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『徒然日誌』 2004年1月から6月

2004年6月30日Wednesday
雷なって、雨が降り始めた。
6月も今日でおしまい。今日はボーナスの日。
朝から雷ごろごろと鳴って、ご飯の最中に一度停電。すぐに回復。体を熱さを鎮めてくれるような涼しい雨が降り始めている。紫陽花も濡れ、畑も潤う雨になる。
さあそろそろ出かける時間だ。
(21:58) 静岡の豪雨の影響がここまで聞こえていたのだ。ここは朝の雨の後、降ったり止んだりで、夕には晴れてきた。僕は帰ってきてから1時間余りまた竹林に入った。今夜の女房は僕の酒に一切口をはさまず飲ませてくれた。これが給料取りの特権なのだろうか。僕はこれを書きながらまだ飲みたいと考えている。ここでひとりで二日酔いするくらいに飲む酒が一番好きなんだ。

2004年6月29日Tuesday晴れ
期日前投票者3名。
今日は一日参院選の期日前投票所の事務。8時半の開所を待っていた2人の女性が投票を済ませた後、11時間後の午後7時半前に、仕事帰りの女性が来て3名。こんなのも果たしてどうなのかなと思っちゃう。
お陰でこちらは読書を堪能したけどね。高村薫を200ページちょっと。携帯のCDプレイヤー持参で、ひさーしぶりにゆっくりと音にもおぼれた。
今日の読売の山梨版に、「わたしのイチ押し!」って欄があって、先日の取材の「渋さ知らズ/渋星」記事の掲載があった。山梨日日新聞には、奇しくも妹の記事も載っていたので、なんともアラ不思議。
今からソフトボールの負け試合の飲み会。1時間で終わり。8時まで仕事をし、遅れて出向いた僕には当然出番なし。

2004年6月28日Monday晴れ
今日は特別に書くこともない。
これはいつだってそうだが、今日は一日を思い出してもこれといって書くことがない。
体の痛みを我慢して起き上がって、いつもの月曜のように7時半には出勤。デイサービスのお風呂に湯を入れて、その間に朝日と山日の新聞に目を通し、今日はこれといってない。
定例の月曜の合併の会議は、なかなかに厳しく、遅々として進まない。合併も飽きてきた。コンナコトヲイッテイタノデハ申し訳ないが。

2004年6月27日Sundayくもり
雨降らなくて、結局一日肉体労働。
疲れて腰が痛い。今日は8時前から境内のつつじや生垣の刈り込み。これでだいたい全部一通り済んだ。午後5時半ごろにすべて終了。
昼に缶ビールひとつ。夜に缶ビールふたつと清酒3杯。俺の一生はこんなことで終わってしまうのか。仕事終えてシャワーを浴びて夕のお勤め。賽銭箱に270円。昼の缶ビール1本買って貰えたのかなと思う。もうすぐ6月が終わり、今年の半年が終わる。もう町が合併するまで80日くらいだ。
疲れて眠くてもう音も聞いていられなくなりそう。

2004年6月26日Saturdayくもり
蒸し暑くて護摩の火も熱くて。
甲府から来客あり護摩を焚く。護摩は一度足りと同じものがない。毎回違う炎が上がる。僕は専念しているので、なかなか冷静にその護摩の炎の上がるのを眺めるなんてことはないが、終わった後に、今日の施主さん家族からとてもいい護摩でしたといわれて、「良かった」と思う。
曇り日で風もなかったので、本堂の脇の戸も開けながら護摩を焚いた。ここで護摩を焚けるということの幸せを今日も感じた。これが僕の使命で、これからいつまでもこの護摩を焚けることが続きますように。
女房とここにいつまでも静かに寺を守りながら生きていきたいと思った。静かにと言いながら、世界の動きはとても気になる。どちらの生き方をすればいいのかはまだまだこれからゆっくり考えていけばいいことだろう。静かであってもいいし、怒れる思いを述べるときもあってもいいのだろうし。

2004年6月25日Fridayくもり
子を育てるということ。
昨日の夕方、Y新聞の取材を受けて、終わってから友人のAさんと3人で飲みながら(記者は飲まなかった)話したが、長崎の事件のことや選挙戦のことなど。僕はそのとき、ふと思った「こんな風な年少の子供たちの事件が多発すると、結婚して子供を作る夫婦がもっと少なくなるのではないか」と。少子化が進み、子供は2人に満たない数の予測がされていて、年金のことも含めて深刻である。将来自分の子供が凶悪な事件を引き起こすこともあり得るとなると、子供をもてない、そのことを思うと怖くて作れないなんて夫婦がますます増えるかもしれない。
僕も2人の子供が居るが、正直僕は子育てが苦手だった。子供を持ちたかったが、子供を育てることは難しかった。ほとんど女房に任せきりだった。親というレベルに自分を据えることができない。僕もまた子供のままであった。
清くもないかもしれないが、期日前投票の様子を見がてらに選挙してきた。喜納昌吉に1票入れた。民主党の公認候補であることに戸惑いはあったが、長い付き合いだし、彼の歌は好きなので。昌吉が国会という場所に嵐を呼んで欲しいと思う。
職場からの帰り、国道に猿が死んでいた。車にぶつかったものだろう。こんなところにまで降りてこなければ良かったものを。帰ってきて本堂に行くと、野良猫が外陣から飛び出した。この灰色の猫、すっかりここの所居座っている。ここでも僕は大人になりきれなくて猫を追いまわし石つぶてを仕向けたのである。

2004年6月24日Thursday晴れ
これはこれでよかったではないか。
今夜は飲んだ。某新聞の取材もあった。これで今夜はおしまい。

2004年6月23日Wednesday晴れ
韓国人が犠牲者となる。
韓国人が犠牲者となってしまった。イラクからもう撤退してもいいのではないか。もうその国に任せてもいいのではないか。
何故に復興支援に行っている人間が犠牲にならなければいけないのか。国の面子を守るのなら、政府の役人が自ら出向いて囚われ人と代わってもいいのではとも思う。
とにかくこんな出来事の繰り返しでは困る。これらの事件によって、もっと派兵に反対する世論が盛り上がってくれることを望むしかないのか。
朝6時前に勤行を済ませ、大津のSさんに頼まれた先祖供養をし墓参する。その後40分ほど竹林で竹の子や竹の始末。やぶ蚊に刺されながら、何とも情けないような寺守の出勤前の時間を送る。早起きは早くも眠たい夜となる。

2004年6月22日Tuesday晴れ
台風去って、閃光のような陽射しだ。
一夜明けて朝から、青空が広がる。暑い一日。庫裏の玄関にはひさしがないので、直に雨風を受けることになり、板戸の隙間から土間に雨水がけっこう入り溜まった。この夏にはこの玄関の戸を含めて、サッシにしてもらう件を護持会に相談しようと思っている。
樋の詰まりも何ヶ所かあり、また週末には好まない屋根に上らなければならない。上ったはいいが、はしごから降りるときがなんとなくいつも怖いんだな。大工さんや屋根職人が高い屋根の上を、ひょいひょいと軽快に歩く姿を眺めて、僕にはとうてい無理だなと思う。こんなときには、山や高い木のない場所に寺のある人たちをうらやましく思う。ひとりで屋根に上がって、ひとりで落ちて、ひとりで痛がって苦しんだり、仮に死んでしまったりするかもしれない。
(20:44) 夕の涼しい風の吹く屋根に上がる。樋の掃除をする。ケヤキの落ち葉や杉の葉が詰まっている。樋が繋ぎ目から外れてしまっているところもある。ちょっと向こうにあって、今日の僕では行けそうもないと諦めてしまう箇所もある。しかたがない。へっぴり腰で、恐る恐るはしごを降りる。無事に着地。体中が熱くなる。今夜は飲まずに寺の仕事をする。塔婆を2本書き、土曜日に焚く護摩の祈願札も仕上げる。終わって、滋賀に住むSさんから「夫亡き後、山梨の田舎の親戚関係などわからないので教えて欲しい」との手紙をいただいたので調べる。家系図ソフトなんてのもあるようだが、まっ、簡単に作って送ってあげられたらいいや。冷たい麦茶のうまい夜。

2004年6月21日Monday
大雨と大風。夜になってやっと落ち着いてきた感じ。
午前中は台風の影響も少ないかなと思っていたが、お昼過ぎから雨や風が激しくなった。
午後の合併の下部での会議は明日に延期。今日はもひとつ4時から参院選の「期日前投票」事務の説明会があった。選挙もチョコチョコ方法が変わる。有権者にやさしい方式を採用していくのであれば、もう午後8時までの選挙は必要ないんではないか。
帰ってきてからぐるり家と寺の周り、墓地を見回る。竹の子もまた生えているので倒す。雨具を着ていたが汗びっしょりになる。寒くはないので雨もまた気持ちよく感じられた。明日は台風一過で、暑くなるかもしれない。疲れた。

2004年6月20日Sunday晴れ
松1本片付けて。
プロでもその道のアマチュアでもないが、松の剪定を一本片付けた。昨日からのつつじといい、植栽と関わるのは疲れる。腰にもろに来る。今朝も起きるのはなかなか容易なことではなかった。これだから月曜の朝はいつも辛いのだ。
午後エルクへ買い物に行く。醜く太ってきたので穿けるズボンに限りが出てきたので、エルクで2本買ってくる。女房は竹の子を紙袋に詰めて持ってく。が、向こうの反応は今年初物だといって喜んでくれる。所変われば生活も様々だ。喜んでもらえればこれでOK。
帰ってきて最後の始末をして昨日の林泉と松1本終わり。後は野となれ山となれで酒。エルクからいただいてきた新潟の酒を冷でおいしくいただく。
夕べの教育テレビの岡部伊都子さんの番組は良かった。岡部さんは自らを「加害の女」と語ったが、彼女のような悲しい女を作ったのはこの国の責任である。もう、いいかげんにこんな悲しいことが起こりうるような争いごとは辞めにしようではないか。今夜はこれが精一杯。
標ご住職よりサクランボの赤い実も届く。彼の同級生の志村研農園の作。お昼前に届き、女房は先ず眠っておられる方にこの涼やかな賜物をお供えして、ひつのデザートに出してくれた。甘酸っぱいこれは、肩の疲れも取れそうなうまさである。何にもない僕はいつも、ただ「ありがとう」と礼するだけである。ごちそうさま。

2004年6月19日Saturday晴れ
女房はどうして巨人戦が見たいという。
まったく不思議なものだ。僕は野球のナイター中継にほとんど興味がない。風呂から出て、CDをかけていたら、「何でテレビ消しちゃったの」(言葉は標準語にしてある)と。彼女はよほど野球が好きなようである。娘も然り。我が家は俺も息子もほとんど興味なし。
ところで風だが...?風が吹いている。台風の影響なのだろうか?夕べのHINATAは可愛かったなぁ。うちの子供たちにも、もちろん僕たち夫婦にも、あんな天使のように清らな時があったんだろうな。こんな子供たちのために、僕たちは気を引き締めて、戦争に向かう道にバリケードしなければならない。僕の残りの人生に成すべきことはもう決まったようなものだ。
一日をかけて池の周りのつつじなんかの刈り込みが終わった。よい天気で、今日は遊ぶことなく朝から夕までフルに仕事。途中、「県の仕事で両生類の生息調査をしています」という女性来る。モリアオガエルの卵の事を少し聞いていく。3日前に刈った菖蒲にも卵が産んであったのも今日見つけた。「ザリガニが多いですね」と彼女も。でも、ザリガニの生息地も激減しているとか。
モリアオガエルの県内で確認されている生息地は60箇所くらいで、そのほとんどが僕の寺のある周辺の地域なのだそうだ。「蛙を見たことがないんですよ」と聞くと、「木に居ることのほうが多いです」とのことだった。モリアオのおたまじゃくしも、「いますよ」と教えてもらった。イメージしていたものより大きなおたまじゃくしであった。
充実した一日だったなぁ。頭も刈ったし、晩酌もしたし。

2004年6月18日Friday晴れ
作家の松下竜一さんが亡くなった。
今朝は珍しく早起きをしたので、勤行の後、台風が沖縄から上がってくることも考えられるので、刈った草の始末を1時間ほどした。風のない水色の空にまっすぐに草の燃える煙りが上がる。竹の子はまたおびただしい数生えてきていて、伸びきってしまって食べられないものもある。明日の休みにはまた、これらをやっつけなくてはならない。
出勤前に新聞。松下さんの記事は、サンニチでは非常に小さい。(職場の朝日には大きく出ていた)
彼の小説やエッセイには一時期のめり込んでいたことがある。今の僕はあまり読書をしない。時間を作れば作ることは十分に可能なのだろうが、本を読む時間がない。本をじっくり読んでいる場合ではない日常とでも、ちょっと大げさに言おうか。
「砦に拠る」「ルイズ、父に貰いし名は」などは、いまも強く心に残っている。豆腐屋を続けながら細々と書き、やがて彼の中にずしりと一本通る反権力の精神は、自らの健康状態をも省みず、さまざまな闘争の先頭に立つことにつながっていく。
松下氏の死亡記事が載る新聞では、自衛隊の多国籍軍参加が、今日閣議決定されることを伝えている。良識者が次々と去っていき、それを待ちかねているハイエナのごとき輩の持つ“良識”というやつが、国中を席巻してくる。正しい戦争や正しかった戦争なんて、あろうはずもない。とりあえず徒党を組んで小泉をつぶしにかかるのが良策か。彼なんか遺伝子残しておいて、クローンを作って永遠に生きていたいタイプなんだろうな。昔だったら、スーフリのメンバーだったかもしれないような風貌と、雰囲気だもんな。
松下竜一さんの魂が、この国の歩もうとしている先に、いつも愛と平和の旗を掲げていてくれんことを願う。67歳の早すぎた死ではある。南無大師遍照金剛。オンアビラウンケンバザラダドバン 合掌。

2004年6月17日Thursday晴れ
すべての武器を楽器に!すべての人の心に花を!
喜納昌吉が参院選に出馬するのだという。しかも民主党の比例区からである。彼の特設サイトを今日初めてのぞいた。
正直、なぜ民主党だ?という感想だ。昌吉は10代最後のころから聞き始め、今もって彼の音楽を愛している。彼もどちらかというと、イケイケの人間のようで、彼自身の行き方や発言には、少々首をひねりたくなるものもあるが、総体的には好きな人だ。
特設サイトの「基本理念」のなかに、「Q,なぜ民主党から?」という問いがあり、ちょっと長いが「・・・かつて武器を放棄したことのある沖縄の心を、民主党という乗り物を借りて表現できれば、大きいインパクトを与えられると思っています。私と民主党の間には、確かに意見の違いがあることは承知しています。そして、その事を大同小異として片づけるつもりはありません。小異をしっかりと改革していこうと思っています。」と応えている。
仮に彼が当選したとしたら、彼は大きな組織の中で、このような考え方を6年間も維持していけるだろうか?尊敬する屋久島作家の星川淳や、イラストレーターの黒田征太郎が推薦人に名を連ね、並んで小沢一郎・管直人もここに居る。どうしてもこの違和感だけは僕にはぬぐえない。
大橋巨泉が辞めていったようなことにはならないだろうか。民主党は果たして本当に「平和に向かっていく政党」だろうか?

2004年6月16日Wednesday快晴
仕事終えて1時間草刈り。
もうモリアオガエルの卵は抜け殻となり、乾いた麩のように枝に揺れている。1時間ほど草を刈る。
帰って来ると女房は昨日も今日も境内に腰をかがめながら草を取っている。この寺に彼女はなくてはならない人となり、もう彼女が一番の寺の顔となっている。
人との接し方が彼女はうまいのかもしれない。僕はこの辺が一番苦手なところだ。
携帯も4人が持つと、月2万円を超えてしまうんだな。給料が下がっても、景気が冷えていても、こんな風に僕たちの欲求や望み事には終わりがない。

2004年6月15日Tuesday晴れ
30度超える暑さの中を...。
町の老人クラブ対抗ゲートボール大会。年々参加チームが減ってきているのと、この大会がおそらく中富町として最後の大会になるかもしれないとのことで、彼らは総当たり戦の試合を組んだ。
9時から始まった試合が午後2時過ぎまで。途中1時間ほどのお昼休みをとりながら炎天の中延々と熱い、駆け引きの戦いが展開する。老人は暑さに強くてとても元気。僕はうだる暑さの中、日陰で読書しながら時の過ぎるのを耐えていたが、それでも結構日焼けした。でも夏陽射しってのは気持ちのいいものだ。冷たい麦茶もうまい。
おやつに出た牛乳とアンパンも普段食べないので、こんなときは意外とおいしくいただいてしまえる。
今夜はソフトボール。終わった後のビールは今夜もまたうまいかもしれない。

2004年6月14日Monday晴れ
梅雨の中休みだそうで、暑い。
朝からの会議だったが、休み明けでまったく頭が働かない。稼動しない。働きたくないというのがホントのところだ。
で、結局午後もこんな調子でまったく動けない頭と体のままに一日が終わる。帰ってきてしばらくすると毎日新聞の山梨支局から電話があり、先週の文化財調査の記者発表があったとかで、「歓喜天像」についての、コメントを求められる。いつどこからここに来たのかなんて誰にもわからないことで、想像の域を脱することななどできないので、電話のやり取りも滑稽なものとなった。夕飯にテレビを見ると、またしても先週の文化財調査のときの映像が大きく流れている。この歓喜天像は、掘り出し物?であったようだ。平安期の頃のものらしく、この頃の像は珍しいとのことである。
小さなものなので、大事にしなければ。特に盗難には注意ね。父がまだ元気だった頃に、護摩壇の前の金剛盤から、五鈷を持っていってしまったけしからん輩もいるのだ。

2004年6月13日Sunday晴れ
よく草を刈ってよく飲んで、休日も終わり。
二日酔いには草刈がいい。二日酔いには草刈が似合うとでもいい。汗をかけばまた新たな活力が湧いてきて、また新しい“私”で飲めるというもの。下の写真の庭梅がまた、おいしいこと。これは草を刈る者の特権です。
今年1月にご主人を亡くされたKさん一家来て、墓地の候補地を見ていく。どこでも皆さんが良い所をと、ここは大都会ではないし、また入ってくれる檀家が欲しいのである。
死者が戻ることはないが、後に残された者が、都合よく気に入った場所が良い。次男坊は「俺は土建屋しかないっすよ、親父と同じで」と今、父親亡き後、勤めに出ていることを考え直している様子。「兄貴と一緒に、土建屋やりたい」と。
良い兄弟に幸あれ。二日間良く草を刈り境内の景観維持に努めました。酒もよく飲みました。(今も飲みながらだ)来週は、つつじのバリカンになるのでしょうか?
昨日と今日で、百八霊場遍路二組あり。

2004年6月12日Saturday晴れ
雨上がりで、カーッと晴れて、草刈り。
雨後の竹の子は伸びる。空にひょろひょろと揺れながら、もやしっ子のようにどこか頼りなく伸びている。食えそうもない奴は容赦なく円盤でサクサクカットする。しびれるほどの快感もないが、気分転換にはいい。竹は情けをかけていたらどんどん僕の心の中にまで根を張る。これがまた苦の種となる。
お地蔵さんの周りの草をきれいに刈って、ひょっとお地蔵さんの袂を見たら、足長蜂が巣作りをはじめていた。お地蔵様はほっておけと言うかもしれないが、放っておくこともできずに皮手袋だったのでそのまま払い落とす。蜂二匹は青空めがけて飛び去っていった。オンカカカビサンマエイソワカ。

2004年6月11日Friday
coco壱のカレー。
甲府に出張だったので、coco壱で昼飯にした。注文+400gの2カラで雨の降り始めのいくさ前の体を落ち着かせた。食っていると、体の大きな若者が入ってきて、同じカウンターに座り注文した。細かな内容は聞き取れなかったが、「700」という言葉はしっかりと入ってきた。僕もちょっと大盛で400であるが、700である。皿に盛られたご飯を見て、「そうか、僕も彼のように若かったら、このくらい食ったかもしれないし、食いたい気持ちはいつでもあっただろうな」と。
会議は眠いだけのもので、いつでもどこでもおんなじつまらない会議だ。
今夜は大降りになっている。週末が雨なら僕も外仕事ができない。大きな雨音が網戸の向こうからしている。明日の朝は、また墓地の側溝も見回らなくてはいけないな。

2004年6月10日Thursday晴れ
庭梅の赤い実結ぶ。
庫裏の裏の池の端に高さ70センチくらいの庭梅がある。赤い実を20余り今年もつけた。朝サンダル履きでその実を幾つかとって、水道で洗ってからいただいた。食卓に座る娘にも2粒皿に置く。「おいしい」と言ってくれた。甘酸っぱいのと、懐かしいのが交叉する。種を吐き出し、5粒ほど食べた。明日の朝もう少しいただこう。鳥のついばむ分は残しておいてやらなくちゃな。
竹の子も梅雨に入り伸びる伸びる。生える生える。女房は竹の子を取ってきて、せっせと竹の子をおかずにしてくれるが、少々食べ飽きてきた。パンにでもはさんで食べられるような、おいしい食べ方はないものだろうか。ネットで捜してみよう。

2004年6月9日Wednesday晴れ
紫陽花がきれいです。
今日は晴れましたが、紫陽花がとてもきれいです。梅雨が深くなるのか。毎日色濃くなる姿はとても美しい。こんな風に毎年色づく植物という奴、一体何なんだろう。ジョン・マクラフリンの「shakti」というアルバムを買った。30年近く前、新宿のT君のアパートでよく聴いた。
何故か一昨年あたりからマクラフリンのギターアルバムを買い始めている。ジャズもまた不変的なものかもしれない。数十年の時を経ても突然蘇ってくるなどは、普遍的といってもよいものだろうか。
午後8時前に帰ってきた娘は、そそくさと夕飯を済ませると、今度は塾に出かけた。これが正常な生活なのかどうかはわからないが、親が強制しているわけではなく、自らの意思で通っているのだ。上もそうであったが、今の子供たちはこれを当たり前と捉えているらしく、さして苦になっている様子もない。俺は勘弁願いたいな。
DAVID BOWIEの6月4日のLIVE音源がもう公開されていて、これが結構いかしているんだな。「Ziggy Stardust」健在ですよ、うん。

2004年6月8日Tuesday晴れ
なんと2本もヒットが。
棚ボタで、DHでスタメン。メンバーが会議やら怪我やらで11人。とても今日のゲームは僕なんかが出る幕じゃないんだけど、監督がDHで行けと。ファーストを守るS君が、足の調子がいまいちなので、打者は石田でいこうと言ってくれたのである。なんともこの親心がうれしいじゃないの。
お陰で、ボテボテのでしたが、4打席2安打。開眼したかもしれないなんぞと密かに思ったりする。
今帰ってきてこれから飲み会なので、今宵はここまで。

2004年6月7日Monday
金剛盤、見つけておいてよかった。
文化財集中地区調査という県教委の事業があり、文化庁の職員含めて20名ほどが来山した。県内の文化財の所在確認や保存状況、新たな文化財の掘り起しなどを目的とするものである。今日が初日で、大聖寺がスタートということで、県内の報道機関も取材に訪れた。あらかじめこれとこれをという文書がきていた。絵画は8幅、彫刻で歓喜天、工芸で金剛盤。絵画はどれも保存状況がよくない。数年前に修復して県の文化財にもなっている3幅の絵画も、カビが出ているとの指摘を受けた。寺の敷地内にある町の民俗資料館に保管してもらっているのだが、この3幅の絵画については、県に委譲することを考えた方がよさそうだ。彼ら曰く「梅雨に入って今日のような日に開いて、このまましまったら、それこそ一番悪い状況になることが考えられる」と。掛けっぱなしにしておくのもいけないし、しまっておくのもいけない、年に一度、秋晴れの日に虫干しをして、よく乾燥させてからしまうということを毎年続けているのもまあいいそうだ。
でも、今後のことも考えると、これらの文化財を寺で保管していくことは限界かと思えた。
歓喜天、金剛盤は、珍しく古いものであると。時代についてはここで書く自信がないので、またいずれかの日にしよう。絵画の保存は、放っておいても傷みは進むし、絵画はほんと個人所有に限界があるな。でもね、いろいろ調べていただいて、寺としてもありがたい日でした。

2004年6月6日Sundayくもり時々雨
雨降ったり、晴れてみたり、からかうのもいいかげんにしてほしいってな日曜日。
雨が降り始めたって言うので、慌てて昨日本堂を整理して出たごみやらちょっと大きな板物を燃す。娘はテニスに出かける。
明日、文化財の調査に来るので昨日厨子の下の戸棚を整理した。金剛盤が調査の対象になっていたが、それらしきものが見つからないでいたが、実は昨日の夕方見つけた。今日計ったら、県史に書いてあるものとほぼ一致。いやぁ、ガラクラ同然で、いつ捨てようかと思っていた六器なんかと一緒の箱に入っていた。
先代もこれのことは僕に話してはくれていなかった。金剛盤なんて、特別なものではないし、護摩の炉の前に置いておくもので、これ自体が法具というものではないので、実際あまり関心もなかった。僕も部屋にひとつ金剛盤を置いてあるので、明日それもついでに見てもらおう。件の金剛盤は古い物のようであるとの記載がなされているので、明日の調査対象になっている。あと絵画と歓喜天が対象となっている。
明日の午前中はこれに付き合わなくてはならない。
今日はまた午前中に、「主人の描いた絵を見てもらえないか」という電話も。「で、気に入ったら買えということになるんですか」と問うと、そう願いたいとの答え、僕は丁重にお断りしてさよならする。絵画は僕の趣味の範囲ではないし、それにつぎ込むほどの財はない。
土曜・日曜と、本堂周りの草刈りや清掃はできた。剪定にまでは及ばなかったが、もうこれで精一杯である。う〜んマンダム疲れた。ゲッ!?

2004年6月5日Saturday晴れ
旧日本赤十字社救護看護婦等に対する書状贈呈事業というもの。
今朝の新聞を見ていたら広告欄に総務省からの見出しのような事業のお知らせが載っていた。
午前中の草刈りと境内の掃除を一段落して、シャワーついでに頭もきれいに刈って、総務省のHPに行ってみた。
なんだかこの時期に胡散臭いよな。戦争することを賛美するようでね。あっちからもこっちからも考える限りのものを表面化させて、ジワジワと自衛隊を軍隊と肯定することへの道を進めているとしか考えられない。
奴ら頭がいいから、「うるせぇ、バカヤロウ」だけの語彙の少ない田舎坊主では太刀打ちできない。
(お昼ご飯。)
(21:20) 娘は、昨日中間テストが終わり、今日の土曜は、全国統一模試で学校。帰ってきてから、彼女のテニスラケットを入れるバッグとシューズを買いに出かける。帰り、焼肉で夕飯。3人で「もう勘弁」というくらい食べてきた。最後に石焼ピビンパと冷麺も。ていうか、加減がわからなくて頼みすぎちゃったんだよね。もう最後は、苦しみながらいただきました。当分焼肉はいらん!
PHISHが本当に解散してしまうらしい。華のあるうちに止めるんだと。遅くきたフィッシュFANとしては、複雑な気持ち。残念。でも、フィッシュのLIVEを見に行けることなんて彼らがBANDを続行していたとしても、先ずないことだろうから、きっと相変わらず、彼らの音源をDLしてライブラリーとしていくんだろうな。フィッシュの音源はきっと僕が音楽を聞きつづけている間は、いつも、新しいものがネット上に公開されるだろうから。

2004年6月4日Friday晴れ
加害者ばかりの報道で、まったくな。被害者は死んでしまえば、ハイ!それま〜で〜よ。か...。
夕べは「喜田」で飲む。なんか久しぶり。久しぶりといえば、ひそかに進行中のカップルもお忍びで?来た。
ゴーヤと湯葉で、各自勝手に好きなものを飲む。焼酎もいろいろ。僕はビール1杯飲んで、20度の軽めの焼酎水割り。M君は、強めの焼酎湯割り。Sちゃんはビール。ご主人様はビールから純米酒。お母上はビール軽く。おいしい食べ物も沢山並んだけれど、会話が一番の肴。ここでも、小6児童の事件のこと出る。僕は「あーあ」ってな気分にまた少しなる。お酒のもうひとつのつまみに「GYRO in Daishoji」をかける。この古い民家で聞くGYROもいい。
今日は暑かった。入梅にならない。同僚のTは、「真夏ですね」などと目を細めたくなるくらいまぶしい外から、何か感じ入ったようにうなずきながら戻ってきて、おもむろに冷房を入れる。そそくさと窓を閉めて、カーテンも閉めて、ありがたく霜降るような風を肩や薄い頭の上に頂戴する。
明日はまた天気がよければ草を刈ろう。ツツジの剪定もしなくちゃな。がんがんにオールマン・ブラザーズ・バンドなんかかけながらやりたいね。

2004年6月3日Thursday晴れ
今朝まだ空は少し曇っているが...。
夕べの光明真言に僕はある決意を持って臨んだ。参加者は僕を含めて6人。お経やご詠歌の終わった後に、福岡での小学生同士の殺人事件などのことも絡めてお話をする。
その後、「実は今夜をもって光明真言を終わりにしたい」と切り出し、これに至る僕の気持ちを語った。多くをここに載せようとは思わないが、寺に僧侶として生きて座っていたいという思いだけでここに生きていることは難しくて、「あ〜あ」と言って、投げ出したくなるものもたくさんある。
頭に描くものと現実に直面するものとのギャップに、時々無性に腹が立ってきたり、頭が煮えたぎり爆発しそうになる。JAZZをやれば、JAZZの去ったあとの落胆は余計にある。
あの世の父や祖父に、会って詫びを入れることはできないが、必ずしも後退だとは考えていない。僕がサラリーマンとして家族とともに生きるための方便だと、きっとわかってもらえるかもしれない。来月の満月に、僕はこのことを悔やむかもしれないが、削ぎ落として身も心も少し身軽になれば、またひとつこの寺の坊主として、ヒラリ役の行者のように屋根まで舞い上がれるかもしれない。
知り合いの小夜子さんは、メールの署名に「人間は変わるもの。世界は変えるもの。」と書き添えている。今朝はそれをしみじみと思い出し、感じ入っている。

2004年6月2日Wednesday晴れ
アジサイが色づきはじめている。
淡い紫色のアジサイが、あちこちに出現し始めた。一晩越えると、朝の風景はまた昨日と違ったものになっている。
これは朝の楽しみでもある。
長崎の小学生の事件のその後は、なかなか真相が伝わってこないけれど、わずか11歳や12歳の女の子が、加害者になり被害者になるということは、尋常な出来事ではない。
朝の勤行に祈った。こんな放蕩坊主でも、不動明王のお座りになるお厨子と向かい合い、経を読むうちに涙があふれた。朝もはよから涙が出るなんて事はない。
いくら命の大切さを説いても、私たちが生活の中で、自衛隊をイラクに派遣して「殺されそうになったら殺せ」と言っていたり、裏表の生き方を子供たちに露呈しているのだから。
これからどんな風にこの事件のことが伝わってくるのだろうか。

2004年6月1日Tuesdayくもり
衣替えの6月になる。
一日の月参りの夫婦があるので、日曜日に焚いた護摩壇の掃除を朝する。衣替えの日なのに、少し寒くてなんだかそんな気分にはとてもなれない。掃除機で本堂をきれいに。護摩壇もきれいに。六器の櫁(しきみ)も片付ける。
夕方帰ってきてから、護摩木割る。百八支の在庫がない。腰をかがめ6時半過ぎくらいまで1時間ほど割る。明日が十五夜なので、それに近い丸い月が薄暗い東の空に見えた。
ニュースではまた悲しい事件。小学生の女の子が同級生の女の子をカッターナイフで切りつけて死に至らしめてしまったと。死んだ女の子も、加害者の女の子も、無節操なこの国の被害者なのだと思えてならない。
明日はよい天気になり、入梅は少しお預けになる模様だと、当たっても当たらなくても、そんなに問題とされないような、お気楽な天気予報だ。
今夜は大好物のアジフライでした。アジフライと、大量の千切りキャベツと、ウスターソースと和芥子で、これだけは十分に満足で幸せでした。

2004年5月31日Monday晴れ
思い出が浮かんでくる。
朝方雨が降っていたが、仕事に出かけるときには止んでいて、蒸し暑く朝から体が汗ばみ、いつもの月曜の朝以上に気持ちが悪かった。
今日から明日にかけて天気は下り坂なのに、外は暑くなっている。乾燥した暑さではなく、湿り気を帯びたいやらしい暑さだ。
昨日の夕方、もうひとつ新しいモリアオガエルの卵を見つけた。ゆれる木の枝の下にあるの水溜まりには、ザリガニが手ぐすね引いて待っている。2本のはさみを水面に出して、おたまじゃくしになって落下してくるのを捕らえようと待ち構えている。ここは池ではなく、かつて、寺の建物の土壁を練るために掘った場所なのである。日照りが続けば、干上がってしまう。ザリガニもモリアオガエルも生存するためにきっと精一杯の努力をしているのだ。
近くの原小学校の低学年が、年に何度かザリガニ釣りに訪れる。先生の中には他校に異動になってからも、そこの子供たちを連れてきたりする。昔はどこにだってザリガニの姿なんて容易に見つけることができたが、今はそうでもないらしい。高校の同級生で、原小学校に来ていたEは、「石田のとこは貴重だよ」なんて言っていた。
僕が小学校の頃の夏休み、なんにもすることがなくなると、裏の池でザリガニを釣った。煮干をえさに、自分も煮干をしゃぶりながら興じた。祖父が寺を留守にするときは表の池で金魚やフナや鯉を釣った。祖父が出かける日は朝からこれが待ち遠しかった。祖父は魚釣りを極度に嫌ったので、絶対に祖父が居る時には、魚釣りはできなかった。釣る行為がとても楽しかった。じめじめした本堂の裏に行って、ミミズをたくさん掘ってきて、夕暮れまで釣った。バケツにいっぱいになった金魚たちは、また池に戻した。
こんなことが永遠のように楽しかったんだぁ。懐かしく浮かんできてしまった。さあて、また午後の仕事に戻らなければ。外は風が強く、雨もパラパラと舞っているんだよなぁ。夕方からは雨になるんだろうか。

2004年5月30日Sunday晴れ
雨降らずに週末終わり、明日で5月もさよなら。
「このさかずきを受けてくれ、どうぞ、なみなみと注がしてくれ、花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけが人生だ」井伏鱒二は後世に残る訳を残したなぁ。
一宮町の吉祥寺の法事に出向く。雨降らずに暑い一日となる。初めての土地でわからずにちょっと迷うも10時15分頃に着く。ここは桃の産地。農家の皆さんも忙しそうに働いておりました。
吉祥寺の先代の33回忌で、先代は僕の祖父と兄弟弟子であり、塩山の放光寺若い頃いっしょに修行をしていたという。そんな縁で、きょう僕を法事に呼んでくれたという事。
おいしい昼食をいただき2時過ぎに帰宅。草刈りをしようと思ったが、その前にメールをチェックしたら、護摩祈願の申し込みメールが。女房に聞くと、午前中に電話があったという。できれば早いうちに護摩をという希望のようなので、直接電話して「もしよろしければ今日のうちに」と話すと、先方も「お願いしたい」ということで、草刈りは中止して、護摩の準備して午後5時から一座焚く。
インターネットでの申し込みが今月2件。なんか、信じられないようなことだけれど、反響があってうれしい。護摩は一生懸命に心をこめて、焚かせていただいています。様々な悩みや心配事の多い世の中なので、それらのことを軽減するための一助となれることは、僕の役割だと思うので、これはこれで正直うれしくあり、ありがたいこと。
お不動様をもっと多くの方に知ってもらうことにもつながり、きっとお不動様も、踊りだしたくなるくらい歓喜しているかもしれない。

2004年5月29日Saturday晴れ
汗を流して草刈り。
日本海側の天気が悪いらしく、こちらは朝から暑かった。9時ごろから草刈りと刈ってあった草をまとめて野焼き。日差しも強く、まさに草刈り日和で、こちらも汗をかきながら楽しむ。
女房は布団を干し、部屋の電気炬燵を片付ける。やっと夏になる。コタツがなくなった部屋は少々広くなった感じで、木のテーブルが代わって置かれ、涼しさがある。僕はグレイトフル・デッドの音源のコピーを始める。回覧されてきたものをコピーして次の人に送るのだ。
ジェリー・ガルシアのギターも風に合う。新しいものなんて何もなく、ゆったりと自分たちの信ずる音を演奏しつづけたデッドに乾杯。
頭をきれいに刈り込み、明日は一宮町の吉祥寺という寺へ初めて赴く。

2004年5月28日Friday晴れ
Miyaのフルートの似合う夕暮れだ。
昼間は暑かったけれど、帰ってきて夕のお勤めをして、本堂を閉め、こうして部屋に落ち着くと、風がいい。本当に一日の疲れを癒してくれる風だ。ホントウニカゼガイイ。
先日買ったばかりのMiyaのアルバムをかけて、彼女のフルートがまた、この風と景色に似合うじゃないか。また週末が天気崩れそうなので、雨を呼ぶ風なのかもしれない。
知りたくもない、聞きたくもないニュースばかりが押し寄せる。つまらない世の中になっちまった。世界なんて眺めなければ、個人的には、楽しい連中と付き合い、よい音楽が常に身近にあって、そして寺で遊んでいるので、そんなに不満はなく、満足していると言ったほうがいいだろうか。
勤め先の駐車場の隣の田で、代掻きを黙々と続ける老爺を、しばらく眺めてから帰ってきた。幸せだとか不幸せだとか、平和だとかなんて、きっと彼はあらためて考えてなんていないと思う。今日しなければならないことがあり、一日を満足して終えればそれこそがすべてなんだろうな。名手簡潔な人生なんだろう、と思った。

2004年5月27日Thursday晴れ
そうか、もう木曜日で。
また週末の天気がよくないらしい。※住職の週末予定。29日=草刈り。30日=一宮町へ法事。とまあ、こんな予定。
来週はもう6月だ。ちょうど今思い出したので書いておく、(忘れてしまいそうなので)6月2日が結婚記念日です。18年か19年になる。
もう、この人と、きっと添い遂げるのだな。恋をしたいと思うけれど、女房はこの人だな。僕のマイナスから頭のてっぺんまで理解してくれる人は、一朝一夕には現れない。僕は勝手にいろんな人に恋するけれど、成就する恋なんてできないのでしょう。
もう、47歳にもなって、僕を理解できるのは女房だけかもしれません。彼女は僕のことを好きだと言ってくれたことがありましたが、もう今はないでしょう。僕の性格や、生き様や寺のことを考えれば、好きと言うより、耐え忍ぶことのほうが遥かに多いのだろうと察します。
申し訳ありません。自堕落に今夜も酔っています。

2004年5月26日Wednesday晴れ
久方ぶりに、僧侶としての仕事。
仕事というのも恥ずかしいが、叔父の寺の檀家の葬儀に行く。これにて午後は休み。ホール葬なので、足もしびれずに温度も快適に終わる。
お布施をいただいて、その後、お祭りのときに破損した幟旗を作っていただける染物やさんを訪ね、切れ切れになった旗の断片を置き、「とりあえず見積もりを」ということで帰ってきた。帰ってきてからせっかくなので草刈り。1時間半ほどできる。墓地に9割5部くらいは草刈りが終わった。
心地よい疲れを感じながらも飲んでしまう。
南正人「ソングス」とノータリンズのCD届く。ナミサンはもう何十年も変わらずの歌。彼の歌は一年に一度は必ず聞きたくなる。遠藤ミチロウは、僕初体験なんである。彼の「ノータリンズ」というユニット。音はまだ聞いていない。作業をした分だけ酒の吸収もいいが、酔いがじわじわと僕を絡めとっていく。幸せになりたい。

2004年5月25日Tuesday晴れ
センチな夜。
センチメンタル・シティ・ロマンスの結成30周年記念のセルフカバーアルバムが出た。タイトルはずばり“30 years young”。先日来たGYRONのドラマー沼君が送ってくれた。
今夜は社協の15年度決算の承認を得る評議員会があったので、帰ってきたのは9時過ぎ。風呂に入ってからこれを聴いている。今夜はよい天気。網戸から入る風も心地いいし、流れてくるセンチの懐かしい音たちがまた、僕をさらに幸せな気分にしてくれる。30年前、高校3年生の頃に初めてセンチを聴いた。東京のはちみつぱいの亜流バンドだなんて始めの印象があったけど、それもすぐに吹っ切れて僕はとても好きなBANDになった。Sentimental City Romanceと大きく横書きしたトラックでコンサート会場を移動しているという活動も、すごく新鮮で、ファミリーというような趣にとても関心があった。Dead Familyみたいなね。
あー懐かしいなぁ。いい夜だ。彼らがいつまでも自分の好きなことをやりながら風に吹かれているなら、僕だっていつまでも自分の思いにできるだけ近い生き方を続けていたいと思う。

2004年5月24日Monday晴れ
久しぶりのような日差し、月曜の朝。
週末の草刈り疲れで体が重いが、背中を押してくれるような朝から太陽の光がある。空も青くて、雨のしずくの残る緑がいっそう鮮やかだ。
実は女房もケータイ持ったのです。親子4人がケータイです。でも僕のケータイは、携帯しているだけで(携帯していることすらほとんどないので)、ほとんどかけずの、鳴らずのケータイ。
(20:15) 続き。ケータイは御守りのようなもので、父が亡くなる半年ほど前に携帯を持った。何かあったときに知らせて欲しいと。僕の大工をしている友人もそうだった。何かあったときのために、ケータイを持つことで安心を買った。なので、僕は今もってケータイで話をする機会がない。僕にはわからないのは、必要以上にケータイで電話やメールをしすぎているんではないかということ。僕が電話を必要とする頻度は今も昔もまったく変わっていないし、ケータイに自分を阿(おもね)ることもない。

2004年5月23日Sundayくもり
時々雨にもなる。
今日は地区の空き缶拾いなどの環境整備で、女房が8時から出るので、僕も寝坊してられなくて、だいたい同じ時間から草刈りを始める。
曇天でポツポツと落ちてきはじめたが、11時近くまで草刈りができ、何とか墓地の草刈りの90%くらい終了。今日は午後、同僚の親の葬儀に会葬したので作業はこれで終わり。
娘は今日は久しぶりのクラブの休みだったが、午後学習塾へ行く。のんびりと何も考えずにテレビを見ている俺が、ちょっとだけ恥ずかしく思う。客殿のじゅうたんを女房とたたみ、コタツ布団をしまい、家の中の衣替えもだいたい済み。
でも今夜はコタツが欲しいようなちょっと肌寒い夜。

2004年5月22日Saturdayくもり
その後のモリアオガエルの卵。
今朝小泉首相が北朝鮮に行き、蓮池、地村さんの子供たち全員を一緒に連れて今夜帰ってくるという。
相当な見返りもあるのだそうである。盗んでおいて、盗品を返すのお金をとって被害者に返すのだから、通常ではこんなこと通用しない。
佐渡の詩人曾我ひとみの家族は帰国を拒否したという。夫が元米軍の脱走兵なので、日本に来た場合の本人の身柄がどうなるのかが一番心配なのではないか。まあ、これで小泉さんも、年金問題は一蹴でき、面目躍如のタイムリーヒットだったかもしれない。
7月の参院選にも影響があるかもしれない。
僕の今日は草刈り。墓地は草が思った以上に伸びていた。真新しい草刈り機に燃料を入れ、時々ぱらぱらと雨が舞う中を作業。日差しもなく、涼しく草が刈れたが、でも、太陽ぎらぎらの中で草刈るのがいいんだよなぁ。草のにおいがムンムンしてさぁ。明日も草刈るぞ。
一週間後のモリアオガエルの卵を観察してきた。
(写真クリックで拡大)新しい泡状の卵塊が先週見た卵の隣の枝にできていた。まだつやつやしているようで、きっとできた手の新しいものなんでしょう。ところで前の卵からおたまじゃくしが既に水面に落下したのかどうかは残念ながらわかりません。知識も浅いので。トホホ。モリアオガエルで検索していたら結構お寺なんかでも、モリアオガエルの寺なんてのもあるんだな。モリアオガエルの姿も写真に撮ってみたいな。
おそらくうちのモリアオは、生息数がとても少ないんですよ。卵も3つだし、それとおたまじゃくしに孵っても、落ちた先にはザリガニがたくさん居るので、蛙になるまで生き延びることができないんだろうな。
富山のNOBU君より、地酒とえび等の海の幸が送られてきた。今夜またこれで一杯やらなければならない。草刈りを終えて、頭刈って、シャワーも浴びているので、体が酒を欲しがっている。

2004年5月21日Friday晴れ
天気よければそれで良し。なんだかよくわからん。
台風の影響だったのだろう。よく降った。
GYROをやった前年の終わりに、ある町会議員から「おまえんところで、ジャズやったんだってな、俺にも教えろよな」ってなことを言われたんで、誰から情報を得たのかわからなかったが、今回のGYROの案内はしておいた。
これが奴らの儀礼とでも言うものなのだろう。さして興味もないくせに、「おっ、石田もがんばっているな」とか思うんだろうか?
俺は役場に勤めているけど、こんな奴らに媚びへつらうつもりはさらさらない。くそったれだ。
これをたとえ読まれても一歩も引くつもりはない。誰とは言ってないし、知っているのは本人だけだ。
俺は一つのお世辞よりも、やはり事にしっかりと臨んでくれる姿勢に感じるところを大事にしたい。冷やかしで物を言うのはもうよそうじゃないか。なぁ、誰が俺たちのことをよくわかっているとか、考えていてくれるとか、そんなことはもうとっくの昔に、俺たちのほうがよくわかって承知しているってもんだ。
そうだよなあ、内藤君。俺たちにはいつも嘘がなかったから、高校1年のときからもう35年近く付き合っていられるんだよな。
何が「俺にも知らせよ」だよ。ホントにほしけりゃ、俺たちは“あ うん”の感覚でわかるもんだよなぁ。

2004年5月20日Thursday
台風が来ているとかでここも影響あり。
今夜は少し飲む。社協の会計監査が無事済み、あとは来週の理事会と評議員会に臨むだけ。少しほっとして、日本酒を飲む。
はっきりいって、LIVE後に飲み残された酒や焼酎が、一升瓶や紙パックでいくつか残っている。おいおいこれを僕は片付ける。手始めに今夜。
「GYRO in Daishoji」は僕の生きた証となる。心して聴くべし。※自戒。

2004年5月19日Wednesday
梅雨のような冷たい雨降り続く夜。
娘は今日も学校を休む。今夜GYROの皆さんは東京のLIVEハウスで演奏。今ごろ熱いバトルを繰り広げているに違いない。
レナード・コーエンなどを今夜は静かに聞いている。聴きたい音楽が周りにいっぱいだ。
年金問題はさらにさらに大きな波紋を広げている。三上寛の歌のようだ。なんてひどい国会議員たちなんだろう。アルカイダも日本にいつのまにか潜伏していたというし、ライフルもって立てこもっているアホな奴も居るらしい。
僕は今日の夕方新しい草刈り機を一台買った。30年以上使っている草刈り機がとうとう動かなくなり、一台で円盤とワイヤーを取り替えながら昨年の夏はやり過ごしたが、先日燃料タンクの蓋を石にぶつけて割ってしまい、燃料が漏れてしまうので、蓋を取り寄せてもらいながら、もう一台買うことにした。
夏は草との追いかけっこだ。できるだけひとりで効率的に草を刈りたい。この土曜には新しい草刈り機をデビューさせるぞ。

2004年5月18日Tuesday晴れ
GYRO音源をやっとダウンロードできて、早朝からジャイロ三昧。
日曜の昼過ぎに落とし始めてやっと今朝起きたら完了していた。WAVファイルに変換し、とりあえず2セット目とアンコールを焼く。そして再生。高岡君の2部の始めのあいさつからしっかりと記録されている。
熱い演奏が始まる。下部のY兄弟やBrother Nの、GYROの1mくらいに陣取った掛け声が生々しく収まっている。すごい!!朝から俺は大興奮である。
音源をダウンロードできなかったり、音楽ファイルへの変換の仕組みがわからない方も居ると思うので、ご希望がありましたら寺まで連絡を。CD-Rは、650MB、700MB各1枚必要です。
アンコールの「ナーダム」が始まった。そろそろ仕事に出かける支度だ。

2004年5月17日Monday晴れ
GYROに酔ったぜ。
全力疾走のGYRO+NOBUとの非常に濃密な4日間でした。ギタリストはステージ後に一足先に帰りましたが、寺でのLIVE前の2時間位、庭のベンチに座ってアコースティックを奏でていた(練習?)のは、掃除をする僕と女房にはとても贅沢な時でした。
他のメンバーは、夜の全力投球とは裏腹に、非常にグータラでした。
全力で演奏する彼らがめったにやらないアンコールの「ナーダム」で、うかつにも僕はダンドリストよろしく踊りだしてしまいました。いま思い返すと恥ずかしいやら、涙が出てくるやら。
今回のツアーの運転手を務めたNOBUは、今日富山に戻り、また明日から介護の仕事を再開する。彼に幸あれ。
GYROは19日の東京のLIVEハウスで、再会。山や畑の幸を沢山吸収したナチュラルな体で、また疾走して欲しい。11月にはまた大聖寺に来てくださいな。
静岡の富士市から来てくれたK君が録音した大聖寺LIVEの音源が、「Sharing the Groove」というBitTorrentのサイトに16日お昼近くに公開されました。
僕も普段お世話になっているサイトですので、これはこれで大感激です。PHISHやDylanの音源といっしょに並んでたりするんですからね。リーダー公認ですから、できるだけ大勢の方のアクセスしていただけると、DLも飛躍的にスピードアップします。とりあえずここまで。
(19:48) ノブ君も無事富山に帰り着いたとのこと。皆さん本当にお疲れ様でした。メンバーやLIVEに来てくれた方などからメールがたくさん届いている。ありがたい。またすぐにLIVEをやりたくなってしまう。11月実現に向けてまた歩き始めなくちゃな。甲府のエルクの皆さんにも感謝。
写真アップしました。上からどうぞ。

2004年5月15日Saturday晴れ
さあ、いよいよGYRO in 大聖寺。
夕べのエルクも大成功。なんてったって、店長が一番興奮して喜んでくれた。僕はそれだけで大満足。
夜11時過ぎに帰宅して、2時過ぎまで宴会。GYROは、ステージの反省をも兼ね、大激論。僕は彼らの職人魂のようなものを間近に見せていただきこれまた大感激。今夜の通夜ー最後の演奏はさらに良くなるはず。まちがいない。
天気も朝はよい天気。彼らは夢の中だ。

2004年5月14日Friday晴れ
雨上がり、今日は暑そう。
夕べ富山からGYRO−1と運転手のノブ君が来寺。ギターのイチロウさんは一度家に帰り、今日直接LIVE会場のエルクに来ることになっている。ノブ君は今回のGYROツアーのために、一週間仕事を休んで、クルマを提供して運転手を務めてくれている。デイサービスの介護職をしているとのこと。
夕べは歓待の宴。よく飲みよく食べよく話す。3人ともまだぐっすりとお休みである。
僕も今日は仕事を休んだので、少し家の事をしようと思う。今夜のエルクのLIVEが成功しますように。
(16:00) 夕べから泊まっているメンバーたちと、一日のんびりと話をしたり音楽を聴いたり。僕は午前中草刈り。汗を流して酒を発散させる。
昨日の夕方見つけたモリアオガエルの卵の話をしたら、皆さっと外に飛び出し、携帯で撮影。大きな卵。僕にはわからなかった二つ目の卵を沼君が樹上に見つける。
もう少ししたら甲府エルクに向け出発。いい演奏会の前ぶりで、吉兆かもしれない。

2004年5月12日Wednesday晴れ
季節がいいから自然と早起きになる。
夜はもう、遅いのだけれど、ここのところ朝は早く目が覚める。季節がいいから眠っていられないような気分になる。決してすごく早いなんてわけじゃないけど、5時くらいには目が覚めて起き出したくなる。
今朝は娘が高校総体の初日で、朝一番の電車で甲府に行くので特に皆早かった。女房は6時前に彼女を駅に送る。
外に出て草を抜いて、樒の葉を取り、護摩壇や須弥壇に飾る。
明日にはGYRO一行の来寺。週末までまたちょっと忙しくなる。

2004年5月11日Tuesday晴れ
職場はエアコンを冷房に切り替え試運転。
暑かったなぁ。帰ってきてから少し草刈りをしたのでビールが格別また美味かった。
GYROの件で、甲府のエルクと電話で話す。面白いことにどちらもどのくらいの人が来てくれるのか皆目検討がつかないのである。
蓋を開けてのお楽しみといったところ。GYRO一行は富山二日目。明日まで天候がよく、あさってから少し下り坂とのことだが、土曜の夜はいい天気であってビールが進む夜でありますように。
娘は明日から高校総体の県大会が始まるのである。高校に入って勉強よりも軟式テニスの日々に明け暮れている。今週でこれも一段楽するのかもしれない。

2004年5月10日Monday
未納兄弟が土井さんにまで及んだ。
土井たか子も未納だったらしい。
それより昨日のバンキシャで見た、国会中に携帯でテトリス議員。こりゃ問題だな。
渡辺具能(わたなべともよし)という奴。捜したらHPがあった。http://www.tomoyoshi.gr.jp/
で、一言メールを書いておこうと送ろうとしたら、送れなくなってんの。こんな奴こそなめやがって、きっちり首とってやらなきゃいけないと思うがな。
夕方大雨で急いで帰ってきて裏の側溝の掃除。草も伸びてきて溝もきれいにしなくちゃならない。毎年この同じことの繰り返しだ。女房も「まったくねぇ」と。感想とも励ましとも、ため息とも絶望とも取れるような言葉。
雨は次第に上がり夕暮れは紫に染まった。明日は30度近くになるのだそうだ。

2004年5月9日Sunday
コタツを片付けられなかった。
女房に昨日の朝、「もうコタツを片付けてもいいな」と言ったら、「明日(日曜日)天気がよくて布団を干せたら片付ける」と言っていたが、今日は寒くて、雨も降り始めたので片付けられなかった。
午前中に新車のお祓いと、護摩を焚いてほしいという甲府の家族があった。車のお祓いの主には、昨日の大善寺からいただいてきた藤蔓を分けてあげて、大月の方では大善寺の藤切り祭典のことなど知らないようだったので、説明してあげて神棚に上げておくとよいと話した。山梨県内でも、所変われば生活はまちまちで、僕が「えー知らないの」と首をかしげることも多いし、先方が逆に僕にそれを感じることもある。世間は狭いようであり、また一方では広い。
護摩を焚いてほしいという家族に、護摩の後に感想を聞くと「来てよかった」といってくれたので、僕は「そんな風に感じてくれてこちらもうれしい」と言うようなことを話した。心穏やかに生活できることが一番だ。それに思い悩む人が居たら、その人たちの心の悩みを解放するための一助になりたいと思うし、それができたら坊主として本望だと思う。
昨日は勝沼の帰りに喜田に寄って焼酎をちょっと飲んできた。大先輩がちょうど農作業の手伝いに帰省していたので、お話もできてうれしかった。こんなときには坊主である自分を「よかったなぁ」と思う。

2004年5月8日Saturday晴れ
もう眠いぞ〜〜。
今日は疲れてこれでおしまい。男は黙ってサッポロビール。

2004年5月7日Friday晴れ
きょうは朝からよい天気。
気温も上昇。
合併の会議があり、下部町に午後から出向く。5時過ぎに終えて帰るとき、下部の役場に隣接する禅寺の庭から草刈り木の音が聞こえて、「あー俺も草刈らなきゃなぁ」と思った。で、草刈りの男は、亡き父の教え子のMさんであった。草を刈るMさんに手を上げて合図して、3分ほど立ち話。彼は僕より二つ年上で、父が担任を持った最後のクラスの生徒だった。確か応援部の硬派だったんじゃなかったか。
皆年を取ると二つ三つは、年の差にならない。「先生に似てきたなぁ」などと言われて、「同じ町の住民になりますので、これからもよろしく」と別れてきた。この3分だけで、今日の日は僕のとても意味のある一日になった。
明日は勝沼、大善寺の藤切り祭り。遠いので7時半前には家を出る。晴れるといいな。これが春のお祭りの最後だ。
福田官房長が、年金問題で辞任したらしい。いやぁ、面白くなってきたな。国民年金を馬鹿にした輩が、国民年金に泣かされる。まさに、国民をないがしろにして、馬鹿にしてきた仕返しなんだろうな。心して受けよってなとこか。

2004年5月6日Thursday晴れ
アメリカはイラクから早く出て行くべきだ。
その前に自衛隊だな。イラクの捕虜への虐待が問題になっている。ブッシュは自身に罪があるわけではないが、総指揮官として、ここらで早く撤退への道に考えを変換するべきだ。
兵隊も千差万別で、虐待に喜びを得るような輩も居るだろうし、極限の地にあって明日自分がこのような囚われの身になるかもしれないという恐怖や、極度の緊張の中で、思いもよらない行動をとってしまっているのかもしれない。
年金の問題もあったな。実は国民年金担当を7年くらいやっていたことがある。社会保険や共済組合の保険を喪失すると、何か月かすると社会保険事務所からこういった人たちのリストが送られてきて、追跡調査し、1か月でも虫食いの年金未納期間を作らないようにと担当が努力しなければならない。例えば、本人と話し、相手が「もう勤めて社会保険になっているからいいよ」といっても、「今月からの勤めですと、先々月と先月は国民年金の被保険者とならなければいけないので、ぜひ加入して納めていただきたいのです」などという。たいてい先方は「うるせぇ、いいよ」ってなことになるが、こっちも年季が入ってくると強制適用させてしまって、2か月分の納付書を送りつけてしまったりした。まあこっちも、先方が納めようが納めまいが、社会保険事務所への報告のしやすいほうを選択するということもあった。
で、件の国会議員の「未納兄弟」たちなんだが、最初から国民年金ならば、20歳で加入してから納めることになっているはずで、知らなかったというのはおかしい。学生の場合、僕の頃もそうであったが、学生は20歳を過ぎても任意加入であった時期がある。こういった場合、適用漏れも出てくるかもしれないが、多分この兄弟たちの場合は、「俺なんか将来の年金など当てにしていないから、役所からの連絡なんかほっておけ」といったところが当たりなんじゃないだろうか。自営業の医師や歯科医なんかにこんなケースは多々あるらしい。ちなみに学生の任意加入時代に、何らかの事故や病気で障害者になった場合、「障害年金」に該当しなかったケースがあった。
僕はご多分に漏れず、25歳で役場に勤めるまで働いたことがなかったので、5年間は年金に加入していなかった。
久しぶりの勤めで疲れた。特別仕事がたまっているわけでもなかったが、明日一日また片付けてしまおうというものが二つあるので、早く寝て体調整えて仕事に向かわねば。

2004年5月5日Wednesdayくもり
長かったゴールデン・ウィークも今日で終わり。
いやぁ、ホントに長かったような気がしている。娘は今朝雨だったので、やっと一日休みが取れ、遅くまで寝ていた。午後からは宿題を片付けるとかでこれまた忙しくしている。僕の高校時代は忙しさも縛られることも何もなかった。
送らなければならないお祭りの御札の包装を女房と済ませ、僕は礼状も作る。
子供の日で、WOWOWも子供向けの映画ばかりで午後は退屈しながら、PCと音楽であった。明日あさってでまた休みになる。土曜の大善寺のお祭りが春の祭りの締め括り。日曜は新車のお祓いが1件。草刈りをしなきゃな。
不動尊祭典の写真公開しました。上の水色の枠内から行ってください。

2004年5月4日Tuesdayくもり風強し
やっと少し落ち着いて。お祭りの後も、片付けや檀家の祭事などあり、それから不節制を続けてしまったので、体調も悪く疲れも有り日記も更新できなかった。
連休がたくさんあってよかった。もうまだ一日休める。感謝。
息子は相模原へ2日に戻り。娘は休みの間中も軟式テニスの練習で真っ黒になって、「休みたい、休みたい」と雨を待ち焦がれていたが、結局今朝も雨は落ちてこなくて、午前中は練習に行ってきたのだ。
祭りの片付けも気分が乗らなくてなかなか片付けにならなかったが、8日の大善寺のお祭りの用意などしながらやっと片づけが終わった。
1日には喜田でメーデーを兼ねての飲み会。三升入りの泡盛の甕から三線の音や海の声が聞こえてきそうな酒をたらふく飲んだ。お祭りの日にSさんからいただいた鯛を炭で焼いて、「うまい、うまい」と食った。鯛なんてここのところ食したことがなかったので、皆大感激であった。
後は15日のGYROだ。高岡君から5月の行動日程が送られてきた。果たしてどのくらいの観客があるか。楽しみ楽しみ。
風の強い一日となり、明日まで下り坂なのだそうだ。娘に一日くらい休みを上げたいと思うが、雨が落ちるまでにはこの場所ならないみたいだ。

2004年4月28日Wednesday晴れ
だんだん体の潰しが利かなくなってきた。
ひとりで寺をがんばるのもだんだんと大変になってきた。体が老朽化してきたので、無理が利かない。夜になるとへとへとになってしまう。
泣き言を言っても仕方がないので、今夜はこれだけ書いて、明日全力でお祭りを成し遂げようと思う。大勢の皆さんに協力していただいて。
息子が大学から帰ってきた。KFCというサークルに入ったというので、「ケンタッキー・フライド・チキン」かというと、女房が「北里フォークソング・クラブだって」と種明かしした。なるほど。
しかし彼はビジュアル系のハードロックではなかったか?いささか疑問ではあるが、まあなんでもいいや。
今日は空が青くてよい日和でした。無事社協の合併調印も済み、夕方には風も止み、今夜早く寝て明日を待つだけです。28日が不動尊縁日なので、僕は前日の夕にいつも護摩を焚いて、お札を加持しておきます。今日もそのとおり。明日の僕は柴燈護摩を無事焚き上げるのみ。がんばるぞぉ。

2004年4月27日Tuesday
天候の崩れは今日までだということなので。
一安心。夕べから風も強いし、今朝は雨だ。天候は次第に回復するようなので、祭りの29日はいい天気が期待できそうだ。参道や畑に立てられた吹流しが倒れたり雨で巻き上げられてしまったりしている。
今日新しい町の誕生に向けての調印式が行われる。そういえば夕べニュース見ていたら、下部町の合併反対議員の中に、僕の高校の同級生も居たな。まあ、関心外の人物だからな。
埃を洗い流してくれる雨であればいいと思う。少し湿り気を持った、風の吹かない、埃の立たない当日を迎えたいものだ。
(12:45) いやぁ参った参った。『開運厄除 大聖不動明王』と書いてある幟が、夕べのからの雨と風で、見るも無残に引きちぎれて哀れな姿となって雨中に立っている。こればかりは想像していなかった。朝部屋の窓から眺めて、雨に濡れて柱に巻きついているんだなと思っていたが、出勤時に参道を車で行くと、道にちぎれた切れ端が散らばっていたのだ。いやぁ、こりゃ参った。来年は新調だな。奉納してくれる奇特な檀家が居るのだろうか。

2004年4月26日Monday晴れ
明日は雨になりそうだということで、午後休む。
桧の枝を貰う約束をしていた佐野さんから職場に電話があり、「明日雨降りそうだから今日枝下ろしておくから」と。とっさに返事。「じゃ、俺も今日の午後に休みを変えてもらいます」その後Aさんに軽トラを借りられるかどうか電話して全てOk。
昨日から風が強くて、女房は一日中くしゃみをしている。僕はこの花粉症とやらまったくない。桧の枝下ろしなんて症状の有る方には、地獄の仕事なんだろうな。
桧を荷台いっぱいに貰い、28日の午後にワラビをいただきに来ますと約束して帰ってきた。
枝を鐘楼の中にまとめて降ろして、今度は酒の仕入れ。酒を買うついでに、酒屋に持っていくビンといっしょに、壊れた掃除機などの粗大ゴミも円崎工業に引き取ってもらった。円崎の奥さんから「久しぶりですね」と、竹の子を2本いただく。1本は軽トラのAさんとこに置いてくる。
ビールを3ケース。日本酒を2パック、焼酎1パック。缶ビール1箱。重たいものの買出しはこれで終わり。
軽トラを返し、本堂の護摩壇を作り、外の仕事する。この時期は風が強い。毎年そう。
下部町がつまずいていたが、どうやら予定通り明日合併調印となるようだ。で、社協もあさって調印式。4月はいつもこんな風にあわただしい。

2004年4月25日Sunday晴れ
祭りの準備整う。
檀家の方々に手伝ってもらい、ほぼ例年のとおりに祭りの準備ができた。祭りの29日まで今年は合間があるので、柴燈護摩の結界の竹などは当日採ってもらうことにした。
いつも結構自分で用意をしたりするが、今年はお手伝いの人たちにかなりお願いした。これでいいのだと女房も言う。僕の事前準備がなっていると、早く終わってしまい、昼食まで間が持たないことがあったからだ。
結局僕の集中力の問題で、僕の中になんだか余りお祭りだけに今、意識を集中できないからだ。慣れてはいても、気遣いとやらは毎年新鮮なものなので、手落ちがないようにと思う。※酔っているか。
一年に一度のことだけれど、皆一年ごとに年を拾っていくので、手伝いにきてくれる檀家が一つ二つ減っていくことが一番辛いこと。檀家に感謝、女房に感謝。当日晴天でありますように。南無大師遍照金剛。

2004年4月24日Saturday晴れ
今夜は少し冷えている。
今日は庫裏や客殿をお祭り用にしたので、襖や障子が無くなって寺の中はだだっ広い空間になった。毎年のことなので別に苦にもならないが、できるだけ元気で何年も続けられるようにいたいと思う。酒だけは止められそうにないが。
午前中1件法事。水子2体を供養するために、お地蔵さんを建立した夫婦のための法事。後からの子供たちも参列して墓地で供養する。天気もよくいい供養になったと思う。ぼちぼちとこんなことが続けられていけたら僕も幸せ。
娘は朝から軟式テニス部の試合へ。一年の新入部員は大変だ。帰ってきて「明日も練習」と。彼女の高校の始まりは僕らの予測をはるかに超えて忙しい。
こちらは明日朝から祭りの準備で檀家の皆さん来てくださる。明日は低頭しながら、しおらしく坊主する。

2004年4月23日Friday晴れ
エビスを飲みたい夜だったが、我慢。
お世話になっているYさんから、そそられるようなエビスのHPとメッセージが送られてきた。が、ビールをきらしている僕は、規則正しく“純”25度をいただく。
僕はアル中なので、だらだらと際限なく飲む。明日が休みだとこれはもう止まらない。晩飯の酒をいったん終えて、風呂を出た後にまた飲み始める。いくら二日酔いになっても明日は休みなのでかまわないと思う。
いまは我慢のときなのだ。明日も法事一件。11時までには二日酔いも治る。
ハエもいるが時期尚早なのか、さっきまでパソコンのキーボードの前を動いてた奴が、もう絶命したのか、ひっくり返っている。ムカデも昨日風呂の掃除のとき、洗面器の中に入っているのを見つけた。彼らの行動はよくわからない。
女房にも、この僕という人間はきっと20年近く一緒にいてもよくわからないのだと思う。

2004年4月22日Thursday晴れ
気温は30度を超えたそうな。
異常だとも思わないが、30度を超えたらしい。山梨の甲府が全国で一番暑かったらしい。県社協の会議で今日は午後甲府へ行ってきたのだ。皆やる気無しの暑さぐったりで、午後1時半からの会議は2時過ぎにはなんなく終了。
夕方草を刈り、護摩木を割り、柴燈の幣の竹も取る。ついでに頭も刈り、あ〜とは〜、焼酎を〜あおるだけ〜〜、の山谷ブルース。

2004年4月21日Wednesday晴れ
飲むと、ど〜〜んと眠くなってしまう。
娘が今日から早朝課外が始まったので、それなりに僕も起きて、起きると時間があるので、今朝大札を4枚書く。大きな御札が出ることはほとんどないが、去年欲しいという人がいたので余計に書いておく。
仕事を終えて帰ってきてから草刈り。今日、隣の民族資料館を教育委員会のM君が草刈りしてくれたので、僕も夕方を刈る。裏の池の周りと、本堂の周りを刈る。丈が伸びているのではないけれど、まあ見栄えみたいなもんでね。女房に除草剤も買ってきてもらって撒く。
天気がこれだけいいとまた他に心配が沸く。29日の天気はどうなんだろう?
息子から「在学証明書」届く、下手くそな宛名に証明書だけが入っていて、後は何もなし。おまけに差出人の名前すら書いてない。なんてこった、クソッ!!!こんな息子に育てた思いはないがと思ってしまったが。
もう...いい
(21:27) 5分前に、酔っ払いのA女史より、H美ちゃんに無事男の子が誕生したとの知らせあり。よかった。おめでとう。この子達の将来に不安がないように育てることを支援することが、僕の使命かもしれないな。

2004年4月20日Tuesday晴れ
29.9度。
どうやら私の住む町(なかとみ)が今日県内で一番気温が上昇したらしい。29.9度。
アメダスが役場の駐車場の隅にある。富士川の河岸に隣接して建つ。このアメダスがまた曲者で、冬になると富士川の吹きさらしの冷たい風に当たるものだから、清里方面と同じくらいの気温になる。寒いときのテレビ報道はマイナスで、「中富って寒いんだなぁ」と、一時は地元でもこのアメダスに苦情が出るくらいであった。
で、今日の県下最高の29.9度。30度までホントに行かなかったのか、この0.1度という奴は何なんだろう。
3町の合併に暗雲が立ち込めてきている。初夏の陽気のようにさっぱりとしない。いざ合併となると、「いや、待てよ」とか「そうはいってもなぁ、この町が無くなるのはちょっとさびしいよなぁ」ってなものだったらいいが、いい大人がここにきて署名運動なんかしながら、半ば”マジ”でやっているというから、これって一体何なんだろうと、私はまたもや思ってしまう。
とりあえず只今までの申し込まれたお札を書き終え一段落で、「SOH BAND」の新しいアルバム聴いております。熱い音に暑い夜。

2004年4月19日Monday
夜になって本格的な雨。
日中は降ったり止んだりで雨の天気らしくなかったが、晩飯を食ったあとから本格的に降り始めている。今夜から僕も本格的に気持ちを切り替えて祭りの準備。お札書きを始める。申し込みの札を書き始め、手書きの大札もとりあえず10枚墨書して作った。大札は白木への手書きなので、やはり書いたなぁという実感が出る。
音楽の切れ目に雨音が聞こえて、寒くない夜を篭って過ごす時間は、気持ちが落ち着く。誰にも家族にも説明のつかない僕だけが味わう僕の時間だ。
祭りまであと10日。酒を少し控えながら夜を送ろう。

2004年4月18日Sunday晴れ
網戸入れました。
網戸やさんも拡声器鳴らして通ったりしたので、外仕事の最後に網戸を入れた。涼しい快適。
花も早いが草もはやい。裏の池の庭ではもうつつじが盛りだ。季節のめぐりが早い。いつもならお祭りが終わって5月の連休か翌週くらいに墓地の草刈りをするが、今日今年初めての草刈りをした。草を刈り柴燈護摩の護摩木を割った。久しぶりに汗を流して網戸が入った部屋は風が通り快適。けや木の若いみどりから風が吹き降ろされて、僕に幸福をもたらしてくれる。
息子は相模原で元気にやっているんだろうか。Jam Bandのゆったりとしたギターがいいなぁ。

2004年4月17日Saturday晴れ
網戸の欲しい夜だ。
暑い。締め切りの部屋は特別暑さを感じる。夜の風が欲しい。網戸を要れて風邪を貰いたい夜だ。虫が出てきているので窓を開けるのをためらっている。小さな虫が部屋を飛び回るのを僕は好かないので、がまんする。まあ、時期になれば網戸入れてたって、虫はいっぱい部屋の中に来るんだけどね。
本栖湖から15分ほどの富士ケ嶺に法事に行ってきた。HIDEちゃんに乗せてってもらって、夕べ「飲まない」って書いたけど、一夜にしてひっくり返った。酒に関してはまったくたがが効かない。飲む前に法話する。殺すなかれ、殺さしむなかれと、不殺生戒の話をする。個々の考えもあることは承知しているが、僕は「自衛隊はイラクから早期に撤退すべきだ、憲法第9条を世界に示すことが、長い目で見ればきっと世界の平和貢献につながると信ずる」と話す。献杯のあと、ビールから日本酒へ。今日の家系はみなよく飲む。富士山の麓にある開拓村なので、大きな富士を久しぶりに眺めて気持ちも清々として、酒も気持ちよく喉を落ちた。
午後4時前に帰ると、イラクの消息不明であった2人の邦人が解放されて無事だったことが報じられていた。
法事に出かける前と夕食後に弓の矢を作る。今日はこれを作れば僕の大体の予定はクリアー。
これからソフトボールの集まりでまた酒になる。

2004年4月16日Friday晴れ
今日もよい天気、イラクから少し心地よい風だったか。
結局はどれだけ相手のことを信じられるかということなんだろうか。
彼らが無事に戻れば戻ったで、彼らがイラクへ行ったことへの批判や、お騒がせを謝罪させろとすぐに書き立てる。
亀の島の人間は宗教観も薄いので頭の回転も上っ面だけで転回が速い。もう3人のことは考えられないし、はっきり言って2番煎じみたいな邦人2名のことなど眼中にないのが本音かもしれない。
私もお祭りが近づいているので、もうよその出来事などほっぽらかしておこうと思う。
それでなくても、近くにだっていろいろと問題は起こるし、心配事の種は蒔かれている。
お祭り前に庫裏の裏の水道をしっかりと修理しなくては、お客さんを迎えられない。土日と法事が一軒ずつ。明日の法事は飲まないことに決めたので、今夜もう一缶「発泡酒」を飲む。

2004年4月15日Thursday晴れ
今日も邦人2人が拘束されたとのニュース。
人と人が殺し合う究極の場面に、ルールも何もあるほうがおかしいと思っているので、(ルールを設けて戦争するなら最初からやるなというのが持論)クリスマス休戦だとかあると、僕は笑ってしまう。夜襲でもしてやっつけてしまえばいいじゃないかと思う。
スポーツじゃないんだろう。で、こうして民間人が拘束されてしまい、果てには殺されたりもしている。民間人を盾に、先方に降伏を迫るという掟破りの方法。冒頭に書いた戦争ならこれも許されるだろうし、誰も戦場には近づかないだろう。
命を賭けてまで戦場に赴くのは、兵士だけでいい。兵士だけが戦争をすればいいので、戦争をする場所も設けてあげたらいいのではないか。馬鹿を見るのは関係の無いものたちばかりだ。殺し合いで命を終わらせるくらいもったいない生き方は無いのではないか。
仏教の根本の戒めは不殺生である。十善戒の始まりは先ず「不殺生」だ。お釈迦様の説いたダンマ・パタ(原始仏教経典)の中に「一切の者は刀杖(武器)を恐れ、一切の者は死を恐る。己が身に思い比べて、殺すなかれ、殺さしむなかれ」とある。仏教の始まりがここにあるといいます。
ブッシュや小泉が“賢い鬼”だとしたら、イラクを破壊できたとしても、イラクの人民の本当に望む社会の建設はできないでしょう。西洋の諺に「宗教なき教育は賢い鬼をつくる」とあるそうです。
(23:50) 3人の解放が伝えられて、これはこれでよかったじゃないか。日本に帰ってきてからの彼らはきっと大変だよ。

2004年4月14日Wednesdayくもり
潔く自衛隊を引き上げて、憲法9条の日本を押し出すべきだ。
これがいま、日本が世界に示す姿勢だろう。道を作ったり水道を引いたりすることは、現実として必要なことかもしれないが、イラク人民にできないことではない。
憲法第9条を世界に示し、兵器を持たず、戦争に参加しない姿勢を貫くことは、必ずしも早い結果には結びつかないかもしれないが、じわじわとボディー・ブローのように、地球上に染み渡るに違いない。僕はそれを信じたいし、いまこの国はそれを断固としてするべきだ。争いを忌む国民を非難するなどは、きっとでないだろう。出てもアメリカぐらいか。
危険を承知で出かけたのではないか、という非難の声も挙がっているようだ。彼らを死に至らしめては絶対にならない。これは、その後に起こりうることが目に見えているからだ。小泉のたてがみが逆立ち始めている。石破のやぶにらみも凄みを増している。最悪の結果だけはなんとしても回避しなければならない。
蕨のおひたしを食べた。旬のワラビはシャキシャキと歯ごたえがあって、とっても美味かった。今夜は寒い。

2004年4月13日Tuesday晴れ
休日が法事で埋まってしまう。
今日も法事の問い合わせがあり、日曜に入れる。まあ、飲食を伴わない法事であれば差し支えないが、49日とか一周忌は、どうしても後の席があるので、必然飲んでしまう。飲んでしまうともう午後帰ってきてから何もすることができない。
どうしても飲んでしまうし、飲むことがわかっているから飲まされてしまう。
寺で経をあげて墓参して、僕はそこでお役御免というのがありがたい。
囚われの3人の解放のニュースは相変わらず伝えられてこない。このまま長期化するのか。「俺たちはこんなことにだけ関わってはいられないんだよ」とでも言いたげに、小泉や公明党の幹部がニコニコしながら会談する姿は、彼らを案ずる家族や支援者たちの気持ちを逆なでするかのようにしかとらえることができない。
残念だが、この国の今の進み方には展望が無い。聞く耳を持たない輩ばかりのようだ。事態の好転を祈るしかない。

2004年4月12日Monday晴れ
暑い一日。
イラクで囚われている邦人3名の「24時間以内に解放する」というメッセージが果たされないままに今日となった。
今夜もまだ朗報はもたらされていない。
まあ、でも最悪の事態だけは想定しなくてもいいだろうと僕は思っている。オソラク、3名の解放の対価についての裏交渉が難航しているのだろう。
日本政府は彼らが「最悪の事態」になっても仕方が無いと思っているだろうし、極端ではあるが「なって欲しい」とまで考えているのではないか。彼らがもし殺されれば、小泉はもっと強硬姿勢をこの国に投げかけてくるだろう。これこそが彼らの一番待ち望んでいることなのだ。きっと。ま〜ちがいない。
個の命なんてものは、喉元過ぎれば熱さ忘れるもののひとつに過ぎないこともある。

2004年4月11日Sunday晴れ
勝手な解釈かもしれないがいいニュースだ。
武装グループから24時間以内に3人を解放するメッセージが出されたという。日曜の朝の日の出にいいニュースだ。ご家族も気持ちはだいぶ楽になったと思う。
武装グループは、「自衛隊をイラクからは撤退させない」という日本政府よりも、彼ら3人がイラクの人民のために、奉仕をしていたことを評価して彼らの解放に踏み切ったらしい。
日本政府は必ずしも日本国民を代表していないとの見解もあったようだ。面白い。
いいお祭りをしてこよう。
(7:05)

2004年4月10日Saturday晴れ
ここから祈るしかない、彼らが無事に解放されるのを。
法事1件有り。法要後に法話する。イラクでのことなどもからめて話す。僕ができることはこのくらいなもの。僕の手の届く範囲で、多くの人に関心を持ってもらいたいと思う。
明日は甲府の華光院へお祭りのお手伝い。終わった後牧丘まで行って、上求寺のおばあさんの霊前に経をあげてくる。お祭りの準備に忙しくなるので、24日の七七日忌法要には欠席させてもらう。
明日の柴燈護摩には、平和への思いをしっかりと持って臨もう。

2004年4月9日Friday晴れ
自衛隊は一刻も早くイラクから撤退を。
邦人3名が拘束される事態となっている。
彼らを殺させてはなりません。殺すな、殺されるな。夕暮れの風の吹く寺からメッセージします。
彼らを救うために僕たちにできることがあります。結果は見えないけれど、起こしてみることです。
自衛隊は一刻も早くイラクから撤退をするべきです。アメリカの口車に乗って、ひどい暴力に荷担するのは止めよう。今井君は劣化ウラン弾の飛ぶ戦場を憂い、高校を卒業した直後にモスクワ経由で現地に入っているのです。
彼らを殺させてはなりません。どうか良心の囚われ人3名を助ける声をあげてください。

2004年4月8日Thursday晴れ
娘の高校入学。
酔って帰ってきてもう明日になってしまうので、適当なタイトルをつけて今日の日記。
風呂はあったかくて、しみじみよかったなぁ。眼がもうショボショボしているので、もうこれ以上書き続けることはできないな。

2004年4月7日Wednesday晴れ
娘もまた、明日は高校の入学式。
子供たちの長かった春の休みも今日でピリオド。娘の高校の入学式が明日ある。
病院の配食サービスの弁当作りに午前中だけ行っている女房は、また明日も休み。雇う側もこのことばかりは大目に見てくれているようでありがたい。
今月はお祭りもあるので彼女の休みはまた必要になる。桜の花も我が家のものはもう終わりだ。花をめでる時間なんてものは少ない。あっけなく過ぎ去ってしまう。見落として見たくなっても、また一年を待たなければならない。僕には一年の先のことを思うのは長い。過ぎたときに過去の一年を思うのは短いが、いま来年のことを思うのには余りにも先が見えない。
法事の塔婆を週末から今夜までに13枚書いた。久しぶりに大量の塔婆で、2月の終わりに塔婆の注文を出して50枚仕入れたので、早い時期にそれをも使うことができそうだ。塔婆なんてうちじゃぁ、そんなに年間出るものじゃない。でも塔婆を書くのは好きだ。塔婆書きや、護摩札書きくらいしか筆を使うことが無い。上手くなくても、そのことに専念できる時間が僕は好きだ。

2004年4月6日Tuesday晴れ
今夜また寒い。伝えられるニュースも寒い。
今夜もまた子供虐待のニュースがいくつも伝えられている。
僕自身のこれだと言う答えは出てこない。僕もまた、このことに敏感で不安であったことがある。子供は作ってみたが、なかなか親の自覚も出てこなかった。知らぬ間に彼らは大きくなっていた。
関わり方がうまくつかめなかったのかもしれないと、今は思っている。僕がだめな分だけ女房がそこをフォローしてくれていたので、セーフだったのだと思っている。
手に負えないと、すぐに切れてしまって、虐待や、結果として死に至らしめるということになることもある。
がんばれ、がんばれ、がんばろうぜ。少々気を抜きながらがんばろうぜ。

2004年4月5日Monday晴れ
老いることの無常。
近くの山の山肌も白くなっている。昨日の雨は夜に山の方では雪になっていたのだ。今朝は朝から快晴。天候が昨日と360度違う分だけ、余計に朝の日差しや青い空が冴える。今日は気温も上がる。
女房と娘は、明日の息子の大学の入学式に参列するために朝7時20分の電車で出かける。大学にも大きなホールくらいはあるだろうに、パシフィコ横浜というところで入学式をするらしい。
田舎者の女房も娘も、“横浜”“みなとみらい”とかいう言葉にすこぶる弱い。コロッと「入学式、絶対いくよぉ〜」であった。「いま夫婦で大学の入学式だって行くんだよ」と言うが、こっちはさらさら興味がない。いい時代なのか、いやな時代なのかわからない。
地元の小学校でも、今日が入学式で、明日の朝からは、また新入生たちが寺の前をランドセル背負って通い始める。二人の子が小学校にあがるときのことを懐かしく思えるような歳になった。老いることの無常を感じてしまうんだなぁ。
今夜はひとりゆっくりと散る桜でも愛でながら、また酒でも飲むか。

2004年4月4日Sunday
一転雨で肌寒い一日となる。ストーブ活躍。
部屋から出したストーブをまた戻して点けている。寒い。
まさに天気の安定しないことが実感できる。午後N君のところで2時間半ほど過ごす。今日は消防団の出初式だったとのこと。所変わればで、彼の所属する部では、出初式に出ないで、出初式後の宴会の支度をする要員を詰め所に置き、彼らに朝から準備させるのだそうだ。「猪鍋」が定番なんだそうだ。
彼に、「出初めなのにあの時間に電話してきたんだねぇ」と尋ねると、こういう話を聞くところとなった。まあ僕はもう消防を退団して久しいが、うちじゃこんなことは無かったし、彼らは火伏も集めないとのことだった。
町が合併してもこんな細かな違うものが、いっぱい出てくるんだろうな。
こんなニュース。「
東京都立川市の防衛庁宿舎で、ポストに自衛隊イラク派遣反対のビラを入れた市民運動家3人が住居侵入罪で逮捕、起訴された事件で、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル本部(ロンドン)は3日までに、3人を思想信条を理由に拘禁された「良心の囚人」と認定した。日本での「良心の囚人」認定は、アムネスティの1961年の発足以来、初めて。
彼らはまだ収監されているらしい。こんな馬鹿げたことが起こっているのだ。田中真紀子の娘の記事で週刊文春が云々なんてものじゃない。ポストにビラを投げ入れて捕まってしまうのだ。恐ろしい時代になった。言論の自由や表現の自由が束縛され、どんどん引っ張られていく。小林多喜二の『蟹工船』は、「おい、地獄さ行くんだで!」で始まる。高校生のとき僕は、この蟹工船と、藤村の「破戒」を何度も読んだ。
多喜二の「地獄さ・・・」は、もうこの一言で僕の心を捕まえて離さなかった。でも、多喜二の生きた時代に逆戻りするのは勘弁願いたい。

2004年4月3日Saturday晴れ
やっと今日はのんびりと。
一日ゆっくりと好きなことをしながら休んだ。ダウンロードしておいた音源をCD-Rに焼きこんで、これを四国のNさんに送って、僕はオールマン・ブラザーズの音源を貰うのだ。
CDを買う気持ちが萎えてきて、新しいLiveの音源が(4月1日のアメリカのLive音源が、もう今日ネット上に公開されているのだ。スゴイ!!!)まさに僕を虜にしている。
スタジオで録音したもの以上に、Liveはそのミュージシャンの思いや意気込みが伝わってくる。
寺の桜はもう散り花となった。今日はご朱印ひとり有り。若い方。ボブ・マーリーかけて、朱印帖に記す。

2004年4月2日Friday晴れ
午後からは暑くなるほどのよい天気に。
天候が定まらないこの季節を象徴するようなもので、朝は風も吹き雨も激しかった。午前中こんな天候であったが、午後からは一転快晴となり、「暑くてたまらん」一日になった。
僕の今夜は、同僚のT&Kのためにお約束の焼肉をする。う〜〜んとうなるほど肉を食った。うまかった。
風の強い夜だったが、帰る道は風も止んで、僕は焼肉店からの道を一人で楽しく歩いた。月明かりが残る水溜りを、うまく照らし出していて、「こんなことは僕らの日常では演出できないな」と、自然の織り成す力の際限の無いものに圧倒された。
小さなもんだ。俺も、きっとあなた方も。

2004年4月1日Thursday晴れ
4月馬鹿が、ここにも生きて居る。
4月馬鹿だとか、エイプリルフールなどと言う言葉もずいぶんと遠くに行ってしまったような感じだ。
はっぴいえんどの前身がエイプリルフールだったようだが、まあそれはいい。
今日は早く帰って、焼酎と発泡酒だ。境内の桜は満開だが、うちではライトアップするなど到底望めないことなので、その景色を思いながら部屋で花見気分を味わっている。BGMはいつでも最高の僕のお気に入りだ。
実はもう今日は役場の年度始めにも行かなかったのだ。いっても仕方が無いし、僕のこの場所は役場とまったく機能が違うので、異動の事例交付も無いのだから行っても詮無いことと自ら決めた。
社協では淡々と年の初めのことを僕は行い、今日も夕方から会長を呼んで一堂会して「一年またがんばろう」?と鼓舞したのだった。
明日はまた天候が崩れるらしい。桜は満開なので花を散らす雨になるかもしれない。


2004年3月31日Wednesday晴れ
昨日の雨が上がって、暑い一日となる。
あ今日は暑かったよ。作業着を着ていたが脱いで、午後はシャツの袖もたくし上げて仕事していた。
春の天気は、でも3日と続かないのだそうだ。雨上がりの今日は風も無く本当に暑さが身にしみた。年度末のつごもりを、僕は明日4月1日に出す書類の確認や作成などで過ごした。手落ちの無いように。
夕方はデイサービスの一年の反省会。4年を終えて、利用者もほぼ安定してきている。横ばいと言うか。利用者が少なくてもいいじゃないかと思う。ここを利用しないで自立して日中も過ごせたらそれに越したことは無いのだ。
個人の人としての尊厳を重んじて、親切丁寧に接することを一番に心がけるのが、僕が思うところである。
あ〜ぁ、また一年この場所で暮らすのかと思うと、憂鬱でため息も出ちゃうが、この場所で僕を生かすことでも探しながら一年また何とかやり過ごそうと考える。

2004年3月30日Tuesday
雨の夜になった。
夕方から降り始めた雨がまだ続いている。雨の宵になった。ヤンキース松井の2塁打が出た。テレビをつけて、デレク・トラックスのかっこいいギターのうねりを聴いている。大きなアメリカが伝わってくる。
自由の国アメリカは好きだが、おせっかいなアメリカは嫌いだ。
デーサービスのWさんが退職することになり、一日早いが夕方送別の会を持った。会長が「辞めたら、後は好きなことをして暮らすさ」と言ったが、僕もまさにそう思う。生きること生きていることをゆっくりと見つめなおして、この世にオサラバするまで楽しく生きていたいと思う。
“いのち”のことを考えさせられる機会が多い。考えつづけることが大切なんだと思っている。3月も明日で終わりだ。
ため息つくような出来事ばかりだけれど、新しい4月からは、幸せな日々になるといいよな。

2004年3月29日Monday晴れ
春爛漫。
はっぴいえんどでもかけたくなるような、春爛漫。桜も一気に花開いた。
叔父さんとこと、帰り(女房の運転に娘付)に喜田で飲んでしまったので、夕べはこれを書こうとした形跡はPCの電源が入りっぱなしだったので、あったはずなんだけど、やっぱレロレロで書けなかったんですねぇ。
いい音楽聴いて幸せになろう。それぐらいしか今の僕には言えないな。

2004年3月27日Saturday晴れ
今日はいい天気になるぞ。
朝7時過ぎ、正面の山から陽が昇った。いい天気になるし気温も上昇して明日はもっといい天気になるらしい。
高岡大祐のチューバを聴きながら、相模原に出発前に一筆。
慈母のような古木の枝垂桜も、満開間近。
(19:48) 今日の行き帰りは計ったように2時間40分ずつだった。結構飛ばしてしまう性格かもしれない。前の車に引っ張られてでもいるかのように、行きも帰りも120から130キロくらいの速度でほとんど追い越し車線を走行してきた。帰りは相模湖ICから甲府南ICまで30分だった。高速に乗っている時間は2時間半のうちわずかしかなく、ほとんどは一般道を渋滞などに巻き込まれながら走っているのだ。一般道がすいすいと走れたら、2時間半で十分に息子のところまで行けると思った。
彼の部屋はもういっぱいで、僕が座る場所も無く、パソコンやエレキギターやアンプなどに占拠されていた。お昼を道向こうの「インド食堂なんかれ」で食べた。息子の3階の部屋にカレーの匂いが毎日漂ってくるのだそうだ。やっぱりうまかった。この店に出会ったのだけはヒットだったな。
いまこれを書きながら枝垂桜の写真を見ているが、朝の陽光は新鮮だな。いい写真に見える。明日はもっと花開くよきっと。

2004年3月26日Fridayくもり
評議員会終わり、ほっとしている。
今夜の評議員会が済むまではなんだか落ち着かなくて。もう4年目のことなのだが、いつもこういう決め事の会は緊張して落ち着かないものである。始まってしまえば肝が据わるが、始まる前はなんだかやたらと不安なのだ。
同僚のTと、早い晩飯を食いに行った。にんにく入りの味噌ラーメンでどーんと気持ちを据えた。これが好を相したか、午後7時半に始まって8時半前には全部の議案を終えて閉会することができた。シャンシャン大会みたいなものであった。「やったね」とTと2人でにんまりとした。
来週は新年度の準備などで3日間はあっという間に終わるだろう。
明日また早く、相模原行きなので、いただきものの発泡酒を1本ぐいっと飲んで寝る。週末は天候も回復して花見の好日となるらしい。日曜の叔父の寺のお祭りも楽しみである。The Deadや渋さ知らズ関連の音源をたくさんコピーしてもらったが、なかなか時間が無くて聴くことができない。これらの音源は僕から今度は、欲しい人があったらコピーしてあげようと思う。
(※欲しい人は先ずはメールで連絡ください。リスト送ります。)

2004年3月25日Thursdayくもり
天気はどうだったかと思い出そうとするが、覚えていないんだな、今日は。で、とりあえず曇り。
夜になって少し降ってもいたようなので今日の日中はきっと曇り空だったんだろう。あまりよく覚えていない。
午後からの理事会を無事やり過ごして、明日の夜の評議員会。明日の夜も無事に通れば少しほっとするかも。役場の職員の異動内示があったが、9月に合併を控えているので、ごくごく少人数の異動にとどまった模様。福祉課関係は一人の入れ替えも無かった。
僕も当然異動は無く、4月には社協に派遣されて5年目に入る。きっと異動させた方もまさか「石田を5年も社協に置く」ことになるだろうとは予測していなかっただろうし、僕自身も役場とまったく異なるここに、5年も流されるなんぞは想像だにしていなかったわい。
もう役場に戻っても、浦島太郎のように、日進月歩の役場のシステムの進化についていけないかもしれない。まして、戻るときが来てももう中富町ではなく、町の名前も変わっているのだ。最近、もうここでもいいやなんて思うときもある。
だが、ごくごく個人的な思いではあるが、僕はボランティアとか福祉といったものに、どちらかというと馴染めないし、肌が合わない。こればっかりは長く居ても染まっていくことがない。へそ曲がりなので、この分野はとても苦手だ。
カルメン・マキの歌を聴いてま〜〜す。「カルメンマキ&サラマンドラ」のLiveで、勝井祐二(Vln)の演奏がマキのボーカルに非常によくからみます。

2004年3月24日Wednesday晴れ
もうすぐ明日になっちまう。
午後8時に帰ってきて飯を食って、風呂に入って音楽を聴いているともう11時を15分過ぎている。
「(開君が居なくなって)さびしいんじゃない?」と、用事で電話をかけてきた同僚から冷やかされた。まさにそのとおりで、僕はさびしい。
僕の夜が遅いので、母と女房と娘3人での晩飯はまたちょっとさびしいかもしれないと思う。まあ、娘も高校が始まれば新しい生活に馴染むまで、人の心配どころではないだろう。
天気予報が外れて朝からいい天気になったが、昼飯を終えて職場に戻るときにはポツポツと落ち始めていた。傘を持ちながら「意外に当たるもんだなぁ」と不思議に感心なんかしてしまったが、花も開こうとすると冷たくなって、なんだかここ数日変な天候続きで体がくたびれる。
明日理事会、あさって評議員会と、年度末の社協の新年度を迎えるための通らなければならない行事が続く。これが終わればちょっと一服になるか。
週末は相模原へ女房と最後の荷物運び。日曜は叔父の寺のお祭り。それが終わればもう4月になってしまう。4月は4月で寺最大の行事も待っているし、なかなか休みをぐったりと休める日は無い。

2004年3月23日Tuesdayくもり
春うららには程遠いような、寒い朝だ。
「負けても負けても走りつづけるそのひたむきな姿勢が…」などと、ハルウララちゃんを悲劇のヒロインに祭りあげて、ちゃっかり金儲けをしているのは競馬場の関係者だ。ハルウララが走りたいのか、走りたくないのかなんてわからないはずで、走らせているのが本音だろう。ハルウララも季節が去れば、いつまでも負けつづけている馬になんか誰も関心を持たなくなってくる。
息子がたったいま相模原の新しい生活へと旅立った。娘は高校のクラスを決めるテストがあるのでともに女房の車で駅まで出かけた。(息子の運転だが)。彼らの新たなる生活に幸あらんことを僕は今朝のお勤めに祈る。これが僕にできる精一杯だ。
昨日の雨のしずくが残り、曇り空の朝は、僕や女房の少しだけさびしくなる気持ちの表れかもしれない。
愚かなる争いごとの繰り返しの報道ばかりでうんざりだ。期待はもたないが、せめて静かに暮らしたい。春には春であることを喜び合えるような世界にしたいじゃないか。

2004年3月22日Monday
春は足踏み。
大変に寒い日になった。朝降り出した雨が、お昼の今霙に変わった。僕は昼休み当番だったので1時間遅れて昼休み中。職場に戻るときはダウンジャケットを着ていかなくちゃ。
天候も人の世と同じように定まることが無い。僕がボケーッと、春眠に怠けていると雪を降らせて目を覚ませという。
明日の朝旅立つ息子のために、女房は今夜、大学に受かった晩と同じようにうなぎを奮発するという。
そうそう食べられるものでないから、僕にもうれしい晩だ。職場のT君も誘った。群馬のKさんからいただいた、「地球畑」という無農薬のサツマイモから作った本格焼酎の湯割で特上のうなぎをいただく。
冷えた体が温まっていくはず。

2004年3月21日Sunday晴れ
護摩も炊いて、僕の3月は締めたかな。
本当は昨日護摩を焚こうと思っていたのだけれど、雨で寒かったのでやめた。今朝は起きたらいい天気で、やる気に火が点いた。
交付のEさん家族の墓地での読経を済ませて護摩。護摩の途中女房が息子のために「交通安全」の御守りを持って横にしばらく座る。
来週からは家族の新しい”とき”が始まってしまう。
午後1件、経を所望する家族有り。僕はその後ごろりとなり、音楽三昧。花がたくさん開く。デジカメで撮ったが、ここに取り込むだけの余力が無い。

2004年3月20日Saturday
雨の寒い彼岸になる。
朝のお勤めを済ませるころからぽつぽつと雨になり、寒い寒い一日となった。富士五湖方面では雪が降った。
彼岸の墓参の足も今日は少し遠かったようだ。東京からSさん夫婦来る。客殿で経をあげてから墓参してもらう。今夜は下部ホテルに泊まるとのこと。
僕と女房にもこんな風にのんびりと旅気分になれる日はやってくるんだろうか。息子にいくら仕送りをするとか夕べ少し女房と話した。自分の学生時代、父とは母は鉄砲玉のように行ったままになり、結果を出さない放蕩息子のために、こんな夜をいく晩も送ったに違いない。
俺も子を持つ親となり、人並みにこんなことに悩んでいるのだ。俺の分身が遠くから俺を冷ややかに見下ろしている。見える、見える。
夕べ少し飲んだ勢いで友達にメールを送った。こんなメールだ。
「同じ町になろうとしているのに、僕らの置かれている状況はそのことを超えているのかもしれません。
個(孤)にやさしくしてくれる世界なんて無いのかもしれませんね。
ジェリー・ガルシア・バンドのいい演奏を、ダウンロードしましたので、近いうちに届けます。
”生きなければならない世界”と”憤りで憤懣やるかたない世界”の双方に心を置いて年度末を生きております。」

明日はまた今日の続きがある。2軒彼岸の経を上げてほしいとのことなので、ごろり飲んでもいられない。

2004年3月19日Friday晴れ
車の免許試験も合格して、あとは旅立つのみだ。
今昼休みに帰ってきていたら、息子から電話で運転免許の最後の筆記試験も受かったという。これで、きっちりと済ますことを済ませてしまったので、後は大学生活に旅立つのみだ。
親としはほっとした気持ちと、一抹の寂しさとが正直ある。酒でも飲んで寝っ転がりたいような気分だ。
明日の彼岸の中日から日曜へと天候はあまりよくなさそうだ。風がある。
ジェリー・ガルシア・バンドをDLしたなかに、「天国への扉」や「アイ・シャル・ビー・リリースト」「ハーダ・ゼイ・カム」なんかが入っていてご機嫌。「天国への扉」はどの演奏も秀逸。1986年11月のサンフランシスコでのLiveは、レゲエ・アレンジの「天国への扉」。
天国のジェリーは、イラクへの攻撃開始から一年を迎える「アメリカ」をどうな風に眺めているだろう。「俺のいい演奏と歌を聴いてくれりゃ、戦争したい気分なんて吹っ飛んじまうさ」くらいに思っているかもしれないな。みんながそんな風になってくれたら俺も幸せだけど。

2004年3月18日Thursdayくもり
花冷えというのだろうか、今日の雨は。
朝方から雨。雨の音も久しぶり。雨も気持ちのよい朝だと感じていたが、なんだか一日冷え込みが戻ったように寒かった。
車の車検が済み、もう12年目の車になった。特別調子の悪いところも無く、買い換える予定も懐具合もよくないのでないのだが、ただひとつ、カーステレオのCDデッキの調子が悪くて寒い時期はなかなか動き出してくれない。
CDデッキだけ換えたかったが、車種が旧いため、純正のデッキは無いとのことであきらめた。
GYROの高岡君からメールがきた。久しぶりのメールなのだが、こちらも年度末で何かと忙しなく、GYROに動き始める気分に転換できない。前回の半分くらい来てもらえればいいかななんて思っているが、でも彼らの熱いLiveはぜひとも大勢に方に見て、聴いてもらいたい。
彼岸が終われば新しい年度に向かい、寺の祭りの準備だ。平行してGYROのアピールができればいいと考えている。

2004年3月17日Wednesday晴れ
入り彼岸。
今日も天気は相当によさそう。
自衛隊はかつては自閉隊であったなどとのたまう、石破の暴言なども今朝のニュースで知ることになったが、僕は前前からなんとなく「自兵隊」だと感じていた。
ま、このことはこのこととしても、自衛隊が早くイラクから引き上げてくることを強く思おうではないか。自衛隊員の家族も自衛隊の派遣に反対の声を。このHPからの呼びかけなら逮捕されることも無いだろう。これで逮捕されたら、世の末だ。
彼岸に入りましたので、季節もいいし、天候も安定しているようで花もきれいになり始めています。仏教との皆さんは、ご先祖様の墓参にぜひお出かけくださいませ。
(12:35) 和光大学は「小さな実験大学」であった。僕は創立10周年にあたる昭和50年に和光大学に入った。高校在学中の2年生ころから和光に行こうと決めていた。好きなミュージシャンの「ジャックス」の早川義夫をはじめとするほとんどのメンバーが和光の出身で、「休みの国」もまたそうであった。 小田急線の東京と神奈川の境に位置する、鶴川駅で下車してゆうに20分以上は歩いた。最後がきつい和光の坂だった。この「小さな実験大学」には、入学式も卒業式もなく、入学登録式というものがあり、体育館での学長の挨拶のときに演壇前を真っ裸の学生が走った。いやぁ、楽しかった。楽しすぎて僕は1年次に4単位、2年次は0、3年から3年間かけて単位を取って大学を去った。親のすねをかじりながら5年通わせてもらった。その後、長野で暮らす時期があったりしたとき、大勢の和光出の「自由人」達に出会った。 昨日から、オウムの松本の娘が和光への入学を合格後に拒否されたことが報道されている。親の犯罪によってその子供たちが、社会生活を営む上で苦痛を味わうことは不条理なことである。一個の人間としての尊厳を認めるのであれば、入学を認めてあげることが本来の大学としての姿ではないだろうか。ましてや、開かれた自由な学風をスタートとしてきた「小さな実験大学」であるなら、“こんな小さなこと”にこだわるのはおかしいと僕は考える。“他が駄目なら和光が引き受ける”くらいの大きな見方が欲しかった。まあ、もうひとつは、松本の娘の考えや心の状況がどんな風になっているのかも、これは大きな問題だということも考えなければならないかもしれないが。 僕は現在の和光大学の姿を知ることはない。毎夏に、町田に暮らす檀家へ盆の棚経に行き、町田から次の檀家のある世田谷に向かうのに、小田急町田駅から電車に乗る。車窓から和光大学の外観を眺めることが唯一なのである。でも、僕は僕の通った和光大学を今でも愛している。僕が高校2年生から決めていた大学は、僕が思ったとおりの大学で、僕の今の生き方の大きな原点となっている。表現の自由があり、言論の自由があり、平和を希求する精神を持つということ。僕の夢は、また髪を長く伸ばして大地に立つことである。

2004年3月16日Tuesday晴れ まるで初夏の陽気だ。デイサービスのKが親戚に不幸があって、午後休むことになったので急遽デイサービスの送りの運転手に。久しぶりに町の隅々まで走った。暖かくなっているので、畑に出て精を出す人たちが目立つ。誰もがうきうきとするような季節なんだなぁ。
明日は彼岸の入りだ。
仕事も忙しいが、息抜きに外出るのは気分転換になる。今夜は同僚のTと9時まで仕事をして帰ってきた。理事会と評議員会の提出議案をあらかじめ送付できるようにがんばっているのだ。社協の合併のための案件もあり、来週末のこの二つの会議はいつもより厳しそう。経理規程の全部改正なんて、内容を聞かれても多分答えられないだろう。
デレク・トラックス・バンドの3月6日のLiveをもうダウンロードできるんだからありがたい。CD2枚に焼いて聴いている。デレクのスライド・ギターはいい。いかした雰囲気のギタリストを何人も知ることになった。この新年からのパソコン生活は充実している。
11時。まだ僕の夜は音楽だ。これが明日への活力の源だ。

2004年3月15日Monday晴れ
導師は逃げられずに火の粉を浴びて...。
西光寺のお祭りの柴燈護摩は道場が狭く、午後4時ころは風も吹くので、護摩壇に点火すると大きく炎が巻き上がり、火の粉が舞う。導師の僕は逃げる訳にいかないので、火の粉を浴びるままになる。熱いのは我慢するしかないが、修験の装束が火の粉で焼けて穴がたくさんあいてしまうのはつらい。獅子座に座って腰掛けた状態で作法をしているので、股が開いている。前面にたくさんの穴があいた。次第もくすぶり、火の粉を払ったりしながらの作法を余儀なくされる。
でも、春の初めにいい護摩が焚けた。滝本院、松鶴院の助法をしてくれる2人の修験者にもあつく感謝。
帰りに「喜田」に寄って、息子がアパートに持っていく「一味」を一瓶貰ってきた。おいしい酒も飲めた。
今週は春の彼岸だ。気候も暖かく花がちょうどいい時期になりそうだ。娘も今日高校を合格。2人の子供らの人生を開く新しい春が始まる。僕と女房はそれをしっかりと応援していこう。特別な望むものはないが、平和への思いだけはしっかりと抱いていってほしいと願っている。

2004年3月13日Saturday晴れ
ポカポカと花開く。
息子を朝教習所へ送り10時半から1件目の法事。次があるので昼食の酒は少し控える。ポカポカ陽気で、30分あまりの移動のバスの中は行き帰りとも寝てしまう。
午後2時に帰ると大津のSさん既に見えられていた。亡くなられた娘さんの位牌とお骨も持ってきていた。ハワイから持ち帰った骨は、プラスチックのケースに入れられ封印がされていた。こうしないと持ち帰れなかったのだそうだ。骨壷も新たに買い求めてきていて、49日の法要後に、お母さんと長男長女の3人で墓地に出向いて骨を壷に移し変えた。まだ40前で、はかない人生だったなぁと。北海道からきた兄は「北海道は雪でした」と話し、奈良から子供二人を連れてきた姉は「こんなに暖かいのですか?」と、梅や桜がほころび始めている境内を振り向きながら話した。
僕は法事を淡々と済まし、お経の後に少し話をした。明日はわが身かもしれない、きれいに生きなければいけないな。
昨日、ルーツの家の通夜が始まる前に、近所にある禅宗の寺のご住職がわざわざ来てくださり、経を手向けてくれた。ご住職が足を引いていたので、事情を聞くと、数年前に脳梗塞で倒れたのだという。「兄さんも気をつけてね」であった。理由はここに書くまでも無いだろう。
休日はどっぷりと寺に浸からなければならない。花が開き始め、大地に緑が満ち始めると「あぁ、また草の季節だな」と少々憂鬱になる。花粉症のような鼻詰まりの気分に襲われる。彼岸を前に、墓地をきれいに息子たちと掃除するSさんの姿もあった。この方たちは僕にとっても生きる支えだ。互いにもっと深い信頼関係を持ちながら、僕はここに深く生きたいと思う。

2004年3月12日Fridayくもり
祖父の生家のおばあさんの通夜に行ってきた。
先月28日に行って、また今日行くことになるとは思っていなかったが、おばあさんも96歳だったので大往生だ。明日の葬儀は家に法事が2件あるので女房に行ってもらう。午後休みを取って叔父さんと行ってきた。叔父と行き帰り寺のことなど話しながらは、久しぶりで楽しかった。叔父も僕にも共通の悩みがある。きっと叔父も僕の親父も、そして僕も生真面目で寺の運営は基本的に下手かもしれない。
牧丘という町は、対外的な通夜をせずに近親だけで通夜をするのだ。通夜のあとに夕飯があり、まあ故人が長生きだったことにもよるのだろうが、棺のある部屋と次の部屋に大勢の親戚が飲んだり食ったりとにぎやかだった。僕は棺の頭の真上の場所に座り、時々おばあさんの顔を覗き込みながら煮物やおにぎりやいなり寿司をほお張った。今夜は車があるので飲めなかったので、手持ち無沙汰は棺の中のおばあさんの幸せそうな顔を眺めるくらいしか時間つぶしができなかった。
この家は僕にも命をくれた家なのだと思うと、この旧い家も小さなお堂も、命ある限りは大切にしようと引き締まる思いがした。
帰宅すると娘の友達が3人泊まりで遊びにきていた。今日中学校を卒業したので、彼女たちは今夜一晩を語りとおすのだろう。(明日はカラオケに朝出かけるのだそうだ)息子の教習所通いもいよいよ路上教習に入ったのだという。
スティーブ・キモックのギターっていいよ。紅梅も開き始め、桜の花もちらほらと開き始めた。

2004年3月11日Thursday晴れ
坊主は坊主なの。
上求寺のおばあさんが亡くなった。僕の祖父の生まれた家が上求寺である。今、上求寺は僕の父のいとこが継承しているのである。そのお母さんは96歳での大往生である。これはこれでいいではないか。う〜ん、これが正しいバトンタッチになる。
上求寺には先月28日に行って、お祭りを手伝い一宿一飯の恩義にあずかってきた。
葬儀の日に僕は法事が二つあるので、上求寺には行けない。これが坊主が身内にいる良いところと悪いところでもある。これでいいのではないか。なんせ仕方の無い世の中になりつつある。でも俺は負けない。

2004年3月10日Wednesday晴れ
今日は息子の18歳の誕生日。
3月生まれの息子が待ちつづけた18歳の誕生日。教習所でも18にならないと次に進めないというものがあったようで、見極めを今日貰い明日から次の段階に進むのだという。
奴が引越しに持っていく布団を押入れから出したときに、押入れから「ナポレオン」が1本出てきたのだと女房が今夜出してくれた。お不動さんへの月参りを続けているSさんから貰ったものだ。でも実はこれ親父が生前中にSさんから貰ったもので、多分押入れの中にしまっておいたものだ。
癌だった父は、それでも少しは飲みたかったようで、貰い物のこんな酒を飲めるようになる日を信じていたのかもしれない。いま、ナポレオンなんかを贈答品で、中元や歳暮で貰うことは先ず無い。今夜思いがけず息子の誕生日に僕も久方ぶりにこの酒を飲んだ。息子は匂いをかいだだけで飲むことを拒否した。
僕は、息子の18の顔と今までを思い出しながら、そしてこれからのことを思いながら、少し酔った。

2004年3月8日Monday晴れ
相模原市若松。
という所が息子のアパートのある地区だ。北里大学のある通りに面している。大学までは自転車できっと10〜15分位だろう。道の向かいに「ガスト」があり、そこに駐車できる。一晩置いてみたが特別張り紙をされたりすることもなく無事だった。隣にはドラッグ・ストアや「セクシーパタータ・タカハシ」というなんとも甘い名前の衣料品チェーン店(相模原あたりでは有名だそうだ)があり、日中の駐車なら事欠かない。
家からアパートまで、2時間半から3時間というところ。土曜日は法事を終えて午後1時過ぎに出かけた。娘も連れて泊りがけだったが、結局夜10時過ぎまでなんだかんだと棚を組み立てたり、テレビの配線をしたりとかかった。やはり道向こうに「印度食堂なんかれ」という店があり、「今度来たら入ろう」と話していたので夕飯を食べに行った。厨房にはインド人のコックが二人いて、店は混んでいた。初めてだったので何を頼んだらいいのか戸惑ったが、店の人に聞きながら、スパイスの効いたインド料理を何種類か頼んだ。もちろんカレーも。みな食欲をそそる刺激があり、家族4人少々興奮しながらむさぼった。女房と息子もビールを飲み、彼の新しい生活の始まりの準備に乾杯した。テイクアウトで残ったナンとカレーも帰ってまた焼酎のお湯割のつまみとした。おかげで昨日は朝の便の後から一日中尻の穴がひりひりしていた。ここのカレーは病みつきになる。
昨日は10時過ぎから電化製品やらベッドやらが配送されてきて、すべてを部屋にセットし終えて午後3時半。最後にコタツを部屋の真中にこしらえて帰りに向かう。16号線沿いに僕は「ディスク・ユニオン」を発見していたので、ぜひ30分ほど寄らせてほしいと懇願して4人で入った。新宿の店ほどは品揃えもないが、最近はまっているジャム・バンド系の中古CDを3枚買った。オールマン・ブラザーズ・バンド、デレク・トラックス・バンド、ガヴァメント・ミュール。夕暮れの中央道をいかしたギターのセッションを聴きながら飛ばした。息子はハード・ROCK系を3枚、娘はオレンジ・レンジのCDをそれぞれゲット。彼らもまたCDコレクターへの道を歩み始めている。買わぬ、興味なしは女房だけ。
月曜の朝はつらい。今夜は育成会の総会をする。育成会も卒業だ。

2004年3月6日Saturdayくもり
今朝うっすらと雪。
今朝も冷え込むなぁと思いながら布団の中。起きだした女房が雪だよと。畑にうっすらと雪。昼近くの今もう雪はほとんど消えて、正面の山肌に名残が見える。太陽が顔を出したり隠したりで風が強い。寒い土曜日だ。
引越しの荷物を積み込み、女房と息子は義兄さんがスーツを新調してくれるというのであわただしく出かける。僕は10時半から高松家の法事。ひとつ年下のKさんも里帰りしていた。家でのお経を済ませ、仏夫婦がちょうど13回忌なので、「干支が一回りした」話から少し法話らしきものする。墓参して帰る。
お昼をご馳走になる予定だったが、こちらの都合を話してあったので、わざわざお昼の支度をビール2本付きで家までお嫁さんが届けてくれる。ありがたい、が飲むわけにはいかない。
こちらは月遅れのひな祭りなので。女房は中学を卒業する娘のために、フルセットのひな壇を今年は飾った。それが母親というものらしい。見てやってください。

2004年3月5日(金)晴れ
啓蟄。
もぞもぞと虫が地上に這い出してくる。紅梅の蕾ももうはちきれんばかりに膨らみを増している。
僕の中の音楽の虫も思いっきり動き出している。オールマンの音源を4枚と、低音環境の音源を4枚録音していただいた。ジャム・バンドやジャズのフリーな演奏は通じるところがあり、どちらも僕は好きだ。
今夜は2月の光明真言。本堂でやる予定だったけど、風も冷たく吹いているので庫裏で1月と同じに行う。参加者6名。今夜は大根の話と、締め括りはイノシシとサルの話。熱い麦茶がとてもおいしかった。
明日高松家の法事のあと相模原へ引越し。午後出かけて一泊息子の部屋に親子4人で初泊まり。
彼と高校は違ったが、僕の出身校のやはり卒業生2人が、卒業式を終えた日の未明に交通事故で亡くなるという悲劇もあった。一人の母親は僕よりひとつ年上の方で、隣町の役場に勤めていると聞いた。なんともやりきれない気分だった。
牛や鶏の悲劇も連日伝えられ、イラク派遣に反対する市民運動のグループが、駐屯地内の官舎の郵便受けにチラシを差し込んだだけなのに逮捕されたという。こんなこと誰だってやっていることだし、商店のチラシだってどんどん投げ入れられているはずだ。こんなことにいちいち過剰反応して逮捕にまで至るなんて、この国はいったいどうなってしまったのか。この国に行く先に何にもいいことなんてありゃしないって気分は落ち込む。
権力も司法も狂っている。俺はしっかりとねじ巻いて騙されないように世の中を生ききってやる。息子にはそこんとこよく教えておかなくちゃな。

2004年3月4日(木)晴れ
パソコンが帰ってきた。
2000にバージョン・アップするために外に出ていたPCがやっと夕べ帰ってきた。
少々使い勝手が悪かったり、DLしたソフトが無くなっていたり、まだうまくこちらが順応できないでいる。
今日は娘の高校受験の日。お不動様に手を合わせてさっき女房の車で駅に向かった。よい天気になりそうで外はすでに日差しがある。がんばってこいと一言声かけて送り出した。
パソコンの使えなかった間に息子は高校を卒業し、3月も4日目の朝。このひと月は職場も寺も忙しくなりそう。

2004年2月26日(木)晴れ
下部温泉。 今日は在宅介護者の集いということで、日ごろ在宅で家族を介護されている方たちを招いて、温泉にでも浸かってのんびりとしていただこうという企画。ちょっと少なくて9名の方が参加。3人は要介護者も同伴であったが、今日だけは保健師が別室でそれぞれ一日その方たちを介護するのだった。
介護の苦労はなかなか言葉で表してしまってそれですべてが伝わる、伝えられるというものでもない。家族であるからこそ、厳しい面もあるのだろう。
僕たちはその方たちと話をしたりして、やっぱり僕もせっかく着たのに風呂をいただかない手はないと、昼食のあとのんびりと昼の下部温泉の大理石の大風呂に浸かったのだった。いやあ気持ちがいい。極楽極楽。上がったあとの冷たい鉱泉もまた実に美味かった。これでこちとらも年度末乗り切らなきゃなという気分。明日で2月の仕事も終わり。土日が終われば3月だ。
息子は今日最後の登校で、あとは3月1日の卒業式だけ。なんだかとても早いよな子供の大きくなるのは。

2004年2月25日(水)晴れ
ぼくらには何も知らされていない。 ぼくらには何も知らされていないし、知らないうちに、全くぼくたちの存在なんかを無視して事がどんどんと進む。
長々と新聞に載り、めんどくさくて見出しだけで済ませようとしてしまう俺。知らなかったとは言わせないとでもいうかのように、じわじわと水が染み込んでいくように確実に、奴等の頭や鼻や目は潤っていくのか。
そのうちこの国に生きることもめんどくさくなっていくかもな。日本人であることになんか一抜けた。語彙の少ない能無しの俺は、なんだこの野郎、バカ野郎くらいしか言えないんだ。

2004年2月24日(火)晴れ
太陽が上がった。 今朝は冷え込んだが、7時24分、太陽が山の稜線に丸く顔を出した。大きな輝きで今日も陽気は良さそうだ。暑くなる。
一昨日・昨日の春の嵐が嘘のように今朝は静かだ。本堂を閉めておいたので今朝お勤めに入ったら、隙間からゴミが吹き込んだり、天井裏に風が入り巻き上げたゴミが畳に落ちていたりしていた。
風の強い日は、壁の掛け軸なんかが踊るので、この時期はいつも要注意だ。
焼鶏丼も販売を中止にしなければならないという深刻な事態。BSE、鳥インフルエンザと思いもよらない自体がこの国を席巻している。麻原の判決も今週末に出る。慌ただしい二月の最後の週である。

2004年2月23日(月)晴れ
春の嵐。 昨日息子のアパートへ行ってきて、やはり日帰りではちょっときついので、再来週に泊りで行くことにした。
片道2時間半かかる。僕の精一杯のスピードで。往復5時間で日帰りはちょと厳しい。夕の4時に相模原を出て家に帰ってきたのが6時半過ぎだった。夕べは疲労困憊で早く寝た。
子供を外に送り出すのも大変だ。親になっていいことなんて、考えたらあんまりないのかもしれない。子供を育てるということは、なかなかに大変なことだ。女房が居てくれてありがたいと思う。僕には子供たちをどんな風にでも、動かせていくことなんか到底できそうにない。
おいら酒飲みのオットセイなんで、飲んだら頭ゆらゆらと揺れているだけなんで。ゆらゆらと海風呂を満喫してるだけなんで。

2004年2月21日(土)晴れ
法事1軒有り。 これといって書くことも無く1日終わり。法事有り。
家族にとって大切な人が、僕にとってはそんなでもなかったりして、今朝おかしな夢を見て、そんなこんなで一日をまた飲んで終えてしまった。
明日は、息子の一度目の引越し。

2004年2月20日(金)晴れ
今夜は早く帰宅して、ビール飲んで頭を刈る。 明日法事があるので、今夜は早く帰ってきた。頭を刈らなくちゃ明日の法事に申し訳ない。
なんにもできない僧なので、せめて頭だけはきれいにしておこうと心がけている。じっくりと風呂場で15分ほどかかって刈り上げた。きれいになった。
髪を短く刈り込んでいると頭は丸く、それなりに見栄えのいい形になってくるのかもしれない。わからんが...。刈りたての頭を自分で撫でるのもいいが、コンパニオンなんかに、「わぁーっ」て触られるのも気分の良いものだ。
エロ坊主というよりも、触ってもらってありがとうという感謝の気持ちのほうが強い。脱線しては困るので今宵はこの辺で。

2004年2月19日(木)晴れ
久しぶりに甲府へ。 午前中会議で甲府へ。会議終わって帰りにエルクへ寄る。エルクは明日から「ガラクタ市」とかで在庫いっそうセールを行う仕度で休業。スタッフは明日の準備で居たので、寄って店の写真を撮り、GYROのライブCDを渡して帰ってくる。
エルクのライブも場所は広いしいいものになりそうな予感。
車の中はもう初夏のような暑さで、少しクーラーを利かせた。冬が後ずさりして春と夏がいっしょにやってくる。
オールマンを1枚買った。やっぱホンモノのCDは音もいいよね、当たり前だけど。95年の新しいオールマンだけど、やっぱいいわ。

2004年2月18日(水)晴れ
ふきのとうが出たよ。 ふきのとうが顔を覗かせたよ。小さな小さなふきのとうだよ。
(21:55) サッカーの試合も終了間際に相手のミスに乗じてかろうじて一点を貰って勝った。「日本は引き分けじゃ負けと同じ。オマーンは勝ちと同じだ」と解説者が語っていたが、クールな中田も勝ってホッとしているよう。夕べインタビューで中田が「格下なんて思ってませんよ、全力でやるだけです」と語っていたが、まさにそのとおりだった。中田はほんとに老成しているように落ち着いて冷静だ。2年越しでWorld Cup予選の始まりだという。一年ずつ年を取ることを歓迎しない僕には、こんな長丁場は苦手だな。

2004年2月17日(火)晴れ
あたたかな日つづく。 春がきている。畑のふきのとうは味わったが、本堂の脇にも毎年のふきのとうが顔をのぞかせ始めた。紅梅も少し膨らんできた。昼はほんとに暖かくなった。夕方の日もだいぶ延びた。
春眠をむさぼりたい気持ちと裏腹な仕事に追われている。帰ってきてこれを書きながら音楽を聴くのが唯一の楽しみだ。
九州でまた鳥インフルエンザが発生したという。自衛隊がテント生活の不自由な中でイラク再建のために頑張っているのだぞ、みたいは報道ばかりが流される。行ってしまったけれど、行ってはいけないのだし、決して行かせてはならなかった。これは既成事実となっても反対しつづけねばならん。
結構いいバンドがたくさんある。GYROライブの反響ボチボチ。おおよその返信は「すごく楽しみにしています」「カレンダーに記しつけました」「ビール美味いでしょうね」などである。まさに僕もそのとおり。こんや高岡君は、不破さんと信州飯田で「低音環境」だそうだ。低音はぜひ11月に呼びたいなと尽きることがない。

2004年2月16日(月)晴れ
月曜日はぐったりだよぉ。 月曜日は合併の会議があるから終わると6時近かったりするので、他の町でやるときは、もう帰ってから仕事しようなんて気には絶対なりません。
育成会の年度末の閉めをしなければならないし、来週から法事やらお祭り、息子のアパートへの引越しなどあるので、土日は4月のお祭りが澄むまでほとんどが潰れてしまいそう。
阿部薫のAlbumを内藤君から貰ったので、今夜はそれを聴く。阿部薫は伝説の人だったけど、僕はあまり聴く機会がなかった。僕も一枚持っているだけだ。阿部薫のサックスは、昨日陽だまりの部屋の中で読み終えた、金原ひとみの「蛇にピアス」に似合いそうだ。いつの時代にもこんな風に見をよじりながら、派手に見えてその実袈裟をまとったような生き方をする人間がいるものだと思う。
若者はいつの世も思い悩んでいる。「アカシアの雨がやむとき」のアルト・サックスから伝わってくるものは、悲しいくらいな孤独さと、深い海の底に入っていこうとする男の影だったり、天上に上りたい身のよじりだったりに聞こえる。生きることからも離れたところの音のようにも聴こえてくる。

2004年2月15日(日)晴れ
半日かけて...。 先週末に文芸春秋の、芥川賞掲載号を買っていた。今日、半日かけて受賞作「蛇にピアス」(金原ひとみ)を読む。なんか久しぶりに本を読んだ思い。
ピアスだとかスプリットタンだとか刺青だとか、僕の日常とはほとんど縁のない世界の出来事なのだが、まだ二十歳の若者の今を知ることができて、大学に息子を送る親としての勉強にもさせていただいた。著者は実生活もなかなかに、多難な人生を送ってきたようである。
生まれるということと死ぬということが大事なことは勿論だが、ただ単に生まれて生きるということだけではダメなのだと。こころが充足しないといけないのだと。この金原ひとみという若い作家の作品からは、決して甘く生きちゃいないよというメッセージが伝わってきたように感じた。生きるというこころの本質を、誰もおろそかにして生きちゃいないんだよね。まだまだ俺も反骨で生きなくちゃな、内藤君。
夕べの内藤君との酒といい、金曜の「喜田」での酒といい、いつもありがたい涙の出てくるような酒の場所があって嬉しい。
GYRO Live予約受付中。

2004年2月14日(土)晴れ
春一番か?。 今日は強風。杉の葉が境内一面に落ちた。本堂の四隅の風鐸も鳴りっ放しだ。
春が来る報せだ。ふきのとうも味わった。梅のつぼみもいっそう膨らみ始める。秋田のIさんから朝、phatのLive2枚届く。いつもありがとう。
GYROのLive告知を何人かに送る。早速反響があったりで嬉しい。申し込みフォームも再度アップ。
5月ですからねぇ。風薫る5月ですよ。陽気がよければ、夜も暖かくて、ビールでも飲みながら、Jam Session一杯聴きたいですな。土曜の夜なんで、たくさんの人に気軽に来てもらって聴いてもらいたいな。
エルクへもお客さんたくさん入ってほしいっす。甲府の方が条件いいから、余り心配することも必要なさそうだけど、うまく両方とも成功するといいな。
裸のケヤキの枝が、大きく大きく揺れている。見えないけど、きっともう芽吹いているんだろうな。

2004年2月13日(金)晴れ
金曜日はいい。 明日休みだという夕方はすこぶる気分がいい。今夜はとことん飲んで、二日酔いになって朝遅く起きてもいい。寺も休みの日は大目に見てくれる。まあ自分でそう決めているのだが。
今夜はこれから友人宅へ飲みに行って、猪の肉をご馳走になる予定。で、帰りは猪突猛進で山野を這いまわって帰ってくる。
(22:40) 猪のような?女房の車で帰ってきた。年が明けてから会う人も居て、今日はいい酒を飲ませてもらった。

2004年2月12日(木)晴れ
Jazz Is Dead到着。 いやぁ楽しみだなぁ。「Jazz Is Dead」のCD-R他5枚が到着。これをコピーして次の人に郵送で回すのである。このJazz Is Deadってすごくいいです。
以前ダウンロードした音源もあるけど、グレイトフルデッドの曲をインストでやってるんだけど、これが果てしなくゆったりと終わりなく流れているようでいいんだな。Jam Bandの良さに、僕の年代なんか特に郷愁を感じてしまうのかな。
GYROもJazzのJam Bandみたいなものかもしれないな。
新年度の予算査定がはじまり、社協の新年度予算の行政への申請分について、かなり厳しくみられたが、何とか課長が切り抜けてくれた模様。感謝。何も悪いことしてたりする訳じゃないんだけどね。なんか社協って存在は、薄いなぁ。
牛丼がなくなっても、いい音楽がありさえすればいいや、なんて今夜は幸せな気分。

2004年2月11日(水)晴れ
GYRO Live日程決まる。 GYRO再び。5月15日(土)。GYROの大聖寺Liveの日程が決まった。11月11日の熱い演奏が5月に再びここに聴くことができる。今回は、甲府でアウトドアSHOPをやっている従兄弟の「エルク」でもLiveをする。エルクが前日。2日間で山梨の5月病にカツを入れる。
また申し込みフォームとか作らなくちゃ。たくさん聴きに来てもらいたいです、ほんと。2,000円で損はさせません。5月のこのLiveは僕と女房が、4月29日のお寺のお祭りのご褒美に二人で開こうなんて話してますので、人の入りの多少に関わらず太っ腹でやります。
最近いい話がないので,自分でいい話を作ります。土曜日ですので、遠くから来ていただくことも、泊りも可能です。
春を越えてこころは初夏のGYRO、って気分の夜。
今日は一日、お祭りのシメなどを切る。来月の西光寺分と、うちの分。春のお祭りの仕度をしながら、春を待つ。法螺貝もそわそわとしている。

2004年2月10日(火)晴れ
寒さの朝は続く。厳寒の時期かも。 今朝もとても寒かった。昼は暖かいのだけれど、朝の寒いのは、歳を重ねてもやっぱり辛い。布団の中で時間を気にせずに過ごしていたい。
同僚のD君はインフルエンザで昨日休んだ。それで、合併の会議の会場がうちが当番だったので、ちょっと遅くまでかかって、午後6時半前に事務室を見たらもう灯りが消えていた。みな早く仕事を終えて帰ったのだ。同僚のTが、「Dさんが休んだから、事務所の電気がはやく消えてるんですよ」とすかさず言った。「ああ、なるほど...」と納得。そういえば土曜日も仕事に来てたもんなぁと。
いろんなインフルエンザが流行っているので気をつけよう。

2004年2月9日(月)晴れ
吉野屋の牛丼。 2月11日で多分在庫が底をつき、「牛丼」の販売を休止すると、なんだか声が震えているような感じで会社の方が喋っていた。諦めにも似たようなうっすらと引きつった笑い顔のようにも見えた。
牛丼は我慢できても、イラクの自衛隊は我慢ならんのが俺。関西学院のワンゲル部の遭難学生を救い出し。自衛隊は株を上げる。自衛隊派遣を容認する支持率がじわっと上昇。小泉・石破笑みこぼれる。葬式に君が代か。
我が家の梅の蕾はまだまだ固い。僕も淡々と動じることなく、僧侶としての反戦運動をこの場所で展開する。

2004年2月8日(日)晴れ
冗談じゃない! (○`ε´○)ぷんぷんだ。
「陸自本隊第1陣、国境越えイラク入り」のニュース。「淡々と任務をこなしていこう、歴史を作る」とのコメント。一体どういうことか?冗談じゃない。何のために、誰のために、この忌まわしい現実を歴史として作ろう(継続しよう)というのか。
まさしく軍隊の行進だ。テロ攻撃に備えているなどと、言うことだけはもっともな風だが、テレビに映っているそれは、いまだかつて僕が現実の影像として見ることのなかった「弓の島」の兵隊の行進である。歴史を作るなどと、自衛隊員にも、この派遣には否定的な隊員だっているだろう。自衛隊がこぞってこれを受け入れているはずではないと思う。
君たちはこれを重く受け入れるべきだ。君らが彼の地で倒れることをこの政府は期待しているのだ。倒れたら、「自衛隊ではダメだ。しっかりとした兵を持つべきだ」の議論にもっていけるからだ。
自由な世界を。

2004年2月7日(土)晴れ
今日は土曜日だが仕事。 ボランティアの集いということで仕事。アメリカに永く暮らす本町に縁のあるOさんが南カリフォルニアでのボランティア活動のことを話してくれた。アメリカではボランティアに費やした時間が税金の控除対象になるのだそうだ。
僕はどうもボランティアとか、愛は地球を救うというのが好きになれないし肌にあわない。こればかりは社協に派遣されていても苦手な部分だ。
教育委員会じゃ、今夜と明日が「文化のつどい」で、秋山さんも僕らの集まりが終わる頃に総合会館に来て、バトンタッチをして僕は帰ってきた。
秋田のIさんから、GYROの大晦日の高田馬場「茶箱sabaco」でのLiveを収めたCD-Rが送られてきた。テーパーIさんに感謝。GYRO益々すごく走っている。強い。明日が日曜日でありがたい。

2004年2月6日(金)晴れ
最後の牛丼。 最後の牛丼などと書かれたらこっちはたまったもんじゃない。仕事を休んででもあのカウンターバーにしがみついて最後のどんぶり一杯を何とかいただきたいものである。
それが悲しい哉、牛丼チェーン店の現実である。今朝の新聞にも、このタイトルが載っていた。「最後の牛丼」。
しかし、すごいタイトルだ。で、もうしばらくすると、帰ってきた牛丼になる。また。。。。。。。。ずらーーーーーーっと、並ぶ。目に浮かぶようだ。

2004年2月5日(木)晴れ
寒空に月冴えてある。 今夜の光明真言は参加者5名。先月末にご主人を亡くされたIさんも来てくれた。先月の集まりにはご主人の病院での話など聞いたが、今回はもう亡き人となってしまった。これが諸行無常の世界。あっさりとした世界だ。
人の生き死になど、事が起こればあっさりとさっぱりと、さっと終わってしまうのだ。だからそのときまでを大事にしたいのである。そのときの来ることを進んで待つこともないし、そのような事の起こりうる可能性のある場所に出向く事なども避けたいものである。
谷村新司のような髭の自衛隊員が大勢イラクの大地を歩き始めた。彼らが銃弾に倒れたとしても、これは覚悟のうえだろうからな。あの迷彩服のどこが兵士と違うというのか。誤って打たれたら仕方がなかったで済まされるのだろうか。自衛隊であるが故の悲劇とでも書き立てるのだろうか?
復興支援に赴いているという彼らに、加護あらんことを。せめてもの祈り。決して天国の扉を叩くことのないように。

2004年2月4日(水)晴れ
渋さ知らズ「自衛隊に入ろう」届く。 「渋星」が出たばかりの渋さ知らズが、満を持してSingleを発表。あの巨匠高田渡の名曲「自衛隊に入ろう」をカバーした。
ムロアヤのボーカルや語りも好い。渋さの連中は、同じ思いを持つ人たちでよかった。右翼のJazz Musicianであったら、...困った。またしても、おまけをいただいてしまって恐縮です。
空が澄んでいて月がきれい。明日の夜は満月。2月の「光明真言」。30日ずつ過ぎる月のなんと早く過ぎ去ってしまうことか、と思ってしまう。

2004年2月3日(火)くもり
節分の朝。 雨は上がり曇り空だ。でもあったかい。梅のつぼみも大きく膨らみ始めるかな。
こんな朝なら早起きができる。夜明けも少しずつ時間が早くなってきた。今日は早く帰って豆まき。雪の残る境内に豆をパーッとまいた年もあったな。
景気回復になるよう、平和になるよう豆をまきたいね。
僕も早期退職干渉の年齢に含まれるんだそうだ。昨日聞いた話。辞められたらそれに越したことはないけど、現実を見たとき、それに踏み切ることはなかなかできないな。
(19:52)豆まきを終えて、最後に残って飲んでいると同志会の諸君が赤鬼青鬼で庫裏に入ってきた。去年も来たのだが、今年も来るとは思っていなかったので、少々対応に困った。女房にご祝儀を用意してもらっている間、一合升から豆を取って鬼に投げたり。まあ、でもよく来てくれて、活動もしてくれている。僕は同志会の一ファンになる。

2004年2月2日(月)
雨である。雪が解ける。 日陰の雪もこれで解けるだろう。屋根の雪止めに残る雪も洗い落とされる。いつもの日より温かいのかな雨の日は。外の水道も凍結しない。
息子は今日から自由登校。何もすることのない彼は、いま(昼)も寝ている。俺もよく寝ていたなぁ。こんな雨の暗い日は寝てるに限る。こんな日は大学にも行かなかったはずだ。
午後から合併の会議。1月の会議を2回とも休んでしまったので、今日は皆に追いつけるかどうか。

2004年2月1日(日)くもり晴れ
改めて書くまでも無く、如月の月。 今朝は寒かった。曇り空でお昼近くにやっと日が射しはじめた。
お墓への道の側溝をきれいにして、雪折れの竹を切って竹林の端で燃す。先日の葬儀のときに施主が置いていった「塩化カルシウム」25キロ4袋を片付け、1袋だけ墓地に残した。それから墓地の一番上までスコップで雪を除ける。何かあったらやはり困るので、自分でできることは手間をかけてやっておこう。そのうち春も来る。
甲府の坂本さん夫婦月参りに来る。今年も一年よろしくお願します。竹を片付けていたら、墓地の道で犬のウンコを踏んじまった。なんか臭い匂いがしてきたので靴の裏を見たら踏んでいた。残雪の上できれいにしてまた作業。犬も寒い中でウンコをしたのだ。ウンコ踏んだくらいでがっくりきてちゃ仕方がない。今月は閏年で29日あるが、年度末の仕事もしっかりとしなくちゃな。

2004年1月31日(土) 晴れ
土曜日の休みはゆっくりと好きな音楽。
一日中音楽を聴きながら、葬儀の後の書き物やなんかしながら過ごす。過去帳へ記し、葬儀の日記もつける。これがなかなか面倒で、「あとでいいや」なんて思っているとうっかりしてしまう。太陽の光で暖まった部屋の中で、デッドやブランフォード・マルサリス、パット・メセニーなんかを脈絡なしに片っ端から聴く。アフロ・ビートも差し込む。今日は寒さがなかった。風も無く穏やかで、1月ももう終わりだ。
節分には少し早いが、節分の札を張り替える。「節分寶牘」「立春摩訶吉祥所」の札を、庫裏の入口、客殿の入口、本堂の脇と正面戸口にそれぞれ一対ずつ貼る。豆まきの夜は今年は息子も誘おう。もう豆まきを家族ですることもなくなるかもしれない。今夜は娘の15歳の誕生日をする。僕は飲みながら子ども等の平和な幸せを祈るだけだ。

2004年1月30日(金) 晴れ
娘の誕生日。
髪の毛ぼさぼさで寝ぼけ眼で布団から抜け出てきて、居間の石油ストーブの前にしばらく放心状態でじっと座る娘に、「誕生日だな」、「うん」という会話をする。15歳になった。高校受験間近である。
息子も3月生まれと早生まれの子どもたちなので、のんびりとしたところがあるのか、息子も何もすることがなくても車の免許を取りに行くことも適わない。ちょっと損をしているか。
兄が大学に行ってしまうと、妹は少しさびしくなるかもしれないが、また新しい高校生活が始まればいろんな友達ができて、自分の新たな世界を作り上げていくだろうと期待している。皆好きなように自分の行きたい(生きたい)道をゆけばいい。できる限り応援してあげようと思う。
誕生日は明日の土曜の夜にするのだと女房が言う。一本余計に飲めることを僕は密かに期待している。

2004年1月29日(木) 晴れ
ポカポカ陽気で、一月も終わりに近づく。
今日は何日かぶりのいい天気で、気温もぐっと上昇。春を感じさせる一日。
身近なところに足踏みをしていたら、陸自も派遣されてしまった。鳥インフルエンザの恐怖が深刻に語られている。イラク派遣の自衛隊と、牛肉と鶏肉と学歴詐称が同じレベルで語られている。どれも皆深刻である。
イラク派遣に関しては、自民党のタカ派元議員からも反対の声があがり、自衛隊の取扱いに関しての思いはまちまちだろうが、「今の自衛隊は他国に行ってはいけない」(自衛隊法に違反している)ということのようだ。牛丼の代わりに焼き鳥丼をメニューに考えていたチェーン店では、またしても鳥にメニューを蹴られたという。
益々世の中が暗く深刻になってくる。春が来るというのにこのままでは困るだろう。解決の糸口なんぞどこにもないのかもしれないが。

2004年1月28日(水) 晴れ
久しぶりの勤めのような感。
月・火と檀家の葬儀のために休んだので久しぶりの勤めのよう。今月は二度の葬儀で休みもたくさんとらなければならなかった。
でも何とかなっているのだから、これでいいのだろう。
昨日の葬儀の喪主は早速、社協への寄付を持ってきてくれた。葬儀が終わってもゆっくり休んでもいられない。片付けてしまわなければならないことがたくさんある。葬儀のあったことを知らなかったなんて人が弔問にもくる。
49日があり、新盆があり、おそらく年内に一周忌も済ませねばならないだろう。日程調整や連絡などに日々を費やしていれば、慌ただしく一年は終わってしまうかもしれない。これが生きている者の務めか。
僕は女房と昨日のうちに、客殿に障子戸を入れ、すべてを元のとおりに戻し、明日に持ち越さないように片付けた。寺は静かにまた冷えを溜め込んださびしいような建物になった。

2004年1月26日(月) 晴れ
冷え込み強く通夜に鼻水。
通夜の読経の途中で鼻水が垂れてきて困った。あいにくハンカチを袂に入れ忘れていて、途中で一度指で拭い、後は天に任せた。
やはり寒い季節で日没も早いので、午後6時の通夜への焼香客の出は早い。僕は施主の希望を聞き、5時45分から読経に入り、6時45分に終了。ほぼ良かったのではないか。
先日のK家と違って、永く病んでいた故人であるから、家族や親族に号泣するような場面はなく、時折すすり泣きが聞こえる程度。皆がこの日を待っていたわけではないけれど、この日の近いことを承知して覚悟できていたということ。
杖を突きながらお不動さん参りを毎日のこととしていた故人の姿が思い出される。誰もが避けて通ることができないことではあるけれど、この村から人が一人減るということの大きな損失みたいなものが辛い気持ちになってくる。
明日いい葬式になるようもう一日がんばろう。

2004年1月25日(日) 晴れ
相模原とんぼ返り。
息子のアパート探しに今朝はクルマで出かけた。10時過ぎに小田急相模原の不動産屋に着き昨日FAXしてもらっていた物件をあたる。
もう息子は昨日のうちからこの部屋にしたかったらしく、この一部屋のみを見て決める。3階で少し見晴らしがいい。前回のものよりこちらのほうが少々お値段も高いが、場所も環境も軒寄せ合っているような状態でなく僕も気に入る。
夜不動産屋から電話があり、ほぼOKということとの報せあり、ほっとする。
12時を回って帰途に着き、どこかで昼飯をというときに娘の携帯で隣りのSさんから電話。檀家のIさんが11時過ぎに亡くなったので、できるだけ早く帰ってきて欲しいと。コンビニでおにぎりやサンドイッチを買い込み、急ぎ車を飛ばす。午後3時半前に帰宅。すぐに衣に着替えて枕経をあげに行く。
明日の通夜で、あさっての葬儀となる。枕経の後、職場に行き少し仕事して戻る。今夜は運転疲れで何もする気起こらず。明日また早くから考えたり悩んだりしながら、いい葬式になるよう努めよう。

2004年1月24日(土) 晴れ
徹夜麻雀。
息子は夕べ夜遅くに今夜は友達のところに泊るからといってきた。”テツマン”だということらしかった。奴の同級生の借りているアパートに年に何度か泊ってくることがあった。
今日は娘のメガネを新しくつくるのに付き合い3人で出かけた。1時間ほどかかってやっと、気に入ったフレームに落ち着き、12時過ぎに無事メガネできあがる。昼飯は近くの回転寿司。新聞の折り込み広告持参で、お一人様200円の割引。
午後3時過ぎに携帯で連絡をとり息子を迎えに行く。友達のアパートからよれよれになった格好の奴が出てくる。時代や姿格好はだいぶ違うが、彼の髪以上に僕の髪は長く、30年前僕もしょっちゅう、今は亡き義人君の家の印刷所の横の小さな4畳半の間で、徹夜麻雀と酒に明け暮れていた。「仲良しクラブ」のメンバー7〜8人が泊り、学園祭の時には、3日間義人の家から朝飯をご馳走になって出かけていたのだった。
「あー、30年前の俺に似た俺の血をしかたなく受け継いでしまった因果な男がここにも居るな」と、彼が車に向かって歩いてくる姿を見ながら思った。

2004年1月23日(金) 晴れ
デッドを聴きながら...。
アメリカは世界を必要としているが、世界はアメリカを必要としていないという人(夕べのことでもう忘れてしまったのだが)の話を聞いた。
今夜花の金曜の夜を、グレイトフル・デッドを聴きながら、デッドは永遠で、ジェリ―・ガルシアの魂はこの現を離れたけれども、僕が憧れて彼らのように生きたいと思っている気持ちはずっと継続している。
僕はグレイトフル・デッドや多くのアメリカのミュージシャンから自由を渇望することの大切さを学び、今もって彼らの音楽を日々の糧として寺守として在る。僕はアメリカという国を代表する男の意志など必要としないが、あの大きな大陸に吹くだろう風に吹かれたいという思いは、今も懐の片隅に大きな位置を占め、グレイトフル・デッドを必要としている。

2004年1月22日(木) 晴れ
寒中雑感。
「戦争を容認する平和はない」と、創価学会の有志が公明党に申し入れをしたらしい。小学校や中学校のときにこんなことを思った。右から左に自民党・民社党・公明党・社会党・共産党が位置するのだと。今存在する党は、右と真中と左だ。新年に入り、共産党も自衛隊や天皇制を事実上認める新綱領を党大会で採択した。
自衛隊のイラク派遣の世論は、若干反対意見が多いようだが、なんでもかんでもソフト路線に転換するのではかなわない。これだけは駄目よという確固たる姿勢や、これだけは絶対に譲れないのよという本質だけは貫かなければいけないのだと考える。旭川の町では、派遣隊員の無事を祈る黄色いハンカチや黄色いリボンを付ける市民運動が始まったという。行ってしまったものは仕方がないじゃないかという発想なのだろうか。無事を祈る思いのリボンよりも、僕は「戦地に送り込むことに反対」の個々の意思を明らかにするリボンを付けたいと思う。
今朝は夕べのテレビでも「冷え込みが厳しい朝になりそうです、水道管の凍結や破裂にも十分に注意を」と言っていたので、お勤めのあと、外の水道と便所を見に行ってきた。水道は凍っていたが便所の水は流れてタンクにもまた水が送り込まれたので安心した。だが、便器にウンコがいかにも固くこびりついていたのを見たら、そのまま去ることができなくて、ブラシでゴシゴシと5分ほど格闘して、きれいに仕上げた。外の便所には電気がないので、凍結しないようにタンクに送る水を流せるようにしてあるのだ。
駐車場に車を停めてお昼を食べる電気工事とか建設作業員が結構いるので、気持ちよく使えるトイレにしておきたいと努めている。汚ければ汚く使われてしまうし、きれいにしておけばきれいに使ってくれる。今朝は僕も心を磨かせていただいた。

2004年1月21日(水) くもり
寒い。また雪になるかもしれない。
昼休み当番で午後1時過ぎにお昼ご飯に帰ってきたら、国会中継。民主党の菅代表が質問に立っていた。ささっと食べてしまったので長くは見ていないが、あんなものが国会なのだという思いだ。
彼らは自民党をやっつけるだけのために、イラクへの自衛隊派遣に反対しているのか?しらけきった表情の小泉や石破の顔も映る。
寒く曇り空になってきた。また雪になるかもしれない。国会議事堂の中はきっと眠気をもよおすほどに暖房が効いているのだろう。

2004年1月20日(火) 晴れ
戦後の終わり。
夕べの筑紫哲也の多事総論のタイトルは、「戦後の終わり」。まさにその感が強い。彼の国に生きる人たちの何人が、自衛隊の姿格好や装備を見て、「軍隊ではない」「兵士とは違う」と理解できるだろう。
このことを好む異常性格のような人たちに牛耳られて、次々とこのことが崩されていく。「負の歴史を繰り返してはならない」思いは一体どこに追いやられていくのだろう。戦後という言葉がやがて死語になってしまう季節がくるのか。俺たちの命はとぼれても、俺たちがつないでいく「いのち」のことを思わずにはいられない。
今日は暖かくなりそうだ。

2004年1月19日(月) くもり
雪のち小雨、曇り時々晴れ間。
というような天気。やっぱり昨日の午後の予感が当たった。起きたら一面がまたしても真っ白。この時期が雪の降る時季だな。この辺りじゃ。
職場に着いて先ず道を開ける。三々五々出勤してくる同僚たちも雪かきを始める。土日とボイラーを停めてしまうと、月曜の朝はボイラーが点火してもなかなか温度が上がらない。デイサービスの浴槽の水温もなかなか上がらない。
朝来てもなぁ、雪だから少々早く出て、車も意外と順調に職場に着いて、ゆっくりとお茶飲んで喋ってるんなら、発車する前の車の「フロントの雪ぐらい落としたらどうだ」と、言いたかないが、今朝は言ってやった。何のために雪の今朝早く着いたんだ。言われなきゃやらんというのではダメだ。苦言だが、「だからお前を誰も押し上げてやろうとしてくれないんだよ」。

2004年1月18日(日) 晴れ
また曇り空になってきた。なにやら嫌な予感。
お昼過ぎまではだいぶ天候も良くて、雪もほとんど消えてしまったが、午後3時過ぎくらいからまた薄曇の空になってきて、雪が舞ってきてもおかしくないような天候になってきた。
寒いのは嫌だ。今朝も雪かきをしながら墓地の方へ上がっていくと、夜になって降った雪が重たかったのかだいぶ竹が折れていた。この光景はいつの雪の後にも僕を悩ませる。うんざりだ。それでも一番上の墓地までの道を開け、朝から汗をかいてビールでも欲しいような気分だった。
午後3時頃にお不動さんへのお参りの客があるというので用意していたら、お昼過ぎに断りの電話。まあこっちもそのほうが楽。
牛丼屋から牛丼のメニューがとりあえずお休みになるようである。牛丼屋が牛丼出さずに何を出すのかと思うと、なんだか哀れになってくる。牛丼もハンバーガーも遠い街のことなので、日常困ることはないが、なんだか無性に喰いたくなってくるから不思議だ。「喰っておけばよかった」なんて気分にさえなってくる。ちなみに家の昼飯は、ラーメンだった。

2004年1月17日(土)
初雪。石油ストーブで丸くなる。
天気予報が当たった。初雪だ。さらりとした細かな粒の雪だ。これなら竹も折れないだろう。夜明けから降り始めて、もう5センチくらいは積もっているだろうか。今10時38分。
先週の土曜日は葬儀だったから、今日の雪はこれでよかったのかもしれない。石油ストーブがあったかくて、それを背にMiles Davis Quintetの1967/07/26のLiveを聴いている。Miles Davis (tpt); Wayne Shorter (ss, ts); Chick Corea (el-p); Dave Holland (b, el-b); Jack DeJohnette (d)
「こころをきれいに保ちなさい」と雪が降っている。「平和であることを思いなさい」と雪が教えてくれている。雪を眺めながら、マイルスを聴きながら、僕はこんなことを思っている。

2004年1月16日(金) くもり
明日は雪になるかもしれない。
でも明日は休みだもんねと、チューバ高岡君の日記を読みながら女房と話していたところです。
雪になるのはこの時季では別におかしいことでもなく、降っても当たり前。
でもたくさん積もっては困ります。ほどほどに願います。あまりたくさん降ると、思いもよらず飲んでしまいます。
炬燵のなかで丸まります。

2004年1月15日(木) 晴れ
遊び呆けている。
ダウンロードサイトからジャムバンドのたくさんの音源を落としては、CD-Rに焼いている。こんなにも豊富に音源があるのだとは知らなんだ。奥が深い。まだインターネットの入口だ。
デッドや、その周辺の音楽シーンなどが特に多い。金銭を伴わずに、CD-Rを送って焼いてもらうだけのこともできる。送りと返信用の送料と、空のCD-Rを送ってコピーしてもらうことができる。やがて音楽なんてものは、店で売っているものなんかちゃんちゃら可笑しくて、馬鹿らしくて買ってられなくなる。Live音源のほうがはるかに面白いことは目に見えている。
チューバの高岡君も言っていたけれど、Recordingしてしまえば、できあがったCDはもう過去の作品になってしまうし、音楽も貴重な一回性に賭けているようなところがあるのかもな。いけ花作家中川幸夫の作品もまさにそうで、高岡君が来たときも大いに中川の作品や彼の生き方で盛り上がってしまった。

2004年1月14日(水) 晴れ
なんだか気持ちは下り気味で。
葬式を終えてから、楽しいこともあったのだが、なんだか楽しいことが去ると気持ちは下り気味で、僕にも相当に重い葬式だった。
日増しに寒さが厳しくなり、日暮れは少し遅くなってきたが、朝が遅くてなかなか布団から抜け出せない。いつも休みが早く来ればいいなんてことばかりを思う。
高岡君が遊びに来て、渋さ知らズの新しいアルバム「渋星」を聴かせてもらったが、サン・ラと一緒にやっていて、これもまた相当にいい。GYROの5月も楽しみにできるな。今日はまだ正月の14日なのだから、本来なら小正月で、まだ気分は正月でいいんじゃねぇのと今夜は考えている。
まだ今年に入ってから役場に一度も行ってなくて、それでも何とか仕事になっているんだなぁと、今日はなんだか嬉しいような気分でそのことをふと思った。気分は重くなったり、軽くなったりだ。

2004年1月11日(日) 晴れ
獅子舞もあり、天気よくのんびりと小正月。
葬儀の後片付けをし、客殿を元に戻す。障子を入れて閉めたら、昨日も何もなかったかのような畳の間に戻った。諸行無常というものか。
獅子も昼頃にやってきた。OBの何人かが少数の会員たちを助けんと、法被を着て手伝っていた。これが同志会ですよ、ホントに。よかったよかった。暖かい日なので、彼らの酒もまわりがいいだろう。たくさん飲みながら小正月のむらを回ってくればいい。
正月の写真をinfoseekにアップしましたので、上の正月写真をクリックしてご覧ください。

2004年1月10日(土) 晴れ
貼れても曇っても葬儀は葬儀。
お陰様で天候に恵まれてその点は良い葬儀だった。
疲れた。こんなに泣き崩れられた葬儀をするのは初めてだったので、いささかこちらも疲れた。
こちら以上に当事者はもっと疲れているだろう。今宵はこれにて。

2004年1月9日(金) 晴れ
風が冷たく刈った頭を風が切る。
当家は涙なみだで、大洪水になりそう。通夜を済ませ、明日読む諷誦文も書き終えた。
明日は8時20分に迎えが来て当家に行き出棺。9時火葬。火葬終わり次第寺に戻り、午後1時から告別式。
月も冴え、夜も冷たく透きとおっている。明日また一日がんばろう。いい葬儀をしたい。葬式坊主になれるほど葬儀がないので、葬儀はいつでも厳かに僕は真剣に臨む。こんなときはこれでよかったと思うのだ。

2004年1月8日(木) 晴れ
今朝もサムイゾ。
カタカナで喋りたくなるくらい冷え込む日が続く。でも今朝はもう遠くの山影に太陽の光が見えている。
暖かくなればまた夜が寒い。夕べも月が冴えていた。
同志会の諸君の獅子舞の練習に2晩付き合っている。夕べは9時過ぎに帰ってきてそのまま家に帰らずに11時過ぎまで。彼らは飲んで喋っていた後、11時前からおもむろに獅子頭をかぶり始め、針が12時を回ってからもまだ電気がついていた。
11時過ぎに急いで帰り、久しぶりにFM放送を聞く。ライブビートで渋さ知らズをバックに冠二郎がド!演歌を歌うという企画。すごい!!おもしろい!!来週も放送があるのだという。12日に高岡君が来る予定になっているので、話の種になるかもしれない。
(19:00)※葬儀になった。土曜日に父親の33回忌をする予定の兄弟がいて、その兄弟の一人が今朝亡くなってしまったのだ。
法事は取りやめになり、代わって兄弟の葬儀を営むことになった。気丈に奥さんや子供たちもしているが、突然のことできっと夢を見ているような状態のなかで動いているのかもしれない。
元気のいい末弟も今日は静かだ。兄弟をまとめる長兄は、僕に電話をしてきたり、打ち合わせにきたりと、泣きたい気持ちを走ることで紛らわせているようだ。法事のあと飲もうなと言っていたのにこんなことになった。僕もこの勢いよく飲むこの人たちと飲むことを密かに楽しみにしていたのだ。
あさっての葬儀のために、僕は僕に与えられた仕事を淡々とこなす。戒名を付け、送別の言葉を書く。今日は風の強い日だった。北の国は吹雪だそうだ。2月に55歳になる、今が働き盛りの屈強な男の人だったのに。厳しい。

2004年1月7日(水) 晴れ
七草粥。
正月の暴飲暴食で疲れきった体を癒すには、胃にやさしいお粥がいい。こんな風にして正月からもとの日常に戻るために先人達は七草粥を食べてきた。(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、仏ノ座、スズナ、スズシロ)「春の七草」。
これらの草には漢方にも価するような効果があるのかもしれない。我が家でも七草まではいかないが、大根の葉などが入った粥が供された。粥を食べると、京都醍醐寺での生活がいつも思い出される。一椀の粥をすすり、アサリの味噌汁がわが家の朝食であった。この日を心がけてくれている女房にも感謝しながら今朝の粥はいただく。
夫婦であっても、子であっても、互いに家族には感謝をしなければいけないなと思う。
夕べの「初光明真言」は僕を入れて6人。まあこんなもの。「ここに来るとお大師様と一緒になれるような気がして、気分が晴れて心が落ち着く。」と話してくれた方もいた。同行二人の気持ちで、信仰の道を進みたい。

2004年1月6日(火) 晴れ
今日はあたたかな日。
職場も今朝は少し床暖房の効果があらわれていて温かかった。お昼もあったかい。風もない。
今夜は初「光明真言」。午後7時半から始まるので、適当に仕事を切り上げなければならない。息子も今日からまた学校が始まった。娘は休暇中だが、今日から塾の模擬試験があるらしく、早昼飯を食って出かけたらしい。
家族それぞれの新しい一年が動き出した。

2004年1月5日(月) 晴れ
気持ちを入れ替えて。
さあ、気持ちを入れ替えて新年の仕事始め。二日酔いもなくすこぶる快適に起床。
薄明のお堂で勤行も済ます。また始まる。
(19:53)体が仕事に馴染まないのと、長期の休みだったために建物がすっかり冷たく凍えてしまっていて、昨日床暖房をセットしておいたにもかかわらず、ほとんど効果なしで履物を使わない職場は足元が冷たくて冷たくて、全く仕事する気持ちに切り替えられなかったので早く帰ってきた。
深夜電力を使っての床暖房が、いつまでも温かくて、日の差し込む日中は何とか冷やせないのかなんて思うことがあるのだけれど、冬期の長期休暇の明けは、前日なんかじゃ間に合わない、いい経験になった。
ヘルパーもデイサービスも仕事始めの火なんてのんびりしていられなくて、もう通常営業なので午後4時半から仕事始めの集まりをする。会長が(景気回復の意味でといいながら)ケーキを差し入れてくれて年始め。
が、新年早々「今月いっぱいで辞めたい」なんて言い出す職員も居たりと、波乱の幕開けだわい!

2004年1月4日(日) 晴れ
明日からはまた仕事再開。
8時過ぎに家を出て本栖湖から富士ヶ嶺に。本栖は朝霧に覆われていて富士山は望めなかった。その代わり本栖に上がる中之倉の峠から遠方に南アルプスの雪をいただいた景色を遥かに見ることができた。
遠藤さんの家は寒かった。寒かったが赤ちゃんは素足でも全く平気な顔をして過ごしていた。僕にも靴下などに縁のない時代はあったのだ。
そういえば今朝は忙しく、けんちん汁に冷や飯をいれて雑炊にして食べながら、NHKの朝のニュースで80歳を過ぎた現役の助産師を取り上げていた。命の不思議はこんな身近なところから次の世代に教えていくことかもしれないと感じた。
富士ケ嶺から市川大門に出て甲府を回り、職場へ寄って明日の朝のためにボイラーと床暖房をセットして、八日市場の檀家を回る。留守の家2軒。消防団は今日出初めで、僕も留守になるので火伏を先に届けた。午後1時過ぎに家によりチャーハンを作って食べ、飯富から後山に。後山もさぶい所。2軒3人が住む。帰省の子ども等も皆今日の昼前に戻っていったのだという。人間が3人と、猫が1匹、犬が1匹、乳牛が何頭か暮らす。回りには数え切れないほどの猿が群れ、猪も機を伺っているのだ。3人が一人でも欠けたら、後山(うしろやま)は無くなるかもしれないと思いながら帰ってきた。夏は気持ちのいいところだけど、さすがに冬は寒い。生きるには過酷な場所といえるだろう。人が過密に軒をぶつけ合いながら暮らす場所があって、いくらでも住む空間があるのに誰もが寄り付かない場所もある。僕の寺のある場所はどんな風に変化していくのだろう。先ず僕の息子がここをとりあえず離れていく。

2004年1月3日(土) 晴れ
正月ももう終わりになる。
明日は新年のお札配りだ。これで正月も終わり。
暮れに忙しかった分だけ、年明けから飲みつづけ。さすがに今日は一日疲れ果ててテレビで過ごしてしまった。女房と子どもたちは、義兄の家に泊りに出かける。
穏やかな正月で、何でこんなに正月ってのはいつも決まって天候が安定しているのかと不思議なくらいだ。そうか、でも去年は正月に雪が降ったんだっけ。
昨日の朝は京都帰りのS子さん一行が立ち寄り、半日過ごして慌ただしくまた帰っていった。そして今日は郵便で「月刊不破大輔DVD」が届けられた。今夜はこれでお楽しみだ。