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『徒然日誌』 2006年7月から12月

2006年12月31日Sunday 晴れ
あと8時間余り。 大晦日の仕事もようやく終わった感じ。毎年のことだけど、なんか疲れて眠くなってるんだね。晩酌なんかするとすぐ顔が赤鬼のように真っ赤になる。仕事疲れと飲み疲れ。そういいながら今夜も男は酒を飲むのでしょう。
従兄2人来て教育委員会の話なんかしていく。内容はご想像にお任せ。
檀家からのお供え餅も最近はめっきり少なくなって、持って来てくれるうちでもプラスチックに包まれたお供えだったりする。それでも4件から手作りの大きめなお座りが届いたので、本堂と客殿に使う。お札書きもだいたいいつもの方たちからのものが届いたのでオシマイ。護摩壇の中央に大札を並べ、他のは左右に長机を並べてお盆に御札。後は夜になってお不動様を開帳して護摩を焚くだけ。
まっ、こんなもんでしょ。

2006年12月30日Saturday 晴れ
なかなか思い通りには事は進まないぞ。 今日はこれでもうおしまいにする。本堂はもう2割くらい残して明日の千秋楽に持ち越しだ。あちらこちらに目移りしてなかなか思い通りに進まない。ここをやっていてもあっちが気になってしまったりだ。朝はなかなかエンジンのかかりが悪いし。
香盛りをして、花を盛り、護摩壇の荘厳をする。五穀を用意していたが麦がない。買い物に出かけた女房にケータイするが反応がない。これも明日に持ち越しだ。
寒くなって、今から頭を刈ろうかどうしようか鼻水すすりながら思案する住職。

2006年12月29日Friday 晴れ
書き納めになるyかも。 年末年始休暇の始まり。今朝は7時20分起床。やっぱ休みの日の特権でしょう。お勤めをして、ご飯を済ませ、寒さに動かない(動きたくない)体を温めるべくネットサーフィン。その後墓地への道の落ち葉の片付け。墓地まで行ったら、先日の大雨で細くて狭い側溝が詰まって土砂が溢れていた。うんざりの思いでそれを片付ける。墓参の檀家数件あり。
本堂の周りの落ち葉の片付けもしてこれで外はだいたいよしか。3時過ぎに息子帰ってくる。「今年は早いじゃん」と女房と。御札を仕上げたり、護摩壇を支度したり。午後5時過ぎには早々とリタイヤ。Grateful DeadのDVD観ながら湯割。
明日中に仕事を終えたいという希望。大晦日は心静かに年越しの護摩を待ちたいという思い。なかなか思い通りにはいかないものだが、でもそれに近づく努力をすること。
特別の日々の始まりなので、毎年のようにこれの更新は滞ってしまうかもしれません。少数読者の皆様の新しい年に光あることを祈ります。(大晦日にも祈ります)一年ありがとう。

2006年12月27日Wednesday 晴れ
やれるときにやるということ。 職場も今日午後大掃除をして、落ち着いてしまった感じだ。明日まだ一日あるというのに。学校が冬休みに入り、学校からの連絡がほとんど無いので、学校教育課は特に波静かな時間が流れている。
一部には穏やかならずという事情もあったりしてるが、まあまあそれはそれとして、今年は終りたいと思うのだ。
昨日は帰ってから、街灯の灯りなんかを頼りに、溝の落ち葉が詰まっているところを雨の勢いを借りて掃除した。傍からは、何もここまでしなくてもと見られるかもしれないが、その時その時にやっつけていくのが僕の主義。明日になってはそれが適わないこともある。合羽を着て40分くらい。雨上がりの今朝は、やっぱやってよかったなぁと、僕自身も境内の洗われた風景も確かに笑っていた。

2006年12月26日Tuesday
雨の朝になった。 娘の起床が少し遅いのは今日から冬休みに入ったせいだ。雨の朝になった。でもあたたかさは感じられない。寒い朝。
昨日は休暇を取って寺の年末年始の準備。主に御札を書いて、それから火伏せの札や、特定の人の合格祈願の護符も作ってみた。きっちりと8時前には仕事に取り掛かれたので、体の出来様が休みの日と平日とでは明らかに違うことがわかる。仕事もはかどる。聞けずに放っておいたCDをかけながら、頭の中の遠いところでは、「これからのこと」などもぐるぐると堂々巡りをした。
2時位には家の中を済ませ、鐘楼や祠の縄の張替え、落ち葉掃き。そんで、晩飯前にはライ・クーダーの「チキン・スキン・ミュージック」のDVD観ながらいっぱい。フラーコ・ヒメネスのバンド・ネオンよかった。

2006年12月24日Sunday 晴れ
昨日も美味しいお酒をたくさんいただきました。 明王寺の冬至祭り。住職のお父さんがとても僕は好きである。飄々としている。山頭火のような感じかななどと勝手に思っている。ご自身はあまり飲めないようであるが、わざわざ一升瓶を抱えてきてなみなみとコップに注いでくれた。僕と住職は2人で勝手に喋って酔っている。お父さんはそれを楽しそうに眺めている。「仲良く頼むな」というようなことを言われた。「こちらこそ」である。酒もたくさんいただき、柚子もしっかりといっぱいいただいた。それに代行代までもご心配かけてしまった。酔っ払いは最後には何の役にも立たず、恥を書くだけ書いてその場所に置いてきてしまった。大切にしたい明王寺のご住職との付き合いである。
昨日は僕のデジカメを使ってもらったので、僕も写っている写真を。
庫裏のトイレの掃除をしたので、半歩くらいは年末年始に進めたか。

2006年12月23日Saturday 晴れ
物書き高岡君も凄くいいよ。 「旅のtuba吹きdaysukeの日々」読んでみてください。16日の記事も載っています。渋さの時だって彼の日記がその演奏ツアーの一部始終をいつも田舎にいても楽しく聞かせてもらっているような気分にさせてくれたものだ。

2006年12月22日Friday くもり
眠い。 午前中は北小学校のグラウンド工事の完成検査に立ち会う。こんなものができちゃっていいのだろうかというような広くて青い土の敷かれたグラウンド。午前中は書類の検査のみで終わり僕はここで失礼。午後から定例教育委員会。午後3時45分終了。月曜日休みを貰ったので、急いで会議録の作成にかかる。いろんな問題が山積し、突発的な問題が起こる。教育委員会ってのはまさにそんなところ。僕は2年を過ごしながら、そんな感想。でも過ごし心地は比較的いい。
伝票を起こしたり、会議録を仕上げたりでいつもより30分ほど遅く帰宅。冬至のカボチャの入ったほうとうを食いながら焼酎の湯割。もうこれで今夜は御札を書く気力が失せた。仕事にのんびりもないのだろうけれど、一日が濃密で疲れた。

2006年12月21日Thursday 晴れ
年賀状づくり。 夕べ賀状づくりを終えた。パソコン印刷だから早い。形は毎年同じだから、干支の画像を変えたり、今年は先日のライブの写真も使った。来年は女房と2人だけの名前にしてしまおうかとも考える。
一人ひとりの名前を確認するときには、その人を思い出せる。寺の縁や父の縁で、僕が直接には存じない方もいるが、それでも出さずに済ますのは少しためらいがあるので出している。やがてはそんなことがなくなってしまう。今朝は芸能界の訃報が3人知らされた。青島さん、岸田さん、カンニングの中島さん。冥福を祈りたい。それから、キヨシローが病を克服して帰ってくる来年を願って待ちたい。
「芋たこなんきん」で。「亡くなってからも言葉があるってのはいいね」。そうだな、心で会話ができる人として僕もありたいな。
(20:32) 御札を書く。例年くらいの申し込みがありそう。集中すればはかどる。でも月曜日は休みを貰うことにした。仕事に出かけたつもりで寺のことをするつもり。

2006年12月20日Wednesday 晴れ
ん?なに...。 柚子の実のなっている姿は見ているが、今年はまだ柚子を手にとっていない。
明王寺の冬至祭りの時にはいただけるだろうか?これを書いておけば、ご住職が読んで、増穂の柚子を少し分けてくれるかもしれない。期待期待。
僕は23日には明王寺のお祭りの手伝い。毎年大勢の方が寺を訪れている。かぼちゃのほうとうが振舞われて、大きなダルマを買って帰る人が沢山。縁起物のダルマは、明王寺の祭典で求めるのが一番。僕は一年の締めくくりの法螺貝を冬の空っ風の吹き降りる甲府盆地に向けて吹く。
猫がポカポカの昼に歩みを停めた。椎茸の原木を伐るチェーンソーの音のする山を眺めていたが、シャッター音に気付いて僕を?と振り返った。

2006年12月19日Tuesday 晴れ
年末モードに切り替えなければ。 高岡君からも「家に居ます」とメールが届いた。旅のつばくろのような彼が家でくつろいだ時間を過ごすのは一年に指折って数えられるくらいしかないのであろう。彼の今年一年もまた逆波にあったり、よい風に乗れたりというものであったはずだ。僕とて同じ。結局一年を地ならしして考えれば、「こんなものか」ではないか。これでよしとする。また来年もこれでよしと思える年でありたい。
今年は2度のライブができたので、来年も彼の生音をまた寺に聞かせに来て欲しい。子供たちは進学のためにもう居なくなってしまうが、僕の周りの友達皆で、彼らを熱烈迎えてあげられたらいい。自然の風の吹く寺に、音楽の風もまたこれはこれで心地よいものだ。
年末モードに頭を切り替えなければいけない。日曜が一日しかないのだ。少し焦ってきているぞ。

2006年12月18日Monday 晴れ
New Orleans ELECTRO盛況に大団円。 想像を超える出来事が起きてしまった。最後には参加者総立ちとなってしまったのだ。New Orleans ELECTROの圧倒的な演奏と音楽にこめる情熱が僕らの爪先まで伝わり、居ても立っても居られなくなって、2部の途中から何人かが踊り始めて、最後にはこんな状態。やってよかった。
写真アップしました。上のバンド名をクリックしてください。

2006年12月15日Friday 晴れ
ERIC CLAPTON“Madison Square Garden”30 September 2006。
夕べと今朝書いたものを。
これを全部見た
。家に居るとこんなに長く座って見るなんてことできない。今夜は宿直でよかった。いくつかの発見があった。先ず、オーディエンス録画なのに、なぜプレイヤーたちが身近に見えたり、ギターの爪弾きまで見えたりするのが不思議だったが、最後まで見ていてこれがわかった。これを撮った彼(彼女)?は、ステージの上に映し出されるモニターを撮影していたのでした。これですべての謎が解けた。これはでも実にいい方法だ。よく撮れている。デレク・トラックスのスライドギターも今夜は堪能した。
総務課の4人が遅くまで残っている。毎晩遅いんだろうか。来月ある知事選の準備をしているようで、まだ盛んに手を動かしながら、会話もしている。
(22:00)
(7:10)教育基本法改正案が可決され、防衛庁が防衛省に格上げされ、そのまんま東が宮崎知事選に出馬表明。九州だから「そのまんま南」にした方がいいかもしれない。
地獄からの招待状を目の前でヒラヒラと振られているような気分。これが美しい国づくりの序章か?『美しい国』なんて、なんてエロかっこ悪い嫌らしい響きなんだ。
僕は僕なりのやり方で生きる方向を模索させてもらいます。(宿直明けの庁舎で)
9:21 今日はいい天気になりそうだ。

2006年12月14日Thursday くもり
今年最後の宿直である。 昨日で12月の議会が終ったので、今夜の宿直は幾分気が楽だ。
下田逸郎さんが生音のLiveをしていることは以前から彼のHPで知っていたが、実際に寺で歌ってもらえるかなんて事を、本気で考えたことはなかったんである。ただ、漠然と「うちにも来てくれたらいいな」くらいはいつも頭の片隅にあった。ただ、彼のスケジュールの中で、これが実現するのは、前後の日程やいろんな要件がうまく合致すればということらしいので、これは相当に遥かな時間を要するように考えていた。
11月に若い友人の結婚式に出席した前後、僕は「下田逸郎」をよく聴いていた。女房からも「これ誰?」と訊かれて、クルマ用にコピーしてあげたことや若大将で飲んだときにカラオケで、「セクシィ」を歌ったら、「いい歌じゃねぇか」なんて反響があった。それで僕は、また「生音さしむかいLive」のことを思い出し、娘の受験で女房が留守の
晩に、下田通信所に「山梨の寺にいつか歌いに来てください」とFAXをした。
果たしてどうだったかというと、2日後には、向うから「春くらいに行ってみたいです」なんてメールが飛び込んできたのだ。ありがたいこの返事を大事にしたかったので、すぐに返事をした。それで、「3月20日か21日にやることは決定しています」ということである。弾き語りのLiveなので30人位が適当だというし、これはいつもと違って、予約をしてもらって聞きに来ていただく方法をとりたいと考えている。
20歳の頃からずっと聴き続けてきた。下田逸郎の歌の世界は、僕たちの暗いところも明るいところもすべて歌にして、叙情的で“せつなく”て、恋愛小説を聞くような感覚とでもいったらいいか。とにかく素敵である。
詳細については、1月の下旬頃にお知らせできるはず。

2006年12月13日Wednesday くもり
Live集客への道。 ほとんどゴール先が見えない。一体何人が師走の寒い夜を寒いお寺の客殿に訪れてくれるだろう。
今朝一本電話あり。「微妙なところですが、小さな子供連れでもいいか?」「もちろんOKです」とこんなやり取り。でも僕は期待に胸膨らませて待ちます。
夕食後地元紙の記者から電話。話していたら、「言って取材したほうがいいですね」ということ。「なぜお寺でJAZZを?」なんて改めて質問されても答えに窮すが、新聞記者も楽しめば分かるかもしれない。そんなもんだ。そのくらい簡単なことだ。互いを思いやれることのできる人や平和を願う心を持つ人を増殖させていく。ノロウイルスに負けない強い体をお寺でのLiveを体感してつくる等々。
今夜は女房と娘は友達の親子何組かでの忘年会に出かけた。週末に刈り忘れた頭をさっぱりとしてERIC CLAPTON。JOHNNY WINTERもある。音楽で幸せになる。

2006年12月12日Tuesday くもり
約3ヶ月ぶりに教育長選任。 昨日の議会の後に臨時教育委員会を開いて、教育委員が5名になったところで教育長を選任した。約3ヶ月の不在で、その間課長が職務代理者を務めていた。列島はいじめやそれによる自殺問題などで大騒ぎになっていたのだから、課長も神経が参っていたのではないかと思う。直接の問題がなくても、上から下に下りてきていついつまでにそれを報告しろというような、否応無しに対応しなければならないアンケートや調査ものがたくさんあった。どうも組織という奴は、調査やアンケートを施すことによって問題が薄まるとか、気分が落ち着くとか、対外的に「やってますよ」をアピールする癖があるようだ。「どっちでもいいじゃねぇか」と思うようなこともある。
そんなこんなでもう今年も20日余りを残すだけになっちまった。新しい教育長は前教育委員長で、5名の中から選ぶにおいては彼を選任するしか適任者はなかったように思える。できるだけ、難しい事案が起こらない事を祈るばかりだ。平穏に過ぎていって欲しい。
恒例の今年の漢字というのが発表されて、「命」だそうだ。「命」は奥も深いし幅も広い。命のことは僕の今年のテーマでもあったし、僕はつい先日、「もう一度“いのち”を考えなおす歳」と考えたところだった。戦で失われる命があり、病気で失われる命があり、自らそれをやめてしまう命であったり、命の誕生に涙した者が、自らの児の命を奪う事件も後を立たない。「命」はその歳だけで終われるような問題ではなく、明日も明後日も考え続けていかなければならない。

2006年12月11日Monday くもり
みな落ちた。 葉はもうみな落ちた。冬の空に毛細血管のような鋭い枝が突き刺さっている。
この枝が少し厄介で、折れた枝が途中に引っ掛かっていて、これがなかなか落ちない。それで真下が通学路となると、枝を確認してしまったらもう心配でこれは放っておけないことになる。護持会長の隣のMさんと昨日これの始末を検討。
「伐ろう」と言うと「これがなければ景観が損なわれる」と言われ、「何とかしないと、事故でもあったときには補償問題になる」と言われ、「いっそ、全部伐ってしまいたい」というと、「それはまあ、少し待て」と言われる。悩みは尽きず、いつも腹の中に心配の種が何粒かある。

2006年12月9日Saturday
もう少し寒くなるとこれが雪に変わるんだ。 雨の一日。娘と女房に引っ張り出されて甲府のエルクへ。昨日HPを覗いたら、店長のブログが始まっていた。従姉のご主人の店なのであるが、最近は音楽にも積極的で、今年は2回のLiveを開催した。6月に新井英一を店でやり、10月には桜座で「おおたか静流」のアカペラのLiveもしたのである。店を更に大きくするのだそうで、今日行って「音楽ホールでも建ててしまうんじゃないか」と話した。僕はKEEN社のブロンクスというシューズ・スニーカー(爪先が丸くて特徴がある)と、TIMBUK2の「CARGO TOTE」というトート・バッグを買った。毎日弁当を入れたり、カメラやいろんな物を入れて使っているバッグは、社協に居たときに老人クラブのゲートボール大会の参加賞で僕も貰った物だったから、500円位のバッグ。今度のは値段も20倍近くするものである。オレンジ色を買ったんだけど、ネットで拾った写真の下↓のようになっています。エルクのものはお値段もそれなりにするが、何せ長持ちがするし飽きがこない。今履いている靴だってもう3年くらい毎日履いていた。今の下部支所に行ってからは、上履きに履き替えるということがないので、家を出て家に帰るまで履いている。昼のウォーキングにも付き合わせている。だいぶ疲れてきているので、この靴は僕の家での外仕事の履物にする。
店長は僕と同い年で、お互いに50歳になった。彼はアウトドア・ショップの主として、従業員の生活の基盤も作ってやり、子供たちにも教育を施し、自然を愛して、国の内外の山や川へ出かけていくのである。そしてまた店舗を拡げようというのである。僕には無いものを全て持っているような、とても素敵な男である。

2006年12月8日Friday くもり
New Orleans ELECTROのLiveあります。 まっ、余りここにこれを書いてもそれほどの効果があるとは思えないけれど、藁にでもすがりたい気持ちの表れということですね。今日の朝日の地方版にもLiveの記事を載せていただいた。昨日の山梨日日新聞のイベント告知欄にも載せていただいた。反響があればいいですが、昨日は何もありませんでした。一昨日の荻窪のLiveの報告が高岡君からあり、よかったとのことなので、何とかうちでも大勢に来ていただいて楽しんでいただきたいと思っているのだが、残念なことに昨日来たのは、「残念ながら、職場の忘年会と重なってしまいました、次回を楽しみにさせていただきます」とのメールが一通。うーさびしい。先日も職場のきれいな奥さんに、「子どものバレーボールのサークルの忘年会が会って、云々」と、キャンセルがでたのである。
元々はお前が勝手に始めたものだからということになるだろうが、やはり音楽を楽しむということは人間らしい心を養うに不可欠なんである。そこのあなた!ッと振り返らせたいのである。愚痴になってしまった。ジョン・レノンに笑われているような気分になった。
なさけない。。。

2006年12月7日Thursday くもり
あーこんなこともあるんだ。 沖縄の伊是名村の教育長が酒気帯び運転したとして摘発されたという。僕はこのニュースを知らないでいたら、お昼前に、県教委を通して沖縄県教委から身延町教委に電話が入った。課長が受けたんだが、「前例のある町にどういう処分を下したか教えて欲しい」という内容だった。分かっちゃいるけどやめられない、分かっちゃいるけど俺は大丈夫って奴がまだゴロゴロしている。前例町なんて恥ずかしい話だが、沖縄から問い合わせの電話がかかってくるなんてなぁ。ふふふ....先方の教育委員会の職員の皆さんの、抗議の電話攻勢への慌てぶりが眼に浮かぶようだなんて思ったりね。でもかなわんなぁ、こんなこと分かりきっていることなのに。
今朝のニュース番組で、「きれいな朝焼けです」というのが聞こえたから、僕も東の山を見たら、赤く焼けていたようだった。「朝焼けは雨」という祖父が昔教えてくれた古人の言い伝え。「猫が顔を洗うと雨」のようなものかもしれないが、天気予報は下り坂を予測していた。帰り車に乗り込むとフロントガラスに少し雨粒の落ちた痕があった。「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」だったような気もするな。小学生の頃の学校からの宿題で、こんな言い伝えや格言のようなものを「家の人から聞いてきて御覧なさい」というようなものだったかもしれない。旧きよき時代だな。

2006年12月6日Wednesday 晴れ
だいたい僕は人におもねるのなんて大嫌い。 いまさらそんな僕の性格や考えを改めて、うまくやっていこうなんてことは愚の骨頂。
あまり人のことなんか考えないから、勝手にしやがれってなもんだ。自慢じゃねぇが、二十歳前からの筋金入りのアウトローだ。
てめぇたちとうまくやっていこうなんて気持ちもねぇが、トップダウンにだって俺は俺の意見で反発してやる。だいたいみんなカッコつけてきれい過ぎて、丸く収まりゃ御の字みたいな考えで、言っている事と、置かれている状況との整合性がまるでない。ウォシュレットでケツ洗う時代になったからって、「桑の葉っぱでお尻を拭いた事なんてありませんの」みたいなこと、まことしやかに言ってのけんるじゃねぇっての。
今夜「New Orleans Electro」は、荻窪のROOSTERという店でLiveをしている。多分この時間も。早く生の音が聞きたい。寒い師走の夜に熱い息を吹き込んで欲しい。

2006年12月5日Tuesday 晴れ
Eric Clapton Tour。 エリック・クラプトンのJapan tourが行われているが、9月30日のニューヨークでの演奏会の映像を手に入れた。粗い映像であるが、十分に楽しめるものであったし、一人ひとりのミュージシャンの演奏する手元も見ることができた。今回のツアーは、クラプトンの他に2人のギタリストがいる。デレク・トラックスと、もう一人は余り馴染みが無かったが、ドイル・ブラムホールIIという左利きの人。どちらもアップの映像を見ると、ピックを使っていない。左利きのドイルにいたっては、右利き用のギターのまま、つまり、下方が低音弦である。デレク・トラックスはスライドギターの名手であるが、ドイルのプレイもなかなかのものである。何でも彼のお父さんは、スティーヴィー・レイ・ヴォーンなんかと音楽仲間だったそうである。時々たまらなくブルースを聞きたくなるというか、渇望してしまう。
郡の学校保健大会に、午後から代理で出席してきた。「むし歯のない子の表彰」があり、小学生43名、中学生18名が表彰された。名簿を見ながら「少ねぇな」と思ったが、小学校の6年間と中学校までの9年間のむし歯のない児童生徒の表彰だと聞いたので、「そんなもんかなぁ」と思った。
司会の女性教師が、「会場にお越しの大人の方で、私はむし歯がないという方、手を上げてください」と言ったら、2人だけの手が上がった。会場からは拍手が起こったが、僕も多分むし歯はないと思う。手を上げるのは勘弁だったが。小学校6年の夏休みに歯医者に行って以来、歯医者との縁はない。10年程前の5月の連休にキャンプに行ったとき、一晩原因不明の歯痛に悩まされ眠れない夜を過ごしたことがあったが、それも一日で痛みが退いたので、「あれは何だったんだろう」なんて時々思い出す。
合併前福祉課に居るときに「福祉健康まつり」があって、幼児のむし歯検診の空き時間に診てもらったことがある。虫歯はなかったが、「定期的に歯垢は取ったほうがいい」とアドバイスされた。50歳になったが、歯に関しては今のところまったく問題がない。アドバイスをくれた歯医者さんは今年お亡くなりになった。

2006年12月2日Saturday 晴れ
お寺で何か始めるのかと思ったと言われた。 静岡から来たKさんは、いつものように墓地へ行き掃除を始めていた。僕が行って、日頃のご無沙汰を述べ、「イノシシが多くてねぇ」と話すと、「竹林のところが掘り返してあったので、お寺で何か始めるのかと思った」と言われた。なるほど、知らない人はそうだろう。そう思うに違いない。もの凄い労働量で、見事に転地返しをしてある。スコップを入れたってなかなか掘れないようなところを、奴らは牙なんかで、夜の間中掘りまくっているんだろうか。敬服する。
午後になると、奈良の「Y野美林」という会社の方がやってきて、ケヤキやヒノキを見て、アドバイスをしていってくれた。結論は「危険である」。素人目には分からないのだが、かなりヤバイ状態になっていると。これは僕の心に引っ掛かっていることであり、常に頭にあることなんで、そのことも話すと、「いつでもお手伝いさせてもらいます」と帰っていかれた。こちらの持ち出しはいらないのだそうだ。そんなうまい話があるのか、ケヤキが高く売れる自信があるのか、そこんとこはよくわからないが、でも魅力ある話には話しだなぁ。何れにせよ、近々にこれは真剣に考えなくてはならないこと。
今夜は軽く飲み会ね。

2006年12月1日Friday 晴れ
入り師走。 さあ走るぞう、なんてね。天気もよさそうな師走のはじまりの朝。
境内の紅葉の写真5枚アップ。上の「師走朔 寺紅葉」をクリックしてみてください。
防衛庁が防衛省に格上げされるなんて、嫌なニュースもあるけど、僕は僕の年末年始に向けた仕事を、公私共に粛々とやり過ごしていこう。
多分去年もそうだったけど、締めくくりの12月だけはせめて平和な一ヶ月にしたいとか書いたはずだ。今年の気持ちもまた同じことの繰り返しになってしまう。両極を天秤にかけながら、苦しみも喜びも受容れながら生きていかなければならないのがこの世の慣わしなんだろうけど、尽きないなぁ。

2006年11月30日Thursday くもり
11月最後の日。 もう11月も終わりなんだなぁ。
昨日の夕方の話である。5時の終業のチャイムが流れて床を掃いたり、ゴミを捨てたりする。それが終わって携帯を手にとって机の上に置いたら、メールが届いていますというようなコメントが小さな窓に書いてあった。
で開いてみると、友達のAさんからであった。話の内容は伏せておくが、「ふんふん、なるほどなぁ」というようなもの。それで最後に、「もう飲んでるんでしょうね」とある。正確には「もう(ここにビールジョッキの絵)るんでしょうね」である。想像できると思います。
ただ、読んだのが5時10分頃だったので、?と思ってしまいます。いくら友達でも、まさか、もう家に帰っているとは思わないはず。ここのところがどうにも腑に落ちなかったわけ...なんですが!メールが来た日時を見ると、なんと!前日(28日)の18:16だったんですねぇ。それでやっと最後のコメントが理解できました。なんと、丸一日たってからメールを読んでいたのでした。
女房と娘にこのことを話すと、まあふたりともとうに諦めきっていたように、「もってる意味ないわ」と一蹴でした。確かにそうですな。つくづく僕も夕べは、「ケータイ持つ必要ない」と感じました。そのうち経済的なゆとりがなくなったら、真っ先に僕はケータイをやめます。

2006年11月27日Monday くもり
シメなんかも切り始めると。 年末になるんだなという気分。日曜日の隣の集落の秋葉山のためのシメを切る。「人も減って、家も減って、方丈さんにお礼を少なくしてもらえるだろうか」と、檀家のSさんは気恥ずかしそうに僕に訴えた。始め言い出しにくそうだったので、「今年秋葉山はやめですか」と僕から切り出したら、こんな話だった。僕は即座に「布施なんかなくてもやりますよ」と応えた。「いつか秋葉山をしたくてもできなくなる時が来る。そんなに遠いことではない」と思うから、「皆さんがやってくれるほうが嬉しいので、布施の額なんてどうでもいい」と言った。小高い林の中に小さな祠があって、そこに秋葉山がある。かつてはその場所も寺領だったと聞く。頭巾と錫杖と法螺貝を持って、火防の神様に行く。継続することが難しくなっていることの内容によっては、僕なんかが用無しになってくるという、さびしーいことになりかねない。続けて欲しい。
新年のお札の受付を始めます。

2006年11月26日Sunday くもり
シタール・ファンタジアの夕べ。 桜座へ伊藤公朗さんのシタールを聴きに行ってきた。今日は昨日と打って変わって寒い朝で、女房と体を温めるにはこれだねと、落ち葉掃き、昨日の続き。女房と娘は一足先にお昼前に電車で甲府へ。僕は、昼食後に本堂の護摩を焚いた後の掃除。お2人参詣者があり、甲府からの方にはお不動様を開帳する。ずいぶんと熱心に話していかれて、般若心経や真言もあげていく。こんな人には特別なことをしてあげたいと思う。お不動様も喜んでくれる。
BIRDLANDで中古CDでも漁ろうかと少し早めに出かけたが店が閉まっている。仕方がないので岡島の本屋で暇をつぶす。
晩飯にラーメンとギョーザを食べて桜座へ。結構人が入っている。桜座の知名度が上がってきた証拠なんだろう。エルクの3人も来ていた。シタール&スヴァラマンダラ:
伊藤公朗、タブラ:吉見征樹、タンブーラ&ヴォーカル:伊藤美郷、ギター:伊藤カイ(ご子息だきっと)のメンバー。奥様の歌もありで、僕が考えていたような硬めのLiveではなかった。人柄も偲ばれてとてもいいLiveだった。これなら寺でのLiveも考えてもいいかとも思う。ただ集客がねぇ、これが一番問題なんだよなぁ。寺での12月のLiveのチラシを、カイブツさんの奥様がコピーして置いて下さっていた。感謝感謝。何人か来てくれるといいけど。
終演後にアンコールもありそうな雰囲気だったが、駐車場の閉鎖が10時なので帰ってきた。「YATRI」というアルバムを買ってくる。帰りは雨の中をすっ飛ばして40分で到着。で、今11時半。

2006年11月25日Saturday 晴れ
不動明王帰山。 午後3時半頃に帰ってくる。その前に、身延町で計画した「ふれあい小さな旅」御一行が2時半過ぎに来さ山。50人ほどで本堂に上がっていただいて10分ほど話をする。お不動様が帰っていればよかったのだがあいにく間に合わず、空の厨子を開けたまま事情を話す。真言宗の寺は身延町にここだけだという話や、真言寺院で行うことなど。貼ってある不動真言を「日本語じゃないですね」などの質問もある。ま、知ってもらうにはいい機会になったか。
午前中は落ち葉掃きと散髪。午後から本堂の掃除と護摩の用意。女房と娘が午後から境内を掃き、焼き芋をしたが、風が強くなって、掃いても掃いても落ち葉という有様。これも仕方が無い。
エリック・クラプトンのJAPAN TOURの大阪城ホールでの音源がもう出ていたので、これを短時間でDL。音も悪くない。デレク・トラックスのスライド・ギターもよい。
2ヶ月ぶりに寺に帰ったお不動様を厨子に納めていただいて、博物館のK学芸員と運送会社帰ってすぐに護摩を焚いて開眼する。これで僕もやっと落ち着いた。

2006年11月24日Friday 晴れ
怠惰に愚かに夜を過ごして50歳と一日が過ぎ。 灰谷健次郎氏が亡くなった。これはこれで思い出す記念の日となる。僕の誕生日。
昨日は午前中に県立博物館へ、明日帰ってくる不動明王の魂を抜きに行ってきた。2ヶ月不在なんてもうこれから先無いかもしれない。少なくとも僕が住職の間は。DVD-Rを求めて帰ってくる。HDに貯まっていたMMWやTOKYO JAZZ 06、オーネット・コールマン、Bob Marleyを焼く。パソコンも少し軽くなる。
法事の塔婆を書き、高槻のS氏の奥さんのことを過去帖に記す。New Orleans ELECTROのLiveへの反響が少しあった。喜田の姉さんからも、うるさい奴らをまた連れて行くとか、長野の佐久からも何人か来てくれそうである。ありがたい。僕は寝て待っているのであるが、こんな風に輪が広がってくれるのはとても嬉しい。50歳になってよかったと思うことにする。

2006年11月19日Sunday くもり
11時頃より雨になる。 朝から雨ではなかったので、庫裏の裏の外回りを掃除。今朝は猿が騒いでいた。里に下りてきて、昼頃には境内にやってきた。
午後1時から法事があったので、11頃には外を終了。雨もポツポツときた。都留の山本さんご一行寺に来る。お茶を出して、新年の御札の申込書などついでに持っていってもらう。お不動様の信者。蔦木さんは会社の経営がすこぶる順調なのだそうだ。ありがた。お互いにありがたいということ。
昼食を食べようとしたら、そこへ飛び込みで、新車の安全祈願1件。横浜のAさんご夫婦。下部温泉に来たついでに、車のお払いをしてもらおうと、こんなところに立ち寄ってくれた。何年か前に一度来てくれていた。15分ほど待っていただいて、本堂で祈願。午後1時丁度に、大阪のSさんと、長男夫妻来寺。奥様の納骨のため。檀家と寺の関係のことなどしばらく話してから法要と、墓地への納骨。佐田石材店も墓地で待っていてくれた。2時間ほど居て、再び大阪へお帰り。遠いので、僕も行ったことはないが、仕事をやめたら訪ねようと思う。今は、そこだけのために大阪まで行くのはなかなか難しい。ここを親の故郷と大事にしてくれる人たちまでの間はいいが、その後になれば、ここの墓をその後の人たちは、継いでいってくれるのだろうか。そこまで僕が心配をしても仕方がないが、僕とそう歳の違わないご長男と話していて思った。
寒い寒い一日。今日は寺のことをしてまあ満足。

2006年11月18日Saturday 晴れ
竹林の整理。 宿直明けを下部のI課長に引き継いで帰る。夕べの行方不明者は午後9時に見つかりました。熊・イノシシの捕獲や発見情報はありませんでした。課長が「昨日の夕方波高島で小学生が熊を3頭見ただ」と。猟期に入ったので、檻がかけられないのだという。物騒な世の中になったもんだ。
帰宅して朝食後、物干棹の竹を取りに。なるほどイノシシに掘られた相当に酷い状況の墓地の草地。そのまま、枯れたのや折れた竹を整理しようと。結局昼食後も。一日かかって結構きれいになった。明日法事があるので、溝の落ち葉も焚いて、久しぶりにTシャツ2枚を汗だくにする。気持ちいい。いい気分転換になった。今夜は地区のソフトボール部の大納会。解散会だ。公会堂にはもう電気が点いているので、若い衆が支度をしているのだろう。
夕方から冷え込みが厳しくなった。予報じゃ明日は雨みたいだ。
そとの仕事を終えて、頭を刈ってシャワーを浴びて、夕飯を食べたら、もう僕は疲れて眠い状態になっている。熊やイノシシに振り回されて、仕事がはかどらないのかもしれない。夕べ、産業課のリーダーは遅くまで残業をしていた。夕べ、家じゃ見られないテレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」という番組を見た。去年の11月6日に早世した本田美奈子さんの一周忌の追悼番組をしていた。クラシックとの出会いが彼女の歌の世界を大きく開花させた時期だけに心残りだったと思う。生きたいのに生きられない者がいて、自ら命を絶つ者がいて、苦悩な世界。彼女のCDを1枚買ってみようか。

2006年11月17日Friday くもり
命乞いをしてしまった。 紅葉狩りに行こうと決めていたので、昼食の後、明珠院の裏山を登り始めたら、突然“熊”のことが頭をよぎった。で、その瞬間に僕の足はそこから前へ進まなくなってしまった。この前初めて来たときは、そんなこと全く考えていなかったので、登って谷に降りてまた登って、墓地から清々と眺めたのだった。情けない恥ずかしい話だが、意気地なしはもう歩けなくて、石仏に礼をして、無住の明珠院の前から向かいの山の紅葉を眺めて帰ってきた。気持ちがキューッと縮んでしまった。お昼に弁当食いながら、「波高島付近で熊の目撃情報がありましたので、注意してください」との、放送を思い出してしまったんだ。
iPodからは、早川義夫が流れていた。『この世で一番キレイなもの』。このアルバムで早川氏が再び歌いだしてから、もう12年も経ったのだ。とにかくやさしい。体中がいつ聴いても震えてくる。「はちみつぱい/センチメンタル通り」と、この早川氏のアルバムは、僕を火葬するときに棺に忍ばせてほしい。僕の魂と骨にしっかりと焼き付けて逝きたい。この2枚があれば、僕は永遠に、僕と繋がっていたあなたたちのことを忘れない。

2006年11月16日Thursday 晴れ
これで少しホッとした。 娘が東京にある某私立女子大に合格することができた。あーこれで僕も少しホッとした。後は入って、野となれ山となれって気分だ。ここまでが僕の役割で、この後仕送りとかのサポートはあるにしても。
後の人生は彼女が開いていくのだ。この生れた場所に捕らわれることなく、好きな方角へ自由に飛んでいきなさい。そこでよい仕事を見つけなさい。そこで良い人と巡り合いなさい。一年に一度くらい父と母と兄と、祖父母のことを思いなさい。それで十分だと思います。まだ高校卒業まで時間がありますが、家での生活を心に刻みなさい。今しか考えられないこと、ここでしか考えられないことをじっくりと考えなさい。ここで生きたことをあなたの新しい生活の糧とできるように。おめでとう。

2006年11月15日Wednesday 晴れ
早くやめにしないと、閻魔様も怒ります。 自殺もいつまでも続くと、文科省の教育改革タウンミーティング同様、「やらせ」じゃねぇのか?なんて言われかねないぞ。いじめる側にあった者だって、決して強い心じゃなくて、弱い心がそうさせるんで、皆同じようにそんなに強い人間じゃない。誰にも一つや二つ、触れてほしくない部分があり、開けてもらいたくないページがある。韓国でもいじめ問題が深刻な状況にあって、スクール・ポリスなる大人が学校に配置されている。元警官だったり、保護者だったり。休み時間に廊下でじゃれあっていても、テレビ見て僕が感じた限りでは、こんな光景にさえ「口を挟む」。「つるむんじゃねぇ」「横に並んで歩くな」「肩を組んで歩くな」「一人ひとりになって休み時間を使え」なんてね。もしそうだとしたら、これはちと違うんじゃねぇのか?
触れたいところを我慢して、開きたいページをめくらずにおくのは、当たり前のことであって、考える動物だからこれができるんで、ここで止めておけるのが友だち。じゃれあっていても、そこまでいかない、いかせないのが友だち。僕にも、小学校6年生の運動会の練習の時、いじめじゃないけど、しつこいからかいに、僕が保てなくなって、家に帰ってきてしまったことがあった。その日僕は一日中押入れの中に入っていた。このしつこいというのが一番嫌い。こちらが許容できる時間を超えてまでも終わりにならないというのが「いじめ」なのだろう。
僕は自分でも、僕自身情緒障害というか発達障害のようなものが、軽度かもしれないがあるように思う。だから50を迎える今になっても、歪みが大きい。大きな不安に押し潰されそうにもなるし、子どもを愛したくても、その愛し方を根元的な部分で解っていないのかもしれない。いくつかの部分で幼いままにここまで来てしまったという感じだろうか。死んで幕を引くなんて、面白くない。受け手の側であればなおさら。校長の自殺だって、「一命をもって償いとしたい」なんて、生徒にとっちゃ、目の前でゲロ吐かれたまま永遠に消えて無くならないようなもので釈然としないだろう。いじめがあったことをなかなか認めないという学校の姿勢の背景には、「死んだ児童はもう過去」で、いじめた側にあったかもしれない、実名を遺書に書かれた児童を擁護したい、「二次感染的悲劇の発生を回避したい」という苦悩の表れでもあるということを聞いた。終りそうにないので、もういい加減によす。
今日支所じゃ、捕獲した小熊に指を少し咬まれたなんて話も聞いた。あちらもこちらも、あの世もこの世も、人の世も獣の世も、儘にならぬが浮世の常なんだろうか。

2006年11月14日Tuesday 晴れ
熊が出た、猪が出た、気をつけろなんて話ばっかりだ。 夜毎、猪の楽園のようで、墓地から本堂の周りから畑まで掘りまくられている。年々ひどくなる。暗くなった時間に帰宅して、本堂のそばに近づいてみると、もうガサガサと何かが逃げるような音。鼻息が聞こえ、明らかに猪だということがわかる。こちらもおいそれとは近付けない。やっぱおっかない。猪の唾液や糞や体臭に犯された境内に、獣臭が漂い始めている。手も足も出ない。解決もできない。今年つくづく思ったことは、猪は猿よりもたちが悪い。
ここには美しいニッポンなんてものは存在していない。美しい国を作ることなんてどうでもいい。この場所を維持することに費やす時間は、結実することは無く、悩みばかりが堆積していく。こっちの関知しねぇところで勝手に愛国心ごっこやってろ!!。こういう状況に置かれていると、死んでゆける者を羨ましくさえ思う。確かに死んでしまえば、それで終る。当事者はそれで終れる。僕は坊主の一面も持っているが、病んだ時に死んでしまいたいと考えることがあった。明日が来なければいいと思い続ける夜ばかりで、もう何も糸口は見つからないと思った。悲しいかな、その後それを克服して立ち直ったという精神状態ではない。様々な悩みや、僕自身の性格や心のありようが、いつだって僕を苛んでいる。
寺の檀家は僕たち家族に対しての評価が余りにも低い。僕は最近になって、前以上に僕がエトランゼであることを実感する。50になろうとするに、僕は他と比較して、自分の置かれた現実を嘆き悲しむことしかできないのだ。熊や猪や猿と同じような昔共存で、今忌む対象となって、熊猪猿僧も同列であるのかもしれない。(別に同列であってもかまわないけど)。気持ちよく生きていたい。

2006年11月13日Monday 晴れ
PC退院。 夕方帰ったら玄関口にPC。玉屋さんが置いていってくれたのだ。治った。感謝。
支所は今日Mくんが、灯油の注文やらこまごまと動いていたし、大きなストーブの上には水をたっぷりと張った金盥も置かれたので、明日の朝はストーブに点火されそうだ。何台ものストーブが稼動して、時々目が痛くなったりすることもあるが、支所の板張りの職場が好きである。毎日夕方みんなで板の間を箒で掃いて、塵取りでゴミを取って。なかなか今やんないわな。家じゃ庫裏のたたきは掃くけどね。
初めて支所の昼休みにiPodウォーキング。白菜の畑の緑がとても鮮やか。大根が洗って乾されている。家でも昨日、若尾屋さんから大根とほうれん草をいただいた。昨日早川で買ってきた「くりたけ」が旨かった。焼酎湯割を2杯。
下田通信所にFAX。思わぬ佳い事が起こりそうな気配が無きにしも非ず。浅き夢見じ 酔ひもせず、か。

2006年11月9日Thursday 晴れ
わっわっわが母校でも。 裏履修表が発覚した。匿名のFAXが県教委に届いて明るみに出た。現在のわが母校は、それほど県内でも有数の進学校というわけではない。山梨の一番南に位置する県立校というだけで、かろうじて存在しているよう。こんなことが明るみになるのはちょっと気恥ずかしいような風にさえ感じる。娘の同級生もたくさん通っているし、彼らに不安を与える結果になるとしたら、なんだか悲しい気分になる。
落ち葉を少し掃いて焚き火をした。杉の葉やケヤキの枯れ枝。本格的な落葉は今からだ。落ち葉焚きは楽しい。こういうことをすると気持ちがほっとしてくる。一日の始まりに「今日の佳き日」を願いたくなる。

2006年11月8日Wednesday 晴れ
オー今朝はココもとても寒い。 台所に入ると暖房が入っていた。布団からだんだん抜け出せなくなる。昨日の大風で杉の葉が境内一面だ。池の面も落ち葉で覆われている。北海道の佐呂間町じゃ竜巻によって大きな人的災害が起こった。竜巻が直線で何キロにも渡ってアメリカ大陸の町を破壊していくさまを、テレビで見たことがあったが、そのミニ版というような自然災害だったのだ。
僕にiPod shuffleが届いたときに、娘にも注文してあげたら、もう昨日到着していた。想像するに相当数の事前生産を行っているのだろう。9,800円という値段もお手ごろだ。東京へ行ってきたが、まだこの新製品を使っている人はあまり見かけなかった。僕は200曲近くを取り込めたので、1GBで十分なような気がしている。
昼には気温が上がるようだが、それにしても今朝は寒い。12月のLive、3人ほど申し込みあり。まあまあの滑り出しなのか?

2006年11月5日Sunday 晴れ
結婚式で状況。 身内の結婚式ではない。歳若い友人が、田舎寺の僕を「たまには東京にでも遊べ」と招いてくれたのだ。今朝もよい天気。
頼まれていた塔婆を、朝のきりっとした冷気の中で2本書く。これでよし。少し気持ちも引き締まった。掌にはiPodがある。

2006年11月4日Saturday 晴れ
New Orleans ELECTRO LIVE決定。 寺でのLiveが決まりました。12月16日(土)です。午後7時30分に開演します。7月に高岡君がPOCで来てくれたときに、年内にもう一度やりたいなとお願いしたんですが、今度はごっつい強力なニューオリンズ・ファンクバンド。「ニューオリンズエレクトロ」メンバーは、辰巳光英elc-tp、岡地曙裕ds、後藤篤elc-tb、高岡大祐blowbass=amplified-tuba。
ドラムの岡地さんて方は、あの伝説のバンド「ボ・ガンボス」で叩いてた方です。他の3人も言わずと知れた凄腕のミュージシャン。こりゃもう、今年の最後を締めくくるにはぴったりなバンドです。思い切り楽しんでいただけたらそれでいいので、ぜひぜひ、お友達を大勢誘って連れ立ってお出かけいただければ幸いです。お知らせのページも作りましたので、覗いてください。よろしかったら申し込みもしていただけるとありがたいのです。
12月16日は土曜日なのですが、それぞれに忘年会なども予定されるころかと思います。寺で忘年会もありだと思いますので、ファンキーな音に浸りながら飲み食いしてください。よろしくお願いします。
私は明日、若い友人の東京での結婚式で招待されています。乾杯の発声をしてくれなんて、少し緊張気味です。で、そのまま泊まりで月曜は年次休暇だ。

2006年11月1日Wednesday 晴れ
9年前のこと。 今日で9年が過ぎた。僕も23日には50歳を迎える。9年前の今日は土曜日で、父がもう少し元気であったなら、牧丘の上求寺の大瀧不動尊の本堂再建の落慶法要に行く予定であった。法要は弟である叔父に任せることになり、その夜の遅くに息を引き取ったのだった。僕はその土曜、飯富の刈り田で、地方病の秋の殺貝事業後の生息調査をし、終った後に例のごとく飲みながらの反省会をした。もう、ほんとにここ何日かで逝ってしまうであろうことを、10月の八幡神社の祭典の頃から覚悟していた。8月の初旬の檀家の葬儀には、庫裏の部屋から、椅子に座って僕の導師する式を眺めた。この頃から意識が混濁しはじめ、父に添う母すら狂い始めたのではないかと思えるような、長い夜の問答が、二人の居室からは死の前日まで聞こえていた。もう生きなくていいと正直思った。10月に入る頃には、もう夕飯を台所で一緒にすることはできなくなり、その時には「忙しい仕事が無ければいいが」と僕は願い始めた。寺であったので、その時から否応なしに始まってしまう、幾日かの忙しない気遣いの時間のことが疎ましくてならなかった。父は何も言い残すこともなく、その夜寝たままに、呼吸を止めていた。飯富病院の院長に来ていただいて処置を済ませ、近くに住む親族を呼び、庫裏の客間に父を運び、2枚の布団を敷いてその夜を僕が添うた。晩酌もかなりはかどって酔っていた僕は、この事態にだんだん興奮してきて、深夜にもかかわらず聞きつけてきてくれた檀家総代たちにも、暴言を吐く結果となり、後日叱られもした。父との最後の夜は、どうしようもない息子のままの僕で終わってしまった。50間近となり、相変わらずの酒と、喜怒哀楽の波の激しい僕の生活は続いている。

2006年10月31日Tuesday 晴れ
暗いニュースばかりだ。
これを書くのさえ億劫になってくるような繰り返しの暗いニュースばかりだ。今年残りの2ヶ月で何人の自殺者が出るだろう。子供たちの過敏な連鎖が、練炭自殺の流行のような傾向にならなければよいと思う。「これを読んでもらうとき、私は居ません」という件の遺書が年末にかけてまだ何通か読まれ場面(特に朝ズバの、みのもんた)を想像しながらも、断ち切れたらいいということと、もう少し慎重になってほしいということを願うだけだ。朝ごとに寒さが増してきて、今日で10月もオシマイ。ここ数日は天気がすこぶるよい。昼間はまだ半袖でも十分なくらいだ。でも、終業して帰るときにはライトをつけて車を走らせるし、薄暮を帰るランドセルたちの危なっかしさを見たりする。
校長の自殺者も出た。教育委員会と学校との関係は、この縦割りの組織の中で、昨日語ったことを翌日には全否定しろという関係でもあるのか。情けないくらいに自分たちの保身のことばかりだ。
いじめ自殺や履修不足とあわせて、熊の出没ももう他の町の事ではなくなった。仕留められた熊の胃も腸も空っぽだったと話を又聞きした。山の獣にとっても、町に住む人間たちにとっても辛い秋の暮れとなった。
(17:05) ハロウィンだそうだが、この行事はまだ家じゃ受け入れていないし、何をする日なのかもわかっていない。かぼちゃのランタンは思い出す。夕べ、「明日はハロウィンだっていうから、カボチャのほうとうでも食うか」なんて会話した。今夜はほうとうではなかったが、ほうとうやけんちん汁の旨い季節になった。

2006年10月28日Saturday 晴れ
県立博物館から「BIRD LAND」。
妻と娘を連れて博物館へ。お不動様に会いに来たと伝えロハで特別展会場へ。まあまあだなという感じの入り。今日はゆっくり見学。なるほど、仏像を背中から見る機会は滅多にないので、後姿を見られるものはじっくりと拝見。ガラスケースや中央に配置されたものは360度見ることができる。明王寺の薬師如来も今回後姿も拝ませていただきました、標さん。
甲府へ出て、“えぞ”のラーメンを食べて一時解散。僕は中古CDショップ「BIRD LAND」。久しぶり。Neil Young2枚、Jan Garbarek、陳信輝、寺田恵子を買う。寺田恵子はこれは掘り出しでラッキー。やっぱりこんなアルバムが出ていたんだ。今日はクルマでカルメン・マキを聴こうと、何枚か持って行っていた。で、寺田恵子がカルメン・マキをカバーしたアルバム「悪い夢」に出会った。「空へ」をカバーしたSCDは1枚持っていたんだけれど、やっぱアルバムがあったんだ。早速帰りのクルマで再生しながらHDに録音。
もう日暮れが間近だ。女房は帰ってから庭を掃いている。僕は本堂をそろそろ閉めに夕のお勤めへ。

2006年10月27日Friday 晴れ
またしても不祥事の発覚。
衛生組合職員の使い込みが発覚して、夕べのニュース。ただ思うんだけど、横領なんかについては、どうも寛大な処置が講じられることが多いように思う。「本人も深く反省をして、既に家族から全額が返済されている」「家庭内の事情を鑑み、同情する余地がある」「既に本人は退職して」など。でもこれって、ホントにそれだけで終わりにしていいのか?懲戒処分にされず、辞めたとしても満額の退職金が支給される。酒気帯びや飲酒運転だけがやたらとクローズアップされているが、1円でも10円でも、金額の多少に関わらず、盗みを働くことってのは、仏教の世界でも十善戒のなかの不偸盗戒で戒められている。酒を飲んで車運転してはいけないことは承知していたが、世の中がこの件には寛大であった。でも、盗みは泥棒だし、これの「してはいけないこと」の歴史は古より続いているはずである。僕が酒飲みだから酒の不始末に肩入れするという訳でもないけれど(という気持ちも多少はあるか)、忠誠を誓った会社(役所)の金を使い込むってのは、これは許されない犯罪だと思うけどな。
SHINJOの涙はなんかジンときたな。シリーズの覇者になれるかなんて予想もつかない時期の引退宣言で、でも、結果そうなってしまったのだから、余程の強運の持ち主だ。華があるなぁ。
今日は午後休みを取って、勝沼の大善寺のご住職のお母さんの葬儀に行ってきた。焼香に行ってきたのだが、宗務所長、松鶴院、瀧本院のご住職にも会うことができた。行きは、甲府南から勝沼まで高速で550円。帰りは普通の道をゆっくりと秋空眺めながら帰ってきた。

2006年10月26日Thursday 晴れ
教師だって人間だもんねって。
僕は基本的にはそう思うんですよ。現職教師が万引きで捕まった報道があり、早速学校に県教委から、エーイだまらっしゃい!の上意下達(じょういかたつ)があった。
確かに教師が児童生徒に与える影響は計り知れないほど大きいと思う。頭の柔らかな彼らは吸収力もよく、教師の一言一句を水を流し込むように栄養としてしまうのだ。先生が捕まって可哀想という気持ちは湧いても、事件の背景にある教師のさまざまな事情までは心が配れないだろう。教師だって人間であるのであって、決して雲の上の人間だとか、霞を食って生きられる人だとか、聖職者というような形容は、今の時代当てはまらないと思う。それでも影響力は強いよ。僕の知り合いの「無教会派のクリスチャン」先生は、高校に聖書研究会を作り、教え子たちの何人かを彼の信ずる世界に入れたことを知っている。キリスト教が悪いということでは決してなく、入信した生徒も、それが本当の自分の信仰の道だと納得していればそれはそれでよいと思うが、こういう怖さは別の視点で考えられる。オームのような洗脳教団にまで到ってしまうようなこともまったく考えられなくはない。教師の側の裏事情を差し引いたとしても、決して元には戻らない答えになるのだということは自明の理だと思わずにはいられない。

2006年10月25日Wednesday 晴れ
今朝は青空が現れた。
トイレでラジオを聴いていたら、今朝はあちこちで虹が見えているというリスナーからの報告が流れていた。八日市場では虹は見えない。今朝は富士川の川霧がたくさん上がった。少しずつ晴れて、今は空も青空に変わった。今日はきっとよい天気だ。
昨日も気の重くなるようなニュースが流れた。臨時の校長会が県教委の指示により今朝9時から召集されている。不祥事という事件の背景には、やはりゆとりのない現実対応が一番の原因ではないだろうかという気がしてならない。同じ教育委員会の職員も、昨日から腰痛で入院していると聞いた。皆バランスよく勤めるということができないので、多少の忙しさは部署ごとに違うかもしれないが、それにしても合併後の役場で職員が長期入院したり、体調不良で倒れたりなんて事がもう何件も起こっているのが現実だ。底辺にいる公務員だってそれなりにがんばっているのだと僕は思いたい。
灰色の霧に包まれた朝から青空が少しずつ広がっていくようになれたらいい。

2006年10月24日Tuesday くもり
一晩でねずみを3匹も捕ったのだ。
先週末の話だけど、ネズミの話。乾麺や缶詰やインスタントラーメン&スープなんかを閉まってる引き戸の内壁をかじり破って奴らはそうめんの袋を破って食っていたのだ。
脱獄のために夜な夜な穴を掘るとか、鉄格子を味噌汁の塩気でもろくさせて長い月日かけて事を遂げるようなものなのだろうか。奴らもこの壁の内側にどうも食料があるようだということを臭いで察知したのだろうか。これも脱獄囚の感覚と似て非なる行為なのだな。
それで開けられた8センチ×センチくらいの板壁の前に、先日成果を上げたばかりの粘着シートをセットしたら、一晩で3匹も取れたのだ。生きながら粘着シートの上でチューチューと鳴くねずみを、ジャニスのようにブルースで葬ってやった。ホントにチューチューと泣いているのだ。
夕べも降っていたし、朝のお勤めには止んでいたが、また今降りはじめた。
夕べはグダグダと女房に愚痴をこぼしていたら、起きているのがバカバカしくなって寝た。僕の株価はやや下降気味である。

2006年10月22日Sunday 晴れ
法事一軒。
八日市場は八幡神社の秋の祭典。宿直明けから戻るともう子供神輿が神社を出るところだった。同志会が笛を吹いたりしてにぎやかに子供たちに景気づけする。
10時半から法事。理趣経を一巻あげる。最近は葬儀でもホールの都合に合わせてやるので、理趣経は初段を読み、最後の百字偈に飛んでしまうことが多い。理趣経は生々しいお経だけれど、真言宗の根本経典なので、できるだけ読みたいと思う。
法事に来た人たちには経の中身が分からなくても、それを聞きながら来し方行く末を静かな時間の中で思うこともいいだろうと話す。わずかな時間でも自分自身と向き合うことが貴重なんだ。亡き人を思い、またこれから自分がそこに向かうことを考えてみることはとてもいいことに思える。
午後から地区では秋の祭典を祝って、区民参加のミニ運動会が行われる。僕はN君の病院を訪ねたり、寺のことがあったので参加はしなかった。僕はこれからあまりこういう機会に参加することが少なくなるかもしれないと思っている。僕自身の気持ちの中で、寺のことをしていたいという気持ちが前にも増して強くなってきているからだ。直接寺のことばかりではなく、音楽を聴いたり、詩作や読書をしていても、ここで過ごす時間を大切にしたいということだ。
なかなかこういう考えを周りの人に伝えたり、理解を得たりするには難しいと思うが、寺の位置は地区に生きている人たちとはやはり何か少し違うのじゃないかと、最近また思いはじめている。風も無くまったく動かない欅の老木が外にあり、時間が止まってしまったのかと思うが、すこーしずつ暗くなってきている。夕のお勤めをしてこよう。

2006年10月21日Saturday 晴れ
残りの網戸洗い、ほか。
残りの網戸大小10枚を洗う。これで今年は終わり。その後裏の池の周りの片付け。イノシシが掘った痕が寺の周り中にある。ものすごいものだ。今日は昼飯の最中に本堂の前に猿の軍団。頭を刈って、午後2時に新車の御祓い1件。富士ヶ嶺の方はどう?と訊くと、猿もイノシシも居ないけれど、鹿がだいぶ出て荒らすのだという。何処もさほど大差はないか。困ったもんだ。これから今夜は宿直。
炭火で焼いた秋刀魚を食らう会のお誘いがあったが、今夜は残念。午前中にも防災無線の放送で、老婆の行方不明放送があったが、今また、別な女性の不明の放送が鳴っている。なんか嫌な予感のする宿直だなぁ。

2006年10月20日Friday 晴れ
その程度の評価ならこちらも疲れてぐったりとしてしまう気持ちになる。
檀家がお寺に気を遣って、「お寺も忙しいだろうし、厄介かけるから、お墓で簡単にお経を上げてくれればいい」なんて。何のための寺であるのか、これでは寺の存在意味さえ否定されてしまうようでがっかりだ。こんな会話を寺と檀家がやり取りしているような電話を想像してほしい。こっちは情けなくて泣き出したいくらいだ。まあ、施主の希望にそうようにしてあげることが一番だとは思うが、せっかく寺まで縁者が来るのであれば、寺の客殿で法事をすることを厭う必要は無いはずであるし、施主としても、亡者に対して供養の気持ちを捧げるのであれば、厳かな雰囲気の中で経を聞き、香を焚くことは必要なことではないだろうか。
こんなことを檀家が思っているのであれば、なんともやりきれない気持ちに落ちる。ぐったりだ。

2006年10月19日Thursday 晴れ
そんなことありかよと思われるかもしれないけれど。
World Peace Nowには、次のようなアピールがされている。こんなに世間が騒がれてくると、武力によらない解決をしましょう。戦争に繋がってしまうかもしれないような過激な北朝鮮への制裁は止めましょうなんて書いても、「おめぇ、それじゃ甘いよ」って一蹴されてしまいそうだが、それでも僕はこれを信じたいと思っているので。
◎北朝鮮の核実験反対、◎戦争につながる制裁反対、◎東北アジアを非核の地域に、◎世界から核兵器の廃絶を。
これを支持する人たちが町をパレードする。僕自身は集団で行動することは余り好まないが、今の時期、これらのことに賛同する数がどのくらいあるかを把握するにはいい機会ではないかと思う。僕は、そうそう簡単に憲法の改正なんてできるものではないと信じている。最後の最後で、
「改正No!」の意思がきっちり上回ると思っている。
世界食糧計画(WFP)は「北朝鮮の最貧困層100万人を対象に実施してきたWFPの食糧支援活動は、援助国からの財政支援が確保できないため来年初めに中断の危機にひんする」と発表し、北朝鮮が末期的な食糧難に陥ることを示唆している。
金日成広場かなんかで、女性通訳がインタビューに、「だって、制裁なんて今までだって、アメリカから受けてきたので、今回の制裁が特別なんて思っていません」みたいなことを笑って応えていたけど、明らかに彼女は特別な階層の人であり、日々の暮らしに迷っている人ではない。金正日の言っていることを天邪鬼していれば、その存在が保証されているものたちにとっては、少々の窮屈を我慢しさえすれば暮らしやすい国なのかもしれない。ただ、いつもこんな場面を見ると、「本心から物言ってるのか!」と体ゆすって問い質したい衝動にかられる。難しい国だ。

2006年10月17日Tuesday 晴れ
おおたか静流さんを聴きにいったのだが。
どうしても行かなくちゃという思いで、チケットも貰っていたので女房と桜座まで出かけた。おおたか静流さんのアカペラのLive。
桜座の真向かいにある、朝鮮料理の店で石焼ビビンバを頼んで、二人で口の中をやけどしながら急いで食べる。日本語がまるでなく、店の女性4人は全員ハングル。オマケにテレビもあちらの放送。中華のお店だと思って入ったんだ、チャーハンでも食べて開演に間に合わそうと。それがちょっと狂ってしまった。たいして旨くもなく辛さとやけどでヒリヒリと店を後にする。
拍手の合間に中に入る。1、2曲聴いたところで僕はロビーに出ちまった。これだけはどうにも仕方が無い。まったく肌に合わんのだ。もう少しボーカルに迫力があるかなと期待もしていたが、思い違いであった。高音もすぐに裏声のようになってしまうし、もっとボーカルに魅力があったように思い込みすぎていたのか、駄目となったら何も受け付けんということでダメなのか、夜の甲府を思い出せないくらい前に歩いて以来少し歩いて、あとは音のこぼれてくるロビーで、「ブッダは、なぜ子を捨てたか/山折哲雄」読む。それからピアニストの大西順子が、11月に甲府の「ごはんBARちろりん村」という場所でLiveをするチラシを見つけて、「へぇー!?」と。桜座で伊藤公朗さんのシタールもある。これには来たいななんてね。
往きの夕方は混んでいたけど、帰りは駐車場から家まで40分を切ったかもしれない。空いていて早い。帰りの車の中で聴いた「石川せり」「下田逸郎」の方が夜のドライブと相まって遥かによかった。

2006年10月16日Monday 晴れ
寒桜。
寒桜が咲き始めた。この花も咲き始めると長い。調べたら、十月桜というものがあるそうなので、そうなのかもしれないが、よくはわからない。こういう時期はずれに桜が咲くというのは、咲く桜にとってはどんな気持ちなんだろう。1本だけ咲いて、寂しいだろうか、恥ずかしいだろうか、優越感に浸るだろうか。ま、いいか。いい朝だ。
(18:11) M北小は校舎を新築している。校舎と体育館はすでに出来上がっていて、今日は間もなく完成の、プールの消防署の検査があった。全校生徒は78名。この小学校、5年後には45名位になってしまう予定である。何を良いとか悪いとかをいまさらという感じもするが、合併前からのそれぞれの町の思惑があるようで、寄せては返したりしながら、住民感情は微妙に互いをせめぎ合いながら漂流し続けている。

2006年10月15日Sunday 晴れ
特別に何もなく週末終わる。
昨日も今日も特にこれをしなければということもなくダラダラと過ごしてしまい、最後に網戸洗いを思い立って実行する。大小16枚を洗った。去年ジャパネットたかたで、家庭用の高圧洗浄機を買ったので、網戸洗いもずいぶんと高速化して楽になった。秋の中間に網戸をしまう時期になるとなんかめんどくさくて、億劫で嫌だったけど、去年洗浄機を買ったら、これはホントにびっくりで、金を出しても効率よく寺の仕事ができることがいいなと思った。草刈り機も然り。16枚洗って、まだ10枚くらいあるが、日が翳ってきて網戸が乾かなくなりそうなので来週に残すことにした。僕の部屋の網戸は残してよかった。ついでに外の便所を掃除して、頭を刈って、夕のお勤めをしてこれを書くのに、涼しい風が欲しくなったからだ。
表の広場ではケーキ屋さんが息子さんとキャッチ・ボールをしている。そういえば僕は子供と遊ぶことがなかった。一人でCD聴いたり、本読んだり、一人で過ごす事の方を僕は選択していたな。僕のような者は、失格親だ。
鈴木大介というギタリストの、武満徹のギター作品集を買った。部屋に電気をつけて、日曜の一日ももう終わりだ。優しいギターの音とともに。

2006年10月13日Friday 晴れ
「祈りのかたち 甲斐の信仰」。
県立博物館の開館一周年記念特別展が始まり、先立って、午前中に不動明王の開眼のために行ってきた。
ぶどう狩りのシーズンで環境客も多いらしく、博物館も見学コースになっているようで、僕が10時前に着くと、観光バスから大勢が降りてきて、彼らは常設展を見ていくようだった。
学芸員のKさんに案内されて裏側から特別展の会場に入り、たくさんの仏像や絵画の並ぶ展示会場の中に、見慣れたお不動様の前で、「開眼」の作法をする。後ろに職員の方も何人か並んでみていてくれたようだ。あえて訊ねはしなかったが、僕のように仏像の開眼をして展示する寺はないのだろうか。やはり見学する方たちに、目に見えたりはしないわけだけれど、命ある仏様として見ていただいたほうが僕はいいと思う。
午後からのオープンセレモニーを控えて忙しいだろうはずなのに、お二人の学芸員の方が少しを案内してくれた。放光寺の「金剛力士立像」二軆は力強く、また後ろ姿を拝見することは通常ないので、これも見応えがあった。それから館に寄託してある「地蔵十王図」「弘法大師捨身図」も今回展示されている。もう少しゆっくり見させていただいても良かったかもしれないが、添ってくれているお二人に申し訳ないような気がして「またゆっくり来ます」と図録をいただいて帰ってきた。特別な機会なので、大勢の方が足を運んでくれるといいと思う。

2006年10月12日Thursday くもり
韓国では。朝鮮日報より。
『朝鮮日報』を覗いてみると、「MBC月火ドラマ『朱蒙』が、北朝鮮の核実験を伝えるニュースが多く放送されたにもかかわらず、44.2%という高視聴率を記録した。」とある。日本も秋の番組切替期で、毎晩特番みたいなものが放送されている。大衆は何処も案外白けて呑気なものだということが分かる。僕だって特別にこの事件を自分や家族のこととつなげてまで考えているわけではない。
でも、在日の朝鮮・韓国の人たちにはまた世間の嫌がらせが始まっているらしい。北朝鮮への制裁が始まったが、肌の色や顔の骨格や民族衣装や言語で、すべてを一緒に扱わないでほしい。これだけは絶対にしてはいけない。責任の源はこんな庶民がささやかに生きている場所にはない。地球の子だよ地球の。
在日の北朝鮮にルーツを持つ人たちにとっても、金正日の問題は、もう呆れることとしか捉えられないはずだ。在日の人たちが一番このことを承知しているはずで、同じ列島に暮らす仲間として、それをいじめたり制裁してはいけない。
(19:13) ニッポンも核保有に進むんじゃないかなんて囁かれているらしいけれど、そんな馬鹿な。韓国でも核武装論が高まっているともいうが、ダメダメ、そんな風説に流されちゃ。「安倍ッチの思う壺だわな」。これで「わが国の国防論議もいっそう進む」とほくそ笑んでいるんだから。
護るだけの軍隊は置いたほうがいいんじゃないかなんて、今日の朝日の投稿欄にも載っていたけど、銃を持ったら負けだと思う。僕は地球の子どもたちは、きっと平和の連鎖を構築できると信じている。

2006年10月11日Wednesday
共和国という名に座す独裁者。
こんなことで一番損をするのは、市井の臣ということになる。北朝鮮からの船の入港を拒むのはこの国の勝手なのだが、交易に生活を委ねる者にとって、これは死活問題である。金正日とそれを持ち上げる勲章の輩にこそ責任があって、一介の農民や漁民たちにはその暴挙の万分の一ほども知らされてはいないだろう。(知らされることは決してないだろう。)
♪サルトル、マルクス並べても 明日の天気は判らねえ ヤクザ映画の看板に 夢は夜ひらく
赤ちょうちんに人生論 やけに悲しくつり合うが コップひとつの幸せを なんで呑み終わる♪(三上寛)

革命と建設の主人公を人民大衆と位置付けながら、僕がニッポンのマスコミ報道から目にするこの国の断層のずれは、それとは甚だしくかけ離れたものだ。彼等言うところの「勤労インテリ(&その家族)」がチュチェの絶対的な掌握者であり構成者である。そのはるか下層にある者らはチュチェ思想の中に組み込まれていないと感じる。朝鮮民主主義人民共和国は「朝鮮独裁主義人民愚弄国」だ。憲法の「第4条 朝鮮民主主義人民共和国の主権は、労働者、農民、勤労インテリ及びすべての勤労人民にある。」なんて、まったくお笑い北朝鮮だよな。第25条の終わりは「国家は、すべての勤労者に、食べて着て住むことのできるあらゆる条件を保障する。」と。富む一握りの下に、ピラミッドの底辺の貧困階層が全土に拡散している。敗戦後の昭和31年生まれの僕にだって記憶にない荒んだ光景が映し出される。この国の全体がそうなのではなくて、世界の先進国に引けをとらない技術も都市もこの国にはあり、天国と地獄が背中合わせのように存在しているのだ。頭の出来など最低だが、「社会主義の国っていうのは、すべての国民が平等で、特別に富む人も特別に貧しい人もいない国だ」という風なことを理解してきたのだ。それをまるっきり裏切ってくれたのがこの、朝鮮民主主義人民共和国という嘘偽りで塗り潰された国家だ。これが理想国家の成れの果てだ。
僕は自由に生きたいだけなのである。戦争も軍隊も否定する。日の丸も君が代も天皇制も然り。愛国心を植えつける教育の始まりの後ろに潜むものを、誰もが知っているはずだ。やがて消えてなくなる僕にとってではなくて、この後の者らのために、僕は僕の考えだけははっきりしておきたい。ニッポンだって決して上等な生き方をしているわけではない。状況は年を追うごとに悪くなっている。北朝鮮と比べてみたら、まあまあねって位なもんだ。牛耳っている奴だって、前も今度も金正日とさほど変わらん。だからはっきりとさせておこうと思う。誰にもおもねることなく、ためらうことなくだ。僕が僧侶であることもこれらのことと切り外すことはできない。僕が真実だと思うことは、僕の生活のいつも右に左に存在しているからだ。

2006年10月10日Tuesday 晴れ
交通安全の徹底を図るための職員研修会。
こんなタイトルの研修が午前と午後に分けて行われた。町長、N部警察署長、N部安全運転管理者協議会長の長い挨拶のあとに、「Kサツ庁方式運転適性検査」を実施。同じ形に○を付けろとか、三角を書けとか、引き算の問題を解けとかいったもの。後日個々に郵送で検査結果の通知があるということ。ビデオを見て、交通課長の講演を拝聴して、最後に長町宛に「飲酒運転根絶宣誓」、N部署長宛に「飲酒運転根絶宣言」を職員互助会長の総務課長が声高らかに朗読。10時から12時半までかかって、めでたくシャンシャン。お陰で車で支所に戻ったのが12時50分過ぎで、急いで弁当食ってそのまま午後の仕事と相成った。
キム正日君、強気強気で突っ走らなきゃ「下剋上じゃぁ!」となりかねん。権力者とは気の休まらんものだ。頂にある者は、居続けるか、崩れ落ちてしまうかのどちらかだ。チュチェの象徴金日成像の倒れる光景が目に浮かぶ。その時北の人民は、キム正日と共に死ねるのか?解放される日の近いことを祈りたい。核実験の暴走は彼の賭けみたいなものだ。友よ夜明けは近い。その時その日こそ自由になる。
無類の勲章好きは、同じ蒙古斑の特徴を持つ民族の、死んでもなおらねぇ悲しい性か。かつて消防団の分団長になって、或る時、肩がやけに凝るなと考えたら、譲り受けた法被に、勲章が左右の胸から裾まで重りのように付いていたんだ。こんな物付いてるから動きにくくて肩も凝ると、全部外して、捨ててしまうのはチト気が引けたので紙袋にしまったことがある。
キューバのカストロは末期ガンで、キム正日は癇癪持ちの宇津救命丸。安倍晋三は靖国参拝を「両国関係の健全な発展を促進する考えから適切に対処していく」とは、エーイ!訳わからん。行かない方がいいだろうと思うなら、即答できるはずなんだが。

2006年10月9日Monday 晴れ
確かに当たったな、夕べテレビで間近だって言ってたもんな。
Yahoo!ニュースをそのまま引用させてもらうんだが、労働党機関紙は「祖国の人材になれ」と題する叙事詩で、「今後、世界は再び知ることになる。われわれの知識、頭脳がどのようにしてごう慢な敵を戦慄(せんりつ)させる戦争抑止力の雷鳴をとどろかすのかを」「将来、世界は見ることになる。(人工衛星の)『光明星1号』が2号、3号の爆音へとつながって全世界を震撼(しんかん)させるのかを」などと言い、100年遅れたような駄文に反吐も出ん。寂しがり屋で目立ちたがり屋の金正日は、引き返せないところまで暴走しそうだな。暴走の果てには破滅が待っているのだろうけど、奴ならどうせ命捨てるならジャンジャンある物撃っちまえってなことにもなりかねんぞ。放射能を憂慮する以上にあいつの臭い息が危ない。
北朝鮮にだって、ニール・ヤングみたいな人は居て、世の中が寝静まった頃を見計らって、キム正日と朝鮮労働党を糾弾する唄を押入れかなんかで歌ってるんだろうな。居ることを信じたいな。私は山梨の田舎寺からそんなあなたと心の連帯をします。
「強力な自衛力と国防力を渇望してきた北朝鮮軍と人民に大きな喜びを与えた歴史的事件」だなんて、一体そんな嘘偽りの言葉を、国民の誰が喜ぶものだろうか。喜ぶ以前に核実験のあったことを、北のどれだけの人たちが知ることになるんだろうか。

2006年10月8日Sunday 晴れ
ネット通販の実力実感。
昨日の昼前に頼んだ「グリーンパイル」という樹木専用の打込み肥料。もう今日の昼過ぎには配達となった。シルバー人材の方に教えてもらいながら、紅梅、松2本、彼岸桜の周りに施した。彼らも「インターネットけ?早いもんだね」と感心していた。僕もこのすばやさに感激関心。支払いは請求書が届いたらコンビニから納めればいいんである。便利なものだ。
「枝が張っているところまで地下に根があると思え」と、無知な僕にはちょっとしたことでも忘れられないありがたい教えになる。彼らの手が入って樹木もさっぱりとして、新たないのちの営みをはじめてくれるだろう。「これ(グリーンパイル)が効くだよ」、「じわじわと溶けてくから、来年は勢いが戻るよ」と、なんかもう効果100%のお墨付きをいただいたようなお言葉で、僕の頭の中には春の紅梅の桃色の花の満開の姿が浮かび上がってきた。
冷たい風が吹き始めた時間に、何脚もの脚立や道具をまたきれいに2台の軽トラに積んで帰っていった。本堂に上がっていたお酒を1本ずつお持ちいただいた。また来年だ。

2006年10月7日Saturday 晴れ
なんつったってひとりぼっちじゃん。
シルバー人材センターから2人。今日の仕事ははかどっているようだ。「明日は休みでしょ?」と訊くと、「天気がいいようだから、明日も来てやります」という応え。ありがたい、よろしく。
紅梅の勢いが悪いことを話すと、肥料をやってみたらどうかと言われた。やはり庭木でもちゃんと施肥をしないといけないようだ。曰く「グリーンパイル」という打込み式の有機肥料がいいという。ネットで捜して楽天に注文。木の根元3ヵ所くらいに筒状のグリーンパイルを打込めばいいという。それから周りを少し掘って、農協で売っている「あいのう有機」という堆肥も施してやるといいと言われた。さて、今年の終わりは助言を忠実に実行にうつして、紅梅の勢いを戻し、松にも桜にも元気を与えたい。
たったいま、N君から電話が入り、「家の棕櫚の木を伐っていたら、一気に倒れてきて逃げ切れずに、左足の向こう脛の骨を2本折ってしまって、I病院に入院した」と。約2ヶ月くらいの隔離になるのだと。まったく田舎の大屋敷の長男は大変だ。皆似たり寄ったりの生活なんだ。酒を持って訪ねるわけにもいかないので、その内いい音源をたくさん持っていくこととしよう。
ハナマルキの「なんで私たち動かないの?」ってCM面白いよね。金正日も動く映像がなかなか届けられないので、経費を節約しているのかもしれないなぁナンテぼんやりとこのCMとリンクした。「ちっきしょう!核実験やってやるからな。」なんて、秋に寂しい“ひとりぼっちさん”。「ほれっ、おめぇもこっち来て火に当たれ」。

2006年10月6日Friday
長雨だな、シルバー人材も一日だけで足踏みしている。
昨日、県警察学校の入校式があった。団塊の世代の退職時期に伴い、新規警察官もかなりの数必要なようで、年2回の採用方式を採るらしい。教員はというと、町村合併と小規模校の統廃合により、団塊の世代の退職の影響はあまり山梨ではないらしい。一時的な採用強化もなくて、むしろ先細りの展望のようだ。まだまだ少子化は進むだろうし、例えば10人6学年の60人校ふたつが統合しても、校長教頭は1人ですむし、教員の数は同じでいいんだからな。警察署の統廃合も来年度はあるが、警察官の数は減らないのか、それとも増えていくのか。なんだか、「必要なんだ、必要なんだ」ということで、憲法改正なども目論みながらの「国家警察」組織の強化に繋げているんじゃないかと勘繰ってしまう。
昨日はまた「横田めぐみ」の42歳の誕生日で、数日の間にこの関連のドラマや特集なんかがNHKや民法でも取り上げられている。ケーキを置いて、「めぐみちゃん、おめでとう」なんてね。心情的には分かるのだが、僕はどうもこの手が肌に合わない。拉致問題も初めのころの家族会の行動は、「そうだなぁ」という気持ちになったが、右から左へすぐに抜けてしまう典型的な「テイノーニッポンジン」の典型の僕は、すでに関心が薄れているし、恐らくもう北によって消されてしまっているだろう「横田めぐみ」を、これでもかこれでもかとコマーシャルする報道や家族会を、方法は分からんが、何かちょっと違うんじゃないかと思ってしまう。
金正日がこんなにあせって動き始めて目立ちたがってきてるのは、自らの支配する国家の行く末が彼にも見えてきてしまっていることの裏返しなんじゃないかと思っちまうんだけどね。
シルバー人材センターも一日北だけで、雨降りなんで足踏みだ。長い脚立がそのまま雨ざらしで、早く秋の落ち着いた天候になってくれるといいのだが。

2006年10月5日Thursday
猪に荒らされた田から考える。
通勤途上の宮木から一色集落にまで、たくさんの田んぼが広がる。ほぼ稲刈りを終え、牛に掛けられて脱穀を待っている景色なのだが、中に数枚稲刈りがされないままの荒れた田がある。猪に入られて稲を倒され収穫を諦めた田であろう。猪がゴロンゴロンとした田の米は、臭いが付いてまずくて食べられないという話を聞いたことがある。作付けをして収穫を楽しみに待つ農民の、“いのちの源”が絶たれたような悲劇の風景だ。例えば老夫婦で、「せめて米くらいは作って、少しの収量ではあっても子どもたちの元へ送って食べさせたい」との思いも、こんな現実が徐々に砕いていってしまう。脱力して「もう来年は田んぼやめよう」となるのかもしれない。
人目につきにくいような場所にある土地なら、耕作を放棄して荒れ放題にさせてしまっても、知らぬ振りでやり過ごせることかもしれないが、道路端なんかの場合には、やはり荒れ放題にしておくには気が引けるだろうし、隣接の田畑への迷惑や景観上のことを考えると、常識の範囲で草刈などもしておかなければならないだろう。
土地を持っているということが、時代の変化で「ありがたくない」足かせのようになってくることは否めないような気がする。農業はどこへ行くのか?田にも畑にも、サルやイノシシやシカの害で、農家は百姓仕事以上に疲れきっている。(今年は熊の目撃情報や、熊が町に出てきたなんてニュースも飛び交っている。下部の放送でも、注意報が2回は流れたなぁ)。

2006年10月4日Wednesday くもり
昨日からシルバー人材センターが剪定に来てくれている。
毎年秋にお願いしている。6人分。3人分の日当を寺の護持会と僕で半分ずつ負担している。なんとも情けないような話であるが、これがゆとりのない寺の現状である。ホントはもっと金をかければきれいな景観も維持できるのだろうが、シルバーには紅梅と松を主に手入れしてもらっている。僕にはこれらの木は手に負えない。後のつつじなんかの植栽は電気バリカンで、バリバリとやってしまう。
女房の話では、いつも来てくれる飯富のFさんの体調が悪いとかで、今年は2人で3日来てくれるんだと。本堂前の松がきれいに手が入っていた。それから百日紅もきれいな裸になっていた。今日の天気も心配なのだが、なんとかもってもらいたいものだ。
実は今朝も二匹のネズミが捕れていたのだ。二匹捕れても天井裏では、いまもごそごそ奴らの活動する音がしている。何匹か捕れれば捕れるほどに、寺に棲むネズミの数のことを思うと憂鬱になるような気分がする。

2006年10月3日Tuesday くもり
ねずみ一匹。
最近ねずみが天井裏を駆け回っていたり、庫裏の風呂にある石鹸をかじっていたりしていたので、日曜日にねずみホイホイを買ってきてもらった。寺の建物が大きいので、ねずみも居たり野良猫なんかも、時々は棲んでいたり、獣が死んで腐っていくような臭いが床下から一箇月くらい上がってくることもある。
昨日はかかっていなかったが、今朝歯磨きに行くと、ちょっと臭う。8センチ位のねずみが、逃れることのできないあの粘々の板にため息をつきながら貼り付いていた。一匹だけで捨てちまうのはもったいないと思いながらも、このまま放置しておくのもいやなので片付けた。新しいホイホイを設置して、もう少し狙ってみよう。この捕り物は許されることと思う。この寺を維持していく上では、こんな些細なことの積み重ねが時として、たまらなく僕を発狂させてしまうことがあるのだ。別に僕がこの寺の支配者であるわけではないが、古い建物に生活する不便は、広い家に清々と住む対極に絶えず存在しているのだ。

2006年10月2日Monday
草刈りの事から展開してみると。
昨日も坂本さんと話したんだけど、「草刈りが大変ですねぇ」と。草刈りのテリトリーが増えてきている。母親の畑の作付け面積が年々少なくなってきて、最盛時から比べると4分の1程度になってしまっている。必然、放棄された4分の3は荒地となり、参道脇の両側の畑の「草伸び放題」は、さすがに忍びないので僕の草刈りが必要となる。だいたい3回から4回くらいの草刈りが必要で、春からこの時期くらいまでの間の土日に、畑・墓地・境内の平から山までを刈ることになる。竹の子の時期には竹林監視が重要となる。同じ寺でも、平らな土地に建つ寺をうらやましく思う。都会の寺院のなんときらびやかなことか。寺に費やす時間のほとんどをこんな風に、美化環境維持だけのために使う。安倍晋三の「美しいニッポン」「美しい国づくり」なんて言葉は、時の果てまで白々しい。「美しい国へ」という自著の宣伝なんだろう。「美しい国」なんて言葉の、なんて糞まみれのような響きだ。「美しい寺にしたい」なんて、僕には絶対に吐き出せない言葉だ。「止めろッ!と言われても」(秀樹風に)、おっちゃんも女房も、やらなきゃならんのは、ここに生きることを選択してしまったことへの溜め息でもあったりする。見返りを考えていることはほとんどなくて、生えるから草を引き、伸びるから草を刈るに過ぎない。広くていいですねぇなんて言葉が、今じゃ恨めしく感ずるようになっちまった。後継者の望めない家なんかじゃ、土地を手放したくなるさ。でも買い手がつかないって現実もある。まとまりがつかなくなってきた。まとまりがつかないのが坊主の生き方なのかもしれません。
そういえば先週末には、甲府から峡東地域にかけて発生している「墓石倒し」事件で、甲府の華光院でも「墓石18基」が倒される被害を受けていたんだそうな。僕の寺ともお祭りの行き来があるので、他人事とは思えなくて残念だ。こんなことが、案外僕らにはbody blowのように効いちまうんだ。頼むぜ、真面目にやってるお寺をいじめないでよって、犯人にはお願いしておきたい。

2006年10月1日Sunday くもり
お不動様不在。
昨日の30日、県立博物館の開館一周年記念特別展「祈りのかたち -甲斐の信仰- 」への出品のため、お不動様は日通の職員らの手によって厳重に梱包されて、約2ヶ月の長期の出張となった。
午前中の早いうちに護摩を焚いて、所願の成就(特に娘の大学合格祈願など)をお願いして、それからお不動様の魂を抜く「撥遣(はっけん)」作法をし、少し写真を撮った。展覧会の当日に改めて博物館で「開眼作法」をし、命のあるお不動様を見学者に拝観していただこうと考えている。
午後1時半過ぎにNITTSUの文化財などの運搬を担当する職員4名と、文学館の学芸員1名が来て、約1時間半ほどで出立。柔らかな綿や薄紙などで手厚くくるまれて、木枠に乗せられて参道を駐車場まで運ばれて長期出張となった。梱包風景の写真を
「YAHOO!photo」にアップしてあります。(ページ上の「不動明王のお出かけ」からどうぞ)
午前と夕で、庫裏の裏庭から竹林にかけての草刈り。でもまだ今朝は雨になっていない。
お不動様も間近で眺めると、やはりこれはこれで恐らく千年の歴史を経ている像なので、傷みを認めないわけにはいかない。でもまだすぐに朽ちるということではないし、大きな力を与えてくれると思う。お不動様が誕生したところまでを遡ることはできないけれど、まさにこの国の生きた歴史を黙って眺め続けてきたことは確か。戦の勝利ためにこの像に祈り、愛のために祈り、平和のために祈りしてきたが、たくさんの呼びかけにこの像はただの一度もうなづくことはないのだが、いまもって、「なぜそんなところからここを知ってきたのか分からん」というような方が訪ねてくる。「お告げがあったんだ」とか、「ここに行けと言われました」とか、「イエイエ、私にはわかってしまったんです」とか、不思議さんたちがやってくる。中には少し、?と思うような人物もいないわけではないが、お不動様の力はエンドレスだ。
たくさんの祈りのかたちをこれまた、大聖寺の歴代僧達も眺めてきたのだ。僕もここでお不動様に会いに来てくれる方々に、気持ちよく祈っていただける場所作りをしていきたいのだ。

2006年9月29日Friday くもり
彼岸花の葉とは? 実は彼岸花のことを少し調べていた。とてもいい記述に出会った。韓国では彼岸花を「相思華(サンチェ)」と呼ぶのだそうだ。僕なんかはどちらかというと、小さい頃から彼岸花は「歯っ欠けババア」とか言ってたし、秋の彼岸の頃に咲くこの花をどちらかというと、不吉気味な感覚で捕らえていた。そう世間から印象付けられていた。今年いろんな色や花のかたちのリコリスを買って植えてみたので興味が湧いていたのだが、花と葉が決して一緒に開くことのない彼岸花の特徴から、互いが一途に思う「葉は花を思い、花は葉を思う」という相思華という名が付いたんだそうだ。いいじゃないか。こりゃ素敵じゃないか。それで今朝も彼岸花を見ながら「一体、葉というのはどこにあるのだ?」と花の終わったものを見たが分からない。結局ネットで調べて、葉の写真を見つけた。なるほど、これが彼岸花の葉だったのだ。知らなかった。知っていたのにこれがそうだとはついぞ気付かなかった。勉強になった。
檀家の若尾さんという一人暮らしの老女が今月のはじめに、隣町の特養老人ホームに入所した。昨日はがきをいただいた。書道をこよなく愛していたので、こういうの方の書くものは、僕のような者にはなかなか判読しがたい。読めなければ前後で判断することになる。「老後はホームと覚悟していました」「住み慣れたところを去るのは悲しゅうございました」とも。ここが彼女の終の棲家となるのかと考えると、僕にも悲しみは湧いてくるし、ますますここでの暮らしの難しさを考えずにはいられない。
彼岸花の如く、ここと隣町にあっても、彼女のご主人の入る墓に彼女の思いを伝え、こちらからもまた「元気であれ」との思いを送り続けたいと思う。

2006年9月28日Thursday 晴れ
歩きながら考えていたこと。 自分の持ち家であれば、その家を捨てようが、跡取りがどこへ住もうが自分たちだけの問題で済むのだと思う。だが寺という奴は少し厄介だ。僕がだんだんに歳を重ねて、跡取りだと檀家が思っている息子は他に職を持ち彼の望んだ生活をするとする。在家であればこれはなんら問題はない。僕の場合はこうなった時、やはり少し引け目を感じたり、檀家に申し訳ないと思ったりしてしまうんじゃないか。「お前らはここで生かせてもらったのだろう」とか「責任もって寺の後をやれよ」とか言われそうだし、「僕たち出て行きますんで、後はよろしくね」ってなことも、4世代にわたって世話になってきた寺であるし、間違いなく僕にとっても子供たちにとってもこの寺が、世間で言うところの家なんである。「後はよろしくね」って、特に行く当てもないのだ。それに土地も所有していないのだ。どこか知らない町の町営住宅にでも入って、ゴロゴロと死ぬときを待つか。でも死ぬまで僕は坊主でいたいと思うしなぁ。坊主でいることは寺に済まなくても構わないし、自分の信仰生活を静かに送れたらいいのであって、アパート暮らしでも一向に構わないのだ。広い家に暮らすことに慣れてしまっているので、6畳二間、台所・風呂・水洗便所付きなんてところじゃ息が詰まるかもしれない。この話はこれから相当に僕自身の中で、具体的に煮詰めていかなければならないんだろうななんて、清沢の秋の道を歩きながら、「あーこの田んぼは今週末が稲刈りだな」とかにも心奪われながら考えていたんである。それから、ニール・ヤングになぜこんなに心惹かれてしまうようになっちまったんだなどとも考えた。妥協して生きるのはいやだよなぁ。僕はこの寺でやれるだけのことをやっていく。そのくらいなんだなとかね。
女房に「今夜は飲まないの?ソフトボール?」なんて怪訝そうな顔をされて、「別にっ」て、マツタケ飯を2杯食べたのだ。マツタケ飯って、スーパーで売っている炊き込みご飯の素って奴ですよ、断っときますけど。本物のマツタケなんて、何年か前に秋山さんちで、秋刀魚の会をやったときに、初めて食べてそれっきりだ。その時、永谷園のお吸い物の「松茸の味」とそっくりの香りなんで、えらく驚いたし、感動があった。ほっとする松茸のお吸い物と、刈田と秋の空と路傍の石仏で、また「ホッ」とする。

2006年9月27日Wednesday
マスコミって奴は。 「楓ちゃん聞いた?楓ちゃんよく頑張ったね。楓ちゃんが見守ってくれたからパパもママも頑張ってこれたよ。楓ちゃんありがとう」なんて、即刻書けるものなんだろうか。僕にとっては不思議でならない。事件は事件として許せるものではないが、最近の事件には、必ずこの『手記』とやらがセットになっている。どうもこの辺はマスコミの過剰要求ではないだろうか。こんなもの書けようはずがないと思えて仕方が無い。こういうことを感じるのは僕だけだろうか。で、「楓ちゃん聞いた?楓ちゃんよく頑張ったね。」なんて内容の語りかけ口調の手記が多い。このマスコミって奴のいやらしさが最近は益々臭いプンプンだ。
安部晋三も「私の給与を30%カットする。」なんていうサービスを売りに、ノーテンキなニッポン人を口先先行で巧みに騙しながら、教育基本法や憲法の改正へとコソ泥のような真似をしていくのだ。クソッ!たまらん。

2006年9月26日Tuesday くもり
百合の一輪。 ゲートボール場が返されてまた草の生える場所に戻った。地区の体育祭の夜の練習のために草刈りをして、刺客の升の中にたった一輪百合の小さな花が残った。白い清楚が周りの彼岸花の赤と対を成している。
先週の火曜日には教育長が酒気帯びで検挙されて、夕刻に教育委員会を開いて即日の懲戒免職となった。渦中にいた僕たち職員は慌ただしく一週間を過ごした。10月に入ると全職員を対象とした「飲酒運転撲滅」のための研修があるのだと聞く。処分も厳しくなった。多分もう戻ることのできないところまできてしまったのだ。
WさんからBlogに書き込みをいただいている。牧丘の上求寺のことも書かれていて、案外みな狭い世界に生きているような気がした。世界が狭くても、僕にはここでいつまでここの坊主を続けているのかと、弱気にもなる。お不動様を「県立博物館開館一周年記念特別展」に11月20日までお貸しすることになっている。今週土曜の搬出になり、40日間の長期不在になる。父曰くの「孤高のお不動様」に、大勢の方がお会いになってくれることを願いたい。
(21:35) 安倍晋三は、汗をかいた人(小泉)が報われる政治を継承したいといい、先ず教育基本法を改正するに着手するという。彼は「美しい内閣づくり」と表現したが、本当にこれでいいのだろうか。安倍の心の内には憲法の早期改正にももっていきたいという気持ちもあり、ちょっと見、アイスクリーム好きなお兄さんだけども、これこそ危険極まりないバトン・タッチではなかったか。この国の行く末の舵を取る者を、これこそ慎重に僕たちは選択していかなければならない。

2006年9月24日Sunday 晴れ
今から宿直。 今日はとてもいい天気で、小学校の運動会と地区の体育祭も無事に済んだ。僕は彼岸中の休日でもあるので運動会へは行かない。もうここ何年も、運動会が彼岸中の日曜日に催されているので、子供たちが小学校を卒業してしまってからはあまり運動会に出向かなくなった。平日の勤めをもっている僕が、彼岸中の休日に家を空けるわけにはいかない。
でも、檀家が特別に多いわけではないので、特に忙しいということも無い。昨日の中日に、彼岸の法要をした。5名の参加者があった。それでいいのだ。今日の運動会を草刈るのはさすがに区民の皆さんに申し訳ないので、家で静かに過ごした。何人かの墓参もあった。
風呂に入って、涼しい風が吹いてきて、これから富士川の端の宿直室へ。

2006年9月21日Thursday 晴れ
ようやく今日は少し落ち着いたんである。 一家の大黒柱を失って、長兄が下をまとめるとでもいうような感じか。課長以下6人。朝から蚊がいるので、蚊取り線香を焚く。夕方にまた焚く。僕たちは僕たちのそれぞれの仕事を黙々とこなしてゆく。僕たちがそれを悔いたり恥じたりすることではないとおもうので、僕は僕の仕事に専念する。
一昨日昨日と帰りが遅かったので、6時前に帰った今夜は熱燗とビールを飲んだ。後のことは知らねぇ。
それから痛快なニュースをどうしてもここにも書きとめておきたかった。「国旗掲揚時の起立強制は違憲、地裁が都に賠償命じる」。ほらほら司法の良心が今日は示されたぜ。ざまぁ見やがれってなもんだ。憲法改正は急務であるという安倍晋三に、「ちょっと待った」の一矢が射られた思いだ。

2006年9月20日Wednesday 晴れ
今朝も天気はすごくいいのである。 まさに予想通りに、「朝ズバッ!」が始まって間もなくの5時40分頃、みのさんに頭を叩かれた。それで気持ちがすっきりして起きた。活を入れられた感じだ。朝のお勤めを済ませてから彼岸の入りなので墓地へ。寺歴代の墓地や無縁、塔婆を頼まれた檀家の墓地などを回った。昨日の朝もまさかあんな一日が待っていようなどと思いもしなかった。今日は、きっとお叱りの電話がたくさんくるのかもしれないし、事務処理を進めなければならないことも多々ある。
本人は動揺することなく頼むといっていたが、うーん、いささかこちらも夕べ帰ってきてから腹が立ってきたぞ。なんかあまり熟睡もできなかったし。それにしても昨日の朝の青空と同じものが目の前に広がっている。この掌の上で生かされているのだな。
仏教徒の皆さんは、お彼岸のお墓参りに出かけましょう。合掌。

2006年9月19日Tuesday 晴れ
ローカル新聞と中央誌の違い。 朝のテレビを見ていると今朝の新聞の見出しは「地価上昇」なんて載っているが、わが山梨日日新聞のトップは「地価14年連続の下落」である。そうかやはり違うもんだなと感じた。まあ上昇傾向にあるといっても、東京、大阪、名古屋の三大都市圏で、地方と都市の二極化がより顕著になってきたということだ。
地方新聞のトップ面にも吉野家の牛丼の限定復活は写真入で載っていた。「あの味求め長い列」なんてね。ここには吉野家の牛丼のにおいさえも届いては来ないけれど、こんなことで一喜一憂している僕らの日常のなんと晴天なことか。でもこれでいいんじゃないか。
金曜の夜友人の家で飲んで、翌朝の新聞には麻原の裁判が結審して、死刑が確定したと。麻原は何も喋らなかったとこぞって書いているが、麻原はもう喋ることはなかったのだと僕は考えている。麻原が教団を牛耳っていたことこそが、彼の命令で教団が動いたことこそが彼の言いたかったことで、何をそれ以上のことも以下のこともあるがはずがない。これでいいのかもしれないが、死刑にしてしまえば終わりってものじゃない。彼の息絶えるまでをもって刑とすることが本当の刑というものではないだろうか。
(22:06) 大変に重大な出来事があった。朝から一日僕の職場は地に足付かずのような感じで、慌ただしく過ぎた。(早く過ぎてほしかった)
何があったのか?なんて書きたくはないが、ニュース報道でもうご存知の方も多いだろうし。台風の本物が来ずに、台風に直撃されているような重い気持ちにさせられている。これからがきっと大変なんである。明日の朝は、「朝ズバッ!」のみのさんに、ホントに頭を叩かれなくてはならんな。あー憂鬱である。「テレビ映ってたなぁ」なんて電話くれた人もいるけど。

2006年9月18日Monday くもり
今日は一日骨休め。 新しい方の草刈り機が結構重いので肩や背中や腕に疲れが残った。そして今朝は雨だ。台風は日本海に抜けたらしいけれど、影響がここにもあって、まとまった雨が昼過ぎまで続いた。
そうはいっても早起きだったので、朝のお勤めの後朝食までの時間を彼岸の塔婆書き。檀家にはがきを出して彼岸の塔婆を勧めているが、はっきり言ってあまり関心はない。4枚の申し込みがあっただけだ。まあ、だいたいいつもこんなところね。檀家中にはがきを出して、50枚で2,500円。塔婆料を1枚2,000円いただくので、まあまあということにしておこう。頼まれた4枚と、無縁仏と寺の先師の供養分。
筆を特に選ぶことも無く書いていたが、穂先のすっきりしたもので1枚書いたら、これがよかったので、穂先の揃っていない筆は捨てることにした。
雨の午前中は、オリヴィア・ハッセー主演の「マザー・テレサ」(完全版)を見た。無償の愛を貫くということ。
雨が上がった外に出てついでに墓地まで。桜の枯れ枝なんかがあちこちの折れて落ちていたので片付ける。墓地は雨に洗われてきれいだ。草も刈ってしまったので、僕も満足。頭を刈って、また明日から仕事だ。

2006年9月17日Sunday くもり
これはこれでありがたいことだったということにしておこう。 台風の影響で九州なんかじゃ大きな災害が起こっているニュースを見るが、山梨への雨の影響はほとんど無い。連休中を雨と予測して、金曜の朝5時に起きて1時間ばかりした僕の意気込みに天が味方してくれたのか、昨日一日と今日の午前中の半日で、僕の気になっていた墓地の草刈りをすべて済ませることができた。
今日も午後のんびりしていると、パラパラと降ったりもしたが、今(16:21)は降ってはいない。たっぷりと草の汁と僕の汗を吸い込んだ作業着と靴下が、洗濯竿にゆれている。よくがんばっちまったな。明日がもう一日約束されているのでがんばれたな。
彼岸花が今盛りだ。終わればまた一年を待たなければ彼岸花には会えない。一年を待って会いたいものに再会する。こんなことを考えているとあと何回彼岸花を愛でる事ができるのだろかと考えてしまう。会いたいものに会うには時間を急かせたいが、一年の進みをゆっくりともう僕は味わいたいような気持ちにもなっている。
こんななんでもないようなことを今日の午後は、ゴロン太くんで考えていた。

2006年9月16日Saturday くもり
限界集落。 新聞を読んでいて、最近ずば抜けて僕の頭にインパクトのあった言葉が「限界集落」である。65歳以上の高齢者が50%を超えた集落のことをいい、「過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきており、このような状態となった集落では、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きていくための『限界』として表現されている」とある。
限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうという悲劇の図まで予測されている。
集落だけではなく、「限界自治体」という言葉もあるらしく、この周辺じゃ差し詰めお隣の「早川町」が当てはまるんだろうか。早川町のHPを見たら、ちょうどこの9月が町制50周年との町長のコメントが載っていた。「こんにちは町長です」のこの話題の最後はこう結ばれている。「町制100周年に向けて皆で力強く歩みだそうではありませ
んか。」って、本当にそんな風に存続していられるのかなぁ。
「早川って人口が掲載してないらしいよ」って、誰に聞いたか忘れちまったけど、HPのどこにも2006年9月1日人口は載ってなかった。2004年に1566人だから、今じゃ1500を切っているかもしれない。
まあ、身延町だってね、お隣同士だし、個々の集落の行く末の不安なんかは皆同じなんだと思うけどね。それにしても「限界集落」「消滅集落」「限界自治体」ってのは、ガツーンと衝撃的なnamingだね。

2006年9月15日Friday 晴れ
「なにをこく」。 昨日の深沢七郎の「風流夢譚」中に、昭憲皇太后が、「なにをこく、この糞ッ小僧ッ」という場面があるが、この甲州弁の「なにをこく」は、「何を言うか」とか「何を言うのだ」という意味で使っているのだと思うが、僕の住む山梨の南(峡南)の方では「こく」という言い方は日常使わない。石和町の出身の深沢七郎の言葉だから、きっと山梨の東(峡東)方面で多く使った方言だと思う。この「こく」で思い出すことがある。祖父もやはり峡東の牧丘町の出で、成人してからこの寺に入ったのだが、僕の少年時代、気の強い引くことのない母と、よく言い争う場面があった。そのときの祖父の言葉としてこの「こく」が印象深く残っている。例えば「おまんは、なにぉこくだ」(お前はなにを言うのか)と。なんか、あんまり思い出したくないような思い出だけど、「こく」に関する僕の思い出ね。
9月議会の委員会審議も終わったので、いやなことから解放された。連休の雨がなければいいんだけれど、明日少し天候がもっていたら、墓地の草刈りに費やそう。

2006年9月14日Thursday くもり
風流夢譚。 深沢七郎の「風流夢譚」は、1960年(昭和35年)12月号の『中央公論』に発表されたが、皇太子・妃殿下、天皇・皇后の首が切り落とされるという生々しい内容の夢物語が物議を呼び、右翼少年によって出版社社長の妻が重傷を負い、家政婦が殺されるという事件を引き起こした。以来、深沢自身によって『未来永劫封印するつもりだ』とされ、本としては現在も成り立ってはいないが、読めないことはなく、奇特な人がいるもので、ネット上に公開されている。2002年に鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』という雑誌に全文掲載されたようだが、今回僕はネット上から入手してこれを始めて読むことができた。
 「マサカリよりハバのせまいマサキリを使って」「さーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーッと向うまで転がっていった。」「マサキリはまた振り上げられて、こんどは美智子妃殿下の首がスッテンコロコロカラカラカラと金属性の音がして転がっていった。首は人ゴミの中へ転がって行って見えなくなってしまって」や「天皇の首なし胴体は背広で、皇后はブラウスとスカートで、スカートのハジには英国製と商標マークがついている」だとか、極上の甲州弁でのやり取りもある。「昭憲皇太后が目の前に現われると私はその前へ飛んで行って、いきなり、『この糞ッタレ婆ァ』と怒鳴った。そうすると昭憲皇太后の方でも、『なにをこく、この糞ッ
小僧ッ』と言い返して私を睨みつけるのである。」「昭憲皇太后が『なにをこく』とか『糞ッ小僧』などという甲州弁を知っているかどうか、皇室ではこんな風なときに使う悪態はアクセントも違った言い方をするのだと思うが」などである。
 1960年と2006年では考えや受け取り方も随分と変化はしてきているだろうし、さほど僕なんかは抵抗なく読めたし、こんなことをおおらかに夢の中の小説として作り上げた深沢七郎を羨ましくも思えた。彼もまた8月に没した人なんである。

2006年9月13日Wednesday くもり
皇室の目出度さに相乗りというわけでもないが。 さすらいのチューバ吹き高岡大祐君からメールが。次回の大聖寺でのライブが年内に開けそうである。12月16日(土)。高岡君も僕の家の事情を察してくれて、できるだけ週末をということで気を遣ってくれる。ありがたい。ありがたく向こうの誠意にこちらもできることなら応えてたくさんの人に聴きに来てもらいたいと思う。
詳細は次号を待て!ということになるが、彼が前回くれたメールには「NOE(ニューオリンズエレクトロ)」を持って行きたいなんてありましたので、実現すれば大変なことになりそうです。ファンク・バンドです。ここに写真があるので、まだ期待してしまってはいけないけれど、覗いてみてください。モノクロのいかした写真が何枚かあります。http://ext.chips.jp/live/noe051006/
今週はずっと長月の雨の日々のようです。町は議会中。遊びと仕事と寺を、うまく回していかなくちゃ。
「純情きらり」、ピアノ弾く桜子ちゃんの赤いドレス素敵だ。

2006年9月12日Tuesday くもり
5年後の憲法改正を目指すなんて。 ニューヨークのテロから5年が経ち、総裁選の3者の討論会で安倍晋三は、5年を目途に憲法改正を実現したいと語った。国民の大半がそれを望んでいるというような見解がまかり通っているようであるが、果たして本当にそうだろうか。
アメリカが血を流すことにニッポン人は引け目を感じないのかとか、アメリカだけが血を流して、日本はアメリカのために己の血を流せないのかとか、そんなことは愚の論戦だ。
彼らとて戦うことを是としてはいないとは思うが、それに近づこうと歩み寄っていることは確かだ。こういう言葉や考えは、僕を限りなく苦しくする。でも“その時”に本当の苦しさを味わうのは僕ではない。安倍晋三でもないだろう。
(21:00) 雨の夕方に帰ってきて、そのまま傘さして溝を掃除に。溝を掃除するにちょうどいい雨があった。これが今日の僕であった。

2006年9月11日Monday くもり
彼岸花が咲き始めた。 彼岸花が一斉に咲き始めた。毎年の赤はそれなりに心待ちだし、美しいと思う。今年はリコリスを少し買って植えてみたので、その花がいくつか8月の終わりから時間をずらして咲いてくれたので、これも来年以降の新たな楽しみとなった。地下で茎が分かれて増えてくれるらしいので、僕のようなずぼらにはもってこいだ。
今週は天候がくだり気味のようで、今朝も集中的に降っている所は電車が止まったりもしているようだ。土日は暑さが厳しすぎて、外の草刈りをする気力も萎えてしまった。それでも少しは刈ったのだが、いよいよ草の伸びも衰えてきたようなので、これが今年最後の草刈りだな。お彼岸の前に少しきれいに。
シルバー人材センターへ毎年の松と梅の剪定を早めに頼んでおこうと女房に話す。淡々と時間が流れて、特別に目新しいことは無い。寺守・墓守はこんなものである。
今夜、二晩目のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」。今夜は上求寺の夫婦登場しますよ。楽しみ。

2006年9月8日Friday 晴れ
今朝は日差しが強い。暑くなりそうな予感。 「ほら、角屋の小屋の屋根に猿がいるよ」と、女房が食卓から境内のはずれに見える赤茶のトタン屋根を指差す。確かに座っている。ロケット花火で猿を追っ払う音がしている。
三省の書いたものを先日読んでいたら、屋久島の家の屋根に猿が上がる話があって、瓦が割れるということが書いてあった。ハッとした。住まいから本堂・客殿・庫裏・お蔵と、あらゆる寺の屋根を彼らは征服してしまい、まるで国旗を頂に立てるが如くのポーズで、屋根の先端に腰を下ろして遥を眺めている光景がある。でも、これによってうちの屋根にも瓦が割れたりの痛みがあるのだとしたら、こりゃたまらんな、なんとかしたいなと考えてしまう。当然今の僕の考えなんかにゃ打つ手は無いわけですが。住む場所から人が1人欠け2人欠けしていく現実がもう一方であり、悩みの尽きない場所を重く抱えている僕たちは、スイカやカボチャを奪って山に逃げ込む猿たちのように身軽ではない。

2006年9月7日Thursday くもり晴れ
今夜は懇談会で仕事。 学校の再編の問題が始まりつつあり、今夜はその仕事で、ある学校保護者会の役員さん方の意見を聞く会を設けた。
子どもたちのことを第1に考えて欲しい。子供たち自体が、この学校に行かなきゃいけないの?って疑問を持っているし、私学でもよその地区の学校でもいいんだという考えを持っている。こんな意見もあった。
そうか、今の子供たちってのは、僕らが考えているような“当たり前のこと”を当たり前としてとか、決して外れてはいけないことなんて、そんなちっちゃな気持ちで捉えてはいないんだ。おおらかで自由闊達で、縛られることの無い広い心と気持ちを持っているんだ。いいなぁ。
「戦争なんていかねぇさぁ」って、きっと言ってくれそうだな。風呂から出て氷水を飲んだら、またなんだか嬉しくなってきた。

2006年9月6日Wednesday くもり
皇室典範改正見送りだってね、現金なもんだ。 男児が生まれることが事前にわかっていたのかどうかをいまさら問うても仕方がないが、これはこれで現実の出来事ですから。皇室のことに取り立てての関心はないが、男児の誕生で「天皇後継」のことも、一先ず棚上げになる様子で落ち着きそうだ。
女の子が生まれたら、あそこは紀子、眞子、佳子と、漢字2字で読みも二文字だから、付けるとしたら選択肢は少ないぞ、亜子とかタコかなぁなんて思っていたけど、そんな心配も要らなくなったし、僕は何より、雅子さんがほっとしているんじゃないかなと密かに思っている。で、愛子ちゃんもこれから笑ってくれる。
皇室の彼らがアメーバのように増殖するような生き物ではなくて、まさにヒトとしての生命体であるのに、違いも何もあったもんじゃねぇだろうとは思っているが、これはこれで、あそこの部屋もとりあえず収まったかなって感じか。雅子ちゃんも愛子ちゃんも、平常な心の状態と生活に戻れたらいいね。

2006年9月5日Tuesday 晴れ
空が青い。 秋の空だな。青い。
夕べのテレビには上求寺(じょうぐじ)のおじとおばは映らなかった。来週の予告に出てたみたいなので、来週だ。
それにしても連日放送されている「ハンカチ王子」。ニッポン的マスコミのはしゃぎぶりがよく現れている。何も知らなきゃ「ハンカチ王子」って聞いても何も分からんわ。
亀田興毅の再戦の件。「寝てても勝てるよあんなヤツ」って、口で応援している奴らの8割くらいは腹の中じゃ「負けりゃいい!」って思ってるに違いない。あーいう会見が一番気に入らん。もっと謙虚に相手も尊敬しながら会見に臨むべきだ。そういうところからも僕は彼を認めない。それで金儲けをたくらむテレビ会社も認めない。
(帰宅後) 将来皇室に嫁がせたいのなら“子”の字を用いておかなければならない。男なら末尾に“仁”、女は“子”を用いる決まりになっているそうだ。でも今の流行からすると、女の子に“子”の字を使った名前は本当に少ない。明日の午前中には、否応なしに結果がわかってしまうことなんだろうけど、勝負師紀子ちゃんの3人目の出産。わかっている人にはわかっているんだろうけど、この静かさは「男」が生まれてくるような気もするな。男が生まれたら、笑わない愛子ちゃんは、肩の荷が下りたようにニッコリと微笑むかもしれない。

2006年9月4日Monday 晴れ
特別養護老人ホームへ入所するんだって。 一人暮らしの檀家のW尾さんから電話があり、「弟の住む近くの施設に入所することが決まった。お寺の護持会費などは、近所のSさんにお願いしてあるので」ということだった。ご主人がもう15年ほど前に亡くなっていて、あとを看てくれる子供もいない。多分もう前から施設入所を申し込んであったのだろう。ベッドの空き待ちだったんだ。入退院を繰り返し、それでも盆のときにも訪問介護も受けていたし、頭はハッキリしているので、まだまだがんばれるかなとは思ったけれど、遂に行ってしまうか。
歯が欠けてくるように高齢者だけの檀家になっちまって、こんな状況はまだまだ進みそうだ。独立した子供たちはこの場所には帰ってこない。彼岸を前に寂しいことになった。

2006年9月3日Sunday 晴れ
護摩を焚いた。 護摩を焚いて本堂の掃除。昨日も護摩木を割ったので、百八支は在庫充実。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という午後8時から放送の番組がある。明日の前編と11日の後編とあるようですが、僕の祖父の生家に住むおじさんとおばさんが、研ナオコの取材を受けるらしいです。お暇でしたら見てください。僕も楽しみ。
おじさんの家が僕のルーツです。
今日も暑くて、お彼岸の前にはもう一度草を刈らなければなりません。だいたいそれが刈り納めになるのね。
そういえば昨日は、秋刀魚の水揚げの映像なんかも見たな。うーーたまらんなぁ。

2006年9月1日Friday くもり
9月初日は大雨。 午前中はよく雨が降った。雨の中を、本庁と文化会館と身延東小とハローワークとCOMAへ行ってきたのだ。結構いい具合に濡れちまった。
求人のお願いをハローワークに。小学校の用務員の補充。月曜日に行く身延山への手土産を買うためにCOMAへ寄る。せっかくなので2階の「ケーズデンキ」に寄ってCD-R買う。なんと!9月末をもって閉店するということである。1年ももたずに閉店とはなんとも寂しい限り。
身延町でも、静岡方面に国道を富士川沿いに下っていくことを僕たち旧中富や旧下部の町民はしない。買い物にはやはり上流の甲府方面を向いてしまう。これは仕方のないことだ。
午後は黙々と臨時職員の賃金伝票なんかを起こしたり、出し惜しみせずに仕事。これでやっと金曜の夕方に解放。雨の上がった空と山を見ながら車走らせて帰ってくる。山のあちこちから水蒸気が雲のように昇っていた。蒸し暑い夕方。でもちょっと風が冷たくて、「島美人」をお湯割でいただく。

2006年8月31日Thursday 晴れ
831(やさい)の日。
8月31日は(831⇒やさい)の日なんだ。語呂合わせの毎日のようで、朝車のエンジンをかけると、「○月○日。今日は○○の日です」という。時々「へぇー」っと思うような日もある。
一年の3分の2が過ぎた。あと4ヶ月。今日はとても暑かった。残暑はいつ頃まで続くんだろうか。
屋久島の生命の島社から「季刊 生命の島」(2001年12月発行の山尾三省追想特集)を送っていただいた。晩飯前の焼酎を飲みながらと、晩飯後にページを繰った。三省の子供たちや三省の周りの人たちからの温かい言葉がたくさん載っている。山尾三省を湯島聖堂で家族4人で聞いたことを僕は幸せに思っている。僕の心の中は今涙で溢れている。
詩など書こうとしたって僕の中じゃおいそれとは生れてはこないが、次ぎの詩の生れる予感を信じながら僕は書くことを続けていきたいと思う。遠藤ミチロウの「我自由丸」(※ガジュマルというタイトルだそうな)がとてもいいよ。三省、僕はこの唄を聴きながら朝通勤途上、ハンドル握りながらでも嗚咽してしまう。三省の心持ちの欠片でももてるように努力するよ。

2006年8月29日Tuesday 晴れ
最後の夏休み。
朝の冷たい川風が吹き上がってきて、のんびりとした富士川の流れが下にある。宿直明けの朝。
朝早くから僕を訪う人ありて、鹿児島焼酎が1本届けらる。朝の野菜ジュースよりはるかにうれしい届け物である。最後の夏休みなので、飲むことに後ろめたさはないが、やはり夕方まで我慢しておこう。
夕べの残業者は、11時近くまで居た。家に着けばもう11時半位になっているんじゃないか。ここまでしないとこなしきれないのか!?。町が合併して2年が経とうとするが、過労働によるものかは定かじゃないが、何人もが長期入院をしている。命を絶った者さえいるのだ。何が本当で、どういう風になれば「お前達はこれでよし」と認めてもらえるのか?いつまでも居たいと思うような職場ではない、僕の正直な思いだ。
オームの松本被告の四女が、ジャーナリストの江川紹子に自らの後見人になってほしいことを希望しているのだという。妻と子らは今もって、教団によって生活の援助を受けていたり、ある意味では制約をされた監視下に置かれているといえるのかもしれない。江川紹子といえば、教団を糾弾する一方の旗頭だった女性である。彼女は、「オウムの価値観を社会からなくすためにも自立に協力することにした」と語っているようだ。新しい宗教が氾濫している。藁にもすがりたい気持ちが、おびただしい宗教を産んでいるのだ。宗教家と呼ばれる者たちにも、その素質や資質はまちまちで、これもまた何が本当なのだとしっかりと判断する目を僕たち自身が持っていなければ危ない。

2006年8月28日Monday 晴れ
二学期始まり、久しぶりに登校児童。
この辺りじゃお陰様というのか、凶悪な犯罪も無く今日から二学期。窓の下をガヤガヤと小学生の列が通り過ぎていった。夏休みの自慢話でもしていたのだろう。長い二学期の始まりの最初には運動会がある。楽しみがいっぱいだな。
茄子が最盛期のようでよくいただく。それは玄関先であったり、庫裏の上り框に置いてあったりする。たいていどっさりとビニール袋なんかに入っている。我が家でも到底食いきれない。畑にたくさん生っている野菜を捨てるに忍びなくて、檀家の皆さんはお寺にそれを持ってくる。僕らも初めは嬉しくいただくが、あちこちから同じものが届けられると、正直閉口してしまい、結局捨ててしまうことになる。でも届けてくれた人はそれでもいいのだ。お寺が処分するのならそれでいいわけだ。たくさんの収穫物を寺とご先祖様にお供えする気持ちが大切である。僕らもありがたくいただいて、食べ切れなければそれをまた土に返してやる。
茄子は旨い。塩揉みでも味噌汁の具でも、焼いても煮ても旨い。僕は茄子もオクラもカレーの中に入れて食べるのが好きだ。

2006年8月27日Sunday 晴れ
JEFF BECKで一杯。
8月最後の日曜日の夕方である。仏弟子として同席にあるK美は、両親と醍醐寺から飛鳥の里に遊んでいる。(2通メールが届いた。おじさんが石舞台の前に立っていた)懐かしい。大学で万葉集のゼミを取っていたので、ゼミで2回、公康君と1回1回が3泊であったから、都合9泊飛鳥の民宿に泊まって自転車で周ったことがある。山野辺の道は歩いた。いつかもう一度行ってみたい場所ではある。
思いながらなかなかできなくて気になっていた、池の周りの植栽の剪定を昨日今日で済ませることができた。暑くはなくありがたく仕事がはかどった。今の僕には、植栽がきれいになっていることが先で、それに花がつくことは正直二の次なんである。先ずはきれいにしておきたい。伸びた葉をきれいに借り上げて、いらない枝をばっさりと切り落として、さっぱりとした。シャワーを浴びる前に頭もさっぱりと刈って、DL仕立ての『NORTH SEA JAZZ FESTIVAL 2006』を観ながら、早めの発泡酒だ。30分ほど雨が少し降ったこともあるが、夏の終わりが少しさびしくて涼しい。JEFF BECKが弾いていて、オーこれが何とも泣けるほどいいのだ。僕のだらしなく太った体なんかと比べ物にならないほどに絞られた肉体と、白いギター。途中からスタンリー・クラークがベースで入る。僕は21歳の夏だったか、このおっさんの「ワイアード」に魂を奪われた。もう30年も前の話になるな。
残暑をあるかもしれないが、これからは朝夕が少しずつ冷たくなり、日が少しずつ短くなり、温かい酒が恋しくなり、娘は大学受験のことを第1と考えるようになり、僕はこの秋の終わりに50歳になり、10月にはお不動様を1ヶ月以上県立博物館へ貸し出すことになっている。11月の初めには若い友人の結婚式で上京ってのもあるな。
特別なこともないが、たんたんと日々を送っていけたらいい。

2006年8月25日Friday 晴れ
Freedom of Speech '06。
ニール・ヤングは新作「Living with War」を引っさげて、Crosby, Stills, Nash & Youngで2002年以来のツアーをしている。"Freedom of Speech '06"というタイトル。「言論の自由」というツアー。7月6日から9月10日まで続けられていて、DLサイトにこの音源がいくつかアップされていた。JAZZ音源ばかりに注意していたのと、Amazonでアルバムを手に入れたことで浮かれていたので、こういう音源があったとはうっかりしていた。さっそく今DL中。CSNYの演奏曲目をチェックしてみると、「Living with War」から最後の100人の聖歌隊による「America the Beautiful」を除いた曲すべてが演奏されている。ある日の演奏曲を以下に転載してみます。

Crosby Stills Nash and Young
Xcel Energy Center St. Paul, MN July 15, 2006

Disc 1
1. Flags Of Freedom
2. Wooden Ships
3. Long Time Gone
4. Military Madness
5. Wounded World
6. After The Garden
7. Living With War
8. The Restless Consumer
9. Shock And Awe
10. Feed The People
11. They Want It All
12. Immigration Man
13. Families
14. Deja Vu

Disc 2
1. Helplessly Hoping
2. Our House
3. Only Love Can Break Your Heart
4. Guinnevere
5. Milky Way Tonight
6. Treetop Flyer
7. Roger And Out
8. Southbound Train
9. Old Man Trouble
10. Carry Me
11. Teach Your Children

Disc 3
1. Southern Cross
2. Find The Cost Of Freedom
3. Star Spangled Banner
4. Let's Impeach The President
5. For What It's Worth
6. Chicago
7. Ohio
8. What Are Their Names
9. Rockin' In The Free World
Encore
10. Woodstock

Neil Young - vocals, guitar, piano, harmonica
David Crosby - vocals, guitar
Stephen Stills - vocals, guitar, keyboards
Graham Nash - vocals, guitar, keyboards, harmonica
Rick Rosas - bass
Chad Cromwell - drums
Ben Keith - pedal steel
Spooner Oldham - keyboards
Tom Bray - trumpet

どうも、テーパーが密かに持ち込んだ機材で隣の席の観客なんかにも協力してもらって録った代物のようだけど、うーん音はまだ聴いてないのでなんともコメントしようも無いけど、複雑な気持ちで楽しみなんだな。
Fuji Rock '06を午後7時からWOWOWで見ている。実に面白い。外国からのバンドも面白いが、日本のバンドもジャズのジャンルばかりでなく、ロックにおいても独自の音楽を追求するバンドが増えてきたようで面白い。

2006年8月24日Thursday 晴れ
Living with Warを仕入れた。
やっとニール・ヤングの「Living with War」を手に入れた。それに至った。ネットで聴いていたのとはまた違い、ステレオで大きな音で聴くとまた力が湧いてくるような気持ちになる。
ニール・ヤングはアメリカ国籍を取らない身をアメリカに置いて、「戦争と生きる」というアルバムを今回発表した。国籍なんてさして問題じゃない。地球に生きる同じ生き物として捉える姿勢が大事だ。人の嫌がることはしないこと。
KOで勝たなかったらベルトなんか巻くんじゃないって、そんな親父だと思っていたが、意外と小市民だったな、涙なんか見せて。亀田の再戦なんてもう興味はない。一度見たら嘘は分かる。アメリカを牛耳る者、弓の島を支配したい者、本当のものを自分で見極める目を持つこと、これがもうすぐ50歳の僕の原点。ナンテかっこつけたか。(^^♪。

2006年8月23日Wednesday 晴れ
危険だぞ安倍晋三!。
?と、テレビの画面を見た。テレビの下に置いてある小さなDVD再生機でミシェル・ペトルチアーニを見ながらビール飲んでたんだ。昨日の夕方。
上昇気流に乗る彼は、今ではおどおどしたような表情は消え、自信満々な感じだ。「新憲法制定を政治スケジュールに乗せるときが来た」と堂々たる発言だ。麻生太郎も教育基本法の改正を第1に考えている。まあ次の総裁候補の誰を切っても金太郎飴ってことだ。
昨日の午後のように一時的に雷雨が襲い、彼らのような者こそ、洗い流されてしまって欲しいような気がする。危険な道を歩むこの国を救うものは、一人でも決して諦めないことであり、そのことを底辺に持つ自身の良心である。奄美の歌い手朝崎郁恵さんを聴いている。腹ヘリコプターの朝5時半。

2006年8月22日Tuesday くもり
郵便局が遠くなるような気がする。
地元の郵便局で一枚の「おしらせ」を女房がもらってきた。「飯富郵便局取扱事務の一部変更」についてだった。9月11日から郵便の配達が峡南郵便局に変更になるということである。峡南郵便局は隣町にあるので、これからは郵便の配達なんかが今までのようではなく、少し遅めになるのかもしれないと思う。郵便局は小さな頃から近くにあって、ある頃は記念切手を買ったり、小さな貯金に励んでみたり、生活の一部にある場所で、顔なじみの局員がいつもバイクで配達してくれていた。郵便が配達されなくなるということではないので、基本的なところに変わりはないだろうけれど、一枚の「おしらせ」が、多くの住民(とくに社会的弱者世代)を少しだけ不安にさせることはきっと確かだ。

2006年8月21日Monday 晴れ
残暑が続く。
残暑の厳しい夏になるかもしれないと予測していたな。そのとおりだ。3日泊まって息子はまた相模原へ戻っていった。新しい携帯に機種を変更して甲府駅まで送った。もう来月の4日から大学が始まるのだという。彼なりにがんばって遅れないように必死なのだということが分かる。
いい加減な父親を見て育ったので、彼は彼なりの人生設計に向かって歩みを続けているのだと思う。
「憲法九条を世界遺産に」という爆笑問題の太田光と、中沢新一の対談集を読んだ。こういう声を発し続けることこそ大事なことだ。いいにも悪いにも影響力のある人たちだけに、僕たちは自らいつも研ぎ澄ました感覚で真実を見る眼でいなければいけない。対談途中の「幕間」の章での太田光の文章がとても切なかった。

2006年8月18日Friday 晴れ
「戦争はヤダ!!」カップをもらった。
16日桜座であった、板橋文夫(p)・林栄一(s)のDUO LIVEに行ってきた内藤君から、板橋氏のこしらえた「戦争はヤダ!!」カップをもらった。
彼の添えてくれたメッセージには「板橋さんは小泉の靖国参拝に怒りが頂点に達していました。」とあった。僕より7つ位年長のこのピアニストを、僕は僕の通っていた大学のある教室で聴いた。割とチケットの半券なんかの物持ちがよくて、いまでもとってある。1978年か79年の11月18日である。「600エン ドリンク付」とある。場所は和光大学のD棟204教室。板橋さんは、リハーサルの時の弾き込みで、アイラーの「ゴースト」を格好良く弾いていた。その当時この「ゴースト」は、山下洋輔トリオの定番で、とくにサックスの坂田明が、感極まって「ハナモゲラ語」で、天井であったり天空であったり、叫び歌い始めるのだった。
僕はもちろんカップは嬉しかったが、添えてくれた板橋氏の様子がもっと嬉しかった。DUOの相方の林さんのお気持ちももちろんそうなのだと確信している。彼のような人たちに、もっともっと積極的に発言をしていって欲しいと思う。ぐいぐいと押し捲るフリーなピアノで、鍵盤上を激しく打つ指や拳で、「戦争はヤダ!!」を伝えていって欲しいと思う。諦めちゃいけない気持ちをもらった。

2006年8月17日Thursday くもり
疲れが1トン。
お盆が過ぎて今朝は起きるのもつらかった。疲れが1トンくらいたまっているような感覚。昨日は護持会の総会後の懇親会の後も、ヒデちゃんと久しぶりに話しながらまた飲み。帰った後に、客殿の片付け。盆の幡をしまい、障子を入れて元通りに。息子が帰ってきた。彼のことは彼自身が決めていくのだと思う。寺のことなんか一向に心配はいらん。息子や娘の将来を保障してやることなんて僕にはできない。老いのことなんか考えたくはないが、「住職いつも草刈ご苦労さん」なんて言われると、そうそう、いつまでもそんな訳にはいくものかなんて、勝手に落ち込んでみる。下りがあればまた上昇気流もあるか。

2006年8月14日Monday 晴れ
盆の天気はいい。今日は外回り。
昨日の午後村内を棚経。今日は外へ出る。夕立もなく自転車でそれでも汗だくになりながら、盆の棚経。何件かでビールの接待。
Nさん宅。マグロの刺身とビールと焼酎。僕には瓶ビール一本出て、本人は缶ビール。プシュッと開けてグビッと一口やって、今度は缶の中に焼酎を注ぎ込む。「俺はこれがいいだ」。久しぶりに“ビー酎”をみた。僕も役場に入りたての頃、A山さんのお宅で、お父さんからビールの中に焼酎を少し入れて飲むものをいただいた。これがあのときには旨かったが、さすがに今これを飲みたいという気持ちは起こらない。僕は後、焼酎の水割りをいただいて帰宅。晩飯を食べる気力も起こらず疲れて就寝。今朝はまだ酒が頭の隅に残っている。7時半には出発。いい富士山見られるといいけど。

2006年8月12日Saturday 一時雷雨
秋吉久美子。
NHKで「思い出のメロディー」が始まった。この番組なんかいつも見ないのだが、司会が秋吉久美子なんでチャンネルを代えられないで居る。おっ!フォーリーブスも出るんだ!
未明にこんなのは記憶にないくらい、連発の雷と雨。今日も昼過ぎから雷雨。明日はでもいい天気になりそう。今朝はまだ雨が残っていたので、10時過ぎに墓地へ行って、盆幡を付ける竹を取って各家の墓地に立てた。盆は僕には休みがない。もう慣れっこだけど今夜飲んで、明日の午後から棚経。雨があったので涼しい夜。

2006年8月10日Thursday 晴れ
甲府は暑い!
午後「退職手当事務及び非常勤職員等公務災害補償事務説明会」というひどくタイトルの長い説明会に、甲府の自治会館まで行ってきた。暑い。これまたやたら暑かった。甲府バイパス沿いの松屋で「ギュウカレー」(500円)なるものを食す。カレーに牛すじが入っていて、生姜味が暑い日には爽やかな口当たりだった。
このまま盆過ぎまでは雨なく過ぎて欲しいと思う。棚経の歩きに雨はたまらん。
夕に帰って少し草刈り。渇いた喉に流し込む発泡酒の旨さよ。

2006年8月9日Wednesday
新聞少女はまだやってこない、雨の朝。
2日続きの雨の朝。このくらいの雨ならいい。ズボンが濡れてしまうような雨ならかなわない。台風が動かないのだという。
昨日「純情きらり」を見逃してしまった。終戦記念日の頃にあわせて戦争の話か。こういうドラマは積極的には見たくないのだけど。
今朝猿たちの潜む気配はないようである。きっと別の場所へ移動したのだ。集団で村の畑を襲って、作物を奪取してまた別の場所へ移っていく。余程しっかりとしたボスに群れが統率されているのだろう。
出張先の広島で被爆して、長崎に帰ったところを62年前の今日再び被爆した人も居たことを初めて知った。

2006年8月8日Tuesday
台風とサル。
台風7号の影響で明け方から少し降り始め、今朝は出勤が早かったんだけど、7時過ぎには結構大降りで、今日は夏休み中の先生方の町内巡りがあったんで、付いて歩くのいやだなぁと、半ば渋々出かけたのだった。でも、雨はそれ以降大きな振りにはならず、傘もいらなくて結局事業を終えることができた。
夕べから寺の裏山で騒いでいたサルは今朝も居た。近所で爆竹やロケット花火で奴らを散らしているようだったが、効果がある訳が無い。さっき帰ってきたら、女房がちょうど本堂の扉を閉めているところで、「回廊をサルが歩き回って、かぼちゃも散乱している」と。裏山からそんな女房の声に呼応するように、何匹かが、吼えるような威嚇するような奇声を発した。もう人間のほうが彼らを怖がっている。結局一昼夜居座ることになるのか。今日はもう立秋なのだ。

2006年8月7日Monday 晴れ
夏休みの話をまとめよう。
どうも最近は書く意欲が減退してきたのか、飲んでしまうと書くのがめんどくさくなってしまうのか、書いておこうと思う。
先ずは土曜日。午前中涼しいうちから墓地の掃除。先日の苅草を片付けたり。仕事はじめてほどなくして太陽は全力照射。こちらの体力が持たんと、10時半頃に撤退。檀家の稔君とこの大征・園実兄妹が、やはりお母さんと一緒に墓地の掃除に来ていて、「感心感心」と小さなアイスキャンディーをあげる。日陰に憩う子供も、大人と何ら変わりなく、汗を拭いて「暑い」とため息のような熱のこもった息を吐く。
シャワーを浴びて室内での寺務。盆の紙幡をこしらえる。その後、もうひとつ盆の幡を少し早いけど池の端に立てた。杭を打つのも汗だく。
午後、東京から中野夫妻来寺。中央道も混雑しているのだとか。そんで、5時過ぎに家を出発して甲府:桜座へ。開演まで少し時間があるので、女房と娘は夕食とぶらりへ。僕はそのまま桜座でビールと日本酒と山尾三省の本。怪物さんが登場して、先日のPOCの時の礼をする。「不破さんいますか?」と問うと、楽屋に案内してくれてお久し振りの再会。演奏前でメンバーの張り詰めたような空気。握手をして早々にカウンターへ戻る。今日は桜座も満員。なかなか満員になることは無いのであろう。内藤君が知っているようなJAZZミュージシャンは、なかなか通でないと知らないかもしれない。彼は桜座がオープンしてから、水を得た魚のように桜座通いを楽しんでいる。いいことだ。
高岡大祐の居なくなった渋さ知らズに若干の戸惑いはあったが、さるへんのギターが炸裂すると、そんな小さな考えは吹き飛んでしまった。そこから終焉まで、久し振りにノリノリでいってしまう。エルクのアキヒロも一人できていたが、高校1年生の彼も最前列で終いには踊っていたな。片山さんのブロー・サックスには、16歳だって50間近なオッサンだって参ってしまうんだ。駐車場が10時に閉まるので、ほんのちょっと最後まで居られなくて桜座を後にした。
そして昨日、朝10時出発。一路小淵沢へ。下の道を走り、先ずは目的のウナギ屋「井筒屋」へ。11時開店で午後2時が昼の終了(売り切れ御免で)とのことで、僕らが店に着いたのが11時35分。ありゃりゃ、店の前には10数名が腰掛けたり立っている。女房が後で数えたら、40人位がテーブルにつけるんだけど、もうこのときには店は満杯で、更に店の中と外で順番待ち状態だったのね。で、直ぐ女房が店に入って(とにかく初めてだったので)予約の帳面に名前と人数を書いて、これでOK。後で知ることになるんだけど、僕らの後一組の家族で、昼の部の予定数に達してしまったらしく、その後も県内外からの車がひっきりなしにやってきたけれど、暖簾は中に仕舞われてしまい、その代わりに、今日のお昼の分は終了しましたというような立て看板が出されたのだった。僕らはとりあえず「ラッキー」と微笑み、この事情知らずを後悔もしたのだった。表の立て看板を見ても納得いかないような遠来者は、店まで入って、ようやく納得して去っていくのだった。「今日のお昼は、雑誌に出ていた『井筒屋』でね」なんて計画していた人たちには何とも厳しい現実だ。で、僕らが食事にありつくことができたのは、11時35分についてから、ちょうど2時間後だった。僕のとこともう一組の家族が食べ終わる時間が午後2時頃というわけだ。でも、旨かった。これはまた来ようと話した。次はもう用意周到に、11時前には到着して少し待つくらいでね。
井筒屋を後にして、フィリア美術館へ。とても小さな美術館だったけど、ここを運営する方たちの思いがストレートに伝わってくるようなところだった。「原爆の図」で知られる、丸木位里・俊夫妻の「『人物像』平和をつむぐ人びと」というデッサン展が開かれている。常設展には、ミエチスラフ・コシチェルニアクという「アウシュビッツの獄中、囚人として過酷な状況下にありながら、密かに生きる希望を託して屋根のブリキ版に彫りつけた銅版の作品」などもある。
美術館の後、喜多郎のコンサートのある身曾岐神社を覗いて泊まるペンション「ウォ−ミングアップ」へ。ペンションについては特別な感想は無い。神社まで歩いていけそうだったので、懐中電灯を借りていく。実は飲めると思ったのだが、そうだよなぁ、神社に酒売っているわけねぇもんな。喜多郎は6年ぶりくらいだったらしい。(女房談)後ろの席に居たおばちゃん達の話が聞こえてきて、勝手に耳に入ったのだが、結構追っかけみたいに彼のliveに行っているようだ。演歌の氷川きよしの追っかけなんかと同じようなものなんだろうと考えたが、喜多郎の音楽も、歌の無い演歌のようなものかもしれんなぁと、別に否定するわけではないけれども、喜多郎節のようなフレーズってあるもんな。さぶちゃん、きたさんて感じかな。大団円で外に出る。(帰宅して新聞見たら1400人くらいの観客であったということなんで、チケット8500円だし、計算するとホーッと思いますね。)帰り道の途中で、晩飯を食べにお店へ。生ビール1杯、冷酒2本。爆睡で今朝。夏休みの月曜。ゆっくりと出発。甲斐小泉駅近くの「ギャラリー・チューダー」へ。何年か前に行ったことがあったけど、次に行くとき場所が分からなかったが、ナビがあるので今日は簡単に見つかった。涼しそうなベルなんかを買ってきた。最後は今日の昼飯「う
どん千座(ちくら)」。うどんの間に、小さく“む”があって「うむどん」になっている。何回もここには来ている。ここも久し振り。おいしかった。店にあった「芸術新潮5月号」の武満徹特集を読みふけっちまって、これ取り寄せようかと箸袋にひかえてきた。これ本日の収穫。帰宅は午後2時頃。暑い。1日小淵沢で過ごしただけで、こちらの暑さと違うことがよくわかる。

2006年8月6日Sunday 晴れ
これから小淵沢。
今日は大名旅行ですよ。まあ、年に一度あるかないかってことだし、のんびりと楽しんできます、喜多郎。
夕べの渋さ知らズもよかったなぁ。開演前に怪物さんに案内されて、久しぶりに不破さんとも会えた。マンネリかな、なんて思ってたけど、やっぱ生はいいわ。ビールも生がいいけど、ジャズも生だわな、やっぱ。
今日も暑そう。

2006年8月5日Saturday 晴れ
渋さ知らズ
結構楽しんで、興奮しているので、うまくは書けない。渋さ知らズが、確かに甲府の夜に踊った。
甲府のジャズにも新たな動きがあるかもしれない。期待したい。
今夜の僕は疲れた。午前中、午後とくたびれた。おやすみ。

2006年8月2日Wednesday 晴れ
亀田君のこと。
夕べの試合とその結果は呆れたものだった。午後7時半からテレビが始まって、結局試合開始になったのは午後9時ちょっと前。待たされている間に酔っ払ってしまった。初回思いよらぬダウンを食らうと、亀田君は最後まで彼の思い描いたシナリオ?でのボクシングを展開することなく12ラウンドも終わってしまった。どう贔屓目に見ても、引き分けだったし、勝ってはいなかった。だがどうだ、結果は亀田君の判定勝ちだ。素直に喜ぶ彼を見ていて僕は複雑な思いであった。今朝も早くからテレビ出演の彼がスタジオを歩く姿が。うーん、これは亀田君にとってマイナス判定ではなかったか。彼の求めるKOで仕留めるボクシングにはなっていなかった。判定も皆が?とかしげる判定だったし、これは彼の今後にも絶対にマイナスになる。負けは負けで「カメダ、次ぎがんばれよ!」で幕を引けてたほうがよかったんじゃないだろうか。亀田君がこれでよかったという気持ちでいるのなら彼のファンは、この試合結果で、確実に減少すること間違いない。ボクシングを主催する側の体質なんてものも裏にはあるんだろうが、うーん、素人でも引き分けはあっても、亀田君のポイントが上回っているなんて採点はできないなぁ。

2006年7月31日Monday 晴れ
梅雨明け後の朝。
今朝の今は涼しい。やっと昨日梅雨が明けた。檀家の皆さんとの寺の環境整備(草刈り)も予定通りに済んだ。墓地もきれいになり、さっぱりとお盆が迎えられる。僕の気持ちの中にはまだまだやりたい剪定などが残っているが、ちょっとずつしか進まないし、体も無理がきかなくなってきた。
次の土日は、渋さ知らズに行って、それから日曜には久しぶりに喜多郎を聴く。小淵沢に行って月曜に夏休みを取っているのでそのまま宿を予約して泊まってフィリア美術館で丸木位里、丸木俊のデッサン展を見てこようと考えている。あくまでも予定ね。盆の来る前に丸木夫妻の絵を見られるのは嬉しい。

2006年7月29日Saturday 晴れ
自分の墓所は草刈ったからってなぁ。
それじゃ別に寺の檀家総出でやってもらう必要ないんだものな。自分の墓は自分できれいにしたから、寺でやる草刈りは欠席するって、俺も結構自分勝手だけど、これもきついよなぁ。この人は毎年そうだ。
でも仕方が無いな十人十色で、人と交わるのが苦手な人も居るもんな。俺だって、どっちかって言えばそっちの方だわな。それでもな、やっぱドーンて落とされるな。昔寺領がたくさんあって、自分の好きな学問に打ち込んで過ごせる時代があったようだ。今は程遠いな。
伊藤公朗さんの奥様、美郷さんから送っていただいた公朗さんのシタールを聴いている。インド音楽の演奏会を寺でやってみたいのも僕の気持ちの中には以前からあった。今はまだ高岡JAZZが終わったばかりだし、できれば今年中にもう一度高岡君の音を聴きたいと僕は考えているのだ。
でも、シタールもいいな。不真面目極まりない仏弟子だけど、僕の中の音楽は洋の東西を問わずチャンプルーだ。僕が護摩を焚いている横でシタールを奏でてもらうなんてことは可能なんだろうか。(うーーん?)できたらいいな。

2006年7月28日Friday 晴れ
山梨県仏教会から一通の手紙が届いた。
山梨県仏教会から一通の手紙が届いた。私の属する集団は経緯はわからないが、県の仏教会に加盟していない。昨今の葬祭業者の関わる葬儀が、ともすると彼ら主導になってしまい、寺院の立場やしきたりを軽視したり、布施などへも意見するなど、坊主無視の傾向がはなはだしい状況にあるので、県内の葬祭業者にひと言文書をもって申し上げたいので、寺院各位にはご了解いただきたいというものである。
私の地区でも、人口が流出してかつてのように、葬儀全般に“組”の仲間が二日とか三日とか仕事を休んで関わるというようなことが少なくなってきた。葬祭場もいくつかあって、自宅葬すら少なくなってきている。僕個人は、これも仕方の無い状況であるとは理解するが、寺をもっと使ってほしいと思っている。葬祭業者に頼んでも、僕の家の檀家さんには寺で葬儀をしてほしいと思う。通夜と葬儀を寺で行う。僕の寺は幸いにも広い駐車場がある。(この辺りでは葬儀の前に火葬というパターンが通例なので)通夜の後、棺を家に戻して、翌朝火葬場に向けて家から出棺する。火葬後にそのまま寺に集う。葬儀を終えてそのまま墓地に納骨。納骨後に初七日。初七日の膳。寺でも初七日の振る舞いは可能である。料理は葬祭業者を介して仕出しをとればいい。寺を使えば、いくらかは葬儀に係る費用も軽減できるのではないかと思う。
寺が葬祭業者の不当な介入によって、その使命すら脅かされている状況もあるだろうが、肥えた坊主はこれも旨く利用して、業者と癒着しながら益々肥えていっているのではないかという思いも一方にはある。僕は僕の寺は危機的状況にあると考えている。これから先の展望が僕の中では開けない。寺が寺を呑みつつ巨大化していき、大きな寺だけが残っていくのではないか。おそらくそこには本来の寺の使命など存在しないかもしれないし、僧侶も変わっていくのかもしれない。巨大化して爆発して一度無になったところからまた新しい芽吹きがあるのかもしれない。そのときには当然僕はいないだろう。
こんな風に、葬祭業者に苦言を呈することに気を使っても、白雪姫の毒りんごのように虚しい気分になる。山梨日日新聞の投稿欄にだって、結構寺を糾弾する投書は載っている。不当な布施の要求であるとか、寺の改修にかこつけた浄財の無心であるとか、墓地を作るにも寺の指定業者があったりとかね。僕はこれらを雲の上の話と見ている。今回の葬祭業者に向けた山梨県仏教会の「お願い文書」にしても、僕なら葬祭業者に負けはしない自信はある。寺は葬儀のことも含め、性善説ってわけでもないけど、足るを知る心をもって、誠心誠意檀家とつながるということかなぁ。
葬祭業だって商売だからな、一人亡くなってナンボの世界だしな。仕事取ってこいって、殺しちまうわけにはいかんだろう。でもあれね、意外と葬祭業者って変なところにこだわりを持っていて、棺に収まった故人を、綿なんかできれいに着物様に仕上げていったり、いろいろね。それに小一時間もかかったんじゃ、見ている周りも次第に白けてきちゃったりしてね。僕は割りとさっぱり、あっさりってのが好きだから、こういうのは基本的に苦手。人一人にとって死は特別なことだけど、広い世界から眺めたら、死なんて当たり前の小さなことなんですよ。
俺は一体何が言いたかったんだろうって、まとめらんなくなってオシマイ。
週末晴れてくれることだけタイムマシンにお願いね。

2006年7月27日Thursday 晴れ
新しい草刈り機を買った。
昨日、2時間早退して草刈り機を農機具やさんに修理に持っていくと、先端部分のシャフトが折れているとのことで、交換すると2万円かかるという。使用年数から考えると修理するより新しいものを購入することを勧められた。結局、同等以上の馬力を持つ草刈り機を、金を下ろして買った。元値は7万円を超える結構高級?なものだったが、4万5千円で購入。早速家に帰って試し切りというか使い初め。前のものより少し重量感はあるが、最近のものはエンジンをかけるのが比較的容易になっている。長く使えるといいけど。僕にはこの草刈り機がないと、片腕ももがれたようなものなので、ちょっと女房は渋い顔をしたけれど仕方がない。
夏が来たって感じだ。蝉も待ち焦がれたように朝を鳴き始めている。ギラギラとした朝になった。ニール・ヤングを聴いている。

2006年7月26日Wednesday 晴れ
日差しに恵まれた至福の朝。
何日ぶりだろうか、今朝は太陽の陽射しがある。空はちょっとまだはっきりとしないが、きっと徐々に回復してくれるはず。8月に入れば暑い日が残暑厳しいくらい続く予報のようだ。雨が多くて景気も悪いようだ。天候の悪さはジメジメとしたつまらない犯罪をも生み出す。
高岡君とノブ君は昨日、軽井沢での演奏会が終わり、それぞれの生活地や新しい演奏地に別れるのであろう。たった一晩だったけれどいい演奏会になった。聴衆はいささか寂しいものではあったが、来てくれた人たちにはきっと満足いただけたのではないかと思う。バッキーの生徒さんが東京からわざわざ聴きに来てくれ、終わるととんぼ返りだった。提燈の仕事をしているのだと言い、今が書き入れ時なんだ。
翌日の昼に女房のほうとうを、「うまい、うまい」と西やんは体全体で表現しながらお代わりをした。ノブにもまた再会できるだろう。高岡君には年内にもう一度なんて、僕の希望だけは伝えた。友人たちの中には、なかなか普段家を空けられないそれぞれの事情を持つ者もいたが、この夜を楽しみに待っていてくれて、そして楽しんで帰ってくれたようだ。喜田のお母さんの手打ちうどんは今回も大好評。高野君は、夜行けないからと、土曜の昼にお酒を一本差し入れてくれた。皆さんに大、大、大、感謝である。聴衆にもミュージシャンにも、そして僕のこの道楽の屋台を支えてくれる家族にも。それからお不動様や大聖寺に眠る多く聖霊にも感謝である。
渋さ知らズを離れた高岡君の今後の活動を楽しみにしたいと思う。また近いうちにその機会はやってきます。

2006年7月24日Monday 小雨
とりあえず写真をアップ。今週も天気が悪い。
POCの熱いライブが終わった。ノブ君の2本吹きもよかった。音楽も話もあっという間の一晩で終わって、彼らは次の松本へと午後旅立った。
写真をアップしました。
上↑。来てくれた皆さんありがとうございました。
また一つ助けていただいて寺の日々をつなげられた気分です。今日の「山梨日日新聞」に、ずっと下の方にこの詩壇に発表してある詩が掲載されています。お暇でしたら、一読を。

2006年7月21日Friday くもり
こちらも雨の影響で明日のジャズが微妙に...。
止まない雨の状況が思わぬところで僕の予定にも影響してきた。
大阪から甲府行きの直通バスを高岡君が予定したが、どうも時間が当てにならない。今日も1時間半ほど遅れたそうである。運休ではなく運行しているけど、高速の止まっている区間などは一般道を通り、中央道が駄目なら、東名高速を使うんだともバス会社では言っていた。なので、電車で来るようにまた彼と連絡を取り直した。東京から来る西村、輿石組はきっと大丈夫だろうけど、富山のサックス吹きのノブ君は、富山から信州を通って山梨までの幹線道路が寸断されているので、九分九厘行けそうにないと、残念だが先ほど電話で話したところだ。まあ、まだ機会はある。という訳なのである。僕も今日は一日たっぷりと仕事に縛られて、オマケに4時半過ぎになってから県庁まで「どうしても今日中に届けていただきたい」とのお上の言葉に、昭和ヒロヒトがA級戦犯合祀に不快感を示したようなことはできずに、受話器を握りながら「へい、へい、へい」と頭を下げつつ、マイカーで行ってきたのだ。
僕の到着を迎えてくれたお若いお兄ちゃんは、「どうも、どうも、どうも」とこれまた頭を下げ続けて、僕のクルマが県庁の駐車場から道路に出るまで、見送ってくれたのだった。感激の涙なんぞはこみ上げず、ため息一つついて、また夕方の混雑する道を帰ってきたのである。
とにかく!明日はLiveを実現したい。できれば天候の回復を望みたい。たまには自然にも勝ってみたい。言うことを聞いてもらいたい。

2006年7月20日Thursday くもり
生きる方便。
「純情きらり」は戦争の真っ只中で、絵描きたちは自身の研鑽や制作を惜しむように続けている。展覧会を開くには「戦争画」を入れなければ許可しないという。
「戦争画なんか絶対に描くものか!」と突っぱねる者もいる。生きていくことはなかなかに何時の世も難しく辛い選択を強いられたりするものだ。しかし生き残ることや成し遂げたいこと、そのことに命を捧げたい夢があったならば、「方便」があってもいいじゃないか。嘘も方便。戦争画も方便である。方便は心の中まで覗かれはしない。これは多分真言宗にみる「観想する」ということに通じる。自分自身が確かなそれを信じていれば、戦争画を描くことはそんなに大したことではない。戦争画の中の置くに、戦争を否定する画家の深い気持ちをも込めることさえできるだろう。

2006年7月19日Wednesday
山梨はまだまだ雨が降りそうだ。
耳を塞ぎたくなるようなニュースが次から次へと入ってくる。梅雨明け間近な最後の長雨が続いている。洗濯が家中に吊るされる。「コインランドリ−でも近くにあればいいのに」と女房が嘆く。ここにはまだコインランドリーの乾燥機の回転音は届いては来ない。それでもだいぶ以前よりは暮らしやすくはなった。大型の冷蔵庫ではなくても、食材の仕入れも容易にできるので必ずしも必要ではないかもしれないとも女房は言う。
(21:10) ここから夜。富士川の水かさも増した。昼過ぎから雨が小康状態となり、今は止んでいる。でも明日にはまた雨がありそうだ。実は冷蔵庫に異変が起きて難儀を強いられている。氷の引き出しの周りが凍って固まってしまい、凍て付くと引き出せなくなってしまうのだ。だから女房は日に何度も引き出しを引いては、回りの氷のかけらを取り除くことになる。で、ちょっとした思いがけない収入もあったので、家屋保険の割戻金というんですか、これからまだまだ本格的な夏に向かうのだから、この際思い切って買い換えようということになったのだ。ただ、台所のつくりが大型冷蔵庫を納めるのにちょっと高さが足りないので、朝書いたようなこと。
冷蔵庫のことより雨があがってほしい。からっと夏空が欲しい。third Worldの軽快なレゲエでも聴くか。

2006年7月18日Tuesday
Yahoo Weatherじゃ、来週の月曜まで雨になってるぞ。
量の多少はあるかもしれないが、来週の月曜までは「曇り時々雨」なんて。今日も一日止むことなく雨で、夜になった今も降り続いている。
昨日は不快度の高い、汗の湧いてくる湿った暑さがあったけど、今夜は肌寒い。よくあったまって風呂を出た。そういえば夕べはBSでキャンディーズの懐かしい映像を見ながら缶ビールがすすんでしまった。蘭ちゃんもミキちゃんもよかったなぁ。僕はスーちゃんには正直興味がなかったんで、申し訳ないがここでもカット。あんなのを見ると、「ウー、キャンディーズも聴きてぇ!」って気分になってくるけど、多分購入まではいかないんだよね。太田裕美は買ったけど、南沙織とキャンディーズはそこまでいかない。このそこまで達する、達しないの判定は何なのか僕自身も解析できない。まっいいや。
人伝に聞くと「アオバズクにブッポウソウの巣が乗っ取られ」てしまったようだ。2日早朝から鳴き交わす声と姿を見たんだけど、それが行き場を失ったブッポウソウだったのかなと思い出している。
僕も行き場を失わないように、というか行き場に困らないように準備と心構えをしっかりと持たなきゃいけないな。

2006年7月17日Monday
昨日も今日も雨で、怠け者のカビが増殖した。
昨日よりも強い雨。土曜の東京行きのあと2日間家の中に閉じ込められた。昨日も今日もテレビで映画を見て過ごしてしまった。気持ちは外の仕事を思うんだけどどうにもならない。カビが増殖してきてカビを掃おうと、庫裏の便所掃除と浴室の掃除に体を運ぶ。ジメジメとしていて、1時間半ほど丁寧に掃除を終える頃には珠のような汗が噴き出してくる。こんな汗が一番気持ち悪い。頭を刈ってシャワーを浴びてビール。
昨日は高岡君からメール。大勢来てくれるといいけど。自分で言うのもおかしいが、まったく集客の努力をしていない。というか、いつもしていない。
雨の海の日の休みも終わり。RCサクセション聞いてまーす。

2006年7月15日Saturday 晴れ
東京棚経終了。
暑い夜だ。汗が噴き出す。東京へ棚経に行ってきた。町田のKさん宅には、お母さんと、息子さんお二人が今日は待っていてくれた。お兄ちゃんは「お祭りのときに子宝成就のお札をお願いしたら、お陰様で授かりました、来年の3月の予定です」と報告してくれた。それから、「いつもHP拝見しています」とも。弟のMくんは、先週奥さんと一緒にお父さんのお墓に結婚の報告に来てくれたのだった。
大聖寺との関わりは、お父さんのお墓を大聖寺に持つというところから始まった。13回忌を終えて、3人の姉兄弟とも結婚をした。お母さんもたいそうお喜びのようで、「下(の息子の方)は12月に予定なんです」なんて、僕を送ってくれる途中に教えてくれた。
山梨の片田舎の寺にお父さんの墓地を求めてしまったことを、家族みんながそれぞれに独立して東京のあちこちに住み始めて、後悔してくるのじゃないかと僕は思っていた。だから、Kさん家族がこの寺に詣でることを厭わないでいて、逆にここに来ることを「楽しみにしています」というような言葉をいただくと嬉しくなってしまう。僕は草を刈る僧であってもいいと思う。こざっぱりとしているお寺を維持していきたい。
東京の午後は落雷があったりしたようで、中央線の運行が遅れたりしていたので、帰りは新宿から甲府までずっと立ちっぱなしだった。50を目前にした僕にはちょっと厳しい2時間だった。
汗をたくさんかいたので、発泡酒を4本飲んだけど頭はすっきりと冴えている。風呂上りにもう一缶いける。
キヨシローがんばれのCDを聴いている。

2006年7月14日Friday 晴れ
今日は暑い!
朝から強い日差しだ。昨日までは湿気が強くてじめっとした暑さだったけれど、今朝は白い雲と青空で、緑の茂りもくっきりと鮮やか。からっとした完治と言うのか。
5時前から仏法僧がしきりと鳴きあっていた。
キヨシローが喉頭がんだというニュース。彼の歌には愛があるから、きっと戻ってくる。彼のために少しの時間を割いて祈ることにする。明日の東京行きもこんな天気であったらいいのに。
昨日で学校訪問が終わり、今夜で4回の「校名変更の経過報告」が終わる。Liveまであと一週間。どのくらい来てくれるのか皆目見当もつかないけれど、まっいいでしょう。来てくれた人の多少に関わらず来てくれた皆さんが満足してくれたら。その夜も、ビールの旨い夜であったらなおさらいい。

2006年7月12日Wednesday くもり時々雨
ことばの重さ。
弁当を食べ終えて、さて歩こうかと外に出ると雨が降っている。足止めで、新聞やネット・サーフィンになる。昼間は節電のためにそれぞれの蛍光灯を暗くするので、支所の中は薄暗い廃屋みたいになる。今日はラジオから島倉千代子が流れた。人生は色々で、卵で生まれる哺乳類=カモノハシみたいなのもあるんだなぁ。それにしても巨人軍は負け続けじゃねぇか!開幕時の勢いが嘘みたいだ。最近じゃテレビ放映もすっかり影を潜めてしまっているな。僕はまず見ることはないけど、娘と女房がなぜか見てるんだな。これって我が家の不思議。
イチローがオールスター戦前にかなり過激に発言をした。ジダンが頭突きをして退場したきっかけは「極めて深刻な言葉を投げられた」からと聞く。スポーツの世界でも、異国に参戦している選手たちには、当たり前のように差別が横行していて、それをバネにしてのし上がっていくようでなければ、ビッグ・マネーは掴めないのだろう。ジダンの行為は許されないことだけど、もしきっかけが「言葉」によるものであったとしたら、言葉は体重計に載せることはできないが、底知れぬ重みを持って瞬時に僕たちを発射させてしまう言霊が宿っていたってことかもしれない。

2006年7月11日Tuesday 晴れ
今日は社会保険の算定基礎届け。
ソフトボールが終ってから飲み始めるのでどうしても日付が変わる頃になってしまう。二日酔いの朝寝坊となる。
席に座っているのも億劫なので、風呂敷に提出物や参考書類を包んでうつむいて出かける。社会保険事務所の職員6名で対応している。彼らもまたこのところ国民年金の免除問題で風当たりが強いので、なんとなくソフトな応対で30分もかからずに終了。初めてのことは、どんな風に展開していくのかわからないので、書類もたくさん持っていくのだが、これで次回は大丈夫。
戻ってから午後は、標準報酬月額のシートの更新なんかするんだけど、なかなか満足する数値が得られなくて何度も見直してようやく誤りを発見。やっぱ前夜の飲み過ぎは思考回路が逆周りのようだ。
内藤君に「シャンソンズ・ド・エディット・ピアフ/テザート・ムーン」貰う。TETHERED MOONの「PLAY KURT WEILL」「PLAYS JIMI HENDRIX」は持っているんだけど、これは知らなかったなぁ。プーさんの奏でるシャンソンが、昨日の帰りから夜のソフトボール行き、今日の往復と、車の中でぐるぐると回って弾けている。で、突然「ススト」と日野皓正の「ダブル・レインボー」が聴きたくなった。この2枚はホントよく聴いたなぁ。CDの廉価盤で1500円で出たときには、「ほんとかよ、申し訳ないなぁ」って思ったもんだ。夏はこの2枚お勧めです。

2006年7月10日Monday 晴れ
夕方配り物。
自転車に乗って、今月末の草刈りと盆の棚経や護持会の総会の通知を檀家に配る。自転車をこぐのも汗をかく。蒸し暑くてべとべととなんとも過ごしにくい一日であったし、一日の締めにも思わぬ汗をかいて、足も重たく疲れた。ソフトボールがあるので飲めずに晩飯。
猫が7.8匹も庭にダラリンとしている家があり、こんな家は猫臭くてこの時期たまらんだろうなと、息を止めて通り過ぎた。
今日は学校訪問の3日目で、いろんなことを教えてくれているんだなと感じたのは、4年生ぐらいの生活科の授業だったのか「箸置きは何のためにあるんですか?」なんて先生が質問していた。これは「箸先がお膳を汚さないように置くためのもの」なんだそうだ。勉強になった。小学校の先生って、ちょっと大変だなぁと思ったのは、年々彼らとの年齢差が広がってくるわけで、僕にはそんな彼らととてもお付き合いしていく元気も技量もない。小学生の一人ひとりの個性という奴も、今は本当の多種多様のようである。教師も児童もお互いに頭を抱えながら学校生活していくような時代になるのかもしれない。
サッカーも終わったし、金曜の夜に「醍醐夏の陣」も盛会のうちに終わったし、大聖寺のジャズLiveが後は楽しみね、なんてね。

2006年7月6日Thursday くもり
薄情けなマスメディア界隈、などのこと。
ソフトバンクの王監督が胃の腫瘍手術のためにチームを離れることを知った。先に回せない病状のようで、即刻入院、手術、療養ということらしく、本人も記者会見で「秋には日本一のペナントを奪回するチーム目標だが、私が復帰できる時期はわからない」と語った。これで終るのかと思ったら、この情け容赦の無いマスコミという奴。王監督の偉業を流し始めた。これってなんかもう、彼が向うの世界に旅立ってしまったかのような錯覚を覚える。まさか、その時のための予行でもないだろうに。傷口を執拗にピンセットでグチャグチャするのが大好きな奴らだ。
愉快なテポドン(こんな風に書くと怒られるだろうけど)も、困ったもんだ。「1号より2号の方が危険度が高い」という記事の落ちは、「テポドン2号の完成度が低いことの訳は、どこに落下するか予測できないという意味で、テポドン1号より危険度は逆に高い」というのだから、笑っちまうよなぁ。
万景峰号の入港禁止や北朝鮮への送金停止の措置がとられ、和解がぎくしゃくしていた民団と総連の白紙撤回もこれで決定的だ。一人お騒がせ駄々っ子のキム・ジョンイルにかき回されている。こいつだけは完成度の低いテポドンに乗せて、DVDやビデオ一杯積んであげて、大気圏の外の果てのない旅に出してあげたらいいというようなこと考えてしまう。

2006年7月5日Wednesday 晴れ
7発も発射するなんて。
宿直室の朝ミサイル発射のニュースを聞いてから、今夜珍しく会議が夜あって帰ってきて、ヤフーで今夜また一発発射して7発撃ったんだと。やるなあ北朝鮮。7発も撃っておきながら本気が一発もないなんて、これもいかさない北朝鮮だ。やる気がないなら止めときゃいいのに。カラオケ歌ってるのと違うだに。
これは大人としての責任のある態度には到底思えんな。奴のわがままには良心的な北朝鮮人民は、頭を抱えてしまうわ。
何でこんな馬鹿げたことが、大手を振ってまかり通っているのか。金正日、レッドカード一発退場!ってならないものか。

2006年7月4日Tuesday 晴れ
中田引退。
速報で引退のことが流れるんだから、凄いんだよなきっと。ワールドカップに敗退してからマスコミは、この時のために、このスクープを物にするために中田のHPを注視していたんだろうな。
中田の母親のお姉さんが僕の町に住んでいて、中田の従兄になるTくんはどんな気持ちでこの報道を眺めたんだろうかなんて考えた。恩師ということで田原先生が夕べもニュースでコメントしていたけれど、田原先生には高校1年の時に体育を教わったな。いま先生はわかば養護学校の校長先生をしているんだな。そういえば先生はいまのヴァンフォーレ甲府の前身の甲府クラブの一員でもあったな。
今日も暑い日になる。少し早く起きて竹林を整理した。竹の子の生え具合もピークを過ぎた。今夜は宿直。

2006年7月3日Monday 晴れ
純情きらり。
「純情きらり」を時々見ている。一度見ると「次がどうなる?」のか気になる。主演の宮崎あおいはこの時代背景の昭和10年代によく似合っている。クラシック音楽というのは、まったく時代に迷うことなくその時代時代に新鮮に生きている。仏教徒の信仰が不変であるのと同じように、クラシック音楽もまた洋の東西を問わず私たちの奥深いところでいつも鳴り止まないのだと思う。
JAZZもその域に達するのだと思う。ニュー・オリンズが大きな災害を被ったが、JAZZはその復興に大きな力となっている。いまアメリカで活躍する山岸潤史のギターもこの狭い島を飛び出して、ニュー・オリンズで大きく花開いた。

2006年7月2日Sunday くもり時々雨
蒸し暑い一日。
午後から雨になったが降ったり止んだりの繰り返しで、蒸し暑い一日だった。
昨日護摩を焚いたので、昨日の午後と今日の午前中は護摩壇の掃除と本堂の掃除。存在しているだけで汗ばんでくる。護摩を焚いた後の片付けと掃除が結構面倒なんだ。東寺の朝を訪ねたことがあったが、きっと毎朝護摩を焚いているんだろう。その片付けに精を出している若い坊さんを見たっけ。
夕べは女房のお兄さんの退職ご苦労様でしたの夕食会。明日からまた関連会社に勤めるようだけど、先ずはご苦労様でしたで一杯。美味しい料理と芋焼酎で楽しい夜でした。
サッカーはイングランドとブラジルが敗れて、野球は巨人が10連敗から脱出。スポーツにほとんど興味はないが、耳から情報が入ってくる。ティム・バーンのサックスがいい。Amazonで検索したら、「アヴァンギャルド系アルトサックス奏者」なんて出てきたのもうなずける。アー早く高岡君たちのLiveを聴く夜が来ないかなと。どうも休みも疲れたまんまで最近は終わっちまうんだな。暑くてじめじめしてるからスカッと、疲れが抜けないのかもしれないな。