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『徒然日誌』 2005年1月から6月

2005年6月29日Wednesdayくもり
橋端のおばさんの葬儀。
日曜の夜に報せを受けてから、昨日一昨日と、橋端のおばさんの葬儀をあわただしく過ごした。日曜の夕に亡くなって、24時間後の月曜の夕には通夜をしていた。二日間で終わったのは結果としてよかったかもしれないが、忙しい。ホール葬であるからこの日程でもできたのだと感じた。寺を使うならとてもこれじゃできない。寺の客殿で葬儀の準備をしたりするのは僕と女房なので、この日程では到底無理だ。僕は考えたり書き物もしなくちゃならない。ホール葬は準備ができている上に、葬列に要する持ち物などもほとんど必要ないので、僕は塔婆と位牌以外は全部省いてしまう。ホール葬は初七日をやってそれでおしまい。納骨も七七日忌まで持ち越すことになった。
だんだん葬儀の形も変わっていくな。変わっていくのは仕方のないことかもしれないが、でも葬式をしたという満足感みたいなものは欠けるな。僕のところでは、自宅で告別式をして、葬列を組みながら寺に来て、客殿でもう一度葬儀をする。終わって墓地への納骨となる。地域に暮らす人たちが少なくなってきて、葬儀になると、他地区へ出ている者にも招集がかかる。サラリーマンがほとんどになって、複数日休むことがなかなか難しくなっている。いろんな要因がホール葬を決断させてしまう。少々金はかかっても、皆に迷惑をかけたくないという遠慮が多くなってきた。ホール葬になると、組の仲間であっても、手伝うことが何もないというおかしなことになる。納棺も出棺も、火葬場での接待などもすべて葬儀社の職員がしてしまうので、組の人たちは仕事を休んでも、家に静かに閉じこもっているしかない。通夜の時間に出て行き、組の焼香をすることくらい。なんだかおかしいわ。
92歳のおばさんが亡くなって、組からまた一人欠けた。思い出の中に生きる人たちばかりが増える。寂しさはこれから組の皆さんみんなに同じように訪れるだろう。寂しさを紛らわせるには、畑に精を出すこと。僕の場合は夏の草を刈ることで、おばさんのいない寂しさを紛らす。

2005年6月26日Sunday晴れ
飲んじまった。飲んじまったら、檀家のおばあさんが亡くなった。
今日は朝から午後まで、休み休みではあるが草刈りをしたので、もう我慢できなくなって飲んだ。缶ビールを2本と日本酒を2杯。女房と取り留めのない話をしながら飲んでいると電話。ついにこの日が来た。檀家のおばさんが亡くなった。
組長さんが程なく報せに来た。ちょうど組内なので、女房はおばさんが帰ってくるのを迎えに出かけた。僕はこれから連絡を待って枕経に行く。これまで。

2005年6月25日Saturday晴れ
本庁舎日直。
一日本庁舎で日直。朝入ったときは庁舎の中が涼しく感じられたけど、外気が上昇すると庁舎の中もなんだか蒸し暑くて、冷蔵庫の麦茶なんぞを勝手にいただいたりしておりました。
寺の通知や、教育委員会の事務なんかを一日音楽聞きながら、静かな庁舎ではかどりました。5月末で前年度の出納閉鎖にもなったので、今日は出勤者も居らず、溜まっていたCDを聞きまくり。朝出掛けに、「ないなぁ、ないなぁ」と、CDウォークマン捜して見つからず。もしや?!と思って宿直室見たら、前回の宿直のときにそのまま置き忘れていた。
今日一日寺の外仕事が出来ないので、出かける前に8時まで一時間ちょっと、墓地へ行って草刈り。いい汗をかいて快便で役場へ。M也君が宿直明けで引き継ぐも特になし。蛍はどうだとか、妙見寺のあじさいはどうかなど問い合わせが8件ほどある。それから県道に死んでいる猫を早く片付けにきてほしいとも。猫の屍くらい近所の人たちで片付けてくれりゃいいものを。これはあなたの仕事、これは私たちのやることではないと、境界線をしっかりと引きたがる。これはとっても不幸な傾向。田舎でも隣近所との付き合いが、希薄になっていることは確か。でもなぁ...と思ってしまう。

2005年6月24日Fridayくもり
松井の連続試合安打は12でストップしたけれど。
松井さんの今回の連続試合は12でストップしたけれど、僕のお酒の慎みは、11日を更新した。今日が金曜日なので止まりそうな予感もするけど、松井の記録ととりあえず並んでみたい気持ちもある。
相変わらず世の中は耳や目を塞ぎたくなるような報道ばかりだ。サマワのこともトンと蚊帳の外だったが、夏で蚊が出始めたからなのか、久しぶりに自衛隊の装甲車が狙われたのかもしれないというニュース。
僕が「今夜あたりちょっと飲んでみるか」というと、女房は「ダメ、ダメ。冷たいお茶飲んで!」と切り返す。僕はその場でばっさりと斬り捨てられる。「もうこれで一生酒が飲めないかもしれないな」というと、「人の数倍も飲んできたよ」と返される。そうか、そう考えれば、僕は20歳前から相当な酒飲みで、おそらく通常の飲酒をする人よりもたくさん飲んできただろうし、酒をたくさんは飲まない人から比べたら、その人たちの生涯の飲酒量の何倍も飲んできたことになるかもしれない。
僕の酒がもう、通常人の一生に飲む量をはるかに超えているのだとすれば、天からの「ダメ」でドクター・ストップがかかっても、それに渋々でも従わざるを得ないかもしれない。
酒のない人生なんて考えたことはなかったし、考えられない生き方をしてきているので、ここが我慢の人生峠か。
幸い僕の場合、食べてしまうと、飲みたい気持ちが「90%位は萎えてしまう」のだ。お腹が満たされると酒は体に入らない。空腹でなければ飲みたい気持ちになれない。酒飲みにもいろんなタイプがあるのだ。ほどほどにできなくて、とことんで飲んできた。これが僕の弱さであり、これが僕の魅力であった時期も確かにあったらしい。おしまい!

2005年6月23日Thursday
雨雑感。
二日続きの雨だ。
女房は昨日竹の子を50本以上採ったという。もう少々竹の子を食すのも飽きてきた。雨が降れば竹の子がどんどん伸びる。
給与所得や配偶者控除が整理縮小され実質増税となる。介護保険制度の見直しもされた。少子高齢化に時代でトンネルの先が全く見通せない状況なのか。
昨日も社会保険の説明会に行ってきたのだが、今書いたようなことと話がつながる。年金の問題など。社会保険事務所の説明者側はこちらに配慮してか皆ジャケットを着用してネクタイである。聞き手側はまちまちで当然クールビズなので、おのずと温度差がある。終いにはこちらは冷え切った会場で、小便を我慢したり、一緒に行った社協のKさん等女性はひざ掛けを置いたり、腕や膝をさすっていたりである。
過剰配慮は、また社会保険事務所に微々たることかもしれないがマイナスの印象をもたらした。同じ目線に立っていないということなのかもしれない。
子供を作らない。子供を生まない。結婚をすることに魅力を感じない。それが人生ではない。それぞれの理由はどれもそれはそれでいいのかもしれない。というよりか、これも人間の進化の過程なのか、人類の終焉への新たな途上のように最近は思えている。

2005年6月21日Tuesday晴れ
空梅雨なのか。
ホントに雨が少ない。
甲府へ行ってきたのだが暑かった。山梨県住宅供給公社という早口言葉のサンプルのような所と、竜王社会保険事務所。英語指導助手の県営住宅の入居の申し込み。
いま、どこに行っても大体お役所は対応が大変に丁寧であたりもやわらかい。
社会保険事務所は前にも行ってそう感じたが、庁舎内が何かとても緊張していて、オーバーに言うと、職員がおろおろ自身無げに対応している感じ。こちらが何か言おうものなら、直立不動で「はい!」とでも返ってきそうな雰囲気。
社会保険は、職員対応というより、無駄な金遣いに問題があったのではないか。僕が年金担当をしていた頃も、年金の会議が10時からあって1時間ちょっとで終わり、お重に入った昼食が出席した役場の担当者に供されていたのだから、あの当時からそんな感じはしていたな。
パンフレットやらリーフレットやら、あまり関心がなくて、どう見てもこんなにたくさん貰ってもゴミ箱行きだというようなものは多かった。これは今でもそうだと思う。
先日もテレビを見ていて、生存確認のための「現況届け」が出ていれば、基本的に年金は支給されてしまうという現実。役場に死亡届が出た際に、そこの処理の流れで年金の方も自動的に死亡届が流れるようにすれば不正受給や過払いも無くなるのではないか。
U2とか懐かしいQUEENなんか聴いているんです。でも暑い。

2005年6月20日Monday晴れ
サクランボいただく。
増穂町舂米(つきよね)の真言宗の古刹、明王寺のご住職から今年もサクランボが送られてきた。
去年も今年も秘かに僕たち夫婦は待っていた。この甘い佐藤錦というサクランボの高価な一粒を、口に出さずとも目と目でもう来るころだよねと待っていた。
「標さんからサクランボ届いたよ」と。夕食のあとに二粒いただく。甘い。あま〜い!という落ちネタの漫才があるが、あんな感じ。ホントにあまい。酸っぱさがない。甘い。こりゃうまい。
この時期、サクランボや甘々娘(カンカンムスメ)というとうもろこしを、夜中に盗む不貞な輩がいるというので、農家では自警団を作って見回りをするのだという。道端に甘いサクランボが生っていりゃ、こりゃ、一粒試食させていただきますってな気持ちもわからなくもない。一粒ですめば、ホントの試食で、明日になったら買いに来てよってことになる。ここで留まれるかどうかが人としての価値を左右する。
いつものように「KEN農園」(園主:志村研)のもの。ありがたくいただきました。
痛風に完全にやり込められている。痛みが右足左足をいったりきたりして、カー!ッと突っ張るように痛みが張るというか、これは過去に一度も経験のないもので、つくづくいまさらながらに、わが年齢を思う。一週間も酒を飲まずにいたことなんて25で役場に入ってから一度もなかったことだ。で、もう何ヶ月かすると49歳になる初老の男のこの様(ざま)だ。
恥ずかしい。ブルーズが体中を取り巻いている。
夕方汗をかこうと墓地の草刈り。1時間ほど。今年は竹の伸びが去年に比べたら小規模で終わりそうな予感がする。汗かいてシャワーを浴びて晩飯には味気なくも、冷たい緑茶を3杯。

2005年6月18日Saturday晴れ
護摩を焚く。
埼玉の護摩を焚いて欲しいという方と約束してあったので、本堂で護摩を焚く。願主の思いを少しでもお不動に伝えられるようにと、僕も心をこめて護摩の火に込める。
後ろの祈る姿が見えるようであった。終わってしばらく話を聞く。とても清々しく、気分もすっきりとして、いつまでもこの場所に居たいと熱く語る。その思いが僕にもビシビシと伝わってくる。彼は霊感がとても強いそうであるが、これの辺りは僕には全くわからないところで、今夜もテレビを見ているとそのような番組もやっていたが、僕には残念ながら霊感のようなものは皆無。
僕自身は仲介役に徹すればいいと思っているので、別に霊感云々という部分は気にしてはいない。
お出でになった人が来たときの気持ちと打って変わって、気持ちよく喜んでお帰りになる姿を見るのが一番である。今日はたぶんそれができたのだと思う。
夕方涼しくなったところで護摩壇と本堂の掃除。護摩を焚くと火の粉やらでどうしても掃除しなければいけない。実はこれが結構めんどくさいんだよね。

2005年6月17日Fridayくもり
涼しくて気持ちのいい朝だ。
まだ少し重たいような雲間から太陽が顔を覗かせている。
竹林行くと、竹の子が威勢よく伸びてきている。ガサガサと音がするので、イノシシでもと思ってよくよく覗いてみると、誰かが遠くで竹の子を採っているようだった。彼に気づかれないように、また坂道を降りて帰ってくる。
僕は構わないが、僕と目が合えば向こうはばつが悪い思いをする。竹の子はこの時期毎日おびただしく生え、伸び続けるので、採っていってくれるのは大歓迎である。でも、採る側は、寺の竹林に黙って入っていることに後ろめたい気持ちを持っているはずだから、僕のほうが背中を向けてさえいればよい。
(21:30) 今日は大勢の園児たちが「人形劇」を見に隣の開発センターへやってきた。保育課の係長にデジカメを貸してあげた。その画像を僕も拝借。

2005年6月16日Thursday小雨
自業自得と後悔と懺悔。
日曜の夜から兆候は感じていたが自業自得で、もう我慢の限界で昨日午後を休んで病院に。痛み止めの座薬と飲み薬を貰う。
3時間近く待たされた。病院は混んでいる。国会中継が流れていて、民主党と小泉さんのやり取りを漫才のように聞いていた。あの方はなぜあんなにもはぐらかすような答弁しかできないものか。いささか品位にも欠けるような感も視聴者側として受ける。多くの人がそう思ったに違いない。
同僚や知り合い、檀家の方にも会う。一番は、檀家の方で、「方丈さん、母の余命も、今日明日にも途切れておかしくないと言われてますので、早く治してください。」と。これは痛烈で足の痛みより激痛であった。まさかそんな状態になっているとは露知らずで、こりゃ覚悟しておかなきゃいかんなと。
痛み止めのおかげで何とか今朝。昨日からの雨で、モリアオガエルの産卵の池にも水が戻った。命の雨が降って、今朝は小雨が残っている。

2005年6月13日Monday晴れ
朝からとっても蒸し暑い。
我が家でも夕べは蚊取り線香を焚いた。
でも、蚊も発生できないような天気良好な日々が続いている。朝からとても蒸し暑くて今日も暑くなりそう。
若尾さんちの大きな栗の木に花が咲いて、否応無しにその匂いが流れ込んでくる。時間が止まったようにケヤキはそよともしない。風が止まっている朝だ。
体を持ち上げねばならない。

2005年6月12日Sunday晴れ
浅川マキ。
ちょっと前に、彼女のベスト盤の「ダークネス1」を買ったんだけど、今日娘が英語の検定試験で山梨学院大学に行くというので、女房と一緒に朝早く出かけ、試験が終わるまでの間僕は「ヴァーニア」へ。久しぶり。10時のオープンを待って入店。1時間半じっくりと楽しみながら漁る。今日は次の5枚を購入。浅川マキのアルバムを見つけて興奮するが、1枚4,200円だったか、やはり枚数にもこだわりたいので、1枚だけ買う。一万円の予算。
鈴木茂/BAND WAGON、DIXIE CHICKS/FLY、渡辺香津美/TO CHI KA、小坂忠/忘れものはありませんね、浅川マキ/ライヴ 夜。浅川マキのCDが6枚ほど棚に入っていて全部が4,200円。今まで中古盤屋は安い値段で買うのが当たり前だったけど、多分初めて高い値段のものを買った。でもマキさんのは、いまもう廃盤になって手に入らないので、こういったときに手に入れるしか方法がない。一番録音が長そうな78年に出た京都大学西部講堂でのライブを選ぶ。レジでご主人にマキさんのCDを指して、「全部欲しかったです」と訴えると、ご主人うれしそうに?「滅多に出ませんからねぇ」と、買い手の心理をチクチクと刺激するような視線で、満足げに応答。
僕が次に甲府に行くときまであと何枚残っているだろうか。

2005年6月11日Saturdayくもり
グローブが焼酎ビンに見えるなんて。
夕べ期待した雨はついに落ちることなくソフトボールに行ってきた。ほとんど出番はないのだが夕べは人数がぎりぎりで、監督入れて10人しかいなくて、その中にぎっくり腰やら、右手の親指の付け根を前の試合の時に切って縫合したあとの者も居て、夕べはなんだか最悪なメンバーだったが、僕も先発。
集まるときは二チームできそうなくらいになったりするが、「今夜は雨になるなぁ。」なんていう気の緩みがそれぞれにあったりして、「俺が行かなくても大丈夫だろ」なんてことがこういうことになる。面白いものだ。
で、日記のタイトルの件。相手チームのOSAMUさんが、グローブを手に提げてグランドに入って来た僕を遠くから見ていて、「石田、焼酎手に提げてるみたいだな」と思ったのだそうな。まさか!と思ったが、飲み仲間の持つ僕のイメージの中に、グローブなんてないのだ。酒瓶を持っている僕がどんな場面でもぴったりなのだ。少し嬉しいような気もして3打数ノーヒット。
草刈りを涼しくなった時間にしてからいつものように頭を刈ってシャワー。夕のお勤めをしてこれを書いて、後は土曜のゴールデンタイムだ。アジサイも色が濃くなってきた。

2005年6月10日Fridayくもり
入梅出たそうな。
降るかと期待ってほどでもないが、今夜ソフトボールがあるので、いくのめんどくさくて雨になりゃ、家でグダグダと飲んでられるなと思っていたけど結局駄目。ぽつぽつくらいで終わってしまった。
中富中へ英語の先生とALTに会いに行ったときの車の中で「入梅したらしい」宣言が出たことを聞く。
雨になると竹の子が勢いよく生えてくる。今年は少しおとなしくしてもらいたいと思う。でも、雨は少し欲しいところだ。
お昼休み何日かぶりで歩く。昼休みの時間でもかなり歩ける。さっさ、さっさと歩く。これが気持ちいい。
中富からの帰り電車の通過待ち。昨日も2回踏み切りで待った。出会う確立が昨日今日と多い。1時間に一本くらいなので、踏み切り待ちするなんてことのほうが滅多にないはずなのだ。右から来るか左から来るかと予測しながら、静岡行きの富士川号が左から右へと通過していったので、走り去るボディを一枚。か写ッ!!

2005年6月9日Thursday晴れ
ニッポン!ニッポン!か。
おいらニッポンの名へのこだわりを持たない、たまたまここに住む「在日ニッポン人だから」。君が代も日の丸もからっきし駄目な僧侶兼地方公務員だから。
サッカー見ていても、なぜあんなに「ニッポン」にこだわって終始するのかわからない。国と国がその国の名誉をかけて戦うことなんだろうけど、だめだなぁ昔から。難しい理由や説明文句なんか特別にあるわけじゃないが、こういったことが肌に合わない。そりゃ、日の丸や天皇の名の下に命を落とした数多を思うこともそれを嫌いな理由ではあるが、どうも集団心理みたいなものについていけない、根本のヒトして在る僕の性格が原因している。
変なヒトなんだよなきっと。自分で言うのもなんだけど。それから今日も仕事であったことだけど、どこの国の人でもそうなのかどうかわからないが、この国は、やたらと表彰したがる国民性なんだろうか?叙位だ叙勲だ何々功労者だとか。そして死んでまでそれを欲しがるという馬鹿だ。そのことをまじめな顔して「彼の人が欲しているのかどうかも確かめもせず」に、敷かれたレール通りに次の駅は誰、その次の駅は誰と、果てしなく名を拾い集める愚かなことを僕たちは永遠に続けていかなければならないのだろうか。
何が空だ。人生は空だと言っているような奴が、それこそ「俺が死んだら、叙勲申請頼むぞ」と、むか〜し言われたことがあったな。生きているうちに自分の番はないってことを知っている、ある意味可哀想な奴だとは思うが、一切は空だぜ。空を知れば自ずと答えは出るはずだぜ。やってられん!

2005年6月8日Wednesday晴れ
国際理解教育なんて、四角四面の変な名前だ。
で、このタイトルの事業で二人の英語指導者を雇っているのだが、内一人が怠惰な奴で、学校からはもう首にして、新しい人を見つけてくれと言ってきていて、今日、H小学校の教頭先生を仲介にして本人と話し合いをしてきた。
二人とも坊主頭で(僕と同じだ)、耳ピアスってな感じの若者。いかつい雰囲気の割にはこちらの話も静かに聴いてくれた。いきなり首もなんなので、とにかくもう一度「あなたの真面目な姿勢を見せて欲しい」と、英語を教えることはもちろんだが、「無断欠勤したりすることは、児童をがっかりさせる」ので、やはり、仕事は仕事としてしっかりと心して取り組んで欲しいと話した。
JETプログラムのALTが4人交代になるので、そちらのこともしなければならず(でも、あまり積極的に体も頭も働かないのだが)、車の運転免許を持っていないのが二人いて、これは困ったなという話になった。
実は車自体もないのだが、もしかして車が何とかなっても、免許がないのじゃ話にならない。下部地区は免許がなくても通えるのでということで、身延と中富に免許有を勤務させようということになった。
夕べの宿直は、会って飲んで話したかったI君だったので、結局9時過ぎくらいから本格的に飲み始めて、寝たのがもう午前1時過ぎだった。当然二日酔いである。自己嫌悪に陥りながらも、「でも夕べは久しぶりによかったな」と。

2005年6月7日Tuesday晴れ
雰囲気の違う音源を手に入れた。
チェリストのヨー・ヨー・マと彼の「THE SILK ROAD PRIJECT」が、4月8日にシカゴで行った演奏会。
確かNHKの新たなシリーズのテーマ音楽を彼が担当したのがこれだったのだろう。チェロとシルクロードの楽器が織り成すメロディーが心地よく朝の部屋に鳴っている。
今夜は宿直です。暑くなりそうです。
アジサイにも日陰を好むものと、日当たりのいい場所で育つものと2種類があるらしいです。これは典型的なヒカゲ物。

2005年6月6日Monday晴れ
蚊取り線香焚く職場なんて、少し恥ずかしい。
今日の昼休みは、炎天下を歩いて汗かきました。
学校教育課では、朝から蚊に刺される人が出て、午前中から「蚊取り線香」を焚いた。夏の匂いなんだけど、まさか職場の机の下に蚊取り線香が置かれるなんて思いもよらなかったんで、なんか少し恥ずかしい気分でした。
なんだか、現実離れしている場所のようで、セピア色に褪せた写真のような、過去へタイムスリップしたような木造庁舎の不思議。
そしてまた今日は朝から良い天気で、中も暑くて、僕の向かい側に席するS係長は大変な汗かきで、朝からタオルで顔を拭きっぱなしでした。拭くときはメガネを右手ではずして持ったまま、左手のタオルで拭くのね。想像できるでしょ。なんだか「おじんくせぇな」と思っちまいやした。
昼休みに線路沿いを歩きながらふと思ったんだけど、線路ってよく見ると、ただ砕石が敷いてあって、枕木並べて線路が乗ってるだけみたいなんだよね。舗装道路のようにコンクリートとか、アスファルトでしっかり養生してあるってな代物じゃないんだよね。ちょっと頼りないなといった感じ。でも歩いてたら、どこからともなくコールタールの匂いがしてきました、懐かしかったです。

2005年6月5日Sunday晴れ
さらに3個卵が。
お昼前に覗くと、夕べのうちにさらに3つの卵が増えていた。
イノシシもまた夕べ来ていたようで、かつて土壁を練るために作為的に掘られたこの場所の、ドロドロしたぬかるみ状態が大変にお気に入りのようだ。
枝垂れの江戸彼岸桜の枝に、新しく2本の突っ支い棒を施した。先が二股になるうまい木の枝を探しに、久しぶりに裏の山を歩いた。日常ほとんど入らないので、もう荒れ放題だ。もう僕の手の入れられない場所というか、ここにまで僕の範囲を広げられないので、あまり見たくない場所になっている。獣がすき放題に荒らしまわっている。特に酷いのがイノシシ。堀まくりです。ホント堀まくりのやりっぱなしというか。
夕べこれまた久しぶりに飲んだけど、やっぱ酒はいいな。

2005年6月4日Saturday晴れくもり
モリアオガエルの卵発見。
今年はもう産卵がないかもしれないと少し諦めかけていたが、午後さがしてみたら、もみじの木の枝に去年のように見つけた。3個あった。
一昨日雨が降って池の溜りに水が戻ったからかもしれない。モリアオガエルも産卵のタイミングを待ちかねていたんだ、きっと。去年はGYROの連中が来ていたころにあったのだから、ひと月近く産卵が遅いことになる。元気におたまじゃくしになってまた命をつないでくれよ。ザリガニに食べられないように。
モリアオガエルそのものは、まだ見たことがない。でも、卵さえ見つけられたらそれで満足。静かに生きていくほうがいい。僕もそんなにカエルそのものを見たいという気持ちはない。毎年のこの時期にあるものが今年はないということが気にかかるのだ。
11時からの法事の前に草刈り。本堂の裏を刈る。天候は崩れるかもしれないということだったが、午前中はとてもいい天気。汗をかいた作業の後、シャワーの前に頭を刈ってさっぱりしてから汗を流す。
10時半過ぎに群馬から一家5人お出でになる。4時間はかかるのだと。お母さんの33回忌。ご主人は「私も60を過ぎまして...」と。年を重ね大病も患うが、無事こうして親の法事ができることはありがたいというようなことを墓前で話してくれた。
客殿での法事と法話をし、それから娘さん二人、息子さんと奥さんと、石塔もきれいに洗い、花を供え香を焚き、ちょうどお昼前にまた帰っていかれた。
僕は送り際に、「こうして来ていただけることが僕たち寺を預かる者は一番うれしい」と話した。来ていただいて、気持ちよく墓参りができるお寺にしておくことが僕の務めだ。布施の多少、有る無しなど僕にとっては問題ではない。忘れられることほど寂しいものはない、と思っているので。
秋には二人の娘さんがそれぞれ結婚されるのだと聞いた。親子5人で揃って親の墓を参ることもきっと最後になるのかもしれない。それだけ家族にとっては貴い一日だったのだと思う。

2005年6月3日Friday晴れくもり
衣しまって衣替え。
明日の法事の後に何を話そうかなどと考えながら冬の衣を畳んで箪笥に仕舞う。衣紋掛けに吊るしてあった紫の直綴(じきとつ)と、木蘭色の褊衫(へんざん)。※ちなみに褊衫は左右の合わせを逆に着ます。それから改良服と輪袈裟も、夏のものと換える。
群馬から来てくださる方に、たっぷりのお経と法話を差し上げたい。足の調子もだいぶよくなってきた。
昼間身延線のレールと平行した農道を歩く。踏み切りもなく、「近くの踏切を渡ってください」JRの注意書きのある場所があるのだが、なぜかガードレールが切れていて、線路を越えると線路をまたいだ所から生活道がその先の集落へと伸びている。電車の本数も少ないし、事故が起きる可能性は限りなくゼロに近いだろうが、初めて見た、こんなとこ。電車の走っていない町にずっと住んでいたのでね。
今週はなんと月曜から金曜の今夜まで酒を飲まずに過ごしてしまった。アハハ。。。

2005年6月2日Thursday
入梅間近か。
一日雨。明日も雨らしい。
雨の中を傘差して少し歩く。通風の再発のように、昨日の朝あたりから右足の甲が重くて痛い。変な歩き方になるので、余計に変なところに力が入ったりするのか、張ったように重い。天候のせいもあるんだろうか。
昨日から今日と膨大な伝票起こしであった。いやぁ、こんなことに時間を費やしていたら主の仕事が始まらない、とつくづく感じているのである。課長はなおさらである。学校教育課所管の各係りや担当から、賃金伝票が一気にド〜ンと回ってきて机の上に積まれる。
誤りがないか一枚一枚確認していくので、これまた目を通してハンコを押すだけで一日が終わってしまう。なんかうまい簡略な方法はないものだろうか。
6時ちょっと前までかかってきれいに済ませてきた。後は課長である。
鳩打隧道(ハトウチズイドウ)を毎日朝夕通る。中ですれ違いができないので、向こうから入ってくる車がないかいったん停止もしくは減速して、確認して入る。今日は真ん中あたりで車を止めて、フロントガラス越しに出口までのトンネルの様子を撮ってみた。
夜通ると、ひとりのときは背中が冷たくなる怖さがある。内藤君とこからの帰り道、何度かこのトンネルに入るのがためらわれて、遠回りしたことがあった。なんだか日が短くなる季節にここを通るのはいやだなぁと思っちまう。

2005年6月1日Wednesday晴れ
初夏の常葉川の輝き。
昼休みにカメラを持って、音楽を聴きながら歩く。川のある風景ってのはいいな。川の中をカエルが泳いでいくのが見えたりした。川端の緑の茂りも鮮やかでいい。ツバメも川面をスイと横切る。うるさく巣で泣き喚く子らへの餌さがしに余念がない。
J.Garcia Bandの「I Shall Be Released」が流れてくる。こんな奥まった場所に花屋さんがあったのか。山宮brothersの弟さんの床屋さんはここだったんだなとか。
6月の初めの日の空は青くて初夏のように暑くて、軽装でも太っている僕は汗ばんでしまった。
夕べの筑紫さんの番組や、今日の新聞に掲載されていた、佐世保事件の被害者のお父さん御手洗さんの手記を読んだりして、報道する側やまたそれを受け取る僕ら側のことも改めて考えさせられた。川べりを歩きながら、小学校6年生で生を終えてしまった彼女に贈る言葉を僕なりに考えてみたが、到らなかった。亡くなった人のことを時々思い出してあげること、そしてこんな風に、一緒に川べりを多くの思い出の死者たちと歩いてあげることが、今ここに在る僕の務めじゃないかなと、都合よく?結論した。

2005年5月31日Tuesday晴れ
午後からは天候も良くなって、部屋の中も風が欲しいくらいに蒸し暑かった。 傘を持って出かけたが、傘を開くほどもなく日中には雨も上がった。でも農にいそしむ人たちには良いお湿りとなったようだ。富士川も少し濁っていたので、上流からの流れで少し水量が増えたかもしれない。
Jerry GarciaとDavid Grismanのとてもあったかな、アンプラグドのプレイが先週末の発見。これはきっと壬生さんが好きな演奏かもしれない。グリスマンのフラット・マンドリンが5月の風に合う。(ああもう5月も終わりだったな)
ガルシアとJOHN KAHN(b)のDUOもまたいい。ジェリー・ガルシアという人は、なんとこんなにも温かなんだろう。たまらんわ。

2005年5月30日Mondayくもり
素振りだけで。 振りそで振らない。ぽつぽつと落としてくれても、フロントガラスが汚く斑点状にみすぼらしくなるだけ。雨は素振りだけで降らずじまいだ。
明日はまた好天気だとニュース。
貴乃花が亡くなった。まだ50代半ばだから人生まだまだこれからだったろうが、ここ数年はなんか哀れなような。離婚をしたり、息子たちの確執がマスコミに取り上げられたりと。最後はガンで逝ってしまった。
あの世に行っても、盆に帰れる場所(いつも気持ちよく迎えてくれる人たちがいる場所)が欲しいもんだな。小さなお相撲さんが大きなお相撲さんを倒すのは、僕の少年時代の脳裏に深く焼きついている。
娘を駅まで迎えにいった。まあこんなことはほとんどないのだが、早く帰った僕に「メンチカツがうまく揚がらないから、迎えにいってきて」と女房。
雨がないので、富士川の水量もなんとなく頼りがない。電車からは、やあ、ホントに楽しそうな、今を謳歌している高校生たちがかっこよく降りてきた。

2005年5月29日Sunday晴れ
XSEVEN「クロスセブン」で快適。 教育委員会の会議録を作ったりしなくちゃいけないので、ボイスレコーダーのついたプレーヤーを買った。3週間ほど前の土曜に、テレビを見ていたら「ジャパネットたかた」が1時間番組をやっていて、初めてじっくりと見てしまった。その中で紹介された商品がこれである。即行予約注文した。256MBであるが、DLしたデッドなんかの音源をWAVEファイルからMP3ファイルに変換して聴いている。3時間くらいの音源は十分に取り込めるので、今日はこれを野良の友として草刈りをした。快適快適。音楽が頭の中を巡っていても考え事はできるし、こりゃいいもの買ったなと一人満足。
実は職場の昼休みも、音楽聴きながら歩いているのである。MP3なんて一回聴いてすぐポイしても、また新しいものを変換すりゃいくらでもある。
イノシシに荒らされた道端なんかをきれいに整地したりと、二日間気合入れてがんばった。少々筋肉痛である。「あーあ、明日も休みならいいけどなぁ」ってのはうつ状態の早期なんだろうか。毎週そうだな。夕べそんな教育テレビの番組を少し見たからかな。

2005年5月28日Saturday晴れ
一人でやり遂げるということは至福の喜びだなぁ。 僕の草刈りなんてものはたいしたことはない。今日は墓地の草刈りの第一弾のフィナーレ。残りを午前中に刈り終えて、端っこの草は紐の草刈機できれいに始末。
午後涼しくなったところで竹箒と熊手を持って草を集めて焼却。煙が立ち上る光景はいい。心のバランスがあまりよくない僕は、昔から火を燃すのが大好きである。何かさっぱりと清々として気持ちいい。
一人で事を成している時間が好きだ。
墓地には堀口さんという左官さんが、一人で佐田家の墓地を作っている。60半ばの彼は、たった一人で墓地をこしらえている。黙々と一人で作業を続ける。くわえ煙草で器用に鏝を使って塗っている。眺めているとその姿に見とれてしまう。
僕も堀口さんも今日の仕事は、互いに認めたいい仕事ができたと思う。

2005年5月27日Friday晴れ
山中に60年も...。 フィリピンに旧日本兵が発見されたというニュース。戦後から60年である。60年を経てもまだこの国が犯した過ちというか、愚かな出来事は終結していない。
僕の中にこの戦争のことなんて何もないが、言葉をしゃべるようになってから得た知識の中でこの出来事のことを考えると、無益で愚かしいことをしたなという気持ちにしかならない。
忘れたかったり消し去りたいような過去を誰しもが持っているのだと思うが、僕らは自分が持ち続けているこの消し去ってしまいたい思い出に、終生責任を持って、ある場面では囚われながら生きていかねばならない。これが人間というものに生まれてしまった仕方のないことなのだと思う。
こんなことを時々は考えてみたりしながら、人生の断層を僕は積んでいる。金曜の夜はまだこの後も飲んでいいかなと思う。

2005年5月26日Thursday晴れ
早苗の植えられた田圃。 昨日宿直明けで9時過ぎに家を出て職場にいく途上。前の日の夕方、多くの田の一面に張られた水が風景を写してきれいだったが、もう昨日の9時ころには田植えが施されていた。
帰りに写真を撮った。ひょっとしたら手前の田圃にも今日には苗が緑色して風にそよぐことかもしれない。
「涙枯れても、夢よ枯れるな」と、浜田真理子が前川清の『逢わずに愛して』をピアノの弾き語りで淡々と歌う声が聞こえてきた。そうだな、ホントにそうだな。夢は枯れたくないものだな。夢は途中で絶たれたくないものだな。
かつて僕の女房は、恥ずかしい話だが、「あなたの夢の中に生きたい」と言ってくれたときがあった。結婚する前の話。いい加減な夫や父親や僧侶を続けているが、彼女はもう十分に僕の夢のひとつとなっている。

2005年5月25日Wednesday晴れ
浜田真理子。 宿直明けの朝富士川からの風の入り込む宿直室で、小さなスピーカーから流れる浜田真理子を聞いてしばらく過ごした。自身のピアノだけの歌なのだが、じーんと沁みてくる。今回のライブアルバムは、いきなり「ゴンドラの唄」で「い〜のちぃ、みじ〜かし…」と始まる。彼女のCDをあるとき1枚聴いたら止められなくなった。チューバの高岡君もヨーロッパツアーのお供に彼女のCDを持っていったらしい(たぶん僕がコピーしたやつだと思うが)。
やさしくなれる。元気が出る。歌というものはこれですと感じさせる何かがある。

2005年5月24日Tuesday晴れ
宿直。急がなくちゃ。 まだ4時前だと思っていたが、4時20分過ぎていて、大急ぎで帰宅。
宮木を通ると田に水が張られて、田植え前の鏡のような水田が美しい。捨身に撮らなければと思いながら帰ってきた。
もう本当の初夏の陽気だ。

2005年5月23日Monday晴れ
午後は社会保険事務所で勉強。 教育委員会が新しく事業所になったので、新規事業所の担当者の研修会があった。竜王社会保険事務所まで。入ると壁のあちこちに「社会保険事務所は今後、このように変わっていきます」というようなものが書き込まれて貼ってあった。
そういえば国民年金への未加入期間が問題になった時期があったな。もう遠いことのようにすっかり忘れていた。年金に入らないとか、納付を拒否するとかいう世代が増してきているので、余計先行きに不安はある。たとえば60歳で定年で退職しても、65歳にならないと年金が支給されないことになる。年金支給を細々と退職金で食いつなぎながら待つ間に、おそらくたくさんの人が亡くなるだろう。なんか姑息な手段のようにも思えなくもない。年金は世代と世代の支え合いなんて、僕もかつて国民年金の担当を長くやっていた頃があった。
25まで遊んでいたので、当然年金も役場に入ってから加入することとなった。今考えてみると、もっと早く真面目に働き始めていりゃよかったと思うようなときもある。そうすりゃ早く勤めを辞めてもいいじゃんとかね。
スズキイチロウ(g)QuartetのCDRが届いた。GYROで来てくれたのと違って彼のバンドなので、当然のようにギターは前面に出ているのだが、小森慶子さんのバスクラリネットがとてもいい味を出している。こんなバンドが寺に来てくれたらほんとにいい。イチロウさんは、1番バッターのイチローのように、技巧派で多彩であると思う。いくつものジャンルの違うバンドを組んで、タンゴからフリーまで幅が広い。彼のホームページでもそのいくつかの音を聞くことができる。
去年の5月にGYROで着てくれたときに、外のベンチに腰掛けて長い間アコースティックギターを弾いていた。彼が「ここでアコースティック弾きたかったので持ってきました」と言ってくれた言葉はとてもうれしかった。緑の風の中に彼の音が混ざってとても心地よかった。
今夜Ichiro Quartetは、僕の部屋で網戸から入る風とセッションしている。

2005年5月22日Sunday晴れくもり
遅ればせながら、不動尊祭典の柴燈護摩の写真アップしました。 今年のお祭りは、奇跡のように全くの無風状態で、とてもいい護摩が焚けました。熱いので、皆頭に玉のような汗をかいております。
今日は朝から村総出の環境整備。溝さらいや中沢川河川公園の草刈なんかで汗をかきました。
午後1件新車のお祓い有り。竹の子が何本か出ていたので、今夜の食卓に少しのるかもしれません。でも竹が生えてくるのはあまり歓迎じゃありません。竹にもまして、恐ろしいのはイノシシの荒らしです。墓地周辺は凄いことになっています。山の斜面を駆け下りてきた跡がとても酷くて、大雨が降れば斜面が崩れてきそうで不安です。こりゃ、猿より始末が悪いなと、昨日も今日も草刈りながら真剣に思いました。
ボブ・マーリーの子供たちの歌と、イスラエル・ヴァイブレーションのレゲエをゆっくりと堪能しています。新緑のいい季節です。(イノシシさえ出てこなけりゃもっといい)

2005年5月21日Saturday晴れ
新茶で快適な一日でしたぁ...。 草刈。墓地に行くと、イノシシの跡がおびただしい。これは猿より始末が悪い。猿は作物を荒らすだけだが、イノシシは斜面や山道までを荒らしてしまう。なかなかここに表現がしづらいのだが、“最悪ダ!!”ってのが本音。
夕べと今夜で一本空けてしまいました。「一葉の里」。これうまいんですが、今年貰ったのはうまくなかったな。つまみに食べた「納豆ちゃん」はとても美味しかった。
変わって。今朝、二日酔いの頭で飲みましたが、やはり新茶のような味はありました。匂いがしたり、茶が濃く出たり。

2005年5月20日Friday晴れ
新茶をいただきました。 いつもいつもお世話になっております。
支所長さんから、手摘みの新茶をいただきました。残念ながら今夜は果てしなく飲んでしまいましたので、味わいは明朝にさせていただくことにしました。
課長からも椎茸やタラの芽なんかもいただいており、別に僕のところも都会ではないのですが、こういう気遣いというか、やはりいいもんだなぁと一ヵ月半ほど下部に通っていての感想です。
結構飲んでしまったので、粗相のないように今夜はこれまでです。

2005年5月19日Thursday晴れ
なんか恥ずかしくて密やかに再開。 20日も更新できなくて申し訳ありませんでした。ま、読者はそんなに居なくても、「どうなっているの」とか電話でお叱りも受けたりしてましたので。
何はともあれ今夜、少々どきどきの船出であります。また具合が悪くなるかもしれないという不安は抱きつつ。
どうもアダルトサイトからのウイルスに犯されていたようで、電源が落ちてしまうという最悪の状態でありましたので、自己診断もかなわずに、いつもお世話になっているT屋さんにお願いしていたのです。で、直していただいてもまた具合が悪くなるという症状が出まして、結局、MOのデータの中にウイルスが残っていたのではないかという結論です。多分!
もう「ホームページも止めちゃおうか」なんて思いましたが、T屋さんがXPに入れ替えてもくれたので、何とか続けたいと思います。とりあえず今夜はこのくらいで、恥ずかしいくらいにひっそりと再開ということ.......です。

005年4月28日Thursday晴れ
風が強いので明日の護摩の時間には凪いでくれるといいけど。柴燈護摩用の桧葉を堂平の佐野さんの山に貰いに行く。もうこれで3年目だ。そして奥さんからは美味しいワラビをいただいている。お客さんに出しても好評である。シャキシャキしていて、鰹節と醤油をかけてシンプルにいただく。ごれが酒に良く合う。絶品。
佐野さんが「石田さんワラビがでてるから採ってけし」と、桧葉を下ろしながら言ってくれたので足元を眺めると、天然物のワラビがたくさん出ていた。食べることはあっても実際に自分で採った経験が無かったので、どんなものを採っていいのかわからなかったが、「葉っぱが開いて硬い奴はダメだよ」と言ってくれたので、それでも、両手に収めるくらい採れた。「これでまた一杯やれるじゃん」と言われて、夜の自分を想像して舌なめずりだった。
山は風も無く穏やかで、縁側でお茶をいただき、冷たいトマトを食べて、ありがたく桧葉とワラビのお浸しをいただいてきた。
女房と粗大ゴミを業者に持ち込んで処分し、酒を買い込み帰ってきた。午後から柴燈壇を作り上げ、お札加持の護摩を焚いて一段落。これで大体準備は完了。明日を待つ。
風が相当強い。護摩の時間に風がないことを期待したい。

2005年4月26日Tuesday晴れ
居心地がいいということは、フレッシュフルーツのごときもの。
まあ、なんだかよくわかんないような事件がひっきりになしに起こっているな。一歩立ち止まって左右確認を行うようなゆとりを持てば、決して発生しないだろうというような事件ばかりだ。
マスコミや企業や教育関係機関など、事件が起こってから後手に後手に回るようなことが多いが、でも決してこんなことは事前に予防しておくとか、指導教育を徹底するとかの問題じゃないと思う。人が生きるうえでの当たり前のことが、当たり前にできないような状況になっているのが問題だ。世の中の動きが忙しすぎたり、一歩つまずくと、それをきっかけに人生の歯車までが狂い始めてしまうというような寒い人間関係を何とかしていかなければならないんじゃないか。
週休2日制の学校にしたって、たてまえは「ゆとり教育」なんて言っているけど、実際はそれによって本来取らなければいけない「ゆとり」まで搾取されて、日々戦うことを余儀なくされているのが、今の子供たちの実態じゃないのか?
お祭り前で気持ちにゆとりが僕も無い。下部支所のお昼休みは、のんびりとしていてとても心地がいい。建物は古いが、人の数も少なく、人の出入りも多くはないので居心地がいい。僕にあっている場所だ。弁当を食べた後に、少し散策をする。これも新しい環境で気持ちがいい。

2005年4月25日Monday晴れ
疲れてるけど、気持ちは鋭く月曜の朝。
いよいよ今週金曜日がお祭りなので、土日と準備に追われていたので疲れているけれども、神経は頭は鋭く緊張している。
この時期は例年どおりでわかってはいるけれど、何か重圧のようなものを感じる。お不動様から「このときくらい少し真面目に緊張しなさい」と、叱咤されているようにも思う。
檀家の皆さんに手伝っていただいて、大方の準備はできた。祭りまでの間があるので、護摩壇の飾りつけなどは当日にした。
台所を預かる女房のほうがきっと大変なんだろうと思うが、彼女は粛々と僕と娘の弁当を作り、洗濯をして、護摩札の申込を受け付け台帳に書き、朝を送っている。

2005年4月22日Friday晴れ
小泉マジックに騙されるな!
気をつけろ!小泉の仮面の下のマジックに騙されるな!!
小泉さんは世渡りが実にうまい。思ってもいないことを平気で言ってのける。彼独特の処世術なのかもしれないが、アジア・アフリカ会議50周年記念首脳会議で「反省とお詫び」発言を表明したというが、一方では、靖国神社を春の例大祭に国会議員80人もが参拝したという。
「俺は周りの手前もあるから今回は止めとくが、あんた達はちゃんと行ってらっしゃいよ」ってなことだろう。
ところで祭りの一週間前の僕には、正直言って、当日のことと、明後日の日曜の準備のことと、それから一番は当日の天気のことが今一番心配なんです。明日からまた週末の2日間は忙しくなる。

2005年4月21日Thursday晴れ
停電となりゃ手も足も出ない住処とでもいうべきか。
11時半前に突然の停電。ノートPCなので、バッテリーが働いてくれたので助かった。復旧までに10数分かかった。隣の保健センターは非常電源設備の工事を施してあるので、数秒で復活したらしいが、ここはダメ!点くまで東電様の手心次第。せっかくなので、写真を撮った。
夕べはA女史宅で旧交をあたためあってしまったので、いささか頭の働きも悪くて、体もだるい。外はとっても上天気。さて、午後もがんばらなくちゃ。
地底レコードから「5000mプール」のCD買う。去年の秋に低音環境が来たときに不破さんから、録音ほやほやの奴を聞かせてもらっていたが、まさにパワー全開でございました。このアナーキーさに、わたくし脱帽。脱毛。

2005年4月19日Tuesday晴れ
支所に居ると窓がないので外のことがわからない。
困ったことに外の様子がわからないのだ。前の職場じゃ、毎日昼前から午後にかけての陽射しが強くてカーテンを引くのが欠かせなかったけれど、今の職場は僕の目に見える範囲に窓が無く外の景色がわからない。
お昼ご飯を済ませて便所に行ったり、うがいをしに外に出て、「あー晴れていたんだ」とか「けっこう暑い日になってるんだな」とか、「あっ雨が降り始めてたんだ」などということがある。
ところで、
朝日に早川義夫が高田渡を追悼する文を寄せている。早川氏は、氏の1stアルバムで渡氏の「シャンソン」を歌っている。渡氏はあまり自作の詩がなかったが、「シャンソン」は僕の友人の間では愛唱歌であった。
早川が4半世紀ぶりに歌い始めたとき、渡氏はそのことをとても喜んでくれたという。一見、早川義夫と高田渡の接点なんて見えてこないように思うが、離れていて、今ある場所は違っても、互いに互いを思いやる気持ちを持ち続けていたということだ。それでいいじゃないか。この世とあの世に隔たってはいても、また互いを思いやって暮らしていけばいい。そんな風に感じた。

2005年4月18日Monday晴れ
外は雨になった。
なんだか音がするのでカーテンを明けて外を覗いたら雨だ。部屋の明かりに映し出されたチューリップが雨に濡れて気持ちよさそうに鮮やかだ。網戸が欲しいくらいのあったかい夜だ。
Widspread Panicの2005Spring TourのLive音源がいま超人気で、わずかな時間でDLできてしまう。自由の国アメリカの音が伝わり、自由の匂いもこぼれてきそうなほどわくわくするPlayだ。ブッシュが居てもアメリカは僕に音楽をくれた国だ。
雷が鳴った。
今日は定例の教育委員会があった。初めてなので課長が前回の報告やら全体を流してくれた。僕はテープを回しながら、この会の匂いに慣れようとした。今夜テープを聞きながら会議録を作った。ほっと一息で遥かアメリカ大陸を駆け巡るGuitarに酔いしれている。
「給料上がったらしいぜ」と女房に袋を渡して先月のと見比べてみたら、飛び跳ねるほどのUpではない。それもそうだ。僕は給料額にも給料袋にも関心がない。毎月明細のみ記載された袋を貰っても、袋の印刷に目を落とすことはない。通帳も見ないし、自分で下ろすこともないし、なので毎月いくら貰ったのかも知っちゃいない。おそらく今頂戴している給料に僕の気持ちは満ち足りている。僕の給料を生かすのは女房の役目だ。僕は好きなパソコンと音楽にお裾分けいただけるだけでいい。ありがたい、ありがたいと、お寺のことにも僕らの金を使ったりもする。寺は僕たち夫婦に金を産んではくれない。でもそれでもいいと思っている。十分にこの寺と僕は遊んでいるから。

2005年4月17日Sunday晴れ
葬儀助法あり。
今日もよい天気。境内と山の桜ももうほとんどが散ってしまった。草が萌えはじめた。少し憂鬱。
昨日は護摩札を少し気合を入れて書いたので、今朝は他の祭りの準備。大きなストーブから灯油を抜いて仕舞ったり、護摩の御札の申込書をパソコンで打ったり、願文を印刷したり。
夕べ出てきたイノシシが、墓地の坂道の幅を派手に掘りまくってくれて、土が側溝を塞いでしまっていたので片付けたり。あー憂鬱。
寶龍寺檀家の甲府での葬儀のお手伝いに10時半過ぎに出発。カーナビがあるので、目的のセレモニーホールにも余裕で到着。天気もよく、高田渡や斉藤哲夫を持ち込んで、一緒に歌いながらDrive。快適快適。やっぱ青春時代のフォークソングが好きです僕は。
ホールが暑かったのか、冬物の羽二重じゃ暑かったのか汗ばみながら葬儀を終えて帰る。
家まで10分位のところで女房からケータイ。「ははー?わかったぞ」僕が真っ直ぐ帰らずにどこかに寄り道して飲んでいるのではないかと探りを入れてきた。残念でした。実は初七日の始まりまでお手伝いしてきたのでした。帰って本堂の掃除。晩飯に発泡酒ロング缶2本。NHK教育の「トップランナー」でサンボマスターというTrioのRockB andを拝見。とてもアバンギャルドでいかした3人でした。多分CD買って聴いたりすることはないだろうけど、屋台骨のしっかりした若者が好きです。ということで明日からまた現実のお仕事です。

2005年4月16日Saturday晴れ
高田渡死す。
KAZUEさん高田渡が亡くなったよ。何年か前に甲府に来た時にLiveに行ってきてとても良かったといつだったか話してくれたよね。
今夜は渡さんを追悼です。Liveを聴いています。彼はいつも飲んだくれていたような見かけばかりが目立っていたけれど、とてもいい歌を歌いつづけていたね。
14か15の頃フォークソングを聴くようになって、それから高校に入って図書館で、渡が歌に取り上げた詩人、山之口獏、金子光晴、中原中也の詩集を図書館からしょっちゅう借りました。
渡の歌を聴かなければ、その後、ランボーや萩原朔太郎も読まなかったと思いますし、歳をとってから斗う歌人福島泰樹なんかも知ることは無かったかもしれません。僕が一時期短歌を作ったり、少し詩のようなものを書いたりしたことの最初には「高田渡」があったのだと思います。
僕には今でも彼の忘れられない言葉があります。「右でも左でもないなんて、右のようなことは言わないで」といった言葉だったかと記憶しています。僕が結婚して子供が生まれてから聴いた渡の歌に、今でも時々無性に聴きたくなる歌があります。菅原克巳さんという詩人の「ブラザー軒」です。
2枚組のAlbum「Best Live」にはDisc1とDisc2に2回この曲が収められていて、Disc2では、めずらしく?渡が歌いながら声を詰まらせます。ブラザー軒に関して興味深い記事を発見しました。リンクしておきます。“安藤文隆のエッセイ”覗いてみてください。ついでに菅原さんの原詩もここに載せておきますね。
 『ブラザー軒』
   東一番丁、
   ブラザー軒
   硝子簾がキラキラ波うち、
   あたりいちめん氷を噛む音。
   死んだおやじが入って来る。
   死んだ娘をつれて
   氷水喰べに、
   ぼくのわきへ
   色あせたメリンスの着物。
   おできいっぱいつけた妹。
   ミルクセーキの音に、
   びっくりしながら
   細い脛だして
   椅子にずり上がる
   外は濃藍色のたなばたの夜。
   肥ったおやじは
   小さい妹をながめ、
   満足気に氷を噛み、
   ひげを拭く。
   妹は匙ですくう
   白い氷のかけら。
   ぼくも噛む
   白い氷のかけら。
   ふたりには声がない。
   ふたりにはぼくが見えない。
   おやじはひげを拭く。
   妹は氷をこぼす。
   簾はキラキラ、
   風鈴の音、
   あたりいちめん氷を噛む音。
   死者ふたり、
   つれだって帰る、
   ぼくの前を。
   小さい妹がさきに立ち、
   おやじはゆったりと。
   東一番丁、
   ブラザー軒。
   たなばたの夜。
   キラキラ波うつ
   硝子簾の向うの闇に。


      (『日の底』飯塚書店 1958年)

もう永遠に歌う高田渡を見ることはできませんが、渡の歌はいつでもまたこうして聴くことができますし、僕の脳裏に刷り込まれた30年以上の歴史のある高田渡は死にません。少し長くなりました。でも書かなかったら今日を終わりにできません。

2005年4月14日Thursday晴れ
やっと今日は晴れて。
外は暖かだったんだろうね。職場にほとんど缶詰状態なので、外の様子がわからない。(たった今書きながら思ったんだけど、そういえば窓が無いので、外の景色がまったく見えないんです)。これもおかしなもんだね。
夕べは学校教育家の歓送迎会で下部ホテルで宴会。2次会までやって帰宅。例のようにいつもの二日酔で、今日は「男は黙って仕事一筋」に励む。なんとか一日が終わって帰宅して、課長からいただいた椎茸で日本酒。旬のものが目の前にあれば飲まないわけにはいきません。
明日行けばとりあえず週末で、祭りの準備に費やさなければならない。

2005年4月12日Tuesdayくもり
体が寒ければ一枚上に羽織ればいい。
朝日の大江健三郎の「伝える言葉」。船越桂さんの挿絵がとてもいい。年を重ねてきても妥協することなく、一つ一つしっかりと日々積み重ねて自己研鑽している、大江さんの書く言葉には真実がある。僕の内にこの人は「信じられる」「信じられそうだ」「信じるに値しない」が存在する。はるかに年上のノーベル賞文学者を評価するなんて気持ちは毛頭ない。しかし大江さんのことなら信じられる気持ちが最近増殖してきた。
同じく朝日の若年性アルツハイマーの連載。もし僕にこの兆候が現れ始めたら。仕事もいずれ辞めなければならないし、寺の住職としての務めも、僧侶としての行いも継続できなくなる。持ち家を持たない僕ら家族は、寺を出たらどこかに生活の場を探さなければならない。大学生の息子には、「これでもう精一杯だから」と、卒業までの資金を工面して、「その先は自分でな」と言い、高校生の娘のことは、妻と相談してできる限りの後押しをしたい。僕には先がなくなり、妻には先があるが、その道は荒涼としている。少し想像してみたが、ただそれだけである。今日も昼過ぎから諸行無常の春雨が絹糸のように降り始めている。今日は寒い。(12:47 下部支所にて)

2005年4月11日Monday
アルツハイマー病のこと。
夕べ役場の宿直だったが、朝日新聞にアルツハイマー病の特集が載っていて、何気なく読んだが、ひどく愕然とした。50代の夫と40代後半の妻の夫婦であったが、夫がアルツハイマー病でもう数年後には何もわからなくなってしまうのだと。会社を辞めざるを得なくなり、家庭にこもる夫に「洗濯物を取り込むこと」などと、教師である妻は毎朝書置きをして出かけるのだ。しかし夫は、日に日に症状が進行していて、回覧板すら回すこともできず、ただおろおろと自らの症状の進行を認めなければならない。
辛い記事であった。今朝宿直明けで、早朝のロビーで朝刊全紙に目を通すと、朝日には今日もこの記事が掲載されていた。
シャンプーの容器に「頭を洗うもの」と書く。職場の仕事上のグループの仲間からは「私たちのグループの評価に、○○さんを含めないでほしい」と言われる。
これは仕方の無い病気である。今の医学ではいまだ治す事のできない病らしい。医師は「今のうちに思い出をできるだけ作るように」と。妻に思い出は残るが、夫には思い出作りの足跡さえ、瞬時に薄れて消えていくのだ。どうしたらいいと、叫びたくなるような寂しさに襲われた。
ここにこのことを書いて、これが何になるわけでもない。ただ書きたいと思っただけだ。
もう桜は散るばかりだ。短い花の命の最たるもののように、花びらを散らせる。吹き溜まる花びらも、池の面に絨毯のごとく咲いた花びらも、消えゆく記憶を繋ぎとめておきたい、もがく風景のように見えて少し悲しかった。

2005年4月10日Sunday晴れ
華光院祭典のお手伝い。
甲府:華光院ご本尊三寳荒神の火防祭典。山梨放送のキャラクター「モモオ」「モモッチ」も来ていました。
40人を超えるお稚児さんもあり、天気も良くていつもながらに勇壮な柴燈護摩供でした。午前中は比較的風も少ないので、護摩壇が大きくても風が吹いて危ないということも少ないのかもしれません。
修験者みな汗だくでした。他所のお寺のお祭りを手伝うと、「うちのお祭りもこうしよう」とかいろいろと参考になります。どんなふうにしたらいいかなぁとか考えながら、コジマ寄ってCD-RとDVD-R仕入れてきました。
午後からは風が強くなってきて、天候も下り坂なのか?今夜宿直なんで、風呂入って出かけなけりゃなりません。

2005年4月8日Friday晴れ
やっと一週間の勤め終る。
役場は今日朝から断水で、お昼の弁当の後、習慣の排便ができないのかと少々重い気分でいたら、裏の建物の中が給水タンクがあるので、トイレが使えるとの情報を得て快便。
このトイレがまたバリアフリー仕様で、しっかりとお尻も洗ってくれて、これはいいところを見つけたぞと、昨日の役場の2階とは大違いだぞと、この場所に様々な日々の発見。
明日の朝はゆっくりでもいいやと、今夜も飲んだ。

2005年4月7日Thursday晴れ
今日は桧花粉がおびただしい量飛んだんだってさ。
(昼休みに書いたもの) オウム事件の岡崎被告の死刑が確定した。今朝の朝日には判決前彼から寄せられた手記が掲載されていた。その中に、「皮肉な因果と申しましょうか。仏教の呪縛にはまり、大罪を犯してなお、再び仏教によって救われるのですから。真の宗教とは、教義に依存せず自ら気づくことによって自己を高めていく修行なのです」と綴られていた。
僕はこれを読んで、彼はオウムのことを越えたと思った。彼に死刑の執行がなされないことを祈りたい。「今を感謝します」と締めくくってある。今日彼は最高裁の「上告棄却」を「今を感謝します」の心のままに受け止められたに違いない。
朝霞がかかったかのように大量の桧の花粉が飛散していた。課長も向かいの席の係長も憂鬱そうであった。「ものすごいな」と、うんざりした口調で。
僕はそれほど感じないのだが、午後に向かって顔でも洗ってくるとしよう。
(20:10) 誰もが弱い心でいるのだと思うけど、弱い心であっても自分をしっかりと持ち続けることだ。僕の叔父は「お不動様にすべてお任せしよう」ということを説教に使ったりするが、何もかもすべて自分を全部投げ出して他に委ねてしまうということではない。いつのときでも、自分の本当は自分でしっかりと持っていなければならない。それこそが大切で基本なんだ。

2005年4月6日Wednesday晴れ
職場報告。
昼休みに弁当を食い終わるとやることがない。
今日は役場の内外の写真を撮った。机の上に蛍光灯が吊るされて並び、蛍光灯の紐が手の届く高さまで垂れている。床は板張りで、歩くとキシキシ音が鳴る。年に二回ほど油を塗るのだとも聞く。
下部支所勤務の職員と、僕の属す学校教育課の職員しかいない。教育長以下8人。支所の職員が7人で16人か。..........
ノンビリトハシテイル
外の桜がきれいだ。今日は町内の小学校の入学式。気温も上昇している。お昼休みがもう終わる。
(19:58)JAZZ仲間の支所長は、昼休みにAmazonで仕入れたJAZZのCDを見せてくれる。今はいい時代だ。僕もそうだけど、本当に聞きたくてたまらなかった頃には、欲しいレコードや聞きたいレコードが容易に手に入れることができなかった。いま年齢を重ねて、給料を貰いながら、決して裕福とはいえないが、自分で欲しいJazzやRockや民族音楽のCDが手に入れられるようになった。Amazonなんかで、割と安価な輸入盤がネット上で簡単に買えるようになったこともある。
最近は、ネット上でLive音源をDLすることも多くなってきた。(違法行為ではない)たくさんの可能性が開けてきて、キシキシとウグイス廊下のような時代を感じさせる職場にあっても、時代に取り残されている感じは不思議とない。何処に息をしていても、今僕の或る場所と世界はつながっていると感じる。それだけで「まあいいや」と思えるから、それで十分なんだ、きっと。

2005年4月5日Tuesday晴れ
酒がやっぱ友達。
職場が変わって昨日今日と、今までより少し遅く帰ってきて、僕が黙って燗をつけて飲みはじめても女房は口をはさまない。今までだったら「月曜日から3日間は休んで」と言っていたが、多分僕が仕事が慣れるまで、「あなたの気分に任せて好きにやって頂戴」ってとこなんだろう。
少し飲まないとやはり一日の落ち着かない気分や心の常態に収まりがつかない。

2005年4月4日Mondayくもり
疲れた疲れた。
町が合併してからのことの約束事も何もわからないので、事務を執るのに浦島太郎で、今日の一日はあっという間に終わり、困ぱいの疲れだけが残っている。
これは戻るのに相当な時間を要するかもしれない。

2005年4月3日Sunday晴れ
護摩木割り、少しずつ祭りの準備。
天候を心配していたが、日中はとてもよい天気でよかった。予定していた檀家のSさんの墓地の地取りも滞りなく済ませることができた。
夕方になって少しパラパラと雨がきている。明日は崩れるのか?
護摩木を割った。柴燈護摩の分と内陣の分。これで祭りはOK。
今日は暖かだったので、枝垂桜も満開に近くなった。いよいよ明日から下部の教育委員会の職場への通勤と仕事が始まる。不安は...ある。どうも性格的に、「なんとかなるさ」っていう風に物事を考えることができない。
寺の門を出て、参道から町道へ出るのに、明日からは右のウインカーを出すんだな。

2005年4月1日Friday晴れ
決して愚痴を漏らさず黙々と職務を遂行する、そういふ人間に私はなりたい。
4月1日年度の頭に僕はそう誓いたいのである。ま、これがどうなろうと、今朝の僕がそういう気持ちであるということが大切なので。
女房手作りの弁当を今日から持って職場での糧とする。
野球のセ・リーグが開幕。興味なし。家屋火災で5人の子供が亡くなった。両親と娘夫婦4人はパチンコに出かけていて、5人の子供が家に残っていたのだと。パチンコすること事態を非難するつもりは無いが、もう少し慎重に生きるべきではないか。
幸と不幸が背中合わせだ。いつ何時その立場が裏返るか予断を許さないのが今の世の中。お金を預けすぎていても、大家さんがパンクしたら諸共になるのがやっぱ今日からなんだってさ。

2005年3月31日Thursday晴れ
とても気持ちよく晴れている。
天気もよいのでこの年度の晦日も、僕はなんとなくやり過ごせそう。半日が終わった。
僕も職場に気持ち良く別れてこようと思う。梅も桜もコブシもいっせいに花開く。菜の花も黄色く可憐だ。
だが....なかなか後任者への伝達をまとめられない。いまだに悩んでいる。このまま終わってしまいそうだ。
(21:20) そのまま放置して職場を放棄して帰ってきました。その場所に居てくれさえすれば何とかなると思います。社協の職員がきっと僕に代わって、わからないことを教えてくれると思います。と、そんなとこかな?
福祉保健課の課長補佐も異動するのと、臨時職員のHさんが辞めるので、僕も一緒に向こうで誘ってくれて一時間ほど2階の和室で懇親会。当然酒は無し。酒の無い会食は苦手だ。昔はこんなときでさえ必ず酒があり、これが当たり前だったので無性に懐かしい。皆で記念写真の後また1時間ほど、社協職員の3月分のタイムカードの処理をしたりして帰る。帰ってとりあえず酒。女房とテレビ見ながら話す。小さな、もうけっこう繰り返してきたこんなときの時間。明日からは弁当を作ってもらうのだ。感謝。

2005年3月29日Tuesday晴れ
送別会をしてもらう。
午後5時半からデイルームで送別会をしてもらった。固辞したのだが、介護保険のスタート時からずっと一緒にやってきたので、皆さんもいくらかは寂しさが募るのだろう。
お酒を飲むわけにもいかないので、お茶と寿司とオードブルで30分ほど話して席を立った。美味しそうな日本酒も「家で飲んで」と手渡された。僕の脳裏にも十分な寂しさが湧いた。
長く関われば関わるだけ離れ辛くなるもんだ、きっと。おそらくこれからは、5年も社協で出向で仕事をする職員はないであろうと思う。役場に戻れると思ったところへ町の合併の話が具体的になり、合併のことをやり遂げるまで帰れなくなくしまったのが真相だろうけど、でも長かったな。後半はほとんど仕事もせずに萎えていたな。
もうあと2日できれいに去る支度をしなくちゃな。

2005年3月28日Monday
寒い寒い雨の日で、身辺整理も遅々として過ぐ。
後任に仕事の引継ぎをする書類を作るのだが、これがひじょうに苦手。めんどくさいのと、まとめることができないのと、いつもこのときが憂鬱な時間。一向に進まない。
進まないので机の中でも片付けようとするのだがこれも進まない。家にある折り畳みのコンテナ持っていって31日に「エイ!ヤッ!」と放り込んで、オサラバしてくるか。
冷たい雨で身体も固まって動きたくもなかった。
午後下部に行き、帰りに教育委員会へ寄って、僕の前任の方と少し話す。何もわからない仕事内容で、ただ「ハイ、ハイ」とわかった振りで肯いて帰ってきた。
風呂に入って頭でもさっぱりと刈ろう。

2005年3月27日Sunday晴れ
そしてまた息子は相模原に戻っていった。
週末に帰省していたが、もうまた相模原へと戻っていった。次は寺の祭典のときだ。僕の週末は呑みつづけで彼と話すこともなかったが、何枚かのDLしたDVDを持たせてやった。
風は強く、畑の横の寺の持ち物で、現在は或る方の物置になっている建物の屋根のとたんがはがれて、ひどくうるさく悲鳴をあげていて、あの屋根に上るなんてできねぇけど、何とかしなくちゃなと途方にくれていた。が、思い切ってヒデちゃんを訪ねて「お助けください」拝んだ。快くすぐ梯子を積んできてくれて、わけもなく応急修理をしてくれた。すいすいと屋根の上を歩く大工さんは神々しい。「どうもありがとう、甘えっぱなしでいるよ」と、僕は寺のよき相談相手のヒデちゃんに本当に甘えた。

2005年3月26日Saturday晴れ
法事1件。不思議さん一人来山。
風が強くて本堂の中まで風が荒れ狂った。お不動様にご縁があったのだという不思議さんがお一人訪ねてこられた。実は先日昼に電話があったのだが、まさか今日いきなり現れるとは思っていなかった。
こういう不思議な人が時に来たりするが、僕はこういう風に霊感が強かったり、夢でお告げを聞いたりすることはないので、まあどちらかというと、こういう人たちは苦手な部類であったりする。
でも彼はひじょうに喜んで感激してお不動様と対面し、長いこと心経やら真言も唱えていった。「また来ますから、その時には護摩を焚いて私の身を清めてください」と帰っていった。「真実のお不動様」と呼んだことが帰ってからずっと頭の中に残っている。変な宗教やら拝み屋といわれるところを何度か経験したらしく、金銭のトラブルもあったらしい。この寺のお不動様はいつだって真実です。その真実のお不動様を大事に御守りしています。皆さんが気持ちよくお不動様と会っていただけるように努めています。
夕べの十六夜の月と、夜桜をアップします。夕べも楽しいお酒を「焼酎Bar 川口」でいただきました。

2005年3月25日Friday晴れ
雲間から朝日が顔を出す。
早朝の空は嘘と本当が背中合わせになっているようで、右が青空で左が重たい曇り空で、はっきりとした境目はなく、どちらから流れているのかわからないが、人間の欲の世界を空に表してみるとこうなるといったような光景だった。
真実の根をおろすことなんてけっこう時間がかかるものなのだ。真実でありたいと願う心を顔の表に出しながらも、心のうちは両者が葛藤しているのが案外この僕みたいな人間だ。
ニルス・ペッタ・モルヴェルの北欧のトランペッターの、白夜とかゆるやかに過ぎる時間を想像させる音楽を聴いている。天候が定まらずに昨日も雨が降ったし、早朝の境内には風花が舞っていた。同じ地区の友人のお父さんが亡くなった。もう僕の歳になってくると親が死ぬということがさほど不思議なことではなくなる。ある程度当たり前のこととしてとらえることができる。親子の関係というものは厄介なもので、当たり前に生きている間は鬱陶しいものであるが、存在が無くなると寂しくなったりする。この感覚が血というものなのだろうか?

2005年3月24日Thursday晴れ
ホリエモン勝ち名乗り受くときには誰も居ず。
ホリエモンの勝ちになったが、結果思わぬ波紋を呼ぶこととなっている。ライブドアが経営に当るようになれば、ニッポン放送の受け持ち番組を降板したり、出演要請を断るという表明が、タモリ、中島みゆき、江本孟紀、倉本聡らから出された。
ホリエモンは僕がテレビを見ていて感ずる正直なところは、「得体の知れない人物で、何をしでかすかわからない」という人物観だ。
彼はインターネットを強調した発言を繰り返すが、彼の本心は、「金を使って会社の乗っ取りゲームを楽しむ」というようなところにあるのじゃないかと考える。
多分渦中の彼を見ていると、もうプロ野球から今の楽しみに興味は転じているようだし、世間ももうライブドアに球団を経営させるようなことにはNOだろう。
ホリエモンが勝ち名乗りを受けて、実質経営につこうとするときには誰も居なかったということになってしまうかもしれない。人の心は彼の発言や態度では掴むことはできない。
紅梅も早咲きの桜も開いた。

2005年3月23日Wednesday
2日続きの雨もあたたかい雨。
雨の日だったけれど部屋の中を羽虫が飛んでいる。寒いようでも暖かくなってきていて地中の虫も地上に現れているということだ。
新年度予算を問う理事会で、1時間半ほどで無事終わった。明日の評議員会で終了する。25日に役場の中の職員の異動内示が出るということだ。
帰ってきて僕は「寒い寒い」と言いながら熱燗をつけて飲んだ。彼岸も今日で終わり。またあした。

2005年3月22日Tuesday
「子供の記憶は正しい」。
朝日新聞に掲載された大江健三郎の「伝える言葉」を興味深く読んだ。また、この国が昭和20年8月15日以前への道に戻ろうとしていることへの警鐘であるように僕は彼の文章を読んだ。大江さんが10歳の時に戦争が終わったが、周りの大人たちからは「自由を履きちがえるな」と、常に言われていたという。彼はひそかに自分は自由に生きようと考え、自らの決して豊かとはいえない日々の生活の中で、「自由に本を読んでやろう」と決めたという。その決心のときに「自分は履きちがえない」ことを信じたという。
大江さんたちが中心となって昨年「九条の会」が作られ、少しずつ九条の会の思いが全国に広がり始め、各地でも「○○九条の会」というような組織が旗揚げされている。僕も憲法九条は守らなければならないと思っているし、守り通して次の世代に渡したい宝であると考える。
大江さんは「伝える言葉」の最後を次のように締めくくる。少し長いが全文転載させていただく。「『九条の会』の集まりで私が話しているのは、戦後の苦しく新鮮な再出発の時、子供の自分がなにを経験し、なにを感じとって理解し、そしてなにを希望したか、ということです。私は、いまの子供に、また忘れていないのにウソをいう大人に、子供の記憶は正しい、といいたいのです。」と。
あの日僕の祖父母、父母らも含め、誰もが「もうこんな戦争は懲り懲りです」と、肉体も国土も憔悴の極みの中で誓ったはずなのです。今憲法を改定しようとしている大人たちにも、透き通った眼差しでこのことを真剣に思った60年前が確かに存在したのです。大江さんの「子供の記憶は正しい」という言葉の重みを、しっかりと受け止めたいと思った日でした。

2005年3月21日Monday晴れ
振替休日も終わってしまう。
昨日の報告。市川大門町高田の西光寺にて秋葉山の祭典で柴燈護摩供の導師を務める。例年と同じ瀧本院と松鶴院のご住職に拙い導師の助法をしていただき無事に終える。今年は昨年ほど風が吹かなかったので、火の粉をたくさん浴びることもなく、袴に火の粉で穴を開けることもほとんどなく終わる。二人とはこの後4月10日の甲府:華光院の祭典で会い、瀧本院さんにはご子息と一緒にうちのお祭りにも来てもらう。それから5月8日の勝沼:大善寺の藤切り祭典でまたお二人とご一緒する。春の祭り行脚が始まった。いつもこの時期は年度替りで勤めの気持ちは落ち着かないけど、修験者としての僕はうきうきする。今年もいい祭りをたくさん味わって仏道を精進するのだ。
市川大門に出かける前に彼岸法要をしたら、檀家さんもこちらの予想以上に来てくれた。お見えになれない方からの手作りのお饅頭の差し入れなんかもあり、終わってからも皆さんにはゆっくりとお茶を飲んでいただけてよかった。細く長く、気負わずに欲張らずにね。
西光寺からの帰り、またしても真心の居酒屋喜田へ。ちょうど喜田のお姉さん親子が帰省中で、ちょっとだけがゆっくりになってしまい、結局車を置いて女房に迎えに来てもらった。でも楽しい酒。H子ちゃんとは、ホリエモンの話なんぞをする。
今朝は朝から風が強くでも気温はかなり上がった。ふきのとうが石垣の縁に例年のように顔を出し、紅梅も桜も昨日よりほころびた。明日からまた仕事だ。今週末には人事異動の内示があるようなので、少し気持ちは波立っている。

2005年3月20日Sunday晴れ
彼岸中日。
宿直明け今朝は、宿直室で目覚めてからやけにくしゃみと鼻水が出る。8時半に帰ってシャワーを浴びて、市川大門の西光寺の祭典に行くための修験の一式を積み込み、10時からは寺の彼岸の法要。何人来るかなぁ。
今朝は少し肌寒い。梅の花の開きも足踏みだ。
今日はまた一日坊さんとしての勤めを果たさなければならない。地下鉄サリン事件から10年ということだ。犠牲となられた方々への彼岸供養にもしなければならない。

2005年3月18日Friday晴れ
好天気、されど強風。
オウム真理教の麻原智津夫に脳疾患の疑いがあるらしいとの報道。「次第に発言が減り、失禁している。介助も受けており、脳の委縮による認知症とも考えられる」というような拘置所の報告もあるようだ。
彼がこれらをポーズとしているのならともかく、報告された症状が確かにそうであるなら、これは著しく逼迫した厄介な問題である。麻原がこのまま何も彼自身の口から語らずに、一連のオウム事件が終結してしまうというなことになるのはたまったものじゃない。
70年代の連合赤軍の事件だって、首謀格はきっちりと自分たちが起因した事件について、自らの言葉で反省もし、自分たちのこの国を思う気持ちについては、それを曲げることなく総括してきている。麻原の側近たちの多くも、彼らの言葉で悔いる者や終生彼を信奉するという頑なな態度で裁判に臨んでいる者もいる。立場の両極端はどうあれ、とにかく喋らなければ始まらない。
これがライブドアの堀江以上に大きなスケールでこの国を一時席捲した男の終わりであるなら、これは何とか彼の症状の進行を防ぎ、何年かかってでも麻原本人の口が割れるのを待ちたいなと思う。
暖かな彼岸2日目となり、風は強いが暖かな日和。梅も開きそうだし、早咲きの桜はちらほらと開いた。今日は小学校の卒業式らしい。一年一年の過ぎるのがはやく感じられて、我が子にもこんな時期があったのだということがもう随分遠い所へ行ってしまったような気がする。

2005年3月17日Thursdayくもり
彼岸入り。
曇っていてもう間もなく雨になるかもしれない。少し肌寒い彼岸の入りの朝だ。
いつもより少しだけ早く起きて、お勤めを済ませて墓参。寺の墓地と無縁墓を廻り、それから遠方で墓参に来られない方たちの墓にも線香を上げ、頼まれた分の塔婆も建てる。
女房がまとめておいてくれた杉の落ち葉があちこち山のようになっている。風邪のないときに燃してしまおう。朝の早い時間は風も止まっていて空気がやさしい。雨を待つ朝なので寒さもそれほどではない。一人で居る時間が好きなので、墓地で長居をしてしまった。さてそろそろ仕事に行かなくては。
ダウンロードして溜めておいた幾つかのLiveを、DVDに焼くことができるようになった。秀逸はZAKIR HUSSAINのタブラというか、インド打楽器のSession。画像は少し粗いが、滅茶苦茶かっこいい。これは高岡君にもそのうち届けたい代物だ。あと、RHISHのギタリスト TREY ANASTASIOのテキサスでのLive。これも随分と楽しめる。でも、画面を見ながら過ごすって意外と僕は苦手です。

2005年3月16日Wednesday晴れ
潔(いさぎよ)くとは。
僕が懇意にしていただいているKさんの息子は、この4月からは難関を突破して県職員となる。「やるときはやる。結果をきっちりと出す」というような彼の思いがこちらにも十分に伝わった出来事で、余り深く彼と話したこともないが、息子を大学にやっている親としては、我がことのように嬉しいことであった。
一方この時期になると職場を去る人や職場内の異動のことなどがささやかれ始める。「潔い(いさぎよい)」とは、その場所に思いを残さずに、さっぱりとその場所を自らの心の内で断ち切ることであると考える。
例えば人の死にしてもそうである。思いを残した故人に対して、棺にすがって送る側も引きとめようとする。これではいけない。いのちの途切れた瞬間からもうこの世の者ではないのだ。旅支度をして棺に収まり、家族親族は交代で棺に釘を打つ。これが肝心。棺に釘を打って、「もう決してここには帰ってくるな!ここから先はあの世とこの世の違いがある」ということで、とどめの釘を打つのである。「とどめを刺す」とはこのことかと思う。医師の判断により死亡が宣告されて葬儀を行うのだが、更に血を分けたもの同士が互いに確認し、家族としての思いを断ち切り、潔くもうあの世に行けと、もう決して帰ることはできないと「とどめを刺す」。そして現代では念を押すように、炉で肉体そのものを焼き尽くしてしまうのである。
潔く別れたい。去る人も思いを残すようなことでなく、きれいさっぱりと「或る日」を境にその場所への思いは消し去ることがよいと思う。僕もかく在りたいと思う。

2005年3月15日Tuesday晴れ
パソコン環境が大幅に改善。
なんか重たくて動きが鈍かったのね。飛躍的に改善されて帰ってまいりました。
DVDも焼ける環境にもなりました。彼岸間近の底冷えのする日々ではありますが、僕は少しだけ今夜ルンルンしてます。
檀家に彼岸の法要の案内を出して、塔婆供養も申し受ける旨書いたら、この春は反響がある。今夜だけで3本も電話がかかってきた。3件で塔婆7枚。ありがたいことです。
でも、塔婆で供養してあげるのが一番気持ちのこもっている行為ではないかと思う。僕は高級な塔婆は使わない。資源の無駄にもなるし、今は葉書で案内の来る業者からB級、C級の1枚350円、310円というのを使っている。ちなみにこの業者の等級は、特A級(420円)、A級(400円)で、D級、E級は「原材料の在庫分のみ」と書かれている。実は今回塔婆を注文出して、「在庫があればE級塔婆も送ってください」とした。まだ品は届かないが、多分E級でもいけるんじゃないかと思っている。そのかわり、檀家からいただく塔婆料はうちは安いです。
寺の収入が乏しいので、少しでもこういう風に反響があると嬉しいっす。地道に気長にやります。彼岸の法要も、1時間くらいだけど、檀家が来ても来なくても、僕ら寺の者が真面目にやっていることが伝わればいいと思うので、、、、やります。紅梅もうすぐ開きます。

2005年3月10日Thursday晴れ
息子の19歳の誕生日。
相模原でもうすぐ一年を経ようとしている息子の今日が誕生日。3月生まれなので、やっと19歳と彼は思っているかもしれない。
大学に入って、祭典のときと盆と暮れに帰ってきて、3回の帰省で1週間もここには居なかった。いくら親子であっても個人なのだからそれはそれで構わないと思う。やがて皆それぞれに道を分けていくのだ。
一昨日叔父の檀家の葬儀を手伝ったが、亡くなった方は44歳で自ら命を絶った仏さんだった。家には奥さんと19歳を頭に3人のお子さんが残された。一番下はまだ5歳という。家族も死に到る原因がわからないのだと。
叔父は戒名に、「照径」と付けた。家族を残し命を絶ったことにはもう触れても仕方のないことで、戻すことのできないのがこの世の慣わしである。せめて、向こうから家族や子供たちの行く末を「明るく照らして欲しい」との思いが込められていた。
練炭自殺なんかが去年あたりから「ブーム」のように多発している。許されることではないと思うけれど、そこに到る個々の心の内のことを想像すれば、僕にも「わからないこともない」と応えてしまいそうだ。
のんびりと好き勝手に生活しているようでも、息子は息子なりに自分の先行きのことを考えているのだ。女房も僕もその彼の模索する“径”を照らすための援護はできるだけしてあげたいと考えている。

2005年3月9日Wednesday晴れ
花粉症かな。
目玉を取り出して、きりりと冷えた氷水につけて再び納めたい。僕は花粉症を克服していたわけではなかった。
鼻詰まりがなくなっただけだ。この鼻詰まりという奴が厄介物で、特に日本酒を飲むと天罰てき面であった。鼻が詰まって呼吸ができなくてほとんど眠れないのだった。口を開けて息をするので余計喉が渇いた。バカはそれでもこの時期、「お別れ会だ、解散会だ、歓迎会だ、花見だ」と飲んだ。不思議と飲んでいる最中は鼻詰まりが気にならないのだ。酔いが鼻詰まりを意識させなくなるのだ。
で、3年程でこの鼻詰まりがぴたっと止んだ。以後鼻詰まりはない。だが眼の痒みやくしゃみは今年も始まっている。できるだけ顔を洗ったりうがいをしたりする。顔を洗って鼻もかんで、水道水を鼻の穴で吸い込んで中まで洗浄する。これが気持ちがいい。それでできれば取り外しが可能なら、目玉も冷水でしょっちゅう洗ってやりたい。
B's Recorderで焼けなかったPAT METHENYの2月18日のLiveを、ネット上で教えを乞い、WAVEファイルを変換する知識を得て今夜やっと焼くことができた。いやあ、なんだか嬉しくなっちゃうよね。パットの新作tourの音源、これで4日分5音源をゲット。

2005年3月8日Tuesday晴れ
今日は花粉が飛ぶらしいぜぇ。
今日から本格的に春めいて気温も上昇するらしい。現に、今朝はもう太陽がかなり暖かな熱で輝き始めている。
それで今日はかなりの量の花粉が飛ぶらしい。僕も風邪以降気分が今ひとつすっきりとしないが、目が痒くなったりもしているので、花粉の飛散の影響も少なからずあるのだきっと。
今日は午後から叔父のところの葬儀の助法。先週も2日休んでいるので少々気が引けるが、これがもうひとつの仕事だから仕方がない。

2005年3月7日Monday晴れ
武蔵丸。
元横綱の武蔵丸が夕べテレビに出ていた。TOKIOのメンバーと沖縄に行っている番組だったが、ラジオにリクエストして曲がかかったら車を走らせてよいというもので、内容には興味なかったが、武蔵丸はボブ・マーリーが大変好きなようで、番組中2曲ともボブの曲をリクエストした。「NO WOMAN, NO CRY」ともう1曲、忘れちまったが。僕はボブ・マーリーが亡くなった後、彼以外のレゲエをほとんど聴いたことがなく、また興味もなくなった。甘口のラヴァーズ・レゲエなんて聴きたくはない。だから、武蔵丸がボブ・マーリーを好きだって事が意外で驚きで、あの230キロを超える体が、アストン兄弟の重厚なリズムに乗って、大相撲の取り組み前を過ごしていたことを想像すると体が熱くなった。

2005年3月6日Sundayくもり
風冷たく夕べの雪うっすらと山白くする。
啓蟄の昨日だったが、虫たちも地上に這い出ることもなくあったかい土の中に逆戻りを決め込んだだろう。僕も昨日はこたつで丸くなった。
風が今朝も冷たい。天候がコロコロと変わる。今年の春はなかなか暖かくならない。
10時から納骨が1件ある。1月の七七日忌のときに雨で、仏さんが寒そうだからと延期していたのだ。今朝も寒いが周りに雪はないので納めてしまうだろう。
デイサービスの看護師から「インフルエンザに罹りました」と電話あり。とりあえず明日一日休むというので、誰か代わりをさがさなくてはならない。僕の風邪もまだ今ひとつすっきりしない。

2005年3月4日Friday
朝になって、出かける間際になって雪に変わってきた。
でも、午前中一杯で通り過ぎるだろうということなので、そんなに心配はしていない。
娘は昨日今日と学校が休みなので、女房の送迎の心配もない。
やっと風邪が抜けてきた感じ。どうもこのパソコンの前に長時間座ってしまうのが身体を冷やしてしまう元になっているような気がする。
「書いてくださいよぉ、楽しみにしてるんだから」と言う声も少しあるが、健康な体があってなんぼだから気をつけましょう。
(12:40) 雪もやんで天候が気持ちよく回復。陽射しもあり、ポカポカと。洗濯物を外に出して、頭の中でタバコを一服。

2005年3月3日Thursday晴れ
今夜から明日にかけて荒れ模様になるというが、果たして....。
大雪になる恐れがあるというが、どんなものか?でも降ったらえらいこっちゃ。春の雪でずしりと重たいだろうから、先ず竹が相当折れて、僕の気分はそれ以上に重たく重たくなるだろう。風邪なんて言ってられなくて、週末は雪の後片付けで終わっちまうのが見える。なんてこった。
Branford Marsalisのブルース・テナーがやけに沁みてくるぜ。Albert Collinsのguitarとブランフォードのサックスが絡み合ってるんだ。春の宵のブルースだ。
帰ってきて町の広報を眺めたら、職員の給与などが掲載されていて、特別職のところもあり、町長や教育長は、ボーナスの支給率が一般職員より多いんだ。知らなかった。こりゃ、せめて同率にしてもらいたいよな。
3月に入って、職員の退職やら異動やらが噂になって勝手に飛び交い始めた感じ。いつものことだが、少し大きな町になったので、飛び交い方も少し弧が大きいかもしれない。僕はできるだけ噂になりたくないし、橋下に埋もれていたい。

2005年3月2日Wednesday晴れ
風邪もやっと軽くなって今朝は出勤。月曜がお祭りで休み、昨日は風邪症状でだるくて結局休み。やっと軽くなってきた。
昨日は娘も高校の卒業式で休みで家に居た。今日から試験なのだそうだ。で、昨日の11時過ぎ。僕はうつらうつらと布団の中に居て、電話が何度も鳴り、お袋が出たらしい。しばらくして娘が部屋に入ってきて、「お父さん。南甲府警察署から、お父さんが交通事故を昭和町で起こしたっていう電話が入ってるけど、これって切っていいんだよねぇ」と。僕はとっさに「降り込め」だとわかったが体が重かったし、娘も若干興奮しているようで、「藍、オレオレ詐欺じゃねえ?そんなの切っていいさ、お父さん今日寝てるじゃん」で、結局終わった。
午後寝ながら考えた。「俺が出てたらもっと面白く対応できたかもしれないのに、惜しいことをしたなぁ」と。最近しょっちゅう町の広報無線でも、町内にこのような電話のかかっていることで注意を促す放送が流れるが、まさかうちにも来るとは思っていなかった。やはり相手は、この家に「日中は誰が居る」なんてことまでも少しはわかっているのかもしれないな。
さて、久しぶりの仕事に出かけなければならない。たまった仕事を片付けて、3月最後の月を締め括らなければ。

2005年2月28日Monday 晴れ
大瀧不動のお祭り。
夕べはしこたま葡萄酒を飲み、あっという間に朝だ。風邪は抜けていない。朝食を済ませ修験の衣体を着ける。キリリと身が引き締まる。でも寒い。というか冷たい。
大瀧不動までの約1キロの山道を上る。法螺貝を吹きお堂に着くとまだ一面に雪だ。不動寺の叔父さんが護摩を焚き、その介助。ストーブが2つ点けてあるが板の間に茣蓙と座布団なので特に寒い。真智(しんち)の地区の方々も大勢見えてくれる。こうやって細々ながら不動信仰は続いてきたのだ。
2月28日の祭りを動かさない上求寺の叔父さんにもご苦労様。来年も僕もこの日を休みにしてまた来ます。
たくさんのお土産をいただいて帰ってきた。(特に葡萄酒:絶品!)
今夜は早く寝よう。明日勤めに行けなくなるかもしれない。

2005年2月27日Sunday 晴れ
お礼参り。
午前中墓地の周辺の掃除。2月も明日で終わり。昼食後に、風で落ちた額を洗っていたら、田富のYさんご夫婦と娘さん見える。初対面だったが、向こうが「息子がお寺のお不動様にお世話になっており、妹の受験の合格祈願もお願いしていたが、今年合格することができたので」と、3人でお礼参りに来てくれたという訳。
割と勝手なものでお願いはするが、成就した後にお礼参りにくる人は少ないのが現状だ。でも、こういう人たちが少しでも居るだけで僕はここにこうしていることのありがたさを知る。感謝です。
これから法螺貝を持って牧丘町の上求寺へ。明日28日が上求寺大瀧不動の祭典。僕の春のお祭り三昧がここから始まる。

2005年2月26日Saturday 晴れ
少し風邪っぽいぞ。
夕べ宿直で、結構飲んだな。寝たのは久しぶりに翌日になっていたもんな。
帰ってきてお昼までに今日やらなくちゃならないことをいくつか済ませる。先日の強風で客殿の軒の張り板が何枚かまくれてしまい、穴明き状態になっていたので、客殿の中から梯子で天井裏に入る。僕は入ったのは初めて。よくもまあこんな風に太い柱を何本も組み合わせたものだと感心してしまう。
釘と金槌を持って軒先まで埃まみれで進み、素人の応急処置。でもまあ、きっとこれで大丈夫。その後、客殿の外に掛けてあって、落ちてしまった「遍照殿」の額を取り付けようとしたが、重すぎて僕ひとりでは無理だったのであきらめる。お祭りの準備のときにでも檀家集にお願いしよう。そして今度は客殿の床下に潜り、飛ばされた吸殻入れの缶を取り出す。その後屋根に上がって、樋の掃除。今日のお昼前は風も穏やかで暖かかったので気持ちよく掃除ができた。
床下、天井裏、屋根と、埃まみれ泥まみれでぐったり。昨日の午前中くらいから感じていた「風邪っぽさ」がなんとなく症状として出てきた感じ。夕食後450円の漢方を女房にすすめられて飲む。明日の夜には明後日の上求寺のお祭りのために、泊りがけで出かける予定。
今夜は早く寝て万全でいかなければな。

2005年2月25日Friday 晴れ
風邪かも知れない。
喉が今朝からいがらっぽくて、鼻水がよく出る。これは風邪かもしれない。
今夜また宿直なんだな。最悪だ。早めに休むことにしよう。外は今日もまた冷たい風が吹いている。
ヤフー記事。「『結婚しなくても1人で幸福』と思う未婚女性が7割超に上っていることがわかった。」というもの。男性も67%あるらしく、昨日下部ホテルでの昼食時に、他の同僚と「なぜ、小さな子供を虐待して殺す事件が多発しているか」ということを少し話した。「でも子供可愛いですよね」と保健師。僕は「子供は可愛くて産むまでは何とかなるだろうという考えで出産するが、現実に育てるときになって、勝手に大きくなって欲しいとか、育てることに責任が持てなくなるのじゃないだろうか」と言った。
バーチャルな世界で、たまごっちのように、遊びながら勝手に大きくなっていってくれるのが理想になり始めているのかもしれない。結婚をしても子供を育てることへの自信の持てない大人がこれからは益々増えてくる。

2005年2月24日Thursday 晴れ
風止み穏やかな朝。
今朝はいつもより早く起きてお勤めを済ませて、昨日の大風の後の始末。
本堂や庫裏の部屋の中にも、吹き荒れた風でゴミが隙間から落ちてきたりしている。大体いつもこうなんだ。
大量の杉の枝や葉。客殿の樋が一箇所風で外れて落ちている。外に置いていた四角の缶の吸殻入れが風に飛ばされて、腹ばいになって客殿の下を覗いたら、真中辺りまで持っていかれている。「これは週末だな。」と、寺の住職は大変。
枯れ枝を集めて何箇所かで燃す。トロ箱やビニール袋、肥料の袋、新聞の広告なども拾い集めて燃す。溝の吹き溜まりの落ち葉も外に上げる。でも、今朝は穏やかな朝になった。
パット・メセニーのguitarを気分良く聴きながらこれから出勤。
今日は、家族介護者の集いで下部ホテル。温泉に入る時間が取れるといいけどな。
(18:55) 風呂には入りました。昨日の山の霞は黄砂だったのかもしれません。「春一番」だったようで。屋根の飛んでしまった家もありました。下部ホテルの梅の花。

2005年2月23日Wednesday 晴れ
まさか花粉じゃないだろう。
今日は一日大風が吹いた。というかまだ激しく逆巻いている。富士川の流れに抗うように、風が下流から上がってくる。風の通り道なんだ。富士川の向こうの連山は霞がかかったように白濁している。まさかあれは花粉じゃないだろうが、眺めているだけで憂鬱になり鼻が詰まってきそうだ。
杉の枝や葉が大量に境内に落ちている。畑をどこからのものか、ビニールやトロ箱なんかが転げまわっている。いやぁすげぇ風だ。
霞といえば、山梨県庁では5月から庁舎内をすべて禁煙にするということだが、県議会議員の控え室だけは今のところ例外となる予定とのこと。タバコを吸わなければ思考できないということか。僕はホントにタバコのいらない体質になってきた。飲んだときにも、他人のタバコを欲しくならない。案外がんばらない禁煙てのが功を奏したのかもしれない。
霞じゃなく、花粉でもなく、山は時雨れているのかもしれないな。

2005年2月22日Tuesday 晴れ
ホリエモン。
ライブドアの社長なので、ホリエモンというらしい。彼もまた時代の寵児なのだろうか。
日曜日にテレビを見ていたら、彼の今日までを綴った番組をやっていたのだが、一人っ子で、5歳くらいのときに親が百科事典を彼に買い与えて、それを読破したということだった。
相当に頭がよくて勘もいい。高校から東京大学を受験するのも半年前で、綿密にスケジュールを立て、要領よくポイントだけ抑えて、無駄なことはせずに見事パスしてしまう。
彼が今目論んでいることも彼の内ではゲーム感覚なのかもしれない。プチ・ジョンイルみたいにならなければいいけど。こんな奴ばかりが増えたら、世の中渡りにくくなるな。
定期の病院受診のために息子が夕べ帰宅。もうほとんど腎臓の数値もいいらしいのだが、女房はせめて20歳くらいまではと、半年ずつ受診させている。彼は、醤油もソースもほとんど使わずに食べる。これで旨いのかと疑問にも思うが、これも彼が身に付けてこれで良しとしているのなら、何もこちらが口をはさむことではない。
こんな株取引のことにはトンと興味はないので、早く静かになればいいと思う。それ以外にもたくさんの事件や事故は毎日起きている。歩道を歩いているだけでも不意の事故に遭う。なんとも遣り切れない気分の事故が昨日は起きて、中学生が死傷した。亡くなった女子の冥福を祈りたい。

2005年2月20日Sunday くもり晴れ
PAT METHENY。
パット・メセニー。私このギタリスト好きなのです。で、彼が1月に発表した新譜が「The Way Up」。アマゾンに頼んであるのだが、他の取り寄せに時間のかかるAlbumもあっていまだ手元に届かない状態で、いささか痺れを切らしていたが、なんと!!!!!、音源が3つも今週末DLサイトにアップされた。
ただいま2月17日の音源を落とし終えてCDRに焼き終えたところ、この日のものはちょうど3枚になるが、Albumを聴いていないので詳細はよくわかりませんが、1曲目のThe Way Upのみで72分のボリューム。おそらくAlbumをそっくりステージで再現しているもの。たまりません。18日の音源もDL終了。13日のものが58%。このサイトEZ TORRENTって言うんだけど、現在新しく会員登録できないらしいのです。ここはJazzの音源が豊富で、もうほんとに湯水のようにアップされていて、よいものばかり。
春になったのだなと、今日「甲斐百八霊場」巡りのご朱印の方2名有り。
夕方娘と新車でローソンへ。彼女の同級生がアルバイトをしている。互いに恥ずかしそう。でも、アルバイトする娘と同い年の彼女の姿は神々しい。娘より相手の方がなんだか照れくさそうだった。

2005年2月19日Saturday
さようならRVR。
天気予報は今回も大正解で雪。女房に朝、「静かだからたぶん雪になっているかもしれないな」と布団の中で話したらそのとおり。
クルマは今日届くのだろうかと待ちつつ、西光寺の祭の分と、ここの4月のお祭りのためのシメなどを全部午前中のうちに用意してしまう。思いがけずはかどってこれはこれで今日の大収穫。
午後2時前に橋brothers到着&新車エアトレックも。これで車の中の音楽環境また復活。
ありがとうRVR。さようならRVR。娘は16歳、息子は大学生。彼らが小学生からずっと、5月の連休や夏休みや、晩秋の週末などにもキャンプに出かけたっけ。初めて自力で高額な車を買ったので、特に愛着があったな。
女坊に「クルマ買いたい」と話して、でも4人乗りなんだよねと言ったら、「親子4人だからいいじゃん」と即決だったよね。今回の車もそうだけど、いつも彼女の「いいよ」っていう言葉に後押しされている。
もうキャンプに行ったりすることはないのかもしれないけど、似たような車を買った。三菱車はいろいろと問題があるけれど、RVRには何ら問題はなかったので、今回も三菱車にした。
あいにくの雨で近くのスーパーへ女房の買い物に乗っただけだけど、また向こう10年くらいは乗るのだね。

2005年2月18日Friday くもり
変われるというか、変化しつづけるとでも言うのだろうか.
オウム事件の岡崎被告の手記が今朝の新聞に載っていた。「減刑や命乞いをするつもりは毛頭ありません」が、「麻原よりも先に弟子たちの刑が確定」してしまうと、「沈黙を貫き通す麻原に対し、発言の自由を保障される弟子たちの生の声が遮断される」と述べている。
過ちを悔いて生まれ変われるのがまた私たちの人生である。安っぽく死刑の執行をしてしまうことは、ハンコひとつで決済をする社会の機構の罪である。いくら「早く刑を執行してくれ」と懇願されたところで、それをすぐに受け入れるようではいけない。「殺すなら早く殺せ!」という思考は、命を奪った者への悔恨の始まりとの裏表である。ここから贖罪の日々がはじまり、命が自然の流れの中で途切れるまで続けなければならないと思う。奪ってしまった者の命の分まで生きなければならないのである。
岡崎被告は、岐阜県にある臨済宗の寺の住職と養子縁組をし、筆ペンで水墨画なども描いているのだそうである。かつての指導者が物言わぬなら、獄にある多くの被告たちが彼の一言一句まで法廷で明らかにしなければいけない。
遺族や縁者に対しても、容易には受け入れてもらえないだろうし、一生恨まれたままで終わるかもしれないが、生きて自らの過去の日々を反芻しながら全うすることである。
本当に雪になるのかもしれない。怪しい空の色だ。

2005年2月17日Thursday 晴れ
花壇をイノシシに荒らされる。
女房が自分だけの好きな花や球根を植えている窓の外の小さな場所を、夕べイノシシにすっかり荒らされた。
かなり彼女は怒っている。この勢いならイノシシにさえも対抗できそうなぐらいだと思う。
ポカポカ陽気とは今日のような日を言う。小さな花も開いた。

2005年2月16日Wednesday
雨が霙に変わり。
雪にはならずに済んだ。アジの干物を食べて、食べ残した頭と骨と皮を、飲み終えた味噌汁の椀に入れて、醤油と胡椒を入れて熱い湯を注ぐ。最後にこの即席のスープを飲むのが、僕のアジの朝食の閉め。
この間葬儀のあった家の息子さんも言っていました。「上を見たらキリガナイ」と。まさにその通りなのだと思う。「足るを知る」ということですか。「生きちょるだけで丸儲け」「これでもう十分」とかね。

2005年2月15日Tuesday 晴れ
人が人を信じられなくなったらおしまいなので。
なので、学校を閉鎖して授業を行うような事態にならないことを願う。互いが信じあって生きなければこの世のバランスもいい状態が保てない。
悲しい事件としかいえないのだが、それでも学校は開かれたものでなければいけないと思いたい。人と人が付き合うということが希薄になってきているので、どうやって付き合っていいのかわからないのかもしれない。
昨日がバレンタインデーだったが、ゲームばかりしていないで恋をすることだ。恋をして相手を切ないくらいに思うことで、暖かな感情が呼び戻せるような気がした。本来僕たちが生まれながらにして持っているものを、知らず知らずのうちに封印してしまい、開け方を忘れてしまっているのだ。恋をしたらいい。
今日の日中はとてもいい天気だったのに、天気予報は今夜から明日の午前中にかけて雪になり、やがて雨に変わるという。今夜の予報もそのことの繰り返し。
仕事から帰り、Sさんと車庫の前で立ち話。「方丈さん、息子と墓地を少し直したいと思っているので、また相談にのってください」「おばさん、いいよ。このお寺にこれからどのくらいの檀家が増えるなんて、想像もできない。狭い墓地を直すんじゃなくて、別の場所に墓地を作り直したらいい」と。僕はこんな風に適当だ。難しいことはわからないが、後のことはまた後に生きる人たちが考えればいい。
立ち話の後、西の空を撮った。飛行機雲がふた筋おおきく架け橋のように長く続いていた。飛行機雲が見える空は湿っているのだと、いつか天気予報番組で聞いた気がした。それで、やはり雪になるのかもしれないと思う。

2005年2月14日Monday 晴れ
薄氷池に張る朝。まだまだ寒い。
一気に春に向かうって訳にもいかないらしい。今朝は月曜の朝ということもあるが、「もう5分」布団の中に居たいような冷えた朝だった。池にも薄氷が張っていた。
土日一泊で息子のアパートへ行き、娘のために渋谷まで出かけた。夜相模大野で贅沢寿司を食い、一時の大名気分を味わう。相模大野の駅ビルでは、青森のリンゴキャンペーンをやっていた。
また現実だ。空が青く晴れ渡っているので、それだけは気持ちがいい。
(22:30) 一体どうしてこうも「えっ!」と、耳を疑いたくなるような事件が多発するのか。まるで、犯罪は道端の空き缶のごとく転がっているようだ。他意はないのだが、このような犯罪がとても関西地区に多い気がする。何か特別な土地柄とか、気質というようなものがあるのだろうか?穏やかな世界に戻って欲しいものだ。

2005年2月11日Friday 晴れ
葬儀終えて、遅ればせながらの紅白歌合戦を見ている。
天候には恵まれて滞りなく、こちらは粛々と葬儀の日程をこなした。
息子さんには「あなたの幸せのことも考えなさい」と言う。自分の幸せを他のことに潰されてしまうこともある。タイミングがあるので、そのタイミングを逸しないようにすることが寛容と話す。
夕暮れにテレビをつけたら、大晦日の紅白歌合戦の再放送が始まったので、遅ればせながらそれを見ながら酒だ。

2005年2月10日Thursday 晴れ
午前中は答えの出ない果てのない討論会で僕は12時でタイム・アップ。
午後3時半から納棺があるので、それまでに塔婆や位牌などの書き物を済ませなくちゃならない。
夕べお陰様で諷誦文まで仕上げてしまえたので、気分的には苦になるものが無くて楽。故人の生まれたところは韓国の大邱(テグ)という街で、ネットで調べてみたら市の花が木蓮だった。戒名の中に木蓮の「蓮」の字を織り込み、先ほど終わった通夜の後の法話の中で戒名の話をしてきた。
縁者たちは日本あちこちに散らばっているので、九州などからも参集している。
レナード・コーエンを聴きながら、明日の葬儀をイメージしている。真面目に葬儀を執り行うことが僕の使命だ。よい天気であることはそれだけで葬儀の流れや雰囲気もよくなる。そう願いたい。

2005年2月9日Wednesday くもり
2:1 辛くも逃げ切る。
女房と見ていたサッカー北朝鮮戦。ロスタイム後の2点目で逃げ切り。やはり戦ってみないとわからない。昨日までは圧倒的に有利で「3:0」だよなんて巷じゃ言っていたが、結果は厳しい試合内容でした。
檀家の方が亡くなってまた葬式をしなければならない。テレビを横目で見ながら戒名を考えたり、葬儀の式次第やらいろんな作業を進めながらで、コブシを握りながらテレビの前に居たって訳じゃないが、観客も熱くなって混乱したことも無くよかったじゃないですか。
亡くなった方は、奇しくも6歳のときに韓国からこの国に来たというおばあちゃんで、ほとんど面識は無かったが、娘さんが喪主になって葬儀をするのである。昨年墓所も作り、こちらもこれはこれでよかったじゃないかと思う。
ホール葬なので、寺を掃除したりするというようなことがないので気が楽といえばそのとおりなのだが。まっ、粛々と僕なりの導師を務め上げればいいのだ。

2005年2月8日Tuesday くもり
雨が落ち始めた、7時21分。
夕べの天気予報では雨か雪。でもたいした事はないということであった。雨が落ち始めた。今朝はこの陽気のせいで寒さはほとんど感じられない。
この雨にしても春を予感させるような温かい雨のような気がする。
畑に出始めたふきのとうを天ぷらで食べた。今年は少し遅いようだ。まだ雪のことを忘れてしまってもいい時期ではない。8.9年前には2月のこの週の連休で八景島に行き、帰りに大雪になって身延線が止まってしまい、富士宮付近でまた一泊するはめになった。
今週末には息子のところへ行く予定をしているが、こんなことにならなければいい。
我が醍醐派の新潟県下の寺院も16か寺が被災したことが、機関紙の「神変」誌上で報告されていた。明日に思いを残さないような生き方や暮らしを考えなければならない。

2005年2月7日Monday 晴れ
小泉さんも風邪でダウンだそうだ。今日は一日静かになる。
長野の大町市で大きな火災があった。11棟が被災したそうである。モラトリアムの一時期を過ごしたところで、美麻村から大町に出て、時々本屋に寄るのが楽しみだった。或る時は、通りの一本裏にあるうどん屋で「天ぷらそば」を食いながら、アバンギャルドなギタリストの岡本さんに、大本教の出口王仁三郎の話などを聞かせてもらった。
大町駅から北方1キロくらいのところの中心商店街で、「書店・靴店などが燃えた」とあるので、僕の記憶の中にある本屋かもしれない。僕が居候した美麻の遊学舎も、6年前の春に火災で校舎全部が灰と化してしまい、そこに住んでいた吉田さん夫妻も昨年の秋には、泰阜村に転居をしたはがきが届いた。もう25年も前のことになる。

2005年2月5日Saturday 晴れ
法事1件あり。
宿直明けで帰り、10時半から檀家のSさんの七七日忌の法事。風が少しあったけれどとても暖かな日和。日当たりの悪い墓地の雪もほとんど消えて、法事日和。
払いの膳で世間話しながら飲む。昼の酒は効く。
帰って昼寝のような、そうでないようなぐうたらな時間過ごし、日没前に少し庭を掃き落ち葉を焚く。
明王寺の標ご住職から「明王寺だより第18号」届く。書くということ、またそれを広く読んでいただいているという実践に頭が下がる。寺の坊主という特権の上に寝そべってエロ本読んでいるような坊主は僕の知り合いには居ない。そういう真摯な僧侶の方々の中に僕も混ぜていただいていることはありがたい。「生きる者としてのルール」というご住職の巻頭言がありましたが、「十善戒」を取り上げていました。十善戒の先ず初めは「不殺生」。殺さないということが仏教の一番初めの戒めです。不殺生の上に仏教思想は成り立っています。これは自らをも殺さぬということだと僕は考えます。
命のつながりの不思議をたどれば、命を大切にすることへの発見につながるかもしれません。

2005年2月4日Friday 晴れ
電子会議室。
電子会議室というのが作られて、電気は消すようにとか、ラジオ体操は止めてほしいとか、割と低レベルなことが書き込まれている。でも結局こんな事柄が、一番底辺にあって僕たちの日常が存在しているのかもしれないと思う。「さみしいやら、情けないやら」と嘆く職員もいるが、この程度のことを書き込むことでストレス解消になるんなら「これでいいじゃないの」と思いたくなる。「いい大人が・・・」って、それが僕たちであって、いつ何時壊されても文句の言えない砂上の楼閣に住まうような生き物なんですよ。こういう会話が無くなるときに、改善されているか、諦めきってしまうか、(見てみたいですね)。これ職場の話なんですけどね。

2005年2月3日Thursday 晴れ
節分。護身法の印が最後は組めないくらいに冷たいお勤めだったよ。
今朝も寒かった。本堂から客殿のお勤めも、最後の護身法の印は指先の感覚が無くて組めないくらい。でも、山梨の南に住んでる坊さんでこれじゃって感じかな。
節分。改憲論が盛んである。「憲法9条は改正すべきという意見多数」との国会報告をまとめる方向のようだ。この件に関しては、民主党も合意なのであるから、ますます厳しい。「自衛隊の存在を憲法に明確に位置付けるべきだ」というし、小泉さんも「自衛軍、自衛隊、相手から見れば判断つかないですからね」などと言う。これって、今イラクに送り込んでいる自衛隊についても、「あなた端ッからそう思って送り込んでるんでしょ」と再び問いたい。
そりゃ誰でもそう思うわな。だから、行かせちゃならんのですということになるのだろう。
小泉の心の鬼に「鬼は外」だ!

2005年2月2日Wednesday 晴れ
足も手も冷たい。
節分前夜の今夜はまた寒い。パソコンの前に座って時間を過ごしていると、風呂に入った身体はすぐに冷えてしまう。手も足も指の先が凍えるように冷たくなる。
ジャズを聴いている頭だけが温かい。今日で3日酒を飲まないので身体はとても調子がいい。でも明日は節分なので夜飲むかも。

2005年2月1日Tuesday くもり
2月に入る。今日もニュースは一杯。
仕事を終えて外に出ると風花が舞っていた。冷たい冷たい風が吹く。列島は大寒波に見舞われている。
種子島にも雪が降り、中越地震の被災地周辺はすでに2メートルを超えんとする積雪だという。厳しい自然の猛威だ。
今日もニュースは一杯。見出しだけで腹が一杯、頭も一杯になる。
「寒波、この冬一番の寒さ」「一太郎の販売中止命じる」「ネパール国王が非常事態宣言」「三宅島非難解除」「韓国で戸籍制度廃止の動き」「自衛隊のスーダン派遣を検討」「万札捜し、懐中電灯売れる」「イスラエル軍攻撃で少女死亡」などなど、止まらぬほどの出来事。
見出しをつなげただけでひとつの物語ができそうなくらい。平和になろう。もうすぐ立春。平和の春を呼び込もう。
3万ヒットしています。少数読者の諸兄・諸姉どうもありがとう。老いてますます厳しく過激に生きたい。書きたいと思います。

2005年1月31日Monday 晴れ
もうすぐ3万ヒットです。
でも、特別なものは何もありません。ホントニもうじき3万です。はやく、はやく!
梅の開花の便りが聞かれますが、我が家の梅はまだ固く閉じたままです。
北極圏の温暖化が急速に進み、氷上で生活しながら海中の哺乳動物や魚などを捕らえて生きている白熊は、氷上で生活できる期間が少しずつ奪われていっており、近い将来絶滅してしまう危機にあるのだと。
1月ももう今日で終わり。2月は28日で、あっさりと終わる。終われば年度末の3月だ。3月4月は、仕事の交替があったり、あちこちの寺のお祭りや僕のところの祭りもある。忙しい波に乗りながら流されていくように過ぎるのかもしれない。
今週末の土曜の法事が終われば、今のところ法事の予定はなく解放される。休暇でもとって一日、奈良田の温泉にでも行ってくるかなぁ。

2005年1月30日Sunday 晴れ
立春のしたく。
大津のSさんのところの、ご主人の七回忌と昨年急逝された娘さんの一周忌。滋賀と奈良と茨城?と北海道から家族が集結して慌しく法要を済ませ、またそれぞれがばらばらに帰っていった。
でも、こうして皆が集まってくれることは寺に居るものとしては嬉しい。早速買ったばかりの椅子に座っていただいて法要をした。奥さんは「椅子でとても楽でした」と喜んでくれた。
風は強かったけれど、締め切った部屋の中は、ストーブも要らないくらいに暖かだった。
立春のお札を張り替え、荒神の札も入れ替えて少し早いが準備を済ませた。
今日は娘の16歳の誕生日。朝から近所の同級生と甲府へ出かけた。僕なんかが彼女と出かけることなんてもう余り必要はないのだ。寺の事をしていると僕自身も余り外にプライベートで出かけることは無い。女房はそのことをどんな風に感じているだろう。
暗くなり始めた頃、池の上の藪道を瓜坊が3匹ガサガサと急ぎ足で抜けていくのをはじめて見た。親の姿は見なかった。
獣の世界も我々の世界も、子供にとって未来に明るい世界でありたいものだ。

2005年1月29日Saturday くもり
本堂幕仕上がる。
檀家のWさんにたくさんのご寄付をいただき、法要用の椅子50脚と本堂の幕など買わせていただきました。
椅子はこれからきっと重宝するでしょう。本堂が観音開きなので、内側に張る幕を作りました。
仏光堂さん、「月末なんでありがたいです」と、大きなお金を持って喜んで帰りました。女房と客殿の奥の廊下をきれいに掃除して、こちらの気持ちもよくなりました。

2005年1月28日Friday 晴れ
今夜はこれから一献傾ける
友遠方より来て今夜一献傾けるというわけではないけれど、なかなか近くに居ても、同じ会社に勤めているのになかなか時間が合わなかったりするものだ。
まあ、作ろうと思いさえすれば機会が作れないわけではないが、諸々の事に追われて、一日が過ぎてしまうことのほうが多いのだ。
正月の月ももう今日を入れて4日しかない。日々の過ぎるのを待つ年齢ではないので、余計に速さを感じるのかもしれない。
日本酒でいくか、先ずはビールか、とことんとくりゃ焼酎になだれ込むのか。・・・わかりません。

2005年1月27日Thursday 晴れ
ヒト科ニホン種。
たまたま日本の国籍をもって私は存在しているが、特別な感情をもってこの国を愛しているわけではない。そしてたまたま、地方公務員として町役場に勤めている。東京都の保健師、鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんの韓国籍を理由に、管理職昇任の受験拒否に対する最高裁の判決は合憲だと示された。普段国籍のことなどを考えて生活することはないし、例えば、「じゃ、彼女も日本国籍を取ればいいじゃないか」とも思える。僕は国籍にこだわったり、民族意識を貫くような考え方は嫌いである。
外来種の昆虫が入ってくると生態系が崩れるとかよく聞く。専門的なことはわからないが、少なくとも「ヒト」は、そんなことにこだわりを持たないから、国籍や言語や肌の色なんかを超越して結ばれている例はあまたである。日本国籍をもたないと公務員にはなれないということも、少しずつではあるが受験資格からの「国籍条項の撤廃」で、門戸は開かれてきた。しかし、この管理職という決定権を擁する部分でこだわりがある。国籍を持つ持たないに関わらず、おそらく保健師としての職務上は、国籍を超えてその職に誇りを持ち他の職員とも交わっているのだと思う。陸続きで隣国とのつながりを持たないこの国の、狭量の根元に厳然とある排他的考えと、純血?にこだわってヒト科ニホン種
(酒ではない)の保存のことを考えているからなのだろうか。
それにしても「エビ・ジョンイル」、性懲りも無く顧問に納まっちまうなんて。なんというNHKの体質なんだ。

2005年1月26日Wednesday くもり
素足(つぼあし)に関する会話。
今朝いつものように起き抜けの娘は、パジャマに素足のままとりあえずしばらく居間の石油ストーブの前に座る。
冷え性の女房は、先日胃カメラを飲んだ後の点滴の最中に、足が冷えて仕方が無かったといい、「そういえば、元日にAKIYAMAさんちに行ったら、AKIYAMAさんも素足だったじゃんねぇ、若いってことだね」と付け加えた。それだけだが、朝飯はいつものように茶碗一杯。その後娘は高校が推薦入試で休校なので友達と買い物に行きたいからと、僕に駅まで送らせた。
職場では午前中に西嶋小の3年生が社会科見学できた。先生入れて10人。帰りがけに「9人ですか」と先生に声かけると、「さびしいです」と返ってきた。そうだな、一桁じゃやっぱさびしいな。
でも子供の目は正直だ。2階の離乳食のモデルの展示ケースを見ながら、しばらく「本物みたい!」とか言っていたが、ひとりが「あっ!ハエが死んでらぁ」と叫んだら、一斉に9人が展示ケースの隅っこで干からびているハエの亡骸に関心を向けた。おとなは展示ケースの中にハエが一匹死んでいたって見て見ぬふりだし、別段すぐに片付けようとも思わないが、今日みたいに言われると、「後で片付けなきゃな」と至極納得した次第である。

2005年1月25日Tuesday くもり
今夜また雪かも。
午後からまた曇天で、7時前の天気予報では今夜から朝にかけてまた少し雪が降るかもしれないという。
急いで昼飯を流し込み、融雪剤を一輪車に積んで墓地の通路へ撒いてきた。ほとんど陽が当たらずに凍っている。大津の檀家さんが来て法事をするというし、雪が降ったらまた墓地の道が大変なことになる。夕方帰ってきて見に行ったら大分融けていてくれたので一安心。
去年檀家のI先生が亡くなったときに、10袋くらい塩化カルシウムを用意してくれて、それが半分くらい残っているので、今年は随分と助かっている。
小泉さんは利かん坊のように、声を荒げて国会で叫んでいる。僕はテレビのこちら側で彼のその顔を見ているのが辛くなる。小さな子供が彼を見たら、きっと不思議なものを見るような表情をするに違いないと思う。家の中に居ても彼ひとりが浮いてしまっているのだ。小泉にしても石原にしてもワンマンてのはほんとに始末が悪い。世界の中心は俺だと思っているのだ。そういう奴がアメリカにも北朝鮮にも居る。

2005年1月24日Monday 晴れ
残された者は今を、大地踏みしめて生きていく。
仕事の帰りに一本、道を向こうまで行って佐田さんの家に寄ってきた。おばさんはラヂヲを聞きながら土間で自分だけの夕食を作っていた。
「どうですか」と声をかけると「がんばってるよぉ」と力強い言葉が返ってきた。実際はどうなのか察するけれども、彼女は彼女なりに気を強く持って、ひとりになった今を力強い意思でもって乗り越えて生きているのだ。
二週間後に控えた七七日忌に「紙位牌は何枚必要なのか、塗りの位牌は作ることにしたのか」と訊ねた。本位牌は息子のK君がすでに作ったということだった。今檀家でも、土間に降りて煮炊きをする家なんかここしかないだろうが、おばさんは「お父さんと暮らしたこの家が大好き」と僕に話し掛けるようであった。
生きる場所の幸せの度合いは、そこに生きている人の価値観で決めてよいのだ。誰もが侵すことのできない神聖な区域だ。命ある人間は2人からひとりになってはいても、おばさんにとっては相変わらず「お父さんと2人」の場所なのだろうと思った。「方丈さん、ありがとね」と送られて家を後にした。
あーッ!!うまくまとめられずに、腹が痛いであります。

2005年1月23日Sunday くもり
午後3時雪になった。
少しずつ部屋の窓から見える正面の山の姿が消えていってとうとう見えなくなったらここにも雪が舞い始めた。午後3時を過ぎて細かい粒の雪が大量に落ち始めている。
本堂の樒を換えたりなどの仏前の荘厳をし、本堂も今日は早仕舞いで扉を閉じた。積もるような雪にならないといいけど。
部屋の温度は朝からずっと変わらず6度か7度といったところ。外は4度。部屋の寒さと外の寒さが同じくらい。女房と娘は美容院に行き、僕はこたつで丸くなっていればいいのかもしれないけれど、洗濯物を取り込んだり、風呂を掃除したり、灯油をストーブ注ぎ足したり、ごみをステーションに出しに行ったり、外の便所の水道の具合を確かめたり。
夕方の熱燗が楽しみだな。懐かしいディーボなんぞ聴きながら、外を眺めている。

2005年1月22日Saturday 晴れ
幟旗仕上がる。
去年の4月のお祭りの前日に激しい雨と風で見るも無残に破れてしまった祭の幟旗が仕上がった。暮れのうちに連絡をもらっていたが、今日作ってくれた井上染物店へ貰いに行ってきた。遠くの八ヶ岳がとても勇壮に厳しく美しかった。
今度は上げ下ろしができるように五月幟のアルミの滑車もそろえた。この2本の幟は東京の佐野さんが奉納してくださることになっている。
今日はこの後特にすることも無く一日ジャズを聴いて過ごしている。今はマイルスだ。
でも1時間半ほど墓地の雪道を明けに行ってもきた。夕暮れ近くの墓地はもうとても冷えている。角スコで凍った雪を片付けながら一番奥の天野さんの墓地までやっと明けた。帽子の頭も汗を書き、ダウンジャケットの下の背中も汗でびっしょりになった。気になっていたことなので僕の気分は晴れ晴れだ。
栃東が10勝をあげて大関に復帰できることになった。会場中が栃東コールで応援していた。困っている人を応援して何とか助けてあげたくなるのが人情というものだ。栃東は会場のお客さんから貴重な白星を貰った。

2005年1月21日Friday 晴れ
北欧のjazzは絶対面白い。
今日もよい天気。昨日の大寒はとても冷たい強い風が吹いた。
社協の評議員会も今日無事済んで安楽の週末。同時に職場から表に出た小西君と「陽が延びたな」と、2人で薄紫色の空を眺めた。少しずつこれから毎日毎日同じ時刻の空の紫が薄くなっていくのだ。
BUGGE WESSELTOFT(ブッゲ・ヴェッセルトフト)と日本では発音するらしいが、彼はノルウェーのミュージシャン。北欧のjazzは日本のjazzと並んで面白い。北欧の特色はこのエレクトロニクスjazz。言葉に弱い僕にうまく語ることができないのが残念だが、とにかくいかしている。ほら、あの白夜って奴ですか、そんなのが見たことも無いのに脳裏を鮮明に巡るような気がします。
この北欧のjazzたち。芋づる式に面白い。どこを切っても金太郎飴のように面白い。
この週末はやっと何も無くて解放される。明日の朝はゆっくり寝ていられる。大聖寺も休みです、ということにしたい。

2005年1月20日Thursday 晴れ
大寒。
寒さが一番厳しい季節の頃の今日。大寒。空は晴れている。日中は暖かくなりそうな予感がする。
職場の窓から陽が射すので午後はカーテンを締めて少し窓を明けて風を入れたりする。一番寒い峠を越せばもうあたたかくなるだけだ。
お年玉年賀葉書で4等が5枚と3等が1枚当たった。3等は地域の特産品小包ということで女房は「商品カタログ」を貰ってきて頭を悩ませている。
今朝台所に行ったら大量なお菓子が手提げ袋に入っていた。息子の所に送ってあげるのだそうな。僕は秋山さんの「
一味」も送ってあげたいなと思う。

2005年1月18日Tuesday 晴れ
住む場所を復興するということはなかなか難しそうだ。
夕べ筑紫さんの番組を遅くまで見たが、神戸でも一番被害の大きかった長田地区などは、町並みは区画整理されて行政側の主導で整備され、表向きには新たな町として再生されたように見えるが、内実はそうではなかった。軒を寄せ合いながらなら並んでいた商店街からいくつもの店が消え、そしてそこに居た人も他の場所に移っていった数も多いようだ。皆で助け合って商店街を維持してきたのに、店が減り人も減ったので、客足は遠のき災害以前よりも状況は悪いという。神戸全体の人口は震災以前の人口をすでに上回っているらしいが、このような長田などの地区は震災以前の数にまで人口が戻らないのだという。
新潟の豪雪地帯の山古志村などのことを考えてみると、もっと状況は悪いのではないか、また三宅島へ戻る準備がなされているが、果たしてどれだけの人たちがいつ噴火するとも保証の無い島へ戻るだろう。
住み慣れたふるさとの再興はそんなに簡単なことではなさそうだ。

2005年1月17日Monday 晴れ
阪神大震災から10年。
この国だけでなく地球規模で天災に見舞われている。阪神大震災から10年目の今日を、メディアは昨年の早い内から大きく取り上げてきた。6433人の命が消えた未曾有の震災も、10年を経て新たに再生した街へと神戸の姿も変わり、表面的にはこの事実を過去のこととして捉えはじめているようである。(復興住宅への公的補助なども10年目で打ち切られたりするのだそうだ)
この震災のとき、日々伝えられてくる犠牲者の数を追いながら、(今は合併したが)5000人に満たない町の職員である僕は、「町がひとつ無くなってしまうほどの人が死んだのだな」と感慨にふけった思い出がある。家族で3人が亡くなったと仮定しても、2100を超える家族が悲しみを負ったことになる。いつ何が起こってもおかしくない世の中である。病気・交通事故・通り魔・巻き添え・天災などなど、僕たちが正しい生き方をしていて何も落ち度はなくても、命を落としてしまうことはある。
法話などで、「悔いの残らないように日々を精一杯に生きよ」と、本で読んだことをそのままに話すときがある。凡夫の僕は、吐き気をもよおしてしまうように辛くなる。自分さえ反芻して消化できない言葉を人に発する無責任さに、引き篭もりを決めたくなる。僕の中にも実は何も答えられるような確固とした考えや根底を貫く信念なんてないのです。僕も悩みながら生きていくしかないのです。多くを救うことなんてできないかもしれないが、この小さな場所で檀家の人たちと一緒に悩みながら、ふきのとうが顔を出す春のことを話しながら、綾の糸をほどくように生きていくことをボチボチと続けます。

2005年1月16日Sunday 晴れ
妹を思う気持ち。
土日で二つの法事。昨日は雪が降ったので寒かったが、庫裏で法事の後の払いの席もしてもらったので、皆ゆっくりと飲んで食べて故人の思い出なんかも話していってくれてよかった。
終わってからヒデちゃんとも久しぶりにゆっくり飲めて、大満足。
昨日の朝メールが届いて、茨城の方だったが護摩祈願のもの。拝見すると広島に住む妹さんの病気の治ることを願うものだった。後のメールで生年月日を教えてもらったら、女房と同じ歳で今年が年女。つまり酉年。病気をされている妹さんも木彫りのお不動様を大事にしているのだという。
お姉さんはどんな風にしてこの寺を捜されたのか想像するだけだが、きっと「不動明王」「護摩祈願」などと検索しながら大聖寺に行き着いたのかもしれない。お札を書いて、11時からの今日の法事の前に護摩を焚いた。大晦日よりは随分と温かかったが、途中鼻水も垂れた。茨城と広島と遠くはなれて住む姉妹で、きっとなかなか会うことなんかできないのだと思うが、ちょうど僕も同じ歳なのでこのお姉さんの妹を思う気持ちがよくわかる。短いメールだったが、こういう気持ちはひしひしと僕に伝わった。
しっかりとお不動様に聞き入れていただこうと護摩を焚いた。僕に力は無いが、大聖寺のお不動様には無尽の大きな力があると信じている。そのお力をいただけるように僕は精一杯の護摩を焚く。それだけである。いい護摩が焚けて明日、妹さんの広島へお札を送る。お不動様に抱かれて一年が過ぎればきっと体力も回復してくるだろうと思いたい。一年を無事に過ごせばその自信は、来年再来年へと大きな自然の力となって彼女を守ってくれるに違いない。
こういう不思議な出会いがあるからインターネットには感謝だ。そしてこういう出会いの護摩を僕が焚かせていただけることには、もっと大きな感謝だ。だから坊主は辞められない。

2005年1月14日Friday 晴れ
頭の写真を撮った。
明日法事があるので帰ってきて早々に庫裏の風呂で真裸になって頭を刈った。体のあらゆる先っちょまで縮んでしまったが、寒さを我慢して頭を刈った。
ひょっとしたら明日もまた雪になるかもしれない。夕飯を食べていると明日法事をするEさんのヒデちゃんが荷物をたくさん持ってやってきた。法事のお返しの大きな包みを持ってやってきた。明日の法事はうちで後の払いの膳まで仕出しを頼んでするのである。「雪にならないといいね」といって別れた。
風呂にあらためて入り、グレイトフルデッドを聴きながら頭の写真を撮ってみた。きれいに撮れている。きれいに刈れている。ここには小さく載せてあるがデジカメの元の画像は、毛穴まで写っているようで、頭皮には湯上りでだろうか、微妙に汗までかいているのである。坊主頭をしていると、長い年月の間に頭の格好は真ん丸くきれいに変わっていくのかもしれない。まっ、これも一度やってみたかったことなので、これっきりということで。

2005年1月13日Thursday 晴れ
本田美奈子さんが急性骨髄性白血病だって。
いまPCで見たら、Yahooのこんなニュースが目についた。お笑いのなんとかいうのの片割れも白血病だったんだよな。どちらも休む暇もなく今がまた旬で働いてきた方だろうから、こんな急な病魔に見舞われてしまったということなのだろう。歌舞伎の世界にも去年あったな。
自分の身体をゆっくりと休むことのできない状態になっているときに、抵抗力が少々落ち込んでいる時にこういう病にかかることが多いようだ。ノロウイルスだってそうだ。しっかりとした健康管理ができていればウイルスなんて入り込めないらしいのだ。
とても歌のうまい方で、年末に新聞で記事なんかも読んでいたので、良性の早期に快方に向かうような病であって欲しいと願う。
もうひとつ、今朝テレビで結婚が噂されている杉田かおるさんだったが、実はもう結婚していたということが伝えられている。いやぁ芸能界は一秒たりとものんびりとしていない場所のようだ。
マルスワインの白を飲みながら、女房と土曜の法事の準備の話をし、墓地の奥は陽が当たらなくて雪がほとんど融けていないことを伝えると、「週3日は酒を飲まないように今年はさせたい」と言われた。

2005年1月12日Wednesday くもり
女房も48になる。
どうも僕は新しいニュースから新しいニュースへと流されていってしまう傾向にあるようだ。そんで古いニュースは忘れていってしまう。
年の終わりごろから中越地震やインド洋の津波に、イラク問題なんかが僕の頭の中でもほとんど洗い流されてどこかに押しやられてしまっていた。こんな日記も責任がないといったらそれまでだ。まさに無責任の徒然坊主である。自衛隊が災害地で活動をするにはあの迷彩服では目立たないので、消防士のようなオレンジ色とかのはっきりした色がいいという。自衛隊は復旧支援の部隊ではない。根底にある考え方があの服装になっているのだ。
今日は一日寒い日であった。昼には風花が舞った。週末は新聞の天気予報だと雪マークになっている。法事が二つもあるのに、ホントに降ったら大変だ。
女房も今日で48だ。特別に祝ったりすることもないが、こうして彼女のことを書くということが来年も続けばいいと思う。子供たちが幸せになって、無理なことだけど、歌の文句のように「百年続」いたらいいなと思う。

2005年1月11日Tuesday 晴れ
しもやけ。
またいつもの冬の使者が訪ねてきた。足の両方の小指が大変に痛痒くなるのである。かじってしまうとちょっとそれを停められなくなり、赤く腫れあがるので我慢する。アロエクリームなんぞを塗って我慢する。
この痒みがこないと少し物足りない気持ちになるので、とりあえず痒くなったので「冬の使者がきたな」という秘め事を楽しむような気持ちになっている。
正月になってからダウンロードしたグレイトフル・デッドの「Beautiful jams」という、誰かが作った音源がとてもよかった。70年代の初めから91年までの音源を集めたものだけど、とてもゆったりとしていて正月の雰囲気に合っている。
大きな災害があり、また冬になって感染症なんかもこの国でも流行り始めている。アメリカでも大雨によるがけ崩れなどの災害も起こっているらしい。この新しい歳の始まりにも、僕たち人間に抗し得ることのできない自然の脅威がまた目の前に叩きつけられた。こんなことばかりで僕の内も外も真っ赤に気持ちは腫れあがってしまう。顔も耳も手の甲も頭のてっぺんまで恥ずかしさで真っ赤である。

2005年1月10日Monday 晴れ
どうも疲労ばかりが蓄積してしまって。
週末の来客と昨日の獅子舞、そして今日は役場で日直と、また週末が慌しくあっという間に終わってしまった。疲ればかりが貯まってしまい、本来の骨休めになっていないのが暮れから新年のはじまりの僕である。次の週末も土日で二つの法事がある。控えておけばよいのに、それなりに飲んでしまうのが一番悪いとはわかっているが飲んでしまう。
今日は一日、宿直室でコタツにあたって寝転がって1日うつらうつらとテレビを見て、ジャズを聴いて過ごした。いくつもの新聞を隅々まで読み、TSUNAMIの報道などもじっくりとテレビで見た。職員3人が一日仕事に来ていた以外には、死亡届が来ることもなく、来庁者もなく比較的のんびりと過ごせた。
ひょっとしたら5月には、不破さんがまた高岡君と来てくれることになるかもしれない。今度は「渋さチビズ」で、というような大きな話も聞けたので、実現するといいなと思っている。勤めも寺も何とかがんばりながら、楽しみに事にもがんばれたらいい。決して欲張りなことではないはずである。

2005年1月7日Friday 晴れ
七草。
朝はいつもの年と同じに粥を食べる。七草が入っているわけではないが、大根の葉の鮮やかな緑が、なぜか胃にやさしいような気がした。
今日は暖かい日になった。昼食を取っていると、台所の屋根をどさっと大きな音を立てて雪の塊が滑り落ちた。日陰の雪もこの時間帯にたくさん融けて欲しいものだ。
女房と話してクルマを買い換えることにした。12年も乗っているが特別調子が悪いわけではない。ただCDが冬場かからなかったりするのがとても僕的にはつまらない。それから、もう後何回クルマを買うのだろうというようなことも気になりだした。もしかしたらこれが最後の車になるやもしれん、と思ったら女房が「お年玉」の返事をくれた。

2005年1月6日Thursday くもり
また雪になるのだろうか?
今朝からどんよりとした空模様である。昨日が小寒で明日が七草。冷え込む季節がいよいよ本格的になる。
1月は雪の降る率が多いので、手綱を緩めないように要注意である。庫裏の北側の便所と風呂のボイラーも焚きっぱなしにしておくことが肝心。娘は今日から学校が始まった。今は冬休みが昔に比べて短くなった。週休2日制になって、ゆとりがなくなったのか、また昨年末に日本の生徒の学力低下が言われ始めたので、長期休暇を短くしたり、平日の授業時間数を増やすことも検討しているらしい。試験の点数ですべてを評価しているということではないのだろうが、大人も子供も家庭の中で触れ合ったりするゆとりが欠けてきて、互いを思いやる気持ちや心の豊かさが徐々に薄れてきているのだと思う。
年末年始休暇の疲れが薄らいできて、やっとPCに向かう気持ちになったので、暮れから正月の寺の景色を少しUpしてみた。上
からどうぞ。

2005年1月5日Wednesday 晴れ
よい天気。雪解けるとける。凍った水道も復活。
3日の夜にNHKで古代史ドラマ「大化改新」、夕べ4日に民放で向田邦子の「冬の運動会」を見た。NHKが前後編あわせて2時間半。もう1本は3時間ドラマ。どちらも見応えがあったが、奇しくも主演はどちらもV6の岡田准一。「冬の運動会」は、調べたら1977年1月から3月にかけて一度ドラマ化されている。よく覚えている。当時状況劇場の看板役者から少しずつテレビに出始めた根津甚八と、歌手から女優へ新境地を開きつつあったいしだあゆみが共演していた。大学生だった頃で毎週見ていた。多分、大学をやめようと考えて下宿を引き払って家に帰ってきていた頃だ。夕べの長谷川京子もよかった。大化の改新の木村佳乃もよかった。夕べの冬の運動会は、77年当時にはなかった携帯電話がとても効果的に使われていた。切ない気持ちになって、もう戻ることのできない時代をとても懐かしく感じた。
今朝は、昨日の午後お札配りから帰った夕に、1時間ばかり車庫の前の雪かきをして腰が辛かった。まだ正月の気分は抜けない。檀家の職人さん方も、すでに昨日が仕事始めだったのか、今で正月を味わっているところは2軒ほどしかなかった。これが正しい正月のあり方だとはとても思えない。職人の世界は師から弟子へ、技はもちろんだが、精神的なものだって以心伝心で継承されてきたに違いない。1月15日が成人の日で休みだから続けられてきた小正月の行事も、正月第2月曜日を成人の日とするなどという役人の鉛筆一本で改悪されてしまったことにより、締まりのないものになってしまった。とても残念なことである。

2005年1月4日Tuesday くもり
今日からまた仕事が始まる。でも午後は休む。
毎年4日には檀家へのお札配りがあるのだ。前は休んだり、もっと前だったら、4日はタイムカード押せば帰ってきてもいいようなところがあってそれでお札配りに歩いたりしたけれど、今はそんなことは遠い記憶の世界だ。
勤めを丸一日休むのは申し訳ないので、午後だけ休んで地元の檀家だけを廻る。他村はお札を送らせてもらっている。
それにしてもこんなに寒い正月もない。庫裏の裏の風呂と便所の水道は僕の管理が悪く完全に凍てついてしまった。
息子は6日から試験が始まるとかでまた慌しく相模原へ戻っていった。さびしい。29日に帰ってきてから毎日教科書を開いて勉強もしていた。彼曰く「分不相応なところに入ってしまったかもしれない」のだそうだ。女房と「ビリでもいいから4年間がんばって何とか卒業するように」というと、「最低のレベルなんかじゃつまらん」とこちらの言葉を切った。この言葉に親としては期待をかけたい。
能天気な文系の大学に通った僕としては、彼の苦悩を推し量る術を持たない。ただここにいて彼の勉学の成就を祈るのみだ。そろそろ出かける時間だ。