徒然に戻る

『徒然日誌』 2016年1月から12月


2016年12月31日(土)
晴れ
行藏院のご住職から一足早いお年玉をもらってしまったのだ。
午前4時15分起床。湯を沸かしてお茶を飲んでから朝の勤行する。空には星々がまだ輝いている時間。本堂と客殿の朝の納めの勤行。終えて、頂いた餅を4枚雑煮で食べて、6時を回ったところでウォーキングに出る。車の往来もまばら。1時間ちょっと歩いて戻り、炬燵に入って新聞を読みだすと、女房がケータイが鳴っていると持ってきてくれたが切れる。見ると「行藏院」から。折り返しかけようとすると固定が鳴りはじめる。「すみません、すみません」といきなり謝りながら電話を受ける。ゲスの極みが今年をにぎわしたので、下司な極みといわれるかもしれないので明かしはしないが。東海師はノロウイルスにknockoutされてしまったとのこと。おかげさまで僕はすこぶる健康状態。年越しの護摩の準備も整った。いつも早寝なので、遅くまで目を開けていられるかというところが一番の課題。たくさんの皆さん色々とお世話になりました。60歳になりましたが、新しい年もどうぞよろしく。

2016年12月30日(金) 晴れ
残すは後一日。
朝4時半に起き、ビデオ見ながら適当に朝食。6時から1時間ほどウォーキング。まだ薄暗いが歩く。寒いことは寒い。帰ってきて朝の勤行。今朝のお勤めは寒かった。歩いた後の体が冷えてきて余計寒く感じたのだろうか?本堂の入り口に幕を張り、灯明を新しくしたり細々と準備する。鐘楼、庚申堂などにシメを張る。今日も良い天気。年末に松の枝を採るために伸ばしてある松を混み合ってきたので思い切って枝下しする。さっぱりとした。午後豪一兄ちゃん、貴史暮れのあいさつに来る。陽射しのある外でお茶を飲む。庫裏の風呂場で頭を刈る。残り明日一日。

2016年12月29日(木) 晴れ
もうかなり仕上がってしまう。
本堂の準備はほぼできあがってしまった。明日が晦日でも一向に構わないが、うちだけ一日繰り上げてしまうという訳にもいかないだろう。今朝も早朝にウォーキング。今朝は冷え込みが特に厳しかった。今日は風も吹かず一日おだやかに過ぎた。息子は昼飯後に車を運転して一晩だけで慌ただしく相模原に戻っていった。4時半過ぎには無事着いたと女房に連絡が入る。もうほぼ独立した30歳の大人である。新しく変わった職場でも扶養にとってもらえたので昨日保険証も持ってきてくれた。先日10割支払いをした病院に保険証をもっていき、差額分を返還してもらった。薬局は年末休みに入ってしまい年明けに行くことにする。郵便局で護寺会のお金をおろして、農協の建更共済の掛け金を払う。カレンダーをくれたが、必要ないのでお断りした。大きなカレンダー、うちではもう何年もひとつだけで間に合っているので、貰っても結局処分してしまうことになる。大晦日はもうやることが無くて、のんびり過ごせそうだな。

2016年12月28日(水) 晴れ
納めの不動。
早朝、ウォーキングを1時間ほどする。引き締まるような寒さがある。28日で勤め人の人たちは仕事納め。真言宗の我が寺は納めの不動で、昼過ぎに護摩を焚く。終わって、壇の片付け、掃除など始める。年始用に本堂の模様も少し変えなければならない。庫裏の神棚などにはお供え餅を置く。本堂の掃除は終わらず明日に持ち越し。掃除は終わらず明日に持ち越し。息子クルマをとりに帰省する。明日にはもう戻るとのこと。新しい職場のことなど聞く。保険証もらってホッとする。夜東の方ではまた大きな地震がある。穏やかな年末とはならずか?
夜、酔った秋山さん電話をしてくる。正月2日にお会いしましょう。

2016年12月27日(火) 晴れ
多分今日が今年最後の雨なのだろう。
昼過ぎまで雨になる。年末になり、檀家の人たちが暮れのあいさつに来ることが多くなる。今日も雨の中を甲府からWさんみえる。年明けのお母さんの七回忌のことなども相談してゆく。SMAPは歯切れの悪い解散をしてしまうようで、僕はあまり関心を持たないが、絶対的な国民的アイドルグループが、仲間内のぎくしゃくとした関係で解散してしまうという結果は仕方ないにしても、最後のしめくくりくらいきれいにした方がよかったのではないかと考える。何とも罪作りな人たちである。

2016年12月26日(月) 晴れ
寒い。
陽が出るまでが寒くて冷える。朝身延の母の実家に正月用の松を届ける。1時間ほど茶飲み話をしてくる。護摩の準備をする。午後落ち葉掃き。海老原君今年最後のあいさつに立ち寄り墓参もする。

2016年12月25日(日) 晴れ
年末のお参り何組かある。
最後の日曜で本堂へのお参りも何人かある。添え護摩木への願い事も家族の健康から友人の病気回復の願いもある。お不動様に願い事をする年齢層もまちまちだが、この寺の本堂にお座りになってから850年近く、お参りする人々の姿はずっと変わらないのだと思うと、住職としては身の引き締まる思いである。夕方にも先日の明王寺の祭典に行っていたという若い方がお見えになって、本堂に上っていただいて開帳しお話もさせてもらった。大変に喜んで、またゆっくり来ますと帰っていかれた。富士吉田からの家族も今年最後とお参りしてくれた。年末の窓ふき、松の枝取りなどする。

2016年12月24日(土) 晴れ
門松作る。
午後竹を伐りに行って、そのまま門松を作ってしまう。我流の粗末なものだが、毎年自由に本堂の前に立てている。あとは紅白か金銀の水引でも結んで、賀正と書いた和紙でも貼ればいいのである。

2016年12月23日(金) 晴れ
冬至祭典。
明王寺の冬至祭典。昨日の雨は夜になってもやまずに、ずいぶんと降った。新潟では大きな火事があった。ここも夜になって突風が吹くかもしれないとの注意報が出たが、この辺りは強い風が吹くことはなく過ぎた。おかげで山門脇のケヤキの葉はまだしっかりとしぶとく残っている。雨が上がり気温の高い一日となり、明王寺の祭典も好天の中で行うことができた。高齢のお父さんが護摩壇に座るのを辞めたので、今年は3人でお祭りをしたが何とか「還暦Trio」で無事終えることができた。参拝者も例年通りに多かった。今年最後の祭りの納めの日になった。

2016年12月22日(木)
雨、一日寒い。
ほとんど体動かさず映画など見て過ごす。明日の明王寺の祭典、天候回復するといいけど。雪が降った翌日ということもあったな。五大明王の幣を作る。頭を刈る。夕方になって雨少なくなる。外は生暖かく、部屋の中のサッシ戸がみな水滴で曇る。

2016年12月21日(水) 晴れ
冬至。
冬至は一年で昼が最も短い日。今夜は冬至の柚子湯だ。明日からは少しずつ少しずつ陽が長く伸びてくる。楽しみだ。来年は梵網経(ぼんもうきょう)を読めるようにするという志をたて今日から始めた。60になっても坊主は老け込んでなぞいられないのだ。浅い知識しかないので、せめて経や真言などは広く読めるようにしておくことを楽しみとしよう。柳沢の夫婦来寺。今年の会い納め。納めの大師。

2016年12月20日(火) 晴れ
落ち葉掃き。
午前中女房の車のカーナビを新しいのに更新してもらいに持ってゆく。車を息子が使いたいとのこと。女房の年賀状を作る。午後隣りの八幡神社前の落ち葉を掃き、焚く。風もなく穏やかな一日。

2016年12月19日(月) 晴れ
御札書き。
午前中設備屋さん来てくれて、外の水道と給湯器の通水栓の電熱線を巻きなおしてくれる。何日か前、朝台所の湯の出が悪かった。今年の冬は寒いようできっとこういう仕事の人たちは年末まで忙しいのかもしれない。台所でお札を書く。

2016年12月18日(日) 晴れ
法事あり。
若尾家の3回忌の法事が10時半からある。ちょうど外があたたかい時間でよかった。東京からKさんの娘さんご一家墓参に来る。墓地はとても寒いが、毎年暮れに来てくれて、お墓を洗ったりゆっくりと掃除していってくれる。神棚の気になる所を直すついでに歳神さんのシメも少し早いが張り替える。来年は閏の5月があるため、シメは13枚張る。何でもないようなことだがこういうことはしっかりと覚えていて続けていきたいことだ。午後ご朱印を下さいと訪ねてきた方は「八巻さん」ご夫妻だった。YahooオークションのjazzのCDで数か月前から何度もお世話になっている方で、北巨摩の方にお住まいで、寺社仏閣を巡って御朱印を貰っているとのことで、一度伺ってみたいといっていらした方である。奈良田の湯を楽しんで帰りに寄ってくれた。本堂を案内して、オークションの話などもして帰っていかれた。袋に詰めて溜めてあった落ち葉を久田子のHisashiさん持ちに来る。これで来年も早川の山や畑の恵みにあずかれる。いい一日が終わった。

2016年12月17日(土) 晴れ
赤沢に行く。
午前中はウォーキングと落ち葉掃き。朝は寒いので、炬燵にもぐってしまうとダラダラと引きずってしまい、何もしないで終わってしまうことになりかねない。誘惑を断ち切って寒い世界に飛び出してゆくということ。午後早川町の赤沢宿に、ゲストハウスとして復活した元身延山詣での宿の大阪屋にゆく。東京の若者たちがこの宿をよみがえらせ、旅人の宿として営業を始めた。餅をつくということでお誘いを受けたので酒を携えて出向いた。畳を入れ替え、床の抜けたところは常駐する主人として九州から夫婦で宿に住むことになった元大工さんがその技を振るって補修した。帰らなければならないので酒は飲めなかったが、山峡の集落に法螺の音を響かせることができた。今朝はこの冬の一番の寒さだったかもしれない。池にも全面に氷が張った。檀家のK君が法事の相談などにやってきて美味そうな酒をおいていってくれたので、これから飲もうと思う。

2016年12月16日(金) 晴れ
落ち葉掃き。
午前中墓地参道の落ち葉掃き。日曜に今年最後の法事がある。護摩壇脇の燈明皿をきれいにする。昼飯後に裏山を歩く。広葉樹の落ち葉が埋もれそうなくらい積もっている。気持ちよく歩く。

2016年12月15日(木) 晴れ
すす払いする。
朝は寒い。「べっぴんさん」 見てから竹を伐ってきて枝を払い、まとめてすす払い用の箒を作り、本堂から庫裏、客殿、山門、鐘楼、土蔵など1時間ほどかけてすす払いする。年末行事としてやったということで気持ちが落ち着く。11時少し前に甲府の工房の方がお見えになり、護摩加持をすることなどの相談を受ける。午後定期受診。往復を歩く。帰ってきて山門の蛍光灯の掃除をする。虫がいっぱいで激しく汚れていたので、風呂場に持っていって湯を掛けながらきれいに洗う。これですっきり。少しずつ新年の準備を始める。

2016年12月14日(水) くもり晴れ
今年は風が吹かないのでなかなか裸木になってくれない。
朝方まだ雨が残り昼過ぎからやっと天候がよくなる。夜半の雨はだいぶ降った。雨で溝に溜まった落ち葉を片付ける。いつもの年なら12月も半ばであればほぼ落葉してしまうのだけど今年はあまり風が吹かず、ケヤキの葉もまだ少し残っている。落ち葉は気に切がつかないのである。午前中お札を書く。午後裏山にはいかず中沢川公園の小道を歩く。K家の娘さんが両親の墓参りに来る。ちょうど11時の鐘を撞いていた時で、イギリス人の友人を伴っていて、本堂を案内する。昨日開かなかった賽銭箱に7千円も入っていてびっくり。お不動様にもボーナス(納めの賞与)が出た。

2016年12月13日(火) くもり
寒い日。
数日日中の天気が良かったが今日はどんよりと寒い日になる。朝からパラパラと雨が舞い、曇り日が夕方になって雨が降りはじめる。またしても不動寺の檀家の葬儀があり助法に行く。年末に葬儀が二つ。霞を食わない坊主としてはありがたい。何とか一年が締めくくれそうだ。叔父もまだまだ元気。正午からの葬儀で終わって食事が出ると思ったが、お持ち帰り用になっていたので帰り道でラーメンを食べた。寒い日のラーメンは沁みる。祈願札を書かなければ。

2016年12月12日(月) 晴れ
2人を送る。
12時半の身延線に乗るために身延駅まで送る。握手をして別れる。次に会えるのはいつになるだろうか。早川で買った柿の木で作ったぐい呑みと、秋山さんの一味をビンに詰めてお土産にしてもらった。夕方本堂でのお勤めの時、二人の書いた添え護摩木が三宝にあった。TOMOKOさんは「夫婦円満」。CHAくんは「健康」とあった。しっかりとお不動様にお伝えしたいと思う。決して若いとは言えない年齢の二人だが、二人を引き合わせた出会いの不思議をいつまでも暖かくもち続けて北海道で仲良く暮らしていってほしいと願う。

2016年12月11日(日) 晴れ
結婚式。
二人はゆっくりと起きてきて朝食兼昼食。朝とても寒い。二人が遊びに出かけている間に客殿に準備。午後4時から結婚式をする。もう15年ほど前に檀家のSさんが再婚した時に簡単な結婚式をしたことがあった。その時のものを参考にした。三人で静かな時間を過ごした。誓詞も一緒に読み上げてもらう。北海道で新しい生活をはじめる二人に、大聖寺での思い出が作ってもらえたと思う。暗くなり始めてから西嶋へクリスマスイルミネーションを見物に行く。二人もビックリしていたが、ここは相当すごいことになっている。夜結婚祝いでまた飲む。

2016年12月10日(土) 晴れ
来客。
先月来たCHAくんがパートナーのTOMOKOさんを伴って来寺。夕方身延線で到着迎えに行く。この方、あくまでも電車は「青春18きっぷ」の各駅停車。長い長い時間をかけて目的地に到着したり帰ったり。朝の冷え込みがだいぶ厳しくなってきて、今朝は外のめだかの盥に氷が張った。ありあわせの夕食を食べてもらい飲む。TOMOKOさんは高知の人で酒がいける口。CHAくんは全くの下戸。酔った勢いで明日結婚式をしてあげようとなる。

2016年12月9日(金) 晴れ
葬儀の助法に行く。
12時からの葬儀で甲府のセレモニーホールにゆく。朝裏山を歩く。獣たちは同じ場所に重ねてウンコをしていく習性があるのか?今ネットで調べてみたら、どうやら狸のようだ。「溜め糞」というらしい。3日ほど前に庫裏の玄関の前に狸が逃げる様子もなく佇んでいたので、境内に何か所か見つけたこの溜め糞の山はきっと奴に違いない。まあここは野生の獣の楽園だわ。葬儀を終えて不動寺の親子に一年間のお礼を言い、また来年もよろしくと伝えて辞した。帰り連絡してあったので行藏院にお邪魔する。甲府で出る用事もないので久しぶりだ。宗費完納の報奨金を会計の玄法院に渡すお願いが主な用事で、後は雑談をしてこちらにも年末のあいさつをして薄暗くなり始めた道を帰ってきた。

2016年12月8日(木) 晴れ
ジョン・レノン聴く。
命日なのでJohnを聴く。雪深い長野の美麻だったなあのときは。朝裏山歩く。歩きながらJohnを聴く。10時から車の点検に行く。車の中でも聴く。100円ショップに行ってロウソクを買う。昼近くになったので回転寿司を久しぶりに食う。帰ってきて落ち葉掃き。生ごみのコンポストを移動する。風もなくキリッと師走を感じる。明日葬儀に行くので頭を刈る。爪を切る。

2016年12月7日(水) 晴れ
法事あり。
東京の牛山家の法事がある。お父さんの3回忌とお母さんの7回忌、おばあさんの23回忌も併せてする。板橋に家があったが、お父さんが亡くなって旧い家に住みづらくなり、残された息子のYさんは、この秋に家を売り、横浜のアパートに引っ越している。お姉さん夫婦といつものように3人で来山。先ずお墓の掃除に行き、その後客殿で法要し墓参。ちょうど昼前で陽が射し始めて暖かい時間になってよかった。法事の予定時間まで午前中、祈願の護摩札を書く。給湯器午前中に設置し終り今夜また風呂に入ることができるようになった。夕べは久しぶりに庫裏の風呂を女房も娘も使った。今日は歩かず。午後土橋さんに貰ったヘチマでたわしを作った。ネットで調べて外で釜に湯を沸かし、カットしたヘチマを茹で水で冷ますと、いとも簡単に手で皮がむけて、とても簡単にできあがってしまった。たまにはこんなことをするのも面白い。

2016年12月6日(火) 晴れ
昼間部屋の中は暑いくらい。
昼ごろちょうど部屋を閉め切っていると部屋の中は少し窓を開けないと暑くてというような状態になった。不動寺から葬儀の助法を頼まれる。師走までなんとか仕事にありつけた。今年は例年より檀家の葬儀が多くある。東京へも葬儀に行ったが、後がその家はお粗末な状況にあって、納骨も、七七日忌もなく、一周忌のことなどの相談も全くない。死にゆくときは後の者たちが困らないよう、諍いの起こらないよう、よく言い含めて旅立たなければいかんなぁとここを見て心底思ったな。風呂や台所などで使っている温水器というのか、もう寿命のようで今日から新しい温水器への取り換え作業に電気屋さんが来てくれる。庫裏の裏の水回りのこともついでに相談してみると、貯水槽は必要ないと思うというアドバイスを受けた。裏山歩く。

2016年12月5日(月) 晴れ
午前中なかなか陽が射してくれないんだよな。
そんなわけで寒い。郵便局往復する。午後の郵便で本山から、金剛院の解散を承認する通知が届く。これはこれで正しい選択だったのだと思う。午後、ちょっと興味をひかれる面白い電話が入る。叶ったら少しうれしいような。海老原君から赤沢の大阪屋で餅つきをするから遊びにお出でと案内メールある。日曜に法事があるので夜出かけられないが昼ならいけそうだ。元宿屋の主人から、今度の土曜に再び行く旨の連絡もある。師走に入って、もう5日が過ぎてしまった。

2016年12月4日(日) 晴れ
法事あり。
獣除けの柵の開閉当番が今日と明日あり、午前3時前に起き居間で炬燵にもぐってドラマを早送りで2本見る。5時を少し回ってまだ暗い中扉を開けに行き、そのまま5キロほど歩く。起きてからのことを詳細報告すると、歩きはじめた時点ではすでに朝食は済ませていました。4時半ごろから、カレーの残りを冷や飯と一緒に温めて食べていたということ。その後排便。こういうことは山行きの時にも結構大事なので。
S家のご主人の七七日忌の法事がある。奥さんと三人の娘たちとその夫、子供たちが14人集まる。今日に合わせ墓碑も建立した。客殿で経をあげ、墓地で開眼を行いその後に納骨する。1歳で突然死した長女の娘もようやく墓に納めることができた。元気でいたら19歳になるという。石屋さんも納骨の手伝いに来てくれ一緒に手を合わせてくれる。あまり寒い日でなくてよかった。庫裏でこじんまりと御斎をする。娘たちはみな嫁に出してしまい、今奥さんは長女の家族と暮らしている。娘たちはお母さんをいずれ送らなければならない。娘のご主人たちもみな協力的で理解があり、優しく心強い。皆酒も良く飲んでくれて、僕もたくさんいただいた。いい法事だった。

2016年12月3日(土) 晴れ
朝寒い。
朝寒くなってきて、いよいよ布団から出るのがつらくなってきた。それでも4時半に起きる。外はまだ暗いので炬燵にもぐって録りためた映画など見て過ごしている。午前中いっぱい落ち葉掃き。午後裏山から小学校の方へと歩く。来年3月で閉校となる小学校に、もう「○小学校址」の閉校の記念碑が据えられた。いささか早いなぁという感がないでもないが、僕も子供たちも通った学校がなくなるのはやはりさびしいものである。「神ってる」も「ゲス不倫」も、こんな流行語全く僕の生活とはかけ離れている。

2016年12月2日(金) 晴れ
落ち葉掃き。
午前中少しあたたかくなってから落ち葉掃きと落ち葉焚き。この空に昇ってゆく煙を見るのは晩秋の密かな楽しみだ。風が凪いでいて白くスーッと空に吸い込まれるように流れてゆく。午後郵便局に行き、その後裏山を歩く。日曜に法事があるので頭を刈る。

2016年12月1日(木) くもり
師走入り。
残りひと月。境内の落ち葉もだいぶ落ちたが今年はあまり風が吹かないのでゆっくりかもしれない。モミジの紅葉もいま一つで落葉となってしまう。午前中9時くらいまで雨が残ったがあとは曇りとなる。裏山を歩く。昨日大阪へ注文した「添え護摩木」、昼過ぎにはもう届く。注文したところは石田神佛具製作所と、同じ石田さんだったので縁を感じて頼んでしまった。

2016年11月30日(水) 晴れ
11月終わり。
今日も天気は良好。明日は少し雨がありそう。コメリへ買い物に行く。往復歩く。いつまでこんなことが続くかわからないが。11月晦日。1年の経つのは早い。こんな風にしてまた10年が過ぎてゆくのかもしれないが、危機感を持って過ごさなければいけない。年末のこと少しする。朝冷え込み厳しくなる。

2016年11月29日(火) 晴れ
午後少しあたたかくなる。
今日はいい天気になった。トイレの小さなカレンダーを12月に替えてしまう。明王寺から冬至祭りの案内が来る。お父さんは今年は祭りの役僧から卒業となるということ。今年は3人ということになるのか。午前中映画やドラマを見てその後本堂と護摩壇の掃除。今年の護摩も特別がなければ師走の28日の納めの不動護摩と大晦日の年越しの護摩のみ。あたたかい時間に裏山を歩く。昨日の夕方はサルがたくさん来ていて、今朝も早くから脅しの花火が何発も鳴らされた。玄法院から宗費を本山に送金したとメール届く。

2016年11月28日(月) 晴れ
護摩を焚く。
都留の山本さんが新車購入の安全祈願に来寺。28日に合わせて予定したとのことで、本堂に上ってもらい、あまりゆっくりもできないというので短めの護摩を焚いて祈願した。もう20年近く来てくれている信者さんなのだが、高齢のお母さんの介護などがあり、祭典にも新年にもなかなか参ることができない。だから今日は久しぶりに護摩に参座してもらいたいと思っていたし、山本さんもとても喜んでくれた。こういう人たちがあるのはまさにこの寺の特徴で、お不動様のおかげ。昨日は月参りの佐藤さんもお参りに来てくれていたのでうれしかった。遠くからよくこんなところまで来てくれる、ほんとにありがたい。昨日お母さんの一周忌法要をした一宮さんは、「おかげさまでいい法事ができてホッとしています」と、またお供物を持って訪ねてきてくれた。年末の護寺会通知を村内は歩いて配り、それ以外は郵便で出す。裏山は歩けず、郵便局を往復する。NHK 「山女日記」をまとめて観る。面白い。

2016年11月27日(日) くもり
法事あり。
一宮家の一周忌が10時半からある。故人の葬儀の朝には雪がたくさん降って、駐車場や道路の雪かきを朝早くからしたことが思い出された。雨の予報だったが、法事と墓参の時間には雨が止んでくれてうっすらと陽も出たりしてありがたかった。場所を移して御斎の席があり、そこが終わって帰りの車に乗り込むと雨が降りはじめ、夕方には本降りとなった。大相撲千秋楽。昨日優勝は決まっていたが、今場所はなかなか見ごたえのある場所だった。明日からの夕方の時間がちとさみしい。

2016年11月25日(金) 晴れ
朝冷え込む。
ベッドでなく布団を敷いて寝ているので、今朝の冷えは一番寒いなと思った。布団の下のカーペットの下の床の下から冷気が上がってきて、敷き布団を通り抜けてパジャマの背中からきゅーっと冷たさが襲い掛かってくる。寒い季節はあまり好きじゃない。ようやっと本山に納める宗費が集まった。会計の坂本さんのところに送って納めてもらうことにした。午後になって陽が射し始め少しあたたかくなったので裏山を歩く。山道は落葉樹を分厚く敷き詰めたような道になっている。こういう状況では獣のウンコを踏んでも気が付かない。

2016年11月24日(木) くもり
まさかこの時期に雪になるなんて。
娘はいつもより1時間早く家を出る。雨が雪に変わるのは7時頃だという予報だった。午前中いっぱいここは霙状態。富士午後の方は20センチ以上の積雪とか。甲府から東京方面にかけての方がたくさん降ったのではないか。東京の11月の積雪は観測史上初めてだという。午後になって次第に雨に変わり止んだが外は真冬のように冷たく寒い。まわりの山は白く雪化粧している。想像を超えた異常現象が連続するこの列島だ。こたつで丸くなってばかりもいられないので、女房と午前中はがんばってお札を作ったり、年末の準備にいそしむ。はかどってよかった。

2016年11月23日(水) くもり
どんよりと一日始まって一日終わり60歳。
午前4時半起床。夕べ録っておいた落語を見る(聞く)。二つ目の落語は真打にはやはりかなわない。一本調子で客を引き付ける魅力に欠ける。夕べのそばの残りを食べて朝の勤行。本堂客殿と済ます。60歳になっても何も変わらない。祭日で女房と娘は遅い。今夜から雨になり明日の明け方には雪になるかもしれないという恐ろしい予報が出ているので早めに裏山を歩きに出かける。帰ってきてから庫裏の便所の掃除。その後僕の車のタイヤをスタッドレスに履き替える。明日娘が出勤するのに支障がないように準備。空は落ちてきそうな重さにだんだんなってくる。昨日はあんなに晴れて暖かくなったのに、この落差はいったい何なのだ。午後秋山さん出雲大社のお土産を届けてくれる。準備しておいた新年のシメを渡す。墓地の参道の落ち葉を掃く。その間に岩間の伊藤さんの例月の参拝がある。お友達の病気平癒の護摩木があがっていた。少し早目に夕のお勤めする。一日が終わる。

2016年11月22日(火) 晴れ
朝地震抜震えるもこちらはあまり影響なし。
6時から朝のテレビは地震情報だけ。連続テレビ小説も休み。今日は気温上がりあたたかくなる。内船寺の檀家の方たちが身延山での奉仕の後をここに寄って昼食をとる。到着してすぐに本堂に上ってもらい護摩を焚く。珍しいものを体験したようで皆さん驚きと感激もあったように感じた。何がよかったかって晴れてあたたかくなったのでそれが一番ありがたかった。50代最後の護摩を焚くことができて思い出に残ると僕も話す。若大将のお弁当も皆さん喜んでくれてよかった。

2016年11月21日(月) くもり
一日曇り日。
まったく陽が出ず寒い一日。炬燵に潜り込んで午前中映画を見る。夕方に雨になるかもしれないとのことだったので昼食後に裏山を歩く。帰ってきてそのまま墓地参道の落ち葉掃き。今ケヤキなどの落ち葉が一番落ちる最盛期。雨になると余計に落ちるので降る前に一度掃いておきたかった。女房も朝から山門、石段周りの落ち葉掃き。それでも今年は山門脇の大ケヤキを伐ってしまったのでいくぶん少ないのだろうが。掃いたものは大きなビニール袋に入れて庫裏のぬれ縁に積んでおく。頭を刈り、早めの夕のお勤めにと3時半過ぎに本堂に向かうともう雨が少し降りはじめている。明日は短時間だけどいい護摩を焚かなくちゃ。50代最後の護摩になる。

2016年11月20日(日) くもり晴れ
昼過ぎから天気よくなる。
今日は天気が良くなると思っていたが、午前中はさっぱりとせずいつまでも寒く、パラパラとまだ小雨があったりした。日曜で二人はどうせ遅いので、お勤めを済ませ朝食を取り、2日間歩かなかったので裏山に行く。山道は雨でよく滑ったが1時間ちょっと歩いた。猟期に入ったので、ハンターたちが休みの日に山に入ることが例年あるが今年はまだ来ていない。猪と間違えられないようにしなければ。火曜日に来る妹の嫁いだ寺の檀家の人たちのために短い護摩を焚くのでその支度などする。午前中は寒くて映画など見る。午後から良く陽が射し、庭のモミジも色が少し鮮やかになる。

2016年11月19日(土)
冷たい雨。
ほぼ一日雨。冷たく寒い一日。法事の塔婆を書き、檀家への通知、新年の祈祷札の案内通知など作る。午後甲州市からKさん来寺。大善寺の藤切祭りのことについて調査をしている方で、僕はそんなに何年も参加していたわけではないが、覚えていることなど、祖父が祭りに参加していた頃のことなど、醍醐は僧侶の役割などを想像も混ぜながら話す。熱心に聴いて下さりなかなかに有意義な午後の時間となる。お土産に新酒ワインをいただく。今夜これからいただこうと思う。

2016年11月18日(金) 晴れ
墓地で一日作業。
裏山歩かずに朝から草刈りや枝下しなどする。墓地横の沢の草刈りと雑木切り。去年まで河川管理者が年に一度刈ってくれていたが、昨今の事情などあり、今年から草刈りはしてくれなくなった。かといって沢床が土のままなので、ススキは生えるし小木は伸びてくるしで、放っておくわけにもいかない。全部とまでは行かないが気になる箇所を作業してきれいにした。墓地の椿などの伸び放題を2本枝下しする。久しぶりにチェンソーも使う。朝は寒かったが一日晴れたし気持ちよく作業できた。

2016年11月17日(木) 晴れ
年末の仕事。
護寺会通知や、新年の護摩札を一も頼んでくれている方に出す通知など作る。今日は朝から好天気。修正を試みた鹿のなめし皮はよく乾いたが、だいぶ硬く固まってしまった。こういうものをこしらえるのも経験がものを言うということなんだろう。裏山を歩く。Yahooオークションでジャズのアルバムを何枚も落としたので、毎日聴いているが年末年始楽しめそうだ。今まで中古CDはほぼamazonを利用していたが、値段が安くても、送料が必ず1枚につき350円かかってしまうというところが難だったが、オークションだと、一番安い送料を選択できるので負担が少なくて済むし、同じサイトで例えば4枚落札したとすると、出品者が日本郵便のクリックポストで送ってくれると4枚まとめて送料が164円で済むことになり超お得。こういう世界はこれまた経験なんだと実感している。

2016年11月16日(水) くもり
陽が出ず一日寒い。
どんよりとした天気で寒い一日。本山に送る宗費を今年は9月までに宗務所へ納付してほしいとお願いした。9月中に納めてもらえなかった寺には10月に入って催促をするとほどなく送ってきた。教祖の最後が届いたのでこれで今年はこの件から解放されると、ゆうちょ銀行の「振替受払書類在中」の封筒を受け取って喜んだのだが、2か寺分納めることになっている寺が1か寺分しか送ってきていなかった。電話をして事情を聴くと納付書が見つからないということで、再度送ることにし、届いたらすぐに納めてくれと念を押した。もうこの件だけでうんざりしてしまい辞めたくなってくる。納付書がなければ、金額を訂正して2か寺分送ることもできただろうし、振替用紙の通信欄にもう1枚の納付書が見つからないので再発行してほしい旨書くこともできたはずである。こういうことに煩わされるのは嫌なものだ。
どんよりしていたが、昨日裏山を歩けなかったので今日は歩いた。ここしばらく天気がよかったので、紅葉が進んできた。南天の実はもう真っ赤になった。モミジはなかなかいい色にならないが、桜の落ちる前の葉が橙のいい色をしている。こういう景色を慰めとすることにして今日はおしまいだ。

2016年11月14日(月) くもり
雨になる。
今朝は比較的暖かかったのでストーブもつけず。午後から雨になった。午前中に裏山を歩いたので良し。お昼過ぎにご朱印の夫婦あり。小暮君に頼まれた三宝荒神の幣を少し小さめの型紙にして作ってみる。レターパックで送る。息子から頼まれた書類を役場に取りに行き送る。発行人が新しい町長名になっている、当たり前なんだがなにげに新鮮。

2016年11月13日(日) 晴れ
大峯山。
NHKの日曜の朝番組「小さな旅」で、山の歌 秋「心磨く古道〜奈良県 大峰山〜」が放送された。大峯山を映す番組をいくつか見たことがあるが、今朝のはとてもよかったし、もう来年の花供入峰に心が躍るような気持で昂ぶってきた。洞川に生まれた男の子たちは、小学校に入ると大人に連れられて大峯の修業を始めるということは初めて知った。毎年はなくで洞川の町に入ると、道の両側に住民に交じって、小中学生がその時間だけ学校から出て、「よぉおまいり」と大きな声で三宝院門跡の花供入峰の一行を迎えてくれるが、毎年何度も山に登っている男の子たちも含まれていたんだなぁと感慨深く見た。山先達の方は何度か洞川で見たことのある方だったか、奥駈修行の時に案内してくれた山先達の方だったような気もした。見逃した方は、再放送が11月19日(土)の午前5時15分からあるようなのでぜひ見てほしいと思う。
裏山午後歩く。原小の校長と学校前で立ち話する。今年度で閉校なので、記念のDVD作成のためいろんな景色をカメラに収めているらしい。

2016年11月12日(土) 晴れ
来客あり。
山梨詩人会の秋の研修会の一行が訪れる。メンバーの叔父も同行してくれた。秋晴れのいい天気で気温も上がり、お客様を迎えるには絶好の天気となる。本堂を案内し、頼まれていたお弁当も「若大将」のマスター特製の奴を届けていただき、ゆっくりと古刹?の秋を楽しんでいただいた。

2016年11月11日(金) くもり
レナード・コーエン死す。
今日もあまり陽も出ずに寒い一日。日付が変わってから朝まで雨になる。9時頃に止む。映画を見たり本を読んだり。吉本なばばを読む。「私は泣いています」のりりィが亡くなってことをYahooで見た後に、レナード・コーエンが82歳で亡くなったことも知った。だいぶ高齢にはなっていたけれど、意欲的に新作も出していたのだが残念。内藤君と付き合う中でジャズやコーエンのことも若い時から聴いていた。「hallelujah」はとても有名な曲で、多くの歌手がカバーしている。ここ最近では、Warren Haynesがライブで取り上げていた。少しさびしい秋の深まりの日になった。

2016年11月10日(木) くもり
寒い。
朝とても寒い。ずっと作務衣の下は半袖の下着一枚だったけど、さすがに今朝は耐えられそうもなくて、半袖の上に長袖の服を着て作務衣の上を着た。一日気温上がらず寒い。それでもがんばって裏山を歩く。紅葉はほとんど進まないし、色濃く染まる気配すらない。トランプ効果で株がどーんと下がったり、期待でどーんと上がってみたりするように、中庸というかちょうどいい塩梅が保てずに、両極だけで成り立つような季節になるのかも。

2016年11月9日(水) 晴れ
送る。
朝友人を身延駅まで送る。かたくなに鈍行列車にしか乗らないので、9時の電車で京都に着くのは午後になる。もしかしたら12月にもう一度来たいということで、「是非」と見送る。風の冷たい一日になる。それから息子のことで嬉しいことがあった。うれしいというよりホッとしたということだが、僕よりも女房の方が毎日お不動様に願掛けもしていたようだし。荒木一郎を聴く。

2016年11月8日(火) 晴れ
来客。
京都から叶屋のご主人が10数年ぶりに来山。一昨日電話があってくることになった。午後電話があったのだが、乗ろうとした電車を逃してしまったというので、西富士宮駅まで迎えに行った。どこにもほぼ出かけてないので、1時間ほどのドライブをはじめていく場所まで楽しんだ。ナビがあってほんとによかった。夕暮れの時間を5時半少し前に戻った。酒を飲めない性質なので僕一人で飲む。向こうはよく食べる。宿を知り合いの女性に譲り、新年から北海道弟子屈という屈斜路湖や摩周湖の近くの牧場で働くということだった。すでに家も買ったのだという。ずいぶんと思い切った転身だが、そこに至るまでを、酒も飲まないのに随分と饒舌に話してくれた。自分の人生に初めて希望が持てたのだということも熱っぽく話してくれた。京都に知り合いの宿があるのはとてもありがたかったのでこちらは残念だが仕方がない。今までの宿が無くなったわけではないので、新しい主人の宿を来年一度利用してみようと思う。寺で何度かジャズをやるきっかけになってくれた大切な年若い友人である。北海道に行けば会えることも少なるかもしれないが互いに元気でいようではないか。

2016年11月7日(月) 晴れ
年末のことをはじめる。
今日も天気よし、暖かい。午後風が少し出てくる。陽が陰ると寒くなる。午前中裏山を歩き、郵便局へも歩く。公康君のお母さんに出会って立ち話する。午後、檀家に新年に配る門札を作りはじめる。いつからということもないが、早く始めれば早くやることが済むし、気持ちもさっぱりとする。今日から始めたということなのでまだ何日かかかる。午後こんな作業をしていると来山者が訪ねてくる。20年ほど前に来たことがあり、父が案内をしてくれたとのことである。民俗資料館も見たいというので開館する。そうしたら、甲府から親子連れがたまたま見学に来る。ほとんど見学者などないのだが不思議なものである。この親子には本堂も案内をしてあげた。寺の仕事を今日は一日よくできましたという感じだろうか。

2016年11月6日(日) 晴れ
今日も天気快晴。
朝早く裏山を歩く。11時少し前に東海師バイクで来山。鹿皮の不具合の手入れ作業をしてくれる。勝手の外で火を燃して釜に湯を沸かすのも何年かぶりだったが気持ちがいい。午後頼んであったS家の位牌が仕上がったと連絡があったので持ちに行く。外の気温は20度あり十分に温かい。帰ってくると甲府の金剛寺より電話があり、書類が整ったのでこれから伺うとのことで待つ。残念なことではあるが、僕も初めて金剛寺を継承してきた方たちの歴史を知ることになり、これだったらやはり無理だということがよくわかった。Bさんご夫妻お参りに見える。

2016年11月5日(土) 晴れ
天候が落ち着いて晴れの日が続くので参詣者少しあり。
いい天気が続く。空も高くて実にその青がいい。午前中にご朱印を求める参詣者3人あり。親子連れとひとりで回っている方。お守りもひとつ売れていた。賽銭箱に257円。きっとお不動様の加護がある。ありがとう。久しぶりに東海師から連絡ある。明日訪ねてくれるそう。裏山歩く。温暖化してきて、夏が長くなり秋を感じる季節が短くなり始めているので、紅葉の期間がほとんどこの辺りは望めなくなってきはじめた。残念だ。何かで言っていた。やがて夏と冬だけになって、春と秋の季節感がなくなってしまうだろうとのことだった。夏からストーンと洞穴に出も落ちるようにいきなり冬が来るという感じ。季節ばっかりじゃなく、国民にも格差がはっきりと出始めていて、フードバンクなんて活動も始まっている。富む者と貧者の隔たりが大きくなり始める。なんとかならなくなる。ほんとうになんとかならなくなる。

2016年11月4日(金) 晴れ
半旗。
朝裏山から小学校の方へと歩いた。小学校の校庭までくると掲揚台に日の丸が見えた。「あれ?昨日は祝日だったけど?」と思ったがよく見ると上まで上がっていない、半旗のようだ。三笠宮の葬儀が今日行われるので、それにあわせた半旗だったということだ。文科省→県教委→町教委→学校という通達の流れになっているのだろうか。学校もいろいろと大変だ。愛子さんの不登校、長期欠席に励ましのお手紙でもそのうちに書けという通達もあるかもしれないな。皇室に生まれるってのもきっと大変なんだ。生まれる場所って選ぶことができないからな。僕にも僕の内なる悩みがあるし、愛子さんにもそういう悩みは少しずつ成長につれて生じてきているのかもしれないな。ネットには「発達障害・自閉症の噂?」なんて書き込みもあるけど、いい加減な憶測で語るようなことではないし。猿に食われる前にさっさと自分で食ってしまおうと今朝も柿を2個食べた。秋晴れの一日。喪中のはがき届きはじめる。

2016年11月3日(木) 晴れ
柿。
朝寒くなった。祭日で娘も休み。一人早飯を食って、映画を観、そのあと裏山を歩く。帰ってきて、1本ある柿の美味そうな実を高枝バサミでもいだ。ひとつすぐに食べてみたが、程よく甘みがあってうまかった。普段果物はまず食べない。果物は僕の中では関心外の食べ物といっていい。午後本を読んでいたら、女房が「サルが木のたもとに腰下ろして柿を食べている」という。そういえば午後になってあたりが少し騒々しいような気配がしていた。夕暮れに墓地の周辺を歩いたら、食い散らかした柿の実がそこいら中に落ちていた。昨夜の続きで、いただいた松茸を酒のつまみに食べる。香りはもちろん楽しむが、あのシャキシャキとした食感はなんとも幸福に浸れるものというか。

2016年11月2日(水) くもり
薄曇り。
朝、石材店のMさんが昨日採ったという「マツタケ」を届けてくれた。こういうものにはおよそ縁がないので、とても貴重なものをいただいて嬉しい。昨日歩かなかったので午前中裏山に行く。雨の後の山の道はすべって歩きづらい。獣たちも滑ったのであろう、長く滑った跡が何か所もある。チリンチリンと鳴る鈴をつけて歩いている。これを付けているだけで獣除けのまじないのような守られている気分になる。来年の大峯は鈴を持っていこうと思う。11時の鐘を撞いて、郵便局へ年賀状を買いに行く。去年は欠礼状だった。ティッシュやら来年のカレンダーなどいろいろ詰めてくれる。午後読書。陽が出ず薄寒い。夕方、赤沢の大阪屋の管理人になるという九州の先日うちにも来た方(名前を覚えていない)が、31日から住み始めたとお土産を持って訪ねてくれた。今日もいろいろと貰い物をしてありがたやありがたや。

2016年11月1日(火) 晴れ
先代の命日。
ちょうど19年が過ぎたことになる。朝雨が降っていたので、先に客殿のお勤めをし、朝食後に本堂で経をあげそのまま墓参した。雨はまだ降っていた。朝寒かったので初めてストーブを使う。庫裏の炬燵も布団を下してきて冬仕様にする。もう今年も残り60日だ。お昼前に放光寺へ電話して長老に用件を伝え、その後寺のことを少し相談させてもらった。そういえば昨日揃った還暦の3人とも、同じように寺の後継問題を抱えているのだった。悩みは尽きぬもので年ごとに瘤のように腫れてくる。午後には天候回復する。夕方妹、手土産山のように抱えて墓参にくる。ありがたやありがたや。

2016年10月31日(月) 晴れ
葬儀助法に行く。
昨日頭を刈ったら今朝は頭が冷たくて寒い寒い。こんな季節になってきたんだなぁ。朝早くに裏山を歩く。今日は朝からいい天気。林の中にも秋の日が射し込んできれい。明王寺の葬儀の助法に行く。導師他2名ということでするが、チーム還暦。明王寺の祭典では一緒になるがこの3人での葬儀は初めて。派が違うのでいささか戸惑うも、お導師は僕にもできるような次第にしてくれてあってありがたかった。葬儀後喪主ご夫妻があいさつに来てくれたが、3人が同い年だったとは知らず驚いておられた。初七日の席にまでよばれ帰ってくる。12月23日の冬至祭典でまた再会するのが楽しみ。帰ってきて2か所の樋の継ぎ手を応急処置する。

2016年10月29日(土) くもり
なんと。
夕べ風呂から上がって携帯を開くと着信とメールが1件入っていた。なとM寺のご住職から葬儀の助法をしてもらえないかという連絡が入っていた。早速電話をしてお話を伺い即OKする。初めてのお誘いで宝くじにでも当たったような喜びをかみしめている。しっかりとお勤めさせていただこうと思う。31日だからやはりもう冬衣なんだろうな。
午前中昨日の護摩の後の掃除をする。丁寧にやるとけっこう半日かかってしまう。暑くもなく寒くもない薄日の一日。JAZZ聴き読書。午後裏山徘徊。昨日は林の中に鹿を見たが今日はサル7匹を山道で見る。人間は人間に進化してから、獣たちのように軽快に林や山の中を疾走できなくなってしまったのだろうか。

2016年10月28日(金)
雨。
予報通り11時過ぎに雨が降りはじめた。雨の降る前に裏山を歩いた。月末の新聞代の集金にA子さん来る。「洗濯物入れんと濡れちもうよ」。雨になったので何となく萎えたが、昼飯後月例の護摩を焚く。10月も終わるな。

2016年10月27日(木) 晴れ
新米いただく。
檀家のSさんが新米を届けてくれた。毎年いただくのであるが、ご本尊や位牌どうにも新米のご飯を供えている。日暮れが始まってきたころに、女房の友人のDさんが里芋を届けてくれた。「土がついたまんまだけどね」と受け取った。いただくことばかりである。先日葬儀のあったS家の墓地の建立工事が始まった。12月初めの七七日忌には十分間に合う予定とのこと。

2016年10月26日(水) 晴れ
一転暑くなる。
朝、岡山から来たという人が寺を訪ねてくる。岡山で身寄りもなく亡くなった人がここの出身者で、生前故人と親交があり、「亡くなったら故郷の両親の墓に入りたい」という希望をかなえてやりたいとわざわざここまでやってきたということだった。ただ僕の寺の檀家ではないので、Tという苗字の知り合いなどと連絡を取ったが、あいにく今日は希望を叶えるだけの情報や知っていそうな人が見つからなかった。いくつかの連絡先をメモして渡し、僕が連絡を取った人たちからの電話鳴りを待ってほしいと話しとりあえずお骨もそのまま持って帰ってもらった。いくら個人情報が他人には開示できないといっても、身寄りもなく亡くなった人を故郷の墓に戻してやりたいという無償の行為に対して、情報ぐらい教えてくれてもいいものだとその方はとても憤っていた。わからん訳ではないが、なかなか難しいかもしれない。
午前10時に甲府の行藏院ご住職来寺。寺院規則を変更する件で、本山に進達する文書を宗務所の経由印が欲しいということで来てくれた。今年の秋は宗務所の仲間と会うような特別な用件がないので、もう「よいお年を」ということになるかな?などと云いながら帰っていかれた。昨日と一転暑い日になった。午後からは厚手の作務衣では暑くてまた元に戻した。それでもまた寒い日が来てはかなわんと、お蔵からストーブ3台を出して灯油を入れ用意した。裏山歩く。

2016年10月25日(火) くもり
寒い。
午後になって雨が降ってくる、予報通り。午前中に裏山を歩く。朝はとても寒くてもう炬燵が欲しいくらい。朝飯の時、エアコンの暖房をためしに入れてみる。これでいつでも暖かい部屋になる。「沈まぬ太陽」読了。読み応えのある本だった。寒くて少し厚手の作務衣に着替える。タンスの中の衣替えがまだ済んでいない。

2016年10月24日(月) くもり
寒くなる。
いよいよ寒くなってきた。一日ほとんど陽が射さない。本を読みビデオを見る。午後先日の葬儀の施主より頼まれた位牌を頼みに富士川町まで行く。富士川インターチェンジも工事がだいぶ進捗しているようで、時々出かけるとその出来具合の早さに驚く。川も山も秋の景色が深くなってきたようだ。ツワブキの花が咲きはじめた。

2016年10月23日(日) 晴れ
環境整備。
地区の環境整備。雨のため2週間延期になっていた。裏山を歩いて峠まで行く。薄暗くほとんど道に草も生えていない。ただ見に行くというだけ。下りてきて組の中の環境整備。草刈りやゴミ拾い。それが終わってから獣除け柵の周辺の草刈りと除草作業。午前中いっぱいかかって終了。

2016年10月22日(土) 晴れ
法事。
11時より小林家の七七日忌の法事。35人ほど参列。客殿で経をあげ墓参。墓参後地区の集会場でお斎。こういうところを利用すれば移動せずにゆっくりできる。いま食べ物産業も生き残りに必死だから、せっせと外に出て行って商売を展開する。

2016年10月21日(金) 晴れ
葬儀あり。
昨日ほど暑くはなかったがまあまあの天気。7時半過ぎにセレモニーホールに向かう。出棺して火葬。戻り11時から葬儀。平日なので、ほぼ通夜に会葬する人が多かったようで、今日はあまりなかったよう。元々がこの当屋はこちらに移り住んだ人で、親類などに縁がない。それでも娘たちが地元に嫁いでいるのでその関係の縁者はきたようだ。無事に終え初七日して帰ってくる。墓地を建てることの相談に見えて、知り合いの石材屋さん立ち会って相談に乗ってくれる。うまく建立にまでこぎつけるといいのだが。今年は檀家の葬儀がいつもの年より多かった。明日も法事がある。やっと寺の坊主らしくなってきた。「でも葬式坊主になるのは本意ではない。」などといってるゆとりはないか、ありがたいことです。

2016年10月20日(木) 晴れ
通夜。
あたたかいというよりも暑いといったほうがいい天気が数日続く。網戸をしまってしまったので窓を開けて風を通していると、この時季によく出てくる小さい蚊が知らぬうちに刺して、それがものすごく痒い。下山のS家の通夜がある。午後4時に納棺に行く。そのままホールで通夜まで本を読んだり。司会者との進行の打ち合わせをすると、ここは家族経営で、司会はなんと社長の奥さんであった。こういうとこは利用者も経費の削減につながるかもしれないと、一人で勝手におおむね好意的に思う。6時から通夜。終えて帰る。10月も終盤なので衣替えした方がいいかなとも考えたが、夏の衣で汗ばんでいるのだからまあ10月までは夏衣で良し。

2016年10月19日(水) 晴れ
今日も秋晴れ。
清々しい秋晴れの一日になる。朝9時に下山のS家に枕経に伺う。確かにアパートの散乱した部屋の中を急きょ片づけた感はあった。窓の外も急いで草を引き抜いたような感じも。朝暑かったからなのか、ハエが何匹か飛んでいて頭にまとわりついた。3人の娘と長女の夫、孫らが来ていた。奥さんの顔も久しぶりに拝見したが、かなりモウロクしたような様子。ご主人の亡くなったあと一人で生活していくのはなかなか難しいかもしれない。奥さんの方が一つ年上だ。故人は昨日亡くなったのだが、昨日がご本人の78回目の誕生日だった。「阿字の子が 阿字のふる里 たち出でて また立ち還る 阿字のふる里」が浮かんできた。大日如来の世界にまた戻っていくということだけれど、生まれた日に死んでいった故人の寝顔を見て、なんかなぁ、母親の子宮の中に帰っていったんだなぁーって思ってしまった。

2016年10月17日(月) 晴れ
暑い日になる。
列島各地で暑さ戻る。30度を超えたところもあるという。ここも一日暑くなる。靴下を朝飯後には脱いでしまう。「沈まぬ太陽」最終巻(5巻)を読み始める。午後3時ころ下山の檀家から家人が亡くなったと連絡ある。奥さんが病院に行っている間にご主人が亡くなっていたということで、警察が来て病院で検死したとのことで枕経は明日の朝とする。葬儀社と二女が寺に来て予定の打ち合わせをする。元々の檀家でないためちょっと厄介そう。

2016年10月17日(月)
雨になる。
天気が全く安定しない。寒い寒い一日となる。夕方になってもまだしょぼ降る雨。午後6時に海老原君、友人二人を伴って来寺。夕飯を供す。友人はそのまま庫裏に泊る。ホットカーペットと寝袋。赤沢の大阪屋というかつての身延山信者の宿泊所を借り受け、旅人のための宿泊所を来月オープンする。管理人夫婦は南アルプスに登りたいためにこちらへ引っ越してくるとのこと。

2016年10月16日(日) 晴れ
八幡神社祭典。
秋のお祭りがある。午後はだいぶ暑くなる。午前中宮木の若林君が、「一回食う分な」と、枝豆をビニール袋に下げて訪ねてくれた。今月初めに石和温泉で催された小学校の同級会に行ってきたというのでその話も聞く。約半分の参加があったとのこと。僕はこの手のものにはほぼ参加することはない。出かけるのも人と会うのも苦手である。夕方、3年前から七面山で仕事をしているKくんに会った。3年前から一年のほとんどを山の宿舎で過ごしている。もうストーブを使っているらしい。そういえばすっかり秋も深まって冷え込みを感じるようになってきた。

2016年10月15日(土) 晴れ
網戸を洗う。
毎年晩秋の行事で、寺のぐるりの網戸39枚を洗う。天気も良く網戸洗い日和。ほぼ午前中いっぱいかかる。高圧洗浄機が頼もしく活躍してくれる。エアコンのフィルターも洗って暖房時期に備える。御朱印の夫婦あり。裏山を少し歩く。BOB DYLANが予想に反してノーベル文学賞を受賞して、CDの売り上げが急上昇しているとか。ディランの文学賞についてのコメントはまだ聞かれない。昨日のテレビじゃ、アメリカではいつもと変わらぬライブを行い、ノーベル賞については一切触れることが無かったとか。戸惑っているのだろうか?ちなみに受賞を辞退した人は過去に二人いるようだ。

2016年10月13日(木) くもり
曇天。
こんな天気ばっかりでこの秋は終わってしまうのだろうか?今朝靴下をはいて、作務衣の下にTシャツも着た。いよいよ寒いと感じてきた。台所の涼しいイグサの敷物を取り、暖かいかペットに替え、その上にホットカーペットを敷いた。夏は終わりだ。夕のお勤めをしている間に秋山さんから電話があり、残りの3箱の枝豆詰めが終わったとのことで、受取りに行きその足でクロネコから送る。夕暮れも早足になった。

2016年10月12日(水) 晴れ
久しぶりに良い天気。
もう今年の草刈りに終止符を打とうと朝から竹林のまわり、墓地参道、本堂周り、参道脇の畑の草刈りをする。午前中で終えようと思っていたが、珍しい来客があり10時半頃に午前の部を中断。常葉から、父の教え子の池田さんが来る。コメリに買い物に来たついでを久しぶりによってみたとのこと。池田さんは今山梨日日新聞に、池田さん夫婦が奥さんのお母さんを介護しながら生活している日々を書いた「サンセット」という連載小説を執筆している。いわゆる「老老介護」という実態である。池田さんは68歳になる。父が仲人をしたこともあり、僕も中学生頃からの知り合いである。2時間ほど庫裏でお茶を飲みながら話をした。僕がこの寺の実情を話すと、こういう話も書いたら面白いかもしれんなぁという。帰り際に「(父は)池田さんの今の歳で亡くなったんだよ」というと、車のドアを開けて背伸びしながら、「そうだな、今思うと早かったな」といくらか残念そうな顔をした。
午後草刈りの続きをし、2台の刈払機の燃料も使い切って4時少し前に終わる。そのまま風呂場に直行し頭を刈る。ペンキ塗りをしてくれていたKさんも今日で終わり片づけをはじめていた。外で作業をするのが気持ちいい天気の良い一日になった。「沈まぬ太陽」3巻読み終わる。

2016年10月11日(火) くもり
にぎやかな拝観者あり。
今日は一日曇り。朝は寒い。靴下を穿きたくなるが、まだ穿かない。午後3時過ぎ上野原の「なかよし会」なるご婦人のグループ18名が来山。にぎやかに本堂に入ってくる。説明をし、あらかじめ書いておいた18名分の御朱印を渡す。18人分をその場で書くのは説明をしているとできないので書いておいた。甲斐百八霊場を巡っているようで、今日はうちを含めて5か寺参ったというが、他の3つの寺も書いたご朱印を渡してあったので、ここが最後だったので、帰り際に参加者みんなにまとめてご朱印を渡していた。今日行った寺で日蓮宗のお寺は朱印帳に直接書いてあったので、訊くと、「お寺での話は何もなく書いてもらっていた」とのこと。
上野原にここと同じ、醍醐派の寺があるという話をすると、参加者の一人が「守屋先生のとこでしょうか?」というので、そうだと応えると、「私たちの俳句の先生です」と返ってきた。上野原の北辰寺、一度訪ねたいと思うお寺だ。

2016年10月10日(月) くもり
もう10日過ぎた。
10月に入ってもう3分の1が終わる。天気が悪い悪いと言いながら過ぎてゆくみたいだ。今日は予報じゃすごくよさそうな天候になるといっていたが、終日薄陽程度に終わる。CDの整理をしたり読書。放っておくとパソコンの周りにあっという間に積み重なっていってしまう。枝豆収穫体験の駐車場のお礼に主催のお二人来てくれる。来年もやるからよろしくと。頼もしい言葉に「いつでも協力は惜しみません」と応える。夕方秋山さんから「とりあえず二箱できたけど」と連絡があり、すぐに受取りに出向きその足で西嶋のクロネコから発送。明日の午前中には着くと思う。枝豆のこと。

2016年10月9日(日) くもり
今日もはじまりは雨。
連休2日目の今朝も雨。7時半から予定されていた集落の秋の環境整備作業を「再来週に延期する」と区長が6時半に放送する。再来週も雨かもしれないなぁと思いながら朝飯を食う。昨日今日の枝豆の収穫体験は、10時からのはじまりの頃には雨もどうにか上がり、駐車場に事前申し込みをした人等の車が現れ始める。快晴にこそならなかったが、そこそこの天気になり雨の心配は以後なかった。昼前から昼過ぎにかけて、駐車場には10台前後が停まるようになり、収穫した枝豆をビニール袋に詰めて下げてくる家族や、一輪車を借りて、枝のままを運んで車に積んでゆく人たちもあった。寺への参拝も何組かあり、ほんの少し賽銭もあった。来年はこの事業に参加する人等が増えるかもしれない。昨日だったか、地元紙の一面に、山梨への移住を希望している人たちがどの地域を求めているかという調査が載っていたが、僕の住む峡南地域がダントツに希望者が少なくわずか3%ちょっとだった。働く企業もなく、有害獣の被害は多く、移住してよかったと思える場所には到底ほど遠いところのように思える。まあ僕はもうここに長い間住んでいるのでさほど不便だとか、出ていきたいなど思わないのだが、人口はこの後も減る続けるだろうし、寺の檀家も自然減していくことだけは明らかである。山梨でもこの峡南地域が僕は以前から、一番疲弊している地域だと思っているのだが。

2016年10月8日(土) くもり
今週末も雨。
今日からまた3連休だというのに雨である。秋のシーズンを当て込む観光地はこの秋の雨の多さに頭を抱えていることだろう。あけぼの大豆の枝豆の収穫体験が今日明日と八日市場で行われているが、朝から雨で午前中は強く降ったりもして、寺の駐車場を提供しているが、ほとんど来る人がなかったが、昼過ぎに雨が上がりちょっと陽が射したりもすると、何台か車が来て枝豆取りに来る人たちもあった。予報では明日も午前中また雨が少しあるようなので、こればっかりはどうすることもできないが何とか集客につながる天気に回復してほしいと思う。読書。「沈まぬ太陽」第3巻は、日航機が御巣鷹山に墜落して乗員520名が亡くなった大惨事の様子が生々しく書かれている。法事の準備など少しする。

2016年10月6日(木) 晴れ
快晴。
台風一過の好天気。気温も30度越え。一日ほとんど読書。「沈まぬ太陽」の3巻目に入った。午後墓地の参道の掃除をする。裏山から流れ出る雨水が山道を通って流れ出してくるが、掘ってある溝を越えて流れ出た山土が墓地の参道に溜まっているのを片付ける。秋の空の下で汗をかく。今朝は久しぶりに星を眺められた。5時少し前、オリオン座の輝きをちょうど本堂の上空に見る。立ち止まって眺めるゆとりを持つことが安寧になる。シャンティシャンティ。

2016年10月5日(水) 晴れ
洗米乾く。
午前中は天気がよさそうだったので畑の際や境内に除草剤散布する。午前中は陽射しも十分にあったので、もう一度洗米を乾す。これでよし。天候がなかなか定まらないので、去年やっていたようなことがまだできていない。網戸を洗ってしまうこと。雨の後に室内に風を取り込むのにやっぱり網戸があった方がいい。草刈りも今年度の終了には至っていない。

2016年10月4日(火) 晴れ
そんなに暑くはならない。
今日は暑くなるらしいと期待していたのだが、思わせぶりだけに終わる。9月に作った護摩で使う洗米が、乾しが十分でなかったようでビン容器のなかで黴がきていたので、新聞紙に広げてもう一度今日乾したのだがこれじゃダメだ。昼飯の後に頭を刈る。爪を切る。

2016年10月3日(月)
一日雨。
もうすっかり雨の日にも慣れてしまった感がある。台風18号が沖縄に近づきつつあるという情報で、5日午後から6日にかけて列島横断かという予報である。なぜか住んでいる此処はあまり大きく台風の影響がない。このまま今回のも影響少なく通り過ぎてくれるといいのだが。朝、雨の落ちてくる前に溝の掃除をしたり、桔梗を刈りこんだりする。あとは読書、映画など。枝豆が膨らまないらしい。今週末から来週末の休みに、あけぼの大豆の収穫が町内各所であり、ここ八日市場でも二人の農家が行い、寺の駐車場を提供することになっている。日照不足と今週もまだ雨にたたられるので、土日に果たしてどれだけ枝豆が膨らんでいるのか心配なところだ。ごご、 法事の塔婆、留守の時に来たら渡すご朱印を少し書く。

2016年10月1日(土) くもり
朝方雨。
という始まりだったので、ペンキ職人は休み。「とと姉ちゃん」最終回。最終回はどのドラマでも決まって面白くない。半年間を15分にまとめるような感じで終わってしまう。今日も全くその通りで終わる。感想すらわかない。夕べやった湊かなえ原作のドラマを見る。お昼近くに飯富のK君来る。寺周りを始めたといって御朱印帳持参して書いてくれと。本堂に彼がお参りしている間に書く。若い人でも何かがきっかけになってお寺参りをしようなんて発心する人がある。やはり「心のやすらぎ」のようなものは誰もがもっているものなのだなぁ。シャンティ、シャンティ。

2016年9月30日(金) くもり
9月晦日。
年明けから9か月が過ぎ、年度も半分が終わる。連日テレビでは、東京都のことや芸能界のことや、安倍首相のパフォーマンスのことなどが、よくもまぁ毎日毎日新しいことが持ち上がり話題に事欠かないもんだと耳に入ってくる。富士川縁の過疎の村にいると、何も起こらなくて刺激がほしいわけでもないが、惰眠をむさぼっているように過ぎてゆく。悩みはあるが、これとてどうなるものでもなく、傍観しながら待つようなものだろうといい加減に構えている。60歳にあと50日ほどで手が届く。
ペンキ塗りは何とか一日雨がなくもったので、下地だけ終えて帰った。明日は雨で無理だろう。裏山の道の草刈りに午後出た。去年の今頃に行ったときは、「こんなになっていたのか!」と驚くほどに草が茂っていたが、今年は予想に反して2時間ほどで終えることができた。もう彼岸花も終わりだ。


2016年9月29日(木) くもり晴れ
午後いい天気になる。
午前中はパラパラと雨がある。庭木の剪定が終わった後、土蔵の庇のトタンの塗り替えを頼んでいるのだが天候悪く休み。護摩壇と本堂の掃除を早めに済ませる。10時半過ぎに、山梨詩人会の人等4人来山。11月に見学に来る下見ということで、同人の不動寺の叔父も一緒にくる。本堂を案内し庫裏で一休みしてもらった。もう僕は何も書かなくなった。午後暑くなる、というか異常に蒸し暑くなる。ヤフオクで落札したBill EvansのCD6枚届く。これは安い買い物だったぞ。

2016年9月28日(水) くもり時々雨
護摩を焚く。
午後になって少し雨が降ったりやんでみたり。昼食後に護摩を焚く。女房が参座。お互いに祈願したいものがある。お不動様は聞き入れてくれるだろうか。蒸し暑くじっとしているだけで汗ばむ日になる。護摩の間もじとじとと汗が流れる。朝はもう5時半頃でも暗い。日暮れもこれからどんどん早くなる。

2016年9月27日(火) 晴れ
暑くなる。風ひんやりと心地よい。
明日の護摩の準備をする。職人さん今日も来てくれている。予報はもう明日が危ない。大坂なおみの実力派は、十分「危険」らしい。新聞の広告を見てセブンネットで「日本会議と神社本庁」頼み、今朝手打沢の7&11に受取りに行く。安倍晋三がますます大っぴらにその独裁者面をさらけ出すようになった背景に、この日本会議と神社本庁との密接な関係があり、主だった自民党の国会議員は何らかのかかわりを持つという。憲法を「改憲」ではなく「壊憲」するという論者たちの十分すぎるほど「危険」極まりない集まりなのだそうだ。新興宗教も神道も仏教も、実権を握る部分ではこれらにおおむね賛成する向きの方々が多いようである。ドイツのヴァイマル憲法を拡大解釈させて、暴力を行使したナチ同様に、安倍一派もこういうことをこの国でも行おうとしていることは明らかである。不条理なことが大手を振ってまかり通るようになっては困る。WOWOWのドラマ「沈まぬ太陽」全20話が完結した。毎週楽しみにみることができた。最終話のあるちょっと前から、妹の寺からもらってきた原作「沈まぬ太陽」山崎豊子著全5巻の文庫を読み始めたところ。これもまあちょっと今じゃ考えられないような内容だったな。

2016年9月26日(月) 晴れ
少し暑くなる。
庭木の剪定の職人さん一週間ぶりに来て今日から作業してくれる。気温が上がり、午後はとても暑く感じ、作務衣を半ズボンに履き替えたりして過ごした。
NHK-BSで録画しておいた「ザ・ベストテレビ2016」を観る。「奥底の悲しみ 戦後70年引揚げ者の記憶」(山口放送)がよかった。戦後中国や朝鮮から引き揚げてくる日本人家族のうち、性的被害に遭った女性たちを港の病室に隔離して、ソ連兵による暴行により妊娠した女性たちの堕胎を行ったというような重い内容であったが、こういう事実は日本女性だけが受けたことではなく、いつの時も、強い側が弱い側をいじめるという構図は、日本軍も行っていたことである。「女の戦争は、男の戦争が終わってから始まる」という言葉が強く印象に残った。

2016年9月25日(日) 晴れ
彼岸明け。
ようやく太陽の日差しがあった。10日ぶりくらいになるだろうか?こんなに雨や曇り日に覆われてしまう月になるとは思いもよらなかった。強い日差しとは言えなかったが、雲が切れて青空がのぞき、夕方には何とも言えない秋の夕暮れの静かな感じが久々に戻った。いつもの彼岸なら、明けの日になんか訪れる人はほとんどなかったが、今日は日曜で、雨が上がり、何組も墓参する人たちがあった。遠くから家族連れでお不動さんにお参りする人たちもあった。客殿も窓を開け放った。彼岸も終わり良ければこれで良しだ。
早めに有のお勤めを済ませ、庫裏の風呂場で頭を刈り、大相撲の千秋楽を見る。豪栄道見事に全勝で有終の美を飾る。上求寺から葡萄送られてくる。本堂、客殿にもお供えする。


2016年9月24日(土)
恨めしいほどの雨の9月。
ほぼ今日も一日雨。朝6時を少し回った時に集落の放送があり、今日の地区の運動会は中止とする。小学校の運動会は明日に順延してプログラムを変更して行う、地区の皆さんにもぜひ見に来てほしい旨連絡があった。来春下山小に合併なる原小の最後の運動会も雨につぶされてしまう、全く恨めしいほどだ。小やみになったりしたが午後にはまた少し激しくなり、雷が何度も轟いた。墓地に行ってみると、花が供えられている墓もあるし、雨のためにまだ足を運んでいない家もあるようだ。山道からの土が参道にたくさん流れ出ていた。こんな秋の彼岸は初めての経験である。大相撲が面白い。今日14日目で豪栄道優勝決める。千秋楽も勝ってぜひ全勝優勝してほしいが、何故2場所3場所とこういう強さが連続して発揮できないのだろう?

2016年9月23日(金)
雨、夕方になって上るも空はさえない。
一日朝から降ったりやんだりの繰り返しで、やっと雨が上がったような夕方になる。明日の小学校の運動会はどうなったのか?「明日きっと甲府から遠藤さん夫婦お墓参りにくるよ」と話していたら、ちょうど昼前にお二人で軽自動車をゆっくりと運転しながら到着した。リュックを負い、日本酒1本とお布施を毎年のこととしてあげてくれる。もうお二人とも80をとうに越えたご夫婦で、遠藤家の先祖の墓があるということで、毎年この秋の彼岸に参ってくれている。奥さんの手を引いて墓参をし、庫裏の土間でお茶を飲んでいただき、また二人で手をつないでゆっくりと帰って行かれた。一年に一度のことなので、さて来年はなどと考えるのはやめておくことにしている。

2016年9月22日(木)
彼岸中日。
秋分の日で休日なので、せめて晴れなくとも雨でなければと願っていたが見事に裏切られた。それにしても今年の9月は雨がよく降る。ほとんど太陽が顔を出すことが無い。稲刈りの時期を迎えた人たちはみな苦悩しているのではないか。それでも雨を押して墓参に来る人はある。八王子から佐田さん母娘事前の連絡どおり来寺。夕べは下部温泉に泊ったという。雨の中を墓参し、庫裏で少し休んでいただいてから女房が甲斐岩間まで送る。甲府の檀家も来る。地元の佐田さん、午後巻きずしを持って訪ねてくれる。娘は明日も休みを取っているということで、「東レ・パンパシフィック・オープン」の大坂なおみの試合を見に泊まりで出かける。

2016年9月20日(火)
終日雨。
夕方が近づきつつあるが、まだここは雨もさほど強くないし、台風というような感覚はない。朝小降りだったので本堂でのお勤めもして開けたが、早めに戸閉した。おっと、今雷が鳴った。今夜を越えると明日は晴れ、曇りのような予報になっている。本を読んだり映画を見たり、ジャズを聴いたり。さすがに今日は墓参客なし。

2016年9月20日(火) くもり
彼岸入り。
敬老の日で彼岸の入り。3連休の最終日。台風16号の影響で午前中には雨が降りはじめる。雨の来ない早い時間に僕は彼岸の墓参を済ませてしまう。寺墓地や無縁墓地、塔婆を頼まれていた檀家の墓などをまわる。こんな天候だったので墓参に訪れる人もほんの少しだった。午前9時頃に庭木職人さんやってきて「台風が過ぎて天候が安定するまで休みます」と言って帰る。そのほうがいい。週間予報見ると彼岸中の晴れマークはない。夕べ10時半過ぎに母娘は無事旅行から帰ってくる。遅かったがテレビを見ながら起きていたので、お土産のウィスキーをロックで2杯飲んで寝た。

2016年9月18日(日) くもり
降ったりやんだり。
朝から雨が降ったりやんだり、ちょっと陽が射してみたりと。台風16号の影響のようだ。午後法事で沼津から来た佐野さんは、静岡の方はもっと降っていると話して切れた。11時過ぎに、身延町を歩いて史跡などを訪ねているグループが来寺。本堂でお不動様を開帳し話をする。ちょうど雨が小やみになってその後民俗資料館も案内する。午後2時から佐野家の七回忌の法事。施主以下17名が来寺。故人から見ると孫、ひ孫まで。にぎやかな法事になる。この時間もまた雨がちょうど上がり墓参も無事に済む。次は13回忌だということで、父親の50回忌にもあたるので一緒にしようという話になる。6年後ってなんだか相当に遠いような気もするが、欠けることなく皆さんが元気でいなければならない。

2016年9月16日(金) くもり
天気が一向に良くならない。
朝7時過ぎに墓地の草刈りに出ようとしたら雨が降ってきたのでしばらく様子を見た。今日から剪定の職人さんが入ってくれることになっているので少し心配したが8時半ごろには止んだ。職人さんに挨拶をして墓地の草刈りに行く。まだこのときは雨があったが、刈ってしまわないと落ち着かないので始めた。10過ぎまでかかって終了。これで彼岸の墓参客をお迎えできる。雨は止んだが終日晴れ間は見えず。こんな感じで週末になるかもしれないとのこと。今日も墓参客二組ある。午後からは読書、映画。蒟蒻の煮たのがあったが始末できそうもないのでカレーを作ってその中に入れて食べる。抵抗なくいけたので満足。

2016年9月15日(木) くもり
草刈り。
明け方前3時頃また少し降っていたのでどうかなぁと思ったが、少し天候も回復したので、7時から残りの畑の草を刈る。11時前に終了。毎年のことで、松、紅梅などの剪定で職人を頼んであるが、「明日から」ということで脚立だけ運び込んでゆく。午後から2時間ほど墓地の草を刈る。あす雨がなければもう一回だ。池田屋さん塔婆頼みに来る。小林家49日を依頼に来る。

2016年9月14日(水) くもり
今日も外仕事できず。
午前中雨が残り、午後になっても晴れ間が見えることがなかったので、草刈はやめにした。明日は出来そうな気がしている。10時半過ぎに東京の牛山さん姉弟墓参に来る。父親の3回忌と母親の7回忌を12月にすることを決めて帰る。お昼少し前に群馬のKさん夫妻来寺。7月に亡くなったお兄さんへの墓参。そういえばこの方顔が見えなかったなぁと思っていたが、今日聞くと大きな手術をして入院中だったとか。男の兄弟が自分一人になってしまったと、とても気落ちしているようだった。長い時間お墓参りして帰ってゆく。

2016年9月13日(火)
雨。
夜半から降り出した雨が朝には大ぶりになっている。昨日草を刈ってよかった。一ヶ月ぶりに刈払機を持ったので今日は一日腰が痛い。ちょうどいい骨休みになる。母娘は今日から旅行に出かける。のんびりとする。のんびりしてばかりだ。午後3時になって思い立ってBOOK-OFFに行。Wynton MarsalisとChristian McBrideのCD買い、100えん均一の文庫を5冊求める。比較的遠出というのは盆の棚経以来だったので。いかに外に出ないかということだ。

2016年9月12日(月) くもり
畑の草刈り。
参道右側の畑の草を刈る。雨も落ちてこず、残暑に責められることなく草が刈れた。民俗資料館前庭も刈る。草も熊手で集めて燃す。曇り日で風も全くなく穏やか。あと片側もこんな調子で明日にでもやってしまえるといいのだが。

2016年9月10日(土) 晴れ
のんびりとする。
葬儀の準備には普段使わない頭を使ったりするから今日はのんびりと休んだ。映画を見て過ごす。畑を眺めるとまた草が伸びてきていて、彼岸の始まる前に少しきれいにしようと思うが、始めるまでが結構時間がかかってしまう。来週は雨の多い予報だ。

2016年9月9日(金) 晴れ
秋晴れの下葬儀終える。
青の濃い秋の空と天候も回復して、滞りなく葬儀と最後の納骨も終えた。人を一人送って、率直にさびしいというのが僕の気持ち。この人たちが先代亡き後を叱咤してくれたおかげで今日まで住職をしてくることができたのだから。檀家の数はほんとに少ないのだから、皆さん一人ひとりに思い出がある。だから送るときも僕とのかかわりや寺へのかかわりを思い出しながら、ふさわしい戒名を授けたいと思う。今日も息子夫婦も戒名をとても喜んでくれたのでほっとした。孫娘が智山のお寺に嫁ぐことを生前故人はとても喜んでいたし、K師は通夜葬儀と参列してくれてお付き合いいただけた。ありがたいことである。故人をさかのぼる先祖が須弥壇を寄進してくれたことを話したので、納骨後に何人も客殿に上って須弥壇を眺めて帰ってくれた。

2016年9月8日(木)
一日大雨。
今日の降りはすごかった。予報を信じて昼過ぎくらいには止むのだろうと期待していたが、小やみになってもまたしばらくすると強く降ってくるという嫌な天気。身延から南部、静岡方面が一番降水量が多かったようで、身延線も昼前には運休になったりした。セレモニーホールの職員に迎えに来てもらって4時前に当屋に行き納棺を行う。湿気が多く蒸し暑く、じっとしていても顔から汗が噴き出してきた。棺に納める前の横たわる故人の顔も、心なしぬめーっとしたように見えたのだが。これから通夜会場に出かけるところ。やっとこれで雨上がりとなるのだろうか。

2016年9月7日(水) 晴れ
葬儀準備。
終日葬儀の準備。先ず故人への戒名を考える。小林家の先祖は客殿の須弥壇を寄進してくれた篤信の檀家と伝え聞いている。人の世の移り変わりで浮き沈みの時期もあったようだが、こうして日常お勤めできる環境にあるのも小林家の先祖のおかげであるともいえる。平成元年に奥様が亡くなり、今回ご主人が亡くなり、祖父、父、僕からの感謝の意も込めてふさわしい戒名を付けさせてもらう。昨日セレモニーホールの担当が、明日雨になるかもしれないといっていたが予報が外れ一日暑く蒸し暑い一日になった。ただ、明日は午後まで大降りになるらしい。彼岸近くなったら墓地の参道の草刈りをしようと思っていたが、葬儀後に納骨も済ませる予定になったので、昼飯を食った後に墓地の参道脇を草刈る。竹箒で掃いて見栄えも良くきれいになった。東海師より久しぶりに電話ある。草刈り後に諷誦文を仕上げる。これでひと段落つく。

2016年9月6日(火) 晴れ
葬儀になる。
午前中、板垣氏が埼玉の刀の研ぎ師の方を連れて来山。例の信玄より賜ったという短刀を見ていただく。「今ならまだいけると思いますが、このままにしておくとだんだん状態は悪くなります」ということであったが、今のところその予定はない。というか、あまりそういうことに興味がないというのがほんとのところだ。不動明王像だってきっと毎年ちょっとずつちょっとずつ状態は劣化してきているだろうと思っている。でもそれはその仏像とともにその時代の信仰する人たちが、それをどういう風に感じて祈りを捧げるかという心の問題なので、永遠にピカピカに輝いていなくてもいいのではないかと思う。劣化もまたありのままで。
法事の塔婆、彼岸の塔婆を書く。午後3時過ぎに檀家のKさんから電話で、昼過ぎに父が亡くなったという知らせがある。4時頃に遺体が家に戻るということで、葬儀の下準備などしながら4時過ぎに自宅に伺う。盆の棚経の時、帰りがけに眠っている耳元で声を掛けたら、目を開けてこちらにも応えてくれたのである。94歳という年齢は、もう十分ではないのだろうか。8日通夜、9日葬儀と決まる。総代も一期務めてもらっている。だんだん少なくなってしまうんだなぁという寂しさがある。不動寺の二人に助法を頼む。

2016年9月5日(月) 晴れ
手紙をしっかりと読み切ることのできないもどかしさ。
千葉に住むSさんからも先日の手外の返事が届いた。この間の若尾さんもそうだが、Sさんももう90歳に近い年齢の方。和紙の便せんにさらさらと書いてくれているが、ところどころ読み下せない箇所が出てくる。前後で判断するしかないのだが、こういう時は自分の知識や能力のなさ加減に辟易する。でももうこれ以上の進歩は望めそうにない。「おばさんがまだ元気でいられる間は大聖寺にいてほしい」というようなことがしたためられてあった。早川の大塩の滝の前の大岩に、不動明王像を勧請したのはこの方のご主人である。僕が毎年参ることを大変に喜んでくださっている。今年の滝行きのも、写真をCDRに焼いて手紙と一緒に送った。
神奈川に住む従兄から「醍醐寺にお参りしてきた」とメールが届いた。「来年、大峯に行きませんか?」と返信をした。山本一力「梅咲きぬ」読了。人が交流する機微をホントによく観察していてとても好感の持てる書き手だと思う。作家に惚れてしまうような人である。

2016年9月4日(日) 晴れ一時雨
蒸し暑い夕暮れ。
午前7時から区の防災訓練がある。朝は雨にならず昼過ぎから雨が2時間ほど降る。雨が止んだ後は陽が強く差し、とても蒸し暑い一日の終わりになる。寺の向かい側に位置する若尾屋に、甲府から若夫婦が住所を移し、30年以上住んでいなかった家をリフォームしてきたが、昨日家族の荷物の引っ越しが終わり、昨日からこちらに住み始めたということ。減るばかりだった組にひと世帯増加があった。とてもうれしいことだ。

2016年9月2日(金) 晴れ
メガネを拭いていただけで殺されてしまうなんて。
昼飯にお昼の民放番組を見ることが多い。フジテレビの「バイキング」では月曜から金曜まで毎日高畑裕太の事件に絡む母親の対応などについて、日替わりゲストがそれぞれの持論を展開した。ずっと通してみているわけではないが、「今日はもうやってないだろう」なんて思いながらチャンネルを替えると「あー今日もやってる」ってことであった。特別に深い関心があるわけではないが、芸能人てのは私生活をさらけ出して見られているのと同じようなので、やはり行動にはそれなりに慎重にならざるを得ない。この息子はその辺のことがまだ理解できなくて肉体だけが大人になってしまった阿保としか言いようがない。それよりもっと興味をそそられたのは、北朝鮮の金正恩の蛮行だ。姿勢が悪いと拘束し処刑してしまったというのだから。彼の演説中にメガネを拭く行為が二度あってそれを真剣に聞いていない態度が許せないとして銃殺してしまったという。北朝鮮では、金正恩の近く(側近。上位)に就きたくないということが囁かれているという。いつ自分が国家反逆者としてのレッテルを張られて殺されるか怖いということらしい。そりゃぁそうだろう、メガネのレンズの曇りを拭くぐらいで誰も殺されるとは思わない。僕ぐらいの浅い知恵くらいしか持ちえん男でも、こういう国は早く捨てたほうがいいと思うのは当たり前のこと。いつかきっと誰かが、「あなたは裸だ!」と言い出すに違いない。


2016年9月1日(木) 晴れ
自分で存続か解散か決められるってのはある意味うらやましいこと。
きょうから9月、残り三分の一。宗務所下のある寺院から法人解散を親族に相談して決めたと電話があり、速やかに手続きに入ると報告があった。ここは全く宗教法人としての活動をしていなかったが、先祖が繋いできた寺の名を失くしてしまうことのみが決断に踏み切れないでいた理由だ。確かに寺が解散してしまうというのは残念なことだが、これから先も活動していくつもりもないというのであるから今回の決断はよかったのだと思う。山梨の宗務所の一員としてあったので、活動していようがいまいが同じように宗費の負担があったりしてきた。本山との直轄で存続していくのならまったく無視していたってこっちは構わないのだが、小さくても懸命に努力しながら活動している寺院からすると、不活動寺院とはあまりにも真言宗の僧侶や修験者としての考え方に隔たりがありすぎる。でも、この寺のように、もともとが修験の寺であり、檀家などを持たない宗教法人は、開けておくのも閉めてしまうのも、第三者の了承を必要とせず「自己完結」できるってのはある意味うらやましい事ではある。

016年8月31日(水) 晴れ
車のお祓いあり。
こういう仕事が一日に一回でもあると、これだけで今日一日を存在したものが確かに残せたようでなんだか気持ちがホッとする。大月の蔦木さんが会社の車の安全祈願に来てくれた。この人にはもう20年近く縁をいただいて、新年、祭典などお参りしてもらい、車を買うとわざわざこんな遠くまで橋を運んでくれる。これもお不動様のおかげである。台風は大した被害を山梨には与えずに過ぎたが、東北や北海道では過去に例のないような被害にうつむく人等を映し出している。一日風が強く吹いたが気温は上がった。先週末に身延の高齢者施設に入所している若尾さんに手紙を書いたら今日返事が届いた。94歳になる媼である。体は随分と弱くなってはいるようだが、しっかりとしていて、趣味の書を今でもたしなんでいいる。僕の手紙を読んで書いたという福沢諭吉の「心訓」を書いて添えてくれてあった。

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。
  (ウィキペディアから)

マリー・ローランサンの「鎮静剤」のような訓で僕は初めてこれを知った。
鎮 静 剤   マリー・ローランサン   堀口大學 訳

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


媼とは死後の約束ができているが、まだ元気で前向きに生きていってもらいたいと願っている。

2016年8月30日(火) 晴れ
台風の影響さほどなし。
今朝の新聞に、この春全町の中学校が統合して身延中1校になった在校生のアンケートが載っていた。通学時間が長くなってたいへんなどの声もあったようだが、同級生が増えて楽しいとか、クラス替えができる生徒数になったので楽しみだという、概ね好意的に合併をとらえている生徒が多かったようだ。児童数だって全校で40人に満たないより、多ければ多い方がいいと思う。それから副町長が退職したという記事も。現職が今度の町長選には立候補せず、自らの後継に副町長を指名したことによる辞職ということ。こういう経緯で新しい町長が誕生するというケースを知らないのだが、辞めてからも摂政のように後ろで糸を引くということではないのでしょうね。密かに立候補を画策している議員とか、選挙が好きな人たち、それから合併前の旧町での糸引きなども水面下であるのだとは思うけれど、町長自らが議会で、引退を表明し、なおかつ後継を指名して、議会に同意を求めるというのって、なかなかに策士だねぇとしかいいようがない。

2016年8月29日(月) くもり
2学期。
朝、獣除けの鈴の音が聞こえるので窓の下を見たら、今日から2学期が始まるのだろう小学生が、夏休みの宿題や椅子の座布団など、たくさんの荷物を抱えながら歩いて行った。2学期のはじまりの姿を見るのもこれが最後だ。彼らはこの後、原小学校の最後の運動会を9月に控える。残された7か月の間に何もかもが最後ということになってくるのだ。

2016年8月28日(日) くもり晴れ
八月の不動護摩を焚く。
雨はまだ降らない。今日も一日曇りだったり晴れてみたりで過ぎた。午後護摩を焚く。女房が参座する。途中彼女の携帯が鳴って後で聞くと、息子が会議でスペインに出かけるところだったとのこと。旅行の安全を祈願したのであろう。今の若い人たちは海外に出てゆくのも頻繁になってきて、特別なことと感じなくなっているのかもしれない。僕は出不精だからここでこうしていることが好き。終えてから台風が心配されるので、5時近くまでかかって、本堂の掃除、仏器洗いも済ませた。途中参拝者あり、ご朱印書く。この夏は暑いさなかにけっこうお参りに見える方があった。御朱印を書いている間、庫裏玄関で女房が冷たい麦茶など差し上げると皆さん喜んでくれた。皆さん様々な思いを持って歩いていることを想像すると、しっかりとやらなきゃなぁという気持ちは涌いてくる。

2016年8月27日(土) くもり
本尊拝観あり。
仏教美術の研究者である松浦正昭氏とめぐる仏像ツアーの一行17名が午後来山。この「○○先生と訪ねる仏像ツアー」みたいなのって流行っているのかな。前にも「朴先生と・・・」という一行を迎えたこともあった。中高年の山行きと同じように、中高年の比較的暮らしにゆとりのある方々を対象として旅行会社が一流の先生を講師に招いてツアーを組むというのが人気あるのかもしれない。今日はうちの前に訪ねたのが標住職の明王寺だったので、明王寺が終わった後すぐにご住職からメールが入った。途中西嶋の和紙の里で昼食をとり、予定通りの午後1時半少し前にお出でになった。台風の影響の雨が昼前に降り出し、本堂の階段下に靴脱ぎ場として長い簀子を一枚出しておいたら、雨でだいぶ濡れてしまったが、迎える時間前にうまく雨が上がってくれたので事なきを得た。本堂であいさつをし僕は頼まれた朱印帳を預かって庫裏に戻った。講師が説明をするので基本僕は不要なんである。これは望むところです。松浦先生も不動明王には相当感激されたようで、「最高でした」などと世辞をのべてくれた。少しでも多くの方たちがこのお不動様の力をいただけるといいのだが。雨が降りはじめている。明日は8月の護摩を焚く。

2016年8月26日(金) 晴れ
残暑残暑。
ここ2,3日また暑さが戻ってきて暑い。昨日も今日も終日本を読む。午後少し日が傾いてから外に出て本堂の廊下を掃除する。明日17名ほどの参拝者がある。「M先生と行く甲斐の仏像」という団体。不動明王の拝観がメイン。明後日護摩を焚くのでその樒の盛り付けなどもついでにしてしまう。
芸能界というところは話題に事欠かないところでうらやましい。僕の寺などほとんど無風状態である。笑っちゃうことがあった。今年の残りの三分の一、坊主の仕事が上向くかなと期待を持ちたくなるような電話があったのだが、たった一晩で「なかった話し」になってしまった。こういうことは今までに一度もなかったことなので、結局笑って早く忘れてしまうしかなかった。やっぱりダメなのねと、夏の衣も畳むしかないのかと考えている。

2016年8月23日(火) 晴れ一時雨
雨ある。
午後になって辺りが少しずつ暗くなり始め雨がザーッと降ってくる。午前中の照り付けで熱くなった地表から蒸気が上がった。庫裏の間でDEADを聴きながら井上荒野を読んだ。雨の音がだいぶ激しかったので、眠気が誘ってくると法螺貝を吹いて眠気を払った。吹き口の穴をちょっと大きくしてみた螺を、うまく音が出せるように練習している。夕方になりまた青空が広がり、蝉たちが騒がしく鳴きはじめた。水風呂に浸かって体を冷やし、体を洗った

2016年8月22日(月)
仏壇の発遣と開眼をする。
檀家のK家の仏壇のことをしてきた。相次いでご両親が亡くなり、自分たちの家に仏壇を求めたので、両親の家から仏壇のご本尊や位牌を自分たちの家の仏壇に移したいとのことである。10時に行く。台風の影響で朝から雨になったが、テレビで終日警戒情報を流しているほどの影響はここには無かった。新盆が終わり静かに片づけられたご両親の家の仏壇を発遣し、車で5分ほどの家に移動して仏壇と位牌などの開眼をする。家に見合った少し小さめの仏壇に大日如来像、不動明王とお大師様の掛け軸を納め、位牌も納めて開眼供養する。リビングの隅に置かれたが、息子夫婦、孫らの日常生活が見られるいい場所で、これからまた若い家族の幸せを見守ってくれるであろう。雨で終日読書などする。

2016年8月21日(日) 晴れ
また暑くなってきた。
RIOのオリンピックももう間もなく終わるらしい。WOWOWでの観たい映画がちょうどなかったので、早起きしてオリンピックを見る時間が多かった。柔道とかレスリングとか楽しませてもらった。バドミントン、卓球は特に僕には面白かった。久方ぶりに不動寺の葬儀の助法を頼まれた。衣を着て葬儀会場に行けばなんとなくそれだけで、「やってますよ」という言い訳が立つような気分になれる。涼しい涼しいホールの中で、92歳の翁を送るお手伝いをさせてもらった。外は暑い暑い夏の日に舞い戻る。23年前の1995年8月9日にJERRY GARCIAは亡くなっている。何を聞こうかと考える前にGRATEFUL DEADの大量のlive音源を両足で胸の前に引き寄せている。

2016年8月20日(土) くもり一時雨
大塩の滝。
行藏院、玄法院ご住職と、ちょうど今日が休みになった東海師と4人で早川の大塩の滝に行く。こちらは朝から遠くゴロゴロと雷が聞こえていたりし、小雨がぱらついたが出かけることを止めさせるような天候にはならなかった。10時少し前に3人が就いたので早速車に乗せていただいて出発。30分ほどで着く。雨の後をかんじさせるモワーッとした林を、法螺を立てながら進む。不動明王の大岩に着いて、シメを張り替え御神酒を供え御法楽。4人で来たのは初めてだ。その後滝に入る。水は冷たくなくちょうどいい心地よさ。おもいおもいに滝に打たれ、滝に浸かり、般若心経や不動真言をあげる。滝から上がってしばらく法螺を滝前で修練する。あー来てよかったなぁと思えるような滝行きであった。帰ってきて昼食。程よく雨が降りはじめて、女房のピザやおにぎり、ビールや焼酎も楽しんでいただく。よい夏の終わりを思わせる一日。写真

2016年8月17日(水) 晴れ
暑さ戻る。
関東から北海道にかけて大雨になっているようだがここは雨はない。今日は何日かぶりで暑さが戻った。お昼過ぎに、静岡の前宗務所長のO師ご家族が訪ねてくれた。お盆の休みを取り家族で諏訪方面に1泊する途中だという。本堂を案内する。何も差し上げるものがなく、以前来た時に護摩木に「ヌルデ」を使っているのに興味がおありだったようなので、お持ちになりますかというと、ぜひ貰って帰りたいということで、丸太に切ってあるものを5個ほどトランクに積んでいってもらった。喜んでもらえてよかった。

2016年8月16日(火) 晴れ
護寺会総会。
午後2時から護寺会の総会。はじめに盂蘭盆会の法要する。10人ほどが出席してくれる。2年任期が終わり新しい護寺会長になる。終わってから宴。飲みながら寺の今後のことなどを話す。僕も今年60になることもあり、先日の天皇のお言葉ではないが、これから先このお寺とどう向き合うかを皆さんに聞いてもらった。先ず後継ぎがいないということ。跡継ぎが見つかるよう努力していくということ。出席してくれた方からは、個々の家でさえ家の跡継ぎがいない時代だからという理解を示してくれる言葉もあれば、葬式もできないようになったんじゃ困るという意見も。尤もな話である。ここからの10年が正念場になるかもしれない。

2016年8月15日(月) 晴れ
盆棚経B。
9時半に岩間の檀家に行き、地元のK家に伺いこれで今年の棚経は終わり。去年まで行っていた後山の2軒は、もう今年から行かないことになる。というかもう住めなくなってしまい、それぞれ息子の家と、寺墓地で盆の経をあげた。うとうとしたり、オリンピックを見たり、明日の護持会の準備をしたりする。ほんとに急に涼しくなった。秋を体感しはじめたという感じ。20日に大塩の滝に行くが寒なければよいのだが。

2016年8月14日(日) 晴れ
盆棚経A。
朝7時過ぎに出かけ一路本栖湖方面を目指す。本栖トンネルを抜け本栖湖に出る。ここ数年必ず降りて本栖湖からの富士に向かって法螺を立てている。今朝は曇っていて霧が深く富士は見えず、いつもなら大勢の観光客がカメラなど構えているがほんの二組ほど。富士ヶ嶺のE家に向かう。朝霧がこんなに深いのは初めてで、視界はほとんど聞かず3m位。ライトを点けてゆっくり走行しないと対向車とすれ違うのもおっかない。富士ヶ嶺の気温は19度。2軒の棚経を終えて精進湖線を市川へ下る。道を下る程に気温が上がりはじめる。市川から甲府へ回る。昭和で冷たいうどんの昼食をとり戻る。家にいったん寄り小便をして飯富方面の檀家をまわる。午後4時に帰宅。ビールを飲んで一息つく。夜は集落の盆祭り。生ビールをごちそうになり早めに引き上げる。年ごとに一日の疲れが重たくなってきている。

2016年8月13日(土) 晴れ
盆棚経@。
朝方涼しく感じる。夜の明けるのが随分と遅くなってきた。4時半ではまだ暗い。5時前に本堂に入る。早めに朝食を取り、盆の紙幡を墓地へ付けに行く。風がない静かなときに付けておく、あと風が吹いてとれたりしてもそれはそれで仕方がない。Aさんが墓参に訪れる。再び墓地に出向き、寺墓地や地蔵堂、遠くて来られない檀家の墓地を供養して回る。午後1時から区内の檀家の棚経まわり。水腹でパンパンになる。皆さんたいへんですねと冷たいお茶やビールを出してくれる。ありがたいが飲むのもだんだんしんどくなってくる。最後に途中寄ったが留守だったN家に寄る。精霊棚に新しい紙位牌を見つけ、終わってからそれを聞くと、息子の嫁が亡くなったのだとのこと。

2016年8月12日(金) 晴れ
大塩の滝に行く。
夕べ行藏院のご住職から電話で「早川の滝には行ったのか?」と訊かれ、昨日もってゆくシメを切ったことを話し、一度下見に行ってきますと話し、午後行ってきた。今朝はちょっと涼しい朝になり、幾分天候が下り坂のよう。早川に入って大塩の滝の入り口に車を停める。この辺りで気温は28度だった。法螺を立てて林の道に入り歩いてゆく。15分ほどで到着。道も十分に整備されていて危険なところはなし。大岩に立つ不動明王妙の前で法楽し、その後滝に入る。滝壺もあまり深くはなくちょうどいい深さ。心経と慈救呪を唱える。さわやかで気持ちよくて、滝と木々の緑に囲まれて、帰りたくない気持ちになる。家からちょうど30分ほどで、個々はとても大切ないい場所。盆過ぎに他の皆さんとまた改めて行こうと思う。朝食後に盆の紙幡を結ぶ野竹を墓地に一本ずつ立てる。風が少しあるので紙幡は明日の早朝に。10時半に八木沢の木村さん宅へ盆の経に行く。朝から52号線は混んでノロノロ運転している。飯富のセルバの前は買い物客で混雑するので、国道端に3人ほど旗振りが立っている。さあ明日から棚経だ。

2016年8月11日(木) 晴れ
山の日。
「山の日」が制定されて初めての祝日。10時から金岡家の七七日忌の法要する。家族と、故人の友人4名が来てくれる。客殿での法要のあと納骨と墓参。御斎はアピオから来てくれたので庫裏でする。昨日ほどの暑さがなく、風も入り扇風機だけでも十分に懐かしい話をしながら食事することができた。4月7月で母と父を亡くすという慌ただしい日が続いたが、骨壺をくっつくように並べて置いたと施主は話す。日を置かずして新盆に突入で、まだしばらく大変なことと思う。昼から酒も飲んで午後はうとうとしながら過ごす。休日なので朝から寺を訪れる人が何人もいた。早朝富士宮から来た方が、「聖天像がありませんか?」と訊くので「ある」と応えると「拝ませてもらえませんか」ということで特別にお見せした。大変に感激して帰って行かれる。午後暑いさなかに、病気平癒の願掛けをされているBさん夫妻訪れ山門と本堂前を往復して歩きはじめる。終わってから庫裏で少し涼んでいってもらう。そのときたまたま来ていた幼子を連れた女性も一緒にお茶を飲んでゆく。不思議な縁で訪ねてくることのある寺だ。

2016年8月9日(火) 晴れ
全国で一番暑くなる。
「強い日差しが照りつけ、関東甲信地方では猛暑を通りこえた酷暑に。山梨県の身延町切石では、39.2度まで上がり、1977年に観測を開始して以来、最も高い気温を記録しました。」という。きっと切り石で観測を始めてから一番高い気温になったということなんだろうが、それにしても連日暑い。これから毎年こんな風に気温が上昇してゆくのだろうか?家にクーラーなどなかったころはこんなにも耐えられないような暑さではなかったはずだから、確かに温暖化傾向は顕著なんだと思う。新聞で法善寺の前住職の奥様名亡くなったことを知り、夕方通夜に参列してきた。5時半過ぎに家を出たがまだ32度もあった。法善寺の入り口で小学校からの同級生の旧姓F.みどりさんに会った。向こうから僕に声をかけてくれたのだがはじめ僕は誰だか分らなかった。法善寺の檀家に嫁いできているとのことだった。焼香の列に並び、現住職に挨拶するとあがってくれというのでそのまま本堂で読経に加わった。前住職(今は名誉住職)には父の葬儀の導師をしていただいた。葬儀の形態や時代が変わってきて高野山の人たちとの交流は今だいぶ薄れてしまっているが、高野の若手の人たちの勉強会にずっと参加させてもらってきた。高野も顔ぶれがだいぶ変わり若い人たちも増えてきたので、面識のない方も多くなってきた。

2016年8月8日(月) 晴れ
暑い。
連日猛暑でほぼ何もしていないので書くことが無い。今朝盆の精霊幡をたてた。オリンピックを見ながら涼しい部屋で過ごす時間が一番多い。本を読むときは台所を出て、庫裏の真ん中の部屋でBob Marleyを聞きながら読む。ジャマイカとはどんな暑さなんだろうかとも想像してみる。今日は特別に午後3時から、天皇の「お気持ち」を読み上げるのに付き合ってみた。個人的には皇室制度を認めないという考えなので、当然天皇も僕は認めないのだけど、短い時間だったけれど、この人の人柄がよく表れているような発言だったと思う。象徴としての役割を果たしていることに真摯に向き合い、高齢になり役目が果たせなくなりつつあることを明らかにし、自分やその後を継いでゆくであろう者たちが象徴として存在してゆくことの限界のようなものに及んだことは、「私もまた」市井にある象徴であるということに言及したように思えた。恐ろしくなるほどに暑い。

2016年8月5日(金) 晴れ
暑い暑い。
早朝1時間半ほどかけてラウンドアップ(除草剤)を散布する。10リットルを背負い背中は汗びっしょり。でも割と快適に自動で散布できた。これで盆前の仕事はほぼ終了。
夕方秋山さんと高野君飲みにくる。久しぶりに会って懐かしい話しをたくさんする。この3人でしかわからない出来事もいくつかあってね。いい友達だね。ビール、日本酒、焼酎と次々と片付ける。明日もまた絶好調の暑さらしい。
2016年8月4日(木) 晴れ
草刈り。
とと姉ちゃんを見て8時前から昨日の続きをはじめる。30分ほどで片側は刈り終えそのまま反対側の畑をはじめる。途中一度水分補給休憩し作業続行。今日は昨日と打って変わって朝から自信満々の真夏の日差しがある。10時まで作業したがこれ以上は続けることができなかった。完全にノックアウト負けである。うなだれて刈り払い機を肩から下げて戻り、水を浴びて息を吹き返す。日通は何もできず映画など見る。陽が陰りはじめた午後4時前から草刈り続行。1時間ほどで刈り終える。これで盆が迎えられる。あと除草剤散布は明日か明後日か。護寺会の総会の資料を作る。FRANK ZAPPAの「Shut Up'n Play Yer Guitar」という、79から80年のライブからギターソロを中心に抜き出したアルバムを買う。真夏にはこんなのが気持ちいいや。

2016年8月3日(水) 晴れくもり
畑の草刈り。
午前中は少し暑かったが、空が曇りはじめたので境内の草刈りを午後から始めた。境内のあと参道両側の畑の外周と、民俗資料館前庭をナイロン紐で刈りはじめていると、amazonで注文してあった少し外径の大き目なチップソーが届いた。ひと段落ついて水分を補給して、新しいチップソーを別の刈払機へつけて畑を刈りはじめる。強い陽射しがないので作業にはありがたい。天候が不安定なようだが、今日はこの辺りも雨はなくよかった。明日で今日の残りともう片側を刈ってしまえるだろう。
安倍内閣の改造ある。稲田朋美という先鋭的な女性が防衛大臣が就いた。これから改憲論議などもさらに活発化してくるのかと思うが。

2016年8月2日(火) くもり
大気不安定。
昨日から雨が降ったり晴れてみたり大気は不安定。昨日午後用事で甲府へ行くと、一時ものすごい雨になった。帰り道、増穂の手前で、道路情報の掲示板を偶然に見て(多分「切石」という文字が目に飛び込んだのだと思う)、「切石地内で交通事故、300号線に迂回」というのをさっと見たので、県道に迂回して岩間に出、峡南衛生組合から切り石に出て国道に出ようとしたら、切石洞門内で事故のために車は左折できないといわれ、仕方なく久那土区に出て峠を越えて常葉に出、そこから宮木経由で原小学校前を通って家に戻った。2時間近くかかっちまった。この間、燃料メーターが残り5literを切って点滅し始めるという事態にも陥り、ちょっぴり冷や汗ものだった。
今日は笛吹市のシティホール東翔苑に、石材業のS家の葬儀に伺った。今日も帰り道では雨になったり、冷房を強くしてみたり。
今日と明日、区の獣除け柵の開閉当番。夕方、妹が孫の誕生祝いと、旦那の晋山祝いのお返しをもってきてくれる。

2016年7月31日(日) 晴れ
猛暑。
7時から檀家の皆さんと墓地の草刈り。もう陽射しが強くなり始めていたので、できるだけ早く終わろうと伝える。少し刈っておいたので、例年より早く1時間ほどで終了。明日はもう8月。これで盆にお先祖様をしっかりとお迎えすることができる。真夏の威張り散らした暑さ。どうにも耐えられません。新潟の山ア師よりメール来る。来年は花供を我慢して、奥駈1本に絞って参加したとの決意のよう。当然一緒にとお誘いはありました。

2016年7月29日(金) 晴れ
猛暑再び。
梅雨が明けたと思ったらもう今日は猛暑だ。6時半過ぎから10時まで墓地の草刈りをしたり、雑木を払ったりする。途中で一度水分補給。だんだん陽射しが強くなり、まあこの辺りでいいだろうと終わる。もう一本ペットボトル。残り湯と水シャワーを浴びてやっと落ち着く。暑いのはかなわん。午後はもう体休めて読書と昼寝。盆の紙幡「一切如来心秘密全身舎利宝篋陀羅尼」も作る。BOB MARLEYを聞く。中野サンプラザでのライブよかったなぁ。いい人は早く死んじまうんだな。爪を切る。

2016年7月28日(木) 晴れ
やっと梅雨明けになったらしい。
午後からすごく夏らしい天気になり気温も上がる。梅雨明けらしい。午前のメダカの瓶の水替えをする。法事の塔婆など書く。午後1時前から護摩を焚く。誰も来ず。今日は終わってすぐに護摩壇と本堂の掃除をはじめ、5時過ぎまでかかってきれいになる。その間に御朱印で来山2人ある。模原市の知的障害者福祉施設で入所者が殺傷された事件には驚いた。どこまで人の心は堕ちてゆくのだろうか。無力であることを実感。

2016年7月27日(水) くもり晴れ
朝少し雨。
午後から天気よくなる。明日の護摩の準備する。本読む。映画見る。頭刈る。

2016年7月26日(火) くもり
山梨の梅雨明けはまだだった。
昨日も少々天候が悪く、今日も午前中雨になった。暑さも足踏みで夏の終わりのようにひんやりとする。雨の上がった夕方蜩が鳴いている。山梨はまだ梅雨が明けていない。

2016年7月25日(月) 晴れ
荷物の整理など。
昨日の午後本山から着払いで送った荷物が届く。女房に袴や白衣など洗濯してもらう。引敷、貝之緒、結袈裟も風に当てて乾かす。雨がなかったので地下足袋もほとんど汚れなかったが一応洗って乾かす。朝から猿が大量に来ていて、庭の柿の実の小さいのを取って食べて大騒ぎ。本堂の渡り廊下の電灯のスイッチまで押してしまう。小便を垂れ流す。あー、こういう現実からは逃避してしまいたくなる。録りためた映画やドラマを見て過ごす。奥駈の日記を整理して書く、写真もグーグルにupする。

2016年7月23日(土) 晴れ
奥駈入峰C。
とうとう今年も来てしまって、何とか奥駈修行済ますことができた。昨日の熊野詣ではバスに乗ってはいるのだがいくつかの神社に参拝する行程だったが、海岸線を走ったりすると雨が降ってきて、結構雨足が強くなったりもしたが、不思議なことに神社に詣でるときには雨が上がっていた。こういう不思議のことは僕にはよくわからないが、山を歩いてきた修験者たちに雨を振り払うような力がみなぎっていたのかもしれない。バスの中は汗臭い臭気が漂い始めていたが、気分は爽快だった。朝早くに風呂に行き身体を洗い、肌着だけは新しくした。バイキングの朝食も牛乳飲んだりして排便もばっちり。12時半に醍醐寺に帰着。そのまま列をなして護摩道場に向い最後の奥駈けの峰からの駈け出し護摩。終了後、今回で10回を成し遂げた福岡の橋本師に大先達の辞令が手渡される。夕べ橋本師からは、ご自身やご家族の不思議な話をたくさん聞かせていただいた。白書院にて昼食後帰りの支度をする。それぞれの場所へ、東へ南へ北へと帰ってゆく。来年は60歳での参加となるが、自身が持てたら本コースに挑戦してみたいと思う。新潟の山ア師、長野の手塚師ともまたの再会を約す。新幹線の中でご一緒した壬生ご住職と飲みながら帰ってきた。写真、googleにupしました。GO!

2016年7月22日(金) くもり時々雨
奥駈入峰B。
前鬼小仲坊での朝。皆それぞれに排便対策をとっている。壬生さんは3時過ぎに床を抜け出して女性用の洋式トイレに座ってきたという。今回の女性参加は1人だけだったので、そのあたりのことは当人も承知のうえ。何せここは男性用トイレは和式が一つしかない。僕は3時40分頃に外に出て和式にしゃがむ。汗をかきながらいきむ。少し便が申し訳ない程度に出る。まあこれでもでないよりはいい。トイレの電機がしばらくすると消えてしまうので、消えると、手を振ったりして感知してもらって点くのを待つ。大変なんである。5時朝食、5時50分出発。前鬼口のバスの待つ場所まで3時間ほど歩く。歩きはじめるともうすぐに「慚愧懺悔(ザンギザンゲ)六根清浄(ろ っこんしょうじょう)」が始まる。去年は雨だったけど今年は天候に恵まれて少し景色を楽しむ余裕もある。前鬼口からバスに乗り込み、あとははもうバス任せの日程で熊野詣でである。速玉大社に10時45分に着き、本殿内陣で御法楽。去年はここで巫女さんよりお神酒をいただいたが今年はかなわずに残念。「那智かまぼこセンター」で昼食。出発までの時間トイレに座って気持ちよくすっきりとする。ウォシュレットが天国。飛瀧神社では、いわゆる那智の大滝の前で御法楽する。外国人観光客も多い。突然現れた山伏集団に、カメラやビデオで撮影する人も多かった。次に隣り合わせに立つ那智大社と青岸渡寺に参拝する。少し車でまた移動し最後の熊野本宮大社に参拝。川湯温泉「みどりや」に奥駈入峰の衣体を解く。夜は大宴会となる。厳しい道を歩いた者同士、年齢関係なく旧い知己のような関係になってくる。不思議な世界だ。夕飯後河原の野天風呂に入り、のんびりとする。部屋ではまた飲み会が始まる。明日は本山に戻り最後の駈け出し護摩。

2016年7月21日(木) 晴れ
奥駈入峰A。
バスで旭登山口まで移動し9時過ぎより昇りはじめる。梅雨明け後の奥駈修行は大変に珍しいことだという。去年は全部雨だったが今年は強い陽射しがある。これもまた要注意である。500mlペットボトルを3本持つ。リュックも重い。11時50分釈迦岳到着。御法楽の後おにぎりの昼食。去年は雨の寒い中の飯だったが今回は気持ちの良い昼食。赤とんぼが飛んでいる。さあここから前鬼小仲坊までは長い長い下り。午後1時半過ぎに深仙灌頂堂に着き御法楽。冷たい湧水を飲む。太古ノ辻、二ツ石など過ぎ、午後5時20分宿泊所である前鬼小仲坊に着く。行者堂前で御法楽後、宿泊所に足袋を脱ぎ衣体を解く。山ア師、壬生師と並んで寝床を確保する。夕食後、先輩方から話を伺う。来年はしばらく中断していた本来の奥駈コースになるらしいとのこと。これに参加しなければ本物ではないという。耳の痛い話を聞かされていささか狼狽えてしまう。夕方より少し雨が落ちるが大したことはない。火照った体を冷ましてくれる夜の風が気持ち良いくらい。ここは自家発電のため、夜8時半で電源が落ちる。

2016年7月20日(水) 晴れ
奥駈入峰@。
5時起床。というか、すでに前夜から排便のことが気になっていて、4時半過ぎにトイレに行くもほんのちょっぴり。いきんで汗が出る。6時過ぎに三宝院大玄関前に集合して御法楽。護摩道場で駈入護摩。峯中門跡は田中教学部長。本山からは門跡含め7名が参加する。バスで一路洞川の龍泉寺に向かう。お昼前に龍泉寺に着き柴燈護摩奉修。龍泉寺庫裏で昼食のお弁当。大峯山登山口で遥拝御法楽をし、バスで十津川に向かう。一日バスに乗りっぱなし。十津川一乃屋宿泊。夕食に自己紹介などする。明日の山行きで少し緊張してくる。

2016年7月19日(火) 晴れ
京都へ。
身延線を甲府に向かい、駅前を7時30分に出発する大阪行きの高速バスに乗る。大峯山奥駈入峰に行藏院のご住職と参加するための上洛。午後2時過ぎに京都駅八条口に着く。キャンペーン期間中で片道5千円は確かに安い。バスで本山へ。寺務所で受け付けを済ませ、送っておいたスーツケースを受取り修証殿へ。すでに10数名が広間に居られた。日程表の入ったしおりで参加者を確認する。男性24名、女性1名。新潟の山アさん、長野の手塚さんも来ていた。いくらかでも見知った人がいるとありがたい。修証殿の1階を改修しているとかで、夕食も風呂も白書院を使う。夕飯は精進カレー。その後数人連れだって畑山商店で少し飲む。リュックに山行きの持ち物準備する。

2016年7月18日(月) 晴れ
頭を刈る。
「海の日」。娘は大学の同級生に会うため朝早く東京へ日帰りで出かける。一日中真夏。読書。身延駅へ帰りの電車の切符を買いにゆく。夕のお勤めを早めに済ませ、ここのところ気になって仕方のなかったことを明日出かけてしまう前に片づける。客殿の庇の野地板が古くなって止が外れてしまっていたので、10数年ぶりに天井裏に上がり、埃だらけの梁をいくつもまたいで野地板を釘打ちしなおして素人修理する。まあでもこれで良し、動かないめくれ上がらない。汗びっしょり。基本的に高いとこは苦手だね。頭を刈って冷水で体を冷ます。明日から奥駈けのため本山へ。今年は天候がよさそうな予報で嬉しい。

2016年7月17日(日) 晴れ
納骨あり。
一宮家の親族の方の納骨式が午後ある。生涯独身であったため生前の本人の希望を家族が受け入れて、父母の眠る実家の墓に入りたいということで相談があった。戒名を付け一宮家墓地への納骨を認める。蒸し暑い日だったが強い陽射しはなく無事に納骨済ませる。蝉が強く鳴きはじめている。

2016年7月16日(土) くもり
東京方面棚経A。
朝ホテルで朝食。9時にチェックアウトして藤の台団地の甲地里家に。3人のお子さんたち子ども連れなどで来ていて狭いアパートがにぎやかなこと。体のご様子など伺い、長男に町田駅まで送ってもらう。横浜線で八王子に出、めじろ台の佐田家にタクシーで向かう。皆さん涼しい部屋にしてくれてあり助かる。八王子駅前でハンバーグ食べて特急で甲府に戻る。夕方海老原君夕食にくる。

2016年7月15日(金) くもり時々雨
東京方面棚経@。
午前6時3分の身延線で甲府経由で中央本線特急。板橋の牛山家に8時半過ぎに着く。息子のYさん、一人暮らしになってしまったので家が広すぎるので土地ごと売却してこの秋には横浜の方のアパートに引っ越すことを決めたという。来年以降の細かい話はまたいづれということに。次に東大島の平山家に。駅に着くとちょうど雨が降りはじめ仕方なく持参した折り畳みの傘を出す。次に西馬込の佐田家に。新盆の経をあげ、塗位牌の開眼をする。親子間での話し合いがうまくいっていずお骨はまだ家に置かれたまま。亡くなった本人が生前しっかりと後のことを決めておけばこんな風にならなかったのかもしれないが、何ともさびしい限り。雨ジャンジャン降る。3軒で一日目は終わり小田急線で町田に出、「東横INN町田駅小田急線東口」に泊る。夕飯は外に出てお好み焼き食べる。冷房ガンガンきかせて本読む。

2016年7月14日(木) 晴れ
草刈。
昨日に続いて今朝も少し雨が残った。7時過ぎにはやんだので、墓地の草刈りに出た。2時間ほど墓地と本堂の裏の草刈りをする。蒸し暑くて汗びっしょりになった。深夜蒸し暑くて目が覚めてしまい、どうにも眠りに入ることができなくなって、午前2時過ぎには起きてしまった。風呂の残り湯につかって目を覚まし、台所でテレビをつけたが、録画した映画が何もなくてしばらく深夜番組を見てから山本一力の文庫を少し読み進め、そのあと電気を消して台所の板の間の茣蓙の上で休んだ。4時過ぎから朝のお勤め。明日の東京行きの持ち物など最終確認する。

2016年7月11日(月) 晴れ
葬儀告別式。
朝7時半に当家で廻向してから出棺。一代で興したパチンコ店の駐車場をぐるっと回ってから火葬場に向かう。真夏の空。喪主と話しながら1時間半ほどで収骨。バスに乗り込むともう10時10分をまわっている。11時からの葬儀でなんとなく気忙しくなり、標さんの携帯に電話するとホールに到着していたので、次第をカバンから出してもらい、打合せをはじめてくれるようにお願いする。10半にホール着。打合せ途中に加わり、会場を見ていただいて着替え11時ジャストから葬儀をはじめる。通夜に来た人が多いので会葬者も若干少なめ。通夜に来る人の方が最近は多くなってきたので、夜葬儀をしてしまったらどうかという風にここのところ思えてならない。予定どおりに終了。助法してくれた4人の僧侶に施主からの布施を渡し、控え室で昼食ととって帰っていただく。僕は12時15分頃より初七日の経をあげて御斎に着く。故人の同級生の皆さんの席に着かせてもらい懐かしい話を聞きながら冷たい酒をいただく。クーラーが程よく効いていて快適。4月に母を亡くし、そして父にも逝かれた。でもしっかりと父から譲られた会社を発展させていきますと力強い喪主の言葉が聞けて安心。父親の新盆も来月の盆にする話をすると、「こういう場合、持っていくものはどうしたもんだろう」と訊かれたが、こういうものは答えようがない。例えば交通事故で両親子供が一度に亡くなった場合も3人分の香典を持ってゆくだろうかというようなことを話してみると、「そうだよなぁ」という相槌になった。常識、良識の範囲でお考えいただくということになるのだろうか。葬儀無事終えてひと段落。奥掛けの準備と今週末の東京棚経の準備をはじめなくては。

2016年7月10日(日) 晴れ
通夜。
好い天気になる。午後3時半から自宅で納棺。下山のアピオセレモニーホールに移動して6時から通夜。会社の会長ということ、日曜の夕ということもあり会葬者多数。5時40分より焼香はじめさせる。通夜法要はいつものように最後戒名の話をして終わる。控え室の壁の時計が壊れていて時間がわからずに困った。こういう基本的なところに気を配ってほしいものだと職員にも話す。帰宅後選挙の開票速報見ながら少し飲む。自民強し。民進は合併党名変更がマイナス影響しているのではないか。

2016年7月9日(土) くもり
葬儀になる。
飯富金岡家のご主人が今朝8時過ぎに亡くなる。奥さんが4月に亡くなったばかりである。奥さんが亡くなって落胆し、深い悲しみの波に自ら身を投じたようなその最後であるような気がしてならない。ほんの40日ほど前に奥さんの49日と納骨を済ませた時には、しっかりと挨拶し、まだがんばるぞという気概でもって生きてほしいとお話したが、本当に残念である。今朝は朝から大ぶりの雨になった。ふた親をわずか4か月の間に亡くすという悲しみに、兄妹も、その連れ合いたちも言葉少なく、心ここに非ずのような感じだった。明日の通夜明後日の葬儀と決まる。実は3日の日曜に話は伺っていたが、まさか本当にこんなに早い別れになるとは思ってもいなかった。4人の僧侶の手配をし、次第、諷誦文など作り、位牌、塔婆書き済ます。よい葬儀をすること。

2016年7月7日(木) 晴れ
午前中草刈り。
午前中といってもそんなに遅い時間まではできない。6時半過ぎから9時ころまで。竹藪の草刈りと、墓地の草刈りを少々。とてもじゃないがこの暑さでは長時間労働は無理である。一応納得できるとこまでやっておしまい。涼しい部屋で読書。午後になって檀家から気にかかる電話あり。

2016年7月6日(水) 晴れ
暑い。
午前中はそんなに晴れてはいなかったが、午後からぐっと天気がよくなり暑くなった。風は少しあり、本堂の風鐸がカラカラと鳴るが十分に暑かった。午後3時半過ぎに暑いさなかを御朱印をもらいに来る人もある。まったく頭の下がる思いである。書くのを待ってもらっている間に女房が冷えたお茶を一杯供す。

2016年7月5日(火) 晴れくもり
風強く一日吹く。
朝から風が強く吹いた。午後になってだんだんと曇り空になり、この辺りも雷雨にでもなりそうかなと思うが、まだ降りだしそうにはない。だいぶ涼しい日になる。盆前の草刈りと護寺会費などの納入の通知を出す。

2016年7月4日(月) 晴れ
暑い。
午前9時過ぎに原小学校の1,2年生ザリガニ釣りにくる。暑くなりはじめだったが皆元気よくザリガニ釣りを楽しんで30分ほどいて帰る。原小は今年度いっぱいで他所の小学校へ統合となり閉校となるので、もう来年からは来ることもないのかもしれない。11時頃お寺女子というのか、2名本堂に上がる。夕方芳名帳を見たら、もう何回か来ているのだ。最近こんな女子が何組かある。暑くて読書したりビデオ見たり。夕方になって少し風が出てくるも、今日も一日暑い暑い一日。

2016年7月3日(日) 晴れ
今日も暑い。
7時過ぎに宿を出て帰ってくる。隣の日蓮宗のお寺にこの時期大阪から参拝に来ていて、昨日ご住職からまた駐車場を借りたいといわれていたので。この会の代表の方が毎年うちの本堂もお参りしてくれるので、本堂を開けておく必要があった。前日に来て身延山内の宿坊に泊ったということで、9時ちょうどにあいさつに見える。お土産もいただく。外はここ数日もう真夏だ。冷房の効いた部屋で本を読んだり映画を見たり。女房は北海道で涼しそうだ。午後檀家の方が見え、ご家族の方のからだ状態などが伝えられる。心配だが、「急変したらまた知らせるので、よろしく」と伝えられる。奥掛けもあるのだが、伝えられたからにはできるだけ檀家の事情を優先しなければならないだろう

2016年7月2日(土) 晴れ
宗務所会議。
午後4時から年に一度の山梨宗務所の会議。甲府の玄法院を会場でお願いしていたが、ご住職がヘルニア痛で動けなくなってしまっているということで会場を行藏院に変更する。早めに昼食をとって、先週切った梅の枝がそのままになっていたので、短く切ってから焼却する。これでやっと片づけられた。シャワーを浴びて2時半に出かける。会議出席者は結局4名。宗費の割り当ては例年通りとする。終わって宿にチェックインして、高橋君と一緒に飲み会の会場の七賢へ。毎回ここでは楽しくおいしく、それから何でも好きな酒を飲み放題で題してくれる。生ビールから黒ビール、日本酒へと進む。飲み会は9名の参加がある。その後カラオケに行き楽しい一夜を過ごす。

2016年7月1日(金) 晴れ
冷房を入れながら飲んでいる。
いやぁ今日は暑かった。何度くらいになったんだろう。35度近くいったのではないか?女房のいない朝を娘と二人で簡単に朝食をする。7時ころから草刈り。10時に内船寺に行く予定があったので忙しい。9時にやめて、頭を刈って9時半に出る。10時を回ったころに着くが本堂では佐々井師の講演前に法要をしている。駐車場も車で道まであふれている。本堂もいっぱいの参加者であり、檀信徒の多くが来ているようである。上手く言えないが、どうもこういう状況が僕には正直苦手であり、違和感しかないのである。佐々井秀嶺師がインドで仏教活動をしているのは以前から知ってはいたが、どうも僕のようなものには立ち位置が違うような気がしている。久々にカラッと晴れて暑くなり、やりたいこともあったのでまた引き返してきた。今夜は娘が弁当を買ってくるというので、それを待ちながら、ジャガイモを茹でて、もろきゅうで一杯やりながら待っている。台所は冷房を入れてとても快適。

2016年6月30日(木) 晴れ
やっと少し天気よくなる。 原小の1,2年生が月曜日にザリガニ釣りにくるので、少し回りをきれいにしておこうと草刈りをする。女房は今日から月曜までの旅行に出かける。去年の10月から、橋の橋脚を立てるための現場事務所用地として駐車場を貸していたK建設が今日が期限でプレハブの事務所を撤去する。28日に検査も終わり予定通りに仕上がったとのことで、現場責任者ら3人挨拶に来る。時間の経過するのが早い。そして今年も半年が過ぎた。

2016年6月28日(火) くもり
護摩焚く。 午前中は結構雨が降り、午後になって上り曇り空。朝早くから猿が屋根を走り回り、畑のミニトマトはまた皆盗られてしまう。本堂の回廊には猿のウンコ。猿に関しては、動物愛護と精神は宿ってこない。午後例月の不動護摩。訪れる人もなく猿たちが山に去った静かな本堂で護摩を焚く。立ち上がる炎を眺めながら、いつまでここでこうしていられるのだろうかと考える。

2016年6月27日(月) 晴れ
一日刈込など。 明日雨っぽいので、とにかく今日やってしまわなければと7時前から客殿裏庭の刈込や草刈りなど始めた。紅梅の伸び放題になってた枝も、思い切って強く切り姿勢を低くした。午前中ではとても済まなく、昼ご飯後暑いさなかにまたはじめて結局夕方までかかった。それでも何とかやり終えることができ、これで植栽の刈込は終了。アジサイが終わったころにまたひと仕事が残っているが少し休めそうだ。紅梅の切り落とした枝の処理もしなければならないが。

2016年6月25日(土) 晴れ
午前中草取りなど。
朝には雨が上がっていたので、昨日の続きで刈り込んだ葉を片付けたり、石畳に何十年と生えている緑色の頑固な草?を、先週から雨が降った後に移植ごてや鉄の細い棒など使って掘って抜いていて、今日昼近くまでかかって全部掘り上げてきれいにした。後除草剤でも散布すれば根が枯れるだろうか。草取りしているところへオサムさん来る。お父さんの葬儀も終わってひと段落したとのこと。またゆっくり飲みたいもんである。午後甲府方面に出かける。

2016年6月24日(金) くもり
梅雨らしい。 ここの所ほんとに梅雨らしい日が続く。雨が降ったりやんだり、カーッと暑くなったり。そういう天気を気にしながら今朝も早よからツツジなどの刈込。池の周りも午前中に全部刈ってしまい一区切りつく。二人で片づけていくので作業も早い。午後車の12ヵ月点検があったので作業は午前中で終了。池の面に落ちた葉をすくって片付けたかったが明日以降に諦める。時間がたてば池に沈んでしまいのも仕方がない。刈込はあと客殿の裏庭が残る。点検作業は1時間ほどかかり、三菱のショウルームで読書。山本一力の時代物。2時半ごろに終わって帰り道雨が降りはじめる。帰り着くころには雨足が早くなる。梅雨らしい雨。

2016年6月23日(木) 晴れ
午後から外仕事。 午前中読書。午後雨やんでいい天気になる。ツツジの刈込、ハイマツ、ヒイラギの刈込をする。4時ころまでやって終わる。明日池の周りをやれば表は終わりそうだ。天候が定まらないので明日どうかということがわからないが、まあ順調にいっているだろう。

<2016年6月21日(火) 晴れ
午後になって雨あがり暑さ戻る。 今日は一日外の仕事ができないと思っていたのに午後になって晴れ、暑さがしっかりともどった。午前中は読書。山本一力の時代小説を読んでいるが面白い。昼食後野良着に着替えて梅の枝の剪定をする。剪定といっても何も知らずに適当に短く伐っていくだけのことである。梅の木を伐るルールなんて知らない。あまりに暑いので、ほんの1時間ほどで2本の木を短くとさっぱりさせて終わる。豪一兄ちゃん久しぶりに来て真竹のタケノコを取ってゆく。今日は朝から雨の中を猿がしっかりと本堂の周りに来ていたので、タケノコも頭が齧られたものが多かったようだ。大峯奥駈入峰の申込をFAXで本山に送る。

2016年6月20日(月) 晴れ
4時間も働けばもう一日をしまいにしてもいい。 連日暑い。7時からお昼まで外で刈込や枝下しなどする。午後はもう陽射しも強くて動けないし、昼飯を食えば昼寝がしたくなり、なんといってももう体が「働きたくない信号」を出してくる。読書をしながら3時ごろまで昼寝する。8時間も外の労働はできないので、半分くらいやれば残りはまた明日以降に持ち越しだ。やったところは本当にきれいになってくる。昼に隣りから赤飯をいただいたので食べる。好きなので少し多めに食べたのが腹もちよくて余計眠くなったのかもしれない。最近ネズミがまた出てきているようで殺鼠剤を置いたりしているが、シートのネズミ取りに一匹かかった。

2016年6月18日(土) 晴れ
夕飯は外で。 今日も暑い暑い一日。6時過ぎにはもう太陽の陽ざしが強くある。朝飯をとる前に久しぶりに歩く。朝食後昨日届いた、「工進 背負い式乾電池除草スプレー 除草名人 JS-10 [10L] 」という噴霧器を使って除草剤を散布する。amazonのコメントにもあったように、確かに霧状の散布ができず、薬剤の消耗が著しい感じはしたが、手押しで肩に担いで撒くよりはずっと楽になった。撒いているところへ東海師がバイクで現れる。3月の異動以来だからほんとに久しぶりだ。新しい職場も忙しいようだが、休日はしっかりとれているようなので安心。お茶を一杯飲んでもらいまた7月の「夏の陣」での再会を約す。彼が大峯に行けるときに一緒に上れるだろうか。今年の大峯はよかったなぁ。午後少し日が傾いてから、竹林の外に伸びてきたタケノコを刈り払い機で1時間ほど刈ってきれいにする。午後6時に川口さんのお父さんの通夜に行く。川口さんとこは今年は葬儀続き。こういう年もあるのだろうが、葬儀はもうそれ自体が故人にとっては最後だから。また落ち着いてからゆっくり飲もうねと。女房と娘が「明日父の日だから、外に食べにいこう」と、南プスの「ふたば食堂」へ行く。初めての店で大変に混んでいた。少し待って席に着き、生ビール飲みながらおいしいものをたくさんいただいた。住んでいる場所が辺鄙なところなのでほとんど外食はしないし、近くにそういう店がない。まあ一年に一、二度はこういう日があってもいいかもしれない。

2016年6月17日(金) 晴れ
暑い。 気温ぐっと上がる。午前中ツツジと生垣の刈込をする。毎年刈り込んだ後の葉の始末がたいへんなんだけど、今年は女房が後を片付けてくれたのでずいぶんと楽だった。午前中に手作業は終了。とても暑くて外の仕事は続けられない。4時近くになってから畑に管理機をかける。明日も30度越えになるという。

2016年6月15日(水) 晴れ
刈り込み。 民俗資料館と畑の境の生け垣を刈りこむ。なかとみICの橋の橋脚の仕事で駐車場にプレハブの事務所を貸してあるK建設の現場主任のT君と少し話をする。もう橋脚は仕上がっているようで完成検査を待つのみだそう。今月30日にプレハブを撤去するとのこと。11月から8か月貸していたことになる。工事も順調にいったようだ。明日天候が悪くなりそうなので午前中で刈込を済ませた。昨日刈った畑の草と合わせて燃しながら刈り込んだ枝葉も片付けた。湿り気を帯びた強い風があったのでよく燃えた。夕方になって少し曇ってきたようだ。しなければならないこともまあ順調にいっている。

2016年6月14日(火) 晴れ
草を刈る。 参道両側の畑と民俗資料館前庭の草を一日かかって刈ってしまう。朝から暑くなってずいぶんと日焼けした。明日はまた明日の調子で。植栽の刈込などしなければならないが、けっこう疲れた。でも都知事の桝添さんのように追及されたり、やり込められたりされてるわけじゃないので、頭の中には嘘偽りがないのでその点は清らかなものだ。何も考えてなくてただ暑ければ水を飲むって具合だから。

2016年6月14日(月)
梅雨らしい雨。 映画を見たり本を読んだり。午後になってようやく雨がやみ、女房はタケノコを取りに行きおともだちのところに配る。梅雨らしい一日、今日もまたのんびりと過ごしてしまった。

2016年6月11日(土) 晴れ
一日のんびりする。 昨日も今日の山梨もいい天気。朝のお勤めをして一日のんびりする。午前中秋山さん、修さんタケノコ採りに来る。1回食べる分ほどはあったようだ。午後愛知からの参詣者あり。本尊開帳する。根付の鈴一つ求めてゆく。3時過ぎに本山から送ったスーツケース届く。明日から天候が悪いようなので女房に頼んで袴や白衣、下着類など洗濯してもらう。畑の草も丈が伸びてきた。刈らなければならないが、来週があいにく天気予報が悪い。まあ適当にやるしかない。

2016年6月10日(金) 晴れ
大峯花供入峰D。 叶屋での朝。散歩がてら二人で北野天満宮を詣でる。早朝でほとんど人気はない。コンビニでサンドイッチを買って宿で食べ、8時半に出る。歩いて松屋常盤で「松風」を買う。朝いちばんだったのかもしれないが、松風の尻尾のようなところの切り落としをビニール袋に少しいただいて道を歩きながら食べる。美味い。京都駅で1時間ほど別々に時間を過ごし11時の開店で2月に寄った鉄板焼き「京とんちん亭」でお昼。ねぎ焼が美味。11時56分の新幹線で帰途に就く。午後3時半ごろ下部温泉着。帰ってきて帰山報告で夕のお勤め。

2016年6月9日(木) くもり
大峯花供入峰C。 午前3時朝食。その前に風呂に入る。宿にお礼を言って出る。4時半、龍泉寺からバスで地蔵峠登山口まで40分ほど移動する。地蔵堂で御法楽し鳳閣寺への坂道を歩く。雨を心配しているが大丈夫。鳳閣寺で柴燈護摩厳修。地元の檀家の皆さんから例年のごとく「ぜんざい」の接待をいただく。ここからの吉野下りが始まるが、見晴らし台からの眺望がとてもよかった。発足、針葉樹の山の細い道を歩く。3人の院生の掛け声だけでなく、随喜の僕らも声出しを始めた。一体感がまたこれいい。1時間弱で金峯神社に着く。御法楽の後おにぎりの昼食。さすがにおにぎり3個にも飽きてくる。発足し一路吉野蔵王堂に向け下る。6日から今日まで衣体は襦袢も含め毎日同じもの。雨こそ今年は吸っていないがたくさん汗をかき、昨日の大峯山上では汗をかいた後、霧が出てくると体が急に冷えたりした。吉野の宿通りの手前で列を整え、幡を先頭に螺を立て進む。金峯山寺蔵王堂着。本堂外陣で最後の御法楽をする。終えて石段で記念写真。終えてホッとするも何やら終わってしまったかという寂しさもわく。吉野の駅にロープウェイで下る。午後1時バスで醍醐寺に向け出発。午後3時醍醐寺着。バスの中はみなぐったりと就寝で静かなもの。今年はなんと途中トイレ休憩も取らずに帰ってくる。起算してすぐに隊を整え護摩道場で峰入りの山から帰ってきた「駆出護摩」を厳修する。終えて三宝院玄関で最後の御法楽をはじめたら、ザーッと雨が一気に降り注いでくる。わずか10分ほどでほぼびしょ濡れ。最後の最後の最後で雨にやられる。まあこれもしかたがない。でも雨のない峰入りだったことはありがたいことだった。白書院で入峰証とお弁当をいただく。叶屋へ行くので僕らは食べずにいただいてくる。修証殿で送り返す荷物を作りバスで京都駅へ。八条口でタクシーを拾い叶屋に向かう。先ずは銭湯。熱い湯につかり体を洗い、水風呂できりっと締めてから出る。「楽庵」では鱧鍋を用意してくれてあった。生ビールとワイン、日本酒でおいしい夕食をいただく。さすがに遅くまでは体もたず、宿に帰り着くとどてっと就寝。

2016年6月8日(水) くもり
大峯花供入峰B。 午前3時龍泉寺に集まり発足。深夜法螺貝が真っ暗な洞川の宿に響き渡り、それぞれ明りを持ち、大峯登山口の清浄大橋まで進む。途中女性は稲村ヶ岳(女人大峯)へを別れる。いよいよ修行登山始まる。今年は院生が3人なので、 「懺悔(ざんぎ) 懺悔(ざんげ) 六根清浄(ろっ こんしょうじょう)」 の掛け声とともに小走りに山を上って行くのも少し可哀想な気持ちになる。天候は悪いが雨は降っておらず。いつでも切れるようにリュックの脇のポケットにポンチョを入れておくも結局出番なし。おととしも去年も雨にたたられた。雨のない大峯の花供はまさに奇跡に等しい。午前6時過ぎに山上に到着。そこから小篠根本道場へ峰を縦走する。両側が笹の小道の真ん中に何か所か獣の糞があったが、帰りには分の跡形もなかった。ということは....ということだろう。小篠の道場で峰中門跡導師で柴燈護摩厳修。山上の大峯山寺道場で柴燈護摩。終えて参籠所でおにぎりの昼食。ゆっくりと山を下りる。行場での事故が何件か起きているとのことで、今年から行場に入る者から承諾書を取るようになっていた。後で聞くと、先達の指示に従わずに勝手なふるまいをする輩がいて事故につながっているとのこと。自業自得と云っちゃえばそれまでだが、でも厳かな修行のお山での行動は観光登山ではない。下りきって「女人結界」の門から大峯の来た道を振り返り、また来年も来られますようにとお願いとお礼をする。大橋茶屋横の公衆トイレで排便。去年もここの男女トイレの中間にある多目的トイレに入らせてもらう。中が広くて袴の帯を解いたりするのにはとっても便利。行藏院ご住職は登山の始まる直前にここへ寄って難を逃れる。僕は去年も今年も降りてきてからここに飛び込んで事なきを得る。龍泉寺に列をなして進み帰山の報告をして解散。昨日の店でまた4人で少し飲む。6時半から夕食。皆疲労困憊で、明日の準備を済ませて就寝。

2016年6月7日(火) くもり
大峯花供入峰A。 朝4時半朝食。三宝院玄関前で上醍醐に向かって御法楽し、留守居の皆さんに見送られてバスにて出発。7時過ぎに大阪報恩院着。ここで近畿連合の皆さんと合流。大阪不動寺の草柳師とも挨拶する。御法楽して出立し、列をなして四天王寺へ向かう。8時半頃に着き柴燈護摩厳修。ここから近鉄阿部野橋駅まで歩く。貸切列車にて下市口へ。車中でおにぎりの昼食。お昼過ぎに下市口着。バスに分乗して洞川へ。参加者が少ないので座席に比較的ゆとりがある。午後1時半ごろ洞川着。駐車場で泊る「さら徳旅館」の車に荷物を預ける。洞川の宿を列をなして龍泉寺に向かう。今年も大勢の地元の皆さん道の両側に並んで迎えてくれる。特に小中学生の皆さんが大きな声で「ようお参り」と声かけて迎えてくれる光景には毎回感動を覚えずにはいられない。大峯の麓の村を大事に守ってくれている。龍泉寺で御法楽とと柴燈護摩法要。解散してそれぞれの宿に。僕らは他の3名の参加者と同じ部屋に泊まる。風呂が部屋の外にすぐあるので都合がいい。外を散歩して引敷なども売っているお店で山崎、柴田師と軽くビールで潤す。6時から夕食になり、3名の同宿の方々と自己紹介などする。明朝(?)1時半の朝食をお願いする。

2016年6月6日(月) くもり
大峯花供入峰@。 朝7時過ぎの身延線ふじかわ号で静岡、新幹線に乗り換え経由で京都へ。甲府の行藏院ご住職と一緒。京都駅に11時少し前に着く。八条口の食堂街をぶらぶら歩くと開店前に行列のできている店があるので、ついつられて並ぶ。前列の母娘連れに「何がおいしいんですか?」と訊くと、「ハンバーグステーキ」だというので僕らもそれにする。「グリルアンドバー東洋亭」のハンバーグステーキ。久しぶりにうまいハンバーグステーキを食べた。12時半の醍醐寺行きバスに乗る。新潟からの参加者山崎さんと一緒になる。今年の随喜修行者は男性13名女性1名とだいぶ少なかった。月曜から始まるというすべて平日の日程が勤め人の方の参加をダメにしてしまったのかもしれない。一年ぶりに会う方々とあいさつを交わし、午後2時から駈入護摩。なんと伝法学院生が栞の名簿上は5名なのに3人しかいない。ここにきて2名辞めてしまったということか。明日からの天気が少し心配だが今日は何とか雨はなさそう。宗務総長導師で厳修。午後5時半からカレーの夕食。肉なしの蒟蒻、厚揚げなどの入ったカレー。まあこれはこれで美味い。夕食後、総門前の「畑山商店」に行こうとするがきついお達しがあり断念。誠に残念。就寝。

2016年6月5日(日) 晴れ
花潤う。 >雨が降ったのでアジサイも息を吹き返した。いい色になってくる。竹林に真竹のタケノコも少し生えた。たくさん採れて分けてあげるようなほどにはまだ採れない。雨が午後止んで夕方になって西の山に沈む前の太陽がまた暑さを降らせてきた。明日の今頃は醍醐寺で駈け入り護摩が終わったころになるのだろうか。雨のない大峯行きになるといいのだが。

2016年6月3日(金) 晴れ
内船寺へ。 妹に初孫が誕生したので、赤ちゃんを見せてもらいに行ってきた。一か月と少し経ったところで、少し見え始めてきているようだった。それから住職の晋山のお祝いも渡してくる。内船寺にも家族和やかな静かな時間が流れているようだった。コーヒーとケーキを御馳走になり、高そうな線香もいただいて帰ってきた。頭の傷も大したことなく日曜には頭を刈れそうだ。墓地にかかる竹を午後片付け始める。2時間ほどしてまだまだ終わらない。「方丈さんもう夕方だよ」と、墓参りに来た檀家から声かけられておしまいにする。ついつい結果が見えないと収まらない性格が強く表れ始めて時間を忘れてしまう。がまんして、引き出した竹もそのままにして終わりにする。電車の切符を買い、醍醐寺宛スーツケース送る。

2016年6月2日(木) 晴れ
鹿。 朝のウォーキングで鹿が一頭獣除け柵の内側に入っているのを見つけた。つまり、人間の居住する区域ということ。冊を飛び越そうと何度も挑むが越えられない。柵にそってそのうちに見えなくなってしまう。墓地の草刈りの続きをし、何とか草刈りを終了。今日は吹く風が冷たくて作業にはちょうど良かった。午後3時ごろから墓地に覆いかぶさるように垂れてきた竹を少し始末する。切るだけ切って片付けられなかったので、これはまた大峯から帰ってきてからだ。大峰から帰ったらツツジの刈込とかもしなければならん。昨日今日と獣除け柵の扉の開閉当番で、夕方閉めに行くのに、柵に沿って足元の悪いところを歩いて行ってみた。門扉のところに行くと、朝見た鹿かどうかわからないが一頭いるではないか。奴らの居住する側に戻れないようでもがいているようだったが、またそのままどこかに行ってしまう。ちょうどそこに知り合いが犬の散歩から帰ってきたので鹿のことを話しながら、僕は閉める扉に近づこうと足を踏み出したら、一瞬何が起きたのかわからなかったが、すとんと落ちて頭を打ってしまう。知り合いは「大丈夫ですか!」と声をかけてくれ、側溝に足を滑らせて落ちてしまったことに気付いた。「頭打ちませんでしたか」と訊くので、左後頭部に痛みを感じるので触ってみるとうっすらと血が掌に付く、大した出血ではなさそうなので「大丈夫だ」といい、門扉を閉めてうちに戻る。風呂で鏡に映して頭の様子を見るも、ひどくはなさそうだし、気分も悪くない。たんこぶになって腫れはじめた。やばかったなぁと思う。打ち所が間違えば大峯行きどころではなかったかもしれない。左腕を擦りむき、左肩も強打したようで少し痛みがある。日曜日に頭を刈ろうと思っているが大丈夫かなぁというところが気になっている。

2016年6月1日(水) 晴れ
暑いので草刈りも大変。 10時過ぎにパソコンの不具合を直司に来てくれるというので、9時過ぎまで昨日の続きをする。今日も一日とても暑かった。Cドライブの表示が赤くなるような容量のなくなる事態に陥ってしまい、ネットで検索してそういうところに頼んだら今日来てくれたのだ。原因はネットの履歴が蓄積されてそれが溜りに溜まってしまったということ。YouTubeなんかが大きな原因だったようだ。ただ、知ってさえいれば自分で解決できていた。こういう不要なものを消去する無料のソフトがあるということを知らなかった。それをDLして履歴を削除しはじめたらあれよあれよという間に容量が元通りに増えてきた。でもおかげで助かった。富士吉田から来てくれたということであったが助かりました。これからは月一くらいでこのソフトで処理していけばほぼ問題なし。

2016年5月31日(火) 晴れ
一日草刈りの翁。
竹林周りは今年初めての草刈りになり、相当に丈も高く伸びていた。ここ何日か沢の奥の方へ歩いていくと、真竹のタケノコを食いちぎったのが所々にあって、これはサルの仕業だけど、うちのタケノコも奴らに食われたらもったいないので、草刈りをして女房に昼近くに取りに入ってもらった。何本か出ていてさっそく煮物にしてくれる。夕飯時が楽しみだ。昼少し休んで外に出ようとしたらものすごく暑くなっているので、3時過ぎまで我慢してから1時間半強作業をする。だいぶきれいになったがまだ終わらない。明日はパソコン修理に来てもらうので、うまく時間がやりくりできるだろうか。

2016年5月30日(月) くもり
恵みの雨。
やっと雨になる。アジサイも命の輝きを取り戻した。先日植えたツツジや桜の苗も葉の勢いを取り戻した。雨が降ったので、そろそろ竹林の真竹が伸びはじめるかもしれない。竹藪前を明日草刈りをして中を覗いてみよう。猿に盗られる前に収穫しなければ。真竹もこれがまた美味い。女房の知り合いの何人かは毎年これを待っている。午後小雨のなかを1時間ほど歩く。東京方面の7月の盆の棚経の順路など検討する。大峰行きの荷物をスーツケースに詰める。

2016年5月29日(日) 晴れ
本堂掃除。
護摩の後の片づけ。本堂の掃除。4月のお祭りの後の掃除はくたびれていたのであまり丁寧にやらなかったので、今日はその代りに丁寧に掃除した。板戸の隙間などからほこりが舞い込むので、床も少しざらついていた。護摩壇もきれいにする。お昼近くにはリュックを背負った高齢者のグループが来て木陰で昼食をとっていかれた。雨が降らないので、アジサイがかわいそうと女房。明日に雨を期待したいものだ。

2016年5月28日(土) 晴れくもり
法事あり。
10時より金岡家の七七日忌の法事が自宅である。終えて墓地に移動して納骨。終わってアピオに移動して御斎。今日は酒をいただけず。午後2時から例月の護摩。甲府からB夫妻参座してくれる。いよいよ暑くなってきたので護摩も汗が噴き出すは、炉の脇の五穀器などの仏器は熱くなって触れなくなる。もう5月も終わりになる。「月刊フラワーズ」という女の子向けの漫画雑誌の7月号(昨日か今日発売)に、萩尾望都が40年ぶりに「ポーの一族」の読み切りを書いたとあったので、これは欲しいと思っていて、今日amazonや他のところも検索したのだが、軒並み売り切れとなっている。しまった!不覚を取った。予約しておけばよかった。大失敗である。

2016年5月27日(金) くもり
今回が最後になる2年生。
毎年5月に地元の小学2年生が授業の一環で寺にくる。今年の2年生は女子3名、男子2名の5名。全校児童が36人とかで、来年の4月には閉校になり、下部小とともに下山小学校へ通うことになる。だから今年が最後の寺詣でになる。引率してきたのは担任と教頭。児童数が少ないので複式学級対象になってしまうので、複式を解消するために町単独で教員を採用している。2年の担任もそうだった。本堂で不動明王や護摩の話をし、児童からの質問を受ける。途中で塗香をとって「身を浄める」ということを話し、掌にとってみますかというと、すかさず教頭が「アレルギーがあるといけないので困る」というので、匂いだけかいでもらった。毎年塗香を児童に手に取ってもらってたので、「アレルギー」は予測していなかったことでちょっと引いた。まあ慎重もわかるが、教師によってもいろんなタイプがあるものだと思った。最後に明日護摩を焚くので、護摩木に願い事を書いてもらった。科学者になりたいとかアイドルになりたいとか。担任教諭は、「絶対合格!」とあったので、教員採用試験に受かる目標をもっているようだ。
午後1時からエルクの社長のお父さんの葬儀に行く。初七日法要に出てくれということだったので1時前に家を出た。昼飯抜きで出かける。曹洞宗の葬儀だった。従姉以外はほぼ見知らぬ方ばかりで、なんだか昼飯を御馳走になりに来たような申し訳ない気分だったが、腹が減っていたので皆平らげてしまう。従姉を市川大門駅まで送って帰ってくる。

2016年5月26日(木) 晴れ
墓地の草刈り。
土曜日に49日忌と納骨があるので、せめて参道脇だけでもきれいにしておかなくてはと始めた。天候が下り坂なのだろうと勝手に判断して始めたのだが、午前中ものすごく暑くなる。2回水分補給して1リットル飲む。7時半から11まで刈る。参道を掃いてきれいにするだけの余力がなくてそのままリタイヤ。お昼前に都留の山本さんお友達二人連れてお祭りのお札を持ちに来る。簡単に素麺の昼食を食べて行ってもらう。午後2時から定期受診。帰りにコメリに寄り、200円になっていた白いつつじ苗一鉢買う。病院を出るあたりから空模様が変わり冷たい風が吹いてくる。帰ってきてすぐに墓地に行き掃き掃除をはじめる。枯れ草もまとめて燃す。夕方5時まで。汗はかかずに気持ちよく作業できた。エルクの仁さんのお父さんの通夜に内船寺夫婦が行くというので女房も同乗させてもらう。

2016年5月25日(水) 晴れくもり
天気下り坂に。
午後はだいぶ涼しくなった。このくらいが気持ちいい。エルクの仁さんのお父さんが亡くなったという連絡貰う。明後日の葬儀に行く予定。映画、ドラマ観る。朝夕野山歩く。少し雨が欲しいと思う。雨になってくれればいいのだが。

2016年5月24日(火) 晴れ
法事あり。
京都も暑いが山梨も負けずに暑い。ここ数年毎年暑い夏を更新しているという。午後1時半から遠藤家の法事。先祖供養をしてから、施主がカロートの中に納めてある壺の骨をカロートの中に撒いてしまいたいというのでそれにも付き合った。あとは一日のんびりと映画を見たりする。メダカがもう10数匹孵化している。アジサイも少しずつ色づきはじめた。

2016年5月23日(月) 晴れ
宗務所長会。
2月の仁王会前行以来の登山。10時から所長会。京都は暑い。例年と違うことがあった。昼食はこれまで、修証殿食堂で慣例のきつねうどんだったが、なんと今日は白書院でそば御膳のような豪華な昼食が用意されていた。氷の敷かれた上にそばが盛られ、脇には巻ずしと天ぷら、ごま豆腐。会議そのものは可もなく不可もなく流れて午後3時前に終了。帰りの電車は3時56分を逃すと、5時56分になってしまうので最後の集合写真は勘弁させてもらって帰る。新幹線に乗り込むと、山形の二人の所長さんが「おいっ」と声をかけてくれて、「えっ」と驚いたら、「タクシーを呼んであったんだよ」と。おとなな対応だなぁと感心する。さて次は6月6日からの花供である。

2016年5月22日(日) 晴れ
京都は暑い。
9時過ぎの電車で京都へ、1時前に着く。奈良線に乗り換えて「稲荷」へ。伏見稲荷大社を詣でる。先ずは参道の食堂で稲荷ずしとビールで昼食。日曜なので混んでいたし、外国人の多さには改めて驚いた。それから着物(浴衣)を着て歩いている女性をよく見るとほとんどが東南アジア系の外国人なので観光客だ。テレビや雑誌などで目にするここの千本鳥居を歩きはじめる。入口は渋滞しているが少し進むと渋滞はなくなる。歩きはじめたら途中でやめられなくなって一山ぐるっと歩いてしまう。あとで調べると一里ほどあるということだから4キロ。三条まで地下鉄で移動して京都御苑したにある松屋常盤で松風を求める。ちょうどひとりお客さんが帰るところで、「二つ下さい」というと、今日の残りが最後の二つで、ひとつ800円のところを「最後ですから1500円でいい」と言ってくれた。醍醐寺で土産にいただいた松風が忘れられなくて、こちらへ来るたびに寄らせてもらっていると話した。ここのはほんとにうまい。さらにここからずっと歩いて叶屋へ。定休日の楽庵がお客さんの都合で開いているということで、僕も行かせてもらった。その前に銭湯。店では鱧(はも)鍋をはじめて食べさせてもらう。薄味だが、タマネギとの相性がよく美味で酒もすすんだ。

2016年5月21日(土) 晴れ
暑いけど歩いた後は清々しい。
なんとか大峯に行くまでに山道を歩く足腰に鍛えなおさないといけない。体重が減るのは二の次である。確かに軽くなれば足の運びも容易になるだろうけど、歩いた次の日に痛くて歩けなくなってしまうようなことでは困るのである。朝と夕で何とか10キロぐらいをこなしていきたいのだが、雨の日もあるし、朝夕両方歩けるとも限らない。まあ仕事がないので時間があるってことだけはありがたい。明日は今日との市街地を久しぶりに歩けるので楽しみだ。先ず、伏見稲荷へ行こうと思っている。あとは銭湯が楽しみ。京都行きの準備する。

2016年5月19日(木) 晴れ
Jマート閉店セール。
朝のチラシで増穂のJマートが閉店するのを知り、女房と昼食後に出かけた。昨日のようにツツジでも安ければ買おうと思った。木曜日なのに店内は結構混んでいた。僕らも日用品など買いこみ、朝顔の苗なども買う。ついでに増穂のコメリにも寄るが結局ここがよかった。昨日の飯富のコメリのようにツツジが安くなっていたので6鉢買う。桜の苗も2本買う。欲しかった蓮と水蓮も一鉢買う。帰ってきて遅くまでかかって植える。蓮は少し大きめの広い鉢に植え替えて池に沈めた。水蓮はメダカの入れてある盥に置く。昨日はじめてメダカの孵化が確認できた。これから毎日増えていく。法事の塔婆など午前中書く。

2016年5月18日(水) 晴れ
暑くなる。
昨日は午前中いっぱい雨。午後から少し天気回復。今日は朝からいい天気。気温も上がる。野山を歩く。身延駅へ京都行きの切符を買いにゆく。住まいの座敷の襖を貼りかえる。何十年と襖紙がはがれたままだったので、コメリで買ってきた。ド素人で、こういうものに関する仕事のセンスは皆無なので、できあがりはとても公開できるものではないが、まあ剥がれたままで下地の板が見えているよりはいいというぐらい。オクラの苗をまたふたつ買ってきた。ツツジが安く売っていたので5鉢買ってきて植える。

2016年5月16日(月) 晴れ
記憶にない。
この国の首都を預かる人が、「記憶にない」というようなあいまいな発言に終始して、疑惑報道を逃げ続ける。「記憶にない」などと、自らも認知症の母親の介護を体験して手記まで出している人なのだから、もしそういうことなら潔く辞職したほうがよほど世の中のためになる。そうそう簡単に、あったことなど忘れようにも忘れられないものだ。

2016年5月15日(日) 晴れ
区の環境整備。
夕べ飲んであっという間に眠ってしまい、我慢できなくなって3時前に起きて映画やドラマを見る。4時半ごろ朝飯にして、排便、お勤め、野山ウォーキング。7時半過ぎに外に出て畑のオクラに水やり。8時から区の環境整備。ゴミ拾い、水路の泥あげ、通学路の道端の草刈りなど。9時半から獣除け柵の草刈りと除草剤散布作業。午前中いっぱいこれに出労。今日も暑くなる。午後はのんびりとまた映画など。夕方また野山歩く。夕方になり少し風強くなるも、暑い日続きで風邪が吹くのはとても心地が良い。Bill Evansのピアノ聴く。

2016年5月14日(土) 晴れ
御朱印女子。
もうまさに真夏の陽気である。今と僕の部屋にタテスを出して張った。この日除けが緑のカーテンなんかよりよっぽどいいのである。設置が何せ簡単。我が家は広いのでしまっておく場所もたくさんあり、タテスもいちいちポールを外して畳んで仕舞う手間もいらずに、ポールを挿したままくるくるっと丸めて納屋の梁の上に長いまんま置いとけばいい。でもまあ今年も一応僕の部屋の外半分には緑のカーテンを設置した。あとはプランターに土を入れて手設置すればあとは女房が好みの朝顔を植えることになる。10時半に不動明王の拝観がある。18年ほど前に一度来たのだといい、「やっぱりお不動様いいですねぇ」と懐かしそうに眺めていく。この後明王寺に行くのだというので、「友達ですよ」と教えてあげた。午後暑いさなかに二人の若い女性ご朱印をもらいに来る。御朱印ガールが俄かに急増しているという噂なので、こんなのも影響しているのかもしれない。寺を訪ねてくれる人の出入りがあるのはやはりこちらもうれしいものである。

2016年5月13日(金) 晴れ
健診に行く。
午前中の住民健診に行ってきた。基本健診は受けられないのでガンに関する健診のみを受ける。10時半までが受付だったので10時を回って家を出たのだが、遅く来る人たちはそれなりに居るもので、11時過ぎまでかかった。朝食抜きの昼食を食べるも、なかなか排便に至らず。それでも飲んだバリウムの塊は出たようだ。朝と夕の山を歩く。東海師にメールを書くとほどなく返信がある。3月まではこっちにいたが、甲府に転勤になってしまいまた当分会えそうもない。彼も僕もそれぞれのことを精進するだけのことである。昨日も今日ももう真夏のような一日で、昼過ぎは外に出られない。夕方風が出てきて新緑の大木を揺らすのをしばらく眺めている。

2016年5月12日(木) 晴れ
道の草を刈る。
午前中本堂裏の山道の草を刈る。昨日雨が降ったのでまた一段と繁ってきていた。大峰行きのために体重を落とし足腰もまた新たに鍛えなければならないので、こういう作業も貴重な時間になる。毎日大体4時過ぎくらいに起きて1時間ほどとりためた映画やドラマなどを見る。そしてお勤めをして朝食ということになる。仕事をやめて4年たったが、辞めてからWOWOWの映画やドラマをたくさん見るようになった。でも昔から長い時間画面を見続けるということに集中できなくて、だから映画なんかあんまり見なかったんだけど、初めのころは面白くて我慢しながら見たが、去年あたりから通常の再生よりも早い再生速度で映画を見るようになった。邦画は日本語の話し言葉が早くなって聞き取りにくくなるので、早い再生には不向きだが、洋画はどうせ音声から出る言葉がわからず、字幕で内容を把握することになるので、字幕を読み切ることに少しずつ慣れてくればはやい速度の再生でも内容の理解はできるのである。早いといったって2倍も速いわけじゃない。それでも、せっかちな僕はこういう風にして2時間映画を少し早く見終えることを日々しているのである。7月2日に「醍醐夏の陣」が計画されたメールが入ったので甲府に宿を予約した。高橋君に連絡を取ると彼も行きますとのこと。予約のついでに7月の東京方面の棚経も15(金)16(土)で行くことに決めて宿を予約した。早めに取っておかないと直前では取れないことがある。これでいくつかはひと安心。

2016年5月11日(水)
雨になる。
朝方は雨も風も少し強く吹いていたが時々陽も射したりして、温度は高く蒸し暑く感じられた。結局一日雨が降っていた。昨日も今日も映画とドラマ三昧。北野武監督作品をWOWOWでやったものを立て続けにみている。「その男、凶暴につき」「ソナチネ」「HANA−BI」「BROTHER」「龍三と七人の子分たち」と見たが、初期のものが面白かった。北野武自身も若いということもある。ただ、こういうやくざ者の映画というのは、最初の作品「その男、凶暴につき」から一貫して徹底的に凶暴なんである。とにかく問答無用に殴る蹴るそして撃ち殺すである。どうもこの辺りがやくざ者という題材の単調さがあるように思える。別に反吐をはきたくなるわけではないが、やくざ者の限界のようなところが気になって仕方がなかった。この人には調べたらまだ他の映画もあるようなんだけど。まあでも面白いことは面白い。

2016年5月10日(火) くもり晴れ
大峯花供入峰申し込む。
午後行藏院のご住職から電話があり、6月の大峯花供のことを話し今年も行くことにした。6月6日から9日までで、9日に本山に帰山して駈け出し護摩に出るとほぼ夕方になってしまい山梨に帰る静岡からの電車の連絡がないので必然もう1泊することになる。今年も叶屋へ泊めてもらうことにした。今月23日には宗務所長会で前日に泊ることになっている。ここに泊るのももう5,6年続いている。去年からほとんど歩かなくなっているので相当太ってきてしまった。きっかけを何か作らなければならない。大峰行きのために少し足を鍛えておかなければ大変なことになる。午後30分ほど裏山を歩いた。続けなければ意味がないのだが。

2016年5月8日(日) 晴れ
佐田家屋敷神。
佐田家の屋敷神「三國院」のお祭りをする。暑くなった。10時からで佐田さんとも久しぶりに会い終わってから座敷で一杯いただきながら話をする。父と同い年の人で、ここ数年病を得て体調のすぐれない時もあるがそれでもまだ元気で何とかやっている。人の命なんてものは必ずしも早く生まれた者から亡くなっていくということは当てはまらないものである。NHKのアーカイブスで水俣病を扱った番組を見る。

2016年5月7日(土) 晴れ
家族サービス。
娘が明日も日曜の出勤なので、今日3人で松本方面にドライブしてきた。明日までを大型連休とみている向きもあるようだが、今日は中央道も空いていて出かけるには渋滞でイライラすることもなく良かった。もっとも出かける時間が8時と速かった。松本へ行きたいというので、向こうに10時頃に着くには8時に出ようと二人をせかせて出かけた。女鳥羽川沿いの駐車場に停めて民芸店などをまわる。ちきり屋でガラスのコップなど買う。ここのコップを定期的に補充してもう何十年も愛用している。昼食をとって12時過ぎに松本を出て小淵沢に向かう。小淵沢では去年行きそびれた「SARASA」へ寄り、その後アウトレットへ。きっと3連休中は混んだのだろうが嘘のように空いていて、のんびりと店を覗いたりして、もう一つ小淵沢の道の駅にも寄ってまた高速で帰ってきた。軽自動車になって初めて高速を走ったが、120キロぐらい出たので僕的には満足。いささかお疲れになりましたが。

2016年5月6日(金) くもり
PayPal。
欧州のリトアニアにある「NoBusiness Records」からメールが届いて、在庫の半額セールをする、送料も半額代金のなかに含まれるという内容だった。Yahoo翻訳を使って大雑把に内容を理解した。3回ほど利用したことがあり、今回の半額とは通常1枚12ユーロが6ユーロになっていて、今1ユーロが大体122円くらいなので、732円前後で買えるということで、なおかつ送料代金も含まれるのだからこれはいいということで10枚買うことにした。会社のHPから買ったことしかなかったので、60ユーロをどうやって送金したらいいのだろうと少し考えて、ここはPayPalというシステムで買うので、PayPalから会社への直接の送金方法をネットで調べて、送金のコメント欄に、きぼうのCDナンバーを記載して送金した。一夜明けてNoBusiness Recordsからお金を受け取ったことと、CDを送るというメールが届いた。最後に「Hope you 'll enjoy the music」というメッセージが添えられていた。このJAZZレーベルはちょっと前衛的なジャズのアルバムを出しているところなので、きっと経営的には厳しいのかもしれない。日本にも「オフノート」というちいさなレーベルがあったが、1年に一度ほど3割引きとかで商品を販売するというメールがよく届いた。楽しみに待ちたい。

2016年5月5日(木) 晴れ
オクラを植える。
今日も快晴。連休ということで渋滞しているのか昼過ぎに何台か救急車が通ったのでどこかで事故でもあったのか国道が渋滞している。午前中コメリでオクラとミニトマトの苗を買ってきて午後管理機をかけてから植えた。ほったらかしの畑なので、管理とか収穫とかにはこだわらないので毎年この作業をしさえすればほぼ満足なんである。オクラはサルが来てもこれだけには手を付けないので毎年植えている。トマトは何度か盗られることになる。

2016年5月4日(水) 晴れ
朝方どっかーんと雷とどろく。
3時半過ぎに起きる。ビデオをつけると見る映画がないので、一昨日からWOWOWでやっている「はじめての談志×これからの談志」という立川談志独演会を見始める。『粗忽長屋』と『芝浜』だけ見たが、「柴浜」はいままで他の人のなら聞いたことがあったが、男子のは少し変わっていて彼独特の調理法というか、とても面白かった。外は雨風が吹き荒れていて、4時を過ぎたころに、「ドッカーン!」とものすごい音の雷が轟いた。それを機に雨が収まり5時半過ぎには止んで、6時から朝のお勤めをするときにはもう陽が照りだして、相変わらず風は強かったが爽やかな朝になった。
午後には風も収まりまるで夏のような暑い日になる。

2016年5月3日(火) 晴れ
国道渋滞する。
早川町の山菜祭りがあったので午後3時ごろになると国道がノロノロと渋滞しはじめた。やはり5月のゴールデンウィーク中は、天候さえよければ静岡側へ下る車、清里、長野方面に上る車が多い。信号機の関係で渋滞が起きることもしばしばである。こういう流れを見ているだけでうんざりとしてくる。出不精の虫がより大きくなる。朝3時過ぎに起きて映画を2本ほど見てから朝食を取り、お勤めして、外に内藤君からもらったキース・じゃレットのソロ・ピアノを流しながら護摩木を作る。こういう時間が至福という僕の感覚。女房が護寺会の法被も洗濯してアイロン掛けしてくれ、めんどくさいなと横目で見ていた外の柴燈護摩の前机に立てて、灯明の蝋がたっぷりと垂れてしまった大きな燭台を夕方のお勤めを済ませてから40分ほどかけて蝋を落としきれいに磨き上げた。お祭りの片づけもすべて済んだ。今夜から明日の朝にかけて強い雨と風があるという。

2016年5月1日(日) 晴れ
風薫る。
風薫るという表現は誠にこの季節にピッタリだ。こういう感覚を持ち合わす集団の一員でいられることを誇りに思う。29日の祭典も無事に終わり、昨日は片づけをし、今日から5月。片付けは大方終わった。体の方が疲れている。夕方になって和歌山から来たという女性3人男性1人が訪ねてきて、お不動様にお酒をあげてくれというので本堂に案内してお開帳する。4時半を過ぎていたので、僕も後から本堂に戻って夕のお勤めをし、その方たちにもそのままお付き合いいただいた。お不動様の寺を巡っているのだとか。「法螺貝も上手ですね」とお褒めの言葉をいただいた。祭典当日の朝早く(5時過ぎ)お勤めをしていると、男性が現れて僕の横に座った。名古屋でトンネル工事に携わっていたが終わったので北海道に帰るところで、急がない旅なので、好きな寺社巡りをしていくのだと。身延山に向かう途中でこの寺を偶然に見つけ立ち寄ったという。不動明王がとても好きだといい、この偶然の不思議を大変に喜んでくれた。こちらも「いいお祭りになりそうだ」と感じた。こういう一期一会かもしれないが、出会いのできるのもここに居てお不動様にお仕えしているからのことだ。長く大切にしていきたいと思う。


2016年4月28日(木) くもり
祭り準備、前日。 予報どおり雨。午前6時半から護摩を焚いて祈願する。雨で外に出られないので、中のことをしながら護摩の炉の火がしずまるのを待って護摩壇を掃除して明日の護摩の準備をする。午後になって雨がほほ止んできたので柴燈の壇の最後の仕上げにかかる。2時間ほどで仕上がり、道場を掃除していると雨が急に振り出し、このまま降りつづけたらいやだとまたブルーシートで覆う。5時半前に雨が上がったのでシートを外す。結構一日ハードだった。あしたは天気よさそうだ。いいお祭りにしたいもの。

2016年4月27日(水) くもり
祭り準備。 夕べは海老原君とその友人2名、雨畑の望月さんと5人で庫裏でゆっくりと飲んだ。大いに飲んで語って実に愉快な夜であった。望月さんとは何年も前から一度飲む機会をとお互いに念じていて、やっとその思いが叶った。女房のピザも皆さんたいへんに喜んでくれたし、来てくれた皆さんからも酒や湯葉などたくさんお土産もいただいてしまった。今朝は正直少々体が重かった。今日は夕方までまだ雨は降ってこず。今夜半から弱い雨、明日一杯弱い雨、祭り当日は曇りという予報。何とか降らずにいてもらいたい。午後天皇社へシメを張りにゆく。

2016年4月26日(火) 晴れ
草を刈る。 墓地の草がすごく伸びていて、カラスノエンドウが腰くらいの高さまで茂っているのを見たらもう知らぬふりをしていられなくなった。今朝は3時半過ぎに起きてドラマを一本見てお勤めを済ませ、朝食後7時前から草刈りを始めた。お祭り前に墓地の草を刈るのは初めてだ。そのくらい今年は草の伸びがすごいってことなんだろう。途中一度水分補給をしたが、あとは休みなく刈り続けて10半頃にやっと終わる。気持ちのいい汗をかいた。今夜はこれから海老原君のお友達が来て酒飲みの会がある。彼のたっての希望で女房も朝からピザの支度をしたり。午後少し本を読む。28日の護摩の準備をする。明日明後日が少し天候が悪そうだが雨はどうなんだろうか?午後4時に標さん用事でこっちに来たからとお土産を持って寄ってくれる。久しぶりにあったので、お寺のことや明王寺の柴燈護摩のことなど1時間ほど話をする。29日標さんには床堅の大事をお願いする。夕方になって風出てくる。

2016年4月25日(月) 晴れ
祭り準備。 御札を書く。外の便所を掃除する。お祭りの日用の酒やお茶などを買いに行く。スーパーの方が安売りの酒店よりさらに安いのだから、今後はそっちで買うようになるな。アジサイの挿し木で増やした苗を3か所地におろす。花桃とフジザクラの枝を切ってプランターに挿し木する。1,2本でもついたら儲けもん。結構これ式で何年もやってきたよね。ツツジもアジサイもたくさんになってきた。

2016年4月24日(日) 晴れくもり
檀家の皆さんと準備。 8時半から檀家の皆さんに手伝ってもらい祭りの準備をする。29日まで少し合間があるので支度もできるものが限られる。参道の幟は立ててもらう。受付のテントを設営する。女性には本堂の掃除をしてもらう。昨日の夕方大量に届いたヒノキを壇に少しかぶせ、後はもう少し直前になってから仕上げることにする。村の人たちは八日市の準備で、畑の草を刈ってくれてからたくさんのテントを立てる。カラスノエンドウがはびこっているので、いつもの年より草刈りも大変だったかもしれない。祭り直前に村の人たちが草を刈ってくれるのが僕にはありがたい。ここで刈ってくれるから5月中は草を刈らないで多分すむ。当日のお願いをして解散。「よむよむ」という本屋が5月の連休明けに閉店するため、CDを安く売っていると娘から夕べ聞いたので行ってみる。半額になっていたので何枚か買い、文房具も安く販売していたので、小筆、筆ペンを買う。午後CD聞きながら少しのんびりとする。やはり午後は風が吹く。

2016年4月23日(土) 晴れ
祭り準備。 今日も天気は良かった。だ4土曜は娘が休みなので女房もゆっくり。5時少し前に起きて、ドラマを1本見ながら勝手に朝食をとる。お勤めをすませ、野良着に着替えて駐車場前の側溝の泥上げをする。何となくここ数年お祭り前にこんなこともやっている。さっぱりとお祭りを迎えたいという思い。畑から野菜を取ってきたMさんが、「はねだしだ」といってレタスと玉ねぎをくれた。こういうのはありがたい。終わってから、本堂前に設ける受付のためのテントの骨組みだけ組んでおく。10時過ぎに若者が二人やってくる。ジャズを流していたら、客殿の中まで覗きに来る。名古屋から休みを使ってやってきたのだといい、武田信玄に興味があり寺社を回ってみるのだという。ここもネットで調べ最初に立ち寄ったとのこと。本堂に案内して少し話をする。二人が帰ったら公康君のお母さんが訪ねてくれた。明日が命日になる。お祭りがありますねと、お店の鎌を2本持ってきてくれた。もう4年になる。

2016年4月22日(金) くもり
いよいよ天候が気になってきたぞ。 で一体どうなんだというと、夕べの予報は28日までしかわからなくて、27、28日が雨マークになっていた。で、いまヤフーで週間予報を見ると身延町は、27、28が曇り時々雨、29日が曇り。降水確率は27日から50、60、40%といった時々雨も困るようなドキドキ感いっぱいの予報となっている。この時季は一日ごとに天候が変わったりするので、簡単には喜べないけれど、まあいままで雨でできなかったということは僕が住職になってから一度もないので、そういう過去の実績を信じていることとしよう。特段快晴だったり、夏日を期待するわけじゃない。曇っててもいいけど雨だけ降らないでほしい。雨さえ降らなければなんだっていいのである。お札を書く、庫裏の炬燵の布団をしまう。頭を刈る。来週の今頃はもうお祭りが終わっているのだな。

2016年4月21日(木) くもり
午後雨になる。 緑が鮮やかな季節になってきた。午後から雨になりそうなので朝から女房と外へ出る。彼女は草取りなどの掃除。僕は柴燈の護摩壇の下地を作る。裏山を歩いたりして立ち枯れの木や去年切った杉の丸太などを使い作ってゆく。杉の葉も大量に集めてきて火が点きやすいようにする。太い丸太をチェンソーで伐る。久々に使ったがめっちゃ気持ちいい。ストレス発散にはチェンソーがいいかもしれない。デッドを大音量で流しながら鐘楼脇の道場に作る。ブルーシートをかけて雨対策も準備良し、あとは森林組合からのすぎの葉を待つだけ。お札の申し込みもボチボチとあるのでよかった。九州の被災地にもまた冷たい雨だそうだ。山梨も今日は少し肌寒い。

2016年4月20日(水) 晴れ
祭り準備。 民俗資料館を掃除する。畑、境内、墓地参道、客殿裏の草を刈る。朝食後にお札を書き、客殿に僧侶用のテーブルを並べる。襖を外す。メダカの瓶をきれいに洗う。外の盥にとりあえず全部非難させる。今夜一晩水を貯めおいて明日ここに放す。もう少し気温が上がれば産卵もあるかもしれない。またメダカの夏がやってくる。今年の春はそこいらじゅう「カラスノエンドウ」がはびこって凄いもんだ。午後になって湿り気を帯びたような風が少し強くなってきた。予報じゃ明日の午後には雨とある。晴れていたら外。雨が降ったら内。

2016年4月19日(火) 晴れ
祭り準備。 昨日は野竹を採ってきて幣串をこしらえ、柴燈護摩の幣を仕上げ、点火の松明もこしらえる。今日は短い松明を同じように作り、うまく火が点くかどうか試してみる。二度ほど昨日の松明も作り替えて完成。暑い日が続きTシャツでいい。あと10日になってきたので、ぼちぼち当日の天気のことが気になりはじめる。

2016年4月17日(日) 晴れ
雨、そして強風吹き荒れる。 遥か九州じゃ大地震の余震がまだ頻発している。こちらは予報通りの雨の日曜日を単純に思っていたのだが朝が始まってみると、一日台風のような雨風が吹き荒れた。こんな日にゃ、あの大ケヤキが残っていたら怖くてたまらなかっただろう。11時過ぎにこの強風と雨の中を富士ヶ嶺から、新車購入の安全祈願に遠藤親子2台の車で来てくれた。外でのお祓いが無理なので本堂で厳かにお不動様の厨子を開いて祈願をした。富士ヶ嶺はもっと吹き荒れているといっていた。今日の約束は向こうからの申し出ではあったものの、大丈夫だろうかと到着するまで心配ではあった。本堂でご家族の様子など少し聞いたり近況を交換したりしておかえりいただく。夕方になってやっと風も収まり晴れ間が広がり、太陽も顔をのぞかせる。本堂を早くに占めたが、午後4時過ぎにご朱印をもらいに二人来山あり。

2016年4月16日(土) 晴れ
熊本地震。 日付が変わって今日の深夜に起こったのが本震で、その前野が前震だということで、今までに30人が亡くなっているということだ。地震の被害の様子もたくさん見ているが、今回のはまた相当ひどい。一戸建ての家もアパートもマンションも潰れてしまったりひび割れしたり、熊本城も壊滅的だ。活断層の上にあるところがやはり被害が大きいようで、こういう断層まで調べ上げて人は住むということを考えていかなければならない時代になる。明日雨になるようなので、命棒は一日外の草取り、僕も朝早くから参道や駐車場などに除草剤を散布した。午後からは松明をこしらえたり。内藤君護摩の申し込みに訪ねてくれる。久しぶり。

2016年4月14日(木) くもり晴れ
葬儀。 今朝4時ごろまで雨が降っていた。だいぶ強い雨で2時ごろに目が覚めてからしばらく雨音を聞きながら眠れなくなった。葬儀をしっかりとして見送り、ご家族にもいい葬儀だったと喜んでほしいと思いながら、喪主やその息子さんもこの雨音を聞きながら、深夜の布団の中で、妻、母への思いに涙しているのだろうかと想像した。朝にはまだ少し雨が残っていた。午後には天候がよくなり気温もぐっと上がると予報していたが、気温が上がったのは葬儀を終えて帰ってきた午後3時くらいからだったろうか。10時半からの葬儀。もう何ぶりになるだろうか、多分もう8年以上前以来の5人での葬儀だった。一人多ければ一人多い分だけ経の声も良く響き重厚さを増し、久しぶりにこちらも読経に魅せられるような厳かな感動があった。自分で言うのもおかしいかもしれないが、葬儀慣れしていない分、葬儀はいつも真剣勝負で、新鮮である。いい葬儀ができたと思う。母を送った兄妹、妻を送った喪主にも「よかった」と褒めていただいた。4人には葬儀の後控え室で昼食をとっていただいてお帰りいただき、僕は初七日の席で読経法話をしてからお酒とおいしい食事をいただいた。故人の友人たちも多く参列して、初七日の席にも出席されていた。さて、明日は少しのんびりとさせてもらって、またお祭りの準備の日々をはじめるとしよう。

2016年4月13日(水) くもり時々雨
通夜。 通夜があった。この辺りの葬儀は、告別式の前に火葬に行くのだが、明日の葬儀は10時半なので、火葬の早い時間が取れなかったため今日火葬をした。12時に自宅で灌頂と納棺をして峡南斎場で火葬し、午後6時から通夜。明日の朝は少しゆっくりということになる。雨も大したことなくてよかった。商売をしているので、生花の数が半端ない。通夜の会葬者はどのくらいあったのか。僕は祭壇を向いているのでわからなかったが、もう5時35分には入れていたので、おそらくかなり大勢見えたのではないか。明日もしっかりと務めなければ。

2016年4月12日(火) くもり
今朝は少し冷えた。 6時半過ぎに檀家から電話がかかってきた。今日深夜に母が亡くなりましたと。気になっていた檀家というか、先月末にご主人からもう命の終わるカウントダウンが始まっていると知らされていた。ご主人の名前の一字を戒名に入れてほしいという本人の願いも伝えられていた。先日息子さんが病院の帰りを寄ってくれて話したら、「今ここに病院からの呼び出しの電話が入ったとしてもおかしくないんです、そんな状況です」と聞いていた。ただご家族はみなさん満足している様子で、思い残すことはないといい、しっかりと見送ることができたという。素敵だなとこみ上げるものがあった。僧侶5人の葬儀をしてくれることになり、甲府のお二人にも助法してもらうことになった。葬儀の準備を一日する。頭を刈る。

2016年4月11日(月) 晴れ
歳月不待。 便所に掛けてあるカレンダーの4月は「歳月不待」という熟語が書かれている。簡単に説明があるのだが、いまいちよくわからずにネットで引いてみた。「年月はあっという間に過ぎていき、人の都合などでは待ってくれないので、時を大切にせよという戒めの語」とある。「光陰如箭(こういんじょぜん)」と似たような意味である。ほんとうに人の都合などではまってくれないのだな。午後珍しいことに華光院のご住職から電話があった。内容は書かないが、本題以外のことをちょっと話してみたりして、なかなかお寺の跡継ぎをさがすってもも容易ではなさそうだ。でもそういうことに直面する時ってのは、おそらく小さなお寺をもっているような人たちには必ずあるのではないかと思う。檀家の跡取りが無くて、寺の檀家が減少していくと、寺と檀家の関係も少しずつ希薄になっていくように思える。悩んでも仕方のないことではあるが、「あっ!」と思った時にはどうしようもなく困った状況になっていたりして。

2016年4月10日(日) くもり
御札書きなど。 日曜日といっても僕には平日とほぼ変わりがない。少し違うのは、日曜で娘がゆっくりの朝起きなので、女房も遅い。だから僕は勝手に朝食を済ましてしまうことにしているというところ。夕べのサスペンスドラマを見ながら6時前にはご飯が済んでしまう。朝のお勤めをして新聞に目を通し、御札を書きはじめる。霊場めぐり二人にご朱印。今フジザクラの低木が小さな花を満開にさせている。ツツジの早いのが開きはじめた。池の隅っこにあるカラーも白く美しい姿。少し気になる檀家があり、やれることは早め早めに済ませておかなければと思っている。

2016年4月8日(金) 晴れ
予報ほど気温上がらず。 薄曇りで午後は風があり、予報のような暑い日にはならなかった。午後住まいの方にも網戸を入れてしまう。網戸があればいいなぁと思うような暑い日が4月中にもある。以前だったら4月中に網戸を入れたいなどとは思わなかったから、やはり気温が上昇していることを体がちゃんとわかってきたということなのだろう。去年もお祭り前に網戸を入れた。柴燈護摩法要の願文や配役などのことをする。檀家の行く末、寺の行く末、思うとため息ばかりが出てくる。

2016年4月7日(木)
寒い日になる。 一転朝から雨で、冷たい寒い一日となる。まだストーブはひとつぐらい残しとかないと欲しいときがある。お札を作り、祭典の願文作りもする。内膳院からの問い合わせに謝意を表して返事を書く。仕方がない。寒い日もあれば暖かな日もある。Terence Blanchard e-collectiveのliveがYouTubeにupされているがこれがとてもいい。電化マイルスを聴きだして何年もたつが、他のトランペット奏者はあまり聞いたことが無かったが、この人のはなかなかいい。このe-collectiveでの演奏は今風でとてもいかしている。薄着になっているのも影響しているから今日は特に寒い。

2016年4月6日(水) 晴れ
御札書き。 午前中お札書きする。瀧本院のご住職から朝電話があり、昨年末以来足に痛みがあり、今もって思うようにならないので祭典への出仕を遠慮したい旨の申し出あり。一番長くお付き合いをさせてもらっている方なので早く元気になってもらい来年にはまた宝剣作法の披露をお願いしたいと思う。「80までは行きたいと思っていたが、これで行けなくなるかもしれない」といささか弱気なことも言われていたが早く良くなっていただきたいもの。それで、勝沼の松鶴院へ電話をして体の調子はいかがですかと訊くと、特に悪いところもないようで、「来てくれますか?」「アー行くよ」と即答してくれた。まだまだ老け込むにはちと早いよ。これで代理がなった。来年は来年の風が吹く。午後から畑の続きをし、生ごみのコンポスト二つを新たな場所に移動する。天気も良くさわやかに汗もかく。甲府からお子さんと二人で護摩の申し込みにYさん訪ねてくれる。若い人たちに生きる希望や元気を与えてくれるお不動様でもあってほしい。
2016年4月5日(火) 晴れ
お札作りはじめる。 桜はシダレはもうほとんど散ってしまった。池の面が花びらで薄桃色になる。これもまたいい景色だ。風が強く吹く時期なので、本堂の扉の隙間から花びらが中に舞い込む。祭典のお札作りを始める。花の散った桜の枝には新芽が芽吹いて、これもまた新緑の季節にいいものだと思う。

2016年4月2日(土) 晴れ
畑を少し。 気温上がる。昨日パセリを刈ってきたので畑に移植するついでに、管理機で少し耕した。晩秋に少し土を掘り起こしていたが冬を越えてまた表面は固くなっていたので、シャベルで掘り起こしてからでないと、小さな管理機なので刃が土の中に入っていかなかった。お遊び程度の畑なので人様に見せるような畑ではないが、土をうなっているのは気持ちのいいもので、気温も上がり汗もたっぷりとかいて気持ちがよかった。

2016年4月1日(金) くもり
久しぶりにエルクへ。 坂本さんに教えてもらった甲府建材商会へわら縄を買いに行って、近くだったのでエルクにも寄った。峰入りの時に法螺貝を首から肩に掛けていると、足場の悪いところなどはどうしても法螺貝が邪魔になったり、落としたり岩などにぶつけたりすると割れてしまうので気を使うのだが、うまくリュックに付けて背負うことができない。それで法螺貝とリュックをもっていってリュックに固定するようにできないかと相談した。社長がすぐに対応してくれて、バッグに固定するためのベルトをミシンで取り付けてくれた。相談をしてみるもんだ。ありがたかった。
昨日のように暑い日にはならなかったが気温は18度くらいとそこそこ上がったので寒くはなかった。いよいよ春の陽気になってきたのだな。新年度の始まり。

2016年3月31日(木) 晴れ
21年間ご苦労様でした。
女房は今日、21年間勤めたI病院のパートタイムの仕事を辞めた。ちょうど娘が小学校に入学した4月から午前中だけということで病院の厨房の調理の仕事に就いた。今の時代ならそんなことはとても言えないだろうが、土日、祭日、年末年始、盆は休ませてもらうということで了解を得た。だからほんとに月々にいただく賃金は少なかったが、正規雇用者も含めて一番の古参となっていた。いつもの昼の帰りより遅く帰ってきた彼女は、調理室の皆さんからの心のこもった贈り物や花をたくさん抱えてきた。明日からは本当にほとんど用のない寺で二人とも「サンデー毎日」になる。彼女は来月から月に2回文化学園の習いごとに甲府へ通うそうだが。
午後定期受診で飯富病院。年度末ということなのか、ちょっと病院もいつもより混んでいたか。午前中には客殿の西側の物置場所を片付けて、ゴミ出しに衛生組合へ行く。初夏のような気温になり、病院へは素足に雪駄で出かけた。客殿の廊下に少し早いが、片付けたついでで網戸を入れた。客殿のじゅうたんも巻いて片付けた。明日から4月。祭典モードに気持ちを切り替えていかねばならない。

2016年3月28日(月) くもり
例月護摩。
午後から例月の不動護摩を修す。一人で静かにお不動様と護摩の火に対峙する。檀家のご病気にある方のお札を加持して、少しでも快方に向かうよう祈願をした。一日曇りで雨の予報もあったが夕方まではまだ降ってこない。本山より宗務所長会の通知送られてくる。今年は5月23日(月)。

2016年3月27日(日) 晴れ
玄法院大祭。
飲めるようにと電車で行く。はじめて甲府駅から歩いたが、ほんの15分ほど、近いもんだ。こういうところに住むってのは何をするにも都合がいい。うらやましい限り。年度末で参加できない人もいたが、その代わり東京から二人の女性修験者が手伝いに来てくれた。牧丘からは貴永師も。天候がちょっと心配だったが11時からの柴燈護摩の時には気温も少し上がるようないい天気になった。ここは道路を挟んで教会があり、日曜礼拝の人たちなのか、境界の外で賛美歌を合唱していたりして、法螺貝と讃美歌のコラボレーション。よいお祭りになりました。お酒も十分いただいて2時半過ぎの急行で帰る。東京のお二人にはぜひ一度わが寺へも遊びにお出かけくださいと話す。
大相撲の千秋楽。昨日横綱白鵬の強さを少しほめたが、今日の最後の取り組みは興ざめした。日馬富士がまっすぐに当たってくるのを体を交わして勝ち残り優勝となった。日馬富士は猛進のまま自分で勢いを止められず土俵を飛び出た格好となった。観客の望む横綱の取り組みとは大きくかけ離れた「ずるい」一番になり、本にもインタビューの時に涙見せたりして謝ったが、こういうのって「嘘泣き」ってことでしょ。結局どんな勝ち方でも買ったものが最後に笑って「勝ち」となるっていうこと。もののふの道には外れた行いだったということ。残念。

2016年3月26日(土) くもり
大相撲。
大相撲大関の琴奨菊は、14日を終わって8勝6敗。連続優勝して横綱を取ると豪語していたが、あまりに情けない、ファンを裏切るような結果になっている。もともとこの人そんなに勝てる人じゃなかったし、年齢的にもピークは過ぎている。先場所優勝できたのが何かの間違いだったと思わざるを得ない。そして場所後の結婚式で、美人の奥さんを伴ってあちこちはしゃぎすぎだったのかなぁ。結果が出せなければもう誰も「琴奨菊」の事を気にかけてはくれない。新聞にも「琴奨菊」の名前は載ってこない。白鵬はいささか横綱としての品位には欠けるが、やはり強さは本物である。一発勝負にかける迫力は他の関取とは段違いだ。時間前の「コトバウアー」への会場の湧き方も終盤は少し静かになってしまったように感じる。

2016年3月25日(金) くもり
震えるような寒い一日となる。
「寒い寒い」。寒くて熱燗でも飲みたくなるような三月の終わり。日曜に玄法院の春の大祭があるが少々天気が心配。一昨年は土砂降りの中での柴燈護摩供であった。そうならなければいいけど。寺の事務やお祭りの準備のために封筒や細いわら縄、エアジョグの新品も一足買った。皆ネット注文で宅配なのでほんとに助かる。もう少し近くなったら25キロの塩も注文する。こういう重いものは玄関まで届けてくれるのでほんとにありがたい。塔婆の需要もそんなには多くないが、今回50本入りを二箱買った。これできっと5年くらい持つかもしれない。その先は自分でも読めないということで。寒くて毛糸の帽子かぶって、鼻すすりながら書く。

2016年3月24日(木) 晴れ
風強い。
今朝はだいぶ冷え込んだ、天気予報通り。午後から少し気温が上がるが風はすごく強い。花粉の量は大変に高いようだが、僕にはほとんど関係ない。檀家や一般の方向けに祭典の案内通知を出す。早め早めに。昨日ある檀家からちょっと気になる電話があった。境内の枝垂れはほぼ満開。

2016年3月23日(水) 晴れ
文化財保護審議会。
町のこの貝に出席する。前回10月は28日で護摩を焚くので欠席した。下部地区の文化財の現地研修が午前中あり、下部の熊野神社、慈観寺、木喰の里微笑館など見学する。下部地区公民館に戻って午後から年度のまとめと次年度のことなど。5年間通った常葉も新しい公民館ができたが、通りはさらに寂れたように感じた。歴史的に価値のある民家の保存というのはお金のかかるもので、本当にどうしても必要なのだろうかと思ってしまう。明日からまた寒の戻りがあるようだ。娘は今日から仕事で沖縄に出かけたが、滞在する土曜まで全部雨の予報だ。まあバカンスではないので天気は関係ないのかもしれないが。

2016年3月22日(火) 晴れ
風強く吹く。
墓参一家族あり。風が強く吹く中の墓参で幼子もいて大変だったと思う。それでもこうして少し遠くからでも若い人たちが「墓参り」を気にかけて参ってくれるのはありがたいことだ。お昼の県内ニュースで、山梨中央銀行の普通預金の金利が、現行の0.02%から0.001%に引き下げられたと伝えた。例えば100万円を一年預けて10円の利息にしかならないということだそうだ。何とも情けなく屁もでねぇような感覚になる。

2016年3月21日(月) 晴れ
風冷たい、気温上がらず。
振替休日だが風が冷たく、もう彼岸の墓参に来る人もちらほら。甲府から従姉夫婦墓参にくる。桜の開花は進んでいる。東京でも開花宣言が出たらしい。天気予報じゃ、24日からまたぐっと気温が下がるので、花持ちがよく今年は例年より長くさくらが楽しめるのではないかとのこと。今朝も4時に起きてドラマの録画など見て、5時に勝手に朝食(夕べのほうとうに冷や飯を入れて)を食べるにストーブを焚かないと寒かった。もう今月も残りわずかだ。来月にはいれば祭典の準備などで一か月何やら忙しく、あわただしく、心落ち着かなく過ごさねばならない。

2016年3月20日(日) 晴れくもり
彼岸中日。
今日は朝から墓参の人ら多くあり。午後からは曇り空になって風が強くなる。安定しない春の天気。娘は日直で出勤。今朝はストーブ要らずの気温。11時から西海家の法事。長男夫婦が一緒に来てくれる。客殿で法要して墓参。外でお茶を飲んでもらう。昨日よりもたくさん桜が花開く。お祭りの切り紙関係を作り終える。ジュリーを久しぶりに流す。いいなぁ。
朝3時に起きてビデオ見る。WOWOW「ドラマW 双葉荘の友人」はとてもよかった。WOWOWで一番おもしろいのはこのオリジナルのドラマだな。主演の市原隼人という若い俳優もうまかったように思える。

2016年3月19日(土) 晴れ
天気よくなり午後から気温上がる。
夕べの雨が朝方には小降りになっていたが、8時頃から10時近くまで激しく雨が降った。その後小降りになり雨が上がり、昼近くからは晴れ間が出て午後は一転快晴となり気温も上がった。墓参に見える方、不動尊を参拝するからなどもちらほらとある。ご朱印を欲しいという方もここのところ少しあるようになってきた。檀家のN家で明日先祖供養をしてほしいと言われ塔婆など書く。あたたかいうちにと頭を刈る。頭を刈って庫裏に戻るとご朱印を欲しいという二人がいて、夕のお勤めに出てくれたら本尊を開帳すると誘い参座してもらった。東海師移動のあいさつにくる。3年間こっちで勤めてもらったが今度は甲府に戻る。しまいのお嬢さんの進路も決定したとのこと。焦ることなく時期を待ちましょう。必ずちょうどいい時期というものが来るはずです。佳い一日。

2016年3月18日(金) くもり
拝観3組あり。
天候が下り坂で朝から曇っていて風はものすごく強く吹く。その割には気温は結構高いので温かい風。午前中に相模原と浜松からの方が別々に来る。午後は3時過ぎに20名ほどが不動明王の拝観にくる。甲府から佐田さん、一宮家でも墓参がある。今唐ら明日は雨になるので、彼岸の墓参は日曜か月曜がいいかもしれない。白木蓮の花が開く。しだれ桜も明日あたり開花するかもしれない。午後の団体さんには30分くらい話をして密教の秘密のことなども知ってもらい楽しかった。

2016年3月17日(木) 晴れ
彼岸の入り。
今日は温かくなって彼岸の入りは春の陽に包まれる。歴代や祖父母、父母が眠る寺墓地や無縁さん、頼まれて供養塔婆を立てるところなど早いうちに墓参して回る。さすがに平日で訪う人もない。明日午後不動明王の拝観に大勢見えるので本堂の階段を拭いたり、上がりばなにすのこを敷いたりする。午前中にも横浜から一人来る予定。明日は観音様の縁日。去年は八田の長谷寺から助法のお誘いがあったが今年はない。午後から祭典の準備でシメを切ったり、法弓に使う矢に六色の色紙を巻く。

2016年3月16日(水) 晴れ
法事あり。
東京板橋の牛山家の一周忌の法事がある。今日もさして気温上がらず、かろうじて薄日が出たという一日。東京からご家族、それから諏訪の方からご親戚が二人みえる。法事をして墓参。終わって庫裏で間食する。僕を入れて6人だったのでテーブル席で楽にゆっくりと食べることができた。
何年かぶりで「旅の方」が寄ったという。僕はみなさんと法事の後の食事をしていたので。後から聞いたが、訪ねてきて旅をしているという男の人が、寺に寄れば何か食べ物をいただけると訪ねてきたという。女房はおにぎりを二つ作って差し上げたそうだ。以前は年に2度か3度くらいこういう人たちが寺に来ることがあったが、今はめったになくなってほんとに珍しい。安定してきたというより、歩いて旅をしても次の土地で生きる望みがかなえられることが無くなってきたのかもしれない。たどり着いた場所で幸あらんことを。

2016年3月15日(火) 晴れ
天気回復。
やっと晴れて気温も上がる。明日牛山家の法事があり、明後日から春の彼岸に入るので墓地の参道を掃除し、枯れた花などを片付ける。暑くなり汗をかいた。池ではヒキガエルがたくさん出てきてうるさく鳴き、池の中や墓地からの水路などで交尾している。このグロテスクな生き物が小さなころは足の踏み場もないほどに境内をびっしりと埋め尽くしていたのだからたまらない。今は随分と少なくなった。東海師取りほんとに久方ぶりに電話がある。今日異動内示が出たのだという。また新天地で仕事も、それから自分の信ずる道のこともコツコツとやっていくさ。

2016年3月14日(月)
冷たい雨。
一日雨。昨日のお祭りはよかった。11時の鐘を撞いていると若者が一人参拝に来た。本堂に案内しお開帳してあげた。富士市から来たといい、以前にも来たことがあるとのこと。「今日は休みですか?」と問うと、ペンキ職人をしていて雨なので休みになったといい、「代わりに昨日は仕事をしてました」と。雨で体を休める日にわざわざお不動様を訪ねてくれたとは嬉しい限りである。仁王会でいただいたお守りを一つ差し上げ、しばらくお話をした。帰りにケヤキの切り株の周りから欠片を拾ってきて、「貰っていってもいいか?」と訊くので「もちろん」と応え、「またいつでもお参りに来てください」と見送った。雨で外も本堂の中も寒かったが、何か温かな感動があった。

2016年3月13日(日) 晴れ
西光寺祭典。
市川の西光寺の秋葉尊祭典に行く。26回目になる。5年前の大震災から2日後にここの祭典があった。徒然を読み返したら、花火や音楽などは流さずに祭りを行ったと書いてあった。あの時はうちのお祭りもそうだったけど、全国で控えた方がいいなどの議論が湧き上がったが、僕は祭りはやらなければだめだと思ったし、こういう時にこそ祭りをして一つの思いを祈りにこめなければいけないと思った。西光寺のご住職や檀家の皆さんもきっとそういう風に思ってくれたのだと思う。行藏院ご住職、瀧本院副住職に秋葉堂でのお加持や柴燈護摩の助法をいただきながらいい護摩を修することができた。今年は初めてUTYの取材が入り、帰宅してから夕方のニュースで火渡りする檀信徒の皆さんの姿を見ることができた。火伏の神様のこのお祭りを地元の方々が待っていてくれるようになってきたのは大変にうれしいことだ。無病息災でまた来年もみなさんとお会いしたい。

2016年3月12日(土) くもり
あたたかくならなかったなぁ。
二日寒かったので今日は天気が良くなると期待していたのだが裏切られた。なんと札幌に住んでいる方から祈願札の注文があった。まさにびっくりぽん!!!ちょうど今日は午後1時から甲府に住んでおられるご夫婦のために護摩を焚くことになっていたので、札幌の方のお札も午前中に急いで作り(尺5寸の手書きの御札だった)、一緒に祈願させてもらった。気温が上がったら頭を刈ろうと予定していたが気温が上がらず断念、昼食を早く済ませて本堂で準備をする。今日はゆっくりと時間をかけて修法して、お二人にも祈願の護摩木を炉に入れてもらった。強いお力を持つお不動様だと信じているので、祈願をする方にもそれを信じて強く願ってもらいたいと思う。信じて手を合わせることによって、気持ちが穏やかになったり、病が少しずつ軽くなるようなことであればいいのではないかと思う。よい護摩が焚けたと思う。終わってから庫裏でお茶を飲んでいってもらった。庫裏に飾った雛壇を奥さんがとても喜んでくれたのがうれしかった。護摩に使った仏器を洗い、風呂の掃除のついでに頭も刈ってしまう。手と足の爪も切る。明日の西光寺のお祭りもしっかりとやる。

2016年3月11日(金) くもり
東日本大震災から5年目。
あの日から5年が経つ。あの日もちょうど金曜日だった。娘は大学の卒業式を明日に控え、そのリハーサルの最中の地震だった。僕は地震の前の12月に「来年もう一年勤めて役場をやめよう」と決心して上司にも伝えていたので、地震があったことによって、うまく言えないが「やめる決心をして正しかったんだ」と漠然と思ったりもした。昨日、今日とまた冬に逆戻りしている。朝ゆっくりと長くお勤めをした。明日の護摩焚きの準備をして夕のお勤めもした。勤めを辞めて丸4年が経とうとしている。寒い日に手をこすり合わせれば、少しだけ温みが湧いてくるが、海に運ばれてしまった多くの命のことを思うと切ない。原発事故によって故郷に戻れない人たちは、手に息を吹きかけるとき、ホッと笑みがこぼれるのだろうかと思う。様々な生き方の思いに添えないので、ここでこうして祈るしかないのだと。

2016年3月8日(火) 晴れ
春というよりまるで初夏。
予報通りに暑くなった。朝方はまだ曇って小雨もぱらついていたりしたがぐんぐん気温が上がった。冬用の厚手の作務衣も今日はさすがに暑く重く感じて上着は脱ぎっぱなしだった。境内の紅梅も開きはじめ、早咲きの桜も3分咲きになった。エドヒガンの枝垂れも、よく見るともう花芽がだいぶ膨らんできている。明日から天気が下り坂のようだが、雨であればもう冷え込むことはない。彼岸前に一つ法事があるが、後は予定がないので、今月中に客殿のストーブも灯油を抜いて片付けられそうだ。ここ2年ほど、4月の祭典前に網戸を入れたりしているので、もうそんな時期が一か月先には来るのだ。女房が昨日お雛様を飾った。春の定番の姿はやはりいいものだ。

2016年3月6日(日) くもり
不動寺祭典。
天候の崩れが心配されたが午前中も気温が上がり、祭典の始まる午後2時頃にも、風は強かったが雨の予感はなかった。29回目の不動寺のお祭り。今年還暦を迎えるので、叔父が祭典を始めた時僕は31くらいで、叔父もまだ50代前半であったのだから、振り返るとそれなりに歴史を感じる。叔父の願文には毎年とても心動かされる。わかりやすく平易で、それでいてしっかりと力強い願いが込められている。右にも左にもコロコロと揺れ歩く政治家たちとは比較にならない。いいお祭りであった。東京からの従兄たちや大勢の親戚も集まりいい酒が飲めた。

2016年3月5日(土) 晴れ
法事。
祖父の妹の33回忌の法要があり、不動寺の叔父夫婦を乗せ牧丘の普門寺に行く。祖父のということなのでもう僕にはほとんどわからない人間関係である。この法要を設けた普門寺のご住職は、ご自身高齢になり、持病も抱えているため、この回忌に特別な思いがあったようである。そういえば上求寺のおじさんも亡くなる少し前にご両親の法要をしてそれを自身の最後として心に刻んだのだった。とても良い天気で大勢の親戚が集まり、曹洞宗の法要が行われた。墓参後に席を寿司屋に移して会食した。飲めなかったので腹一杯に食った。帰ってきてから俊一君が訪ねてくれたことを知ったので秋山さんに電話をすると、「今夜泊っている」というので飲みにゆく。久しぶりに秋山邸も訪ねた。川口さんも来ていたので焼酎をゆっくりとごちそうになった。春の温かい夜を過ごした。

2016年3月4日(金) 晴れ
なでしこジャパン。
今夜の中国戦も見事に負けて、これで3戦は2敗1分けで勝ち点は1。おそらくリオ五輪への出場は絶望的だ。前の2試合も含め、気になるのでちょこちょことチャンネルを切り替えて見ていたが、どうもチーム全体にまとまりがなく、選手自体に硬さがあるようで、個々の気持ちが皆空回りしてしまっているように見えた。上を目指そうとするチームの方が勢いがある。なでしこに勝つことを目標に練習を積んできたチームの意気込みに完全に気圧されているようだ。「澤さんが抜けたのも痛い」などは全くふざけた口上にしか思えない。これでおそらく監督も交代になるのではないか。『おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ』なのかもしれない。1チームだけでは試合にも何にもならない。勝つものがあれば負けるものがあって、そういうことの繰り返しなのだから仕方がない。朝方は寒いが昼も夜もだいぶ過ごしやすい温度になってきた。

2016年3月3日(木) 晴れ
暑くなる。
西光寺のお祭りのために野竹を採りに行き幣を作る。メダカに餌をやると興味を示して食いつく。春だ。息子の確定申告の作業をする。読書をする。法螺貝を習う。「利休にたずねよ」を観て、似たような竹の花さしをこしらえる。これまた同じように椿の蕾の一枝を挿す。暖かい陽気に一日つつまれた。

2016年3月2日(水) 晴れ
塔婆書き。
今月ある法事の塔婆、春の彼岸の供養塔婆を書く。本堂で次の護摩のための荘厳をする。香盛りする渡り廊下から梅の花がみえる。去年の今はまだ古い廊下だったけれど、新しくなってだんだん本堂との釣り合いも取れていくように見慣れてきた。教育委員会から文化財審議会の開催通知届く。前回休んだので今回は外せないのだと思うが、できれば彼岸の七日間だけは避けてもらいたいところだ。うちも毎日墓参があるわけではないが、寺に居るものとして、わかっているのに席を外して出かけねばならないようなことはできればしたくないということ。人が来ても来なくてもこの期間は寺に居りたいという気持ち。今日は暖かな一日。

2016年3月1日(火) 晴れ
3月。
一日余分な2月29日は風が強く吹く一日だった。明けて今日から3月。年度の変わる月になる。勤めていたころは年度替わりが期待や不安と共にあったけれど、もう丸4年が経つと、年度替わりに思いを走らすこともない。クロッカスの花は、黄色が早くて白いのが咲きだし、一番遅くに紫の花の蕾が見えてきた。花の色によっても開く日が少しずつ異なっているというのは面白い。ご朱印の夫婦あり。

16年2月28日(日) 晴れ
上求寺祭典。
6時から短い護摩を焚いてお不動様の厨子を開けて上求寺に向かう。日曜でテレビを見た人たちのお参りがあると見込んだからだが、やはり何人か来ていたようである。先日雪が降ったということだったので心配していたがほとんど消えていたので、大滝のお不動様への道もそんなに悪くはなく、長靴を履いて楽しくのぼれた。甲府から行藏院、玄法院、教昌寺のご住職が助法に来てくれた。慧印の不動護摩を一座修す。気心の知れた人たちだからとてもいい護摩が焚けていい28日のお祭りになったと思う。おばさんの炊き込みご飯をおかわりしていただき、貴永さんからもたくさんお土産も頂戴して帰ってきた。服を着替えて本堂の護摩壇を掃除して仏器など洗う。春の強い風が午後になって吹いてくる。

2016年2月27日(土) 晴れ
法事あり。
11時からI家の七七日忌の法事。35人と大勢。法要の最後に長女のご主人が追悼の尺八を捧げてくれた。竹の枯れた音が客殿の間にとても厳かに、それで気持ちよく響いた。「ぶっちゃけ寺」で紹介された書状を庫裏の床の間で公開してあげたので皆さん喜んでくれた。妹の旦那からも檀家衆と今年の秋の身延山への奉仕の後、本堂のお不動様を見せてくれないかと連絡がある。結婚してからうちの本堂を見たいなどはじめてのことである。これもテレビ放映の賜物ではある。

2016年2月25日(木) 晴れ
めちゃくちゃかっこいいんだ。
上京すると時間があれば必ず立ち寄るディスクユニオン新宿ジャズ館のブログで、1990年3月30日に行われたGRATEFUL DEADのコンサートにJazz Sax奏者のBranford Marsalisがゲストとして演奏したアルバムのことが紹介されていて、何故ブランフォードがデッドのコンサートに出たのかといういきさつも詳しく書かれていて興味深く読んだ。この日の演奏めちゃくちゃかっこいいんである。ネットから落としたこの日の音源をいくつか持っているが、ブランフォードののびのびとした演奏がほんとにかっこよくて、心が踊り、今もまた引っ張り出して聴いているが春が来たなぁという感じになる。
最近「Grateful Dead Archive Online(GDAO)」というのができて、この日の演奏を誰でも勝手に楽しむことができるのでぜひ聞いてみてください。Grateful Dead Live at Nassau Veterans Memorial Coliseum on 1990-03-29。夕べ少し雪が降り、朝にはうっすらと白さが残っていた。牧丘の上求寺からのメールでは積もっていたのでびっくり。28日の大滝不動の祭典、上のお堂まで登っていけるんかいな?といいつつも、こちらも持っていくものなど準備したり、西光寺の柴燈護摩の幣を作ったりとプチ忙しい。

2016年2月24日(水) くもり
ほんとに寒い。暑い日と寒い日が日替わりである。
今日はまた震えるような一日になって夕方になって雨もぱらぱらとしてきた。壬生住職に借りた「修験道護摩」の次第を作りはじめる。上求寺の護摩は慧印の護摩を焚いてみることにする。
テレビを見て、毎年新年にお札を申し込んでくれる埼玉の渡辺さんから「お不動様にお花をあげてください」と布施が送られてきた。同じく埼玉の遠藤保さんからも懐かしく見たと手紙をいただいた。午後にはテレビを見たという女性の方のお参りもある。

2016年2月23日(火) 晴れ
タイヤ交換。
スタッドレスから普通タイヤへの交換を済ませた。僕自身は雪道を走ることはなかった。もう積もるような雪が降ることもないだろう。夕べのテレビの放送で、親戚や知り合いから何本か今日も電話をいただいた。「お不動様も良く映っていた」とか「懐かしく見た」とか。おおむね好評の様である。見せていただけないかというような反響の電話はない。こうしてまた静かな寺に戻っていくのだ。

2016年2月22日(月) 晴れ
ぶっちゃけ寺。
テレビ番組の放送を楽しみに待つなんて特別なことだ。昨日は暑かったけど、今日は少し冷え込んで気温も大して上がらなかった。午後7時から「ぶっちゃけ寺」。三人で見る。僕は晩飯の続きでダラダラと飲みながら。どこに出てくるのだろうと待ちながらも武田神社の扱いが長くなるのは仕方がないか。後半にやっと寺での撮影部分が出てくる。収録に携わったものとしてはだいぶカットされたなぁという思いだが、寺の外観や内陣に座る不動明王のお姿も大きく映っていたし、信玄公の感状も丁寧に紹介してくれてあった。寺の宣伝には十分だったのではないか。ありがたいことだ。終わると何本も電話がかかってきたり、メールが届いたり。どーんと花火の上がった一夜のお祭りのようだった。
夕方東京の檀家の奥さんから電話がある。49日忌のことで相談がある。夫の骨を墓に納めたくないという。「さみしくて、納めてしまうと何もなくなってしまう、骨があればそれに話しかけることもできて安心する」ということだったので、納めなくて自分がもう十分と思うまでそばに置いていて構わないと話す。何もこういう風にしなければならないという難しいものはない。僕はそういうことでいいと思う。よい夕方の電話だった。

2016年2月20日(土)
寒くて冷たい一日。
朝から雨になり昨日と打って変わってまた冬に戻ってしまう。月曜日の放映に間に合うか厳しいところだが、檀家の皆さんやお不動様をお参りしてくれる人たちにはがきを出しにゆく。関東エリアなら月曜の配達には間に合うということだ。月曜から木曜まで留守にしていて昨日も賽銭箱を覗かなかったのだが、今日引き出してみたら、いくらかの丸いお金と畳んで中に名刺のはさんである「なんと1万円札!」。びっくりぽんの波状攻撃やぁ!!過去に一度1万円が入っていたことがあったので僕の経験は2度目。この方、加賀美氏の末裔の方である。早速テレビの放映のあるお知らせも出させていただいた。不動寺から祭典の案内届く。

2016年2月19日(金) 晴れ
ぶっちゃけ寺の放送が決まりました。2月22日(月)。
京都に行っていたので15日の放送を見ることができなかったんだけど、「多分来週じゃないよ、29日だよ」と女房が連絡をお入れると答えたので、僕もそうんな風に考えていて、22日の放送を見てからお知らせのはがきを檀家の皆さん方に出そうと思っていた。だが、今日の夕方6時半ごろにテレビ朝日の担当から電話が入り、「放送が会議で急きょ22日ということで決まりました」とのこと。予想外のビックリポンで、はがきを出しても大丈夫だろうか?間に合うだろうか?という心配をしながら、隣町の大きな峡南郵便局に問い合わせると、明日中に出せば月曜の配達に間に合うのではないだろうかとのことで、晩飯を食ってから女房と娘はコンビニにはがきを買いに走り、僕はそれでも確実に知らせたい人たちに電話をしたのである。(今、はがき印刷中)。「ぶっちゃけ寺」のHPも、電話の後見たときには何ともなかったが、晩飯の後娘が見ると、次回予告が「2月22日(月)『最強のお坊さん武将 武田信玄の素顔公開SP』」に更新され、本堂での収録の写真と“大聖寺”では信玄が書いたとされる書状をテレビ初公開!などと紹介されている。春一番のような予感。

2016年2月18日(木) 晴れ
醍醐寺4日目。
午前6時の法要に出る。終えて金堂前庭で上醍醐を遥拝。今日から同曜日までは一日4座あるので次は午前9時から。僕は9時の法要に出て帰る。何とか開白から9座に出仕することができた。京都駅飲食街でまずは昼食。『京とんちん亭』という鉄板焼きのお店で壬生さんと熱燗で乾杯し互いにねぎらう。お昼時で店は混んでいたがカウンターでゆっくりといろんなもの頼んで食って飲む。寒い時期なので、本山に出仕することをためらう気持ちがどうしても出てしまうが、終えると「また来年も来たいなぁ」という気持ちになってくる。今回は天候もよくてよかった。9時の最後の法要は田中部長が導師を勤めたが、眺めていてとてもその所作が美しく見惚れた。声も良く通り清々しく、若さあふれる気持ちのいい法要だった。

2016年2月17日(水) 晴れ
醍醐寺3日目。
晴れてはいるが風がありとても冷たい日。開白から七座を終えた。明日午前中の二座に出て帰る。出仕者も帰る人、来る人の出入りがせわしなくなってきた。寒いので昼のうどんは温まるが、音をたてて啜れないのがなんとももどかしい。壬生さんと昼の休憩時間に雨月茶廊でケーキでお茶をする。今日は排便ある。16時半過ぎに、火傷しそうな程熱い一番風呂に入る。18時非食(夕食)。現在18時39分。もう布団の中。

2016年2月16日(火) 晴れ
醍醐寺2日目。
修証殿は終日暖房が入っているので暖かいが、外は寒い。5時に起き、6時から一座。今日はあと10時15時と三座。明日も同様。早朝にもかかわらず金堂で法要を待つ大勢の人たちが居る。午後、行藏院壬生師登山。15時の法要からご一緒する。粗食になったせいか便意を催さなくなってしまいいささか不愉快。法要の合間の時間があり読書にはもってこい。多分今夜も19時前には布団に入って読書して至極健全に明日のために就寝。

2016年2月15日(月) くもり
上洛、醍醐寺へ。
京都駅に11時前に着く。7か月振りの京都。八条口の飲食街の回転寿司屋で少し早めの昼食。本屋で時間つぶし。芥川賞の載った文藝春秋買う。醍醐寺に着き事務所で受け付けを済ませ修証殿に荷物を解く。午後2時半から表書院にて座主猊下よりお言葉をいただく。3時から仁王会前行開白。五壇護摩に大勢の参拝者あり。雨の心配はなさそう。男性は15名程が今夜は宿泊。

2016年2月14日(日) 晴れ
暑さを感じる一日。
一晩中降っていた雨が午前10時頃に止むと天候はぐんぐんとよくなって、参勤じゃ一番温かな5月頃を思わせるような日になった。夕べは久しぶりに同志会の定例会に顔を出した。「ぶっちゃけ寺」の放送のことを話すためだったが、もっとよかったことがある。3年ほど前から参道脇の畑に水が湧いてきて原因がわからずに困っていた。冬の間はいくぶんいいのだが、春から夏場は水の湧きだす周辺が草の伸びがものすごく旺盛でほんとに参っていた。3日ほど前に畑で水の湧いている辺りに行く、シューッというような、自然に地下水が湧き出しているのではなく、管から水が吹いているような音をはじめて確認した。前は気付かなかったのだが、やっぱりこれは湧水ではなくて水道管が割れて漏水しているんじゃないかと思えてきた。夕べのメンバーの中に水道課長がちょうどいたのでこの話をすると、この集落でも相当量の漏水が認められるのだが場所が特定できないで苦慮しているということで、まだ他にあるのかもしれないが、おそらく畑の水は漏水で間違いなさそうだ。これで一つ悩みの種が解決できる。良い夜だった。
午後からは少し風が強くなった。明日の朝早くに京都に出かけてしまうので、夕のお勤めをゆっくりとする。京都も明日から木曜日までは天気を心配しなくてもよさそうだ。

2016年2月12日(金) 晴れ
風冷たく吹く。
天候は週末にかけて下り坂。撮影が昨日でよかった。風が吹く寒い日になった。福寿草も土の上にちょっとずつ顔を出し始めているが足踏みだ。身延駅まで京都行きの切符を買いにゆく。下山から波高島へ富山橋を渡るとき強い風に軽自動車は車体を揺らす。雨が強くフロントにあたる。富士川から砂埃が舞い上がる。近くの家はこんな日にゃたまったもんじゃない。洗濯物も砂だらけになってしまう。駅の立ち食いソバってのはなんであんなに郷愁を誘うのかねぇ。昼飯前なら「天玉そば」を食ってたかもしれない。午後本山から「五大力尊仁王会前行出仕許可証」届く。開白から9座出仕する予定。Trence Blanchardの「CHOICES」届く。こんな天気にゃ優しいトランペットの音が沁みる。

2016年2月11日(木) 晴れ
なんかあわただしかったなぁ。
午後2時半頃に「ぶっちゃけ寺」の撮影スタッフが来る。本堂内の不動明王と、信玄の書状、短刀を撮影。撮影に相当な時間をかけてとってゆく。「こんなに時間をかけるんだ」と、素人の僕らはあきれるぐらい。全部終わったときはもう5時を回っていた。お茶を出して少し話をして送り出した。放送の日はいつごろになりますか?と問うと、2月の29日が有力だと思うといい、もしかしたらその前の週になることがあるかもしれませんという。こっちは勝手に3月の終わりころかなぁなんて思っていたので、この速さにはびっくりぽん!。取材の申し込みから今日の撮影までホントに2週間もかからずに、とんとんとんと進んでしまった。番組にかかわる人たちはこれから放送日まで編集作業があるので、きっとあわただしい日が続くのではないかと想像する。テレビ番組を一つ作ってゆく過程と、そのスピード感にちょっと触れることができた思い。
甲府から先月も来たご夫婦が来山。今日もお百度を踏んでおられた。本堂で少しお話をさせてもらう。不思議なご縁のお話を聞くことができた。確かにこういうことってあるのだな。

2016年2月10日(水) 晴れ
テレ朝の番組取材。
テレビ朝日の「ぶっちゃけ寺」の番組収録がある。武田信玄をテーマにした番組企画であったために、うちの寺にある信玄の書状を見せてほしいということだった。番組のレギュラーの曹洞宗僧侶の千葉公慈師、歴史学者の本郷和人氏、お笑いコンビ麒麟の川島明さんが午後1時過ぎに来山。他スタッフ含め総勢15名ほど。スタッフと打ち合わせをし、ゲストの3人が駐車場から参道を歩いてきて石段を上ったところで僕が出迎えるという設定で始まる。立ち話の後本堂へ。本堂で不動明王を拝観しながら、途中で信玄公の書状や剣を見ていただく。3人はこういうものを見ながら信玄の生き方などをトークしていくのである。僕は特別に話をする必要もなく3人の横でそれを聞いて時々うなずく程度である。さてどんな番組に編集されて放映されるのだろう。今日はこれから長野で収録があるとのことで、お茶を飲んでまた車3台で出発してゆく。スタッフは明日また本堂内の不動明王などの撮影のために来山することとなっている。
昨日は寒い日になったが今日は温かく、一応本堂にストーブを持っていったが、何とか無事に終えることができてよかった。

2016年2月9日(火) くもり
寒い一日になる。
「洗濯物は乾くでしょう」とテレビでは朝言っていたが、10時頃になると雨がぽつぽつと落ち始める。長く降りことはなかったがそのまま寒い一日になる。外の便所を掃除する。深沢君が来ていたので、資料館から新羅三郎義光と加賀美次郎遠光の絵と信玄使用と伝わる日の丸硯を寺のほうに持ち出す。明日の撮影に必要になるかもしれない。市川の西光寺より秋葉尊祭典が3月13日に決まったので頼むと連絡が入り、Kタイで行藏院と瀧本院にその旨連絡する。気温が上がったら昼間頭を刈ろうと思っていたがこれではとても寒くて刈れない。夜風呂に入ってからにする。NHK「ひるブラ」で早川町のジビエ料理が紹介された。猟師は年間で400頭の鹿を捕るという。先日東海師がもってきてくれた毛皮はこの人が撃って解体した後の余り物ということになる。ジビエが都会の女子にも大人気などと宣伝されていたが、ひとりで年間400頭捕っても鹿の増殖を食い止められてはいないということだ。何を「よし」とするのか?考えさせられる番組ではある。

2016年2月7日(日) 晴れ
週末はあたたかくずいぶんと春を感じさせる陽気になってきた。
本山からの伝達通知を瀧本院へ回送したのでご住職から「届きました」と電話があった。塩山の方はどうですかと訊くと、「まだ日陰には雪がたくさん残っている」と話してくれた。瀧本院は高台にあるので、雪が降ると道が凍ってしばらく車が通行できなくなってしまうと、一昨年の大雪の時にも聞いていたので、甲府盆地まで見渡せるあの高台が目に浮かぶようであった。それでも春を感じさせる陽気にはなってきた。もう水道の凍結も心配しなくてもよさそうだ。朝1台の車が入ってきたので、誰だろうと外に出てみると若林君だった。この同級生ふらりとやってくる。1年半ぶりに会った。風もなく暖かかったので外でお茶を飲みながら1時間ほど話をした。去年大豆の取れ具合はどうだったかと訊くと、枝豆の頃に収穫時に虫がついてしまい、前年の半分ほどの収量しかなく、手伝いに来てくれた二人のお姉さん夫婦に日当を渡したら足が出てしまったということだった。きっ昨年の秋にひょっこり朝枝豆を携えて訪ねてくれたので、去年の秋も「今年も来るかなぁ」と待っていたのだが期待に応えてくれない理由がうかがえたような気がした。農地を遊ばせてダメにしてしまわないように、みんなそれぞれに買った方が安くても我慢しながら耕作を続けているっていうのが本音のようだ。
10日にテレビ局の収録があるので本堂をちょっと掃除する。局からもまた今日電話がある。テレビに映ることになるのか、なんか複雑な気分ではある。

2016年2月4日(木) 晴れ
立春。
寒い日はまだ続くだろうが立春。春が立った。夜が明けるのもちょっとずつ時間が遡っていくように感じている。今日は昨日より多く蝋梅がひらいた。この香りもこの季節だけの貴重なものだ。一年先まで待たなければならないものって自然界にはたくさんある。だんだん時間がいとおしく感じるようになってゆくのだな。若くして世に出てたくさんの金を稼ぎ、世間からその政界の神のように崇められて、庶民の暮らし方や付き合いやそういうものがわかっていなかったり、うまく言えないけど、そういうことが清原のような悲劇を生むのかもしれない。普通すぎる普通がとてもいいのだ。清原の悲劇はもしかしたら18歳で巨人軍に入れなかったときにはじまっていたのかもしれない。いかつい体や風貌に似合わず繊細で弱い心の持ち主だったのかもしれんなぁ。きっと元に戻れるから。
本山の「五大力尊仁王会前行」出仕の申し込みをする。15日の開白から18日午前中までを申し込む。好い天候であることだけお願い。

2016年2月3日(水) くもり
節分。
節分もなんか天気のはっきりしない日になった。実はきょう東京からテレビ朝日のある番組のスタッフが寺を訪れた。先日電話があって今日来ることになっていたのだが。うちの寺にあるある武将の書状について取材をしたいとのことであったので、こちらもちょっとネットで調べ物をしたりして恥ずかしくないような受けごたえをしなくちゃならんと思って準備していた。昼飯を食っているところへ男女の若者が現れ、飯を食う間庫裏の座敷で待ってもらった。いろいろと話をし、今日は節分で、「この町には日蓮宗の総本山身延山があり、今日は盛大な豆撒きが行われているが、うちの豆撒きは、毎年夕方僕が一人で撒いているが、一緒に豆撒きをしてみませんか?」と誘うと、やるというので、3人で本堂の回廊から境内に「鬼は外、福は内」と豆を撒いた。僕にも思い出に残る節分で、二人にも普段する機会のないことをしたので、思い出に残ってくれるんじゃないかと思っている。本件についてはまた改めてここに書くことにする。

2016年2月2日(火) 晴れ
三寒四温とは言うが。
今日はあったかい一日で、午後から竹林の雪折れの竹の始末をした。一日おきに天候が変わって体がこの温度差になかなかついていけない。節分と立春の札を貼り、歳徳神の幣も作って恵方に置く。陽もだいぶ伸びて5時近くまで作業してきれいにすることができた。でもまた雪がちょっとでも降ると重い雪で折れてしまうのだと思う。自然の営みとの繰り返しの対峙ということだ。あるがママを受け入れてここでは暮らしていくしかない。明日用のヒイラギとモミの枝もついでに採ってきた。明日ある取材を受けることになっているので、午前中、信玄の感状を長持ちから出して、書状の日付の永禄4年9月10日のことを一応ネットなどで調べてみた。書状に書かれている4度目の川中島での合戦が9月10日に終わったということになっている。なるほどと納得がいった。少し明日が楽しみ。

2016年2月1日(月) みぞれくもり
葬儀の助法有り。
不動寺の葬儀の助法に増穂まで行く。8時過ぎに降り出した霙が大粒の雪で11時近くまで降りあとは雨となって上った。昨日と打って変わってまた一夜にして寒い日に舞い戻ってしまった。こういう天候が今年の京都行きをためらわせているのかもしれない。仁王会の前行も雨や雪に降られたら足元が冷たくてかなわんのは嫌だ。2月に初日からこんな天気では先が思いやられる。もう2,3日悩んでみよう。

2016年1月31日(日) くもり晴れ
久しぶりに暖かな午後になる。
午前中は寒い曇り日。11時から佐田家の七回忌の法要。子供さんもみな帰ってきて法事に出てくれる。陽が出なくて墓参も寒い。施主曰く「でも雪降るってことがなくてよかった」と。そういうことで納得してもらえるのはありがたい。終わって甲府玄法院に向かう。東海師が行くといっていたので僕も不動護摩に参座させていただく。ご住職とは今年初顔合わせ。午後から天候が好転して、久しぶりに太陽の光が射しあたたかくなる。暖かな本堂で、1月最後の日の護摩に参座してよかった。奥様の汁粉も甘くておいしかった。

2016年1月30日(土) くもり
雨あがる。
昨日今日と獣除けの扉の開閉当番で、午前5時過ぎに出かけて扉を開けてくる。寒いときはこの当番は嫌だ。今朝はまだ雨が残っていて、いつもは歩いていくのだが、昨日も今朝も車で行ってきた。長い時間雨が降ったので屋根や日陰の雪もほとんど融けたようだ。午前中に本堂の掃除をする。お昼過ぎにご朱印をと女性来寺。春が近くなると霊場巡りの人たちもぼつぼつとくるようになる。1月ももう終わりだ。

2016年1月29日(金)
ドーンと真冬に舞い戻り。
朝から雨。一日中冷たくて寒い。炬燵の中に潜り込んで映画を見る。初不動が昨日でよかった。こんな日に本堂で護摩を焚くのはちょっと厳しすぎる。昨日夕方仏器だけは洗っておいたのだが、とても護摩壇や本堂を掃除する気持ちにはなれず、訪れる人もいないだろうと決め込んで客殿だけのお勤めで勘弁してもらった。不動寺から2月1日に葬儀の助法を頼まれる。

2016年1月28日(木) 晴れ
初不動。
昨日よりもあたたかい日となる。初不動の護摩も凍えるような寒さの中ではなく修法できたのでありがたかった。東海師助法に来てくれる。おそらく職場が異動になるので、これが最後になるだろうとのこと。たくさんの燈明をつけて東海師にもいい護摩の思い出を作ってもらいたかった。午前中母娘の霊場巡りのご朱印があり、「午後から初不動の護摩を焚くのでお時間があったらどうぞ」と話しておいたら来てくれた。護摩の参座があるとまた東海師も俄然張り切ってやってくれた。彼の法螺もだいぶ上達したと思う。護摩に臨んでくれる人があると修法する僕らにも張り合いが出る。いい今年の初不動になった。それから来てくれた母親が牧丘生れの方で、祖父の実家の上求寺のことも良く知っていて、後を取っている貴永のことも「元気のいいK美ちゃん」というふうによく覚えていてくれて、何か寒い毎日だったけど今日はとても温かい思いに包まれることができた。忘れられない初不動になりそうで、今年の不動護摩はよい思い出が作れそうな気がしてきた。

2016年1月27日(水) 晴れ
花立を割ってしまった。
樒を挿して客殿に置いてある真鍮製の花立を、中の水を凍らせてしまい底の継ぎ目が割れて壊してしまった。うっかりしたなぁ。何年か前にも凍らせてしまったことがあったのでこの時期水を入れずに挿しておいたりしたんだけど、東京出張などあってうっかりしてしまった。仕方がない。痛い出費だがなくていいという訳にはいかない。1対で2万円ちょっとする。午後車の新車6か月点検。百均のダイソーでお勤めに使う5号蝋燭をごそっと仕入れる。百均の線香は気に入らないけど、蝋燭はそれほど気になりません。今日はちょっと気温が上がる。明日初不動の護摩。

2016年1月26日(火) 晴れ
気温が上がらないので雪が消えない。
ほんとに異常な低温だ。水道を凍らせない注意だけをしている。寒波ももう数日のことらしいからうまく切り抜けなければ。境内のあちこちの雪がなかなか消えない。日中の気温が上昇しないから、ちょっと日陰に行くと屋根から落ちた塊がそのままほとんど形を小さくしていない。黄梅やロウバイも開きそうだったのに足踏みだ。のんびりと映画を見る。宅配で届いたスーツケースの荷物を片付け、買ったCDを聞きはじめる。

2016年1月25日(月) 晴れ
葬儀。
7時からのバイキングの朝食を取る。朝飯会場も飛び交うのは中国語が圧倒的に多い。日本語を交わす相手もいないので黙々と朝飯食いに励む。温泉卵に納豆を混ぜて食べたらうまかったので、二回続ける。新たな発見。でも1,300円分はとても食えなかったんだろうな。10時から葬儀。40分の葬儀のうち30分が葬儀ということで、10分がぶっつけ初七日という区切りにするということで、そこは「どうぞご自由に」と司会者に任せた。こちらは遺影を見ながら次第通りに進めるだけ。終えて控え室で改良服に着替え、葬儀屋さんに頼んで斎場の脇にあるファミマから荷物を自宅宛に送ってもらう。火葬をしている間に食事。山梨から来た親戚の方々と日本酒を飲む。骨あげを終えて、西馬込の「古美術佐田」の店に戻り、壇を作ってもらって経をあげて帰り支度する。店もきっと閉めることになるのだろう。会社経営を息子に渡してからはほんとに好きなことをしながら生きた故人だった。新宿午後3時の電車に間に合い帰ってくる。

2016年1月24日(日) 晴れ
上京。
葬儀のため上京する。10時前の身延線で、甲府経由で新宿で降りる。荷物はあらかじめホテルに送ってあり昨日の夜着いているのを確認。午後3時のチェックインなので昼飯を兼ねて降り、disc unionを目指す。ここが東京に出た時の唯一の楽しみ。やはり手に取ってCDを見るのはいつもドキドキして楽しい。時間の経つのをホントに忘れてしまう。僕は大体JAZZ館しか行かなくて、それも中古CDの階しか行かない。それから中古も主として1,000円以下か高くても1,300円位のまでしか買わない。今日も11枚で1万円でちょっと釣りがきた。Art Ensemble of Chicagoを4枚、Christian McBrideを3枚買う。大森駅の駅ビルの中にある「大森東急REIホテル」に泊る。午後4時半過ぎにタクシーで「臨海斎場」に向かう。ここは港区、品川区、目黒区、大田区、世田谷区の共同事業で臨海部広域斎場組合を設立して運営している。葬祭場と火葬場が同じ建物の中にあるので、確かに利用するには便利だ。埋立地なので海風が強く吹くときもあるとのこと。日曜の夜の通夜で、会社を営んでいるので、二部屋を使って広く祭壇も作られていた。取引先のたくさんの会社からの生花もあげられていたし、会葬者もたくさんあったようで、予定時間より長くしてくださいとのメモ書きが途中で渡された。東京は通夜に会葬者が多いので、普通は如法衣で通夜はするが、今夜は明日と同じ七条袈裟を着ける。終えて通夜振る舞いをいただいてホテルに戻る。琴奨菊の優勝の相撲をスポーツニュースで見たりする。

2016年1月23日(土) くもり
結婚式。
妹夫婦の次男の結婚式が自坊の内船寺である。天候が心配だったが、雪どころか雨の落ちることも何とか避けられて無事に終わる。ただとても冷えて寒かった。9時過ぎに出かけ波木井のお姉さんを拾って向かう。女房と子供たちは別便。南部はこちらよりは前回の雪も少ないが、高台にあるお寺の境内には所々に雪が残っていて寒い。曇り日で陽が出ないので余計に寒い。寺の中に休む場所がなく、みな外で待っている。11時から本堂で結婚式。1時間ほどで終了。開式の前に渡り廊下で両家の親族紹介がされる。新郎のご両親親族の皆さんも初めての大きな寺での結婚式にやや緊張の趣あり。檀家の皆さんも大勢本堂に上がって見学してくれる。終えて外で新郎新婦による鏡開きがあり春鶯囀の樽酒が振る舞われる。ただ寒いので僕も半分だけ。家族皆小便が近く、便所はいつでも混んでいる。午後1時半近くになって庫裏に上がって披露宴。花嫁は白無垢から赤を基調とした内掛け替えて登場。仲人を立てていたので、今の時代では珍しくも懐かしい「慣例によりまして新郎新婦のご紹介から」という言葉で生い立ちから学歴などが「優秀な成績で」という修辞を伴って報告される。宴が始まりあとは淡々と進行。始まりが遅かったために息子は途中退席して電車で帰る。結局終わったのは午後4時を回っていて、家に着いたのはちょうど5時。長い結婚式の一日だった。今日結婚した男3人兄弟の2番目が、寺の後継となるために新しい生活を始めていくことになる。ここはいろんな意味で恵まれた寺である。もちろん今の住職夫婦の努力もあるのだが、寺の貧富の差がこれからますます広がっていきそうな時代だから、寺を自らの家族の「家」として繋いでゆくことには必ずだれもが固執することだと思う。NHKのクローズアップ現代で大学教授が「裕福な寺は貧しい寺に布施をしないのか」などと、夢の世界のような話をしていたけれど、まずそれは決してないでしょう。「企業努力が欠如してる」って切り捨てられるが落ちだと思う。本気で寺の行く末のことを考えていかなくてはならない時期に来ている。

2016年1月22日(金) 晴れ
幾分明日の天候が気にはなる。
一日天気も良く夕暮れも春を感じさせるような青空が広がり、雪になるような薄暗さはなかったのだが、予報を見ると明日の午前中いっぱいは曇りで天候がもって、午後から雨になり場合によっては雪も降るかもしれないといったところのようだ。この分ではそんなに心配をしなくてもよさそうだ。墓地の参道の雪かきをする。ほとんど陽が当たらないので、シャーベット状に固まっているのを、角スコで除けていった。この上に雪がまた少しでもつもったら根雪になってしまいそうだったので、汗かきながら作業する。半分ほどまで進み、今月末に法事のある檀家の墓までは終えることができた。まあ明日の雪、大丈夫そうなので。日中暖かい内に頭を刈る。足の爪も切る。

2016年1月21日(木) 晴れ
初大師は大寒。
昨日は水道の凍結に供えて外の便所は元栓を閉め、庫裏の裏の水回りは洗面所の水を少し流しておいた。寝ていても下から冷気が敷布団から背中へとしみこんでくる。厳寒の様。まだこれから来週もさらに厳しい冷え込みになるという。やっと東京での葬儀の大筋が決まり連絡がある。大田区にある臨海斎場というところが会場になる。荷物を作り、宿泊先に明日送ろうと思う。何回か東京での葬儀も経験しているのだが、今回は葬祭業者から何も連絡もないし、日程表もない。施主から業者に連絡を取ってもらい電話がかかってきて、「何か用があるのでしょうか?」みたいな言われ方をする。位牌のことはもう書かずにお寺さんは戒名の紙を印刷してきて白木に貼るのだという。こっちも、じゃそうするから、何センチ四方の紙に作っていけばいいか連絡をしてくれという。東京にはまるで檀家に属する家族はないのだというような横柄な対応で、こっちはすっかり白けて大いに気分を害している。旦那寺なんか、戒名だけ付けて送ってくれりゃ、後は適当に真言宗の坊主をこっちで用意するからってなもんだ。「あんた東京の葬儀のルールがわかっていねぇだろ」みたいな感じ。まあこんな業者ばかりではないだろうが、「日程表?そんなものつくりませんよ、お寺さんには場所と日時だけ知らせりゃそれで済むんですよ」ってことらしい。「ああ、そうかい、そうかい!」ってなもんで、こういう人たちとは交わるところがないだろうと思うので、事無く日月の葬儀を済ませて帰ってこようと思う。

2016年1月19日(火) 晴れ
寒波が居座るようだ。
昨日の雪はだいぶとけたが午前中は強い風が吹き荒れた。肌を刺すような冷たい風だ。週間予報では、今度の土曜にもまた雪になるかもしれないという。内船寺の結婚式が土曜にはある。南部だからそんなに雪の心配はしなくてもいいと思うが、ここが降っていたらかなわんなぁ。
午後東海師来寺。早川町で仕留めた雌鹿の皮を譲りうけて、自分で敷物を作って奉納してくれた。春の祭典の導師の獅子座に敷いて使わせてもらうことにする。

2016年1月18日(月)
葬儀、雪になる。
深夜雨になりだしたので、このまま雨のままであってほしいと思っていたが午前2時過ぎに外が静かなので便所に行くついでに外を覗くとうっすらと辺りが白くなっている。その時に雪が降っているのかどうかは確認しないまま朝を迎えた。それほど積もってはいないが雪になっていた。娘はいつもより早く出かけ、僕は朝食の後車庫前や参道、町道への出口や駐車場の入口のところなどの除雪をする。1時間ほどで下着までびっしょりになる。着替えて8時10分過ぎに霙履きをつっかけてしずしずと当屋に向かう。葬祭業者の職員などが一生懸命に雪かきをしている。少し早めに進めましょうということで今日をあげてから出棺の儀。火葬している最中も一向に雨に変わる様子もないが、積もるほどでもない。昨夜「明日は平地で50センチくらいになる」という大雪注意報を聞いたので、助法に来てくれる二人に、もし大雪になっていたら無理をしてこなくてもいいということだけ伝えたが、国道の状況がよかったので予定通りに済ますことができた。周りに雪がある葬儀はしたことはあったが、当日雪が降っているという葬儀は初めてだった。でも今日の日のことは家族にもしっかりと焼きつけられたのでこれはこれでよかったのではないかと思う。家に住む人が亡くなってしまい、ここも今後どうなるかはまだはっきりとしないという。厳しい生活の場所である。

2016年1月17日(日) くもり
雪が降ってくるのかなぁ。
午後3時を過ぎてだんだん空が重くなってきた。予報を見ると今夜9時ころから明日午前中が雪の予報になっている。暮れからずっと雨がないのでちょっと湿り気が欲しいところだが、一宮家の今夜が通夜で明日が葬儀になっているので、悪天候はちょっと勘弁願いたいところだし、甲府からきていただく行藏院のご住職にも迷惑はかけたくないところだ。夕べ頭を刈って、風邪気味という訳でもないが少し体が重い。鼻水が出る。小便もやたらと近い。こんな寒い日になったからかもしれないが。午後4時から納棺で6時半から通夜。
午前中確定申告の書類を作る。母が亡くなったので医療費控除を受けるだけの金額にはならないと思っていたが、1月と2月の支払いがあったので家族の分と合わせて14万円ほどになったので娘の確定申告に使ってあげることができた。今夜は久々に追弔和讃をやるか。

2016年1月16日(土) 晴れ
葬儀準備。
いったん東京の葬儀のことを中断して早い方から始めなければならなくなった。夕べからI家の葬儀のこと、先ず戒名から考え始める。布団の中でもあれこれと考えて、午前中に戒名を付け終わる。戒名さえつければ後はなんとなく進むものだ。諷誦文もご主人の亡くなった時のものやご家族からいただいた書き物から作ってゆく。葬儀社が位牌・塔婆を持ってくる。葬儀次第など作り終えてから書き物をする。天気がいいので部屋の中も暖かい。なんとかなりそう。去年の今日は母の様態が急変し、施設に呼び出されて昼飯後に出かけ、夕方にはあっけなく亡くなってしまったのだった。今朝のお勤めも特別なものにはならなかったが、粛々とお寺のことを今日もやっておりましたよというのが、母への供養。

2016年1月15日(金) 晴れ
続けて訃報入る。
東京の檀家と電話でやり取りをした後、再び電話があったおでてっきりそこからだと思って出ると、違う。一瞬「?」となる。向こうから「Iです」と。地元の檀家からだった。お母さんが昼過ぎに亡くなり家に戻ってきたので枕経に来てくださいとの連絡だった。パソコン前の仕事をいったん中断しすぐに着替えて出向く。明日が母の命日で、母の亡くなったあと1時間後にやはり檀家の方が亡くなっていたことがあった。東京は葬儀までまだ日があるのでよかった。I家は17日通夜、18日葬儀ということに決まった。うちの寺は全く正月の葬儀が多い。しっかりと務めなければ。

2016年1月14日(木) 晴れ
訃報入る。
午後4時過ぎに東京の檀家の息子さんから「きょう父が亡くなりました」と知らせが入った。去年の不動尊祭典に奥さんと一緒に来てくれたこと。7月の盆の棚経に行き、二子玉川でお昼を御馳走になったことなどがよみがえった。昨夏がお会いした最後になった。年末に女房が電話で話をしたときに、夏以降入院して手術をしたことなどが告げられたが声は元気そうだったという。松の内が過ぎて通常の1月の寒さが戻ってきた。「急に体調が悪くなって亡くなった」といっていたので、家族もビックリというところだろう。年齢は満87歳。年齢には不足はないかもしれないが、さびしくなる。葬儀は24日25日あたりで調整しているというのでこちらは大丈夫と返事をする。

2016年1月12日(火) くもり
DAVID BOWIE。
年明け以来こんな寒い日は初めて。一日どーんよりと重く寒い日。デビッド・ボウイが亡くなった知らせが入ってきた。なんでも浅く広く聞く雑食だから当然一時期ボウイを聞きまくっていたこともあった。特にアルバム「アラジン・セイン」が好きで、ジャケットも気に入っていた。そのあと、プログロ系のアルバム「Low」「Heroes」「Lodger」の3部作も愛聴盤だった。ボウイの死に多くのアーティストが追悼の言葉を送っている。ミック・ジャガーは「デヴィッドはいつだって僕のインスピレーションだった。本物のオリジナルだった」と送り、ロッド・スチュアートは「まったく恐れを知らない先導者、デヴィッドは、僕らみんなに影響を与えた革新的なカメレオンだった。とてつもない喪失だ」とも。ボウイにもストーンズにも、いつだって僕は「自由な生き方をしていいんだ」ということを教えてもらったような気がする。まぁ、このことは彼らからばかりではないけど。だから僕も、60になる年まで今もって自由気ままに生きている。自由な生き方を先導してきた先輩たちよまだまださらに元気で、生きることをむさぼり続けていってほしい。

2016年1月10日(日) 晴れ
東海師来山。
本堂前で御法楽をし法螺を立てて、東海師今年の初来山。1時間ほど話をしてゆく。世の中は自分を中心に回っていてはくれないので、人それぞれに果てのない悩みや迷い事がたくさんある。不動明王に告白することでそういう重みが少しでも軽くなったり、良い方向に向かっていってくれればよい。僧侶とて、僕のようなものは同じだから。あたたかい初春はもう境内にふきのとうを僕に見つけさせてくれた。

2016年1月8日(金) 晴れ
車のお祓い一件あり。
今年の初仕事となるのか、大晦日に来てくれた大月の蔦木さんの車のお祓いがあった。電話をくれて「今日納車になったがこれからでもいいか?」というのでOKした。大月からここまでわざわざ奥さんと来てくれるのだ。午後3時を少し回り、終わってお茶を飲んで帰るときには間もなく陽が西の稜線に沈む時間になっていた。陽が沈むと一気に冷えてくる。門松を明日どんど焼をする畑に持っていくと、ちょうど工事の事務所から責任者のM氏が出てきたので少し話した。彼らは朝ものすごく早い。7時前にはもうプレハブの事務所に明かりがつく。暖冬で工事現場はありがたいという。今年の初読みで夕べから山本一力の「ワシントンハイツの旋風」を読み始める。午前中、節分・立春の札を作る。

2016年1月7日(木) 晴れ
松納め。
正月も明ける。日中はもう春のように暖かい。コメリに買い物に行き、ついでにこの時期出ている福寿草を求めようと思ったがまだ入荷していないとのこと。今年は福寿草もこのままの冬じゃ早いだろうに。うちの地の福寿草も地中でもぞもぞしはじめているのかもしれない。お昼ご飯を食べていると、ご夫婦で「お百度」を踏まれていた。本堂と山門のところをお二人で繰り返し行き来している。二人が踏まれている間に本尊の厨子を開け、終わってから内陣でのお参りに誘った。帰ってから芳名帳を見ると、去年一二度訪れている夫婦だった。こういう人たちのために祈りたいと気持ちは新た。

2016年1月6日(水) 晴れくもり
舟を編む。
この映画、以前見たのだけど消去してしまい、「惜しいことをしたなぁ」と悔いていたので、WOWOWでこの正月に流してくれたのでよかった。今日もこれをじっくりと観てしまった。おもしろい。こういう映画は深いと思う。10数年かかって辞書を編纂するという気の遠くなるような作業を描いた映画である。「右」というのを辞書で引いたことがあるだろうか。先ずほとんど引かないと思うがこれが実に面白い。家にある旺文社の国語辞典では「北を向いたとき東にあたる側」とあり、三省堂の新明解国語辞典では「大部分の人がはしや金づちやペンなどを持つ方」とある。ちなみにこの辞典の編者代表は金田一京助である。昭和36年に出た小学館の言林(げんりん)には「南へ向かって西の方。左の正反対」とある。映画では編集に携わる国語学者役の加藤剛は「数字の10のゼロの方」というような「右」の定義も語った。こんな風に「右」一つだけでもこんなに色々と深く果て無く考えられるということがとても面白かった。昼に持ちを3枚焼いて食べたが、夕方になっても胃にもたれている。若くないのだよという警告のようだ。

2016年1月5日(火) 晴れ
ぼちぼちと正月をしまう。
昨日の檀家回りでは、あちこちで大量のごみが集荷所に出されている光景に出合った。年末から年始の家庭ごみが月曜の昨日に各家庭から何袋も出された。うちの方でも今日が可燃ごみの日で、組のごみステーションは、天井までいっぱいだった。駐車場を現場事務所として貸してある土建屋さんも今日が仕事始め。もう寺に訪れる人もないので本堂を少しずつ元に戻す。外陣のレイアウトを日常に戻し入口の幕も外す。大きな寺社とは比較にならないが賽銭もうちにしては結構あったし、お守りなんかも勝手に買っていってもらって代金は孟宗竹で作ったものに入れてもらっているが、千円札も何枚か入っていた。昨日訪ねた檀家で盆栽を熱心にしている人がいて、花の咲きはじめた鉢もあったので「早いですね」と問うと、「2月に盆栽展に出品することになっているが、こう暖かいと花が開いてしまうので少し寒い場所に移した方がいいな」という。大雪がこれから来るより暖かい方が僕はありがたいと思っているが。

2016年1月4日(月) 晴れ
新年書きはじめ。
書かないでいるときっかけがなくなりそうなので頑張って書く。大晦日の年越しの護摩を焚き、午前3時過ぎに就寝する。7時に起きて護摩壇の掃除をする。まだ喪中なので八幡神社での互礼会には行かず。2日は朝から箱根駅伝。往路がゴールすると毎年秋山さん、川口さんが飲みにやってくる。夕方までいろいろな話をしながら酒を飲む。女房のピザも楽しみにしているらしい。駅伝は青山学院が強すぎて、復路も最後の10区まで一度も首位を明け渡すことなく完全優勝。上位校と下位校との力の差がありすぎて、いささか最近の駅伝は見る側としては面白みに欠ける。初めから選手に力の差があるという訳では必ずしもないだろうが、人気校という部分では選択する選手たちにも目移りは当然あるだろう。「青山学院」という名は何とも都会的で魅力がある。そういううところにここもう何年もシード権が取れたり取れなかったりという「山梨学院」という大学の悲しさなのだろうか。4時に起き録りだめたドラマなど見てお勤めをし朝食をとって7時15分に新年の檀家回りに出かける。それでも早い時間は冷えて寒い。下部からの本栖道も凍結がある。トンネルを抜けると本栖湖の正面に富士がくっきりと姿を見せ、頂きやや右側に朝陽が輝いていた。たくさんのご来光を撮るカメラが並んでいた。車を降りて富士に向かって法螺を立てる。富士ヶ嶺の遠藤家の前でも富士に向かって法螺を立てる。気温はマイナス2度。やはりいつもの年よりは暖かい。門札を渡して精進湖線を市川へ下り、甲府周辺をまわり、こちらに戻って下山・飯富・八日市場とまわって午後1時前に帰る。暖かい一日。