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『徒然日誌』 2007年1月から6月

2007年6月29日Fridayくもり
じゃがいも。
今日は隣りの部屋の調理実習室で、食生活改善推進員の伝達講習会があったのだ。なぜか途中で停電になってしまったりもして少し慌てたが。
弁当を食べていると、今日の献立のひとつ「じゃがまるくん」を2つずつ差し入れてくれた。つぶして丸めたジャガイモの中に豚のひき肉を入れて、からりと揚げたもの。生姜の隠し味がさわやかで旨かった。新ジャガの時期で、夕べうちの食卓は『肉じゃが』だった。今年は玉葱やジャガイモの出来が例年よりよいらしくて、檀家や近所からたくさんいただいている。カレーのジャガイモも旨い。カレーはどうしても一皿で終らなくて、半分くらいはおかわりをしてしまう。あの世でカレーが食べられないとしたら...、なんだか考えただけでしぼむ気持ちになってきた。

2007年6月28日Thursday晴れ
店じまい。
昨日の新聞に、下山の食品スーパーが閉店するチラシが入っていた。やがてこうなるだろうことは予測していたが、しのぎをけずるこの世界で、生き残っていくことは大変なことだと改めて考えさせられた。飯富に大きなスーパーが出店して、ドラッグ・スーパーや酒の安売り店、弁当屋、クリーニング店、DIY店などが並んで、そこに行けばほとんどの用が済んでしまうことになった。一箇所で用が足りればそこに行くようになるのは当たり前だのクラッカー。一時期は、このスーパーにもよく通ったんだ。他になかったから。子どもたちがまだ保育園と小学生の頃だったか。消費者が一度目を逸らして他所を向いたら、もう余程の起死回生のホームランでもなければ元には戻らない。
余談になるが、この店の精肉売り場に、僕の知り合いの息子さん(愚息と同級生)は、高校から大学とアルバイトに通っていると以前聞いたことがある。彼も大学4年だから、就活でバイトなんかしてないだろうか。また道を逸れるが、うちの息子は就活をしていない...らしい。
人の道に背いて儲けに走ったがことによる転落という、会社の自分勝手な経営で職を失う社員と、もうどうにもしようのない崖っぷちで、ともし火消えていく会社の社員もいて、僕たちは社会の中で、明日はわからない、決して確かな約束なんかされていない、ごちゃ混ぜのミンチ状態になっているのだ。全体も大事だけど、一人だって大切なんだよな。

2007年6月26日Tuesday晴れ
悪いことは成就しないものだ。
「ミートホープ」の従業員60人が全員解雇されたらしい。予期せぬ突然の失職ということにはなるが、まさか「俺たちは知らなかった」なんてことは言えないのではないだろうか。元工場長が「雲の上の人」の指示ですからと、偽装を知ってはいても進言できないところが雇用関係の悲しいところだ。他の混ぜ物をしてもばれなきゃ良い訳で、それで通れば発想の転換で更なる利潤を生み出す。いったん儲けだしたら止まらない。何でも混ぜちまえってことになる。「ミートホープ」の従業員は、おそらく誰もが知っていたはずだ。きっと給与もよかったかもしれないし、口にチャックさえして、黙って働いてさえいりゃ何事も丸く収まっていたんだ。「俺はうちの製品は絶対に食わない」なんて心の中で思いながらね。自分で食う分には農薬を使わない、野菜農家のようなものだ。「ミートホープ」のミンチは、「動物満載の血みどろのジュリアナ東京だぁ!」みたいなね。悪いことは決して成就しないものだ。悪いことには必ずその結末が訪れる。その嫌な予感を常に抱きながら、「ミートホープ」の田中親子は発射してしまった弾丸の放物線の頂点に到達してしまった。あとは一気に落下するのみだ。落下するときには、打ち上げたときの地面をも深く、地の底まで落ちていくということになっている。
解雇された人たちは、これからその身体に染み付いた垢を落として、真実の道を歩くことを始めたら、きっとよい方向に開けていくことを信じたい。何を信じていいかわからなくなってしまうようなことをしてはいけないということ。

2007年6月25日Monday晴れ
竹の子を食う。竹の子を刈る。
竹の子が美味い。食べるのに飽きるまではまだまだ美味い。弁当のおかずにもよし、酒の肴にもよし。
終業してすぐに帰ってきて、1時間ほど竹林に入り、刈り払い機で1時間ほど竹の子を刈った。竹林の外へ外へと伸びる竹の子のおびただしい数を、容赦なく刈り払う。雨が上がっていい天気になったので、夕方の作業は涼しく楽しかった。墓地の草ももうかなり伸びてきている。こんなことばかりが気にかかる。
ボーナスの支給明細の空袋をもらう。毎月の給料もそうだが、僕は数字を見ない。というか余り興味がない。欲しいときには女房から貰えばいいし、ネットで買ったものは、「あと払っといて」で済ませることも多い。音楽があって、酒があって、ゴロンとしていて、お経も読んで、草を刈っていることが全てかもしれない。
人気者というだけの取り柄で、国会議員になった奴にさえ、愛想尽かされてしまう国会なのである。元ヤンキーも行列のできる弁護士も自民党だ。さくらパパは民主党だ。懲りずに新しい駒を拾ってきては盤面に打つ。出す方も出る方もおかしい。肉屋が「全て牛肉です」と偽って、実は豚も鶏も鴨も混ぜて売っているようなのとさほど違わないような気もするが。

2007年6月24日Sunday
泥棒も気を遣ってくれたのか。
先週、Mアルプス所の刑事が二人で「賽銭泥棒」の供述の裏を取りに来た。たまたま葬儀に出かける予定で早退して帰ってきたところだったので、手短にお願いした。昨年の10月頃で、金額は3千円ちょっとの金額だった。先ず驚いたのは、金額の高さである。「はっきり申しまして」と、僕は丁寧に寺の賽銭実情を白状した。こちらのほうが恥ずかしかったか。訪れる人も少ないし、寺のお祭りか正月以外で賽銭が千円以上入っていることなど滅多にないので、この金額が盗られたということは先ずないでしょうと応えた。賽銭箱を壊されるほうがよっぽど痛いので、鍵は掛けていない。夕にお堂を閉めるときに、入っているかどうか分からないが、賽銭箱の中は毎日確認して、10円であってもありがたくいただいて、お堂の中の須弥壇にある金属製の小さな賽銭箱に入れておく。100円だったり、500円玉が入っていたりすると、もうそれは晩飯時の報告事項に値する。であるから、この泥棒さんは、私の寺の伽藍の大きさに敬意を表してか、気遣ってくれたのか、「あー、あそこの寺からは3千円盗りました」なんて言ってくれたんだろう。なんだかその光景が思い浮かぶようで、我が家の賽銭が彼に一食をもたらしてくれたのなら、それはそれでよかったのではないかと思ったのだ。
昨日の結婚披露宴、ありがたく楽しく、食事もお酒も会話も楽しく、また新しいカップルの若さから栄養を分けてもらったような気分でした。今日は朝から雨になっているけど、昨日の宴終了後に「ベルクラシック甲府」の外を見たら、午後6時半だというのに陽射しが残っていたので、「あーまだ飲み足りない時間なのかなぁ」と、岩間でまた4人で飲んじまいました。僕にもいつか息子や娘が結婚をする日が来るのかなぁと、ボーっと湯船に浸かりながら思った。

2007年6月22日Fridayくもり
仕事をいい加減に思っているわけでもないのだが。
夕べ電話があり、属す宗派の山梨宗務所長の奥様が亡くなられたことを知った。新聞のお悔やみ欄も見落としていたので、知らせてもらってよかった。今日も休みをもらっていかなければならない。今週は一昨日も葬儀の手伝い。昨日は一日帰国するALTのための諸々の手続きのために外に出っ放しだった。気が引ける思いであるが、こういう職業柄も、そして一応家の代表でもあるので、こういう付き合いはこれからも増えていくことになるかもしれない。時々煩わしさに押し潰されそうにもなるが、自分の中でうまく気持ちのバランスを保っていかなければならない。

2007年6月20日Wednesday晴れ
たいみんぐ。
叔父の檀家の葬儀の手伝いにいってきた。空梅雨の暑い日が続き、今日もそう。でもホール葬なので涼しい。今までのこの時期の葬儀は、汗びっしょりになった。早川のお寺に手伝いに行くときなんぞは、葬儀が済むと、衣や袈裟を陰干しにしてもらい、着替えて冷たいビールをゆっくりといただいたものだ。檀家の名物爺さんが付きっ切りで、僕らにお酌をしてくれて、こちらもゆっくりと遠慮なくいただいた。衣が乾いて、帰りにも手作りのご馳走をいただいて、もちろん酒気帯び運転のまま早川の道を中富へと下った。もうこんなことができなくなったが、自宅で葬儀をすることがだんだん少なくなってきたのだ。
で、今日の話。なんというタイミングの妙なのか、弔問に来た男性が、まさに焼香の番になって、香をつまもうとするところへ「ケータイ」の呼び出し音が鳴り響いた。音の主が焼香代の前に立つ男性だったのである。悲しみの中に少々の笑いを誘い、男性は顔を真っ赤にして、呼び出し音を止めて、焼香を済ませて去っていった。なんという絶妙のタイミング。まさか彼の一部始終を見ながら恥をかかせようと、知り合いが悪戯したわけでもないだろうが、困るようなぁ、こういうの。焼香の列に並ぶときにも、「電源を切るか、マナーモードに切り替えてください」とホールの職員も言ったほうがいいのかな。で、こういうことが起きると、ほとんどの人がケータイを取り出して、自分のは大丈夫かなって確認するんだよね。賑やかな音楽物は特に恥ずかしいね。

2007年6月18日Mondayくもり
ザ・バンドは大好きなバンドだったけど。
レヴォン・ヘルム(ザ・バンド)が咽頭癌を患っていて、彼のために寄付を募っているという。知名度があると、それだけでこんなことがあっという間に世界を駆け巡る。世界的にも有名なバンドのドラマーが、そんなに生活に困窮するのかとも詮索してしまうが、個人や団体から500ドルの寄付を募っているのだ。500ドルは日本円で6万円位になるらしい。これはかなり大金である。
先日亡くなった、私の心の兄は、噂によると国保の保険証すら所持できていなかったらしい。医療機関を受診することもできず、野垂れ死にのように布団の中で絶えていたのだ。愛が地球を矢のように駆け巡って、レヴォン・ヘルムは金に困らなくなるかもしれない。愛は行き倒れを救わない。愛は地球を巣食う。
日暮しの銭を稼ぎ、酒に消え、お前はバカかといわれ、ついには何も語らずに勝手に逝ってしまうことは滑稽か?。やっぱ滑稽か。んなこたぁねぇだろ。

2007年6月17日Sunday晴れ
PINK FLOYD。
昨日は丸1日。今日は午前中で自らの体を解放した。世間じゃ「父の日」であったらしい。昨日から、畑の草刈、池の周りや境内の植栽の刈り込み。本堂の掃除。まあ、僕はここの生活が好きだ。寺に生きることにためらいは今微塵も無く、ここで生きることが僕の人生の役割であったと思う。さて、いつまでやり遂げられるかはわからぬが。
夕方の酒を飲みながら、PINK FLOYDの1987年のliveDVDを見ている。先週は、NEIL YOUNGとこれと、どちらも2枚の映像もバッチリのものをDLできた。Nくんの休日の酒の友に、コピーしてあげようと思っている。DVDケースも発注してあるんだ。シド・バレットが亡くなって1年が経つ。この映像は、「クレイジー・ダイヤモンド」から始まる。デビッド・ギルモアのギターが震えながら切ない。シドも命を削りながらその代償として、ピンク・フロイドを走り抜けたのだろうか?
二日間の疲労は、今はどちらかといえば心地よく夕の風邪に癒されている。酒もいい。音楽もいい。女房は「今夜は鰻にしたよ」と言う。出不精だから、スーパーの鰻であっても、鰻に変わりはないので、僕はこれがいい。

2007年6月15日Friday晴れ
梅雨入りしたとたん。
翌日である今日は、一転夏の日になった。出かけるときには曇っていたが、昼には最高潮。清沢一周のフルコースを歩いて、気持ちよく汗もかく。オーディオ・ルームからの眺めも今日は昨日と反対。事務室は狭くて暑くて光量も少ないので、居心地はいいわけないのだが、ひとつだけ、2階なので眺めがいい。ひと月前までの支所のときは、外の眺めが全くできなかった。良いこともあったり、悪いこともあったり、どちらもどこでも半分ずつってことか。
今日は、電気屋さんが来て、エアコンの試運転なんかもあったのだ。夏突入だな。カラ梅雨なんだろうか。

2007年6月14日Thursday
護摩焚きを見てもらう。
町内の学校の先生方の研究会で、寺の見学を依頼されて、きっと余り見たことがないだろうからと、護摩を見ていただいた。
原小の児童にもしてもらったように、先生方にも護摩木に願い事を書いていただき、今日は直接炉に入れていただいた。前段は今朝修しておいたので、点火から20分余りを見ていただいた。終わって寺の由緒などを説明したが、結局1時間強の滞在となり、引き上げるときに丁度5時のチャイムが流れた。いくらかでも興味をもってくれたのであろうか、これはこれで僕としてはやりがいのあった貴重な時間であった。
雨で少々寒いくらいの本堂であったけれども、みなあったかくなって帰っていただくことができたように思う。お不動様もきっと喜んでくれた。

2007年6月13日Wednesday晴れ
夕べは久しぶりに。
T君を招いて飲む。情報交換とやらを楽しみながら飲む。送っていきながら、一色のホタルを見に行く。風が少し強く、もう9時を回っていたので、人出も少ないだろうと思っていたが、結構居るんだ。3人でしばしホタルの舞う光の描く自由な線を楽しむ。こんなことでもなければ、わざわざ夜ホタルを見たいとは思わない。
今朝は今朝で、カメラマン氏。去年ブッポウソウが飛来した情報がかなり出回っているらしく、電話で問い合わせがあったり、カメラもって早朝から来る人もある。残念ながら今年ブッポウソウはこの杜に現れない。その飛来や声を気にもせずに昨年までは聞いていたが、こんなに貴重でなかなかお目にかかれない鳥だと分かったら、来ない今年がなぜか寂しくて、来年以降もダメだろうかと案じてしまう。僕の怠け癖を叱ってくれる「ブッポウソウ」と啼くコノハヅクは居る。過度に反応しないことがいいんだろう。互い干渉しなくて、踏み込まないで、あっ今年もやってきましたねってのがいいんだろう。今日も暑い日になりそう。昨日午後県庁へ行ってきたが、甲府は暑さが違うように感じた。今朝あらためて、寺の建物の中は涼しいなと感じた。
NEIL YOUNG & CRAZY HORSESの2001年のライブDVDを、猛烈なスピードでDLできた。2枚組みである。Proshotだから画質もよい。またしばらくニール・ヤングにはまりそうだ。ブルース・コバーンも最近聞いてよかったし、カナダのシンガーは質が高い。

2007年6月11日Monday晴れ
快晴である。
テレビじゃ、東京は傘をさしていたが、こちら快晴。土日の雨をたっぷりと吸って、竹の子も伸びてきた。本堂の扉を開くと長く長く朝日が射してきた。アジサイも一日一日色を増す。洗濯物が今日はよく乾きそうだ。気温も30度近くまで上がるとか。昨日の夕方草を刈った畑から、草いきれが流れてくる。自己満足の僕はこれが気持ちいい。
こんな記事を拾った。「レノン最期の言葉は「息子に会いたい」=ヨーコさんが秘話明かす」。
(20:00) 午後5時半まで仕事なので、帰ってきてから稼ぐことがなかなかできない。それでも日が長くなったので、今日は30分ほど、道の幅の竹の子刈りと、庭の梅の木の枝を切る。その日暮らしで、毎日追いかけっこのようで、面白いんだか、面白くないんだか、感覚が麻痺してしまったような節々の痛み。

2007年6月9日Saturday
飲むは易く言うは難し。
法事。夕べで雨が上がればよかろうものに、7時過ぎには降ってくる。9時頃にはいよいよ最高潮。施主夫婦が新しい位牌と写真など持ってきて、「あんまり大降りじゃ、代表の墓参てことにするか」などと話す。僕は風呂で頭を刈る。10時半より法事。40人強の参会者。終わって壇を下りて池のほうを見ると雨が上がったのか明るい気配。墓参りの時間は幸いにも雨が止まる。こんなことがあるから、自然というものと生きている者との関係の不思議。亡者がこの時間を用意してくれたか。終わって場所を移して御斎。始めに法話。「モガリ」の話などしたが、適当ではなかったか、まとまりがつかなかった。もっとシンプルにいけばよかったか。少し悔いが残った。法話無しの飲酒はご法度なのだ。祖父・父からの遺訓。毎度のことであるが、言うは難し。飲むは易し。斎場のカプセルのような会場で、まったく外の状況分からず。雨なのか晴れたのか、寒いのか暑くなったのかも分からずに日本酒いただく。日本人は大きなもの大好きなのねと、大きな紙の手提げいただいて帰る。ひとつ済ませてホッ。

2007年6月8日Friday晴れ
コノハヅク啼く。
去年飛来したブッポウソウは、もう諦めるしかないようだ。姿はとてもすっきりと美しかった。でも、声の仏法僧は、今朝も「ブッポウソウ」と寺の杜で啼いている。自然に生きる繋がる命から、戒めをいただいているような気がしている。今朝は空が特別に青いように見える。ひこうき雲が見えて、そうだ、明日には雨になる。隣りの佐田家のおじさんの七七日忌がある。法事の時間だけでもせめて雨が控えてくれるといいが。
この寺を思える限りは、ここに対して責任があるのだな。社会保険庁とは違うもんなぁ。
(22:50)外は大降りだ。雷も聞こえる。今夜たくさん降ってしまって、明朝回復してくれると良いのになぁ。角屋のおじさんのために、いい天気の中で七七日忌の法事をしたいのにな。Warren Haynesのギターはホントにいいなぁ。年金やら介護保険やら、弱者にとっては頭の痛い、気の重くなる話が多い。せめて金曜の夜は、寝坊してもよく、音楽を聴いていようか。

2007年6月7日Thursdayくもり
1年生と給食を食べる。
昨日は学校訪問で、原小学校で給食をいただいた。1年生の教室で一緒に食べた。よく喋る子や静かに食べる子や、箸を二度も落とす子も。教師やスクールカウンセラーたちは、授業だけではなく学校生活の全体を見ながら、子どもらの心を読み取っているらしい。とても大事な仕事になる。かつて教師は聖職であり、霞を食って生きるなんて言われていたような事があったようであるが、遠くないなぁと思う。

2007年6月5日Tuesday晴れ
悔いを残したくはなかった。
きっちりと僕の満足で修ちゃんと別れたかった。午後の仕事を休んで焼香をした。梅雨の前の夏空に吸い込まれていった。時間は当然余ったので草刈りをした。修ちゃんに遊んでもらった小学校の低学年の頃を思ったり、僕が成人してから何度か会う機会があったりしたことも思い出しながら。今日も初夏のようなよい天気でよかったよね。
何にも、誰にも、約束なんかされていなくてさびしい。

2007年6月4日Monday晴れ
修ちゃんを送る。
修一兄ちゃんが亡くなった。修(シュー)ちゃんの訃報を職場で知ることとなった。55歳。幼い日によく遊んでもらった。そうか四つか五つ違いだったんだ。三吉屋に行ったときには、隣りの修ちゃんのところに行くことが楽しみだった。ご飯もご馳走になったし、小さくて、狭くて、貧しい家だったけど、すこぶる居心地がよかった。修ちゃんと最後に会ったのは、5年ほど前のタカシの結婚披露宴だった。修ちゃんと飲むことなんてなかった。多分あの、短い時間で話して飲んだのが、大人になってからの修ちゃんとの初めての交わりだったような気がする。僕を呼び捨てにする人間がまたひとり居なくなった。
通夜に行き、話を聞いたら、元気だったのに突然亡くなってしまったという。なんで、こんなにもあっさりと、さっぱりと、簡単に逝ってしまえるものだ。高校進学ができずに、山交バスの車掌から働き始めた修ちゃんを見ながら、今も大昔も変わらぬ馬鹿だった僕は、「俺も高校には行きたくない」と親に話して怒られたことがあった。好きな人やうまく付き合っていけそうな人を、どうしても選択してしまったり、人付き合いが苦手だったりする。修ちゃんとは、あの世でまた会えたら、ゆっくりと飲んで話そうと思う。修ちゃんと会えたのも、天からの贈り物だったんだ。心安らかに。

2007年6月3日Sunday晴れ
法事1件あり。
世田谷に住むSさんの法事あり。お母さんの50回忌。若大将にてあとの膳の支度をしてもらう。とても繊細な膳でみな喜んでくれる。僕も美味しくいただく。この主人は料理することが本当に好きだ。僕のいい加減はこの人の前でポキッと折れる。

2007年6月2日Saturday晴れ
結婚記念日だったんだ。
お昼を食べた後、部屋で寝転んでいると、「今日は何の日か知ってるけ?」と訊くので、わかってはいたが応えもしなかった。「よく21年ももったよね」と続いたので、こちらも声には出さず頭の中で「まあな」と応えておいた。大体は僕がわがままなので、大人の彼女の振る舞いが時間の経過で僕を静まらせてくれるのだ。こんなことが20年繰り返されているんだ。同い年の阿吽の呼吸とでもいうのか、高校のクラスメイトの気楽さというのか。ありがたいなとは感謝はしているのだ。
夕べも取り留めのない話をしたな。
午後涼しくなってから本道の裏を草刈りして、汗をかいて、頭を刈ってシャワーを浴びる。風が気持ちいい。彼女は午後5時なってから、「少し草取りをしてくる」と外に出た。こんな生活がいいのだ、これでいいのだ。

2007年6月1日Friday晴れ
六月に入る。
カルメン・マキ&OZに「六月の詩」がある。別に名人の脈絡もないのであるが。時々無性に彼女の歌が聞きたくなる。僕はやはり、古い歌が好きだ。フラワー・トラベリン・バンドなんかも年に何度か。
今朝出勤したら、Sさんが「早いもんですね、もう6月だもんね」と。確かに過ぎてしまうと早いよなと感じてしまう。一日が早く過ぎてくれればいいと思いながら、過ぎてしまえば、時の去ってゆくことが惜しくてたまらなくなる。先には楽しみもあるが、先の展望がもうそんなにないことを考えると、気分が滅入ってくることもある。
2日間、雨の午後だったので、今日の一日は晴れてよかった。昨日は雷も鳴った。昨日東京じゃ、自転車に乗った人のメガネに落雷があったのだと。命に別状はなかったようであるが、雷はメガネから右腕を通って、自転車に抜けていったのだと聞いた。
今月は、おめでたが一つある。法事が二つある。今年はブッポウソウは寺の杜に来ないようだ。朝見上げる空が青ければ、それでいいやなんて考えている。
マヨネーズが値上がりする。ティッシュも、ガソリンも。住民税もドカンと取られる。女房と結末に至らない果てのない話をする。僕は日本酒で頭がぐるぐると回っている。

2007年5月29日Tuesday晴れ
阿弥陀堂だより。 夕べのBSで「阿弥陀堂だより」見る。二度目だったが夕べもよかった。役者がみな素晴らしくよかった。北林谷栄の堂守りの「おうめ」さんは、少々狂気的な印象もあったが、シャーマンとはこんなものかと、あとになってから思い返したりした。田村高廣は、昨年鬼籍に入った。寺尾聰も樋口可南子も見る者を引きずり込む力を持っていた。
昨日、「殯(もがり)の森」でカンヌ国際映画祭(審査員特別賞)を受賞した河瀬直美監督は、娯楽として消費される作品は作りたくないと過去に語っているが、これがまたきっと難しいのであろう。本年と建て前の狭間で生きていくのが世の慣わしなのであろうか。
「モガリ」といえば、午後、教育委員の先生方を研修会に連れて行った間に、いま読んでいる「戒名と日本人」の中に、「モガリ」の記述を偶然見つけた。かつての日本人は、死を強く恐れていたあまり、死を積極的に見つめなかったようで、死体を見えないところに放置する「野捨て」を行っていたという。そういう死体は野犬や獣に食われてしまう。この状況は後になって、聖僧などが遺体を集めて荼毘に伏すことになり、これが始まりになったようだ。で、この「モガリ」。高貴な人の葬送儀礼で、「死の完成といわれる白骨化まで見届ける」のがモガリ葬法だと。「モガリ」の期間は長ければ長いほうがよいとされ、数ヶ月から2年以上にも及ぶ、モガリもあったらしい。遺体の変化をもろに目の当たりにするので、かなり強烈な葬送儀礼であったらしいが。

2007年5月21日Monday晴れ
先週末の土曜は「ラ・カーニャ」で。 上京して娘と合流し、夜は下北沢「ラ・カーニャ」で、下田さんのライブ。60名限定でも地下の店内は狭いのでいっぱい。1時間半余りの弾き語りのライブを味わう。年齢層はやはり高い。娘が一番若く、みな他はほとんどが僕なんかと同世代、もしくはそれ以上。終演後、下田さんの59歳の誕生会。内輪のお祝いのようで、この夜のラ・カーニャはライブ後は閉店。下田通信所の西谷さんともお会いして、僕たち3人はそのまま店に残って祝宴に同席させてもらう。楽しいひとときを過ごさせていただいた。「来年また行くよ」と言ってくれた。来年は還暦祝いなんだ。
下北沢は、今も昔と変わらぬ若者の街の雰囲気だ。町は大きくなっただろうが、ここの持つ思いはそれぞれに100%なんじゃないだろうか。

2007年5月16日Wednesday晴れ
雑感。 親殺しがあり、子捨てがあり、国民投票法案が可決された。教育基本法を改めて、従順な子どもたちを作り上げ、それから憲法第9条にも手をつける。安倍晋三は妻のアッキーとアイスクリーム舐めながら、「やったね」と子を持たぬ親の無責任な会話が弾ませるのか。うつ状態がどん底で、二日休んだ。職場に出たら出たで、午後には少し回復。たまった仕事がどっさりとあった。警告を発する声が余り聞こえないような気がする。代わりに改憲への靴音が、現実味を帯びて僕の頭をカツカツカツカツと巡る。石破茂は、徴兵制なんて布かないよといった。職業軍人を組織するのだと、確かにそうかもしれないが、いざ事が起こったときに、この弓の島全土が戦場になると行くことは、間違いないのであろうし、そうなれば、一般人であっても、戦いの犠牲者となることは避けられないのではないか。一体何故にこんな愚かなことを繰り返しているのか。

2007年5月8日Tuesday晴れ
大善寺藤切祭典。 暑い暑い一日になった。勝沼:大善寺の藤切祭典に出仕。朝とても道が混んでいたので、途中仕方なく一宮ICから勝沼ICまで5分ほど高速に乗った。祭りの内容が少し今年は変わったので、僕たち醍醐の法印は、昨年までのように直接関わることが少なくなった。これも時代の変化であろうし、今日実際に祭りを体験して、これはこれでなかなか良いものであると実感した。古い船も新しい水夫が新しく舵取りをしていくのだ。船はそうしてまた新しい船へと形を変えていくものなのだろう。来年このお祭りに僕が必要であるのかどうかはわからない。とてもよい天気で暑いくらい。今日は今日で藤切の祭りを楽しませていただいた。感謝。
午後7時半過ぎに帰宅。ビールを飲んで、それから8:45からのNHKニュースでの祭典の録画を見る。チラッと映っていた。喜田の姉さんと、「学校教育課のK井です」のために藤蔓も貰ってきた。ところ変われば人の気持ちも大きく変わるなというのが、毎度の事ながら、家のお祭りとこの峡東地区のお祭りの違いなのである。
往きも帰りもボブ・マーリーで、軽快に飛ばした。そういえば僕は5月に亡くなったのであったな。

2007年5月7日Mondayくもり
今日からまた日常生活に戻らなければならない。 と言っているのに僕はまた明日休みをいただいているのだ。今夕は、檀家のSさんの屋敷神さんのお祭り。6時過ぎても良いからということなんである。
昨日はだいぶ雨が降って、飛び石連休ではじめて外出。3時間ばかし。娘がバスケットボール部に入るということで、カムイ・スポーツ館まで。さすがに昨日の午前中は雨も降っていたし、連休最後の日だし、ジェットコースターの事故もあったし?、で道は空いていた。夕方娘は長い連休の帰省を終えて、学寮に戻っていった。19日に今度はこちらが上京して、下北沢での下田逸郎さんのライブへ行く予定になっているのだ。先月末の檀家の葬儀から祭典があり、片付けなんかも一通り済んで、頼まれていたお札を今日発送すればすべて終わりだ。寺が元の静けさに戻って、少し草を刈ったり、書き物をしたり、音楽を聴いたりと休みを過ごした。雨が降ってまた生活がリセットされたような感じ。
通常のサラリーマンの仕事があって、休みの日には今月も来月もチョコチョコと法事なんかがある。
ケヤキの緑はすっかり深くなった。祭典の導師を10回務めたことになり、次の10回を務めるだけの体力と気力が維持できたらいいなと思っている。

2007年4月27日Friday晴れ
葬儀終わる。 慌ただしく昨日今日と過ぎた。無事葬儀も終了。5人で葬儀をしたのは、元々檀家の少ないわが寺では、思い出せないくらい久しぶりのこと。叔父と従弟の固定メンバー+不動院、花園院のご住職。聞けば2人とも外の仕事をお辞めになったのだという。うーーうらやましい。そんなこんなで一時間の客殿での葬儀を終え、皆で感想。「やはりホール葬なんかより、いいね」だった。僕も今日はとても気持ちよく、こうあるのが本来だよなと思いながら導師を務めた。誰よりも故人がこれを喜んでくれているのだと思う。よかった。
隣りの集会所での初七日を終えて、客殿の片づけを済ませ、ついでに頭も刈ってしまう。シャワーを浴びて5時半になってからごろんとテレビ見ながらうたた寝。祭りの護摩壇用にヒノキの枝ををお願いしてあるMさんに6時15分頃電話。「おー、葬式で大変だったな、実は明日出かけなければならなくなったので、今から見に来るか」と言われ、すぐにクルマ走らせる。飲んでなくてよかった。でもホントは、初七日でコップ1杯ほどビールを飲んだ。「早く着いたな」とMさんは道沿いの檜林で待ってくれていた。薄暮のヒノキの林に、枝卸しされた枝が詰まれていた。「十分です、明日いただきに来ます」と礼を言って分かれる。別れ際に聞いた言葉が忘れられない。これはとてもありがたい言葉だった。「もうひと月ふた月早ければな」と。木にも枝打ちの時期があるのだ。で、僕はこう言った。「今が4月29日だけど、本来は3月28日がお祭りだったんです」と。これで僕も納得。柴燈護摩を行う春の祭りは、枝打ちの季節でもあり、それを利用して祭りに使ったのだ。自然のサイクルと無関係ではなかった。興味深い話であった。山に伏す修験者のこと故、自然に逆らうようなことはしないはずだ。
一日の締めくくりがとてもよい。風呂に入って、今日は早く休むことにする。

2007年4月26日Thursday晴れ
檀家の葬儀になったのである。 寺の隣りのK屋のおじさんが昨日の夕方亡くなって、ばたばたと一日が過ぎた。夕飯を終えたところに、亡くなった報せが入り、すぐに枕経をあげに伺う。実は昨日、「明日休みを貰います」と休暇届を出し、今日を使ってお祭りの準備をしようと計画していたのだ。だが、それが思わぬ展開となって、結局明日も休むことになり、今月の出勤は昨日で終わっちまった。土曜は友引なので「明日の通夜、あさっての本葬でどうか」という話になり、こちらも日延べをすることまでは考えたくなかったので、GO。夕べはなかなか寝付けずに、結局枕元で虎の巻なども参考にしながら、戒名を考え、諷誦文の大まかな下書きもしたのだった。
で、僕も女房も「まあ、ホール葬だろう」と、高を括っていたのだが、なんと「生前の故人の希望で、僧侶5人で寺で葬儀を」と、従来の葬儀を希望していたとのことで、喪主自身も「コリャしかないわ」みたいなところで、僕は更に思案。庫裏も客殿ももうお祭りモードになっている。それから僧侶4人がなかなか都合つかない。叔父に僧侶の確保をお願いする。組長なので、女房は組内へ弔事の連絡をする。今朝は朝から書き物。支所へ行き、事情を話してもう一日休みを貰う。お昼前にセレモニーホールの職員が客殿の掃除と会場作りに来てくれる。僕はパソコンと客殿と庫裏を行ったり来たり。次第を考え、諷誦文を午後3時半からの納棺の前に仕上げる。忙しい忙しい。6時から通夜。7時に帰り、片付けや明日の準備をして、残りのお札を書く。今日のところは心残りなく終わる。うーん、疲れた。こんなものだ、これが人生という奴だ。明日もう一日朝から。

2007年4月24日Tuesdayくもり
お札を書いて夜の時間が過ぎる。 夕方帰って同僚のお父さんの通夜に行く。小雨が混じる夕方は、道が混んでいる。6時半近くなって葬祭場に着くと、もう大分参列者の数も少なくなっていた。ほとんど待つことなく焼香。N君のところは曹洞宗の檀家であることは前から聞いて知っていた。喪主である彼に頭を下げ、焼香。通夜の導師がちょうど観音経の偈をお唱えしているところだった。随分とゆっくりなのんびりとしたような読経に感じた。豪傑な故人の写真が焼香台で微笑んでいた。N君ももうこれで父親と晩酌することは永遠にできなくなった。僕も十年以上の一人の晩酌である。
晩酌をせずに夕飯を食べ、食後にすぐ御札書きに励む。書きながら祭りの当日までのことを頭の中で考える。木曜日を一日休もうかと思う。金曜には教育委員会があるのだ。一日仕事のつもりで取り組めば土曜に焦ることなくことが運ぶ。庫裏の外の水道で筆を洗うと、雨の音がするので、本降りになったかと思ったが、こうしている今はもう止んでいるみたいだ。これまたのんびりとしたJERRY GARCIAのアコースティックな演奏を聴いている。意外と夜は長いんだ。

2007年4月23日Monday晴れ
土日のことなど。 金曜の夜に若大将で飲んだので、翌日の土曜の午前中はほとんど機能せずに過ごす。それでも、五大明王を新しく折ってみたりする。毎年作るのも厄介だが、せめて3年ぐらいには作り変えるか。父が亡くなって僕が導師を始めて今年で10回目になる。日曜の雨が予想されたので、外の準備も一人でこつこつとやった。明けて昨日の朝。檀家の人たち集まって祭りの準備。当日まで一週間あるので、幟の棹を立てて、護摩壇の結界の杭だけを打ってもらい、受付のテントと松明作り。女性には本堂の拭き掃除と草取り。
11時前には解散。例年お昼を出していたが、今年からお茶だけで帰ってもらうことにした、いなり寿しの二個入パックとペットボトルのお茶を付けて。雨は結局降らずに一日が終る。風の強い日で、本堂の扉は締め切りにする。僕はお札を書き、庫裏の襖・障子を外したり。ガソリンを買いにいき、今年初の草刈もする。裏の池の周りがどうにもむさくるしい。刈って汗をかいて、頭を刈って、飲んで、「風林火山」観て、選挙速報なんぞも耳にしながら寝てしまう。
昨日の朝にはこんなこともあった。歳若い檀家が集まらなくて、というか、若い衆は八日市の準備の方を優先してしまっていて。長老たちは怒っていた。本末転倒もはなはだしい。お不動さんのお祭りがあって、八日市もくっついてくるのだろうに。僕も同じ感想でした。もう少しよく理解してくれなくちゃね。

2007年4月19日Thursday晴れ
近くの山には雪があった。 夕べから今朝にかけて富士五湖では積雪があったようであるが、僕の目にする景色の中にも雪があった。山肌が白く雪に覆われていた。さまざまなことがひっくり返ったり、例年のデータなんかを覆してしまったり、愛する心を失ってしまったり。
ニール・ヤングを聞きながら歩く。ニール・ヤングはここずっとお気に入りだ。クレイジー・ホースとの演奏も良いけれど、ソロはこちらも震えるように良い。放棄された山の斜面の日当たりのよい畑に、たくさんのタンポポが咲いているのを眺めながら、ニール・ヤングを聞くのである。遥かのあの場所に思いを馳せるのである。
夕方帰って御幣を作る。本のものではなく、祖父や父が作っていた古いものを見本にして作った。これで来年もよし。御幣は神変大菩薩から相承したものであるという祓いの件がある。週末はまた天候が崩れそう。祭りの準備もあるのだが。

2007年4月18日Wednesday
寒くて冬に逆戻りだ。 3日続きの雨。でも今朝は小降り。肌寒い。暖かいトックリのシャツを中に着込んだ。こんな日が続けば、気持ちは萎える。
娘が居た頃は、夕食が済むとたいてい僕は部屋に戻って、パソコンをしてすぐに風呂に入って布団の中で夜を過ごすことが多かった。ちょうど今はお祭りの前で、御札の申し込みがあるので、夕食後に墨をすって食卓で書いている。米国のバージニア工科大学で銃の乱射事件が起こったことは知っていたが、夕べは、長崎市長が暴漢に銃撃されるという悲劇を知ることとなった。今朝方亡くなったそうであるが、重いニュースばかりである。これを「欧米化」というのか?銃は、刃を交え互いの呼吸を感じることよりも、あっさりと事に決着がつけられるのかもしれない。互いの逡巡を待つ(望む)(読む)ことをもさせない。武士や騎士には、交える間に相手を許す感情や止めようとする心も湧いたかもしれないなぁと想像する。銃の社会は、結果がすぐに出てしまうので、引き返せない。後悔することの多々ある者らにとっては、とんでもない代物であるように思える。

2007年4月16日Monday
今日もまた雨の一日、嫌になる寒さだ。 午前中には雨になった。支所は寒い。ストーブの使用ももう抑えてきているので、灯油が切れている。寒くても“おしくらまんじゅう”しながら我慢するしかない。僕は貧乏ゆすりが止められない。
わが町の小学校はいささかずれが生じているようで、今日もインフルエンザで学級閉鎖措置がされた。先週も2校あった。まあ、13人のクラスのうち11人が休んでます。学級閉鎖します。1クラスしかないので、必然的に学年閉鎖ですとなる。
昨日、木を運んだりした疲れが出たのか、今朝は6時過ぎまで熟睡。雨になりそうなので、本堂はお勤めを済ませて今日は堂を開けず。雨が続いても、29日に晴れてくれりゃいいやと思う。

2007年4月15日Sunday晴れ
やっと少し書く気持ちがもどったような。 土日でお祭りの準備も大分はかどった。柴燈護摩壇の下準備も済ませた。製材所で端材をもらっていたが、4年位前から裏山から、立ち枯れの木を引き摺り下ろして護摩壇を作っている。山に立ち入らなくなって久しい。フィールドアスレチックなんかもあったのだ。今裏山を闊歩するのは獣だけだ。イノシシが歩き始めた山は、少し登ると独特な獣の臭いがする。動かない重い臭いに背筋が寒くなる思いも湧いてくる。落ち葉の道をわざと音を立てて歩いていく。雑木林に入り、立ち枯れの木を何本も根元で切ったり、折ったりして、午前中何往復もして本堂前に下ろした。余ったもので護摩木もたくさん作れた。女房は午前と夕方草取りをする。二人で黙ってする静かな時間だけど、祭りに取り掛かる気持ちを少しずつこうやりながら作っていくのだ。
昨日はお不動様や信玄像の撮影がひとつと、県立文学館の学芸員のKさんも来山。隣りの資料館の鍵を預かることになったので、早速展示室の除湿機の溜まった水を捨てる。八日市の会場図面を区長・副区長と確認。30回目の八日市。よく30年も続けたな。感心。
今夜、「区会議員・組長会議」に出る。今年3組の組長。他所の地区に誇れるような時代物が一つここの地区にはあった。「ハエ・蚊の一斉消毒」。夏場3回、ミケゾールを薄めて散布してまわるのだ。天秤棒で薄め液の入ったでかいバケツ担いで、手押しポンプをあおって散布する。今こんなことをやっている地区はここ以外ありません。今夜そのことに反対意見を述べようと思っていたが、最初に区長の挨拶の中でこの件が出てきたのだった。で、僕は用意しておいた意見を述べたら、何人か同じ意見で、結局終息宣言が出たのだ。意外とあっさりと「おしまい」の結論が出てしまった。帰って女房にこのことを告げると、「よかったぁー」である。若い人たちには不評だったもんなぁ。でも、みんな言えないんだよね。
今夜の「風林火山」はたった今午後10時から。富山のノブ君からケータイにメールあり。風邪だとか。明日はまた天気が崩れるという。
金曜の宿直で、「神祇講式」を読んだが、今だから分かるようなところもあったし、何せこの長い読み物を、過去にはすらすらと読むことさえできなかったのだ。清瀧権現での恥ずかしい昔だ。

2007年4月10日Tuesday晴れ
神祇講式を読むぞ。 新聞の配達が遅くて、出かける前に読むことができないでいたが、配達してくれるだけでもありがたいのでそれ以上のことを訴えることは控えていたが、年度が改まってから少し早くなって、7時過ぎには配達されている。これで目を通すことができるようになった。長く続いて欲しいと願っている。寒いときや雨の日は、きっといやだもんなぁ。
もう随分と読むこともなかったが、毎朝法螺貝を吹いていて、今朝不意に「神祇講式」を読みたいと思った。朝々に自分の得たいもの覚えたいものなどを混ぜながらお勤めをしている。一つずつ確かに覚えていくと、しっかりと頭の中に引き出しが増えていく。これがある限りボケてもいられないのではないかと思っている。多分死ぬまで行き着くところなんてないのだから。
「真言密教は、国家神道などの過激な思想とはっきりと一線を画す一方で、本来のおだやかな神道の信仰とは融和し、密教の理念のもとで神々を敬い」という、大法輪に書かれていた一文で潤ったな。

2007年4月8日Sunday晴れ
BOOK-OFFは高い。 甲府:華光院のお祭りの帰りにBOOK-OFFに寄って、何かないかなぁと漁った。Amazonでカートに入れてある「梶芽衣子全曲集」があったので、これは掘り出し物。でも2600円は高い。DAVID BOWIE/ALADDIN SANE。SANTANA/Welcome。3枚買う。でもどうも他のも見たが、高い。もっと安くなきゃOFFじゃねぇじゃねぇかの疑問。まあ、ジャケット開いて梶芽衣子の写真見てるから許すか。アラジン・セインもよく聞いたなぁ。ユキエさんは、ビートルズより、ストーンズだったり、ボウイも早くから聞いていたよな。ALADDIN SANEは1972年releaseだから35年前。Mike Garsonのピアノがとても前衛的でものすごく印象に残ったけど、今日聴いてもこれは褪せてなくてとってもいかす。ストーンズの「夜をぶっ飛ばせ」のカバーがこれまた秀逸なんである。
そういえば、ガラッと変わるけど、夕べの「フォークの達人」友川カズキもよかったな。ビデオに録ったりしない分だけ、一生懸命見ちまったよ。彼もフォークの前衛的歌い手だ。

2007年4月7日Saturday晴れ
普通ならまだやる気にならないんだけど。 身体の調子が悪かったので結果得したというのか、落ち着いてじっくりと一日お札を書いて過ごした。檀家と寺院の分と、いま申し込みのある分を書くことができた。まだまだお札を書く気分になんて例年はならないが、今日は特別だ。その分だけ後が楽になった。
境内のサクラはもう終わりになる。ご朱印ひとり。春の遍路がポツポツとある。頭を刈ってシャワーを浴びて出ると、雨になっていた。信玄公祭りの夜は雨になる確率が高い。でも明日は大丈夫。甲府:華光院の祭典。稚児も出て、お昼には終わるので甲府の昼前は風も少なくていいのだ。護摩の火も大きく上がるけど大丈夫。
僕を呪い殺すと言い放った奴から電話があったのだと女房から聞いた。どうやら呪いの縄がほどかれたようでよかった。山吹色のような小便が出て、身体は何日か呪詛のダメージを受けていたのかもしれないな。俺を呪っても仕方のないことが分かったんだな。冷静になって考えてみりゃわかるってもんだ。こっちも“ホッ”だぜ。

2007年4月4日Wednesday晴れ
温度差があって、身体が慣れない。 夕べも夜まで付き合うとなんだかもうぐったりとしてしまう。気温が低かったり急に上昇してみたりで、身体がきつい。
年度初めでやっつけ仕事がいくつかあって、それだけにゆっくりと関われずにいるので、そのストレスもあるのか。明日は一日中「期日前投票事務」に拘束されるので、今日は片付けたいな。
お祭りのことも頭の3分の1くらいに膨らみ始めてきている。娘の入学式から帰った女房とゆっくり話もしないけど、寂しい気持ちは結局日々の暮らしで薄めていくしかない。ここんとこパコ・デ・ルシアとか聞いてるんだ。なぜかかけっぱなしでほっとするような心地になれる。空の青さがハッキリしてきて、朝日が熱く頬にあたる。さて。

2007年4月3日Tuesdayくもり
大学の入学式だ。 夕べ7時過ぎに女房と娘から電話。無事に入寮を済ませ、夕べは今日の入学式に備え、2人で近くのビジネスホテル泊まり。
茨城の方との同部屋となったようで、隣り部屋の方は静岡出身で、買い物をしていたらそのお母さんから声をかけられたそうだ。皆一様に少々の不安を親も子も持っているようであるが、大勢の入っている寮なので、履修のことなんかでも随分と助かるのではないだろうか。今朝は曇りだ。
昨日僕の方は、宿直明けの年度初め式で、家に戻らずにそのまま教育委員会の人事発令などに関わった。県議選の期日前投票も始まっているので、そちらの仕事に就く者もいたのだ。
昼は正風軒でチャーハン。今日も弁当ナシなので、なんにするかなぁ。午後からは異動教職員の挨拶があり、教育委員会の年度初め式があり、夕刻からは学校管理職の歓送迎会がある。
昨日から仕事が午後5時30分までとなり、午後4時半になってから「ハローワーク」へ雇用保険の手続きに出かけたりした。5時に終えて5時15分に帰るのと、正味5時半までとでは随分と違うような感じだった。
冷たいご飯を温めて、「あけがらし」とインスタント味噌汁の朝食。女房と娘は、また今朝は今朝で少し緊張しながら、ホテルの朝食を取っているのだろう。彼女の大学生活を守り給えと、僕は今朝のお勤め。

2007年4月1日Sunday晴れ
それぞれの未来にまっすぐに進め。 息子は夕べ帰ってきて、今日免許の更新をするために午後早々と女房と娘と出かけてそのまま相模原だ。娘は明日入寮式、あさって入学式のため上京する。今夜が最後の夜になるも、ぼくはこれから宿直である。
暖かな一日の終わりの時間になって、空が少し曇ってきた。法螺貝を吹き、本堂を閉める。
お祭りへの案内を今日発送。少しずつすることを片付けていく。西海さんが奉納してくれた弓の弦が切れてしまったので、少し考え込んでいたが、案ずるより何とかで自分で修理した。もう12年も使っているので弦のテグスも古くなっていたのだ。3本とも新しくする。これでよし。

2007年3月29日Thursday晴れ
もう残りは3日間だ。 娘の転出の手続きをし、夕方には急逝した同僚の息子さんの通夜に向かった。春休みに入ったということもあるのか、高校のクラスメイトや同級生なども多く弔問に訪れていた。国道沿いにある葬祭場は薄い闇に包まれ、国道を忙しなく行き交う車のライトや騒音と対照的に、読経は聴こえるが、ここだけ異空間のような静けさも感じた。同僚夫婦の泣きはらした顔には、まだ困惑の表情も残っているようであった。この2人の気丈に振舞う姿をもうこれ以上見て入られないと感じた。焼香台の小さな遺影は高校2年生の彼の笑い顔があり、位牌には行年18歳とある。
なんとこの生きている世界の割り切れないことか。なぜ強く生きようとしている者を連れて行く。何もないのであるなら、なぜ命あるものなどこの世に生み出したのだと問いたくなる。僧であってもこの不可解な事象の前ではまったくの無知で無力であるのだ。
大きな悲しみがあれば、反対に大きな喜びがあり、喜怒哀楽は四六時中世界を駆け巡っている。どんな言葉をもっても解決には決して到らない。

2007年3月28日Wednesday晴れ
サクラの時期には悲しいことも多く起きてしまうな。 植木等さんが亡くなったというニュース。地震による災害も発生。夕べ布団の中でテレビを見ていたらケータイ。「桜の花が咲く時期は訃報が多くて嫌だね」と。また一つ僕のところにもこんな報せが届いた。
心ときめく季節でありながら、桜の花びらの色には、うすーくもやもやとした、言葉では言い尽くせないようなさびし色がある。3月の末から4月上旬にかけて、この10年くらいの間に何人もの大切な人を失った。
娘は今日大学の寮に向けて荷物を発送するのだ。親としてはこれだけのことでも、何か少し寂しい感じがある。入寮のために転出もして、渋谷区に住民票も移さなければならないのだと。これも少しさびしいことではある。「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」とある。新しく芽吹くあらゆるいのちをいつくしむ時節なのだ。僕たちはこの時期を大切にしなければいけない時期としてとらえ、いのちのことを改まって考えてみるべきなのかもしれない。

2007年3月25日Sunday晴れ
晴れ間が覗いてきた。 昨日の夕から昼過ぎまで雨であった。乾いていたから、寒くはなく暖かな雨で、インフルエンザの流行もこの雨で少し静まるのではないかと。
女房と娘は大学の寮への荷造りで忙しい。それからクルマの免許の筆記試験がまだ残っているのだ。こちらも大学に入る前に是非受かってしまって欲しいところ。
甲府の玄法院の春の祭典のお手伝いに行ってきた。雨が残っていたがびしょ濡れではなかったが衣はかなり雨を吸った。先週の西光寺での護摩のときの火の粉で、頭の頂が火ぶくれになっている。法弓の大事を受け持つ。初めてであったが何とかやり過ごす。昼食をいただいて、お土産をたくさんいただいて帰ってきた。途中コジマに寄って、DVDケースとプリンターのインクと娘にメモリー・スティックを買う。抽選で千円の商品券が当たった。年度末で家電の店は混んでいる。息子の時は相模原で、テレビ・洗濯機・冷蔵庫などたくさん買ったが、娘は4年間寮暮らしでいいとのことなのでこの点は助かった。でも結構たくさんのダンボールが部屋の片隅に詰まれて、送られる日を待っている。
雨が上がり少し晴れ間も見えてきた。枝垂れは満開である。他の桜もポツポツと開き始めた。
玄法院の居間で昼食をいただきながら、華光院のご住職と少し寺の行く末を話した。何処も同じような悩みは尽きないようである。「再来週は、うちのお祭り頼みますよ」と言われて、「ハイ承知していますと」応える。「お父様には僕の寺の29日もお願いします」と、僧侶として、寺としての行く末を案じながらも僕たちは、寺を楽しむことを今現実のこととして支え合うのだ。

2007年3月22日Thursday晴れ
下田逸郎Live盛会に終わる。 来てくれた人、僕の家族、それから下田さん本人を入れて、ちょうどぴったり30人。でもこれだけ集まってもらってよかった。ちょうどいいという表現が当てはまる会場。客殿の奥の間に雛壇があって、その前に下田さんが居て、扇型に皆が座る。当日の午後会場作りをしたのだ。彼は視覚にもこだわり、和紙の行灯なんかを出して雰囲気作り。暗くなり始めてからもう一度灯りを確認。「少し明るすぎるから、ひとつは障子の外に置いて間接的にしようか」とか。
僕の友人や、女房の友人、娘の同級生も来てくれて1時間余りのライブ。ナイロン弦のギターの弾き語り。生の声。旅の話や唄の話も織り込みながら、僕たちは下田逸郎を間近に眺めながら、或いは芋焼酎を舐めながら、或いはビールを飲みながら、恋の唄を聴き、贅沢な時間を共有した。「あと2曲で終ります。2曲目はアンコールだと思ってください」と、そして終った。短いような感じもあったけれど、弾き語りなので、1時間の間でもたくさんの唄を聴けたのだ。下田さんが部屋に戻った後、僕が少し話しをしてライブは終了。その後は宴会。ほとんどが女性だったが、飲める人は酒を飲んだ。毎回来てくれている山宮さんに「乾杯の発声」をしていただいた。彼からも少し興奮しているような余韻がこぼれた。
なんて良かったんだろう。学校給食のリーダーは、「宮本輝を今読んでいて、下田さんの歌と小説の情景が重なるようで、とてもよかった」と話してくれた。お母さんの手打ちうどんを持ってきてくれた喜田の姉さんは、最後まで残り、この夜はいつもより深く酔っていた。早く帰らなければならない人たちも、寺から駐車場までを歩くとき、下田さんの唄を頭の中で反芻しただろうし、きっと寒くはなかったはずだ。
「焚き火」で十分に満足した下田さんの、俄か寺男はとても似合っていた。ズボンは火の粉で穴が開いた。「この場所はいいよ」「また来たい場所になるはずだ」というようなことも言ってくれた。
翌朝、10時前の電車で東京に向けて出発。僕たちは、下北沢の「ラ・カーニャ」で何ヶ月か先に再会することを約束した。その時にまた次のことを話そうと。下田逸郎はいつも歩いていて、いつも新しい歌を作り続けている。60を間近にした男は、「まだ50だろう?」と、僕の曖昧を見抜いていった。
昨日の午後は、彼岸の法要だったが、檀家が一人しか来なくて、母と女房と4人。それでも決めたことだから、しっかりと勤めて、法話もした。誰も来なくても仕方がないわけで、超然といこうと思えたのだ。僕は寺と遊ぶのです。

2007年3月20日Tuesday晴れ
下田逸郎さん到着。 ゆっくりと話をさせてもらって、芋焼酎飲みながら楽しい夜を過ごさせていただいた。BGMは「下田逸郎」であった。
女房と娘も一緒に、娘が4月に行く大学の周辺のことなども教えていただく。旅する人の話は盛りだくさんで面白い。
彼は「焚き火をしたい」という。午後は風が強くなる時期なので、午前中なら大丈夫だと応え、きっと、僕がこれから小学校の卒業式に行っている時間に、ゆっくりと起きだした下田さんは、山から枯れ枝を拾ってきて、今夜の唄のための焚き火を始めるのだろう。
今日も暖かなよい天気になりそうだ。余り大勢が来てくれるとは思わないけど、きっといいライブになります。

2007年3月19日Monday晴れ
下田逸郎さん到着。 僕のたわごとをよく聞いていただきまして、ありがとう。夢のような気分で駅に迎えに行って、下田逸郎in DAISHOJI。明日の夜は、僕たちの心に残る歌をたくさん歌ってくれそうです。

2007年3月18日Sunday晴れ
くたびれた。 掟破りということでもないだろうが、お祭りをふたつ掛け持ちした。昼に八田の長谷寺の観音祭り。午後2時ほんのちょっと前に終わって、修験の衣体のままクルマを運転して市川三郷まで戻って西光寺で、3時からのお祭り。午後4時から柴燈護摩となる。瀧本院、松鶴院のお2人には例年以上に今年はお世話になった。風の少ない日だなどと思っていたら、護摩壇に点火してからは風が舞い降りて、導師の僕にも風が思い切り当たる。頭皮はもちろんのこと、袴の前も上衣も、背中も火の粉を受ける。めっちゃ熱くて、それから痛い。それでも終わった後の爽快感は格別なもの。狭い道場でも、地域の人たち大勢集まって火渡りもしてくれて、これは一番ありがたい。
掛け持ちはちょっときつかったけど、いい経験。帰ってきて八田のお祭りはNHKのニュースで僕もちょっと画に出ていた。今日はお祭りで酒をいただいていなかったので飲む。「あけがらし」も今日届いていて、ラッキーな酒の肴。
下田逸郎さんの荷物も到着。彼岸の入りで寺も少しウキウキ。明日は夕に下田さん到着であります。

2007年3月15日Thursday晴れ
こんなところで唄ってもらおうと思ってます。 下田逸郎さんのライブが迫ってきている。客殿に雛を飾って、女房はその前で唄ってほしいという。それがいいと、僕も娘も賛同した。
下田さんは、前日の夕に電車で来ることになっている。「何を飲みますか?」と、下田通信所へお聞きしたら、何でも食べます。酒は“芋焼酎”ですという返事だった。僕らも芋焼酎が大好きだ。
来週の火曜あたりは枝垂れサクラが見頃になるかもしれない。
夕べも、じっくりと墨をすって塔婆を何本か書く。祭典のお札の申し込みもある。春になってか、別問題なのか、心穏やかならずの電話が飛び込んでくることもある。
(23:10) 明日の朝も寒いんだろうか?ここ何日か朝がホントに冷えて寒い。頭も首筋も冷たくてならない。もう明日になってしまう時間だが、今日は教育長も課長も風邪で休んだ。二人ともかなり高熱のようだ。小学校の1校でも、学級閉鎖にするという。卒業式の予行ができないなんて話も出ていた。僕の風邪や花粉症?の兆候は静まりつつある。くしゃみもほとんど出ない。何だったのだ。明日は3月議会の委員会審議があるので、午前中本庁詰めだ。それが終われば、祭りとライブだ。髭が伸びた。

2007年3月15日Thursday晴れ
こんなところで唄ってもらおうと思ってます。 下田逸郎さんのライブが迫ってきている。客殿に雛を飾って、女房はその前で唄ってほしいという。それがいいと、僕も娘も賛同した。
下田さんは、前日の夕に電車で来ることになっている。「何を飲みますか?」と、下田通信所へお聞きしたら、何でも食べます。酒は“芋焼酎”ですという返事だった。僕らも芋焼酎が大好きだ。
来週の火曜あたりは枝垂れサクラが見頃になるかもしれない。
夕べも、じっくりと墨をすって塔婆を何本か書く。祭典のお札の申し込みもある。春になってか、別問題なのか、心穏やかならずの電話が飛び込んでくることもある。

2007年3月14日Wednesday晴れ
内申書書き。 昨日で固まった教職員の異動の「内申書書き」という作業に午後から行ってきた。14校もあるので、退職される先生なども含めて大勢。「出」の先生、「入り」の先生などしゃべりながら、書き手とチェックする役とかしながら、2時間半ぐらいかかった。学校も町が合併したりとか、児童生徒数の減少などによる学校の統廃合のあおりを食って、教頭や校長の数が減ってきているので、管理職の登用試験を受けても、非常に狭い門になっているようだ。学校へ求められる要求は増えて、その対応には苦慮するようであり、何処も窮屈に生きることを余儀なくされてしまう。別に飲んで遊んで公務員なんて生き方を求めるわけではないが、僕が思い描く像ってのは、なんか少し違うんだよなぁ。

2007年3月13日Tuesday晴れ
所詮異邦人のような居心地の悪さ。 今日もまた昨日の話になってしまう。
たまたま職場に訪れた方の相談を聞いていたのだ。話の詳細は省くが。その方の檀那寺は数年前に住職が亡くなり、今は無住だそうである。多分近くの寺院が兼務住職をしているのだと思うが。その方の話を聞いていると、まさに気が重く切なく胸の詰まる思いがしてきた。「住職なんてものは関係ない。檀家の役員が決めればいいことで、住職なんてものは住まわせてやっているのだから」であった。
書いたこの話は私の寺のことではないが、僕自身も最近特に感じてしまうことがある。寺と檀家という関係にはやはりそれなりの溝がある。「住まわせてやっている」という感覚は、僧なんてものも「どうせ無宿者」の範疇で捕らえられているのではないか。長く住んではいても所詮この場所で僕たち寺に住まうものは、エトランゼである。確固とした理由や言い訳があるわけでもないが、精一杯にこの寺のために尽くしている(と自負しているのだが)にしては、なんか微妙な居心地の悪さがある。
この気持ちの先や果てまで今考えても仕方のないことだが、この先も、もち続けていかなければならないことは確かなのだ。

2007年3月12日Monday晴れ
風林火山見ながら眠りの井戸に引き込まれる。 不動寺の20回目の春の祭典。矢来の雨も9時前には上がって、好天気になる。Windows VistaとiTunesの相性の悪さから、iPodshuffleが再生不能となってしまい、僕の知識ではどうにも解決ならなくなってappleに電話する。日曜でもやってるんだな。で、結局新しいものと交換してもらうことになる。出掛け前にこんなことで時間食ってしまった。でも結果落着。不具合は3月5日のiTunes7.1でも、完全OKversionではないので使用を控えてほしいとのことであった。
不動寺の祭典も20回か。僕も20歳若かったのだな。御詠歌を奉納してくださる方々も、失礼ながら声が出なくなったり、それ相応にお年を召されている。寝たきりになってしまった方やお亡くなりになった方もいる。祭りは年をとらないが、それに関わる僕たちは毎年毎年移り変わりゆくものなのだ。炬燵にあたって、孫の話に花を咲かせる会話の渦に僕も知らず知らず居場所を見つけたりするのだ。
帰ってきて、軽く飲んで軽く食べて風呂に入ると、もう布団にもぐりこみ「風林火山」を待つこととなった。風林火山後に或る方から電話が入るから頼むねと言われていながら、僕は重く眠り王子となってしまった。あな不覚。

2007年3月10日Saturday晴れ
墨をすってゆっくりと塔婆を書く。 気持ちが休まって、安い塔婆だけども墨ののりもよい。3本書いた。少しのゆとりがこんなにいい結果をもたらしてくれる。不思議なものだ。自分で見比べてみても一昨日の夜書いたものよりはるかにいい。
蛙がもう鳴いている。一日中鳴いている。早く急ぎ足で春も自然も植物界も動物界も。お不動様は今年の春をどんな風に受け取っておられるだろう。明日はおじの寺、不動寺の祭典。天気がよければいいが、今夜崩れるかもしれないという。

2007年3月9日Friday晴れ
朝が寒くて寒くて。 7時半ちょっと前、向かいの山から朝日が昇れば温かい。昨日も今朝も明け方前からもう首筋や頭が寒くて目が覚めてしまうのだ。起きてからも指先にさえなかなか温見が戻らない。本堂も寒い。この感覚は俺だけなんだろうかと、家族にさえ問えずにいる。「どこか悪いんじゃないの」なんて云われるのが落ちだ。
安倍晋三の支持率は下がりっぱなしだなぁ。アメリカにさえも反感を買うようでは先が見えたか。彼の発言には恥というものがない。あくまでも私感ではあるが、言葉に慎みがなく回りへの配慮にも欠ける。彼は彼の思うことを言葉に出してしまう。他人に指摘されても、それを過ちであったとか認めることがきっと嫌なんだ。
法螺貝がよく鳴らなければ、次はよく鳴るようにと、僕は自分の与えられた役をしっかりと精進することだけだ。夕べ墨汁で書いた塔婆が滲んだ。液が薄かったのかもしれない。墨の成分が下に貯まっていたのかも知れない。墨汁であっても色の濃さを確認して薄ければ墨を擦って濃くしなければいけない。夕べの反省だ。

2007年3月8日Thursday晴れ
Windows Vista。 せっかく新しいものが出るのだからと、vista搭載のノートを娘に買ったが、これがなかなか手に負えない代物である。まったく新しい使いようになっていたり、今までの呼称が変更されていたりする。これは使いながら彼女が大学生活の中で覚えるしかない。きっと、あっけなく覚えてしまうんだろうけど。僕の固まりつつある頭は、なかなか新しいものに順応できないし、新しいものに挑戦したくない気持ちが先にたってしまうのだ。vistaを僕が必要とするときもくるんだろうけど、まだまだ嫌だなとか、職場でもこれに変わるときは皆戸惑って2歩進もうとした足が、5歩くらい退いてしまうような予感がする。
割り込みね。「丸山和也弁護士(61)が8日、立候補届け出書類を入手していたことが分かった」なんていう画面が覗いているではないか。ホントかよ。
vistaはより慎重になっていて、iTunesのインストールにも手こずった。いまさらアナログに戻れない吊り橋の真ん中で困っているワタシ。

2007年3月7日Wednesday晴れ
どうやら今年は。 花粉に悩まされそうな兆候が現れてきた。2月の末から少し感じていたが、ここ数日いつもの年よりもくしゃみや鼻水がたくさん出る。目も少しかゆい。昨日なんかも歩いてきてから午後の仕事が始まってしばらくは鼻をかみ続ける。目の前に居る同僚が相当に花粉に敏感な奴なので、今年は去年よりは多いことは多いようだという情報を聞かされてはいたのだが、こんなに僕にも顕著に現れるとは。お陰様というか、飲んで鼻づまりになって生きている不快感を味わうことはないのだが。
体が季節の変化の格差に順応できていないのだろう。昨日はぬるい朝だったが、今朝は冷たさを感じた。今は朝日が昇った。大地に生きている生き物たちは僕なんかよりはもっと大変なんだろうけど。雪のない冬のしっぺ返しはこの後必ず僕らの身の上に降りかかってくるのだ。巷では、ガードレールや鉄筋なんかの盗難が頻発している。中国の北京五輪や上海万博準備の関係で不足しているらしい。お墓のステンレスの皿や花立なんかも盗まれてしまうのだと。こんなこと誰も考えてはいなかったのに。時代が急ぎすぎて、気がついたら僕は実際には知らないけれど、終戦直後の鉄くず拾いの時代に戻ってしまっているようだ。そういえば僕がまだ小学校に上がる前、記憶の中に、「赤(銅線)は金になる」なんて年上の友達から教えられたような気がする。

2007年3月5日Mondayくもり
生暖かい風強い月曜の朝。 昨日は好天気で、梯子を掛けて屋根に上がって樋の掃除をしたりしたが、今日は天気は悪くなるらしい。昨日はTシャツ1枚でほぼ一日を過ごしていたが、今朝は喉が痛い。風邪を引いたのか。本堂から帰って今、くしゃみの連発だ。風が強いので今日は本堂は開けないでおく。
来週から日曜はお祭り続きである。その準備やらを土曜にも。女房はお雛様の居る場所で下田さんに歌ってもらおうと、客殿に雛を飾り始めた。これもいいかもしれない。僕はポスターのようなものを和紙に印刷した。
今夜は3月最後の宿直。気温が上がったり、少しまた寒くなってみたりで、体が季節に馴染まないのだろう。目がかゆかったり、少し僕も花粉に影響されてる。高校受験生は今週入試がある。お不動様に願をかける者も何人か居るようなのだ。

2007年3月2日Friday晴れ
通信表。 娘の高校の卒業式が終わって今朝のことであるが、昨日最後にもらってきた通信表を見てくれということであった。「もう見なくていいじゃねぇか」というと、2人とも不満そうに、女房は「最後にがんばったから見てやってくれ」という。押し出されてしまったのだからもう成績がどうのなんてのにはこちらは興味がないが、それでも覗いてみると、見て欲しいのも頷けるほどの数字が並んでいた。
昨日の朝は、3年間朝の駅までの送りをお世話になったTさんが、最後の迎えに来てくれて女房は礼を述べて送り出したのだ。
紅梅は木の上部にだけ花が咲きほとんど花のない木になった。とうとう今年も盛んな花を眺めることはできそうもない。これも命あるものとしての宿命なのだろうか。一度に僕の上にこんなことが打ち寄せてきているように、大変心重く受け止めているのが今の僕だ。僕の心のうちにも大きな波や小さな波が絶えず寄せては返している。3歳までに性格が形成されるのだとしたら、僕の生後三年は一体どうなっていたのだと、思い出せない記憶にまたあせってしまう。
3月に入りました。下田さんのライブも何とかお客さんが望めそうな感じかな。20人くらい。まだもう少し入ってほしいところです。

2007年2月27日Tuesday晴れ
今夜は牧丘へ。 明日も天気がよいといい。「風林火山」ブームが少しずつ盛り上がっていているようで、上求寺には今年もCATVの取材が入るのだという。小さな寺はこんなことでもなければ、ほとんど世間に気にかけてもらえるようなことはない。私の寺とてそうである。拝観希望が平日であるのは大変に困る。サラリーマン坊主には、仕事を休んでまで拝観に対応するゆとりもメリットもない。止むを得ずお断りしたりすることもある。大概は不動明王の開帳を希望するのだが、こればかりは家族にも任せることをしていないので、先方はかなり残念がる。仕方が無いと思う。私の生きることと僧侶であり続けることは同じ道にあるので、サラリーマンであることも致し方のないことなのである。

2007年2月26日Monday晴れ
沖縄じゃ冷房なんだそうである。 夕べというか日付が今日になった時間に2人が帰ってきた。沖縄からの帰りの飛行機に遅れがあったので、新宿を9時の電車になったという。僕はもう寝たので、朝食に少し話をきいた。今朝はまたちょっと特別寒かったな。そんなこともあったので、余計ギャップを感じたのかもしれないが、沖縄はホテルもクルマも冷房が入っているという。こんな小さな国でもこんな風に違うものなんだな。
女房はもう現実に戻り寒い外に出て洗濯物を干している。外はよい天気になって青い空だ。沖縄の青い空に負けない空だとは思うが。

2007年2月25日Sunday晴れ
少し寒かったぞ。 風も冷たくて梅の花はここ何日も足踏みだ。老木の紅梅は木に力がないのかなかなか花を開くところまでいかない。どうも今年は花の数も少なそう。老木を再生させてやるだけの力も僕にはない。いくらかの肥料を施し後は祈るしかない。
洗濯をしてお勤めを済ませ朝飯を食って、今日はダラダラと過ごさないで、体を促して竹林の整理に午前中過ごした。今年は雪のないおかげで雪折れの竹はなく済んだが、何年も前の雪折れの竹の根からの腐りが始まっているようで、何本も風で倒れ始めた。竹林を傘を差して歩けるようにするには僕のこれからのライフワークになってしまう。真っ平御免だ。
今をどう切り抜けていくかだ。28日に上求寺へ行く修験の衣体などのしたくも済ませた。頭もさっぱりとした。やっぱdeadいいなぁ。

2007年2月24日Saturday晴れ
懐かしい店でおにぎり。 秋山さんがなめこのほだ木を持ってきてくれた。♪な〜めこ。な〜めこ。みたいな感じね。いつ生るのって聞いたら、来年の秋だと。そうか、そんなに待つんだ。元気で居なきゃな。なめこは猿が食わないのだと。椎茸は食うのにな。ねばぬるが気持ち悪いのかな。
長谷川きよしさんを聞きにいって、岡島で「レコード・コレクターズ」買って、晩飯は米を食おうと、おにぎり屋に入った。結婚する前に女房と何回か入った店で、その頃はビールを2本くらい飲んでおにぎり食うのが当たり前だったけど、今夜はなめこ汁とおにぎり5個。おかか・昆布・わさび漬け・鮭・たらこ。結構腹いっぱいで、でも懐かしさで食っちまったんだなぁ。

2007年2月23日Friday晴れ
沖縄は暑い。山梨は寒い。 朝5時半に起きる。いつもはもっと遅いが今朝は一人なので起床。雨は降っていない。6時ごろに降り始めた。台所でストーブを点けて、ポットの湯をやかんに移してストーブの上に置く。味噌汁とカレーを温めなおして朝飯となる。
昨日から今朝のニュースで印象に残っているのは、建築家の黒川紀章が都知事選への立候補を考えているという報道。皇太子の47歳の誕生日が今日であること。鹿児島県志布志市の公選法違反に問われている被告12人に対する判決が出されるという件。公選法違反事件については、被告全員が無罪判決を受けたという。警察が自白を強要したり、踏み絵ならぬ「踏み字」をさせたりしたらしい。奄美とかあっちの方じゃ、いつも選挙なんかでは住民を二分するような土地柄だと聞いたことがあるが、鹿児島あたりでも、似たようなことがあったんだろうな。
昼前に娘からメールが入った。沖縄は“めっちゃ暑い”そうだ。こっちは寒いので、下部温泉街に出向いて「あ○○や」という掘建て小屋のような食堂で「天ぷらうどん」であったまってきた。でも天ぷらもたくさんあって、安かったかも。
仕事を終えて変える頃には雨が上がる。沖縄からの乾いた風が吹いてきた。夜は「若大将」で。

2007年2月22日Thursdayくもり
一日をもう終おうとする。 女房と娘は沖縄へ出かけた。日曜日までのんびりである。夕飯を済ませ風呂に入り、もう一日の幕を下ろしてしまうこととする。帰ってきてからずっと、「BUDDHIST CHANTS & PEACE MUSIC」が流れている。何年もこんなに心地の良い音楽に出会ったことはなかった。先週全くの見ず知らずの飛び込みサイトからこのCDをmp3で拾ったのだ。で、amazonで検索してすぐに注文。
Bit Torrentがないと落とせないが、mp3音源はここにある。「mininova」
それからこれも最近の拾いなんだけど、「ネパールの無料音楽配信-真実のミュージック・ダウンロード サイト「HBC 94 fm」」というのがあって、DLしてWindows Media Playerで、まんまネパールのFM放送を楽しむことができます。ここはgoodです。

2007年2月21日Wednesday晴れ
ここのところ寺の環境が少しずつ崩壊していくようでならないのだが。 帰ってきて暗くなってしまう前にやってしまいたいことがあった。参道の側溝に積み石が崩れ落ちて、ゴミがたくさん詰まっていた。たまたま昨日の夕刻に迎えの車を待っていて発見した。その時には片付けるゆとりもなかったので、今朝からこれが僕の頭の全部を支配していた。石を持ち上げて片付けると、石柱の周りのセメントも剥げ方が著しくて、「もうこれも何とかしなきゃならんな」と。檀家の人たちの理解と僕の理解には随分と隔たりがあるようであるが、最近こんな風にあちこち修理をしなくちゃなという箇所が目に付く。石積みなんかの崩れがあちこちにある。灯篭や石柱に、長い年月の風雪による衰えがある。気になることばかりで酒の量が増える。上唇の裏側に口内炎ができている。
天井裏でごそごそとネズミ。フキ味噌とカレーライスと酒二合。俺を殺せるものなら殺してしまえと、梅の香をかすかに乗せた風。

2007年2月20日Tuesday晴れ
ふき味噌。 飲んで帰ってきた。もう遅いだろうと玄関に鍵をして風呂に入っていたら、「お父さん開けてちょうだい」と声が聞こえた。女房が娘を教習所へ迎えに行っていたのだ。
でも彼女はふき味噌の美味しいのを作っていてくれた。飲んできたのだが、ふき味噌でまた飲んでしまった。
作りたてのふき味噌をお礼にあげたいと思う。こんな瓶も二人で考えた。

2007年2月19日Monday晴れ
逡巡していた気持ちを決心させるもの。 昨日の七七日忌の法事は朝からやはり雨で、幾分憂鬱な気分であったが、9時を回った頃には雨が上がり陽が射し始めた。
40人を越える参加者で、久しぶりに寺にも活気がよみがえった。椅子を50脚揃えたけれど、だんだん寺が使われなくなって、この椅子も出番が余りないのかなと感じていたが、昨日はよかった。
Wさんの奥さんも、ひと月余が経ち、少しずつ元気回復だ。49日が終わると春の彼岸、夏には新盆、秋の彼岸、多分年内に一周忌になりますかねと話すと、仏事が続くことで、残された者たちも悲しみに暮れてばかりいられないこともありますかねと言われた。なるほどそういうこともあるかもしれないなと感じた。
新しい月曜の朝だ。天気はよさそう。

2007年2月16日Friday晴れ
「祈りなさい」。 大法輪に掲載されていた渡辺一枝さんの「束の間の出会いであれど」というエッセイがよかった。チベットにあこがれる少女時代を送り、やがてチベットに行くことになり、チベットに通いつめ、チベットを馬で旅し、旅の途上で76歳の尼僧と出会い、その別れの時に、涙する渡辺さんに老尼僧は「泣かないで。泣くことは何もない。後は祈りなさい。祈っていればいつも、幸福な心でいられる。祈りなさい。元気なときも、病気のときも、祈りなさい。そしていつも、幸せな心を保ちなさい」と話したという。これが特別な言葉でないことはわかる。でも、今日という、今瞬きのときに、「僕の心はこの言葉を吸い取った」。祈るということの当たり前を、ある時、カツンと思い起こさせられるのだ。日曜にはこのことの思いを胸に、法事ができよう。

2007年2月15日Thursday晴れ
ディズニーランドへ。 娘は今朝早く、何人かの同級生と「東京DL」へ一泊で出かけた。多分出かけた仲間は皆進路が決まったのであろう。彼女は仮免が受かって、昨日初めて路上教習に出たという。着々と事が進行し、その結末に向かっている。ちょうど2週間後には高校の卒業式だ。
午後からもかなりの強風が何度も吹いて、年老いた支所を叩いていった。「春から支所の事務は保健センターに行くらしいけど、俺たちは一体どうなるんだ?」なんて、春一番に聞こえたら、一気に吹き壊されてしまいそうな話をひそひそと。
夕刻戻ると、案の定境内は杉の葉が散乱。家の前の側溝には葉っぱや杉っ葉や、どこからか舞ってきたトロ箱に畑の作物用のビニールなんかが詰まっていた。暗くなってしまう前に、目に付いたものだけを片付ける。富士川を遡ってくる春の風は、特にこの春先が酷いんだけど、枝を落としたり、大木が倒れてきそうな不安な気持ちにさせてくれるので嫌いです。

2007年2月14日Wednesday
久しぶりの雨で、風邪引きさんも治るかも。 私の親方さん風邪引きさんで、声もガラガラである。一年に一度のバレンタインデーが雨になった。別に俺にはどうってことない。できれば無い方がありがたい。無視したい日の1だ。長い物に巻かれなきゃならんのが今日で、巻かれた帯を解いて解放されるのが「ホワイトデー」か。
自由登校の娘が学校に行くというので、「バレンタインデーだからか?」と女房に話すと、水曜日が登校日になっていて、たまたま今日が重なったということだった。それでも日曜に作ったお菓子を友達と分け合うために持っていったらしい。
雨の上がった夜は寒い。三上寛を聞きながら、「この人もバレンタインデーには縁がねぇだろうな」と勝手に思う。古いアルバムを2枚買ったのだ。「寛」と「夕焼けの記憶から(ライブ)」。どちらも秀作。
ポリスはどうやら30年ぶりにツアーを始めるらしい。日本にも来るかもしれないという。ま、聞きにまでいくことはないだろうけど、でも楽しみだなぁ。グラミー賞の翌日の2月12日に、ロサンゼルスの「Whisky A Go Go」で、記者会見と公開ライヴ・リハーサルを行なった模様がネット上にあるんだけど、「早く落ちねぇかなぁ」。

2007年2月13日Tuesday晴れ
ポリスが帰ってきたぞ。 遂にポリスまでが帰ってきた。昨日のグラミー賞で「ロクサーヌ」を演奏。WOWOWは見逃しちまったけど、今夜その映像が手に入った。スティングのベースは、30年前から使い続けているようなボディの塗りもはげてしまっているものだった。
スチュワート・コープランドもアンディー・サマーズもそれなりに歳を重ねた風貌に変わってはいたが、どうせこちらもおんなじに年を食ってきた。21歳くらいで初めて接した「THE POLICE」と何も変わっていないような感じ。たった1曲だけだったが、僕も30年前に戻ったような気分。彼らの30年ぶりのツアーも始まるのかもしれない。もう1本、恐ろしいほどの数が、2月12日の「The Police rehearsal」に食いついている。僕もそれをまた楽しみに待つこととする。

2007年2月12日Monday晴れ
連休もオシマイ。終わってほしくない連休の夕が来る。 秋山家からのお客さんが2回やってきて、お不動さんをお開帳。夜にはお酒もご馳走になった。暖かな連休中だった。梅の開花も間近かな。
昼過ぎに本堂の周りを歩いていると、毎年のいつもの場所に「ふきのとう」だ。黄緑色は目立たないようでよく目に付く。他の濃い緑とまたちょっと違うので。ここがいつも一番早い。「あー今年も出たな」って感じ。
WOWOWで東京ヴォードヴィルショーの「エキストラ」。途中でやめられなくなって最後まで見てしまった。笑いの中に悲しみを旨く表現している。

2007年2月9日Friday晴れ
少し霞んだ空がまたいい。 今朝の空もいい。東の空は少し霞んでいる。反対側の本堂の上に眺める空は青い。空が互いに向かい合って、春の空の美しさを競っているように見える。地上には花の固い蕾が日に日にちょっとずつ大きくなっている。地中の自然のフキノトウももぞもぞとしているだろう。
全てに「ありがとう」と感謝をしたくなるような早春の光景である。
外に見えない部分の寂しさだけがもやもやと心の内に淀んでいる。これさえ何とかなればな。

2007年2月8日Thursday晴れ
水かけ菜。 都留から年に何度もお参りに来てくれるTさんが、「水かけ菜」を持ってきてくれた。お浸しにすると緑がいっそう鮮やかになる。しゃきしゃきと口当たりもよく瑞々しい。富士山の湧水豊富な地域こその作物のようである。そういえばクレソン栽培にも適しているはずだったな。水かけ菜は水田に作付けることが多いらしく、「水田の高度利用云々」と県のHPに紹介されているが、でも、栽培面積は年々減少してきているということだ。
イノシシやクマの話題が途絶えているので、陽気もいいので、久しぶりに駅の向うの共同墓地まで歩いた。落ち葉を踏む山道も気持ちいい。墓地には何基か背の高い柱があって、それを見ると、戦死した若者の柱である。功績が刻まれ、大きな柱を建立した親族の気持ちが幾葉にか読み取れるようにも感じたが、概して「誉れ高い栄誉の戦死」への賛美と、他者への誇示くらいかなぁと。これも悲しい歴史の忘れ物。墓石が永劫に残っても、若者たちから奪い去ってしまった明日は戻らないし。
再びこのような時代が来るのかもしれないと予感したら、女たちは子を産むことを拒否するかもしれない。だとしたら、これが機械でない証拠になる。

2007年2月7日Wednesday晴れ
春霞。 外から帰った同僚が、「黄砂が舞っているように霞んでいる」と言うので、陽気がよくて、地表の温度も上がっているので、塵が大気中に巻き上がっているのではないかと、どこかで仕入れたようなネタを頭の中で巡らせた。春霞。鼻炎に悩まされる者らにとっては、もやもやとした頭痛の種の季節になってきたな。
上求寺の小父さんから、「今年もお祭りに来てくれるかな」と連絡があった。もちろん僕は行く予定で、そして前日の夕に行ってゆっくりと酒も飲ませてもらおうと思っている。「今年もCATVの取材が入る」という話だったので、今年はもう少しよい音で法螺貝を吹けるように精進しなくちゃならない。
(19:30) どうせ檀家なんかが本気で思ってくれてないなんて、端っから分かっている。ここに生きていることなんて所詮水物である。檀家の上に生きるなんてことはできないのである。別に檀家の上に生きたいわけではないが、ここまでのことなら、いっそのこと嫌われてでも、法外な葬儀料や戒名料を取って、俄かブル坊主の壇上の胡座具合でも楽しめばよかった。クソッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2007年2月6日Tuesday晴れ
アパホテル西麻布。 我が家にもアパホテル問題が影響してきた。4月の大学の入学式で上京するため、女房と娘が営業停止をするアパホテルを予約してあったのだ。今朝のテレビで情報を得た。アパのHPで見て確認。
早めでよかった。別の宿泊先を今夜にでも探さなければ。

2007年2月5日Monday晴れ
もう12名の予約が入ったぞ。 昨日のメール案内の反響があって、12名の予約申し込みがあった。意外と30名は軽くクリアかななんて思えたりして。甲府のTさんからは、「30人なんて、もっと大勢が聞きに行きたいはずだよー
(住職訳)」ってな、ありがたいメールもいただいた。確かに。山梨では下田逸郎を聞ける機会はほとんどないかもしれない。今回の新年のライブが今月初めから始まっているようで、ライブハウスの入りなんかを検索して調べてみたら、盛況のようである。僕はそれが当たり前だと思う。僕は、詞も声も切ないほどに締め付けてくる「ラブ・ソングの達人」を、20歳の頃から聞き続けているのだ。仕事を休んででも聞きに行きたいと思う。
残念ながら、僕の周りに居る友人たちは、下田逸郎の良さを知る以前に、下田逸郎の存在を知らないのだ。これはこれで、何にも問題がない。知らないものにはなんら責任はない。でも、今回この僕の玉手箱の蓋を開けるような気持ちを、友人の多くに知ってほしいと思っている。
おぼろな春の宵。紅梅もいいでしょう。エドヒガンザクラの老木の枝垂れにも魅せられていただきましょう。セクシィな下田さんの歌が何より一番の夜になるでしょう。

2007年2月3日Saturday晴れ
節分。 夕べBSで長谷川きよしのライブを見た。若い頃とほとんど変わらないようなギターテクニックと声量だったと思う。今月桜座に来るので、行きたいなぁと思っているのだが。今朝、クルマを6ヶ月点検に出しに行くので長谷川きよしのCDを捜したら、隣りに収まっているのは下田逸郎だった。僕の中で長谷川きよしと下田逸郎は同じ位置にあったのだということだ。どちらも大切な唄の達人である。
特によかったのは、「死んだ男の残したものは」だった。アルバム「アコンテッシ」からの曲が歌われるのかなと思っていたら、まさに肩透かしであったが、見方によっては、彼の思いの根幹にある強いものを見せられたように感じて嬉しかった。
今日は法事が11時から1件。車を点検に出して帰ってきてから庫裏の風呂場で真っ裸になって頭を刈った。寒かったがきれいになって法事に望みたかった。午後から下田逸郎のライブの告知ページ作り。点検後の車を持ちにいったり、午後5時を回って夕のお勤めと1人で豆撒きになったので、HP作りは明日回し。昨日今朝と朝が寒い。水道も凍った。
節分を終えてこれから本当に春に向かう。上求寺のK永からメール。彼女の生きることの重さを僕はないがしろにはできない。これからがもっと大変になる。彼女にとっても僕にとっても。それはさて置き、今月の晦日には大瀧不動のお祭りだ。もちろん休みを取ってお手伝いに行く。そうそう、今日の夕のお勤めは法螺貝を吹いたんだ。

2007年2月1日Thursday晴れ
教室に児童が居ないってのはなんだ? インフルエンザで学級閉鎖にでもなったんだろうか?って思いますがね。新聞に載っていた写真。東京の或る小学校の6年生の教室内。児童がほとんど居ない中で先生が黒板の前で授業をしている。記事はこんなことだった。中学受験で児童が集団で休みを取ってしまうんだって。児童数は減っているのに、私学の中学への受験は伸びているのだそうな。さっきもテレビを見ていたら、「ビリでもいいから何とか受かりたい」って、みな老成した受け応えだ。こんな子供たちばかりになったら、もう僕のしゃしゃり出る幕はない。
ノラ・ジョーンズの「Not Too Late」が発売になったので聴きたいと思っていたところに、早速、「Studio 104, Maison de Radio-France 2007-01-20 Paris, FRANCE」なるFM放送の音源が出た。世界中のマニアが群がって吸いまくったので、あっという間にDL終了。ピアノの弾き語りはとってもジャズしてるね。

2007年1月31日Wednesday晴れ
1月晦日。 正月の月も今日でオシマイ。サンニチには1月の叙位叙勲決定者の名前が掲載されていて、3日に亡くなった檀家のWさんの名前も載っていたし、88歳の高齢者叙勲の申請をしていた大炊平のWさんの名前もあった。先ずはほっとした。
暖かな日続きで空も青い。土の下でもう待ちきれない虫たちがもぞもぞ始めているような音が聞こえてきそうだ。土の道端なんかを歩くと、心持ちふんわりとしているような足裏の感触。
夕べは蕗味噌を味わった。農協直売所に蕗が出ていたんだそうだ。少し苦味があって、熱燗がすすんだ。そんなことを思い出しながら昼の弁当を開けると、ご飯の上に蕗味噌がのっていた。温かいご飯ならもっと旨かったかもしれないが、でも十分に蕗から早春の味を再び。我が家のフキノトウも今年はすこし早いかもしれない。

2007年1月30日Tuesday晴れ
藍も18歳。 娘の誕生日。その今日も学校から教習所通いで、19時から20時の最終で車に乗るということなので、僕は勝手に飲んで食べてハイさようなら。
歳を食うことが楽しみな時代と、歳を食われることを厭う時があるんだ。家族全員でそれぞれの誕生日を祝ってあげることはもうないかもしれない。
生きていくことを寂しいと思ったのは、僕が小学校に入る前だったらしい。死の事を父から聞いて、「じゃ、生れてこなかったほうがよかった」と、「永明がさめざめと泣きながら俺に訴えた」と、死を直前にした父が話してくれた。50歳になって僕はまた僕の死のことを真剣に思い始めている。世間的には何もない死であっても、僕が生きていたと感じられたらいいと思ってはいるのだが。

2007年1月29日Monday晴れ
ぽかぽか陽気。 目の前の同僚は風邪なのか休んだ。もう1人の課長も同じようだ。風邪が流行ってきたのか。鳥インフルエンザばかりではない。
でも外はあたたかい。陽だまりに猫が居眠りをしたり、恋の季節を迎えてもいるのだろうか。
月曜の朝はいつも気持ちが重いのだが、漸くに体を仕事に持っていく。その前の本堂のお勤め。観音扉を開けようとしたら、“踏んだ”!カメムシ。本堂に居るんだ。青くない本堂の黒ずみと同化したような、嫌な奴。筆ペン2本を握って挟んで捨てた。お勤めを済ませて部屋に戻りPCしていると、やっぱり足の裏が臭い。でもこの臭いままに出勤。一日無事に終わる。

2007年1月28日Sundayくもり
初不動。 今朝のお勤めは初不動ということで、休みでもあったし少し丁寧に。お参りも遠くから数組あり。午前中、檀家総代と護持会役員を呼んで、境内ののケヤキ他大木の今後について検討願った。以前から何度も考えてもらっていて、実際枝卸しも何度か行ってきた。枝卸し程度だと、結局寺の持ち出しになってしまう。今後もこれが続くことは容易に予測できるし、伐らずにすめば済ませたいが、通学路もあり、枝が落ちる心配やそれ以上に老ケヤキについては、樹勢の衰えとともに倒木の危険性を感じているのだ。特に春先は富士川から上がってくる風の通り道で怖い。夫婦杉もあって、これも憂鬱の種。相談はかけたが、やはり「突拍子もないことを言い出したな」という受け止め方の役員がほとんどで、一部はほとんど聞く耳持たぬ半けんか腰の言いっぷしでくる。僕がこれを決断するには、寺の積み立てなどがほとんどない状態の中で、枝卸しごとに金を使っていくことには賛成できないからだ。ゆとりがあればそれもいいかもしれないが、わが寺は厳しい。この件については、「特別な徴収をするも止むを得ないかもしれない」と言ってくれたので期待したいところである。とにかく相談の投げかけをさせていただいて、皆に真剣に考えてもらいたいと思ったので、これはこれでよかったのかもしれないが。同系の寺院を近隣に持たない寺の存在は今後の存続そのものに大きな不安があるが、50年先は考えない。僕は5年ごとくらいを考えて今を見ていかなければならないと思っている。
猿やイノシシの事も苦痛の種だが、大きな緑陰と心地よい風を送ってくれて、寺の景観にとっても欠かすことのできない欅ではあるが、僕のここ心の中にこの存在が、神であったり、そうでないものに姿を変えてきているのも本音である。永遠の命がないことは誰でもが承知しているが、「俺の目の黒いうちはそれを避けたい」と思ってしまうものである。なんとも思い気持ちの初不動にはなった。

2007年1月27日Saturday晴れ
こんないいフレーズに今日は感激。 お札を作ったり塔婆を書いたりしながら、久しぶりに沖縄のミュージシャンたちのものを聴いていた。知念良吉の「泥の花」の一節がやけに心に沁みた。
  「あんなにも高いところで光っている星よ 張りつめて闇で息する者の胸に降りて来い」

僕にもまだこんな詩を書きたいと思う気持ちがある。まだ書くことができるだろうか。知念良吉もいいシンガーだ。一年の半分を旅して歌っていると聞く。
夕方のニュースで、喜納昌吉が正月の小沢一郎邸での新年会に、立ち上がって「花」を歌っている映像が流れたが、いまいちいただけないんだなぁ。昌吉!何でそんな臭いの違う奴らと徒党を組んでいるんだ。早く目を覚ませてこっちに戻って来いってところかな。

2007年1月26日Friday晴れ
教習所通い始まる。 娘の自動車免許取得のための教習所通いが始まった。学校からの許可を貰って教習所通いが昨日から始まった。3月末までにはきっと大丈夫だと思うが、もうこんな年になったのかと改めて感じる思いである。先を楽しみにできるということなのだな。先を楽しみにできないような僕と比較しても仕方のないことだが、わが息子と娘がうらやましい気がする。25年役場に勤めて50歳になり、先の25年を思うと75歳である。75まで生きられたとして25年。確実に終焉のときが一歩一歩近づいてきているのは確かだ。
暖冬のようで、水道が凍ったりしないのはありがたいが、一度くらいは雪も欲しい。梅の蕾はまだまだ家では固い。紅梅の勢いが今年の春には戻ってくれて、たくさんの花を咲かせてくれるといいけど。秋の施肥の効果が出てくれるといけどな。

2007年1月25日Thursday晴れ
昼は暖かくなりそうだ。 今朝はいつもより冷えるなぁ、寒いなぁと思ったら、夕べ頭を刈ったので、その分寒いのだと布団の中で了解。毛糸の帽子が離せない。仕事中も被っていたいぐらいだ。仕事をそれなりに遂行できれば、余り外観にとらわれなくてもいいんじゃないかと思う。
一昨日教育委員との懇親会をしたときにも、「僕はネクタイなんかが嫌でね、いいじゃないですか、懇親会の席なんてのは無礼講でいきましょうよ」と話してくれた委員さんもいた。それから「あなたの寺を訪ねたときに、維持管理していくのは大変だろうなと感じました。あなたが息子さんに寺を継いで欲しくないと感じていることは分かりましたが、息子さんにもそれを考えるだけの時間を用意しておくことも必要でしょう。余り性急に事を結論しないことを望みます」と言われた。まったくその通りかもしれないと、涙がこぼれた。
気になる種はいっぱいある。

2007年1月22日Monday晴れ
下田通信所から連絡が入りました。 3月に来ていただくことになっている、下田逸郎さんの事務所からメールが入りました。「さしむかいライブ」は3月20日(火)に決定になりました。メールには「恒例、下田さんの曲作りの季節、25曲生まれたようです。」とありました。春を待つ楽しみと平行しながら、下田さんの歌を寺で聴ける日を待ちたいと思います。
もう少し、下田通信所とやり取りをしたあとで、はっきりとした告知をしたいと思いますので、もうしばらくお待ちください。
帰ってきて新聞を開いたら、今日の予定という欄に、「ジャズの日」とあった。検索したWikipediaに、「JaはJanuary (1月) の略、ZZは22日に見えるから。」とあった。へーなるほど...。今夜もマイケル・ブレッカー聴いてます。で、今夜はお持ち帰りの仕事を少ししなければなりません。

2007年1月21日Sunday晴れ
納豆ダイエット。 知事選の事務のために早起き。5時のニュースで、「ダイエット効果がある」として納豆を取り上げたテレビ番組「発掘!あるある大事典2」は、実験が「捏造(ねつぞう)」だったというもの。家の彼女もそれを2週間続けていて、これで一件落着ね。今朝食取ったら、ゴミ袋に夕べ食べたのであろう空の納豆のカップが入っていた。先日彼女のお兄さんが来たときに、街中のスーパーでは納豆が品薄だといっていたし、地元のスーパーでも「ダイエット効果」をアピールする貼紙があって、購買を煽っていたとか確か昨日の夕方も話したんだけど、こんな幼稚なこと。
今日は6時半に部屋の道前の集会所で夜8時まで選挙事務。その後に開票事務。長い長い一日になる。納豆のように粘り強く一日を投票所で過ごさなければならない。

2007年1月18日Thursday晴れ
Michael Brecker逝く。 マイケル・ブレッカーが白血病で亡くなったニュースが入ってきた。享年57歳。フュージョン・ミュージック全盛期の頃に兄のランディ・ブレッカーと、Brecker Brothersとして活躍した時代よりも、ソロになってからの演奏の方が僕にも友人にも好印象であった。利用しているDLサイトには、ここ数日彼のLiveが幾つもアップロードされている。
海外のFMで流された音源をいくつかDLした。DVDもあったので、これも少し時間がかかるが楽しみ。マイケルは多くのミュージシャンと競演をし、また親日家でもあったようである。なんでもSMAPのアルバムにも参加していたとか。ブランフォード・マルサリスがGrateful Deadのステージに多く立ったように、マイケルもまた幅広く、おおらかに彼の音楽生活を楽しんでいたのだと思う。遺作となったアルバムが逝く2週間前に完成し、3月頃に発売になるらしい。
相変わらず歳が改まっても陰惨なニュースばかりだ。女房が「毎日殺人なんていう報道ばかりだね」と言ったが、まさにその通り。祖母と一緒にいた3歳児をさらって抱きかかえて歩道橋から道路に投げ捨てるなんて。みのもんたは、こんな奴を野放しにしておくか!と声荒く今朝も語ったが、臭いものには蓋をして座敷牢に縛りおけというのでは解決に至らんだろう。この国の病んでいる源をしっかりと改めなければいけないんじゃないだろうか。美しい国を作るためには、病む者を闇に葬れというのが安倍の思想の根源にあるような気がしてならないが。

2007年1月17日Wednesday
三上寛の夜だ。 雨が降って気温がいつもより高いのだろう。今年は暖冬だと耳にすることが多い。海外からも暖冬のニュースが入ってくる。一昨年末に庫裏の水回りを凍らせてしまってから、去年の正月から2月初旬にかけては、水道屋さんの忠告どおりに、水を出しっぱなしにしておく夜が幾晩もあったが、今年は一度もまだそれをしていない。気には掛けているんだけど、身体で感じる寒さが、そのレベルまでいかないんだ。
内藤君から「撥」を貰って、僕は「寛」「夕焼けの記憶から」をまた手に入れた。なかなか難しくなっている寛さんだけど、どうしても昔の作品のほうがしっくりくる。僕自身が余り成長しない証拠かもしれないと思う。大体において、僕は以前のものが好きで、今のものにはなかなかついていけない感じがある。若いときに聴いた詩や歌が僕を形成して、もう50になった僕には特別に新しいものは要らないような気がする。

2007年1月16日Tuesday晴れ
「胸の香り」。 知事選の期日前投票事務で一日。午後8時まで。果たして今日がよい天気であったのかなんてことは夜の8時過ぎに支所を出るまで分からずじまいで、鳩打隧道を夜通るのは嫌だなぁなんて考えながら帰ってきた。
通常の仕事はできなかったが、のんびりとした事務にあたりながら宮本輝の「胸の香り」を読む。短編7作が収められたものだったが、一気に読んでしまった。今年初めての小説で、砂が水を吸い込むようにぐいぐいと読み終えた。読み初めに短編は心地よかった。やはり宮本輝はいい。こういうものを読むと気持ちが落ち着くというか、悪い心も善い心に変わろうというもの。
50歳になった女房が友人からいただいたというシンビジュームの一鉢を眺めながら、熱燗を飲むのもいい。浜田真理子を聞きながらゆらゆらと揺れてしまう心もいい。そんなこんなで、選挙なんてものはと考えもしなかった一日。終わる。

2007年1月15日Monday晴れ
富士市まで葬儀に。 早川町の宝竜寺の葬儀の手伝いで富士市まで行ってきた。カーナビがあるのでなんなく目的地へ着くことができる。便利なものだ。施主の家の近くから富士山を拝んで写真を一枚。珍しく家での葬儀。早川から富士に出て建具屋を営む家である。東名高速のすぐ下に家がある。ナビだと高速上に目的地を設定しますかと問われた。まさか!1階が作業場で2階が住居となっていて、2階で葬儀告別式なのだが、一般の弔問者は2階に上がってもらうことができないので、下で焼香をしていただいて、親族だけが2階の祭壇の間に居るという変則的な葬儀になったが、出棺の後、火葬場に向かう車まで、葬列をなすことができて、僕は葬儀の後に、出棺の準備の間を「前讃」をうたい鉢を突く。これも随分と久しぶり。11時からの葬儀であたたかく、富士山からの霊気(冷気)をいただいて、気持ちよく葬儀にあたることができた。控え所となった隣の家で昼食をいただいて、帰りは1時間15分ほどで寺に戻った。県からの書類が今日発送という連絡が入り、「じゃ、仕事にいっても仕方がないので行きません」と、家のことなど。

2007年1月14日Sunday晴れ
獅子舞。 明日休まなければならないので、気にかかることが一つあったので下部支所に行ってきた。土曜にも県からの郵便は届かなかったようなので、結局片付けてしまうことはできなかった。課長に明日休みを貰いますと電話を入れた。繰越を入れて40日の年次休暇の取得が可能なので、今月3日の休みは問題ないのだが、さすがに休みが続くと気が引ける。
同志会も会長を終えて退会するばかりで、新たに入る者がいない。居ないので、また退会者が戻ってきて会の活動を支援している。Y君は会計を引き受けた。僕も一昨年、昨年と獅子舞に付き合ったが、50歳になったので、今年はもう遠慮させてもらうことにした。それでもまだまだ後方で支援できることはある。いつものように会長になったM君がお祓いをして庫裏に入ってくる。獅子が上がって舞う。同志会ジュニアクラブとでも言ったがいいかもしれない小学生たちが大勢同行している。人数が減っても、付いて歩く子供たちが居れば賑やかだ。11時を回っていたので、家ではお酒は1本だけつけて、あとは例年通り女房がコーヒーを供する。家でのコーヒー・ブレークはなかなかに評判がいい。
彼らを送り、昨日の続きの護摩木割。昼食後再開。熱を入れてやったら、百八支が11束も作れた。当分護摩木作りの必要なし。風もなく穏やかな小正月。浜田真理子の新譜「夜も昼も」を買ったので、それを聞きながら。あーいいなぁ。明日の葬儀の次第を考えなくちゃ。

2007年1月13日Saturday晴れ
駐在さんが来た。 墓石・灯篭倒しが近辺寺院でも発生したので、駐在さんがお昼前に我が家にもやってきた。話は分かるんだが、家族構成までしっかりと聞いていく。名前・生年月日・大学に行っている息子まで。これがなぜ墓石倒し事件に繋がるのだろう。これだからKサツは胡散臭い。
一応墓地を僕も午後見回ったが被害には遭っていない。なぜこんなことをするのか?報道では、甲府近辺から東山梨にかけて発生した始めの事件を模倣したのではないかという見方をしているようである。被害に遭った市川大門の花園院は、真言宗の寺でよく存じている寺なので、これもまた心痛む。
今年初めての護摩木を割った。明日も続けるつもり。早川の宝竜寺より電話があり、15日(月)に富士市での葬儀に来てくれという。ここは僕が何とか都合をつけないといけないので、また休みを貰うのは気が引けるが仕方が無い。明日、気になっている仕事が一つあるので片付けてこようと思う。
女房と娘は大学の指定された制服を仕立てるために上京。電車の遅れなどがあったようだが夜9時頃に帰宅。

2007年1月12日Fridayくもり
里に柳。 小正月の柳が立った。下部地区はこれがあるから歩くのが楽しい。こういう風習はできるだけ長く続けていって欲しいものだ。一月の青空に高く幟が立って、しんなりとした青竹の柳が装飾されて立つ。道祖神も新しいシメで飾られる。柳の下でそれを誇らしげに眺める老人たちがいる。
年が明けてからも悲惨なニュースばかり耳に入る。誰も好んでそれをしているわけではないだろうに、我慢が足りなかったり、欲が先に出てしまったり。

2007年1月9日Tuesday晴れ
また墓石倒しだ。 何が面白くてこれをやるのか不思議でならない。墓石・灯篭122基。昨日また甲府の寺院と周辺の霊園墓地で見つかったそうである。墓石を倒すのも早々楽ではないだろうに、またこの真冬に人に見つからないように実行するには、夜だとか冷え込みの厳しい時間に違いないのに、ご苦労なこった。
実行犯はこの現実を目の当たりにする寺や遺族の思いをどんな風に想像するのだろうか。

2007年1月8日Monday晴れ
これで明日から出勤だ。 葬儀が終わって、昨日は2時間ほど職場へ出向いて仕事を片付けてきた。午後から前日延期した納骨をW家族としてこれでとりあえず幕。七七日忌は2月18日と決まる。
今日は甲府の玄法院へお願い事。BIRDLANDは店じまいしたのか。もう何度か訪ねたが閉まっている。楽しみの場所が減った。お昼近くになって悪いかなと思いながらも訪ねて、案の定お昼までご馳走になってしまった。でもお話ができてよかった。いつ会っても、結局出てくるのは寺の将来への不安であり、本山への愚痴になっちまう。まっ、それはそれでいいんだけどね。寒風の外では、息子さんが護摩木を割っていた。僕もまた割るかな。新年になって、葬儀以外はグターッとしてきたので、そろそろ頭を切り替えなくっちゃ。
帰りにはお土産までいただくことになり、なんとも面目なく遥かの富士山を眺めながら帰ってきた。

2007年1月4日Thursday晴れ
仕事始めが檀家の葬儀の準備になってしまった。 今朝のために早めに床に就いていたが夜9時前に檀家のM君から連絡があり、隣のWさんが病院で亡くなったとのことであった。離れている病院のため、ご遺体が帰宅する時間も遅くなるだろうから明朝にしたらどうかと話し、8時に枕経をあげに行き、葬儀の予定など相談することとした。
これが僕の今年の仕事始めとなった。今日と明日休みを貰わなければならなくなった。同僚には迷惑をかけることとなるが致し方ない。

2007年1月1日Monday晴れ
明けましておめでとうございます。 月のきれいな年越しの夜でした。「冷えるなぁ」と喋っていましたが、いざ護摩を焚き始めると僕は寒さを感じることなく、そのまま一気に元旦の護摩を終えるまでいっちまいました。今1:43.片付けをして明日の明日のためにそろそろ寝ます。
佳い年になりますように。
(9:48) 穏やかな朝がきた。体を布団から抜け出させるのに、年々時間を要するようになってきた。寒い朝もこの時間は太陽が出て、きっちりと元日の朝になってきた。