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『徒然日誌』 2005年7月から12月

2005年12月31日Saturday晴れ
これで2005年も完結。
午後4時過ぎにすべてを終了。これで今年も終わり。護摩のお札も例年と同じに70本位の申し込みがあり、今年は願意をすべて手書きで済ませたので、なんとなく自己満足。大きなお札もいつもより多く希望があり、こっちもうれしいことでした。
日中が暖かかった分だけ、夕暮れ間近になってとても冷え込んできた。頭も刈ったので、風邪を引かないように用心しなければ。
「来年こそは」というようなものは個人的にはないのだけれど、毎度毎度。平和であることを望むだけです。来年は50歳になるけれど、不良坊主でいたいです。オシマイ!

2005年12月30日Friday晴れ
残り一日。
庫裏の北側の水道を凍らせてしまい、一年ぶりで太業舎に昼過ぎに電話したら、ちょうどご主人が出て、快く引き受けてくれた。4時くらいまでかかって修理が終わった。
裏の水道タンクの上面が結氷していて、タンクに飛び込む水の制水弁も作動していなかった。鉄管が凍っていたので、お湯をかけてやった開通。今年の冬はやはりここまで寒かったのだ。昨日の夕方水の出が悪いなと思ったので、少し水を出しておいたのだがダメでした。
大晦日じゃなくてよかった。凍らせないように用心してかからなくては。
昨日今日でほとんどが終わる予定でいたが、この件があったので、明日の午後まで準備が残りそう。
休みになるとこれを書く気力が萎えてしまうから不思議だ。
息子も夕べ帰省。僕の学生時代と違って彼は勉強がホントに大変そうで、夕べというか、今朝方まで勉強していたらしい。なにせ、本を宅配で送ってくるくらいだから、よほど自分でも勉強しなくちゃ、付いていけないのだろう。
まあ、これはこれで彼の選んだ道だから、僕らはそれを後押ししてあげていればいい。
今年も残り一日。去年は大雪の晦日になったよな。

2005年12月27日Tuesday晴れ
メチャメチャ冷え込んでますねぇ。
昨日、係長や課長と、起きた時間より役場に出勤する前ぐらいの、7時とかの方が冷えが増すみたいですねなんて話した。そしたら今朝、ちょうど7時20分頃。外の物干しに女房が洗濯物を吊るしながら声がかかる。「ちょっと見て、ほらカチカチ」と、吊るされてから凍ってしまってノシイカのようになってしまったTシャツを叩いてみせる。
なるほどな。話したとおりだ。今年は余計に寒い気がする。電車が脱線するなんていう事故も発生した。
もう勤めも明日一日で終わり。解決した事件や解決しない事件が転がっている。解決してもしなくても、怪我をしたり、命の途絶えた人たちのことを思うと、行く年来る年なんてセレモニーなんか、結局「なんなんだ!」と思えてしまう。
無力な40代最後の年の瀬と新年に、僕にできそうなことを、周りを眺めて少し拾ってみたいと思っている。

2005年12月26日Monday晴れ
忘れ柿とでも名付けよう。
昼の散歩道の小高い所に柿の実が凍みている。小さな実だがとても悲しそうで美しい。
冬枯れの野の装いに似合いすぎるほどに切なく朱い。JAZZやROCKを聴きながらであっても、押し詰った師走の道は風が吹いていて、顔や手は冷たくなる。柿の実もとても冷たそう。
どうか猿なんぞに奪われないで、その実が朽ちるまで一生の姿を見させてくださいな。
今夜は山下洋輔トリオを聴いて、JIMI HENDRIXとはしごした。お札も書き上げた。ファイティング・ポーズで年末を乗り切らなければならない。

2005年12月22日Thursday晴れ
白い朝を迎えた。
天気予報は当たった。夕べ帰ってきたのはもう今日になるような時間だった。まだ降ってはいなかったんだが、今朝起きたらこんな具合。今朝の空はまたきれいに晴れている。
昨日のお昼にはこんなことを書いていた。
「高橋君とHさんが向うから連れ立って歩いてくるではないか。なんと珍しい。写真に収めて、僕のいくつかのコースを教えてあげる。歩いてくると汗ばんで、ダウンジャケットを脱いで、シャツを腕まくりして残りの昼休みを新聞に費やす。今夜遅くに雪になるかもしれないというが、果たしてどうなんだろう。」
夕べは本当に久しぶりに、「島唄」と「雨上がりの夜空に」をカラオケした。自分で語るのもなんですが、声量は落ちています。もう無理なのかもなんて、少しへこみました。

2005年12月20日Tuesday晴れ
明日は雪になるかもしれないんだって。
課の忘年会を予定しているんだけど、明日の夕方あたりから雪になるかもしれないって。いよいよ来るな。
課で管理するクルマは去年、スタッドレスとか履いたのか訊いたら、誰も記憶にない。ってことは、大晦日に大雪になった後の1月にも、ノーマル・タイヤのままだったってことだ。確かにどこを探しても、替えのタイヤはなかった。やっと1台、日赤の車のスタッドレスを支所から離れた倉庫で見つけた。それを持って先ず交換をお願いし、アベニールカーゴのは買うことにした。「在庫不足でこの時期すぐって分けにはいかないかもしれないよ」と、お店のお兄さんに言われたけど、夕方日赤車を取りに行ったら、うまい具合にタイヤ入っとりました。すぐにまたアベニールを持っていき、明日の午前中に交換してくれるようにお願いした。
降らないに越したことはないけど、備えはしとかなきゃなりません。
家に戻ると、高橋君の家に送った『春鶯囀』を、宅配屋さんが誤って割ってしまったと連絡があり、新しい酒を買ってから改めて配達するという。こんなこともあるんだなぁ。師走のお歳暮品なんかで急がしいんだろうな。ついつい、酒の包装箱も投げてしまいたくなったりして...。まあ許すよ。よりクリスマス・プレゼントに近くなっていい。

2005年12月19日Monday晴れ
申し訳ないが二日酔いである。
と、こんな気持ちで月曜の朝を迎え、そうであった「交付税の検査」があったのだ。誰にともなく頭を下げるような気持ちで職場に向かい、神と崇める喜田の姉さんにメールを送る。
「(酒の)臭いがしないようにガムでも噛みながら臨みなさい」と。更に、ひと月近く前に書類を整理しておいたものだから、肝心のファイルを一冊忘れて、Kちゃんに本庁まで届けてもらうという失態。なのだが、11時過ぎまで待たされて、始まったらあっけなく3分ほどでチョン。世の中なんてこんなものなのだ。
寒波寒波で、水曜頃にはいよいよ降るんではないかと。心して下部支所に通うんであります。
追:一昨日ダウンロードしたE.S.T.のlive。これメッチャいいんでないの。

2005年12月18日Sunday晴れ
生きるための酒だと思う「春鶯囀」一番しぼり。
この酒を毎年この時期に待っている。
女房と藍が出かけたので、財布の中身を確かめて酒蔵まで行ってきた。
なんと、20日頃に発売となっていた「にごり」も今日発売になったんだと。5合を1本ずつ買ってきて、昼間から飲んだ。
テレビを点けたら、名古屋じゃ雪だ。僕の週末はこれで終わり。1本飲んでしまいました。

2005年12月17日Saturday晴れ
陽が落ちてから凄く寒い。
午前中今年最後の護摩を焚く。本堂もとても冷えていて、閼伽器の水もすぐにうっすらと凍った。ちょうど、勝沼の金井さんご夫婦が新車のお払いに来ることになっていたので、ついでに護摩に同席してもらって新車の安全祈願も済ませた。後は年越しの護摩を晦日に焚くだけ。
午後から本堂の掃除。寒いので遅々として進まない。回廊の落ち葉を片付けたり、賽銭箱の中をきれいにしたりで、やがて日没。こうしている今もとても冷えてきて寒い。
うーん、ストーブが横にあるんだけど、なんとなく手を伸ばさないんだよね。点けちゃうとそれにて一件落着してしまうし。
今夜は6時半から焼肉「山水」。地区の同志会のOBの集まり。実はあまり乗り気がしないので返事をしないでいたら、Eさんから電話がかかってきて、「なんか用がある」っていきなり切り込まれたので、「あー行きます」と、用事もないので参加の返事をしてしまった。Eさんにはいろいろとお世話になっているので、あの人からの電話だとちょっと断れないんだな。まっ、会費2,000円だし、焼肉食って眞露の湯割りでも飲んでくるか。

2005年12月16日Friday晴れ
宿直室で6時20分起床。
布団をたくさんかけて寝たので、寒さはなく起きられた。酒の飲まなかったので、だるいことなく起きる。顔を洗い、ボイラー室に行き、早めに暖房の準備。7時過ぎには湯音が75℃まで上昇したのを確認してオン。このボイラー室、合併前から気になっていて、絶対アスベストが壁に吹き付けてあると思い込んでいたので、なるべく息を止めて口を抑えて入っていたが、今回の調査で、アスベストではないという結果が出た。そういえば、調査中は「関係者以外立入り禁止」の貼り紙があったが、いまは外されている。
今日は12月議会の最終日ということで、用務員さんと議会事務局の女性の方、7時半前にはやってくる。やかんのお湯をちょうど沸かし始めたとこだったので、「やっべぇ、よかったぁ」と胸を撫で下ろす。
外は真冬だ。夕べ昔使っていた宿直の風呂場の脱衣場にあった古いバスタオルをフロントガラスにかけておいたら、クルマはばっちりOKだった。次回もこれだな。ということで、今年納めの宿直も無事終了。

2005年12月15日Thursday晴れ
黒い雨。
古謝美佐子の「黒い雨」を買った。オリジナルは僕も持っているんだけど、もう10年位前に出た江州音頭の歌い手「桜川唯丸/ウランバン」に収められている。このアルバムもうとっくに廃盤になっているらしいが、これがまたメチャメチャいいんですよねぇ。
で、今回「黒い雨」の作者の佐原一哉氏の奥さんが古謝さんなんで、これいい歌だからCD化されたみたい。「ネーネーズ」から彼女の歌はずっと聞いていて、ソロになってからは「童神(わらびがみ)」という、大勢のミュージシャンがカバーしている名曲を産んだ。期待通りのいい歌でした。「黒い雨」がスタジオ版やlive版で、5曲収録されている。年末にいい歌が聞けた。あと、浜田真理子のDVD注文してあるんで、これだな。
今夜は、12月最後の宿直。しまい大師が21日、納め不動が28日だから、今日は納めの宿直。かつては宿直で飲もうなんてことにもなったが、もう今は昔のこと。のんびりとビデオでも見よう。

2005年12月14日Wednesday晴れ
水道も池も凍りついている。
外の水道はよだれが凍ったような惨めな姿。池も全面結氷である。なんとまあ、女房は石を投げてみたのだそうである。「割れなかった」と。
日本海側はだいぶ大雪のようで積雪もずいぶんとあるようだ。寒い冬は嫌だなぁ。
去年の大晦日の大雪の日の二の舞はごめんなので、女房は今日、スタッドレスにタイヤを交換するという。下部の支所までの道のりがなんだかこの時期になって憂鬱になってきた。
怪我で入院しているE係長のおばさんが檀家にいて、「方丈さん、やっと見舞いに行ってきたよ。本人も少し落ち着いてきたようで、ほっとしたけど、まだ大分かかるかもしれないね」と、昨日の夕方車庫の前で立ち話した。
冬の空の穢れない青空のように世の中がうまく回っていくように祈るのみだ。
(20:00)還付金はありがたい。
16日に支給される12月の給料袋を手渡された。所得税が△52,000円であった。それから8月から11月までの宿日直手当が16,800円支給された。9月から本庁宿直も一人になったので、今回の支給はこれまでより少ない。今はちょうど月1回泊まるサイクルになった。貰うお金はたくさんあるに越したことはないが、今までの二人の泊まりの時には、1回の宿直料以上に飲食に金がかかっていたかもしれないので(僕が後輩の夕食の分も用意していた)、そういうことがなくなった分だけの手当てはあるわけだ。
年末は家庭の出費も多いが、こんな還付金みたいなのがいくつかあって、僕もうれしいが女房はもっとありがたいんだろうと思う。先週、古謝美佐子の「黒い雨」と「黄金ん子」、2枚のmaxi singleCDを買ったけど、ボーナス貰
った直後だったので、意外と「この位いいよ、いいよ」ってなもんだったなぁ。

2005年12月12日Monday晴れ
「みのもんたの朝ズバッ!」。
「みのもんたの朝ズバッ!」を5時半から布団の中で聞いているんだけど、今朝は冒頭からのハイテンションで、観ている(聞いている)側が怒られっぱなし。
これじゃ起きる気持ちが萎えてしまう。それでなくても月曜の朝なのに。ズバッとものを言うので、タイトルどおりで今度からみのさんにしようかななんて先々週あたりから点けていたが、今朝みたいなんだと、布団から抜け出せなくなってしまう。
本当に嫌な事件ばかりだ。
昨日はサルは現れなかった。ケヤキの葉は9割近く落ちた。少しずつ年の終わりに近づいている。

2005年12月11日Sunday晴れ
法事一軒。
I家の三回忌の法事あり。10時半からだったので墓地に行き少し掃除。陽が当たらない所はとても寒い。
3回忌だから子供たちだけで簡単にとおばさんは言っていたけど、結局孫も皆来てくれたようで、総勢20人の法事になった。僕もこれはうれしかった。
午後から庭掃除。終わって庫裏のトイレの掃除。こんな風に一つずつ済ませたいことを片付けていく。寺は広くて寒い。水を使う女房はもっと僕より辛いかも。便所掃除はそんなことを思い知るいい機会となる。
終わって、ダウンロードしたニール・ヤングの歌映像と芋焼酎。これで一日の終わり。

2005年12月10日Saturday晴れ
マサカズさんにさよなら、ヴァンフォーレにおめでとう。
悲しみも喜びもまったく関係なく同じ場所に存在する。
マサカズさんの葬儀を円光寺の前庭で見届けた。見上げると青空の彼方をヒコーキがゆっくりと飛んでいた。マサカズさんがヒコ−キに乗って僕らに「おー、じゃまたな」と、笑って飛んでいくように感じた。
いろんなことをたくさん知っていて、大工さんで、消防でも同志会でもかわいがってもらった。最後はあっけなく素っ気無くひとりで勝手に逝ってしまったけど、きっとまたいつか僕が向こうに行ったときには、「おー、来たな」と笑って迎えてくれるはずだ。マサカズさんさようなら。あなたの痛みに耐えた体を解放してくれる向こうがきっと僕はいいと思うよ。こっちにもう戻ってきてはいけないよ。
ヴァンフォーレ甲府、J1昇格おめでとう。うっかり長くなってしまった落ち葉掃きから戻ると、前半の終盤で、なんと2:0で勝っていた。後半の始まる前に早めに本堂を閉めてゆっくりと観戦。なんとまさかまさかのように、バレーはひとりで6点も入れてしまい、結局6:2で勝ってしまった。これが勢いというものなんだな。柏レイソルは完全に意気消沈していて、試合そのものが雑になっていた。J1に上がっても、甲府は苦しい戦いを強いられるだろうけど、こんな師走の時期に、今日は素直に山梨に住む者として喜びたいと思う。おめでとう。

2005年12月9日Friday晴れ
不意打ちを食らうというようなもの。
その事実は昨日の午後メールに飛び込んでいた。
「正一さんが亡くなったらしい」。
リウマチでもう何年も苦しんでいたということは聞いていたし、この前の選挙のときにも、あまり元気がなさそうに投票に来たときの顔も覚えている。
マサカズさん。まさか逝ってしまうなんて思ってもいなかったよ。
ドロドロとした娑婆の話をもう少し続けていたかったよ。合掌。

2005年12月8日Thursday晴れ
Imagine all the people living life in peace.
ジョン・レノンの命日です。
JOHN LENNONが亡くなって25年が経った。
信州美麻村の遊学舎の雪に埋もれた廃校のぎしぎしと軋む校舎の中でジョンの訃報を知った。
暗澹とした日常に重なった悲しみは、コンクリート床の冷たい、かつての給食室に一台あったストーブを囲みながらの酒になった。冷たい野沢菜を桶から出しては、白馬錦をコップ酒した。
宿泊客の誰かが持ち込んだんだろう「ダブル・ファンタジー」は、連日ターン・テーブルに乗っていた。佳世さんに赤ちゃんが生まれて、松尾君は「(女の子だけど)生まれ変わりだ」と拳を振るい力説した。
腰まで雪にはまりながら、一人で冬篭りする岡本さんにジョンの訃報を伝えにいった。
この冬僕は僧であることもやめて、この廃校の施設に拾われていた。
25年が過ぎて、僕は49歳になった。40歳で倒れたジョンをだいぶ越えた。息子は来春には成人する。
僕は毎年のこの日を自分なりにとても大切にしている。JOHN LENNONの永遠を、亡くなったとしても抱いていたいと思っている。

2005年12月7日Wednesday晴れ
自由に生きたいぜ。
そうか、そうだったようなぁ、というような記事を拾ったので。

「学校の卒業式でも、君が代を歌いたくない人は歌わない、歌いたい人は歌う。日の丸を揚げたいと思うクラスは揚げる、揚げたくないクラスは揚げない。それが思想信条の自由なんです。どちらがいいのでも、悪いのでもない。多様な考えが保障されなければなりません。しかしその自由が今、抑圧されてきているのを実感します。」(松本侑子さん談)

全くそのとおりで、こういう自由が押されて押されて崖っぷちみたいなんだよね。
僕の若い友人が第二子を身籠っているけれど、その友人やその子供たちにこの憂うべき事態を継いでしまってはいけないね。徴兵制にはならないといわれているし、自衛軍になったら、誰も行きたくはないだろうけど、自由が失われていく時代にはなるね。自分の国は先ず自分が守るって、いまの耐震構造疑惑問題や小学児童殺害事件にも繋がるけど、ほんとは武力を持って解決に当たってはいけないことで、建築設計に嘘をついてはいけないし、子供をさらって殺してはいけないことなの。さらわれて殺されることから考えてはいけないのだと思う。その前に、もっと簡単で重要な問題があるはずじゃないかと思う。そしてこれらの事を決めたり選択をする僕たちは、実際にはこれらのことから免れる可能性が強く、負を現実の事として背負わされるのは、選挙権も無く、いままさに青春を謳歌している高校生や、初恋に心奪われている中学生や、道草を食っている小学生や、幼児や赤ちゃんや胎児であったりするわけです。

2005年12月5日Monday晴れ
エルクで「パン・デ・デュー」。
Pan des Deux(パン・デ・デュー)というパン・フルートと、キーボードの夫婦Duo。エルクのクリスマス・プレゼント。
女房と娘と一緒に行ってきたが、まあまあ。でも僕の好みには少し隔たりがあった。クラシックや童謡の演奏曲目では、飲みながら自由に聴くことには無理がある。
でもliveはいいもんだ。今夜聴きに行って、「あーなんで今年は寺でできなかったのか」と、一年がとてももったいなかったような気持ちがしみじみと湧いた。

2005年12月4日Sunday
ご褒美に芋焼酎。
昨日、今日と仕事もはかどったので、リクエストの芋焼酎を買ってきてもらった。あーもうこれで今夜は最高だ。
一日一日が終わってしまうのは早い。土日の休みを楽しむこともなくあっという間に終わってしまう。終わってしまうと日が進んでいる。師走も4日が過ぎた。
確かにもう、いろんな意味で勢いはないのかもしれないが、それでもまだくたばりたくないと思う。

2005年12月3日Saturday晴れ
風強くだいぶ葉が落ちた。
悲しい事件がまた起きた。師走には師走の事件があるなんて書いたからだろうか。
小さな命は万人の宝だ。絶えてしまった命だからもうどうすることもできないので、せめて皆で冥福を祈ろうではありませんか。
今日の僕は塔婆書きとシメつくり。窓や電気の傘の掃除。午後から女房と娘は落ち葉掃き。風がだいぶ強かった。これからケヤキの葉が毎日風に吹かれて落ちるだろう。恒例の焼き芋を楽しんだようだ。焼き芋を食べてお隣さんや友達に配達したり。
これはこれで楽しみなんだ。黙々と掃き続ける作業を如何に楽しみに変えるか。これなんですなぁ。
夜になったが焼酎がなくてなんとなくさびしい。買いに行くのはとても面倒だ。

2005年12月2日Friday晴れ
な、なんと下部支所にもツリーが!
決して巷の電飾に彩られたクリスマス・ツリーのような派手さはありません。知らない間にひっそりと入り口にしつらえてありました。
なんか、下部支所って感じで、鳥肌立つほどお似合いだぁ。
寒さも増してきて、僕の後ろの空間にも12月1日の昨日から、大型の石油ストーブが稼動を始めた。外には風があるけれど、師走の平和への行脚のような気持ちで歩きます。

2005年12月1日Thursday晴れ
師走の入り。
さあ今年最後に一月を皆が大切にして、穏やかで平和なひと月にしたいものじゃないですか。
昨日の午後女房いわゆる「オカマを掘られた」のでした。直線道路で右折待ちの車の後ろで止まっていたところ、彼女の2台後ろの車が止まらずに彼女の後ろの車に追突し、その惰性で後ろのクルマが彼女の車の後部に追突したというわけ。幸い誰にも怪我もなく車の損壊だけで済んだようで、彼女は右折待ちの車にはぶつからなかったとのこと。
今朝も町の広報無線で年末の車の事故に気をつけようなんて、朝っぱらからうるさい放送が流れたが、自分がいくら気をつけていても、事件や事故に巻き込まれてしまうこともある。互いに用心したいものであります。
これを読んでくださっている皆さん方にとっての年末が幸福であるように祈ります。

2005年11月30日Wednesday晴れ
11月晦日。
渦中の人物の一番胡散臭そうな人。ヒューザーの社長小嶋さん。この方の経歴は、本人曰く「偽ロレックスや消火器の訪問販売などをしてきた」のだそうだ。つまり嘘をついて贋物を売ってのし上ってきた。だからマンションも当然、本物とそっくりの外装であれば彼にはそれでよかったわけだ簡単に言うと。核心を突かれると「ふざけんじゃねぇ!」だ。あの派手なパフォーマンスも彼の来し方を象徴しているようでなんだか哀れで物悲しい。
でも、一生の買い物として家を買う側はこれじゃたまったものじゃない。
広島の女の子の事件も、急転犯人が特定できた。師走にまでこれを持ち越さずによかったな。師走にはまた師走の事件があるのかもしれないが、穏やかな年の瀬であってほしいと思う、毎年。まだまだこれから大きな夢が膨らむであったろう1年生の女の子に、今朝は線香を手向けて冥福を祈った。

2005年11月29日Tuesday晴れ
寝坊をした。
はっと気がついたら午前6時32分。
女房は飛び起きて台所へと走る。僕はあせることなくもぞもぞと布団を抜け出す。カーテンを開けると外は雨だ。雨が降って寒さが緩み、雨が静かに体を眠らせてくれていたのだ。
風も強くて、雨が続くのかなぁと思っていたら、出かける頃にはほぼ止んでいた。本堂に向かうと、外は雨を吸っていたので、夜半に結構降ったのかもしれない。風邪を引いているので雨が降ったのはありがたい。埃の立つのを抑えてくれるので、それが功を奏するのだと思うが、昔から雨が降れば風邪が治ると聞かされてきた。
今年は柚子が豊作のようで、あちらこちらから柚子をいただく。夕べは柚子を浮かべて風呂に入った。その香りを喉から腹の中へと吸い込んで、風邪が治ってくれることをお願いした。お陰でぐっすりと寝た。
僕は一年を通して、特別早く起きるわけではない。お寺だから早起きでしょうと聞かれることもよくあるが、ちょっと返事に窮する。サラリーマン坊主なので、休日以外は基本的に8時半から午後5時までは役場の仕事がある。大体7時45分くらいに家を出るので、朝のお勤めだって長くはない。本堂と客殿で20分くらい。休みの日などにゆっ
くりと経を上げたり、護摩を焚いたりする。時には休みの前に痛飲した場合などには、本堂の扉だけ開けて布団の中に再度倒れ込む時もある。僕の中では「坊主を休む」ということもある。僕を指導したり、こんな態度に苦言をする人はいないので、まあ僕の中で全部を納得しながら寺をしているのである。そうでないと僕の場合には長く持たないかもしれないので。
夕べ、ブランフォード・マルサリスの後に、都はるみを二度聞いて、中上健次の物語の世界を思い出した。

2005年11月28日Monday晴れ
どうやら風邪が流行っているようだ。
午後から教育委員の皆さんの研修会への運転手。甲府盆地は広い。午後4時過ぎに研修が終わり、釜無川の土手道を走りながら、遥かかなたの山の稜線に沈む夕日を眺めていたら、助手席の教育長も同じように感じたらしく「久しぶりだなぁ、こんな夕日を見るのは」と感歎している。僕もとっさに「まったく同じ気分です」と応え、「さっき駐車場で空を写真に撮ってました」と付け加えた。
本当にこんな夕日を眺めたのは久しぶりだった。山峡の勤め先の空は、さびしくなるだけ狭い。
夕方帰ってから秋山さんにケータイして15分かけてすこやかセンターまで届け物をした。女史も今朝から風邪だと言った。どこが風邪なんだか?もう暗い中では見分けられなかったが、本人がそう言うのだから風邪なんだろうと思った。風邪が流行ってきたのかもしれない。早く治さなくては。
皆さんもお大事になすってくださいね。国勢調査の報酬が出た。全部女房に渡して今夜は酒抜き。

2005年11月27日Sunday晴れ
窓拭き落ち葉掃き。
午前中は窓拭き、午後は落ち葉掃き。日が短いので4時近くなるともう寒くさびしくなる。早めに切り上げて夕のお勤めも済ませて本堂の掃除をして日曜の寺じまい。
Stan Getzなんぞを聴きながら。なかなか鼻風邪が抜けなくて。
ケヤキの葉がまったく落ちてこない。12月に入って木枯らしが吹くようになってからなのかなぁ。早めはやめを心がけて年末の準備に取り掛かるが、いつも思うようには事は進まない。今年も年末年始はきっかり6日だけの休みなので、29日から3日の師走の寺務になる。これが結構せわしないので、本当に早めに事を済ませておこうと思う。晦日の遅くまで仕事をするのは嫌いだ。
小さい頃から寺の年末はとても嫌だった。掃除掃除に追われて、午後7時過ぎの晩飯になるまで僕も妹も、ゴロゴロとテレビを見ていられるようなことはなかった。普通の家のように、のんびりと大晦日を過ごしてみたかったので、なるべく家族にはその様にしようと言う。怠け者だから、適当に切り上げようということだ。来週はもう師走なんだな。

2005年11月25日Friday晴れ
元気回復休暇みたいなものだ。
喉が痛くて鼻水も出たし、寒気が続いたので昨日の午後と今日を休んだ。無理をすれば行けないこともないんだけど、元気回復休暇のようなものだ。
さっぱりと休んでよく眠って風邪もよくなってきた。
午後から少し、新年の準備でシメを切ったりした。毎年の繰り返し。今年の寺の紅葉はあまりきれいではない。濃いところと薄いところがはっきりしている。写真も撮った。
おんなじニュースが繰り返されていて、進展のないもの、責任を擦り付け合うものなど。互いが競い合いながら大きくなってきた反対側に残してきてしまったものはとても大きくて大切なものだったというような気がする。

2005年11月24日Thursday晴れ
風邪だ。
あまり風邪をひくことはないがどうも風邪のようだ。昨日の朝から体が寒かったが、今朝は喉が痛い。鼻水も出る。
午前か午後の職員研修に出なくちゃならないので、午前のに出て午後から明日と休みでも取ろう。と考える。
酷い事件ばかりが毎日毎日繰り返し起きている。こんな話を聞くだけでも気持ちはぐったりとなる。校門からたった一人で帰ったのだとしたら、それってなんとかならなかったのかなぁなんて考える。
山茶花の花びらが寒い朝に、コトリと落ちたようでさびしい気持ちになる。
友人たちはそれぞれの生活を伝えてくれる。お寺の祭事の準備に忙しい人、麦撒きや畑仕事にいそしむ報せなど。こんな日常の報告が一番うれしく感じてしまう。

2005年11月22日Tuesday晴れ
寒くなって頭の中も冷えて硬くなってきた。
考えることが億劫にもなってきて、書くことがない。本堂が庫裏や客殿とくっついていないので、必然外に出なければならない。指先も冷たく感じるようになってきた。経の途中で鼻水が一筋垂れてくる。下唇でそれを受けることになる。
寒くなってきて頭の回転も鈍くなる。昨日の朝は、本堂の観音扉のかんぬきまでは外したのだが、扉を開けるのを忘れてしまっていた。
たまたま午後から本庁で教育委員会と、3時から新年度予算の説明会があったので昼休みに帰ってきた。本堂に入って「かんぬきは外してあった」のに、なぜ扉を開けなかったのか?もうそれ以上の思いは進まなかった。
これが明日には49歳になるという老いた男の現実である。

2005年11月18日Friday晴れ
自業自得。
どうにか一週間のお勤めも終わり。
日曜日に癪に障ることがあって、思いっきり蹴りを入れた右足の甲が腫れていて、歩くと足の裏に、悲鳴を上げたくなるような鈍痛が走る。走るけれども歩いたりする。月曜の朝からこんな状況が続いていて、歩かなければなんとも気にならないのだが、歩き出しに相当な覚悟が要る。明日法事があるので、「まあ土曜までには痛みも引くだろう」と高をくくっていたが、どうも怪しい。自業自得だ。
娘が修学旅行から帰ってきて、お土産にお香をくれた。高いお香には縁がないが、明日の法事には一本持っていって付けようか、香一本で大勢の人がその香りで安らいだりできるんだよね。

2005年11月17日Thursday晴れ
「シューカツ」と「チデジ」。
宿直明けの今朝は「寒い」と思ったら、甲府で初氷だったらしい。宿直室の窓を開ければ、護岸の下に富士川があるのでここは格別に寒い。アメダスがあって、ここの気温をニュースで流すと、県下一低かったりすることがありイメージが悪くなると言われたこともあった。そういえば、職員がすべて帰った後の戸締りのときに外へ出たら、冷え込みはきつかったけれど、月明かりの空に雲が少しあって、とても幻想的で、かぐや姫のように天上へ昇っていくような気分にさえなった。
宿直室に内藤君が寄ってくれて1時間ほど話をした。音楽の話や家族の話。笑ったり、お互いに悩んだりの話もした。面白い短縮語が2つあった。「シューカツ」と「チデジ」。何のことかわからんでしょう。用例としてはこんなもの。※「娘がシューカツにも使いたいから、ノートパソコンを買ってほしいといってきた」「チデジが始まれば、今のテレビなんてものすごい量のごみになってしまうんだよな」というもの。「シューカツ」=「就職活動」、「チデジ」=「地上デジタル放送」だったのである。内藤君スゴイ!(^^)!。
「シューカツ」も串カツの仲間だったり、「チデジ」は痔を連想するくらいが語彙貧困の僕には関の山だった。

2005年11月16日Wednesday晴れ
The Penguin Cafe Orchestra。
夕べライブから帰ってきたら、高岡君からのメールが入っていた。渋さや自身のライブ活動のほかに、関西での渋さの公演を受け持っているので、ヨーロッパツアーからの帰国後も大変に忙しく動き回り、年内にうちの寺に来る事は無理というものだった。少々残念ではあるが、またの機会を待ちたいと思う。
ミュージシャンを呼びたいと思っても、田舎で、どうしても単独になってしまったりすると効率が悪い。いつでもいいと言うわけでもなく、こちらの希望もあり、なかなか双方がよいということにはならない。まして、うちは寺であってライブハウスではないので。
たまたま夕べ甲府へ灰野敬二のliveを聞きにいったのだが、僕の出不精というか、出かけることへの億劫さは年々ひどくなるようで、聞きたいという思いの隣に、「わざわざ出かけるのは、めんどくせぇな」と言う気持ちが湧いてくる。困ったものだ。でも、隠微な灰野さんを楽しめました。そうそう、忘れないで書いておこう。女房と晩飯を食お
うと入った「楽」という蕎麦屋に、なんと灰野さんが居たんですね。彼はもうすでに済ませたらしくて、連れの男性と話しをしておりました。「彼が灰野敬二だよ」と女房に教えてやると「あ、あのサングラス掛けた人?」と。僕は鍋焼きうどん、彼女はカキフライ定食を完食しました。鍋焼きのうどんはやはり手打ちがいいね。夕べのはダメだ。
早川町の奥まった奈良田の町営温泉に子供たちを連れてよく行った。その帰りに「湯川」という民宿を兼ねるお店で食べた鍋焼きうどんに優るものには、いまだ出会っていない。
タイトルの「The Penguin Cafe Orchestra」のことを忘れていた。やはり夕べ、EZtorrentを覗くと、「The Penguin Cafe Orchestra」がアップされている。寝る前の1時間と今朝の40分ほどで、超スピードでDLしてしまった。1984年のアメリカでのlive。懐かしい音楽がまた僕の小さなねぐらに踊った。これはもうレコードは仕舞ってある
し、安かったら買ってしまうかなぁ。

2005年11月15日Tuesday晴れ
灰野敬二を聴いた。
娘は高校の修学旅行へ朝早く出かけた。今夜は神戸泊だという。で僕たち夫婦は、甲府の桜座へ灰野敬二を聴きに行ってきた。
実は灰野敬二のライブは初めて。円盤では何度も聴いていたが、なかなか彼の音楽は難しくて、女房も一緒なのでちょっとどうかなぁという思いもあったが、機会にめぐり合う事が少ないのでこれを逃すと次はないかもしれないと思ってしまった。
で、感想はというと、これが言葉では書けないんですねぇ。前半は桜座の空間の中にしてはノイズが物足りなく感じたのだけど、後半はボリュームも上がり頭の中ぐるぐると掻き回してくれたので、いろんな思いも錯綜しました。
途中からハーディ=ガーディという手回しの擦弦楽器を抱えて、更にその中にアルミホイルを丸めていれて、金属的な音も激しく出しておりました。*ハーディ=ガーディは、帰ってきてからネットで調べました。
道がすいていたので、何年かぶりで止めた共済の駐車場からちょうど40分で家に着いた。
この桜座ははじめて行ったけど、こんな新たしい音楽を山梨に広めてくれる場所として長続きして欲しいな。

2005年11月14日Mondayくもり
就学時検診のお手伝い。
二度目のお手伝い。今日は地元の中富地区。でも、先日手伝った下部地区とはまた知能検査のやり方が違い、ここでは小学校の教諭が前に立っていて、前の席についた子供たちに問うという形になっていた。
であるので、僕が手伝うのは、戸惑いのある子供がいたら滑らかに進むようにちょっとした声掛けをしてあげることくらいだった。
この知能検査というものがどのくらい信用に足るものなのかわからないが、別に教師がそれを行わなくても検査くらいはできると思ったし、これに関しては前にやった下部方式のほうが、1対1で子供たちにもよく理解できたのではないかと思った。
水鳥の絵があり、左の上から楕円に並んでいて、「14羽の水鳥にマルを付けなさい」という問題があって、僕のそばにいた3人の子供は2人が全部にマル(確か20羽位の鳥が並んでいたと思う)。1人が17羽くらいにマルだったと思う。なので、これは3人とも得点ナシになる。
先日の下部の検査では、同じような問題で、「左から順に4羽にマルを付けなさい」というのがあった。例えば、10まで数えられても11から上が数えられないとしたら、今日の問題はできないだろうし、じゃ、下部で受験していたら、4羽なので得点になっていたかもしれない。ちょっと疑問に思ったけれど、町が合併して3つの町が同じようになって統一していく過程はこんなものなのかもしれないと思うしかなかった。
でも、終わってからの反省会で、保育士や養護教諭、町の保健師とも、皆それぞれの受け持つ分野でとても真摯に事に当たっていることがよく伝わってきた。
町は小さくてもこんな風に熱く住民のことを考えていてくれる人たちがいてくれれば、僕はこの町に住んでよかったと思いたい。

2005年11月13日Sunday晴れ
煤払い。
天気もよかったので、早々と煤払いを決行した。実は去年煤払いをしなかったので気になっていた。どうせ一年に一度しかしないのだから、師走の押し詰まったところでやらなくてもいいんじゃないかと。どうせ誰かがやってくれるわけではなく、僕自身が行うことだし。
女房は公民館の掃除に出かけたので、僕は竹を伐ってきて頭に枝をまとめて針金で留めて、毛糸の帽子を被って煤払い。やってしまえばもう、これでよしである。まあこんな風に、庭の掃除をしたり、本堂の回廊や内陣を掃除したり、結局日曜の一日は過ぎてしまった。

2005年11月12日Saturday晴れ
早川の秋を楽しんできました。
女房は娘と待ち合わせて甲府へ買い物に出かけるというので、僕は奈良田温泉に行くことにした。一年に一度くらいになってしまったけれど、いい温泉だ。
奈良田の紅葉はよかった。10時45分に家を出て、だいたい37キロくらいでゆっくり45分で到着。一時間後には町営奈良田温泉のヒノキの風呂に浸かっていた。ぬるい温泉にじっくりとちょうど一時間入りっぱなしで浸かっていた。11時半頃から風呂が混みだしたので潮時とあがる。以前だったらここでビールをグイとやったところだが今日は我慢。家に帰って飲もうと考えていた。時間はまだ正午前だ。
雨畑湖や帰りの道沿いで車を止めながら少し景色を収めてきた。奈良田が色濃くて、家に近くなるに連れて紅葉は黄葉になる。
途中できのこを買ってきた。なめこを買いたかったが、「なめこが出てしまって1パックにならないので、お買い徳用にくりたけなんかも入れてあります」という700円のパック積めを買ってきた。きのこは夜に食べることにして僕は台所で、納豆と発泡酒の昼食をとった。
ゆっくりとのんびりと湯に浸かりながら、目を瞑って、年末の事を考えたり、般若心経や観音経頭の中で読んだ。だいぶ頭の中がクリーンアップできたみたい。

2005年11月11日Fridayくもり
『世界平和記念日』。
1並びの今日は『世界平和記念日』。第1次世界大戦を終え、世界中の人達が「戦うことはもうやめよう」と決めた日。
今朝のニュースでは、自衛隊のイラク撤退時期を来年の9月にする予定があるのだと。小泉さんの総裁任期とあわせて彼がまた自分で幕を下ろすつもりらしい。すべてが彼の思惑通りに運んでいる。小泉の息子も最近良くテレビのバラエティー番組で見かけるようになった。これも小泉マジックなんだろう。
Windowsに不具合があって、いつものT屋さんにお願いしたら、同じ症状の報告がネット上にあったそうだ。これにすべてを頼りすぎてはいけない。使う側と使われる側の立場をはっきりとさせておき、突発的な危機に陥っても、私は泰然とモニターと向き合う覚悟でいなければいけない。決して冷や汗などたらさぬように。
戦争は人間が作り出したものであるから、作り出さぬようにすれば何ら問題が無いのではないかと考える。随分と幼い子の考えるようなことと思われるかもしれないけれど、案外こんなものであると思う。山梨放送ラジオで昔から流れている「おじちゃん、お酒飲んだら運転しないでね」という子供たちの声。こんな風に言われたら「ハイ!」と応えるしかないだろうってな感覚かな。でも、なかなか僕の場合は、飲酒運転が止められなかった。うーん難しい。

2005年11月5日Saturday晴れ
RC SUCCESSION。
「RHAPSODY NAKED」という完全盤が発売された。午前中墓地や境内の掃除をして、昼食後に寝転びながら大音量で聴いた。
懐かしくて、でも褪せていない熱いものが伝わってきた。キヨシローもチャボも僕の生活の中に今もリアルタイムで居る。コンサートのチケットの半券をスクラップしてあるファイルを開いたら、日比谷の野音で一度このエレクトリックRCを体験している。かっこよかったよな。NHK-FMの渋谷陽一の番組の中でスタジオliveをして、そのときのテープは今も大切に取ってある。いつかこれをCDRにコピーしたいと思っている。
せつないよなぁ。僕は僕で誰かと変わってしまうわけではないし、心意気は昔のままなんだけど、それでも、なんだかここのところ凄く切ない気分になるな。昔の若さに戻れないもどかしさがあるのかもな。

2005年10月31日Monday晴れ
セイタカアワダチソウ。
北アメリカ原産の帰化植物。第2次世界大戦後に、蜜源植物として養蜂業者が種子を散布したとの説もあるようだ。
今朝檀家の方が、竹を少し貰いたいと、お重にお米入れてもってきてくれた。帰りがけに、「あの黄色い花は喉に凄く悪いから、方丈さん抜いたほうがいいよ」と言う。僕はすぐ「セイタカアワダチソウ」のことだとわかった。このあたりも休耕田や道端にこの花が近年おびただしく繁殖し続けている。風評は聞き及んでいたので、昨年畑に生えたものはすぐに引き抜いたが、今年はまだ気づかなかった。出勤前だったが、スコップをもってすぐ畑に行きその株を掘り起こした。繁殖力旺盛な植物なので根元も非常に強く、「こりゃあ、これからおいかけっこになるぞ」と感じた。
出勤して「セイタカアワダチソウ」を調べたら、この花は花粉アレルギーの元凶のように世間では言われているが、花粉を風に乗せてばら撒く植物ではないということだった。傾斜地の法面(のりめん)などの表土の流出防止などには貢献できるに十分なようであるが、なにせ作られてしまったイメージが災いして利用されることはないようである。こんなふうに檀家の奥さんや僕が抱いていたイメージとは違ったけれども、ただ、畑に繁殖してしまうのを放っておいたらとんでもないことになるような気はする。
第3次小泉内閣かぁ、きっついなぁ。

2005年10月29日Saturdayくもり
百年の孤独。
夕べ「百年の孤独を飲み干す会」に誘われた。本気にせずにいたが、お迎えが来て会場へ。とある未亡人のお屋敷にそれはあった。「百年の孤独」は焼酎だった。今夜その焼酎を検索したら、とんでもない代物であったことが判明。「楽天市場」で【百年の孤独】麦焼酎720ml(化粧箱付き)12,000円である。ちなみにアウトレット[箱]にキズあり【百年の孤独】麦焼酎720ml 9,800円である。まさか!(*_*; 720mlの焼酎にこんな値がついているとは。なんでも皇太子がお気に入りなんだとか。定価は2,571円なのだが、プレミア価格で出回っているようである。いやぁ、でも僕にははっきり言って、これが特上物であるなんてまったくわからなくて、最初に一口飲んだとき、ちょっと黄色かったので、「レジェンドみたいじゃん」なんて言っちまいました。ただ、今夜これを詳しく調べたら、ラベルには「こうして瓶詰めされた百年の孤独のボトルのラベルの片隅に以下のような言葉が記されています。」とあり、『When you hear music , after it's over , it's gonein the air.You can never capture it again.』(あなたが今、耳にした音楽は空中に消えて、再びそれを聞くことはできない。)「これは、ジャズ・ミュージシャンのエリック・ドルフィーの有名な言葉で、彼の遺作であるライブ盤「ラストデイト」の中で聴くことが出来ます。」という情報を拾った。感動!
と、それをすでにご存知であったか、饒舌なパパの写真。

2005年10月28日Friday晴れ
恋しい家路はお湯割への道。
周りの山の景色が色濃くなってきた。4月に下部の支所へ通うようになったとき、一色から甲斐常葉駅までの間に、桜のきれいなところがいくつかあって朝が楽しかったけど、山が紅葉していく姿も今は楽しみだ。日の暮れが早くなり、お陰で帰る頃にはとっぷりと暮れている。それでも少し大げさかもしれないが、家路が恋しいといったような感はある。
夕べは、川口家からいただいて大事にとっておいた「島美人」の封を切った。ジョン・マクラフリンのTrioのDVDを回して、グラスに熱い湯を入れて、それに島美人を注ぐ。女房が娘を迎えに行っていたので、弁当箱を洗った。洗っている間に、グラスから焼酎のいい香りが流れてきた。「内藤君は、今夜甲府へ浅川マキを聴きに行ったんだろうか」など思いつつ飲んだ。
1歳6ヶ月児健診で来たHINATAくんが、支所に立ち寄ってくれた。帰りの車の中で「写真撮っときゃよかったなぁ」と。Blogに載せられたのになと。ネタは細かく拾うように心がけなくちゃ。

2005年10月27日Thursday晴れ
用務員のMくん。
今朝は雨が降り始めて冷えた。
支所の中もここのところ寒くて足元が冷える。Mくんがストーブをいくつも出してきて、灯油を注いで窓口の係と、教育委員会のところにもセットした。まあ、ストーブが欲しいほどの寒さではなかったけれど、「今朝はちょっと温まりたいなぁ」って時があるかもしれない。
新聞の折込チラシを見て思った。最近近くに割りと大きなスーパーが開店して、女房なんかの満足度も高い。いままでは週末にチラシが折り込まれても、「嫁や若い衆以外は関係ない」と感じていた高齢のお母さんやおばあちゃん方も、歩いたり、手押し車押しながら、自転車でもその場所に行けるようになった。ということは、自分で商品の品定めをしながら購買できるということなので、きっと折り込みチラシにも熱心に目を通すようになったんじゃないか。チラシを見て、安い商品や日替わりの特売品をチェックして、算段を立てる。これはボケ予防にもなるかもしれないと思った。
昼前に雨が上がり天候が回復したので歩いた。デジカメを今日は家に置いてきてしまったので、さっささっさとラテン系の音楽を聴きながら歩いた。
支所の入り口に居たMくんに「雨が上がったね」と言ったら、「こたつのかけ布団を乾そうかな」と、布団を掛ける金網の柵の上を拭こうとしたので、「まだ地面が湿ってるから、やめたほうがいいんじゃねぇの」と言ったら、黙ってどこかに消えてしまった。彼はこの支所で、もうきっと長い間用務員を務めている。ここに来てしばらくしてから、彼と同い年だということを知り、少し会話をするようになった。コピー用紙の補充や掃除洗濯、お昼ご飯の注文、郵便物の扱いなど、ここでの細々とした仕事を軽やかにこなしている。いつだったかズボンのお尻がポッカリと大きく口を開いていたことがあったが、そんなことには無関心で、毎日僕たちの仕事の基本となるところを支えてくれている。

2005年10月25日Tuesday晴れ
そして再び町は静かになった。
選挙が終わって静かになり、朝の冷え込みは一段と厳しくなってきた。富士川には朝霧が立ち込めている。
僕の高校時代の同級生は、旧の他町からの候補として再び立候補したが、最下位と3票差で次点に甘んじた。今月のはじめに本栖湖で清掃活動があったときに、「石田、今度一度ゆっくりな。」と声かけてくれて、「でも、その前にもう一度上がってからじゃねぇとな」と言って離れていったけど、どうもこのままのお別れになったようだ。
彼とは親しくもないし、彼の活動の善し悪しにも僕は興味がないが、これが選挙というもので、何も保障もないし、当選したって落選したって結局それはそれだけのことで確たるものなんて存在し得ないことを改めて思い知らされたようなものだ。
さて、出かけるとするか。
(20:08)(昼休みの終わりに書く。) 菊地雅章のトリオ(TETHERED MOON)を聴きながら歩く。プーさんの重いピアノと搾り出すような唸り声に相反するかのように、切なくポール・モチアンのスネアドラムが跳ねる。でも決して軽快にではなく、思いを留めてからこちらもブラシをスネアに打ち下ろしているのだ。ゲイリー・ピーコックのベースは音を探るように支えている。3人の男たちのやり取りは音楽の域を超えて、聖堂の中に車座して、静かな会話を交わしているかのようだ。厳かなときを味わい歩きながら、もう選挙のことなど常葉川へ流してしまった。

2005年10月22日Saturdayくもり
最後のお願いのクルマが一日中走っている。
あと3時間ほどで選挙戦が終わる。こんな選挙は初めて。候補者の遊説カーが走り、名前を連呼する。声を嗄らして「○○をよろしくお願いします。」「父を勝たせてください!」と悲痛な訴えが遠くから聞こえてきてまた走り去ってゆく。
合併した町の定数が削減となって皆必死に戦っている。これでなくちゃ選挙ってものは。選挙事務初でひっくり返って酒飲んでるような選挙の時代はもう終わりました。出たい人が自らの決断で立候補しなければいけません。勝ちたい奴は自分で票を取ってこなくちゃ。
参道の入り口の四季桜が一週間ほど前から咲き始めた。この時期の花は長い。この桜も一ヶ月近く楽しめるはずだ。山茶花も花開いて、死期の迫るスズメバチが最後の蜜を吸いに群がっている。
お祭りの花も届けられた。

2005年10月21日Friday晴れ
選挙も終盤。
午後3時から選挙の投票所事務の説明会。その後投票所の会場準備。今回は町議選ひとつだけなので簡単。10分くらいで終わり。後は当日である。
下部の昼休みにも遊説カーが候補者名を連呼して走る。
道端の小さな花は、気候が涼しく寒くなり、命がとても長い。菊の花も開き始めている。イチジクが熟れて甘い匂いを放っていた。
渋さ知らズのモスクワでのlive映像がDVDでアップされていて、4日ほどかかってDL終了。オーディエンスのハンディカメラでの撮影のようだが、動く絵姿はまたいい。
夕べはナイターソフトボールの最終戦で、終わってからいつものように一杯。アダムがみんなに「来日してすぐにソフトボールのチームに誘ってもらってとても感謝している」と話すと、大拍手。酒豪のアダムはまたもや葉巻とスコッチを抱えてくる。193センチの大男のくわえる葉巻はなんとも様になっているんだなこれが。
朝洗濯を干す女房が、「これだれ?」と訊くから、「わからんだろうけど、ヤン・ガルバレクだ」と教えてやる。彼の音楽はまた一人感動を与えた。一篇の詩を何年かぶりで書いてみた。

2005年10月19日Wednesday晴れ
掟破りのmp3。
久しぶりに晴れて、昼休みのウォーキングも再開。
9月24日に行われた「Comes A Time :: Tribute to Jerry Garcia ::Greek Theater, Berkeley, CA :: 9-24-05」の音源を、掟破りなのは承知してmp3に変換した。実はこのコンサートをダウンロードしたのはいいんだけど、6枚のDiscになってしまう。カーステレオ用にmp3して焼いてみた。これが実に気持ちいい。これ一枚を回しておけば(まだ全部を聴いてしまったわけじゃないけど)5時間のLiveがたっぷりと楽しめる。遠出をしたくなるようなご機嫌なガルシアTributeの音源だ。mp3は、通常のWaveファイルに比して音質が落ちるというけれど、僕の耳ではその判別はできない。5時間のこのLiveだけでは容量に余裕がある。後でまた何かご機嫌な奴を追記すればいい。
テーパーの皆さんが、苦労をして録音した音源だから、「mp3に変換しないで!」って注意書きがしてあるけど、それは重々承知しているけれど、クルマでの長旅のお供にゃmp3は外せそうにないな。曲のタイトルなんか入力しておけば、ちゃんと表示されるしね。ちなみに僕は「午後のこ〜だ」を使って変換してます。

2005年10月18日Tuesday
毎日毎日雨だ。
思考も腐る。
本堂への通路の脇にエドヒガンザクラの老木があって、枝垂れなので3本の棒で支えをしてある。今朝見たらこの下をイノシシに荒らされていて支えも1本倒れていた。雨でぬかるんだ地面を夜な夜な現れては餌のミミズ探しをしていくのだ。この雨で寺の周りがほじくり返されたところがいっぱい。うんざり。いやになる。
イノシシの頭の頭の中はどうなっているんだ。グニョグニョとしているのか?俺の頭もグニョグニョに腐る。いつまでこんな生活を続けていかなけりゃならんのか。
(23:00) K課長の照会にお応えをメールしたら、「調整の難しさに苦慮しています。」と返事のメールがすぐさま届いた。なんだかかちょっとほっとするような内容で、ふふっとにやけてしまった。で、メールよく見たら、初めの“石田様”が“石だ様”になっていて、二度笑いしてしまった。
合併後初の町会議員選挙が始まった。旧い3つの町に分かれた小選挙区で行われるが、僕の地元も12人が5人になるので今回は遊説カーが走っている。選挙の人たちも大変だけれど、晴れてほしいよね。あったかい昼間を歩きたいです、ホント。

2005年10月15日Saturdayくもり
お寺はイベントのお伴ではない。
詳しくは語れないのだけれど、夕方或る方が家に来て、「お札をイベントの時に僕に渡して欲しい」という。「それをやったほうがいいと言われたもんで」ときたもんだ。事情は或る程度というか承知しているのだけれど、お不動様に願いを懸けたいとか、お不動様に祈願をしたいのでお願いしたいという話はなしで、まるでお札を渡すのもイベントの部分のように感じた。
そこにはまったくもって祈願をしたいなどという気持ちは読み取れなかったので、「大丈夫ですよ、こんなことは辞めにしましょう、僕が祈っておきますから」と、お断りして帰ってもらった。
お札を渡して欲しいとかの前に、「お不動様に祈願をしたい」というのが筋だ。こんな人の要望には残念ながら応えられないし、お手伝いをしたいとも思わない。
本堂の脇のアジサイの刈り込みと草取りをした。夜になって雨だ。イノシシの掘った痕が境内のあちこちにある。これをどうすることもできない僕の力や頭の無さを情けなく感じる夜だ。

2005年10月14日Friday晴れ
平和を堅持する“選民”ということ。
このページの上にもリンクを貼っているWEB SITE『マガジン9条』の「世界から見た今のニッポン」という項目の中で、中国の映画監督・作家の班忠義さんのインタビュー記事に感銘を受けた。その中で彼は憲法9条への思いを次のように語る。「日本国憲法9条は、私にとって人類の崇高な理念、人間の文明度が低ければ決して守り切れない、純潔で脆いものでした。敗戦から平和を願う気持ちが強い日本人に、神が人類に贈ったプレゼントであり、日本人が選ばれて平和を堅持する“選民”のように目に映りました。しかし、日本人はその約束を破ろうとしています。」と。
そうであったのだ!と、思った。こんな風にこの国の9条を考えてくれている人がいる。9条の“いのち”絶つのか、その“いのち”の根を地球上に繁殖させていくか。これもまた僕たちが選ばれた者であるなら、“いのち”を賭す覚悟で考えていかなければならない。

2005年10月12日Wednesdayくもり
どうやら昨日猿が来て柿の木に登っていったようだ。
今朝玄関そばの柿の木の下を見ると葉がたくさん落ちて、枝もいくつか折れて落ちている。どうやら昨日の午後誰も居ない時間に猿が来て、柿の実もいでいったようだ。
今年は実の生りかたがいいようだ。果林の実もいっぱいついている。山にだって実りは多いかもしれない。
歩いていても感じるが、僕たちが生活の中でもうこの家の周りになる果実を収穫しないということもある。生りっぱなしだ。うちでも柿を食べる者はいない。先日通った山の道にも、山栗がいっぱい落ちていた。きっと昔なら、誰しもがそれぞれ目を付けておいた場所の栗を拾いにいったことだろう。同乗していた課長が、「山栗は小さいけど甘くて美味しい」と話してくれた。こんなことも猿の群れが人里に下りてくる要因のひとつになっているのかもしれない。これも因縁というものか。
女房が深夜に無事帰宅して、今朝はまた変わらぬ朝の時が再開した。

2005年10月10日Mondayくもり
降ったり止んだり、明日もこんな天気の様子。
山梨宗務所の会議で甲府へ。娘は、朝方雨だったので軟式テニスの練習試合中止になる。午後2時からだったけど少し早めに出かけ、中古CDショップ「ヴァーニア」へ。ゆっくりと漁ったけど、ハートを捉える1枚が無い。結局何もかわずに店を出るのもなんか気が引けて、「keiko lee/vitamin k」をジャケ買い。妖しい色気。そんでこのハスキーボイスがまたいい。たった今もこのCD。(^^♪
宗務所の会議は相変わらずの話に終始。まったく興味ナシというか、金の話はもうやめたい。価値観の違いなのかもしれないけれど、僕は寺を楽しみながら、僧で居られることをも楽しんでいる。この楽しみは金じゃない。そんな感じで今夜は「真露」4杯いきました。

2005年10月9日Sundayくもり時々雨
まだ明日も休みなので、今夜はまだ長い。
女房が居ないので夜も独りで好き勝手に過ごせるってのがいい。
音もデカクテいいし、酒も飲み放題だ。だがこちらの方は夕べも第3のビール一缶で終わってしまった。
午後から軟式テニスの練習があるという娘を駅まで送り、迎えの連絡があるまで待機。
2時ごろに秋山女史の甥のHACHIYA君彼女を伴ってくる。僕も飲めないし、だから彼にも酒が出せなくて、ホントにいやな世の中。
酒を介さないと僕はうまく会話が続かない。パックのコーヒーとチョコレートを二人に出す。音楽を聴き、その後買ったDVDプレイヤーを自慢して、STINGのliveと座キール・フセインの超絶タブラ演奏のDVD見てもらう。
彼女はお寺が珍しいのかデジカメに熱心に収める。今日はとても冷える日で、二人が一時間ほど居て帰った後、また毛布に包まってダラダラと音楽を聴きテレビを見る。
娘を6時半に甲斐岩間の駅に迎えにいき、セブンイレブンで弁当と真露1本。今夜これでまた夜長。
(10:55) と思いきや、アダムから「イシダサン、スコッチ買ったから、今から行って一緒に飲んでいいか」「オー、イイヨ」ってことになったが、あいにく妻不在で気の利いたつまみを供することもできないので、喜田に電話して、「今から行ってもいいか」と。ここはすんなりOK。足が無いのでタクシーで。2時間半飲んで帰ってくる。午後遊びに来たHACHIYA君と彼女にも会えた。帰りはOSAMUさんの軽トラの荷台にアダムと二人乗って、夜風を切りながら帰宅。思いがけず楽しい夜。一人暮らしのアダムも、やはり一人の夜ばかりではさびしいような感じ。193センチ、足は23センチでも、息子みたいなもんだ。

2005年10月8日Saturdayくもり
ノーベル平和賞。
今年のノーベル平和賞が、国際原子力機関(IAEA)に贈られることになったそうだ。核廃絶に向けての努力は認めるが、本当の平和は核兵器を保持しないことだけではないと思う。
武力で解決するという、これはまあ動物の本能なのかもしれないが、そういうことを止めなければ駄目だ。言ってもわからんから殺してしまえ!と。必ずしも争いが無ければ平和ということにはつながらないかもしれないけれど、安定しているとか落ち着いているということにはなるだろう。
殺されたら殺し返せという憎しみの連鎖は断ち切れるはずだ。ノーベル平和賞で検索していたら、「憲法第9条」にこの賞をあげたらというような見出しにも出会った。憲法第9条を世界中の人たちに知ってもらうことも、9条を守る、堅持することへの方策となるかもしれない。佐藤栄作が平和賞を貰っているくらいだから、この賞自体を誰がどのようにして選考しているのかも不思議だ。佐藤栄作から続く自民党の親方が今の小泉だ。
平和のために軍隊というものは必ず必要なんだろうか?浅学の僕にはここのところがよくわかりません。
秋の八幡神社の祭典の花を付ける竹を取っておく約束をして、竹を切ってきたら、そのままひごに割りたくなった。午後3時頃までかかって約400本ほど仕上げた。何年かぶりに割って楽しかった。これのできる間は平和なのだと実感した。

2005年10月7日Friday晴れ
夕べは一年ぶりに先発完投。
夕食後部屋に戻るとアダムから、「イシダサン、ツギノシアイイツ?」と電話。「今夜だ」と応えると「OK」ということで10分ほどしてアパートに迎えに行き試合へ。
メンバーの出席が悪く、運悪く(良く)「投げるぞ!」と監督から言われ一年ぶりにピッチャー。まあ僕の場合は非力で球に重みもスピードも無いが、比較的コントロールがいいので、四球を出すことなくどんどん打ってもらう。結局バックがそれを守ってくれるというのが僕のパターン。
そのとおり夕べも打たれまくったがあいにくこちらが点を取れずに結果は負け。まあ、一年に一度投げたらそれでよし。美味しい酒をたくさん飲ませてもらって今朝。体が痛くなり始めるのは明日からだ。不思議だよな体の痛みが翌日には無くて一日間を置いてからじわじわくるという。これが壮年の体ということ。
不思議といえば、ソフトボールに行く前にちょうどパソコンが戻ってきて、「特別何も問題がなった」と。それで今朝も何も問題なし。一体なんだったんだろう、この一週間くらいの立ち上がりの不自然さは。
今日も朝から天気がいい。

2005年10月5日Wednesday
見出しを並べてみるだけでも面白い。
YAHOO!(フォー!)の見出しを並べる。
HG、腰の振り過ぎで腰痛に / 米会社員のズル休み増える / ロケットで空中F1レース計画 / 米被災市 職員半数を一時解雇 / 米国牛肉 12月にも輸入再開か / 19億円横領、女性17人に貢ぐ / 大学院教授 長男に刺され死亡...。まだまだ果てしなく続く。
今朝はどんよりと曇っていて暗かったので、いつまでも体が布団から抜け出ることができなかった。お勤めも電気を点けないと暗かった。
夕べの酒が残っていて、車で事故起こしたりすると酒気帯びなんだそうで、僕なんかはよほど気をつけなくちゃいけない。夜の酒が朝までに分解できないことのほうが圧倒的に多い。こんなのがもう20代後半から続いている。
ハード・ゲイの振りすぎで腰痛じゃないが、パソコンの立ち上がりに問題ありで、こちらも僕がハードに使いすぎなのかもしれない。しばらくお休みするかもしれません。そんときはBlogに書きます。
明日雨が止んだら、本栖湖の「クリーン大作戦」に参加します。楽しみです。もうきっと寒いくらいかもしれません。
※追記:
(20:00)YAHOO!から 9条は現行通り2項に 改憲草案で自民小委
 自民党新憲法起草委員会の安全保障・非常事態小委員会(委員長・福田康夫前官房長官)は5日午後、党本部で幹部会を開き、憲法9条部分は現行憲法と同じく2項構成とすることで一致した。
 起草委が8月に示した党憲法改正草案1次案は3項構成で、1項に平和主義、2項に「自衛軍」保持をそれぞれ明記し、3項で自衛軍の統制について定めていた。最終案では2項に3項を取り込む方向で調整する。
 1項については、現行憲法のままでいいとの意見と、平和主義の趣旨は変えずに文章を直すべきだとの意見に分かれた。自衛軍の呼称を「国防軍」に改めるべきだとの意見も出た。今後、幹部間で個別に議論を重ね、19日に開く委員会で最終調整する。(共同通信) - 10月5日19時39分更新

こんなことに驚いてちゃ先が持たないよ。深く、奥深く僕たちは慎重に事を考えて判断していこうね。NO!と、しっかり言える体と心を養っておこうね。

2005年10月4日Tuesday夜雨
夜になって雨。
雨も久しぶり。お昼過ぎには酷く暑くなったりもしたが、風が強い日で、今夜のソフトボールもあさってに延期。雨がつくってくれる冷たい風で、今夜はしらふで山岸潤史のファンキーなギターを聞いている。
午前中教育長と課長とで本庁に行き、町の総合計画策定のヒヤリング受ける。やはり合併してからも人口が減り続けている町では、なかなか話が続かない。ため息というか、行き詰ってしまうというのだろうか。僕自身は人が多かろうが少なかろうが一向に構わないが、住みたい気持ちがあってもこの町には住めないということがあるとしたら、少しでもいい環境になればよいと、一町民のように思う。行政マンとしての僕は失格です。
昼のチャイムで終わって支所に帰ってきたので、今日は歩けず。ソフトボールも前回は宿直だったので、今夜楽しみにしていたがこれもダメ。
Tomasz Stankoというポーランド生まれのトランペッター。そのQuartetの音聴き始めました。普段トランペットは聴かないけれど、結構この人はいいぞ。最近ECM系にもまた少し傾倒しつつあるんですが、秋の夜長はジャズが何よりだな。酒も欲しくなるが。

2005年10月3日Monday晴れ
イノシシが来ている。
池の縁の小石が敷いてある辺りを、「よくもまあ」と感心するくらい。よくこんなとこ掘るなって感じか。
本堂の下の山側も直線で掘ってある。目的のミミズは居たのか?見つけると次にまたそこを掘る習性のようだ。
習性というか、えさがそこに居るなら次に来た時にまたそこをあさるのは当たり前。僕がそこをスコップでまた埋め戻しても、ある朝にはまた掘り返されている。こんな箇所が家の周りにいくつもある。
国勢調査をして、僕の受け持ちは同じ集落の半分で、5年前も10年前も受け持った地元。猿はイノシシは増え続けているが、肝心の人間様が居なくなった。僕の受け持ち区域の世帯数は49。人口は126人だった。でも高齢者がおそらく8割くらいで、収入の伴う仕事をしていないので、調査項目も裏面の一番上で「ここまで」と終わりになる。小中学校生はこの中でたった5人しか居なかった。5年後はどうなっているのだろう。合併したこの町も、9月には人口17,000人を割った。
ところで。国勢調査への無関心や非協力的な現れが出ているようだ。個人情報保護を謳いながら、一方では個人情報を得ようとしているわけだから、拒否する側からすれば、国の行おうとすることが腑に落ちないような気分にはなってくるかもしれない。僕の調査区域はほとんど顔見知りの地元だし、調査自体にも無関心のところもあるが、拒否するような人はいない。仮に僕が見知らぬ区域を任されたら、これは配布・回収ともかなり苦労するのではないか。受け取ってからも、内容の仔細を見たら、記載漏れやつじつまあわせなどで再調査する必要が相当出てくるのではないかと思う。調査される側も調査員にとっても厳しい調査になっていることは確かなようだ。

2005年10月2日Sunday晴れ
国勢調査仕上げた。
休みの二日がかりで全部仕上げた。最近特に感じるのだけれど、細かい字が見えにくかったり、小さな字を書かなくてはいけないようなときにはっきりと文字が見えない。感じで書いてしまう。
これが老眼というものなのかと。それから書くという行為が少なくなってきたので、字を書いても、その字に確信が持てない。これは困ったものだ。国語辞典の字も虫眼鏡で無いと見えにくいし、棒が1本だったか?2本だったか?のような場合は、感覚だけの文字の見え方じゃ埒が明かないのだ。
秋になって歳を取るということの、もう後戻りできないことの寂しさをつくづく感じてしまう。さびしいっす。

2005年10月1日Saturday晴れ
国勢調査日和。
10月になった。今朝は冷えたなぁ。体に巻いた毛布一枚じゃもう寒い。毛布を弾くことは無い。
気は進まないが、やらなければならないという義務感にかられて国勢調査に。大体一発調査。何件かは事前に配ってあるが、聞き取りのほうが早いような高齢者世帯がほとんど。
午前と午後歩き、9割がた回収。伺ってまだ書いてありませんの家も含めて明日回収すれば、何とか期限よりだいぶ早く終わりそう。
今日は国勢調査のみでほかに書くことはなし。

2005年9月30日Friday晴れ
9月議会も今日で終わり、来月には定数どおりの議員選挙がある。 不祥事が続いてしまったので、意気消沈気味のだらだらとテメェたちの身分だけをのんびりと保障させる集団ではなかったか?
さっさと解散でもして禊を受けたほうがよかったものを。「解散すべき」なんて意見もあったと聞くが、太くのんびりとしたトグロノヨウナウンコみたいな議員ばかりだったのかもしれない。言い出せないなんて大人しいわね。怒るつもりも無い。議員なんてものは町であれ国政であれ似たようなものだ。
9月が終わり夏が終わる。明日はもう10月だ。稲刈りが進み、脱穀を待つ田の景だ。
歩くときに、よくブルーグラスを聴く。ブルーグラスのバンドもいくつか好みのものができた。夜のうちに明日聴きたいものをDLしたりする。ブルーグラスが秋の景色にもよく似合う。山峡の常葉の集落はお世辞にも明るく住み易そうなところとは言いがたい、と感じている。歩くにはいいところだ。線路もある。僕の今までの生活に線路は無かった。
ここでどのくらいの期間仕事をするかわからないが、多分忘れられない場所にはなる。

2005年9月29日Thursday晴れ
長谷川きよしの秋。 夕べは『喜田』で久しぶり。お母さんもすこぶる元気。「島美人」を暴飲。バク呑み。はっきり言って、ことの始終をよく覚えていない。蛸刺しが旨かったなぁ。ピンで来ていたきれいな姉さんも「島美人」。仕事のことなども、だらだらと切れの悪いウンコのように僕は続けてしまう。
迎えに来てもらった『喜田』のママの車には
長谷川きよしが流れていた。暮れはじめた寺沢川を上りながら、彼の「歩きつづけて」のなかに、“新しい秋のドレスも、作らなくてはならないし”という一節があったなと思い出した。秋にはシャンソンもいいな。ということで、今夜は長谷川きよしを聴いています。93年に出た「アコンテッシ」とい
うアルバムは名盤です。これは僕のとても大切なアルバムの1枚です。もし縁があったら聴いてみてください。必ず満足のいく1枚になります。
今日はとても暑い日で、歩いたら汗をかきました。体内の酒が少し浄化されたような気分になりました。野に煙が立っていて、これは秋のとても好きな風景。この煙を立てていた人はM井さんといい、僕の高校の2年先輩で、曹洞宗のお寺の住職をしています。道上から下の田んぼを見下ろしたら、剃りあげた彼の頭がきらきらと光っていました。さすがにカメラに収めることはできませんでした。(^0_0^)

2005年9月27日Tuesday晴れ
パンツを穿かない猿より見劣りするって、可笑しくねぇ? Neville Brothersのことを昨日書いたが、Arlon Nevilleの息子のIvan Neville(key)が、9月24日テキサスでの「Austin City Limits 2005 Music Festival」のRobert Randolph & The Family Bandのステージにゲストで1曲参加していて、「ニューオリンズ....。」なんて言葉が聞きとれたので、きっとハリケーンによる災害復興のことをアピールしていたのかもしれない。それから、昨日聴いていたNeville Brothersの8月25日のニューヨークでのLive音源のライナーに記されていたMakuni Fukuda(g)が気になったので検索したら、福田眞國という日本人ギタリストでした。Bo Dollis & The Wild Magnoliasでも、山岸潤史がギンギンに弾きまくっているしなぁ。アメリカはこういうところじゃ実力次第で懐が深いんだよなぁ。それから、ザ・ワイルド・マグノリアスのサイトにも、彼らメンバーが無事であることや復興のために動き始めていることなどが報告されていた。
ピストル手に入れて、試し打ちしたくて無関係な市民に発砲するなんて低脳なことやっているようじゃ恥ずかしい。まだまだ、この国じゃ銃を持つ必要なんてないんだし、持っても大人のおもちゃでしかない。こんなニュースばかりが連鎖反応のように繰り返し繰り返し報道される。こんなことってパンツを穿いていない猿にも、見劣りのする行為だと思う。

2005年9月26日Monday晴れ
ネヴィル・ブラザーズ。 歩きながら今日聞いたネヴィル・ブラザーズの「Besame Mucho」のインストナンバーはかっこよかったな。
下部小学校は昨日が運動会だったので休み。天高く静かにお休み。学校のある日だって、とくに校舎から声が外に漏れてくるわけでもないが、誰も居ない校舎だってことがなんとなくわかる。教室の外の金網の柵ところに作ってあるプチトマトは完熟だが、誰ももう見向きもしないのかぐったりとしている。
常葉川に架かる橋の上は、川下から風が上がってきて、冷たくて気持ちよかった。ネヴィル・ブラザーズのFunkyなサウンドに、思わず駆け出したいような気分になった。
訪ねたバンドのHPは、ハリケーンによる甚大な被害を救済するために出かけますと、「Aaron, Art, Charles and Cyril 」の連名でコメントが掲載され閉鎖されていた。元の町への早期復興を祈ります。

2005年9月25日Sunday晴れ
護摩焚いて、もうじき衣替え。 終わってみれば、結局今場所も朝青龍が優勝してしまったのね。強いといえば確かに強い。まあ、そんなに相撲を楽しみにして見ているわけじゃないけど、おそらく幕内力士の中でも頭抜けた強さだね。本割の大関の栃東戦なんか、フットボール選手のように左肩一発下から突き上げて、栃東は足くだけとなり、立会いの瞬時に決着がついた。優勝決定戦はもう彼の自身に勝るものは無くあっさりと終わった。どうだ!といわんばかりに引き上げていく朝青龍。彼の不敵な面構えはしかし、どうにも好きになれない。華がないというか。礼に始まり礼に終わるという格闘技の相撲道からは程遠い感覚だ。もっとも、モンゴル出身の彼に、これを求めることや、これを確かに伝えるということのほうが難しいことかもしれない。「勝ちゃいいんでしょ。」みたいな感覚は、いまのこの国の若者には当たり前のことだ。
今日一組の夫婦が寺に来て一座の護摩を焚いた。奥さんは12月に出産予定という。弱い心同士であったり、二人で相携えあわなければ、スキ・スキ・スキだけでは家庭を築いていくことはできない。互いを信じることもこれは、夫婦にとっての礼だと思った。相手を思いやって深く信ずるということは、やがて少しずつ形をなしていく何かだということを僕も感じた。護摩のあとに、ご夫婦が並んで僕の前に座り、奥さんは優しくそのお腹の中の命を愛おしみ撫でる姿は、汗びっしょりの衣の中にも涼しくさわやかな風をくれた。

2005年9月24日Saturdayくもり
アメリカにはまたハリケーンが。 今度は「リタ」という呼称のようだ。いったい誰が命名しているのか?こちらは台風17号の影響が有るのか無いのかわからないような天候。
明日は小学校と地区の運動会なので、何とか雨が落ちない程度の天気であればいいと思うが。彼岸も日曜に墓参に来る人が多いと思うので、僕自身も晴れていて欲しい。
朝少し降りはじめて、昼前には止んでいたので、お昼ご飯の後、裏の庭の苅草を片付ける。枯れた竹も何本か切って始末する。側溝もきれいにしてこれで雨が降っても大丈夫。やれるときにやってしまわなければまた一週先になったりする。
のんびりとゆったりと一日が終わる。昨日寺に来たおばさんたちは、「少し、でも雨が欲しいね」なんて言っていたので、今日の雨はどうだったんでしょう作物には。畑を湿らす程度の雨にはなったんだろうか。

2005年9月23日Friday晴れ
彼岸中日。 午前中裏の庭の草刈り。去年ここでスズメバチに刺されたので、竹やぶ周辺は少し腰が引けたが慎重にこなす。明日から日曜にかけて天候が崩れそうな感じなので、刈っちまってよかった。
午後1時半から客殿にて彼岸の法要する。にち、に...ろく人、女房も入れて7人の参加。「光明真言」の次第に沿ってはじめる。和讃も含めて最後に焼香をしてもらって終了。法話をしてからお茶。暑かったので、ペットボトルのお茶。2リットルのを女房が2本買ってきて、なんと把手付である。初めて見た。日本茶が売られ始めるようになってすっかりウーロン茶は影を潜めた。冷たい日本茶がとても美味しい。
茶菓を寺で用意したが、赤飯やお萩や漬物まで持ち寄ってくれた。高松さんと僕だけが男で、後はみな女性。話しが次から次へ渡り歩く。笑ったり、思い出して泣いたりする場面も。でもこれも正しい寺の在り方なんだな。寺を拠り所としてくれて正直にうれしい。
そう、彼岸のお参りの方も結構いました。寺がにぎやかになることは寺守の家族としては、心底うれしくなります。

2005年9月22日Thursdayくもり
今夜からパジャマは長ズボン。 明け方が冷え込む。夏掛けは、僕のは毛布になった。寝るときは暑いけど、朝起きる前の2時間ほどはこの毛布に全身を巻きつけなきゃいられない。網戸からの風も朝は冷たい。
お昼に歩く集落の風景も変わってきた。家に帰る道も日々暮ゆくのが早い。本堂の夕のお勤めはもう僕の帰宅時間には無理なので、女房に閉めてくれるように頼む。
僕がお昼を食べ終わって歩く時間に、給食時間の遅い中学生は、体育の授業でランニングをしていた。
明日は彼岸の中日。午後法要をする。さて、何人来てくれるでしょうか?

2005年9月21日Wednesday晴れ
今朝は左に曲がって職場に。 出かけようとして国道を見たら渋滞している。いつもと反対に左に折れて職場に向かう。朝通るのは初めてだったけど、そんなに時間的にも変わらない。ただ山道で狭いので対向車とすれ違うのはいやだ。
稲刈りの終わった田には、すずめを見張る案山子。下部小学校の校庭では運動会の練習が行われていた。台風が来ているというけれど、週末の天気がちょっと心配。
小泉内閣が再びスタート。民主党党首も若干43歳の、自民党員と恐らく何も変わらないような考えの持ち主が就任。憲法改正への道をすでに模索し始めた。国民投票のことなんかが具体的になる。脳天気な国でいて欲しい。

2005年9月20日Tuesday晴れ
彼岸の入り。 夏休みの最後の一日。4連休もいいものだ。彼岸である。朝のお勤めと朝食を済ませ、寺の墓地と無縁墓地、それから遠方から頼まれた塔婆などもって墓地で経をあげる。今朝はいつもより涼しかった。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。
少し休んでから気になっていた苅草の残りを燃し、刈り残しの箇所をきれいにする。墓地に何人かお参りに来ていた。角屋の夫婦と小林さんが、老人クラブで墓参に来ていたのだ。これも友愛訪問の活動のひとつ。社協から助成があります。入院中でお墓に参れない会員の墓地などを掃除して線香を上げる。僕も、八王子から頼まれて塔婆を建てた墓地に行って写真を撮って報告のはがきを書いた。
ここが長しえの棲家になるのだから、できる限りきれいに居心地よくしてあげたいと思う。
僕は、彼岸とか盆とかに掲示板に少し貼紙をします。秋の彼岸はこんな内容のものです。クリック。

2005年9月19日Monday晴れ
十六夜の月少し曇って中天にあり。 雇われ導師の日。出掛け前に、彼岸の塔婆を5本書き、来週くる護摩祈願の方のお札も。とてもいい天気。今日は敬老の日ということだが、なんだかあまりそんな実感が無い。「第3月曜が敬老の日よ」なんてお仕着せには慣れてはこない。
午後1時からの葬儀だが、まったく面識の無い方の葬儀だし、斎場の使い勝手も予め調べておく必要もあるので、10時過ぎに家を出る。ヤマダ電機でCD-R買う。斎場に着いて「樒(シキミ)を一枝ご用意いただけますか」と言うが、無理だといわれ、仕方なく菊で代用することにする。柄香呂の代わりにしたかった。喪主に名刺を渡し、「粗相の無いよう一生懸命に勤めます」と決意を述べる。先方もこちらの一言で、「よろしくお願いします」ときた。これで大丈夫。脇を固めてくれるのは、明王寺の標さんと、葬儀をご一緒するにははじめての行蔵院の壬生さん。もう今日は最強のメンバーなので、こちらはのんびりと構えて時間を待つ。夕べの通夜でちょっとしたトラブルがあったということなので、施主にも気を使い、序切りを二人にもしてもらう。通常全員でソロパートを受け持つことは無いが、今日は特別。
こちらも気持ちよく葬儀を終えて、施主にも及第点をいただくことができた。感謝、感謝。初七日も無事こなし、午後4時半帰宅。明日からの彼岸のための準備をして、飲めなかったので、「お疲れ様ビール」する。明日も休みなので、僕は特別に酔っ払いの酒をこれからもう少し飲む。

2005年9月18日Sunday晴れ
もうたくさん飲んだので寝る。 書くことは私事に終始しているので、今日も草刈りであったとしか書けない。
今日一日かかって墓地の草刈りと掃除を終えた。蜂に刺されることもなく無事に。
娘と買い物に出かけていた女房が午後3時半頃墓地に来て「蜂に刺されているんじゃないかと思った」と、もう仕舞ってくださいと呼びにきた。ちょうどもう僕も終わりのときだった。
シャワーを浴びて、明日の頼まれ葬儀の次第を作り、諷誦文も考える。そうだ頼まれているってのは、気楽に考えていいことではなくて、本来葬儀をすべき寺に恥ずかしくないような葬儀をしなければいけないのだった。肝に銘じてまじめに取り組む。明日も何とかこれで乗り切れそう。
飲んでも飲んでも体の渇きが癒されなくて、いただき物の発泡酒やら第3のビールやら6本も飲んでしまった。
体が痛くなっている。年には勝てない49間近である。

2005年9月17日Saturday晴れ
墓地の草刈りは一日では終わらなかった。 明日半日くらいやらないととても終わりそうにない。裏の池の周りまで手をつければ一日になってしまいそうだ。
一人の宿直明けで飯を食ってから、消防で履いていた安全靴を久しぶりに履いて草刈り。少し荒れた竹やぶの中の窪みや竹の切り株も、この靴なら全く足元を気にせずに作業できた。やっぱりしっかりとしたものを身に着けたり使うということだなと感じた。
宿直は一人が気楽でいい。金曜の夜で8時ごろには全員退庁したので、後は音楽聞きながら国勢調査の準備作業を2時間ほど。朝も4時半ごろに目が覚めたので、音大きくして渋さ知らズ流しっぱなしでもう一度寝た。何もなければ後輩に弁当や酒奢るなどの出費もなくてよろしいのではないか。初めての感想。
草刈りを始めてまもなく、甲府の知り合いのお寺から電話があり、家人曰く「4年だか5年ぶりにお葬式があれば、同じ日に葬儀が重なり」ということで、ひとつの葬儀を僕に導師を頼みたいとのこと。先輩方も居られるのでそちらを当たってみてはどうでしょうか、助法ならばしますけど」と一度は断るが、お前でいいということで引き受けることにする。
頼まれ導師なので、ホール葬の1時間を何とか乗り切ればいいのだろう。戒名をつけることもいらないので、次第を考えていけばいいいとのことだ。火曜日を最後の夏休みにしておいてよかったな。

2005年9月16日Friday晴れ
幸せであれば幸せすぎて怖いという。 幸せの絶頂期にあれば、それが崩れるときが来るのではないか、いつまでこのときを持ち続けられるのだろうかと先行する不安にさいなまれたりする。
「護摩を焚いてほしい」というお話があった。幸せの延長に起こる不安は、誰かにすがってそれを何とか食い止めたいということなのか?でも崩れるとは、その人の心にしか宿ってはいないし、崩れることはないかもしれない。
愚かな生き物で弱い生き物なのだ。愚の骨頂という。
互いを思いやる心が大切なのだと思う。
今夜はこれから宿直である。9月から本庁者での宿直も一人体制になり、今夜がはじめて。何も起こらないことを願うのみ。国勢調査の準備でもするか。

2005年9月15日Thursdayくもり
「LEFT ALONE」。 鳩打隧道の出口手前の暗い坑内で内藤君の車と行き会う。「CD、サンキュ」と分かれる。トンネルを出て下りにかかったところで、MAL WALDRONの「LEFT ALONE」が流れ始めた。一昨日棚のMDラックから何年か前に、St.GIGAからエア・チェックしたスタンダードを集めた企画物のアルバムがあったので聞き始めた。MDのケースには、曲名の横に、デジカメで小学生の娘を撮ったシールが貼ってあった。
坂を下り、身延線の単線路を越え、常葉川沿いに支所へと走る。JACKIE McLEANのalto saxは、ここで改めてコメントするのもおこがましい。ビリー・ホリディの専属ピアニストだったマルの、彼女への追悼アルバム。普段はもう、ほとんど聴くことのないスタンダードに、今朝は体が震え、センチメンタルに心が濡れた。
出勤前に、頼まれた彼岸の供養塔婆を4本書いた。書くことによって故人を思い出すこともよくある。言葉がなく
ても僕と死者との対話はあるのだと感じている。残された者の近況を、塔婆をしたためながら語れば、うなずく姿や、困惑する姿や、あの世から手を合わせていただける姿などが見えてくる。ビリー・ホリディに独り残されたマルも、数年前に他界したけれど、「LEFT ALONE」は永遠の“いのち”をもった。
お昼の散歩で涼む子猫を取りました。

2005年9月14日Wednesday晴れ
秋風にデビッド・マレイ。 小泉内閣ほど中途半端にやり散らかし放題のままにしている内閣は過去に例がない、とある人が書いていた。なるほどなと。拉致問題然り、イラク派兵然り、道路公団然り。
“歌って踊って民青”や、♪民営化、ミンエイカー♪とバイオリン演歌師の亜蝉坊じゃないんだからね(あっ?でも亜蝉坊は、小泉とは大違い)。やったら花火ばっか打ち上げたくて、鼻真っ赤にしてヒヒの形相。ヒヒ奮迅とはこのこと。
『敵をこしらえて、分かりやすい言葉で訴え、情緒的に流される大衆の支持を勝ち取っていくやり方は、ファシズムの常套手段です。』とは、わが愛する同志Nからの手紙の一言(いちごん)。
でも、僕は本当は、こんな問題に体や頭を悩ませたくはない。超然と生きていたい。もし仮に、憲法が改悪されて、国家が戦争への道を歩み始めようとも、そんなことさえも一笑に付してしまうようなそんな求道者でありたいと思っている。

2005年9月13日Tuesday晴れ
不思議な風が体に流れた。 ちょうど町が合併して1年が過ぎた。
今朝、下部支所の入り口で、支所の宿直明けで帰宅する内藤君の車とすれ違った。互いに車の窓を開けて、特別に言葉も交わさなかったが、(「ごくろうさん」くらいは言ったか?)駐車してから不思議な風が体に流れた。きっと彼にも。
お互い役場勤めに入るときには、こんな状況は想像だにしなかった。もう間もなく、50歳と49歳になろうとしている僕たちの35年間の付き合いの歴史の中では、この出来事はとても大きいように感ずるが、哀しいかなもう僕たちは若くない。成人した子供があり、旧い大きな家や寺の中で生きていく時間は、決して安堵など供与してはくれない。「今夜ちょっと飲まない?」ってな訳にもいかなくなった。
話はそれるが、飲んで車を運転するのは日常だった。車で飲み屋に行けないなんてという気持ちが今でも根強くあって、それで外で飲むことはほとんどなくなった。送り迎えをしてもらって飲む酒は、実は本意ではない。
多分僕らは、音楽の好みや根幹を貫く思想的な部分で繋がっているので、フィーリングやお涙頂戴もので票を投じてしまう、浪花節の好きな当世風な人間ではない。今回の投票率の若干のアップや、結果として小泉指示を明らかにしてしまった結果には、若者票が大きく影響しているのだという。
いつまでも、結果に対してグジグジ愚痴をこぼしていても仕方がない。でも、自分にとっての本当のことをいつも冷静に判断しなければいけない。改憲の草案が具体的に法案として上程されたときに、僕たちにそれを「NO」と言える機会が与えられるのか?「郵政民営化の是非を問う選挙」の謳い文句の裏には、もっと大きなどす黒い塊があるってことを解っていた人間がいなかったということか?そんな馬鹿な!ちょっと落ち着いて判断すれば、こんなことぐらい解りそうなはず。残念だ。でも、少しだけ期待するとしたら、そのときになれば「そのときの民意の良心の風が吹く」だろうことを思いたい。

2005年9月12日Mondayくもり
目先のことだけで判断していると、後でしっぺ返しを食う。 これはもう結果だからどうしようもないことだが、まあ、この国の有権者たちの考えのお粗末なことといったら呆れてしまう。小泉の思う壺にずばりはまった。
思いがけなく速い展開で開票が終了し、家に帰ってきたのが午後10時45分。午後8時に投票所を閉めて、9時から開票が始まるが、テレビじゃもう大勢が判明している。出口調査やら最新機器を使って有権者の投じた票を読んでしまい、投票箱を開けなくてももう選挙結果が出てしまうのだ。これもなんだか不思議で、事務に関わる者としちゃぁ、やる気の失せる動きだよな。
風呂から出て、一人で「お疲れ様ビール」飲みながらテレビ見てると、ヒヒのようなお顔の小泉が映し出された。そうか、今回はライオンではなく「サルヂエ」だったのだ。
山梨じゃ、小泉に反旗の前職があがったが、刺客の3人も比例代表でしっかりと当選しているのだ。これもちょっとわかりにくい方式だな。どれもみんな小泉マジックだ。マジックブームの火付け役は小泉だったんだ。
結局事態は悪くなるばかりだ。この結果は、憲法改悪への賛成の意思表示であると取られても仕方のない結末でもある。
(21:05) 帰宅してズボンを脱ごうとしていたところにアダムからの電話。「イシダさん、クルマが動きません。」「今どこですか?」「COMAです。」「じゃ、今すぐに行きますから、待っていてください。」というわけで、バッテリーの上がってしまった車に、コードつないでエンジンかけてここまで持ち帰る。地元の高松自工に寄り、「明日の朝エンジンかからなかったら、面倒見てください」とお願いする。アダムを晩飯に呼ぶと、COMAで買ったロング缶6本背負ってくる。「ごち」になる。彼も「うまいうまい」と食物を流し込んで帰る。

2005年9月11日Sunday晴れ
朝焼け。 雲の隙間から朝焼けの朱が凛々しく見える。長い一日になる。
夕べ同志会の人たちと飲みながら、新潟の復興支援に8月の末から派遣されている清水君に電話をしたら、元気そうだったし、向こうも暑いと話してくれた。
彼が奥さんに託してくれた一升瓶を彼と話しながらみんなでコップ酒した。山古志という純米酒で、すーっと喉を落ちる酒で、「さすが新潟だな」とか思ってしまった。さて、支度にかからねば。

2005年9月10日Saturday晴れ
田舎じゃ、最後のお願いほどの熱もなく、候補者も回ってはこない。 カサンドラ・ウィルソンの95年「Montreal Jazz Festival」LIVE DVDをDL。彼女は若いと勝手に思っていた。ネットで今検索したら、CASSANDRA WILSON、ミシシッピー州ジャクソン生まれ (1955.12.4〜)である。じゃ、内藤君と同い年じゃん。もうすぐ50歳だ。でも10年前の映像だからちょうど39歳の夏で、ボーカルも容姿も共にセクシー。サポートメンバーは、エリック・ルイス(p)、ロニー・プラキシコ(b)に、美人ドラマー テリ・リン・キャリントン。
ジャズってのは時代に媚びずに古いものも新しい感覚で聴くことができるな。
午後のんびりしていると、川口市の遠藤保さんみえる。仕事仲間を連れて昨日からお姉さんのところに泊まっているのだといい寺に寄ってくれた。お不動さんをお開帳してあげる。お不動様も、9月の風を直にはじめて受けた。今日も残暑だった。
明日は朝6時過ぎからきっと曜日が変わる頃(変わってしまうかもしれないが)まで、選挙の事務にかかわらなければならない。早く体を休めなくちゃ。

2005年9月9日Friday晴れ
期日前投票事務。 午後8時に終了までに62人が来る。昨日78人とか聞いていたので、100人くらい予想したが、でも結構来たほうじゃないか。意外とこの期日前投票に来ているなという感想を持った。
こんなに遅くまで仕事したのはホントに久しぶり。8時に終わって投票録なんかを作って事務の引継ぎをして帰り道。真っ暗な夜の鳩打隧道はもっと久しぶり。車のライトに、早くも刈り取りが済んで稲穂の束の架けられたウシが映し出された。実りの秋だな。そういえば、栗の実なんかも行き帰りの山道に落ちている。今年は柿の実もたくさん生っている。山にも果実が豊富に実れば、猿たちも下りてこないかもしれない。(なんて甘くはないだろうが。)
Gary Mooreの♪Still Got The Blues♪が気持ちいい。
帰ってきて今夜は、滝本院さんから電話の後、行蔵院さんと電話で話す。山梨宗務所会議を計画するようにとの宗務所長のお達しらしい。行蔵院さんはお勤めが超多忙で、10月は土日が全部仕事なのだそうだ。うへぇ===!ッと驚いてしまった。

2005年9月8日Thursday晴れ
わたしが選挙カーです。安全第一に走っています。 常葉川は増水して、川っぷちの草がなぎ倒されていた。空はケロッと何もなかったように青く、とても機嫌よくしていた。黄色に変化し始めた田圃でも、強風により稲の倒れている箇所があった。歩いていると選挙カーのがなる声が聞こえてきて、しばらくすると民主党の候補者の選挙カーであった。「下部のことは、下部のことを一番よく分かっている者に託すのが…」とか言っていた。これも決まり文句だわ。僕は下部のことは知らないが、この候補はホントに下部のことがわかっているのだろうか?
期日前投票に訪れる人がうなぎ上りに増えているという。明日ここでこの事務に携わらなくちゃならない。週末に用事や計画のある人たちが多いのか、はたまた、各陣営で「早く投票に行かせて(連れていって)しまえ」と、指令を受けた人たちが高齢者なんかをピストン輸送しているのかもしれない、などと考える。
(20:20) アダムちゃんが15,000円返しに来る。缶ビール一本振舞う。つまみは乾き物。ちょうどニュースでニューオリンズの災害のことをやっていたので、彼と少し話す。晩飯がまだらしかったが、うちにも彼に出してあげられるものがなく、彼も今夜は早々に帰っていく。帰り際に、お盆に檀家さんからいただいたワインを1本持たせる。

2005年9月7日Wednesday
結局一日雨が降り続け。 テレビなんかで見る大家族だったら、3日も雨が続けば、それこそ家中に洗濯物があふれて、吊るしておく空間もなくなるだろう。張ったり、床に並べたりしてでも何とか乾いてくれと祈るだろう。
雨と風で窓を開けておくことができなくて、パソコンやビデオを見るのにも汗ばんだ、僕の今日の夏休み。午後5時半を過ぎて青空が覗いたので墓地まで見回りに行ってきた。なんとまだ雨が舞っている。墓地には草が伸び放題に生えてきていた。
最近は、平均に雨が降らなくて、ドカンと大災害を引き起こすような超大雨の降る傾向なのだと、いつかの新聞に書いてあったけど、今回の台風もまさにそれが当たっていた。家の建ち並ぶ住宅地を1メートル以上の水かさで雨が流れていく光景なんて僕には想像できないが、これが現実に起こっていて、河川の管理者は100年に一度の災害のための土手の設計なんてできませんと逃げるのだ。
でもこれも自然の変化として、普段雨がほとんど降らなくて、降るとなるとこんなドカ雨になることが当たり前になれば、100年に一度を想定した強固で高い堤を作る必要がある。
明日にはこの部屋からも、ケロッと青空が覗けるんだろうな。赤とんぼがスイッ、スイッと静止を繰り返しながら台風の過ぎた夕を飛んでいた。蝉が鳴きだしている。午後「方丈さん、サルがいっぱい出てるわ」と言いながら、雨の合間を縫って、佐田八代江さんが「昨日牛蒡掘ったから、キンピラ用にしてきた」と届けてくれた。もう2ヵ月半でご主人の一周忌だ。秋が深くなると、一人住まいのおばさんは寂しさが募るだろうな。

2005年9月6日Tuesday
台風はまだまだ影響があるようで。 山梨はそんなに雨が降っているわけでもないが、まだ明日も台風の影響があるらしい予報。僕は明日、寺を用心するため?に夏休みをとった。
今日定例の教育委員会も済み、とりあえずのやっつけ仕事もなくなった。明日休んでも大丈夫。あと2日夏休みが残っているので、もう、休めるときに休んだ者が勝ちだと、そんな感じ。
何も決めてないし、どこに行く宛てもない。雨が降ったらカタツムリ。

2005年9月5日Monday晴れ
電車止まらないかなぁと。 台風14号の影響か、朝から雨だ。「身延線も止まらないかなぁ。」と娘。僕も月曜の朝は腰が重い。
(18:12) ヤフー見たら、こんな見出し。「死者数千人残し、ジャズの都を去る住民たち」とは、ハリケーン「カトリーナ」で、市内の8割が冠水したニューオリンズのこと。ジャズの町から死者を残して50万人の市民が他所へ移ったのだ。災害も大きな国ではその規模が違う。ちなみに、8月の頭に来日したALTのアダムは、オハイオ州の出身で、そこは地震が起こることがなくて、お盆の頃何度かちょっと揺れたことがあったが、「初めての
地震体験で怖かった」と話してくれた。
「ジャズの都を去る住民たち」とは、もう飛びつきたくなるような見出しだよな。復興には何年もかかるというような予測が出ているようだけど、町の復興と住民たちが早く戻って生活が始まるよう祈りたい。

2005年9月4日Sunday
夕立あり。 肉体疲労で日曜の朝。腰や背中が痛い。二日酔いもなく5時過ぎには目が覚めてしまい、そのまま起きて勤行。今日はゆっくりと理趣経を一巻。日曜の朝はとても静かで、本堂も厳か。朝の冷たい空気で気持ちよく勤行。
新聞を読み、日曜のニュース番組を見て、午前中に護摩木作り。BGMは、渋さ知らズオーケストラの8月29日イタリアの「サルディーニャ・ジャズフェス」のlive。これは貴重。ヨーロッパでのツアーの音がここでももう聞けた。高岡君のブログを見ながら、渋さがヨーロッパの春から夏のジャズ・フェスを席捲した快挙を改めて思った。まだ終わってはいないようだが。
日差しを受けながら、鋸と鉈を使うだけで汗が背中を流れ、額から目じりを零れ落ちる。今日はどこからも草刈り機の音が聞こえてこないので、僕も爆音から自らを解放し、渋さの音を浴びながら昼前に護摩木作りはおしまい。
午後は寝転がりながらWOWWOWの映画とPC。午後4時くらいから一時間ほど夕立。すずしい。つくつく法師が鳴いている。

2005年9月3日Saturday晴れ
午前3時間、夕方1時間の草刈り。 よく草は伸びる。とても広いのでとても一日では刈りきれない。僕がこんなに広いところをほとんど一人で管理していると誰が想像しているでしょう。知らない人は「この人の家は何なんだ!」と思うに違いない。
頭を刈ってシャワーを浴びて、夕のお勤めをしてパット・メセニーを聞きながらこれを書いてしまってからビールでも。飲んでしまうと最近は書くのがとても億劫。パット・メセニーの流れる旋律が夕の風と絡み合いとてもいい感じだ。火照った体も少しずつ冷めてきた。
僕があまりパット・メセニーのことを書くものだから、内藤君がパットのDVDを早くコピーしてくれと催促してきた。彼にも役場勤めの後のビールの友に、早く動くパット・メセニーを届けてあげなくちゃ。
選挙カーも通らなくて割りと静かな一日で、久しぶりに腹の底から汗をかいた。その時だけの安っぽい言葉に惑わされてはいけない、という戒めの風が吹いている。遠方に住むKさん。お誕生日おめでとうございます。近くあっても遠くにあってもいい。直接でも間接的にでもいい。多くの知り合いからのパワーを今日もいただきました。乾杯!

2005年9月2日Friday晴れ
「結婚をしない理由なんて何もない」ことからの考察。 僕の周りには、地域や職場も含めて独身男性が多い。やはり長男というか、家の跡取りの立場にある人が圧倒的に多いので、ここから離れられなくて、家や先祖や親の面倒をみたりすることに拘束されてしまう。女性との縁がないこともないだろうけど、女性との縁が薄くなってしまうことの不利はあるように感ずる。(年を重ねるごとにそれがめんどくささに変化してくる)。
僕の大学時代の女友達は(岐阜の高山の子だが)、40近くまで結婚してなくて、或る時「なぜ結婚しないのだ、(結婚)するつもりがないのか」と問うと、あっさり「結婚しない理由なんて何もない」と返された。で、この女友達は、ここから3年位して、大学の1年後輩と結婚に至って、いま藤沢に住んでいる。
結婚しない(できない)男と相俟って、僕の中で気になる独身女性も地域や職場に両の指で数えるくらいいる。もちろん件の女友達のように、「理由なんてない」人もいるだろうが、高齢の親の面倒を止むに止まれぬ思いで、「私が看る」という行動を選択している人もいるようだ。この“家”というしがらみの中で苦しむことを、愚かなことだと一笑に付すこともできるが、僕自身も、寺にいま在る僕は肯定できても、その先は何も開けていないし、やはり不安だらけである。僕は僧侶であることへの執着というか、命尽きるときまで「坊さんでありたい」と思うが、寺への執着はない。千年の寺の歴史の中に、染みのようなもので、たまたま51代目の住職としてあるのみで、僕も僕の家族も、ましてや息子がこの寺を継いでいく責任など負わされてはいない。時代が変わり、地域に息づく人たちは変わっても、寺は凛としてここにあり続ければいい。変わらずにこの村を見守り、寺という現実の存在と、永遠にその使命で衆生に語りかけ、生き続ける宇宙の時間の中で時を刻めばいい。
うまく答えは出せないが、「自分自身の幸せを考えてもいいんだよ」とよく思うし、時々話す。「悔いを残さない」生き方をしなければ自分が可哀想だ。介護をされる側にも悔いが残る。互いを思いやる場面にだって、肉親であっても、互譲のルールが存在してもいいのじゃないか。僕たちが、いまの僕たちや親たちのことを未来に繋いでいくためには、精神的な愛の中に身を置きながらも、精神的エトランゼとなる必要もあるかもしれない。

2005年9月1日Thursday晴れ
今月も何とかがんばりましょう。 月の初めはまず臨時職員の賃金の支払伝票から始まる。だが、少しずる賢くなってきたので、あらかじめ今日の日付で伝票を作っておく。で、朝すぐに課長の机に伝票をゴソッと置くので、課長は「えっ?」というような顔をするかどうかわからないが、朝一でたくさんの伝票を積まれて、うんざり顔をするのである。まあ、僕ばかりでなく学校からあがってくる伝票など途切れることなく、実に伝票が多い。課長も大変である。めくら判で間違いでもあったら自己責任を感じることになるので、一枚一枚チェックすると、もうそれだけでお昼のチャイムになったり、終業のチャイムになったりする。
ホントに要領よくなったので、賃金伝票だけでなく、家賃や決まりごとの伝票はもうまとめて、できるだけ月初めに一度に切ってしまう。伝票を如何に早く打ち出すかに、ひそかな喜びを感じたりもしている。
9月に入り今日はとても暑かった。夕方家に帰ってこれを書いている僕の足や顔に9月の薮蚊がまとわり血を吸う。秋の蚊はとても痒い。
「あっ!あれは10月の町会議員選挙に出る人なんだろうか?」というような連れ立ったグループが、民家の塀の中に消えていくのが見えた。これもまた大変なしんどい動きだ。ひたすら頭を下げる。でも時代が変わっていくのだから、この戸別訪問や旧態依然とした在り方には疑問を感じるな。
この日記のソフトの月の初めには、「今月最初の日記ですね。今月もがんばりましょう!」というコメントが表示される。どうも最近書くことが億劫気味なので、今月はがんばりたいと思います。
夕暮れ間近な空を、とんびが羽を広げたままゆっくりと流れていきました。

2005年8月31日Wednesdayくもり
期日前投票に下部支所に来た人は、午後5時現在で二人だけといっていました。 雨があったり、薄曇りの一日。昼休みに歩くと蒸し暑くて、支所に戻ると汗が湧いた。国際理解教育という、小学校の英語教育の事業を担当する英語の指導者の面接をした。とても穏やかな語り口で好感が持てた。7月で首にしたの奴は、あまりにもだらしなくて自分勝手で、言い訳だけに終始した。
英語を小学生がどれだけ理解するかどうかは分からないけれど、彼らがまじめに真剣に、約束を守りながら接する姿勢が、見かけの違う異国の人に対しても、根底にあるものは同じだなとか、いい先生だなと思ってもらえることが一番じゃないかと思う。
大人と子供の間にも、信頼関係の系図はあるのだ。

2005年8月30日Tuesday晴れ
日暮れも早く涼しくなった。 昨日も女房と話したし、今日は仕事からの帰り、一色の峠を越えて帰ってくるのに、「ずいぶんと日が短くなったなぁ」と感じた。8月はまだ明日まであるというのに、夕暮れをこんなにも早くなったと感じてしまう。自分の人生の日暮れが進んでいるから余計こんなことを感じてしまうんだろうか?
暑さも峠を越して、朝方なんぞは冷たく外気を感じる。夏掛けの一枚を跳ね除けていたつい先日までが嘘のように、体にその薄衣を巻きつけて夜明け前の起きるまでの時間を惜しんでいる。
Cannonball Adderley Quintetの1972年のlive。30年以上前のプレイだけれどとても熱い。降り始めた外の雨が作る風の冷たさと相まって、キャノンボールというニックネームの男のaltoが、「もう一本缶ビール飲んだら?」と暗黒の誘いをしてくる。

2005年8月29日Monday晴れ
夏休みでも暑くてぐったり。 午前中甲府へ行き、コジマとマイクロシティ。それからヴァードランドで漁るも欲しいCDナシ。一風堂の廉価版一枚のみ600円にて買う。
特に日本のものは新作が3,000円とかするので、ほとんど買わない。あとはAmazonばかりだ。live音源はそれこそ湯水の流しっぱなしのようにネット上に公開されているので、ストーンズの8月21日のBostonでのliveでさえもう落として聞けている。まあすべてが録音状態良好A+という訳でもないが、Rolling Stonesの3年振りのワールド・ツアー "A Bigger Bang Tour" のスタートの初日の音源が、この山梨の田舎にいてもDLして盤に焼いて手に入れられるって事実が凄いことに思えちゃう。
残暑に負けてなんかいられねぇさって、ミックから叱責されたような気分になる。
明日から衆院選の始まり。全く興味なし。近いところでは新しい町の町議選が10月の末にある。旧町ごとの小選挙区の選挙になるが、議員数が減ったことにより、5人しか当選できないので、旧い町の中でもそれぞれ選挙に向けた戦略が始まっているようだ。明日は仕事に行かなくちゃな。

2005年8月26日Friday晴れ
台風が過ぎて秋の空が覗いた。 田の稲も実りの季節を迎えようとしている。汗をかきながら昼休みを歩いた。空が高く見えた。秋の空に変わりつつある。
今夜は軽く飲み会なので。

2005年8月25日Thursdayくもり
台風が来ている。 今日の午後あたりから本格的に降り始める予想のようだが。今はまだ静かに曇っている。
涼しい。夕べご飯時に電話で焼肉に誘われて、また飲んじまったので、二日酔いの火照った体にはこの冷気が気持ちいい。
川口家からの焼酎を一本お土産にいただいて帰ってきた。
息子が短い帰省をして、もう今日は戻るという。互いにそれぞれの生活があり、大学生の彼のことは彼に任せるしかない。次はきっと暮から正月になり、成人式には出ないつもりだという。
町が少し大きくなったので、公私にいろんな人と会うことが多くなった。はっとすることやめんどくせぇなと思うことなど多彩である。身延の給食センターに用事で電話したら、藤田さんという女性が出て、用件を伝えた後に、「幼馴染である」と告げられたが、トンと思い浮かばない。
名前や顔を覚えるのがとても苦手。

2005年8月22日Monday晴れ
議員なんて。 議会の議員なんて自己顕示欲の塊みたいなものだから、目立ちゃいいってもんだと常日頃考えているのだろう。
「新党の名前は、ニッポン!」ですなんて、とても平常心では聞いていられない。僕は大体、最近じゃ「ニッポン」という呼称すら悪寒が走る。
うちの町を眺めると、一昨日酒気帯びで捕まった議員が、今朝の新聞では責任を取るとのことのようで辞職になるのだろう。わずか2ヶ月足らずで4人の議員が不祥事で辞職したことになる。こんなのはあまり例がないんじゃないか。
結局中身が伴っていないのね、きっと。目立てばいいってもんじゃないだろう。新しい町を片方で支えて築いていく側が、自らの欲に溺れて足場を崩していってしまうなんて。
だいぶ涼しくなってきたし、日の暮れも早くなってきた。毎年の繰り返しだけれど、季節は正直だ。正直に生きることを範としたいと思う。自戒も込めてね。

2005年8月20日Saturday晴れ
帰ってきて今日は休日。高校野球決勝戦も熱い。 鴨川も山梨もどっちも暑い。のんびりとダラダラとPCに向かったり、本読んだり、テレビ見たり。
鴨川二日目の中学生の交流会で、初めて鴨川シーワールドに行く。シャチのショーなんかを見たり、水槽の中を泳ぐ小さなものから大きなものまで、こちらも結構楽しめた。海には赤潮が来ていて、夜その赤潮が緑色に発行する光景はとても神秘的で美しかった。
民宿の奥さんは、ご主人が入院していて、僕らの宿泊を終えて宿を閉めるということだった。ビールもどんどん飲んでくださいとのことだったが、そんなにも甘えていられないと思いながらも3本いただいた。
夕べ風呂に入りながら改めて鏡を覗き込んだら、腕も顔もだいぶ陽に焼けていた。でも海辺の暑さは体力を奪い取る。
2日間とも朝5時に起きて、海岸線の歩道をたっぷりと1時間半ほど歩いた。きっと5キロから6キロくらい。潮の引いた岩場に下りて蟹を見つけたりしながら朝の海を楽しんだ。海が果てしなくあって、漁船が遠く見え、潮風と波の音と、少しの生臭さが僕の海の印象。でもやっぱり山の子なのだ撲は。
迎えてくれた鴨川市の教育委員会の皆さんに感謝です。至れり尽くせりでした。

2005年8月19日Friday晴れ
鴨川市から帰宅。 海の町も大変に残暑が厳しかった。海でだいぶ陽に焼けた。潮風に当たった腕はなんだか潮の香りを含んでいるようにべとついて、僕にはそれを心地よく受け入れることはできなくて、どちらかというと不快に感じてしまった。
でも、鴨川の教育委員会の皆さん総出で僕たち一行を歓迎して迎えてくれ、昨日一日と、今日の半日を付き合い何かと便宜を図ってくださった。感謝感謝。
一行無事に夕刻5時半に帰宅。家も暑い。ビールと焼酎。今夜はゆっくりと家の枕。\

2005年8月16日Tuesday晴れ
今日は勤め。 盆も今日で終わり。13日14日で棚経を済ませ、昨日の午後は護持会の総会。午後2時前にちょうど激しい雨が降り始め、30分ほどでやんだ後はまた茹だるような暑さが戻る。
アダムも合羽を着てびしょ濡れになりながらやってくる。
こちらも衣の下は滝のような汗が体中を伝い落ちるのがわかる。特別な議題もなく法要と合わせて50分ほどで会を終え後は飲み会。ビールが進む。焼酎のウーロン茶割りも。こちらはいささかの飲み続けでちょっと辛い。
今日も暑くなりそう。明日からは鴨川行きである。
戦後60年のNHKの靖国問題などを夕べだらりと見ていた。僕はでも靖国には行かない。神社側もA級戦犯だけを別に移すことはできない相談だといっているようである。ただ祀られたくない権利だってあっていいじゃないかと思う。

2005年8月14日Sunday晴れ
約160キロを走り一日終わる。 朝7時40分に家を出て午後5時過ぎに帰宅。順調にいった感じ。車で160キロを走った。
家を出てまず富士ヶ嶺に向かい、本栖湖ではっきりしないが富士山を撮る。今朝はちょっと涼しいといった感じだったが、富士ヶ嶺は秋を感じさせるような気温と風景の中にもそれを感じた。
精進湖線を下り市川大門から甲府へ。檀家でもあるいとこの家で缶ビール1本とタイカレー。汗カレーの辛さに汗が吹き出て、これがまた快感。快汗。2時半ごろに中富に戻り、最後の後山で第3のビール2本。
結構疲れている。年だなぁとつくづく思えてしまう。もう若くは決してなれないし戻れないのだ。こんなことってあるか!と怒ってみても仕方がない。これはこれとして納得しながら今の生活を続けていかなければならないのだ。
火照った体を癒してくれる夕立が少し来た。広場には今夜の盆のお祭りの支度がされている。降らなければいいが。
ゆっくり眠りたいよ。

2005年8月13日Saturday晴れ夕立
棚経始まる。 午後から棚経。今日は村内を。2時過ぎに雨が降り始め、急遽寺に自転車を戻し、傘さして歩きで。
蒸し暑く汗びっしょりのべとべと。なんともやりきれない道中。なんと刺身で歓待してくれる檀家もあり、これはこちらも断ることなく美味しくビールと一緒にいただく。至福至福。
着物着て汗で重くて、ビール飲んだ体はなおさら重く、結構疲れる。車で午後5時に一軒片付けて今日はおしまい。発泡酒2本飲んで風呂に入ったら、公会堂から声が聞こえてきたので、同志会の諸君にぶどう酒差し入れてこちらもまたいただき、今午後10時30分間近。明日は8時発。
何百キロと走ります。雨さえなければそれでよし。

2005年8月12日Friday晴れ
パット・メセニー。 パット・メセニー、!フォー!!!なんてハードゲイのように叫びたくなるような映像をなんと一昼夜でゲット。
ベリー・エキサイティング。今年の初めから、彼の“THE WAY UP”ツアーの音源なんかはもう10公演くらいDLしたし、勿論このCDも買って、今年のパットは最高だなぁなんて思っていた。
でも悲しいかな、日本公演もあったけど、ここから彼を聴きにいくことはできなかったし、そんな時間的な余裕は今の僕にはない。そしたら、なんと一昨日“EzTorrent”に、7月10日のMontreal Jazz Fes.のDVD映像がアップされているではないか。飛びつきました、食いつきました。若い可愛い女の子の胸に飛びつきたくなるような親父の感じとは違うけど、吸い付いた。そしたら、世界中のパットのファンが吸い付いていたので、あっという間の一昼夜みたいな感じでDLできてしまった。
今日は午後休んでお盆の準備をしたけど、雨が降って、墓地への盆旗の飾りは明日にしたけど、竹をとったりして汗びっしょり。
パットのライブを見ながら発泡酒。最高だね。7人編成だけれど、無駄がない。ここに尽きます。とにかくいい。

2005年8月11日Thursday晴れ
夜になって雨。風呂上りに冷たい風気持ちいい。 網戸から入る雨の湿りを含んだ夜の風が生き返らせてくれるかのように気持ちいい。今日も一日暑かったよ。
終業の30分ほど前に、ALTのキム先生のアパートを訪ねる。タイミングよく在宅。甲府のオリエンテーションから戻ったばかりなのか、汗をびっしょりとかいているシャツのまま入れてくれた。
届いた健康保険証(カード)と年金手帳を渡す。ヤフー翻訳で訳したのをそのままプリントして持ってきたので、それを彼に見せ顔を覗き込む。OKのサインが出た。ほっ^^;。
県営住宅の管理人さんに「燃える物と燃えない物と一緒くたに出してあるので困る」と言われていたので、ゴミ袋を持参して、可燃ごみの袋、缶の袋、ビンの袋、瀬戸物などの袋を示しながら、ごみ収集のカレンダーの絵を見せながら伝える。缶、ビンは、アルミとスチール、ビンは透明ビン、茶ビン、その他ビンとそれぞれ袋を分けて入れておくことも伝える。これもほぼOK。こちらも汗だくだ。
甲府から帰った彼は、バッグから駅からの帰りに仕入れたのであろう「アサヒの缶ビール」を、ちょっと待てと言って冷蔵庫に仕舞う。流しの下の扉を開いて見せてくれたので覗くと、もうビールの空き缶が30本くらい並んでいた。「これでやっとゴミに出せるな」と少し安堵する。
4人のALTの関わりが落ち着かない。今日の昼過ぎに外から帰ると、国際課から電話の伝言とメールが入っていた。ALTの2泊3日のオリエンテーションで宿泊したホテルで、「ホテルが困るくらいの数の浴衣がなくなっています。各受け入れ先の担当で、帰宅したALTに連絡とって、浴衣を持ち帰っていないか確認するように」と。ふー(*_*;とため息が出た。「ここまで俺が対応しなきゃいかんのかと」。キムを支所に連れてきて、パソコンでヤフー翻訳を使いながら会話する。彼は持ち帰ってはいなかった。彼と同部屋だったサチも大丈夫とのこと。帰りにアダムのアパートにより、保険証・年金手帳を渡しながら、彼にも問う。(彼は日本語でも大丈夫なのだ)笑って「持ってきていない」と。まあわかるね。帰ってから女房に話すと、「アダムは195センチもあるんだから浴衣持って帰ってもきっと仕方ないよ」と。ごもっとも。
こんな風にわが一日は終焉となり、発泡酒2本で今夜はおしまい。マイケル・ブレッカーの最新DVD観てから風呂に入って、あっという間に30分近く書いてしまった。終わり>!

2005年8月10日Wednesday晴れ
猛暑続く。 暑くて毎晩、アサヒ本生アクアブルーを3つから4つくらいいってしまう。今夜もそう。
今朝は出勤前に墓地の苅草を燃す。帰ってからも1時間ほど仕事。夕暮れの墓地に行くと、中沢川公園にモンベルのテントが3張りだったか。「キャンプかぁ、いいなぁ」と草と格闘していると、プップーとクラクション。見ると役場の同僚。町営住宅の住人で今夜キャンプをするとのことだった。
今日は町内の学校に勤務する先生方に、合併した町を知ってもらおうという「教育研修センター」の企画があり、わが寺へも午後先生方が見えた。教育長も。30分ほど本堂で話をする。本堂の四方の扉を開放したら、ずいぶんと風が通って涼しかった。密教寺院を紹介する。午前の参加者より大分少なくなっていたらしいが、皆さん興味を持って僕の話や護摩のことなどを聞いてくれた。
お盆間近で、本堂の掃除もすることができたので、僕と女房にとってはちょっとありがたい企画だったかもしれない。
でも、暑い。風呂に入ってもう一本いくかもしれないなぁ。

2005年8月9日Tuesday晴れ
夜たくさん雨が降って一夜明け。 今日も暑くなる。暑さと仕事の煩雑さにすっかりこれを更新する気力が失せている。書かないことは楽だ。
雨に洗われた木々と墓地を見回りに少し歩いた。7月末に草刈りした墓地にもう気になるくらいの草が生え始めている。こういうのを無視できないから僕の気持ちは落ち着かない。
衆議院が解散して9月には選挙がある。選挙担当は夏休みも取っていられないのかもしれない。この町は合併しても、選挙区をふたつ抱えている。
ツトム・ヤマシタの「GO」3作がやっとCD化された。待ってましたよ。
盆が来て、棚経をして、護持会の総会をして、鴨川市へ姉妹町の交流で2泊で出かける。来週末にならなければ落ち着かないかもしれない。英語指導助手を4名迎えたが、個々に関わり始めると果てない気がする。ごみの出し方をもう県営住宅の管理人から「教育委員会で指導してください」と指摘された。
車の名義変更、車が欲しい、ケータイが欲しいなどなど、尽きない欲望にとてもじゃないが言葉のわからない僕は、聞か猿になりたい気分。

2005年7月28日Thursday 晴れ
考え事をしていたら眠れなくて朝。
そして体力を底から根こそぎ奪っていきそうな暑さだ。
昨日は身延町が全国一の暑さだったとのことで、今日もそれに続くのかもしれない。
他人がそれを聞いたら、「なあんだそんなことぐらい」というのが悩みの種で、それを解決できなくて、相談もできなくて悶々としている。
爆発して仕事を蹴ってしまいそうなくらいの状態に陥っているというのが本音。持ちきれない重さの中にぷかぷかと浮かんでいます。あーあ。

2005年7月27日Wednesday 晴れ
台風過ぎて、快晴。
空の青と雨に洗われた緑の葉が美しいい朝。相当暑くなりそうな予感、というか6時半過ぎなのにかなり暑い。
早く起きて湿気を取るためにそこいら中の戸を開放した。台風の被害というものはここはほとんどない。
今日は新しい英語指導助手の第1便が一人来るので迎え。なかなか落ち着きません。それでここも滞りがち。

2005年7月24日Sunday 晴れ
また一人捕まってやがんの。
捕まった議員二人が辞職してこれでもって一件落着ってのが、双方の暗黙の取り決めみたいなものなのかもしれないと思っていたら、あらあら今朝の新聞でもう一人捕まりました。
どうせ10月には、合併後初めての選挙があるので、たとえば議会が責任を痛感して「総辞職」だったり「解散」しても、それはそれでいいんじゃないかと思ったりもする。
結局議員になりたい奴らなんて自己顕示欲の塊が息しているようなもので、特に最下位に位置する町の議員なんてものはそれの最たるものだという事がよくわかる。お馬鹿さんなのね。
肩書きが欲しいのか、先生と呼ばれたいのか、恐ろしいくらい低レベルな奴らのことなんかもうここに書くのはこれっきりにしたい!
昨日、牧丘のおじ・おばが桃を持ってきてくれた。一本の木になる桃の味は、上と下では大違いなんだそうだ。おじのところでは、日本一うまい葡萄を作っている。一昨日袋かけを終え、知り合いの桃農家から「今朝もぐので」という連絡を貰い、天辺の桃を選んでいただいてきたのだという。
僕はあまり果物を食べないので(食べるのがとても面倒なんです)、まだ食してはいないが、話だけで相当うまそうだ。
おじさんはもうひとつお土産にぶどう酒2本を持ってきてくれて、こっちがやはり一番。夕べはこれをペットボトルに小分けして冷やして飲みました。牧丘のぶどう酒一番。ラベルは貼ってあるが味が均一化されていないので、飲むまで甘口なのか辛口なのかわからないってのもなんとも飲み手の心をくすぐる。さて今日もうまい酒を飲むために汗をかく。

2005年7月22日Friday 晴れ
Pink Floyd。
7月2日にロンドンで行われた「LIVE 8」のピンク・フロイドとデイブ・マシューズ・バンドの映像を手に入れて、4時過ぎから見ている。
空があけてきて、今日も暑い一日になりそう。
Pink Floydがバンドとしてステージに立つなんてきっと、そのときまで誰もが信じられなかったのかもしれない。わずか25分足らずのステージだが、「Money」から「Wish You Were Here」へと続く場面は涙もん。
デビッド・ギルモアもロジャー・ウォータースも穏やかな表情で演奏している。深夜テレビを見ていたら、またロンドンで爆破事件があったのだと言っていた。
ただ、「Pink Floyd一夜だけの再結成。」に驚喜、歓喜して踊り狂うだけの聴衆だとしたら、そこに真の平和の神は降臨しないだろう。一人ひとりの心の内でそれを望まなければ、真に平和への思いは育たないだろう。くだらない御託かもしれないが、そんなことを考えさせられた映像。

2005年7月20日Wednesday 晴れ
朝っぱらから。
新聞の一面に「身延町議長を逮捕」の見出し。
夕べはニュースも見なかったし、職場でもこんなことの噂話さえ耳にすることはなかったので驚き。
少し心が動揺して外を眺めると、蝉の鳴き声が聞こえて、ケヤキの老体は泰然として在る。
これを朝夕ながめていればよし!ケヤキの老体と、不動明王と、この寺の境内すべての中に身を置いてさえいればこれでよし。すべてをお任せしますと言う気持ちになる。

2005年7月19日Tuesday 晴れ
ザ・ホワイト・ストライプス。
THE WHITE STRIPESというアメリカのジャック・ホワイト(vo.g), メグ・ホワイト(drs)姉弟の2人組のバンドがとても人気なのだそうな。
ミュージック・マガジンの評もよかったので、たまたま見つけたところで、DVDファイルをダウンロードした。姉弟バンドと言っても、ほかにメンバーは当然居るものと思っていたが、これがなんとたった二人きりなのである。
姉がドラムを叩き、弟はギターをかき鳴らす。ベーシストは居ない。二人だけで、で、この弟がかなりのテクニシャンで、ピアノも弾けば、ヴィブラフォンも奏で、フラットマンドリンまでも登場する。なるほどと、このビデオを息子に送ってやった。
JEFF BECK。60歳を過ぎたジェフ・ベック。僕の二十歳を「BLOW BY BLOW」と「WIRED」が吹き抜けたのはもう30年近く前だ。大学に行かずに中野駅前の「ディスク・オオツカ」というレコード屋でバイトをしていた時期がある。この店で僕はロックを知りたくさん聞いた。それまではフォークソング一辺倒だった。ジェフ・ベックはもちろん、レオンボーやJ.ガイルズ・バンド、キャメル、ロッドー・スチュアート、ロキシーやボウイも、それからオールマンやマーシャル・タッカー・バンド、ZZトップなんかのアメリカ南部のいかしたぶっちぎりサウンドにもどっぷりつかった。でもベックの「ワイアード」は特別に好きだった。いまでも時々それを聞く。
ジェフ・ベックは、クラプトンほど饒舌ではないが、僕の20歳をしっかりと抑えている。ベックが7月15日に東京国際フォーラムで行ったライブが、ネット上にもうアップされていた。飛びついた。半日をかけてDLして焼いた。僕の20歳がまた部屋に蘇った。くたばる前にジェフ・ベックの生を見ておきたいと思った。

2005年7月18日Monday 晴れ
連休も最後。梅雨明けになる。
一日護摩木づくり。朝からものすごく暑く、午前中の仕事を終えた時点で、アサヒ本生アクアブルー。娘の作ったカレーの昼飯を食ってテレビ見ながらうとうと。女房に声かけられて朱印3枚書く。昼寝をすることもできないのか!!!!、この寺におっては。
眠気も覚めてしまって護摩木づくり再開。午後3時少し前まで。この後、3時半から法事。着物を着ても暑くて汗ダラダラ。3連休も終わりが近づけば何かさびしいもの。
今週から月末までは、少し大変。内も外も。娘が夏休みになってくれるのでそこは少し安堵。もう少し飲みたいような気分でこれを書いているので、飲むかもしれません。そば焼酎。今夜も3連休に感謝しながら飲酒。

2005年7月17日Sunday 晴れ
買っちまいましたよ。
東芝ポータブルDVDプレーヤー。ジャパネットTで。
ダウンロードした音楽ライブ映像が30枚を超えた。特に北欧系のJAZZ映像は貴重です。
なぜポータブルかというと、ほんとは、録画できる奴を買えばいいんだろうけど、今僕は映像をBit Torrentで(時間はかかるけど)DLしているので、再生機能だけが欲しかった訳。これだと、テレビに接続すれば大きな画面でも見ることができるし、なかなか映像をじっくりと最後まで見ることができないので、宿直にも持っていけるかなぁと。
ネット上に公開されている音源や映像は、市販されているものでなかったり、国外のテレビを録画した映像だったりするので結構貴重なんです。頭爆発の上原ひろみなんかわずか15分足らずだけど、彼女の弾けるようなピアノプレイを目の当たりにできることでメチャいいです。
昨日は一日境内の環境整備。生垣の苅込やら草刈り。今日は新しい墓地を建立した大津のSさんとこの開眼供養。遠くから5人来てくださいました。帰った後に、従兄のTさんご夫婦何年かぶりに来寺。もう兄も50を越え、僕も50間近となりました。家族であるようでないような日常を送ってはいても、年を重ねてくると、懐かしいものです。夏の夜の(たった今吹いている)風のようにさわやかなお客様でした。
秘蔵の葡萄酒1本差し上げました。これは絶対うまい。僕は彼らが帰った後、DVDプレーヤーと発泡酒、焼酎でセッション。明日も休みなんて、夢のようです。ただただ、この3連休に感謝。

2005年7月15日Friday 晴れ
今日は暑くなりそうだ。
自信満々に朝から光り輝いている。暑い。汗が吹き出る。蝉も元気よく鳴いている。こんな日にはニルス・ペッター・モルベルのトランペットはちょっときつい気もするが、これが乗っているのでそのまま朝から聞いている。
北欧にも夏なんかあるんだろうか。でもきっとこんなに暑くはないんじゃないか。蝉なんかが生息する余白はあるんだろうか。
今日が終われば3連休だ。時間が過ぎて一日が終わってくれるのが解決の手っ取り早い方法だと考え始めている。こんなのでいいのだろうか。北欧でなんかに、僕みたいなグータラがまがりになりにも生活していけるような隙間はあるんだろうか。
忌野清志郎が新曲のビデオ撮りでぬいぐるみを着てテレビに映っていた。元気だ。大好きだ。
(22:00転記)今日は新しいウォーキングルートを開拓。常葉駅前を左に折れて、川沿いに下る。いま鮎釣りの太公望たちが富士川やこの常葉川にも大勢入っている。河に釣り人は1人で、木陰のある道端に停めた車の中で昼寝をしている釣り人ばかりだった。早朝か夕暮れのほうが釣れるのかもしれない。依然そんな話を聞いたような気もする。田の苗もずいぶんと生長している。一面の緑で、川面はきらきらと輝く。農道を歩きながら空を仰いで、「至福な時だな」と思う。今日はお供のクロスセブンを貸してしまったので、風の音や草のそよぐ音や川のせせらぎや車の走り去る音などを聞きながら歩いた。支所に帰り、これを書いている。さあ後半の時間の始まりだ。

2005年7月14日Thursday 晴れ
生まれて育ったところを大切に残すということ。
このひらひらしたものがここのところ気になっていた。家の前の玄関に吊るしてあるのだ。
kazumiちゃんとこの間から話していて、今日歩きながらいくつか撮って、帰って支所長に聞いたら、「緑と清流を守る会」の会員の意思表示の証なのだという。
いま、産業廃棄物埋め立て施設の問題がこの地区には持ち上がっていて、それに反対する人たちの気持ちの表れなのだった。
ツバメの糞除けの呪いだとか、僕はお盆の時期だからかなとか勝手に想像していたが、ということだった。
黄色いハンカチとかブルーリボンのような類なのだった。臭い物には蓋をしろみたいに、自分のとこはきれいにしておきたい、あっちの水は苦くても汚染されててもいいみたいな部分もあるのかもしれないんだけど、.....難しいよなあ。処理能力に限界があるのだから、どこかが泣かなければいけないようなところもあるし。
とりあえず、判明してこちら納得と言うことだけ。

2005年7月13日Wednesday 晴れ
甲府は暑い。
盆地は暑い。ALTの住宅の手続きで県庁に行ってきた。応対してくれる職員の方も、僕よりはるかに年若な方たちが多いようで、当たりも柔らかい。
こういうのはこちらにとってもありがたい。どうも県庁とか行くのは苦手で、おどおどしてしまう。自分に自信がないので、相手がちょっとでも強く出てきたりするともう瞬時に萎えてしまう。
なので今日はまあまあよかった。暑い甲府を早々に後にしてまっすぐ家に帰って、しばし家で愛妻弁当を楽しんだ。弁当持っていると食堂に入らないので、これはこれで浪費は抑えられる。
CDショップを漁ることもない。でもちょっと欲しいものあるんだよねぇ。買っていいって言われてるんだけど、どうも今すぐにってわけでもないようなあやふやな気持ちなんだよね。

2005年7月12日Tuesday 晴れ
やっと進展がある。
決まっていなかった英語指導助手の住居がやっと今日の午後決まった。ホッとした。でもまだまだ片付かないことが多い。
当分こんな憂鬱な状態は続きそう。
帰ってきて塔婆を書く。やはり気分的に少し楽になったのだ。書く気持ちになる。5本書いて晩飯に缶ビール。そして今はベニー・ウォレスの太いサックス。夜風の入る部屋で気持ちよく聞いている。
いくつかの神社の参道に幟が立てられていた。祇園のお祭りが来るな。夏の風景だな。ここにはテロを呼び込むようなものは何も存在しない。「起こってしまったことは悲しくて、怒りを感じるが、私の生活は何一つ変わらない」と言い切った英国市民が、ここ何日も頭の中に強く残っている。ただそれだけ。

2005年7月11日Monday 晴れ
風鈴の音でも欲しいような蒸し暑い夜だ。
蒸し暑くて、体も一日中湿っぽくてベトベトした感じ。
金曜の夜は3時間あまりをひたすら飲んで、家に帰り着く一番最後の電車に乗る。翌日娘から「お父さん、夕べ音聴きながらノリノリで電車に乗ってたって、友達から連絡入ったよ」と。
土曜日。茨城から母娘来て、護摩を焚く。中央官庁にお勤めの娘さんは、山梨に縁のあるお母さんのために、そこを辞める覚悟で山梨の教員採用試験に臨むのだった。頭のいい人ならわけなくこんな問題もクリアしてしまうんだろうなと思った。汗をかいて護摩を焚いて、終わってからしばらくお二人と話をした。この親子もまた大変に霊感の強い方たちなのだ。お母さんは、初めてお会いしたとき、「歓喜天がありますよね。」「どこかでお聞きになりましたか?」「いいえ、わかるんです」と、いともあっさりとお応えになるのだった。こんな人たちにはかなわないなぁと、水底へ沈んでいくような気分になる。
昨日日曜日。朝6時8分に甲斐岩間駅から東京への棚経。わずか3軒のために足を運ぶ。ま、それはそれでいい。9時半過ぎに町田のKさん宅へ。ご主人の13回忌の法事も併せて行う。12年経つということは奥様もその子供たち3人も12年をとる。僕も。Kさんとこは、上のお2人が結婚をして孫も2人できた。人が亡くなる事は決して忌むべきことではない。誰もが必ず通る道なのでね。Kさんはご主人を亡くした時、縁があってたまたま僕の寺の檀家になり墓も建てた。亡くなったご主人は九州の方である。ピクニックがてらに山梨のお寺に遊びに来て頂戴と話してアパートを辞した。家に帰って午後7時。年々この往復がきつくなる。でも、親父はもっと高齢で、東京から三島までも一日で歩いたんだから、かなりハードだったよなと、発泡酒飲みながら女房と話した。
月曜日。またいつものように一週間が始まって、何も好転しないままに一日が終了。

2005年7月8日Friday 晴れ
人口動態から思うこと。
昨年9月13日に町が合併した当時、10月1日現在の人口は17,340人だった。この7月1日付の人口は17,099人。241人の減。実は毎月の統計を付けている。これでいくと一年で約300人近くの人口減になると見込める。
人口の一番多い「身延」が△122人。2番目の「下部」が△68人。最後に「中富」が△51人である。現象の半分を身延が占め、中富は6月と7月、人口の増減はない。6月までのデータで出生と死亡は次のとおり。出生45人。死亡188人。高齢人口がピークになっているのだろうから、亡くなる人はしばらくは多数続くだろうが、寂しいのは出生数。年間60から70人位しか望めないかもしれない。70人で必要な学校数を思うと、2校乃至3校。現在小学校9校、中学校5校である。旧町ごとのそれぞれの思惑が錯綜するのだと思うが、そんなことばかりの綱引きを繰り返していたとしたら、何も生まれてはこないだろう。
これが最近僕の行き着いた、「だまし絵」のようなものなんだと思う。
今日は夏休みで、宿直明け。電気バリカン持って、朝から池の周りの植栽の剪定をしている。暑い日ざしが気持ちいい。今夜甲府での納涼会に備えていい汗をいっぱいかく。

2005年7月7日Thursday くもり
フーテン。
永島慎二逝く。漫画家の永島さんの死亡記事を見た。本棚を見たら、とりあえず一冊「若者たち」を見つけた。
今夜の宿直でこれを読み返そう。漫画を読むことも、少なくなった。今は必ず読む漫画は、吉田秋生さんのものだけだ。永島さんは旧い時代に「ガロ」なんかで読んだし、彼の作品はドラマにもなった。つげ義春なんかと同じ時代に、僕の友人たちはみな彼のものをこよなく愛した。哀悼。
日曜に、東京へ少し早いが盆の棚経に行く。中央線で阿佐ヶ谷付近を通るとき、永島さんの絵がまた浮かぶかもしれない。

2005年7月6日Wednesday くもり
蜘蛛の巣浴びた。
本堂への渡り廊下で頭から胸までドバッと蜘蛛の巣の洗礼を受けた。何が気持ち悪いって、朝一番で蜘蛛の巣に飛び込んじまうことぐらいいやなことはない。この時期気をつけなきゃなと思って、用心しているつもりだが、うっかりした日に限って浴びる。お勤めの後、風呂の残り湯で頭を洗い、めがねを洗う。でもこの蜘蛛の糸って奴は、しっかりと洗ったつもりでもめがねの縁のどこかに一本くらい残っていて、歩いていると吹かれて微妙に撫でてじつに不愉快。
ヤン・ガルバレクのこと。ECMの申し子のような人。昨日内藤君から貰ったコピーを聞きながら車走らせて、この感性ってとても波長が合うんだよね。体験したことのない北欧の日常や人の歩きなんかが想像できるような感じ。彼らにしか備わっていない感性で、それが僕や内藤君にわかるってなところ。
《甲府空襲60年》 1945年7月6日深夜から7日未明まで、130機を超すB29爆撃機による油脂焼夷弾投下が行われた。甲府空襲である。市内の18,094戸が全半焼し、被災人口は86,913人で、死者は1,127人を数えたという。60年前の出来事である。相も変わらず世界各地では同じようなことが繰り返されている。馬鹿は死ななきゃ直らないとしたら、地球上から人類が亡くなんなきゃならない。そしてこの国は愚かにも、またその悲惨な歴史への道へ戻ろうとしている。口先じゃ「いやだ、いやです、困ります」と言いながら、結局押し切られてしまえば、「仕方ねぇな」と言っちまうのか?えっ!?

2005年7月5日Tuesday くもり
雨上がった朝であるが頼りない空模様。
薄く日が差している。洗濯物が部屋の中にたまっている。昼には暑くなる予報であるが、なんとなく今朝の空は頼りない色。
ことらの気持ちもすっかり滅入りこんでカビが生えてしまった。友達からのメールにも返事すら書けないような体たらくだ。
日曜の夜に教育テレビで見た沖縄石垣島の大島保克さん。好きな歌い手である。司会者の質問に答えて、「あなたの歌を多くのアーティストがカバーしていますが」「うれしいです。歌われた数だけよくなります。民謡は民の歌だから、他人が歌うことでまた自分も勉強になる」というようなことを話していた。こういう話を聞けて僕もありがたかった。
八方塞で、だまし絵のような現実に居る。逃げ出したくても逃げ出させてくれない現実だ。「本当のことなど求めなくてもよい年齢である」といわんばかりの通勤の道のりが今日もこれからある。...まあ、これもまたそのうち快方に向かうさきっと。

2005年7月2日Saturday くもり
7月に入る。
もう半年が過ぎた。空梅雨だといわれていたがここ数日雨が多くてさっぱりとしない。こちらも自ずと気が滅入る。
滅入るときの処方はない。ただ我慢である。酒を大量に飲むわけにいかないので、ひたすら晴れを待つ。
今日はこれから伯母の法事のために厚木の霊園へ。雨が降らなきゃいいけど。遠出は気が引ける。