20名ほどらしい。あらかじめご朱印を書いておいて欲しいというので、午後から書いた。明日の八王子の佐田家の法事の準備する。不動寺より春の祭典の案内届く。お祭りの時季になってきた。

2013年2月7日Thursday 晴れ
今日はいい天気になった。 竹を一本取りに行ってきた。暖かだった。メダカはもう随分と死んでしまったが、10匹ぐらいは頑張って春を待っている。もう少しだ。あと一か月もしたら暖かな日が来るだろう。氷こそ張らないが、冷たい水瓶の中で冬越えをしているのだから、何とか少しでも春に命を繋げてあげたい。祈るような気持ちで毎日覗き込んでは、くたばったメダカを掬っては葬っているのだ。
ほぼ一日、上求寺の後継の住職となるための手続きについて事務準備をする。本山、法務局、県の私学文書課へ電話して事務手続きについて教えを乞うた。自分の時の書類も引っ張り出してみた。法務局への手続きは司法書士に頼んだが、今度のは自分でやってみようと思っている。買い物に行ったコメリには、花の開いた蝋梅の苗があった。もう少し気温が上がればうちのも開くのだけど。今日は猿が来なくて生活が楽だった。

2013年2月6日Wednesday くもり
雪にはならず。 雨で助かった。墓地の雪がやっと消えてきたというのに、また重い雪が降ったらかなわん。都心は雪が降っていたがこちらは朝からずっと雨でいくらか霙っぽくもなったが、大事には至らず。寒いことは寒い。今日は草塩温泉に出かけた。併設の食堂で天ぷらそばを食べてゆっくりと温泉に浸かった。湯温の違う浴槽が二つあるだけだがこういうシンプルもまたいい。前後に客があったが、一人でゆっくりと使うことができた。草塩周辺は幾分雪模様で、もっと上の方から降りてくる車は屋根に雪を乗せてたりもしたので、奈良田の方は雪だったのかもしれない。あったまって帰ってきた。
だんだん座るということが少なくなってきて、椅子が要求されることも多くなってきたので、女房と相談して奥の座敷にテーブルとイスを置こうと決めた。8人座れるような机と椅子があれば普段は十分なはずだ。

2013年2月5日Tuesday 晴れくもり
ほんとに雪になるのかなぁ。 午後4時を過ぎて段々と雲行きが怪しくなってきた。どんよりと重い空になってきた。ホントに今夜から雪になるのかなぁ。葬儀明けでのんびりしようと思ったのに、逝こうかなと思った草塩温泉は調べたら火曜は休みだった。仕方なくでもないけれど、午前中少し寺の事や宗務所の事務をして、午後から一昨日の護摩の後の掃除をした。昼は天気も良かったので、掃除も気持ちよくできた。風の強い日も何日かあったので、本堂は埃もたまっていたようで、暮れ以来の掃除をして立春の本堂になった。猿がまた来始めていて、本堂の廊下にも二ヶ所に糞がしてあった。最近では腹を立てるだけ損だと思うようにしている。森田童子聴く。

2013年2月4日Monday くもり
葬儀雨になる。 5時の外はまだ雨はなかったが、6時前に外に出ると頬に雨があたったりした。7時45分に迎えが来てくれる。傘をさしていかざるを得ない天気。火葬の時間喪主とお話をする。ここをもう随分と長く離れているので、ほとんど面識もないし、でも誠実な人柄がお父さんと似ていると思った。正午から葬儀告別式。不動寺親子に来てもらう。僕の思いを述べた諷誦文を読む。終わって初七日忌。御斎で熱燗を頼む。故人の妹のご主人という人と隣りになり話す。八王子から車を運転してきたとのこと。僕は車の運転はできればしたくない。午後3時前に初七日終えて葬祭ホールを出るときには雨が本降りになっている。それでも仕方がない。高齢の組内の人が骨を中に納めてくれる。滞りなく終えて解散。こんな日は悲しくても泣いていられずにやることだけは初めに決めた通りやってしまおうというような気持になる。それぞれが家に帰ったり、お母さんの戻らない家に戻って、少し時間が経ってから寂しさを味わうということになるのだろう。しばらく葬儀は遠慮したい。

2013年2月3日Sunday 晴れ
節分。 1月28日の初不動に護摩を焚くことができなかったので、節分まで延ばして今朝護摩を焚いた。大分寒さ冷え込みもここ数日和らいできた。本堂もあまり寒く感じない。炉に点火すると本堂の中も暖気が対流しているかのように、身の内まで温かくなってきた。1月28日の初不動が誕生日だった、今夜通夜する雨宮刀自の冥福も祈った。28日に葬儀をした上求寺のおじの、健康回復の願いを掛けていたお札も、お不動様に礼を述べて焚き上げた。葬式続きで気持ちがのんびりできなかったりする。護摩を焚いて2時間近く半畳に座り、火を見つめながら離れている息子のことも思ってみた。納棺まであと1時間。

2013年2月2日Saturday 晴れ
葬儀準備。 明け方から雨がある。午前中降ったり止んだり。外は雨で温かく感じる。春が早足になる。お勤めを済ませ、休日でゆっくりの女房と娘を待たずに、卵をかけて朝飯を摂る。昨夕亡くなった雨宮刀自は、先代がすでに戒名を授けてあるので、その分だけは随分と気持ちにゆとりがある。朝食後すぐに、位牌と塔婆書きを済ませる。11時から和田屋のご両親の7回忌と3回忌をあわせてする。午前中は陽が射したり、また雨がぱらぱらと落ちてきたりと不安定だったが、墓参の時は雨は落ちてこずに良かった。雨のおかげで墓地の奥の方もだいぶ雪が無くなってきた。午後雨宮宅へ少し諷誦文の件でお話を聞きに伺う。午後4時半までかかって諷誦文仕上げる。これでよし。明日明後日と真摯に務めるべし。

2013年2月1日Friday 晴れくもり
森田童子。 2月1日の今日は一日森田童子に費やした。彼女のオリジナルを1枚しか持っていなくて、高値が付いているのでとても中古も手が出なくて、以前からYouTubeで聴いていたのだが。実はよいソフトを見つけることができて、Upされているアルバムを今日全曲DLして、WAVEファイルをCDRに取り込むという根暗で根気のいる作業を続けて、アルバム7枚をコピーすることができた。これでまた音楽環境づくりもまた一段と充実してくる。CDラックも新しいのを買って組み立て、野積にみなっている物をまた整理できるってもんだ。昼前に檀家のAさんから電話がある。お母さんが大分悪い状況にあるので、その時が近いかもしれないのでということだった。
(17:37) たった今電話連絡が入り、「亡くなった」と知らせが入った。今日はここまで。

2013年1月31日Thursday 晴れ
1月晦日。 1月も今日で終わり。二つ檀家の葬儀があり、祖父の生家の跡継ぎの住職のおじの葬儀もあった。ローカル新聞のお悔み欄を毎日見るが、連日たくさんの人が亡くなっている。その葬儀が毎日毎日あって、火葬場はフル回転で、坊主も師走のように走っていたりするのかもしれない。涙の量も1月の雨量位になるのかもしれない。冷たい風が本堂の風鐸をカラカラと鳴らす。友川かずきを聴いて、三上寛の「夢は夜ひらく」をYouTubeで聞く。午前中、WOWOWで「戦場のピアニスト」観る。カザルスの弾く「バッハ:無伴奏チェロ組曲」をYouTubeで見る。なんと便利で無節操な世界になっちまったんだ。

2013年1月30日Wednesday 晴れ
少しのんびりと。 今朝も外の池はしっかりと凍っていた。それでも水道は凍っていなかったので、ちょっとずつちょっとずつ寒さも緩んできているのだと思いたい。午後甲府の佐田さん墓参に来る。客殿前の両親の納めた扁額が気になるらしく、二人で梯子を掛けてなおす。
下田さんにハガキを出す。二日書いていなかった「徒然」を更新する。仏光堂に上求寺のおじの位牌をお願いする。光で早くなったのだが、インターネット接続に不具合があるようで玉屋さんに連絡を取る。DLした動画をDVDにコピーする。Warren HaynesのChristmas Jamは2枚になりとてもボリュームがあり見ごたえある。あとJAZZものを2枚。Warrenのは行藏院のご住職にもあげようと思う。JAZZものは内藤君に。今日は幾分のんびりとした。

2013年1月29日Tuesday 晴れ
松家葬儀。 今日も良い天気。気温も昨日よりは上がると予報。ゆっくりと寝て、夕べ買っておいたおにぎりを食べて朝風呂にも入り、7時少し前にチェックアウト。一泊5,680円。快適で家に戻るよりはベターな判断だった。出棺の経をあげ、霊柩車の後について火葬場「ふじかわ聖苑」まで。急いで寺に戻り昨日までの荷物を下ろし、今日の荷物と入れ替えて火葬場に戻る。余裕で間に合った。火葬場が寺方面にあったことでできたことで、いつもこんなことができるとは限らないし、まあそもそも葬儀が立て続けにあるなんてことの方が奇跡に近い。午後1時からアピオセレモニーホール甲府にて葬儀告別式。不動寺のの二人に助法いただく。お二人も昨日に引き続き。終わって初七日忌法要。100人くらいの出席者があるようでちょっとびっくり。地元の町長も挨拶をした。なんでも組付き合いがあるらしい。中座して3時20分過ぎに会場を出た。忙しい日程をやっと終えて少しほっとした。4時半に望月石材来て、佐田家の墓地の件について打合せする。八王子佐田家にそのことのFAXをいれ電話で話もする。ゆっくりと時間を気にせず熱燗を飲む。

2013年1月28日Monday 晴れ
上求寺葬儀。 6時半過ぎに家を出る。月曜なので、出勤時にぶつかると道が混んで時間がかかるかもしれない。7時頃には自動車が連なるような感じがある。早い時間に出勤する人も随分と多いのだ。8時少し前に到着。東山聖園で火葬。JAフルーツ山梨やすらぎホールで午後1時から葬儀告別式。東海さんは仕事の都合で今日は欠。導師不動寺以下式衆7名で執行。醍醐派の寺院に関わる葬儀が一昨年夏以来4回目で、変な話だが、読経も息が合うようになりうまくなった。それから今回は、導師と奉行を務めてくれた高野派の不動寺の二人以外は醍醐派僧侶なので、修験衣体に統一して式に臨んだが、これも結果としてよかったと思う。今後の参考にも十分なり得た。ここ何年か交流も深めているので、お互いの気持ちもよくわかってきているように感じた。
遺弟の喪主貴永もよい葬儀になったと話してくれた。僕は初七日法要を終えて御斎が始まって少しして中座して高松家に向かい、納棺から通夜と勤める。明日はまた当家に出棺のために7時過ぎには来なくちゃならない。そのためには5時に起きて6時には家を出なければならない。あわただしい。大分疲れていたことと、明日の火葬場が「ふじかわ聖苑」なので、どうせ家の方角に戻らなくちゃならない。火葬場から家までは20分くらいだし、火葬の間に十分寺との往復は可能で、葬儀用の準備は全部整えてあるのでそれを鞄に詰めて持ってきさえすればいい。ということで、葬祭ホールと甲府バイパスを挟んだ反対側にある「スパーホテル甲府昭和インター」に宿をとった。通夜を終えて家に連絡してその旨伝え、コンビニで酒食料を仕入れてチェックイン。ユニットバスもあったが、1階に天然温泉もあり快適。

2013年1月27日Sunday 晴れ
上求寺通夜。 檀家の葬儀の準備を午前中に済ませる。塔婆と位牌を書く。いい戒名が付けられたと思う。こういうことも僧侶の役割なのだと思う。宗派によって戒名の付け方や、戒名へのこだわりが違うこともあるが、僕はできるだけ家族の希望に沿いながら、生前の故人の徳がしのばれるようなものを考えて付けてあげたいと思っている。上求寺の納棺に向かう途中を昭和町の檀家に廻って、位牌、塔婆を預ける。
上求寺で4時前から納棺。その後セレモニーホールへ移動。日曜なので、助法の所下寺院の僧侶方も、皆さん時間前に来てくださる。打ち合わせをして6時から通夜の儀。導師の叔父と永啓のみ僧の衣体で、あとの7名は全員修験の衣体で臨む。理趣経も少しずつ思い出してきているような感じがしたが、何か所かはまだ???てところがある。まあゆっくりとリハビリする気持ちで習っていけばいいのかもしれないと思うことにする。無事終えて、明日のこともお願いして帰ってくる。帰りは笛吹の土手を帰ってきたが、日曜の夜ということもあり空いていて、1時間ちょうどで帰宅した。明日の準備をして今これを書いて、明日は6時半過ぎには出なければならないので、このくらいでおしまいにする。

2013年1月26日Saturday くもり
葬儀になる。 朝6時半に昭和町に住む檀家のT氏より電話。夕べ遅くに奥様がお亡くなりになられたとのこと。朝食を摂り9時ちょうどにご自宅に着く。土曜といえど、朝8時の時間帯は結構道も混んでいる。しばらく後ろを走っていた車の女性は、信号待ちすると、メガネをはずしてから、フロントの庇についている鏡を見ながら、化粧に余念がなかった。でも、見ていたら、どうも今朝だけではないような感じがした。枕経をあげ、日程調整をする。28日通夜の29日葬儀にしたいとのことで、こちらも明日から上求寺の葬儀になるのだが、28日の葬儀が終了した後、そのままT氏宅で納棺それからホールで通夜とすればいいかと承諾する。忙しいがこれも仕方のないこと。帰りには塔婆と位牌も届いたので受け取って戻ってきた。早速戒名を考え次第作りなどに入る。午後、当屋から故人の略歴のFAX入る。戒名は決まった。あとは諷誦文。明日の午前中までに大体を仕上げてしまわなければ。

2013年1月25日Friday 晴れ
春一番のような風が吹く。陽気は寒くて冷たいが陽が射せば、春を感じさせるようである。今日は午前中の遅い時間から午後も風が強く吹きまくった。11時に静岡からお不動様の拝観者あり。安倍川餅をお土産にいただいた。新年になってから、寒くてもポチポチと寺を訪ねてくる人がいる。一心に本堂前で拝んでいる人。ご朱印をいただきたいという人。それぞれの思いの中でここの不動明王を感じていってくれるようだ。
夕べは、テレビでYouTubeの喜多郎の2時間近いConcertを布団にもぐりながら見るという快適をやってしまった。こりゃすごいことですよ。
午後女房が帰ってきてから上求寺に行く。80分くらいやっぱりかかってしまう。葬儀当日は、朝の出棺が8時過ぎなので、6時半過ぎくらいには出なければならないだろう。

2013年1月24日Thursday 晴れ
光になった。 電話回線の光への切り替え工事があり、やっと我が家のネット環境も一段階上に進んだ。まあ確かに早くはなった。でももうこれ以上は望まなくていいだろう。ということで、YouTubeをテレビで見よう作戦を決行。テレビとルータを繋いで、テレビのリモコンで「ネットチャンネル」を選んで指示通りにしたら、まあそうなるのが普通なんだろうけど、見事YouTubeがテレビ画面で見れたのだ。画期的!こんなにネット環境が良くなっていいのだろうかというようなドキドキ感。これで、動く画像をいつでも堪能することができる。
午前中葬儀の次第作りほか。讃や諸真言も入れた冊子も手作りした。あとは、一度、葬儀をシュミレーションして次第が1時間でこなせるか自分でやってみることだ。

2013年1月23日Wednesday くもり
寒い。 昨日の雨で、墓地の参道の氷りついた雪が大分融けて流れてくれていた。スコップで端っこの雪を除けた。葬儀の次第のことを考える。助法をいただく寺院にメールなどする。当夜の貴永にも葬儀のことなど連絡し、うちと宗務所からの生花をJAに依頼する。陽が射さなくて寒い一日。午後資料を持って不動寺の叔父を訪ねて打合せ。明日また続きをすることにする。

2013年1月22日Tuesday 晴れ
とうとう逝ってしまった。 雪にはならずに冷たくさぶい雨。5時半過ぎに、獣除けの扉を開きに大子山の入り口まで行く。明日と二日間の当番。午前中本を読む。ぼちぼち11時の鐘つきの時間だなと思っているところに電話。貴永さんから「10時過ぎに亡くなりました」と。昨日の午後見舞ったとき、もう間近であろうことは予感できたが、こうもあっさりと明くる日に逝ってしまうとは。不動寺の叔父叔母を乗せて午後向かう。雪にならなくてよかった。それから午後雨が上がって晴れ間も見えてよかった。枕経を上げて葬儀日程などの打ち合わせに入る。ひと段落して諸事情解決のためにH寺を叔父、貴永と訪う。深いご理解をいただき無事解決なって帰る。ほかの家族にもそのことを報告する。叔父に導師を頼み、残りは醍醐派で勤めることとする。帰宅後あちこち連絡などとる。本山へも葬儀のFAX入れる。
体の中が空っぽになってしまったような冷たさだけがある。

2013年1月21日Monday 晴れくもり
見舞う。 上求寺のおじを病室に見舞った。大寒のこの時期のこと。いくら温度管理がなされた部屋とはいえ、体が自然界から受ける冬というものはきっと潜んでいることであろうと思う。「がんばれ、がんばれ」の言葉をかけて帰ってきた。初大師の勤行にも、体調の好転を祈るのみであった。今夜また雪になるかもしれないと予報。午後5時を過ぎて薄暗くなり始めてもいるのだが、確かに雲行き怪しくなってきた風である。午前中、立春のお札や2月の法事の塔婆など書いた。午後病院に行く前に税務署によって、確定申告書を窓口に預けてきた。こちらのやり方に大きな誤りでもなければ、多額の税金が戻ってくるはず。申告の件も済んで少しほっとした。明日何が起こるかわからないので、できることは早め早めに済ませる。瀧本院の書類を本山に送付。新しく総代に就いていただいた佐田さんに、本山からの任命書を送付。ほかの3人には昨日夕方歩いて届けた。「五大力尊仁王会前行」の申込書を本山にFAXする。玄法院ご住職に今回も車に乗せていっていただけそう。ありがたい。

2013年1月20日Sunday 晴れ
温泉。 昨日は晩飯前に2回、晩飯後に2回風呂に入った。奇を衒った感じもなくとてもオーソドックスな風呂で、大きな浴槽と少し熱めの風呂と外に檜の風呂。熱めの風呂がとてもよくて気に入った。近くに住む人たちなのだろう、お風呂セットを持って入ってくるお年寄りが何人もいた。温泉のある生活ってのは贅沢だけれど、叶えられたら最高だな。10時にチェックアウト。また八日市場に戻ってきた。庫裏の水回りも何とか大丈夫であった。瀧本院から本山提出書類送られてくる。去年から今年と改選の寺が多いようだ。総代がかなり多い数だというあの寺はどうなっているのだろうか?インターネットの速度が前のように戻った。早く光にしてくれないかな。

2013年1月19日Saturday 晴れ
家族で新年会だ。 甲府富士屋ホテルに泊まる。今朝はまたぐっと冷え込んで、夕べ警戒していたのだけれど水出しを怠ってしまい、庫裏の風呂便所の水を凍らせてしまった。裏のタンクは水面がもうカチコチに凍っていた。水が出ないままに10時に出かける。小淵沢へ行く。二人がいつも寄る店が今日は臨時休業だった。雪もたくさん残っているし、この時期は客も少ないのかもしれない。道の駅でゆっくりと買い物をして食事をする。ホテルに入れる時間が2時だったので、高速はやめて甲府に行く。途中白州の七賢に寄る。初めて行ったのだが、新春のくじを引いて当り徳利と猪口を貰った。ホテルの温泉に浸かり、コンビニで買ったウィスキーを飲み、にごり酒を飲みながら食事も堪能。こういう時もまたたまには必要。

2013年1月18日Friday 晴れ
一日竹林。 雪折れの竹や、枯れて立っている竹を一日片づけて燃した。周りに雪がまだ残っていたので、ガンガン竹を燃やしても延焼していくことがなかったので、朝から夕方4時半頃まで竹林をきれいにした。だいぶ良くなったのではないか。竹林は、傘をさして歩けるようなくらいに管理するといいと聞いたことがある。なかなかそんな訳にはいかないが、できるだけきれいに管理していけたらなと思う。
八王子の佐田家から位牌の作り様について電話ある。戒名の下に「位」を付けるか付けないかというものだが、真言宗は付けるようなのでそのように答えた。市川の遠藤家の位牌出来上がってくる。黒檀に白字というのが僕は好きなので、遠藤家のもそのようにした。市川の高田の西光寺から春の祭典の日程が決まったからと電話がある。3月17日(日)。少し時間を早めて、午後3時から柴燈護摩となる。

2013年1月17日Thursday 晴れ
新年の母を訪ねる。施設の利用料の支払いのために施設に母を訪ねた。どうも前回からだいぶまた太ってきているようだ。一日中施設の中に居て、入所当所ほど廊下を歩かなくなったのだろう。施設に居るのだから、個人で食べ物を自由に調達できる訳でもないし、しっかりと栄養管理はされているのだから、むやみに太りはじめたわけでもないだろうに。本人は結構笑っていたりするのだ。まあ以前から夏も冬も関係なく、何枚も下着や服を上も下も重ね着して、「これでいいのだ」と話していたし。一日中歩き回っていたころは少し痩せたりもしたが、まあ本人はいたって元気であるのでそれでいい。施設には医師もいてしっかりと診察もしてもらっている。2月末で要介護認定期間が終了となるので、ケアマネに新たな介護保険申請書の作成もしてもらい、さっきすこやかセンターの介護保険担当に提出も済ませた。
午前中竹林の雪折れの竹を切ったり、頭をを雪から掘り上げて伸ばしてあげたり。ウズラの親子が何羽もよちよちと雪の上を歩いていたりする。墓地の参道は寒くてあまり陽が当たらない。午前中は堅すぎて歯が立たず、介護施設から戻って改めて角スコ持って道を開けに行ってきた。最後は息切れがして、スコップひと掬い分だけの道を最後まで開けてきた。インターネットの速度が一昨日からものすごく遅くなっている。早く光回線の工事をしてもらいたいもんだ。

2013年1月16日Wednesday 晴れ
まあ、晴れということにしておこう。 昨日のように陽が出て雪が融けるのを期待していたので、気温も上がらずに中途半端な晴れの日で終わってしまったのにはがっかりだ。7時過ぎに墓地の参道を歩きながら、雪かきができるかどうかスコップで確かめていると軽トラで秀ちゃんがやってきた。仕事に行く前に寄ったのだろう。墓地の雪を払いに来ていた。ちょうど今日がお母さんの命日で一年が過ぎた。一年なんてあっという間の時間なのだ。今日もほぼ一日雪かきをしていた。午前中は、町道の端に除けられた雪を側溝に落としたりした。端の雪が凍っていて対面通行ができないようなので、せめて僕のできる分だけでもと思って。午後になって墓地の参道の道も少しずつ開けていった。結局あと3分の1ほどが残った。明日またやればいい。剪定して切り落とされた梅の枝がたくさんあったので、まっすぐなのを10本ほど選んできて、護摩壇用と通常の法事用にと3本とりあえず散杖をこしらえた。梅の散杖でも買うと2000円くらいしているから、できるだけ手作りをしないともったいない。護摩木も然り。
夕のお勤めをしていると、参道を雪を踏む音がするのがわかったが、途中でやめられずに終えた。外陣に寒中見舞いが供えてあった。早川のMさんである。お会いしてお話もしたかったのでとても残念であった。

2013年1月15日Tuesday 晴れ
雪かき。 まるでスケートリンクのように境内一面が凍った。集落道はもうカチコチで、小学生の通学は大丈夫だろうかなんて、見守り隊の人と話したりした。今日は一日時間をおいて雪かきというか除雪作業。日中は随分と気温も上がって、雪はどんどん溶けていくし、本堂や庫裏、客殿の屋根の雪も、ザーッザーッと音を立てながら滑り落ちていった。午後、確定申告のことで前の同僚に相談したのだが、身延支所の方は雪は全然ないとのことだった。確定申告は大体作り方はできていたようだが、退職金の課税分がわからずに、もう一度源泉を再発行してもらうこととした。あと、健康保険のこともちょっと相談してみたのだが、もう少ししてから問い合わせてみようと思う。
昨日はかなり恥ずかしいことがあって、寝ながらもそのことばかりが頭を巡っていた。「知らないでよくそれでとおってきたなぁ」というような天の声が聞こえてきそうである。確かに、いやぁこれは参った参ったチャンだったな。

2013年1月14日Monday
雪になる。 予報通りに雪になった。夜中静かだったので雪が降っているのだろうかと考えていた。明け方から雨音がし始めたので、「雨に変わったか」と思っていたらそうではなかった。雨が雪に変わって朝から降りはじめた。重い重い雪で、5センチほど積もった。裏の竹やぶは、枯れた竹を残して緑の竹はすべて頭を下げてしまった。インターネットの光回線の工事は雪で中止。一日仕方なく部屋に閉じこもる。昨日ストーブの芯を一台替えたが、少し煤が出たりしたので、それをからかってみたり。午後4時前に雪止む。道路の雪は大したことないが、少し雪かきに出る。

2013年1月13日Sunday 晴れくもり
小正月。 朝は寒かったが昼近くには少し暖かくなる。11時過ぎに獅子舞やってくる。小中学生も大勢同行していてにぎやか。僕は午前中早い時間に、昨日のどんど焼きの会場の畑の燃え残りなどを片付ける。今年は針金などがいつもより少なくてありがたかった。煙草の吸殻を拾って歩くと、指先が痛いほど冷たく感覚がなくなってきた。湯で温める。凍傷になっていく感覚とはこんなものなのだろうか。天気予報通り午後から次第に曇り空になってくる。予報がそのまま当たるとしたら、明日は雪になるかもしれない。長谷川きよし聴く。古いアルバムを手に入れた。CDももう一度整理してしてみたいという気持ちになる。

2013年1月12日Saturday 晴れ
暖かい。 今日は暖かな一日だった。福寿草もきれいに日中開いた。恒例のどんど焼きの準備が午後進められて、うちでも門松や古いお札を持っていった。お札はお祭りの柴燈護摩の時に一緒に焚き上げていたが、当日の返されるお札がたくさんなので、年末の分は2年ほど前からどんど焼きで炊き上げてしまうことにした。6か月点検が終わり車を持ちに行く。8年目ですねと言われて、新車の購入話など持ちかけられる。今乗っている車は僕にとっては絶好調なのだが、やはり経年と共に、点検時に少しずつ修理費用が掛かるようにはなってきている。それから税金もこの車は高い。もし次に買うとしたら、もう少しお金のかからない車にしなければならない。
下田逸郎さんから新年のハガキが届いた。緑がいっぱいになった頃、東京から流れて大聖寺で歌いたいと。ぜひこちらもそうしてもらいたいなと思う。

2013年1月11日Friday 晴れ
温泉。 車を6か月点検にもっていき、代車を借りて初めて「やまなみの湯」に行ってゆっくりと温泉に浸かってきた。500円でのんびりと湯につかりながらリラックスできるってのは大変にお安いことだと思えた。開館の10時過ぎに行ったのだがもう15人ほど入っていて、きっと毎日ここに来ることを楽しみにしている人たちなのかもしれないなと。寝湯というのにじっくりと体を沈めてボーっと外を眺めながら、暮れから年明けの今日までのことを振り返ってみた。葬儀もいくつかあったり、石燈籠の新たな建立のことを思い立ったりした。無事に新年を迎えて、さて寺の住職のみの毎日の新しい一年はどんなふうになっていくのか。午後3時ごろには点検が終わるはずだったが、ラジエターの水漏れが見つかってとかいう電話をもらい、明日の午後までになり、お金も余計にかかる。女房の飯富病院のパートの源泉から、確定申告を国税庁のサイトでして鰍沢税務署に送った。僕の分もボチボチ準備をしておこう。夕方庫裏の寒い風呂場で頭を刈る。

2013年1月10日Thursday 晴れ
香典場デビュー。 区会議員になって初めて葬儀の香典場の事務をした。今日の葬儀は11時半からだったので1時間前に会場の寺の集合。今日は主に香典帳への記帳をした。記帳し終えて、現金と記載額があっているかを確認する。寺への布施を袋に詰めるなど。金額もピタリと合って初仕事終える。別室で昼食をいただいて帰ってきた。燈籠の寄付を今日お二方持ってきてくれる。早く葬儀の方の仕事が終えたので、暇に任せて祭典の幣やシメを切る。西光寺の文とうちの分を切る。まだ全部とはいかなかったがはかどった。それから、歳徳神、三宝荒神の幣も新しく作って替えた。節分の護符も時間を見て作らねばならない。まあ時間はたっぷりとある。明日の朝は冷え込みが厳しいと言っていた割には今朝は少し曇っていたせいか寒くはなかった。水道の凍結もなかったし。

2013年1月9日Wednesday 晴れ
組内のお付き合い。 K家のおばあさんの通夜がある。3時の納棺に合わせて手伝いに伺う。富士川からの風が冷たい。今朝は静かに静かに朝からサルたちが来ていた。葬儀があることで遠慮しているような動き方だった。今の時期は里に下りてきても畑にもあまり食べるものがないのかもしれないが、日中静かなのをいいことに、川側の畑の方にまで足を延ばしていく。道のところどころに脱糞痕がコロコロとしていたり、霜柱のように立っていたり。猿の糞を踏んでしまわぬよう気を付けながら両手で明日回収の空き瓶の大量に入った回収袋を提げてステーションまで運んだ。通夜は5時からだったが、初めて香典場というものに座った。通夜は組の人たちがやって、明日は区会が主導でするということで明日もまた手伝うのだ。元気だったおばあさんたちが去年の後半から立て続けに亡くなった。
頼んでおいたスピーカーは実は昨日の夕方届いた。確かに小さいがもうこの後の人生ではこれで十分ではないかと思う。存在感が寂しいので、コメリでブロックを買ってきて少し高くして据えた。大西順子のピアノトリオなんぞ久しぶりに聞いている。

2013年1月8日Tuesday 晴れ
定期受診。 薬をもらうためだけの受診のような気もするが、まあ気休めにはなる。3月初めに胃カメラを飲むことになった。去年も退職直前にドッグに入った。新しいCDプレイヤーが届いた。古いのはもう10年以上使っていてリモコンが効かなくなって不便だった。実はスピーカーも片側がもう高音が出なくなったので買い換えたところ。明日か明後日には届くだろう。今は小さなスピーカーでも遜色なく聴けるらしい。今日は幾分温かく感じられた。太業舎さんがタオルを持って年賀に寄ってくれて、「寒いですねぇ」と言ったら、年始から水道のトラブルが多いということを言っていた。商売繁盛で結構なことかもしれない。でも実際、水道破裂して困ったときは、早くなおしに来てくださいってことになるもんな。水道の凍結に油断はなりませぬ。総代のSさん燈籠建立の寄付持ってきてくれる。

2013年1月7日Monday 晴れ
ほんとに寒い! マジに寒い。冷え切っている。今日は少しのんびりしたかったのだが、夕べ遅くに組長から電話があって、組内の不幸が伝えられた。今朝8時半に皆でお悔やみに行き、葬儀日程やお手伝いのことなどの相談をした。高齢は高齢だったけれど、元気にしていたし、家族もまさかといった風だった。インフルエンザだったとの事である。正月の今日が七日、葬式が続く。勤めなどしていれば、「自分とこの葬式で休んで、また組の葬式で休むのかよ」なんて嫌味のひとつも出そうな感じだ。だから結局辞めてよかったということだ。今日はパソコンのT屋さん来てくれて不具合など見てもらい、来週の月曜に光への変更設定をしてくれることになった。ものすごく早くなるそうである。早くなったら、YouTubeなんかはテレビに接続して楽しめばいいといわれた。なるほどねぇ。石屋さんにも来てもらい、八王子の檀家の墓地の件相談させてもらう。仏光堂の若林さんにも来てもらい、昨日の葬儀の遠藤さんに頼まれた位牌もお願いした。今年が動き始めた。

2013年1月6日Sunday 晴れ
葬儀終って一息。 今朝も冷えたなぁ。不覚にも庫裏北側の水回りを凍らせてしまった。陽が射して溶けるのを待つしかないのでそのまま出かける。帰ってきたら出るようになってはいたが破裂させたりしちゃいかんので今夜から要注意。厳寒期はここが一番の気になる場所だ。朝4時半に起きてお勤めして7時過ぎに出かける。自宅から出棺。火葬場で一足早い火葬の僧侶、不動院の一瀬僧正に会う。「さむいですねぇ」と言葉を交わして別れる。今日は車だったのであるコールはご法度であった。助法を不動寺親子にいつものようにお願いしてきてもらう。この3人なら打合せなぞなにも必要なし。初七日法要、法話して御斎に着いて午後3時に退席して帰ってきた。荷物を片付けて優のお勤めを済ませてこれを書いている。ちょうど5時のチャイムが流れたところだ。少しのんびりとできたらいいのだが。

2013年1月5日Saturday 晴れ
通夜。 ホントは今夜は女房と娘がいないので、ゆっくりと怠惰な酒を居間で飲みつつ、YouTubeでなつかしの曲の大再生大会を深夜までする予定だったのだけど、明日葬儀告別式が待っているのでそうもいかなくなった。午前7時45分故人宅着で出棺から一日が始まってしまうので。小寒の今日は一日外の大きな池の氷は溶けることがなかった。こういう日は芯から寒くて冷たい。ちょっと外へ出ただけでもう小便をもよおしてしまう。外の水道は午後まで出なかった。今夜はしっかりと元栓を閉じた。つやもほーるのなかはどきょうしているとだんだん体が熱くなってきて、後半は額から汗が出てくる。寒い夜道を三上寛流しながら帰ってきた。まだ寝てしまうには早いので、ちょっとこれから一杯やって、風呂はいって、何ページか本読んで疲れて寝てしまうという筋書きだ。

2013年1月4日Friday 晴れ
檀家亡くなる。 毎年4日は新年のお札を檀家に配る。お勤めを終えて6時半頃居間に戻ると、市川三郷の檀家からお母さんが今朝亡くなった知らせがあったとのこと。連絡を入れ、富士ヶ嶺から市川に回るので、そこで枕経をあげると話して準備をして7時15分頃に出発。下部に出るとずいぶん暮れに降った雪が道路端に残っていた。本栖のトンネルの出口に近づくと、急に明るくなってくるのがわかった。ちょうど朝日が射してきて湖面を光らせていた。大勢のカメラマンが富士山を撮ろうと集まっていた。いつもの年はデジカメを持っていくが今日は持たなかった。遠藤家に着いてコタツでお茶をご馳走になっている間に、ちょうど正面にそびえる富士の左の肩下から朝日が昇った。毎朝こんなダイアモンド富士を眺めることができているのだ。いつもより早々と辞す。精進湖せんを市川に下って枕経をあげ、葬儀日程を確認して甲府に回る。トイレ休憩をしようと思っていた従姉の家はあいにく留守。遅い年賀状が帰ると届いていて「年末にころんだ」とある。その影響かもしれなかった。この姉、去年もうちの山門をまたぐ浅い溝に足を落としたりもした。新年早々ではなく、暮れの内だから、新年少しのんびりと厄を落とすべしということかも。
昼前に帰り、葬祭場から入っていたFAXを確認してから電話で少しやり取りして、午後残りの檀家を回る。3時前に帰宅。早速葬儀の準備始める。先ずは戒名。一応考えたが、いまひとつ納得できず今日はここまで。

2013年1月3日Thursday 晴れ
三が日ももう終わり。 娘も女房もまた明日から勤めが始まる。僕も明日は檀家への新年のお札配りに出かける。朝は風が強くて本堂の扉を閉めていたが、やはりまだ3日でお参りに来る人もあり、扉を開けておかないわけにもいかなかった。幸い昼近くには風も穏やかになって午後は温かい日になった。昨日の風で本堂の中がゴミや埃だらけになっていたので掃除機をかけ、ついでに座布団もしまい、や年越し用の本堂の荘厳を通常の荘厳に戻した。箱根駅伝、山梨学院のシード権獲得順位を祈ったが一歩及ばずだった。今年また予選会から箱根路を目指すことになる。やはり東京の有名強豪校にいい人材が流れてしまうのは仕方のないことなのだろう。

2013年1月2日Wednesday くもり
強風吹き荒れる。 こんなに正月から風が吹き荒れることはあまり記憶にない。竜巻のような風も庭の落ち葉を巻き上げて開け放った本堂も埃にまみれる。箱根駅伝を走る選手たちも今日はかなりきつかったのだと思う。最終5区の箱根の登りも、選手がよろけながらやっと走っているというような姿を映し出した。もうここのところ定着した正月二日の極々親しい友人との新年会。お札も買っていただき、お酒もいただいて、こちらは女房の手料理で迎える。これから先の人生の経済のことなどにも話が及ぶ。楽しい3時間ほどだった。

2013年1月1日Tuesday 晴れ
今年もよろしく徒然。 というような書き出しではあるが、別に誰に読んでもらいというような強い気持ちもこっちは持ってはいないのだから適当に。この適当にとか言う生き方をずっとしてきた結果が今であるので。いましばらくは生きていられそうだ。午前2時半ごろまで起きていたので朝は厳しかった元旦。とりあえず護摩壇の掃除だけして、居間のノートPC起こして「今年もよろしくDEAD」で新年の聴き初め。ゆうらりと生きていきたいものだ。