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私のつたない詩のページへようこそ (ただいま22篇を発表)

      
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大骨

白い骨となった姿が炉前のフロアに戻された

親族は指示に従い2人で骨を拾い壷に収める

壷の丈より長く太い骨が現れ

囲む一同から「ほーっ」と抑えた声が漏れた

「大腿骨ですね」と女性係員は上ずり声で

けれども躊躇いなく十能の先で二つに折り

真っ白な手袋の手でそれを収めた

この焼かれてもくずれることのなかった骨が

4人の()を育てあげた後家の踏んばりの(もとい)

どの家よりも山深く入って畑を拓き

さくを切り 種をまき 雑穀を得

足踏脱穀機さえ背負い上げたと聞く

 

清澤という山峡の集落に生まれ

八日市場という富士川べりの地に嫁し

義父母と夫を四年で立て続けに亡くした

時がたち事情(わけ)あって孫2人を育て

長男の嫁の死 三男の死の時には

杖を突いて自ら葬式を頼みに来た

 

1月16日 朝6時ちょうどに電話が鳴り

受けると四男がかすれ声で母の死を伝えた

焼かれて尚くずれぬ大骨に慈育された兄弟は

腕一本を(もとい)として生きる野武士然として

90歳の母の棺を担いだ

                            2012228

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震災から11ヶ月

立春を越えロウバイがちらほらと開き

ふきのとうも土の表を割って覗いた

あの日からちょうど11ヶ月が過ぎた

私の営みの針は停まることはなかったが

古家を震わす幾度かの揺れにおののき

計画停電による沈黙の宵も過ごした

卒業式が中止になった娘は

失意のうちに学友と別れ東京を引き払った

私はダライ・ラマの呼びかけを聞いて

朝に夕に般若心経を唱えた

 

いまロウバイの漂う甘い香りと

ふきのとうの気丈な容姿は

震災後11ヶ月の心の拠りどころだ

死んだいのちも 生きなくてはならないいのちも

同じだけはらはらとはらはらと悲しいが

12ヶ月を過ぎたら桜の開花が拠りどころとなろう

 

生々流転 季節の気色は瞬く間であっても

その時々の気色を心の拠りどころとしよう

いのちの一瞬を生き切っていく連続は

いつの日かきっとしょんぼんりとした大地に

妙なる萌芽の奇跡を呼ぶと信じて

                            2012年2月15

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お疲れ様です 

「お疲れ様です」には違和感がある。

若い職員の電話はいつもこれで始まり、

近頃はメールにも冒頭に「お疲れ様です」が付く。

初め、なぜ私が疲れていると決め付けるのか不思議で、

時には耳障りで「別に疲れてなんかいないよ」と応じた。

いま「お疲れ様です」は常套句となり「おはようございます」をも屠った。

 

言語が時代の変遷と共に変化し、

誤った使われ方をしても圧倒的支持を得ると、

元来の意味を覆すというクーデターの成功例も知っている。

それでも「お疲れ様です」にはえも言われぬ違和感が湧く。

 

もう一人の私が朝課で読む理趣経は伝来当時のまま漢音で伝授された。

すなわち始まりの如是我聞はジョシガブンであり、

一時薄伽梵はイッシファキャファンで退化唇音を含む。

本堂を開け灯を点けながら厳寒期には、

「チョー寒い(さびぃ)」、「マジ冷たい(つめてぇ)」と独り言つ。

退化と進化の言語を交互に数珠で繰りながら祈りは存する。

 

「お疲れ様です」が席捲してきた職場を間もなく去る。

「お疲れ様です」に馴染めない者の退き際と思った。

「お疲れ様です」を揶揄するつもりは更々ない。

「お疲れ様です」を駆使する人たちの番なのだと思う。

その日職場に身分証(なふだ)を返すとき、

三十年の時を振り返り、私は「お疲れ様です」と呟くかもしれない。

                            2012128

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震える

また雨の朝

一週間後の祭典当日の天気が気にかかる

けぶる本堂から庭先へ目を落とすと

雨を受けるツワブキの葉が、かすかに震えている

その様に想い駆られ

声を潜めたツワブキの震えをしばらく見ていた

娘も少し震えながら、大学四年の始まりと

就職活動という初めて外界と接する場面に臨んでいるのだきっと

今朝、新聞の見出しに

「来春の新卒求人は、今年の二割減」とあるを

妻が先に目にしていた

離れて暮らしていれば、できることには限りがある

僕は朝の勤行で祈る

妻は亡き両親と僕の父に茶を供え祈る

私たちの心もまた震えているのだ

 

息子よ、お前はどうだ

見事に期待を裏切り

上乗せの二年間ではまだ足らぬと

語彙に乏しい私たちの解さぬ分野に

更に四年間学ばせて欲しいと、さっさと漕ぎ出していってしまった

僕は残り人生の設計変更を考え

妻は複雑な表情で頬杖をついた

私たちの心は震えた

それでも、お前も震えているのだろう

いや、お前こそ心震えているのだろう

目指すものに向かい続ける孤独は

赤い髪となり、ピアスとなって

震えを静めてくれているのだきっと

 

四月二十九日、君たちが生まれた場所(寺)に

ラ・フィエスタ(不動尊祭典)はやってくる

僕は護摩を炊き法螺(ほうら)を吹こう

君たちを芯から震わす太い乙音(おつおん)

ツワブキの葉を震わす高い甲音(かんおん)

これが僕と母さんの心の震えだと伝えよう

2010422

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上求寺(じょうぐじ)

九月二十八日、家内と牧丘の上求寺を訪ねた。

祖父の生家であるこの家には、

祖父の弟の子にあたる叔父夫婦が暮らし、

屋敷内の不動堂を護り、法印としての業を継ぎ、

また広く果樹栽培も成す、半僧半農の生活を保っている。

 

この春、叔父は、

築四百年にならんとする家の改築に着手した。

文献に載る古民家であるが故に、手の加えられなかった家で、

およそ快適さとは縁のない暮らしに甘んじ、

子を育て、子を送り出し、母親の葬式も出した。

何故今さらという思いを拭いきれないまま門をくぐると、

銀色のトタンを被せた屋根の下に、

燻されて煤けた柱と梁だけになった四百歳の老人が、

釈迦苦行像のごとく、剥き出しの痩躯を見せていた。

 

バケツに火を燃す薄冷えの庭で、

叔父は僕たちに茶と巨峰をすすめ、

とろとろと燃えるバケツに木っ端を放り込みながら、

「大変なことを始めたなと言われるより、

よくぞ決心してくれたと言われることの方が嬉しい」と話した。

 

幾年幾夜も黒い梁を眺め、

老いてゆく時間を繰りながら、

更なる百年を乞い願い、発心したことであろう。

 

上求寺の血脈を伝える、

法印としての叔父の旅の重さは、

イノチの始まりの一滴が、確かにここから湧いてこぼれ、

今、この指先に伝わるという思いに連なり、

護摩の炎の刻印となって、僕の背中を焦がした。

                                  (2008年10月)

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生きる旅の片側

女房が指差す隣りの小屋の屋根に、

猿が丸く腰を下ろしている。

もう間もなくここにも群れはやってくる。

土蔵・庫裏・客殿・本堂の屋根をことごとく征服し、

大棟(おおむね)に立ち上がって勝利者よろしく遠見と洒落込む光景を、

幾度となく腹立たしく見てきたことか。

だが、その度に「瓦だけは割らんでくれ」と、

胸の内で奴らに手を合わせている自分に腹が立つ。

屋根を渡り歩く仏への挑戦と、

畑泥棒する情け容赦の無い振る舞いには最早万策は尽きた。

奴らに向けて放たれるロケット花火を、

狼少年の「戯言(たわごと)」のように奴らは聞き、

日照りの畑をおろおろとお百度参りする農婦の哀れを、

奴らは辛抱強く観劇する。

 

集落からヒトは一人欠け二人欠けしていき、

ここで死にゆくことを願っていても、

大黒柱と思いのままならぬ肉体を引き離す現実がある。

九月の始め、特別養護老人ホームに入所するという檀家から、

「後のことは近所に託した」と、

電話で寺への別れを告げられた。

仕方なく召されていく八十五歳の(おうな)の不憫を、

私は“その時”まで痛みとして持ち続ける。

私とてまた、未来永劫に寺守でいられるはずもなく、

エンド・ロールのように巻き取られる摂理の内にある。

 

スイカとカボチャを両脇に抱え、

跳ねながら藪に逃げ込む猿たちの後姿は、

口から尻へと抜ける笑いを誘う。

やがてここが「限界集落」になり、

「消滅集落」への道を辿ることになろうとも、

生きる旅の片側には、

あるがまま受け入れる笑いも肝要であるということのように。

                                 (2006年9月12日)

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仏法僧  〜イラク陸自撤退報道の日に〜

姿の仏法僧はギャーギャーと鳴く

その艶やかな姿とは裏腹に

喉の奥からの絞りだすような鳴き声は

警告を発する辛辣さだ

声の仏法僧はブッ・ポウ・ソウと鳴く

姿潜めて杜深く棲み

篤く三宝を敬えと

血湧きいずる源に語りかけてくる

 

弘法大師の血脈(けちみゃく)を伝える九百年の寺に

魂の僧たちと僧伽(さんが)を成し

俺は“いのち”のことを第一義と考え

平和を求める心を養い

戦禍被る人らを案じ

銃取る兵士たちの困惑の妙を信ずる

 

アメリカの音楽家ニール・ヤングは

わずか二週間で「Living With War(戦争と生きる)」を作り

戦争を否定するメッセージを

インターネット上で無料配信はじめた

 

平和を願う気持ちを素直に述べることは滑稽だろうか

俺はかんかん照りの草叢に入り

ぶっ倒れるまで草刈機を振るい

竹の生える勢いよりも激しい昂ぶりで

「生きていることは奇跡ではなかった」時代を

子どもらに示したいと思った

 

草刈を終えて冷水で火照りを静めた頭の中に

ギャーギャーと警告する仏法僧(ブッポウソウ)と

ブッ・ポウ・ソウと諭す仏法僧(コノハズク)の

激しく 深く静かな鳴き声が

御詠歌の(れい)(しょう)のようにいつまでも谺し

                                 (2006年6月20日)

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イノシシとサルの憂鬱

イノシシとサル

妻と娘 老いてゆく母

お不動様と手探りの私

「今年の草刈りと植木の剪定は、もう終わりにします」

 

エドヒガン桜の老木の根元の掘り返されたイノシシの憂鬱

本堂の前にだらしなくひられた黒い塊りのサルの憂鬱

北枕に床延べられた死者の(あん)(じん)の口元が発した

「方丈さん...」に含羞するに似たイノシシとサルの憂鬱

 

ジャズとグレイトフル・デッド

発泡酒と芋焼酎「島美人」 安楽死乞う酒

作業着と(ころも)袈裟(けさ)数珠(じゅず)錫杖(しゃくじょう)法螺貝(ほらがい)

イノシシとサルとサルとイノシシとイノシシとサルの憂鬱

 

黒い切り株に腰を下ろし 護摩木を割る

鉈振るうこの感触は今であり過去である

私はここに生きる未来を拒みたい

深紫に草臥(くたび)て突っ伏している不様(ぶざま)を拒みたい

 

食い残されたミミズの断片と

赤い尻の穴から弾かれた満足の証

尻を端折って逃げ出したい「方丈さん」

 

逢う魔が時の本堂に

イノシシとサルとサルとイノシシとイノシシとサルと

ワタクシとワタクシがワタクシであることの憂鬱を訊く

                                 (2005年10月21日)

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  田植え

絹糸のような雨降る田に
老人が一人田植えをしている
気になる雨ではなく、むしろそれを心地よく感ずる雨だ
一畝にも満たぬ半円形の田には、苗把が無造作に置かれ
時間を気にかけることなく
ゆっくりと一日をかけて
米作りの始まりを老人はたった一人で行う
十分に柔らかくしつらえられた命の土に
まるで引き込まれるかのように
規則正しく すっすっと右手首が伸び
緑の早苗が立っていく
その尖ったこぶしは
田の虫をついばむ鷺の頭のように
水面を出たり入ったり キラリ美しい

やがて絹糸の雨が天に巻き取られると
老人のかがんだ背に田の神が降り
うっすらと陽が射しはじめた
畦を移動して陽光を背にしたとき
華やかさも惨めさも同居しない場所で
老人が誰にも渡したくない
至福の時間を味わっていることを知る
老人は
水面に映る己が野良着の奥の心に
真実の苗を植えつづけていた

                (2003.5.27)

戦や伝染病やら不景気やらで荒みきっているが、この田植えの姿に、時代に媚びへつらうことのない、揺らぐことのないどっしりとした時間の流れを感じた。明鏡止水。

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  節 分

十四歳になったアイと
マユミさんと
三人で本堂の回廊から
(とばり)のおりた夜の静寂に 節分の豆をまく
だあれも居ない
蛍光灯のあかりに映し出された
少し雪の残る石畳に 豆をまく
「鬼は外 福は内」と
少しくぐもった声で 節分の豆をまく

もうじき十七歳になるカイは
「寒いからいいや」と つれなく拒絶
彼の現実には節分のフォルダなどない
激しく波立つ 彼の秘なる場所に
鬼と福がせめぎあっているのだ

だあれも居ない境内には
鬼も福も見えず
豆に群がる鳥の姿すらない
祝小笠原家と焼印された一合升から
豆をさぐって 一掴み口に頬張る
コリカリと ひび割れた石畳に反応する

「よしっ 戻ろう」
勢いよく右の手のひらから豆を放ち
また三人で 一列に飛び石を渡りはじめると
庫裏の玄関前に 祖父と父が並んでこちらを見ている
言葉のない二人は 三度うなずくと
目刺しをしゃぶりながら還っていった
   (一切ハ皆空デアルヨ)
   (鬼ニモ福ニモ囚ワレルコトナカレ)
二人の跡には
目刺しの頭のついた 柊
(ひいらぎ)の枝が二本落ちていた

                                (2003.2.5)

読んでいただいて、読んだ方が自分で勝手に想像していただければ、それでよいと思う。今年も僕たち家族は、ここの場所に居て、在るがままだ。

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  くの字

山が森に還るのは、そう遠い先のことではないかもしれない
俺はこの山を護っていく技を持ちえていない
時折 猿の群れが威嚇する如く吼えながら下ってきては
本堂の前であろうと遠慮なく脱糞していく
糞には百姓たちの丹精の賜物が、消化されずに残っている
俺はその糞を忌々しくバケツに拾って歩く

かつて先人は森を拓くとき、神に祈りその場所を頂戴した
その厳かな行いを、いつの時からか省略してきた罰が
いま俺たちの日常を苦しめている
生き物の上座部にあるというおごりで他の生き物を排し
自然を敬うことをやめた愚かな民に
猿たちは
「お前たちこそ俺たちの聖域を侵し、脱糞以上の行為を繰り返してきたではないか」と
その顔は、本堂の厨子の中に坐す不動明王の憤怒(いかり)の姿と重なる

この春、遠縁にあたる老夫婦が家を離れ
都市に住む息子家族のもとへ、新たに旅立った
老おじは、開墾した畑を再び森に返すべく、数年前から植林を続けた
植林した苗木を育てる時間も、後継も到底望めないだろうが
彼はこの場所に礼を尽くし、夫婦の決着をつけた

ここに生きるよりすべのない百姓たちは
猿に盗まれるかもしれぬ、作物の種を蒔くことに溜め息しながらも
黙って春の野を耕す
その姿は過ちを悔いるように見えなくもないが
吼えながら藪の中から飛び出してきた猿たちは
せせら笑うかのように飛び跳ね、そしてこう言い放つ
「我々こそが森の真実の神。今しばらく、野にくの字して慈しみの汗を流せよ」

                                             (2002.6.11)

雨のない日々を嘆いていたら、やっと今日梅雨入りとなった。猿も来るが、種を掘って食べてしまうカラスやドバトも油断ならないのである。浜岡原発の冷却水の漏れは容易に修理できても、猿の害は解決できないのである。水は漏れるだろうし、追い払っても猿はやってくる。

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  祈 り

仏と向かうこのときも
心安らぐことのできない人々がいることを思う

栗ご飯をいただくこのときも
空腹を満たすことのできない人々がいることを思う

紅葉の山を眺めるこのときも
荒漠たる大地にさまよう人々がいることを思う

華やかに揺らめく川面を映しだす月は
毛布に包(くる)まり体寄せ合う人々の見上げる月と同じものなのに
仏陀よ 人間は平和でありつづけることをよしとしない生き物なのですか

豊かな乳房にしゃぶりつく赤子の涙の筋も
睫毛の蝿を払う瞬きさえできない幼児(おさなご)の涙の筋も
憧れの未来を耕す天使の滴(したた)りにかわりはないはず
なのに仏陀よ なぜ人間は飽くことなく同じ過ちを繰りかえすのですか

肯定と否定を平等に報道するだけのニュースと
同じ数だけ流される「アメリカ合衆国国家」と「イマジン」
こぶしを振りあげ戦意の鼓舞を促す双方の指揮官
仏陀よ 己(おのれ)を灯火として心を眺めたとき
両の腕(かいな)をマットにだらりと下げた矢吹ジョーを真実と思ってはいけませんか

11月7日 立冬
木枯らし一番の吹き荒れた朝の境内に
はなびらを落とした山茶花は
昨日と変わらぬ鮮やかさを保ち 絨毯の花を見せていた
この景色を届けたい人々を切に思う
思いはいつかかならず妙なる世界へと通じる
仏陀よ 山寺で静かに祈ることが架け橋になることを信じます

                                               (2001.11.7)

2001年11月11日午前11時11分11秒。世界中で「イマジン」が流れ歌われる。平和のための祈りが捧げられる。祈ることは信じることである。

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  百姓詩人山尾三省(やまおさんせい)を追悼する

山尾三省の名は 深く心に刻んでおこう
2001年8月28日
あなたは 終の棲家と定めた屋久島一湊白川山(やくしまいっそうしらこやま)で62年の生涯を閉じた
思えば昨年の10月7日 東京御茶の水 湯島聖堂で
アメリカからゲーリー・スナイダーを迎えての
「亀の島から弓の島へ」と題したポエトリー・リーディングに
あなたも共演する詩人の一人として立ったのであった
  ゲーリー・スナイダー(亀の島)
  ナナオ・サカキ(ヤポネシア)
  長沢哲夫(諏訪之瀬島)
  山尾三省(屋久島)
あなたはとつとつとした語りで 屋久島の生活の詩を朗読した
湯島聖堂の石畳に尻をおろして 僕たち家族は身体を寄せ合いながら言葉をいただいた
東京の夜空を仰ぎ 再び詩人に向かい 音となって紡ぎだされる詩に心熱くした

三省 かつてあなたは 生きる場所としてたどり着いた屋久島の
屋久杉の中でもひときわ気高い縄文杉を「聖老人」(せいろうじん)と称えた
聖老人の棲む森に暮らし 信仰を持ち 畑を耕し 海に潜り 詩を書き
そしてたくさんの子どもを育てた
あなたが 屋久島一湊白川山の自宅の囲炉裏端で
焼酎を飲みながら一日を振り返る物語を手にするとき
僕は 草刈りをした直後のような乾ききった喉に
待ちきれない若者の性欲のままに その活字を音を立てて飲み干した
或る時は言葉のいたたまれないほどの切なさに 膝を抱きかかえて転がった

百姓であり 詩人であり 信仰する人であった三省
樹齢7200年の聖老人の根元に横たわり
永遠の命を貰えよ!
僕は密かにわが寺の「聖老人」と呼ぶ大ケヤキのてっぺんに登り
はるか駿河湾を望む空から さらに天竺のごとき屋久島を思い太鼓を打つ
この弓の島のあらゆる場所に 三省と心同じくする部族の仲間が暮らし
いま連動して葬送の太鼓を打ち鳴らすステージが始まる
僕はここに居て この場所から三省を送る

                                               (2001.8.31)


山尾三省は大きな僕の師匠であった。大切な人がたくさん亡くなる。僕もそれに近づいている。三省にもう会えないことを思うと、本当に樹高30mのケヤキから屋久島に叫びたい気持ちだ。これも詩と呼べるのだろうか。この詩を書き終えて、八月最後の夜を飲んだ。
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  店じまい

「百有余年の長い間の ご愛顧ありがとうございました」と
店を閉じるはがきが届いた
村にたった一軒の「一宮商店」の店じまいのお知らせだ
屋号の鍛冶屋から
現在の酒・煙草・食料品を扱う店へと変遷しての百有余年だと思うが
閉店後数日して、ウグイス色のトタン板でしっかりと閉じられてしまった
店の入り口が再び開かれることはない
私の寺の不動明王の安置された本堂と一宮商店は真向かいにある
不動明王はお厨子の中から
毎日開店から閉店まで、子どもからおとなの出入りを眺め
郊外の大型店へ長期間分の食料品を買い出しに行く最近の傾向で
店が少しずつその役目を終えようとしている時期に来ていることを知っていただろう

かといって、一宮商店は決して僕らにとって「必要のない」存在ではなかった
作業に精を出した夕暮れに冷えたビールのないことに気づき
子ども等に駄賃をやり買いに行かせたことは数知れず
ナイターソフトボールが始まると、夜9時過ぎでもおばさんは快く店を開けてくれて
ビールや焼酎やつまみを用意してくれた

老人ばかりの増えた村で、遠くへ買い物に行く手段のない彼等は
移動スーパーの来る日もあるが、店じまいを憂える
バスもまた、町営バスが日に数本通るだけだ
「ありがとう」を言うには、まことにあっけない店じまいではあった
「ごくろうさまでした」とも店主夫妻にまだ話してはいない

緑萌える季節になり、暑い日が続くとビールのない夜には
店の横の出入戸をこつこつと叩きたい気分になる
きっとそれをしたら、おばさんは「ハイハイ」と居間から応え
店の玄関の鍵を開けに腰を上げてしまうに違いない

                                            (2001. 5. 12)

推敲が足りないのだと思うが、思いのはじめを大事にしようと思った。書きたかった。さびしくなった。

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  詩作と思索

春はお祭りのための護摩木を割る
夏はエンジン音に包まれて草刈りを繰り返す
秋は焼き芋の楽しみを持ち落ち葉を掃く
冬は雪を掻き、寺と墓と竹林を護る
会話を必要としないこの行為のなかで、
ぼくは言葉を反芻して詩作する
家族を思う
父の残した「病人の道」という
箇条書をそらんじて涙する
おろそかに 愚かに過ごしてしまう身を
沙門の末席すら汚しているのではないかと自問する
春夏秋冬 須弥壇(しゅみだん)を拭く
樒(しきみ)を供える
雑巾から床に零れる滴りを雑巾のせい所為にはできない
では樒の葉の落ちるは 誰の所為?
尽きることのない自問と思索のくり返し
しかし飽くことはない
はる なつ あき ふゆ

                            (2001. 3.12)


やっと少しずつ膝が曲がるようになってきたが、自然のくり返しのようにゆっくりと癒える時を待つしかない。そんな気持ちと、雪の冬を振り返って「まさにそうだったな」と自分に語りかけたようなもの。
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 お大師様

朝日が修行大師像に射してきた
お大師様は網代笠を目深にかむり
錫杖をしっかりと大地に立て
凛として東から上る光に対峙している
私は 大師像の前で
般若心経と「南無大師遍照金剛」を七返唱える
巨きな礎石に立つ大師像は
20年前 弘法大師千百五十年遠忌に建てられたもの
礎石の裏の誌に刻まれた名前のいくつかは すでに鬼籍に入った
空と海という広大無辺な名をもつ彼の
その名の交わる場所を
私はいつか見たいものだと思う
その場所に原子力潜水艦は 泳いでいてほしくないものだ
お大師様と一緒に網を打つ屈強な男たちの腕(かいな)で舵をとる
船を一艘見られたらよい

陽が西に傾くとき
修行大師像の背は
暖炉の灯りのような色に包まれる
他に職を持つ私には この光景を目にする機会は少ない
朱色に染まった大師像の背に遭うとき
きょう一日を無事生かされた感謝する心と
命をつないでゆく尊い旅の重さを
無言で教えてくださるお大師様に
手を合わさずにはいられない

                              (2001. 3. 1)



修行大師像を朝に夕に眺めながら、本堂への勤行へ行き来する。夕がなかなかここのところ無理なのであるが、後姿になんとも拝みたくなる気持ちが生ずる。山頭火の句も頭の中の断片にあったかもしれない。
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  天地の不思議

椅子から立ち上がろうとすると
「最後にこれだけは私に約束すると言ってほしい」と
医師は右手を差し出した
私はとっさにピストルになってしまっていた右手を開き
その厚い手に握られた
「絶対に 自殺はしないこと」
彼から発せられたこの言葉に
いまの自分の井戸の底が 覗けて見えたような気がした

「もう少し早くここに来てほしかったですね」
「しばらく通って、少しずつ疲れを癒していきましょう」
この場所は私のオアシスとなるか
地下の水脈の断層は回復が可能なのか
「あなたばかりが特別ではありません」
と言って渡された診断書には
「感情障害のため当分の間、二週間に一度程度の通院を要する」
と箇条書してあった

夜ごと「仕事をやめたい」「死にたい」を繰り返す私に
妻も崖の淵に在り
高校受験を控えた息子は自らの進路を
「本当に大丈夫か」と問うた
娘も中学のセーラー服を夢見ながら
この寂しい父の状態を察して
手を握って眠る夜も幾晩かあった
母は「寺のことも難しく考えるな 気を楽に持て」と言った

ある日 妻はとうとうホスピタルの扉を叩いた
その日以来 私の眠れない夜は解消されたが
枯渇した井戸に 未だ水は満たされてはこない
一月の大雪は天の試練
ふきのとう 梅の開花は地の恵み
私の捕縛された心は 天地の不思議

                             (2001. 2.21)



かなり難しいところまできてしまったな。まるで「未来日記」だな。こりゃっ!!
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  箱舟を送る

93歳の兄が横たわる箱舟に手をかけ
85歳の弟は泣く
冬枯れの地から老いたからだに
ようよう吸いあげた命の水を
惜しげもなくこぼして 泣く
二人の年輪は若木のそれに戻って 手を握り合う

北向きに置かれた箱舟に乗る兄は
「お前はまだ来るな」と
諭すような面持ちで
まぶたを閉じて弟の涙を 額に受けている
「あにいさん・・・・」と言葉を詰まらせ
弟はうなずくように頭を垂れる

大工のせがれは共に大工になり
太い梁を互いの肩で担ぎ合い
青空に映える家を 何十軒も建ててきた
生涯を農道一本隔てた斜向かいに暮らし
また、共に病弱の妻を抱え
家事をもこなし
長いこと世話をして 妻たちを送った

夜来の木枯らしが嘘のように去った朝
いよいよ93歳の兄の箱舟が
隣保組の男たちに担がれて家を出る
雨戸の開け閉めで 互いの無事を知る合図はもう要らない
85歳の弟は 野辺の送りの農道に杖を支えに立ち
「あにいさん」とひとりつぶやき
それでもしっかりと 箱舟のもやい綱を解き放った

                             (2001. 2. 4)



1月2日に亡くなった檀家の松さんのことを書いてみた。喘息もちの弟さんは独りぼっちになってしまったが、それでもこの冬、今のところ入院する事もなく、週二日のデイサービスと、ホームヘルパーを使う介護保険でしっかりと生きている。
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  家 族

1月12日 妻の誕生日
1月30日 娘の誕生日
3月10日 息子の誕生日
11月3日 母の誕生日
11月23日 わたしの生まれた日
この0から3の数字の妙で
誕生日が成り立っている5人は
宗教法人 大聖寺(だいしょうじ)の住人
ただし このことだけが妙で
あとはいたって普通

1月27日の大雪には
全員で本堂にいたる石畳の道を開け
そろって手に豆をこさえたが
手の豆はその晩のうちに
お不動さまが食べてくださった
翌28日の初不動には
少し早いが「摩訶吉祥所」「節分寶牘」の札を
庫裏、客殿、本堂のいつもの柱に貼り
いつものことをいつものように済ませた

いたって普通の家族
妻は母が蒔いて収穫した豆を炒って福豆をつくり
子どもらは互いの進学に
福を呼び合おうと約束を交わし
母は夜な夜な父が残した農事メモを繙(ひもと)き
わたしは「一陽来復」をこっそりと願い
家族だけでする 大聖寺の節分を待っている

                          (2001. 2. 2)


亡くなった父は1月15日生まれで、祖父は私と同じ生まれ日でした。毎年、暗くなった本堂の扉の前から、「鬼は外 福は内」とやるのだ。世界中に福が来んことを願わずにいられない。
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  焼き芋をしよう

焼き芋をしよう
サツマイモもだけど、今日はジャガイモも包んでみようか
ケヤキや桜や杉の落ち葉で
どんな焼き芋ができあがるかしら
休日の母と子は、竹箒一本担いで境内を渡り歩く
鉄砲一本担いで戦場を渡り歩く映像よりはるかにいいと
住職の私は本堂の回廊に立ち母子の会話に耳を傾ける

妻は隣りのおばさんに焼き芋をお裾分けし
おばさんはお返しに、豆を煮て届けてくれた
温かい煮豆はもみじ紅葉のように濃く艶々だった
高校受験を控えた息子は バターをたっぷりと塗ったジャガイモを頬張る
夕日に赤く染まった髪が 彼の一年後を思わせるようだ
サツマイモを半分に折ってははしゃぐ娘は中学生になる
わずか十五人の同級生が四十人になるだけでも
彼女は素敵な出会いの砂浜を駈けるような気持ちだと言う

やがてそれぞれ新しい生活の始まりを迎えることになるが
秋にはまた 焼き芋をしよう
畑にもたくさんの落ち葉を入れよう
焚き火に手をかざし 
みんなで顔を見合わせて
僕たちが家族で居る限り焼き芋を続けよう

                                    (2001. 1.25)

昨年の晩秋に少し書いてあったものを仕上げた。満足とまではいかないが、「良し」としておこう。もう息子の受験まではひと月ちょっとだ。
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  猿(ましら)

墓地の道の雪を掻く俺を
猿(ましら)の親子が陽のあたる山の斜面に腰を下ろして眺めている
スコップを握って二時間
汗の吹き出ていた体が、日陰に差しかかると急に凍えた
彼らはやがて雪の中から表れるであろう供物を
手をこまねいて待っているのだ
昨年暮れと、正月早々に亡くなった精霊の墓に
四本幡や堤燈が生々しく寒風にゆれている
二人の精霊は今
新しい仏となるための修行の旅をつづけている
四十九日の間 七日ごとに七人の仏様に導かれながら
ただ一度きりの旅の途にある
猿(ましら)よお前たちの生きる厳しさは山の木霊に聞いて知っている
けれども猿(ましら)よ
この四本幡たなびく墓地の供物には決して手を出してはいけない
これは「聖なる供物」
聖なる旅をつづける精霊の「聖なる供物」
おまえたちと同じ深い森や谷を旅するための糧を奪ってはいけない
やがて四十九日の忌明けには
薬師如来の懐に抱かれて旅を終え
疲れを癒すことになる
その暁にはこの「聖なる供物」を手にすることを許そう
それから薬師如来に感謝の言葉を唱えなさい
お薬師様の真言は
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
この響きの良い言葉は
きっとおまえたちにも 声に出せることだろう

                                 (2001. 1.22)

恥ずかしながら、相変らずの死者へのレクイエムだ。生と死を今年も考えていくはじまりの詩とでもいうのか・・・。
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  おじさんへの便り
              --亡き道路工夫Fさんに--

おじさん いまどのあたりでしょうか
あなたが逝って半年が過ぎ
まだ僕の思いは
少しばかり林道の草刈りにてこずって
帰りが遅れているのだなと・・・

おじさん 今年の夏は雨が多くて 草の伸びもよく
僕も寺の境内や墓地、裏山の草刈りを
幾度かくり返しました
刈っても刈っても生い茂る夏の草刈り仕事は
草との追いかけっこ
成果を得ることのない仕事かもしれません
ただ 孤独な草刈りを続けるうちに穏やかになり
この仕事を天からいただいたような
厳かな気持ちになるのは何故なんでしょう

いまようやく秋の色がはじまり
富士見山林道から見渡すカンバスは
日増しにその色を深めます
林道の脇にカブを止め
一服しながら眺めた紅葉は
おじさんにどんな 抱かれ心地を与えたのでしょう

一升瓶から注いだコップ酒を
ベビーチーズかじりながらよく飲みましたね
僕の日常が思うようにコントロールできなくなり
おじさんとの酒にすれ違いが生じていた 或る日
もう飲むことが叶わない報せにやむなく頷きました
以来 床ずれのできた心で
茫洋とした波間を漂うごとく
夜な夜なパソコンでネットサーフィンしています
おじさん そちらからのインターネットが可能なら
一晩中チャットして過ごしませんか
僕のメールアドレスは
daishoji@maple.ocn.ne.jp
僕からの返信の書き出しはもう決まっています
「おじちゃん 一体どうしちゃったんだよぉ」

                       (2000.10.13)

4月に逝ってしまった、深沢共栄(ともよし)さんを偲んで。または忘れられなくて書いたもの。
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