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『徒然日誌』 2006年1月から6月

2006年6月30日Friday晴れ
北朝鮮の対応なんて誰もがわかっていたことじゃないか。 キム・ヨンナムの記者会見で出てくる言葉なんて、質問する側だって始める前からわかっていたはずだ。「やっぱり予想通りだった」というのが本音だろう。北朝鮮という国が悪いのではなく、北朝鮮国家を掌握する金正日とその取り巻きが悪の根源だ。どう考えたって、盗人側がふんぞり返っているような図はおかしい。それでもって「私は拉致されたのではなく、助けられたのです」ときた日にゃ何をか言わんやってもんだ。工作員は拉致したってことを認めているのにな。
午後3時からモーガンの借家の草刈り。先日ちょっとだけ覗いていたが、いざ刈り始めるとその根の深さというか、草の重みというか、いや結構堪えました。2人で刈り終えて庭の隅に山のように苅草を積み上げたけど、この草もね、うまく少しずつ処理していって欲しいと思うんだけど、おそらく奴にゃできねぇだろうな。俺も自分のうちだけで体力使い果たしちまっているから、他人の家のまでそうそう恵比須顔でやってやるつもりもないのね。

2006年6月29日Thursday晴れ
「お客さまに約束した送達スピードは現在と同等に確保します」なんて言ってるが。 郵便集配局再編が打ち出されて、御多分に洩れずわが居住区もその煽りをもろに受ける羽目になった。峡南郵便局が集配の総括センターになって9月からは配達業務をすることになり、家や職場の最寄りの「飯富」「富里」「切石」局は窓口業務のみが残されることになった。郵政公社のこういう発表を受けて、後手後手に回るのがわれわれ庶民ということになる。「サービスは低下が心配です」「地方の郵便局を統廃合する布石ではないか」「集配業務の廃止は地方切り捨て」などことここに至ってからの声になる。いつでもお上の甘い言葉にうまく丸め込まれてしまう。
町村の合併にしても同じことで、町を合併させて「これだけやるからしのぎなさい」というのが本音で、明るい見通しなど何も無いのだ。切れるものはバッサバッサと切り捨て、これだけの生活費しか渡せないから、あとは勝手に自分で生き方を考えろよみたいなもんでしょ。
公の部分での動きが制限されてくれば、社会的弱者にとっては本当に厳しい状況にはなってくると思う。霞を食って生きていけるような覚者のような精神と肉体に改造していかなければならない。

2006年6月28日Wednesdayくもり
藤井郷子さん。 ジャズ・ピアニストでオーケストラも率いる藤井郷子さんが、ニューヨーク・東京・名古屋・神戸の4つのオーケストラのアルバムを出し、これにあわせて4回のLiveを開催する。大編成のために公演の経費がかかり今、寄付を募っている。僕も彼女のアルバムは4枚ほど持っていたが、実は今回の寄付の件を「Barber Fuji」という床屋さんから仕入れた。実はこの床屋さんはジャズのLiveもやり、CDの通販もしている。チラシで知ったのだが、寄付は一口2,000円で、1口につき1枚彼女と田村夏樹夫妻が過去に発表したアルバムが付いてくる。つまり安価でアルバムが手に入るということ。僕も2口の寄付に乗った。藤井さんからメールもいただいたり、もちろんCDも届いた。藤井郷子はとても今からが楽しみな人であると思う。僕は秋吉敏子さんもとても好きなので、大きなバンドを率いて、金銭面では大変なことも多いだろうけど、果敢にジャズの世界に攻めて行く彼女を応援したいと思った。
と、今朝はここまで。
(20:35) 今日も今日とて、蒸し蒸しと暑いような暑くないような不快度大満足の一日で、帰宅後不快がてらに竹林で30分ほど刈払機振るう。竹は飽きもせずに生えてくる。この奴らの地下はどうなっているのだ。血管の青く覗く手の甲を眺めながらふと思うのだが、気の遠くなりそうな緻密な地下茎が構築されているのだろうな。今夜は飲まずに麦茶で頭を騙す。騙されない頭は欲するが、まあ今夜一夜はいいや。田村・藤井夫妻の参加した沖至氏のピット・インでのライブも秀逸だ。これずっと聞きたかったのね、そして大満足。

2006年6月26日Monday小雨
ひんやりと月曜の朝。 6月も最後の週になった。今年も半年が終わってしまう。夏のようで夏ではないような陽気なので、冷夏ではないかなんて声も聞く。
週末はいつものように寺のことで終わった。夕べは何だかグサッと疲れて、7時前には風呂に入り布団に横になって知らず知らずに寝てしまった。体は確実に老いてきているので、僕の体一つでは受け持ちがたくさんになってきているのかもしれない。
毎日少しでもできたら、何のことはないのかもしれないけど、この辺は仕方のないことだなぁ。
女房は毎日竹林に入り、せっせと竹の子狩り。結構欲しいって人がいるもんだ。「買ってまで食べるんだって」という話を聞くと、「こんなものを買うのか」とか「俺にはとても売れねぇな」とか考えてしまう。ただ初めはいいがだんだんと食すのも飽きてくる。でも今年は調理法をいくつか試してくれているので、定番の竹の子煮だけではなくて助かっている。
友人に竹の子を配る彼女と、ただ刈り倒すだけの僕でも、竹の子は減っちゃらに明くる朝には生えている。
先々週あたりからちょっといいジャズをたくさん聴いた。今週も。

2006年6月22日Thursdayくもり時々雨
古タイヤをハンマーで叩きのめして強くなる男たち。 メキシコ・肩書きのない世界で」っていうのを今朝早くからBSで見た。見る気持ちもなく見始めちまって。鬼塚勝也っていう元ボクシングの世界チャンピオンがメキシコのジムなんかを訪ねて歩くんだけど。再放送で、実際の放送のときからは10年近く経過していたようだけど面白かった。
鬼塚はパッと開いてパッと散ってしまった花火のようなボクサー。日本人ボクサーは皆こうなんだって。映像ではその当時40歳で世界チャンピオンだというメキシコ人ボクサーを映した。彼のトレーニングが異様だった。そこいらに捨てられているような廃タイヤに、鉄のハンマーを繰り返し振り落としたり、ハンマーでタイヤを打ったり、タイヤの上で飛び跳ねたり、タイヤの穴にすっぽりと尻を落として腹筋したり。鬼塚は「メキシコ人は日本人のようなボクサーではなく、タイプが違う」と言った。長く選手生活を維持するために、怪我や健康に注意しながら選手生命をできる限り長く維持するのだと。タクシー・ドライバーをしながら現役を続けている、かつて鬼塚とタイトルマッチを行った男は、「ボクシングは金になる」と言い切った。「お前のような奴とならいつだって戦う」と言った。その言葉に妻子を養う彼の生活が滲み出ていて、仮に負けたとしても、日本人との試合には相当なファイトマネーが約束されるということなのだろう。
鬼塚は25戦24勝17KO1敗の戦績を残して網膜剥離のためにリングを去った。それでも彼には、将来困らぬだけの富が残り、過去の英雄としてマスコミの仕事さえ入る。メキシコじゃ、たかが25戦程度では貧しいボクサーの域を脱することはできないのだ。将来の保障なんて何も無い。
ポツポツポツと雨粒が叩きはじめたかと思う間もなく、激しい雨が降り始め30分近く続いた。衛星放送の映りが急に悪くなり、地上波にチャンネルを変えている間に、鬼塚のメキシコを旅する番組は終っていた。どしゃ降りの最中でさえ、一獲千金を夢見るメキシコ人ボクサーたちは、古タイヤに鉄のハンマーを振り下ろし続けているんだろうなんて考えながら朝飯を食った。

2006年6月21日Wednesday晴れ
社会保険の説明会に行ってきたのだが。
実はこの会場去年もここで聞いたのだが、去年とまったく同じでとても寒かったのだ。冷えすぎ。社会保険事務所の連中は壇上で喋るのに皆上着を着用している。年中不祥事が発覚しているので、クールビズのようなラフな格好ではすまないと思っているのか知らないが、奴らにはこの会場の冷えすぎがわかっていないのかもしれない。去年そういえば今日とまったく同じことを思ったなと思い出して、早々に退散して引き上げた。ま、後は何とかなる。
昨日社協の後輩から電話があって、「7月に暑気払いをやるんだけど、送迎をしてくれて30人位入れるとこ」と訊かれたので、「まずくて高くて構わないんじゃ、『割烹○○だ』でしょう」と提案すると、「ここはねぇ、産廃処理場誘致の賛成派らしくて、この店は使わないという気運になってるらしいです」と。へぇー初めて聞いたよと、こちらが感心してしまった。こんなことになっているんだな。でもな、お店ってのはあまりはっきりと色を出さないほうがいいと思うんだけど。それでなくてもこの店は、高くてまずくて、年がら年中同じメニューで、できることなら僕自身は積極的には利用したくない部類の店。年に一・二度
法事の御斎で行くんだけど、送迎車を持って40人位の宴席を設けられる店が、この店くらいしかないのだ。でもな、産廃賛成派だなんて風評が立つとこれはよくないね。
ヤン・ガルバレクいいなぁ。ジョン・サーマンもいいなぁ。ヤン・ガルバレクに、竹の子の煮た奴食わせてやりたいなぁ。

2006年6月20日Tuesday晴れ 昼休みに、先日開拓した道の逆うちをしました。テクノ・トランス系の音楽を聴きながら、サッササッサと歩いたのでした。常葉川で、鮎の試し釣りをしている姿も見た。川が光っていい季節だ。昨日ほどではないが暑かった。
「イラク陸自撤退報道」を聞いて、詩のごときものを書いた。1年振りくらい。歩きながら、草を引きながら、僕の思いをまとめてみた。
  

仏法僧  〜イラク陸自撤退報道の日に〜

 

姿の仏法僧はギャーギャーと鳴く

その艶やかな姿とは裏腹に

喉の奥からの絞りだすような鳴き声は

警告を発する辛辣さだ

声の仏法僧はブッ・ポウ・ソウと鳴く

姿潜めて杜深く棲み

篤く三宝を敬えと

血湧きいずる源に語りかけてくる

 

弘法大師の血脈(けちみゃく)を伝える九百年の寺に

魂の僧たちと僧伽(さんが)を成し

俺は“いのち”のことを第一義と考え

平和を求める心を養い

戦禍被る人らを案じ

銃取る兵士たちの困惑の妙を信ずる

 

アメリカの音楽家ニール・ヤングは

わずか二週間で「Living With War(戦争と生きる)」を作り

戦争を否定するメッセージを

インターネット上で無料配信はじめた

 

平和を願う気持ちを素直に述べることは滑稽だろうか

俺はかんかん照りの草叢に入り

ぶっ倒れるまで草刈機を振るい

竹の生える勢いよりも激しい昂ぶりで

「生きていることは奇跡ではなかった」時代を

子どもらに示したいと思った

 

草刈を終えて冷水で火照りを静めた頭の中に

ギャーギャーと警告する仏法僧(ブッポウソウ)と

ブッ・ポウ・ソウと諭す仏法僧(コノハズク)の

激しく 深く静かな鳴き声が

御詠歌の(れい)(しょう)のようにいつまでも谺した

ニール・ヤングにはお世話になっている。歳を重ねても諦めない図太い、反骨の思いを持ち続けたい。それができなくなったら俺にさよならだ。

2006年6月19日Monday晴れ
半そでシャツで出勤。 気温は上がった上がった。甲府で33度を超えたという。今日の昼休みは川に入った。川に足を浸してしばし休息した。こういう昼休みもいい。
こんな風に昼休みを過ごしている人は案外少ないかもしれな、というかほとんど居ないのじゃないか。公園の木陰で憩う人は居ても、川に入る人は居ないだろう。富士川以外の川に縁があまりなかったので、常葉に通うようになって、ちょうどいい川に出会って、今までずっと入ってみたかったので今日は思いが叶った。
秘め事みたいに僕の昼休みがあって、明日はどこを歩こうかと考える。教育委員会の仕事で常葉に来ている時間が、きっととてもいい思い出になるのだと思う。
夕方急いで帰って、30分ばかり草刈り。女房は竹の子をまたたくさん採っていた。知り合いに配って歩いているらしい。
アヌアル・ブラヒムというウード奏者がよかった。ウードという楽器はベースのようでもあり、リード楽器にもなるし、多分琵琶なんかのルーツにある弦楽器。ちょっと気に入ってしまいました。

2006年6月18日Sunday小雨
『海猫』を見ながら夜明けになってしまった。 WOWOWの映画で朝を迎えてしまう。4時12分だ。映画ももうすぐ終わりそう。
夜が明け始めて、雨の上がった寺の杜から早起き鳥のさえずりがこぼれてきた。切ない気分のままに結局見続けてしまった。伊東美咲も佐藤浩市も仲村トオルも好演でした。
海に生きる暮らしのことは想像すらできないが、『海猫』という映画は僕の頭の中に残った。
さてこれから寝るか、起きてしまうかは、僕にもわからない。
(6:04) 霧雨なんだ外は。ブッポウソウもギャーと鳴いている。箱男さん登場です。

2006年6月17日Saturday晴れ
雨が降り始めた。 女房は2人の兄と姉とで、石和泊まり。幼い頃に生家に工事の為に長期滞在で下宿していた方を招いて旧交を温めるのだと。
一日草刈りというか竹刈りというか、午前午後と精を出す。娘を駅まで迎えに行った。彼女もまた「学園祭の準備でメッチャ疲れた」のだそうである。こっちも「メッチャ」くたびれました。雨が降り始めて冷たい風が入ってきて、シャワーを浴びて火照った体にとっても気持ちがいい。あとは冷たい飲み物で、今日はお役御免。
珍しい音源がuploadされていた。井上陽水の6月15日の市川市文化会館でのコンサート。一昨日のものである。これまたメッチャあっけなく超スピードでDLできてしまって、聴いているのである。井上陽水も僕の今日の夕方の時間には、何の問題もなくOK。
Mさんは、結局午後1時過ぎまでブッポウソウの観察をしていた。よくあんな狭い箱の中に8時間近くも居られるもんだ。感心感心。草でも刈ってくれよとも思わなくもないが、彼もまた一時的なエトランゼなのよ。

2006年6月16日Friday晴れ
雨が上がりの道の脇の草原の緑。 到底今日の散歩は無理だと思っていたのに、お昼前に雨が上がった。弁当を急いで食べて今日は思うところがあった。新しい道を歩いてみようと思っていたのだ。頭の中では描けるが、果たしてあそこまで歩いていって大丈夫なんだろうか?昼休み時間中に戻ってこられるだろうか。だから、いつもよりちょっとスピードを上げて急ぎ足で初めての道を歩いた。雨が上がり、陽が射し始めた道は暑い。シタールののんびりと、タブラの急かしで、僕は汗をかきながら腕まくりして身延線の脇道を歩いた。常葉川は増水して濁り水だ。栗の大木にだらしなく妖しいにおいを発する花が垂れ下がっている。羽化したばかりの蝶が乱舞しているのや、ツバメの雛が軒先で腹をすかして騒がしくしているのや、僕の急ぎ足を冷ややかな目で見やる犬の散歩などに出会った。それから、「さて、これがチャンス」と2階の物干し場に洗濯物を出している女性も見た。見ず知らずの人なのに、目が合うと僕も物干し場の女も視線をそらした。別に覗きをしたわけではなく、気配で見上げただけだ。寺山修司のような気持ちになった。結局、案ずるより何とかで、始業10分前には戻ることができた。さてこれからは、この逆を歩いて、何度かこの道での夏の道草を楽しもうと思う。

2006年6月15日Thursday
雨が降っているので、今夜は遅くまで少々音を大きく。 Medeski Martin and Woodを聴いている。鍵盤・Bass・Drumの最小ユニットではあるが、アコースティックな演奏があったり、即興演奏に終始する演奏会があったり、メデスキの鍵盤がピアニカであったりすることもある。意外と飽きがこないんだよねこのバンド。いろんな人をゲストに迎えるし、ジョン・スコフィールドなんかともいいセッションを展開する。たくさんの音源が公開されている。夕方から本格的に降り始めて雨音がしているので、部屋の中でも大きな音で聴いている。ワールドカップサッカーを見ながら、大法輪を読んだり。
週末は雨予報で、外のことができないのは辛いな。今週も明日で仕事が終わり。娘は高校最後の学園祭の準備が楽しそうである。今過ごしている時間は戻せないもんなぁ。老眼になってきたけれど、いろんな意味で、聞こえのいい耳でありたいな。

2006年6月14日Wednesday晴れ
早起き。 明日からしばらく雨続きになりそうな予報なので、いつもより早起きして刈り草の片づけをした。
境内に迷彩色の小型テントから大型レンズが外に突き出ているのを発見。そうか、昨日ブッポウソウの匂いを嗅ぎ付けてやって来たのだという早川町の野鳥博物館の職員らしい。おそらく朝4時頃には来ていたのかもしれない。僕の気配にテントから出てきて、少し言葉を交わす。彼曰く「僕も県内で見たのは初めてです」と。なるほど確かにこれは貴重なんだなと改めて思う。Mさんが朝のジョギングで通りかかったので、また彼と話す。「どうやらこのケヤキの上に営巣しているようだ」と。彼も「俺もそうだと思ってたんだ」。しばらくはブッポウソウで楽しめそうである。
早起きはどちらかというと苦手だし、「坊さんだから早いんでしょう?」と訊かれると言葉に窮する。でも、今朝は気持ちがよかった。体の芯から僕自身が浄化されたような気分にはなった。

2006年6月13日Tuesday晴れ
思いは通じるのかもしれない。 夕べは夜ソフトボールの試合があった。会場に行く前に僕はKさんに宛てたLiveの案内状を投函した。このところ会う機会がなくご無沙汰している方だったし、7月のLiveには是非来てもらいたいと思った。
僕たちが生きている上で、僕たちの力だけじゃどうにもならないようなことはたくさんある。祈りなんてものが通じるものかなんて正直思うことも、破戒僧の僕にはある。でも、祈りが通じるように祈るということなんだなと考えるようにする。結果を性急に予測したり、求めたりしない。そこは僕の立ち入れない聖域のような気がしている。
Kさんのチームとの試合だった。会いたかった人に思いがけず会えた。試合が終わったところで少し会話した。「7月にLiveを予定しています」「ネットで見て知っているよ」ということだった。それほど大げさなことではないにしても、僕は去年1年Liveができなかったことで、少々落ち込んでいた。やっぱり、辺鄙なここで定期的にLiveをするってのは、ミュージシャンにとっても、この場所からの繋がりを模索することが難しいので、出かけてくることさえ大変なんだなとか考えた。それから、寺のLiveを楽しみにしてくれる人たちも少しは居てくれて、そんなみんなになんか申し訳ないような気がしていた。これはすべて僕の独り相撲かもしれないが、何だかとても僕は責任を感じていたのだ。
「一年にいっぺん行ってさー、ジャズ聴いて酒飲んで、Aさんのうどん食わせてもらうのが楽しみだ」とKさんはいつか言ってくれたし、僕はどうしても来てもらいたいと思っていた。だから、夕べ会えたのはとても嬉しかったのだ。
サッカーは負け発進となったが、勝敗ではないね。最後まで気を抜かずにやり通すことだ。
ジャズのわずかな時間を楽しむことで自分が幸福になれたら、それは逆境にある者たちにとっての、「生きる」ことを渇望するエネルギーにもなりえるかもしれないなんて考えた。

2006年6月12日Mondayくもり
富山のサックス吹きもやってくるぞ。 2004年5月にGYROを呼んだ時に、富山から運転手として来てくれたノブくんが、今じゃいかしたサックス奏者となって、地元なんかではバリバリに吹いているらしい。5月の末には高岡君とのDUOのお披露目ともなった。
その彼が、POCLiveにあわせて遥か山梨までやってきてくれることになった。楽しみである。少し前の高岡君からのメールに「ノブ、いいプレイヤーになってますよ。楽しみです。おそらく来月のライブにも駆けつけそうなので
前座でソロとかやらせようかと思っています。」とあった。二度美味しいようなライブの夜になりそうである。
昨日の雨の日曜から、今朝と今夜と、ブランフォード・マルサリスを聞き続け。GRATEFUL DEADとやったりね。僕はこのお兄ちゃん好きですよ。いいじゃねぇか、思いっきり自由に自分が思うように吹いてさ、何かがわからなきゃいけないってもんでもないでしょう。そんな風に聞こえるんだな。

2006年6月11日Sunday
骨休みになった。 今朝は朝から雨。ジャイアンツが連敗して連勝してなんてことを繰り返しているように、晴と雨が交互にやってくる。
昨日一日草刈りに精を出したので、今日は骨休めになった。晴れていれば今日も朝から外で草刈りやら剪定でもしようと考えていたので、少々がっかりではあるが、事前のお告げには逆らえない。
POC(ポック)Liveのflierの印刷やら、メール送りなどに費やしている。
昨日の夕方、Mさん夫妻が駐車場に望遠鏡を設置していたので行ってみると、案の定「ブッポウソウ」観察だった。本堂の横にそびえるヒノキのてっ辺の枯れ枝に止まっているブッポウソウが、ネットで見たのと同じ姿で映っていた。いやぁ感激。羽の色と嘴の色がとてもいい。遠いところに止まっているので、肉眼ではとても確認できないが、これは大事にしないといけない。Mさんによると、山梨でも、繁殖例が年々少なくなってきているのだそうだ。大聖寺に居るツガイが産卵してくれるといいけど。
Yahoo!ブリーフケースにPOCフライヤーをアップしてあります。上
から行ってください。

2006年6月9日Fridayくもり
ロックの日。 宿直明けで、雨の朝を車のエンジンかけると、ナビから「今日は6月9日、ロックの日です」と流れた。Rockの日かぁなんて思いながら家に戻った。毎日ロックやジャズを聞いているので、年がら年中ロックの日なんだが、改めて教えられるとね、なんかこう、今日は特別なものを聞いたほうがいいんじゃないかとかね。
夕べは宿直で、マイルスの映像を堪能したし、倉多江美もよかったしなぁ。ロックの日の今日は梅雨入り。遅めの出勤途上の一色の集落内では、明日のホタル祭りの準備が進められていた。入梅したが、明日は雨を心配する必要はないらしい。興味や好みは年を経て変わっていくけれども、僕のRockのイメージは、時代に捉われない自由な熱い生き方だ。頭の中をジャニスのシャウトするボーカルが音速で地球を回るようにぐるぐると、ぐつぐつと熱湯のように沸きあがってくる。ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクス、バリケードの中の山下洋輔トリオ、渋さ知らズ、いまはRockとJazzの枠が取払われた。護摩を焚き、法螺貝吹いて、草刈機フル・スロットルで、Rockな生き方を実践する坊さんという奴もいる。50になってもきっと、老け込まずに生きられるなぁ。

2006年6月8日Thursdayくもり
POC Live情報アップ。ぜひ聴きに来てね。 実は今日休みだった。午後から叔父の寺の葬儀の手伝いがあったので休んだ。
Liveの問い合わせが1件あったので、HP用に作った。フライヤーといえるかどうか、これも作った。
まだひと月半も先のことなんだが、とりあえず作ってアップ。高岡君から写真も送ってもらったので、これで、何だか彼らの音も聞こえてきそうな気がした。楽しみですねぇ。大勢に来てもらって聴いてほしいな。うまい酒も飲めるぞ。
叔父の檀家の葬儀は、悲しいことに52歳の方で自殺だった。喪主であるお兄さんは泣きっぱなしだった。こういう葬儀に務めるのはこちらも辛く悲しくなる。29年生まれなので、僕よりたった二つ上だけだ。何を求めて何を己の幸せだと思って生きてきたのだろう。何もなかったということなのだろうか?荼毘に付されて、からからと骨だけになって小ぢんまりと壷に収まって、すべての苦しみからは解放されたのか。生きていたって死んでしまったって、満足なんてないんじゃねぇのか。
曇天の空を眺めながら帰ってきた。お大師様に抱かれていることを思っていれば、思い煩うことはないと、そんなご詠歌があった。
ところで、昨日の「僧階別賦課金」のことだが、叔父のところの高野山真言宗では、「とっくのむかし」からそうだと言われた。それから、おそらくもっと高額だ。醍醐派は他宗他派に比べたら安いのかもしれないが、寺院としての成り立ちの土台が小さいので、こういうことをおろおろと日照りの夏を歩くように、致命的に感じてしまうのだ。ナサケナイ。
とワラッテクダサイ...。

2006年6月7日Wednesday晴れ
ついに来たかって感じ。 昨日、山梨宗務所から手紙が来て、今年のわが寺の本山に納める宗費のお知らせと、それから(ここからが本題)、「僧階別課金」というもの。僕の寺は京都にある醍醐寺を本山とする、真言宗醍醐派の末寺である。末寺は本山に宗費を納めなければならない。それから、僧侶個人ににかかる「教師賦課金」というものがある。山梨の醍醐派寺院は、20か寺を欠ける。但し、本山からの割当宗費は、山梨支所に幾らということで毎年提示される。だから、1寺院いくらとかってものは何も決まっていなくて、まあ、長い経緯の中で、寺院の規模(活動)によって、今年は50万5千円を15の寺に振り分けて納めるということになっている。僕の寺は4万2千円を納めることに決まった。これが山梨の中では最高額である。これを納める寺が4か寺だったか?それに、教師料は別途請求がくる。いままでは、教師1名8千円と定額で決まっていた。僕のところでは、小学4年で一応得度をしている息子の分と合わせて、1万6千円を本山に納める。うちの寺の実情は、話すも情けないので多くは書きたくないが、僕や女房が寺のために働いても、その代価に等しい分だけの金銭を寺からもらえる状況にはない。寺の収入が僕たち家族を養ってはくれず、どちらかといえば、こちらのサラリーマンの給与も注ぎ込むことのほうが多いのだ。
それで、「教師賦課金」。本山は、5月の宗務所長会議で、現行の教師賦課金を改め、教師(僧侶)の僧階によって、賦課金を定めるという強硬姿勢を打ち出した。内訳は次のようになっている。
僧階: 大律師まで 8千円。権少僧都 1万円。少僧都 1万2千円。権中僧都 1万4千円。中僧都 1万6千円。権大僧都 1万8千円。大僧都 2万円。権少僧正 2万5千円。少権僧正 3万円。権中僧正 3万5千円。中僧正 4万円。権大僧正 4万5千円。大僧正 5万円。
これをですねぇ、来年の4月から適用して課金するということになったらしい。今年度までは一律8千円なんですが、これが来年からは僧階に課金される。ちなみに僕は、権少僧正なので、2万5千円。差引1万7千円のupになる。宗費と息子分と僕のを合わせると7万5千円を本山に吸い取られることになる。他宗の状況はわからないが、山梨の醍醐は寺も少なく、うちのようにいくらかでも檀家のある寺の方が少ないので、どこも皆汲々としているのである。ほんとに寺院としての収入が乏しいのである。それでも、修験道の法灯を継いでいこうとがんばっているのだ。
本山へ宗費を納めること自体は拒むものではないが、金額的な折り合いがなかなかつかないのが現状。それから教師賦課金については、もう10数年前から噂されていたし、「あーきたな」って感じだけど、良識ある僧侶たちは、これから「何が何でも大僧正」なんてことは思わないはずだ。僧階の必要など無くなったわ。僕も、一般的な「僧正」という意味合いがほしくて、一番下の「権(ごん)少僧正」はいただいたが、これから先は必要がないし、できれば僧正階も返上して安い課金の階に降りたいくらいである。醍醐寺宗務本庁の打ち出した「僧階賦課金制度」には
大反対だぁ〜!!!

2006年6月6日Tuesday晴れ
朝から庭掃除だ。 雨になるかもしれないという予報だったので、すこーし早めに起きて、庫裏の裏の刈り草をきれいにまとめて朝の空に煙りを昇らす。
よい一日でありますように。
竹林には細い真竹の子が生え始めた。一雨来ればどっと伸びてくる。竹の子と追いかけっこをする時期が間もなくやってくる。その前の静けさといったところか。竹林は風がとまって静寂。
死者の魂を慰めるかのように白い煙が天に昇る。短い命で終わってしまった者たちの魂も、迷うことなく浄化してほしいと思った。
(19:40) それから今日はこんなのも。「電車内で女装 下半身を露出 尼崎市部長逮捕」。本人のコメントがなんとも可笑しい。「開放感に浸っていた」と。この言葉の中からいろんなことが想像できるよな。女装だけにしとけばよかったのに。女装をしていながら一物を見せるってのは、その道にそれているんじゃないですか?こんな句を思い出しました。おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉

2006年6月5日Monday晴れ
なんという結末になっちまったんだ。 自分の悲しみのはけ口を、近所の子どもに向けてしまうなんて。それで気持ちが治まるってもんでもないだろうに。なんて人間の独りで生きることの寂しく哀れなことか。
サッカーの最終調整の試合を見終わっていたか、日付が変わる前には、逮捕された女性が誰であったかの報道が流れた。マスコミは薄々察知していたらしく、今朝になったら、彼女の奇妙な言動や行動の映像をいっせいに流し始めた。まあ、こりゃ尋常じゃないわなと誰もが認めたくなるような映像ではある。離婚もしていて、母子2人の生活が、ある日突然の事故で娘を失ってしまったことによって何もかもが崩れ、自暴自棄に陥ったということなんだろうけど。思考することも含め、おそらく総体的に未熟なんだな。身体ばかりは大人になるが、思考することや判断することがそれに伴わないから、こんな事件ばかりが繰り返される。
頭のいい奴だって、そこそこの奴だって人間が未熟ということに関しては、皆似たようなもんだ。何をされたら嫌か、何をされたら悲しいかって事ぐらいは、わからなければいけない。

2006年6月4日Sunday晴れ
電車の屋根に上がって落ちたり、エレベーターに挟まれたり。 エレベーターの誤作動によって死亡してしまった高校生の報道の反対に、乗っている電車の屋根によじ登って線路に落ちて、反対側から来た電車にはねられて死んでしまった高校生の報道もあった。前者はこれは不幸としか言いようがないのだろうが、後者については弁解の余地がない。命を粗末にしたということになるのだろう。早朝から、米山豪憲君の殺害事件で、近所に住む女性を任意で事情聴取し始めたことが伝えられて、今夜中にその報告が聞けるのかどうかわからないが、おそらく事件解決への方向には進展しているのだろう。命を粗末にしてしまった者と、命を突然奪われてしまった者の違いは何だろう。電車の屋根によじ登れば落ちて死ぬこともあるかもしれないとは思うだろう。どこかの片隅にそれを思うだろう。氷壁に挑戦するクライマーの脳裏の片隅にもそれはあるかもしれない。結果の善し悪しはその時のことと覚悟しているかもしれない。命を突然奪われてしまったものは、奪われるときまでそのことを思ったりはしないだろう。どんなにか無念のことであったろう。
エレベーターの事故についても、原因の究明をしっかりと図らなければいけない。幼らが犠牲となった事件の犯人にも、心の隅々までよく調べ上げて、厳しい反省を促す必要がある。ホリエモンに変わっていま世間を賑わしている村上世彰なる人物は、父親からもらった100万円を元手に10歳から株式投資を始めたという。ある分野では特別に秀でた才能を発揮するかもしれないが、極々一般的な僕たちが持つような感覚に乏しいのかもしれない。全体的なバランスが取れていないように思えてならない。ま、そんな僕だって人に誇れるような生き方をしているわけではない。神仏の目の届く範囲の中で遊んでいられるうちはいいということなんだろうと思うようにしている。

2006年6月3日Saturday晴れ
沖至。 この人はトランペッターなんだが、あまり聞いた事がなかった。パリに居を構えて、向こうで活動をしているらしい。
5月の終わりに、例によってEzTorrentで「Itaru Oki - Michel Pilz Quartet」という20分足らずの曲をDLした。向こうのFMで放送された音源だった。これが拾い物をしたようなとてもいい演奏。毎日聞いている。短いので盤に焼かずにパソコンで聞いているのだが、こりゃいいわ。1枚買ってみようと思うが、「沖至ユニット/ライヴ」という新宿ピットインでのCDがよさそうだ。で、そのうちね。いまはこのフリーな1曲があれば満足ね。
高岡君からメールがあって、富山の旅はとてもよかったそうだ。明日の晩、POCのライブがあるので、その写真を送ってくれるとのこと。それから、もしかしたら、7月22日の寺でのLIVE当日に、いかしたサックス吹きを一人連れてきてくれるかもしれない。これはかなり楽しみです。

2006年6月1日Thursday晴れ
そんな風な生き方なんて寂しーでしょーが。 地区に住む同級生が4月に脳梗塞で倒れたということを知らされていた。ただ様態の方がだいぶ重篤だと聞いたので、直接の見舞いは控えていたが、先日お家を訪ねた。ちょうどお兄さん夫婦が帰省しておられたので、様子を伺ったりもし、帰り際にお見舞いを手渡してきた。夜その友人のお母さんがかなり大きな声で、「(僕の名前)ちゃん!お見舞いを貰ってお返しをしねーならんじゃん。他にも貰ってるけんど、住所もわからんし、どうすりゃいいで。」とかなり興奮している様子で電話をかけてきたもんだ。
こちらもとっさに返答に詰まったが、そんなことを気にする必要はないし、入院費の足しにしてくれればいい、お返しをするなんてことを今考える必要は無いというようなことを、先方の理解を得られたのかどうかわからずに話して受話器を置いた。切った後には、後味の悪さだけが残った。そんなことを先ず優先して考えるなんて馬鹿げている。さびしい田舎のおばちゃんの業の深さを見せられたようで、どーんと落とされたような感じだった。こんな寂しい生き方はいやだ。思い切って全部さらけ出して甘えていいのよって、そんな風になんねぇのかよ?って思いたい。誰もみんな本当はとても弱いんだと思うんだよね。
もう今年も5ヶ月が過ぎてしまった。大ケヤキは例年通り心地よい風と陰を作ってくれるだけの葉を茂らせた。変わらずにいることのなんでもないようなことが一番だなとふと思う。今夜、コリアン・ジャパニーズの新井英一のLIVE。

2006年5月31日Wednesday晴れ
NHK-FMが無くなるかも知れない。 「NHK改革で、FMラジオのチャンネル削減を求める方針を固めた」とある。音楽番組主体で「公共放送としての役割は終えた」ということらしい。
確かに僕はいま、ほとんどラジオを聴くことがない。昔は民法のFMの感度が悪かったので、NHK-FMの「Session○○」(※○は、年のこと)という、ジャズのスタジオLIVEをエアチェックしまくった。いまも手元に数10本の貴重なテープが残っている。一時期DATに録音しておいたものもある。が、FMの受信アンテナが壊れてからは、ラジオを聴くことがなくなった。クルマでも、昔はカセット・テープ。いまはCDを聴いているので、ラジオは滅多につけない。NHKの番組は、民法に比べるとやはり、CMが無く、時間もたっぷりとあるので、内容の濃い良質の番組を提供してくれたと思う。手元のテープをCD-Rに保存できないかと思案しているところである。
5月最後の一日、暑くなりそうである。

2006年5月30日Tuesday晴れ
5月ももう終わりになるな。 久々に禁酒塔まで歩いた。緑陰の下を歩くのは気持ちがいい。栃代川からの川風が吹き上がってくる。緑の葉や蔓が大きく揺れる。
ここでも田植えが最盛期だ。禁酒塔を仰ぎながら、自堕落な飲酒生活のことを悔い反省した気持ちになったが、今夜はまた相変わらず飲んだ。酒米が醗酵して僕が生れたんじゃないかなどと考えてしまう。もう5月も明日で終わってしまうんだな。一日が終わり、ひと月が終わり、一年が終わるのが、なんだかとても早く感じてしまう。50に手が届くのももう間近だ。夏を越えたらきっとあっという間だ。僕の言葉や生き方は時代に馴染んでいるんだろうか。わからんねぇ。

2006年5月28日Sunday
今週末は土日ともに雨。 先週の土日は晴れたが、今週は土日とも完全に足止めだ。今日も朝から強い雨が降ったり、いま(9:35)は、弱い雨tなっているが。
10時半からM君の家の法事。
昨日はパソコンやCD棚の整理。なかなか整理できなくて、やっときれいになった。これがまたひと月もすると、山になっていたりするが気をつけなくちゃ。最近は音源をDLするので買うほうは少なくなってきているが、片っ端から興味ある音源に飛びつくと、焼いたCD-Rが溜まっていってしまう。まっ、こっちもDLをはじめてから3年くらいになるので、無闇矢鱈に音源を何でもかんでもということは少なくはなってきているが、DVD映像のDL数が伸びていて、こちらも結構貯まっているのだ。あとね、やっぱりJAZZとかは、音源をDLしてしまうね。
ハマってしまうと、DYLANの音源なんか、幾つものliveが山積なったりする。
今朝は久しぶりにPHISH。頭を刈ってさっぱりしてPHISH。
6月1日に、甲府のアウトドアショップ「エルク」で、新井英一のコンサートがあります。興味のある方はぜひお願いをしたいと思いますが、この場所なんかで訴えても読者は限られているしなぁ。僕はこの新井英一をずいぶん前から知っているのだけど、お店のHITOSHIさんが、桜座でのliveを聞いて、えらく感激して、自分で呼んでしまったんだ。お時間と興味のある方はぜひどうぞ。僕と女房は行くつもりです。

2006年5月25日Thursday晴れ
ここだけが雨無しの夕べ。 昨日の夜は旧身延地区の学校の関係の会議。教育委員会に来て初めての夜の仕事。お蔭様で、いまの職場はほとんどノー残業で済んでいるのだ。
8時50分に会議が終わった。その15分程前にいきなり停電になった。後からわかったが落雷による停電だった。外に出ると甲府方面には稲妻が何度も何度も走った。雨もじゃんじゃん降っていた。ソフトボールはやっていないのかな?と家路に向かっていると、わが町に入ったところであたりから路面が乾いている。遠く甲府方面に稲光だけが何度も見える。家をそのまま通り過ぎて甲南グラウンドへ。アダムも来て試合をやってました。9時半過ぎに試合が終わってそのまま僕も集会場での飲み会へ。結局12時過ぎまで飲んでしまった。
僕の住む地域だけがすっぽりと雨がなく夕べも過ぎた。お不動様が雨が嫌いだとよく古老は話すが、少雨の地域だから、いつの間にか「お不動様は雨が嫌い」と、後からついた話なんだろうけど。今日も暑くなりそう。
夜中におそらく野良犬が夜毎寺の周りを徘徊しては、本堂の回り廊下なんかに糞をしていく。ここのところ毎朝それを片付けている。一昨日は亀の屍が庭にあった。昨日の朝は、鳥の食いちぎられたようなものも。夜の更けた時刻の出来事を知る由もないが、朝からあんまりそういった物を見るのは心臓にもよろしくない。僕が心穏やかにしておれば去っていくのだろうと思うことにはしているが。

2006年5月23日Tuesday晴れ
高岡大祐クンがやってきます。 お寺でのliveが一年お休みになっていました。liveをしたかったのですが、なかなかミュージシャンの都合なんかがつきませんでした。僕が曜日に関係なくliveを催せる状況にないので、なかなかこのことは難しいことで、ちょっともう無理かななんて思ったりもしていました。
大聖寺でジャズのliveを始めて、ずっと高岡大祐君に来ていただいていました。低音環境とGYROでした。
高岡君は今月13日をもって8年間在籍した「渋さ知らズ」を離れ、また新しい彼の音楽を追求する道を歩き始めました。たくさんのミュージシャンとのセッションを繰り広げていますが、今回大聖寺に高岡君がやって来てくれるセットは、『高岡大祐tuba バッキーas 西村直樹piccolo-b』で、彼曰く、オーネット・コールマンをやるバンドだそうです。オーネット・コールマンなんて、僕も詳しくはありませんし、プライムタイムは好きだったななんて思ったりしましたが、久しぶりに夏の客殿で、生の熱い(暑い)フリー・ジャズを聞けるのだと思うと、今からワクワクしてしまいます。
この徒然の読者なんてたくさんは居ないかと思いますが、とりあえずliveができることをご報告しておきます。
そうそう、これが大事ね。7月22日(土)です。もしよろしければ、予定を空けていただいて、夏の夜を大聖寺の客殿でビールでも飲みながら楽しみませんか?後日もう少し詳しく告知します。

2006年5月22日Monday晴れ
毛虫だらけだ。 庫裏から客殿から本堂まで、いまわが寺は毛虫だらけである。大きくはなくて、2センチから3センチくらいなもの。地を這っていたり、板壁や網戸を這っていたり。僕も草履やスリッパで踏んでしまったり、箒や掃除機で掃いたり吸い込んだり。
モリアオガエルの卵が増えたかなと覗きに行ったら、まだ一つのままだった。僕が池の端に近づくと、ササッと逃げるのはザリガニの子供たち。雨が多い今年は、この溜め池に水が豊富だ。かつて土壁を錬るために掘られたところなので、池ではないのだ。雨の少ない季節にはほとんど干上がってしまったりする。ここに毎年モリアオガエルは産卵をして、確かに毎年少しは生き延びて、繰り返し翌年は産卵するのだ。
月曜の朝はまだ少し冷気があって気持ちがいい。今日も暑くなるようだ。

2006年5月21日Sunday晴れ
快晴の日曜になった。 朝からよい天気。法事があるので、草刈りはしないが、昨日から久しぶりに晴れてさっぱりとした。
昨日は宿直から帰って、貯まっていたDLしたジャズ・ライブを6枚ほど焼いて、内藤君にもDVD週明けに渡せる。家の周りに網戸を入れ、湿気の多い客殿と庫裏に風を入れた。頭を刈って草刈りを少しして、庫裏の土間を片付けて、昼には3日ぶりに発泡酒を2缶飲んだ。
今日と来週も法事があるが、来週はもう夏衣だ。衣替えの季節だ。
ほとんど毎日、子供らの悲劇が伝えられる。交通事故で撥ねられた少年が、病院に連れていかれるのではなく、山中に放置されたらしい。酷すぎる。どうなっちまったんだ一体。僕は(爆笑問題)おおむね太田総理のお考えには賛同できます。

2006年5月18日Thursday
白けてしまうぜ雨の毎日。 ウンコしながらFMラジオ聴いていて、DJが「雨だけど気持ちはノリノリでいきましょう」なんて、そりゃあ無理ってもんだ。毎日雨で、洗濯物が部屋のあちこちに吊るされて、封印を解かれた古代壁画よりも激しく体の内外にカビが増殖している。
大瀧詠一聴きながら、体を揺らせてみるが、外を眺めるだけで気が滅入ってくる。誰かに押されでもしないと玄関から外に出たくない気分だ。でも行かなきゃならんのがサラリーマンてもんだ。
(20:00) 気が滅入ると書いていたら出かける時間になってしまったのだ。昨日、在日の朝鮮総連と民団と間で和解が成立し、歴史的なことだと報道された。北朝鮮の拉致問題がまた最近になってクローズアップされてきているし、過去の歴史をいちいち問うていたら先には進めないのだろうけれど、在日の人たちへの風当たりもかなり強いのだと思う。金正日の独裁体制は、いくら北鮮よりの総連の関係者や家族にしたって、これは小泉の馬鹿が靖国詣でを頑として辞めないのと同じ以上、いやそれ以上に目の上のたんこぶなんじゃないだろうか。総連の組織自体も、世の流れのなかで弱体化してきているのだろう。懸念するのは、煮え切らない北朝鮮の態度を面白く思わない輩が、また、在日の韓国・朝鮮の人らに対して、八つ当たりするようなことが起こりはしないかということだ。でもまあ、この国の人たちは比較的おとなしいというか、鈍感ではないが、他人の出来事には余り首を突っ込みたくないという性格の方が強い。中国にしても、韓国・朝鮮にしても、国を挙げての大暴動になるんだものな。ああいう光景は僕も「信じられねぇな」っていつも見ているな。
同僚のSと、長坂へ行ってきた。本を寄贈してくれるという人の別荘まで、それをいただきに行ってきた。ダンボール50箱もあった。本の仕事をしている人らしく、この本自体がやはり寄贈された物で、貯まる一方の本を何年かに一度処分しないと、彼の家が大変なことになるのだ、きっと。この約千冊が、果たしてどれだけ学校にとってありがたいものなのかは、司書の皆さんに中身を見てもらわなければわからないのだ。

2006年5月16日Tuesdayくもり
選ばれた選ばれなかったと、面白おかしく。 いつも感じるけど、必ず比較したがって、興味本位で面白おかしく報道する。昨日の夕方から今朝のニュースまで、もう何十回と見たような気がしている。サッカーの日本代表23人。FWに選ばれた巻と漏れた久保。2人のインタビューと、その親たちまでも。
もっと静かに報道できないものかと感じる。傷を深く深くえぐって、もっと落胆する本人をアップで映そうとするのだ。うんざりだ。
祖父の残した「山梨の修験道」の書き物を探していて、やっとみつかった。ちゃんと確実にいつでも手に取れるようにしておかなければいけない。しまった場所を忘れてしまうなら、そんなときにも困らないような保管にしっかりと努めなければいけない。サッカーよりこっちのほうが大事だ。
(20:00) チューバの高岡君が渋さ知らズを卒業したそうだ。今年に入ってからの彼のブログやそれから僕に届いたメールなんかで、彼の思いなんかが新しい方向を模索しているのだなと感じていたが、今日の彼のブログに「5月13日をもちまして渋さ知らズを脱退することになりました」と。僕は彼の人柄と、音楽に一途な姿勢がとても好きなので、彼との縁を続けていけたらいいなと思っている。去年は寺でのライブができなかったので、今年は高岡君にぜひとも一晩お出でいただいて、ブリブリとやってもらいたいと思っている。非公式ながら7月あたりにその可能性はある。

2006年5月15日Monday晴れ
午前3時過ぎに目が覚めてしまったのだ。 昨日は、午前中2時間半。午後2時間と。みっちり草刈りに費やしたので、夕食後はあまりにも疲れ果ててすぐに眠りに落ちてしまった。おかげで、午前3時過ぎには目が覚めてしまい、ぼんやりとBSの映画なんか見ながら、しらじらと夜の明けるまで。今朝の起き抜けの小便はいつになく色濃く、「あーこれが疲れなんだな」と感慨に浸った
り。昨日は草刈りの合間に、1時間ほど来客あり。昨年秋に開館した山梨県立博物館の学芸員2人と元山梨県立美術館長の濱田隆先生も同行だった。話は、今秋の開館一周年の特別企画展として「祈りのかたち 甲斐の信仰」を予定していて、不動明王をお貸しいただきたいというものであった。先日電話で話があったときに、もしかしたら?なんて思っていたのがまさにその通りだった。濱田先生には、所蔵する絵画の修復の件で大変に厄介になったし、10年前に、櫛形の春仙美術館の開館5周年記念「信仰の美術展」へも、美術品としてではなく、信仰の対象仏として約1ヶ月の貸し出しをした経緯もある。即答は避け「檀家総代に一応相談してから返事します」にとどめたが、僕の気持ちは貸し出しには問題なし。一番は、広く世間の皆さんにこのお不動様を知っていただきたい。辺鄙なところにお座りになっているので、こんな機会に少しお出かけになるのもいいでしょう。
今日支所のある下部では、昼家事で家屋が全焼。中学生の娘さんが2人居るのだと。怪我人は無かったようだが、一切が燃えてしまったらしい。学校の教頭先生も教育委員会に来て、二人の心のケアも大切にしたいなんて話していかれた。こんな時に坊さんが行って何かを話すなんてものは無くて、黙って焼け跡の片付けに精を出すぐらいだなぁと。

2006年5月12日Fridayくもり
つばめが支所の軒下に巣作り。 何日か前から、つばめが支所の事務室を飛び回っている。入口の軒下に巣を作った。はっきりはわからないが、去年の巣をそのまま利用しているのかもしれない。
空は曇り空で、明日は雨になる天気予報。高橋君と歩いて途中で分かれた。かなりスリムな体型になった高橋君は、歩くスピードも早い。僕はケータイで写真なんか撮ったりして帰ってきた。高松塚古墳の壁画の劣化がカビの増殖で著しいらしい。いくら貴重な文化財であっても、一度封印を解いてしまったら、もう元には戻らんでしょう。防護服を着けていたとか着けていないとかも問題かもしれないけど、あんな狭いところに入って作業するのって大変だよきっと。何か薬品とか最先端の技術を駆使して、コーティングでもして封じ込めてしまうとかってできないのかな?

2006年5月11日Thursday晴れ
午後6時からお勤め。 佐田さんのところで、毎年の三国院の祭祀。雨がなくてよかった。職場を出て、家に着いて、着替えて、女房に送ってもらって、6時前には始めた。去年までは車で行って、たらふくいただいて車を運転して帰ってきていたが、あまりにも昨今飲酒運転の報道が多いので、さすがに今回は女房に送ってもらった。同じ村内なので、歩いて行けないこともないけど、今日は平日だし、休日だったら歩いてもいいか。
午後9時半まで飲食のもてなしを受けて、ご機嫌で帰ってきて、風呂に入ってこの徒然。
「朝野由彦/巡礼」が届いた。僕は僕の生きかたを続けてきたんだ。誰にもこれを指図されてはいない。毎日毎日心が変わったりするけど、生きていればそれもよしとなるのではないかと思っていたりするんだ。

2006年5月10日Wednesday晴れ
薫風強く、雲の流れは早く。 雨がやってきそうな風や雲の流れだったけれど、今日も暑い昼間であった。風が強いので、背中を押されて歩いている分には汗が出ない。職場に帰って残りの時間新聞を読むために腰をおろすと汗が噴出してくる。
ケータイでブログの更新なんかをしていたら、ケータイの師匠からメールが入っていて、「あなたのは最低の料金設定だから、このままこれを楽しんでいるととんでもないことになりかねない」と指摘された。そうであったか。僕は料金のことなどまったく考えたこともなく、料金設定の仕組みなどもまったく理解していないのだ。あなた任せのケータイ電話なのだ。そういえば、『お別れ公衆電話』を歌った歌手の松山恵子さんが亡くなったのである。リアルタイムで知る歌手ではないが、役場の宴会のときに、同僚のT子さんがこれを歌って、やけに切なく思い出に残ったのだ。松山恵子がじゃなく、T子さんの歌う『お別れ公衆電話』に惚れちまったんだ。
そのうち僕のケータイ熱も徐々に下降してきますよ。現に、相変わらず電話はかかってきませんもの。ブログの更新を楽しむくらいしか使わないのかもしれません。
夕方、地元の同級生のお父さんの通夜へ。50になる僕たちは、毎年毎年途切れることがないくらい内外の不幸に接する機会が多くなる。死者も5月の風に気持ちよく乗って上がっていけるのかもしれないな。

2006年5月8日Monday小雨
大善寺の藤切り祭典に行く。 今朝はまだ小雨が落ちている。霧吹きのような雨なので、間もなく上がって天候はよくなる予定である。「連休が終わってしまいましたねぇ」なんて朝の番組。僕はもう一日楽しませてもらう。春の最後のお祭りだ。

2006年5月7日Sundayくもり
僕にはまだ明日もある。 まだ明日も休みなので。大善寺の藤切り祭典に行って、春のお祭りの行脚が終わるというところ。今日は雨の予想だったが、一日曇りだったり、夕方少し強めの雨が降ったり。
明日のことを考えてみたり、のんびりとテレビを見たり。草刈機の紐の付属品を買いに行ったが、僕の望んでいる品物がなくてがっかり。さてどうしたものか。効率よく草刈りを進めていくためには、気に入った付属品が必要なんです。ネットで探すしかないかなぁ。
でも長いと感じた連休だったな。夜には毎晩酒もたっぷりと飲んだし。祭りの片付けもすんで、コタツも片付けたり、夏に向かっていくな。

2006年5月5日Friday晴れ
子供の日は草刈りでお楽しみだ。 よい天気。草刈りをすると決めた。母が耕作をしなくなった畑の面積が年々増えていく。それで草を刈る面積は増えてきた。
シビビーの蔓が延びていて刈りにくいんだ。これがここ2.3年の草の特徴。紐と円盤との2枚仕立てで草を刈る。午前中2時間ほど刈ってお昼。カップ焼きそばとビール。食い終わるとどっと重たく疲れが出て眠くなる。そこへ秋山さんから電話。
従弟のシュンイチ君と婚約者もやってきて、3時半頃まで外で飲む。緑の葉のくれる風がとても気持ちよかった。
3人が帰ってからもうひとがんばり草を刈る。牛でもヤギでも連れてきて、終日食んでくれたらいいのにななんて思う。午後5時今日は終了。今夜は心地よい疲れだが、明日の朝はどうなんだろうと思いつつこれを書く。

2006年5月4日Thursday晴れ
連休2日目。 ゴールデン・ウィークも後半だというが、連休2日目。今日はこれから女房と娘と清里方面へ。
携帯でブログに書けることをちょっと楽しみにしている。
昨日はのんびりと過ごす。ケータイに電話番号を打ち込む作業を半日くらいかかって終わる。今朝もちょっと。結構めんどくさいものだ。この小さな代物は、僕にはあまり馴染めなさそうである。
憲法擁護と改憲の立場の双方ともが、昨日の憲法記念日をかなり大事な日としてその訴えをしたようである。政府は、憲法の改正に向けて着々とその歩みを進めている。国民投票法案まで進んでしまうか。憲法も来年には制定されて還暦を迎える。いいものは残しておけばよい。僕の中ではこの憲法を維持することこそが、世界の平和を願い続ける万民の思いの力強い糧になると考えている。
今日も暑くなりそうである。清里はきっと気持ちのいい景と風で迎えてくれるだろう。

2006年5月2日Tuesday
昨日は夏日で、今朝は雨。 寒いというより涼しくて気持ちがいいといった感じ。昨日は甲府で33.4度あったのだ。大勢の人で賑わった境内は埃っぽいので、雨が降ってくれると土が落ち着いてくれてちょうどいい。これも自然の流れなのかもしれない。
先週末を休んでいたので、昨日は伝票や目を通す書類がたまりにたまっていた。ハンコをつくという作業だけでも相当の時間を取られる。それから月初めなので、臨時職員の賃金の計算と伝票起こしもあった。明日からまた連休で、僕は月曜の8日まで休むことになるので、今日でこれらのことを片付けてしまわないといけない。
それに昨日はJET ALTの税金還付の件で(合併前のALTの確定申告だったが)、税務署にまで出かける羽目になった。まあ、それもうまい具合に片付いたのでよかったが。
夕方帰ってから先日DLした「88 Live Under The Sky」を観たが、サン・ラはよかったな。動くサン・ラは貴重だものな。JAZZは色が褪せない。1000年を経ても、僕たちはいつも同じものを求めているんだものな。

2006年5月1日Monday晴れ
お大師様は今日も休まずに新緑の中を歩いておられる。 日々の積み重ねが大事。お祭りが終わって何もなかったかのような境内に戻っている。ホントはそれが大事なのかもしれない。
息子が居なかったので、祭りの写真が今年は一枚もない。さっぱりしたものだ。昨日は一日片づけで、残っているものといえば、体の中に大量の酒の疲れだ。
大勢の人らに助けられて無事に40代最後の祭りを終えた。また来年。苦であり楽であることの繰り返し。
景色はすっかり新緑になった。お大師様は静かに歩いて平然としている。お不動様はここに座って835年を在る。僕の在り様なんて小さい小さいと思う。

2006年4月28日Friday晴れ
明日の今頃は。
疲れて眠りこけているかもしれない。気をもんでいたが、天候は何とか雨を連れてこないでくれそうだ。
お昼過ぎにアダムから電話。「イシダさん、明日のお昼ご飯と酒は何時からですか?」笑ってしまったが、友達も連れて酒飲みにお出でと言っておいた。その後に京都で宿泊業を始めたS子さんからホントに久しぶり。元気そうで何より。そして順調に仕事のほうもいっているようで。
一日慌ただしく過ぎた。午後3時過ぎに一座の護摩を焚いて、明日のお札を祈願。朝からの参詣者のために、最近は前日に護摩を焚いておく。28日だからちょうどいいのだ。で、護摩壇は明日の朝掃除をして新しいものをまた作らなきゃならん。楽しみだったり、めんどくせぇなと思ったり。女房も裏方で準備が大変だったりするけど、明日の今頃は気が抜けたようになっているかもね。終わってしまえば一つまた歳を取ってしまうような感じになるかもね。天候だけです。照る照る坊主。

2006年4月27日Thursday
やるせない雨。
今朝は小雨。やるせない雨が音もなく降っている。お祭りに向けて高揚した頭と体と、逸る心を冷まそうとするかのように、仏の心もちで降っている。
午後から明日と休暇の予定。明日は天気も良くなりそうなのだが、だが!予報じゃあさっての当日が雨予想。翌日はまた回復するようなので、雲の動きや僕の気持ちの在り方次第で、雨を避けられるか、晴れなくてもせめて雨の落ちない空にしておきたい。祈るばかりだ。手も足も出ない。娘の話し言葉で言うと、「ビミュー」なんである。
ニール・ヤングのバックを務めるクレイジー・ホースの演奏は、仏とその弟子の間柄のように、阿吽の呼吸があり、やさしく激しく、ニール・ヤングの奔放で切ない歌声に絶妙に絡んでいく。そのようなものが私も欲しい。

2006年4月26日Wednesday晴れ
分野外のことなのでよくわからないのだが。
姉歯、木村建設、イーホームズと今日8人が逮捕される予定だというが、ヒューザーの小島さんにまでは及ばないのかな?あのお方の態度は、テレビで見る限りすこぶる悪くて、相当のワルで、こういった修羅場をいくつも経験してのし上がってきたんだなと言うような印象を受けるが、そもそも今回のようなものは、基準がなかったのだと言うから。強度不足をするなんて、性善説の上には成り立たない犯罪なんだね。
こんなことを繰り返して、騙し合いながら、見つからなきゃいいんだみたいな。
さて、一日をはじめるとする。
(21:35) ストーブの灯油を空にしてから空焚きして、大きいのから小さいのまでストーブを片付ける。庫裏の僕の仕事部屋のコタツも片付ける。切り替えが大事。でもちょっと朝晩寒かったり。ストーブがまだ欲しいと感じるときもあるし、現に、今日の支所はストーブが点いていた。女房は彼女のペースで準備を始めている。今夜は20分ほど彼女と話した。それでよし。

2006年4月25日Tuesday晴れ
天気も良好、Rod Stewart。
早めに起床で、お勤めと朝食後に草取り。朝の風が気持ちE。
ロッド・スチュアートのストレートなロックン・ロールを聴いている。気持ちを高めていかなきゃなぁ。
お札の申し込みもポツポツとある。今朝もFAXとメールで1枚ずつ。♪Sailingがはじまったので、そろそろ体を浮遊させながら出かけることとする。
(20:09) 帰って草刈り。恥ずかしくないようなさっぱりとした境内にしておきたい。晩酌と飯の後にお札書き。今夜は早く済んでもうお仕舞い。父の友人の早川さんから難儀な手紙届く。最近は見慣れたが、ものすごい字である。前後を見ながら文面を理解するようなもの。でも毎年お祭りにはお出でいただき、粗餐ではあるが楽しんでいただいている。

2006年4月24日Monday晴れ
祭りまでもう間近。
昨日の準備は雨に損なわれること無く予定通りに終わった。いっとき、ザーっときたがすぐに回復したので、作業が中断することは無かった。少ない檀家の皆さんに協力いただきながら、効率よくはかどった。初めに幟の棹立てを全員でしてから、杭打ちや松明作りなんかに分かれる。女性には本堂の掃除と境内の草取りをお願いする。まあ、毎年やることは同じなので、特別に僕があれこれと指示を出すことも無い。
村の人たちも八日市の準備で、昨日はホントに雨でなくて助かった。後は当日雨が降らないことを祈るのみだ。
昨日の午後女房の親戚のおばあさんが亡くなったという事を聞いていたので、新聞を開いて「おくやみ」欄をすぐに見る。結構この「おくやみ」欄に毎日目がいくんだよね。で、「あれ?自宅葬だね、珍しいじゃん」と僕。「高齢だから家から出してあげたいということらしい」と女房。そうか、もう最近はこんな田舎でもホール葬が極々当たり前になってきて、告別式は自宅ですなんてことのほうが珍しくなってきてしまったのだ。「さよなら」の形は変わっても、僧侶の役割なんかまで、簡単にとか短めにとかなんてことのないようにお願いしたいものだ。
(20:58) 今夜から少し追い込み。溜まっていたお札を全部仕上げた。少し安堵。今日は支所の中のほうがひんやりして過ごしやすかった。外は夏日で、腕まくりをして歩いた。ディランの「時代は変わる」を聴きながら真っ青な空を仰いだ。

2006年4月22日Saturday晴れ
今日も厳しいニュースの報道があったな。
朝布団の中でテレビを見て知る。なぜこんなことが繰り返し起こってしまうのか。体の成長に思考がついていけなくなって、短絡的な行動に出てしまうのか。わからん。でもホントはちょっとわかるような気もする。言葉でうまく表せないのだ僕は。
明日の日曜は檀家の人たちも招集してのお祭りの準備になっているが、どうも天気が悪そう。ハッキリ雨みたい。なので、少し張り切って9時頃から午前中かかって柴燈護摩の壇作り。山から柴を集めてきて、ホントの柴燈護摩だな。後はヒノキの葉で覆うだけだが、当日まで間があるのでここまで。
草もよく伸びている。除草機を3時間ほどかける。祖父の頃も、父の頃も、あまり草が本堂の前なんかには無かったが、ここ数年はもうこちらのほうが草取りにかかりきりになれない。やはり短期決戦は無理がある。毎日少しずつ草を取っていることがきれいな景観の保持に繋がるのだということがよくわかる。仕方が無いので除草剤を撒いたりするが、天気の良い日が続かないので、除草剤が播けないのだ。
仕事を終えて頭を刈って、女房と飯富のセルバへ。初めて入ってみた。中も広くて買い物客で溢れている。隣の安売り酒屋で、明日の飲み物を買って帰ってきた。
ネヴィル・ブラザースのファンクな映像を見ながら、一日のご苦労さんの青缶。
さて、今夜はこれからナイターソオフトボールの総会。新庄みたいに「今季限り」とはいかないだろうか。一日くたびれた。

2006年4月19日Wednesday晴れ
黄砂。
黄砂が今日も凄かったぞ。
昼休みに歩いて「今日も霞んでいるなぁ」と感じて、夕べのニュースのことを思い出した。昨日見た風景も黄砂だったのだ。関東にも昨日は黄砂がたくさん届いたらしい。今日も、周りの風景は白っぽく霞んでいた。気流に乗って黄砂が遥か中国大陸から飛んでくる。国境があっても取り締まれない現象だ。思い煩うことにも歯止めはきかない。僕が中国や韓国や北朝鮮のことで、人知れず思い煩うことがあったとしても、取り締まることはできないし、如何なることを今日はこうで、明日は正反対のことを思ってもいいわけだ。なにやら訳がわからんが、黄砂アレルギーというのもあるんだと聞く。
ころころ替わるのが特徴の生き物。新しいケータイでは、メールができるような設定になったので、これを機にメールができるようになってみたい。ブログなんかはケータイでも更新できるみたいだし、そんなこともできるようになってみたい。
(20:43) 何だかよくわからないながら、初メールを自宅宛に発信して、めでたく受信。50間近男の自慰行為のようなもの。でも元気でいたら、一年後にはけっこうケータイメールの達人になってたりしてね。(^^♪。

2006年4月18日Tuesday晴れ
節度ある 新しい人間らしさ。
タイトルは、今日の朝日新聞の大江健三郎氏の「定義集」の見出しである。暑いくらいの外を昼休みに歩いて帰ってきて、残りの休み時間に朝日を開いてであったものである。大江さんのものを今日読むことができて嬉しかった。説明しにくい内容なので省略するが、とても美しく感動的な光景が目の当たりに見えるようであった。
妹弟子からもうケータイが送られてきた。夕食の前後にお札を書いて娘が帰ってきてから箱を開けてケータイと面会。やはり僕には使い慣れない、慣れたくないような小さな代物である。女房と息子と娘の番号を入力しただけですっかり萎えてしまった。妹弟子のKIKUMIさんの番号は、娘がケータイ同士を近づけながら転送してくれた。新しい物好きなんだけど、このケータイという代物だけはどうにも控えめになってしまう。ありがとうとお礼の電話を入れると「もう洗濯しないでね」とやさしく忠告された。そうね、できればこれが最後のケータイにしたいねというような重い気分で、早々に充電器にお休みいただいた。

2006年4月17日Monday晴れ
善哉。
月曜の朝の支所は、窓が開け放たれているのは時節柄、雰囲気はいいが、時間が経つにつれ、みな黙って仕事をしていたが、誰からともなく「寒いじゃんねぇ」「爪先が冷えるだよな」と。でも結局ストーブは点けなかった。寒いときは我慢せずにストーブ点けてもいいよって雰囲気がほしいよな。
僕は夕べ、「もし叶うならもう一度生まれ変わって、子どもとしても、親としても、僧侶としても、もう一度やり直してみたい」と考え続けた。ここにこれらのことをいちいち書くことはとても恥ずかしいことなので書きはしないが、「ははぁ?書けないほどのことなんだな」と推察していただいて結構。
果てなく考えが渦巻き、眠気もあって、脂汗が吹き出て、どうしてか心に乱れが生じることが最近多い。自分で招いた業がかなり重たくなってきたようだ。言い訳は考えずにただ経を読み、寺務をこなし、それを一日続ければ、一日のことを「善哉」とするか。帰り着いて、夕暮れの前にと急いで竹林で祭の幣の竹を切る。サワサワと笹がこすれながら、それでも励ましてくれているようにそれを受け止めてしまう。

2006年4月16日Sundayくもり
草刈り始めました。
朝少し雨。午前中ダラダラと布団の中で思案しながら、9時からお札書き。檀家と寺院へのお札を仕上げる。雨が上がったので、境内の草取りを始め、午後にはガソリンを刈ってきて本格的に、今年の草刈り初め。屋根に上がって樋の掃除も。5時にチャイムがなってシャワーを浴びてお勤めを済ませて、少しお札でも書こうかと筆を握ったのだが、草刈り機を2時間以上使っていたので、手が震えてダメ。で後はアクアブルー。汗をかくのは気持ちがいい。

2006年4月15日Saturday晴れ
ケータイが。(ーー;)
夕べは楽しく飲んだんです。半年振りくらいの若大将。課長にいただいた鹿肉も、マスターが機嫌よくスライスしてくれて、鹿刺しを堪能。
A山さんT橋君と、女房と娘と。話は尽きない。焼酎を空にするごとに話は佳境に入る。入り込んだら抜けられない、秘境の大洞窟。
で、爆睡の朝を迎え呑気に過ごしていたが、ふとケータイが無いことに気付く。気付くと探したくなるもの。決してかかってなどこないケータイでもだ。女房の車の中にでも置き忘れているのだろうと思ったので、彼女が帰宅した後に聞いてみると、「気が付かなかった」と言い、で、僕は物干しに洗濯してあった作業着の左胸のポケットを触ってみた。!あった!
なにやら洗剤の名残のように白くなっている画面と、押しても点灯しない電話。アウトです。
我が妹弟子のKちゃんにすぐに電話して、新しいケータイを何でもいいから見繕って送って欲しいと。登録してあった携帯番号なんかはもう引き出せないんですと。トホホだけど、ほとんど使わないケータイだったし、血が頭に上って耳が真っ赤になるほどに困っちゃいないんだよね。火曜日くらいには新しいケータイが届くことになりました。
これをお読みの皆さんで、僕にケータイ番号などお知らせしておきたい場合には、メールくださいな。

2006年4月12日Wednesdayくもり
白い地下足袋。
日曜日に履いた修験用の白い地下足袋を洗って庫裏の出窓のところに置いといたら、今朝見たら1足しかない。「野頼犬の仕業だ」ととっさに思ったので、本堂から四方を眺め、お勤めの後、だいぶ降った後だったので、見回りも兼ねて墓地から庫裏の裏まで歩いた。
結局本堂の先のブランコの近くに相棒は落ちていた。流れた落ち葉や木の枝で流れの止まった側溝などをきれいにして朝から汗をかいた。おかげで腸の働きがよくなったのか、今朝二度目の排便と相成った。満足。

2006年4月11日Tuesday
雨で寒くて書くことも無く。
あがた森魚が流れている。お祭りの護摩のお札の申し込みが徐々にあるんですの。たくさん申し込みをいただきたいわなんて、あがた風に、大正ロマン風に。
雨ばかりで嫌になる。帰ってきて庫裏の裏の側溝の落ち葉を片付けて流れをよくする。何事も小さなことの積み重ね。
今日は午後から労働保険の申告の説明会。何とか形になったので、明日労基署へ申告に行ってこようかなんて考える。牧丘の葡萄酒を飲んで酔った。日曜日に栓を抜いて今日の夜には酸化が進んでいたので、女房に料理に使ったらなんて言いながら飲んだけど、アルコール分は落ちていないみたいだ。いい気持ちに酔っていて、あがた森魚から、「はちみつぱい/こうもりが飛ぶ」に変わった。この30年前のサイケデリックな演奏に、頭の中がぐるぐる回りはじめた。
夕べも埼玉のO氏から電話。こちらはこちらのできることをやっています。

2006年4月10日Monday
寒い夜です。
昨日は甲府の華光院の春のお祭りに行ってきました。前の晩の信玄公祭の武者行列は例年天気が悪くて雨がしょぼしょぼ降ったりするけれど、翌日の華光院のお祭りは不思議と快晴なんだよね。ここのお祭が晴れていると、うちの29日も絶対晴れるぞと確信みたいなものがもてるんだよね。とはいえ高台にお寺があるので、そこは甲州の空っ風が、柴燈護摩の道場に吹き荒れましたよ。でも火の収まる頃には風も少し凪いできて、火床も素足で無事渡ることができました。
今年もお稚児さんやら、YBSのモモオ、モモッチがやってきていて、やっぱ甲府は都会だなぁ。俺のところじゃこんなことできないし、稚児行列もちょっと大変だしななんて思ったり。帰ってきて夕方酒飲みながら、女房に愚痴ほどでもないが語ると、「ここはここでできることをすればいい」ときっぱり言われて、「そうだな」なんてね。
10枚組みの「1972春一番」がスピーカーから心地よく流れている。吹き荒れるって感じじゃなくて、緑の野山を吹くって感じね。僕の青春はまだこんなところに漂っているのだな。
久成のSさんの家に「今年もワラビと、ヒノキの葉をいただきたい」と電話を入れると、肺を片方とってしまって、外に出られずに家で遊んでいるとのことだった。ワラビは奥さんの担当なので大丈夫とのことだったが、ヒノキは枝おろしができないので、僕が直接行っておろさせてもらうことにした。翌日の夕方酒を1本持ってたずねた。酒はぼちぼち飲んでいるのだ。元気そうな顔を確認して帰ってきた。寒い夜はいやだなぁと思いながらこれを書いて、さて風呂に浸かって寝るとする。

2006年4月7日Friday晴れ
娘の高校3年が始まる。
ということは、来年の今頃は彼女の進路にもよるが、この家を離れているかもしれない。母親と女房と僕の3人になるということか。なんだかそれを思うとさびしいな。誰もが家族になりたがって、やがてその家族が離れ離れになって、若い者らは新しい家族を作っていく。喜びがあり、悲しみがあり、それがいつだって繰り返しだ。生れて老いて病んで死んでいく縮図の中だけのことと、なかなか割り切って考えることができないのが本音だ。
来年また桜を迎えるときには、50歳の春だ。
夕べ遊びに来たアダムが、「藍の英語の勉強手伝ってあげるよ、ご飯ご馳走になるから」と嬉しいことを言ってくれた。暖かな日差しが始まっている今日をいい一日にしよう。

2006年4月6日Thursday晴れ
身延北小学校の入学式に代理出席。
緊張しながら入学式の来賓として出席。身延北小学校の新入児童は9人。全校で78人だ。君が代の斉唱を除けばとてもよい入学式。僕は君が代は体が受け付けない。で、学校の栞にも「君が代」ってあるんだよね。例えば国歌斉唱とかってないよね。国歌以前に、「君が代」となるんだよね。(キーボード打ちながら晩酌しているので、「君が代」が「君が夜」になったり「君が酔う」になったり、別にあなたのことを冒涜しているわけではありませんが、認めてはいません。)アダムが今夜やってきたの。夕べ久しぶりに現れて、「たまには飯でも食いに来いや」って言ったら、もう今夜やってきた。女房と笑ってしまったが、楽しい夜だった。アダムも「明日は中学校の入学式で、今日はその準備でした」なんてね。
6年生が1年生の手を引いて入場してくる光景は、とても感動的で、新しい朝のような新鮮な思いでながめた。町が合併して、極々小規模な小学校ばかりなので、統廃合の問題も急務ではあるし、止むを得ないようなところはあると思うのだけど、こんな風にそこに実際臨んでみると、「うーん、いいなぁ」って思ってしまうね。

2006年4月5日Wednesday
一日雨で、彼を送る人たちの群れは誰もが背中丸めて。そして、これでよし。
T君の告別式会場は、午後1時近くになって行ったんだけど、長い列が待っていた。雨は激しくもなく、寂しくむせび泣くように降っていた。「焼香は一回でお願いいたします」と案内の女性が念を押すように、役場の職員や消防団員や多くの一般の弔問者であふれていた。3月に役場を退職したH君が役僧で葬儀を務めていて、きっと退職後の初めての僧侶の仕事だったのかなぁなんて考えた。
僕は年度初めでやっつけ仕事があることもあったので、早々に失礼をして帰ってきた。僕は自分が僧侶だからなのかもしれないけど、その場所にいつまでも留まっていることが苦手だ。焼香が終われば、僕の中ではそれが完結してしまう。
“さよなら”はいつまでも引きずるものではないと思っている。僕のなかの死は特別なものではなく、仕事でもあるので、あまり感情に流されることがない。生きている者と死に至ってしまった者の境も、明日は我が身と考えれば、案外さらりと受け入れてしまえたりする。諸行は無常であることが、なんとなく最近になって僕の中では、ぼんやりと僕の中だけのことだけど、納得し始めてるんです。
「明日は我が身」っていえば、今日参列した同僚たちの多くは、彼の死を「明日自分に起こっても不思議ではない」と思ったかもしれない。そんなことを考えてしまうように、僕たちの働く時間は、無味であったりするのが日常だ。「おはよう」と「さよなら」の間には、とにかく仕事のことしかなくて、互いを思いやるようなゆとりは無いに等しいと感じている。忙しい忙しいと嘆きながら、生き急いでしまったんだろうか?でも、「あー、楽になりてぇなー」とつくづく思ったり、ひとりになった時に吐いてしまったりすることってあるもんな。
クルマのなかで「追弔和讃」唱えながら、僕は僕の中の彼にきっちりと縁を切って送別させてもらった。

 ※追弔和讃
   人のこの世は永くして  変わらぬ春と思えども  はかなき夢となりにけり
   あつき涙のまごころを  みたまのまえにささげつつ  おもかげしのぶも悲しけれ
   しかはあれども み仏に  救われて行く身にあれば  思いわずらうこともなく
   とこしえかけてやすからん
   南無大師遍照尊  南無大師遍照尊

2006年4月4日Tuesday晴れ
苦しい胸の黒い塊みたいなものは取り外せたかい?
ショッキングな昨日の出来事から一夜明けて、夕べから少し考えていた。神経の図太い奴でなきゃ生きられないような世の中になってしまったんだろうか。繊細で、おつなしくて、いつも誰かの後ろに並んで話を聞いているような。その個人的な事情を差し引いても、残された奥さんやまだ就学前の二人のお子さんのことを思うと、「それはないじゃねぇか」と思わずにはいられないよってのが僕の気持ちだ。
ただ、人が人を思いやること自体が薄れてきている時代だ。何気ない言葉でも、大きなショックを受けることもある。町が合併して、余剰人員をスリム化させるために躍起になっている。言葉は悪いかもしれないが、「労せずしてひとり減らせたな」と思うかもしれない。小さなひとりだから、いつまでもみんなの心の中には生き続けられない。君を思う人の心にだけはいつまでも生きられるが、昨日会ったばかりの強引な人間の中じゃ無理だ。
君が吐き出せなくて君をそこにまで至らしめた、黒い塊みたいなものは吐き出せたかい?今朝もよい天気で、青空に解放された君が恥ずかしそうに、のっぽの背中を丸めながら、手を振っているような姿が想像される。生きることも生きていることもなかなか難しく、辛く、簡単なものじゃない。僕もいつだってそんなことを思いながら、時には押しつぶされそうな憂鬱な気分に陥り、厭世的になることもしばしばだ。先に逝っちまっても、残した3人を見守ってやることだな。それさえがもう君に課せられた仕事じゃないのかなと思う。

2006年4月3日Monday晴れ
とてもいい天気になりそうだ。
年度末の飲み疲れやら昨日の雨やらで今朝を迎えたが、青空と朝の日差しがまぶしい。
昨日は朝の小雨の中を「八日市」の野立て看板を両入り口に立てた。もうすぐだなと思っていると、結構早くやってきてあっという間に終わってまた来年となる。僕の一年もなんだか早く急ぎ足になってきたようだ。
ネクタイを締めて、背広を着て今朝は出勤。一年に一度の恒例行事のように、今朝は年度初めと人事の異動がある。僕は対象ではないが、教育委員会人事の介添えをしなければならない。
雨がたくさん降って、早咲きの桜は散り始め、これからの桜の薄桃色が裏山に見え始めた。坊主頭に日差しが暑い。
下部支所のY″Blue Note″所長もW係長も、今日からそれぞれ本庁と中富の保健センター勤務に変わってしまう。下部の人たちが少なくなった古い建物に、中富の僕が2年目を始める。

2006年3月30日Thursday晴れ
彼岸桜が満開。
エドヒガンというくらいだから、花の開くのは少し早いのだな。いまが盛りで、今週末には散り始めるだろう。まだ境内のほかの桜は数本を除いていまからだ。
以前は桜の花があまり好きではなかった。あの薄桃色が絨毯になっているような光景は、鼻詰まりの元だった。あれを見るだけで憂鬱な気分になったし、どこかの町の職員の事務服が薄桃色で、それを見るだけでもうんざりした。
でも、いまはこのエドヒガンザクラの老木の生き続ける様を見ながら、僕がつっかい棒をしたりしながら、毎年のこの季節を楽しみに待つようになった。大ケヤキもそうだけど、悠久の時を経て泰然とあり続けるこの、見てそのとおりの樹木に学ぶことが多い。

2006年3月29日Wednesday晴れ
押し詰まってきたぞ。
今週は教育委員会の異動の辞令を作ったり、臨時職員の雇用通知を作ったりしている。教育委員会は臨時職員が多い。50名近く居るので、新たに採用したり辞めていく人たちの社会保険や雇用保険の手続きなんかも4月早々には速やかに片付けなければならない。
慌ただしいが一時のことだと思うので何とか。向かいに座る係長は、4月早々に出入りの教頭や校長の歓送迎会を開かなければならない。教育委員会というところはそんなところにまで気を使わなければならないのか?どうもこの辺りは僕の理解の範疇から少し外れる。
臨時にいま居る女の子が辞めてひとり減となるのであるが、僕のところは誰も異動がなかったので、押し詰まってもみな平常のままである。4月になると係長とかの肩書きが無くなって、係制から担当制に変わり、グループリーダーというのを決めて、広く「教育担当」となる。
昨日課長は、お昼に椎茸をバター炒めして弁当持ちに振舞ってくれた。そういえば去年教育委員会に移った4月、よく課長は椎茸やタラの芽なんかをみんなに持ってきてくれたな。またそれがあるといいな。きっとあるだろうな。

2006年3月28日Tuesdayくもり
天気は下り坂。
今朝は曇りだ。今にも雨が落ちてきそうだ。この曇り空もまた静かな朝だ。
松本智津夫の控訴が棄却されて、彼の死刑が確定してしまうかもしれない。彼自身から発するものは何もなく、彼自身の口から語られる弁明の何も聞くことができずに死刑が確定されてしまってよいものか。10年以上も引き伸ばし、これがあっさりと決着してしまうことにはなかなか納得しがたいものがある。見方によれば悪者は何も言わせず葬ってしまえばいいみたいな短絡的なものを感ずる。飯も食えば小便もしているのだろう彼だって今。そのゆっくり流れる日々の最後まで、彼が語ることができるにもかかわらず語らないのか、本当に語れないのかわからないが、どんな変化が生じるかわからないではないかという気もする。
彼が何も語らずに死刑が確定すれば、オウムの残党の過激グループは、彼をより神格化するに違いないだろう。神は何も語ってはくれないものだ。対峙する時間が尊く、そこから何かを学び育っていくということもある。
さて、出かけなければならん。
(19:55) 雨だ。よく雨が降る。雨が降ると桜の花の散るのが惜しい気がする。通勤の少しの時間を、お経を覚えたりとか、御詠歌を覚えたりとかにも使う。「追弔和讃」を覚え始めている。追弔和讃は、次に亡くなる檀家の誰かの通夜の席で唱えようと密かに思っている。

2006年3月27日Monday晴れ
よい天気だ。静かな朝だ。
春休みが始まったようで、なんとなく外は静かだ。のような気がする。大塚まさじのライブアルバム「OSAKA LIVE」のジャケット。
NHKの『風のハルカ』の最終週が始まった。女房は、朝の連ドラは、関西で制作するドラマが面白いと言う。なるほどと感心する。
僕の3月の最後も動き始めた。
(18:45) 夕食も済んだ。女房がヘルパーの集まりが7時からあるということで、カレーライスの夕食がせわしなく済んだ。今夜はさすがに飲まない。課長から椎茸をいただいたので、帰りがけ、車に乗り込んでちょっと飲みたい気分に陥った。食卓にバターの匂いと椎茸の匂いの交差した椎茸の盛られた皿を見て、ビールでもと思ったが我慢した。大塚まさじの「OSAKA LIVE」を買った。こんな風に今の彼らのアルバムや歌声を聴きながら、同じように歳を重ねていこうという気持ちになる。いつもやさしい風の中に生きていられる。

2006年3月26日Sunday晴れ
見学団1件、法事1件。
朝から団体の参観があった。お不動様をお開帳する。先方はいくつもの箇所を予定しているらしく、説明もほどほどにお不動様をお参りして風のように去っていった。梅も桜もいい頃合いになっている。本堂の階段の下にスリッパを置いてあるんだけれど、こういう団体になると必ず2、3人はスリッパを履いたまま堂内へ入るのが居る。これっておかしくないか?と思う。家でも畳みの部屋までスリッパ履いて歩きますかと訊くと、「それはない」と言う。通常お堂の畳の間の手前で「スリッパはおわりだな」と思うはずである。最近は注意する。よそのお寺でもこれしたら注意されますよと。
初めてのところとか、これはどうすればいいんだろうと迷うようなときは、そのことをしないことが賢明である。
午後東京のSさんの奥様の七回忌。再婚をされたので、「女房は連れてこないで、甥と一緒に来た」と。最近足が痛くなって歩くのに苦労すると、弱音を吐くようになった。「東京へご家族で出てきて、新宿の夜景でも見ながら食事しましょうよ、あと2、3年くらいしか持たないよ」なんて言いながらお帰りになった。遠くに住んでいる方は、お寺や先祖を思う気持ちが余計に強い。ありがたいと思う。ときに「めんどくせーな」と思うようなこともあるが、たった3軒だけであっても、東京への7月の棚経は続けたいものである。

2006年3月23日Thursday晴れ
暖かな一日だった。
雨が上がり今日はとても暖か。気温もお昼には上がっていたろう。歩いて体が汗ばんだ。今朝は職員の異動の内示がされた。僕の学校教育課は誰も異動にならなかった。同じメンバーで新年度体制となる。臨時職員1名が解雇されるのでマイナス1だが。なんとなくのんびりとした気分に落ち着いて外を歩いた。今年は桜の花なんかも楽しみながら年度切替えを迎えられそう。古い建物の中に、こじんまりと納まって、能力以上の無理はしないで働いていきたい。静かなこの場所が、一年を経過してとても好きになった。

2006年3月22日Wednesday晴れ
片付かなくて困ってるんだ。
梅の花が満開になり、彼岸桜ももうぼちぼちと開き始めそうである。桜の開花は温暖化で速くなっている傾向にあるらしい。野球の世界王者になった話題で持ちきりである。サッカーもこういくかなぁと思ってみる。野球のある国自体がちょっとしかないんだよね。世界一とかってのはあまりぴんとこない。ま、歓喜する話題のあることはいいことだ。
彼岸の中日の法要は僕を入れて8名。だいたいがこんなもん。法話をしてお茶を飲む。ヒキガエルが今年はよく鳴いて、暖かな昼に池の周りをノッソノッソと這っている。午後の風は強い。
樒のことを後輩から聞かれたので、樒が護摩の火の中で解けていくときの怪しい匂いのことを考えたりする。樒の彼女がお母さんとの車中を、どんな風な想いで過ごしていたのかも気になって考えてみた。
不安でいっぱいになる。飲めば飲むほどに、酔いで堕落した自分自身が、一向に何も片付けていないことに気付く。片付かないままにここから先のことを考える。先細りになって、途中のものはまたまた山積みとなる。

2006年3月20日Monday晴れ
駐車場で大音量でカーステレオ鳴らしている。
いつの時代でも若者は元気だ。などと、50才間近の元若者は思う。クソッ!ウルセー。夜空は澄み渡って星がきれいだ。
土曜日曜と、お祭りや法事でバタバタと過ごし月曜の今日。列島は大風が吹き荒れているようだが、昨日の市川のお祭りも例年のように風が強かった。柴燈護摩の時間が午後4時なので、いつも風がつよい。道場も狭いので、僕は逃げられないので火の粉を浴びながらの修法となる。今年は法印さんが水をかけながらやってくれたので、去年よりは幾分助かった。去年は頭も焦がしたが、袴の前が火の粉で穴ぼこだらけになった。もうこの衣体は、西光寺の柴燈護摩用にだけ使うことにした。僕に力を貸してくれるお2人に、生ゆばをお土産にすることにしているが、お2人は僕に葡萄酒を持ってきてくれる。なんか物々交換の日になっているが、これもまたお楽しみなんだね。

2006年3月18日Saturday晴れ
知らなかった。
夕べ宿直でテレビを見ていたら、興味深いものがあった。それは洋式トイレの場合、男も腰掛けて小便をするという答えが20数パーセントに上がっているのだと。こりゃ驚いた。微々たる思いさえ頭の中には無かった。そりゃ当然大便のときは座らなければいけませんがね、パンツ下げて腰掛けて小便をするなんて、考えたこともなかった。で、問題は、洋式便器に向けてはじく小便の滴の飛び散りが意外とおびただしいということ。色つきの液体を小便に見たたて便器にはじいた後に検証すると、便器の縁や床にもその痕跡が顕著に表れている。まあ、それを気が付かなかったわけでは僕もないが、そうする行為に変化していくべきなどとは思っていなかった。
今の家庭では、掃除や衛生面のことも考えて、小さなうちから男にも、独立した男性用の小便器がないときは、洋便器に腰掛けて用を足すようしつけているとの事。僕もこれからは、このことにあたるとき、暫しこのことを考えることが何度もあるような気持ちになってくる。ちなみに、この洋式便器の内側(小便を向けて方向を定める目標の位置)に、目印になるようにダーツの絵を描いてあるものもあった。
(9:09) この上は朝、宿直明けの庁舎で書いたもの。さて春の彼岸の入りです。よい天気になっています。今日はこれから八田の長谷寺の観音祭りのお手伝いに出かけます。
(20:32) こんなお寺で勉強をさせてもらいました。大般若難しくて僕の手に余りました。法螺貝を吹く実践をつめるのはとても楽しみです。

2006年3月17日Friday晴れ
雨が上がり暖かい日となりそう。
昨日の午後から夜にかけてけっこう雨が降った。今朝は打って変わってとてもいい天気だ。
梅も蕾が一斉に開き始めた。彼岸中のいい眺めになる。
(16:33) 今夜宿直なので。
「My Yhoo!」を設定していて、予定表なんかは家と職場で共有できてたし、書き込みもできてたので重宝してたんだけど、一昨日からこれが職場のPCでは使えなくなった。「このウェブサイトは現在管理者によって規制されています」画面になってしまい、「My Yhoo!」のトップページは眺められても、予定の内容をチェックすることができないし、もちろん新規予定の書き込みもできない。ウィルス予防なんかに対し、異常なまでの過剰反応である。広域計算センターという組織か。水道水流しっぱなしで手を洗い続ける潔癖症。芽を摘んでしまうことばかり考えているんじゃなくて、悪者が入ってこない護符でもパソコンに貼り付けておけ!というようなことを考えてもらいたいよな。人が人を信じないような職場で働いているようなもんだ。

2006年3月16日Thursday晴れ
晴れた青空。
昨日は11時から午後5時過ぎまで議会の教育厚生常任委員会に缶詰。終わったのが5時15分。相乗りで下部支所に戻り、さっさと片付けて帰ってきて6時過ぎ。夕飯のあと、委員会報告の教育委員会関係を録音を聞きなおしながら報告書にまとめて風呂に入ってバタン。
長時間働くというか緊張感を持続するということができない。職員なんかも千差万別で、訊かれた事にだけ簡潔に応えて済ます人間も居れば、質問に対して聞かれた以外のことまで余計に喋る者も居る。「ハイ!補足説明をします」なんて、委員会審議を短く終わらせたい気持ちで居るのに、喋り始めると停まらなくなって、「あんた方が引き伸ばしてるんだよ」と言いたくなったりする。あげくは、休憩時間に古参議員が、当たり障り無く「おかずは言わんでもいいよ」とやんわりと窓際で苦言をポロリとするなんて光景も目にした。
なるほど、先生方のお株を奪ってしまうようなところまで出すぎてしまうのは、かえって彼らの反発を買うことになる。何事もほどほどにしないとね。延々待たされた挙句、仕舞いにゃ議員も疲れてきたのか、教育委員会関係の予算審議などは質疑もほとんど出ずにさらっと流れて終わってしまった。拍子抜けである。
とこんな昨日でありましたと。

2006年3月14日Tuesday晴れ
満月をいただく。
教育委員の先生方の会議があり、その後の反省会が終わる時刻を見計らって再び迎えに行き、それぞれを送り届けて帰ってきたのが8時40分だ。こんなに遅くまで仕事?をしたのは今年度になってからは初めて。町が合併してからは、お蔭様でというかまったく残業なんてしたことがなかった。
でも今宵はたまたま十五夜の満月で、空も澄み渡り月がよく映えている。風呂に入り明かりを点けずにブラインドを上げ、窓を開けて月明かりをいただいて風呂に浸かった。露天に入っている気分になり儲けもんの今夜の風呂だった。
明日には3月議会の委員会審議がある。あーあ教育委員会も一年経つんだな。

2006年3月13日Monday晴れ
風が冷たくて。
昼休みに歩き始めたんだけど、風が強くて冷たくて、挫折してショートカットで戻ってきた。頭もほとんど頭皮状態なので、風当たりに敏感で耐えられなかった。
体が冬から春に変わる過渡期にあって敏感なんだな。
昨日叔父さんのお寺のお祭りで、お仕事御免のあとに飲みすぎてしまったので、余計に今日は水分を欲しがっていて体が干乾びていたので、直接の風は刺すように痛く感じたのでした。

2006年3月11日Saturday晴れ
たっぷり一日寺の仕事。
9時半から埼玉から来たO氏のための護摩を焚く。檀家から頼まれた彼岸の塔婆を書き、来週の西光寺のお祭りの準備。竹を取り五大力尊の幣を仕上げる。護摩木も一座分作る。
18日の南アルプス市の長谷寺のお祭りへの出仕を頼まれてOK。春のお祭りがたんまりとある。明日は不動寺。18日が長谷寺。19日が西光寺。鶯が谷を渡るように、僕も毎年こんな風に祭りを渡り歩きたい。
寺に生きることを楽しむ。

2006年3月10日Friday小雨
息子の20歳の誕生日。
相模原で今は春休みのアルバイトをしているようだが、今日の誕生日で成人した。僕は親であるが彼に対して何をしたということもなく、かえって鬱陶しいくらいの存在であったので、育て上げたのは女房ということになる。娘についても同じだ。
子育てを放棄したということでもないが、親であっても子育ての仕方がわからないとか、接し方や付き合いが割りと苦手であったかもしれない。
いい加減な男親を見てきたので、その点は反面教師になりえていたようで、今のところ比較的問題もなく大学の授業にもついていけているようで何より。彼の選びたい道の後押しをしてあげたいということだけが僕の気持ち。それだけである。
小雨の朝になった。どんよりとした朝は、体の目覚める反応が鈍い。明日も明後日も寺の予定が入っているので、こんな朝にはそれを考えるだけでも水中に居るような苦しさを覚えてしまう。

2006年3月7日Tuesday晴れ
通夜へ。
なんといっても身延町だからね。日蓮宗の総本山身延山のお膝元だから、日蓮宗の寺院が多いのは当たり前。日蓮宗の信者も大勢居るので、皆さんよくお経も知っておられる。何より唱えやすいというのが正直な感想だ。
遺弟ふたりは、頭を剃りあげ白装束に身を包み素足で弔問を受ける。これから長い長い僧侶の生活が始まるのかもしれないな。
得てして、この日蓮宗のお膝元なんてのがなかなか厄介だったりするみたいである。下らぬ坊主の真似だけはするなと、僕は彼の青い頭に向かってテレパシーを送った。また明日本葬にもいきます。宗派は違ってもお坊さんだもの。お坊さんはもっと尊敬されなくちゃなりません。僧侶を失うのは村にとっても損失であります。と、そんな風なことを思ってしまう寒い夜。

2006年3月6日Mondayくもり
天候は下り坂なんだそうです。
本堂への石畳が少し濡れていたし、また雨になるのかと思うと一週間の始まりが憂鬱になってくる。
さっき組長さんが触れに来て、上の円光寺のご住職が亡くなったいう。円光寺のご住職の息子は僕の役場の後輩のH君で、今月いっぱいで役場を辞めるという話も聞いていたし、その理由のひとつにお父さんの健康状態が思わしくないのだということも聞いていた。
こんなに早く訃報を聞くことになるとは思わなかった。残念だ。
うちの寺とは隣りになるのだけれど、向こうは日蓮宗なので、ほとんど寺としての付き合いはないが、H君とは役場でも地域でもいい付き合いをしている。寺を背負っていくことは、その規模の大小にかかわらず、本人の気持ちや心の持ちようが大事なのだと感じている。

2006年3月4日Saturday晴れ
ちゃんと一日まじめな寺男。
気持ちよく晴れた。休みなので、客殿も戸を開け放った。
朝9時から厄祓いの護摩一座焚く。今日は護摩を焚こうと用意していたので、夕べ「厄祓いをして欲しい」と電話のあったのもタイミングがよかった。近所のS君で、彼は高校を卒業すると海上自衛隊に入り、今は千葉県にある基地に居て、海自の保有する飛行機の整備などをしているのだという。精悍な若者になり、休暇で帰省していたというわけだ。
護摩を終えて昼飯の前後でお札作りなど。2時過ぎから本堂の護摩壇の掃除と本堂の掃除。来週の土曜も護摩の以来があるので、掃除後に次回の護摩の準備もする。本堂も寒くはなくなった。今日も本堂裏に置いてある秋山さんから貰ったほだ木に椎茸が出ていた。これを抱いてきてくれたS子さんは今京都に暮らしているらしい。
その後伸びた頭をさっぱりと刈り、この徒然。あとは焼酎だ。
女房は一年に一度のお楽しみの、雛壇を午後から飾った。娘は興味を示さないが、「わたしが好きで飾りたいの」であるから、こちらもそれ以上
止めたら」なんてことは言えない。秋山さんの姪御さんが来ているらしいので、遊びにきたらお雛様見てもらえるのにななんて僕は思っている。

2006年3月3日Friday晴れ
やっと太陽が顔を出した。輝いて生まれた朝。
何日かぶりで天気のよさそうな朝。晴れてあたたかくなればいいが、この時期の天候はよく変わる。
今朝はすべての窓が凄い湿気で濡れている。台所と客殿をつなぐ戸もこの影響で湿気をもって重くすべりが悪い。本とは家中を開け放って空気を入れ替えて乾かすことが一番。
梅の木を見るのがこの時期一番の楽しみ。今週は月曜と火曜を休んだので、もう金曜日かってな感じ。明日はもう休みになる。
娘は昨日から最後の試験が始まり、彼女なりにがんばっている模様。女房はそれにいつものように付き合い、今朝も4時に起床。ご苦労さんです。僕は僕の今日一日を楽しみたい。今日は歩けそうだな。

2006年3月2日Thursdayくもり晴れ
春とは呼び声ばかりで、夜は寒いね。
彼岸の法要と塔婆供養の案内のはがきを印刷して、それからお祭りの寺院案内もついでに印刷。
寒い夜だ。紅梅の蕾がだいぶ膨らんで、紅色がはっきりと見えてきた。
また、相変わらずの春が来るな。相変わらずの春の催しを迎えるのだな。苦になったり楽しみでもあったりと、三寒四温のように僕の心はころころと変わる。

2006年3月1日Wednesday
3月卒業式。
今日から3月。年度の締めの月で、高校の卒業式。来年の今日には娘も卒業式かと夕べ女房と話した。
雨が続く。今朝も朝から雨で一日が始まった。
27日の夕方から昨日一日、上求寺の大滝不動尊のお祭りに牧丘まで行ってきた。前の晩には近くの「鼓川温泉」にのんびりと浸かった。おじさん、おばさんと話しながらゆっくり酒をいただいて過ごし、雨のない昨日のお祭りは、いつものように寒いお堂の中で、お不動さんを守ってきた新地という地区の皆さんだけであったが、厳かでよかった。じっくりと伝統に守られている。地元のCATVの取材もあったが、山深い杜の中に、電気もなく(昨日は発電機が動いたが)ひっそりと建つお堂が、黙っていても教えてくれるものがある。
メールが本物か贋物かなんてことばかりに終始している国会を、国民の誰もがしらけて見ているんじゃないか。こんなことばかりがダラダラと続いていれば、彼らに何も期待するものはない。粛々と僕の3月を歩もう。

2006年2月26日Sunday
一日大雨が降り続いた。
おかげで午後3時ごろから2時間ほどかけて寺や墓地の周りの水路の掃除ができた。落ち葉の溜まっていたとこやら、土が堆積していた水路なんかも掃除できた。
汗をかいて、庫裏の風呂場でひげを剃り、頭は寒いから刈らないでもいいやと決断し、僕の週末は幕を閉じた。
明日の夜は牧丘の上求寺へ行く。28日に大滝不動のお祭り。2月も28日でオシマイ。寝不足にもなったトリノオリンピックも明日には閉会となるようだ。4年という月日を先に思い浮かべることが、僕なんかにはもうずいぶんと遥かのように感じられる。53歳になっていれば、息子は社会人になっているかもしれないし、娘は社会人か大学生活の後半になっているのかもしれない。僕はその頃になったら、将来の生活設計を女房が計画してくれたならば勤めを辞めたいと考えている。適うかどうかはまだ未定だが、ただ自分の残りの人生や寺の事などを考えたとき、役場勤めを定年退職まで続けていたら、一方で自分の人生に我慢をしてしまうことになってしまうような気がしてならない。
寺の住職を辞める日のことも考えていきたいという事もあるので。

2006年2月25日Saturday晴れ
風は冷たい。
のんびりと土曜の一日がもう終わろうとする。昨日UTYから『甲斐百八霊場』の改訂版が届けられた。市町村合併などによる改訂版なのだが、中の写真なんかも最近のものに変わっていた。明王寺の写真には、冬至祭りの本堂での護摩風景が使われていて、僕が修験者として錫杖加持している姿もちょこっとね。で、大聖寺のところには不動尊祭典の柴燈護摩の風景画2枚使われていて、1枚は華光院のご住職が火渡りをしているもの。もう1枚は僕の導師風景のものである。
うーん、こうして写真もだんだん新しいものに変わるんだな。世代がわりというか。
春の霊場の遍路もぼちぼちとあり、今日もひとり朱印をもらいに来た。それから東京から檀家の平山家の皆さんがお出でになった。また埼玉のO氏からも電話が。寺と外の人たちの繋がりをこんなときには嬉しく感ずる。それは悩み事の相談であったとしても、寺が寺として存在する意味をそこに実感できるからだ。
風が冷たい一日だったが、寺の隣りの八幡神社付近で、やはり檀家のK岡兄弟が工事をしている。午前中弟のほうに会った。「グレーチングの架け替えのため、水路の工事もしている」とのことであった。彼らのお父さんが亡くなって丸2年がたち、お父さん亡き後も二人が力を合わせて、小さいながらも建設業を営んでいる。正月明けに3回忌をしたときにも「やっぱ、俺には土方しかないっすよ」と、とても楽しげに弟は話してくれた。お父さんも土建業一筋の人だったから、こんな風に2人が作業をしている姿を、骨壷のある客殿の位牌堂の屋根からきっとこの何日か見守るに違いないと思う。

2006年2月22日Wednesday晴れ
朝のいい絵を撮ったよ。
こんなに良かったなんて今夜帰ってきて今見るまでわからなかった。なんかいい写真だよ。
村田屋の墓地が昨日仕上がったと夜電話を貰ったので、出勤前に墓地に行ってきた。昨日と打って変わって天気のよさそうな空と太陽の昇りだった。
シャッターを押した。果たして今夜。いい出来だ。
一日惜しまずに今日は仕事をしました。なので芋焼酎を飲みました。

2006年2月21日Tuesdayくもり
カーリングも終わっちまった。
今回の冬のオリンピックは、目立った活躍もなく終盤に差し掛かっているが、カーリング女子の試合にはすっかり魅せられた。この競技の名前や試合のコートなどは知っていたが、ルールなんてものは知らなかった。
でも、非常に緻密で相手との駆け引きや腹の探りあいなどがあり、見ているこちらも十分に引き込まれて楽しめて、はらはらどきどきであった。今朝も早くからBSで観てしまったが、スイスに負けて結局予選敗退となってしまったのは残念だった。
一方ではドーピング問題などがまた取りざたされているようだ。メダルを取れない取れないとマスコミは連日報道するが、これはこれで正しいオリンピックへの参戦のあり方だと思う。ことさらに選手を勝たせるだけのために特別扱いして強化するなんてのはおかしい。また、この国の国民感情からすれば、一人の英雄を作るために国家が後押しするなんてことは許さないだろう。そういった面ではこの国の在り方は正しいと思う。
メダルは取れなくても家族が金メダルを作って首にかけてあげるなんて、こんなに幸せなことはないと思う。だいたい僕はこの冬のオリンピック見ていて感じたことだが、モーグルなんて、スキーはいて滑ってくるものが、何で空中で回転したりしなきゃならんのかと思う。空中で回転したり体をひねったりすることに、ポイントの基準をおくなんてことは「関係ネェジャネーカ」と思う。

2006年2月20日Monday
朝の誓。
雨だったので歩けず。
昼休みに或るお方が何を思ってのことか、次のようなものをコピーして僕らに配った。
「朝の誓」
今日一日 三つの恩を忘れず 喜んで進んではたらきます
今日一日 人の悪をいわず 己の善を語りません
今日一日 気付いたことは 身がるに直ぐ行います
今日一日 腹を立てず 不足の思いをいたしません
今日一日 三つの無駄を排し 新しく大地に生き貫きます

こういうものを改めて見せられて、何かを感じなさいというのはとても苦手で、無言で配られたので、こちらも無言でシュレッダーにかけてやった、と泉谷しげるっぽく。

昨日は不動寺のおばあさんの満中陰忌の法事であった。納骨後に、至極内輪だけの膳があり、普段お会いすることの無い親戚関係の方たちと話した。祖父の話であったり、父の話であったり。酒が入るとついつい、饒舌になってしまうのだが、いつこの人たちとの縁が切れるのだろうと頭の片隅で思っていることも確か。楽しいことは楽しいのだけれど、昔から人と交わったり、話したりするのが普段はとても億劫で、できるだけ黙って一人で居たいほうなんで、よく女房からも叱られるが、50才にならんとする歳になってしまえば、直そうとか改善するとかってことのほうが難しいような気がする。

2006年2月18日Saturdayくもり
山尾三省の夢を見た。
三省の夢を見て頭がうつつに戻ってくるか来ないかの辺りで、ぼんやりといろんなことを考えていた。
誰しもが本当にこれでいいとか、これこそが僕の道なんてものを実感できているかといったら、多分そんな人は少ないんじゃないかと思う。中庸のところでそれを受け止めながら、楽しんだり苦しんだりしながら生きているのだと思う。
山尾三省の生き方がとても好きであった。女房と子供たちを連れて、東京の湯島聖堂まで三省も出演する詩の朗読会に出かけた。冷たい石畳に座って、三省の声で三省の詩を聞いた。生きるに難しい世の中ではあるが、僕は僕なりに僕の生き方を続けて、世の中が平和であらんことを願い続けていきたいと思う。
三省の遺言を過去にもここに転載したことがあると思うが、もう一度ここに今夜彼の遺言を載せておきたい。

「子供達への遺言・妻への遺言」 山尾 三省

僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、大変うれしいのです。というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらない限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことになっているからです。そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛する者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引き締まります。

まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。

第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。

遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、そんなことはけっしてありません。ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこまでも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当にあなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任を感じることも、負担を感じる必要もありません。あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があることを、ぼくたちは知ってるよね。その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。

2006年2月17日Fridayくもり
胡散臭いような行動をとることが問題なのかも。
ホリエモンの事件に絡んで、優秀なる小泉のイエスマン武部幹事長の2男が、3千万円の振込みを受けたということが国会で取り上げられたが、これが事実であれ、ガセネタであったとしても、公の立場に在る者としていささか情けない気がする。毅然と憤慨して一蹴できるようでなければならない。
話題に上るということ事態が、限りなく黒に近いことを平然と日常やっているということだ。自分や家族の利益の事を常に頭の片隅に置きながら、いかにして黒に近いようなことを白として済ますかに全神経を使っているのではないかと勘繰ってしまいたくなる。
禊をして出直してこいといいたくなる。他人から指摘を受けないような生活を心がけていれば、何も怖がる必要もないのである。こんなことを考えてみると、この武部の幹事長生命も崖っぷちだと思わざるを得ない。
今朝のようなどんよりとした薄黒いものが彼の腹の中に宿っているとしたら、さっぱりと吐き出してしまったっほうがいい。
(20:08) たがの外れてしまった由々しい出来事だ。この事件だけを考えるということではない。当事者が日本人だとか外国人だとかという問題でもない。死ね死ね団。みな一度死ね死ね団。不殺生戒は仏教の一番の原点だよ。あー死ね死ね団。

2006年2月16日Thursday
大往生。
女房のお姉さんの嫁ぎ先のお姑さんが亡くなって、その通夜に女房と行ってきた。不動寺のおばあさんと同じ「すずらんホール」。陽気は温かいがさすがに雨の夕方は寒いような気持ちになる。
焼香が始まる前に着いたら、お姉さんが「夕飯を食べなさい」ということで、ご馳走になっちまった。
94歳のおばあさんの通夜に、小さな曾孫達はホールを楽しそうに走り回っていた。生前曾孫達は、曾おばあさんのことを名前で呼んでいたのだそうだ。そうか、一世紀近くも歳が離れてしまうと、地球を一回りしてまたスタート地点に戻ったようなもので、曾ばあさんも曾孫もおんなじになってしまうんだな。
今夜「どっちの料理ショー」は、“おでんvsやきとん”というタイトルで始まっている。なぎら健一や井筒監督や、飲兵衛芸能人がゲストに出ている。これを見ていると、屋台かいっぱい飲み屋にでもおでんを食いに行きたくなってしまう。この部屋からすぐに行けるような飲み屋はない。日本酒の熱燗がやっぱうまそうだなぁと思いながらも今夜の僕は飲んでません。

2006年2月15日Wednesday晴れ
ひとり。
尾崎放哉は、家族を捨てて孤独と貧困の中で「咳をしても一人」と詠んだ。テレサ・テンは愛する男との暮らしから身を引いて「お酒飲むのもひとり」「夢を見るのもひとり」と歌う。
愛があっても、なかなかわかりあえることの難しいのが夫婦というものかもしれない。大概は諦めなんかでやり過ごしてしまうものなんだろう。多分僕のとこもそうだ。
女は恋を引きずらない生き物だというようなことを、この前テレビで誰かがしゃべっていた。女は種を残すために、いつまでもくよくよ過去に思いを残しておけないのだという。男はどうかというと、...それは忘れた。
今朝はあたたかくて、「こんな朝を待ってました」って感じだったな。学校の事務職さんの会議に来ていた方が、「花粉が気になった朝」だと言ってたけど、こんな陽気にすぐに反応する人は多いのだな。
楽しみであったり、それが一方では憂鬱の種であったり、生きていくことは人を愛することと同様に難しく不思議なものだ。
今夜もこれを書きながらテレサ・テン。わたしは待つ身の女でいいの

2006年2月14日Tuesday晴れ
人も虫ももぞもぞとしたい陽気。
禁酒塔の縁で、Wさんから丁寧なお手紙をいただいた。また、同人誌に発表されているものもコピーを送ってくださった。夕べ宿直だったので、ゆっくりと読ませていただいた。どれも少年時代の思い出やふるさとに関するもので、もちろん「禁酒塔」の一文も興味深く拝見した。この禁酒塔の書き物には落ちがあって、W氏の祖父を含めた有志が「禁酒團」なるものを組織するのだが、W氏もその父上も全く酒が飲めなたったそうだ。W氏に至っては、酒饅頭で酔ってしまうくらいの筋金入りの下戸なのだそうである。僕が大炊平(おいだいら)に生を享けていたならば、禁酒團とは袂を分かっていたか、夜逃げでもしたかもしれない。僕には酒のない生活など到底考えられない。
懐かしい名前が手紙の中に出てきた。小林波留。山梨の俳人である。僕が役場に就職してすぐの頃、小林さんの「作文を書く」といったような、夜の講座に何度か通った覚えがある。後日知ることになるが、小林波留の息子は僕と高校時代同級生であった。この後に僕は短歌を再び作り始めて、父が亡くなる頃まで「サンニチ」に投稿することとなった。父亡き後の僕はもう短歌を続ける余裕がなくて、年に一編の詩を書くことくらいに落ちぶれてしまった。
今日は暖かな日で、久しぶりに禁酒塔コースを歩いた。畑や田に耕運機を入れる姿があった。雪も消えて、ホカホカとやわらかそうな畑には、農夫の長靴の足跡がくっきりと残っていた。

2006年2月12日Sunday晴れ
葬儀の助法と雪折れ竹の片付け。
午後1時からの葬儀だったので、11時まで竹林の片付け。枯れた竹も10本近く伐った。何年か前の雪折れの枯れたのも少し片付け。竹林の中はひどい状況になっているが、なかなか手がつけられない。中が混んでいるので竹は外に外にとその根を広げようとするということだ。以前よりはだいぶ外観は小さくなったが、中はまだ8年位前の大雪のあとのまま放置してある。気になりながらここまできてしまった。なんといっても一人でやり始めても作業はすぐに飽きてくるし、大変で継続しない。まあライフワークでちょっとずつね。
叔父さんと永敬くんと僕。3人だと何も打ち合わせも要らないくらい。僕は経頭をして進行をすればいい。叔父はお大師様の「阿字の子が 阿字のふるさと立ちいでて また立ちかえる 阿字のふるさと」の歌を織り込んで諷誦文を読んだ。「ア」と言って生まれて、「ウン」と言って死にゆくだけのことかもしれないが、祭壇の場所は変わっても、畳から椅子になっても、さびしい気持ちには変わらないね。

2006年2月11日Saturday晴れ
午前中は役場の行事の手伝い。
「みのぶ健康マラソン」に午前中はお手伝い。下山の富士川クラフトパークが会場。午前中だったからかもしれないが、風もなく穏やかなよい天気で、3キロ、5キロ、familyの部と、大勢の参加者でにぎやかだった。
お弁当をいただいて帰り、午後2時には、約束してあった山梨放送の取材の下見があった。民俗資料館と本堂と境内の紅梅なんかを見て、後日改めて撮影などの取材に来るとのこと。4月に山梨は信玄公祭りがあるので、毎年その時期に合わせて武田信玄にゆかりのある特集を組むのだそうだ。今年は武田家の「盾無鎧(たてなしのよろい)」にスポットを当てた特集を組み、それから遡ると、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光にたどり着くということで、大聖寺にも来たというわけ。
「御旗楯無も御照覧あれ」という武田の家長が唱えれば、「軍議は決した、後は実行あるのみ」と言う意味で家臣団はそれ以後口を挟む事は許されなかったという。
記者の帰ったあとに墓の竹林に行き、雪の後の竹折れを確認して、倒れたものを切って外に運び出す。またやがて竹の伸びる時期が来ると思うと、片付けながら気が重くなってきた。これで一日がおしまい。

2006年2月10日Friday晴れ
三寒四温
起きる前の1時間ほどテレビをつけて音だけでニュースを聞いているが、「へぇー」とか「ほー」とか感心することがある。
1月中は夜明けが9分しか早くならなかったが、2月中には20数分早くなるのだそうである。これを「光の春」とキャスターは表現していた。とても心に残る言葉であった。起きてみたくなるような一言であった。
三寒四温で、冬と春が交互に押し競饅頭をしている時期が今で、これが日を追うごとに春が優勢となってきて春になる。まだまだ寒さは厳しくて、実際夕べから今朝にかけての僕は、体の温みを感じなくて冷えたままに夜をすごした。年齢によるものもあるのだろうが、夕べは凍らないように水道の水も少し出しておいたのだ。
体感での春はまだ少し遠いけれど、立春を過ぎるとスピードアップして昼が長くなるという「光の春」は、言葉通りに実感できるこの頃である。
(18:00) 県の森林環境部の某課長から、大炊平(おいだいら)地区の入り口に建つ「禁酒興国」碑について、突然電話がかかってきた。彼はこの地区の出身で、たまたま僕のHPに行っちまったというやつで、建立の謂れについて少し話をしてくれた。それから下部町の閉町記念誌に旧い写真が載っていることも教えてくれた。
さっそく、窓口の係長から記念誌「黎明」を見せてもらった。写真と解説文をそのまま転載する。
「禁酒興国の碑(昭和6年) 昭和元年7月17日、大炊平の青年層は酒で身をほろぼすことのないよう、血判をもって誓い状を作り、「禁酒団」を結成、昭和6年には集落の入口に石塔を建立した。」以下略。
禁酒興国の碑がまっすぐに、まるで背筋を伸ばした青年のように凛として建ち、それを囲んで23人の年齢層はばらばらな男たちが、血判の誓いのまなざしを向けている。碑の横には、これまた決意を具体的に示した「無酒神聖葬儀實行郷」と書かれた白木の柱が建っている。
碑を初めに見たときの僕の所感は「戦時中に酒なんか飲んでる場合じゃねぇでしょう」で建立された類のものかと思ったけど、違っていた。村の若い衆が夜な夜な集まって酒を飲んでは博打に興じ、挙句、借金の形に田畑を取られるなんていう時代に、「わが大炊平の青年は、ニッポン男児として恥ずかしくない生き方をする
(筆者想像(^.^)/~~~)」と、「禁酒団」を作る。禁酒団て、耳で聞くだけじゃ悪党集団のように聞こえなくもないが、書いてみると「えっ!?」てな感じだね。
課長さんのお話だと、長いことこの地区では、禁酒団の誓いが守られていたようで、つい最近まで、葬儀後の初七日の席にも酒が出ることはなかったということである。親しみをこめて「禁酒塔」(キンシュトー)と呼ぶ。禁酒団の組織は無くなっているとしても、大炊平をこよなく愛する人たちの暮らしが長く続くかぎり、禁酒塔は集落の結束の証として、未来へもその夢抱く青年の如き痩躯で立ち続けるに違いない。

2006年2月9日Thursday晴れ
失敬な奴。
広域行政組合で観光パンフをつくるとかいう話で、請負い業者の職員が職場に来たので、あらかじめ用意してきておいた不動明王のネガを見せると、「直接撮らせてほしい」というのでOKした。「今日の夕方伺ってもいいか」というので、こりゃまた、えらく性急だなと思ったが、「じゃ、6時前には帰れるから」と別れた。
タイムカードを押して5時16分に支所を出て、5時45分前には帰った。山門をくぐるとき、石段の上に車がこちらを向いて停まっているのが見えた。もう来ているのか?と思ったと同時に、変な場所に停まっているな?とも実は感じていた。
車庫に入れ、そのまま本堂へと歩いていくと、想像をはるかに超えた無礼千万な駐車。件の業者と、同行のカメラマンがドアを開けて出てきた。なんとクルマは本堂に尻を向け、排気ガスをお不動様に吹きかけながら停まっていた。本堂正面から参道へと延びる石畳の上と、鐘楼横の護摩道場にまたがるように車を停め、あろうことか、庫裏から続く飛び石をもタイヤが乗り越えているのだった。
火曜の朝の雪がまだ残っているし、境内は解けた雪でぬかるんでいる。まったくもって失敬な奴らである。
僕は降りてきた彼らに、車の停め方を注意するとともに、「取材はまかりならん!帰れ」と宣告した。
駐車場へ停めるべきでしょう。まあ、それでもわからずに境内へ上がってきたとしても、端のほうに停めるのが礼儀でしょう。堂々と真正面に、それも尻を向けて停めるなんて、こんな例は過去に僕は知りません。先ず初めてであろうと。こんな人たちに写真を撮らせるなんて絶対にできません。こんな姿勢のままで、今までも寺社仏閣を撮ることもあったのか。一番大事なもので、僕よりも大事なものを軽々に扱われたようで腹が立って仕方がなかった。彼は平身低頭誤り続けたが、残念ながら僕にはそれを許すことはできなかった。
もう少し慎重に、敬いの気持ちを持ってほしかったな。残念だな。でもいい経験になったんじゃないかな。多分どこのお寺でも、こんな状況だったら怒ります。

2006年2月8日Wednesday晴れ
秋篠宮考。
秋篠宮妃が懐妊したニュースには驚いたな。皇室典範改正論議真っ只中で、小泉が任期中にこれも押し切ろうとしている「女系天皇容認」に、ちょっと待った!といったニュースだよな。反対派・慎重派にとっては後押しとなる懐妊で、きっと快挙なんだろうな。まっ、男女のどちらが生まれるかは神のみぞ知るって段階なんだろうけど、出産予定の秋ごろまでは、喧々諤々できるわな。
万世一系が売りで、門外不出?で重んじてきた系譜に、女でもいい、男でもいい、最初に生まれた子を天皇とするなんてことが、軽々に容認できるんだろうか?僕は天皇制を認める大らかな心は持ち合わせていないが、この流れだけを(難しいことはわからないが)眺めたとき、果たして女性でいいのか?天皇となる女の子が婿養子を迎えて、そこにまた女の子しか生まれなかった場合、民間出身の僕と外見は変わらないような輩が増殖していくわけです。天皇家の男の血こそ大和民族の誇りとしてきた悠久の本流が、いつしか支流の流れに取って代わってしまうかもしれない。男でも女でもどっちでもいいよなんて、姑息な日和見的な場当たり的な判断で、この歴史を断ち切ってしまってもいいのか!断ち切ってしまいなさい。女性でもいいというようなことであれば、僕はもう「皇室の衰退」「天皇制の崩壊」であると思うわけです。思い切って天皇制の廃止、皇室の廃絶こそ論議するべきじゃないんですかね。三笠宮なんかは、女系天皇容認説には反対の意思を示している。本当の当事者たちは硬く口を閉ざして自らの意見を発することはないが、第2子誕生から干支を一巡りした今になって、決して若くはない39歳の妻に「第3子」を望んだということは、「兄貴夫婦にゃ、もう望むことは無理」なこのことに、「俺がやってみる」と果敢に挑戦したってことで、これが秋篠宮の皇室の在り方への彼の言葉に出さない答えだったのかもしれない。「うん、いいよ。あたしも協力するよ」って、夫婦の会話が聞こえてきそうだなぁ。いかにも次男坊って感じだよね。確か、この夫婦の婚約指輪って「ナマズ」のデザインだったよね。伊達にナマズの指輪はめてなかったのねって。世の中毎日毎日、転がり続けるRollingstone。

2006年2月7日Tuesdayくもり
雪の朝。
夕べ遅くから降り始めた雪が10センチほど積もった。雪は止んでいたので、6時前から雪かき。山門から町道までの参道を雪かき。湿った重たい雪。
山門から本堂までをやっている時間はないのでそのまま。下手に雪をかいて道を開けるよりそのままがきれいだ。墓地へ行くと竹折れがいっぱい。これが一番困る。2.3本雪に埋もれた竹の頭を雪の中から引っ張って元に戻した。あとは勝手にしやがれだ。

2006年2月6日Mondayくもり
やがて雪になるだろう、の夜かも。
午後8時前。外は雨。それに少し雪が混ざっている。今夜は雪になるのかもしれない。たいした降りにはならないと思うが、雪になるのかも。
下部支所の中はストーブがたくさん点いているが、今日は冷えたよ。鈴木さんも「足元が冷える」と吐いた。僕も午前に2回便所に行った。冷えると小便が近くなる。「軽い頻尿」とは違います!
昼休みを歩いて午後になったら太陽が顔を出した。点けっぱなしのストーブの支所の5時は、ダウンジャケットを置いたままで僕を帰らせてくれた。
弁当箱を洗って一杯飲んで、僕の夜。

2006年2月5日Sunday晴れ
法事一件。
節分、立春と過ぎたが、寒さが戻ったように冷え込む。
今日の法事は寒かった。客殿に大型のストーブを焚くが広いのでなかなか温まらない。飯富のKさんの奥さんのお母さんの一周忌。寒さを忘れるほどに泣いていたら法事が終わっていたというとこかもしれない。少しお話をして墓地へ。墓地も冷たいが風が吹いて身を切るように寒い。極寒の地のようだ。
午後ダラダラとしていたら日曜日が終わってしまいそうなので奮起して外へ。護摩木を割る。溝の落ち葉を掃いて燃す。外の便所をきれいにする。境内を歩く。
隣の家の猫はいつも寺に居る。鐘楼の下に寝そべっていたり、草の上にゴロン太くんだったり、とくに夜は僕のクルマのボンネットの上でしばらく休むようだ。毎朝フロントガラスからボンネットと足跡が付いている。癪に障るが猫に怒っても仕方がないのであきらめている。僕が仕事から帰ると暖かいボンネットの上がちょうど奴らに快適なんだろう。
梅の蕾なんかが、すこ〜し膨らんできたかな?ってとこですか、大聖寺は。

2006年2月3日Friday晴れ
最終処分場問題。
県から身延町北川地区への最終処分場の設置許可が昨日下りた。なんら計画書に問題はないとの判断である。なかなか難しい問題ではある。処分場が、狭い国土のなかで足りなくて、自分のところには建ててもらっちゃ困るというのが本音だ。でもゴミは出る。
必要性は誰もが認識している。ただ、慎重に許可する側も対応してもらわなくちゃ困る。「100年先の事まで考えなくていいです」というのじゃ困る。僕が個人的に、子供たちの未来にある100年先のことまで思い煩う必要はないが、100年先に明らかな環境汚染が広がって、取り返しのつかないような人的被害が起きるようなことでは困ると思う。
微量でもそれらの危惧があるとしたら、許可は出すべきではないと思う。今の事だけを考えているようなことであるなら、ほんとうに後を託す者たちに申し訳ない。
(20:20) そして今夜鬼が現れて、僕と降参した鬼は仲良くなった。

2006年2月2日Thursday晴れ
ポカポカ陽気と右翼と社民党。
雨が上がり小春日和となった。朝は、冷え込んで道路の表面は凍てついてつるつる状態。客殿から本堂への飛び石も、走ろうものなら滑ってこけそうなので、ぱたぱたとひと足ひと足慎重に歩いた。
2日足止めされた昼休みウォーキングを再開。青空が広がり気持ちのいい景色を歩いた。右翼の街宣車が6台、トンネルから抜け出てきて、なにやら叫びながら走り去ったが、多分午前中の街宣を終えて、昼飯への移動だったようだ。
社民党が党名変更10周年ということでもないんだろうが、11日からの党大会に『自衛隊は違憲』を折り込んだ社民党宣言を採択するという。いいことなんだろうが、社民党(社会党)から離れた支持者たちはきっともう戻らないよ。僕なんかもどちらかというと支持者だったけれど、政治そのものに関心がなくなってしまった。
改憲論議が湧き上がっているので、社民党としての確固たる姿勢を瑞穂ちゃんも出したいってことなんだろうけど、どうだかねぇ?
一色地区からはるか彼方に、多分、南アルプスの雪をいただいた山並みが、青く晴れた空に浮き上がって見えた。

2006年2月1日Wednesday
2月の始まりも雨。
寒さはない。本堂のお勤めを終えて外に出ると再び雨が落ち始めた。天気が悪いので、今朝は夜の白むのがことさら遅いように感じた。芽吹きに拍車のかかるような寒さのゆるみだ。
女房は早々と「今朝は洗濯をしない」と宣言した。昨日の干し物が脱衣場や座敷の鴨居にいくつも掛かっている。
短い2月の始まりは雨であった。渇いた心に湿り気を与えて、寛容な気持ちで生きたいものである。さびしい事件の起こらないことを願いたい。正月の餅を食べて今朝は満腹である。

2006年1月31日Tuesday
1月の終わりは雨。
雨になった。雨の日の勤めはあまり記憶にない。昼休みに歩けなかったことも記憶がない。今日は雨で足を止められた。14日に雨が降ったが土曜だった。
1月の終わりは雨の日になって、寒さは少し控えめ。風邪で幾日も休んでいた支所の窓口のMさんも今日は出勤した。雨が降ると春が近づくような気がする。地中にあるもの、木の枝の蕾の蕾み。これらが成長するように思える。不思議が育つ。
自然の繰り返しの営みは歳を取らないのだろうか。永遠という奴を求めたい気がしている最近。

2006年1月30日Monday晴れ
娘の17歳の誕生日。
今が一番楽しい盛りなのかもしれない。まあ、でもよく教科書や参考書も開いているが。昔の僕らほど呑気にはしていないのが、いまどきの高校生らしい。
僕の頃は遊ばないと連絡が取れなかったが、今は会っていなくても、ケータイで四六時中連絡が可能だからそれほど苦にならなかったりするのかもしれない。
春には3年生になるので、これから先のことも少しずつ考えているようである。夢のようなことを語るときもあるし、現実味のある話もする。僕はほとんど関心がないが、女房は娘の行く末を案じているようではある。子供たちはどんどん成長して、羽ばたいていく。これが人の世の巡りなのだから仕方ないとは思っても、なんとなくさびしい風に吹かれているような気分にはなってくる。

2006年1月29日Sunday晴れ
法事1件。護摩木も割る。
大津の佐田さんが娘さんの3回忌に見えた。いつもいつも欠かさずに来てくれる。先祖や寺のことを大切にしてくれる。長女は奈良から、長男は北海道からやってくる。お昼過ぎに来て、お墓の掃除、法事を済ませると、予約してあったタクシーが迎えにきて、2時過ぎには帰っていった。たくさんの供物をを事前に送ってくることもいつもと同じで、また子供さん方もそれぞれに供物を持ってくるのだ。
今日は天気もよくて暖かくてよかった。
午前中は護摩木を割った。久しぶりに山に入り1本木を伐って、4月の柴燈護摩用のものも割った。干しておけばちょうどよくなるかもしれない。護摩木作りも熱が入ると汗をかく。まあこんな時間が楽しくて寺を実感する。これでまた明日は役場の仕事だ。

2006年1月28日Saturday晴れ
夕べは楽しい一夜でした。
喜田に行ってきました。お姉さんとお母さんのおもてなし。
若者3人とご馳走になりました。焼酎や泡盛三昧です。美味しい食べ物も一杯。お話も尽きることなく一杯。
帰りはHINATAくんのお母さんに送ってもらいました。HINATAくんは、お正月に持ち帰ったお札に毎日手を合わせて、「南無南無」と、お母さんの赤ちゃんが無事に生まれてくるようにお祈りをしているそうです。
今日は、節分のお札を庫裏・客殿・本堂と張り替えました。一月ももうあとわずかでオシマイ。
昼は女房とラーメンを食べに行ってきました。隣のテーブルにKOさんご夫妻が居ました。女房は夕方クッキーを焼きました。無理やりひとつ食わされました。土曜の夜の晩酌が始まります。

2006年1月26日Thursday晴れ
オリオン座。
夕飯の後に回覧板を次の家に届けに行ってきた。オリオン座が東の中空にいつもとおんなじ形をして輝いていた。永遠の時間のような時の流れの中にあって、星は輝いているのか。僕たちの生きる時間なんてものは知れたものだ。そんな短い一生のなかで一喜一憂している。
立ち止まって星を仰いで見るのもいいものだ。外は冷えていて、今夜も明日の朝もきっとまた寒いよ。今朝は、過信してしまってうっかり庫裏の北側を凍らせてしまった。昼休みに女房に電話して確かめてもらったら無事に水が出たのでよかったが、今夜は大事をとって細く水を出しておく。
こんななんでもないことの繰り返しの人生だ。歴史にも残らないひとりの男の一生だ。大概はこんなものなのかもしれない。
毎日新しい事件の報道があり、殺されて放置された女のこのことも、ホリエモンのことも、寒天のように押し出されて生まれてくるような毎日毎日の新しい事件で、容量の少ない頭はすぐに少し前のことを忘れてしまう。何も解決しないままに、「だって仕方ねぇじゃん」て終わっちまう。世の中の動きなんか見たくもないし、信じたくもない。今夜BGMは1971年のNEIL YOUNG。

2006年1月25日Wednesday晴れ
92歳を生きるということ。
晩飯のあとに、護持会の積み立ての滞っているSさんのところに電話をした。Sさんは事情があってこの地区を引っ越してしまったのだが、彼には90歳を過ぎたお母さんがいて、お母さんのことは静岡に住む弟さん夫婦が面倒を見るということらしかった。
今夜彼の家に電話をしてみると、なんとそのお母さんが出た。すぐにこちらも先方もお互いを確認できた。電話の声は元気そうであった。会話もしっかりとしていた。事情を話すと、理解していたらしく「エーメーちゃん悪いねー、またすぐ行くようにするからね」と、まったく元気な声で、おばさんは話した。92歳を越えている。足が悪くなったので、杖を突きながら歩いているということだった。「こっちに居るだけぇ」と訊くと、「えー、こっちに居るだよ」と応えた。息子さんが新しく借りた家にずっと居るらしい。
なんだか話していて、積み立ての催促のことなんかどうでもよくなってきてしまった。長く住んだ土地を離れて、「これでおばさんも、ボケに入っちまうんだろうな」なんて勝手に思い込んでいたが、まだまだ大丈夫そうだ。還暦を過ぎた息子であっても、それを心配しているうちは、やっぱり母親で、きっと強い生命力があるんだ。小泉さんのせりふじゃないけど、感動した!。いい夜になった。

2006年1月24日Tuesday晴れ
負けてから始まる人生ってのもあるかも。
ホリエモンが捕まるのは早かったな。テレビはすぐに特番を流し始めるし、皆うきうきしながら「今か、今か」と待っている顔が容易に想像できるようだった。
フジテレビは、業務提携の解消を決めたというが、世の中なんてものはこんなもんだ。結局これだってホリエモンの根幹と同じようなもので、「勝ちゃいいんだし、生き残ったもの勝ち」みたいなもんだ。じゃ、はじめからどこまでも突っぱねて手なんか握らなきゃよかったじゃねぇのか?と問いたくなる。一夜にして富を築くような、ITビジネスの世界が作り上げた砂上の楼閣だから、耐震構造以前の問題で、基礎のないものはあっけなく崩れ落ちるのだ。その象徴が六本木ヒルズというメッカで、ふにゃふにゃとした得体の知れない魔物に魅せられた者達が、「明日なんて要らないさ、宵越の金なんて持たねぇさ」と毎夜神輿を担いでいるように僕には映る。
今日の空は一段ときれいで、ホリエモンの夕べからの住いになったという三畳一間の独居坊に、「心洗われるさ」と届けてあげたいようだ。(12:40書く)。

2006年1月23日Monday晴れ
livedoor shock。
手の平を返したかのようにホリエモンを攻撃する。まあ彼の中では想定内ということかもしれないけれど。
いつも思うけれども国会なんてところやそれに関わる党派なんてものも、結局のところ人集めが一番大事で、兵隊をたくさん持っていることが、イコール勝つことになっているようだ。
芸能人がいたり、オリンピック選手やプロレスラーが国会議員になったりしても、彼ら本人から政策的なことが語られるのはほとんどなくて、彼らの総元締めからの指図で動いていさえすりゃいい。優秀なイエスマンであれ!うなずきシローであれ!
ホリエモンもそんな風にしか見られていなかったのだ。あの駄々っ子のようなホリエモンが涙を流したりする。時代の寵児のようにいっときは群がるけれど、意外と世間は熱しやすく冷めやすいの図式のままにバッサリと斬り捨てるのがお得意。
(19:50)どうも逮捕されそうな気配だな。ホリエモン。以下、昼間書いたもの。
いかした音楽DLサイトが見つかった。mF247。音はmp3。rAっていうのが、メジャーなミュージシャンの楽曲。懐かしい中山ラビ、麗蘭、りんけんBAND、日出克、三宅伸治、キヨシローもある。公開されている曲数は少ないけれど、ミュージシャンが許可している音源のようなので、DLに何ら問題はありません。メンバーになっておいて損はないと思います。今から売れてくるかもしれない、アマチュアやセミプロの方々の音源も楽しいものです。「新規登録」⇒「mFメンバー新規登録」⇒以下、新規登録の流れに沿って。
気に入ったら残しておけばいいし、つまらなければ捨ててしまえばいい。
麗蘭て、仲井戸麗一と土屋公平のユニットなんだけど、今まで聞いたことがなくって、ここに1曲だけ公開されている「R&R Tonight」。今日歩きながら聞いたけどよかったな。おじさんは、こんな歌に弱いんだな。寒風に叩かれながら、涙出そうになったな。高校の頃からチャボの書く詩の世界が大好きだ。チャボはよく日本のキース・リチャー
ズなんて言われるけど、新年になって1週間くらいかかって落としたストーンズ“A BIGGER BANG WORLD TOUR 2005”の「11-20-05 Fresno / CA / Save Mart Center」の映像は、めちゃくちゃかっこよくて、真ん中のミックも左のロン・ウッドも右のキースも、まさに不良がそのままおじいさんになったよう。彼らが元気で歌っている限り、僕もこんな不良の風の中で泳いでいたいと思っている。

2006年1月22日Sunday晴れ
風が強い日曜日。
窓を締め切った部屋の中は暖かいが、外は強い風が吹いた。春が近くなって風が吹き始める季節になる。風が吹くと大木が大きく揺れて、倒れるのではないかと毎年心配する。古い建物のトタンが風にあおられて剥がれたりもする。そしてそんなときには気持ちが沈む。憂鬱な気分に陥る。またそんな季節になるのかと思っただけで、「あーあ」ってな気分になってくる。
で、BRIAN WILSON「SMILE」を聴き始めた。気分を変えようと頭を刈った。暑いお湯をかけてさっぱりとした。夕が近くなって風も落ち着いてきて、青い空に大きな雲がきれいだ。
誰にも悩み事はたくさんあるようで、その中に誰もが簡単に入り込むことはできない。でも自分だけは見失わないようにしたいものだ。自分をしっかりと持ってはじめて心配ができるってことになるんじゃないか。
夕べは何もない宿直で、施設の鍵を借りに来る人もいなかったし、9時には出入り口も施錠して、南正人の本と付録のDVD観ながら、10時半頃には寝てしまった。おかげで3時過ぎには目が覚めてテレビを見ていた。6時を回って起きたらもう新聞が配達されていて、ゆっくりと全紙に目を通した。
穏やかな週末でした。ありがとさん。
大相撲の千秋楽見なくっちゃ。ホント久々に、今日は見たいって気持ちになっている。

2006年1月21日Saturdayくもり
雪の降る朝になった。
10時近くになって雪が止んだ。娘が学校へ行くのにあわせてこちらも起きてしまったので、ずいぶんと朝から有効に時間を使っている。
日曜日の同志会の獅子舞の写真もアップしましたので見てください。キーボード打つ手が冷たくて、字が間違ってばかり。
夕方から宿直になる以外は今日も明日も特に用事はなし。BEACH BOYSなんか聴いているんですけどね。(午前10時)。
(16:40) 天候も回復しつつある。明日には好天気か?一日音楽を聴いていた。ジミヘンまで聞いた。あとチイク・コリアなんかも。今夜また宿直で楽しもう。さて。

2006年1月20日Friday晴れ
血圧140。
職員の検診があって、8時前にすこやかセンターに行く。N係長もちょうど一緒。受付番号1番で1時間もかからなくて終わる。バリウムを飲んで、胃の検診を受けるんだけど、依然受けたものより更にハードになっていて、天地が逆さになったり、ボクサーの拳のようなカメラが突き出てきてアバラのあたりを押して撮影したり。こんなのは初めてであった。まあ、これで済むことは済んだが、後は結果がどうかってことなんだが、血圧は140と高かったし、使い惜しみすることなくハードに飲み続けてきたので、きっと僕の体はかなりへこたれてきているに違いない。僕の過激な頭に対して、肉体はへたばってきているのだと思う。
久しぶりのすこやかセンターは、床暖でとてもあたたかかった。デイサービスのみんなも相変わらずのようで、僕にはもう遠い記憶のような感じもしたけど。
(20:02)今夜は飲んだ。「TOKYO JAZZ 2005」のDVD見ながら晩飯前の晩酌を楽しんだ。ジャズは古い時代からあるけれどいつも新鮮で、どんなジャンルの音楽とも融合できる。例えば演歌であっても。それからこの国に伝わる和楽器とのセッションもまったく問題なし。風呂に入ってから、今夜はまだ飲むかもしれない。

2006年1月19日Thursday晴れ
財政課との予算ヒアリングも済みほっとひと安心。
「ご苦労様でした」と、終わったところで正午のチャイム。ちょうど2時間かかって僕の受け持ちの予算のヒアリング終わる。これといって削られるところもなく、ほぼ満点に近い。
それにしても彼らはこれを正月の休み明けから明日まで一日中ヒアリングをしているのだ。凄い根性だ、参った。僕には無理な部署かもしれない。特には涙隠して人を斬るじゃなかった、非情になって予算をばっさりと切る役にもなるのだ。僕は斬られなくてよかった。手も足も残って弁当のある支所に戻ってきた。午後から学校担当の3人が出かけて、終業には戻らなかったので、おそらく遅くまでかかったのではないか?
今朝はまた冷え込んでいて、寒さがまた戻ってきたようだ。外の水道も昨日の朝はなんともなく出たが、今朝は凍てついていた。夕方帰ってから元の栓を閉めた。
明日は検診を受けなければならない。飲み食いもできないので、どっちの料理ショーでも見ながら布団にもぐる。

2006年1月18日Wednesdayくもり
A山さんが来た。
どうやら彼女は今夜も飲み会があるような雰囲気だった。夕べもY肉「S水」だったので、彼女の強靭さには参る。サッチャーだかサッチーのようだ。尊敬に値するように空はどんよりと落ちてきそうな鼠色であった。お忙しそうな彼女は10分ほどで消えてなくなった。
たくさんのストーブが焚かれているので、支所の中は比較的あったかい。灯油を補給してくれるMさんが一番大変。朝8時前には点火しているので、おそらく大小に関係なくどのストーブも一日1回の補給は必要になってくるはずだ。灯油の値段の高い冬なので、どうなんだろうと思うが、ここは実に寒いところなので仕方がない。
ただ時々不完全燃焼というのか、ストーブ自体が古いのが原因か、目に灯油の匂いが沁みてたまらなく外に空気を吸いに行きたくなる。
一日明日の予算査定のことなどしながら、漠然とお経の事などを片隅では考えていた。新年になって初めて高橋君と昼の会食とんかつ定食をした。今日のは正風軒のだった。ちなみに今ネットのタウンページで検索したら、「正風軒(家庭料理店、日本料理店)」と出てきた。まっ間違ってはいないと思いますが、字だけで想像すると、けっこう高級料理店ぽいね。ハハ(^_^.)。

2006年1月17日Tuesday晴れ
父の友人が亡くなったという報せ。
関西大学生活協同組合からの郵便が届いていて、今朝それを開いてみたら、父の友人であった関西大学教授の小川悟先生の「偲ぶ会」への案内状であった。文面に目を通すと暮れの30日に急性白血病で急逝されたのだと。この先生は父と高野山大学時代の友人で、父が早稲田に移ってからも学生時代から交流を続けていて、小川先生が大学に勤めてからもずっと、上京の折にはこの寺に2,3日逗留した。ドイツ文学を専門としていたが、部落解放同盟にも関わりを持ち、なかなか風変わりで破天荒な先生であった。
父が亡くなる前にも家に来て泊まり、父のさびしい胸の内を聞いてくれたのだそうだ。彼が49日の法要に来てくれたときに先生が語ってくれた言葉。「僧侶である永知(父の名)が、迫る死を前にして心が揺れていたのでは、凡夫の私はどうすればいいのだと話した」と。
亡くなってからも僕との賀状のやり取りは続いていたので、「偲ぶ会」事務局に僕の住所も提供されたのだろう。
さびしい朝になった。奇しくも今日が阪神大震災からの11年目である。朝のお勤めで、関西に向かって祈りをこめた。封筒を開いたら関西からの訃報であった。

2006年1月14日Saturday
雨で、どんど焼きはできなくなった。
雨も寒いが、冷え込みはそれほどでなく水道も凍らない。小正月のどんど焼きは雨の止む気配がなく、結構いい降りだったので、「明日晴れたところで火をつければいいだろう」と同志会と話して明日にすることになった。
元旦から同志会長となったY君は、朝から一人で下準備をしていたようだったが、天候には勝てない。でもまあ、明日の獅子舞に一日降られることを想像したら余計辛いので、明日は天候も回復するらしいので、これはこれでいいじゃないか。
僕は午前中、塔婆を書いたりお札を書いたり。娘と女房が東京へ学校見学に出かけたので、ストーブの灯油を補充したり風呂を洗ったり、外の便所を掃除したり。雨が結構激しく降ったりしていたので、側溝の落ち葉を片付けたり墓地を見回ったり。
昼はチャーハン作り。夜は「どん兵衛」。

2006年1月13日Friday晴れ
葬儀を終えて。
叔父の養母の葬儀が終わってこちらも少々疲れた。大勢のおじさんやおばさんに会い、従兄とも会う。
こんな人たちと会するとき、僕には固有名詞がほとんどない。ダイショージ(大聖寺)の住職であったり、エイジョー(永城)さんの孫であったり、エイチ(永知)さんの子で語られることのほうが多い。
10年ぶりくらいに法善寺のダイシュー(大秀)さんにもお会いした。おばあさんが荼毘に付されている間彼とゆっくり話をした。いかにして寺を使ってもらうかについてであった。檀家の葬儀の手順などこちらも時代に沿うように変化していかざるを得ないのかもしれない。
ホール葬は、手伝い側からはとてもありがたいシステムだが、施主にとっては大変な金銭的な負担になるとも聞く。寺を使ってもらえば、そういった点も少しは緩和できるのじゃないかと思う。
女房は昨日誕生日で、葬儀の慌ただしい日に僕と同じだけの歳になった。まもなく息子が20歳になる。僕たちも一緒に暮らし始めて20年がたつ。これから先に20年はあるのだろうか。

2006年1月10日Tuesday晴れ
今日は少し寒さ緩む。
久保田真琴の音源をコピーしてほしいと頼まれたので、今年になってはじめて聴く。やっぱいいわ。夕焼け楽団の久保田さんが最高だわ。
叔父さんの寺の葬儀に、うちの寺の総代さん方も焼香に出向いてくださるそうで、ありがたいことです。小学校も今日から3学期で、出かけに久しぶりに小学生の列と会う。それからそこの先生をしているY君とも。「スキー教室が近いから、足を鍛えようと今日から歩いていこうかと思って」と。寒い中ご苦労さんです。Y君、僕の一年後輩ですが、なんのなんの、ソフトボールの主力ピッチャーですから。
明日と明後日と2日休みを貰うので、今日は一生懸命出し惜しみせずにきっちりと働いてきましたです。これでOK。
さあ、あとは新しいバリカンの使い初め。風邪がぶり返さないように温まって早く寝ます。

2006年1月9日Monday晴れ
風邪も治ってきたぞ。
結構軽快に起床できた。何せ今日も休みってとこが一番の効果。
台所の水道が昼近くまで凍結。うーん、ホントに毎日毎日が寒い。ストーブ2つ点けてお札つくりする。
午後2時頃に終わって少しのんびりしようかとしていたら、叔父さんから電話。幼い頃に養子にいっていた叔父の養母が亡くなったという知らせ。96歳だという。
娘の塾とかがあって、女房と6時頃に叔父の寺に行く。おばあさんも晩年はすっかりいろんなことを忘れてしまっていたが、白く化粧の施された顔は、歳よりずっと若く見えてきれいだった。檀家の人たちや組の人たちが次々と見えて、葬儀の打ち合わせやらで9時近くになってやっと夕食をとり、10時前に家に戻った。
明日は一日offで、明後日の通夜と翌日の本葬。仕事の方は多分何とかしてもらわなきゃならない。12日に教育委員会があるが、これはもう課長にお任せする以外にない。来週よりは今週のほうが休みやすかった、来週には予算の財政課のヒアリングだし。
新しい電気バリカンを購入。業務用の少し値の張る奴ね。暮れに頭を刈るときにもう歯の切れが悪くて、引っ掛かって痛かった。思い切って買いましたネットで。多分自分で頭を刈れなくなる歳くらいまでこれでいけるかもしれないぞ。

2006年1月8日Sunday晴れ
風邪ひいた。
昨日今年初めての法事があって、あったかい日本酒をいただいたとこまではよかったんだけど、反動で酔いが醒めるにつれ体が冷えてきて、朝から酷く調子が悪く、鼻水たらしてます。
明日が休みでよかった。養生して回復させねば。格好なんか構ってられないので、ズボン下穿きました。
パジャマのズボンにやっとゴムが入りました。

2006年1月6日Fridayくもり
パジャマのズボンのゴム。
2年越しで女房にお願いしているのだが、先方も忙しいのか無視しつづけているのか。パジャマのズボンのゴム紐が伸びきってしまってズボンが落ちてしまう。
太っているからなおさらなんだろうけど、松の廊下の場面のように気が付くと裾を踏みながら半ケツで家の中をうろうろしている。
ま、こんなことは平和の範疇の出来事なんだろう。国内は大寒波で、日本海側では4メートルの積雪があり、ひと冬の降雪量を超えたのだそうだ。イラクじゃ自爆テロが頻発している。なにが聖なるものか。おそらく広く神といわれているものは、殺生をよしとはしていないはず。聖なる戦いなんてものもないのが当たり前。
武力の前に、話し合いで解決することに最大限の努力を払うべきだ。武力は「なんだ、うるせぇー、テメェ馬鹿野郎!」ではじまってしまう、短絡発想である。戦いや争いごとが先ず存在して人間が誕生したのではないはずで、初めに愛があり、互いを愛し合い種が増殖してきたのだ。と、ズボンのずり落ちるままに書きましたが。

2006年1月5日Thursdayくもり
小寒。
12月は過去最低の気温の低さだったそうである。正月明けの今も大変に寒い。冷え込みがいつもより厳しい。ひとつ歳を取り体力が衰えたこともあるのかもしれないが、寒がりになった。
庫裏北側の水道を凍らせないように、毎晩「割り箸1本ほど」に水を出しておき、タンクの水を回転させるように少し多めに水を使うようにしている。今のところ大丈夫。
小泉さんの鼻息も新年になって相変わらず荒い。靖国参拝は心の問題で、そこに踏み込む中国・韓国の姿勢のほうが理解できぬとぶちまける。呆れたものだ。僕は彼をリーダーなどとは思ってもいないが、彼にすべてをお任せしようとしていて、発言に歯切れがいいとか、男気があるとかで、うっとりしているこの国の国民自体に問題もあるのではないか。
正月に爆笑問題の太田が総理大臣という設定の番組があったが面白かった。骨のある若い奴らも一方では確実に育っているということだ。

2006年1月4日Wednesdayくもり
仕事がまた始まる。
待っているときは楽しみだけれど、終わってしまうのは早いものだ。今日からまた仕事が始まる。僕の場合は、午後檀家への新年のお札配りがあるので午後を休むのだが。
息子も僕と同じだけの休みを帰省して昨日の午後相模原に戻っていった。帰省中もずっと勉強していたので、彼の学ぶものの難しさが少しは理解できたような気がする。10日から試験が始まるので、成人式にも帰らないという。3月生まれなので、実感がないかもしれないが、自分の考えを持ち行動していくようになった彼を頼もしくも思うが、反面さびしい気持ちもある。女房とて同じなのだと思う。
今朝の6時はまだ暗闇で、ひとり暮らす姿を想像すると、背中を暖めてやりたいような気持ちにもなる。髪を赤く染めて、ピアスをした寺に生まれた息子の将来に幸い多ければ、寺に生まれたことなど、ちっぽけな事実だと僕も思えるかもしれない。

2006年1月1日Sunday晴れ
明けましておめでとうございます。穏やかな朝を迎えました。とても天気のいい日となりました。
年越しの護摩の時間も寒くはなく、精一杯の護摩が焚けました。平和な一年でありますように。「いのち」のことをもう一度真剣に考え直してみたい年であります。