徒然に戻る

『徒然日誌』 2004年7月から12月

2004年12月31日Fridayくもり
大つごもり。もうすぐ雪になる。朝9時。
昨日一日晴れて、大晦日の今朝はまた曇り空。もう間もなくこの辺りも雪が舞ってきそうだ。
そんな僕の部屋にたった今、沖縄から「さーたーあんだぎー」が届いた。以前GYROの沼君関係の音源を何枚かコピーしてあげた津嘉山さんから、「惣菜屋で働く叔母が今日作りました」「元日には届くでしょう」とのメールをいただいていたが、もう今朝到着。
10時のお茶にいただこう。寒い山梨に暖かい沖縄のお菓子が届いた。ありがとう。
大きな災害の犠牲者は想像を絶するような人数になる。嫌な事件が一つ解決した。犯人は捕まっても失われた幼い“いのち”は帰ってはこない。このような事件が続発しない来年を祈りたい。いたわりと敬いの心を起こせ。これが諸行無常の世の慣わしですと片付けてしまうには余りにも悲しすぎる。よい年になれ。(また夜にでも)
(15:55) やっと雪がやみました。こんなに積もるとは思いませんでした。大変大変。町道から参道、山門から石段、石畳を本堂まで女房と人ひとり歩ける分だけ雪かき。「疲れて夜まで身体もたんかも知れんな」と笑いました。でももうおしまい。ゆっくりと静かな時間にします。今年の徒然もこれでおしまい。
読者の皆さん一年つまらんこのページを飽きもせずに見てくれてありがとう。皆様によい一年が訪れますよう、今夜精一杯年越しの護摩を焚きます。では。 雪の大聖寺少しアップしてみました。

2004年12月29日Wednesdayくもり
午後3時過ぎ、陽がでてきた。
朝方からの雪は昼過ぎまで続いたが積もることもなく、今になって天候が回復してくるのか陽が射しはじめた。でも今日は寒い。
朝8時に息子が帰ってきた。夕べ高校の同級生の家に13人で泊まったのだそうで、朝食の迷惑などかけないように早々に退散してきたのだろう。
寒いので部屋にこもってお札を書いたり、塔婆を書いたり、シメを切ったり。結構はかどるものである。
宅配の顔見知りのTさんが訪ねてきて、社協宛のの封書を置いていった。なんでも「役場の日直に受け取りを断られた」とかで、雨の中を少々落胆したような表情で語るので、役場に電話をしたら後輩のAであった。問うと「引継ぎを受けていないから」とか「急用の書類だったらどうする」とか「俺には届けられないから」とか。まあ何とも情けないくらいに事務的で、こちらも怒る気もなくなって「ああ、俺が悪かった」と切った。
この御仁、最近少々同僚たちからも変わり者扱いされている噂を聞いていたが、成る程なかなかに難しい人間に変わり果てた。Aが電話に出たときに、「あ、こりゃダメだ」と思ってしまっていたが、一応訪ねた。配達物を眺めてみりゃ、年明けに仕事が始まってから届けてくれても十分な代物である。ちなみに「社協のものでなく、すこやかセンターの福祉課宛の配達物であっても受け取らんか?」と聞いたが、やはり受け取らないときた。「宿日直にこう処理をするようにとか、伝達事項で流してくれなきゃこちらは責任もてませんので」とかなんとか。
なんだか、仲間内もちょっとした気遣いで気持ちがよかったりしたが、こういった奴らも出てきたんだなと、少々後味の悪い日となった。

2004年12月28日Tuesday晴れ
最悪なニュースばかり、うんざり。御用納め。
インド洋津波の犠牲者は11カ国ですでに23,000人を超えたという。地元の人よりも外国人の犠牲者が圧倒的に多いのが特徴である。
それだけこれらの地域が、世界的な保養地であったことを物語っている。海抜の低さも以前から危惧されていたのだから、天災の怖さはきてみないとわからないというか、津波も見えないうちは非難しようという気持ちにならないのか。
とうとう、一年中嫌なことばかりで終わりそうだ。ドン・キホーテの連鎖放火は続いているし、暮れにきて子殺し親殺しも多発している。
「ローソン」が年明けに24時間営業の見直しを検討するという記事は、なんだかほっとするような気分になる。深夜の溜まり場になって批判が多いらしい。そりゃそうだ、何も24時間営業していなくても僕の住む田舎じゃ、セブン・イレブン営業で十分である。
定時の5時15分にタイムカードを押して帰ってから、護摩札を書いていたらちっとも晩飯に呼びにこない。6時40分を超えたので筆を置いて台所に行ったら皆飯を食っていた。「捜してもいないので食べ始めた」のだと。「きっとどこかに飲みに行ったんだと思っていた」と。お陰でこっちはお札書きがはかどった。
秀ちゃんのお兄さん、で、ゆっくりと飲んでしまいました。「これ、旨いよ」といただいた谷桜の純米酒、正月までとっておけずに、お仕事ご苦労さんと、一人酒してしまいました。コップ4杯いただいたらすっかり酔いました。できれば明日の朝はゆっくり寝ていたいです。

2004年12月26日Sunday晴れ
今年最後の日曜日。
昨日の葬儀を終えて今日はちょっとゆっくり寝かせてもらおうと思っていたけれども、午前中に今月頭に亡くなったEさんのご主人が四十九日忌の相談に来るということだったので、(娘も相変わらずテニスの練習に早く出かけたので)7時過ぎには起きてしまう。
待ちながら外の掃除をする。掃き掃除はこれで良しだ。キリガナイのでどこかでピリオドを打つ。一つひとつ僕や女房の中できりをつけていく。やりつづけたらエンドレスで寺の仕事はありそうだ。
2人で夕飯後に話す。「もういい加減にしようではないか」。去年も同じことを話した。二人で決めればそれが、いい加減だ。

2004年12月24日Friday晴れ
イブの通夜というのも初めてだ。
まあ仏教徒だし、おまけに僧侶なんだからクリスマスなんて関係ないけど、テレビなんかで「イブの夜のご予定は?」とか見ると、何故か気持ちはやはり高揚してくるものがある。
そうそう、アメリカじゃ7割とか8割がキリスト教徒なのに、クリスマスを前面に出すことに世論の意見が分かれているらしい。クリスマス休暇の名称を使わないようにとか、通学バスの中できよしこの夜を流さなかったり、役所でもツリーを飾ることを取りやめたりということがあるらしい。
この国はどうだ。まさに闇鍋状態の何でもありだ。でもこれが「うちら陽気なかしまし娘」みたいな、平和な国民性を醸し出しているのだろうな。
今夜の通夜は少々嫌な思いをした。このホールがまだオープンして一週間くらいで、まだ3件目らしいのだ。通夜の読経の最中後ろでガサガサと紙のすれる音が途切れずに、おまけに時々話し声までする。焼香に来た人たちではないだろうし、親族でもないとしたら、ホールのスタッフかなどと、経を読みつつも気になって仕方なかった。後ろを振り向いて「うるせぇ!」って怒鳴りたい気分だった。終わってから控え室に戻り、「なんであんなにうるさかったのだ」とスタッフを問いただした。どうも通夜に来てくれた人への引き物を紙袋で手渡していた音だったらしい。ホールの間取りなどで会葬者の順路なんかが影響しているのだろうけど、焼香台のすぐ後ろで会葬者への引き物を手渡されてたんじゃ、ちょっとたまらないわな。明日の朝もう一度よく確かめてみよう。でも、何度かホール葬も経験しているけど、こんなにうるさかったのは初めてだよ。

2004年12月23日Thursday晴れ
増穂:明王寺冬至祭りへ今から。
天気のよい祝日です。これから増穂の明王寺へ冬至祭のお手伝い。今年最後の修験です。
朝からお札を書いて、良い具合にはかどりました。ジョー・ザビヌル・シンジケートを聴きながらが良かったのかもしれません。
飲まなきゃ早く帰るし、飲んだら代行車ってところでしょうか。行ってきます。
少し寺の宣伝もしとかなきゃな。来年は酉歳です。酉歳の守り本尊は不動明王です。ぜひ祈
願のお札は、重文の不動明王のお力をいただける大聖寺へお申込みくださいませここから
(23:00) 今日もまた後が大変。別に飲んで車を運転して捕まったのではありませんが。気になっていた檀家の方が亡くなった。おそらく年を越しても1月には無理だろうと思っていたが、今日の午後亡くなった。明王寺のお祭りが終わり、アホな僕は、すぐさま「代行で帰りますから」と、じっくり飲酒モードに入ろうとして、先ずは一杯のビールを一口飲んだところで電話。仏さんはまだ今から家に帰るとの事であったが、僕の飲み会はこれにておしまい。明日の通夜で明後日の葬儀となった。明日の午後は休まなければならない。ホール葬なので、さほど寺で準備することもないが、やはり、「やっぱり、坊さんは公務員に雇いたくネェな」って、そんな言葉が遠くから聞こえてきそうな気がしている。

2004年12月22日Wednesday晴れ
少なからずこんなことをいつも反省しながら生きていくのが人間なのだろうな。
夕べの宿直で一番遅い時間に帰った職員は午後10時近くだった。財政課の職員が皆遅くまで仕事をしていた。夕べは本当に飲まなかったので、今朝はすっきりとさっぱりと目覚めもよかった。届いたばかりの「ミュージック・マガジン」1月号の恒例の特集「ベスト・アルバム2004」に目を通し、「被差別部落のわが半生/山下力」を半分ほど読む。最近欲しい本はセブン−イレブンを利用しているが、何日もあくびが出るほど待つこともなく最寄の店に届くので快適である。小さな書店ではこんなことは望めないし、細々と店を続ける本屋さんへの思いもあるが、この快適サービスはやめられない感じだなぁ。
僕は、部落差別に関する本を一年に一冊は読むな。僕の中にゴロゴロとしている様々な差別意識への自発的警鐘とでも言うようなものかもしれないのだが。完璧な人がいないのと同じように、部落差別ばかりでなく、あらゆる弱者への差別を無意識のうちにしてしまうときはある。許されることでないことはわかっているが、それを振り返って反省する自分を持ちつづけることだけは忘れないでいようと思うのだ。

2004年12月21日Tuesday晴れ
とても暖かい。
今年は殺虫剤なんかがまだ売れているのだそうだ。暖冬で冬物が売れないらしい。
暖かな昼である。こんな日はもう職場に戻りたくない気分になる。もう年末の雰囲気がしているので、余り仕事のことも真剣に考えたくない。こっちは、「お札を書かなきゃな」なんてことばかりがチクチクと胸を刺す。
今夜は今年最後の宿直なので夜は何もできないので、本やCDを持ち込んでのんびりと過ごす。どうやら相棒は飲まないK君のようなので、僕も今夜は休肝日とするか。
(16:45) 早々と僕は冬至の柚子の風呂をいただいて、これから夜長の宿直に向かうのです。

2004年12月20日Mondayくもり
夕べは久しぶりに少し雨が降ったようである。
雨が降ったせいなのか、いつもより夜の白むのが遅かったような気がした。
境内も駐車場も濡れていた。乾いた日が続いていたので、この夜半の雨は生活するものにとっても風邪除けにもなったかもしれない。
明日が冬至ということだが、帰りがけに秋山さんからたくさんの柚子を貰った。明日といわずこれから入るお風呂に柚子を入れる。柚子の香りが部屋に満ちている。柚子の砂糖漬けは焼酎のいいつまみになる。

2004年12月19日Sunday晴れ
久しぶりにお出かけなんぞをして。
午前中墓地周辺の掃除をしてお昼を食べがてら娘と3人で出かける。「直治朗」でとんかつを食べる。ここのは美味い。
本屋に行っても特別にほしいものもなく、百円ショップで正月飾りをほんとに百円で買う。注連なんかもここで買ったほうがずっときれいで安い。百円ショップにはなんだか楽しいものがいつも待っていてくれるような気がする。
ブック・オフでCD3枚。ここもなんとも面白いところだが、従業員の必要以上なトークにはうんざり。面白いって言うのは、CDの値段というか、そのCDのもつ価値とでも言うところか。大体において少々高めだが、僕なんかの目でこれはという掘り出し物があったりする。でもこれについては安いのである。中古CD屋で多分3,000円位つくであろうというようなものが、1,500円位であったりする。とても欲しかった「ジョン・スコフィールド/ウーバージャム」に「ザップ・ママ/ア・マ・ゾーン」「四人囃子/Dance」。ジョン・スコはラッキーでしたね。アマゾンで外盤買おうかなんていつも考えていたんだけど、ボーナストラック入りの日本盤が格安でとてもラッキー。
去年の1月8日にご主人を亡くされた新しい檀家から電話で、一周忌の件。1月7日の金曜日ということで一昨日承っていたが、正月の2日にして欲しいと。ウーンなんともこちらも断りがたくて、引き受けた。7日に仕事休むより2日の方が僕的にはありがたい。施主がそれでしたいというなら僕には断る理由もないし、あとは招待された方々の反応がちょっと気になるところなんですけど。正月は歳が明けたらあっという間に終わってしまうような予感だな。

2004年12月17日Friday晴れ
ブログに朝ちょっと書いたら、もう今日の僕には他に書く材料がない。
伝えられるニュースも暗いものばかりで、金太郎飴のようにどこの日付を開いても同じようなニュースばかりではなかったか。
「オレオレ詐欺」が「振り込め詐欺」に呼び名を変えても、相変わらずずるがしこい奴らは次の手立てを考えているのだ。高校生までがそれを真似てまんまと金をせしめる。でも「振り込め詐欺」っていう名称もなんだかなぁ。
本当に一年中同じニュースばかりだった。イラク、災害、詐欺、少年犯罪。頭の事件の少年が本退院となるという。殺された少女の母親は2通目の手紙を読み進む途中で自然に涙がこぼれたと語った。生まれも育ち方も皆同じではない。当たり前の人格が形成されていくのに遠回りをしたりする場合は多々あると思う。そんな風に思うしかないのだろう。
でも彼一人が悪いのでないことだけは、そうであるような気がしている。あらゆる事件に関してそうだと思う。なぜそういう気持ちになるのか説明できないが、人は人の痛みをわかってあげたり、考えてあげたりしながら共存していくものではないかなと思うから、かな。

2004年12月16日Thursday晴れ
浜田真理子。
SO FAR SONGSというコンピレーション・アルバムの中に彼女の歌う「港の見える丘」という古い歌謡曲が1曲収められていた。とても切なくて一回で気に入ってしまい何度も何度も聞いていた。その後、彼女のアルバムを何枚か買った。彼女は今でも島年県の松江に住み活動を続けているらしい。基本はピアノの弾き語りであるが、オリジナル以外に取り上げる楽曲が多岐にわたり、それがまた浜田真理子的に料理されて流れてくるものはどれもいい。
今回も「Love Song」というミニ・アルバムを手に入れたが、「アカシアの雨がやむとき」や民謡の「貝殻節」がしっとりといい。他のアルバムでは、加川良の「教訓T」、「さとうきび畑」なども歌っている。歌はその人が生活する場の雰囲気を確かに伝えてくれているのかもしれない。程よく熟成された美味しい酒のように浜田真理子がこの年末にまた美味しい。
(19:58) 女房は機を織らないが、今夜はお友達と夕食会。僕は帰ってきて庫裏の便所の掃除。年末の便所掃除をひとつ終える。気になったときに事をひとつずつ片付けるといったようなやり方が僕のやり方。なかなか自分勝手なやり方ではあるが、女房もその辺はもう納得済みなので、「私は出かけてきますよ」と、師走の夜に出かけていった。僕も明日の夜は「焼肉山水」である。さっき一応予約をしておいた。

2004年12月15日Wednesday晴れ
年賀状の受け付け始まりました。24日までに投函してください。
李白は屈指の酒好きであったと今朝の『天声人語』に紹介されていた。また、李白には酔って水面に映る月を捕らえようとして転落、水死したという伝説も残っているのだと。
僕には若い頃から、数え切れないくらいの酒に因する失態があり、警察に連れて行かれたことも何度かある(泊まったことはないが)。僕の失態は多分伝説にもならないだろうし、杜甫が李白を詠じた詩の材料になるようなこともない。「あいつは酒が好きだったからなぁ、きっと本望だったかもしれないな」などと、しばらくの間酒の肴にはなるかもしれない。
年末の時期を迎え、職場内では新年度の予算編成などが行われているが、合併してちょうど3ヶ月が経ち、職員間で旧町でのやり方や考え方の違いなどが表面化してきたのか、不平や不満が少し噴出してきているようである。直接行政の仕事に関わらない状況にいるので、僕には隣りのフロアで話している同僚たちの話し声がとてもよく聞こえてしまう。社協にだっていくらかはあるが、事務職は二人しか居ないので愚痴をこぼす気分にもなれない。僕の仕事に対する気力や意欲はまったくもって下降の一途である。
富士川に映る月を捕まえようとして過って流された僕は、富士川河口から太平洋に押し流される。河口で見つけた住民は僕がなぜ流されてきたのかなんて知っちゃいない。当然伝説として残りはしない。

2004年12月13日Monday晴れ
これが愛のかたちか。
昨日の法事の払いの膳で隣りになったF先生は、7ヶ月も病院に泊り込んで体調の良くない奥さんに添っていると言った。7月頃だったか、病院の近くの店でビールを買っていたら先生と会った。先生も買い物カゴにビールを何本か入れていた。「病院にずっと泊まってるんでな、夜が長くてビールでも飲まなければ」と話してくれた。
12月になってまだ先生が泊り込みを続けているとは思ってもいなかったのでちょっとびっくりした。中学校の音楽の先生で、剣道部の顧問でもあった。奥様は先生の教え子で、僕より3つほど年上の長男の方は昨日の話の中で、「女房が19の時の子だ」と知った。
添い遂げるということが先生の中では愛のかたちで、それが歳若い教え子と一緒に50年を超える時間を過ごしてきた先生の、最後までやり遂げたい愛のかたちのように思えた。「愛のかたち」か。多くの女性と付き合ってきて(交際してきたということではなくて)、今でもたくさん好きな人がいる。姿かたちが好きな人や、心が好きな人など様々だが、僕は僕の愛のかたちで女房とこの先を生きたいと思っている。決して十分な暮らしではないし、どちらかというと彼女には苦労を強いているほうが多い。でも「あっ、これが二人の愛のかたちなんだな」と頷ける瞬間は一年に数回はある。酔っ払って罵る言葉を彼女に吹っ掛けることがあっても、これは僕の愛のかたちだ。それを彼女は知っていてくれているのだと思う。クソッ!何でこんな落ちになってしまうのだ。この自身を全部肯定しながら生きているひどい坊主は斬首刑だ。
今年の世相を反映した一字は「災」なのだそうだ。2001年のニューヨークのテロのときが「戦」、翌年北朝鮮から拉致被害者が帰り「帰」、そして去年は阪神優勝で「虎」。なんだか余りありがたくないような漢字ばかりが並んでいる。僕はこういうときにこそ「愛」でもいいのではないかと考える。「災」を解決してくれるのはきっと「愛」です。

2004年12月12日Sunday晴れ
朝から改まって書くようなことではないかもしれないが、忘れてしまうのもなんだから。
「百まで生きたいので僕は週2日は必ず休肝日を作っています」などの生き方は僕にはできそうもない。実は今朝ウンコをしながらこれらのことが頭の中を駆け巡ったのである。
無から生まれてまた無に戻るというだけのことである。言葉にすればあっけない展開である。ある瞬間にこの世の壁を越えてしまうとおそらくすべての記憶が消去されてしまうのではないかと思う。僕の頭の中で絶えず鳴っていたロックンロールもパッと消えてしまう。(実は
John Lennon/Rock'n'Rollを買った)
無に戻るために、雑念の世界に生かされているのだと思うとちょっとムッとしたくなるような気分にもなる。
僕は昨日の昌也君と寿美子ちゃんの披露宴で、一人の大好きな保健師さんにお別れをしてきた。たぶんもう会うことは無いだろうし、共通の出会いの場もないと思う。彼女のメガネの奥の輝く瞳を記憶から失ってしまう瞬間までもう封印しておこうと思う。歌に別れを告げるように、握ったその手の冷たさに別れを告げた。
また現実の日曜の始まりでもう45分もすれば、僕はI家の一周忌の法要で理趣経を読み始める。なまめかしい理趣経を今日はどんな風に僕は読めるのであろうか。

2004年12月11日Saturday晴れ
朝から腹の具合が悪くて...。
3度も4度も便所に行く。夕べ遅くなってから調子に乗って湘南ビールを2本もラッパ飲みした不摂生が祟ったのだろう。
腹の中がすっきりしなくて困ったものだ。今日はこれから同僚の後輩の披露宴に招待されているので9時には出かけなければならない。
明日また法事も1件あり、直接酒と関わりがないといえばそうなのだが、でも飲まなければならない。
休みなので少し遅い時間にお勤めをする。ちょうど本堂の護摩壇に東の空からの朝日が差し込んでいる。ケヤキはすっかり葉が落ちて裸木になった。女房は30分余りのウォーキングに朝もやの中を出かけていった。
参った8:45) 本当に参った。女房曰く「独身時代に作った礼服だよ」なので、こりゃまた仕方のないことだが、時期的に寒い季節の御呼ばれがなかったのか、なんとズボンを履いたがホックがはまらない。完全にアウト。腹を引っ込めて気合で止めてみたがダメ。仕方なく普通の冬物のした。消防団を退団した翌年の正月の出初式に感謝状を貰うために作ったものだ。実は前の日に出した前の物が虫食いで着られる状態になく、前日にAOKIで買ったのだった。最近は慶事でも着物で出席することが多いので、体型はますます着物型に変化していく。さあ出かけなければならない。笑わないでほしい。こちらは少し慌てました。

2004年12月10日Friday晴れ
俺がこの国だといわんばかりの小泉に。
彼が今この国を統治しているのだと考えているなら、僕は統治されている民の中に括られたくはない。はっきりとNOである。
彼もまた独裁者の一人であり、世界を支配するとかそういったレベルの野望者なのかもしれない。
この田舎でも近年、12月になると電飾で家や庭を飾ってクリスマスまでの夜を楽しむ家が増えている。カリスマ的な家は大勢の見学者が時期になると押し寄せるのだそうだ。
この国の呑気さはいまさら言うまでもないが、クリスマスに本当に帰ってきて欲しいお父さんたちのことを思いながら、12月の夜を不安に過ごしているアメリカの兵士を送り出している家庭も多いだろう。僕たちも少しはそういうことをも考えて、サンタやトナカイの電飾の隣りに「NO WAR」「PEACE」など施してもいいのではないかとも思う。
月と星が並ぶように、宗教を超えて一人の人間として互いに思いやりで並んで立てるはずである。写真click。

2004年12月8日Wednesday晴れ
Imagine all the people living life in peace.
1980年の今日、ジョン・レノンが凶弾に倒れてから24年が経つ。僕にとってのこの日の出来事はとても思い出深い。僕は信州の雪深い村で年を越そうとしていた。美麻村の遊学舎。土地の古老も記憶にないというほどの大雪の年で、廃校の校舎を利用した宿泊施設は、雪の重みに耐え切れなくなりつつあったところを地元の消防団の忠告により難を免れた。
ジョンが新しいアルバムを出すことは伝わっていたが、実際にそれを聴いたのは年が改まってからだったかもしれない。ジョンが亡くなったニュースが入る直前、遊学舎の奥さんは大町の病院で未明に女の子を出産した。
葉菜と名付けられた。僕たちは悲しみと喜びが同居する「給食厨房」の冷たいコンクリートの床の上に一つだけある石油ストーブを囲んで、いつもの「白馬錦」を飲んだ。葉菜をジョンの生まれ変わりだと言ってまた飲んだ。雪解けを待ち焦がれた5月に今度はボブ・マーリーが亡くなり、その年の夏の終わりに僕の旅も終わった。あれから24年である。毎年12月8日にはジョンのアルバムを聴く。24年の間に世界はジョンの思いに背を向けるかのような歩みをしている。悔しさや虚しさだけを繰り返し味わいながら生きてきてしまったように思えてならない。
もう一つの12月8日が、日本軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけ、太平洋戦争が始まったということは、60年を越えた歳月のなかで忘れられていく史実かもしれないが、政府は明日にも自衛隊のイラク派遣の一年延長を閣議決定してしまうのだと聞く。寒村の貧しい寺に居て、これからも僕は、悔しさと虚しさを同居させながら、僧としての有り様(生き様)を考え続けていかなければならないのか。

2004年12月6日Monday晴れ
そういえばこんな話もあった。
先日会った仲間のK君から、甲府市役所は坊さんはもう採用しないとの話を聞いた。昨日の法事で、市役所に勤める方がいたのでこの話をしたら、「葬儀で2日3日と続けて休まれると、他の職員がその分をカバーしなければならない」と、行政改革で人員減らしをしている時勢に、坊主との二足の草鞋を履く職員の採用は益につながらないということらしい。
確かに僕自身も今のご時世を感じている。僕の歳になると開き直りというか、割とあっさりと休ませてもらったりしてしまうが、若い職員で寺の後継ぎなんかは、結構休むことを躊躇ったり遠慮しているようなところがある。僕の寺の規模では僧侶としてのみを職業として生活を維持していくことは不可能である。僧侶が必要とされているのであれば、これはできる限り大目に見てもらいながら、ある程度の特別枠の中で眺めていただけないかと思う。都合のいいことだけ言いやがってみたいに採られるかもしれないが、この部分は僕らにとって一番敏感な部分なんですよ。
でも、この先の坊主の道は暗いな。大きな寺だけが小さな寺を吸収しながら大きくなっていき、小さな寺は宗教活動を放棄することにやがてなるのだろうと思う。坊主が儲けだけを必死で考えるようになるとろくなことにはならない。

2004年12月5日Sunday晴れ
夕暮れが早いので。
ちょうど今の時期が一番陽が暮れるのが早いのじゃないか。午後5時前に暗くなる。
法事を終えて帰ってきて1件電話の連絡をしてから、低音環境のLiveを聞きながら寝てしまって起きたら4時半前だ。秀ちゃんがその間に来てくれていて庫裏の上がりかまちを直してくれていった。
こんな風に僕は結局檀家の人たちに支えられている部分が大きい。最近、葬祭の儀式のときに早く早く終えて欲しいと言われることが多いし、それを望まれることが多い。でも、僕もこれで寺をもっているのであり、僕の役割はまさにこれなのであるからこの部分をショート・カットすることにはいささか抵抗がある。
なぜ、慶事ばかりが優先されて、葬儀のような仏事はどんどん簡略化されていくのか。これは、坊主にも問題がある。それでいいんならいいですよ、みたいな。楽して貰うものだけ貰えればそれでいいじゃん、みたいな。
父が存命のときに法事をした日があって、若かった僕は経の進行を20分くらいで終わってしまったことがあった。理趣経というお経を3段くらいで飛ばしてしまったのである。親父から夜になって怒られた。僕たちはいつも経を読んだり、寺での生活を当たり前に感じているが、例えば遠くから来た人たちは、今日の日のことを特別に思っているはずで、経を20分で終えてしまうのではあまりに申し訳ない、どちらかといえば施主がやってほしいというだけ僕らは経を読むことが役割なのだとたしなめられた。
僧が僧としての本来の力を発揮できない葬儀が多くなっている。僕は真言僧なので、そんなに葬儀に対しての細かな伝承があるわけではないが。やはり、こういった部分は自戒も込めてできるだけ本来の姿に戻していきたいと思うのだ。
追伸:あまりにも申し訳ないのですが、低音環境の大聖寺Liveが良いので、僕は「湘南ビール」を2本目ラッパ飲みしています。

2004年12月4日Saturdayくもり
外は師走の雨。
今日も坊主は師走を走ってきた。朝9時から秋葉山の祭事をし、そのまま玄法院のおばあさんの葬儀に行く。順調すぎるくらいに車進んで、時間調整で本屋に寄りスイング・ジャーナルなんぞを何年ぶりかで買う。
昨日の甲府の葬儀を終えて家でたくさん飲んだので酒が残っていた。僕は家で一人で飲んでも二日酔する。15で飲み始め、大学に入ると同時に僕の飲酒生活が始まったのでもう33年を過ぎた。「身体がボロボロ」だとか、「命を削りながら飲んでる」と女房に愚痴りながら飲んでいる。彼女は呆れて物も言わずに、熊の胃だとかウコンエキス・ドリンクのようなものを目の前に差し出す。
正直、明日この不摂生が病となって現れるかもしれないという怖さはあるけれど、小心者の僕には飲むしかないのである。馬鹿は死ななきゃ切りがつかない。
葬儀から帰ってきたら、何通かの郵便物の中にKさんからの「低音環境のLive CD-R」があった。もちろん今もそれを聞きながら書いているのであるが、もう一週間が過ぎた。でもとてもいい演奏です。Kさんありがとう。前回のGYROの時には全世界に音源を発信してくれましたね。今回は、転勤になった佐久からわざわざ来てくれて、りんごの差し入れまでいただきました。
あなたの添え書きには、「佐久は寒いです 初雪が降りました」とありました。それを女房に話しましたら、「新潟も雪なんだろうね」と。
内藤君、山宮brothers、その他の皆さん、音源のコピー承ります。CD-R2枚です。一夜たっぷりと収められていますよ。
僕はまた明日法事です。

2004年12月2日Thursday晴れ
いよいよ本格的な寒さに突入か。
夕べ頭を刈ったので今朝は寒くて寒くてたまらなく、毛糸の帽子をかぶっている。手もかじかんで働きはすこぶる鈍い。頭も一緒。
やっと大体葬儀の準備が整った。午後3時半から納棺で午後6時の通夜。明日は朝7時にこちらを出て9時の火葬、午後1時からの告別式。甲府は風が吹いたらこちらよりもっと寒いんだろうな。
イノシシが夜な夜な出没している。境内のあちこちが掘られている。特に陽の当たらないじめじめしたやわらかいところ。猿や猪が寺の境内を闊歩するなんて、僕の先代の父親までの歴代住職は誰も予想していなかっただろう。だいたい獣が里にまで降りてきて畑の作物を荒らすなんて事は起こりえないこととしてとらえられていたに違いない。憂鬱な冬のときだ。
年賀の欠礼状が何通も届き始めている。先ほどはありがたくも、藤沢のUさんから「湘南ビール」の詰め合わせが届いた。ありがたく今夜通夜を終えて帰ってきてから1本いただくことにしよう。

2004年12月1日Wednesday晴れ
木枯らし風鐸を打ち鳴らしなどと...。
こんなフレーズの諷誦文の冒頭を考えていたりした。人の終わりなんてものはあっけなく、ここには貧富の差も無い。死はいかなる人にとっても平等に訪れる。自然の行いが毎年繰り返されるのと同じように、死の繰り返しにも容赦はない。ちょっと待ってくれないのが死であり、ここをスパッと切ってしまうのが死である。
死の重みを僕は反芻しながら育つ。僧侶としての経験や時間なんてものは、生ある俺にとってどれほどのものになるのか。きっと何も教えてはくれないのではないかと思う。腹が減ったと言っては泣き、寒いと言っては泣く赤子のようにこの48のぐうたらは生きているのだ。
明日、明後日といい葬儀のための行いを少しでもいいからしたいと思う。

2004年11月30日Tuesday晴れ
宿直明けの朝帰りは寒かった。 防寒の着る物を持っていっておけばよかった。朝帰り寒くて。風呂には入れないし、朝飯食って9時半過ぎに出勤すりゃいいやと、法事の塔婆を2本書いたりした。
仕事と寺と綱渡り状態だ。昼は暖かくて、2日目の剪定のシルバー人材のおじさんたちもまたのんびりと、仕事がはかどっているのだかわからないくらいに静かに黙々と木の上に居たり下に居たりでやってました。
夕方帰ってきて、低音で聴き散らかしたCDを整理していると檀家のEさん来て、お兄さんの奥さんが亡くなり、「うちの墓地に埋葬したいので、葬儀のほうを頼む」とお母さんをクルマの横に乗せてやってきた。明後日の通夜で3日の本葬。仕事の都合もいいので引き受ける。
ほとんど面識が無いので、書き物とかの事を悩んでいるが、戒名の目途も何とかついたので一段落。ぐっすりと早く寝てしまおう。明日はもう師走だ。

2004年11月29日Monday晴れ
低音環境ありがとう。 プレーヤーにもお客さんにも感謝です。ありがとう。
皆に支えられて今回もいいLiveができたと思います。40人くらい来てくれて、終演後の宴会も大盛り上がり。こっちのほうがメインになってきたような感もありますが、まあいいでしょう。
とりあえず写真をアップしましたので、覗いてみてください。ありがとう。
(12:44) 瓦屋さんとシルバー人材センターから植栽の剪定に計6人が来ている。今日も温かい。職人さんたち、皆それぞれに散らばってお昼寝中。

2004年11月27日Saturday晴れ
午後6時低音環境到着。 夕べから未明にかけて大風が吹いて、一面の杉の葉で、ケヤキの葉は吹き溜まりにてんこ盛りになっていた。
半日かけて掃除。午後からはLiveの支度など。
低音環境午後6時に到着。いま音あわせや何やら忙しくしているので。
もみじをライトアップしてみた。想像していた以上にいいんでないかい。さてさて後はお客さんを待つのみである。

2004年11月26日Friday晴れ
檀家からありがたい話があって。 天候は下り坂だと思っていたら今日もよい天気。天気図が変わったらしく、週末はよさそうだ。
檀家の方から夕べ電話があって、お寺に寄進をしたいという話。勤め帰りに家を通り過ぎてWさんの家に寄ってきた。亡くなったご主人も、先々代、先代の住職の時代にはとても寺のことを考えてくれていて、多くの寄進をしてくれていた。残念ながら13年ほど前に亡くなっているが、残された奥さんもそのことを強く感じておられて今回の話になったらしい。
ここにも何度か書いてきたことだが、伽藍の大きさと正反対に内実はとても貧乏である。これも有ったらいいなと思うようなものはいくつかあるが、無くても困るわけではないものは自ずと我慢することにはなる。
奥さんと話している中に、「あなたもよく草刈りをして寺や墓地をきれいにしていてくれることを、檀家の方たちが認めてくれています」ということも含まれていて、思わず涙が流れたが、心底ありがたいと思った。これからまた新しいスタートだなと感じた。
え?欲しいものですか?とりあえず、本堂に幕を新調したいのと、法事や葬儀のときのために、座敷で使える椅子が30脚くらい欲しいと思ってます。
風の強い夜になっているけれど、明日の晩がますます楽しみになってきた。低温環境。

2004年11月25日Thursday晴れ
低温反響から定温反響になってきたか。 昨日今朝と2件のメールが来ていて、4人の申込があった。低温反響で、4度目ともなるとどうしても田舎の人はもういいやと思ってしまうのかなと思っていたが、このメールはありがたかった。
地元の人ではないけれど、一組は遠く長野県の佐久から参戦してくれるのだそうだ。前回GYROのLiveを録音していってくれたKさん。いい夜になるといいです。
今朝のもみじはここ
(13:30) 昼休み当番だったので。木曜のサンニチ(山梨日日新聞)には、各種イベント情報が掲載されることになっている。低音環境のLive情報を送ってあったので、当然掲載されているものと期待していた(前3回とも載っていたので)が見事に外されていた。クソッ!!この情報を送ったときに、YBSラジオ(山梨放送)から電話インタビューの出演依頼があったので、余計に今回のは確実だと思っていたのにザンネン。波田陽区も紅白落ちで残念。我が振り直さぬNHKのギター侍斬りなのだ。

2004年11月23日Tuesday晴れ
勤労感謝の月が昇った。 村内の葬儀が1軒あり焼香する。死というものは特別な出来事だが、宇宙という大局的な見方をするなら特別なものではない。こんなこといまさらなのであるが、なんか歩きながら帰る道々そう思った。僕にもやがてそんな日は来る。48歳になったので、そんなことを思ったのかもしれない。
夕べは、33年も付き合ってくれている内藤君と喜田の姉さんが、僕の誕生日と大好きな川口夫婦の結婚30周年記念をしてくれたのだ。HINATA君のパパ・ママも一緒で、最後にはHIROSHI君も現れた。中盤から大カラオケ大会となった。焼酎のビンがゴロゴロと畳の上に空いて転がった。こういうのを痛快という。「ニッポンは昔処女だった。戦争に負けて日の丸になった」と歌いきった三上寛の歌のように痛快。
このような夜がまた今週末再現できれば「低音環境」は大成功となる。まあ、親しい仲間だけで盛り上がるってのも悪くはない。
午後から裏の池の周りの掃除。落ち葉は湿っていてなかなか燃えてくれない。桜の葉は燃えながら、少しだけ桜餅を包む塩漬けの葉のような甘い匂いがした。女房はNHKのテレビ小説の若葉ちゃんのように、自分の花を楽しむお気に入りの場所の草引きに精を出し、僕はいつもの寺男の時間を過ごす。何も変わらない生活がある。SAYOちゃんが「お寺の存在は不変ですから」と書いてきたが、僕も女房もここにできるだけ変わらない姿勢で在りたいと思う。
12夜の勤労感謝の月が昇った。
願似此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道。願わくば此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを。

2004年11月21日Sunday晴れ
気持ちのいい日曜を過ごす。 快晴。本当にいい天気。11月の末だなんて思えないほどに暖かい。午前中に裏の池の周りの草刈り。雨が多いので裏は湿っていて落ち葉も湿っている。もう少しからっと晴れて地面も乾いてくれたら、落ち葉焚きをしよう。
午後1時半に大津のSさんと石屋さん見えて、墓地の改修のための経を上げる。墓地をどんな風に改修して少し広げたいなどの話をしていたら、Sさんの長男も北海道からやってきた。なかなか改修の話が進まないので、今日こそはという気持ちでいたが、最終的な詰めのところで母と子で意見の相違があるらしく、石屋さんも困った。こちらは両者に任せて屋根の樋を一箇所修理して、あとは日没続行不能時間まで落ち葉掃き。
昨日の夕と今日も一日で、腰がだいぶお疲れ気味。明日勤めてあさってまた休みなので幾分気は楽。内では客殿を掃除してストーブも用意する。低音環境楽しみなんですが、果たしてお客さん何人くらい来てくれるんだろう。
夕べ女房に金銭感覚に疎いことを鋭く指摘されてしまったので、うーんどうしようとかちょっとは思ってるんですがね。

2004年11月19日Fridayくもり
天気も悪いし身体も冷える。 一日下部の本所に缶詰で予算の編成会議。さっぱりしない天気が2日続き、夕方からは雨になった。
自分の気分のことばかりでなく、あちこちのことを思うとこんな雨が一番骨身に沁みるようで辛い。明日はまた叔父の寺の葬儀の手伝いがあるので早々と風呂に入って頭をきれいさっぱりと刈る。ホール葬なので気分的には楽。
低音環境のLiveもあるし、暮れ正月に向けて寺のいろいろな出費もあるので、正直こういう稼ぎはありがたい。僕は何にも専務で、金のことにはほとんど無頓着なので、女房がすべての遣り繰り参段をする。女房からケータイに連絡が入り、「あっそうですか、叔父さんのところの葬式ね。土曜なら空いているから行きましょう」ってな具合だ。
空がゴロゴロ鳴っている。明日は晴れてほしいな。夕方少し庭が掃けたらいいのにな。

2004年11月18日Thursdayくもり
金正日の肖像画が取り外されているらしい。 金正日の独裁国家の対外イメージを払拭するためのキャンペーンのようなものらしい。
行き当たりばったりの彼のとる幼稚な行動にしか見えないが、どことなく北の寒空と彼の大きなお腹がダブり、「ジョンちゃん」とでも声かけしてやりたいような気分になる。
彼はすべてのことを自覚しているんだろうと思うけれど、鎖につながれた国家体制の中で、もう抜け出せない壷の中に居るのだ。わかっちゃいるけど止められない飲酒のようなものか。
寒い朝だ。
(12:25) どうする自衛隊。陸上自衛隊と同じくイラク南部サマワに駐留するオランダ軍は、当初の予定通り来年3月に撤退するという。ハンガリーもイラク派遣部隊を年内に撤退する。さあ、どうする自衛隊。「非戦闘地域」などという不遜な発言が空中浮遊しているが、国内のメディアも(NHKはあてにならないが)、米英に追従する形で留まっている自衛隊が、いかにイラク国民の反感を買い危険な状態にあるかということをしっかりと国民に伝える義務がある。取りも直さずイラクという国が危険だということだ。(ライオン頭の小泉隊長に後の始末任せて、けえってくりゃいいじゃん

2004年11月16日Tuesday晴れ
県文化財の絵画三幅を寄託することにする。 春の調査のときに感じていたので、もう腹は大体決まっていたが、今日学術文化課と来秋オープンする県立博物館の学芸員の方が見えて、絵画を寄託したいことを正式に告げ来春より預かってもらうことにした。
契約は3年更新なのだそうだが、絵画は個人所有するには手に余る。700万もかけて修復したのであるから、ここに置くだけで年々また傷んでいくような状況に置くのは忍びなく、寺の宝としてできる限り現存させていくには、この方法がベターだと思う。
いにしえにも何度か修復した跡があり、この三幅が寺に伝わってきた経緯やこれを大事に伝えてきた先師たちの思いが偲ばれる。裕福な寺に住んでいる僕らではないので、この決断を歴代住職たちも頷いてくれるはずだと思いたい。

2004年11月15日Monday晴れ
拉致された北朝鮮で、そんなに何人も交通事故で死ぬだろうか。 もし本当に交通事故で死んだとしたのなら、おそらく仕組まれた交通事故ではなかったかと思う。時代は遡るし、北朝鮮では交通事故にやすやすと遭うほどのことはとても考えられないと思える。
韓国の今を見ていても、ITなどは国土が狭い上に縦に一つなので発達しているが、デモなどの様子を見ていると、20年くらいの歳月は差があるのではないかという気がしてならない。個々の事ではなくて国としての動きということなのだが。なので、北なんかはもっと差があるはずだ。
日本からの特使にしたって、かの国で正確な正直な情報が得られるなんて事は思ってもいないのではないだろうか。トレンチ・コートの襟を立てて深々と椅子に沈み込みながら、「お互いに疲れました」と。
金正日を倒して本当の解放がなされなければ、何も明らかになることはないのだと思う。やがて冬を迎えようとする町にたくさんの家族を無くした路上生活者が溢れている。子供らは靴も履けずに、在る者は凍傷で指をすべて失っている。僕たちの住む国からはとても北朝鮮の事情など、正気の沙汰とは思えない。
月や太陽や風は、でも向こうの様もよく知っているのだ。冴えて悲しみを帯びている月が稜線の近くにあった。

2004年11月14日Sundayくもり
新車のお祓いが1件。 遠く、都留と大月からふた家族が4台の車のお祓いにやってきた。お不動様の信者さんということになる。護摩を焚いて祈願した。小さな双子ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで含めて総勢12名でにぎやかだった。猿もまた今朝も絶好調のようで騒々しい。
女房はうんざり顔で鐘楼の前のウンコを片付ける。彼らも生きるために精一杯なのだろうが、せめて糞くらいは場所を選んでこっそりと陰でしていただけないものか。だいぶ葉が落ち始めてきて今日は午後から僕も落ち葉掃き。10箇所くらいで煙を上げる。紅葉ももうすぐ鮮やかな赤に変わる。楽しみだ。これを写真に撮る日をわくわくしている。
48まであと10日だもんなぁ。

2004年11月13日Saturdayくもり
マドンナ一本。 町が合併して同じ職場になったのに、なんだか果てしなく遠いような存在になっちまったN君。
マドンナ(ワイン)を1本買って訪ねた。車はあったが留守だったのでそのまま帰ろうと走り始めたら道の途中で彼を見つけた。彼は追加の酒を買いに行くところであった。
國彦君の敵の店にビールを買いに乗せていってやり、彼が宴会をしている会場の前でさよならした。なーに、ほんとはケータイに電話すりゃよかったのであるが、こんな衝動にかられることもある。
そういえば30年近く前、僕はなかなかアパートに居なくて、あちこちを転々としていた頃、時々帰ると彼が僕の部屋に泊まった置手紙(書置き)がありました。今のようにケータイはなかったし、電話なんて部屋に引いている人はわずかでしたので、もっぱら連絡手段は郵便で、いつも「なんだ、手紙でいつ来るとか連絡くれればいいのによぉ〜」とか思いました。
15のときから彼と付き合っていますので、音楽のことも世間で起きる様の変遷も2人で眺めてきたように思えています。韓国で光州事件があったときも、確か僕のアパートでそれを白黒テレビで見たような気がします。ねぇ、僕たちはいつまで生き続けられるんでしょうね。
きっと彼は今夜飲んでいますから、僕だって負けちゃいられません。

2004年11月12日Fridayくもり
夕方少し草刈り。 どうもいつも気になっていたようで、「草を刈りたい」と上司が言い出した。駐車場の石垣に上の畑からの草がかぶさり、見栄えが大変に悪い。確かに言われるとおりであるが、僕には今年もう草刈りをするつもりはなかった。
でも、今夜飲み会があるので汗をかいておくのもいいなという気持ちになった。二人でそれぞれ草刈り機を家に持ちに帰り、夕の帳の降りるのが早いこの時期に、時間との勝負で一心に草を刈った。お陰様できれいになった。朝の雨が上がり午後からは少し陽も射した。僕なんぞはこんなに呑気である。
去年までは草刈りを初夏の時期にしたが、今年は合併の作業があり、草刈りをする気になれなかった。そのまま僕も気にはなっていたのだが秋も深くなり、先日の家の作業も終えたので、今年の草刈りに終止符を打ったのだったが、でも、なんだか気になっていたことを済ませて気分がすっきりした。
いまから飲みに行くぞ。

2004年11月11日Thursdayくもり
世界平和記念日。 11月11日は世界平和記念日。去年の今夜はGYROのLiveを行った。
12月14日の自衛隊の派遣期限が迫るなかで、政府は派遣期間の一年延長をもくろんでいる。公明党もこれに同調し、「危なくなったら引き上げりゃいい」と、紙切れ一枚で今日の仕事場を指図する手配師のように、命の保障なんてものは端から考えていない。小泉も「確かに危険は伴う」と公言している。非常事態宣言が出されているにもかかわらず、自衛隊が活動している南部サマワを「非戦闘地域」と言い切る。彼らは兵士ではない。先ずここのところの心の持ちようが違うだろう。ブッシュ体制の継続が決まり、米軍の総攻撃が開始されたが、市街戦という不利条件のなかでの闘いが易々と終結するとは思われない。
自衛隊員ももうイラクには行くな!恐らく家の中の問題は結局は自分らの手によって解決していくしか方法はないように思える。外部のものが強圧的に軍事介入したところで、ケロイドのような傷痕がそのまま人々の心には生涯残る。安易な言い方かもしれないが、自衛隊を今必要としているところはサマワではなく、中越地震や台風災害に見舞われた被災地であろう。仕事を休んでいって中途半端にボランティアするよりも、職務として被災地の復旧に当れる自衛隊が待たれているだろう。悲しみの場所に国境はないかもしれないが、確かな命の安全が保たれてから復興の手伝いをする時期を待つことも選択肢のひとつではないかと考える。

2004年11月9日Tuesday晴れ
汗ばむくらいのよい天気。 朝の富士川は朝霧いっぱいで、国道の視界も50メートルもないほど。その分日中は暑かった。
近くの勤労青年センターグラウンドで、障害者の福祉会の交流スポーツ大会。フリスビーやグラウンドゴルフなどを午後2時頃まで楽しむ。皆元気。外の仕事もたまには気持ちがいい。
高台のグラウンドからは富士川を見下ろせたり、360度視界が開けていて、赤・黄・緑の山の色づきが眺められてとても気持ちよかった。
いろんなことを考え始めればきりがないので、今日はここでこれだけを楽しもうと思った。

2004年11月8日Monday晴れ
また大きな余震があったようで。 いつになったら収まるのだろうか。不安で日常の生活ができなる人が増えてくるかもしれない。
いつ襲ってくるかわからない、地の底からの恐怖。地震には予防する手立てがないのだな。こちらにいてせめて早く安定した日々が早くくることを祈るしかない。
猿の話。昨日は寺の裏山にも朝から猿がきていた。甲高い声をあげたり、こちらをまるで囃し立てるかのように「ホー、ホー」という声をあげたりする。藪の中を走り回り、杉の林を飛ぶ。こちらは姿は見えるがこれまた予防の手立てがない。
夕方宿直に入ると、「国道端で猿が怪我をしてうずくまっている、通行人に害でもあるといけないので何とかしてほしい」との通報があり、産業課長に電話をする。かなり大きな猿のようで、仲間が周りで見ているとの事だったが、夜が明けるのを待って対処することになった。どうも息絶えたようで朝7時に産業課の職員数人が出勤して丁重にとある箇所に葬ったとの事だった。
天皇の話。宿直明けで10時出勤でよいので、朝のワイドショーを見ていたら、被災地を天皇夫婦が見舞う光景が映し出されていた。「あーこの人たちが一番のスターなんだな」とふと思った。膝突き合わせて被災者と話す二人の姿のなかに、「こちらもお陰様で天皇やらせてもらってます」といったような雰囲気が出ていた。番組のコメンテーターが的を得たひと言を最後に放った。「小泉さんじゃ、絶対座って目線なんかで話しませんからね」。

2004年11月7日Sunday晴れ
これから宿直。 午後の予定がなくなったので今日も一日作務。先ず百日紅の剪定を終えてから柊木を電気バリカンでガリガリと剪定する。皮手袋に穴があいていたので時々鋭い葉先が指の腹に刺さる。痛いがこれも寺の修行のうちありがたく痛さもいただく。
11時になり仕事を途中で止めて、ラジオの電話インタビューのために待機。11時半過ぎに電話があり女性パーソナリティーと話す。低音環境のLiveのことをまあ大体台本どおりに受け答えするが、向こうの話に乗せられてこちらもアドリブで答えるといった場面も。「駐車場はありますか」「お寺の駐車場があります」「何台もで行った場合でも大丈夫ですか?」「大丈夫です」「相当大きなお寺と見たぞ」といった具合。何でそんなに駐車場に突っ込んだのかもよくわかりませんが。
午後また作務。ツツジの芽の伸びたところを軽く刈り込む。だいぶきれいになった。焚き火もして午後3時半に終了。もうちょっとで日曜宿直に出かけるところ。あーでも体相当疲れてます。
ラジオで宣伝したけれど反響の電話は一本もなし。日曜のお昼近い時間にAM放送なんて聞いている人が何人いるだろうか。僕も先ず100%聞かない。車でもCDだけだし、仮にラジオ聞くとしてもFMになってしまうだろうな。「
低温反響」ってな感じですか。

2004年11月6日Saturday晴れ
くたびれて、腰も痛いし、眠いし。 午前中は本堂正面の観音扉の格子窓の和紙を張り替える。ちょうど6年くらい経ったか。2ヶ所ほどやぶれてきていたので、この間和紙の里で買ってきたものに張り替えた。剥いで格子をきれいに拭いたりするとたった4枚なのに半日かかってしまった。簡単に終わるものと焦ってやっても一向に一人の作業ははかどらないし、やっとわかった、なるがままに任せろということだった。今日の僕には他に縛られることはないのだし、このことに一日を費やしても構わないのだった。
頭もすっきりして扉もきれいになった。
午後は今年最後の草刈り。畑のコスモスを全部刈ってしまう。境内の枯草の丈の高いものも燃料がある限りとやっつける。燃料切れで今年の僕の草刈りはおしまい!ご苦労様でした。草刈り機にも感謝。草刈りを終えて、桜の枯れ木を一本鋸で挽いて倒し、その後、百日紅の枝おろし。日没再試合ではないけれど、百日紅は明日に残りを持ち越し。明日の護摩を焚くために頭も刈ってすっきりして晩酌。電話で、横浜の明日来る予定の某氏より、再び明日をキャンセルさせてくださいと。「もう縁がなかったことにしてください、ここに来ることよりも、あなた方がそちらで自分のことをよくよく振り返ってみることがよいでしょう」と、飲んでもいたので少々説教めいてこちらの意向を伝えると、先方も「そうですか、ありがとうございました」とあっさりしたもの。
こちらも護摩壇の荘厳などもまた今日も整えていたのだが、こんなことなど向こうは端ッから知りもしない。お寺だってあなた方を迎えるために本堂をきれいにしたり護摩の支度をしたり、私自身の気持ちも整えたりしてますんですよ。残念!

2004年11月5日Friday晴れ
ラジヲ出演あり。 低音環境のlive予定をサンニチの情報欄に送ったら、昨日YBSラジオから電話があって、日曜日の「Free Style」(10:00〜13:00)という番組のインフォメーションコーナーで話題に取り上げたいので、電話インタビューに答えてほしいとのこと。夕べメールが届いて、女性パーソナリティーと僕とのやり取りの原稿が送られてきた。「ご住職さんですか?」「liveは何回目ですか」「なぜお寺でliveをしようと思ったのですか」などの質問に僕が答えていくもの。今度の日曜日(あさって)午前11時35分位から7.8分の出演なのだそうだ。あまりラジオ聞かないし、聞くとしたら車の中でFM Fujiくらいだ。反響があるかどうかとても楽しみ。これでお客さん来てくれたら万歳なんだけどな。僕に電話をくれた製作部のSさんが、実は一番興味があったりして。「渋さ知らズのリーダー不破大輔....」などと話したし、「で、住職のインタビューの終わった後に渋さ知らズの曲かけたいと考えてます」なんて言ってもくれたので、「おー山梨にも渋さのこと知ってる奴らが少しは居るんだな」ってな感想ね。

2004年11月4日Thursday晴れ
そんな理不尽なことがと思わざるを得ないことがいっぱいあって、それを我慢しなければならないときがある。 出掛けに空を見上げると、ケヤキの木枯らし色の枝の隙間から中空に白い半月が見えた。富士川には余程冷えたのか、川霧が深くたっていた。今日もとても天気はよさそう。朝早くから脱穀後の稲藁を始末する老いの姿がある。山のあちこちが黄土色や紅色に染まり始めている。
高岡大祐くんのHPでも、11月のLiveの予定がアップされた。いい演奏をしてくれると思うし、きっと楽しい夜になると思うので、大勢の人に聞きにきてもらえるとうれしい。
(20:15)タイトルはおそらく今までで最長。朝出勤後に書いた日記にタイトルを付けるときにこうなって今また書き始めているのだ。まったく、こちらの思っていることを理解していただけないときが多々ある。どちらが理不尽だと返されたらぶつかり合うしかないのかもしれない。町が大きくなればなったで育ちの違いが表に現れてくる。こんなちっちゃなところをグジグジかき回すんじゃネェよといいたくなる場面もある。相変わらずの縦社会の模範構図の役所のお偉方に、懐刀しのばせて「さあ!どっちが腹を切る」と、思い切り啖呵をきってみたくなった。でもできないだろうが...。

2004年11月3日Wednesday晴れ
やはり平日の休みは充実している。 一日寺と遊んだ。朝食後護摩を焚く。新しい護摩壇は気持ちのいい護摩が焚ける。中越地震被災地に平穏な日々の訪れることも含めて祈る。護摩を終え庫裏と客殿に入っていた網戸をしまう。客殿の裏を片付けて網戸の収納スペースを確保する。不要なものも少し整理して風のないうちに燃す。女房は草を引き抜いている。イノシシが現れた後がはっきりとわかる。土が掘り起こされていた。
区内の町道を、なんだか商売っ気のない放送を流しながら種苗屋の車が通る。「たまねぎの苗を欲しい人はいませんかぁ〜、見るだけでもいいですよぉ〜・・・」女房と「疲れるわぁ」と交わす。
午後、護摩の後を片付けて本堂を掃除し、日曜に焚く護摩の用意をする。その後竹林から新しい物干し竿にする竹を4本切り出す。スズメバチに刺されて以来の竹林の中。竹にも秋だ。まっすぐな竹を選びのこぎりで引く。清々として気持ちのいい作業。続いて客殿裏の樋の掃除。長梯子を架け慎重にあがり、何年も堆積してしまった葉っぱの泥をすくい取る。やればできたという感想。
最後に着替えてから祓い幣を一本仕上げる。平日の休日は仕事をする曜日の感が強いので、身体も働くことを厭わない。おかしなもんだ。

2004年11月2日Tuesday晴れ
久しぶりのよい天気になり、今週末まではいいらしい。 青空がよくて昼間は暑かった。今この時間も部屋の中は寒くなくて、シャツ一枚で居る。
午前中来年度予算の会議。お昼過ぎても終わらずに他の支所長さん方と一緒にラーメン屋へ。ラーメンと半ライス・ギョーザセットを食べる。暑くて汗が出る。ついでに鼻もかむ。
予算の打ち合わせも、役場本課の意向がまだ決まっていないので、とりあえず社協で要求するものを作っておこうということになる。合併したところで、来年度予算から旧3町を平面にした予算など早急に立てられないだろうと思う。多分皆そう思っているはず。
A女史は午前3時過ぎのメールを書き送ってきて、「朝までが退屈なのだ」と。別に僕がそれを午前4時頃に見るわけではなく、7時過ぎの出勤前に読むのだが、「何でそんなに早く起きてしまうのだ」と、今朝職場で問いただすと、「起きてしまうのだ」と。年齢がそうさせるのだろうかと、俺もいつかそんな風になってしまうのだろうかと、なんとなく憂鬱な気分になる。
飲んで早寝をした金曜の晩の明けた土曜の朝、早く目が覚めてしまって、もう寝ていられない、堪忍してくれ、起きる!というような時がある。
こんなことが彼女は毎日なのだきっと。朝が水色に変わってくる時間も遅くなってきているので、午前3時はないぜと感じた。
なんだか内容のない日記になったなぁ。ブログも結構快調ですよ。お試しあれ。

2004年11月1日Mondayくもり
酒4合。 先代の住職であり僕の父親でもあった人の命日であった。ちょうど7年が過ぎた。明け方まで降っていた雨が上がり、お勤めを済ませたあと墓参をした。
雨の後だったので比較的あたたかな朝だったのかもしれない。まだはっきりしない空が見える。鉛色の空で、僕はもっと青の濃い朝に親父と話をしたかった。
今夜4合の酒を飲んだ。親父が2合、俺が2合。実際は俺の腹のなかに4合。親父は歳をとらずに7年前のままだが、僕も家族もそれなりに歳を重ねた。僕は父を越えたいとは思わないけれど、檀家の人たちに、せめて父の年齢を越えるくらいまでは住職でがんばっていきたいと話している。阿保の僕にできることといったら、その位が現実味のある目標なのであるが、女房は「その飲酒量では到底お父さんの歳までは無理」であろうと言う。わかっちゃいるが止められない。
命がこれで削れていくのだとしても、僕から酒を遠ざけることはできない。音楽馬鹿で酒飲みでぐうたら坊主の三拍子で、かろうじて大地に立てているのかもしれない。

2004年10月31日Sunday晴れ
一日護摩木づくり。
朝には雨が上がり陽が差しはじめて午前中はポカポカ陽気で暑いくらい。思い立って護摩木づくりをした。午前午後2時間ずつで護摩木はたっぷりとできた。
今日は一日Tシャツ一枚で過ごせた。お昼近くに都留の山本さんと蔦木さんお参りに来る。お不動さんを信仰してくれていて、年間通して遠くからよく出かけてきてくれる。女房がお茶を入れて外のベンチで少し話をしていく。富士吉田の方はもうこんなにあったかくないと話していた。こちらも昨日は寒かったので今日は特別か。日中天気がいいとこんな風に暑くなるので寒暖の差が一番あるときなのかもしれない。その分夜が寒くなって朝も冷え込む。布団から抜け出すのがだんだん億劫になってくる。
境内の紅葉も少しずつすすむ。でも、雨はもうたくさんだ。掃除をして片付け始めたらまたパラパラと落ち始めた。
香田さんはやはり殺されてしまった。彼の行動は到底許せるようなものじゃないけれど、こういう多くの罪のない人間を死に至らしめている元凶は、結局身勝手な独裁者であったりする。ただな、やっぱ、もうちょっと慎重に行動すべきだったよな。小泉もブッシュもこんなことで驚きゃしねぇんだからな。かえって彼らのテロに屈指ない愛国心とやらに油を注いでしまう結果になりかねない。
明日はもう11月だ。僕にとっては特別な日で、そして11月には48歳になる。日暮れはもっともっと早くなり、季節は張り詰めたようにキーンと冷たくなり、いい季節になる。低音環境が来る。

2004年10月30日Saturday
坊主というものの値段。
今夜晩飯の後にテレビを見ていたら、大手学習塾のカリスマ講師が職場に内緒で家庭教師をしている場合の時間給は、20万円という人もあるということだった。
女房が、昨日僕が葬儀の手伝いをしたお布施のことをまた話題にした。雨も降っているし、寒いし、風呂にも入ったし、晩酌もしたので書こうと思う。昨日、葬儀のお手伝いをして帰ってきて布施は12万円だった。これにはちょっとびっくり。先ず今の僕の周りの真言宗の葬儀での相場は7万である。
昨日の場合はホール葬で3人で、そこですべてが済んでしまう葬儀(ホールでない場合は、僕の寺では当家での告別式。葬列して寺に来て、寺で葬儀を営みその後納骨となるのが通常)だったので、僕のなすべき労も通常よりは楽であったし、何よりホール葬は正座しなくていいので身体的な苦痛も伴わないのである。それで1時間の葬儀を終えて封を開ければ12万である。「坊主丸儲け」の最たるものである。
件のお寺の住職、ここ数年ちょっとおかしな感じである。おそらく助法の僧侶への布施の額をアップして、自分の寺への戒名料やらの布施も相当額を要求しているのではないかと推測する。布施がたくさんあればこちらもありがたいのではあるが、ただ、僕の思いの範疇をはみ出した額である。時給12万円取れる仕事なんて常識の域を逸脱している。まあ7万であっても脱線しているかもしれないが、この額は僕の常識の範囲内ではない。また、戒名が院号居士(大姉)の場合、○○院○○○○居士というが普通なのに、院の後の○が6文字付いてたりする。通常○の4文字のうち最初の2文字が道号で、後半の2字が戒名ということになっているので、6文字の場合はどんな風になっているのだろうと僕は考えてしまう。寿限無のように長けりゃいいってもんじゃないだろう。
日記は刻一刻と古くなっていくので、ここに書いたものをその住職が読むかどうかは知ったことではないし、仮に読まれたとしてもこちらは構わないのだが、ちょっと余りにも常軌を逸脱していると感じたのでここに書くことにした。
明後日父の命日で、丸7年が過ぎたことになるが、父が存命であれば苦言を呈したことであろうと思った。坊主だからといって霞を食って生きていけるわけではないが、坊主という特殊技能職のような位置に胡座をかいて生きるようなことはしたくないものだ。葬儀の「次第」すら考えていなくて、「いつものようにお願いします」のひと言で済ませてしまうのだから、「俺のほうがずっといい坊さんだよな」と晩酌しながら女房に相槌を求めてしまった。

2004年10月29日Fridayくもり
日の丸・君が代。
秋の園遊会での事。棋士でいま東京都の教育委員をしている米長邦雄が「日本中の学校に国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございます」と言ったそうだ。それに天皇は「強制になるということでないことが望ましいですね」と応えたという。
米長は僕の住む町の隣りの隣町の出身なので馴染み深いが、今彼は石原都知事の圧政下で日の丸・君が代を強制する一兵卒としてその任に当たっているということだ。
僕も役場に勤めているので、これらの機会に出くわすことは比較的多い。何せ今は、「遺族会」の事務局まで社協でやっているのですから。でも僕は日の丸も君が代もどちらも愛することはできない。起立することは仕方がないとしても、歌えないし仰ぐこともない。個人的には非情に屈辱的な強要であると感じている。
天皇は広く国民へのメッセージとして「強制になるということでないことが望ましい」と切り返したのだろうが、棋士米長がこの答えを読んでいたかどうか。名人位まで上り詰めた読み深い棋士が、最終盤に思いもよらぬ一手に落城したという感じで、今朝の新聞はさわやかだった。何事も強制することはいけない。石原や小泉の思いは、周りの事情などお構いなしで発言し行動する。抗う奴をばっさりと切り捨てる。こんな圧政の元凶こそ一刻も早く断ち切らねばならない。

2004年10月28日Thursday晴れ
四季桜が咲いている。
年に3回か4回くらい花が開く。四季桜というのか。寒さの始まりの時期なので花が長い。春のようにいっせいに花開いて満開になるということはなく、この一本の桜の木に芽吹くひとひらが、ゆっくりとそれぞれの膨らみようで開いていく。
とても清楚である。地震から92時間ぶりに奇跡的に救助された2歳男児の救出劇をテレビで見ながら、この桜の花びらがダブった。92時間の命を繋いだ要因は様々あり、彼の幼さの中で事の重大さを認識できなかったことも幸いしたということだ。母は亡くなり、おそらく救出中であるお姉ちゃんも息絶えていることだろうとは思うけれど、残された家族とともに健やかに成長していってくれることを祈りたい。
今日の朝日も昨日の朝日と同じに輝きをもって現れたけれども、決して同じ朝日ではなく、僕たちもまた昨日の僕たちではない。

2004年10月27日Wednesday晴れ
香田君の底意。
香田某という日本人が、イラクの武装組織に拉致され人質となっているようだ。テロには屈しないというのが政府方針だろうから、自衛隊が撤退することはないのだろうが、この国は台風災害や地震災害が多発している時期でもあるし、それを理由に引き上げるという手もあるかなと考える。人質の命がつながるか途切れるかは、今の現実のなかでは少々厳しいかもしれないが、自業自得としか言いようがないのではないか。家族は「ニュージーランドへ語学留学をしている」「なぜイラクにいるのかわからない」では、なんともお粗末で話にならない。アンマンのホテルのマネージャーも、危険だからとイラク行きを引き止めたそうである。
事実を自分の目で見たいという気持ちはわかるが、いまその場所がどんなに危険をはらんだ場所であるか、もしかしたら命を落とす危険もあることぐらいはわからないはずがないだろう。自衛隊の即時撤退を僕は望んでいるが、このような愚か者の物見遊山のような行き当たりばったりの行動には心底腹が立つ。香田某の底意とはいったい何なのだ。
で、ついでにこの自衛隊という皆さん。当然イラクにも行ってます。東ティモールにも行ってます。そして国内の被災地へも派遣されてます。いったい何人くらい居るのだろうと調べてみた。
2004年3月31日現在の現員数 陸上自衛隊 146,960人 海上自衛隊 44,390人 航空自衛隊 45,459人で、約237,000人もいるのである。詳細はココ
今日も大きな余震があった。この非常時にかこつけておれおれ詐欺や空家を狙った泥棒が横行しているらしい。こんな奴らに僕は呪咀調伏(じゅそごうぶく)の願を込める。

2004年10月26日Tuesdayくもり
猿が降りてきている。
ここはまだ降り始めてはいないが、猿が降りてきている。女房の話では昨日の午後気がついたら、お寺の周り中猿だったそうである。今朝本堂に歩いていると、恐らく斥候の見張りの猿だろう、仲間への合図の奇声を発した。お勤めの最中隣りの畑からロケット花火を発する音が何発か聞こえ、群れがガサガサッと茂みを移動する音や声が聞こえた。
今日もここに猿が居座るのだろう。毎日出ているわけではないので、彼らの群れは何日かかけながら山を移動して食料を得ているのだと思う。今畑は、大豆がもうじきの収穫を迎える時だ。柿の実は採らない家の木には、大量にぶら下がっている。身のこなしの素早い猿にはまったくお手上げ状態である。
(12:35) 山古志村は積雪が3メートルを超える冬をやがて迎える。地震で被害に遭った家は、雪の重みに到底耐えられないだろうと、村の人たちは悲惨先で、たとえ帰ることができたとしても、その先の長いトンネルのことを思い煩いはじめているらしい。台風で倒壊した地域や地震で被害を被った地域や、僕の町の中にも土砂崩れで家財を失った家族がいる。天秤にかけることのできない悲しみが各地に散らばっている。僕にはこれを書くことくらいしかない。

2004年10月25日Monday晴れ
山古志村。
新潟中越地震は、今朝もまだ大きな余震が続いている。ヘルメットでもかぶっていなければ体育館といえども落ち着いていられないと、今朝のニュース報道にもあった。入浴中の小学生が梁の下敷きになって命を落としたり、時が経つごとに犠牲者の数が明らかになってくる。遣り場のない悲しみが、グヮーンと突き上げてくる。
被害の渦中にある山古志村は、昨年の春から半年間NHKの朝の連続ドラマ「こころ」のもうひとつの舞台として登場した村である。ここも来年の4月に合併して長岡市となるそうであるが、山古志とは見ても読んでもいい名前だ。災害のことは別にしてこういうものを残しておきたいと思う。ずっと前、もう25年位前の話。長野県の今の更埴市。コウショク。これがね、更科と埴科が合併して更埴市になったのだから、センスがないといったらこの上ない。呆れたもんだと、当時長野で風来坊の生活をしていたときによく話した。
「古志」の名は、旧い時代に古志の国があり、後に“越”という字があてられ、越後という地名にやがて引き継がれていくのだそうだ。山を越えていくその先に山古志村があるようなイメージが湧く。一時は山古志と他の町との道路網が寸断され孤立状態にあったようだ。また、全村民2,200人が長岡へ避難をはじめたという。美しい村が早くもとの自然豊かな村に再生されることを祈りたい。

2004年10月24日Sunday晴れ
八幡神社祭典の日。
午前11時になって暖かくなったところで屋根に上がり杉の葉を片付けて樋もきれいにする。下から区長さんに「気をつけな」と声かけられ、及び腰の姿を見られてしまったかと、少々恥ずかしい。
横浜の来客は「こちらの都合により、今日はキャンセルさせてほしい」と電話あり。護摩を焚いてほしいのにキャンセルも何もあったものではないだろうという気もするが、端からこっちの問題ではない。勝手にしやがれ!
今日の子供神輿は女の子たちが威勢がよく、賛美歌なんかを歌いながら「ワッショイ、ワッショイ」とやってきた。この国は宗教に対して寛容であり、これが一番。午後の護摩焚きがなくなったので同志会の諸君と1時間半ほど飲む。昼間の酒は美味い。
夕方庭を掃き焚き火する。これから落ち葉も本番だ。白い煙が空に立ち昇る光景が好きだ。焚き火も大好き。
ここは今日も平和であったが、台風や昨夕の新潟地震で被害を被った方々にあらためてお見舞い申し上げます。
「徒然」も書いて、ブログも書かなければなんて気持ちになっているのですが、いつまで続くことやら。こちらは写真を中心に簡潔に行きたいのですが。

2004年10月23日Saturday晴れ
秋晴れの穏やかな一日。
午後2時から甲府の玄法院で、醍醐派の宗務所会議あり。内容は例年のごとく山梨宗務所に割り当てられた本山からの宗費の件。昨年と同額であるが、出席者の中に収入源がないことを理由に、昨年より負担額を減らしてほしいとの意見が出る。一つ一つ事情を聞いていたり、お涙頂戴のようなことでやっていたら、どこの寺も皆貧乏寺なので収拾がつかなくなり、俺のところも減らせとなってくる。
調整がついたのはこういう事で。各寺院に割り当ては昨年と同額にする。ただし、どうしてもその額を納められなければ納めないで仕方がないということで結論した。山梨宗務所に割り当てられた額を全額納入すると完納報奨金として1割が宗務所に還付される。完納できなければ1銭も入ってこないということだ。でも、少し宗務所にもお金があるし(例えば完納できなくて報奨金が入らなくても)、一年間は何とかなるだろうし、完納できないことで本山がどんな風に出てくるのか様子を探ろうじゃないかということにもなった。もう、山梨はこの宗費の件しか問題はないのです。寺としては極貧だけれど、先生をしていたり公務員をしていたり大きな商売をしているところもある。
祖父が生きていた頃は、「納められんとこは納めんでもよい」で通って(通して)しまった時代と、時代はもっと厳しくなっている。いま大聖寺は、山梨宗務所内で幾つかの寺と、最高額の42,000円を納めている。これを高いとか安いとかこれを読まれた方はどんなに思うか知らないけれど、僕はこの42,000円で、寺と遊ばせてもらっていると考えている。こんなところで一年中遊べるならもう少し位なら、正直出してもいいと思っている。要は寺に暮らす人間の心のもちようだ。
日記の途中で晩飯を食っていたら地震だ。新潟の方で大きな地震があったようだ。台風が去って今度は地震だ。気の休まらない油断のならない日々が続く。僕は僕にできることをこなすのみだ。

2004年10月22日Friday晴れ
店を閉めるということ。
「35年間格別の御引き立いただき申訳ない事ですが来る12月1日をもって商売をやめさせていただくことになりました。」と、檀家のWさんからのはがきが届いた。甲府でお寿司屋さんを営んでおられる。ご主人は職人ではなく元教諭で、奥さんがお店を雇った職人と続けてきたお店である。年に2度伺う機会がある。正月のお札配りと盆の棚経である。3階の住居で経をあげ、1階の店でお茶とお寿司のもてなしを頂戴する。「私ども来年で傘寿と喜寿を迎えるうえ子供や孫達も夫々の道にすすみ跡を継ぐ者がなくこの辺が潮時と存ずる次第です。」と、閉店を決めたご夫婦の心境がつづられている。
店を閉めるということは、自らが老いをこれによってもまた確認するということなのだろう。立鳥、跡を濁さずや身辺整理にも通じる。これとこれは必要、でももうこれは要らないという選択をする時期が、やがての僕にも訪れるということか。...そして、オマエナドココニイナカッタノダ...ということになる。

2004年10月21日Thursdayくもり
意外とあっさりと台風は去り。
夕べ11時ごろには不思議と雨も風もなくなり、嵐の前の静けさかと思っていたら、ちょうど台風は、「山梨県の甲府市付近を通過中、云々」とのことで、静かな台風になって抜けていった。
予想した大きな被害もなかったようで朝を迎えた。でも風が一時強く吹いていたので、境内は杉の落ち葉がおびただしく飛び散っている。朝少し陽射しと青空が見えたが、名残なのかまた曇り空となり、少し風も出ている。墓地の水路は枝が詰まり流れが止まっていたので、スコップできれいに片付ける。ポツンとお地蔵様もだいぶ疲れたご様子。
先日国道に土砂の流れ出す被害のあった箇所は、今朝の役場の放送でストップのまま。また、通勤の人たちはどこを廻ろうかと頭を悩ますのだろう。
2日ぶりに本堂を開けてお勤め。早暁の本堂で理趣経を1巻となえる。全国では死者も負傷者も今年の台風中最も多かったようなのだ。その方たちへのお見舞いと、寺の周りに大きな被害のなかったことを感謝する。

2004年10月20日Wednesday
午前7時16分。雨は小康状態。
ヤフーサイトからの県内の天気予報では、この町は一日中強雨になっていて、それが明朝までの予報となっている。台風がこの地域から離れるのが明日の午前中で、降水量予測は今日の午後から夜にかけてが多くなっている。
墓地の水路も寺周りの水路も詰まることなく順調に流れている。落葉が始まっているので、葉が詰まるかもしれないが、前回のときにきれいにしてあったので今朝は順調でほっとした。紅葉も少しずつすすんでいる。池の上の紅葉も日々も色付きがすすむ。そういえば、期間限定で再結成したときのザ・タイガースに「
色つきの女でいてくれよ」というのがあったな。なんかいいな。
昨年の9月に4度、護摩を焚いてほしいと通ってきた来た横浜の家族から、突然電話がありまたお願いしたい旨話があった。彼らにはちょっと呆れてしまっていたし、その後何の音沙汰もなかったので「もう来ることはないだろう」と思っていた。一年ぶりの奥さんからの電話で、ぜひもう一度、一座護摩を焚いてほしいとの事。僕は「きっと、あなた方家族の姿勢がいけないんですよ。あなた方が心や身体の調子が悪いのは、おそらく自分たちの内に原因があるのだろうと思う。それをいつも見えないものに責任を転嫁して、何年となく寺や祈祷師の所を廻り続けている。それに早く気付くべきではないか。」と僕の感じていることを話した。彼女は今度は一方的に
「理智不ニ界會禮讃」を読んで護摩を焚いてほしいのだといい、「もう一歩なのです。ぜひお力をお貸し願いたい」と。
24日の日曜午後に護摩を焚くことになった。護摩を焚くことにやぶさかではないが、なんか現代っ子の僕の観点からは、ちょっと勘弁してほしい、受け入れ難い彼らの突拍子もない、交わることの永遠になさそうなステージの違う考え方なのだ。
(18:00) ブログも作ってみたんだけど。徒然と重複するのでいつまで続くかな。でも、まあ覗いてみてください。和尚無駄話ブログ

2004年10月19日Tuesday
名前はトカゲ。
台風23号の名前はトカゲ(TOKAGE)というらしい。どうなんだろう。ホントに天気予報のように、すっぽりとこの列島を包み込むように北海道へと暴れていくのだろうか。勘弁してくれ。
トカゲの尻尾のように切れてしまって、あちこちに拡散して泡沫となって消え果ててくれたらいい。
今日我が町は新しい町の町長になる人の選挙告示があって、立候補が1名で時間切れでその御人に最初の町の舵取りを任せることになった。旧身延の町長である。隣りの早川町でも現職が対抗馬無しで七選を果たした。
僕たちが住んでいた旧中富町の庁舎が新しい町の庁舎となっているので、なんだか他所の家のようで行くのが恥ずかしい気がする。単純に3分の2はかつて隣りの町だった職員なのだからね。人口比でも他の2町のほうが多かったので、なんか母屋を取られてしまったような気分なのかな。まあ、僕はもう4年半も他所の家に住んでいるので、余計母屋との距離が開いてしまって、そんな気分になっているのかもしれない。
そんなことより台風だ。急激に寒くなって、今日のデイサービスの送迎も、車内は暖房。帰りがけにデイルームへの床暖房も、職員に相談してセットしてきた。たいしたことにならなければいい。

2004年10月18日Monday晴れ
朝が寒い分だけ昼は暖かい。
パートの運転手が今日明日と休みなので、デイサービスの送迎をする。開所してから4年半を過ぎ、ずっと通っている人もいるし、向こうへ赴いた人も何人かいる。それから身体機能や思考が少しずつ後退していく人も多い。
AさんとBさんは、週に2回ほど利用している。彼女たち2人は同じ曜日の利用で、送迎の車も一緒になるが、毎回初対面なのである。ひとしきり互いの自己紹介をする。でも、ちぐはぐな会話でもない。しっかりと過去のことなどは覚えていて彼女たちを見知らぬ人であれば、ボケているのなんかわからない。
僕も最初はそうだった。何せ本人たちがそのことを自覚できていないのだからいい。今しゃべったことをすぐ忘れてしまう。それだけだ。生まれて老いて病んで死んでいくだけのことだとはいっても、生きていることは凄い。病にある父の終盤は壮絶であった。背負って本堂に行き経を唱えた。夕飯時、僕の幼い頃の話を懐かしむように話し始めて互いに涙した。死ぬのではないと思った。僕が生あるうちは父は死んでいないと考えた。そしてもう7年が経とうとするが確かに生きている。Kさんの日記を拝見しながら、いろんなことを考えたり思い出したりしてしまった。
帰りのAさん、Bさんに「いつまでも、ね」と心の内で言おう。

2004年10月16日Saturdayくもり
一日曇ってました。さっぱりしません。
夕べは楽しい飲み会でした。一年にめったにあんな楽しい飲み会はありません。
楽しすぎて、飲んで食って、会費も払わずに帰ってきてしまいました。Aさんゴメンナサイ。月曜日に。
今日はこれから役場へ宿直。なんだかとても面倒ですが、しょうがない。

2004年10月15日Friday晴れ
今朝は特別冷え込む。
朝カーテンを開けると窓ガラスが結露していた。放射冷却現象で日中の気温は上がるけれど、地熱が吸い取られた分朝の冷えが厳しいのだそうだ。この辺の科学とかの分野はまったくの苦手なのだ。高校3年のとき数学の中間テストは6点だった。恥ずかしいがまったくわからないし、理解できない。
ただ数学なんかでも、歳を重ねるうちに日常生活を通しながら、「ああ、こういうことだったのか」と、或る日突然憑き物が落ちたように、すっと排便(納得、理解)できることはよくある。それでいいのだ僕の場合は。齢48間近にしてこんな程度である。次の干支の廻ってくるときは還暦だ。そのときまで余命があったら、もっといい坊主になっていようと思う。そしてますます自由を謳歌する気持ちでいたいし、世情もぜひそうであればいいと願う。朝の陽射しがまぶしいくらいに平和な八日市場の朝である。

2004年10月14日Thursday晴れ
スズメバチもオフシーズン入りということらしい。
ここ何日か、スズメバチが落ちている。命尽きる頃なのだろうか。今日もお昼から職場に戻るときに、玄関先に落ちているスズメバチを見つけた。生きてはいるけれど、飛べる力が残っていなさそう。でも、これにひと月前に刺されてひどい目に遭っているので、さすがに直接触るわけにも行かず、が、(先日会ったKさんは見たことがないと言っていたので)どうしてもカメラに収めたくて、靴で少し踏んでダメージを与えておいて、柿の落ち葉で蜂をすくい、軒下で撮った。体長は5センチくらい。やはりでかい。ネットで調べたら、卵から成虫までやく32〜34日の時間で誕生をして、働きバチの生命力は2週間位の生命力しかないのだそうだ。それで、10月の中旬頃にオスの蜂と新女王蜂が交尾して来年の準備をし、餌が少ない時期なので、オスバチや働きバチなどを食べてたっぷりと栄養を蓄えてから冬眠の準備に入るということだ。きっと今がその時期なんだな。
インターネットを介して体を売ったり買ったりと桃色産業も華やかだが、一緒に死んでくれる人を捜すなんてことも、この世界独特のものだ。一度に沢山の人に伝達できる。一通ずつ切々と死ぬことを訴える手紙なんて、そうそう何人にも書けるものではないだろう。「天声人語」を眺めたら、「練炭の火のおこし方」を訊ねたり、クルマの運転免許がないので「(私が自殺するために)レンタカーを借りて欲しい」などという書き込みもあるのだそうだ。

2004年10月13日Wednesdayくもり
午後6時になってようやく国道が、片側交互通行で開通。
国道が5日間も閉められてしまっていたのだから、いろんなところで、会社とか商売とかに影響があったのだろうし、祭日を含んだ連休に客を見込んでいたところも痛手だっただろう。仕方がない。僕たちが手を出して止められるような次元ではなく、神の域なのだ。
今夜は、住所録を見直して、昨日も合併して新しい市が誕生しているので訂正した。年賀状の予約注文も女房に頼んだ。2ヵ月半で申年が終わる。僕の干支なので11月には48になる。
昨日と今日で「低音環境」のチラシやHPにお知らせページを作ったりして、少し前にBCCでmailを配信。先日A女史の紹介でお会いした養護教諭と薬剤師の何人かが、ちょっと興味を示してくれたので来てくれるとありがたい。
風呂からあがったら、屋根を叩く雨音が聞こえてきた。今はまた静かになったようだが、もうちょっとご勘弁。パソコンしながら、格闘技中継を音無しで時々ながめながら、JAZZからブルーグラスへと無節操に僕の秋の夜の時間が経つ。
アダルトサイトを中心にPCしてる訳ではないが、まあよくも毎日こんなものが入ってくる。
『沙智子といいます。27歳、欲求がたまりっぱなしの入社して6年目のOLです。こんな事こういう場でしか言えなくてとても恥ずかしいんですけど私…見られると…すぐ感じちゃうんです、濡れてきちゃうんです。人よりも性欲心が強いのかもしれません、人よりも変なのかもしれません。1日置きくらいに一人で…夜な夜なしてる自分てやっぱりおかしいんでしょうか…。誰にもこんな事話せなくて…それで思わずメ−ルしたんです。もう我慢できな過ぎて会社のトイレでしちゃった事もあります、あえぐ声を抑えながら…。。したくてしたくてたまらなくなる時って…ありませんか?それに彼という存在の相手は5年近くいません、その間に割り切りで出会った方とのSEXはありましたがそれもここ2年ほどありません。突然会ってSEXしてほしいとは言いません、少しお話して私でもいいと思って頂けるならあなたに…犯されたい気持ちです(プチレイプみたいのもいいですよねSEX…しませんか?)ご迷惑でなければあなたからのお返事待ってます。』だってさ。アホかっ、ペッ!ヨンジュン...。

2004年10月12日Tuesdayくもり
連休明けの火曜日も、車の往来は少ない。
国道がまだ開通していないので、女房は、逆に国道を下って波高島の駅に娘を送る。皆どんな風にしてそれぞれ出勤ルートを考えているのだろう。僕はまったく問題が無いのだが。
土砂で押し流されてしまった方に、共同募金会からの見舞いの手続きをしなくちゃならんな。
天候はさっぱりしない。どうやらまた下り坂気味のようだ。
(22:35)夕飯時になって雨が降り始めたが、今は止んだみたい。11月27日の低音環境のLiveのお知らせを作っていた。また大勢の方に来ていただけるとありがたい。プロのミュージシャンのいい音楽をぜひ聴いてもらいたい。寒いかもしれないけれど、お寺が生きてきた永い時間を、ジャズを聴きながら酒も楽しみつつ感じていただけたら嬉しい。
同僚のM君が、夕方家をわざわざ訪ねてくれて、結婚披露宴の案内状をいただいた。保健師のSさんと、とうとう一緒になることになった。「何だまだ付き合ってるんだ、ふーん...」とか僕はいつも言っていたけど、この日が来ることをホントはとても楽しみに待っていた。おめでとう。

2004年10月11日Mondayくもり晴れ
連休も今日で終わり、なんだかたくさん休んでしまっていたような気分で、明日の朝が重たいよ。
国道が土砂崩れでストップ状態なので、車の往来はとても静か。休みの日にはブンブンブンと、二輪車の群れが朝夕の行き帰りに聞こえるのも今日はなかった。
台風が去ると、昨日とか夕べの雨や風が嘘のように天候がよくなるのが普通だけど、今朝も雨だった。気分は重たく、なんだか僕は腑抜けのように今日も一日過ごしてしまった。
京都行きのことについて。うまく書けるかどうか。
10月7日仕事を1時間早引きして、午後5時過ぎに甲斐岩間から富士川号で。午後9時前に京都につきそのままホテルへ。素泊まりで6,000円。でも、何故か「ツインの部屋ですけどゆったり使ってください」とのコメントだった。
mailで連絡を取っていKさん来てくれて、近くの飲み屋で閉店まで飲む。楽しい時間はあっという間に。焼酎で酔っていたけど、晩飯というか、ご飯物を食っていなかったので、どうしても空腹に耐え切れず近くのコンビニでおにぎりを買って食う。そのまま風呂にも入らず、有料のアダルトビデオも見ずに6時半まで熟睡。目が覚めると雨音だ。
傘を捜すが、入れたはずの傘は、結局かばんの中にまで入れていなかった。11時に醍醐寺だったので、またしばらくまどろむ。二日酔であった。水を飲み風呂にじっくりと浸かりチェックアウト。京都駅まではほんの2分くらいなので傘もいらずに行く。京都から山科駅へ。山科から地下鉄で醍醐へ。醍醐に着くと大降りになっていて、駅ビルが10時に開店するのを待って、折りたたみの傘を買い、さしてもずぶ濡れになりながら醍醐時へ。
雨も風も強くて醍醐寺の三寳院の回廊はびしょ濡れ。それでも結構拝観者がある。僕たちが住職の辞令をもらいに来ている事情などは知らずに、僕たちの行列に立ち止まり手を合わせてくださる。申し訳ない。
中国の上海の繁華街で放し飼いにされているような感じの、管長から辞令の交付を受ける。僕もここのところ太ってきているが、この爺さんは凄い。おそらく100kgはゆうに超えているのじゃないだろうか。これを書いているが、本山の僕を誘導してくれた職員が「山梨の大聖寺さんはホームページをつくっておられますよね。時々拝見しています」僕、「まずいね」といった極少のやりとり有り。
それでも20人位の新しい住職方と一緒に辞令をいただき一時間半ほどで終わる。こんなところは早々に退散と雨中に出て山内を歩こうとしたが、いかにせん大降りで五重塔、金堂、大講堂を早足で見て早々にまた京都駅に行く。少々小腹もすいていたので駅ビルの11階で昼飯。昼食後にトイレに。雨で濡れていたので作務衣に着替える。うんこしながら右太ももの蜂刺されの痕を見たら、無性にかさぶたを取りたくなって取る。昼飯に熱燗2本飲んでいたのも影響してか、かさぶたを取った痕から、花火の松葉牡丹のような血が、ティッシュでぬぐってもぬぐっても止まらない。太ももから吹き出す血を見ながら、また俺のこのどうしようもない生き様を恥じた。
山梨は冷たい夜風の夜である。ニール・ヤングに慰められています。

2004年10月9日Saturday
台風直撃中。
凄いことになっている。いまだ風はないが大量の雨である。道路も電車もみな止まっている。京都行きが一日ずれていたらえらいことになっていた。帰ってこられなかった。
京都のことも書こうと思うが、なんだか落ち着かない。また見回りに行ってこようと思う。全国ニュースでも何度も報道されているように、「山梨県身延町手打沢」の民家は、裏山が崩れ家が全壊したのだ。家から5分くらいのところなので、他人事とは思えない。
身延線は電車が脱線したとも言うし、これからまだまだ当分続きそう。

2004年10月7日Thursday晴れ
シベリアは真冬だと。
シベリアはもう冬で、渡り鳥が越冬のため飛来し始めたという。昨日は日中は暑いくらいで、腕まくりをしていた。でも朝は寒い。温度には敏感だ。今朝の台所は暖房が少しだけ入っていた。それを違和感なく体が感じるのだから不思議なものである。
今日は一時間ほど仕事を早く切り替えて、夕方5時過ぎの電車で京都行き。明日、本山の醍醐寺へ上がらなければならない。午後9時に京都着なので、グビッとやって、コロッと寝てしまえば、明日の11時からの用事になってしまうのだろう。カレンダーをながめたら、月曜も祭日だったのだ。金も無いので明日の夕にはまた京都からとんぼ返りだ。
昼休みに頭を刈らなくちゃいけない。
(16:25) 上洛です。何年ぶりかなぁ。6年ぶりくらいか。先代の父が亡くなって一度11月に行ったんだっけ。京都かぁ。寒いのかな。熱燗かな。午後9時着だもんなぁ。

2004年10月6日Wednesday晴れ
4日ぶりに晴れて、たくさんの洗濯物が外に干された。
傘も朝日の下に花開いた。物干し竿がしなるほど部屋に閉じ込められていた洗濯物が青空の下に吊るされた。ケヤキの緑の葉がそよぎその後ろ遥か青空が広がっている。気持ちのいい朝だ。僕は家の周りに樋を、屋根に上がるのは滑りそうなので、梯子をかけてきれいにできるところだけを少し片付ける。泥の飛んだ腕や顔を洗うのも外の水道で気持ちがいい。
ニール・ヤングの9月のソロ・ツアーのliveをDLしたので出かける少しの間を聴いている。切ないくらいに彼の高音とアコギ一本の歌がいい。後半は奥さんのペギ・ヤングとのステージになる。このニール・ヤングとてもいいです。この秋にピッタリかも。聴いてみたい方は私信を。ちなみにLIVEは、「09-15-2004, Berkeley Community Theatre, Berkeley, California Benefit」「09-17-2004, Cowichan Centre, Duncan, British Columbia, Canada The Clean Air Concert」の2本あります。17日分はまだDLしただけで、僕も実際は聴いていないのですが、2本ともさして内容は変わりません。

2004年10月5日Tuesday
3連荘の雨の朝。
また今朝も雨で、朝飯の後墓地の水路の点検。流れをよくする。落ち葉がもう至る所に詰まったり、流れを止めていたりする。憂鬱な時間だ。でも、アホだから、流れがよくなると嬉しくなる。
部屋の中は洗濯物でいっぱいになった。鴨居にいっぱいに架けられている。乾燥機のない我が家は連続の雨はこれが一番困る。「パンツやシャツくらい2日でも穿いたり、着たりするさ」と、干場を捜す女房に言う。

2004年10月4日Mondayくもり
二日続きの雨で、出かけるのが億劫だったな。
今朝も雨で、出かけるのがなんとなく嫌だったな。それでなくても月曜の朝ってのは気が重い。やっとお昼になって雨が上がった。
インスタントの味噌ラーメンを食べて、汗かいた。眼鏡の度を少し強くしたので、それが間だ目にしっくりこないのか、ちょっとふらーっとしたような気持ちに陥る。
性同一性障害者の戸籍の性別変更を認める法律が施行され、カルーセル麻紀が晴れて戸籍上も女になったらしい。この問題に悩む当事者でないとこのことはよくわからないのだろうな。突起があったり陥没しているだけで男女の判断ができないということだけはわかる。
社協の会計処理がまだスタートしないので、もういろんな請求書がきているが、待ってもらっている。が、電話は払わないと止められてしまうので、とりあえず立替払いをしておくことになった。一時的な立替であっても、本来こんなことはあってはならないことなんで、早く正常な運営ができるようになればいいと思う。明日には理事の変更登記がなる(予定)。
イチローは262安打で今年の公式戦を終了。ご苦労様でした。オフシーズンまたいろんなイベントなんかで大変だろうけど、来シーズンも楽しませてください。
(20:35)まだショボショボと雨が降り続いている。寒い。柿の実を僕の家族は誰もほしがらないので、枝が折れそうに重く垂れている。そのくらい今年は実がついている。でも、他所の家の柿の木もだいたい似たようなその有り様である。誰も振り向いてくれない柿の木が、ぜえぜえ言いながら踏ん張っている。

2004年10月3日Sunday
雨で一日寒い。
天気予報があたり、暗いうちから雨の音を聞く。音を立てて雨が降っている。起きてから外の樋を眺めたら、どうやら詰まっていて、上の樋の受けが溢れていてうるさかったのだ。晴れたらまた屋根に上がらなければならない。
女房に急かされて8時前に、胃と肝がんの検診に行く。雨の中をA女史と保健師のS子さんテントの下で受け付けがんばってました。ごくろうさま。
帰ってきてテレビを見る時間もなく、(イチローのニュース何度でも見たかったのだ。)千葉からSさんご夫妻来る。早川町に建立したお不動様から10年経ったので、お世話になった方々を回ったという。お寺にもお布施をたくさん上げてくださる。感謝。祖父や父の残してくれた日々に今の僕はずいぶんと助けられている。僕も何か後に残る者に残せるだろうか。
10時から娘の同級生のT君、バイクを買って通学に使うというので、丁寧にもお祓いを受けに来る。お父さんはクルマで、本人は、雨合羽を着てHONDA トゥデイにまたがってやってくる。本尊の厨子を開き、経を上げお札とステッカーを授ける。僕も高校時代はバイク通学だったが、うちの息子はバイクに乗りたいとは言わなかった。僕なんか、バイクがあったから一人で好きなところに出かけたし、行動範囲も広がっていた。16でバイクに乗って、学校の帰りに同じ町の職場の同僚となったN君の家で、当時よく葬式の引き物につけられていた日本酒の2合ビンを2人で飲み、帰り道、砂利ですべって転んだりした。16で飲酒・酔払い運転をしていた。
雨でとても寒い一日となった。重いFree Jazzなんか聴いていたら、外が暗くなるのも早いように感じる。ずいぶんと日も短くなった。もっともっと短くなる。
それにしても昨日のイチローはかっこよかったな。今日も1本打って260に伸ばしている。日本のプロ野球が面白くなかっただけに、彼の快挙は特に貴重だ。衛星放送が広まって、向こうの試合を実況で見られるようになったのも、大きな原因かもしれない。こんなニュースが伝わるような日がいいな。

2004年10月2日Saturday晴れ
お陰様で。
護摩壇も仕上がり、サッシ戸には、網戸も今日入れてもらった。稔君手作りの護摩壇には、金ピカの銅版が張られ、これからどのくらい焚くことになるのだろうか、僕の護摩を焚く人生のよい伴侶となっていただけそうな立派な護摩壇だ。
新しい船が海に出るときのような出来事かもしれない。僕の今日は晴れやかな心改まる気分であった。
メガネにも新しいレンズが入り、修理に出しておいた数珠も出来上がった。安い数珠で、買ったほうが安かったかもしれないが、使い捨てで紐が切れたら捨ててしまうというのもなんだか忍びない。1本3,000円と、5本修理したので、紐の付け替えは決して安くはなかったが、まあこれも気持ち新ただ。

2004年9月30日Thursday晴れ
大風の一夜が去って、青空どこまでも。 夕べの風はちょっと心配になるくらいであった。雨よりも風が怖かった。木が倒れやしないかとか、そういった心配なのだが。いつもの台風の後の朝の見回りをして、あっと、もう行く時間だ。とりあえずたいした被害もなく良かった。本堂の渡り廊下や回廊は雨でびしょ濡れだ。でも、朝からの力強い陽射しで乾かしてくれるだろう。
(20:48)十七夜の月。今夜は月がくっきりとよく見える。法務局へ行ったり、下部の本所へ2度行ったりと、なんだか忙しなく一日が終わる。合併後にまた役員の交代が生まれたので、新たに登記のしなおしをしなくてはいけない。でも、最近は法務局の窓口対応が親切になった。今日も女性の方がとても懇切丁寧に細かなところまで気遣って指導してくれた。近く出産を控えた大きなお腹の方であったが、こちらも丁寧に頭を下げて帰ってきた。きっと、元気で聡明なお子さんが生まれることだろうと思った。夕べとはうって変わった夜で、網戸から夜気が入り、虫の泣き声が近く聞こえる。月は真上にある。

2004年9月29日Wednesdayくもり
満月は眺められなかったけど。 夕べ娘は周一回のピアノのレッスンに行き、そして保育園のときから習ってきたピアノ教室にお別れしてきた。妻は先生への感謝を込め花束を届け、娘は先生からプレゼントをいただいたようだ。高校に入り軟式テニスの部活に追われる日々で、彼女がピアノに向かうことはほとんどない。なんか最近はストレス発散なのか、レッスンの時に好きな歌をうたっていいということで、そんなふうにお楽しみ的にやっていたらしい。
息子の方は、この春に大学に入るまで、3月までピアノに通っていた。5月の連休に帰ったときもピアノを弾いていたし、音楽サークルでキーボードも担当しているらしいので、彼にとってはピアノを習ってきたことが役に立っている。息子のピアノタッチはやはり男性的な力強さがあったので、時にはうるさく感じたこともあったが、いま家にピアノの音のないのはちょっと寂しい。同じ道の後ろを歩いてきた子供たちが、ぴょんと飛び跳ねて、それぞれの道を新たに歩き始めている。
北朝鮮の拉致被害者の支援を担当してきた中山内閣官房参与が、一区切りと、辞任の意向を表したようである。帰国した3つの家族と背中合わせにいる、まだ消息の明らかにならない大勢の被害者たちの身内にとっては大きなショックらしいが、これが政治というものなのだろうか。日々勃発する様々な事件に、過去の出来事は猛スピードで消化されて記憶から遠のいていく。「忘れるな」「忘れないで」と声を大にしたところで、仕方のないことかもしれない。要は、しっかりと自分が在ることなのだ。と、ひんやりした朝の本堂で思った。

2004年9月28日Tuesdayくもり
十五夜。 今夜は良い月が見られるだろうか?十五夜なんてものも、カレンダーを気にかけていなければ見過ごしてしまうものかも。ましてや夜空を立ち止まって眺めるなんて事はめったにない。毎月の十五夜の晩を檀家の人たちと経を読んだ集まりも今年5月に閉めた僕としては、今夜を見逃すことは許されない(勝手にそう思っているのだが)。よい月を見たいものだ。
今朝のニュースで、飼っていたハムスターに噛まれて「アナフィラキシー・ショック」で死んだ人がいたという。僕も、先日エルクに買い物に行ったら、店長が他の店員に「おい、この間の芦安の人どうなったっけ?」「えっ?即死ですよ、即死!」と。実はこのお方、スズメバチに2度目だったらしい。どうもここのところ、こんな嫌な話ばかりが頭の中をめぐっている。
(20:23) 月が出ない。十五夜の月が曇り空にさえぎられて出ない。ザンネンッ!!満月の写真を一枚だけ勝手に拾ってきたので。許されよ。
自分を大切にする。愛する人を大切にする。満月を見るとそんな気持ちが心の底から自然に、温かな湯気のように立ち上ってくる。そんな緑の葉が風にそよぐような、穏やかな心の在り様と、ゆるい時の流れが大事に思える。
満月が出ないので、「満月の夕(ゆうべ)(ソウル・フラワー・モノノケ・サミット)を聴いている、ビール飲みながら。

2004年9月27日Monday
音を立てて雨が降っている、憂鬱な月曜の朝だ。 今日は初めての理事会と評議員会があるのでどうしても行かなければならないが、体がぐったりとしてしまいそうな、外の雨だ。
彼岸の最後の昨日は、宿直から戻って、客殿を片付けたり、何人かまだお参りの方もあったので対応したり。あと、セレモニーホールの人が2人訪ねてきた。いよいよ下山に「アピオ」が進出してくる。年末のオープンのようだ。「いろいろとご教授いただきたい」と。「私のところは小さなお寺ですので、そちらを頻繁に使うこともないでしょうが、施主がそちらをということであれば、使わせていただくことになるかもしれません」程度の返事をしておいた。一時、セレモニーホールを使えば手伝いも要らずに楽でいいと聞いていたが、最近では、「やはりホールは高い」という声を聞くことが増えてきた。僕のところは幸い広い駐車場もあるし、寺で葬儀をするのなら使用料をいただく必要もないので、できるだけこれからも寺を使っていただくほうを檀家の方たちには勧めていこうと思う。ただ、組の中の高齢化や、他町への転出などでどうしても人手不足になることは否めない。食事のことなどは、仕出し業者に頼むとかのことは模索していかなければならないだろう。
セレモニーホールができても、今が高齢化のピークじゃないかという気もしているので、この産業もいつまでこんな田舎で展開できるのかの方が気になるところだ。

2004年9月25日Saturday晴れ
今日はこれから宿直。 なんと4年半ぶりに役場の宿直。保健センター勤めだったので宿直がなかったが、町が合併して当分の間、旧町の職員が、それぞれの役場で宿直を継続することになり、我が町は出先の職員も本庁舎で宿直をするこちになった。
丸4年半ぶりの宿直が土曜宿直である。これから風呂に入って5時までに役場へ行く。午前中書き物をしたり、お墓参りの人の対応をしたりと比較的のんびりと過ごす。娘は友達と東京の専門学校の見学に行き、母も留守なので、女房と昼間からコンビに弁当であった。夜もまたコンビに弁当になるかも。
今日も暑かった。午後になって少し曇ってき始めたが、明日は地元の小学校の運動会なので晴れてもらわなくては困る。娘も高校に入ると、完全に運動会と縁が切れる。地区の文化祭も兼ねているが、どうもこちらの方も参加しないでもいいやという気持ちになる。一体誰と宿直なのか、こちらもいささか楽しみではあるが。

2004年9月23日Thursday晴れ
夕方になって雨。 今日も昼は暑かった。午後1時半からの彼岸法要には檀家のおばさん一人だけ。母と女房と僕の4人。でもやることをやり、お話もする。新しいサッシ戸の入った明るい客殿でお茶を飲む。
これはこれでいい。僕は僕に与えられた勤めをする。客殿と庫裏は明るい戸が入りきれいになった。音楽もまた新しい部屋で心地よく聞ける。
夕暮れ近くなって雷が鳴って、いっとき激しい雨。これもサッシ戸では何も心配がない。ありがたい。
東京からも2組墓参に来る。寺がきれいになるのを喜んでくれる。ありがたい。
2004年9月22日Wednesday晴れ
飲んでオールマン・ブラザーズ・バンド。 天候は下り坂だといっていたが、今日も暑い一日で終わる。夏休みの最後を取っていたので、休み。大工M君の仕事も今日で戸が全部入りそうなので、僕もゴロゴロしてはおられずに寺の事をする。
ここだけの話し、3年ぶりに位牌堂の壇の掃除をした。歴代の位牌から檀家の位牌までおろし、掃除機をかけ、壇を拭き、ガラスを磨き、位牌は全部ダスキンできれいに磨いた。BGMはPHISH。今は、飲んで風呂に入ってオールマン・ブラザーズ・バンド。
午後1時までかかって位牌堂の掃除を終えて、女房と甲府へ。一万円拾っていたのが持ち主が現れないので甲府署で貰えることになっていた。久しぶりに甲府の中心街まで。程なく一万円を受け取って女房が戻り、今度はエルクへ。アウトドア用の靴を買う。これでまた5年位はいい。古い靴は草刈り用に格下げ、でもこれがしばらくは僕の命を賭けた実践の友となる。
メガネも作り変える。二つのメガネで、チタンフレーム用のレンズと、ガラスレンズとで6万円を超える。ついでに標さんに教えてもらった合掌堂に数珠5組修理に出す。買った方が安ければ修理に出すなんてもったいないと思うが、安い数珠でも愛着があるし、数珠を廃棄するのにはいささか抵抗がある。で、もしかしたら高くつくかもしれないが修理に出すことにした。

2004年9月21日Tuesday晴れ
今日も晴れ、大工M君復帰。 腰痛で中断していたM君が復帰。客殿にサッシ戸すべて入る。明日4枚入ればとりあえず全部の戸が入ったことになる。細かな直しや手入れは別としても戸が入ってくれればこれで安堵。
彼岸の中日の法要に来てくれる皆さんに喜んでいただける。
社協はなかなかうまく歩き出せない。でも予定していた休みを明日はもらうことにした。なんとかなるだろう。

2004年9月20日Monday晴れ
彼岸の入り。 午前中11時前までかかって草刈を全部済ませる。彼岸の入りで墓参者何家族も有り。皆ご苦労様と声をかけてくれる。今日も暑かった。
どの人も、墓の草むしりから始まって、時間をかけながら墓の掃除をする。墓の掃除をしながらご先祖様と会話しているのであろう。墓を掃除する姿は美しい。きれいになった墓に花が活けられ、線香の香りが立つ。孫の手を取り墓参りの姿を見せるジジ、ババがいて、それがまた次の世代へとつながっていく。それでいいのでしょう。理屈じゃありません。彼岸に来る人たちは皆生き仏に見えます。秋の青い空から降ってきたかのように、光にあふれています。ありがとう。

2004年9月19日Sunday晴れ
秋刀魚の会の後遺症で、グータラな一日。 でも夕べ楽しかったので。おそらくキャンプ用として売られているのだろうけど、長方形をした七輪。これが秋刀魚を焼くのに丁度いい。頭から尻尾までまさに測って作ったように網に乗っかる。ほっくりと内臓まで焼けてまさに味は絶品。こんなにうまい秋刀魚は久しぶり。やっぱりガスで焼いたのとは天地の差がある。炭火焼きに限る。秋はこの秋刀魚があれば酒がすすむ。
七輪を囲んで、「喜田」の玄関先で話も弾む。保育園児や生後半年の赤ちゃんまで来る。後半は畳の上でまた飲む。最後は大女将の手打ちうどん。いつもながら絶品。お土産にいただいて、今日の昼もうどんをいただいた。低音環境のときにもとおばさんに、うどんをリクエストして帰ってきた。
今日は一日本を読んだり、CDを聞いたり、塔婆を書いたり。明日が彼岸の入りなのだが、今日が日曜で、墓参に見えた方も何人か。明日は敬老の日でもう一日休み。なんか得した気分。

2004年9月18日Saturday晴れ
忙しい友からメール届くが、こちらがその事情を解していなくて。 合併して同じ町になった友達から、パソコンのトラブルに関する詫び状がメールで届いているのだが、こちらはその事情さえわからずにいるので、(役場のPCが僕には無い)トラブルの原因のことさえ理解できずに困惑している。
ただ、文面からは非常に忙しいようで、夕べも飲んでしまった僕としては、遅くまで役場に居残っているのであろう彼に「申し訳ない」という気持ちのみである。
社協の僕の仕事は、始まってみたら、そんなに大きな変化も無く淡々と過ぎている。過ぎているというか、それでいいやと、そんなふうにいい加減な僕は処理しているということなのかもしれない。
空が明るくなってきて一日が始まろうとしている。群馬から帰省して、父親の供養をするご夫婦が9時半にお出でになる。彼岸も間近で、僕はにわか坊主に変身だ。来月頭には、行きたくも無い京都の本山に仕事を休んでいかなければならない。外見の頭は丸いが、中身は硬くてぶつぶつ、ゴツゴツしている本山の坊主どもを久しぶりに間近で眺めてくるか。
本山醍醐時の秋の夕暮れもいい。本山の内局(執行部)なんて、敬意に値するものではないが、あそこに連綿とした時の流れが確かにあり、神仏がそこかしこに収まり、僕の想像の域を遥かに超えた「何か」のあることは間違いが無い。その場所の懐の深さや匂いを感じてくるだけでも、上洛する価値はあるだろう。
(17:00) 今夜は「喜田」で秋刀魚を食う会。法事と草刈りで一日終わりました。あとは焼酎をあおるだけ。

2004年9月16日Thursday晴れ
今朝は寒かった。でも、7時半、日が昇った。 女房が窓の外で洗濯物を干しながら、朝の町の広報が流れてきたので、「聞きなれない人の声だよね」という。さして僕は関心もなく、村の外のスピーカーからの放送は内容が聞きづらい。「身延か下部から来ている職員かもね」という。僕はジェリー・ガルシアを聞いているので、「うん」とそっけなく応える。
彼岸の塔婆を1本書く。東京に住む檀家さんから昨日茶菓が二折送られてきた。23日に彼岸の法要(というほどのものでもないが)をするので、きっとお茶請けに送ってきてくれたのだろう。夕べ晩飯を食いながら、「電話しといたほうがいいぞ」と話していたら、午後7時丁度に向こうから電話がかかってきた。実はちょっと前にこの方から、訳のわからん電話がかかってきて、女房も僕も困惑した。どうも夕べの話の様子では、ちと酔っていたらしく、奥さんに叱られたとの事であった。その詫びを兼ねての茶菓であるらしい。
田舎にも縁が遠くなり、たまにこちらに来ても、ゆっくりと話をする相手もなく、お寺で「法要をしている時間に伺おうと思っていたので、それじゃゆっくり話もできん」と。まったく訳がわからん。話が目的じゃねぇんだから、あんたも法要の畳に座ればいいじゃねぇかと言いたかった、先日は。ま、夕べの電話で事の顛末もわかったし、老いるということの寂しさもわかるし。
今朝は冷え込んだように感じた。寒かった。娘は食卓で衣替えの制服の話などしていた。
(18:17) 急いで帰って夕暮れを30分ほど墓地へ行き草を刈る。犬の散歩の人が通る。お地蔵様の頭をなでてその足元をゆっくりと刈る。今日職場で「8月分の日記をゆっくり読ませてもらった」と或る方に言われ、「読まないでください」と言ったのだが、読んでかまわないという気持ちで書いているのだから、これはこれで仕方のないことだと思う。でも、身近な人で(口伝で)何人か読んでいるようなので、あまりいいかげんなことも書けないなぁと思っているところではある。
今朝の新聞に、先日までの我が町の町長は、新しい町の町長選に立候補しないと発表したとの事であった。三つの町がひとつになって仲良くやっていこうというのだから、初っ端から選挙戦になるのは、僕としては「無ければいいがなぁ」と思っていた。選挙になるかどうかはまだ流動的だけれど、なんか少しほっとしている。

2004年9月15日Wednesdayくもり
早起きで朝も何かと色々できて調子がいい。 娘が早朝課外で早起きで僕もそれにあわせて5時半には起きた。お勤めを済ませご飯を食べて排便の後、外に出てまとめてある刈り草を畑に入れる。手を入れると草の中が醗酵してきていて温かい。片付けて頭を刈る。境内の隅で枯れ枝の束を燃す。白い煙が何もさえぎるものもなく、風もなくまっすぐと天に上る。空はまだ曇っている。客殿の荘厳のための樒(しきみ)を取り替える。
幾つかのメールを読み、返事を書き、日記を書いている。BGMはPhishの2003/08/01のSound Check。軽いJamで朝から気持ちがいい。

2004年9月14日Tuesday晴れ
新『身延町』多難な船出。だってさ。 今朝の新聞には合併の記事が載っていて、多難な船出が指摘されていた。人口は3町合わせて9月1日現在で17,240人。高齢化率はなんと35.3%。合併効果を出すには職員の削減が急務と書かれていた。まさにそのとおりなんだろうな。とりあえず旧町の職員は全員が新町に残り、課や室の編成でも、自分のところは職員が要らないというところはなく、ほとんどが取れるだけの職員を取り合い、臨時職員も相当数残ったようだ。
ここなんだろうな。ここをしなければ合併の一つの問題の解決にはならないのかもしれないな。
今日も残暑厳しそう。メル友のOさんより「蜂刺され見舞い」のメール届く。加川良の「教訓T」のようなお言葉。「命は二度ありません」まさにそのとおり、よく肝に銘じます。ありがとう。

2004年9月13日Monday晴れ
町が合併し、初日終わる。 特別なものもなく一日はいつもの月曜日のように終わる。そりゃ、新しい町からの雇用通知や辞令なんかはあったが、でも特別感慨深いようなものではなかった。ああ、こんなものかと言ったところ。
社協の合併も、他の事務所へ移った職員が居たりして少々事務所は寂しくなったが、午後からは本所へ行き、新しい社協の職員の辞令を貰い受けてきたりして、なんだかあわただしく終わる。三つの町がひとつになったところで、さほど変わったところもなく、個人の思いなんて大きな得体の知れないものに対するビビリだったのかもしれないと思った。
これから、少し忙しくなったりするのかもしれないけれど、始まってしまえば、乗ってしまった電車のようなもので、行き着くところに行くだけのことなのかもしれない。そのくらいに気楽に考えていようと思う。
蜂刺されの後遺症もずいぶんと引いてきた。結局昨日の夕方も少し草を刈り、今日の昼休みも草の始末をした。僕はこの作業がとことん好きなのだ、きっと。これがこの寺に生きる僕の証しなのだ。
熱燗で、新しい町の門出を飲んだ。ただそれだけの一日の終わりだ。

2004年9月12日Sunday晴れ
中富町としての最後の朝を、まさか病院のベッドで迎えることになろうとは。 タイトルで、エッと思われる方がいるかもしれませんが、もう退院しています。
昨日の夕方スズメバチに右肩の下と、右足太ももの内側を刺された。午前中草刈をしたときに、コードの草刈の自動操出が壊れてしまったので、午後3時過ぎに女房が買い物に行くというので、一緒に出かけて買ってきた。明日は合併前の仕事に行かなければならない頭があったので、夕飯前にもう少し刈ろうとはじめて30分程たったころ、竹やぶの叢から2匹のスズメバチが飛び出してきて、右肩下を刺された。すぐに庫裏に戻り、エルクで買った虫刺されの毒の吸引器を押し当て処置。馬鹿な私はその後何を思ったか、蜂退治用のスプレーを手に、再び竹やぶに戻り、やつらを挑発して退治しようとしたが、見事返り討ちにあい、今度は右太もも内側一ヶ所を刺された。その頃にはじわじわと体に毒が回ってきていたのか、下唇にしびれちゃ腫れを感じていたが、再び庫裏で、ズボンを下ろして太もものところを吸引。で、ようやく事の重大さに気がつき、台所の女房に声をかける。「スズメバチに刺された」「すごい腫れてきてるよ、すぐ病院に」ということで、彼女は飯富病院に電話をする。僕は汗まみれが嫌で、風呂でシャワーを浴び石鹸でさっと体を洗うほどの余裕。まだこの頃は何とか歩ける状態。病院につく頃はなんとなく意識もはっきりしなくて、少々不快感もある。診察台に横になり、程なく来た女医さんの診察を受ける。顔は、唇も鼻も抑えるとパンパンに腫れているのか固くなっている。点滴を受けながら処置をしてもらう。ショック状態とかで、血圧が一気に下降しているらしく、今度は血圧を上げる注射をされる。これがとんでもないことになる。その3分後くらいに、頭ががーっと傷みに襲われ、胸が締め付けられ息苦しく、呼吸困難に陥る。「血圧を上げる処置をしたので...」とか話している。「ゆっくり呼吸してください」と女医と看護婦が続ける。女房は僕の名前を呼びつづける。いよいよこれまでかと脳裏をよぎる。涙が出てくる。頭の中で、「こんなことで死んでしまうってのもなんだかあっけ無く、哀れなものだなぁ」「草刈してて蜂に刺されて死んでしまうくらいの坊主で終わってしまうのか、トホホ」ってな気分だった。恐らく時間的には3分程度のことだったろうけれど、確かに生死の境に居た。行こうと思ったら逝ってしまえたのじゃないかと思う。呼吸も安定してきたところで、「一晩泊まったほうがいいでしょう」といわれ、ストレッチャーで運ばれて2階の個室へ。全身毒が回っているのか、ジンマシンのように赤くブツブツが浮き上がっている。喉が渇いて仕方がなかったが、点滴一本終わるまで飲ませてもらえなかった。娘が着て3人でおにぎりを食べて、やっと飲み物にありついて、寝たのが11時過ぎ。血圧は100前後を示していたが、薬は投与しないということだったが、特別具合も悪くなかったので、朝が来て無事放免。「次に刺されたときは、こんなに猶予はできないと思います」と告げられた。草刈に尻込みしたくなるような宣告ではある。とりあえず元気に復活。ビールはお預け。
長くなったが朗報が飛び込んだのでついでに告知。
『低音環境』(不破大輔:高岡大祐)の再びのLIVEが決定しました。ジャーーン。11月27日(土)です。ぜひ予定表に入れて置いてください。日を改めて詳細はお知らせします。住職敬白。

2004年9月9日Thursday晴れ
今日は遅くまで仕事になり...。 帰ってきたのは9時半過ぎ。午後3時前から下部社協で合併後の予算編成の打ち合わせ。遅々としてはかどらず、向こうを出たのが8時半。同僚のTとKは、新しい会計ソフトへのデータの打ち込みで、僕よりもちょっとだけ遅くまで下部に居て帰ってくる。
役場のほうはもう落ち着き始めて、13日の合併の日を静かに待っているかのような雰囲気に取れるが、社協はやっと本当の事務が始まったようで、何とも情けないやら、悲しいやら、気持ちだけ焦るやら。
残暑がいじめっ子のように嫌らしい。もっと、涼しくなって欲しいものだ。
寺の戸を入れ替えていてくれるM君が、夕べのソフトボールで負傷して夕べ入院してしまった。それほどの大事には至らなかったようで、2.3日したら退院できるらしい。まあ、焦らずに僕のところの戸などやってくれればいい。
GYROの11月のLIVEは、彼らのスケジュールの都合がつかず無理らしい。せっかく年2回くらい寺でLIVEやりたいと思い始めたので、なんとかならないかと、高岡君に交渉中。今夜はここまで。

2004年9月8日Wednesday晴れ
まだちょっと厚い雲が覆っているが、天候回復。残暑の一日となりそう。 朝のお勤めのあと、境内の見回り。害もなくてほっとした。あらためてここからケヤキを見上げるのだけど、昨日のニュースで見た風速50とか60には到底持ちこたえられないだろうと思う。老木を大事にしなければいけないし、気をつけていなければならないことは確か。
雨風の被害はなかったが、ここのところの雨が影響しているのか草の伸びがすこぶるよい。彼岸の前にまた草を暇をみて刈らなければならない。雲間から日が射しはじめた。秋の青い空も開き始めた。
中富社協最後の理事会と評議員会の一日が始まる。うまく通り過ぎることができればいいさ。

2004年9月7日Tuesday
台風の影響有り。横殴りの雨と風。 庫裏の入り口の戸を、サッシ戸に入れ替えてもらったので、庫裏の土間に雨が吹き込むことは解消された。ちょうど今日から稔君が改修に入ってくれて最初に玄関の戸を替えてくれたので、タイミングがよかった。
鍵をかけるのも、戸を持ち上げてみたり、女房も僕もそれぞれに工夫しながら、2枚の戸の鍵穴を合わせるのに苦労していたので、今夜からそれも解消されて嬉しい。
仕事では、今日監査を受けたので、明日の午後と夜で、理事会評議員会を開いて承認を受ける。それで大体のきりになる。
ここに生きている人たちが幸せになるための合併になってくれるといいのだけれど。個人的には合併後、出先の職員も本庁舎で宿直をすることになった。4年ぶりの宿直の再開である。なんだか気が進まないのだけれど、たまにはいいかなぁと思っていた頃のように気持ちは変わるかもしれない。

2004年9月6日Mondayくもり
体の大きな娘と川の字で。 寝しなの地震に恐れをなして、娘が部屋に来たので、夕べは3人で川の字で寝た。夜半の地震は心細いものだ。息子もそうだろうか。僕は一人暮らしのとき、やっぱり地震は怖かったな。揺れが収まるのかいつまで続くのか、まったく思いが及ばない。
大きな台風が来ているし、地震は起きるし、浅間山の噴火はあったし、想像の域を超えた大災害が起きる予兆なんだろうな。
来週の月曜日は新しい町に名前が変わる。あと一週間だ。

2004年9月5日Sundayくもり
夕べは韮崎の古民家で。有機野菜と高岡大祐とその友人たちのLIVE。あいにくの雨であったが、五代さんの生ゆばを土産に出向く。
即興音楽と紙芝居もありの時間。家には特別の感情はない。居酒屋喜田もそして我が寺もそれなりに古いので。畑山さんのやさいはとてもおいしかった。おしかったし、僕らが普段食べる野菜とまた違った料理で、そちらのほうが珍しかった。懐かしいと思った「玄米おにぎり」も、とても味わい深かった。役場に勤めるはじめや結婚後も、玄米のご飯を食べる時期があった。今は止めてしまったが、ゆっくりと噛んで味わいながら感謝しながらのご飯であった。
LIVE後に飲む。高岡君には、できれば11月頃にまた大聖寺でのLIVEをとお願いする。彼も「そちらにはぜひ伺いたいので」と、スケジュールのやりくりを考えてみてくれる返事。
僕はこの寺でのLIVEをできれば年2回きっちりとやっていきたい思い。時間はたっぷりあるようで、でも無いのかもしれない。
天国の扉を開くまでの間この寺を楽しみたい。

2004年9月4日Saturdayくもり
お昼前に雷と共に激しい雨。ようやく落ち着く。午後1時半。 午前中早い時間から参道や畑の草刈り。女房も本堂の周りの草取りをしてくれたので、雷鳴と共に降り始めた雨も、さほど苦にならずに涼しさを味わいながら作業を終える。やっと雨は落ち着いたが、遠くでまだゴロゴロと鳴っている。
昨日は個人的にめでたい日であったが、ロシアではとんでもない展開になった。ロシア支配からの独立と分離のためのチェチェンの戦いであるが、やはりこれは尋常ではない。こんなことをやっていたのでは永遠に解決にはならない。イラクもまた然り。死者は200人、負傷者は700人とも伝えられているが、上半身裸で逃れてくる子供たちの光景は、とても同じ地球上に生きている者として、それを確かに起きている事実として飲み込むのに時間がかかった。
遠回りでも確実な話し合いを持って事を解決していく道を選ぶべきだと思う。憎しみは憎しみの鎖を後の者に渡すだけだろう。
今夜韮崎の高岡君たちの催しも、平和への思いを共有できる人たちとの出会いであれば嬉しい。

2004年9月3日Friday晴れ
夜パソコンをつける気力がない、ここのところ。 仕事から帰ってパソコンに向かう気力は萎えてしまっているので、朝にしか書くことができない。
夏の疲れが出ているのか、合併前で気分が落ち着かないのか、理由はどれも当たっているだろう。
今日は午前中に、峡南文化協会ご一行が20名ほど寺に来ることになっている。会長に少し暇をもらってある。少し掃除をして、話すことも考える。朝の気持ちのいい冷気の中で考えるほうがいい。彼岸花が5分咲きくらいとなって、境内のあちこちに群生している。
相変わらず世の中の出来事は暗いニュースばかりだ。無関係の人たちを巻き込んでの事件が多いのはなんということか。こんなことも文化協会のお偉方に問い掛けてみたいと思う。
(18:25) 峡南文化協会の皆さん18名がお見えになり、約1時間ほど僕の説明や法話、それから本堂内の不動明王の拝観や皆さんからの質問等にお答えする。先代の父を知る方数名おり、懐かしそうに話をしてくれる。午後職場に、泉君訪ねてきてお母さんの介護の相談など受ける。彼は忙しそうに「また頼むな」ってことで、看護師などとも話して帰っていく。役場の会議室では内藤君にも会った。大切な友達二人に会えたので、今日は特別に僕の幸せな日となった。富山のノブ君からも連絡があり、義兄からは女房が超喜ぶ便りが届けられた。めでたい、めでたい日となった。

2004年9月1日Wednesday晴れ
9月。町村合併まで、もうわずか。 9月13日に町が合併して新たにこの町は「身延町(みのぶ)」となる。身延は、日蓮宗の総本山の町。私の寺は真言宗なので特別に関係はない。三つの町がひとつになっても、真言宗の寺は私の寺だけだ。密教寺院としてのこの寺を新しい町にできるだけ紹介していきたいと思う。
今日も残暑は厳しそう。もう朝から陽射しが強く暑い。でも、9月の秋の空だ。どこまでも青い空が、その青一色で天に広がっている。平和な空色なので、この空色が地球上をすべて同じに覆ってくれることを願わずにいられない。9月の地球上に平和がかなうように祈りたい。

2004年8月31日Tuesday 晴れ
台風が過ぎて午後は35度近くの残暑になるらしい。
雨よりも風が強いと眠れなくなってしまう。本堂や客殿に大木が倒れてこないだろうかとか、思い始めるとなかなか眠りに落ちることができない。
いつもの台風の朝のようにカッパを着て境内から墓地の見回り。山の土が大量に流れ出して側溝をふさいでしまう。小枝や葉っぱのつまりや、土の詰まりを何箇所か取り除き、流れをよくしてから戻る。一時間ほど歩き回り、もうパンツまで汗びっしょりである。「勘弁してくれよ」といつも思うんだな。
雨が上がりはじめ、青空が遠く駿河のほうから覗きはじめる。納豆の朝食を済ませ、雨でびしょ濡れになっている本堂に行き、観音扉を明けて風を入れ、簡単なお勤めとする。8月も今日で終わり。風がまだ強く、女房が2日ぶりに物干しに干した大量の洗濯物が、大きく揺れている。もう彼岸花が咲き始めた。


2004年8月30日Monday
台風の影響で蒸し暑い蒸し暑い。
汗が吹き出る。青空が見えたり、一転暗くなったり、風強く雨が横殴りになったり。
お不動さんを閉めてしまおう。
室伏に金メダルが転がり込んでアテネオリンピックが幕を閉じた。寝不足になったが楽しめた。あとの楽しみは、イチローの成績くらいなものだ。禅マスターのような風格のようなイチローが、連日アメリカンリーグの記録を塗り替えている。
今日の午後は共同募金の配分金の監査があるので、荷物もって合同庁舎まで出向かなければならない。午前中は、決算の資料印刷と、最後の正副会長会議。刻一刻とこの町が無くなろうとしている。会長も机の中を整理して静かにその任を終えようとしている。終わりが本当の終わりでもなければ必ずしも始まりでもなく、昨日の続きの明日にしかすぎないような、そんな9月13日だと思うので、会長には大変に申し訳なく思う。「さあ、今日でもって終わりです、お帰りください」ということなんだから。


2004年8月28日Saturday くもり
法事1件有り。
この法事は従姉妹のところ。久しぶりに会うY姉さんと、M兄さんと、今日は次男のTも来ていた。
こことはGYROもやってもらったし、今とてもいい関係を保っている。
"PRINCE"のファンクな音が良過ぎて、もう書けなくなるくらいに気持ちは萎えてしまった。酔ってもいるのだが。


2004年8月27日Friday 晴れ
朝から散髪。
明日、甲府で法事があるので散発する。帰ってきてから夜頭を刈る気力はない。
ボブ・ディランを音大きくしてかけながら気持ちよく頭を刈る。さっぱりした。仕事に行こうという気分に少しなってきた。社協の会計をおおむね閉めてしまい、月までに決算の資料を作って監事に送り、監査を受けることがあり、その後に理事会と評議員会をする。資料の送付だけで70人くらいになる。資料の印刷や綴じがいつものことだが厄介。
乗り切らなければ。役場の職員は連日片づけやら引越しの準備やら忙しいようであるが、こちらはまだまだ暗中模索状態を脱しない。
シンクロはどうも好きになれない。鼻をつまんでいる顔もこっけいだが、プールに飛び込むまでの歩き方も、なんか軍隊の行進を連想させる。今朝テレビで見た団体は特にそうだ。終わってからも、一人ずつ右向け右をしながら腕振って帰っていく。消防団の礼式訓練を見ているようで、まったく好きになれない。ただそれだけ。


2004年8月26日Thursday くもり
般若心経を読む。
般若心経を読む。観音経を読む。理趣経を読む。およそ経の内容など凡夫の僕につかめようはずもないのだが、ほぼ毎日これらの経と付き合っている。
わからんでも読んでいるのが僕である。わからんでも、ある日ある時の一瞬に、何かがわかったような気持ちになるときがある。それを反芻してみて、よく考えてみると、またひとつちょっとだけ先まで見えたような気持ちになる。それでいいのではないかと思っている。どうせ消えるまでわかりっこないのだから。どうせ消えるまでわかりっこないのなら、いま戦争には反対していたいと思う。オリンピックに参加している世界中の人間の一体何人が、「オリンピックに集うことは平和を求めるスポーツ選手のもうひとつの思いの現れ」などと考えているだろうか。
長島Japanのプロ野球軍団が、「金メダルだけを取りに来た、それだけをきっちり取って帰るのが使命」と。あほらしい。1億も2億も稼いでいるやつらが、「スト権を行使する」などと言っても、誰もそれ自体に興味は示さないと思う。般若心経を読め。
(12:46) 今日の朝日新聞「ひと」欄に、韓国で良心的兵役拒否運動を進める 李勇錫(イヨンソク)氏の記事が載っていた。韓国には徴兵制度があって、男子には兵役の義務が課せられている。いま、400人を超える拒否者が獄中にある。彼も来年には収監されるだろうと話している。韓国には、良心による兵役拒否者の集まりの「戦争のない世界」という団体がある。日本でも、自衛隊のイラク派兵などにより改憲の声も上がってきた。徴兵は隣国のことなどと呑気なことを言っていられない世の中になるかもしれない。韓国で「戦わない」という「闘い」に身を置く二人の拒否者の宣言を以下に転載しておこう。

【イ・ヨンソクの予備兵役拒否宣言】すべての戦争と戦争を行う軍隊に反対する。戦争はどんな建前をあげようとも、人間が行うもっとも醜悪な犯罪です。そして、軍隊もまたどんなきれいな修飾語をつけようとも、そういった戦争を行うための道具です。すべての戦争で犠牲になるものは、戦勝国でも、敗戦国でも、その国の力なき社会的弱者です。戦争と軍隊が守る平和は、本当の平和ではありません。短期的には軍事力のバランスにより平和を維持できるといえども、これは必ずや軍事戦争を誘発し、もっと大きな戦争を引き起こす原因にしかなりません。本当の平和のためには、みんなが一緒になって戦争準備を抑制し、軍隊を減らさなければなりません。これは南北が対峙している朝鮮半島においてはより切実な課題です。全ての戦争に反対し、軍隊によって守られる平和はないと考えます。そして、私は兵役の義務を拒否するしかありません。(2002年9月)

私は戦争に反対する。】何も持たない人々が、持っている者のより多くの富のために死んでいく戦争に反対する。自分が死ななければならない理由もわからぬまま死んでいったイラク戦争の被害者たちを考えると涙がこぼれそうになる。私は他の人を殺す道具になる訓練を受けたくない。「はなはだしい」訓練と、私の「良心」の間で終わりなき葛藤をしなければならない軍隊よりは、むしろ私は監獄がいい。(2002年10月)

2004年8月25日Wednesday 晴れ
今日は暑くなりそう。
オリンピックの野球は準決勝で負けたけれど、最後の町長杯ソフトボールの我がチームは勝利。11対0の完封でオサムさんの居るチームに快勝。
僕も何故かメンバーが少なかったこともあり先発で出してもらって3打数1安打2打点。勝利に貢献。
攻守交替の際に、オサムさんとA女史について言葉を交わす。「メールで連絡いったけ?」「秋刀魚ですか?」「彼女もいろいろと多忙のようですよ」「今夜も若大将らしいです」「そうだ、大変のようだ、彼女の動向には注目しとかないといかんな」というようなものだったか。
その彼女と合併後は勤務先が同じになる。今日は暑くなりそうな予感。メダルラッシュうに湧いたオリンピックも、昨日はメダル獲得もなく、秋風のようにもう終わりが近づいてきたのか。

2004年8月24日Tuesday くもり
ジョン・マクラフリンのギターが好きなんよ。
大学の頃から彼のギターの虜になって、もう30年になる。途中離れていた時期もあったが、「火の鳥」とかサンタナとの「魂の兄弟たち」とかは、時々聞いていたし、少し時代が新しくなってきてからは、インド音楽を融合させたBand シャクティがまた僕を縛った。
いままた、シャクティが「Remember SHAKTI」として還ってきて、とてもいい演奏を繰り広げている。タブラのザキール・フセインの話題なんかも、大きな反響のひとつになっているんだろうけど、とてもいい。
で、シャクティの音源がいくつも公開されていて、7月の演奏会の音源がふたつも最近公開され、熱い演奏だ。
熱いと言えば、今朝の浜口京子・アニマル浜口親子。アテネからの放送を独り占め。銅メダルを取って、新たな闘志をもう次の五輪に向けているかのようである。元気が良過ぎてちょっと「ちょっと、かなわんなぁ」という面もあるけど、まあ背中バーンと押されるように僕も元気出るな。ということで。
>

2004年8月23日Monday
浜口京子、金メダル取れなくてもいいじゃないか。
君らのようなレベルの選手にとっての金メダルは、まさに時の運だ。運をつかむのも技のうちと言う人もいるだろうが、準決勝で敗退した君の涙や一瞬にして小さくなってしまったような丸まった後姿が、とても寂しかったけれど、僕はでもとても楽しませてもらった。お父さんと一緒にこの国を出発するときから、君ら親子のパフォーマンスは、大好きだったよ。大きく胸を張って勝ちに来たアテネで、決勝には残れなかったけれど、もう一つしっかりと勝ってください。山寺から応援しています。
金メダル確実と言われていて、あっさりと金メダル取って行く奴もいれば、そうでない奴もいる。命を賭けてまで、初潮のごとき白地に赤くの日の丸弁当に、そんなにこだわることはない。「日の丸と君が代がもう嬉しくて...」なんぞと言うコメントを聞くと、もう僕は背筋がぞくぞくしてしまう。センターポールに日の丸を揚げなかった君に、賞賛の一本勝ちをささげよう。(まったく意味がつながらんな)。でもまあいい。日の丸君が代に不屈の闘志で座りつづける(立ち上がらぬ)、東京都の良心の教職員諸君にバンザーイ!!(※三上寛風に)

2004年8月22日Sunday くもり
高校野球の決勝戦、すごい打撃戦に釘付け、ついに優勝旗は北海道に渡る。
いやあ、すごい試合でした。試合の中盤から離れられなくなって最後まで観てしまった。駒大苫小牧が春夏連覇を狙う愛媛の済美に13―10で打ち勝った。
多分今つまらないスポーツはプロ野球だけかもしれない。オリンピックも面白いし、週末十分にスポーツ観戦を堪能した。
今朝は盆に頼まれていた護摩を朝8時から焚く。この護摩壇でひょとしたら最後の護摩になったかもしれない。新しい護摩壇を檀家の大工の稔君が作ってくれる。楽しみだ。護摩を長く焚くと、護摩壇からこげる煙が上がってきていたのでもう限界だったのだ。新しい護摩壇が仕上がればまた新たな気持ちで、思い切り護摩が焚ける。
祈る側と仏との橋渡しの役割を、もっとしっかりとこなすことができるかもしれない。護摩を終えて本堂の掃除も済ませる。夏の終わりを感じながら、百日紅の花の終わる姿や、うす曇の空を見上げた。何も変わらない日常であるが、それでも何かが少しずつ変わっていっているように思えた。
早く静かな秋になってくれるといい。JAZZもまた寺で聴ける秋になるといいけど。

2004年8月19日Thursday くもり
オリンピック寝不足。
結局深夜までうとうととしながらもテレビを付けていて見てしまうので、朝5時半過ぎの起床では寝不足だ。興味がすごくあるということでもないが、旬なものだから、過熱報道もテレビ観戦をあおるのか。すっかりオリンピック寝不足である。
息子も昨日の午後相模原のアパートに戻っていった。一週間の帰省で、あっさりと向こうに行ってしまった。盆中も忙しくしていたので、彼と話をする機会も、同じ時間を過ごすこともほとんどなく終わった。娘もまた、学習とクラブ活動でほとんど毎日学校通いなので、また然り。
昨日は久しぶりと感ずるような暑さだったが、今朝は涼しい。朝からヒートする夏にはさよならかもしれない。
今夜、勤めの飲み会がある。最後の解散会という名目らしい。明日は夏休みを取ってゆっくりと身体を休ませていただこう。
cocoaさんから送っていただいた枝豆のことを...。今朝のテレビでやっていたのを観た。「だだちゃ豆」といい、山形県鶴岡の名産らしい。確かに味はここいらあたりの枝豆と違い、香ばしい味がした。「だだちゃ」とはお父さんの意味で、ちなみにお母さんを「ががちゃ」と言うらしい。もうすでに腹に収まってしまったが、尿酸値の高い僕に、ビールや大豆製品は余り好ましくないらしいのだけれど、プリン体気にして夏をやり過ごすなんて無理だもんなぁ。

2004年8月17日Tuesday くもり
一日雨が降ったり止んだり。夜になっても涼の雨。
まるで一晩で季節が変わってしまったような15日からの気候だ。
アテネからの朗報に睡眠不足を感じながらも、冷たささえ感じる朝が頭を無理にでも覚ましてくれる。
盆中忙しかったので、土日月と3日しか休んでいないのに、久しぶりの出勤のような気分で、もうひとつ乗り切れなくて一日が終わった。
PHISHの最後になるのかもしれないスタジオ録音のAlbumが、何日か待って届いた。いいです。よかった。

2004年8月16日Monday 晴れ
飲むなら泊まれで夕べは、結局.
15日は外回りの棚経で、雨模様で涼しい一日となった.本栖は朝8時半ごろ通ったら、道端の温度計が17度だった。
棚経も、最近は少しだけ話す機会が増えてきて、若い頃のようにさっぱりとあっさりと事を済ませてハイさようならという訳にもいかなくなってきた。法事の日取りを決めたらい、お寺からのお願いや、檀家からの相談事を聞いたりすると、時間がかかるようになってくる。
昨日は祖父の生家の上求寺のおばあさんに新盆だったので、すべての檀家を廻り終えてそこに行った。早速ぶどう酒である。「どうだ、飲んでもいいのか?飲めるのか?」飲むなら、飲んでもいい気持ちがあるなら「泊まれ」と、選択を迫られ、あっけなく落ちた。4時から延々11時過ぎまで飲んで叔父さんと話した。
二日酔で起き、北島の金メダルのニュースなど見ながら朝飯をいただき、9時に帰宅。女房は今朝は病院の仕事に行っていたのだ。(しばらくそこにまで考えが及ばなくて、どこかに出かけているのかと思っていた)。午後2時からの寺の護持会のために支度をしながら、ボーっとした頭は身体を横に、横に、横になれと脅迫する。マリナーズとヤンキースのイチロー、ゴジラ対決を見ながら、うとうとする。いやぁ、年だわ。
午後2時から寺の檀家さん来て護持会の総会。庫裏と客殿の戸をアルミサッシの戸に入れ替える件と本堂の護摩壇を佐田稔君に作ってもらう件の承認を得る。一安心。総会後飲む。世間話をしながら、今日も結構遅くまで飲んだ。娘に手伝ってもらいながら片づけを終え、盆の幡の幟を倒し、住職の主張の張り紙も片付け、盆を終える。昨日の雨の後の今日は、午後暑かったけれど、一昨日までの暑さとははっきり違う。盆が明けると一気に秋らしくなってくるのが例年で、今年もそんな予感。季節は正直だ。
cocoaさんから、鶴岡産の枝豆が送られてきていて、檀家の皆さんにも振舞って食べていただく。小粒だけれど、この土地の枝豆と少々味が違うような感じ。でもここではまだ枝豆の収穫には至らないので、皆喜んでくれる。ついでに「インターネットで知り合った方なんですよ」と話す。「そんな縁が生まれるのか」と興味を示してくれる檀家さんも有り。
盆はいつもあわただしく終わる。僕の盆は体休めの盆にはならないのに、ステテコいっちょうで畳の上にゴロゴロしながら、一日中ビールを飲んでいるような人たちと同じように、夜飲んでしまうので、朝が辛いのだ。年々辛くなってくる。
盆休みの今日を終えて明日からはまた、「合併」を頭の中心に置きながらの日々が再開だ。
>

2004年8月14日Saturday 晴れ
一軒一軒ごとにそれぞれの物語がある。
棚経に歩くのも、ここのところ、話を聞いたりすることが多くなってきた。若い頃は回ってしまえばお役御免になるので、さっぱりとあっさりと経を読んで廻っていた。
「方丈さん」と、声かけられたら、「はい、はい」と聞かなければならない。これが47の今の住職の僕である。檀家の人たちも、祖父や父を待つことは叶わないわけなので、僕に思いを託したりすることになる。
淡々と棚経をこなしながらも、じっくりと話す家もあり、ちょっと飲むほうがいつもの年より多くて、小便が近くなって困りました。
明日は村から出て外回り。

2004年8月13日Friday 晴れ
スカパーに「日本文化チャンネル桜」が開局する。やばいよ、やばいよ。
それもなんと、8月15日午前6時開局。http://www.ch-sakura.jp/index.php。『チャンネル「桜」は、日本の伝統文化の復興と保持を目指し、日本人本来の「心」を取り戻すべく創立される日本最初の歴史文化衛星放送局です。戦後日本は、チャンネル「桜」で変わります。』というコピーが、先ず最初にホームページのトップにある。えらいことになってきた。まあ、どれだけの視聴申込があるのか知らないが、僕にとっては憂うべきこと。
(18:15) 盆も暑いままだ。一日仕事。昼休みに墓地の読経を済ませ、今夜は新盆の檀家2件を今から。歩き疲れる盆がきた。

2004年8月12日Thursday 晴れ
赤い付け毛をふたすじ髪に垂らして息子が帰ってきた。
大分、一人暮らしを満喫しているようである。大学の授業はそこそこにこなしているようであるが、音楽活動は非常に精力的にやってるようだ。夏合宿とやらで新潟にも行ってきたとのこと。卒業した先輩も来たとか、彼は学生生活を大変に楽しんでいるようである。
は、今日がテニスの1年生大会で、6時前に出かけた。どんな結果を伝えてくれるのだろう。
家族がそれぞれの生活に追われているようで、あらたまって他の家族を振り向いてみるゆとりがない現状だ。元気であればそれで良しか。
福井の美浜町は、原発で潤っている町である。さらに使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致にも動き出しているとか。巨額の交付金というにんじんを目の前に置かれて、この町は、核のごみに埋もれることになる。事故が起こらなければ何もないように海水浴場も人出があるということか。事故が起きた瞬間に手のひらを返したように、原発は危ないという。人任せだったり、事故さえなければそれでいいんじゃないかという考えが、そもそもの間違い。私たち自身がもっと深く考えて、賢くならなければ何も状況は変わらない、いつだってうわべの汚れだけを拭いて終わりのようなものにしかならないのではないか。

2004年8月11日Wednesday 晴れ
どうしても腹に据えかねることがある。
一兵卒の私が何を言っても始まらないだろうし、取り上げてもいただけないことかもしれないが、合併の話をしていてもどうしても、この一点だけが全体の中に大きな影を落としていて、誰も口には出さないが、根本的な問題が存在する。
30分以上も湯に浸かりながら、晩酌の酔った頭で様々に思いをめぐらしここに至った。ジェリー・ガルシアの歌う、「ハーダ・ゼイ・カム」が流れている。なんて世の中なんて、そこを牛耳っている奴等だけで動いているものなのか。頭に来るが、すでに風呂上りの身体からは火照りとも怒りとも判別し難い湯気が立っている。
クソッ!!!!
女房が駅まで迎えに行き、もうすぐ息子が帰ってくる。

2004年8月10日Tuesday 晴れ
二日酔いだよ人生は...みたいな。
そんな人生を20歳過ぎから途切れることなく続けてきてしまっている。夕べは琉球帰りの某女史と居酒屋へ。しっかりと金を払って飲み物食べ物を注文するという行為をする飲み方を普段ほとんどしないので、夕べの酒の肴は実にうまかった。思わず「やっぱ、たまにはこういう所に来なきゃダメだな」と漏らしてしまった。
襖隔てた隣の広間では、隣町の役場の方々が大勢さん飲んでおられて、その中のおひとりが、私どもの席にちょくちょく顔出しながら合併の話など。月曜日でも結構飲む人いるもんだなぁと、己が姿も省みずに感心。
店を出るときにはじめて雨が降ったことを知り、気持ちのよい夜を帰ってきた。帰ってきてテレビで美浜原発で2次冷却水が噴出し11人が死傷した事故を知る。出川じゃねぇけど「やばいよ、やばいよ」。放射能漏れにはつながらない事故だというが、原発での事故はその箇所だけですまなくなる大きな危険を抱えている。
三菱の欠陥車のこともそうだけど、できるだけ事故のことなんか隠しておきたいものだ。文殊だ普賢だなどと、聖なる仏の名を語って稼動しているのだ。
今日も暑い。ケータイ電話がいよいよその生涯の終焉期を迎えたようで、盆過ぎには新しいものに換えることになると思う。この際、ケータイでのメールにも挑戦してみようかなどと思ったりもするが、どうもあの小さなボタン押して、あいうえおを打っていく行為は耐えられそうにない。
(21:55) とにかくこれだけは今夜書き加えておきたかったこと。美空ひばり。NHKで夕飯の後そのまま引き込まれた。よかった。「悲しい酒」では、もう彼女は前奏のギターの音色で目が潤み、自らの声を発するとともに、涙がツーッと頬を伝わるのである。なんというこの芸人の鑑であったことか。もって生まれたものではあったにせよ。僕のこの夜をまた泣かせてくれたのである。僕は、都はるみが好きである。亡き中上健次が、はるみちゃんを伴って大阪のとある商店街で歌わせるビデオは、僕の宝物なのだ。美空ひばりも今夜はぐっときた。やはり歌は歌い継がれなければその使命を果たせないと思った。

2004年8月9日Monday 晴れ
腰も上半身も痛くて、月曜日。
蜂に刺された周辺が少し腫れていて熱を帯びている。痒みも出てきた。筋肉痛で両肩や背中、腰も痛い。仕事に行くのも億劫になる月曜の朝だ。
命を賭けてまで草刈りもしたくねぇーもんだと、便器に腰掛けながら思った。こんな生活がいつまで続くのやら。蜂に刺されてショック死なんて記事も出てたりするので、まんざら楽しそうに「今季3度目」などと、佐々木、ホームラン3連発を浴びて救援またも失敗の記事のように、呆けて眺めてばかりもいられない。
マクラフリン&サンタナで、活入れてから出かけるか。
(12:25)事院勧告で公務員給与は据え置きとなったが、寒冷地手当は支給地域がかなり絞り込まれるようである。おそらく僕の住む地域などは対象外となるのではないか?寒冷地手当というもの自体が、あまり僕の頭の中になくて、月給やボーナスは当てにしているけれど、寒冷地手当については、毎年支給されたときに、「あっそうか」と思うくらいであった。冬場の光熱費に大変な出費があるというほどのこともないので、これの見直しは納得できるけれど、景気が上向いてくれて、来年の勧告時には、ちょっとでも上がるというようなことになってくれるとありがたいのだけど。しかしながら、今日も暑い。暑い地域に住む労働者への手当てというものは何かないだろうか。と、考えるのも嫌だ。

2004年8月8日Sunday 晴れ
また蜂に刺される。
又八に刺される、であると殺傷事件だが、蜂に刺されるである。今季3度目。今日は右の耳の上頭部。午前中草刈りをして、その後シャワーを浴びる前に頭を刈ったので、午後3時前から始めて、10分ほどでチクッと。痛いよ。3度も刺されて、微妙に頭の中も毒に犯されているのかもしれない。
盆のしたくも大体このくらい。夕方女房と酒の買出しに行く。
早く、開も帰ってこないかなぁ。一晩くらいは飲んでみたいものだ。

2004年8月7日Saturday
午後から雨。
午前中は何とか天候が持っていたが、午後から雷と雨。今もまだ降っている。20:35。
今夜はこれから中国でのサッカーの決勝戦。試合も観客の動きもとても楽しみ。
娘は近所の同級生に誘われて市川大門の花火に行ったが、女房が「電車に乗ったというので迎えに行ってくる」と出かけた。花火大会も今夜はきっとうまく事が運ばなかったのだろう。
連日の夜の雨で、夜は過ごしやすく涼しい。そういえば今日は立秋だそうだ。昔の暦が今の時代に必ずしもふさわしいとは思わないが、暦を先取りして、僕たちに「心して置けよ」と言ってくれているようなところはありがたい。

2004年8月6日Friday 晴れ
夜になって。
今日も暑さが厳しかったが、夜飲んでいるとゴロゴロと鳴る。テレビにも頻繁にひびが入る。遠くで落雷があり、雨が降り始めた。今まさにそんなときが続いている。
暑い昼の身体を冷ましてくれる雨だ。
雨の後の被害の復旧に大変なところもあるが、僕のところではしばらくおとなしい雨なら捕まえておきたいような気持ちがする。稲光と雷の音に今聴いているフェラ・クティはよく似合っている。褐色のアフリカの戦士。
明日あさっては、盆の準備をしなければならない。
瞬間の停電で2度も電源が落ちてしまったわい。

>2004年8月5日Thursday
天候は回復するのかと思っていたらまた降ってきた。
台風の影響なのか、明け方から豪雨。5時半前に起きて、墓地と寺の建物や側溝を点検。日曜日に草刈りをしていたので、いくつか草が水に詰まって流れの悪くなっている箇所もあった。
40分ほどで終わる頃には雨も上がる気配で、朝食を食べながら娘に、「午前中の課外が終わる頃には、テニスコートも最高のコンディションになっているんではないか」などと話したが、また強い雨が降り始めた。
中国のサッカー・ファンの、日本の選手やサポーターへの野次攻撃が問題になっているが、どうなんだろうね、僕自身が中国や韓国に生まれていたら、結構根強く反日感情を抱きつづけていたかもしれない。涼しくて気持ちのいい朝だな、カッパを着て外を歩いて汗もかいたし、その分余計に外気が気持ちいいのかもしれないな。


2004年8月4日Wednesday 晴れ
今日も一日気持ちだけが事を急いで、歯車かみ合ったり合わなかったり。
合併する他の2町の担当職員と長い電話をすることになってしまった。互いにトンネルの先が見えているようで確かにはそれを確認できていないような今の状況に不安をもっている。マザコンの明石家さんまのように、ギュッと股間を握り締めたくなるような焦燥感にかられる。一体どうなるというのだ。時間だけがまさに無常に非情に過ぎていく。
帰りに足を伸ばして、本屋に借金を払いに行き、コミック棚から偶然にも見つけてしまった「吉田秋生/イヴの眠り1&2」を買う。ラッキー(^。^)。「YASHA〜夜叉〜」の後の作品を待っていたので、これは今夕はついていました。「カリフォルニア物語」「BANANA FISH」と、吉田秋生ワールドに浸かりこんでいるので、今宵はこれから心地よい音楽と網戸からの風と冷たい緑茶で、2冊完読といけるか


2004年8月3日Tuesday 晴れ
今日はだいぶ涼しく感じた。
ソフトボールの夜も気温はいつもより低かったのか、風もあってだいぶ涼しい。連日猛暑だったので、20度の後半でも身体は涼しいと感じるようだ。
合併の話が8月に入って、いよいよ尻に火がついてきたように感じる。社協は何とかなるんだろうか。何とかしなければならない。
忙しい月になりそうな予感。

2004年8月2日Monday 晴れ
これを読んでも何も得するものはなし。
2日書かなかったので、こんなタイトルもどうかと思う。「オイ、品川に行ってきたんだな」と、俺の行動をしっかりと読んでいる人もいる。
俺は何のためにこれを書いているのか?読まれて当たり前だし、読まれるには読まれて面白おかしいものにしたいとも思う。読まれたくなきゃ公開しなければいいのだし。阿呆は2度死寝ない。
お母さんに心配事があるので、護摩を焚いてほしいという方から夕べ電話があったが、飲んでいた俺は、「つまらん心配事などするな」「通常自分で解決できることのほうが多いようだ」「寺に来ても解決に至るとは限らない」と、蹴ってしまった。名前だけ聞いていたので、今朝のお勤めで、彼女のお母さんと彼女のために祈る。それだけじゃダメなんだろうか?
これでここに電話がなければ、よい方向に風向きが変わったのだと思いたい。最低な坊主でいたいぜ。

2004年7月30日Friday くもり
降ったり止んだり、曇ったり照ったり、蒸し暑い。
台風がまだ影響しているのか、午後1時半過ぎに帰宅して、不快度100%の部屋に居る。
品川駅の沼君と辻コースケ君のPer Sessionを聴きにいってきたが、夜の品川駅は少しの風がありビールもうまかった。馴染みの客たち10数人がそれぞれ勝手に飲み食いして、踊ったり本を読んで居たり写真やビデオに収めたりしていた。初めての僕をネット上で知り合っていたお客さん建ちが、友好的に迎えてくれて楽しい一夜だった。
偶然品川駅で、富士豊茂の檀家の息子さんにも肩を叩かれ、「住職こんなところで何してるんすか?」「ちょっと知り合いが太鼓をたたくもんで...」と話して忙しく別れる。人生の偶然なんてこんなところにふと転がっているもんだ。cocoaさんにも会えるかなぁと思っていたが、夕べは来ていなかったようで、持っていった大聖寺でのGYROのLIVE CDRは、せっかくなら女の子にと、やはり沼君の掲示板なんかで僕のことを知っていた子にあげた。
夜の品川駅港南口広場に、辻君のコンガが気持ちよく響いた。もう3年も続けているのだと沼君が話してくれ、雨が降っても雨をしのげる場所でやるのですと、彼らがまったくの無償でやりつづけているこの行為に、僕は感激だった。会社帰りの酔っ払いサラリーマンが、いきなり踊り始めて廻りから喝采を浴びるシーンなどもあった。おそらく誰も彼らにここで太鼓を叩いてくれなんて欲してはいないのだろうけど、月に2回、彼らの夜に遭遇すれば、またちょっと変わった素敵な夜になるのかもしれない。それでいいのだろう。終わった後は、onariさん他2名ととても狭い路地のとても狭い2階の韓国料理屋で1時間ほど飲む。
12時を過ぎへ宿に戻り、朝の10時の新宿発の高速バスで甲府まで戻り、蒸し暑い家に帰り着く。7月も明日で終わり。

2004年7月29日Thursday
雨の朝。
さすがに朝一番の帰宅は老体にこたえる。でも、酒の残る身体に朝からの雨は気持ちがいい。
台風の影響余りないといいのだけれど。今日は午後から休みを取って上京。金も安そうだし、バスで新宿まで行こうかと考えている。ここまで。

2004年7月28日Wednesday 晴れ
富士川に浸かる釣り人がうらやましい。
今日も一段と暑い。雲が湧いて青い空に威張ったようにある。
昼休みで家に戻る車窓から富士川を眺めると、赤いライフジャケットを着た鮎釣りが、腰まで浸かり、長い竿を垂れている。釣果は興味もないが、輝く川面と一体となって、その腰から下は富士川の割と流れの激しい場所にあって、きっと涼しいというより冷たいくらいなんだろうなと想像すると、たまらなく僕も駆けていって飛び込みたいような気分になった。
昼飯を流し込み、風呂を洗いがてら水浴び。健康診断も受けたので今夜は飲んでもよろしい。結果は今気にしていても詮無いことだ。
お昼に戻ったとき、STCという下部町のCATVの職員が、「合併前に中富町を紹介したいので、ここも撮らせてください」とのこと。そうか、それはありがたい。本堂にも上がっていただいてお不動様も撮っていって貰った。近くて遠いお互いの町で、知っている人は内藤君と数人くらいしか居ないのではなかろうか。かつての不動信仰のように、新しい町になって、またお不動様を信仰してくれる人たちが生まれてくれるといいなと期待する。

2004年7月27日Tuesday 晴れ
台風10号が接近しているというので、上京できなくなるのは困るという不安。
せっかく予定立てて夜の東京を楽しみにしているのに、台風が来ているという。出かける準備をしているところに台風でなくてもいいものだろうに。女房と娘は明日の夜から親戚の人たちと北海道に出かける予定になっているので、これまたいい天候で楽しませてあげたいと思う。
僕の東京はPercussion sessionなのだが、演奏場所が品川駅ということなので、雨(特に台風なんかじゃ)ではどうなるのだろう。Percussion sessionがダメだったら、大泉学園で渋さチビズのLIVEがあるようなので、そちらに変更は可能なのだが。
機能が雨で少し気温が低かったせいも影響しているのか、今日はまた一段と湿度の高い蒸し暑い日だった。午後4時くらいでも陽射しは最高な輝きだったし、老人クラブの役員会を終えて、総合会館から荷物運んでT君と戻り、プロジェクターやらスクリーンやらたくさんの荷物を運ぶのに、とてもしんどかった。
誰かが捨てていったのか、先週からいた生まれたての猫3匹のうち、1匹はいなくなって1匹は死んでしまい、1匹は職員がダンボールに入れてどこかに運んでいった。
脱北者200人が韓国入り、中国じゃ赤ちゃん118人を売買していたグループが摘発、韓国の20人以上の連続殺人容疑者が「監獄で組織暴力団や経済事件を犯した人間をあと1、2人殺して刑場の露となる」とほざいているそうな。日本じゃ自然災害や交通事故が多発。地球的規模の異常気候に世界中が覆われているのだそうだ。
僕は昨日今日と休肝日。

2004年7月26日Monday 晴れ
待ち遠しかった雨降る。大地潤い、植物首をもたげる。
明け方に激しい雨。1時間くらいは降ったか。涼しい朝となった。涼しい朝を感じると、秋がこの後にくるのだなぁと実感する。
朝刊で、デイサービスを利用していたお年寄りがまたひとり亡くなったことを知る。すでに90を越している方だったので、大往生なのだろうか。
盆を迎える支度をしていると、死ぬということのその向こうに何があるのかを思ってみたりするが、結局何もないのだということに突き当たる。無から生まれたものが無に還っていくということだけなのか。本を読んだり音楽を聴いて、深く感じるものがあったりすることは、生あるときのみの愉楽であって、呼吸を終えたときから苦痛・苦悩・快楽といったあらゆる心の動きも停止してしまうのだから、何のための“生”なのだと思えなくもない。
深そうでわからない世界だ。この世にあっては語るには易く、本当のそれを知るには難い。1975年の弾けるようなMILES DAVISを、「寒いくらいだな」などと女房とたわいない会話しながら聴いている。MILESは、よくはわからないけど、頭を抱える前に先ず吹いてしまったのだろうか。

2004年7月25日Sunday くもり
寝苦しい夜が続き、からだは夏バテだ。
金曜も土用の夜も暑くて眠りになかなか入れない。水を飲んでも眠れない。クーラーの無い部屋では眠れないということか。
今日は幾分涼しい。お昼前からゴロゴロと鳴っていて、降ってくる前にと女房と草取り。パラパラと降り始めたが、長続きせずこれもそれだけで打ち止め。
育成会が八幡神社の前庭でバーベキュー。僕も途中で草刈り機を降ろし、生ビールのご相伴に預かる。鉄板焼きそばと生ビール2杯。
来週はもう7月最後だ。パーカッション・セッションを品川駅に聞きに行こうと予定している。次の日曜は8月で、檀家の皆さんと墓地の草刈りである。ちょっと相談したいこともあり、どうも頼みごとは苦手なんで、少々気が重いんですけどね。

2004年7月23日Friday 晴れ
週末週末、金曜日。
ここに婿養子に入って僕らと付き合っているT君のお父さんが亡くなられて、連絡をもらったので夕方通夜に行ってきた。
彼はここをとても気に入ってくれているので、もう小さな頃から友達であったようにいつも思えていたが、「そうだったのか...」といった思い。皆さっぱりと別れて帰ってくる。
缶ビール2本。今日も暑い。夜も暑い。近所の庭先で花火をしているのか、パン!という音が聞こえる。網戸のままに夜を過ごすので、遅い夜には、遠くからのものであろう硬い音が鮮明に聞こえる。いま蝉の鳴き声は止み、ハードディスクの絶えられない音だけが大きい。早くこれを書いてしまって落とすことだ。
永年勤続で明日表彰されるAさんは、どっかのおばちゃんみたいに、パーマなんかかけていくのだろうか。多分そんなことは無いだろうけれど、暑い夜のこととて、そんなことはどうでもいいし、また「パーマ」であっても、それはそれでいいんじゃないかとも思う。僕は明日、女房のおばあちゃんの七回忌。ここよりも早川は少しは涼しいらしい。
頭が働かん。...ん?

2004年7月22日Thursday 晴れ
景気回復に、暑いのは効果的かもしれない。
大分過ごしやすい朝だ。夕べも少し降ったりしたので久しぶりに雨を含んだ土の朝だ。土の上の生き物が再生したかのような鮮やかな緑がある。朝のニュースは5時半頃に始まり、同じニュースを時間帯で繰り返しているが、所々ではさまれる「今日の天気」も、何回目かには「今日も暑いでしょう」で終わり。まあ、そう言っておけば幾分昨日より気温は上がらないにしても暑いにこしたことは無い。昨日の甲府の40.4度は観測史上2番目というのだから、ここのところの暑さが尋常ではないということだ。沖縄より気温が高い。
うなぎ屋の主人は汗をだらだらと流しながら、それでも満面の笑みでうなぎをうちわで扇ぎながら焼いていた。うなぎを食べることは無かったが、女房のコロッケを食べながら、土用の夜を過ごした。11時過ぎても一日の終わる気配の無い東京のビルの屋上のビア・ガーデンの喧騒を眺めながら、そうか、暑いことも“ようこそ”と平然と受け入れるだけの広さを持たないといけないのだなぁと氷いっぱいの冷茶を飲みながら思ったりもしていた。

2004年7月21日Wednesday 晴れ
夕立あり。
午後3時過ぎの会議中に雨。会議室の窓から見る隣の寺の屋根に当たる雨粒と音で、皆ちょっとの間中断。屋根を叩く雨音と、直線に落ちてくる透明の帯になんだか感激。もっと降ってくれと声あがる。
部屋は冷房効きすぎ状態で暑くは無いのだが、冷房の冷たさ以上に雨の涼しさが伝わってきた。久しぶりの雨。こんな雨が本当の夏の雨だ。遠くで雷の音も聞こえた。梅雨明けは、激しい雨と落雷がもたらすとずっとそんな風に大きくなってきた。でもそんな自然の営みが最近は無くなった。
今夜は少し過ごしやすい。でもこの雨も局地的なものであったらしい。
合併の会議も具体的な問題が遅々として進まず、頭を抱える“能無し”な俺である。

2004年7月20日Tuesday 晴れ
東京・大手町で39.5度だって。
都心では観測記録を塗り替え、千葉の市原では40度を記録したそうだ。甲府も39.9度、ここ中富も38度。ますます暑くなる日本列島。
今日の午後は合併の会議で涼しい部屋にいたので感じなかったが、昼休みで家に帰ったときはさすがに暑かった。昼飯を流し込み、残り湯に浸かって、冷水を浴びて午後の職場に戻った。
家が近いと夏はこれができるのでいい。
完全に水腹の醜いからだと化している。今夜はまたこれからソフトボールに行くのだ。朝の早い時間だけが過ごしやすく、夜は暑くてどうにもならない。この部屋は冷やす環境が無いのだ。女房は扇風機を抱えるがどうも僕は扇風機の風が昔から嫌い。この風を受けるくらいなら、冷たい箇所を捜して一晩中ごろごろと暗中模索していたほうがまし。

2004年7月19日Monday 晴れ
ニュルンベルク軍事裁判。
連休最後の午後WOWOWで「ニュルンベルク軍事裁判」を観た。ナチス・ドイツの戦犯を裁く軍事裁判を、収容所での悲惨なフィルムをも絡めながら追っていくもの。ここまで人としてあるものが、同じ人間を扱えるものなのか。あらためて考えさせられる。
今イラクで行われていることもそんなに違いのある話ではない。フィリピン軍は、イラクから完全撤退を始めた。自衛隊も歴史に汚点を残さないためにも早期撤退を望みたい。多数決の論理が働いているにしても、僕故人は派遣前からも今も、これから先も反対であることに変わりは無いと思う。
連休も終わりで、また暑い夏の仕事が再開だ。新町の人事異動の内示も出たので、明日からはそれぞれの部署できっと、少しまた糸の張りをおびた仕事が始まるのか。社協も遅々としている事務を進めなければいけないだろうな。
それにしても暑い。

2004年7月18日Sunday 晴れ
今度は福井で災害だ。
暑くて眠れない夜に、物置のトタン屋根を叩く雨音がして、「雨だ」と思いながらまた眠りに落ちて、何度かそんなことを繰り返しながら今朝。結局何度か降ったり止んだりの朝までの時があって、土は特別な潤いも無くまた今日も暑い一日。娘も雨ならクラブが休めただろうに7時15分の電車で午前中の練習に行く。それを送っていくのは俺だ。勘弁して欲しい。で、午後はラケットをまた買いたいということで、学校へ迎えがてら甲府へ。
子供も親の生活を考えて生活すべきであり、親もはっきりと子に対してここまでという線を画すべきだと、今日は思った。きっと俺より女房のほうがそれをいつも感じているのだろうけど。彼女は思っていてもそれを口にしない。僕は自らの子でもそれを口にしてしまう。親であることなんて放棄してしまいたくなる。

2004年7月17日Saturday 晴れ
空は曇り始めているんだけど、なかなか降らないなぁ。
こんな空模様になってきたんだから、もう少し悲しいことでも想像して泣いてくれよと切願したくなる。
雨降ってください。涼をお与えください。お不動様がだめなら、キリストでもなんでもいい。
何で背中合わせのような北陸にばかり涙の雨を降らせる。
夕べソフトボールは一年に一度有るか無いかの先発ピッチャー。結果は9対18で敗戦。でもまあ、久しぶりに転がってきた出番で僕は、気分よく試合後の夜を飲んだ。休み前という気の緩みもあり、12時を廻っていた。
今朝はまた早くから裏の池の周りの掃除。剪定の残りを済ませ、無駄な枝を下ろし、掃いて燃やして午後1時過ぎまで。冷麦食べて缶ビール1本。食後テレビ見ながら気持ちよく昼寝。
空は曇り始めたのに一向に降ってくる気配なし。ネット上で知り合いになったCさんよりメールあり。お盆に、酒の肴を送ってくださるという。会った事も無い田舎坊主なんぞに、なんとまあ奇特な方。でもありがたい。お江戸中野区に向かって深く頭を垂れる。中野サンプラザで、ボブ・マーリーに興奮したのを思いだすなぁ。そうだレゲエ・ナイトだ。

2004年7月16日Friday 晴れ
新町合併後の異動内示あり。
職員の異動の内示があった。僕はそのまま派遣出向ということで社協にとどまることになった。
いままで合併の事務局を主に担当してくれていた身延のH君が、総務課へ異動することになったので、2ヵ月後に迫った合併に向けて大変なことになりそう。合併まではこのままでいけるが合併後の事務はこれまた大変そう。
とりあえず合併してから考えるかなんてものも沢山ある。きっと合併なんてそんなものかもしれない。一緒に暮らすうちに少しずつ環境を作り上げていくようなものなのかもしれないと思っている。
なんとなくまた気が重くなって、あーあってな感じだな。ちなみに職員数えてみたら268人居た。これは正職員だから、臨時含めたりすると300人は超えるんだな。大所帯だ。
みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず そういう者でありたい。
(19:08) やっぱダメネ。舌の根の乾かぬうちに。民主党の代表岡田発言。『民主党の岡田克也代表は15日収録された朝日ニュースターの番組で、同党の憲法改正案に関連して、国連の要請に基づいて編成された多国籍軍に日本が参加する際には「場合によっては武力行使も含まれる」と述べた。岡田氏の発言は多国籍軍での自衛隊の武力行使を容認したもので、今後党内で論議を呼びそうだ。』ということ。やっぱダメネ。

2004年7月15日Thursday 晴れ
暑中見舞い、互いに。
「雨ニモマケズ」 宮澤賢治

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な身体をもち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙をながし
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい


夏になるとこの詩を思い出す。そしてこの詩もついてくる。

「永訣の朝」

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
    (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
     (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
    (あめつじゆとてちてけんじや)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまえはわたしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
  銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・
・・・ ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまえはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまえはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
     (うまれでくるたて
     こんどはこたにわりやのごとばかりで
     くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまえとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをひをかけてねがふ


読んで感じたとおりに味わえばよい2編の詩である。
沼直也と辻コースケによる「Percussion Session/ "LESSON.1"2003.12.24」がリリースされた。暑さの夏を吹き飛ばせるような快感がある。ゲストでチューバの高岡大祐も参加している。夕べは、暑さで熱い布団の上にゴロゴロとなったり、クネクネしたりしながら、おそ〜くまでこのCD聞いちまった。
今日の昼は、余りに暑すぎて食欲がわかないので、冷たい緑茶のお茶漬けを流し込みました。

2004年7月14日Wednesday 晴れ
今日暑くなるぞぉ〜。
娘は野球の試合の応援で、2時間の授業をしてから甲府の小瀬球場に行くのだと、おにぎりと水筒を持って出かけた。一番気温が上昇する時間だ。
今朝の新聞を見たら隣町の身延で、20台の男性が山の下刈りに行って熱中症になり病院に運ばれたという記事。昨日のゲートボール大会もこんなことが起こってからでは大変だったので、判断は的確だったかもしれない。
新潟の集中豪雨も小さな河川の一時的な増水による決壊である。これもまた、100年に一度とかで予測のつかない自然災害ということで説明は終わりになるのだろう。
暑さでなかなか固形物を受け付けない体になっていて、どうしても水分に手が出てしまう。ビールを大目に飲んじまったので、今朝は一度排便して、20分後に今度は下痢だ。なんかでも気持ちよく溜まっていたものが出たという感覚でさっぱりとした。単純なものである。また今夜も飲めるなどと思考している。

2004年7月13日Tuesday 晴れ
梅雨明け。38度6分。
多分本当に今日はいつもの暑さとは明らかに違う焼けるような陽射しで、夕方の県内ニュースでは、なんと中富が38.6度で、全国一気温が高かったと報じた。
今日は峡南地区の身体障害者福祉会のゲートボール大会。天候は当てたが、当たりすぎで気温はうなぎのぼり。天気予報のとおりに暑さ一番。
午前中の予選で上位4チームが出揃い。昼食を取りながら、敗退チームは先にお帰り。しかしながらますます暑くなる。健常者でなく身障者で、それに高齢者が多い。皆戦意喪失状態となり、話し合いで午前中の試合の得失点で順位を決めることで了解となった。
事務局もほっとする。しかし片付けがまた大変。埃まみれになりながらテントを3張り片付け、午後2時前にすべて終える。
やはり尋常でない暑さだったんだ。僕の腕はいっそう黒くなった。仕事から帰り竹林を見回り、竹の子の残りを倒した。もうこのくらいが竹の子の生えてくる限界のようだ。
明日もこんな天気らしいが、新潟じゃ、集中豪雨による土砂崩れや大きな被害が起きているらしい。狭い島国でも背中合わせでこのようなことが起きる不思議は、僕たちの想像や考えの域を越えている。自然の成すこのような術には、ただただうなだれるだけである。
八日市場からのデイサービスの利用者が、大聖寺のお不動様は雨を嫌うので、雨が降らないんだと話したと、寮母が教えてくれた。小さいころからそんなことを聞いているが、でももう少し雨が欲しいところですね。雨乞いのお勤めを明朝からすることにしよう。

2004年7月12日Monday くもり
喜納昌吉当選
喜納昌吉という人物がどこまで国会という場にとどまれるだろうか、なんてところくらいしか今後の興味はないな。
共産党も社民党もほぼその存在すら、薄墨の山水画のようにかすんできた。アメリカのような2大政党制にでも移行していくのだろうか?
一票を投じなければ何も始まらないというが、投じる気持ちになれないというのが本音だ。「戦争より祭りを」「音楽で政治を動かす」なんて甘い言葉だよな。昌吉の動きには注目していきたいけれど、国会という場所で彼がどのくらい動き回れるか。彼のあの、ウチナー早口言葉にどれだけの国会の仲間がついてこれるか。まあやるだけやってみてください。昌吉に再生を託してみたいなんて...気持ちはやっぱり、ある。
1980年だったか、信州の美麻村でお祭りがあったときに、遊学舎に入ってくるなり「同じ匂いがする」といった。同じ匂いのする仲間たちは日本や世界中に散らばっているけれど、たぶん戦争をしたくはないと思っているはずだ。選挙や国会なんかよりも、それらの塊を信じたい気持ちなんだよね、僕は。

2004年7月10日Saturday くもり
待ち焦がれた雨もほんのわずか。
昼前に降り始めてわずか一時間ほどで雨は上がってしまった。大地を潤すほどの雨の量ではなく、暑さの勝ち。
昨日は午後葬儀の手伝いの後、甲府に出かける前に一時間ほど草刈り。もう終わろうという頃に首を蜂に刺され、レスラーの首のように太く腫れ上がっている。熱も持っていて不快極まりなし。でも夕べは飲めた。生ビール・焼酎と3時間フルに話して飲む。愛する妹弟子は、「醍醐夏の陣にかんぱーい!」と元気よく、智山や高野の僧達を圧倒。飲むことに醍醐は長けているのか。楽しい一夜だった。
夏の陣があれば、冬の陣もあるのだろうか?明日はまた早起きで東京だ。今年は都合で2軒のみである。早く行って早く帰ってこれるか。CDを漁るほど懐に余裕は生まれないかもしれない。
曽我ひとみとジェンキンスの熱い口付けと抱擁を何度もテレビで見せられたが、これからだなぁ、これからがほんとの大変な時間なんだろうなぁ。盗んでおいて、さらに罪作りな婚姻を押し付けたのか、北朝鮮はひどいです。よど号のメンバーもどこまでを隠しているのか?帰国させてホントのことをすべてしゃべらないと、僕の中では彼らを到底許せる気持ちは生まれない。

2004年7月9日Friday 晴れ
ここだけが暑い場所ではないとわかってはいるが。
真面目にものを考えることを頭はかたくなに拒否し始めた。「坊主暑けりゃ袈裟まで暑い」などと考える。今日の午後は葬儀の手伝いがある。夕方からは甲府で袈裟まで暑い坊さん方と、冷房の効いた会場で生ビール。
ほとんど地肌の頭は、強すぎる陽射しで、半煮え状態であるので、くだらんことを考えてばかりだ。
夕べソフトボールしながら、監督が「蝉まで笑ってらぁ」と言ったが、袈裟ももう僕を大量の蝉が嘲笑っている。
真面目に生きなければ、真面目に葬儀を勤めなければ申し訳ない。

2004年7月8日Thursday 晴れ
僧侶も眠れないのか。
眠れない僧侶が午前2時半にくれたメールを5時過ぎに僕は読み、「明日の夜は楽しみ」とメール打ち返す。
お勤めを済ませ、護摩木を割る。短パンに上半身裸で護摩木を割るが、それでももう汗が吹き出てくる。今日も猛暑だといっていたが、もう既に猛暑が始まっている。真っ青な空が広がり、大きな雲が湧いている。蝉も鳴き始め、ケヤキの緑は鮮やかではあるが、風が止まっているので“そよ”ともしない。
今日は老人クラブのゲートボール大会引率で下部町へ。彼らは実に暑さには強いのである。今日も多分大丈夫だろう。頭が下がる。

2004年7月7日Wednesday 晴れ
権少僧正となる。
権(ごん)少僧正となり、晴れて「僧正」と呼ばれても、顔を上げられるような肩書きになった。この前は、大僧都(そうず)という僧階だったのである。後は野となれ山となれである。これが年限を満たしてくると次に、小僧正、権中僧正、中僧正、権大僧正、大僧正と上がっていく。ただこれは自動的に上がっていくシステムではないので、あくまでも当人がそれを望む場合に限るのである。真言宗醍醐派は、権少僧正の礼録手数料が15万円である。早い話が僧の上の位を金で買うのである。大僧都拝命後7年で、次に上がることができる。僧階ごとに年限は異なるのだが...。次もし少僧正をいただくには、また7年後になる。その際の礼録は、現在額で30万円である。ただ、本山の醍醐寺の考えが、僧階によって教師の課金を考えているような不穏な話題もあるので、良識ある僧侶は、大僧正になることだけに生涯を過ごすなどという愚かなことはしないだろう。腐った豚坊主どもが、年限も満たさずに特別寄付を繰り返しながら、わずかの年数の間に大僧正のフラッグを取ってにやりとするのである。政治の世界も仏教界も大差はない。
私の知る他の真言宗の宗派では、若い僧侶たちが上に上がれないということを理由に、その県の“宗務所長”が「僧階を上がってくれ」と催促するらしい。そしてこれにはまた裏があって、本山への礼録金とは別に、礼録の半額をその県の宗務所に納めることが慣例となっているというのである。私の所属する醍醐派の山梨宗務所は、大きく裕福な寺がなく、どちらかといえば赤貧の寺が多い。私の寺とて“中の下”というところだろう。こういうことを書きつづけていると、だんだん自分自身が情けなくなってくるので、もうやめだ、やめだ。
今日も暑い。それだけがここに生きている事実だ。僧階を上げたとて、住職になったとて、衣一枚新調してくれるような檀家はひとりも居ない。全部自分持ちである。
突然、水性キンチョ−ルのCMの大滝秀治と岸部一徳のやり取りを思い出した。
大滝「水性キンチョ−ルは何がいいんだ」
岸部「空気を汚さないから、赤ちゃんやペットにも...」
大滝「うちにはペットも赤ちゃんもおらん!男だけ!わしとおまえの二人だけ! 殺風景なもんだ

2004年7月6日Tuesday 晴れ
朝はまだ曇っているが。
今日は暑くなる予報だ。夕べ雨が降ったので外は潤っているが、もう蒸し暑くてたまらない。体から汗が吹き出てくる。今日は30度を一気に超える暑さになるんだそうだ。まだちょっと薄曇りなんであるが。
今日は金婚者のお祝いの会で一日。

2004年7月5日Monday 晴れ
先月比5人の人口増とは珍しい。
毎月人口の推移を掲載しているが、6月より今月のほうが増えている。わずか5人であるが増えている。世帯も2世帯増えたのは、町営の団地が建替えて新たにオープンしたからかもしれない。それでも4,303人だ。
天候は下り坂らしいのだが、相変わらず暑い。今日は蒸し暑くて不快な日だ。高波にさらわれるという事故が続発している。これらの事故は避けられる事故なので、被害にあって不幸にも亡くなられた人たちのことを考えると、「もうちょっとしっかり行動してよ」という思いのほうが強い。これから夏シーズン本番になれば、毎年同じようなことが繰り返されて、こんな報道は他の事件と違って滑稽に感ずるだけである。
イラクで米軍の物資を輸送するためにかき集められたドライバーたちが、人質となって殺されている数が頭抜けて多いらしい。国内で働くより賃金は当然よいらしいが、命にかかわることが起きても保証はごくごくわずかで、彼らはこのことを承知の上でイラクに賭ける。でもこれによって暴利をむさぼっている戦争の親玉は、確かに存在するのだ。主権を渡したといっておいて、期限なく留まりつづける。国が治まるどころかますます不安定な状況に陥っている。いのちのことは、いのちの主人がもっと真剣に考えるものだろう。

2004年7月4日Sunday 晴れ
昨日も今日もきっびし〜い暑さ!
口から吐き出される息も熱噴射ではないかと、?思われないか。
暑くて外に出るのも滅入る。今朝も7時半からと後は、もう一時間ほどして午後4時くらいにならないと働く気持ちは絶対に起きない。風の吹く部屋でごろごろと無節操に音楽を聞きまくっている。
冷たいビールと冷酒だけが楽しみになる。今週はもう頭も刈ったしな。
ホントに雨のない梅雨だ。このまま明けてしまうのかもしれない。来週は東京へお盆である。金曜の夜は甲府でサマー・バイキングである。楽も苦も尽きることがない。金子光晴をふと思い出した。

2004年7月2日Friday 晴れ
いい風が吹いている。
女房は娘を駅まで迎えに行き、午後8時前の空は紫色に染まり、生きることに精を出す蝉の鳴き声が聞こえ、良い風が吹いている。
今夜はもうこれで書くことがない。

2004年7月1日Thursday 晴れ
実は午後仕事を休んで...。
甲府の街さいってきた。バードランドという中古CDショップへ。ボーナス貰って、買いたい虫が目を覚まして動き出して止めることができなかった。
でも特別に買いたいものがあったわけではなく、久しぶりにゆっくりと店の棚を片っ端から眺めたかったのが正直なところ。満喫しました。堪能させていただきました。
本日の収穫。Curtis Mayfield/groovy curtis、Kezish Jones/Liquid Sunshine、Talvin Singh/ok、Bugge Wesseltoft/MOVING、DragonBlue/Hades Park、Femi Kuti/shoki shoki、Youssou N'Dour/eyes open、DIXIE DREGS/FULL CIRCLE。ソウル、アフリカン、北欧ジャズ、フリージャズなど雑多ではあるが、どれも買い物ではあったかも。
カーティス・メイフィールドの「ストーン・ジャンキー」にしびれてます。
7月に入りました。今月もがんばって書きましょう。選挙カーなども外を賑わしておりますが、蝉も鳴き始めました。今日は休んでよかったな。また週末草刈りや寺務に追われることになるけど、楽しみが増えたわ。