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『徒然日誌』 2014年1月から12月

2014年12月31日(水) 晴れ
2014年大晦日。
4時に起きて夕べ予約しておいた「名盤ドキュメント3 はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)〜“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?〜」を見る。すごくよかった。晦日の今日は、はっぴいえんどが寺に流れている。2枚目のアルバム「風街ろまん」の製作過程がよくわかった。40年以上も経っているのに、はっぴいえんどの2枚のアルバムは一向に色褪せない。僕なんかは体中にはっぴいえんどが沁み込んでいる。見ていて何度か涙が出るのを抑えられなかった。もう決して戻れない時代で、もう若いころには戻れないこともわかっているが、間もなくやってくる60という年齢を受け入れても、ものの見方考え方はモウロクしたくないと思う。大滝さんは去年の年末に亡くなってしまったが、一周忌を弔うには格好な朝になった。良い天気で風もあまり強くない晦日になっているが、夜の天気が心配である。今のところの予報じゃ、夜9時ころから深夜0時ころまで弱い雨となっている。以降は晴れということなんであるが。毎年大月から家族で来てくれる蔦木さんは大月の予報が夜9時ころから霙になっているので、もしかしたら来られないかもしれないな。なんとか悪い天気にならないでほしいところ。今朝は早よから久成の秋山さん来て、水道組合の会計報告をコピーしてゆく。去年もそうだった。僕はもう今日は朝からほとんど何もせずゆったりと構えて過ごしている。追加のお札を書いたり、柳家喬太郎の落語番組を見たり。今年は2月に大雪があり、お寺も建物や経済に大打撃を受けたが、まあ何とか年を越せそうである。お不動様、お大師様のおかげである。白馬村のEさん、雪の晦日なんでしょうが、佳いお年をお迎えください。これで今年は書き納め。これにて失礼、これを読んでくれている皆さんと来年も佳いご縁でありますように。合掌。

2014年12月30日(火) 晴れ
まだ明日もあるんだなぁ。
もうほとんど準備が整った。鐘楼、三社天神、庚申堂にシメを張り、土蔵、車庫、外便所などにも人形のシメを貼り、客殿、歳神さん、本堂に鏡餅を供え、祈願のお札を本堂に運び、ホットカーペットも2枚本堂に運び、ストーブも1台持ってゆく。娘はインフルエンザと寝たり起きたり。息子から電話で、やはり風邪のようだから帰らないと連絡があった。僕たち夫婦は僕たちの寺のことを淡々とこなしていくだけである。檀家さんがた昨日今日と暮れのあいさつに見えてくれる。準備がひと段落して寒くならないうちに裸になって頭を刈る。中川五郎の「25年目のおっぱい」という1976年に出たアルバムを買って聞いている。暮れていく年の瀬に心優しい気分になれる。

2014年12月29日(月) 晴れ
雪でなくてよかった。
もしかしたら雪になるかもしれないなどと思っていたが雨で終わってほっとした。朝方も結構いい降りだったが、昼近くに雨が上がり時折陽も射した。雨が上がるのを待って本堂の掃除をした。昨日の護摩壇をきれいにして本堂の内陣外陣と掃除した。お正月用に幾分配置も変えて祈願札を置く机も配した。入口には幕も張る。トシコし護摩の準備もし、本堂の仏前荘厳も済ませた。ほぼこれで半日以上かかる。今年は順調すぎるくらいに準備が進んでいていい感じである。熱を訴える娘は受診したらインフルエンザとのこと。

2014年12月28日(日) 晴れ
納めの不動。
今年最後のお不動様の縁日、「納めの不動」。午後1時半から本堂で護摩を焚く。東海師助法に来てくれる。檀家のSさんも参加してくれる。前二回が点火にちょっと手間取ったが、今日はばっちり。とてもいい護摩が焚けた。引き戸が入って初めての護摩で外気は遮断できたのだが、護摩の終盤になって堂内に煙が充満してきてちょっと厳しかった。やはり戸は少し開けておいた方がいい。東海師には今年一年大変にお世話になった。彼が一緒にいてくれるだけで、修法する護摩が楽しく余計厳かなものになるように思える。終えてしばらくの時間お茶を飲みながら話をして過ごした。彼はこの年末は勤務になっていて、正月2日の朝から休みになるとのこと。正月2日の午前中に厳修される行藏院の初護摩が今年最初の護摩の助法になるという。午前中はお札を書いたり、合格祈願の護符を作ったりする。

2014年12月27日(土) 晴れ
朝の冷え込みは厳しいけれど日中は暖かだ。
娘も今日から年末年始休暇。ということで僕のみ早起きで勝手に朝食。夕べの鍋の残りにご飯を入れて雑炊。朝からけっこう腹に入る。朝方はとても外は寒いが、10時を過ぎるころに陽がのぼると暖かくなってくる。檀家2軒が暮れのあいさつと墓参に来る。来年もよろしくと別れる。身延から貴史暮れのあいさつに来る。30日まで整骨の営業するとのこと。門松を完成させる。庫裏の入り口のは天まで届けと長い竹にした。石灯篭にも蝋燭を入れ窓に和紙を貼った。明日の納めの不動の護摩に、東海師助法に来てくれると連絡ある。感謝。明らかに陽が長くなってきた。

2014年12月26日(金) 晴れ
穏やか続く。
今日も一日風もなく穏やかな一日。甲府の若尾さん暮れのあいさつに見える。灯油を200L配達してもらう。ドラム缶が古くなっているとのことで、新しいものと交換してくれて灯油を入れていってくれた。ガソリンの値が下がっているようなので、灯油もそういうことなんだろうと思う。午前中陽が射し始めてから門松用の竹に松と南天を挿し込む。梅の枝も切ってきたが、蕾がもっと成長するのを期待してメダカの盥に漬けた。午後境内の落ち掃き。本堂前の門松に南天の実も一つ挿しておいたら、もうサルが盗って実をかじってしまっていた。こりゃもうちょっと待つしかない。
役場は今日で終わりなので、新年の広報とかが組長宛てに届いた。エーイ!と配ってしまう。

2014年12月25日(木) 晴れ
穏やか。
今日も風もなく穏やかな日。本堂の回廊に掃除機をかける。大体葉が落ち切ってしまったので掃除をした。廊下の隅に吹きだまる落ち葉を片付け、午前中いっぱいかけて丁寧に掃除機をかけ廊下をきれいにした。ここ数日サルが現れなくていい。サルの糞もあちこちに干からびていた。護摩木を木箱に入れて重ねて置いてある場所も木箱をどけてからきれいにした。父の割った護摩木が一番下の箱にあった。柴燈護摩の小木も段ボール箱に入っていた。これを来年のお祭りに使おうと思う。檀家3軒が暮れの付届け、護寺会積立、護摩の祈願申込みなど持ってきてくれる。晦日まで一週間ない。廊下のガラス戸を拭いたり、護摩札を書いたり、本を読んだり。

2014年12月24日(水) 晴れ
風もなく。
午前中はエアコンの取付け工事がある。冷たい風もなく暖かな日になった。20年以上前のエアコンが新しく交換になった。午後豪一兄ちゃん久しぶりに訪ねてくれる。知り合いの葬儀に行った帰りとのこと。皆歳を重ねだんだん静かになってゆく。二か月前にお母さんを亡くした従弟の嫁さんのところで今度はお父さんが亡くなり、その通夜に韮崎まで行く。臨済宗の導師による通夜で、観音経を一緒に唱えさせていただいた。クリスマスイブの夜を走って帰ってきた。あちこちに装飾されたLEDの輝きがあった。夜出かけることなどほとんどない。冬至を過ぎたので少しずつ夕の暮れが遅くなってくる。雨宮さん来て1月20日にお母さんの三回忌を頼まれる。数日こちらに居て新年は東京で過ごすとのこと。護摩札も書く。午前中僕も、歳神さんのシメの張替えも済ませたので、もうほとんどやることがなくなった。

2014年12月23日(火) 晴れ
明王寺冬至祭り。
快晴。師走の良い天気。明王寺のお祭りに雨が降ったことはない。前日雪が降ったということはあったがそれでも当日は天気が良かった。舂米からは遠く富士や盆地の広がりが望める。標住職もお勤めを持ちながら檀家のとても少ない歴史ある寺を護っている。午後1時過ぎから巡拝をして本堂へ戻り、副住職であるお父さんが護摩導師を勤め、僕が錫杖で参拝者のお加持をする。ここはお祭りの始まる前の午前中から参拝者に無料でかぼちゃのほうとうを振舞う。境内に並べられた長机に多くの善男善女が舌鼓を打っていた。僕らもほうとうをいただいた。今日はゆっくりせずに帰ってきた。3時半から小林君の新車のお祓いをする。そのまま本堂で夕のお勤めをし、今日の衣などをしまって一日に幕を下ろす。

2014年12月22日(月) 晴れ
角松準備。
明日は明王寺の冬至祭典。明後日はエアコンの取付けがある。25日になってしまうので、午前中松を取りに出かけた。午後から竹も切りだしてきて、本堂と庫裏の門松の下準備だけ済ませてしまった。午後になると風が冷たくて鼻水が出っぱなし。一年が暮れていくなぁという感じがいっぱい。

2014年12月21日(日) 晴れ
法事あり。
川崎の平山家の一周忌の法要。昨日と打って変わって朝から好天気。昨日は夜までずいぶんと降った。溝に流れた落ち葉を集めて畑に入れたりする。富士川からの霧が本堂まで流れてきていた。親族14名が来てくれた。終わって庫裏で御斎をする。施主夫婦はジャカルタから一昨日帰ってきたといい、また28日には向こうに戻るとのこと。暖かくて住みよいところらしい。向こうでそのまま暮らそうかなんてことも話していたが、まんざらでもなさそう。今年の法事はこれにて打ち止め。あとは23日の明王寺の祭典のお手伝い。皆さんお帰りになって、女房と膳の片づけやら掃除する。庫裏のトイレも正月を迎えるため掃除をしてしまう。年賀状夕方投函する。

2014年12月20日(土)
法事あり。
八王子佐田家の三回忌の法事。朝30分ほど石畳の間に詰まっている落ち葉を掃く。昨日コメリで中型の熊手と箒を買ってきた。掃いていると雨ではなくパラパラと霙のようなものが落ち始める。一日寒い日。11時からの法事のころには雨に変わり、午後は本格的は降りだ。客殿はストーブとカーペットであたたかいが墓参する外は氷のような冷たさ。明日も法事があるが、この雨は夜にはやむようだ。昼食後は明日の法事用にいすを並べたり、食事もあるのでテーブルを準備したり。終わってから居間でぬくぬくとくつろぎ、年賀状に一言を入れて仕上げる。今夜は頭を刈らなくちゃ。

2014年12月19日(金) 晴れ
CD整理。
部屋を片付けてコンテナにとりあえず放り込んであったのや、CDの棚の前に積んでおいたもの、Grateful DeadをDLして焼いたCDRなど、結構な量になっていて、これを今日は整理して収める場所に収めた。Deadのものは、100枚近く入るチャック付ケースを買ってあったので、liveの日付順に収めていく。ということで今日は結構聴いた。
今朝は一番の冷え込みじゃなかったか。夕べ庫裏の裏のボイラーをつけて水は細く出しておいた。外の便所の脇にある水道栓は閉めておいた。「ドクターX」の最終回を見るため4時前に起きたのだが、台所の水道は水は出たが湯になかなかならなくて15分ほど出しておいてやっと熱い湯が出てきた。これは今年初めてのこと。外の水道は元栓を閉めておいたのだが10時ころになってようやく水が出るような状況。メダカの入った盥は一日表面の氷が解けることはなかった。明日また天気が悪いようだが。法事があるのでなとか雨にならずにほしいところ。

2014年12月18日(木) 晴れ
外にいる。
朝から一日外にいた。昨日は寒さが厳しかったけれど、今日はあまり風もなく陽射しもあったので外も気持ちよかった。それでも作業着ではなく熱い防寒着を着て落ち葉掃きなどした。落葉樹はもう大体裸になってしまったので、落ち葉掃きも終盤だ。サルが出ていないとほんとにいい邑なのだが。今日はサルの声はなかった。去年は年末にテレビを新しくした。今年はエアコンを新しくすることにした。テレビはとても楽しんでいる。なんといっても一番は、YouTubeが楽しめること。最近は落語を楽しんでいる。パソコンのYouTubeと連動しているので、とても勝手がいい。こういう機能を使い始めるともう楽しみが倍増するということになる。

2014年12月17日(水) くもり
さぶいさぶい。
ほんとにさぶい。遠くの山は時雨れている。中古のおんなじプリンターを仕入れ、年賀状の印刷も済ませた。昨日から護摩札も書き始めた。正月用の準備は順調。週末の土日に法事が入っているので今週はがんばっている。雨畑の望月さんが森林組合の機関誌を届けてくれた。今回表紙に大滝のお不動様の写真を使ってくれた。丁寧に由来と僕らが時々滝に入っていることなども紹介してくれた。風が冷たい外での短い会話だったが、リニア建設のことで起こるだろう町の不安なことなどもちょっと聞くことができた。ひょんなことから昨日今日で僕らの部屋の大掃除をした。パソコン周辺に積んであったCDやCDR、本をとりあえずコンテナに片づけてみたが、これを棚やホルダーに整理していく作業は年内に済ませられるかわからない。さむいさむい。

2014年12月15日(月) 晴れ
ホームページ移転。
うまくできるだろうかと不安もあったが、何とかホームページを移転することができた。さくらインターネットというサイトを使うことになった。新しいURLはhttp://www.daishoji.sakura.ne.jp/なので、見ていただいている方は変更をしておいてください。旧いURLには「移転のお知らせ」がしてあり、15秒経つと自動的に新しいUPLへ飛んでくれます。いろいろ検索してみると便利なものが出てきます。来年の2月末日を持って旧い方は閉鎖となります。メールのアドレスは従来のままです。新しいプロバイダも考えたのですが、メールのアドレスは変更するのはやはり気が進みませんのでこのままです。
年賀状印刷をする。結局中古の同じプリンターを買ってみた。

2014年12月14日(日) 晴れ
法事に行く。
妹の嫁いだ日蓮宗のお寺で昨年末に亡くなった前住職の一周忌があり行ってきた。途中で親戚のお姉さんを拾う。日蓮宗の日常読むお経は経本さえあれば一緒になんとか唱えられる。檀家のものすごく多い寺なので私の寺とはとても比較するようなところまでいかない。ガリバーと小人のようなもの。終えて墓参してから御斎。酒を飲もうかとも考えていたが帰ってからゆっくり夕方いただこうと遠慮した。その分よく食べた。いまだにまだ腹は減ってこない、今午後5時半。まだ衆院選挙は続いている。夜のテレビは軒並み選挙だ。僕は寝るのも早いのであまり関係はないが。

2014年12月13日(土) 晴れ
法事あり。
10時から市川の遠藤家で三回忌の法事。太陽が顔をのぞかせれば暖かいのだが、どうも薄日で終わってしまう。町営の墓地へ墓参してお布施をいただいてお昼前には帰ってくる。ガソリンが少し値下がりしていることもあるが、宇佐美はいつも超混んでいる。入れたかったが結構待ちそうな混雑だったのでやめておく。土日には余計混んでいる。OCNのPage ONというのを利用してホームページを作って更新しているが、ここの運営が来年の2月いっぱいで終了になるというメールが届いた。続けるならほかの会社のサービスに移行する必要が出てきた。昨日から少し考えているが、もうやめてしまおうかとか。ほとんど私的なことのみのものだし、無料ブログを使っても日記のようなものは書いていける。移行するという手続きやら設定のことを思うととてもめんどくさそうだし、あまり自信がない。いつもパソコンのことをお願いしているT屋さんにも相談をしてみたのだが。まあ年末年始はこのままちょっとやり過ごしてからもう一度考えてみることにする。

2014年12月12日(金) 晴れ
納めの面会。
今年最後になるだろう、母の入所施設へ支払いと面会。特に状態に変化もなく年を越えることができるだろう。前歯が一本欠けたとのことで、入れ歯を作り直すとのこと。変わったことといえば3階から2階に部屋が変わったこと。ただ本人はほとんどそんなこともわからないようなので大丈夫だろう。

2014年12月11日(木)
寒い一日。
夕方になって雨は上がったが午前中はとても寒かった。寒いので炬燵にもぐって本を読んで過ごした。11時の鐘を撞いてから不動寺の葬儀の助法に出かける。お葬式の手伝いもほんとに久しぶり。もう今年はないかなと思っていた。なんとか経頭のお役を務め、叔父さんと永啓に「よいお年を」と帰ってきた。

2014年12月10日(水) 晴れ
今日は気温上がらず。
本堂の引き戸が取り付けられた。観音扉だけだったので、開いておけば落ち葉や春から初夏には富士川からの風が砂埃を運んできた。桜の花びらも散り際にはたくさん舞い込んだ。これらのことがこれからはなくなる。僕が今この寺にできることの可能なものは、この先もなんとかやっていきたい。今回の引き戸は、「あったらいいなぁ」というものにあたると考えるので自力で。
今日は気温が上がらず寒かった。午前中法事の塔婆など書く。EPSONのプリンターが目詰まりしていて年賀状印刷ができない。プリンタヘッドのクリーニング液というのがあるらしいので、これに頼ってみようと思う。

2014年12月9日(火) 晴れ
外の掃除。
墓地の参道、客殿裏の庭、本堂周辺の落ち葉掃きや雑木の片づけなどする。晴れていれば外にいるのは気持ちがいい。はじめ寒くても体を動かしていればすぐに熱くなる。今日はサルたちは別の場所で一日を過ごしていたようだ。毎日サルを気にしているなんてのじゃかなわん。今日は焚火も楽しんだ。

2014年12月8日(月) 晴れ
ジョン・レノン命日。
一年が回っていくのは早いものだ。今年もジョンを聴く日が回ってきた。YouTubeでJohnのFull Albumはたくさん聞けるので、最近は他のアーティストもそうだけど、mp3でダウンロードして盤に焼いたり、iPodに入れたりしている。午前中、駐車場前の水路の泥あげや落ち葉の袋詰めなどする。午後植栽の手入れ、駐車場に設置してある掲示板のベニヤ板がはがれてきているので、思い切って掲示板を撤去した。2月の雪で雨除けの庇も取れていたのでもう仕方がない。月明かりが朝まであるので、ここ2,3日サルが夜中も騒いでいる。落ち葉掃きもしてしまいたいが、まだすこーし枝に葉が残っている。モミジもまだ散らない木もある。もう一週間くらい我慢か。不動寺から11日に葬儀の助法を頼まれる。今年は助法もほとんどなかったのでほんとに久しぶり。

2014年12月7日(日) 晴れ
氷り張る。
外の水道が凍っていた。そのそばに置いてあるメダカの入った盥は氷っていた。先週末から寒波で大雪になっているところもある。四国の徳島県では、真言宗の古刹高越寺の住職が雪の中凍死するという悲劇も起きている。今日はあまり暖かくはならなかったが、朝テレビを見ていたら年末の掃除の特集なんぞやっていて、感化されてエアコンのフィルターなどの掃除などしてしまった。

2014年12月6日(土) 晴れ
V甲府、またしても清水に勝てず。
最終試合のヴァンフォーレ甲府、清水にはやはり勝てなかった。静岡のテレビを受信しているので、思いがけず中継が見られた。清水は降格圏にあるので絶対に負けられない。負けなければ引き分けでもJ1に残ることができる。ということで終わってみれば0:0に引き分け。落語をYouTubeで聞きながらお札を作る。昨日今日で仕上げることができた。

2014年12月5日(金) 晴れ
本堂の樋治る。
朝から職人さんが来てくれて、午前中いっぱいかかって新しい樋がつけられた。樋の受けの感覚も狭めて多く付いたので、かりにサルがよじ登ろうとしてもしっかりと支えてくれる。午前中で仕事を仕上げ午後の現場に昼食もとらずに帰っていった。話を聞くと、2月の大雪の後の仕事がまだまだ片付かなくて、年を越えるだろうとのこと。こういう職人が少なくなってきているということも原因なんだろう。大雪にならないうちに待っている家々の樋が早く治るといいのだけれど。檀家に配る正月のお札を作りはじめる。

2014年12月4日(木) 晴れ
寒い。
お昼前からしょぼしょぼと冷たい雨が降ってきている。ホットカーペットの炬燵にもぐって映画を見る。午後女房の車のタイヤをスタッドレスに替えに若林モータースヘ行く。サルが屋根に上がる足がかりにする樋を直したり、樋の落ち葉を落としたり。今日も朝から一日中本堂の周りに来ている。いよいよ里に下りてきても畑のものがなくなってきたということだろう。柿も終わり。南天の実を取っては食べてしのいでいるようだが、おそらく腹を十分に満たしてくれはしないだろう。僕らは寒くなればかぼちゃのほうとうを食ったりするが、サルめらにはこういう芸当ができない。でも情けは禁物である。山門の蛍光灯を掃除する。年賀状の原稿を作る。

2014年12月2日(火)
晴れ
木枯らし。
午前中から木枯らしが荒れた。本堂の扉は落ち葉が舞い込まないように占めた。引き戸が入ればこういうことにも悩まなくて済む。もう少しの辛抱だ。師走らしい木枯らし。冷たく寒くなってきた。午後2か月に一度の定期受診。今日は採血あり。前回と数値に大きな変化はないとのこと。でも高い数値は高いままということなのである。明王寺から23日の「冬至祭」の案内はがき届く。一年を締めくくるお祭り。このお祭りにももう10年以上お招きいただいている。

2014年12月1日(月)
師走。 残りひと月。甲府から朝帰り。昨日は午前中昭和町の高松家の法事。終えてから甲府の玄法院に行く。午後2時からの月例の護摩に東海師と参座する。夕方5時から甲府駅南口の「七賢」で行藏院ご住職を加えて飲み会。ここは定額で好きな酒を飲み放題。食べるものも刺身からカニなどなど十分すぎるほど。日曜の夜ということもあり店内は比較的すいていて、静かに4人で語らいながら楽しいひと時を過ごす。明朝早く出かける人もあり遅くない時間にお開き。暖かい個室で朝までゆっくりと寝る。今朝は雨。年末年始のことをいろいろやらなくちゃならない。

2014年11月29日(土)

ほぼ一日雨。
気温はそう低くはなかったので寒さは感じなかったが。9時半から原の秋葉社のお祀り。昭和9年に秋葉大社から御霊分けして祀った社を80年の歴史を持って閉じる。あいにくの雨で集まったのは5人。最後のお勤めをして、秋葉神社のご神体は本堂に納めるためにいただいてきた。長く火災除けとして地域を見守ってきたのだからできるだけこの後も長く本堂にお祀りしておきたい。社の建っているところはお寺の地所だといわれるが、ああそうなのかというほどの感慨しかない。寺のもつ役割はだんだん時代とともに衰退していくようなところなのか。午後になって雨が止んで天候が回復してきた。

2014年11月28日(金) 晴れ
護摩を焚く。
もう今年の28日の護摩も11回目。残すのは師走の納めの不動の護摩のみ。10時から東海師参座してくれて修法する。やはり一人よりいい護摩になる。終わってお茶を飲んでいると、「方丈さん今日は午後護摩焚きますか?」と檀家のSさんから電話が入る。「今日は相棒が午前中ならということで、10時から護摩焚いちゃいました」と謝る。意外とこんなものだ。「12月の護摩に来てください」と話す。12月は午後焚くことにしよう。明日雨のようなので、庭の落ち葉を掃く。朝掃いておいて、午後から落ち葉を片付けた。並行して本堂と護摩壇の掃除、仏器洗いなどする。お勤めを済ませて5時に終了。外は暗くなる。暖かな日でよかった。

2014年11月27日(木) 晴れ
良い天気。
二日雨続きだったが今朝はよい天気になって陽射しもあり暑く感じるような日。境内の紅葉がとても鮮やかになった。もみじもドウダンツツジも色の見事。大工の遠藤さんが午前中、本堂の正面に入れるサッシの引き戸の外枠を作りに来てくれた。今年は遠藤さんには随分とお世話になった。緊急の時にも、長年の経験や付き合いの中から職人の手配もしてくれたし、年末に来て樋や引き戸のことまで又お世話になっている。今若い大工さんたちは、会社に属していたりすると、なかなか突発的な仕事を引き受けることが難しい。遠藤さんは今はもう一線を退いているとのことで、その点フリーで動ける。まだまだ高齢で技量が発揮できないというわけではない。大工の技も、今の人たちはもう難しい組み方などはできなくなってきているようだ。顔の腫れもだいぶ良くなってきた。両手の甲も、昨日の午前中までは、夜中に起きる耐え切れない痒さに爪でぼりぼりとかいてしまい、赤黒く腫れあがっていたのに、今日はもうほぼその痕はなくなり、年相応の手の甲になるつつある。お茶を飲みながら大工さんも「昔はよく漆にかぶれたもんだ」と懐かしそうに話してくれた。暖かい日になったので、客殿も開け放って空気を入れ替えた。秋山家用の締めも切った。ご朱印の来山者あり。

2014年11月26日(水)
皮膚科に行く。
今朝起きて顔を見ると期待を裏切るような右瞼と顔の腫れ。症状は軽くなっていない。この数日各放送局で放映された高倉健の追悼映画を見てきた。夕べのNHK-BSでの「ホタル」を半分ほど見てから、隣町の皮膚科の医院へ行く。ほとんど待つことなく診察していただける。顔の状態と手の甲の赤い腫れ、腕まくりして腕の発疹、ズボンを下げて左太ももの赤い腫れなどの症状から医者が尋ねてくるのは、「銀杏の木が近くにあるか」とか「銀杏の実に触ったか」とか、そういうかぶれを引き起こしそうな植物に触れた覚えがあるかとか、過去にこういうことがあるかということだった。僕の中でももしかしたらと考えられることは、ウォーキングで林の中を歩いたりすることがあったりしたこともあるので、かぶれだとしたら、そういうことが起因しているかなとも考えてはいたのだが。「内臓疾患からくるものではないか」と訊くと、「これは典型的なかぶれの症状ですね」との診察結果。「とりあえず今日から三日分の塗り薬と食後の服用薬を出すので、これで症状が治まればもう来なくていい」と言われた。顔と手は朝晩の洗顔後に塗ればいいとのこと。帰宅後に指示通りに朝の分として三種類の薬を飲み、昼食後に再び服用し、患部へ薬も塗る。読書をしてそろそろ夕のお勤めに行こうとする時間。雨も上がり、静岡方面の空から明るくなってきている。ムーンフェイスだった左顔面と瞼の腫れが嘘のようにひきはじめている。医は仁術なりとは、まさにマジックのようなものなのかもしれない。てっとり早く自己浄化作用など待つより、こういうものに頼るのが社会復帰への近道になるということなのかもしれない。土日に法事とかが待っているので、この人相のままでいるには相手に対して申し訳ないような気がしてきていた。よかった。それから、かぶれだったのだろう。

2014年11月25日(火)
一日雨。
朝から一日冷たく寒い雨。明日もこんな天気のようだ。今朝昨日の夜より左目瞼の腫れがひいたように感じたので、このまま様子を見ることにした。「毒素が出るピークが過ぎたな」などと素人判断していた。確かに昨日の夜に感じた、左顔面と鼻の「パンパンの腫れ」は幾分おさまってきていた。パンパンに腫れあがった頬や鼻の毛穴から毒汁?が出ていたが、今日はその腫れがひいて皮膚に柔らか味を感じた。それでも結局夜になっても、朝の瞼の腫れの収まりは進まず、夜になってみると、「あまり夕べと変わらんなぁ」という状態。「右側もこんなになったら困るな」と案じていたが、右半分は瞼も全く腫れてこない。やはり何かのかぶれだろうか?歩いていて、何か刺激されるような植物に触れたか?雨の寒い一日で、娘は、奈良から友人の住む秋田に足を延ばしていて今夜も不在なので、早めに食事をして僕は7時前には風呂に入ってきてしまう。おかげで読書は意外とはかどっている。

2014年11月24日(月) 晴れ
顔腫れてくる。
ここ数日風邪気味のような症状があり、よく鼻をかんでいた。左手甲や腕に発疹を認めていたのだが、昨日の午後より顔面左瞼から鼻にかけて腫れを感じてきたので、ドラッグストアで軟膏を買って塗ったのだがあまり効き目がない。夕飯は一人で買ってきた酒を飲んだがあまりうまくはなく(ひとりなのでということもある)、風呂に入ってきたが少しずつ顔の腫れが顕著になってきた。上下瞼も腫れてきて目が徐々に細くなってきた。これもなかなかに思い出になりそうな誕生日となった。夜寝ていて手の甲が猛烈にかゆくなってきて、いけないとは思いながら、発疹から血が出るほどにかいてしまい、とうとう右手甲にも症状が現れてきた。今朝起きて鏡を見ると、左目はかろうじて「開いているな」という程度にまで腫れてしまっている。左顔面が腫れて人相は何とも表現できないほどで、外出も憚られた。訪ねてくる人もなく良かった。顔の腫れと、手の甲の腫れ、腕や足にところどころ発疹があるが、熱っぽいわけでもなく、気分がすぐれないというほどでもなく、普通に食欲もある。夕方5時過ぎに帰る電車の女房を身延駅へ迎えに行く。「どうしたの?」と訊かれるので、自分でも原因がよくわからんと答える。皮膚科で診てもらうというと、内臓の疾患からきている症状ではないかといわれる。お土産の駅弁を食べるが酒は控えた。白馬のEさんから、長文のメールをいただいた。

2014年11月23日(日) 晴れ
58歳。
着々と歳を重ねていってしまうものなんだなぁ。還暦まであと2年だ。父が去った歳まであと10年しかない。こういうことを考えるとなんだか生きているってことの寂しいとこや虚しいとこばかりが湧き上がってきていやになる。ただ実際悩みは深く重くあるってことも現実にある。この寺をいつまで持ち続けていられるのか、僕もある日病に道を折られてしまうのではないかとか。まあ先のことを心配しても仕方がない。今夜はちょっとうまそうな発泡日本酒を買ってきたので、ひとり酒で誕生日を祝うのだ。夕べの地震には少し驚いた。「グレートトラバース 〜日本百名山一筆書き踏破〜」を見ていたら突然地震の速報が流れ、間髪入れずに広報無線のJアラートが作動して町内への周知が流れた。もう布団の中にいたのだが、すぐに揺れ始めた。震源地は長野県だということでやはり身構えるような気持になったが、大した揺れでもなくすぐに収まったのでほっとした。朝起きて、白馬や大町あたりも大きな被害を受けているという。吉田さんや白馬のEさんご夫妻は大丈夫だろうかと心配をしている。自然の成すことには抗うことはできないが、何が導いたものだろうかというところでこじつけたいのは、迷惑極まりない衆院解散ということになるか。名古屋の尭音上人、ユキエさん夫妻から「誕生日おめでとう」のメールいただく。

2014年11月22日(土) 晴れ
ヴァンフォーレ踏ん張る。
J2降格の土俵際でしぶとく今日も残った。サンフレッチェにホームで勝った。残り試合はもうあと二つ。下位のチームが夜の試合のようなので今の順位は変わらないが、これで三連勝。もう少しこういう状況に追い込めればよかったのに。まだ安全圏ではないらしいがとりあえず良かった。母仔は今夜から奈良方面へ小旅行。一番の目的は今夜、奈良 新庄文化会館で午後6時開演される、上原ひろみのコンサート。爆発するようなHIROMIのジャズピアノを堪能してきてほしい。ということで今夜と明日は一人だ。のんびりと家で過ごす。夕方歩いてきて、早めに風呂を沸かして頭を刈って風炉にゆっくりと浸かってこれを書いている。この後、獣除け柵の扉を閉めに行けば二日間の当番も終了。ゆっくりと酒を飲むか。

2014年11月21日(金) 晴れ
太陽が顔を出すまでは膝を抱えて温まっているしかない。
3時半に起きて「ドクターX 〜外科医・大門未知子〜」を見る。今回と次回は、視聴率の確実に取れそうな古田新太が出ている。今回も面白かった。今日と明日は獣除け柵の道路の扉の開閉当番。朝6時と夕方6時。朝の6時はまだ夜が明けない。暖かいジャンパーを着て5時半過ぎに開けに行く。午前中は陽が出ない。でなければもう薄暗くて真冬の気温。膝を抱えてじっとしているしかない。パソコンしていても何度も小便に立つ。昼食後に温かくなったので歩いてくる。小学校の下の道路にサルたちがいた。ここ一週間ほどお寺の境内には現れないのに、こんなに近くに群れがいる。実にのんびりとしていて、こっちの姿を認めても一向に動き出す気配すら見せない。いや、実に堂々としたものです。29日に秋葉社のご神体を持ってくる次第など考える。

2014年11月20日(木)
さむいよー。
今朝はまた一段と寒さがこたえた。今朝は台所でストーブをつけて、エアコンも入れた。お勤めも朝食後になった。とても寒くて本堂へ足を運ぶ気持ちになれない。昼過ぎから雨になる。客殿の部屋で正月の準備でシメを切ったり、護寺会通知を作ったりする。electricマイルスを聴く。温泉でなくてもいいから一日中熱い風呂に出たり入ったりして過ごしたいと思う。最近YouTubeで落語を聞いている。聞きはじめるとなかなかに面白くてはまってしまう。

2014年11月18日(火) 晴れ
陽射しがあると暖かさが直接伝わってくる。
今日は風もなく陽射しもあっていい天気だった。太陽が顔を表すのと出ないのとでこの季節は寒暖の格差を身にしみて感じる。写真家海老原氏の作品を壁に取り付ける。行藏院からの本山への進達書類を宗務所経由で送る。このところやっと三陀羅尼(仏頂尊勝陀羅尼・一切秘密全身舎利宝筐印陀羅尼・阿弥陀如来根本陀羅尼)をそらんじて唱えることができるようになってきた。三年近くかかったな。仏頂尊勝陀羅尼は絶対に覚えられないと思っていたので、自分で録音して間違えていないのを確認できたときにはうれしかったな。日々の積み重ね。僕には特別な力もないので、命尽きるまでいろんなことを日々繰り返して、少しずつ進んでいくしかない。本山の朝の勤行で、前の日の朝までは理趣経だったのが、観音経を始められてうろたえたことがあった。偈の文は任せておけなのだが、観音経をはじめから読むことはやってはいなかった。思い出しながら毎日夕の勤行で読み始めて少しずつ読みなれてきた。父が亡くなって住職になってからはこんな風に一人でこつこつと自分の中に一つずつ一つずつ貯めてきた。貯めてきたものは、忘れないように繰り返し読んでいくとかしないと薄れてしまうので、これからもこんなことが僕の寺の生活だ。夕方30分ほど墓地の参道の溝の落ち葉をさらう。俳優の高倉健氏死去。哀悼。

2014年11月17日(月) くもり
寒い。
陽も射さず寒い一日。午前中庫裏の屋根の樋の掃除などする。外に出ていると、知らぬうちに鼻水が垂れてくる。作業着の袖で拭ってしまう。サルたちがここのところ居なくて静か。こういうことを書くと、不思議と明日やってきたりすることが以前あった。朝、海老原君訪ねてくれて、モミジと本堂の大きな写真のパネルを寄贈してくれる。どこへ掛けようかと思案中。午後本堂の引き戸の件で、大工さんとサッシ屋さん来てくれる。年内には何とかなりそうとのこと。

2014年11月16日(日) 晴れ
通夜に行く。
不動寺の永啓の奥さんのお母さんが亡くなり、夕方素の通夜に韮崎まで行く。夕方になるとぐっと冷え込んでくる。車は暖房を入れる。急激に寒くなってきた、今年も雪が降るかもしれないと不安になってくる。国宝の仏殿で有名な清白寺に墓地を求めてあるとのことで、通夜は副住職がお勤めになってくれた。臨済宗ということで、一緒に唱えられるものがあるかなと思っていたのだが、観音経をゆっくりと読まれたので、こちらも小さくご一緒させてもらった。

2014年11月15日(土) 晴れ
連日寒い。
少し厚目の作務衣にチェンジする。灯油のストーブを5台出す。客殿にファンヒーター。庫裏用の大き目のストーブ。それから3台のだるま型ストーブ。大体これが冬の定番。炬燵は数年前から下にホットカーペットを敷いて、炬燵本体の電機は使わない方式にした。これで冬用の支度も済んだ。本堂の樋の修理の見積もりと、本堂の入り口にサッシ戸を入れる見積もりが届く。樋はしけりゃならんが、サッシ戸も多分入れることになると思う。

2014年11月14日(金) 晴れ
冷え込み。
4時に起きて夕べ予約録画しておいた「ドクターX」を見る。前回から見ているが、一話完結でとてもはっきりとわかりやすくていい。好調な視聴率で初回から20%越を維持しているという。「私失敗しないので」というセリフが不安定な僕たちにぐっとくるのだろうか。米倉涼子はもちろんいいが、内田有紀、遠藤憲一、岸部一徳らも秀逸。で、今朝は冷え込みが一層厳しかった。各地で今年一番だといっていたがここもそうだろう。昨日の午後木枯らし一番のような風が吹き、夕方の本堂には落ち葉がたくさん舞い込んでいた。それで今朝の寒さ。霜も降りた。お勤めを終えて台所には暖房をはじめて入れた。午後女房と外に出て落ち葉掃きをする。溝の落ち葉をビニール袋に詰める。そのあとイチゴ畑の草取りをする。ほったらかしのイチゴ畑だが、草をとってきれいにしたので次の収穫はいつもよりいいかもしれないと期待。

2014年11月13日(木) 晴れ
母のところへ行く。
利用料の支払いと面会、それにいくらかの着替えなどを女房が持つ。歩くのがだんだん厳しくなったので、今日も行くと、休憩室の前の長椅子に寄りかかって座っていた。会話もほとんど成立しないが、僕らが行くといくらかの恥じらいのようなものがあるのか、しきりに笑う。この状況は入所当初から変わらない。入所者の個々はまちまちで、しっかりと会話する人もいるが、まったく無口で無表情の人もいる。ここは一年中一定の室温で管理されているのか、暑いも寒いも縁がないようだ。そとは木枯らしが強く吹いていた。

2014年11月12日(水) 晴れ
久米仙43度。
今日は20度近くになると言っていたのだが、一向に気温が上がらず、午後2時近くになってやっと陽がでて暖かくなった。暖かさに誘われて外に出て、畑に管理機をかけ、畑の端の方に小菊を移植した。そのあと墓地の参道に邪魔になっていた南天を切ったり、密集した椿の枝を切ったりした。汗ばんできた。東京のSさんから久米仙を送っていただいた。もう5年ほど毎年秋に送ってくれる。それもこのあたりはない、43度のホンマモノ。これは強いが僕にはたまらない泡盛。感謝。

2014年11月11日(火) くもり
寒い一日。
晩秋という季節になるのだろう。立冬を越えたのだから寒くなって当たり前だ。山茶花が今盛りできれい。盛りはいいが、池の上にある山茶花は、あらためて見上げるとひどく大木に育ってしまった。こういうのも少しは小ざっぱりと切り落とした方がいいんだろうな。こういうめんどくさいことが周りを見るといくつもある。昨日、掛けてある額や書の解説を作ったりしたのだが、三幅の書の書いた人をネットで調べてみて、その説明も作った。便利になったものだ。僕のような浅学者でもこのようなことが何とかまとめられるようになるのだから。YouTubeで落語をまたDLした。最近、mp3で落としたファイルの音声を、一定に調整してくれるという優れた無料ソフトを手に入れたので、iPodなんかに入れても、音の大小を気にせずに聞くことができて気持ちがいい。こういうことも便利になってきた。三幅の書は、160年以上経ていることが確認できた。古いものも新しく便利なものも、大切にしていきたいものだ。

2014年11月10日(月) 晴れ
サルの小便の臭いが雨上がりの村の道に充ちる。
雨上がりで蒸気が上がってくるとサルの小便の臭いが鼻をさすように痛い。こういうところを歩いている。清々しく空気のきれいな田舎の道を想像したいが、臭いし、食い散らかした残りがおびただしい。ひどいもんだ。こういう道を学校に通う小学生を思うとなんだか申し訳なく思ってしまい、早く学校統合してちょっとは遠くても、サルの小便の臭いのしない学校の方がいいなんて思ってしまう。落ち葉とサルのウンコが道にあっても色が似ているので今の時季うっかり踏んでしまうかもしれない。中学校を一つにするという教育委員会の方針に反対する人たちのことは理解できる。無理もない、町の南端の中学校へ統合させてしまうというのだから。これでは反対が出て当たり前。保護者も逆の立場になった
ことを考えてみるべきなんだろうが、じゃ、町の真ん中に新設すればいいという短絡的な意見にはもっと賛成できない。町の財政はそこまでのんびりしてはいられない。もっと町が合併する時点でこういう喫緊の問題を、もっと議論しておけばよかったんだろうな。わずか40人ほどの全児童の学校を20数億もかけて新築するという暴挙が、「旧町時のお約束だった」では、何ともお粗末で情けない。かく言う僕に打開策があるかというと、ほとんど考え付かない。とりあえず中学校を二校にして南北に残しておくかなんてことぐらいだ。

2014年11月9日(日)
法事あり。
11時から甲府:佐田家の法事。その頃からぽつぽつと雨が降りはじめた。故人の13回忌。ほんとは1月の末なのだが少し早めにと息子夫婦で来寺。亡くなった知らせを受けた日は思いがけず大雪に見舞われたことをよく覚えている。ちょうど社協に居た時で、高橋君と甲府へ出張していた時に電話を受けた。雪が降り始めていて、急いで戻ってまた雪の中を甲府の当家まで枕経に車を走らせた。雪だとか大雨だとか、ひどく暑かったとか、こういう時の葬儀のことは忘れないものだ。それから季節。桜の散るころに毎年亡くなった人のことを思い出すとか。寒い寒い一日。大した雨ではなかったが、サルたちがまた本堂の周りに来ていたので、何度か追い払いにゆく。大相撲が始まった。一昨日テレビを見ていたら、やくみつるが、「白鵬はトイレも和式を使うそうですね」と話していた。腰を低く保つために和式の便所を使うなんてなかなかできるこんじゃない。僕らもだんだん和式で大をすることはなくなってきたし、今の子供たちは和式に腰をかがめて座る姿勢が保てないらしいし、教育委員会に居た時、学校から便器を洋式に替えていってほしいという要望が多かった。横綱白鵬。でも「ほんとかなぁ?」という気もするが、和式でも下からピューンと水の出るウォシュレットを特注して備えているのかもしれないしな。
2014年11月8日(土) 晴れ
シリコン系スプレー。
本堂の樋が落ちてしまったので、付け替えのことを相談した大工さんが見に来てくれた。今朝、お勤めをしながらふと思ったのがこんなことだった。樋はまたサルにいずれ落とされてしまうかもしれない、ならいっそのこと別の策がいいのではないかと。渡り廊下の屋根の真上だけ樋が必要なので、それは屋根に落ちる雨の跳ね返りを防ぐというもの。だから跳ね返りの影響を受けるところだけ、回廊の欄干のところに、アクリル板のようなものを打ち付けて防ぐってのはどうかということだった。そのことも含めて相談すると、それもいいかもしれないが、長い目で見た場合、やはり樋をつけておいた方がいいのではないか、見た目もいいしということだった。両方で考えてみてくれるということだった。それからもし参考程度でいいが、本堂の観音扉の内側に引き戸をつけるとしたらどのくらいかかるかざっと見積もってくれないかとお願いをした。その時に本堂に入ってもらって格子戸の滑りが重いので、大工さんから、こんなにきつくなっていると溝を痛めてしまうので、ホームセンターでシリコン系のスプレーを買って吹きつければ片手でも開くようになるとアドバイスを受けた。今日の収穫はこのシリコン系スプレー。11時の鐘を撞いた後、早速コメリで4本仕入れてきて、本堂、庫裏、客殿の引き戸の溝にスプレーした。いやぁビックリ。まったく魔法のような効果で、両手で引いていた格子戸も、片手で滑るように開いてしまった。こういう知識がないので僕のような人間は困る。でも今日はよかった。引き戸の周りもスプレーが散って畳で転ばないように気をつけなくちゃならない。

2014年11月7日(金) 晴れ
温いうちに頭を刈る。
だんだん寒くなってくると頭を刈るのがしんどくなる。外で作業をして体が温かい時に思い切って頭を刈ってしまう。藪払いの続きで、庚申の社の脇にある椿の大木の枝を落とした。梯子をかけて作業をする。高いところは嫌いだ。椿の枝は柔らかいので、枝がとぐろを巻いているような形に変形していたり、好き放題に枝を伸ばしている。昨日切った木の中にヌルデの細いのが一本あったのでもったいないので護摩木にする。護摩木もだいぶストックができて、数年はもう作る必要がないくらいだ。まあそれでも何もすることがないときは百八支なんかは割っておけばよいと思うが。午後、原の佐田さんご夫婦お見えになり、秋葉社のことを相談してゆく。毎年11月末から12月の初めのあたりでお祭をして火伏のお札を配るのだが、だんだん構成する件数が少なくなり、高齢者も多くなり、小高い場所の社まで行くことが困難になってきたということもあり、今年で最後にするという意見でまとまったのだという。ご神体は静岡の秋葉神社からいただいてきたというものらしいが、社を閉じた後はうちの本堂で預かっておくことにした。11月29日(土)午前9時半から。小学生たちが帰って行く4時半ごろにはもう薄暗くなり始めている。これから12月まで日暮れは一段と速くなる。さみしいようで好きな季節なのは僕の生まれ月だからかもしれない。

2014年11月6日(木) 晴れ
今日はサルの声を聴かずに済んだ。
一日本堂裏の藪の整理をしたので、サルの姿も声も聞かずに済んだ。尤も、奴ら自体が今日ここにはいなかったのかもしれない。だいぶきれいになったように思える。チェンソーも活躍してくれた。
夕べ録画しておいたNHKの1971年のドラマ『さすらい』を見た。なんとカラーで放映された。上京したての友川かずきや野音のステージで「カレーライス」を歌う遠藤賢司も登場する。とても懐かしく見た。これは保管しておこうと思ったのだが、何を間違えたのか、他の番組を消そうと思ったのに、「さすらい」を消去してしまった。WOWOWでGRATEFUL DEADのLIVEの放映もあった。こちらの方は完璧な保存版。1974年ころのDEADは演奏もとても充実しているし、観客の乗りも断然いい。DEAD最高だな。今日は一日外でたっぷりと働いて疲れた。

2014年11月5日(水) 晴れ
外で過ごす。
たまには体を動かさなければいけない。朝の寒さが厳しくなったので、ずるを決め込むと家の中でビデオを見たり本を読んだりにだらだらと時間が過ぎてしまう。朝から畑に出て午後まで管理機をかけてうなった。心地いい汗もかいた。畑の土が固くなって深く刃が入っていかない。結局スコップで土を掘り起こすことになる。今年は土だけは深く柔らかくしておこうと思う。今日もサルが来ていた。ちょうどお昼で畑から家に入ろうとすると本堂の鰐口がカンカンと鳴る。風はない。お参りの人もいないはず。作業着のズボンを脱いだパンツのまま本堂の方へ少し歩くとサルがいる。賽銭箱の上に鰐口があり紐が垂れている。3匹居て、一匹が賽銭箱の上に乗って器用に紐ゆすって鳴らすんである。カンカンと。こういうのを覚えるとしょっちゅうやるようになる。鐘楼の撞木の紐も前に引っ張っているやつがいた。外の社にシメを張ると、しばらくするとサルが揺れるシメが気になるようで飛びついては落としてしまう。こんな奴らに寺の後のことを任せたいなどという気持ちには到底ならない。

2014年11月4日(火) 晴れ
サルが大量出没で。
先月本堂の渡り廊下の屋根に上がってその上の雨樋をなんとか補修して雨の日にも樋がうまく機能しているのを確認していたのに、なんと、なんと今日サルが樋を落としてくれた。夜明け前から森の中に動く音や叫びに近い声がしていた。ここ数日朝から晩まで活発にこの付近を荒らしまわっていたのだ。おそらくサルが樋を伝って屋根に上がろうとしたに違いない。サルの重さに耐えきれなくなって樋が落ちてしまったのだ。こんな高いところの樋なんかおいそれと簡単にはつけることができない。また大工さんに相談だ。しかし直さないわけにはいかんだろう。さすがにサルにはもう本当にお手上げだ。本堂の回廊も食い散らかした柿や枝豆や糞だらけだ。何とかこいつらだけは金縛りにでもして調伏できないものだろうかと考えてしまう。

2014年11月2日(日) くもり
法事あり。
雨は上がったが一日曇り空。そう寒くはないのだが、それでも鬱陶しいような重い一日。10時から佐田家の三回忌の法事。連休ということもあって、長男も帰省して出席してくれる。カメラマン海老原氏も来寺。今夕久しぶりに飲もうということになっている。全日本大学駅伝をテレビで見る。駒沢大が圧倒的な強さで4連覇。山梨学院は最終区でオムワンバが頑張りをみせてシード権を獲得し5位で終わる。さて年明けの箱根路はどうなるんだろう。サッカーはヴァンフォーレ甲府勝利して土壇場で踏ん張っている。

2014年11月1日(土)
11月に入る。
今日は朝から冷たい雨だ。3連休でひと儲けしたいところでは客足が伸びないだろう。帰ってデパートとかの方が客が見込めるんじゃないだろうか。11時に甲府生涯学習研究会の15名が来山。雨の中足を運んでいただいてこちらも申し訳なく感じてしまう。それでも僕のつたない話を皆さんよく聞いてくださった。父の命日である。本堂と客殿で供養する。まあいつもと変わらないんだけどね。17年がたった。母はまだ生きているのだから、17年という月日は結構前だったんだよな。夕方妹も来て墓参してくれる。お土産をくれて、あわただしくまた帰っていった。今夜は熱燗でも飲もうと思う。

2014年10月31日(金) くもり
雨で寒くなったぞ。
10月も終わり。午前中は曇っていたので、ツツジとアジサイの挿し木を何本か地におろした。午後雨が降りはじめたのでちょうどいい。海老原君から久しぶりにメール来る。11月2日の角屋のおばさんの三回忌に出席するという。夕方飲もうと連絡。夕べTOKYO JAZZの録画を見ていたら、小曽根真のBIG BANDがとてもかっこよかった。トシコ&タバキンのBIG BANDを聴きたくなってきいた。秋の景色に似合う音楽。 YouTubeに「International Jazz Day All-Star Global Concert from Osaka」という、なかなかに面白いコンサートがアップされている。こういうのを落としておいてipodに入れちゃうんである。

2014年10月30日(木) 晴れ
朝冷え込んできたなぁ。
5時といっても今は真っ暗だ。寒くなった。上天には星が輝いている。本堂のお勤めを終わって出るころに6時近くなりようやく朝が明けてくる。客殿に戻って短目のお勤めをして朝は終わり。朝が早くても遅くてもほぼ一年を通して娘が勤めの日であれば6時過ぎには朝食になる。休みの日であれば僕は勝手に朝食を適当に済ませて、ビデオを見たり、気分が爽快であれば歩いてきたりする。墓地の掃除をする。台風で山からの土が道にだいぶ流れ出してきていたので片付けた。午後本堂の観音開きの格子戸の障子を貼りかえる。日中はあたたかくなる。

2014年10月29日(水) 晴れ
報道掃除。
昨日はいい護摩が焚けた。やはり一人で焚くより誰かがそばにいてくれることがよい。それが法印さんならなおありがたい。東海さんが仕事の都合に合わせて来られるときには来てくれるようになって、例月の護摩は楽しく待ち遠しいような感じになってきた。法螺を立てるのも一人より二人だ。朝が寒くなってきた。護摩の後と本堂の掃除をするのも少しあたたくかくなってきた時間にする。昼食をはさんで、午後2時ころまでかかった。もちろん次回用に火舎の香盛りも済ませた。昔は樒の葉を乾かして、すり鉢ですって粉にして香に使ったというので、僕もそれに挑戦してみようと思う。樒が護摩の炉で燃えて放つ香りは好きだ。

2014年10月28日(火) 晴れ
10月の護摩。
7時20分に下山の遠藤夫妻と駐車場で待ち合わせて息子さんの新居に向かう。8時から新居への入居のお祓いをする。この辺りは建売住宅が縦横に並んでいて新しい住宅地になっている。学校はもう目と鼻の先にあるので、その点は便利であり、ショッピングセンターも近い。外でお祓いをしてから中に入る。まだ何もなく、11月の5日入居をするとのこと。月々の返済は今住んでいるアパートの家賃より少ないと36歳の主は話してくれた。僕にはこういう経験がないので、自分で家を持つということの厳かな行為がぐっと胸に迫る感じだ。9時過ぎに家に帰る。義姉の新車購入のお祓いを午後1時からする。2時から月例の護摩。東海師助法に来てくれる。今日は点火してから壇に火が回るまで少し手間取った。こういう経験を積んでいきながら年を取ってゆく。二人で吹く法螺貝はいい。車で飲めない東海師には緑茶を。彼に許しを乞うて、僕は遠藤家でいただいた清めの酒の残りをチビチビとやらせてもらった。今朝は寒かった。
2014年10月27日(月) 晴れ
枝豆。
宮木の若林が枝豆を朝届けてくれた。彼のところでは生食用の枝豆は出荷していないとのこと。大豆を農協に出すのだという。「今日は休みか?」と訊くと、有給休暇で、これから友人とゴルフに行くのだ云う。若林と僕は誕生日が5日違い。来月二人とも58だ。貰った枝豆はやはり粒が大きくておいしそう。10時過ぎに駐車場借地の件でI建設来る。11月から6月まで一角を貸すことにする。明日の護摩の準備、遠藤家の息子さんのところの家屋敷のお祓いの準備などする。

2014年10月26日(日) 晴れ
秋の祭典。
去年は雨のお祭りになったが今年は好天に恵まれた。お祭り当番の人から届けられたお供えのお餅を、組内の家に組長の僕が配って回る。僕はこの餅を4枚食べて昼食。午後はふれあい運動会。人の集まりは決して多くはないが、それなりに楽しいひと時だ。ブルーシーとに寄って酒を酌み交わすのも好天に恵まれてなにより。いろんな話を脈絡なしに展開する。散会して祭典の幟なども片付けて再び集会所で飲む。みんなやさしくていい。

2014年10月25日(土) 晴れ
今日も暑くなった。
今週の休日は天気もよさそうだ。八幡神社の祭典のために当番が朝早くから掃除に来て、社殿の掃除や幕張り、そして秋空に幟が立った。本堂の渡り廊下の上のとこだけ雨樋がつけられているが、古くなって一部穴が開いて雨が降るとそこから漏れ落ちる雨水が渡り廊下の瓦にあたって飛び散って、本堂の欄干と回廊をひどく濡らすことに気づいたので、何とかできないものかと思案し、渡り廊下の屋根に上がって穴の開いた樋のところへ、縁の下にあったブリキの樋の古いのを切って穴ふさぎにしようと考えた。とにかく高いところが苦手なので、たった一人で汗かきながら事に当たるのだが、頭で描くようには思い通りにゆかない。小一時間ほど屋根に上がったり下りたり、長い棒状のものを持ってきて色々と試してみて、長枝ばさみの刃で挟んで樋に差し込んでなんとか穴は塞げたようなので下りてきた。次雨が降った結果待ちというとこだ。好天に誘われて出かける人が多いのだろう、今日も「ご朱印」希望者の家族あり。法事の塔婆や28日の護摩用に頼まれた祈願札なども書く。

2014年10月24日(金) 晴れ
網戸をしまう。
週のはじめから昨日まで雨が続いていたが今日は朝から良い天気になった。気温も昼ごろから午後まであがって暑くなった。久しぶりに朝歩いて、いつもならその後映画とか本読みになるのだが、今日は決心して網戸を洗ってしまうことにした。7,8年前に買った高圧洗浄機で洗っていたのだが、高圧ホースと本体のを接続するねじの山がダメになってしまったようで、水を出して始動すると勢いよく外れてしまってどうにもなおらないので、仕方なくそのままの水道水で洗った。それでも天気も良かったので午前中いっぱいかかって洗って外で乾かして、お倉と客殿の奥の2か所にしまった。午前中網戸を洗っていると静岡の成田さんが来山。安倍川もちをお不動さんに供えてくださった。天気も良くなったということか、ほかにも4人組の高齢者の参拝もある。隣町の建設会社の方が訪ねてきて、富士川の河岸工事の現場事務所を設置するために畑の空いているところを使わせてもらえないかと相談される。11月から来年の6月までだというので、駐車場の一角を使ってもいいということで了解する。少し寺の収入もなければ干上がってしまう。まあこれも、中部横断道建設のためのお手伝いということね。ツワブキがたくさん開いてきれい。

2014年10月23日(木) くもり
寒い日が続く。
月曜から降ったりやんだりの気が滅入るような天気が続いている。坊主の仕事がないと愚痴っていたら檀家の方から、「息子が建売住宅を買ったので、入居の前にお祓いをしてくれないか」と電話がかかってきた。地鎮祭にしてもそうだが、ほとんどこの手の仕事はしたことがない。「真言宗実践双書」「修験道要典」「加持祈?秘密大全」など参考にしながら、二日かかって自分なりの次第書を作り上げた。こういうことをしていると、脇にそれたりするもんで、火床三昧耶法のところが気になって読んで、来年の柴燈護摩には火床を成す際にこんなこともしてみようなどとも考えてみた。火伏の札というのがあって、書いてある梵字でわからないものがあったが、今回梵字の本を読みながら、全部読むことができ、ついでに、梵字フォントを使ってパソコンで火伏札を作り上げることができた。

2014年10月20日(月) くもり
夏の衣をしまう。
午後になってから雨になってきた。雨になると一層暮れるのが早く感じられ、それに寒さも感じる。夏の衣がいつまでも衣文掛けにあったので衣替えをした。寺の僧侶としての仕事はさっぱりなので、お盆以降衣をつける機会もなかったように感じる。11月から年末にかけてはいくつかの法事があるので、冬衣はつける機会が多くなる。忙しいのも嫌だが、僧侶としての仕事がないというのも困ったものだ。一日映画やドラマの録りためておいたものを見る。
金曜の夜は秋山さんと川口さん夫婦を招いて酒を飲んだ。秋山さんが作った枝豆を知り合いに送った。土曜には民俗資料館を見学する団体の対応をした。退職した数学の先生の集まりで、不動明王の開帳もした。昨日は山道つくりと中沢川の草刈りなどした。丸刃を付けた草刈り機もこれでシーズン終了。久しぶりにジャックスや早川義夫を聴く。

2014年10月16日(木) 晴れ
今日はあたたかくなる。
昨日は寒かったが。午前中墓地に行って供えてある彼岸の花の枯れているのを片付けてまわり、挿し木で育てたツツジを地におろしたりする。外に出はじめると外が気持ちいい。映画を見たり、本を読んでいることより外に出て何かしていたり、歩いていることの方が本当は体全体に栄養が行き届くように思える。午後母の入所施設へ支払いと面会。相変わらず。今日はなぜかベットに横になっていたが元気だった。「365歩のマーチ」を歌ってくれた。こんなことは初めて。帰ってきて1時間ほど本堂の周りと客殿裏を草刈りする。紐の刈払機は今期の使用終了。

2014年10月15日(水)
雨になる。
朝は陽が射したりしていたのに、11時ころから雨になった。民俗資料館の掃除をした。土曜に見学者の応対を頼まれている。夏に水道管破裂で、9月の補正を待って修理をしたので今まで掃除ができなかった。掃除機をかけトイレも念入りに掃除した。玄関もデッキブラシでツバメの糞を除き、ガラスのドアも用具を使って汚れを洗い落とした。寺の外便所も掃除する。まとめてやってかなりの達成感あり。このまま雨が今も降り続いている。寒い寒い一日。だんだんこういう日が多くなると暖がほしくなる。

2014年10月14日(火) 晴れ
台風過ぎる。
「結果何もなくてよかったのよ」ってことなんだろうけど、それにしても大げさな台風予報というのか予想というのか、よくわからんことが多いような気がする。たまたまここは前回も今回も大風が吹くことはなく、大した被害もなかった。今回はもう午前2時過ぎには雨が静かになっていたし、前回よりは明らかに雨量も少ないと感じた。こんな夜の雨は、過去だったら災害本部が設けられて、危険を感じたら公民館へ避難してくれなどというような放送も流れなかったと思う。まあ、台風が過ぎ去って、何事もなかったということを喜びとするということなのだろうが。暑かった。コメリで小菊の苗と、夏の草ぼうぼうの畑に埋もれていつの間にか姿のなくなってしまったパセリの苗を2つ買ってきて植えた。

2014年10月11日(土) 晴れ
9条落選。
友人のT氏から9条がノーベル平和賞に選ばれなかったことの残念を伝えるメールが届いた。村上春樹も漏れたし、9条はどうかなという程度の関心しかなかった。というか、そもそも9条をなぜ平和賞になんだというようなことも考えていた。こういう当たり前の理解を特別視することにあまり興味がなかった。それにノーベル平和賞というと、佐藤A作が受けていて、ノーベル平和賞というもの自体に信用ならんという気もしていたし、仮に今回9条が受賞したところで、あの「安倍心臓」が嬉しそうに記者団のインタビューに答える姿をテレビで見るのなんか真っ平御免こうむりたいとも思っていた。なのでよかった。平和賞に値するものを選考するわけで、そこの場が禊された清らかな空間であるということはないのだろうと思う。T氏よ、僕らは野に在って、僕らのもつ信仰の中から、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」をかみしめて酒でも飲もうじゃないか。それがいい。今夜我が家はサンマだ。

2014年10月10日(金) 晴れ
畑。
草を刈るだけの畑の草を年に3度か4度刈る。今年の草刈りは終了した。耕さないので表面が固くなり、だんだんと草の繁茂が強くなったように感じる。ちょっとだけほとんど手入れすることなく、サルの食べないオクラと、苗をいただいたナスとプチトマトを作っていて、ここも片付けた。作物を撤去した後に午後から管理機をかけたが、手を入れて除草などしていないので、草が絡みついてうなうことをしょっちゅう中断して、管理機の刃から草を除かなければならない。それからなかなか深く刃が入らない。耕さなければ固い土に戻ってしまうようだ。開墾するとはこの反対のことで、原野を畑に変えていくということの厳しさがわかるというものだ。それでもこういう時間は楽しい。深くなる秋をじかに感じられる心地よさがある。

2014年10月9日(木) 晴れ
道。
富士川沿いに国道がバイパスで走っている。その内側に元国道で今は町道の道がある。そのもう1本内側に集落道がある。時々歩いたりしているが、この時期の朝の道と行ったらひどいものだ。柿、栗、枝豆の食い散らかされた跡があちこちに残っている。サルたちが人の静かな集落道で好き放題に腹を満たしていった跡だ。耕作者はそれぞれ独自に予防策を講じてはいるが、完璧にサルから作物を護るということはできないようである。たとえば枝豆なんぞは、もう少しさやが膨らんでから食べようと思っていると、ちゃんとその人間の心を察知しているかのように、収穫の直前に食い荒らしてしまうのである。奴らは盗ったものを一つ丸ごと平らげて満足することがない。それは獣の本能というものだろうか、ほぼ一口か二口かじっただけで次のものに手を出すという習性である。毒物から身を守るということの習いであるかもしれない。8割7割枝豆を収穫して食べたり味噌にできたらいいやという風に、農する人たちの考えも変化してきているのだろう。毎日サルを追い払う空砲が聞こえている。来週の日曜には獣除けで集落の山に張り巡らせた柵の下の草刈り作業がある。絶対的な解決策など永遠に見つからない。

2014年10月7日(火) 晴れ
外仕事する。
緑のカーテンでひと夏楽しませてもらった朝顔のプランターを撤去し、まだ上部に花の残るカーテンも取り払った。今年はカーテンは一か所しかしなかったので、片付けが楽だ。2か所は洋風タテスというヨシズのようなものを買ってつけた。これは片づけも楽だしこれから西陽が当たってくるので、今しばらくこのままでいいと思う。貴のの台風で朝は相当な雨になった。風がなくてよかったが、土蔵の屋根からの雨が樋からあふれて落ちていたので、屋根に上って樋の詰まりを解消し、おそらく雪で少し曲がってしまっていたのであろう樋も自分なりに直してみた。午後は飯富病院定期受診。帰ってきて畑の草刈りをする。参道の片側はこれで終わり。明日もう片側も終わるだろうか。少し刃の切れが悪い。今朝からシルバー人材センターで庭木の剪定に来てくれる。いつもの二人にもう一人来てくれたので、二日で終わるはず。もう何年もやってくれているのでこちらが指示しなくてもやってくれるのは助かる。

2014年10月4日(土) 晴れ
金峰山に行く。
山登りの趣味がないのでいままで山というものにあまり登ったことがない。大峰山に入峯するくらいしかない。山梨にはたくさんの山に囲まれているが今回初めて金峰山に登ってきた。ここは頂上の五丈岩に蔵王権現を祀るといわれるかつての修験の山である。朝5時半に家を出て放光寺の近くのコンビニ駐車場で、行藏院、玄法院ご住職と待ち合わせ車1台で登山口に向かう。40分くらいかかる登山口まで上りのカーブ道が続き、荷物を開けたり整理をしていたら、あっという間に車酔いをしてしまった。冷や汗がだらだらと垂れてくる。気持ち悪いとも言い出せず必死でこらえた。3人で沢沿いに山を登りはじめ3時間半ほどで11時半ごろに山頂に着く。御法楽をして昼食。山上には50人を超える登山客のカラフルな姿がいっぱい。ちょうど一週間前の土曜に昼前に御嶽山の噴火があって多くの方々がその犠牲になられた。ここはそういう心配はなかったが、土曜日のちょうどお昼の時間という光景は、御嶽山の惨状を予想させるに十分だった。珍しい修験者が現れたので、僕らは何度のカメラの被写体になってしまう。法螺貝も吹いてくれとか。山上では息苦しさがあり、あまり上手に法螺貝を立てることはできなかった。大弛峠まで稜線を歩いたり上り下りしながら出て、1時間くらい林道を歩いて駐車場に戻りかえってきた。こういう登山経験がなかったので、本当にぐったりという感想だ。疲労感に眠気をなんとか払いながら午後5時半過ぎに帰宅。明日から台風接近に寄る雨とのことで、山行きとかつての修験者の道が無事に歩けたことに感謝した。

2014年10月3日(金) 晴れ
暑いよ。
10月に入り、大型で非常に強い台風18号が来ているようだが、明日の山行きまでは天候は持ちそうだ。準備をする。5時半には家を出なければならない。御嶽山での捜索作業は今朝から雨ということで今日の予定は中止になったという。最終的には60人くらいの被害者になるのだろう。雲仙普賢岳の被害よりも大きくなる。夕方川口さん来て、奥さんの実家の鹿児島から送ってきたというサツマイモと芋焼酎置いていってくれる。なんか義理がたいなぁ。お寺の僕は貰いっぱなしだ。

2014年10月2日(木) 晴れ
吉田夫妻来山。
久しぶりの二日酔いとなり、つらい朝の勤行。吉田さんは昨夜早めに就寝したのでさわやかそうで、境内を散策する。朝食後にまた3人で話す。10時半ころから僕はビールをまた飲み始め、吉田さんも1本だけということで付き合ってくれる。美麻に居た頃の懐かしい話から、吉田さんが書き上げた祖父である版画家「吉田博」にかかわるものを本にするのだという話も聞く。吉田博の「タジマハル」という大正時代の作品を買い上げることになった。恩を返すというほどのことでもないが、今僕にはこのくらいのことならできないこともない。午後2時ころに二人は美麻に帰っていった。また僕も美麻を訪ねてみたいと思う。

2014年10月1日(水) 晴れ
吉田夫妻来山。
美麻の吉田さんご夫妻がみえる。おそらく最後にあってから10年以上たっているのだ。先日彼から突然便りが舞い込んで、「年内には来るだろうな」と思っていたら、一週間もたたないうちに昨日、「明日都合はどうか、訪ねてもよいか」と連絡があった。こちらは何も予定はない。午後2時半頃にやってきた。吉田さんは僕とちょうど10くらいの差があり、65歳を超えている。それなりの年齢に見えるが語りには熱いものがみなぎっている。夕食を取りながら酒を交わす。ビールから葡萄酒。奥さんとは最後は泡盛となった。
2014年9月30日(火) 晴れ
9月終わり。
こうしてだらだらと暮らしながら時間も日も過ぎて行ってしまう。御嶽山の噴火の方はなかなか収まらないようで、山頂に取り残されてしまっている人たちはもう助からないのだろう。生きることと死ぬことの明暗を分けるのはいったいなんだ。護摩の後と本堂の掃除をし、次回用に荘厳も済ます。ここ数日天気も良く暑い。映画の「死国」見る。明日から10月。

2014年9月28日(日) 晴れ
護摩を焚く。
9月の護摩を焚く。10時から建築屋のMくんが仕事用に新しく購入した三菱キャンターの交通安全のお祓い。午後2時から護摩。良い天気。東海師助法に来てくれる。Mくんのお母さん参座してくれる。よい護摩が焚けたと思う。庫裏に戻って東海師の恵印の弁財天法の習礼をする。これをすればお互いに勉強になる。覚えることと忘れないことになる。朝、映画「千年の愉楽」見る。中上健次の原作。紀州の村の物語なのに、全編通して流れる奄美の旋律がやけに似合っていた。赤ん坊は仏という。女陰化(ほとけ)という言葉が頭に浮かんできた。若松浩二監督作品、面白かった。

2014年9月27日(土) 晴れ
運動会。
朝「花子とアン」の最終回観る。半年楽しませてもらった。原小学校と地区の合同の運動会。絶好の運動会日和で気温も上がった。もう運動会にも10年くらい行っていなかった。あまり行ってみたいとも思ってはいなかったが、種目別の対抗競技の選手に選ばれてしまったので、午後その種目の前に出かけた。児童が40名弱しかいないので、運動場もさびしく、地域の参加者も昔と比べ物にならないほど閑散としていた。こうやってさびしく終わっていくのだなと思う。競技は僕は一点も取れなかった。最後の種目の総がかり(玉入れ)にも続けて出て帰ってきた。道を歩くとコスモスがとてもきれいだ。

2014年9月26日(金) 晴れ
彼岸明け。
彼岸も終わり。台風などで天候が荒れることもなく、墓参の人たちにとってもいい日和の続いた彼岸ではなかったか。今年の彼岸花は彼岸がちょうど見ごろでもあった。思いがけぬ人からの手紙が届いた。信州の吉田さん。裏書が何もなくはじめは誰からだろうと思いながら開いた。手紙の末尾に携帯の番号があったので、晩飯前に電話を入れてみた。お元気そうだった。奥さんと大相撲を見ているようで奥さんが一喜一憂する声が時々飛び込んできた。手紙に七年前に脳梗塞を病んだとあるので尋ねると、軽く済んだようで不自由は何もないそうだが、「次は危ないよ」といわれているらしく、少し片側の足にしびれ感があるのだそうだ。もうおそらく10年以上交わりがなかったので、僕は懐かしい思い出としておこうと思っていたので思いがけない手紙だった。上京する折に訪ねるよと言ってくれた。たぶん彼のことだから年内に来ることだろう。手紙の裏書は書き忘れであったとのこと。今でも美麻に住んでいて、遊学舎の跡地にも家が建っているとのことであった。僕も美麻をまた訪ねたい気持ちにかられた。

2014年9月25日(木) 晴れ
遠出する。
7時半に家を出て牧丘の上求寺へ。ちょうど9時ごろ着いて石田家への墓参。雨が降ったりやんだりの天気だったが、午後には止むだろうと予測できていたので。塔婆をあげ上求寺へ。家人は不在は承知。縁側にお土産のブドウを用意してくれてある。先師の五輪塔を参り塔婆を立てる。古い本堂に入り御法楽をする。ここから塩山の瀧本院を訪ねる。ちょうど数日前、彼岸花で有名なこの寺のご住職がテレビ取材を受けているのをテレビで見た。雨も上がったのでせっかく来たのだからと訪ねた。ご住職と奥さんが、ピオーネの出荷に精を出しておられたが、珍しい訪問者に時間を割いてくれた。何人かの観光客もいる。休日はとても混んだということだった。ここも彼岸花は少し盛りを過ぎていた。ここでも本堂で御法楽をする。2月の雪で本堂の飾り棟が落ちたり、瓦がずれたりしたが、まだ職人の手が入らないそうである。宗費免除の申請などのことも伝えてくる。ブドウやリンゴなどたくさんのお土産をいただいた。ここから勝沼の松鶴院を訪ねた。15分ほどで着く。ご住職が在宅であったので、お邪魔して少しお話をする。去年の秋以来体調を崩されているとのことで心配だったが、経過を聴き少し安心した。お堂で御法楽をする。ここでも葡萄酒などのおみあげをいただいた。車の後部座席は3軒からの土産でいっぱいになった。雨が通り過ぎ暑い陽射しが戻ってきた道を帰る。ブドウをおすそ分けした秋山さん、川口さんと夕方から若大将で飲む。二人と飲むのもほんとに久しぶり。勤めを辞めたからといっても、なかなか会う機会はない。まあ作ろうとすればいつでも作れるのだが。また近々会いましょうと楽しく飲んで別れる。

2014年9月24日(水) くもり
今夜から雨になるか。
台風が来ているといっていたが低気圧に変わったそうだ。朝から今日は曇り。夕方になって風もだいぶ涼しい。雨がちょっとは降るかもしれない。午前中二組の墓参あり。甲斐市の天野さん夫婦、甲府の遠藤さん夫婦。遠藤さん夫婦は檀家ではないが、先祖がこの寺に縁があるというので、高齢のお二人ではあるが、甲府から軽自動車で一年に一度この秋の彼岸に訪ねてくれる。法螺貝を見て驚いておられたので吹いて差し上げた。奥さんは太い音に感激してくれたようだった。

2014年9月23日(火) 晴れ
よい彼岸の中日。
今日も良い天気。10時半ごろに世田谷の佐田さん一家墓参に訪れる。いつも夏の棚経にはここで昼食の接待に預かっている。お孫さんもつれての来山。夕べは鰍沢の十谷温泉に泊まったとのこと。お話をし、墓前で読経する。1時間ほどで帰ってゆく。午後はのんびりと読書。堀辰雄の文庫読む。上求寺で旬の巨峰送ってくれる。夕方頭を刈る。

2014年9月22日(月) 晴れ
参拝者あり。
7時前に飯富のお寺に公康君の墓を参る。さすがに早い時間で墓参者の影もなし。コンビニで買っておいたポケットウィスキーを開けて飲ませてやる。大学の時、2年連続明日香村を二人で五月の連休に訪ねて、貸自転車で廻ったり、山野辺の道を歩いたりした。ポケットウィスキーをGパンのポケットに入れておくことだけは絶対忘れなかった。やっぱりさびしいな。
連休の谷間の月曜だが、今日休暇を取って霊場巡りをしているという女性三人が11時前に訪れる。ご朱印を書き、本尊を拝観できますか?というのでお開帳する。のんびりと午前中を過ごす。墓参もあり、彼岸花を撮りに来る人もあり。

2014年9月21日(日) 晴れ
気温上がる。
僕だけが勘違いをしていたのか、思い違いをしていたのか、昨日が雨の降りだしそうな曇り日であったため、今日あたりも同じような天気か雨になるかもしれないと思っていたのだが、予想外に朝から快晴で、久々に気温もグーンと上がり、Tシャツ一枚で過ごした。11時から後山の遠藤家墓地を寺墓地に移し終えたので、兄弟姉妹や遠藤きくさん本人も入所先の施設から連れてきてもらい開眼供養をした。午後から先日諏訪の古本市で求めた堀辰雄の「菜穂子」という文庫の菜穂子を読む。昼食後に庫裏のソファーに横になってGrateful Deadのライブを聴きながら読み始め、陽が傾いて薄暗くなり始めたころに読み終えた。昭和の初めの作品だが、あまり古さは感じなかったし、人の心のありようなんてものはそう時代によって変化のあるものではないと感じた。結核でサナトリウムに入っている菜穂子というのが時代背景としてあったことぐらいが今の時代と離れているということだったか。それでも久しぶりによい小説を読んだ。

2014年9月20日(土) くもり
彼岸の入り。
一日曇り。雨が落ちないだけは墓参の人たちにもよかった。朝も夕もひんやりとする。靴下を穿こうかなという気持ちにもなる、穿かなかったが。早起きして映画など見て5時から朝の勤行。終わって今日と明日当番の、獣除けの柵の扉の開閉当番。6時に開けに行く。9月までは閉めるのは午後7時。先日買ってきた本を読む。井伏鱒二、幸田露伴、上林暁の3氏の釣りに関する小品。幸田露伴のものは落語を聞いているように面白く読んだ。上林氏のものもするするっと、それでも路地を歩いて見知らぬものを散策するような気持になって読めた。古の人たちの書いたものなどほとんど読むこともないが、面白く読ませていただいた。今日も、彼岸花を写真に撮る人なども訪れている。

2014年9月19日(金) 晴れ
彼岸花。
明日から彼岸である。墓地はもうきれいになっている。参道わきの畑の草を少しむさくるしくないように刈る。畑は来月もう一度冬を前に最後の草を刈る予定。午前中境内に咲き始めた彼岸花を写真に収める高齢者が3人ほど来る。三脚を持ってみなそれなりのカメラマン風。大ケヤキの下に一つ二つと咲いている彼岸花を撮ろうと、三脚を倒して低くして自らも腰をかがめてファインダーを覗いている。僕はこんなことはしないが、夕方前に彼岸花を写した。英国からの独立の賛否を問うスコットランドの住民投票の結果は独立を否決。

2014年9月18日(木) 晴れ
彼岸前の草刈りの日々。
一日草刈りをするのでなく、毎日少しずつやっている。映画を見たり本を読んだりしていると、草刈りは気分転換にはいい。ただこの時期とてもやぶ蚊が多くて参る。頭を刈った後をさされると、さすってみるとあちこちボコボコになっている。小学校の運動会が今月末の土曜にあるが、2学期が始まるとこの時期、運動会の鼓笛行進の練習が丘の上の校舎から風に乗って聞こえてきたが、児童数の減少でそれもできなくなったのだろう。もう何年も前から聞こえてこなくなった。それよりもう学校再編の関係でここはもう何年か後には学校がなくなってしまう。僕も子供たちも同じように運動会の鼓笛練習をしてきたが、学校そのものがなくなってしまうのだからどうしようもない。中学校を、町の南の地区の中学校に統合して一つの中学校にしてしまうという教育委員会案に、他地区から猛反発が上がっている。9月議会では、一中学校にする案は認めるが、その中学校の位置を再考すべきという採択がされたと聞く。みな全部が納得するというわけにはいかないだろうが、この辺りで手を打つかというくらいの案をぜひ示してほしいものだと個人的には思っている。
彼岸前でも墓参する人たちがいる。今朝も早くに町田の古地里さんが墓参に訪れた。コメリに草刈り用の丸刃と2サイクル用のエンジンオイルを買いにゆく。もう時季のすぎたサルビアが花のコーナーにあったが、来年は植えてみたいと思っている。

2014年9月15日(月) くもり
映画三昧。
4時過ぎに起きて、午後2時ころまで録りためたドラマや映画を見る。その後2時間半ほど彼岸前の墓地の草刈りをする。もう2日ほどかかりそう。一日曇り日。

2014年9月14日(日) 晴れ
快晴の日和を楽しむ。
諏訪の五つの酒造会社で行われている「くらもと古本市」に行く。家を9時15分に出て会場近くの上諏訪駅前の駐車場に着いたのがちょうど1時間後。中央道は三連休のお出かけ日和を同じように楽しもうという車が多かったが、こちらほぼずっと追い越し車線走行。舞姫、麗人、本金、横笛、真澄の五つの酒蔵に行ったのだが、残念ながら好きな酒を楽しむことはできない。李良枝の「由煕」「刻」の単行本と堀辰雄の文庫他1冊を買う。おおむね満足。駅前の食堂で昼食をとり、娘のリクエストでさらに足を延ばして松本へ。ここも3年ぶりくらい。女鳥羽川沿いを歩き、「ちきりや」なんかも定番でのぞく。以前来た時に入った蕎麦屋「野麦」は、今日も行列ができていた。こんなにいい天気でのんびりと休日を味わった。東京に帰るわけではないので、お帰りの大渋滞に遭うこともなく、5時過ぎには帰ってきて、大相撲の初日の大関横綱の取り組みを見て晩酌。

2014年9月12日(金) 晴れ
暑くなる。
夕べここでも9時過ぎから1時間ほどものすごい雨が降った。風がなかったのでよかったが、雨量は相当にあったはずだ。それでもこの雨、このあたりでも降ったところと降らなかったところがはっきりとしているようである。確かに夕べNHKの雨のニュースを見ていたら、この辺りが相当に強い雨が降っている地域の色にはなっていたが、この雨も局地的であったとは。おかげで今日は朝から好天で、気温も上昇した。午後3時ころから寺の駐車場で、南アルプス、鰍沢、南部の三警察署の合同訓練が行われた。犯人が車で国道52号を下っていくという設定で、最後に寺の駐車場に逃走車を追い詰めて犯人の身柄を拘束するという実戦さながらの訓練である。一部始終を見学させてもらった。彼岸の塔婆を書く。

2014年9月11日(木) くもり
9.11ということで。
アメリカ同時多発テロ事件から、もう13年がたつ。東日本の震災から3年半がたつ。9.11ということで、今朝はいつもより濃く朝のお勤めをして、僕なりの供養もする。ニュースを見ると北海道で大雨だという。それにしてもいやな事件が多い。盲学校の女子生徒が蹴られたという。盲導犬が射されるという事件もあった。昨日ネットに、中国からの留学生が帰国するに当たり日本での生活のことを書いていた。店で買い物するとどこでも、「ありがとうございます」と深々と頭を下げられたとか、アパート暮らしだったが、遠方へ出かけるとき以外は施錠をしなかったが、何も起こらなかったと書いていた。最近はヘイトスピーチがあからさまに行われるようになってもきている。実に嘆かわしい。この島国の民は、もともと穏やかで、感情の起伏も激しくなかったのだろうと思うのだが、こういう先鋭的な輩が幅を利かせてきている。自然災害も極端すぎるくらいなものが多い。よくわからんが、自然も民も相当深い悩みを抱えてきているのかもしれない。午後母を訪う。相変わらずだ。歩行が容易にできなくなり始めているので、フロアでは多分同じ場所に毎日座り続けているのかもしれない。こっちを見て笑ってばかりいる。言葉はほとんど出ない。あまり時間の進みは早くはないようである。

2014年9月10日(水) 晴れ
裏山歩く。
午後裏山を久しぶりに歩いてきた。大雪の後一度くらいは入っただろうか?記憶にない。大木の枯れ木が存在感たくましく何本も林の中に倒れている。獣が歩いたり、引っ掻き回したりした跡がおびただしい。名前もわからないキノコがたくさん顔を出している。何度も蜘蛛の巣に顔面から突っ込んでしまった。それでも裏山は静かでひんやりとした感がある。下りてきてから護摩木作る。

2014年9月8日(月) くもり
十五夜。
午前中歩いた後、十五夜なのでススキを採りに行き、中沢川にあった蒲の穂も2本採ってきた。その後ツツジ、アナベル、花ウメの挿し木して育てた苗を墓地のいいところにおろす。うまく育ってくれるといい。雨が続いたりしているので植えるにはいいかと思った。あと、配水池に行く山道の端にあったホオズキを何株か抜いてきて庭に植えた。午後久しぶりに出かけたい気分になってブックオフまで行ってきた。文庫本の100円コーナー専門なのでここをじっくりと見た。ミステリーなど16冊。TOM WAITZの1stと3rdアルバムも買う。今夜月は見られるかどうかわからないけど、何となく、トムでも聴きながら、月を眺めて一杯やりたいってな気分になった。

2014年9月4日(木) 晴れ
梨。
埼玉の従姉から梨を送ってもらった。毎年送ってくれる。夕方お礼の電話を入れる。「あー届いた。みな元気?変わりない?」というのが、ほぼ毎年の定型句だ。こちらも同じことを繰り返す。母の様子なども知らせる。水を多く含んだ梨を夕飯後に食べる。さっぱりとしておいしい。「仏さんにもあげてね」といわれたが、女房がこういう頂き物はいつも真っ先に客殿の本尊と位牌堂に供える。歳の離れた従姉達とほとんど会う機会もないのだが、向こうは実家近くに住む僕らのことを気にかけてくれている。娘は今朝早く起きて錦織圭の準々決勝を見ていた。テニスの試合はとても試合時間が長い。二人が勤めに出た後も僕は試合を見ていたが、最後は見なかった。お昼のニュースで勝ったことを知った。梨の皮をむいて食べさせてくれるような人が彼にはいるのだろうかと考えた。

2014年9月3日(水) 晴れくもり
サルだらけ。
ここ数日サルがすごい!サルだらけで、奴らの臭いが充満している。幼いサルも一人前に物を盗る。柿の小さな青い実や、栗のまだ青い実も皮をむいて食い散らかしてある。夕方も遅くまで居て、時々威嚇するような吠え声をあげる。おそらく20匹以上で集団で一日中いるので、いくら威嚇しても奴らにはどこ吹く風である。人間はなすすべもなくため息をつくばかりである。集落道には、柿や栗の食べ散らかしがおびただしく散らばっている。昨日NHKで、サルに発信器を付けて群れに戻し、その行動を調べながら、その群れの行動予測を住民に知らせているところがあるのを見た。ここでもこういうこともゆくゆくは考えていかなければならないのかも。

2014年9月2日(火) 晴れ
暑くなる。 天候が回復して午前中から暑くなった。まだこのくらい暑い方がいい。隣の歴史民俗資料館を訪れる客もあった。風が爽やかに吹くので本を読むにもちょうどよかったし、昨日から、Phil Lesh & Friendsのライブを流していて、これが何とも心地いい。日曜に来た坂本さんが滝から帰ってお茶を飲んでいると、「音楽が心地よくて眠くなってしまう」といった。その時流れていたのは、The Other Ones。Jerry Garciaが亡くなって、DEADマイナス1になったグループが、何人かのギタリストをゲストに呼んで活動したバンドだ。DEADから続く音楽はまさにその表現が「たゆたう」という感じだろうか。明日もまあまあの天気のようだ。

2014年9月1日(月)
9月の始まりは雨。 一日ザンザン振りの雨。ニュースじゃ広島がまた雨だとか。土砂災害の復旧がちっとも進まないという。雨の多い夏でこれから野菜の値段が高騰するという。山じまいをした富士山も今年は登山客が大幅に予想を下回ったとか。雨のせいだ。9月に入ればこれから台風の来ることが気になる。去年も雨風の強い台風でケヤキが大きく揺れて恐ろしかったなと思いだす。


2014年8月31日(日) くもり晴れ
八月晦日。
八月も今日で終わり。暑い日もあったけど、去年に比べたら天候の不順な日の方が多かったように思う。今年は池の水が干上がってしまうというようなことはなく、水位も下がらずに満面に水を張っている。午前7時から防災訓練。組長なので人員報告やお茶配りなどする。例年7時からでも天気が良ければ日陰が欲しいところだが今朝は暑くなく良かった。11時前に甲府から壬生さん、坂本さんが見えて、3人で早川の大塩の滝に行く。貴永さんが八日市場から飯富で右折する間にすれ違ったとかで壬生さんの携帯に連絡くれる。身延に行った帰りだなんてよほど早く出てきたのだろうな。滝に着くとちょうど曇っていて褌一つになると滝からの飛沫が吹いてきてちょっと寒いくらい。気合を入れて滝壺まで歩く。入ってしまえば心経唱えて寒さなど感じなくなる。実際水の中は冷たくない。それでも雨が多かったせいか、水量も豊富で水の勢いも強い。だんだん水に押されて壺から押し出されていく。初めての坂本さんも十分に堪能してくれた様子。南アルプスプラザで昼食をとって帰る。『MOZU Season1 〜百舌 の叫ぶ夜〜』の7〜10話(最終話)まで観る。なかなか見ごたえがあった。ブルーレイに残しておく。

2014年8月29日(金) くもり
涼しい。
護摩壇の掃除と本堂の掃除。来月用に次の護摩の準備もしてしまう。暑くなくていい。仏器も汚れの目立つものは今日は磨いてもみた。読書をして午後3時過ぎから畑の草を刈った。ミニトマトとオクラとナスが植えてあるが、ここのところの雨続きで、野菜と草の区別がほとんどつかない状態になってしまった。久しぶりに草刈り機ふるって、外も涼しいし気持ちがよかった。

2014年8月28日(木) くもり時々雨
護摩を焚く。
八月の護摩を焚いた。毎月28日に護摩を焚くとその月が終わるなぁということを実感する。無事にひと月を終えることができて、次の月も無事にあればいいなぁと願う。八月もこの小さな列島であっても各地で痛ましい出来事は数多く起きてきた。そういうことへの思いと、それから今日は山尾三省の命日でもあり、三世の永遠の魂が静かにあることと、彼の死出に旅立つときの思いでもってこの国の愚かなことを幾分鎮めてほしいことも願った。9時半から修法に入ると、おそらく10時過ぎくらいに連絡をもらっていた静岡の成田さんが到着。護摩に参座してもらった。護摩が終わって本尊にお参りしてもらい少し護摩のことをお話しすると、護摩を見たのは初めてだという。まあなかなかこういう機会に出会うチャンスはないのだと思う。彼のためだけに護摩を焚くとしたら、向こうもそれなりに支度をしてこなくちゃならんということもある。例月28日の護摩という機会にできれば、多くの方々に参座してほしいと思ってはいるのだが。一日雨が降ったりやんだりの天気。
尹興吉(ユン・フンギル)の「母(エミ)」読了。長かったが、中上健次に乞われて書いたというこの小説を、中上の逝ったこの月に読んで哀悼したかった。尹氏の小説はもう何冊かamazonで買ったのでこれからぼちぼちと。

2014年8月27日(水) くもり
今日は一日涼しかった。
もう夏は終わったなと実感できる一日だった。雨が降ると嫌だったので、お勤めを終えた6時過ぎから護摩壇の荘厳も済ませてしまう。といっても大体できていたので、護摩に使う樒を採ってそれぞれに供えたり切ったりなど。久しぶりに東海師訪れ、七壇法加行の話などしていく。録っておいた『北のカナリアたち』を観る。吉永小百合はいいな。北海道の雪の中の情景に夢千代さんが重なってきた。「夜になって、ゆき....」か。
明日の護摩は一人だと思っていたら、メール開いたら静岡の成田さんから届いていて、明日こっちに来るというとのこと。彼の来る時間に合わせて修法を始めようと思う。お不動様も喜ぶ。


2014年8月25日(月) くもり
8月も最後の一週間。
3時半過ぎに起きてwowowの連続ドラマ「変身」(東野圭吾原作)の最終回を見る。4時になったら外は雨が降りはじめたが午前中の早い時間には上がる。このドラマに主演した神木隆之介さん、恋人役の二階堂ふみさんの二人もとてもよかったが、真相解明に奔走する刑事役の村上淳という俳優もよかった。お昼近くに東京から平山実さんご夫妻墓参に見える。このお二人は本当によく墓参りに来てくれる。お母さんの命日が昨日だったということもあるが、お帰りになった後供養塔婆を書く。夕方お勤めをして戻ってくると電話が鳴り取ると、「真言宗のお寺に提案させてもらいたい」という冒頭の話。この手の電話は苦手で相手にしたくない。結構ですというと、「お盆が済んだばかりでお疲れでしょうが、一休みしておられる頃でもあるかと、ご提案させてもらいたいものが云々」と引き下がらない。短気になるのもばかばかしいので、「結構です」を再び繰り返して受話器を置く。かけてくる側は寺院規模というものを実際に把握してかけてくるわけではないので、一方的に責めることはできないが、到底この手の「ご提案」ものになんぞ乗れない僕の寺である。

2014年8月23日(土) くもり時々雨
今日はだいぶ過ごしやすかった。
娘も休みでのんびりとした休日の始まり。まあ僕には休日という概念は当てはまらんが。6時前には勝手に朝飯を食ってしまう。インスタントラーメンを食いたくなった。雨が屋根をたたきはじめて涼しい一日の始まりになる。映画を見たり読書をしたり、ジェリー・ガルシアのアコースティックバンドの届いたCDを聴いたりする。夕方3人で焼き肉を食べに出かける。昭和の「ホルモン問屋 肉番長」。ここ2回目。去年娘が一度ここで夏のボーナス後にごちそうしてくれた。ホルモンを中心に僕は食う。やっぱり油が下に落ちる焼肉はうまい。堪能した。だいぶ涼しく感じた一日で、こうして夏が終わってゆくのだなぁという思い。

2014年8月22日(金) 晴れ
暑いけど出かけてきたのである。
10時から後山の墓地で、遠藤家の墓地移転のための発遣作法。脳天に残暑がビームのように射す。山の中の共同墓地の道も狭く荒れている。石塔だけだが、運び出す石屋さんもこの後は大変そう。引き返して寺に戻り、移設して墓地を建立する場所で地取りを修法する。これにて一件用事を済ませる。11時半過ぎに飯富の石材店に行き、頼まれて彫ってもらった佐野家の石碑への戒名の彫りの代金の立て替え払いに行く。出してくれる冷たい飲み物にどうしても手が伸びて飲み切ってしまう。お昼前に出発して明野へ向かう。途中増穂の回転ずしに立ち寄り昼食。ギョッッ!!凄い混みよう。10分ほど待たされてカウンター席に着く。着けばさっさと食いたいものだけ注文してひたすら食う。平日は90円なのだそう。学校の夏休みも今秋で終わりなのだろう。家族連れも多数。土日はもっと混むんだろうな。行藏院・玄法院ご住職と、韮崎IC近くのセブンイレブン駐車場で合流して明野の寶前寺に向かう。いくつかの頼みごとと確認事があったがとりあえず今日はすべて良い方向に話が進み解決。明野はうちよりは涼しく感じられた。古いお堂には護摩壇もあり、修験者の暮しが偲ばれる。ここも現当主は僧籍を持たず、宗教法人のみ維持している。ここから法縁の寺金剛寺跡も訪ねた。ここは僕は2回目。残暑の中今日は一日外を歩いた。二人と、31日に早川へ滝行に行こうということになった。

2014年8月20日(水) 晴れ
残暑、酷。
酷い暑さだ。ここではこんな風に、命にかかわるほどではない暑さのことを言うだけだが、この狭く小さな弓の島にあっても、住む場所が違えば自然環境も違って、大雨による土砂災害に見舞われて多くの方が亡くなっている。民間軍事会社の人間が、イスラム国という組織に拘束されたというが、こういう人は自己責任というほかないのじゃないだろうか。本来紛争は当事者同士で解決していかなければならない。第三社がここに介入すれば、その争いの種は横に無駄に広がっていくだけである。米国がそのいい例ではないか。自国で黒人社会との関係悪化が急浮上する中で、拉致されたジャーナリストを米国への見せしめとして処刑する映像が流れたそうだ。自らの国をただすことをないがしろにして、外の国のことに口を出すなど愚かしいことだ。僕のあまり好きではない「ボランティア」はこういう範疇に入るのではないかと勝手に思っている。暑くていろんなことを考えるのも億劫である。

2014年8月19日(火) 晴れ
残暑だ。
暑い暑い。家の中で本を読むのも苦痛となってくる。午前中の内に読書をする。後山の遠藤家の墓地の移転が決まったので、金曜に墓地の発遣と寺墓地の地取などすることになった。午後その準備で幣など作る。

2014年8月17日(日) くもり
秋の風情。
七月は暑かったが、今年の八月は暑い日が連続しない。去年は池の水が干上がってしまうような危機にもあったのに、今年はほぼ満水を維持している。立春を過ぎて朝は秋を感じる。夕暮れも幾分か早くなってきた。ごろっとしていると、父の教え子であった常葉の池田さんが、高校時代の友人3人を伴って訪ねてくれた。父の墓に参ってくれたのでビールでも飲んでいってくれないかと誘うと、「これから街に繰り出すので、お前もいかないか?」と逆に誘われるが、家族不在のために断わり、ひとりで缶ビールを飲みながら映画を見た。

2014年8月16日(土) 晴れ
護寺会。
午後2時から年に一度の護持会。盆の供養をしてから総会。8人の出席。こんなもの。護寺会長を新たに選出する。寺の行く末を思うと、僕自身がうつむき加減になってしまい、展望のない窄みゆくふさがりに行き着いてしまう。なるようにしかならない仕方のないものだと開き直ってみても、こんなに呑気な事を思っていて大丈夫なのかという気持ちにもなってくる。誰かこの寺を引き継いでくれる人が現れてくれるだろうか。

2014年8月15日(金) 晴れ
棚経終わり。
午前9時から残り三軒の棚経。伊沼の金岡家。居間に冷房入れて涼しくして待っていてくれる。後山の遠藤家二軒。超高齢のお母さんをもう一人で家に置けなくなったと、娘さん方が話してくれる。僕の棚経の後にケアマネが訪ねてくることになっていて、施設入所の方向で話をすることになっているとのこと。後山の墓地も寺の墓地に移転して建立することも決まった。もう一つの遠藤家。ここも奥さん一人になり、去年の暮れから実際にはもうここに住んでいない。盆だけ帰ってきて家を開けているが、盆が終わればまた息子さんのところに行くとのこと。二軒二人だけの両遠藤家も、とうとう空き家になってしまうようだ。車で山道を下りながら、もしかしたら僕がここに来るのも最後になるかもしれんなぁと思う。盆と正月に30年くらい来た。さびしいことだけれど、新しい家族の生活がまた新しい場所で始まっていることを考えれば仕方がない。午後、昨夜の納涼会の後片付けを手伝い、あとはのんびりとする。

2014年8月14日(木) くもり
棚経、外回り。
午前7時15分出発。天気は曇り。本栖道をあがり、中之倉のトンネルを抜けて本栖湖に出るが、天気が悪いので富士は見えない。ひんやりとした湖畔を走り富士ヶ嶺に向かう。気温は20度。霧雨が舞い始めた。遠藤家で盆の供養をし、見えない富士に向けて法螺貝を立て市川から甲府方面へと下る。都合が悪いという家がありいつもより早かったので、頑張って早目に甲府での経を済ませたいと思う。午後2時過ぎに寺に戻り小便をして後半に出る。下山、身延、飯富をまわり4時半ごろ終了。残すは明日3軒だけ。夜になって雨が上がったので、広場での納涼会は予定通りにある。一日の疲れがあり、今年も祝儀だけ届けてうちで飲んで過ごす。本山から今年の宗費の全額免除の決定通知が来ていた。ラッキー!!

2014年8月13日(水) 晴れ
盆。
昨日の夕方雨が上がってそのまま今日になったので、盆の紙幡も雨で落ちることなく残ってくれた。何より、ご先祖様をお迎えに来る人たちの墓参に支障がないのがよかった。東京から古地里さん母娘も早い時間に訪れてくれた。厳しい暑さでもなくちょうどいいほどの盆の始まりになった。午前中に墓参を済ませ、午後1時から村内の棚経。時折雨がぱらぱらと舞ってきたりして、自転車で回るのをいくらか心配させたが、終えることができた。冷たいお茶やビールをいただきながら、短い時間ではあっても家族と話をしたり。みな普段静かに暮らしているので、用でもなければあって話を交わすことも少ない。静かな家もあれば、帰省客でにぎやかな家もある。どの家も同じように富士川からの風が開け放たれた窓を吹きぬけていく。同じ時間が流れてずっと昔からのこの集落のままなような盆ではある。汗をかいた着物を脱いで解放されてビールを飲んで終わり。明日は車で長い一日になる。

2014年8月12日(火)
雨が続く。
日曜から月曜の朝型にかけて台風が来て去ってゆき、昨日の朝まで雨と数が少し残り、昼前からは台風一過の好天気となったので気温も上昇し、盆の紙幡を立てる笹竹を裏山からとって墓地に挿すことだけしておいた。今朝4時前に起きて5時ころにお勤めに行こうとしたらザーッと激しい雨が降ってきて、客殿で理趣経をあげて、雨脚の収まった時間に本堂で勤行した。結局一日雨で、ようやく雨が止んだ4時半過ぎから、墓地へ紙幡を付けに行ってきた。今週末まで天候は不順のようで、雨の棚経は気が重い。暑いのも嫌だが、雨の中の檀家回りは蒸し暑さといやーな汗をかくので好きでない。午後定期受診で飯富病院。二晩泊っていった息子は盆中も仕事があるということで今日相模原に戻った。昨日は女房と母のところへ行ってくれたが、もう孫のこともわからなかったようだ。天気が好転してくれることを願いつつ。

2014年8月8日(金) くもり晴れ
雨の降りそうな気配はなく。
午後からこの辺りは降ってくるかもしれないという予報もあったので、ちょうど畑の刈り草を燃してしまうには都合がいいので、7時前から作業を始めた。しばらくすると雨が落ち始め、これは午前中に雨になるのかなと思いながら続けていると、空は曇ったり陽が射したりと、女心のように肩透かし。作業は無事済んで、おかげで随分ときれいになったのだが、結局今書いている午後5時半を回った今、空は青空が広がっている。天気予報を見ると明日も曇り一時雨程度で、日曜が雨の予報である。雨が欲しいなぁと思ってもうまくはいかない。

2014年8月7日(木) 晴れ
暑い。
連日、連連日暑い。それでも明日から月曜ごろまで天候は台風の影響で崩れる予報であるが、明日になってみないとわからない。午前中池の端に毎年のごとく盆の幡を立てる。護寺会総会に向けて資料を作る。中上健二の「鳳仙花「読了。彼もまた8月が死亡月なのである。文庫本のあとがきに、韓国の作家「尹興吉(ユン・フンギル)」の著作のことが書いてあったので、アマゾンで探して手に入る三冊を注文した。娘は昨日夜遅くヒロシマから帰ってきた。もう今朝は通常出勤である。雨の降る式典に参加して、彼女なりにもまた考えることがあったろう。ヒロシマを語り継ぐ人らが年々少なくなっているという。これは考えれば当たり前のことで、語り部がかりに居なくなっても、こういう出来事をよしとする人はいないであろうということを信じていようではないかというのが僕の思いだ。

2014年8月5日(火) 晴れ
暑い暑い。
今朝も6時半過ぎから残りの畑の草刈りを始めたのだが、8時を回ったころから今日は陽射しが徐々に強くなってきて、一度水分補給をして再開し、もう残りが15分ほど頑張れば終わってしまうな程度になったのだが、ここでどうにも踏ん張りが利かず、暑さにノックアウトされて家に逃げ帰る羽目となった。昨日おとといあたりがそうでもなかっただけに、今日の暑さは格別だった。結局今午後5時を回ってもとても外に出て草刈り作業をするような陽の陰りも見えないので、もう今日はあきらめた。護寺会の会計のまとめをしたり、屋根の修理代金の振り込みなどに行ったりした。小保方さんの上司が自殺をしたニュースが入った。研究者といえども、ひとりの人間としてはみな弱いところを持っていて、それからどうしようもなく孤独であったのかもしれない。どうしてこれを回避する手立てがなかったのだというような、悲しい事件が目立ち始めているのが暑い暑い日には腹に重い。

2014年8月4日(月) 晴れ
外出。
寺の仕事で外に出ることもほとんどないし、何もなければ家で過ごすことがほとんどだ。出不精にもさらに拍車がかかってきた。それでも昨日は車の6か月点検で2時間ほど外に出た。今日も二つの用事で外出した。今朝は3時起き。娘が勤めの事業所の動員で今日から6日までヒロシマに出発するため、僕もちょっと早いが起きてドラマなどを見た。お勤めをして朝飯を食って、6時半から畑の草刈りを始めた。左側の1枚を9時半ごろまでかかって刈った。今日も厳しい陽射しがなかったので、結構外で頑張れた。午後、三珠の光勝寺ご住職の葬儀に行く。途中香典を忘れたことに気づいて女房に途中まで持ってきてもらう。焼香を済ませて引き揚げようとすると、「石田さん、時間があれば随喜ということで残っていってください」と副住職に言われ、最後まで式に参加した。高野のご僧侶方とご一緒するのも最近はほとんどないので、なんか久しぶりに新鮮だった。葬儀を終えて、初七日にもという言葉もいただいたが、妹の嫁ぎ先の寺に行く予定があったので早々にまた戻ってきた。3時半前に内船寺に着く。位牌堂で前住職の新盆の供養の経をあげる。雑談を交わし帰ってくる。午前中に、庫裏客殿の屋根修理のために組まれた足場の撤去が終わり、2月の雪害のことがやっとこれできりがついた。

2014年8月2日(土) 晴れ
蒸し暑い。
夜半に雨が降ったようで朝方はとても清々しいはじまりだった。日中あまり陽は出なく、気温もさほど上がりはしなかっただろうが、とても蒸し暑く感じた。11時に所沢の遠藤さんがこちらへの帰省のついでにということで、新車の安全祈願を頼まれてした。お布施や肉のお土産までいただいてしまった。お茶でも飲んでいってくださいと誘ったが、道路の渋滞で時間がかかってしまっており、曙の親せきの家に行く約束時間をすでに過ぎているとのことで早々に帰っていかれた。
GRATEHUL DEADを先週末からたくさん聞きはじめていて、そうだな、ガルシアも8月に亡くなった人だったのだ。「Swing Low, Sweet Chariot」という黒人霊歌が好きなのだが、Deadの演っている音源を見つけた。それから、ジェリー・ガルシアのブルーグラスのバンド「Old & In the Way」での「Swing Low, Sweet Chariot」も見つけて、どちらも落とすことができた。夏の日に十分な頂き物をした。ガルシアは天国でバンジョーを鳴らしている。
「Swing Low, Sweet Chariot」
Swing low, sweet chariot,
Coming for to carry me home,
Swing low, sweet chariot,
Coming for to carry me home.

静かに揺れる 愛しのチャリオット
僕を迎えに来る
静かに揺れる 愛しのチャリオット
故郷へと運んでおくれ

I looked over Jordan, and what did I see?
Coming for to carry me home,
A band of angels coming after me,
Coming for to carry me home.

ヨルダン河に見たものは
故郷へと運んでおくれ
舞い降りる天使の群れ
故郷へと運んでおくれ

If you get there before I do,
Coming for to carry me home,
Tell all my friends I’m coming, too.
Coming for to carry me home.

もし先に着いたのなら
故郷へと運んでおくれ
僕もすぐに行くよと伝えてくれ
故郷へと運んでおくれ

I’m sometimes up and sometimes down,
Coming for to carry me home,
But still my soul feels heavenly bound,
Coming for to carry me home.

時には浮き沈みがあっても
故郷へと運んでおくれ
僕の魂は天国と繋がっているんだ
故郷へと運んでおくれ

The brightest day that I can say,
Coming for to carry me home,
When Jesus washed my sins away,
Coming for to carry me home.

最も人生で輝かしい日とは
故郷へと運んでおくれ
神が全ての罪を拭い去ってくれたときだ
故郷へと運んでおくれ


2014年7月31日(木) 晴れ一時雨
それでも小一時間ほどは降ったか。
午後4時過ぎたあたりからゴロゴロと雷の音がして、やがて空がうす暗くなり、ぽつぽつと雨が落ち始める。午前中に墓地で切り倒したカツノキの丸太を涼しくなったのでチェンソーで護摩木用に切っているところだった。何週間ぶりの雨だっただろうか?記憶にない。短い時間でも、もっとザーッと降ってくれたらいいのに、何せここはお不動様が雨が嫌いだという言い伝えがある。小一時間も降っただろうか?駐車場にも水たまりはできてはいるが、土に十分な水を施してはくれない雨だった。蝉しぐれが聞こえ始め、醍醐山に虹が薄くかかっている。十分に体を冷やしてはくれず、蒸し暑さがやがてやってきそうな気配である。7月もこれでしまい。

2014年7月29日(火) 晴れ
暑い。
明け方はいつもより冷たく感じた。録画してあったドラマを半分ほど見て朝の勤行。朝食後にドラマの続きを見て、8時前から日曜に刈った墓地の草や、山側の雑木を切ったものを焼却した。10時近くまでかかった。でもまあこれで墓地もきれいになった。植えてあったアジサイの苗が2本ほど草刈り機でスパッとやられてしまったのが残念。僕もこれを時々やってしまう。花梅の挿し木苗が30センチほどになっていたのを、うっかり刈ってしまったり。気がついて止めようと思っても回転している刃が苗に引き寄せられてしまうような感じがある。昼食後に、少し本を読んでから意を決して本堂の掃除に取り掛かる。だらっとしてしまえば、午前中の作業だけで終わってしまうが、先延ばしにしても掃除しないわけにはいかないので。4時前までかかって護摩壇をきれいにし、本堂を掃除し、仏器を洗い、次の護摩の準備や香盛りなども済ませてしまう。風がいつもより強いが、暑い日には変わりなし。

2014年7月28日(月) 晴れ
不動護摩と滝行の日。
あいにく東海師が同行できなくなったが、行藏院ご住職は予定通りに来てくれて早川の大塩の滝に入ってきた。その前に僕も行藏院ご住職も朝早くに不動護摩を一座それぞれ修してきた。連日暑いので、この時期は護摩焚くのが汗との戦いなのだが、今朝は大粒の汗をかくこともなく、僕の方は9時前には終了した。予定通りの10時半に出発し、11時に車を停めて林に入る。下見をしてあったので、歩きはすいすいと。お不動様前のシメを張り替え、新しいお神酒を供え、線香を立て二人で般若心経と不動真言を唱えて御法楽をする。その後滝へ。滝壺から冷たい空気が漂ってくるが水に入るとそんなに冷たくはない。ここは水が冷たくないので、いつまでも入っていられそうなのだが、上から落ちてくる滝の勢いが強いので、滝に近づくほどに強く押し流される。踏ん張りながら心経など唱えたのである。滝を出て法螺貝の練習をし下山、アルプスプラザという食堂でラーメンを食べて帰ってきた。天候も良く滝の行というよりか、夏の水浴びを楽しんだ感の方が僕は強かったかもしれない。この夏まだ2回くらいは足を運びたいと思う。
初めて
YouTubeに動画をアップしてみた。こちら

2014年7月27日(日) 晴れ
草刈り。
朝7時半から護持会で墓地の草刈り。お盆前の7月の最終日曜を毎年護持会の草刈り作業にしている。7時半ではもう真夏の日差しが始まっている。甲府周辺から来てくれる方たちも6時半過ぎには来てくれるので、来年からは7時作業開始にすることにした。大勢で作業をすれば草刈も実に早い。一人では2日くらいかかる墓地も、正味1時間ほどで終わってしまう。ブンブンブンと、夏空に草刈機のエンジン音が轟く。この轟音が雨を誘ってくれたらいいなと思う。途中で水分補給の休憩を挟み、9時過ぎには作業終了。今日も一日気温はグングン上がり、何度も水浴びをして、体を冷やしては本を読んだり、昼寝をしたりする。WOWOWで東野圭吾の小説を映画化した「白夜行」「手紙」の2本を見た。「白夜行」の堀北真希もよかったけれど、「手紙」の沢尻エリカもとても印象深く良かった。彼女はとかくスキャンダラスな面が先行してしまっているが、「パッチギ」にしてもこの「手紙」にしても、おとなしく深く演ずるという役柄に、彼女の役者としての力が現れるようでよかった。

2014年7月26日(土) 晴れ
暑い暑い。
怠惰にごろごろしていたら、ただ太ったおっさんが汗したたらせて一日終わってしまうので、8時から10時半までこぴっと草刈りをした。竹林の周りの草を刈りここはこれで良し。もう7時過ぎから陽射しがあるので、8時からの2時間半はもう限界ギリギリのところだ。途中一度休んで500mlスポーツドリンクを飲み干す。もうこれにて一日の外作業は終わり。今日は少し風があったので昨日よりも過ごしやすい。午後からは昼寝と読書。3時過ぎから護摩の準備。夕のお勤め。

2014年7月25日(金) 晴れ
連日猛暑。
とにかく暑い。台所兼居間のクーラーを使い出したら、毎日午後になったら入れずにはいられなくなった。それでもお寺の建物は天井も高く風もよく通るので過ごしやすいので、僕は読書をするに庫裏の畳に寝転んでGrateful Deadを聴きながらメージを繰ったり、午睡に落ちたりする。午前中東海師来山。厚さを乗り切れと飲み物をお供えしてくれる。午後3時半から夕のお勤めをし、午後4時過ぎから1時間半ほど草刈をする。本堂の裏を刈った、ここはこれでよし。

2014年7月23日(水) 晴れ
暑い。
毎日暑いのだから仕方がない。朝の暑くならないうちにと心を決めて外に出る。アジサイの残っていた花を切って剪定した。これでアジサイも終わり。増やしているが、増えれば後始末や来年に向けての剪定に手間がかかる。ほどほどのところがいいということだ。他人の手を借りてまでアジサイの寺にしたいような思いはない。そして風が穏やかなうちにラウンドアップ(除草剤)も参道から駐車場、境内と撒いた。畑の草はお盆までまだ日数があるので8月に入ってからかろうと考えている。上求寺の貴永とお母さんが桃を毎年のごとく届けてくれた。午前中作業して午後は読書。

2014年7月22日(火) 晴れ
今日も暑い。
午後母の入所施設に利用料の支払いと面会に行く。施設は温度が適正に管理されていてとても過ごしやすい。母は先月から、自分で立ち上がって歩く出すことができなくなり、車いすで移動するようになっていた。体の調子や会話などはまあまあいつもと変わらないようで安心した。生きている時間だけがまごうことなく母の上に刻まれているようだ。

2014年7月21日(月) 晴れ
暑い。
昨日少し雨があったせいで、湿気が残っているのか異様に暑く感じ、午後からは我慢がならなくなって台所でクーラーを入れて映画など見て過ごした。昨日お昼過ぎに従兄のタカシさんが親戚の法事に出席するために来て、今回はうちに泊まるということで、ちょうど母娘は東京に泊まりで出かけたので、昼間に缶ビールを飲みながらカレーを食って、四国の歩き遍路を何回かに分けてしているという兄を誘って、夕のお勤めも本堂でした。夕刻より再び夕飯ということで飲み始める。先ずビールで、その後ウィスキーに替えてロックで1本空にして、最後は日本酒を飲んだ。このあたりから記憶が怪しいが、しっかりと洗い物もして食滝もきれいに片づけてあった。5時過ぎに獣除けの扉を開けに行き、お勤めを済ませる。ゆっくりと起きてきた従兄はスープだけでいいといい、午前9時に飯富の法事のある家に送る。二人でこんな風に話をしながら過ごした機会なんてなかったので楽しかった。もう60を過ぎた従兄と、58にならんとする僕である。

2014年7月19日(土) くもり
屋根修復終わる。
瓦屋さんがもう朝6時には来てくれて、外から屋根を眺めたり、足場をあがったりしてくれていた。職人が不足していて、今日内に来てくれたのは静岡からきている二人だった。土曜で明日が休みなので、うちの屋根を直してから静岡に帰るということで社長からの指示が出されていたようだ。職人さんたちは9時に来て作業をはじめてくれた。あいにく曇り空でいつ降り出してもおかしくないような天気だったが、午前中いっぱいは少し雨が落ちてはきたがもってくれた。庫裏・客殿の瓦の差し替え。雷が遠くでゴロゴロ鳴ったりしているので、こちらも進捗が気になったが、午後1時過ぎには全部終わったと帰っていった。これで2月の雪の被害の修復は完了。足場の撤去は、これまた足場屋さんの都合次第なのだとのこと。午後5時を過ぎて雨がまた降りはじめた。大した降りではないが、すずしい。一昨日から新しいロープを買ってきて、柿渋で色を少しつけたものを貝之緒に仕上げている。去年作った時より慣れてきたので、早く作れるようになった。左右の対称に仕上げるのがちょっとコツがいるが、何度か繰り返すことが上達の道になる。縄のほどける先端も、玉糸できつく縛っておけばいいようだ。

2014年7月16日(水) 晴れ
すこやかセンターに行く。
「臨時福祉給付金」が息子の扶養になったのでもらえない者と勝手に思い込んで書類を捨ててしまったのだが、親切にも担当者からお電話をいただいて、貰えることが分かった。それも、妻と息子までもらえて3万円も。朝いちですこやかセンターに行って手続きを取ってきた。消費税の引き上げにより、「所得の低い方の負担を緩和する制度」なのだが、それでも安倍さんは嫌い。こんな一時的な措置になんか騙されはしない。でも貰えるものは貰っておく主義だ。
今日も気温がぐんぐんと上がる。その親切な職員さんから、町内で草刈りをしていた人が日射病で倒れて亡くなったという話を聞いた。「あんたも気をつけなよ」と言われた。東海師顔を見せに寄る。法螺貝の音が少しずつ出るようになってきたとか。早朝と夕刻にアジサイの剪定をする。

2014年7月15日(火) 晴れ
滝に打たれに行く。
早川の大塩の滝に行ってきた。去年の夏以来であったので、大雪もあったし、道は大丈夫かなと少し不安だった。28日に行藏院のご住職と行こうという話になっているので、一度下見に行こうと思っていた。気温が今日もぐんぐん上がった。滝に入るには絶好の日だ。木道もしっかりとしていたし、下草もあまり生えていない。サンダルでも十分にOK。法螺貝を吹きながら歩く。滝の前のお不動様に挨拶と経をあげてふんどしに着替えてはいる。滝壺が相当深くなっていて、直立して僕の首くらいまである。滝のしぶきと厳かな雰囲気、霊気と森林浴に浸ってきた。写真

2014年7月14日(月) 晴れ
棚経二日目。
といっても今日は1軒だけ。八王子駅からタクシーで佐田家へ。ご主人を亡くして1年半たった奥さんから、まだ落ち着かない気持ちでいっぱいだというような話を聞く。沖縄出身だというタクシーの運転手から納骨の相談などもされる。今日もまた暑い日。八王子を11時半の電車で家に午後1時過ぎに帰り着く。

2014年7月13日(日) 晴れ
東京棚経。
東京へ盆の棚経に行く。6時3分発甲斐岩間からの電車で。八王子まで指定席。指定席はやっぱり快適だ。電車が空いていて、ひとりなので隣の座席は荷物置きになる。横浜線で町田に出て1軒目は藤野台団地の甲地里家。ふた家族8人で迎えてくれた。町田から成城学園へ小田急で移動。タクシーで多摩川べりの佐田家へ。少し天候が怪しくなってくる。ご夫妻とともに二子玉川へ出て駅ビルで昼食をごちそうになる。日曜の昼時でとても混んでいたので、比較的すいていたインドカレーのお店に入る。本場のカレーを食べることなんてほとんどない。ナンをカレーにつけて食べながら麦焼酎を飲むという掟破り風な昼食。渋谷から地下鉄で東大島の平山家。雨は大丈夫まだ落ちては来ない。ここからまた電車を乗り継いて池袋から東武東上線「ときわ台」の牛山家。90歳のお父さんはんだまだ元気でおられる。車でときわ台まで送ってもらって新宿へ出て中央線で国分寺へ。37年ぶりくらいで伯母の赤井家へ。伯父の新盆ということで寄った。ご家族の皆さん歓待してくれた。双子の従兄二人と八海山を一本空ける。時々テキーラなんぞもチビっとやってみる。懐かしい赤井家だ。大学に入った当初よくごちそうになりに来た。叔母はまだ元気だ。15日が誕生日とのこと。八王子で予約してあったビジネスホテルにイン。東京中を一日歩いてもうくたくた。

2014年7月11日(金) 晴れ
台風過ぎてぐんぐん気温上がる。
なんと暑い日だったか。間もなく梅雨明けの宣言も出るんじゃないか。朝から竹林に入ったりして全身汗まみれになる。本堂のあたりにサルを見たので畑に行くと、すでに遅く、初ナスをもごうと思っていたのも取られてしまっていた。獣対策のしていない、草ぼうぼうの畑なので、そんなに「くやしい!」という感情も激しくはわかないが、それでも何かこちらの思い通りにならなくて悔しい気持ち。工事安全の頼まれたお札を郵便局から送る。ちょうど農協から、お寺の分の雪害の保険料の振り込みがあったのでそれも記帳する。だいぶ護持会からの出費が抑えられそうだ。何度もシャワーを浴びたりするが服を着るとすぐに玉のような汗が流れだす。明後日の東京も暑いだろうか。

2014年7月10日(木)
台風。
母娘は今日から青森方面に2泊の旅行に出かけた。台風の影響の雨が一日降る。午前中に本堂を閉める。午後からは少し風も出てきた。本を読んだり、法螺貝を吹いたり、映画を見たりする。もうYouTubeに先日の葛城蓮華入峰の柴燈護摩の動画が投稿されていた。一人でのんびりはするが特別にそれが楽しいということもなく、早々に晩飯を食い、早く寝ようと思っている。

2014年7月8日(火) 晴れ
好天気。
8時ごろに宿を出て京都御所まで歩き、松屋常盤で松風を買う。壬生さんは4つ。僕が一押しですすめた。京都駅の地下街でお好み焼きで昼食をとり帰る。大きな台風が来ているという情報があるが、巻き込まれずに帰ってこられてほっとした。葛城入峰画像はここから

2014年7月7日(月) くもり時々雨
入峰。
朝食後6時半に三宝院玄関前に整列して駐車場まで列をなして進みバスに乗車。葛城山に向かう。午前9時金剛山登山口に着き、ここからロープウェイで上がる。20分ほど歩いて転法輪寺着。雨はそれほどひどくはなかったが、強風に見舞われた。合羽を着て蒸し風呂に入ったように汗をかきながら歩く。たぬきそばを食いながら朝配られたおにぎりの昼食をとる。午後1時前から巡拝して御法楽。葛木神社、行者堂、転法輪寺本堂に上がって。その後柴燈護摩。前壇の大祇師を今回の峰中門跡を務めていただいた田村内侍長がし、後壇を転法輪寺の葛城住職が行う。田村先生から朝バスの中でお話を聞いたが、もう86歳になるのだという。それでもお元気だ。笑いもとるお話も良かった。びしょ濡れになるほどの雨にはならずよかった。壬生師は素足になって火床を渡る。午後5時半過ぎに本山帰着。「入峰修行章」とお弁当をいただきシャワーを浴びて今夜の宿の「叶屋」に向かう。今夜の目的は拾得であるMonday Blues(毎月第一月曜日のマンスリーブルースナイト)。宿から歩いて15分くらい。5年ほど前、娘と女房と下田さんのライブを聴きに来たところだ。Pinkie Dicksというスリーピースのバンドが壬生さんのお気に入りのブルースを演奏してくれた。ギタリストは京都大学の大学院に通っているとのことだった。ウィスキーを飲みながら、楽しい夜の時間を味わった。

2014年7月6日(日) くもり
本山に上がる。
電車で葛城入峰のために本山に上がる。同行者は行藏院、玄法院ご住職。天候が気になるが仕方がない。新幹線の中で缶ビールを飲み駅弁を食う。4時ごろに雨降る醍醐寺に到着。夕食はカレー。油揚げとこんにゃくの入った野菜カレー。夕食後はたやま商店のレジ先で一献。今回の日程表が渡され参加者名簿を見ると随喜修行者はわずかに15名。

2014年7月5日(土) くもり
法事あり。
若尾家の七七日忌の法事がある。朝から雨だったが法事が始まる11時前に雨が上がってくれたのでよかった。法事、墓参を済ませ、今日は客殿でそのまま御斎。同じ組内なので、組の人たちも「久しぶりにお寺に来たなぁ」などと。お寺をこうして使ってもらうのはこちらにとってもうれしいことだ。ゆっくりと食事をしてもらい、故人を偲んでもらった。どちらの法螺貝を葛城に持っていこうかと思案中。

2014年7月4日(金) くもり
午後5時を回って今少し雨が落ち始めた。
一日が終わろうとしているが、涼しくて落ちてきた雨が体にも頭の中にも心地よい。今週は月曜からずっと2時半から3時過ぎ起きぐらいが続いた。起きてから映画を見たりしている。今朝はドラマを1本見て、お勤めをして、朝飯の後集落内の檀家へ墓地の草刈り等の通知を配った。6時半ごろの時間に皆さん畑に精を出している。配り終えて7時半過ぎに身延駅へ京都行きの切符を買いに行く。そのまま8時開店のクロネコ宅急便に寄り、本山宛の荷物を送る。お中元シーズンで、集荷所は配達の荷物の仕分けをしたり、車が出発したりととても活気があった。帰り三吉屋へ寄り、留守のようだったので玄関横に「ツワブキ」の苗を置いてくる。9時過ぎにJAから、住居の樋の被害査定に来てくれる。昼食後本を読んだり昼寝をしたりしていると、3時前に東海師来山。手に入れた法螺貝を携えて満面の笑みで入ってくる。吹かせてもらったが、甲音が難しかった。吹き慣れていくということだ。彼の希望で本堂で理趣経の習礼をする。これもまた習うより慣れてしまえで、日常いかに理趣経を唱える時間を作るかということだ。読み癖を習得してしまえばあとはただ唱えるのみ。護身法の観念のこと、大金剛輪陀羅尼も習礼する。近くにいる間に基本となることをできるだけ教えていきたいと思っている。玄法院へ行くというので、本堂の縁の下に長いこと置いたままになっていた赤松の松脂の部分を持って行ってもらった。数十年経過しているので、木自体がボロボロし始めたが、まだ火種として十分に使えるところがあると思う。明日の若尾家の法事の準備を女房とする。

2014年7月3日(木) くもり
足場再び組まれる。
客殿と庫裏の屋根瓦の修復のための足場が新たに組まれた。瓦を直すところはほんとに少ない箇所だが、足場は高い建物のために下から棟まで組んでいかなくてはならない。仕方のないこととはいえ、出来上がりを見ると、知らない人だったら「相当な被害」を予想してしまうだろう。夕暮れになってから雨がぽつぽつと落ちてきたが、朝から午後3時過ぎまでかかった作業には影響がなくてよかった。東海師の手に入れた法螺貝の写メくる。出来上がったものを製作者がメールしてくれたという。立派な貝だ。僕も新しい貝の癖を感じながら毎日吹いているが、ちょっとずつ音の出し方がわかってきた。修練です。

2014年7月2日(水) 晴れ
いつもより時間をかけて新聞を読む。
「憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」が昨日なされた。テレビもあまりじっくりとは見なかったし、連立を組む公明党が異を唱えることをやめれば、これがそのまま通ってしまうことは容易に予測できたし、得意げに持論を展開する安倍晋三の面を見るのもしゃくだった。識者でなくとも、市井人たちであってもこの強引なやり方に反論をする声は強い。益々いい気になって独裁者然としてきた。不動明王に調伏の願を掛ける。法螺貝を吹いて、悪魔安倍を降伏する音を地にも山にも轟かせる。

2014年7月1日(火) 晴れ
一日外で刈込など。
客殿裏の庭の植栽の刈込や草刈りをする。左手首を足長蜂に刺される。皮手袋と長袖作業着の隙間を狙って刺してくのだから、蜂の一刺しはかなり本能的であり、人間の油断の隙を確実に付いてくるものだということを知らされたような感じ。手の甲ほど腫れはひどくない。これで植栽の刈込は終了。もう墓地も参道の両側の畑も草がだいぶ伸びてきている。目につく長いところだけ刈っておく。白ダルマメダカが知らぬ間に4匹しかいないことに気づいた。水槽が緑に濁っているのでわからなかったのだが、飛び出してしまって干からびているということもない。もしかしたら、飛び出した後何かに食われてしまったか?4匹になったが産卵もあるので、雌雄は確保できているようなので一安心。

2014年6月30日(月) 晴れ
墓参する。 午後波木井へ行き武士兄の墓参りする。三回忌だ。暑い午後墓への急な上り坂がこたえた。自宅も訪ね1時間ほどお姉さんとも話してきた。午前中は本堂の掃除。東海師から夕べ電話があったが、僕が買った法螺貝の出品者に直接電話をしたら、懇切丁寧にお話をいただけて良質の貝を譲ってくれるとのことだという。良い縁があったものだとこちらもうれしかった。11時の鐘を撞いた直後に同級生の若林が突然訪ねてきた。彼も長年勤めた会社を辞め、しばらく遊んでいたが、この4月からごみ収集の臨時職員として働き始めたとのこと。今日は休みを取ったということだった。お互いの近況など話してまた会おうなと。夕方竹林の整理する。蚊が多い。今年も半分が終わった。

2014年6月29日(日) 晴れ
真夏のような日曜日。 甲府ニューステーションで二日酔いの朝を迎える。6時半から朝食。しっかりと食べられる。8時前に出て9時に家に帰りつく。朝からものすごく暑い。一日だらだらとして過ごす。「白蓮れんれん」読み進める。庫裏の長椅子に横になって一日本を読む。涼しくて居心地がいい。

2014年6月28日(土) くもり
護摩焚く。 3時半に起きて映画を一本見て、4時半過ぎに一人で朝飯を食って5時過ぎからお勤め。7時から護摩。昨日メールで誘っておいた内藤君が小雨の中を着てくれた。夕べ桜座で小山 彰太×石田幹夫DUを聴いてきたというが客が少なすぎてもったいなかったと。そんでステージが終わってから相当飲んだらしい。東海師7時前に到着して助法してくれる。オークションで落とした古いホラ貝持参。無事に護摩終了。3人でお茶飲みながら小雨降る冷たい朝を満喫する。10時から後山の遠藤家へ行き一周忌の法要する。墓参時には雨もなくてよかった。奥さんは今も息子のところにいるらしい。もしかしたらこのままもう後山での生活はできなくなるかもしれないようだ。2軒しかないここももう間もなく歴史を終えてしまうのかもしれない。昼飯を食って甲府の玄法院へ。午後2時からの玄法院の護摩法要に参座。東海師もすでに来ていた。終わってから玄法院の古いホラ貝をいくつも見せてもらってそれぞれを吹いてみる。僕にはうまく鳴らせない手ごわいものばかりだった。修験道の寺の風格がここからも良く伝わってくる。午後4時からここで山梨宗務所の会議。もう1期(4年)宗務所長をすることになる。5時半から甲府駅前の「七賢」に場所を変えて恒例の「醍醐夏の陣」と称す飲み会。智山の標さんもいつものように参加。何でも好きな酒を好きなだけ飲めるというこの店のシステムが毎年行っているけどよくわからん。ほんとにこんなんでいいのかと心配になるが、飲むほどにそれを忘れていく。貴永師と此田永樹師に住職就任の祝いの花束を贈る。玄法院の坂本住職にも永年のお勤めを退職したということで花束が贈られる。仲の良い仲間たちとの時間が長く続いていくことを願う。

2014年6月27日(金) 晴れ
ヤフーオークションの妙。 ここの所オークションを覗いては一喜一憂している。一度試しに買ってみようと、贅沢ではあるが法螺貝を落札した。送ってくれた出品者も取引連絡に書いてくれたが、43センチもの貝なら優に10万以上はしている。洞川でも吉野でも林勘だってそうである。僕が実際去年林勘で買ったものは12万だったのだから。これとて43センチはなかった。送られてきて吹いてみて正直驚いてしまった。ご自身で制作をしている方で、儲けを度外視して格安で提供してくれているらしい。ご自身も大峯に今年も入ったとのことで、お札まで送ってくれた。こういう人に出会えたのはうれしかったが、いくつかは最後の最後にひっくり返されて手に入れられなかったものもある。入札の終了時間が夜遅い出品者が多く、早寝の僕には最後の最後のお付き合いができなくて、翌朝に見ると結局落とせなかったというがっかりが何度もあった。実は法螺貝を手に入れる前に、2度この出品者の法螺貝を追いかけたが最後にやはり駄目だったのだが、この方の出品履歴を見ると、何度も大きな貝が出てきていることがわかり、「ヤフオクアラート」というサービスを利用して、この方の出品があったら自動的にメールが届くという設定にしたら翌日早速届いて、なんと43センチの貝だったので、迷うことなく「即決」買いしてしまった。だから、前の2件が落とせなくてこのときはよかったわけである。T師も面白いものを落札したので、明日あたりお目にかかれるかもしれんなぁ。明朝7時から焚く護摩の準備などする。

2014年6月26日(木) 晴れ
蜂に刺される。 池の周りの植栽の刈込をしていて蜂に刺された。両手の甲を2か所刺された。今日は皮手袋でなく薄い手袋をたまたまはめていてそれが災いした。水で冷やしてから現場に戻って周囲をよく見ると、ツツジの横に配された石に足長蜂の巣があった。巣は取ったがこの夏はじめての蜂刺されとなり、夕になっても腫れはひかず、毛糸の手袋をはめているような感じである。あとは客殿裏の庭が残るだけだ。ウィスキーが飲みたくなり買ってきた。ちょうど買いに行っている間に池田さんが来てくれていた。やまなし文学賞を取った「山を祭る人々」が本になって、それを届けてくれた。お茶を出し僕はウィスキーをちびちびやりながら一時間ほど話をした。夕暮れ前のとても静かで涼しい時間帯だった。父の墓に参ってくれて、長いこと話をしてくれたようだ。

2014年6月25日(水) くもり時々雨
保険証届く。 働き始めた息子に、僕ら夫婦を扶養にとれないかどうか庶務に訊いてくれということを話していた。何が手っ取り早い親への感謝の現わし方があるとしたら、扶養家族にしてくれることだと僕は思った。貧しい寺暮らしの僕は住民税の申告はゼロである。実は先日も役場から、「臨時福祉給付金」の支給に該当するという通知が来た。平成26年度分市町村民税(均等割)が課税されない者という条件区分に該当しているのだ。ただ、但し書きがあって、「ご自身を扶養している方が課税される場合」は対象外だとあるので、息子の手続きがいまだ結果が判明していないのでもう少し待とうと思っていたら、先週末に扶養にとれて健康保険証も4月にさかのぼって発行してもらったので送るとう連絡があった。今日届いたので、役場へ国保から社会保険に切り替わった手続きをしてきた。国保の保険料も高いので、これはもう大喜びでありがたい。こっちはまだ二人とも国民年金の保険料も納めているのだ。素直にこの親孝行を喜ばせてもらった。

2014年6月24日(火) 晴れ
夕方になって雨涼しい。 とても気持ちのいい雨が降り出している。傘をさして本堂に行く夕のお勤めになったが、これとて心地のいい冷たさが味わえてよかった。午前中は昨日の続きで、ツツジの剪定や雑草の処理。ロウバイが大きくなりすぎたので思い切って切り詰める。11時の鐘の時間にJAの職員が、過日の雪害の再査定の結果を知らせに来た。「がんばりました」と言ってくれただけはよくなったみたい。頑張れるんなら初めからがんばれよという気分にはなったが。保険金の支払いに、法人の印鑑証明をつけてサインと印鑑をもらいたいとのことで、午後法務局へ行く。手数料450円。午後は映画と護寺会の書類やシメの型紙を作る。鳳閣寺で柴燈護摩をしたときに、結界のシメを一枚もらってきた。お菓子の箱の厚紙で型を作った。

2014年6月23日(月) 晴れ
暑くもなく外で仕事するにはちょうどいい日だった。 生垣の刈込などを一日した。雪で生垣の姿勢が崩れてしまったので、ビニール紐で縛ってもとの姿勢に戻るようにしたが、どうなるか?ツツジもそう。ハイマツもきれいに刈りこんだ。去年刈込機の刃を変えてあったので、切れ味がよくて気持ちよく刈り込んだ。池の周りもあるけれども今日はここまで。午後から掃除をして風もほどほどにあったので燃す。あと読書、ビデオ。

2014年6月22日(日) くもり
雨。 大峯から帰ってきてほとんど雨らしい雨がなかったから、空梅雨なのかなと思っていたが今日は雨。午後には上がったが、体も涼しくなる雨だった。読書、映画。夕方お勤めを客殿でしていると、東海師来山し、二人で理趣経中心に勤行する。ヤフーオークションに出ているの法螺貝の話だど話題にする。
2014年6月21日(土) 晴れ
映画、本、草刈り。 ほぼ毎日がこんなところだ。あまり急な変化は起こらない。4時に起きて映画を見てお勤めをして、土曜の今日はもう一度映画の続きを見て、10時に外へ出て溝の泥を上げたり、護摩木を割ったり、鐘を撞いたりする。午後は読書をして昼寝をして、涼しくなってから外に出て刈り払い機で竹の伸びたのを刈ったりした。竹の生える間隔を一定にとりながら竹林が管理できたらいいと思っているのだが。むかーし、「竹林は傘をさして歩けるようになっているといい」というようなことを林務事務所の職員から話してもらったことがある。終わって頭を刈りついでに体も洗ってしまう。風もなくそう暑くもない夕暮れである。

2014年6月20日(金) 晴れ
外出。 10年も乗っている車にリコールがあるとの連絡をもらい、午後三菱まで行ってきた。乗っている車にその欠陥が現れてはいないが、部品の交換などしてくれたようだ。ショールームで30分ほど待っていたが、冷房は入っていず、入口の自動ドアが開けてあるのだが、中はしばらく座っているととても暑く感じてきた。やっぱりこれじゃ客商売にはならんなと思ってしまう。たまたま僕一人だったので、社員は僕に、「冷房入れましょうね」と言ってくれたが、「この程度じゃ我慢できるよ」と断ったのだが、時間経過とともに蒸し暑くなってきたというわけ。社員はここで頑張っているのだもんな。百円ショップで、バインダーと蝋燭を買って帰ってきた。サッカーの試合は朝見たが残念。これで決勝トーナメントに進むのは厳しくなったな。涼しくなって護摩木を作る。

2014年6月19日(木) 晴れ
今日は暇ではなかったぞ。 午前中早い時間にシイタケのほだ木を日陰に移動する。境内の草を紐装着の刈り払い機で刈る。汗を流し急ぎ着替える。10時に原小2年生来る。6名の児童に担任と教頭先生の計8名。6名の内訳は女子5名男子1名。この男子は、檀家のK君の長男であった。元気のいい女の子たちの中でもまれて過ごしてるんだろうな。質問に答えたり、お寺のことや護摩のことを説明したり、塗香を掌にとってもらったりする。教頭先生は笛吹市から通っているとのことだった。ちょっと”石ちゃん”似で、だからちょっと小太りで、「膝が悪くて正座できません」というので、椅子に座ってもらったが、この人はほぼ立ちっぱなしで写真を撮っていた。終わってから、モリアオガエルの卵を観察したり、ちょうど11時になるので、一緒に時の鐘を撞いてもらってさよならした。午後1時半に身延支所待ち合わせで、町の文化財審議会に出席。身延山久遠寺の宝物館で、町指定の文化財候補となっている「刺繍釈迦三尊像」を見る。刺繍で制作されたものは大変に珍しいとのこと。会議室に場所を移し審議会。初めに委嘱状の交付がある。委員は10名。新任は僕と西嶋の青原院ご住職。自己紹介も併せてする。父が亡くなった後、短い間だが旧町の時にもこの審議員を務めたことはあるが、課長も旧知のT氏であるし、担当のW君にも世話になっているし、ここはちょっと断れなかったというのが本音だ。

2014年6月18日(水) 弱い雨
幾分今日はすごしやすい。 暑さも一休みの一日。弱い雨が降ったりやんだり。畑のトマトの苗床に支柱をする。小さな実が生りはじめた。オクラの先っちょにも生りはじめた。サギソウをオークションで買ったので少し大きな平らな鉢に移し替えた。何年か前に檀家からいただいて、ちょうどお盆のころに花開いて、これはいいなぁと思って翌年球根を移植して倍増を図ったのだが裏目に出て、3年目には枯れてしまった。これは何とかものにしたいと思うのだが。メダカの例もあるし、失敗しながらうまく育てられるようになるかもしれない。花の苗は送料が意外と高いので、インターネット購入はなかなか手が出ないのだが、オークションを根気よく見ていけば少し安く手に入れられそうなことが分かった。アジサイがだんだん良くなってきた。護寺会通知などを準備はじめた。映画・読書。明日は原小1年生が来山。午後は町の初めての文化財審議会。

2014年6月17日(火) 晴れくもり
天候下り坂なのか。 午後になって曇ってきて蒸し暑くなり、風も少し出てきた。午前中竹林のやり残しを片付けて汗をびっしょりとかいた。竹林も下草を刈ったので歩きやすく、竹の子も採りやすくなった。今年はサルやイノシシが竹の子をかじっていないので助かる。午後2時から飯富病院定期受診。薬局で薬もらってくる。東京方面の盆の棚経の通知のはがきに、値上がり分の2円切手を貼り忘れたことに気づいて郵便局の窓口に行ったら、差出人の住所氏名があれば、お返ししますから大丈夫ですと言われたので、昨日待って、今日来た郵便屋さんに話して調べてもらった。スタンプを押して処理してしまって局から出たので、そのまま配達されるだろうとのことだった。2円不足のまま配達されてしまうだろうとのこと。なんかちょっと怪しい気もするが、先方に迷惑がかからなければそれに越したことはない。在庫のはがきに2円切手を買ってきて貼った。

2014年6月16日(月) 晴れ
暑い。 竹林の周りに若い竹がだいぶ生えてきているのでここをきれいに刈ってしまいたいと考えていて、早めにお勤めを済ませて4時過ぎから野良着に着替えて作業を始めた。日中は暑くてとても外での仕事はできない。お堂でのお勤めなら日ざかりであっても暑さは避けられる。蚊に刺されながらも刈り払い機できれいになった。おいしそうな太いタケノコも今盛りになってきている。そのうちに法螺貝が聞こえてきた。東海師の来山である。女房が呼びに来たので、作業をやめて戻って二人でお茶を飲みながら世間話をしたり、彼は勝の木でお札をこしらえていった。続きは明日だ。
2014年6月14日(土) 晴れ
暑い。 4時に起きて夕べのサスペンスドラマを見て朝のお勤め。朝から陽射しがありすぐに暑くなる。今日も一日暑くなった。玄法院のご住職は菅笠に自分で柿渋を塗ったということだったので、僕も帰ってきてアマゾンで早速柿渋を買った。届いた昨日の午後一度塗り、今日午前中に二度塗る。あまり色は濃くないがそれでもいい艶が出た。これを持って7月の葛城に行ける。残念なことにいっしょに行く予定だった東海さんがどうにも仕事の都合がつかなくていけないことになった。本山にその旨連絡した。その東海さん、今月28日の護摩には来てくれるという。10時半から法事があるので、7時ころから焚きたいと思っているのだが、それでも来てくれるという、ありがたい。現役で仕事を持っている人はなかなかそう簡単に休みを自分の都合に合わせられないのだ。まあこれも仕方がない。自分の近くで、一番自分がそこに近づけるところで自分の道のことをしていたらいいのだと思う。彼が「7月の28日も休みになっているので、滝に行きますか?」というので、「ぜひ行きましょう」と。月曜なので、S師は無理かもしれないが、行藏院さんは行けるかな?午前中11時ころ行って、滝に打たれて、早川の蕎麦でも食って、それからうちで一座護摩に出てもらうというのはいかがなものでしょうか?夕方頭を刈って爪を切る。檀家のW氏ろ七七日忌の法事の打ち合わせする。
2014年6月12日(木) 晴れくもり
蒸し暑い。 今日は外を歩いて、アジサイを見たり、墓地の様子も見に行ったりする。真竹のタケノコが出てきて、大峰から帰ってきて食卓に上がるようになった。うまい。一年に一度だけの味わいは待ち遠しいものだ。山梨の宗務所の会議招集への返事がぽつぽつと届く。いつもの寺院だけが出席の返事だが、今年は二つも減ってしまう。だんだん高齢化してきて出られなくなってくるようだ。午後原小の2年の担任から、社会科見学に行きたいとの電話がある。19日の午前中。OKと返事。去年の資料で対応できる。
2014年6月11日(水)
通常生活に戻る。 朝から雨。午前2時には起きてしまって、録りだめしたビデオを見る。10時頃に荷物が届いて大量の洗濯物や修験用具など片付けたり、地下足袋を洗ったりする。11時の鐘を撞いて身延駅に行き運賃の払い戻しをしてもらう。手数料は3枚の切符でそれぞれ220円、京都までの運賃に、ふじかわ号の特急券、新幹線の特急券分で660円だった。午後母の入所施設に先月の利用料の支払いと面会。元気そうだった。よく笑った。太ってきているのが影響しているのか、椅子から立ち上がる動作に時間が相当かかる。前日までのことを徒然にまとめ書きする。7月の東京方面への盆の棚経予定を立て、ビジネスホテルも予約する。紫陽花がだいぶ色づいてきた。メダカも早く孵化したものはもう1センチを超えて成長してきた。

2014年6月10日(火) 晴れ
大峯山花供入峰D。 朝目覚めてリュックを探り、帰りの電車の切符をスーツケースに入れたまま送り返してしまったことに気づいた。布団の上でしばらく落ち込んでしまったがこれはもう仕方がない。8時前に宿主に礼を言って宿を出て京都御所まで歩く。早朝の静かな御所の木陰のベンチに腰掛けて読書しながら9時の松屋常盤の開店を待つ。犬と散歩する人。ウォーキングやジョギングする人。読書する人など、広大な御所は聖域だ。味噌松風を二つ土産に買う。そこから河原町方面へ歩いて林勘法衣店へ。結袈裟の後ろの飾り紐が切れてしまったのと、祖父の残してくれた木の頭巾の漆の塗が剥げてきてしまったので、修繕できるかどうか尋ねに寄った。紐はその場で代わりのものを購入。頭巾は今はもう修理ができないとの話。もう頭巾は樹脂製のものしか作られていないのだという。大事にとっておくこととした。駅で事情を説明して切符を買うと、親切に駅員が教えてくれた。今日の切符と、送り返した切符を提示すれば、手数料がかかるが返金可能であると。ありがたかった。切符を機会に吸い込ませずに改札で説明して切符を持ち帰った。午後4時前に帰宅。

2014年6月9日(月) 晴れ
大峯山花供入峰C。 一昨年の台風で山道が寸断されているため今年も洞川から吉野の蔵王堂までも行程は歩くことができないのでバスで地蔵峠まで移動する。だから出立時間も遅く4時半。泥に汚れた袴と乾ききっていない地下足袋。朝は嫌だったが歩くうちに気にならなくなったし汗も出てくる。地蔵峠から鳳閣寺まで歩く。昨日の大峯で足を痛めた人や体力に自信のない人はバス移動。鳳閣寺で柴燈護摩。地元の人たちが毎年のごとく「善哉」の接待をしてくれる。普段は小豆物などまったく口にしないが、ここのだけはみなさんと一緒にいただく。甘いもので疲れが取れそうな気持になる。天候はとても良い。吉野が広く広く見渡せる。清々して気持ちも良い。鳳閣寺から林の中の道を歩き、金峯神社で御法楽と昼食。おにぎり3個の早昼飯はちょっときついが、荷物を軽くするために頑張って食う。いよいよ最後の歩きで吉野蔵王堂まで。日差しが強くなり始めて笠をかぶる。蔵王堂まで2キロくらいのところから列をなして法螺貝を吹いて進む。バス移動部隊も途中で合流して最後はみなで歩く。もちろん門跡さんも最後に列に加わる。月曜なので参拝客も少なく静か。吉野蔵王堂に上がって皆で御法楽。感動がこみ上げてくる。記念写真を撮ってお茶をごちそうになって、帰りのバスが待つ近鉄線:吉野駅まで下る。駅前の茶屋で休憩。ビールで労を互いにねぎらう。ここで一雨ザーッと来る。バスで醍醐寺まで買える。本を読み始めたが寝てしまう。醍醐寺に着くと強い日差しで迎えられた。最後の列をなして護摩堂前で最後の護摩、駈出護摩。山から駈けだしてきた最後の護摩だ。三宝院玄関前に整列して最後の御法楽し解散。坂本さんは着替えて車で山梨に帰る。僕は西陣叶屋泊まり。銭湯にゆっくり浸かって疲れを取って、たこ焼き食ってビールと日本酒飲む。関東じゃまだ雨が降っているという。宿主人と少し話して寝る。

2014年6月8日(日) くもり一時雨
大峯山花供入峰B。 午前零時過ぎ起床。4時間ぐらい寝たろうか?褌をつけて龍泉寺の池で本山から人たちと一緒に水行をする。さほど冷たくは感じなかった。暖かい風呂に浸かってご飯をいただいて、排便して(肝心)、衣体整えていざ出発。雨はない。龍泉寺から列をなして午前3時前に出発。暗闇の中をそれぞれライトで道を照らしながら歩く。大峯はいまもって女人禁制であるため、女性の修行者はいっしょに行けない。女性は途中で別れて「稲村ヶ岳」(別名:女人大峯)に向かう。いよいよ清浄大橋を渡り山に入ってゆく。4時半頃になると林の中からも空が薄青く明けてくるのがわかる。ヘッドライトをしまう。途中適宜に休憩録りながら、6時半前には頂上の大峰山寺に着く。杖に登頂の焼き印を押してもらう。今回参加できなかった壬生僧正にメールを打つ。頂上から最初の御法楽の場所である小篠根本道場へ再び歩く。文字通り笹に覆われた峰の小道が続く。苔も美しい。それから大峯山は今の時季シャクナゲがとてもいい。絶壁に大きなシャクナゲの群生が所々にあり、これが本当に見事!小篠の道場で柴燈護摩。再び山上の大峯山寺に戻り柴燈護摩。本堂での御法楽の後参籠所で昼食とトイレ休憩など。少し雨が舞い始めたが大丈夫。新客は行場をまわる。ゆっくりと下山。無事に下りてきて大橋茶屋で一休み。全員が下りてくるのを待つ。午後3時過ぎになると俄かに空が暗くなり、まるでスコールのような雨が降り始めた。雨脚は強く止みそうにない。合羽を着て再び列を整えて龍泉寺まで歩く。法螺貝の網も地下足袋も雨を吸って重い。洞川の宿に入るとまた地元の皆さん、雨の中を帰ってきた僕らに手を合わせてやさしいねぎらいの言葉をかけてくれる。龍泉寺で御法楽すると嘘のように雨が上がる。宿について衣を脱ぐ。宿では物干し用にもう一部屋自由に使って構わないと配慮してくれる。精進落しの豪華な夕食をいただき飲む。アナグマの毛皮で作った錫杖入れを購入。手塚さんと10時過ぎまで話し込んで寝る。

2014年6月7日(土) くもり
大峯山花供入峰A。 午前3時半ころ起床。4時半から朝食。ご飯が炊けていなくて(タイマーセットを忘れてしまったのか?)、先に着替えてからにしてほしいといわれる。排便のことが一番気にかかるので、これは不測の事態。それでも夕べの酒が幾分腹を緩くしてくれているようで、朝飯前だが座ると出た。袴をつけてしまってから便所に行くのは相当にきつい。午前6時三宝院玄関前に集合し上醍醐に向い御法楽。バス2台で一路大阪:報恩院に向け出発。報恩院で小休憩。昨年ここで坂本大先達にお会いしたが、もう今年はいない。ここでこの花供に参加する人たちが一緒になる。多くの講の人たちとここから四天王寺まで歩き、四天王寺で柴燈護摩。天候は上々。四天王寺から近鉄:阿部野橋駅まで歩き、ここから貸切電車で奈良県大淀町の下市口駅まで行く。車内で早めの昼食。床にはブルーシートが敷いてあるので、足を投げ出して寝そべる人もある。車内はだんだん打ち解けてしばしにぎやか。下市口からはまた貸し切りバスに乗って天川村洞川まで向かう。洞川についてここから再び列を整えて洞川の宿を歩き龍泉寺へ。道端に老若男女迎えてくれていて皆さんが「ようおまいり」と歓迎とねぎらいの言葉をかけてくれる。特に幼稚園や小中学生の声がとても胸にしみて響く。とても心を強く打つ。龍泉寺で今日の締めの柴燈護摩法要。一日よく法螺を吹いた。宿は「光緑園西清旅館」。皇族も泊まったことのあるという洞川でも格調高い旅館のようだ。坂本さん、それから長野からの手塚さん、大阪からの殿村さんと相部屋となる。天候が気になるが、雨は大丈夫ではないかという予感がする。

2014年6月6日(金) くもり
大峯山花供入峰@。 午前7時過ぎの電車で下部温泉駅から京都に向かう。天候は曇り。西に向えば雨はないのではないかという一方的な思い込み。傘は持たず。「第百四回大峯山花供入峰」に参加する。3年連続の4回目。荷物は宅配便で送ってあるので、金剛杖・編笠・法螺貝を持つ。今年初めて法螺貝を持ってゆく。11時少し前に京都駅着。八条口から京阪バスで醍醐寺に向かう。京阪バス乗り場にできたコンビニで弁当を買う。醍醐寺に着き荷物を受け取り修証殿に休んで弁当を食う。僕の到着時には新潟の山崎さんしか来ていなかったが、受け付けの始まる午後1時近くになると次々と現れ、甲府の坂本さんも車で到着。昨晩は大阪の娘さんのところに泊まったとのこと。入峰の栞をもらい今年の「随喜」者を見るとなんと18人。昨年よりも少なくなったかもしれない。午後2時から駈入護摩。終えて5時半から夕食。今夜は修証殿泊。近くの畑山商店でご一緒する6人で立ち飲み。山梨を舞台としたNHKの「花子とアン」のことも話題にのぼる。1時間ほど飲んで帰る。

2014年6月5日(木)
雨。 久しぶりの雨の一日。関西の天気ばかりが気になるが、京都も奈良も天川も明日から月曜までは曇り。降っても弱い雨という予報。これに期待するしかない。頭を刈る。金剛杖、編笠、法螺貝は明日の持ち物。7時過ぎのふじかわ号で。

2014年6月4日(水) 晴れくもり
今夜は雨になるか。 関西方面じゃ雨だ。午後から湿り気を帯びた風が木々の葉を揺らしている。今夜あたり雨になるか?関西の雨が通り過ぎてくれると、向こうの天候が回復しそうな気がするんだが。京都・奈良方面の予報を見ると、大峰行きから帰りまで曇りの予想になっている。この予想が的中してくれればいいのだが。でも山は雨になるかもなぁ。朝早くからシルバーの桂さん、修さんが資料館の草刈りに来る。僕が刈っておいたのでさほど時間はかからなかったが、見事にきれいに仕上げていってくれた。醍醐寺に荷物を送り、電車の切符を買う。

2014年6月3日(火) 晴れ
畑をする。 管理機で畑をうなうのだがカラカラに乾いていて土が固くなって刃が食い込まない。昨日大根をくれたAさんがやってきて、「たくさん茄子の苗があるから植えろ、枯れてもいいから植えろ」と苗を置いて行ってくれた。種から育てた苗のようだ。こういう頂き物をしてしまったらもう耕すことをやめるわけにはいかない。枯れてもいいのでとにかく苗の植え付けまで済まさなければならない。午後4時過ぎにコメリまで出かけ、オクラとミニトマトの苗も少し買ってきて急いで何とか植え終えた。僕には畑づくりの知識が何もないので、他人が見たら「なんだこりゃ」と思われてしまうだろう。まあそれでもいいのだ。カラカラの畑にホースを引っ張ってきて水を撒く。苗が育ちますようにと水を撒く。

2014年6月2日(月) 晴れ
午前中外で作業。 風の出ないうちにと、参道に除草剤を散布する。今年は柔らかな髭のような草が生えていて、これは丸刃の草刈り機でも紐の草刈り機でもどちらも刈りにくい。資料館の生け垣を刈りこむ。その後先日刈った畑の草を焼く。午前中いっぱいかかって作業終了。アツコさんにキャベツと大根2本いただく。今日も気温上昇し、これ以後は外には出ない。出てなんかいられない。冷たい水を浴びて昼飯を食って本を読みながら昼寝もする。夕方ゆっくりと本堂でお勤めする。昨日は大峰行きの荷物を作った。水曜の午後本山宛に送る。異常に毛虫が多い。梅やつつじ、あらゆる庭木が虫に食われている。遅ればせながら、これはいかんと、暇をみては火箸で毛虫やテントウムシをつぶし始めた。

2014年5月31日(土) 晴れ
暑い。
午前中1時間半ほどで畑の草を刈ってしまう。ついでに資料館の方も。暑い。30度を超えた。メダカはすごい勢いで毎日孵化し続けている。だるま系のメダカが早く成長してくれるのが楽しみ。涼しくなってきてから本堂の裏の草刈りもする。今日は休みなので、陽が伸びてきた駐車場に自転車で集まった子供たちのにぎやかな声が聞こえていて、なんだかこっちまでうきうきとしてしまう。喜多郎をかけて午後読書する。

2014年5月30日(金) 晴れ
畑の草を刈る。
8時から午前中畑の草を刈る。お昼で一休みをして映画など見て、夕のお勤めを済ませて4時過ぎから反対側のの畑の草を刈る。30度近いので日ざかりはとても外で草など刈っていられない。4時過ぎから5時半ころまで作業して終わる。残りは朝。大工さんの仕事は今日で終わり。ビール美味い。

2014年5月29日(木) 晴れくもり
梅雨入りが近くなってきたか。
お昼ちょっと前から空が暗くなってきて、雷こそならなかったが、雨が降り出してきそうな気配になった。12時半ころから30分ほど雨が少し降った。大工さんが屋根の工事に入っているので心配したがあとは止んでくれたのでよかった。僕も雨を心配しながら本堂に入って護摩壇の掃除と本堂の掃除。仏器を洗い、今日は護摩の炉も外して水洗いした。梅雨入りも間近なのか?去年の大峰行きは一度も雨に降られることなく終わったが、果たして今年はどうだろう。

2014年5月28日(水) 晴れ
上求寺で護摩。
2月の大雪で祭典のできなかった上求寺で経護摩を焚いた。いつものように不動寺永啓に、今日は玄法院のご住職も参座してくれた。3人でしたから奥の院の不動堂まで上がったのだが、左側に行くところを右に入ってしまい、道を間違え小一時間ほど時間を無駄にしてしまった。やっとお堂にたどり着き不動護摩を一座。住職の貴永は今日の日を自らの内に「晋山」であるとして願文にも読んだ。途中こらえきれなくなるようなものもあったが、ここまでくる彼女の時間の経過を思うと、十分にそれを知る僕たちだけに、今日の護摩法要を大切にしたいといく気持ちがさらに強くなった。護摩を終えて下り、上求寺に戻って昼食をごちそうになり、ゆっくりする間もなく帰りに着いた。とても暑い日になった。玄法院さんは山から下りながら空を眺め、「もう夏の雲ですね」といい、見上げると本当に入道雲のような湧き立っている雲が青空にあった。2時半過ぎに寺に戻ると、客殿の前のベンチに東海さんが座って法螺貝を立てていた。挨拶を交わし早速着替えて今度はうちの本堂で不動尊縁日の護摩を修す。護摩のダブルヘッターの日になった。終わって僕はビール、彼はノンアルビールを飲みながら、葛城入峰の話をする。一応行藏院ご住職と3人で参加することとした。

2014年5月26日(月) くもり
夜になって雨。
11時に家を出てアピオセレモニーホール昭和へ行藏院の葬儀の手伝いに行く。平日の昼近くで車は空いていて早く着いたのでヤマダ電機によってマウスを買う。教昌寺さんと3人。初七日法要まで出て帰ってくる。大峰山行きの参加費を郵便局から振替する。本山より今年度宗費の宗務所割当額が届く。昨年と同額。雪の害で修理費がかさみそうなので、免除申請を出してみようかと考えている。

2014年5月25日(日) 晴れ
環境整備作業。
区の作業で午前中外に出る。中沢川河川公園や中沢側の草刈り、集落内のごみ拾い、排水路の泥あげなど行い、終了後、獣除けの柵沿いの草刈りと除草剤散布をする。午後はのんびりと映画など見る。

2014年5月24日(土) 晴れ
柳沢家法事。
従姉妹の叔父、叔母のそれぞれ23回忌、33回忌の法要をする。二人の子供も東京と京都から帰省してくれた。兄の方は第一志望の就職先に内定がもらえたとのこと。彼は私立の大学を卒業してから国立大学にまた通っているがんばり屋だ。御斎の席を甲府に設けてくれてあったので、女房と娘も一緒に行き会食した。とてもおいしい料理でお酒もたんと頂いてきた。本堂屋根瓦の修理が始まる。名古屋からきている職人さんとのこと。

2014年5月23日(金) 晴れ
葬儀。
7時半にセレモニーホールに行き出棺前のセレモニー。8時半より火葬。10時過ぎに会場に戻り11時から葬儀告別式。不動寺永啓と行藏院ご住職に助法していただき滞りなく終える。12時過ぎから初七日法要と御斎。時間も早いので喪主の希望もあり墓地への納骨も済ませる。天気も良く、五月の風の中に見送ることができた。屋根屋さんが来て上ってくれたら、地上からは目視できなかった箇所に瓦が落ちているのが見つかった。鉄骨の足場を組まなければならないのでこれもまた見積もりをお願いすることにした。修理しないで放っておくわけにはいかない。JAに電話をすると最初の査定の金額が出たとのことだったが、とにかくもう一度査定に来てほしいとやや強引にお願いする。来週の火曜の午後3時に来てくれることになる。

2014年5月22日(木) 晴れ
通夜。
若尾家の通夜がある。午前中は裏山の獣除け柵に沿って草を刈る。朝ウォーキングするときに草の背が高くなって朝露でシューズがびしょぬれになる。これも解消したかった。日差しはもう午前9時ごろで随分と強い。草いきれでこっちの息も切れる。それでも暑くて、勇敢で、こういう日は好きだ。終えて頭を刈ってシャワーを浴びる。昼食後思い立って寝室の窓の緑のカーテンを準備する。今年はタテスという日除けを買い、台所と寝室の窓半分をこれにした。残りの半分だけ植物を這わせることにした。まあこれでも十分だ。午後3時半から納棺。セレモニーホールへ移動して午後6時から通夜。夏の衣だが汗が流れた。戒名のお話をして終える。

2014年5月21日(水) 晴れ
夕方近くになって天候回復、陽も射し青空も大きく広がった。
葬儀の準備をする。夕べ考えていた戒名のうち頭の院号を変えた。塔婆と位牌を書き、諷誦文を作り初七日でのお話なども考える。衣体も用意する。もう夏の衣でいい。雨ふりだったので、家の中での仕事をするにはちょうど良かった。昨日墓地をきれいにしておいてよかった。大工さんも仕事に入る現場の確認に来る。セレモニーセンターの職員も来る。葬儀の施主も来た。部屋に閉じこもってパソコン使っていると、庫裏に訪ねてきた人に気づかない時があるので、台所のノートPCで作業する。午後の早い時間にすべての準備終わる。明日昼過ぎに頭を刈ればいい。夕方になって雨も上がり青空が広がって陽も射してきた。明日はまた良い天気になりそうだ。

2014年5月20日(火) 晴れ
葬儀になる。
朝から墓地の草を刈ったあとを片付けながら、よく乾いているので燃したりしていた。お昼のチャイムが鳴ったので戻ろうとしているとそこに、Kくんが慌ててやってきた。「おふくろが今朝9時過ぎになくなった」と。日が変わって3時過ぎに急に様態が急変したらしい。入所施設から同じ敷地の病院に移ったが、手の施しようがなかったらしい。昨日までは普通に会話もしていたようだが、わからないものである。枕経に行き日程を相談する。ここは同じ組内の檀家で、今年はうちが組長なので、組内へも連絡をする。夕方みなさんに集まってもらいお手伝いのことなども相談する。各家一人でいいということになる。セレモニーホールでの葬儀なのでほとんど手伝いも必要ない。助法を行藏院と不動寺の副にお願いする。今でも主流は午後1時からの葬儀告別式だが、正午や、11時、10時半という式も増えてきている。今回は11時からの葬儀と決めた。相談から帰ってきて今度は集落の組長に「葬儀連絡」を伝達する。まずは戒名を考える。信仰に篤い人だったので、ふさわしいものをつけてあげたいと思う。

2014年5月19日(月) 晴れ
護摩を焚く。
富士市のU氏の家族のための祈願ごまをたく。1年ほど前に初めてお参りしてくれて、その時に親戚の方の病気平癒の護摩を焚いたのが今回の縁につながった。下部温泉の大黒屋さんに湯治に来た帰りを奥さんと寄ってくれて11時から本道で護摩を焚いた。外の気温も上がってきた時間帯で、本道の胡麻も夏季のような暑さを感じ汗を十分に書いた。今日午前中には、庫裏の奥の洗面所の屋根を直すため、足早が入り組んでいった。今はもうそんなに高くはないようなものでも、安全第一で足場を組むのが決まりのようである。本堂の飾り瓦の修理用にも足場が組んで行かれた。午後3時過ぎに内船寺に、お祭りの時大量に筍を持ってきてくれた大鍋を返しにゆく。最後の筍煮と里芋をまたもらってきた。

2014年5月18日(日) 晴れ
午前中草刈り。
7時半から午前中墓地の草刈り。これでほぼ一回目の草刈りは終了。客殿裏と竹林の手前が残っているがここはまた時間をみて。朝から暑くなる。午後甲府の玄法院へ行く。行藏院ご住職にも来ていただいて3人でにわか役員会。宗務所の会議に関することなど話して帰ってくる。帰りはすいすいと50分かからずに帰れた。夜、有害獣防止柵管理組合の会議がある。

2014年5月17日(土) 晴れ
墓地の草刈り。
朝から午後5時まで一日墓地の草刈りに精を出した。午前中3時間、午後2時間半。ノンストップでこぴっと草を刈った。昼食後は夏の暑さで少し体を休めた。メダカも毎日毎日たくさんの産卵があり、毎日孵化した稚魚が泳ぎ始めている。だるまメダカを多く育てたいと思う。メダカは夏の楽しみの一つになってきた。それにしても今朝はびっくりしたなぁ。白鳥かをるこさんが「勝沼」の出身だったとは!

2014年5月16日(金) 晴れ
暑い。
まあ今日は京都帰りということでのんびりとくつろがせてもらった。安倍晋三の握り拳を柔らかな掌で優しく包んであげたくなっちゃった。まさに独裁者の風格という異臭ぷんぷんで、風薫る五月が台無しだ。こういう人物は調伏して正しい考えの道に戻してあげなければなりません。不動護摩に思いを込めるということになります。

2014年5月15日(木) くもり晴れ
葵祭を見学。
京都御所から上賀茂神社まで毎年この日に行われる「葵祭」の巡行を御所で見学した。腹ごしらえをして、8時半前に宿を出る。教わった通りに御所まで歩き、巡行の平安貴族の装いをした人たちが出てくる「清所門」の前でカメラに収める。とても華やかな衣装。総勢500人くらいがこの巡行に出ているのだという。10時半に巡行が始まるので、正面の建礼門から少し下がった場所で見学する。本の10分程度雨が降ってきたがその後は大丈夫。今年の京都行きはこの葵祭が見られてよかった。もう一度「松屋常盤」を訪ね松風を二箱買う。店売りだけの賞味期間が三日というお菓子。午後1時56分の新幹線で帰途につく。京都駅の新幹線の乗り場は修学旅行生であふれかえっていた。

2014年5月14日(水) くもり
蒸し暑い一日。
夕べ家に電話して「京都は暑いよ」と話したら、女房から「山梨は31度で全国一の気温だった」ことを教えられた。どちらも盆地で暑い。今日は朝から曇り空で打って変って今日の暑さは蒸し暑いというやつ。バスに乗って京都駅へ出、八条口から京阪バスで醍醐寺まで。10時から宗務所長会。午後2時半過ぎに会議が終わり、記念写真を撮ったのち、簡単な宴があった。いつもは帰るため閉会後すぐに京都駅へ向かうのだが、今夜もう一泊するので初めてここに出席した。夕飯がいらないほどのごちそうをいただいて本山を後にする。帰りは地下鉄で醍醐から二条まで行きあとは徒歩で。風呂に行ってあとはどこにも出ず。本読んで缶ビール飲んで、宿の店主の友人が午後10時にやってきて、居間で1時間半ほど一緒に話す。明日の天気だけが気になる。夕方から少し雨が降り始めている。葵祭は雨なら一日順延になるらしいが何とか雨が落ちない天気であってくれればいい。

2014年5月13日(火) くもり晴れ
上洛。
明日の宗務所長会出席のために京都へ。下部温泉駅に車を置いてふじかわ号に乗る。朝方山梨は少し雨が残っていたけれど、予報じゃ暑くなるとのこと。京都について昼食をとり歩きはじめる。西陣の叶屋まで歩く。初夏の京都の町を眺めながら歩くことが好きだ。遠くても碁盤の目の町はどんなふうに歩いても、本当に困ってしまうような迷い方にはならない。京都も暑かった。調べておいた「松屋常盤」に寄ってみる。ちょうど明後日ある葵祭の京都御所のすぐ近くだ。松風を一つだけ買う。帰りにもう一度寄って買うつもりだ。銭湯に行き汗を流し、毎年飲みに行く「おばんざい」の店でおいしい酒を飲む。叶屋の店主も食事に誘い少し話す。

2014年5月12日(月) 晴れくもり
雨になるか?
夜には弱い雨になるような予報だ。午前中からずっと強風。本堂も早々に閉めた。母のところへ支払いと、女房が冬物と夏物の交換。今日はちょうどほかの皆さんとレクリェーションをしているところで、気づくと笑顔を見せた。楽しんでいるようなので特別会話もせずに別れた。先月は少しふさぎ込んでいるような気配があったが今日は表情も幾分豊かであったので安心。明日からの京都の天気も気になるが、葵祭の15日が雨っぽい。雨だと一日延びるとあったが僕の滞在は許されない。頭を刈る。蝋で火傷した右の瞼もだいぶ癒えてきてほとんどわからなくなった。熱湯とか火ではないところが違うのだろうか。もっとも蝋は体にたらすってことも聞くもんなぁ。まあでもこのくらいで済んでよかった。

2014年5月10日(土) 晴れ
メダカ屋さんに行ってくる。
甲府:大里の「趣味のメダカおおさと」に午後行ってきた。今年冬越えをしたうちのメダカは30匹だった。去年の春は9匹だったのでずいぶんといい成果が出た。なので、仕入れる必要はなく、もう卵も産んでいるし、今日確認したら早くも孵化して小さなのが泳ぎ始めた。それでもなんだか一度訪ねたかった。それとちょっと色気が出て、だるまメダカという、お腹のふっくらとしたメダカを飼って増やして、我が家で越冬させてみたいと思い始めた。だるまは少々高いんである。赤いだるまメダカは5匹で4,000円位する。とても買えないので、かわりに白のだるまメダカを飼った。こちらは5匹で2,000円。一匹おまけをしてもらった。メダカの卵の通販なんてのもあるなんて話をしていたら、うちでもやってますよと店主。赤系のだるまの卵なら980円とかだった。卵は20個ほどついているといい、ビニールの袋に入っているのを見たらすでに数匹孵化している。それでこれを買ってきた。ただこういう卵、店主が言うには、珍しい種類のメダカの卵と称して高い値段で買っても、実際には全く違うものになることもあるらしい。その点このメダカ屋さんなら信用に足る。

2014年5月9日(金) 晴れ
暑くなる。
10時から佐田家の屋敷神「三國院」の祭祀。昨日はもうこの時間ぐらいから強い風があり、11時の鐘を撞いた後に本堂の扉も閉めてしまったのだけど、今日は午前中は風もとても穏やかで、佐田家の屋敷の庭で行うのも風がなくてよかった。終えてから今日はご当主とも久しぶりにお会いしたので少しゆっくりとお酒などもいただいて話をさせてもらってきた。正月明けから体の調子が悪いということを知っていたので、あえて訪ねることも遠慮していたのだが、やはり季節も良くなってきて、体の調子も良くなってきているのかもしれない。午後3時を過ぎてから京都行きの電車の切符を買いにゆき、五大から湯葉を定宿の「叶屋」に送る。

2014年5月7日(水) 晴れ
もう初夏だなぁ。
祭典前には近づくとそれだけでなんか気が重くなったりしたが、終わってしまうと一気に緊張感がなくなって逆にそれでなんか気が抜けたようにぼーっとした状態になってしまう。世間でいうところのゴールデンウィークは、サンデー毎日の僕には関係のないものだが、お祭り後は片づけを済ませて、勤行も短くしていたり、酒を飲んだり、3人でウナギを食いに小淵沢の井筒屋まで出かけたりした。休みも昨日で終わったし、娘はもう昨日が職場の日直だったので、僕もまた通常の生活に戻すことにした。読書も再開し、来月の大峰入峰のために、ここしばらく歩いていなかったのでウォーキングも再開した。暑くなってきて、タイパンツを穿いて涼を感じている。毎日結構強い風が吹いて、芽吹いたばかりの新緑の葉をちぎって飛ばせてしまう。それから今年は例年になく青虫や毛虫が多い。10〜20ミリくらいのが細い糸の先で揺れていたり風で飛んできたりで、外から帰るってしばらくすると首のあたりに違和感を感じて鏡を見ると、青虫が尺取歩行をしている。2匹ぐらい必ず外から持ち帰ってしまう。ただこのくらい大きいとメダカのエサにはならない。来週の京都行きの時刻表を調べたり、今年の宗務所長会の次の日が、葵祭なので、15日の御所からの巡行を午前中観てから帰ってくることとし、定宿「叶屋」に二泊することにした。年に一度か二度京都に行けるってのは、本山が京都にあるおかげで、ちょっとぜいたくな気分になる。去年本山からお土産にいただいた、松屋常盤の「味噌松風司」も買えたら買ってこようと思っている。午後駐車場脇の側溝の泥あげをする。緑のカーテンの準備のため、去年のそのままにしておいた花の蔓を時間をかけて畑できれいにとる。もうまたそうして外に出ると、Tシャツに青虫がついていた。

2014年5月2日(金) 晴れ
更新を怠けていたのでまとめ書き。
4月29日の不動尊祭典も無事に終えることができた。今年は午前中から小雨になったが、本堂での護摩法要を30分早め、そのまま外での柴燈護摩に入ったが運よく雨もやんでくれてまったく雨を気にせずに修法することができた。終えて片付けが始まると雨になりだし、翌日はもう朝から丸一日土砂降りだった。終わってしまえばもうこれですべてよしである。お出かけいただいたみなさんに感謝。助法してくれた僧侶・修験の仲間にも大きな感謝である。よい酒が飲めた。片付けの時にちょっとした事故に遭ってしまった。祭壇の燈明を片付けようとして持ち上げたら、蝋燭がすべて溶けてしまっていて受け皿に蝋が満杯になっていたので、揺れて手にかかり、あわてたら右瞼にもろに蝋をかぶってしまった。幸いメガネだったので、直接眼球へかかることはなかったが、メガネは蝋で真っ白になり、瞼をひどく火傷してしまった。特に痛みなどはないが、どうやら跡が残りそうだ。まあ仕方がない。檀家の人でなくて良かった。30日は雨だったので一日休み、昨日今日で本堂から客殿、外などの片づけ掃除を終えた。息子は30日の午後相模原に戻っていった。何とか一か月の新しい生活を終えたようである。彼なりに気にして祭典に帰ってきてくれたことにはありがとうと言わねばなるまい。今日は午後父の教え子の池田さんが訪ねてくれた。彼はこの3月に、小説「山を祭る人々」でやまなし文学賞を受賞した。父の墓を本当に久方ぶりに参ってくれ、一時間ほど話をして帰った。本になったらまた届けてくれるとのこと。5月に入って昨日も今日も暑いくらいに気温が上がった。銀行などはクールビズが始まったようだ。今月は本山行きがある。上求寺での護摩も予定がある。

2014年4月27日(日) 晴れ
祭典準備。
朝8時から檀家の人たちに来てもらい祭典の準備する。今日はとてもいい天気だったけれど風がものすごく強く、せっかく立ててもらったのに、吹き流しの竹竿が2本1時間ほどしか持たなくて倒れてしまった。あとは当日の朝道場の結界の竹を用意してもらって、シメをつけたり、護摩壇にヒノキの青葉をもう一度新しく乗せる。本堂も掃除も済み、明日の午前中に祈願の護摩を焚いておく。天気がやはり気になる。午後5時発表の予報じゃ29日身延町は「曇り時々雨」降水確率50%。もうあとはお不動様にお願いしてお祭りに雨を落とさないようにしてもらうしかない。

2014年4月25日(金) 晴れ
内船寺へ。
柴燈護摩の壇の上を覆う、ヒノキの葉を取りに内船寺の住職と一緒に、やはり住職をしている佐野の感應寺まで行き、寺の裏のヒノキ林の枝を下して運んだ。うちからはそこまで約1時間ほどかかるが、今日は天気も良く久しぶりに遠出をし、新緑の林道を走って心地よかった。軽トラは朝三吉屋に寄って借りた。内船寺に戻りお昼をごちそうになった。旬のタケノコ尽くしであったが、一本のタケノコでも食べる部分が違うと味も食感も違い、どれもみなおいしかった。帰ってきてヒノキを下して軽トラを返しに行き、帰りに昨日命日だった公康君の墓に参る。もう2年がたってしまったのだ。残念ながら亡くなった人を忘れてしまうことはどうにも仕方がない。ここにいる限りは彼岸、命日くらいは墓参をしようと思う。

2014年4月24日(木) 晴れ
天気がねぇ、一番気になります。
29日は予報じゃ「曇り時々雨」で、降水確率は60%。時々雨だけを採用させてもらうなら、まあそれほど気に病むこともないかな?という気もする。玄法院のお祭りはジャンジャン降りのなかをやったものな。今日は本堂の回廊を掃除機できれいに掃除した。桜が終わって、桜の芽吹きに合わせて花殻が風に舞って吹きだまっている。これをとりあえず今日は全部吸い取ってきれいにした。それから本堂の中にも掃除機をかけた。賽銭箱もきれいに掃除した。たくさん入りますように。午後から民俗資料館のフロアに掃除機をかけ、トイレの掃除をした。あと祈願札を書く。客殿の障子を外した。以上今日の報告。

2014年4月23日(水) 晴れ
天気予報がねぇ。。。
29日があんまりよくないようなんだな、いまのところ。降水確率50%ってのがこの後の数日でどう変化していくか。いいほうに展開していってくれるといいんだけど。客殿裏の草刈りから境内、民俗資料館前庭など。あと細かいこと。祈願札の整理。当日助法してくれる皆さんの配役など考える。近づいてくるとなんだか少し気が重くも反面なってくるんだな。

2014年4月22日(火) くもり
少し寒い日が続いている。
今日は朝早いうちは陽が出たが、お昼前頃からはもう曇り空であった。いよいよお祭り当日の天気が気になり始めた。今日の週間天気予報じゃ曇りマークである。午前中松明を作り、裏庭の草刈りをする。午後飯富病院受診。帰ってきて花モモ、フジザクラの挿し木をする。娘は今日まで病気休暇。

2014年4月19日(土) くもり
寒い。
今日も陽が出ず一日曇り日。風が冷たく部屋の中も寒い。夕方になって霧雨のようなものが舞い始めた。晩飯前に、先日しまった丸ストーブを一つ出して灯油をついで暖をとる。娘のインフルエンザ症状は少しずつ良くなっては来ているがまだ頭や払いたかったりするらしい。食欲も幾分戻ってきたようだ。3時前に今日も起きてしまって映画を見る。午前中柴燈の護摩壇の下地を作る。若尾屋の空き地から伐採した針葉樹の青い枝などを一輪車で運ぶ。ブルーシートをかけて養生する。

2014年4月18日(金) くもり
今日はちと寒い。
長く乾燥した日が続いたのでお湿りがありがたいようには感じたがちと寒い。娘は昨日の朝から調子が悪く、病院で診てもらったらインフルエンザ。とりあえず日曜まで療養となる。今朝も腹が痛くてたまらんと嘆いていたが、午後になって少し安定してきたようだ。だが見ているとほんとにつらそう。ただこちらが感染しないように気を付けることも大事。お札書きなどする。夕べも早く寝てしまったので、2時に起きてしまい2本映画を見た。「カーテンコール」という邦画がとてもよかった。伊藤歩という女優と、吉本芸人の藤井隆が好演で、それから藤井隆の老いてからを演じたギタリストの井上堯之もいい演技だった。よい映画に出会えた。

2014年4月16日(水) 晴れ
お札書く。
申し込みが少したまってきたので午後からお札書き。午前中東京の牛山さん家族見える。春で温かくなったので、90歳を超えたお父さんも元気にお寺を訪ねてくれた。墓地でお経をあげる。今夜は石和温泉に泊まるとのこと。塩尻の親戚の方たちと石和出会う手はずになっているとのことだった。メダカの卵を採卵していると「ご朱印ください」と男性来る。ちょこちょこと用事が出てきた。今夜は若大将で祭典の料理の打ち合わせ。

2014年4月15日(火) 晴れ
人間ドック受ける。
しかし、あらためて「人間ドック」って口にしてみると、この人間てやつが何か空恐ろしいような気持になってくるな。今回は、今年満58歳になる人は厚生連のドックが1万円で受けられるというのを利用して受けてきた。僕は1月の終わりと再検査で2月の中旬にも胃カメラを飲んだので、内視鏡検査はパスした。女房をオプションの頭の断層写真も撮ってもらった。昼食も出て午後からは結果説明を医師、栄養士、保健師とそれぞれの立場からの指導をもらった。メタボなので、6か月後の数値目標を立てて頑張ってみてくださいとのことになった。数値の悪いものも当然あるのだが、今回では要精検はなく終えることができてホッとしたところ。帰りに寄ったオギノで、ウィスキーと日本酒のパックを買った。僕はもう11時には終えてしまったので、ブックオフへ行き、ポール・バタフィールド・ブルース・バンドの (Original Album Series)5枚組を購入、それから東野圭吾3冊、浅田次郎1冊仕入れる。甲府の外はもう夏のような暑さだった。

2014年4月12日(土) 晴れ
夕方風でてくる。
山の桜以外はもう葉桜になってしまったがミツバツツジが開いた。2月の雪で幹が折れてしまったのが残念でならないが、この後しっかりと伸びていってほしい。桜の苗木もそうだが、この植えた木が一人前になるまでには10年20年と時間がいるのだと思うと、自分の先々の残り時間とともにどうしても一緒に考えてしまう。ここに僕は何か残すことができるのだろうかとか。午後女房と、いつもお祭りにお札を頼んでくれる建設会社の葬儀に出向く。暖かい一日で、庫裏の外の板の間においてあるポリ容器のメダカが早くも散乱していたので、卵をほかの小さな容器に移した。厳しい冬をこえたメダカはたくましく、生命力も強く、繁殖する力も強そうな気がする。お祭りあたりのころには孵化するかもしれない。

2014年4月11日(金) 晴れ
悼む人。
天童荒太「悼む人」上下巻を夜までかかって読み終えた。読むことが止められなくなるような本だった。この前に読んだ「あふれた愛」は短編が4作おさめられたものだったがこちらも一気に読み終えた。こんなに作家にはまってしまうのは、浅田次郎以来のことだったような気がする。浅田氏の者にも随分と感服するのだが、やはりこの若い作家の持つ独特の感性のようなものにはズシーンと重いものを目の前に突き付けられるような感じになる。「悼む人」は、死者を悼む旅を続ける人であり、「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか?どんなことで感謝されたことがあったでしょうか?」と死者を知る人たちに問いかけて歩いている人である。夕方東海師おとずれ1時間ほどお茶を飲んで話してゆく。

2014年4月10日(木) 晴れ
緑化計画進める。
午後から母の入所施設へ利用料の支払いと面会に行く。久しぶり会ったらだいぶ様子が変わっていた。昼食後だったからということか、春だからなのか、入所者がくつろぐホールで椅子に寄りかかって眠っていた。肩をたたいても容易に起きなくて目を開けても反応が鈍い。足が弱ってきているのだろうか、椅子からの立ち上がりに時間がかかる。歩行も手をつないで出ないと少し危なっかしく感じた。とにかく散漫な印象を今日は強く受けた。この様子では早晩自立して歩行することなどもちょっと難しくなってくるのではないだろうか。口数も少なく、表情が特に乏しい様子。仕方のないことだとは分かっているが少し驚いたというのが感想。帰りに桜の苗を3本買う。低木の「庭桜」と普賢象桜と熱海桜。気温も随分と上がって外に居るのがとても気持ちいい。今日は風も凪いでいた。大塚まさじの懐かしいアルバムを求めた。ソロ2枚目の「風が吹いていた」。懐かしく、それからほっとする。

2014年4月9日(水) 晴れ
午後小保方さんを1時間ほど見る。
渦中の人がやっと自ら会見するというのだから見ないわけにはいかない。が、1時間ほど見て終わりそうもないので外に出て、チェンソーで木を切ったり、角屋の姉妹が東京から持ってきた鉢植えの木を境内に移植したり、護摩木を割ったりする。これを書いている今ちょっと眺めると、会見は2時間半にも及んだとか。「会場となったホテル大広間の使用料金は約35万5000円(3時間)で、全て小保方氏本人の自腹」。「紺のワンピースにしっかりと巻き髪をセットして登場。巻き髪はホテル内の美容室でセットし、ワンピースは小保方氏が好きなブランド服で、この日のために新調」という報道もすぐに出るところが面白い。

2014年4月8日(火) 晴れ
お札作り。
午前中少し歩いて帰ってくると、隣のお寺の墓地で石屋さんにお会いした。今歩いてきた山の中で赤松の幹に出ていたキノコのことを話すと、多分こういうキノコだと思うと教えてくれた。とりとめのない話を少しして別れた。帰ってきてから本を読んで午前中は終わり。午後からお札作りをした。女房はお雛様をしまう。お雛様は出して飾ってまたしまうのが大変。彼女が好きでやっていることなので僕はあまり手伝わないし手伝ってくれとも頼まれない。夕方になって少し風が出てくる。暖かい日が続きメダカの動き活発になる。ボウフラを入れてやるとハンターよろしくボウフラに食らいつく。それをしばらく眺めているのが楽しみ。

2014年4月7日(月) 晴れ
昨日よりは風もなく。
午前中映画。午後から外に出て桜の立ち枯れを1本チェンソーで切り倒す。境内の桜もそろそろ世代交代の時期に差し掛かっている。祭りの幣串にする野竹を取ってくる。墓地へいくと野蒜が出ているので食べたくなって手ガンナを持って行って下から丁寧に掘って洗う。今夜か明日には食べられるだろう。

2014年4月6日(日) くもり
大風吹き荒れる。
女房と娘は甲府へ買い物に出かける。昼前から風が出てきて、雨も舞ったりする。すごく強い風が吹き荒れて本堂も早々に扉を閉めた。桜の花が散らされて本堂の中にもたくさん舞い込んでいる。午後1時半から区の新旧役員の引継ぎがある。去年は一杯出たが、今年は出なかったので早々に席を辞す。結局数人で花見と称して消防の詰め所を借りて2時間ほど肉を焼いて飲む。互いの近況を話し、子供らのことも。もう大体みんな50台になった。

2014年4月4日(金) 晴れ
久しぶりに歩く。
大雪の後歩かなくなって、一度か二度歩いただけで怠け癖が出てきてしまった。今日午後歩いた。去年の秋の終わりから2月の初めまで歩いた裏山に2か月ぶりで入ってみた。ここが2キロくらいあるだろうか?雪で折れた杉の木や立木の枝が道にも林の中にもたくさんあった。下りの道で鹿が驚いてはねて逃げていくのを見た。気持ちがよかった。そのまま野良着に着替えて、参道入り口の十月桜と駐車場の隅の桜を二本切り倒した。十月桜は雪でやられてしまった。去年の秋から冬にかけて最後の花を見せてくれたのが思い出だ。できればまたそこにこの桜を植えてみようと思う。

2014年4月3日(木) くもり
読書。
4月に入って初日二日と一日中本を読んでいた。今朝4時半に起きて1時間読み、天童荒太/孤独の歌声を読み終えた。読み始めはまたこの人の特徴の内容かと少し先に進めないかもしれないなんて思ったりもしたけど、我慢して読んでいるうちに引き込まれた。こういうドラマの展開をこの作家たちはどのようにして考えて構成し展開していくのだろう。午後からすでに新しい作品を読み始めた。午前中は天気も悪かったので、木札を手書きしたり、今年の火渡りに配ってみようかと考えている「火渡り証」を考えて印刷コピーなどし作ってみた。Roy Buchanan聴く。

2014年3月31日(月) 晴れ
暑くなる。
昨日と変わって一日陽気も良く暑い一日。閉め切った部屋が暑くて仕方がないので、台所と風呂にも網戸を入れた。去年もお祭り前に全部網戸を入れたような気もする。消費税値上がり前に郵便局へも行く。コメリでしだれ梅を一鉢買う。雪で折れた梅の場所に新たに植えた。3月もこれでおしまい。明日から4月。祭典の準備にかからなければならない。
天童荒太の「家族狩り」第5部を読み終わり完結。これでも引き込まれて読み切った。この僕よりも若い作家はこんなに重い内容の作品に何年も向き合いながら書いていくということがよくできるものだと感心してしまう。この人のものをもうしばらく読んでいくことにする。

2014年3月30日(日)
玄法院祭典。
東海師朝迎えに寄ってくれて8時半過ぎに出発。天気予報通り朝は雨。予報ではだんだん雨模様が悪くなるといい、横殴りの強い雨になるともいう。甲府市内に入ると一時雨が止んだりもしたのでかすかな希望も持ちながら玄法院に着く。ご住職と太志さんで準備をしておられた。挨拶をして僕らも結界の締めなどを張る。11時からの柴燈護摩法要の祭典。今年は土砂降りの中で執行することになった。獅子座に座る導師は、ずぶぬれで次第書も。それでも大勢の信者さんが訪れてくれてテントの中から春のお祭りに祈ってくれた。終えた僕らは下着までびしょぬれであったが、それでも春のお祭りのできた満足感は十分にあった。ご住職は30年以上の勤めを退職した春なので、きっと思い出に残るお祭りになったのでないか。あとゆっくりとお酒と料理と会話を楽しんで帰ってきた。夜、八日市場区の区民総会。

2014年3月29日(土) 晴れ
カエルが出てきた。
朝から池でヒキガエルが急に鳴きはじめてそのグロテスクな姿も否応なしに目にすることとなった。渡り廊下の屋根の修理に大工さんが来てくれて作業をしてくれたが、「カエルがたいへんいるじゃねぇか」と驚いていた。池で泳ぐカエルを空からトンビでも狙ったのか、石畳の脇に食いちぎられた後の無残な姿も見つけたりした。春の風物ではあるがあまり気持ちのいいものではない。桜は昨日今日で急ぎ開きはじめている。エドヒガンザクラも普通の枝垂れも二分咲き程度にはなってきた。お墓参りのAさんが、アナベルの挿し木苗を持ってきてくれたので、墓地のよさそうなところに植えた。明日天候が下り坂のようなのでついてくれると思う。本堂の掃除と次の護摩の準備をしてしまう。

2014年3月28日(金) 晴れ
気温上がる上がる。
Tシャツ一枚で午後を過ごしている。お昼を食べてから本堂で3月不動の護摩。寒さを感じることはない。春一番のよい護摩が焚けたと思う。年度末なので、家族の健康や子供たちの生活のことなど、知り合いの病気平癒も祈願した。午後4時になろうとしているが日差しが強く薄着で十分。メダカたちも餌をまくと集まってくるようになった。花の名前を一つ覚えた。「黄梅(おうばい)」。春先の黄の花はいい。

014年3月27日(木) くもり
晴れたり曇ったり降ったり。
今日で三日目の竹林の整理。前日の火が残っているので竹の焼却の火床を苦労する手間はない。今日は休もうかと思っていたのだが午前中良い天気になってきたので外に出た。はじめたらゴールが見えてきたので午前中いっぱいがんばり、お昼を挟んで小雨になってきた午後も3時前まで続けて片付け終えることができた。竹林は雪折れの竹や枯れて立っているものなど相当片づけたのでほんとにさっぱりとしてしまった。今年の竹のこの時期には少し成長する竹を残すようにしなければいけない。竹林をしっかりと管理できるといいのだが。雨にぬれたり汗もいっぱいかいたのでシャワーを浴びてお茶を飲んでいると、まあ珍しいことに、妹が訪ねてきた。1時間ほど話をして帰っていった。在家にはわからぬお寺の苦労というものの話などを少し。昨日は本山から山梨宗務所の宗費がまだ入っていませんがと、やんわりと催促する電話があった。こちらもそれなりの事情を話しいましばらくお待ちいただきたいと返事した。

2014年3月26日(水) くもり
時々雨。
昨日は東京でも桜の開花が宣言されたが、うちの寺でも早咲きのものは開き始めた。今日は曇りで外に居ても気にならない程度の雨が降ったりやんだりだったが気温はある程度上がり過ごしやすかった。天気予報が気になっていたので、雨が降ってくる前にやれるだけやろうと早めに竹伐りと焼却作業を始めたが、先に書いたようなわけで、午前中いっぱい作業することはできた。風が幾分お昼近くに強くなってきたし、結構へとへとになったので午後はもう作業を休んだ。読書。地区の檀家へのお祭りの準備などの案内を配達した。昨日と今日で竹林はだいぶすっきりとし、うつむいた竹も少なくなってきた。もうあと二日くらいはかかるかもしれない。それでも目途がついてきたなぁってところ。夕のお勤めの後に護摩の準備する。

2014年3月25日(火) 晴れ
暑い日になる。
朝から竹林の雪折れの竹などの片づけをする。ツバキの枝折れも焼却する。竹伐り用のノコギリのほうがいいといわれたので買った。確かによく切れる。チェンソーより早いかもしれない。元から切り、焼却するために短くするのも大して時間がかからない。午後4時半まで汗をかきながら作業。まだ何日かかかりそう。11時の鐘を撞いてから息子が相模原に住所を移すので役場に二人で行く。

2014年3月24日(月) 晴れ
暖かいに日なる。
夕方息子帰ってくる。4月からの就職のために新しいスーツなど女房と甲府で待ち合わせてあつらえたようだ。とにかく一生懸命にやれという。自分で自分の人生を切り開いていけばそれでいいと思う。

2014年3月23日(日) 晴れ
墓参者多くあり。
やっぱり土日の墓参者が多い。昨日も今日も天気も良く彼岸のお参りも多かった。天気も上々で、墓参がてらに春の街に出てみたいという気分になってくるのかもしれない。桜は例年より遅れるようだけれど、梅の花がいいし、少しばかり強く吹く風さえ気にならなければ、待ち遠しかった春が体感できる。

2014年3月21日(金) 晴れ
彼岸中日。
今日は天気が良かったので墓参に見える方も多かった。それでもお昼近くになってからだんだんと風が強く吹き始め、本堂も閉めようかと思ったりしたが、2時間ほどで落ち着いてくれた。修一さんが、「甲府じゃ電線が唸りをあげて鳴ってらぁ」と教えてくれた。この時期は天候も安定しないし強い風も吹く。本を読む。

2014年3月20日(木)
三寒四温。
雨、雨、雨だ。あったかいようで寒い。一日降り続く。午前中富士川町にオープンしたショッピングモールに行く。百均でローソクを仕入れようといったのだが、こちらの思うサイズのローソクが売ってなかった。仕方がないので回転ずしに入った。オープン記念のでっかい湯呑をもらった。午後2時から下八木沢の木村さん宅へ彼岸のお経に行く。今日は小学校の卒業式だったようだ。彼岸の回向に家では檀家を歩いていないが、昨年ご主人が亡くなって真言宗のお寺ということで僕に話があり葬儀をしたため、今日も来てほしいとのことだったのだ。T師来寺。一年で勤務地が異動になったことを報告に来てくれた。それでも同じ管内なので、時には護摩のお手伝いもしてくれるかもしれない。不動尊祭典当日は大丈夫だとのこと。祭典の準備などの通知を檀家宛に作る。

2014年3月19日(水) くもり
天候落ち着かず今日も曇り日。
午前中護摩木作り。今日は墓参者なし。直接中沢川側から墓地に行った人がいたらわからないが。午後祭典用の締め作り。風が冷たく夕方は寒くなる。サックス奏者のブランフォード・マルサリスが参加した1990年3月9日のDEADのライブがとても気持ち良い。庭の紅梅の開花足踏み。

2014年3月18日(火) くもり
彼岸の入り。
明日だとばかり思い込んでいたのだから阿保だ。今日が彼岸の入りであった。今日は一日おかしな天気。陽もでるが、風が吹いて雨もぱらぱら舞ったり、しとしとと2時間ほど降ってみたり、夕方には青空が広がって、女房曰く「虹を見た?」というのであった。僕は午後遅くから護摩木を作っていたので空を見上げることがなかった。寺の墓地、無縁の墓地、柳沢家の伯父伯母の墓地に塔婆供養する。午後女房と飯富のお寺の公康君のお墓に参る。ちょうど雨に降られた。もう来月には三回忌になる。長い付き合いがあっても、鬼籍に入ってしまった人はやはり日々の暮しにはあまり浮かんでは来ない。彼岸や命日などの節目にできるだけ思い出して供養しようと思う。墓参の帰りに実家のお母さんを訪ねた。高齢だがしっかりとお店を続けている。今日がこんな天気だったので、昨日の赤沢行きは正解だった。福寿草と、秋のツワブキの黄が僕はとても好きだ。

2014年3月16日(日) 晴れ
春はお祭りシーズン。
先週の不動寺に続き今日は市川三郷町の曹洞宗のお寺西光寺の秋葉尊祭典で柴燈護摩法要。瀧本院、行藏院のお二方に手伝っていただいた。檀家の皆さん早朝より道場の護摩壇の準備などももう慣れたもの。境内の梅も福寿草も見ごろ。庫裏でお昼をいただいて午後2時から秋葉尊のお堂でお加持。その後柴燈護摩。こういう護摩が行える機会を作っていただいているご住職や檀家の皆さんにホントに感謝である。地域の皆さんももう23年続くこのお祭りを楽しみにしてくれているようである。大雪の後テレビのアンテナが調子悪くなって、静岡からの映像が受信できなくなっていたのだが、僕が留守の間にT屋さんが来てくれて新しいアンテナに取り換えて元のように静岡からの映像が見られるようになっていた。娘は「CATV入ろうよ」なんてぼやいていたが、今日からまたテレビ朝日なんかが見られるようになったので不満も解消されたよう。選択肢が多かったものが狭められると、僕たちの気持ちはもうこれに我慢するというようなことができなくなってくる。静岡側からの映像が見れなかったころは、特に不便も感じなかったのだけど、日常を生きているってことの厄介がここにも転がっている。電話をしてとりあえずお礼を述べて感謝。

2014年3月15日(土) 晴れ
富士山を仰ぐ。
富士ヶ嶺の遠藤家の法事に行く。あの大雪からちょうど一か月だ。富士ヶ嶺はまだまだ雪野原の感があった。法事後に墓参。富士山颪の冷たい風に震えた。戻って、弟の保さんが建てた句碑の開眼をした。富士に向かってホラ貝も吹いた。こんなに雪を纏っている富士を近くで見ることはない。大雪であればいつもの年以上に春の訪れが待ち遠しい。お昼をゆっくりいただいて本栖道を下ってきた。

2014年3月14日(金) くもり
寄せては返す波のように春はなかなか。
今日も曇り空の寒い一日。遠くの山は時雨れていた。てっぺんの二本の太い枝が折れてしまった樫の木を倒す。午後母の入所施設へ支払い。昨日行こうと予定したがあまりに強い雨脚に腰が引けた。案のじょう今日は入浴時間と重なってしまい顔を見ることはできなかった。特別な連絡もないので相変わらずなのだろうと思う。帰りに新規開店した「くろがねや」に寄る。平日でも混んでいる。仏光堂の若林さん、学校教育課でお世話になったAさんにも会う。皆さんお元気そう。「消費税値上がり前に」という言葉に押され、発泡酒をひと箱買う。開店セールの目玉のコピー用紙とか。墓地に出ていたふきのとうを夕食に天ぷらで食べる。初物。春の香りと味を楽しんだ。

2014年3月13日(木)
春の大雨。
朝から雨。夕方になっても雨足が衰えない。県内に竜巻注意報が発令された。最近の自然気象というのは、僕の浅い知識程度では予測ができない。この大雨の中を渦巻いてドラゴンが家屋を巻き上げなぎ倒していくなんて図がよぎってしまう。もう神にすがって祈るしかない。

2014年3月11日(火) 晴れ
気温上がる。
天童荒太「家族狩り第一部幻世の祈り」読み始める。午前中早い時間にウォーキング。今日は気温も上がり昨日と違って寒くなかった。東日本の震災から今日で3年。特別なことはしなかったけれど、朝のお勤めで亡くなった人たちへの思いを込める。どうしようもない状況の原発のことなど不安は消えない。一日中外に居て、雪折れの木の枝などを引きずってきて焼却する。モミジの枝にモミの枝が折れて引っかかっているのを梯子をかけておろしたりなど結構大変。樋の修理も3か所する。竹林の中に雪後初めて入ってみた。ひどいことになっている。ここを何とかするにはかなり日数を要しそうだ。チェンソーで竹も切っていけばいいだろうか。

2014年3月10日(月) 晴れ
のんびりと。
寒い一日。外は冷たい風がある。天童荒太の「永遠の仔」読み終わる。とても感動した物語だった。作家の真摯なあとがきも心に染み入った。そのほか映画ドラマなど集中して観て過ごす。気温が上がらないので、本堂前の積もった雪がなかなか解けない。百八霊場巡りの夫婦きてご朱印頼まれる。遠藤家の塔婆書く。

2014年3月9日(日) 晴れ
不動寺祭典。
今年で27回目。僕も27回の皆勤。今年からホラ貝持参で、修験装束で出仕することにした。東京から従兄と伯母がいつものように来てくれた。今年はそこに別の従兄二人も同乗してきてくれた。3人の姿がしばらく見えないと思っていたら、祭りの始まる間際に戻ってきて、「大聖寺へ行ってきた」と話し、雪の害なども見てくれたということ。とても良いお祭りになった。叔父の言葉は祭りの時も、葬儀の時も胸にずっしりと響く。僕のホラ貝も喜んでもらえてよかった。終わって従兄たちも交えて「俄かいとこ会」のような短いけれど楽しい酒宴になった。

2014年3月8日(土) 晴れ
区の会計監査。
午後1時から集会所で区の今年度の会計の監査をする。もう一人はS氏。一件疑問があり、執行部側と話し合いをして解決したら監査の署名をするということで終わる。結局3時間近くかかってしまった。終わってから夕暮れまでの短い時間、雪折れの木の枝などを一か所に集めることにして作業。もみじ、杉、椿、ケヤキ、桜、梅など。落ちた枝は仕方がないが、起立している木の裂け目は痛々しい。夜7時半から区会。終わって同志会の定例会によって午前零時になって帰ってくる。

2014年3月7日(金) 晴れ
JAから査定員くる。
午前中にJAから雪害にあった箇所の査定に来た。地元の職員が連れてきた査定員は長野県の出身ということだった。渡り廊下の見積書のコピーを渡し、あと、瓦の落ちた箇所やといのはずれてしまったところなどの写真も撮っていった。持ち帰って詳しくはわからんのだが、どのくらいの補償になるとかの具体的な数字を示してくれるようなことだった。まああとはお任せということで。

2014年3月6日(木) 晴れ
歩く。
ほぼ一か月ぶりに歩いた。今日と明日、獣除けの柵の他地区との境の扉の開閉当番になっていて、午前6時前に歩いて開けに行き、久しぶりに気持ちよかったので、午前中、甲府の信徒の方にお札を送るのに飯富郵便局まで歩き、歩きながら大雪の後などの光景を眺めた。木の枝が裂けている姿が何とも切なくて悲しい。梅の木はもう蕾がついていてそれがだめになり、桜の枝はもう二週間もしたら花をつけたであろうにと思うと何とも惜しい。午前中知り合いの石屋さんに電話をして、墓地の倒れた灯篭の直しをどうしたらいいか相談した。午後見に来てくれて、倒れている檀家の皆さんにもここに連絡を取り、自分で直す人以外はこの石屋さんに頼むことにした。チェンソーを出して墓地の奥で倒れた杉の木を玉切りにした。雪の上で杉の葉を燃したりして気持ちがよかった。でももう雪は降ってほしくない。天童荒太の永遠の仔(四)に入る。読みだすと引き込まれてしまうほど面白い。

2014年3月5日(水)
霙まじりの雨。
夜半から大分雨が降った。朝には霙混じりになり、うっすらと屋根が白く変わった。まったくこの雨で庫裏の屋根があのままだったら、夜眠れなかったかもしれない。4時半に起きてまず庫裏の部屋を見に行って雨漏りしていないか確かめた。大丈夫。大工の遠藤さんにホントに助けてもらった。ありがたい。朝富士ヶ嶺の遠藤さんから法事の件で電話があり、「そちらはどう?」と訊くと、「30センチくらい積もっている」とのことだった。2月の大雪では2メーター近くもあったらしい。雨が相当降ったので、池からあふれた水が勢いよく溝を流れていくので、落ち葉や小枝なんかを流してしまうには都合がよかった。30分ほど傘をさして長靴はいて溝の落ち葉をきれいに流した。それでも、春を呼ぶ雨になる。シイタケも少し小さな顔を出し始めている。

2014年3月4日(火) 晴れ
天井から水漏れ。
庫裏の畳に天井から水漏れがして濡れているのを外が明るくなってから気づいた。昨日庫裏の屋根の北側を墓地参道から眺めたら、二か所瓦が落ちていて屋根の地が見えていることに気づいていた。屋根の雪はもう落ちてしまっているし、雨も降っていないのに天井から水が漏れてきたということは、土曜日曜の雨が屋根から漏れて天井の梁を伝って夕べあたりから落ち始めていたということになる。屋根の葺き替え工事をしてくれた建築屋さんにも連絡をしたがとても来てくれそうにない。今の時期屋根屋さんは仕事に追われていてどうにも都合がつかないのだそうだ。消費税値上がり前の駆け込み受注も多いと聞く。総代のSさんにも現状を見てもらうが、「今夜雨になるかもしれんというしなぁ」という話をし、「雨漏りをバケツで受けてしのぐしかないですね」とあきらめた。それでもお昼になってダメもとで、市川の遠藤さんに電話をしてみた。庫裏の便所・洗面所の屋根の補修工事を頼んであり、今回の雪で壊れた渡り廊下も見てほしいと連絡してあったから、今朝の事情を話したら、自分にできるかどうかわからぬがとりあえず来てくれることになった。渡り廊下の補修箇所の見積もりを出すために写真を撮り、手帳に寸法など記してから庫裏の屋根に二段梯子をかけて、別に持ってきた地下足袋に履き替え上がってくれた。僕も予備の瓦を持ってあがった。鉄鎖を頼りに見事に差し替えて直してくれた。助かった。まさに地獄に仏というやつだ。明日には雨になり、山間地では雪になるかもしれないという。安心して休むことができる。

2014年3月3日(月) くもり
今日もパッとしない天気。
午前中西光寺の祭典に持っていくご幣などの準備をする。うちのお祭りの締めなども切り始めた。午後墓地の参道を一番奥まで開ける。これでほっとした。奥のほうの墓地は、灯篭の倒れているところは一つもなかった。杉の木が折れていたり、雪が解けて足元がいくらかよくなったら、木やら枝やら、竹やらあちこち片付けねばならない。JAから電話があって、金曜日に雪害の調査に鑑定士が行くとの連絡をもらう。

2014年3月2日(日) くもり
今日も天候悪し。
午前中早い時間はドラマを見たり本を読んだり。八幡寺の檀家の葬儀の助法に10時半過ぎに出る。11時半からの葬儀。鰍沢の十谷の檀家で、いまだにとても雪があるそうで、老健施設で亡くなった故人を家に帰らせることができず、葬祭場に泊まって枕経から納棺までのことをしたという。河野という新しい葬祭場は初めて。もともとが葬儀社なので、仏壇などの展示場も併設されていて明るい雰囲気だった。葬祭場は新しくできても結構需要があるんだな。昼食のお弁当をもらい家に帰ってから食べる。夕方今度は妹夫婦の仲人さんの通夜に南部まで行く。あいにく雨が降り出していて寒かった。まあそれでもこれで義理を果たしたというやつで、帰ってきてから一杯。

2014年3月1日(土) くもり
納骨あり。
昨日はよい天気だったが今日は少しも雨もあるような曇りの一日。東京から七七日忌の法要と納骨に13名がみえる。だいぶ雪は溶けたがそれでもこの光景には少しびっくりしていたようだ。雨になると困るなと思っていたが納骨も雨に降られることなく済んでよかった。御斎に久保田をいただく。施主ご夫妻はインドネシアに赴任中で、月曜日にまた戻るのだとのこと。大雪があったりで2月は忙しく過ぎて今日から3月。彼岸も来るし、今月はいくつかのお祭りへの出仕もある。

2014年2月28日(金) 晴れ
雪解け進む進む。
気温が今日も上がって雪解けにはとてもいい日。墓地の道も5mほどスコップで開ける。駐車場は明日の法事客にも支障なく停めていただける。2月も今日で終わり、いつもの年は牧丘の上求寺のお祭りに行くのだけれど、雪のために大瀧の御堂まで上がっていけないようなので今日はとりあえず中止。お昼を食べてから本堂で護摩を焚く。3時過ぎに終えて、5時半ころまでかかって掃除も済ませることができた。気温も上がったし、陽ものびてきたので夕方の用事が長くできるようになった。不動寺から日曜に葬儀の助法をとの連絡はいる。

2014年2月27日(木)
THE ROLLING STONES。
昨日の思い出を胸にしょぼふる春の雨の中央道を高速バスで帰ってきた。昨日も雪は高速バス。中央道まだ残雪が道の端にあり、ところどころ車線規制が敷かれていたが30分ほどの遅れで新宿に着いた。先ずはdisc unionへ。JAZZのCD(中古)4枚購入。こういうさがす楽しみってのは都会でなきゃ味わえないからね。丸の内線で後楽園まで。「東横INN後楽園文京区役所前」というところが宿。ここからドームは姿が見えていて歩いて5分ほど。4時半からの会場だったが、4時過ぎに下見に行くと、すでにグッズ売り場はすごい行列であった。こっちはゆっくりとコンビニで発泡酒を買いシャワーを浴びてくつろいでから5時半ころに出かける。座席は1階の席のだいぶ上段で、肉眼でステージ上の人物の動きをとらえることは不可。30分ほどの遅れで7時前に始まる。「Get Off of My Cloud」ではじまり、午後9時5分に「 (I Can't Get No) Satisfaction」で終了。ミック・テイラーが途中ゲストで参加したが、これはWOWOWで去年放送されたアメリカでのストーンズ50周年記念liveでもあったし、今回もミックがゲストで来るという事前情報はあった。レスポール、ギンギンに弾きまくってくれました。まあミックも、キースもロニーも元気だけれど、やっぱチャーリ・ワッツのドラムはかっこよかったな。音だけを聴くのなら家でCD聞いてたほうが何ぼかいいかってくらいに、会場も上のほうじゃ音が騒々しいだけのような感じがしたが、これはやっぱり、一緒に参加してストーンズと一緒に一夜を楽しむってことだからこれでよかった。老いも若きもストーンズに体が動かせたのだから。スーツ着てネクタイ絞めた会社帰りの兄ちゃん、おっさんたちがふらっと寄ってストーンズを楽しんじゃうような感覚ってのは「TOKYO」じゃなきゃできないことなんだな。今度のツアーも、当初は「追加公演もあるよ」なんてささやかれてたようだけど、結局、残りの3月に入っての2公演と、たった三晩だけに限られてしまったのだからこれは大変に貴重な体験だったのだ。よかったなぁ。行き帰りのバスで天童荒太「永遠の仔(一)再会」を読み切り、「(二)秘密」を読み始める。帰りのバスは定刻で帰ってきたし、これは安くて利用する価値十分にあり。そんで乗客一桁。一日留守にしていただけだが駐車場の雪ほとんど消えているのでちょっとびっくり。これで土曜の法事も駐車場はOKだ。

2014年2月25日(火) 晴れ
今日も気温上がる。
基本除雪作業で、28日の護摩の準備をしたり、屋根に上がったアンテナの調整をしたり、飯富病院を定期受診したり、明日のローリング・ストーンズ公演のための上京の準備をしたり。気温が上がり雪解けが進む。駐車場も地面がやっと見えはじめた。集落道にある車庫付近には、除雪した雪が盛られてところどころ置いてあるが、これも毎日の作業でなくなりつつある。明日は作業なし。

2014年2月24日(月) 晴れ
気温上がる。 今日は天気も良く気温もぐんと上がったので、屋根や境内の雪もだいぶ解けて少なくなった。墓地も桜の老木から無縁墓の横まで進んだ。雪かき作業は単調なので、時々違う場所に移動して作業をしている。駐車場の向かい側の町道の雪も大体片づけた。午後は台所の屋根に上がって客殿からの雪を下に落とし、テレビのアンテナの引張線を止めなおしたりした。身延⇔新宿間の高速バスは今日の午後便から運行を再開し、明日からは全便運行予定とのこと。これで26日は大丈夫だ。

2014年2月23日(日) 晴れ
不動寺に行く。
午前中家の雪かきをして、昼ごはん後に不動寺を訪ね、1時間ほど雪かきをしてきた。2週間後の祭典があるが、本堂の屋根から落ちた雪を除けて上がり端に皆さんが靴が脱げるスペースだけ開けた。ここの墓地も灯篭がやはりいくつか倒れていた。今年の不動寺のお祭りには初めて修験装束で出仕させてもらうことにした。普段馴染みのない法螺貝も聞いてもらおうと思っている。まだ今日も、身延⇔新宿の高速バスは運休している。

2014年2月22日(土) 晴れ
親戚の見舞いに。
圧迫骨折で年末から入院生活を続けている親戚を見舞いに行く。先週は午前中いっぱい雪が降っていたのだから、先週からの毎日を思うと、夢であって欲しかったと時間を戻したい気分になってくる。まだ道路には多くの雪が残っている。幹線道路以外の道は今日も除雪に精を出している業者や、地区で一斉に除雪作業をしているような場所も見られた。お昼時で入りたい店はいずれも混んでいたり並んでいたりで、「なか卯」という店に入って安上がりの昼食を女房ととった。エルクにも行き僕はあったかいジャケットを一着買ってもらった。オーナーは自宅の雪かきで塀から落ちて胸を打ってしまったそうだ。気をつけないと。骨折は日数を要して回復していくものらしい。寝ていると足の筋肉も落ちているので、ゆっくりと時間をかけて歩き始め、リハビリしていくということ。帰ってきて墓地の雪かきなどする。

2014年2月21日(金) 晴れ
今日は気温上がり、急げ雪解け。
平山家の墓地までの残りの道を開け、納骨ができるように墓地の中の雪も除ける。墓地は陽当たりが悪くて、午後2時を過ぎるともう日陰になって冷たい風が吹き、残った雪は氷になってしまう。結局今日も雪かき作業。「泉美木蘭/エム女の手帖」読了。この人、お笑い芸人の小梅太夫の元妻。26日のローリングストーンズの公演に行くのに、身延⇔新宿間の高速バスの往復を予約してあるんだけど、今のところ走ってないんですよ。混雑している電話がやっとつながって尋ねたら、26日走るかどうかはまだはっきり言えないというのである。だめなら払い戻しということになるが、だめならちょっとお高いけど電車で上京するしかない。クソッ!ここまで影響してくるとは予想外だ。天気が良い日が続き、近所の畑に梅の花が咲いているのを見つけた。境内のあちこちに僕が植えた苗木類は折れてしまったり雪の中に埋もれてしまったりでとても心配。特にミツバツツジ。

2014年2月20日(木) 晴れ
気温上がらず。
今日はあまり気温が上がらなかった。夕方になってとても冷たい風が吹いてきている。午前中は録画したドラマなど見て休養する。だけどテレビ見ながら、疲れているのか、コックリコックリしてしまう。昼食後外に出る。2月は短いので、3月1日はもう一週間後くらいになってしまう。納骨する平山家の墓地くらいまではせめて道を開けておかなければならない。墓地の雪も除いておかなければ納骨することができない。モミジや椿の枝折れがたくさんある。竹林の光景は目を覆いたくなってしまった。それから今日は平山家墓地まではたどり着けなかったけれど、墓地の灯篭がいくつか倒れているのが目についた。傘の部分にたくさん雪が積もってバランスが保てなくなってひっくり返ったのかもしれない。鳥たちが餌を求めて雪の上を飛んでいる。南天の枝はほとんど雪の中だ。娘は昨日から南アルプス市の義兄の家に厄介になり今夜も泊まる。今朝は遅れることなく出勤できたとのこと。JR身延線は来週の月曜からの運行再開のようだ。京都に行く予定を中止にしたが、帰りは今日電車で帰ってくる予定だったのだが、静岡・甲府間の特急が運行されてないので、どうせ無理だったのだ。

2014年2月19日(水) 晴れ
まだまだだねぇ生活道路は。
6時に家を出た娘が2時間過ぎても半分までたどり着けていないといった状況だったのだから。今日は午前中いくつかの用事を済ませる。先ずJAに電話して共済担当に寺の本堂付属の渡り廊下に屋根が大量の雪の落下により壊れたことを報告する。「すでに中富支所だけでも50件くらいの被害報告を受けています、後日また連絡します」とのこと。役場へ住民税の申告に行く。僕と母親の分だけ。あとの家族はすでに確定申告済み。10時に飯富病院へ行き、前回の内視鏡検査で見つかった食道壁の「血管腫」なるものの再検査。内心不安だったが消えてなくなっていたので無罪放免。ご飯が2時間食べられないというので午後1時前まで雪かき。午後望月石材へ平山家の墓碑の刻み代金の支払い。役場税務課へ、屋根の壊れたことに関する「り災証明書(申請書)」提出。帰ってきて雪かき。
(17:32) 一日の雪かきを終えて戻ると女房が娘のことを伝えてくれた。勤務先に着いたのが11時20分だったという。5時間20分かかったということだ。これなら長野の白馬まで行けるだろう。笑っちまうしかない。さて帰りはどのくらいかかるのか?月給取りはつらいな。でも僕ももう毎日の雪との格闘で正直疲れ切ってしまって、ほんとは「笑っちまう」元気すらない。

2014年2月18日(火) 晴れ
交通マヒ。
今朝娘を勤務先まで送っていこうと出かけたのだが結局Uターンして戻ってきた。7時過ぎに家を出て3時間かかってもまだ甲府駅近くの勤め先にたどり着くことができなかった。甲府駅に向かう一直線の道路は2車線なのだが雪のため1車線しか機能していなくて、通勤する車をさばききれない状況になっていた。おそらく正午ごろまでかかってたどり着くというくらいになったのではないか。事情を電話して休みにさせてもらった。帰りも所々渋滞。降雪量が多くて道路の雪を取り除けないため、道路の幅が著しく狭くなっており、大型トラックが対面通行できない箇所がいくつも出てきてそのたびにストップしてしまう。雪への対策はド素人だから仕方がないのかもしれない。町内の小中学校は明日まで休校とのこと。頼みのJR身延線が一向に再開されないのは頭が痛い。全国一弱い線路が身延線ではないか。半年以上も電車が走れない時があったり、しょっちゅう鹿に飛び込まれて運休したり。この雪でももう動けない。JR東海のHPには、
【下部温泉駅〜甲府駅間】・大雪に伴う除雪作業と線路点検のため、終日運転を見合わせます。 ・運転再開には、相当の日数を要する見込みです。 とある。この「相当の日数を要する」とは一体なんなんだ。しっかりしてくれよ頼むぜ。本堂への渡り廊下の屋根が一部壊れて瓦も剥がれ落ちた。JAの建更共済でいくらか救済してもらえるのだろうか。調べてみることにする。今日も帰ってきて雪かき。明日も多分雪かき。

2014年2月17日(月) 晴れ
一日雪を書く。
3日ぶりに本堂へ行くことができた。本当は今日、再度の内視鏡検査があり病院に行く予定だったが、病院からの連絡で大雪のためにスタッフが十分でないため明後日にしてほしいとのこと。娘は電車が動かず、国道も終日渋滞したままであったので休み。国道は16時40分現在でも全く動いていない。物流の大型貨物のトラックがたくさんバイパスに足止めを食らっている。これではスーパーが品薄状態になるのもわかる。一日雪を書く。客殿から本堂までの道を開け、鐘楼までの道も開ける。桜と紅梅の老木が何か所か雪折れしてしまった。守ってやれなかったのは僕の失敗だが、何せこの大雪にはとても勝てない。女房は歩いて病院のパートに出る。帰ってきてから娘と二人でリュックを背負ってセルバまで二人で歩いて買い出しに行く。車が動いていないのだから歩くしかない。食料品が乏しくなってきた。スーパーも短時間営業で品薄とのこと。雪で日焼けして顔が黒くなった。高橋君から、「八日市場付近の交通事情はどうですか?」と電話ある。昨日は何件か「大雪見舞い」の電話があった。新潟の木村さんからもテレビで見たと電話を女房が受けた。新潟だってゆきなんだろうと想像していたのだが、「正月以降こちらは降っていないんですよ」という話だったとか。いったいどうなっちまうんだこの異常気象。こんな雪が今後毎年降るんだとしたら、家屋建築も寒冷地仕様にしなければならないだろう。

2014年2月16日(日) 晴れ
国道は今回の雪にも完敗です。
ほとんど除雪ができていない状態の国道。わが集落近辺の国道が一番状況が悪いようだ。もう間もなく午後5時になるというのに相変わらず車は停まったり、ゆっくりと動いたり。今日は一日快晴で気温も上がったので雪解けも大急ぎだった。中の道に除雪の入ったのがお昼過ぎだったので、そこから車庫から車が出るように雪かき。僕の車だけを動かして車はそのまま広場に停めてきた。渋滞に巻き込まれ、トイレを我慢できなくなった女性2名寺に駆け込んでくる。近所のSご夫妻、リュック背負ってセルバまで歩いて食料の買い出しに行く。皆大変。カーポートが潰れたという家もあるようだ。久成の秋山さんからお昼に電話かかってくる。うんざりするほどの雪かきの毎日だが、晩酌のビールが美味いのだけが楽しみだと。雪かき汗かくもんなぁ。

2014年2月15日(土) 晴れ
ほんとにすげぇ!
夕べ僕は疲れていつものように早く寝ちまった。早く寝た分だけ早く起きたい気持ちになってしまい、午前3時過ぎには起きた。テレビでソチオリンピックの中継を見る。このころは外は雪がやんでいたのに、また4時過ぎくらいから細かいものが落ち始め、空が明けはじめるころには再び本格的な降りになってきた。先ず3時過ぎに起きて庫裏の玄関を開けて外を見たとき、外灯の明かりが映し出す目の前に広がった光景に驚いてしまった。「まじかよぉ」「凄いことになっている」というのが感想。雨にでもなると思って寝たのに、ずっと降り続いて先週よりさらに積雪があったということだ。アンテナが雪の重みでだらりとしてしまい、静岡の映像をとらえることができなくなった。18日から本山の「仁王会前行」に出仕する予定だったけれど、一緒に行く皆さんと相談して中止にした。その旨を本山にも報告。久成の秋山家にメールを打つ。「大変です」という返事が返ってきた。山門から参道を人一人通れる道だけ開けて道路に出る。国道も全く車は走っていない。こんな雪は初めてだし、こんなに降られたらどう生活していったらいいのか頭を抱えてしまいます。と、そんなこんなで雪かき疲労困憊の一日はもうぼちぼち終わり。

2014年2月14日(金)
こんな経験は記憶がない、またもや大雪。
午前7時ころから降り始めた雪が今ちょうど午後4時半だけど、ものすごい勢いで力強く降り続けている。娘は今日が休みなのでこちらはとりあえず良かったが、女房を飯富病院まで朝送る。正午過ぎに迎えに行くときには結構国道もたまりはじめていたが、今日はもうその時間に除雪車が動き出してくれていた。先日の二の舞はしないということだろう。町の業者も町道の除雪を始めている。今夜いっぱい降り続いたら一週間前の降雪を上回るかもしれない。北、西向きの屋根に残っていた雪の上に積もるのだから、1m近くになっているように感じる。屋根の雪下ろしでもしなけりゃならんような気持になってくる。BSの受信が悪くなり今日も昼食後に屋根に上がって雪を払った。桜の古木の雪を払いにこれから出るつもり。

2014年2月12日(水) 晴れ
夕方風でてくる。
冷たい風が出てきた。とても寒い。今日も今日とて雪かき作業する。東海師遊びに来る。少し「仁王会前行」の勉強もする。今日とも寒いだろうか?雪駄で大丈夫だろうか?とか準備をはじめながらいくつか気になりだす。雪かき作業をすると全身汗だくになり、そのままでいると体が冷えてくる。かといって着替えをするのもめんどくさい。音楽を聴いて体を動かした気分で温かくなったようなつもりになる。女子スキージャンプの高梨さん、まさかの4位で終わる。この人が金メダルとれなきゃきっと誰も取らないで終わるのかもしれない。一度だけのことなんて、失敗もつきものだし、これも運がいい悪いの範疇の出来事なのだろう。

2014年2月11日(火) 晴れ
連日の雪かきでクタクタだ。
祝日の今日も娘は日直で出勤。今朝は自分の車で行くことができた。道路の状況は99%くらい元通りだ。こっちは今日も寺の敷地内のあちこちの雪かき。だいぶくたびれた。夕飯を食べ終わるともう眠くてしかたがないのですぐ風呂に入り、本も20ページくらい読むともう目があけていられない。テレビなんぞむる元気はない。その代わり朝早く起きて映画など見ている。母の施設の利用料を支払いに行く。ノロウィルスなどが流行しているので、この時期できれば面会を控えて欲しい旨の張り紙があったので今日は会わずにきた。先日施設の相談員から電話をもらっていて最近の状態も聞いている。本堂の香炉の香を盛る。月末の護摩の準備はこれで完了。

2014年2月10日(月) 晴れ
期待するほどには陽が射さない。
ということであまり雪の解け方ははかばかしくはない。午後3時を回るともうあたりは寒く冷え込んでくる。朝娘を下部温泉駅まで送る。こっち方面も飯富病院付近まで道はひどい状態だった。10時からを予定していた法事の天野さん家族が到着したのは12時10分前だった。彼らもこんなに渋滞しているとは想像できなかったようだ。客殿で経をあげ墓参。一番奥の天野家の墓地まで道を開けてくれたことにずいぶんと感激してくれた。春まで解けないじゃないかと思えるような墓地の雪だ。夕方女房のお供でセルバまで行く。国道の雪の塊がきれいに解消されていた。これなら朝夕もそんなに怖いことはない。昨日は日曜だったし、除雪作業もフル回転というわけにはいかなかったのかもしれない。二日ぶりに本堂に入る。

2014年2月9日(日) 晴れ
大雪翌日。
まあよくもこんなに降ったもんだ。表彰状ものだ。5時前に起きて録っておいたドラマを見て、ひとりで簡単に朝飯を済ませ雪かきに出る。今日はお勤めも日曜で休みとする。雪かきが何より優先である。山門から町道までの道をあける。さらっとした雪で扱いやすい。除雪車は昨日一回町道をかいてくれたのだがだいぶいい。8時ころから除雪のタイヤブルが動いてくれる。建設会社勤務の地元の若者。ありがたい。県道の幅の雪をこちらも側溝に落とす。参道入り口の十月桜の枝が一本折れた。この古木ももうそんなに長くないかもしれない。富士川側のバイパス(国道52)はトロトロ運転で流れている。道路状態が悪いのでスピードが出せないから渋滞している。時折内側のこの町道に入ってくる車がある。静岡ナンバーのカップルの軽は4本チェーンを巻いてきた。屋根にスノボーを積んでいる。明日も休みでスキーを楽しみに出かけるのだろう。女房も朝食を終えて出てくる。車庫までの道を開けにかかる。僕は墓地への参道に取り掛かる。気温が上がってくると雪をのけた地肌が見えてくる。さらっとした雪なので、客殿の南側の屋根は昨夜の大雪が午前中にはすべて落ちてしまった。湿った雪だとこうはいかない。竹林もだいぶ竹の頭が雪の中に潜っているが折れているものは少ない。陽が射せばおいおい頭をもたげてくるだろう。10時半過ぎに娘を義兄の家まで迎えに出かける。国道の状況は悪い。日中で溶け出してはいるが明日の朝はきっととても危ないと思う。鈴岡方面が渋滞し完全に停まってしまっている。日下がりで駐在のTさんのパトとすれ違う。「飯富でトレーラーが横になって立ち往生してしまっている連絡があり向かっているのだ」と聞く。それでもパトも道を外れて先行して走っていくことができないのだ。家から国道に出て鰍沢までの国道がとてもひどい。帰りに増穂のローソンで弁当を買って帰ってくる。ここでも、「商品が入荷しません」との張り紙がしてあり、おにぎりはなし、弁当もめぼしいものはもうほとんどない状態だった。帰ってきて雪かきを再開。墓地の参道を3人でかく。明日の法事の天野さんとこの墓地が、なんと一番奥のどん詰まりにあるのだ。それでも3人力は強い。小一時間ほどで一人通れる分の道はあいた。墓地の雪はおそらく70センチくらいはあった。終えて最後に庫裏から本堂への渡りの道を開け、山門から本堂への参道も開けた。汗だくのびしょぬれで、パンツまでびっしょり。早めの風呂に入らせてもらって、2週間ぶりに缶ビールと日本酒1合を飲む。

2014年2月8日(土)
まだまだ降り続く。
できればこういう天気予報は幾分軽めに外れてほしいものではある。まったく夕べ予報士が述べたとおりの何十年ぶりかの大雪になった。16時を回っているがまだまだ止む気配はないし、予報はまだ降るといっているのだから。勤めの娘が半日の仕事を終えて、甲府発鰍沢駅どまりに乗ったので、迎えに向かったのだが、車庫から町道に車を移動するのもやっとのこと。国道に出ると道はぼこぼこ。大型トラックのチェーンで雪道はぼこぼこになっていてハンドルがとられるとられる。45分ほどかかって駅に着くと、ケータイにメールが入っていて、「南甲府の駅で停まってしまい、再開の見込みがない」とある。連絡を取り、帰るのはあきらめて、義兄のところへタクシーで行って泊めてもらうよう話す。国道の凸凹が嫌だったので、帰りは西八代の県道を回ってきた。少々雪は深かったが、こっちのほうが快適に帰ってくることができた。この雪で道路が走りやすくなるには幾日かかかるのじゃないかと思う。江戸彼岸桜の古木が折れては大変なので雪を払う。雪は50センチを超えてひざ上まである。こんな雪は子供のころ以来のような気がする。

2014年2月7日(金) 晴れ
明日は雪になるのか?
住井すゑ「土の女たち」読了。この人は、自分の生き方や考えが徹底していたので、もちろん無宗教者であったので、夫のが亡くなった時も親しい知人を招いてビールを振舞って終えたというし、「悟りを開くために他者から施しを得て修行するなんてのはもってのほかだ」という考えの人なのである。こういう人もいたのだなぁとうれしくなって笑ってしまう。この国の首相もどっか関西で首超やってる人も、最近強い発言が目立つけれども、まるで自分が中心に世の中が動いているのだといわんばかりのようで気に入らない。明日は雪になるかもしれないという。午後郵便局へ年賀はがきの3等が3本当たっていたので切手シートをもらいに行く。4月から消費税が上がり、はがきは52円、封書も82円になるということ。コメリに行って、雪対策のためアルミのスコップを1本買う。門野の湯の菊地さんに会う。お元気そうだった。

2014年2月6日(木) くもり
一日寒い。
陽が全く出ずに一日寒い。昭和から佐田さん墓参に見える。叔父さんの七回忌ということで塔婆をあげ、墓地で読経する。墓地は風もありまた格別に寒い。でもこうして、墓参に来てくれるのだからありがたい。映画と読書。最近は4時過ぎに起きて居間で録りためた映画を見ることにしている。朝飯を食べて、6時半から7時半まで朝の勤行というパターン。

2014年2月5日(水) 晴れ
寒中の行のような葬儀。
昨日の雨が道路を凍らせていた。10時からの葬儀に9時前に出発。広い本堂にはストーブのような暖房は入れられてなくて、一部暖房カーペットがあるのみ。高台のお寺には富士川からの冷たい風が吹きあがってくるのだろうか、時折開け放たれた本堂正面から氷のような冷気が刺し込んでいる。きっと皆さん頭がとても寒かったのではないか。終えて墓所への納骨に向かう。陽のあたる場所はとても温かく感じたが、日陰はすごく寒い。滞りなく終えて食事をいただいて帰ってきた。12月19日に亡くなってから密葬を行った後、今日の葬儀まですでに50日近くが経つ。寺の家族も、檀家の総代などの役職の皆さん方にもご苦労だったと思う。終えてホッとしていることだろうが、きっとこの寺はこの後も新住職の晋山などの行事が続いていくのだと思う。妹にも少し体を休めてもらいたいような気がした。

2014年2月4日(火) くもり
立春。
今朝は天気が悪い分だけ寒さは薄かった。午前中は持ったが午後になって雨が降り始めた。立春の雨で春を引き寄せてきそうだ。最勝寺の檀家の葬儀の助法に笛吹市のシティホール東翔苑へ。途中市川の丸井紙店へ寄り、交通安全のステッカーを受け取る。そんなに捌けるわけではないけどもう在庫が少ないので注文した。注文は300枚以上からなので金もかかったが仕方がない。10年以上は足りているだろう。叔父、永啓と3人の葬儀は久しぶり。終えてお布施をいただいて雨脚の強くなった道を帰ってくる。早めの夕のお勤めをして、4時過ぎに出かける。波木井で親戚を拾い内船寺へ。年末に亡くなった妹の義父の本通夜。大勢の日蓮宗の僧侶の方がお見えになってくれる。妹は、檀信徒の皆さんとともに歌題目をあげる。彼女も嫁いでもう25年は過ぎたのだから、人生の半分以上を内船寺の嫁として勤めている。檀家の多い寺なので、実家の貧しい真言の寺とは違い大変なことだろうと思う。雨に雪が混じる夕方になったが、通夜を終えて外に出ると雨は上がり星が出ていた。明日はよい天候になるだろうが朝は相当に冷え込むようだ。

2014年2月3日(月) 晴れ
節分。
暖かい日。午前中歩く。歩き終えてそのまま間風呂の掃除で頭も刈る。さっぱりとしたが午後の外はちょっと風がありさぶい。メザシ刺すモミと柊の枝を採る。護摩木を作る。住井すゑ「野づらは星あかり」読了。暗くなってから本堂で豆撒きする。雪が境内にあった年もあった。平山家の墓石に戒名を刻むことを望月石材に依頼する。キノコが体にいいことを切々と説いてくれる。護摩木割の後焚火をして暖をとる。のんびりとしていてそれがいい。

2014年2月2日(日) 晴れ
午後晴れていい天気。
夕べ臨時の区会。区の規約の改正について協議。本日副区長の選挙。檀家のS氏に決まる。全部シナリオはできているわけだけど。八幡神社の春の祭典。氏子総代の方と話したら、ここもやっぱり賽銭箱ひっくり返されていたとのこと。昼過ぎ手雨上がり良い天気になり気温も上がる。墓地に行き、古い花などを片付ける。Medeski Martin & Woodなど聴きながら護摩木作り。暑くてTシャツ1枚になったりもする。陽が山に落ちてからはさすがに寒くはなったけど。明日はもう節分。

2014年2月1日(土) 晴れ
玄関の引き戸を取り換える。
この家が建ったのは僕が小学4年生の秋であったから、すでに47年が経過しているということになる。十分すぎるほどに老朽家屋といえるだろう。それでも、10数年前に屋根をすべて新しくし、内装もリフォームしたので、無駄な個所もあるがまあ使いかっては家族にはいい。この住居にお客さんを迎えることはないので構わないのである。お客さんはすべて庫裏にお通しする。最近はこのあたりでも、玄関に施錠している家が増えた。不用心ということなのだろうが、家の中に居ても玄関に鍵のかかっている家もあるくらいだ。呼び鈴を押して家人が出てきて解錠するという具合。僕のところは今まで鍵などかったことがなかったが、それでも最近は物騒なので、やはり出かけて留守の時は鍵をしたいという気持ちがたかまってきた。住居の玄関も外から鍵をかけることもできるのだが、何せ古いので、皆が容易にかけるということができない。それで今回思い切って玄関引き戸を新しくした。こうして取り替えてみると、もっと早くすればよかったなぁと思えてくるものだ。とにかくまあよかった。葬儀の手伝いが入った。2月4日笛吹市の葬祭場。

2014年1月31日(金) 晴れ
暖かい日。
一月は長かったように感じる。暖かな一日となって、午後には外に出て護摩木の百八支用に小鉈で細く割った。風があると寒いが風がなければ外に居ても爽やかだ。昼前に妹から電話。亡くなった義父の位階が2月3日に届けられるということだった。葬儀に間に合ってよかった。人に位という順位をつけるのは個人的には興味がないが、あえてそれに反対するというほどの積極性も持ち得ていない。ただ、過去にこういう叙位叙勲の具申をする事務をしていたので、「もらえるはずだよ」と教えてあげたのだ。2月は本山行きもある。上求寺の祭典にもいかねばならん。元気でいたいものだ。

2014年1月30日(木)
久しぶりの雨。
11時ごろから雨降り始め、昼過ぎには結構本格的な雨になる。こんなあいにくの天気の中を、都留から山本さんとお友達がお参りに来てくれる。新年の御札と破魔矢を渡す。甲府経由で戻るとのことだったが、「この雨が続けば向こうは雪になってるかもしれない」と言っていた。この冬はもう何度も雪が降ったので、「もうたくさん」とも。この辺りはこのまま雪のない冬で終わるのだろうか?ストーブをつけ寒い一日を過ごす。娘の誕生日。歳徳神と三宝荒神の幣を新しくする。

2014年1月29日(水) 晴れ
内臓検査に行く。
食事を抜いて10時からの検査に行く。先ず腹部の超音波、その後に内視鏡検査。この胃カメラというやつがどれほどつらいことか。もう4回ほどになるが始まりから終わりまでがとても苦痛。今日の検査で心配個所が見つかり、来月もう一度内視鏡検査をすることになった。「やわらかいものを食べなさい」「アルコールを控えなさい」の手書きのメモを若い女医から手渡された。にこっと笑って別れてきた。腹の中をあのウナギのようなくねくねとしたものがいじくってくれたものだから、いまもって(午後4時過ぎ)軽い痺れのような違和感がある。ご飯は1杯は平らげたが進まない。幾分気落ちしているところもあるということか。本堂の掃除をし、仏器を洗い、新しい護摩の壇を準備する。僕は僕のために祈るなんてことはできない。僕の生きざまをお不動様がどう判断してくれるかってなものだろう。老いていくということはこういうことで、老病死ということが隣に座り始めたってことだ。

2014年1月28日(火) 晴れ
初不動。
朝は寒かったが日中は気温も上がり、午後1時半から初不動の護摩を焚く。岩間から伊藤さん来てくれ、女房のお姉さんほか二人が訪ねてくれて参座してくれた。檀家の皆さんの一年の健康を祈り、何人かは個々にお願いすることがあった。よい護摩が長けた。初おろしの黒の褊衫を着た。甲府の佐田さんから2月の初めにお墓で経をあげてくれと電話があり塔婆も書く。

2014年1月25日(土) くもり
在家僧侶養成講座とは。
新聞の一面広告に「在家僧侶養成講座」が載っていた。以前にも見たかもしれないが今回少し読んでからネットで調べてみた。この講座は日本カルチャー協会というところが主催しているようだ。「在家僧侶は、出家や剃髪をせずに僧籍をもつ資格。御仏の教えを学ぶことで、自らの心に安らぎを与え、悩める人々の支えにも。宗派不問の真なる教えが有意義な人生へと導きます」とある。気になるのは、「講座終了後、希望される方は僧位(在家僧侶としての位階)や僧号、道号(在家僧侶としての名前)も取得可能。資格を通して人を導き社会に貢献することもできます」と謳われていることだ。通常は出家=得度して僧名を授かる。所属する包括宗教法人の長から度牒(出家得度の証明書)をいただく。あとは仏教の宗派ごとに異なるとは思うのだが、例えば私のような真言僧の場合には、しかるべき加行を積んだのちに、傳法灌頂を受けていわゆる阿闍梨となって寺の住職となる資格を得る。得度だけなら出家僧ということだけである。まあたぶん違うとは思うが、「資格を通して人を導き社会に貢献することもできます」ということが、「葬式をする僧侶にもなれるよ」ということも含んでいるとしたらおかしい。この講座はこういう証明を発行する根拠をどういう宗教法人が行っているのかということが明らかでない。真言宗だとか日蓮宗だとか曹洞宗だとか。僧侶になるということは、通常は身分を置く宗派を選択するということがまず初めにあるのに、ここにはない。個人レベルでの「安心(あんじん)」を求めるということだけならまったく勝手にしてくれだが、こういう不透明なものってのはよくわからない気がする。「在家僧侶養成講座では、平成の良寛と慕われる住職が心温まる軽妙な名講義で仏教を指導」とあり、再度書くが「出家や剃髪をせずに僧籍をもつ」とあるが、こういう講座にも金銭が絡む詐欺のような影の部分があるのではないかと心配になってくる。
夕方歩いていたら、先日法事で東京から帰ってきていたN子さんと会った。彼女はスコップを握って家に帰るところだった。「まだ居たのか」というと、「畑をやりだしたら欲が出ちゃって」と笑った。日暮れが随分と遅くなってきて、畑に出て土を掘り返したりするのがとても気持ちのいいことなのだろう。

2014年1月24日(金) 晴れ
ザ・タイガース。
「THE TIGERS 2013 LIVE in 東京ドーム」がBSで放送された。オリジナルメンバー5人がそろいタイガースが復活した。皆それぞれに年を取り、ジュリーの腹の出は尋常ではない。ドラムの瞳みのるは、前回のコンサートから大分ライブにも慣れたような感じが伝わってきた。今回ほかのメンバーから参加を乞われて復帰した加橋かつみのハイトーンボイスも懐かしかった。「44年の歳月を経てオリジナルメンバー全員のLIVE 2013年12月」と銘打たれている。ストーンズなんかは別れないでやってきていて、いまだに世界中をツアーして回っているのだからもはや怪物というほかはない。タイガースも鬼籍に入った者はなく、オリジナルメンバーがそろえたってことは素晴らしいことだ。僕はだんだん年下の音楽家の音楽を聴く機会のほうが多くなってきていて、聴こうとしているわけでなくても周りに流れているということだが、こういう都市上の音楽家たちが現役を続けていることが何よりうれしいし、生きていくうえでの希望にもなる。壬生さんもギターを弾いているし、こういう姿を身近に感じるということがほんとにいい。年末に大瀧詠一が亡くなって、「はっぴいえんど」はひとつの終わりを迎えてしまった。四半世紀ぶりに歌い始めた早川義夫をサポートし続けた佐久間正英氏もとうとう先日亡くなってしまった。佐久間氏も早川氏の音楽に惹かれて、あの大学に行くことになったのかもしれないが、僕も高校1年の時からあの大学に行くことだけを思っていた。早くストーンズを見たいと思う。

2014年1月23日(木) 晴れ
特筆すべきことはなし。
ほぼ毎日何もなく流れている。映画や本だけだと体がなまってしまうので、できるだけ歩くように努めている。甲府の佐田さん、お母さんの命日ということで墓参に見える。亡くなったという知らせを受けた日甲府は午後から雪になっていた。枕経に行き、雪が降り積もる前に戻ってきたように思う。この時期はいつ雪が降ってもおかしくない。今年の冬は雪は降らないのか?法事の塔婆を書く。東京都知事選始まる。

2014年1月21日(火) 晴れ
法事あり。
大寒の翌日の今朝は池の氷も張ってなくて、寒さはあったがあまり厳しさは感じられなかった。日中も穏やかに晴れ、11時から客殿で法要して、墓参に出る時間は風もなく暖かで春の近くなっていることが十分に体感できた。昨年2月1日に亡くなった雨宮さんの一周忌と、8月に亡くなったそのご主人の23回忌も併せて行う。子供さん方が皆離れているので、なかなかこちらに来る機会も少なくなってきている。「あまんどう」で御斎の席を設けていただく。ウナギのかば焼きも出て、ウナギも高騰していてなかなか食べる機会がないので久しぶりに口にした。午前と夕方歩いて一万歩。

2014年1月18日(土) 晴れ
夕方になって風が出てきた。
裏山の林を歩いて水道の配水池の上に下ってきたところで、ハンターに出会う。付近に3台車が停まっていて、みな横浜ナンバーで、おそろいのジャケットを着ていた。休日を利用してイノシシ狩りに来ているのかもしれない。山のもっと深いところに入っているようなのでまあ安全なのだとは思う。歩いてからそのまま庫裏の風呂場で頭を刈る。その後夕のお勤め。本堂から出ると冷たい風が吹いていて風鐸がカラカラと鳴っていた。風が出てきて寒い。明日の朝も冷え込むのかもしれない。ローリング・ストーンズのチケットの交換が今日の10時から始まったので、引き換えレシートを持ってセブンイレブンに行きチケットを発行してもらった。東京ドームに入ったことがないが、S席はスタンドではなく、グラウンドの席になる。23ゲート、1階3塁側、32通路39列183番という席だ。YouTubeでストーンズをDLして歩きながら聴いている。山折哲雄「ブッダは、なぜ子を捨てたか」読了。

2014年1月17日(金) 晴れ
夕方寒くて歩くの挫折。
まあ仕方がない、寒い。午前中は歩いたからよしとする。本山から機関紙の新年号が届く。昨年の11月29日に重職人名の親授式に宗務所から2名が辞令をもらいに臨んだがその記事も掲載されていたのだが、残念なことに一人の名前が間違っていた。すぐに本山へ誤りを指摘する電話をし、次号でお詫びするようにとお願いした。一生に一度のことなので間違えてもらっては困るんである。ほかの宗務所の方は知らないかもしれないが、山梨の寺院の方が見たらみなさん残念がることと思う。間違いは仕方のないことで、この新年号をどうにもすることができないのはただただ残念としか言いようがない。当事者にはすぐにメールを打っておいた。2月の仁王会の案内も入ってきたので18日から20日までを申し込んだ。香盛り、樒の入れ替えなどする。もう1月も半分が過ぎた。

2014年1月16日(木) 晴れ
今朝も寒かった。
午後母の入所施設へ支払いと面会に行く。とても元気。やたらとよく笑う。ボクと女房が行くのが嬉しいのか、いくらか照れくさいのかとてもよく笑う。彼女にはもう年末年始も正月も新しい年に改まったこともわからない。いたって元気。おそらく毎日、一日がなんとなく過ぎて、眠って、朝が来てまた今日も生きているといった感じなのだろうか。入所してしばらくはとても厚着をしていたが、慣れてきて緊張も解けてきたのだろうか、薄着になってきた。一年中快適な生活空間の温度になっているのだ。ほかの入所者とのレクリェーションなどにも混ざってきているようだ。このまま今年一年も健康であってくれたらいいと願うばかりだ。

2014年1月15日(水) くもり晴れ
昼過ぎから天気良くなる。
千葉の方じゃ雪が降っている。こちらは雪にはならなくてよかった。午前中は曇っていて寒かったが昼過ぎから陽が出始め、差し込む陽射しで部屋の中にいると暖かく感じた。「愛といのちと」読了。映画など見る。午前中と夕方歩く。歩き出すまでに気持ちを持っていくのが大変。W屋さんの庭にシルバーの人たちが入って、5日ほどかけて鬱蒼と茂り放題だった庭をきれいにしていった。枝を切ったり、刈り込んだり、ものすごい量の枝がとなりの畑地に積み上げられた。梅の枝のまっすぐなのを、散杖用に何本かもらってきた。太い枝もこれは祭典の柴燈護摩用にもらっておくつもり。午後1時間ほど護摩木作りする。
Windows XPのサポートがまもなく終了してしまう。我が家は7と8になっているので問題はない。先日テレビで見たのだが、視覚に障害を持っている方たちがXPを使用している場合、パソコンを新しくすると、視覚障害者向けのソフトも新しく入れ替えないといけないらしい。この新しいソフトを使いこなすようになるには、半年位の期間が必要となってくるだろうということだった。次から次に新しくなるってことが理解できなくはないけれど、もうこの程度でいいよというものも確実に残していってほしいものだと思う。だんだんついていけなくなる。僕はケータイはもう立ち止まっている。

2014年1月14日(火) くもり
連日寒い。
小正月の行事も終わって、そろそろ正月気分を一新しなければならないのだが、寒い。大雪や寒波に見舞われている地方もあるが、ここに住んでいる僕は今のここが大変に寒い。毎日鼻水が出て、水っぱなをかむために消費するティッシュは本当にもったいないような気がしている。年が改まったのだけど、書く事がこれといってない。寒いのでダラっと過ごしてしまっていることもあるだろうが。今日は節分・立春の御札を作った。午前中は、昨夜録っておいた「十津川警部」のドラマを見る。それでも夕方、これじゃいかんと寒い中を歩いてきた。製材所があるが、いつも決まって4時半頃には住居の煙突から青い煙が横に流れたり、上がったりしている。製材の端切れなどがたくさん出るから、一年中木で燃した風呂なのだろう。こういう薪で焚いた風呂にもう一度入ってみたいものだと思う。電気やガスの風呂とはきっとその湯の熱さの質が違うのではないかと思う。こういう風呂に入ったら、真冬だって裸でしばらくいても熱さは去っていかないのではないか。いいなぁと思う。

2014年1月10日(金) 晴れ
冷え込み厳しい。
昨夜は庫裏の洗面所の水道を少し出しておいた。町の広報も夜「凍結に注意してください」と放送を流したくらい。夕方女房と歩いた。もちろん時間をずらせて歩く距離も違うのだが。「すごく冷え込んできているのがわかった」と話す。今夜も凍結には気を付けなくちゃ。女房のわずかばかりのパート収入の源泉がきたので、夕飯前に国税庁のHPで確定申告をして済ませる。毎年僕のこの作業だけは早い。門松を片付け、明日のどんど焼きのある畑に持っていく。読書映画など。

2014年1月9日(木) 晴れ
雨上がって良い天気になる。
昨日の雨は夜半まで降り続いた。朝は富士川から川霧が午前中遅くまで立ち上っていた。小学校は今日から3学期が始まった。ランドセルに付けた熊避けの鈴がチリチリンと聞こえるのでわかる。午前と午後ウォーキング。夕方車検の仕上がりの車を持ちに行く。昨夜から犬田 卯・住井すゑ「愛といのちと」読み始める。
正月の賽銭盗について考えてみた。お不動様は持っていった人間を知っている。年越しの護摩から本堂の扉は閉めていない。お不動様の厨子も開けて御開帳してある。元旦の早暁であれば真犯人をお不動様だけは知っている。お不動様に見られていることを感じただろうか。なにがしかの罰を与えなかったのは、一度だけならと大目に見てくれたのか、盗人がホントに困っていたことを察して見逃してくれたのかもしれない。賽銭をぼくら家族は諦めることができる。賽銭が持っていた人の窮地を救うことになったのだとしたらそれはそれでいいとするしかない。もしそうでなかったのだとしたら、そのことはここに書く事は控えよう。

2014年1月8日(水) くもり
雨もいい。
村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」読了。年末から読み始めて晦日には終えているはずだったが、怠けた時間を過ごしてしまって年を越えて、今日になってしまった。娘が買ったもので、新刊を読むことなんて図書館で借りる以外はめったにない。まあ、あまり本に旬などもともと求めてはいないのだが。予報通り雨になった。雨もまたいい。雪にならずに雨にとどまっていてくれるところがいい。三菱へ車検のため10時に車を持っていく。その前に鰍沢税務署へより、娘のための確定申告の書類を提出。不備がなければ全額所得税分は戻ってくるはず。三菱から市川へ回り、丸井紙店で注文しておいた護摩札を受け取り、交通安全のステッカーも300枚追加で頼んでくる。全国の寺社仏閣からの注文に応じている紙屋さんなので、新年明けてもこのあと、節分やら年度替わりやらあって多忙のようだった。寺に戻ると山門脇にパトカーが停まっている。管轄区域の駐在さんだった。正月の賽銭の被害が近くで何件か起きていたらしい。地域の状況に詳しい流しの犯行のようだ。まあ来年はしっかりとこちらでも対策を立てますと話して別れた。温水で冬越えさせようとしたメダカが全滅した。外に置いてある容器や盥のメダカは静かにあるがままの状況を受け入れて生きている。これが自然というものだということを教わった。

2014年1月7日(火) 晴れ
定期受診。
年明けで病院も混んでいる。今月末に腹部エコーと内視鏡の検査をしようということになった。午前中は亡くなった檀家を過去帳に記載したり、備忘録をつけたりする。娘のために確定申告の準備を始めた。昨日買ってきたCDがどんなものか聞き始めた。とりあえず今日聞いた3枚はほぼ満足のいくもの。

2014年1月6日(月) 晴れ
葬儀。
7時から朝食バイキング。食堂の顔ぶれは99%が外国人。どうもこのホテルは外国人旅行客に人気のあるホテルのようだ。10時から葬儀。葬儀時間内に初七日法要もする。参列者は二度の焼香を案内されていた。出棺して桐ヶ谷斎場へ。40分で終わり12時半過ぎには式場に戻りお斎の会食。1時半にはみなさんにサヨナラしてまた重いケースを引きずったり持ったりして新宿へ戻る。3時の電車の座席指定を取り、ロッカーに荷物を一時預け真っ直ぐにdisuk unionへ向かう。時間はもう2時だったので、JAZZ館の中古CDの3階に行きそこを漁る。何を買うか決められないので、FREE JAZZコーナーの盤を漁る。輸入盤は内容などわからないが、感覚だけで6枚を買う。指定席は空いていて、2列シートに皆一人がけなので楽に帰ってこられた。行きの電車は正月明けで東京に戻る人たちが多かったせいか、指定席車両もほぼ満席で、僕の隣にもいたので、スーツケースを座席前に立てるととても窮屈だった。5時半すぐには寺に戻る。荷物の整理をして着替えゆっくりと飲む。

2014年1月5日(日) 晴れ
檀家葬儀のため状況。
本堂を閉めて正午過ぎに出かける。何人か参拝者もいたようだが仕方がない。新宿から小田急に乗り換え、代々木上原から千代田線に乗り換えて乃木坂で下車。式場の「やすらぎ会館」は駅を出たすぐ近くにあった。この辺りは青山霊園とかもあり、大きな葬祭場もいくつかあるようだが今日の会館はすごく小さなところ。すぐに喪主が挨拶に来てくれて、担当者と打ち合わせをして午後6時から通夜。終えてから清めの会食。美味しい日本酒までわざわざ持ってきてくれてあったのでそれをいただく。泊まりは近くの「アジア会館」。外に出かけるような時間ではないので、発泡酒を一本買って飲んで本を読んだり音楽を聴いたり。

2014年1月4日(土) 晴れ
三が日も終わり4日の今日は檀家への御札配り。
正月も飲んだりしながら怠惰に過ごしてしまうとあっという間に過ぎていってしまう。もう4日だ。徒然も書かなかったので時系列に少し。晦日の夜には東海師年越し護摩の祈祷に参座してくれて御札の加持や法螺貝なども吹いてくれる。お酒を出すことができなかったのが少し残念だったが、五大の湯葉をご自宅へのお土産としてもらった。元旦の朝はいつものように静かで穏やかに明ける。10時から八幡神社で集落の新年互礼会。終えて今度は同志会の新年会。現役を終えて「顧問」の肩書きの者の名前だけがズラーっと並んでいる。それでも地区のかけがえのない大切な仲間たちだと僕は思っている。2日は箱根駅伝の朝。山梨学院はエースが走る2区で思いもかけない途中棄権。始まって1時間半ほどで今年の箱根駅伝を観戦する楽しみは地の底に落ちてしまう。今年は富士ケ嶺の遠藤さんの次男H君親子が厄除けと高校受験の祈願の護摩を焚いてほしいと連絡があり、11時から謹修。護摩の火の煙の充満する本堂で、「けむいなぁ」といいながらも喜んで帰って行ってくれた。午後には毎年恒例の秋山さん、川口さんが年始に来てくれて早速乾杯して飲む。酒も話も進み楽しい夕暮れまでの時間を過ごす。息子はこの日相模原に戻っていく。昨日は、東京行の準備をしたり、飲んだり、2日の護摩壇を片付けたりして過ごす。今朝は暮れからの暴飲が祟り絶不調。それでも新年の檀家への御札配りで出かける。寒さはそんなに厳しくない。本栖への道を上がり、中之倉トンネンルを抜け出ると雄大な富士が目の前に現れた。ちょっとした天候に左右されて毎年こんなふうに眺められるわけではない。富士ケ嶺の遠藤家でも家の真正面に大きな富士が左の肩のあたりに朝の陽射しを乗せて厳かに広がっていた。日常生活にいつも富士があり、遠藤さんの信仰生活も今年は揺るぎなく、ますます元気でいられることだろう。今年は富士ケ嶺から甲府精進湖線を甲府まで下ってしまい、甲府から周辺の檀家を回りその後に市川へ回った。この方が効率が良さそうだ。お昼前に戻り軽く昼食をとってから集落の檀家から飯富、下山、後山に行く。後山の遠藤家は昨年ご主人が亡くなり、寒さの厳しい暮れから正月はひとりで居るよりもと、娘さんとこで過ごすということだった。晦日からの賽銭箱を開けてみると、そこに敷いておいた新聞がないので少し変だなぁと思ったが、いくらか賽銭も上がっていたので回収。夕飯の準備をしている女房に話すと「私は開けていない」という。「やられた」。おそらく元旦の早朝か元日の夜あたりに。うちの賽銭箱は施錠していない。かつて賽銭箱をひっくり返されて盗られていたことがあり、箱を壊されたらかなわんと、鍵をかけるのをやめた。そのくらい普段賽銭が上がることはなく、まあ盗られたとしても「まあ仕方ないか」くらいで終わるのだが、正月の賽銭はいくらか金額も伸すので残念なことではあった。来年は対策を練らなければいけないだろう。という大晦日からの4日間。